教門論疑問

柏原孝章




○教門論疑問 第一


 余このごろ西先生の教門論をよむに、その文真切しんせつ、その義奥妙おうみょう、反復数回発明するところ少々ならず。しかしてひそかにおもう、その立論の旨おおいに古説と同じからざるあるをもって、看者かんじゃ胸中の先入を一洗するにあらずんば、おそらくはその真意の向うところを認めざらんことを。よりて、余いま固陋ころうかえりみず、その了解し難きゆえんの意を摂録せつろくし、あえて先生にただす。もし先生の垂教をかたじけなくせば、あに ただ[#「あに ただ」はママ]不佞ふねいの幸のみならんや。
 およそまつりごとを行いおしえく、まず信を人に得るにあり。信ぜられてしかるのちに令おこなわれ、教立つ。いまだ信ぜられずんば、令して行れず、いましめ守られざるなり。これを信ぜしむるの道同じからずといえども、人をして疑わしめざるに至ては、すなわち一なり。それすでに疑わざるに及んでは、水火をも踏ましむべく、木石をも拝せしむべし。けだし信の難きにあらず、これを信ぜしむるを難しとす。すなわち徳をもって信を得る者あり、術をもって信を売る者あり、人のこれを信ずるや、いまだかつて知らずして信ずる者あらず。それこれを信ずるのはじめ、目これを見、耳これをきき、心これを察し、その信ずべきをしりて、しかるのちはじめて疑わざるに至る。
 むかし洋人はじめて印度インドに航する者あり。王にいいて曰く、臣が国、冬日とうじつあり、水凍結とうけつしてしょうのごとく、鏡のごとく、堅きこと石のごとしと。王おのれいつわるとなしてこれを殺せり。王いまだかつて見ず、いまだかつてきかず、またいまだかつてこれを察せず。王のこれを殺す、またむべなり。ゆえにみずかかえりみて知らずんば、何によりて自ら信ぜん。みずから信ぜずんば、なんぞよく人を信ぜしめん。古人身を殺して信を証せし者、少なからず。しかれどもその成功の跡を見れば、あたかもはじめより知らずして信ずる者のごときあり。いわゆる知らず知らず帝の則に従う、これなり。これ、これをという。そのすでに化するに及んでは、人これを如何いかんともすべからざるものなり。しかれども信の心にこんする、深きものあり、浅きものあり。深きものは動し難く、浅きものはゆらやすし。いま動し難きものにつきてこれを蕩揺とうようせば、幹折れ、枝くだきて、その根いよいよまんせん。有力者といえどもついにこれを抜くあたわざるべし。もしまずその浅きものを選てこれを芟艾さんがいせば、深きものも必ず孤立すること能わず。その勢ついにおのずかたおれん。けだし釈迦は波羅門バラモンを破り、路得ルターは天主教を新にす。わが邦の沙門しゃもんもまたよくすうを興せり。これによりてこれを見れば、信あにうつすべからざらんや。
 西洋諸国たえて鄙野ひやの教門なし。ここをもって人の好むところにまかするもまた可ならん。かつ人々しき高く、学ひろし。あに木石虫獣を拝する者あらんや。わが邦はすなわちしからず。愚夫愚婦ぐふぐふの邪教に沈溺ちんでき惑乱わくらんする、言うにえざるものあり。しかして政府、あにこれを問わざるべけんや。われ聞く、国の王者あるは、なお家の父母あるがごとし。四海しかいの内、みな兄弟なり。その父母兄弟の政を行う者は、その信ずるところ、おのずから愚夫愚婦のけんと同じからず。しかりしかして子弟の沈溺するを見、手をきょうして救わずんば、なんぞ父母兄弟たるにあらん、なんぞ民をするにあらん、またなんぞ不仁不慈のそしりを免れんや。
 いま先生の言に云く、信に本末なし、ただ真とするものを信ずべきなりと。これなお瞽者こしゃをして五色ごしきえらばしむるがごとし。いやしくもかの愚夫愚婦をして、おのおのその真とするものを信ぜしめば、ついに草鞋そうあい大王を拝するに至らん。これ手を拱して人をすつるの道なり。また云く、匹夫匹婦ひっぷひっぷの木石虫獣を信ずるも、その真たるを信ずと。ああ、これ何のいいぞや。木石虫獣にして真たらば、なんぞ天をおそれん、なんぞ上帝を敬せん、またなんぞ教を用いんや。邪をふせぎ、淫をせきし、を棄て、真を求むるは、教の大本なり。先生の云く、政治の権は教門の道とその本をおなじうせず云々うんぬん、その主とするところ人民をあつめ国を成し、不正をして正を犯すことを得ざらしめ、もってその治安を保す云々、もしそれ教門の道のごときはまさにこれとあい反す云々、全然その本を別にするものなり。またなんぞあい関渉して教門のためにして政治その害を受くることあらんや。余よみてこの文に至り、おおいに了解しがたきおぼう。これ先生のいわゆる教門なるものは、正教を指すか、はた邪教を指すか、その意のあるところ、いまだしるべからざればなり。
 今、仮に耶蘇ヤソの教をもってこれを論ぜん。耶蘇に十誡じっかいあり。そのはじめの三条は敬神の道なり。四に曰く、父母を孝敬せよ。これすなわち帝王、官長より父母、師長にいたるまで、ともにこれを敬すべき義なり。五に曰く、殺すなかれ。人およそ忿恨ふんこん詈罵りばより人をきずつけ、人を害すべきことをいましむ。六に曰く、邪淫を行うなかれ。七に曰く、偸盗とうとうするなかれ。およそ人の財物をやぶり不公平のことをつつしむ。八に曰く、妄証ぼうしょうするなかれ。およそ人の声名をそしり、ならびに人をいつわるなどを禁ず。九に曰く、他人の妻を願うなかれ。これ淫念をたつなり。十に曰く、他人の財をむさぼるなかれ。これ貪心どんしんいましむるなり。以上七誡のごとき、人もしこれを犯せば、みな必ず政府の罰をこうむるに足る。教門の道、ただ刑法のもくを設けざるのみ。しかしてこれよりはなはだしきものあり。善人は天堂の賞を受け、悪人は地獄の罰を受く。その厳なる、五刑より厳なり。いやしくも人々よくこのかいを守るに至らば、五刑ありといえどもあによくかざるを得んや。いやしくもこの道に反せば、なんぞよく人民をあつめ、国を成し、不正をして正を犯すことを得ざらしめ、もってその治安を保つべけんや。
 これによりてこれを見れば、なんぞその本を別にすというべけん。またなんぞあい関渉せずというべけんや。政府、道なければ法律行われず、人民、教なければ政に服せず。教の人における、一日もなかるべからず。飽食・暖衣・逸居いっきょして教なきは、禽獣に近し。教の政における、そのいつなり。われきく、文明の国たる、王家大礼あれば必ず教師をひきてこれをつかさどらしむ。天を敬するゆえんなり。民を信ずるゆえんなり。教の政における大なるかな。しかりといえども、教の道正しからざれば、その政に害あるまた少々たらず。これ人の好むところに任すべからざるゆえんなり。いやしくも教、正にしてかつ真ならば、人智の開明にしたがいてその信いよいよ深く、その政を行うにおいていよいよ欠如すべからざるものとす。もしそれ虚妄きょもうなるがごとき、なんぞ信を開明の民に得るにたらん。いわゆる神教政治なるもの、その実は神教にあらずして、愚民を哄騙こうへんするの術なり。蛮王、一詭道きどうをもって万民を統御とうぎょせんとほっす。その滅亡に至る、またむべならずや。

○教門論疑問 第二


 物の弊あるは物のせいなり。聖人といえどもあらかじめこれがそなえをなすあたわざるなり。羅瑪ローマくにを復するや教門の力により、その敗るるやまた教門によれり。けだし当時の王と称する者、皆いわゆる仁義をかりはかる者なり。これをもってその法王にねいする、彼がごとくついに世を救うゆえんのものをもって、民を土炭とたんおとしいるるに至る。教門の弊、ここにおいてかきわまる。天運循環して路得ルター氏興り、はじめてその弊を救い、しかして法王の権とみに衰う。けだしその弊のよりて起るところを察するに、教にあらずして人に存す。
 これを治道にたとうれば、なお聖王の後、けつちゅうを出すがごとし。それ邦の王を立つる、民を保するがためなり。しかして桀・紂のさかしまあり。人の教を立つるは世を救うゆえんなり。しかして羅瑪のわざわいまぬかれず。しかれども一日も王者なかるべからず、また一日も教なかるべからず。それ教なるもの人心をおさむるの具なり。心正しければ身おさまる。身脩れば家ととのう。家斉わざれば何をもって自主の権をたてん。身脩らざれば何によりて品行の高尚なるを望まん。心正しからざれば、なんぞよく国の法律を遵守じゅんしゅすべけんや。
 今、先生、その内心を後にしてその外形を先にす。これを物にたとうれば、内心は物なり、外形は影なり。物、円なれば影もまた円なり。物、ほうなれば影もまた方なり。すなわち、その心正しければ、そのおこないもまた正しからざるを得ず。これをうちに誠あれば必ず外にあらわるというなり。いやしくも心をおさめずして、いたずらに外形をせむるは、あたかも方物につきて円影を求るがごとし。およそ左道さとう惑溺わくできする者は、財をむさぼり、色を好み、福を僥倖ぎょうこうに利し、分を職務に忘れ、そと財をかろんじ、義をおもんずるの仁なく、うち欲にち、身を脩るの行なく、うまれて肉身の奴隷となり、死して魔鬼まきの犠牲となる。今天下の人をして、ほしいままに狐狸木石こりぼくせきを尊信せしめば、人々その心をもって心となし、ついにその帰するところを知らざることあきらかなり。
 しかしてこれに加うるに形をもってせば、これ教えずして殺すなり。かつその刑重きもただ一死に過ぎず。一人を殺す者は一死その命にあたりて足るべけれども、万人を殺す者は何の刑をもって万人の命にていすべきや。たとい、これを殺すもただ一死に過ぎざるのみ。しからばすなわち、あに公平の法ととなうべけんや。これをもって政の要は、徳を先にして刑を後にす。徳のもとは教をもって人心を一にするにあり。明主は天下の心をもって一途いっとに帰せしむ。ゆえに令すれば行われ、禁ずればむ。もし天下の人おのおのその心をもって心とせば、日に百刑を施すといえども行われず。かつ天下の人、あによくこぞりちゅうすべけんや。いわんや政府もまた人なり。いやしくも人ならばまたその信ずるところ、かならず人民と同一ならざるを得んや。政府もし、はたして狐狸木石を信ぜば、これ狐狸木石の政府をして、狐狸木石の人民を治めしむるなり。あにまた奇ならずや。

○教門論疑問 第三


 上世じょうせいの歴史を見るに、たいてい荒唐こうとう疑うべきもの多し。しかれども数千年ののちにありて、またこれを如何いかんともすべからざるなり。西洋太古の伝説もまた、往々おうおう疑うべきものあり。いわゆる諾威ノア方舟はこぶねを造り、その族人および禽獣の属おのおの一※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)ごうを乗せて洪水をさけしというがごときこれなり。
 けだしその船の大小、人員の多寡たか、いまだ知るべからずといえども、動物の属その数億のみならず、あにことごとくこれをするにたえんや。また獣類中にも残貪ざんどんなるものあり、猛悪もうあくなるものあり、かつ肉食の獣は養うに蒭菜すうさいをもってすべからず。一頭をほふりて数頭を養うべきものといえども、なおかつ一頭の※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)はいぐうを失うべし。いわんや数頭をあやめ、わずかに一頭のうえすくうべきものにおいてをや。その餓るやその勢必ずあいくらうに至らん。あに上世の虎は目今もっこんの猫のごとく、太古の熊は今日の犬のごとしというべけんや。もし猛獣、毒蛇をして一舟の中に戦わしめば、人いずくんぞそのわざわいこうむらざるべけんや。しかして諾威の舟アララに漂着する、数月のひさしきを経たりといえり。これあに理をもって論ずべけんや。
 わがくに皇統連綿、天地ときわまりなし。しかして上世のふみけみするに、天孫降臨すというもの、これを今日にちょうすれば、はなはだ疑うべきがごとし。しかれども上世の人、なおかつ、これを非する者なきは、当時すでに確として証すべきものありて存せしならん。近来これを外史に比較するにおよびて、おおいにその疑を解くを得たり。すなわち百露ペルー古王のせんもまたママ陽より来るというがごときこれなり。これ必ずわが上世の皇子流竄るざんせらるる者、彼地かのちに漂着して、ついにここに王たりしなるべし。今その服を見るに、胸前に飾るに菊章をもってす〈千八百六十三年鏤行るこう、米人メッテェル氏地理書九十葉に見ゆ〉。かつその邦語の転化、おおいにわが国の法に類するものありという。またヲハイの女王額上に菊章をもんする類〈和蘭オランダム、イ、ハンオーヘン氏著述、千八百五十五年鏤行、地上人民風俗通四百六十四葉の図にず〉、皇国学者をしてこれを論ぜしめば必ず云わん、わが邦上世の人、外国に流竄せらるる者、外境において国を興せる者なりと。しかれども王家あにこれをもって教をたつるものならんや。百露の王すでに西班牙スペインのために滅さる今にいたりて、天孫の国、万国と角立かくりつするもの、ひとり皇国あるのみ。百露てつ、それあにかんがみせざるべけんや。たといここに人あり、いま現に雲漢うんかんよりくだるも、その言行神聖ならずんば、人いずくんぞ上帝の一子なりとなさんや。いわんやその子孫においてをや。いわんやその現に雲漢より降るを見ざる者においてをや。これ天子より庶人しょじんに至るまで、みな必ずおしえなくんばあるべからざるゆえんなり。
 それわが国いにしえより教あり、天然の教という。その法、人をしておのずか本然ほんぜんの性にかえらしむるものにして、すなわち誠心の一なり。しかれども世運せいうんようやくくだるにおよんで人事日にしげく、天然の教いまだもって邪をただすに足らず。これをもって名教をほどこせり。しかしてまた、いまだ下愚かぐを移すに足らず。加うるに釈氏の教をもってす。しかりしかして虫獣木石の魔道、紛然としてその間に雑出す。今日にありてこれを見れば、そのはじめより教なきの簡なるをもってすぐれりとなすものは何ぞや。これけだし教法多端にして、人心を二、三ならしむればなり。教門の弊、ここにおいてかきわまる。この時にあたりて新教を分布し、旧弊を救わずんば、その政に害ある、言うべからざるものあらんとす。しかれどもこれを救う法、もしそのよろしきを得ざれば、その害もまた少々ならざるべし。あるいはいわく、天下最良の教をえらぶべし。あるいは云、人々の好むところに任すべし。あるいは云、諸教を折衷して邦俗に合うべきを取るべしと。これみな、その一をしりて、いまだその二を知らざるの論なり。それ大声は閭耳りょじに入らず、上乗は凡夫を導くに足らず。君子の信ずるところは小人の疑うところとなり、老婆のやすんずる所は少年の笑うところとなる。新をむさぼる者はちんきらい、古を好む者はあやしむ。人心のおなじからざる、なおその面のごとし。ゆえに、いやしくもその人を得るにあらずんば、教法、正しといえども行われず、論説、理ありといえども信ぜられず。ああ信のかたき、これを信ぜしむるを難しとす。教の道たる、あによく言語・文字の尽すべきところならんや。





底本:「明六雑誌(下)〔全3冊〕」岩波文庫、岩波書店
   2009(平成21)年8月18日第1刷発行
底本の親本:第一「明六雜誌 第二十九號」明六社
   1875(明治8)年2月26日
   第二「明六雜誌 第三十號」明六社
   1875(明治8)年3月8日
   第三「明六雜誌 第三十一號」明六社
   1875(明治8)年3月15日
初出:第一「明六雜誌 第二十九號」明六社
   1875(明治8)年2月26日
   第二「明六雜誌 第三十號」明六社
   1875(明治8)年3月8日
   第三「明六雜誌 第三十一號」明六社
   1875(明治8)年3月15日
※「○教門論疑問 第一」「○教門論疑問 第二」「○教門論疑問 第三」をまとめて「教門論疑問」としました。
※中見出し「○教門論疑問 第一」の初出時の表題は「○教門論疑問第一」です。
※中見出し「○教門論疑問 第二」の初出時の表題は「○教門論疑問第二」です。
※中見出し「○教門論疑問 第三」の初出時の表題は「○教門論疑問第三」です。
※校注者による冒頭の解説は省略しました。
※校注者による脚注は省略しました。
※〈 〉内の一行書きは原文の割注です。
入力:田中哲郎
校正:岡村和彦
2020年4月28日作成
2021年8月29日修正
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