死線を越えて

死線を越えて

賀川豊彦




 私は、不思議な運命の子として、神聖な世界へ目醒めることを許された。そして、人間の世界の神聖な姿と、自然の姿に隠れた神聖な実在を刻々に味ふことが、私の生活の凡てになつてしまつた。二十二の時に、貧民窟に引摺られたのも、この神聖な姿が、私をそこへひこずつて行つたのだつた。そして、私の芸術も、この美を越えた聖、生命の中核をなす聖なるものを除いて何ものでもない。


 東京芝白金の近郊ちかく谷峡たにが三つ寄つた所がある。そこは、あちらもこちらも滴る許りの緑翠みどりで飾られて居るので唯谷間の湿つぽい去年の稲の株がまだかやされて居ない田圃だけに緑がない。
 大崎の方に寄つた谷の奥には大きな雲の上に出る様な大杉が幾十本となしに生えて居る。そこは池田侯爵の屋敷である。白金の岡にはお寺が一軒二軒、中の岡には屋敷も無ければ寺もない。細い栗、楢、櫟が三十本六十本と生えて居る。
 五月の初めであつた。ある日本晴れの日に此のまん中の岡の森蔭に、草を敷いて横になつて、本を読んで居た者があつた。
 見ると、脊は普通なみより高い、痩形で、黒羅紗のチヤンとした正服を着て居る。
 慥かMGを組合せた金ボタンをつけ、顔色は非常に青く、鼻は高いが、頬骨が少し出てゐる。目はどちらかと云ふと、大きくて鋭い。然し気高い輪廓の持主であつた。
 此男はいつも此処に来る男だが、近頃は此処へ来て本を開いても別に読まうともして居らぬ。
 たゞ目を閉じて黙想をして居る。然し之もあまり長くは続かぬ。すぐ眠つて終つて居る。が夢が醒めるとまた急いで本をかき開いて読む。三四行の処を繰返し繰返し読んで居て、此度は急いで畔道を伝つて白金の方に飛んで帰る。
 今日も彼は例の如く此処へ遣つて来て、例の如くやつて居た。
 その時彼のねて居る頭のうへの細道からだんだら降りに降りて来る一人の廿前後の青年があつた。小薩張りとした絣の衣服に真岡木綿の黒の兵古帯をしめ、鳥打帽を冠つてステツキをついて居た。
 彼は脊は高くないが骨格のたくましい眉の濃い髯の多い、赤い顔した男だつた。
 彼は散歩の帰り路である。
 不図洋服を着た男が横になつて本を読んで居るのを見たから、急に立ち止つて声を掛けた。
新見にひみなんしてるか? よせ、よせ!』
『ア、鈴木か、何処へ行つて居たんだ?』と本を読んで居た男は叫んだ。
『僕か僕は目黒の不動さんの方へ行つて居たんだ。君、此春色駘然たる時に古臭い本なんか読むな、僕は君が恁那こんな処でぐずぐずして居るのを知つて居たら、目黒の方へ連れて行つて遣るんだつた。新見また今日も煩悶か?』
『馬鹿!』
『何だその本は? 哲学か? よせ、よせ』と彼はあしを運んで新見の傍に腰を降して、彼が小笹の上に捨てた洋書を取り上げた。
『何だ之りや? Upaniashed と発音するのか? ウム。The sacred books of the East つて何だ一体?』
『これか、之れは紀元前千三百年から六百年の間に出来ただらうと云ふ印度の経典だよ、君、知らぬか? リグ、バタつて。昨日、上村の仏教史の講演に一寸と話して居たぢや無いか』
『ウムあれがどうした?』
『あれから、之が進化したのだよ』
『面白い物読んで居るな。僕など学科の準備にあくせくして居る許りで、外の本を読む暇なぞ無いがア。君は感心だな。内容は怎那どんな者だ一体』と今迄本の体裁許り見て居たが三十頁もあらうと思ふ序文をめくつて大きな文字で印刷してある本文から読み始めた。
『凡てはぼんなりか? 世界は梵の中に始まり終り又呼吸するものなるを黙想すべし……か、アハハ……汎神論か? 然し、面白い事を云ふね』
 鈴木は本を閉じながら、
『新見君然し、君は、此本の云ふ所を真面目に信ずるかね。恁那昔噺の様な汎神論を?』と問ふたが、
『なに君等子供には解ら無いよ。印度哲学の一冊でも読んで、そんな事を云ひ給へ。近頃の子供は印度哲学の一冊も読まない癖に生意気な事を云ふ。まだ超越しない中は駄目だよ。大いに超越して解脱した者が始めて汎神論とか何とか云ひ得るんだ』鈴木は新見の一年下だ。
『それでも君常識から考へても因果律と物質は同一ぢやあるまいし、凡ての物を統一する者が切れ切れになるなら、統一も何も出来ぬぢや無いか?』新見は一本突き込まれた。
『スピノザでも研究して見給へ。科学的頭脳を持つて居る者が誰が馬鹿らしい創造論などを信ずるものか。然し君は熱心なクリスチヤン、而も伝道の準備に学院に来たのだから、敢てスピノザ気取るのぢや無いが君の信仰を迫害せんさ。勝手に神様を創造し給へ。然し物質不滅や勢力保存や進化論を信じて居る二十世紀文明が馬鹿らしい天地創造論などを信ぜられるものか』と真面目に論ずる。
『君、さうだけれども、物質不滅だつて勢力保存だつて進化論だつて皆仮定だらう。信仰だらう。僕等はあまり知らんさ。然しそれは自己の演繹で決して帰納では無いのだらう。僕は論理学で一寸と其様な事を読んだ事があるが……』
『然し、ヘツケルを――君は読んだ事があるかね? 一元論さ。物質精神一体両側面説さ――我等は無限に進化しつゝある者即ち神になつて居るのだ?』議論はいつしか全く真面目になつた。
『君それぢや死ねば人間はどうなる?』
『死ねば分子さ。何も不思議な事は無いぢや無いか』
『滑稽だな――神様がまた分子から復習するのか? 君それぢや進化が退化になつて居るだらう! 道徳も芸術も夢だな』
『君は解らんから困る!』
『兎に角、もう四時だ、三十分すれば、飯が食へるよ、そろそろ帰つて行かう、大分今日は理窟を並べたね』と鈴木は時計を見乍ら云つた。
『それぢや帰らうか?』と立ち上つた。洋服について居た塵を払つて、細い畔道を鈴木を先に立てゝ新見は帰つて行く。二人は岡に沿うて廻り、水車場の辺を上り、森の垣根に沿ふて歩んだ。鈴木が問ふた。
『君仏教は今日の科学的信仰と同じ事を云ふぢや無いか。それに君は何故明治学院などに這入つて来た? 仏教大学にでも入学すれば善いに』
『僕はそれだから哲学の方面から云へば仏教を取るが、併し仏教は駄目だよ! 僕は十七八位の時から哲学じみた事がすきで随分苦悶して歩いた方だがね。……十五の時に国の中学の三年がんで直ぐ東京へ遣つて来て、あつち、こつちの中学を漂泊したさ。その間は教科書などは少しも手につけずに詩や哲学や雑誌を朝から晩まで読んでね、随分それは苦悶した者だよ。僕は高輪の仏教中学を卒業したのだよ。君は誰からか聞いたかい』
『いや、聞か無かつたが。――それぢや君は小さい時から哲学が好きだつたのだね。君、一体どうして哲学が好きになつたのか?』
『なに、一つは母と十歳の時に別れて、継母に養育せられたのと、僕が国を出ると云ふ動機が、姉の死と云ふのにあつたのだからね。自然僕の心が哲学に向いたと見えるね。さうだらう、君のクリスチヤンになつた動機を聞いた事があるが、君だつて三陸の海嘯かいせうに父母兄弟を失はずに居て人生を疑うことが無ければ信仰とか神とか云ふものを問題にしなかつたらう?』
『そらさうだ。君は高輪中学に居たのか? 面白い処に居たのだね。駄目か、仏教は?』
『駄目だね。僕は宗教学校に這入つて僕の疑問を取り去つて貰ふと思つたが全く駄目だね。反つて苦悶を増して来たさ、彼等の内幕を悟つたから』
『さうかね?』
『僕は鎌倉の建長寺へ参禅した事もあるが、馬鹿らしいよ、禅と云ふのも。此頃大分禅が流行して居る様だが君、仏教と云ふのは真に禅の様な者だね。輪廓許り残して色彩を消さうと云ふのさ。だから鎌倉何十の寺院之れ皆貸屋さ。君来光寺の本尊が売物に出たと云ふことを此間の新聞で見ただらう[#「見ただらう」は底本では「見ただろう」]。あれは運慶の名作でね。彫刻家の喜ぶものだがね……仏教は道徳だとか人格だとか云ふものは全く否定して居るのさ。そして言葉で愚婦愚夫を欺いて居るのだ。駄目さ。肉と血の躍る者が信ずるものぢや無いな』
『全くだね。本願寺の失態なども、馬鹿気て居る位ゐ堕落してゐるからね。君それでは何うして明治学院の様な処に這入る様になつたんだ?』
『僕の父がね僕に強いて法律を研究せよと勧めて一高に居たのさ。然し三年の一学期と云ふ時にね。急に喀血してね――僕の母も姉も肺で死んだんだよ――医者が肺だと云ふぢや無いか。茅ヶ崎で一年と八丈ヶ島で一年遊んでね。今度はもう法律などをやる勇気は無いぢや無いか。非常に宗教的に傾いてね。仏教の方も飽いて居たから。明治学院の高等学部で一、二年遊ばうと思つてね、去年の九月、明治学院へ来たのだ』
『君明治学院は何う思ふ』と鈴木は新見の顔を見て尋ねた。
『僕は実際、基督教と云ふのは、も少し愛に満ちて居る者だと思つて居たがなア』と新見は答へた。
『然し僕は明治学院へ来て特別にさう感じたね。然し新見君、田舎のクリスチヤンは東京の信者と同様だと思つたら間違つて居るよ。真のクリスチヤンは田舎の隅の無花果の樹の下で神の国の夢を見て居るナタナエルだよ』
『僕は基督教の熱烈な歴史が今の信者の中には湧いて居ない様に思ふよ』
『実際僕だつて痛切にそれを感じて居るのさ。戦争の時に……会などを開く今の信者だからね』
『使徒時代の夢は何処にか消え、肉を十字架の上に割いたその熱烈と輝きも何処にか消えたね』
『実際だね。僕もその為めには祈つて居るさ』
『然し遂に経済問題さ。ね鈴木君、君、此間僕と平野の討論を聞いたかね。文学会の時に※(感嘆符疑問符、1-8-78)
『君は幹事に叱られた相ぢや無いか?』
『やられたさ。然し君、凡そ精神界の事は蔭の表象を取らなければ人間と云ふものには感応が無いだらう。基督教だつて、アメリカと英国のコンモンウエルスを造らなくて、支那帝国の様な者を造つて許り居れば何の価値も無いぢや無いか。さうぢや無いか? キリスト教と云ふ者が今日の社会主義思想を産んだが、サン・シモンやフエリエルは使徒時代の様な世界を実現さそうとしたのだよ。全くだよ、キリスト教が社会主義思想の表象を取らなければ……。それだから僕は幹事にさう云つたのさ、帝国主義に、あなたの学校で教育なさりませ。然しそれはキリスト教ぢや御座いませぬよつて』
『君がさう云ふと、幹事は何う云つた?』
『そしたらね。兎に角文部省の方から社会主義を学生間に宣伝する者があれば厳重に取締れと云つて居るから、君も此の学校に居る間はの様な猛烈な破壊的な演説を講壇に立つて大勢の前では為て呉れるなつて』
『……。僕はキリスト教と国家とは決して一致する者ぢや無いと思つて居るがね。僕は社会主義を全く賛成は出来ぬが、今日の日本の信者が国家とキリスト教とが相衝突せぬと云つて弁護しよう、弁護しようといつて居るのが可笑しくつて堪らぬのだ。彼等は皆キリスト信者が……追ひ出される事が恐ろしいのだね』
『馬鹿だよ。世界的のクリスチヤンが何にも井上哲次郎や加藤弘之の様な曲学阿世の徒を恐れて国家とキリスト教の衝突を弁解しなくても、国家とキリスト教とは衝突する。衝突するが○○○○○○○にあると云ひ切れば善いのだに』
『………………………』
 恁那に話が先から先へと花が咲いたが、二人は猶屠牛場の横を通つて大きな杉の木が両側に生えた道を白金の方へ歩んで行つた。その時話が大分切れて居たが鈴木は、
『君は中々面白い経験を持つて居るね』と口籠るやうに云ふた。
 杉の間を通りすぎて右へ曲らうとした時に、後から声がする。
『鈴木――』
『新――見』
 鈴木と新見とはハタと立ち止つて観れば、大食倶楽部の面々、田村、井上、松田、三田の四人、高等科一年の連中で皆普通科出身の火気くわきある青年達だ。
 田村はハリス館の食堂に一番近い室を占めて居る。中脊の頭を五分刈にして普通科から満四年間冠つたと云ふ黒の羅紗が赤くなつて居る帽子を冠つて居る。此男が大食倶楽部の会頭で一日三度の食事時に、食堂の戸がまだ開かぬ時は、鍵穴から食卓の準備を覗く男である。或生徒が田村を歌つた事がある。
『朝起きと、自習時間のしかめ面、食堂さして恵比寿顔かな』
 井上と云ふ男は『肉の人』と云ふ名が付いて居るので、恋愛研究が専門だと云ふ愉快な男である。縮れ毛に眼鏡をかけて居るが、高等科になつて、髪を長くして真中から別けたから、髪の癖をつける為だと云つて、寝る時も自習する時も帽子を取つた事の無い男である。
 松田と云ふ男は『売卜ばいぼく』と云ふ名が付いて居る男だが、脊の低い大黒さんの様な顔をした男である。
 三田と云ふ男は脊の細高い朝から晩まで、犬が人間の糞を踏んで辷つたとか、誰れそれの、鼻の穴の広さが何寸あるとか云つて笑つて許り居る男である。
 呼び止められて新見と鈴木は立ち止まつて居たが、四人は何か頻りと笑ひ乍ら、足並揃へて二人に近づいた。そして腹を抱えたり、仰向いたり、伏向いたりして声を出来るだけ大きくして笑ふ。
 新見と鈴木は不思議に思つて見て居たが、四人はまた新見の顔を見ては笑ひ、見ては笑ひ、滑稽な真似をする。新見は狐か狸にばかされた様な気味になつて、
『ウフ……。何だ人を莫迦ばかにして居るぢや無いか』と云つて見たが、
『オホ……。新見君。云つてあげましやうか』と松田は新見の肩を押して、初めて口を開いた。横から田村が、
『アハハ、ハハツ……。ねえ、君がワイフは一生持たぬと云つて悲観して、昨日は一日学校にも出席せずに寝て居た事ですよ』
『それに君が、綺麗に髪を真中から別けて帽子も冠らずに、昨夜は二本榎でおでんを食つて居たと云ふ事ですよ。哲学者近頃何か感じた事があるといふのですよ』と松田が附け加へた。
『何だつまらんウフウフ……』と新見は軽く笑つた。
 井上は松田の語尾を次いで、
『そのおでんを食つて居た顔は矢張り悲観して居たそうな』
 三田は鈴木に向つて、
『君は哲学者の隣室でせう。昨夜は驕つて貰ひましたかね?』
『いや』と鈴木は軽く答へたが、
『僕は新見君がPを買つて居るのを見付けたのだが。それぢや……芋を独りで帝国主義したのだな。昨夜は』と三田は笑つた。
 六人は歩んで行つた。新見は弁護を始める。
『昨夜は夕食がうまく無かつたから、遅く出て行つて芋を買つて食つたのですよ』
『どうか知ら?』
と、松田は云ふ。
 鈴木は『君達はいつも盛んだね』と云つたが、
『そら我々は君達より二倍も三倍も食つてエネルギーをそれだけ多く製造して居るからね』と会頭田村は衆を代表して答へた。外の三人は『賛成。賛成』と和した。
 新見は唯黙つて歩んで居る。大食倶楽部の連中の様に快活にして見ようと試みたが、重い蓋が胸の上にある様に思つて喜劇を演じて見ようとは思へ無かつた。頭には四、五日前に、リテラリー・ダイヂエストで読んだ、喜劇は現代に於て悲劇に代るであらうと云ふ論文を思ひ出して、エチズ・シアテ・グロスマンは少なくても彼の胸の中を知らぬと考へもして居た。
 男全家の新築して居る借屋のあたりに差しかゝつた時、石を積んだ車を曳いて居る馬が、頸から牧草桶を吊つて口を桶の中に入れて食つて居る。
 之を見た新見は、――
『田村君、此馬は随分君には敗けぬよ。君は箸を持つて食はなくちやならぬが、此馬を見給へ。斯うだ君、君も恁那にして食ひませんかア』と遣つて見た。
 一同はドツと笑つたが、田村は至極真面目な顔をして、
『君、新見君、僕は社会主義の事は余り知ら無いが、社会主義と云ふものも大食主義と云ふのも同じ意味ぢや無いのですか?』口を尖らして論じ始めた。
 三田は『卓論。卓論』と叫ぶ。田村は猶も続けて、
『……要するに、パンを多く与へよと叫ぶのですね。さうでせう。我等も賄がパンを多く与へよと云ふのですよ。なア三田君……』と云つたが、
『実際……』と三田は応じた。
 新見は唯笑つたが、何だか皆が騒ぐのを避けたい様に思つて居た。松田は、
『おい、明治学院大食倶楽部万歳を三唱しようぢや無いか』と三人の顔を見て動議を出した。が、
 鈴木はニコ/\しながら、
『然し君、その動議はまだ早いよ。明治学院社会党と大食倶楽部の名を変へるのなら新見君を会頭にせなくちやいかぬぞ。松田君』と云ひ出した。
『ウム、賛成』と会頭の田村は云ふ。
『哲学者の会頭賛成! ラブ・レターの会頭賛成!』と松田も叫ぶ。
『賛成僕も』と三田が応じる。それに松田は猶加へて、
『ハイカラに髪を別けておでんの立食ひして、芋を独りで皆食ふ会頭賛成!』と付けた。
 恁那に騒ぎ乍ら六人は明治学院の坂を上つて門の前へ来た。田村の主唱で、
『新見会頭万歳』と三唱したが、夕食を報じる鐘が寄宿舎の方に鳴つて居た。それで皆な思はず大笑ひをした。


 新見は食後、入浴して室へ這入らうと思ひ乍ら、少しの間ハリス館の入口の下駄箱の横に立つて何を見るともなしに見て居た。
 サムダム・ホールのB室には瓦斯が点いて居る。幼年党の会合であらう。山川総理の宅にも玄関に瓦斯がついて居る。
 サムダム・ホールと山川総理の宅の間にはサムダム館の尖つた塔の先が見える。尖つた先には十字架が付いて居る。が、黄昏時の木葉に包まれて、ほんのりと薄く見えるあたりは、森の中の修道院が忍ばれる。
 年々植ゑ込む卒業生のクラス・ツリーは繁りに繁つて夕闇が段々、木と木と、枝と枝と葉と葉とを繋いで、もう何本あるか数へられぬ様になつた。
 瓦斯が益々光つて運動場に人影が絶えた。
 神学部には何の光もない。小杉に包れたインブリーさんの西洋館からは小さい光が洩れる。ヘボン館は大きく高く、そして広い場を取つて、つき立つて居る。瓦斯の光が各室から輝いて居る。
 ヘボン館の裏から単調なピアノの音が聞える。ヘボン館の入口から今出て来た者がある。新見の立つて居る方へ来る。ハンチング帽を冠つて羽織を着て居る。新見は直ぐ塚本だと見て取つた。二間許りになつた時、
『塚本君』と、こちらから声をかけた。
 然し塚本は寂しく足を運んで答も何もしない。入口の台に昇つて、初めて、
『ア、新見君、僕は失敬した。昨日、来ようと思つて居たのだが、一日忙しくてね。今日、舎監室へ来た序に君の所へ寄らうと思つてね――』
『それぢや、まア僕の室へ行かう』と新見は塚本と梯子段を上つて行つた。四段上つてステーヂに来ると、新見は一寸塚本を顧て、
『駄目?』と尋ねたが、
『アレ? アレはもう駄目だ。高等商業の生徒がもう疾に就職して居る相だ。そして全く金儲にはならないつて』新見は此答に少なからず[#「少なからず」は底本では「少なかず」]失望した。然し別に顔色にも現さず、塚本を自分の室に伴ひ入れた。
 梯子段を上つて左に入口がある。入口の正面が鈴木の室で、その西隣りが新見の室である。鈴木はまた食後散歩に出て行つて、未だ帰つて来ぬか、瓦斯がついて居ない。
 新見は自分の室に這入つて瓦斯に火を付けた。
 瓦斯の光は室の隅から隅まで輝らして気色がよい。
 室は六畳敷で畳を敷いてある。壁は真白。褐色にセピアを混ぜた色を塗つた腰板が打ちつけてある。之は昔教室であつた記念物である。窓は西と北に二つ開いて居る。南は障子で隣室と境をしてある。テーブルが西北の隅に置いてあつて、本箱の大きな者が、入口の正面にある。
『まア、かけ給へ』と塚本に云つて瓦斯管を出来るだけ長く延ばした。机の上は美しく照されて、ブツク・ケースの金文字がよく読める。教科書らしい者はウイリアムの政治汎論だけで、其外皆宗教哲学の書籍であつた。赤色の一番厚いのはフリントの歴史哲学、青色の薄い本が四冊、これはフライダラーの宗教哲学、カントを大分研究して居るらしい『理性批判』も見えたがミラーとチヤアドのカントの研究も見えてゐた。一番隅の、樺色の表紙のついた本はセント・アベスタと読めた。開いたまま横に捨てゝあるはウバニヤセツド。聖書もあつた。
 塚本は入口に立つて居たが、
『ア、有難う』と答へて本箱の上に掲つて居る、レロラの画を見に行く。
『新見君之はいつ見ても善いね。僕は之が非常に好きだ』
『君もこれが好きかね。此哀れつぽい自然に、女性に抱れた男の児を現してあるのが、僕も何となしに心の中に浸みる様に思つてね、好きだよ』
 女性云々と聞いた塚本は笑ひ乍ら、
『君、可笑い事を云ふが、君は近頃女の人から手紙を貰つた相だね。そして悲観して居るつて?』と云ふ。
『誰れに聞いたの、そんなことを?』
『先刻ね、ヘボン館で大勢で噂して居たよ。君が昨日悲観して学校を休んだと云ふ話からね。原因は高田が四、五日前に君が女の人からラブ・レター貰つて読んで居る所を見付けて皆に喋つたからだつて? 昨日の朝、君はワイフを一生持たぬと云つて室に閉ぢ籠つた相だね。ほんたうかね?』
『嘘だよ。五日前に妹から手紙を貰つたのさ。それを高田が云ひ触らして終つたのだよ』
『然し妹の手紙なら見せても善いぢやないかと高田が云つても、君は見せなかつたつて?』
『そら少し秘密が書いてあつたから見せられなかつたのさ。の連中は、騒げば善いのだから哲学者が女から手紙を貰つたと云つて大騒をするぢや無いか。明治学院へ這入つて妹から一度しか手紙を貰はないし、女の友達と云ふのは外に無いものだからラバーだと騒ぐのも当然だね』と新見は語つたが、妹からの手紙の内容を頭の中で繰返して胸苦しい鼓動を感じた。
 新見は塚本が椅子に掛けないので、自分が掛けて尋ねた。
『塚本君、例の事件は何うなつた?』
 塚本は顔を一寸向けて新見の顔を見たが、また右の手で羽織の紐をいぢりながら、
『僕は実際困つた。今舎監室へ頼みに行つて来たのだが、駄目ぢやつた。僕はもう学校を退くことに決心した』と云つてうつむいた。
『退く? さう決心したの? 全く同情するよ。然しさうなれば仕方が無いさ。が、君は学校を退いて何うする積り? もう二年辛抱して高等学部を卒業すれば善いがね。さうすれば社会の信用はあるし、また外国語の素養も出来るし、非常に都合は善いのだがね。然し君、此度君が明治学院を出ると云つても、君の過去三年間に対しては明治学院は、君の恩人だよ』
『実際僕は三年間の恩を忘れぬね。また忘れられぬよ。然し此上恩を受けたく無い。今迄でも寄宿舎の諸君に、そら売るのは売るのだけれど、何だか、菓子を見せて金を絞り上げる気がしてね。何度も菓子を売る事を止めよう、止めようと思つたのだがね』
『いや、そらさうぢや無いよ。菓子を売るのは正当な事で、君が売らなくとも皆が外へ食ひに行くから同じだが、舎監は何う云つた』
『舎監はね、三ヶ月の食費が滞つて居るので、もう整理の付け様がないから、君は昨日迄に一ヶ月分位出来ると約束したが、それが出来ないと云ふのなら仕方が無い。賄も決して慈善的に遣つて居るのぢや無いから、それぢや、一先づ寄宿舎を出て貰はうと云ふぢやないかね。僕も悪いと思つたから、別にヱクスキユースも無いので「ハイ」と答へて出て来たのさ』
『然し、舎監の云ひつ振りが変だね』
『舎監は正当さ』
『なに、生意気だよ。賄は慈善事業ぢや無いから出よつて。一ヶ月位此上待つても善かりさうなものだにね』
『然し、ほんとに賄も僕の様に遅れては困るよ、ね』
『でも、舎監はクリスチヤンぢや無いか、君の事情は知つて居るし、君が困れば立て替へて置いても君の修業の為めなら尽力すべき筈だらう。――君、それぢや一ヶ月分収めたら臨時の間は学校に置いて呉れるのかね』
『そら置いて呉れるだらう』と塚本は答へて見たが、哀れに低い声であつた。
『ね、塚本君。それぢや、君』と新見栄一は決心の色を顔に現して右の手をさしのべて机のひき出しから五円紙幣を取り出した。
『君、之れを君に用達てるからね、舎監に払つて来給へ。そして少しの間でも学校で勉強し給へ。然し僕に返す必要は無いよ。之は君に永遠に貸すよ』
『然し君、先月の四円もまだ払つて無いに、また之れだけ貰つちや君に気の毒だよ。君は本を買は無くちやならぬだらう。僕は之を貰へぬ。こちらから四円返済しなくちやならぬのぢやないですか』と羞かしさうな眼付きをして紙幣を取る事を拒んだ。
『然し君、君は僕の心事を能く知つて居るだらう。僕が一冊の本を多く読むより、君に一ヶ月勉強をして貰ふのが僕の意志だと云ふ事は君も知つて居るだらう』と新見は真面目になつて云つた。それで塚本も、
『そら君の意志は知つて居るさ。――然し』と語尾を濁らした。で、新見は、
『塚本君。それぢやね。僕も実は之れを妹から貰つたのだ。今日小切手を紙幣にして来た許りなのだよ。僕も、そら君に何か飜訳の口を探して貰う位だから僕が学資に豊で無いことは知つて居るだらう。然し、いくら豊で無いと云つても本が買へぬと云ふだけだから、決して君が之れを取つて困ると云ふ事は無いよ。何に君、貰つた物だから君も取ればそれで善いぢやないか』と情意を尽くして説いた。
 塚本は一寸南隣の室を見て誰れも居らぬと思つたから、
『それぢや、少しの間だけ借して貰はう』
『貸すも、貸さんも無いよ』
『ありがとう――』と塚本は答へたが、少しの間黙つて居た。
 新見も暫時沈黙して居たが、
『君、それでは矢張り学校に出席する?』
『僕ね、新見君、舎監もあア云ふから暫時寄宿舎を出て英語の出教授をやつて少し学資を作らうと思ふが何うだらう?』
『然し、また学校へ帰れることが出来るかしら』
『まア出来るか、出来ぬかやつてみるさ』
『然し世界は全く我々の思つて居る様に都合よく行かないからな』
 塚本は俛いて黙つて居る。瓦斯の下品な光が彼のチツクで別れた縮れ毛の上を照らす。
『君、世界に出て行くには信仰と云ふ者がいるよ。僕なども信仰を得るために、どれだけ苦心して居るか知れないよ』と新見は云つて見たが、塚本は窓に倚つて瓦斯の光を凝視しながら、
『然し、君、僕には神とかキリストとか云ふのは全く解らぬ。僕は何だかキリスト教と云ふ者を迷信の様に思ふよ』と少し微笑んで云つた。
『さう云つて終つたもんぢやないよ、僕だつてクリスチヤンぢや無いが、何に云つても四千年の歴史を貫いて流れ出た宗教の憧れに、真理が少しも無いと云ふ事は出来ぬよ。僕にはまだ十字架の真理は充分解らぬが、キリストの人格は実に偉大ぢやないかね』
『そら偉大と云ふ位の事は僕も知つて居るが、僕には解らぬ。信者でも信者で無くても、日に日にすることは同じぢやないかね。事によつたら、未信者の方が信者より品行方正な事が多いよ』と強く塚本は反対して見た。
『君はいつもさう云つて居るが、仮りに社会へ出て見給へ。それで遣つて行けるか。信仰なくつて、……』と此時新見は、妹の手紙と故郷のことを思ふて居た。
『然し、人生は悲劇だね』と新見は続けて云つたが、塚本は唯軽い笑を洩らして、
『君は、いつも悲劇とか喜劇とか云つて居るね。僕には人生は悲劇でも喜劇でも無いよ。全く何が何やら薩張り解らない』と云つた。新見は唯、机に向つて頬杖ついて沈黙して終つた。塚本がそう云へば自分の頭にもさう云ふ響がするからである。
 暫しつて、塚本は去つた。新見は引き出しから妹の手紙を取り出してまた読んで見た。手紙は書翰文と言文一致と混ぜて書いてあつて、誠に読み難い。

一筆申上候。
兄上様には御機嫌よろしく候や、久しく御無沙汰申候、私儀も無事暮し居り候間御安心被下度候。
さて兄様、私は日に日に泣く事ばかりで、こんな事ならいつそ死んでしまひたいと思ふ位で御座ります。田舎の御母様には朝から晩まで使ひ立てられて、何につけ、かにつけ、お亀さんの子ぢやのに何んでそんなに出来が悪いのだとおこられてばつかり、ごぜんもろく/\食はしてくれず、下女よりひどく使はれ、つらうて/\堪らず、四十日程まへにお父様の所へ逃げて来たのです。然しお父様は少しも私をかあいがつてくださらず。お父様の今度の妾宅のお梅がそれはそれは私をひどいめにあはして、こゝへ来ても日に日に泣いて居ります。兄様何卒私を助けてください。私は唯兄さんばかりたよりにして居ります。それにお父様は兄さんを非常に御立腹なしていらつしやいます。此月からもう学資金は送らぬとおつしやつて。兄様此金五円は少しにても学資のたしにしてください。私もなんなら東京へ、兄様を便りに逃げて行かうかと思つて居るので御座ります。田舎のお母様やお梅に使はれるより東京へでも行つて下女奉公でもした方がずつとましで御座ります。兄様何かよいお考へでもおありなさるなら至急お知らせ被下度候。私はつらうて/\涙がこぼれて書けませぬ。まだ/\色々申上げたい事もあれどまたいつか申上可く候。
猶御身体を大切になし被下度候。
 二伸
返事一刻も早くくだされ度候。

 読んで、新見は妹笑子ゑみこの哀れな運命に同情した。そして再び読んで涙を流した。が此涙は塚本の運命と自分の運命を悲しむ涙も含まれて居た。
 新見は頭を抱へて机の上にうつ向いて、もの思ひに沈んだ。
 隣りの室に足音がする。軈て塚本の声がして、
『それぢや君、五、六円出来て居たのだが、外に怎うしても使はなくてはならぬ事があつて、一円使ひましたから』と云つて居る。
『ハ、有難う』と丁寧に答へる。
『失敬』と塚本は云ひ捨てゝ、障子を閉めずに梯子段を降りる足音がする。
『ア、また』と違つた声の男が云ふ。そして続けて、
『田中君、塚本は怎うもいかんね、矢張り』と云ふ声がする。
『ほんとに、いかんね。自分は生徒に菓子売つて、食費を納めず買ひ食ひして、弁解には嘘許り言つて、他人の室へ来ては尻もふかずに……』と丁寧な答をした男が云つて居る。
 之を聞いて居た新見は、ハツと驚いて涙を拭き乍ら『田中君』と自分の悲しみの声を隠すためにわざと大きな声をして隣室の男を呼んだ。
『ハア、何ですか?』と少し驚いたらしい。
『塚本君は嘘を云ひますか?』聞いて猶驚いた田中は、
『君、そんなこと、どうでも、いゝでせう』
『それぢや君。僕は君に問へないのですか?』
『な、な、なに、なんでもないのですよ』と田中で無い若い声がする。春日であらう。
『春日君。君塚本は怎那嘘を云ひました?』
『新見君。普通部の五年の椙田すぎたを御存知でせう』
『知つて居りますよ。怎うしました?』
『椙田君が此間塚本君を擲つたさうですよ』
『擲つた? なぜ?』
『あの……云はない方がいゝかね。田中君』
『云つて呉れ給へな』と新見は云ふ。田中は、
『君はそんなに聞きたいのですか? 君も物好きだね』と苦笑ひして云ふ。
『僕は物好きと云ふのぢやないのですが、塚本君とは、僕は親密にして居るからね。聞いて置く必要があるのです』
『き、き、きみ、塚本君が悪いのですよ。菓子売つて食つてゐる癖に、月に幾円と外で買い食ひをするのでせう。そして食費を払はないのですよ。之を椙田が聞いたのでせう。椙田君すぐ怒つてね、制裁を加へる必要があると云つて一昨昨日の晩、神学部の裏で塚本君を擲つたさうです。塚本君、賄の方へは懸売が多くて払へぬと云つて、口実許り造つて居るのです。実は皆林檎や菓子を食つて居るのですよ』
 新見は、聞いて全く驚いた。然しまた不憫な塚本が擲られたかと可哀相にと思ひながら。………………
『然し椙田君は矢張り悪い』と云つた。
『何故ですか』と今度は田中が声をかける。
『君、さうでせう、塚本の収入は月に僅か八円でせう。その中で懸をする人が一円として、舎費が一円。残りは六円でせう。六円の食費を払つて、授業料を免除して貰つて一毛も残らぬでせう。然し授業料を免除して貰ふ為めには放課後一時間なり二時間なり労働しなくちやならぬでせう。その上に勉強して運動もしなくちやならぬと云へば、社会は残酷ですねえ、快楽の一雫も塚本君には与へないのですね。人間は快楽なしに生きて行く必要があるかしら?』と新見は云つてみた。
 塚本は実際意志は堅固でない。屡々新見に菓子の資本を借りに来て返さなかつた。然し新見は之を罪として責めなかつた。それで今も同一の論法で論じて居る。
 先刻から障子を隔てゝ問答して居たが、顔を見ぬと何だかもの足らぬので、
『さう云へば、さうですけれども』と田中は間の障子を開いて新見の室へ這入つて来た。春日も後に追いて来る。田中は年の頃二十三四。大きな脊の男で顔付の魁偉な、然し何処かに少し足らぬ所がある様に見える。彼は塚本と同級生で新見の一級下である。彼も苦学して居るので、賄の手伝をして食費を集める役をして居る。之をすると食費は払はなくても善いことになつて居るのである。春日は十七、八の美しい青年、高等科の一年である。田中と春日とは大の仲善しで、自習から、散歩、運動、旅行、教会と二人の一緒に居らぬ事は無い。それに妙な性質が二人に共通してゐる。即ち、非常な冒険家で自然を熱愛するのが共通点である。真夜中でも春日が天文学の本を持つて田中がランプを見せて運動場の真中に星座を研究して居る二人を見ることは度々である。
 彼等二人は、塚本に対する新見の弁解を聞かうと思つて連立つて新見の机の横に立つて居る。田中は春日の右の肩に手掛けて、机の上を見降した。田中は静に口を開いて、
『君の議論は非常に極端だから駄目ですよ。僕は塚本君が制裁を受けるのは当然だと思ふ。塚本君は他人の金で勉強して居る様なものでせう。それに快楽を求めるなどと云ふのは一体間違つて居るのですよ。元来他人の金を的にするのが間違つて居るのですよ。学校が苦学をさして遣るのは非常の恩沢ぢやないのですか。その上快楽まで求めたいのなら、学校を退いた方が善いのですよ』
 感情の強い新見は、田中の惨酷な論鋒に泣きたくなつて来た。
『田中君、僕は君の様な品行の正しいクリスチヤンから、そんな消極的な道徳論を聞きたくはありませんよ。君等クリスチヤンが、そんな浅薄な道徳に満足して居るのなら、もう東京中の大きな教会堂を捨てゝ芝の増上寺へでも行つて説教を聞き給へ。今度塚本君は退舎されて、従つて休学しなくちやならぬ様になつたのも、全く君等クリスチヤンの無情からだよ。舎監に同情なく、君に同情なく、塚本君は遂に休学しなくちやならぬ様になつたのさ。キリスト教は唯教理ばかりかね。真に、口にアーメンを唱へるならば、進んで衣服を売り書籍を売つても塚本君を救ふべきぢや無いですか。記憶おぼえて居り給へ――君達クリスチヤンは既に塚本と云ふ一人の男を地下に葬つたのだよ』
 眼に涙を泛べ乍ら激した句調で新見は論じた。
『それなら、君から、さうしててはどうですか?』
『僕は少くとも、さうして居ると云ふ自信はあります』
『然しそんな事が行へるかどうか、僕は疑ふね』
『然し君、キリストは何と云つた?……キリストは君等のこころには居らぬ。教会は皆キリストの敵だ』と云つて新見は二人の視線を避けて袖で涙を拭いて居た。田中と春日は新見が恁那に感情の高い男だとは知らなかつた。それで今更ながら驚いて、
『僕は哲学者と云ふ者は恁那に感情の強い者だとは知らなかつた。新見君の様に、そんなに感情を強くしては議論が出来ぬ』と田中は云つて、春日を誘つて自分の室へ帰つた。二人は何かぶつ/\話して居たが、直ぐに瓦斯を消して何処かへ出て行つた。
 新見は唯泣いた。
 クリスチヤンの道徳の程度の低い事から教会の事、此月限りに自分も苦学生の仲間に這入らねばならぬこと、可哀相な塚本の運命、愚鈍な妹のことなどを思つて泣かざるを得なかつた。そして、妹も己も何故此様な悲哀な境遇に立たねばならぬかと思つて欷咽すゝりなきした。
 遂に新見は決心した。……もう自分も明治学院を退学して――平凡に然し高貴な理想を以つて現実生活に身を投じなければならぬ。継母も父も可愛がつて呉れぬ独りの妹と、真に高尚な理想生活を田舎で実現するに勝るものは無いと。彼はその夜直に故郷に出発しようと決心した。旅費の事をも心配したが、本を売らうと覚悟した。
 先ず面を洗つてとバケツを取つて井戸側に降りて行つた。大熊星はまだ北の空に、高く懸つて居る。時刻は八時を過ぎまい。幼年党は拍手して騒いで居る。新見は『苦き十字架の杯!』と釣瓶を手に持つて独言を云ふた。
 面を洗つて居る時鈴木がヘボン館の方から来たので、故郷へ帰る意志を述べて、十時三十分の列車に間に合ふ様に古本屋を呼んで来て呉れと依頼した。
 晩の十時三十五分、神戸行の列車に品川から乗つた一人の学生があつた。五、六名の友に送られて淋しく西に立つた。それは新見栄一であつた。


 客車は満員で新見は神奈川まで立ちすくみであつた。神奈川から床の上に毛布を敷いて、その上に腰を降して寝た。名古屋へは朝の七時頃着いたが、岐阜あたりで悪い夢を見た。
 彼は自分の今取つて居る行動を暗黒面の方から観て震へ上つた。何の為めに、そして何処へと自問したが答へは無かつた。唯、妹を慰めることゝ、父に自分の意見を述べたいと云ふ事が喉に詰つて居る様に思ふ。が、『故郷!』と云ふ響きは決して新見の耳にはよく聞えぬ。悲哀で陰鬱な事許りが連想される。そしてまた神戸と云ふ地名が恐ろしくいやに彼には響く。
 神戸は彼の出産地である。彼が二十二年前に産れた処である。十歳になるまで彼は此処に育つた。十歳の時母が死んで阿波の板野郡の本妻の処へ姉と二人で引き取られるまで、その山と海に教育せられた。引き取られた時、妹と二人の弟に別れて、姉と甲板の上に立つた事が今でも連想される。また母に死に別れたあの暗い陰気な家が直に連想される。兵庫の桟橋を行き詰めて山本氷室と書いた大きな広告が出てゐる倉庫がある。その東隣りが我家島上町三十二番地である。通を西へ行けば、寺は小さいが有名な築島寺へは半町。東へ行くと少しづゝ曲つて商業銀行の前へ出る。家並は低くて穢い、土は灰色を帯びて何となしに蒸し熱い。自分の家の軒には点燈が懸つて、正面には消えかゝつた新見と云ふ字を読む事が出来る。家は格子付の家で入口には日本郵船会社荷客取扱所と云ふ看板が掛つてをる。向ひは山本の茅屋とまや――此近辺の大金持で、氷室も持つて居る。東隣りが薬屋。薬屋の隣りは角で、散髪屋。床屋と薬屋の間に小さい地蔵さんが祀つてある。床屋は東向きで磯野町へ出る通りの角の家になつて居る。床屋の向ふが金物屋――金物屋の娘さんは死なれた姉様のお友達。金物屋の裏隣は車屋。車屋の前に泉がある。泉の横を南へ浜に降りる道がある。此道に向つて薪炭商の井筒がある。その隣が白谷――新見の幼ない時の友達の家。茅屋の東隣りで丁度新見の格子の前が藤井の裏となつて居る。藤井の隣りが小栗、之は正米の相場師である。その隣りが天羽の裏、天羽の裏に例の井戸がある、新見は夏の夕車夫が大勢で此井戸の水を浴びて居たのを思ひ出す。小栗の今の家は元、長谷川と云ふ金満家の住んで居た家で、株式に失敗して大阪の方へ引つ越した。その家の息子と新見とが学校友達で、而もよく喧嘩した事を思ひ出す。
 思ひ出すも悲しい。或秋の夕方長谷川の息子と自分が喧嘩した事があつた。対手が店の戸の貫抜きを持出して来たので、こちらも貫抜きを持ち出して、今にも擲り合ひを初めようとして居た時、番頭の熊吉に呼びに来られて無念に思ひ乍ら宅に帰つたが、その時長く病んで居たお母様は早や死んで居られた。熊吉がお母様に会つて来いと云つたから二階へ昇つて行つてお母様の顔を見たが息も早や絶えて、唯青白く光つた顔だけを拝したことである。
 之を思つて新見はいつも慄とするのである。大阪も過ぎて神戸に近づいたとき、新見は之を回想して益々未来を暗く思つた。
 神戸ステーシヨンに降りた時、鼓動が変調で脈の中には水が流れて居るかと思ふた。そして唯未来に対する恐怖が全身を震はせた。一刻も早く解決したいとあせつて車の上で静粛ぢつとして居るのが堪へ切れぬ様になつた。で、車を飛び降りて我家へ走つて帰らうかと思つたが、それもあまり気狂ひじみて居ると思つたので、車夫の足許りを眺めて手を握つて居た。
 島上町三十二番地へ降ろして貰つたが、新見の看板も無ければ瓦斯燈も無い。天羽と云ふ標札が懸つて居るが、戸は閉つて居る。隣の薬屋で聞くと鍛冶屋町へ先月お引越になりましたと云ふ。商業銀行の前へ出て左へ曲ると鍛冶屋町。教へられた通り大黒湯の横向うに新見の点燈がついて居る。時はもう午後の六時、夕闇の黄色い空気が市街に充ち満ちて居た。何となしに淋しい。何故二十幾年来住み慣れた島上町を離れたかと思ふと猶淋しい。
 然し外観は前の家よりは立派だ。入口は硝子戸が入つて、鉄格子に硝子障子、白のレースの窓掛カーテンも気がきいて居る。
 内に這入つて驚いて終つた。顔覚えのある男は一人も居らぬ。新見は二年前の冬、一寸小笠原島へ行く前に神戸まで帰つた事がある。その時はまだ父は代議士の職に居つたし、議会開会中の事でもあつたから店には居らなかつたが、二十年来の支配人島盛平が居たから何とはなしに締つて居る様にも思つた。その時は我家に帰つた様な心持もした。然し今夜は誰も見覚えの無いのに驚いて終つた。
 番頭が三人、皆簿記帳に急しくペンを動かして居る。金庫の前に坐つて居るのが支配人であらう。三十五六かそれとも三十七八までと思ふ男で、髪を如何にも商人らしく丁寧に分けて顔の少し苦み走つた眉と眉の間に立て皺のある男である。『御免なさい』と新見が云つた時に、此男は入口の方を見てペン軸を置いた。外の二人も顔を上げたが一人はまだ年の若い男で、も一人は脊の高い、目の細い、眉の太い、色艶の善い男である。
 新見は続けて何う云はうかと思つたが、
『新見さんは御内で御座りますか?』と問ふて見た。すると支配人らしい人が、
『さうで御座ります。あなた様はどなた?』と問ひ返す。
『私は栄一で御座ります』と答へると、
『栄一様でいらつしやいますか』と立ち上つて、
『さあどうぞお上り、お上り。店は取り散らして御座りますから、まアお二階へ……』と非常に丁寧に接待する。
 新見は上つてみる気になり、何となしに嬉しく思つて靴を脱いで上らうとした。車夫が荷物を運び入れたので、それを受取つて導かるゝまゝ二階へ上つた。
 梯子段を上つて直ぐ十畳もあらうと思ふ室がある。その向ふは六畳ばかりの室だ。此二室とも天井が低くてしまりが無い。所々に番頭の衣服が懸けてあつて、物置きの様な感じがする。襖を開いた奥の方の八畳へ這入ると、四十恰好の[#「四十恰好の」は底本では「四十格好の」]女が竹の台ランプに火を点けて居る。礼をして急いで降りて行つたが、室は明るく照されて居た。
 導いて呉れた男は隅から皮蒲団を取りだして、
『どうぞお敷きなして』と云つて自分は入口の方へ畏まつて坐る。それで栄一も畏まつて入口の処で坐つたが、
『どうぞ、どうぞ』と男は皮蒲団を勧めて、
『初めてお目にかゝります、私は村井三吉と云ふもので御座ります。何分に宜敷お願ひ申します』
と、頭を畳にすり付けて礼をした。栄一は戸籍面に於ては此家の戸主であるが、威張ると云ふ気もしないから、
『私が栄一で御座ります。何分宜敷く御願ひ致します』と挨拶を済ますと、
『学校は?』と村井は不思議さうな眼で栄一を見る。
『まだ一年あるのですけれども、少し感じた事がありましたので……』と後を曇らして答へた。
『基督教主義の学校で御座りましたかね。若旦那の御勉強になつて居らつしやいました学校は?』
『ハア、キリスト教主義で御座ります』
『何でも大旦那が、此間そんな事を仰つて居らつしやいました。それでは何か御用事で徳島へ?』
『ハア、一寸考へがありますので……此間お父様はこちらへ居らつしやいましたか?』
『ハア、役所の方が非常にお急しいさうで、三月に一度位しか兵庫の方へはお見えになりませんが、此間宿変へ致しましたので、その時は一寸お見えになりまして御座ります』と云つて手を叩いて、
『お煙草盆に、お茶を』と梯子段の方に向いて云ふた。そして、
『一寸御免』と云つて降りかけたが、
『お夕飯はまだおすみになりませんで御座りませう』と問ふて中途まで降りたが、丁度先刻火を付けて居た女が昇つて来たので、何かその女の耳に囁いて居た。
 新見は室を見廻した。床の間の軸は、過去十幾年の間、彼に記憶と云ふものが出来てから懸つて居ない事の無い軸物と気がついた。又その横の、花瓶も、幾十年前か知らぬが、父が若い時に、金沢の藍の売場に祖父から出張を命ぜられた旅行先で、放蕩した時に買つたと云ふ謂れのある物。その花瓶の台になつて居る黒檀の小机も、窓先に置いてある大きな立派な黒檀の机も皆記憶にある。隅に立つてゐる屏風も新居水竹先生から贈られたのだと語つて居たことを忘れない。
 品々に就いて歴史を考へて居ると、何となしに慕はしい様な気もする。然し徳島に帰つて父と対面すれば怎那感じがするであらうと思ふと胸がどき/\する。
 村井は元の座に立ち直り、
『その後は御病気は如何でいらつしやいますか?』と問ふ。問はれて恐縮して、
『有難う御座ります、此病気は全く全快すると云ふ事は出来ますまいが、唯今の処では善い方で御座ります。去年の冬は東京で一冬送れるかと思つて心配したので御座りますが、いや、一日も風邪で寝る事も無く非常に健康で御座りました』
『そら御結構で御座りました』
『ハイ、有難う……穂積や森はもう店には居りませんか?』と、二年前の番頭と丁稚の事を思ひ出しながら尋ねた。
『ハイ、居ります、まだ沖に居るので御座りませう。今夜は波が少し高いのでランチが少し遅れませう』
『船は何丸で御座ります?』
『土佐丸で、ズツと沖に懸つて居りますからランチでないと帰れないので御座ります』
 話して居る中に子供二人、小さい方が菓子盆を持つて、大きい方が煙草盆を持つて上つて来た。その後からお母様もいて来た。子供は二人とも額の広い、どちらかと云へば凸助の方である。お父様の様に眼が奥まつて、可愛らしい子ではない。お母様は先つき火を付けて居た女で、縮れ毛の髪の少ない、口の広い人である。相応に挨拶をすませて三人とも下に降りて行つた。
 村井は頻りに今夜一晩宿つて行けと勧めたが、栄一は急いで居るからすぐ帰ると主張した。その中に、妻君と子供は西洋料理の皿を運んで来た。栄一は何を云つて善いか解することの出来ぬ或思ひに胸が充された。
 フオークを取つて見たが、決して自分の宅で食つて居る様な気もしなかつた。
 夜の何時に徳島行の汽船が出帆するかと聞くと、食事中、村井は立つて電話をかけて聞いて呉れた。そして『今夜は少し波があるので大阪から来るのが皆少しづゝ遅れまして、十時のが十二時になつて、十二時のが一時になるさうです』と答へて居た。
 側に居た妻君は『まだ七時ですからお風呂にでもお召になつてグツと一寝いりなさいやす、波があつたら寝られまへんさかい。今日は汽車でお疲れでおまつしやろ……』と云ふて居た。
 食後妻君に勧められた通り横向ひの大黒湯へ浴らうと思つて店に降りて行つた。
 すると、若い男も山田と名乗つて礼をする。色艶の善い男も細川と名乗つて礼をした。妻君が奥から大きな西洋手拭と洋銀の石鹸入れを持つてきてくれた。その時、穂積と森六弥が帰つて来た。そして驚いた様に、
坊々ボン/\。徳島へ。いつ東京から?』と尋ねて居た。六弥は奥へ這入つたが穂積は、
『お風呂? 私も御飯喫べたら後から行きまつさ』と云つて台所の方へ簾戸を開いて這入つた。
『今日はどえらい波やつた』と奥に穂積の勇しい若い声がして居る。
 栄一は大黒湯へ行つた。


 湯で図らずも二十年来新見家に勤めて居た吉田由太郎に会つた。栄一は今でも由太郎が新見に居る事の様に思つて居た。然し由太郎は何となしに慊き足らぬ挨拶振りをして、
『お父様が市長になつてから、まるで店は、わやや。天羽あもうには差押へを食ふし、店のものに月給は払はず、電話は抵当に入れるしさ……』と垢をこすり乍ら大勢の中も関はず喋べる。然し湯が非常に込んで居るから耳を傾けて聞く人も無い。
『坊々。お前さんもお父様の様になつたら困るぞい。お金を皆遊女ひめに入れて終ふて店は空つ洞にして終ふたら。……わしもな旦那に何遍も云ふたんぢやけんどな、大将、由太郎の云ふ事なんぞ相手にせんツて。己は四月許り月給を貰はずぢや。そして大将と約束して艀を売つて貰ふてな今では独り遣つて居るわい。……栄一様が確固とやらな、新見はもう駄目ぢやぜえ……お父様は銀風楼のお梅と云ふのにうつつをぬかして居るわい。お父様はそれに吸はれて居るぢや。今度大きな家を徳島本町に建てたそうぢやが田舎のお母様も困つて居るだらう……然し栄一様のお母様は悧口であつた、なか/\お母様が生きて居つたらお父様に金を費すものか。悧口な人であつた。栄一様はお母様の顔を覚えて居るかい。お前さんに善く似て居つたがな。そら綺麗な人であつたな……』と、栄一に答をさす間も与へずに独りで喋る。栄一が、
『お老婆様は?』と尋ねると、
『老婆も、もう年が寄つたので新見を止めて今では宅で子を守りして居るが……此二月に妻が死んだのと、……村井の家内があアやつて店へ来て居るだらうな。あの嬶は何から何まで店のお金で費用を済すだらうな。宅のお老婆はそれ、二十年も三十年も新見に居るだらうな。それで村井の嬶があまり我儘なのに腹を立てゝな……さうでないで、去年の七月まで宅のお老婆が益則さんと義敬さんを世話して居つただらうな。そした処が村井の嬶が自分の中からあの二人鼻垂れ小僧を連れて来て我儘の云はし放題にするだらう。小坊の玩具も、お菓子も、皆自分の子に遣つて終ふので、それでお老婆も、七月に小坊が二人とも阿波へ行つてから、もうこれで安心、……宅へ帰りたい、帰りたいと云つとつたんぢやけれど、つい/\村井の嬶ばかりに托せて置くと恁那事に店がなるかと思つたでな、此二月まで延びたのでないで、そして己の妻が産で死んだだらうな、仕方なしに帰つて来て貰ふたのぢやが……いやまア達者で御座ります。……その後、坊々の御病気はどうです。勉強が出来るやうになつたかい。もう勉強はすんだのかい?』と赤心を籠めて問うてくれた。
 新見は自分の知らぬ我家の悲劇を聞いて、思はず知らず身を震はせ、また吉田由太郎の悲運に同情した。
『有難う。もう病気もズツト善うてね。去年の九月から勉強して居るのだが……由さんの妻君が死んだのかね、少しも知らなかつた。そらお気の毒でしたね。然しまアお老婆さんが達者で居て呉れるのは結構ですね。僕も随分お老婆さんにお世話になつたね』
『さうぢや、栄一様は十から阿波の田舎の継母様の処へ行つたからそんなにでもなかつたが、下の二人は随分お老婆様を泣かしたな。然し早いものぢやな。益則さんが今年中学校へ這入つて、義敬さんが来年這入るつて云つて居るが。あの下の子がお母様の死んだ年の正月二日の朝生れたのぢやが……さうそ、栄一様の上の姉様も正月の二日に生れたかな。さうすると義敬さんは今年十二で、十三で?』
『満十三で数へ十四だらう』
『さうなるかな早いものぢやな。中学校は満十二歳から這入れるのだらう。義則さんは何故這入らんのだらうな』
『ア、間違つて居つた、数への十三だらう』
『然し、それでもお父様は義敬さんを中学校へ入れさうなものぢやが』
 此時穂積が這入つて来た。
『ヤア、由さん、久し振りやな。近頃は何処へ』
『何処となしに行くが、此三四日前は新宮まで行つて居つた。どうだ豊吉、此頃店は?』
『矢張り、あかんな、随分荷は出る事は出るが。村井の嬶がうるさうて仕方が無いわ。昨日も村井に大きな魚を付けて己には骨許りしか呉れへんね。それで庭へ抛り付けて遣つたのさ。すると今日まだぶつ/\云つて居るのやで
『ちつと、やつて遣るのが善いぞ』
 三人は笑つた。浴場は夕方の為めに随分込む。
『豊吉、此頃は毎晩新川へ行くさうぢやないか。あまり行くと梅毒かさかくぞ』
『馬鹿云へ、由さん、そんなに金があるか』
『細川に連れられて行くさうぢやないか』
『冗談ぢや無いぜえ、行くなら独り行くのさ』
 穂積は二十三四の面長の、小黒い、鼻の高い、眉の薄い、五尺四寸もあらうと云ふ細長い男である。髪は短い髪を一寸左の方によつてチツクで別けて居る。
 穂積が湯槽から出ると由太郎と栄一は浴室から出て行つた。由太郎は身体を拭き乍ら、
『坊々、覚えて居るでか、浜で由太郎が坊々の、も少しで死によつたのを助けて上げたのを』と問ふ。
『微かに覚えて居るね、あの島上町の台所でお母様に抱かれて、お医者様に診察て貰つたこと』
『あの時分に己が助けなかつたらもう五分間で坊々は死んで居る処であつたんぢやがなア』
『さうだね』
『あの時分の事を思ふと大きくなつたなア……お母様にほんによく似て来るな、坊々は』と由太郎は小首かたげて栄一を見る。
 栄一は髪を別けようと、鏡の前に立つたが、
『綺麗な髪ぢやな』と由太郎は賞めて居る。
 風呂から帰つて東京のお友達に手紙を書いて、一寸一寝入りした。
 一寝入りしたと思ふと、穂積が起して呉れたから兵庫の桟橋へ行つた。
 三等の切符を買つて穂積を驚かしたが、新見は平気で第二共同丸に乗つた。
 この晩の航海は非常に荒く、三等に殆ど酔はぬ者は無かつた。然し新見は酔はなかつた。徳島本町の洗濯屋だと云ふ男と知り合ひになつた。聞けば父の新築の邸宅と隣り合せださうだ。それから朝になつて甲板に出ると、井関の本屋に居た小僧が火夫になつて居る事を発見した。こちらも忘れなかつたが向ふも忘れて居らなかつた。
『新見さん評判が悪う御座りまつせ、お父様は。ちつとお父様にしつかりやらないかねと云はな、いきまへんぜ』とその男が燻つた顔の眉と眉との間に立皺をよせて云ふ。
『どんなに評判が悪い』と聞くと、
『津田の川口が埋つて居るのに、浚渫船が修繕にやつてあるとか、何とかかんとか云つて、日に日に汽船が徳島へ這入るのが延びて、去年の八月から今に小松島へ着いて居るでせう、新聞が攻撃するのせんのつてそら話になりませんね。それに一昨日は富田橋が今度架け替へになるのでせう、あれに市長が賄賂を取つたとか云つて新聞に攻撃して居りましたぜ』と遠慮会釈もなく云ふ。新見は益々身が縮る様に思うた。
『火夫はどうです、面白いですか』と尋ねると、
『面白い、面白く無いつて、母親を養はなくちやなりませんからな。月九円でも取らな、遊んで居れませんからな』
『女郎買はどうだね?』と笑つて尋ねると、
『私は行きませんが事務員やボーイは大阪へ上ると直ぐ松島へ飛び込んで行きますわ。そらお話しにならん位です。此船の中でも借金で頸の廻らぬボーイが幾人もありまつせ』と云つてゐる。そして説明して『そら海の上に働いて居るのですからな……』と加へた。
 その火夫が機関室へ降りて行つたので、彼は唯独り甲板に残つて曙の海の景色を見て居た。
 風が強いので大きな雲が西南から東北へと飛んで居る。そして一つの波に大きな汽船が浮いて居るかと思はれる程揺れる。東の方に、水平線を一寸離れて一直線に薄い赤色が雲の下を彩つて居るが、何分待つても赤味が増さぬ。今にも雨が降りさうで海は灰色の淡い色彩で充されて居る。心細く淋しい。太陽も照らず、雨も降らず、唯波の音とマストやブリツヂに衝る風の響が如何にも物凄い。
 少し発熱して居るので風が莫迦に冷たい。然し下に降りると酔ふであらうと思つたから続けて甲板の真先きへ行つて低い声で聞き覚えの讃美歌を繰返してみた。が、矢張り徳島に帰つて何うするかと云ふ事が案ぜられた。父に会つて何と云はうかと思ふと何だか心せはしい。
 東京に居た方が善かつたかも知れぬと思ふが、哲学と宗教は研究しても果て切りの無いものだと思ふと、東京にも居りたくないと考へられる。でも不自由な田舎に這入つて何をするかと考へると、凡てのことがつまらない様に見える。仮に社会改良とか云ふことをした処で、新聞の一隅に模範事業と云ふ題で一日か二日か掲載せられて、その後はまた世人に忘れられて終ふのだと思へばつまらぬ。然し哲学の著書をしても世人が読んで呉れぬ時は反つて苦痛だと思ふと社会と云ふものは無情なものだと思つて悲観したくなる。また自分は二十二になつて何等社会に貢献する処が無いと思ふと功名心が胸に湧いて反つてまた悲しくなる。父がどん/\学資を送つて呉れて宗教哲学を専攻して独逸へでも留学すれば愉快は愉快だが、と思ふと父が憎い。妹が何故本妻にも父にもお梅とか云ふ女にも可愛がられぬかと思ふと泣きたくなる、泣くまいと思ふても泣けて来る。今更人生は海に浮ぶ舟だと古い諺を思出したくもないが、人生は逆巻く怒濤の様なものであると考へる。蹴立てゝ平凡な水平線を破つても雲はまだ遠く天はまだ遠い。その中に風が静まつて、また平凡な水平線に満足せねばならぬのだ。主義と理想の十字架を背負つて故郷に帰るが夢が醒めて残るものは唯屍許りでは無いかと思ふと、唯泣きたい。屍! 屍にもなれぬ。唯灰であると思ふと腹が立つ。然し灰も残らず、細い雨に、たゝかれて何処かの溝に漂つて行くのだと思ふと咽ぶ。
 然し今となつては雲と漂ひ雨とおちるより仕方が無いと覚悟する。が、大きな雷が鳴つて大粒の雨でも降れば善いにと考へる。否、今急に颶風でも起つて船諸共、海の底に沈めば、平和に僕は沈んで行くにと新見は微笑んだ。
 雨がぽち/\降つて来て、雲は海上に近く飛んだ。新見は頷垂れて涙を拭うた。


『ア兄様が――』と玄関を出かけて這入つた洋服を着た子供がある。栄一を見て急いで奥へ飛んで這入つた。
 栄一は今、小松島から車に乗つて帰つて来た処である。蒸汽船は六時に小松島に着いた。
 栄一は父の屋敷の想像以上に立派なのには驚かざるを得なかつた。見た所、横に十五間高さ二間半もあらうと思ふ鼠色の土塀がピカ/\光つて居る。腰板の六尺もあらうと思ふものは杉の焼板、上は上製瓦に定紋を抜いてある。その前へもつていつて丈四尺許りの樟の六角柱の垣。門はひとしほ綺麗で木は質の緻密な光の柔和な材を用ゐ、敷石は青石の一枚。門から玄関まで二間半もあらうと思ふが、実に大きな石である。幅は四尺もあらう、実に立派なものだ。
 車から降りて玄関に進んで格子戸を開いた時、
『そう……オホホ……』と女の可愛い笑ひ声がする。子供の足音が之に先立つた。
『兄様、お帰り』と色の白い眉尻の上つた頬の細い弟の益則が礼をした。
 障子に隠れて女も『お帰り』と礼をした。女は通りから見られるのが羞しいのであらう。
『御機嫌……』と軽く答へて車夫に金を払つて靴を脱いだ。
『さ、兄様、奥へ。長くお目に懸りませんでしたね』と云ひ乍ら女は奥へ通らうとする。
 栄一は『此女か? 銀風楼のお梅と云ふは。此女なら四五年前父と水屋と云ふ旅館で一緒に宿つた時に一寸見た事のある女だ』と思ひ出した。兎に角お梅の歓迎は嬉しかつた。
『有難う、お父様は居らつしやいますか』と問ひ乍ら上る。
『は、居らつしやいますよ。今二階で神様を拝んで……』と女は答へる。
 栄一は女の云ふまゝに『お次ぎの間』から奥へ通つた。
『洋服をお脱ぎやす――荷物を開くまでお父様の着物を一寸御召し』
と笑を含んでお梅は云ふ。女の親切は憎いものではない。栄一はお梅の云ふ通り洋服を脱ぎかけたが、お梅の手も上衣に触れた。
『ア、兄さん、まるで、しよぼですな。オホホ』とお梅は笑つて、
『今着物を出しますよ』と云つて、奥の箪笥の引き出しを開けて居る。益則は黙つて栄一の洋服を脱ぐのを見て居たが、
『まア学校へ行つて来ます。兄様それぢや、また』と云つて出て行つた。
 栄一はお梅に、
『益則は大きくなりましたね』と云ふた。
『ほんとに大きくなりましたでせう』と答へ乍らつむぎの袷と縮緬の帯を出して来た。衣服を着ながら、
『お父様はまだ降りて来られないのですか?』と問ふと、
『そらお父様の長い事、毎朝一時間位ゐ拝んで居られまつさ。あなた、お顔をお洗ひやす、煤黒くなつて居ますよ、お水を取りませう……およし、若旦那に御水を取つて上げて頂戴』と云つて洋服を持つて縁を伝つて化粧の間の方へ便所の前を通つて去つた。
『はい』と台所から出て来る足駄の音が聞えて、見付きの善い十八九の女が倉の前を通つて縁先の流しにある金盥を取つて井戸端に立つ――。釣瓶の鎖の音が聞える。
 栄一は十幾年目に絹の衣服を着て見た。心持の悪いものでもない。お梅は縁を小足に走つて来て、栄一に大きな西洋手拭と歯磨楊子を渡した。そしてまた、
『はい、これ石鹸』とニツケルの石鹸箱を渡した。栄一は楊子を使つて面を洗つて居た。女は後に立つて、
『あなたの髪の黒いこと、ほんとに黒いわ、女にしたら善い髪の毛ですな……チツクは付けはりますか? チツクなら化粧の間に御座りますよ』と云ふ。
『いやチツクなど付けません、下品ですからね』
『さうですか、チツクを付けぬのがハイカラですか?』と真面目腐つて尋ねるので、栄一も少々閉口して、
『アメリカの上品な人はチツクは使はないさうです』とまア答へて置いた。それで女もその上問はふとはしなかつた。面を洗つて手拭を受取つた時、
『昨夜は荒うござりましたでせう』と問ふ。
『はア』と答へると、
『あなた、鏡? 化粧の間へいらつしやい。こちらへ』と云ふ。女に追いて行くと浴室の隣りが化粧の間、万事和式で窓の方に大きくて綺麗な鏡台がある。左は押入。押入の前に衝立が有る。父の洋服であらう立派なものがかゝつて居る。栄一の濡れた洋服もかゝつて居る。女は鏡台の引出しから西洋櫛を出して、
『どうぞお使ひなして』と云つてまたチツクを出して見て、
『お使ひなら……これはお父様の……』
 お梅の軽々しい態度に面白くない栄一は、『お父様の』と云ふ句を聞いてドキツとした。
 栄一は髪を分けて居ると『私は一寸失礼します、お膳のこしらへをしますから』とお梅はまた縁を台所の方へ急いだ。
 髪を梳き終つて栄一は化粧の間から出て来たが、お梅は台所から首を出して、
『もうおすみなさいましたか?』と尋ねる。
『はア』と答へて『お父様はまだですか知ら』と台所の方に来ると、
『もうお済みになつた様です、お声が聞え無くなつたから……急しくてまだお辞儀を忘れて居りましたね。台所でまア改めて』と台所に坐る。それで栄一も坐つた。
『暫く。其後は御変りも。つい/\御無沙汰許り……こんなにお父様に御世話になつて居ります。幾分にも宜敷――』と口上を述べる。栄一も変に思つたが、
『どうも暫く、御盛んでいらつしやいますか、どうしまして、どちらいか宜敷く』と改めて礼をした。
『学校はお済みになつたので御座りますか?』
『いゝえ、済んだと云ふのぢや無いのですが――』
『まアよく、御帰りなさいました。四年前で御座りましたかね。水屋で一寸お目に懸りましたのは』とお梅は臆面も無く云ふ。
『はア』神経の過敏な栄一は妙に感じた。
『お父様も長くお会ひにならぬから近い中に会いたいと仰しやつて居らつしやいました』
『さうでしたか』と栄一は一寸笑顔を見せて答へたが、挨拶と云ふものは仕様でどうでも云へるものだと考へた。栄一は急に笑子えみこの事を思ひ出して、
『笑はどう致しました?』
『三日前に田舎の方へお帰りになりました』と答へて居る。その時、二階から父の降りて来る足音がした。
 お梅は『御免。お父様が……』と座を立つて、二階の上り口の襖を開いて、
『兄さんがお帰りで御座ります』と上を見上げて云つて居る。父は返事もせずに降りて来る。
 栄一は頷垂れて指をもじ/\して居たが、父を見て
『お父様……』と云つた。が、父は、
『オ、栄一か?……』と云つたまゝ中の間へ通つて終ふ。栄一は何だか物足らぬ気がして俛いて居た。
『まア、こつちへお出で』と中の間から声がする。お梅は押入れを開いて膳立てを急しくして居る。栄一は座を立つて台所と奥の間の『中の間』の入口に俛いて坐つた。
 父は長火鉢の前に絹を纒つて角帯をしめて居る。背は低い方で、顔は小黒い。厳格な顔で口髯は無い。
 台所からお梅の声がする。
『旦那さん、もう御膳が出来ますが……』父は黙つて居る。そして長火鉢の横の小さい黒檀の棚から、茶飲み茶碗を取つて居た。栄一は、
『お父様、暫く。御機嫌はおよろしう御座りますか?』と礼をしたが、父は茶柄杓で大きな鉄瓶から湯を急須きふすに入れながら軽く、
『久し振りぢやな』と云つて居る。そして続けて、
『お前顔が青いぢやないか、また病気が悪いかい』と加へて居る。
『有難う御座ります。然し別に変りは御座りませぬ』
『栄一、学校はどうした。……もう卒業したのかい』
『いゝえ』
『どうしたの、それぢや、此頃は休みかい?』
『いゝえ』
『それぢやどうしたの』
『一寸感じた事がありまして』
『それぢや退校でもせられたのかい?』
『いや』
 お梅は入口に手をついて、『お二人共お茶漬をお上りなして』と云つて居る。
『まア、それでは、茶漬でも食つて……、己は役所から帰つて来てから悠然ゆつくりと話をしよう』と父は立ち上つた。
 お梅は『そちらへ持つて参りませうか』と問ふたが、『台所で結構』と云つて居る。栄一は父の悠然して居るのに腹が立つて気がいらだつて仕方がない。黙つて俛いて居た。お梅が呼ぶから台所の自分の席に着いたが、
『栄一、昨夜は少し風があつたので、よく転つただらうなア』と父は少し諧謔に出る。
『はア』と答へたが後に続く言葉が無い。
『何等であつた?』
『三等で――』
『そら、おえらかつたでせうな』とお梅が云ふ。
『栄一、お前の学校は一体ありや何う云ふ学校ぢや?』
『基督教主義の学校で御座ります』
『それぢやお前も耶蘇になつたのかい』
『いゝえ』
『それぢや、なぜあんな学校へ這入つたの、己の云ふ事を聞かずに……そしてお前、もう学校は退校したのかい?』
『はい、退校する積りで帰つて来たので御座りますが、……明治学院は主義が賛成で御座りますから、今迄居りましたが』
『主義つて、キリスト教かい?』
『博愛主義です』
『それぢやお前は社会主義にも賛成して居るだらう』
 父に問ひ詰められて、阿波の名物の焼味噌にも味が無い。
『はツ、……』と答へたが、
 父は聞かぬ振りをして、
『お給仕』と茶碗を膳の上に置く。お梅は『およツさん、一寸上つてお給仕をして』と庭で益則の弁当であらう、小さい瀬戸物の弁当入れに、飯をつめて居た下女を呼んだ。
『はい』と答へて、下女は上つて来たが、飯櫃の横に坐つて恭しく礼をする。
『旦那様お早う御座ります』
『うむ』
『奥さんお早う御座ります』
『お早う』
『若旦那さん、お早う御座ります。初めてお目に懸ります。何分よろしくお願ひ致します』
『お早う御座ります。どちらいか宜敷』
 主人は先刻から茶碗を持つて待つて居る。礼を終つて下女は黙つて盆を出した。父は下女の飯をつぐのを見守つて居たが、
『栄一、お前博愛主義ぢや何ぢやと云つた処で、遊んで居つてそれで済むのかい。学生の間は空理空論で事も足るけれども、今、お前が退校して何すると云ふことを知らぬ者が、社会主義ぢやと騒いだ処で何の役にも立たないではないか。それより一文でも儲ける法を考へた方が勝つて居る。昔から理窟を云ふ者に限つて貧乏して困つてゐる者が多い。……栄一……お前は○○○もいらぬと云ふのだらう』と父は落ち付き払つて栄一の攻撃を始めた。栄一は、『時でない』と思つたか、黙つて居た。
『己もお前が己の云ふ事を聞かずに、耶蘇教の学校に這入ると云ふから、初めから学資を送るまいと思つたのぢやけれども、それも少し可哀相ぢやと思ふて先月迄送つて居つたが、少し此頃は金の融通もきかぬ様になつたから此月はもう学資は送らなかつたが……勉強さしても己の思つた様なものにもなつて呉れず、耶蘇に改宗して家を出て終ふのなら、幾何骨折つても駄目ぢやと思つたからな。それで此月も送らなかつたのぢやが……然し栄一、帰つて来て何うする積りぢや。内には耶蘇や社会主義の男はいらぬが。それかと云ふて遊んで居つて貰ふわけにも行かぬし、己の云ふ事を聞かぬ子は宅の子ぢやないが……国が嫌だと云ふ人などはあまり内へ出入して貰はぬ方がよいが――』としめり/\、父は低い声で栄一の頸をしめる。お梅は黙つて聞いて居た。栄一も黙つて聞いてゐたが、熱い胸の下を冷水が流れる様に覚えて思はず知らず、
『ウフ、……』と軽く笑つた。笑ふや否や、
『栄一! 貴様笑ふとはなんだ、いやしくも父に向つて』と眼を怒せて父が叫んだ。お梅は、
『旦那、およしなさい、旦那、今帰つた許りの人に、そんなに云ふのは失礼でせんか』と気の毒さうな顔をして宥める。
『生意気な、東京で少し勉強さして遣つたら生意気な事許り考へて、親を少しも親と考へぬ様になつて』
『旦那、今朝は少し御飯が遅う御座りますからお話は後にして、御飯をお済しなさらぬと遅刻なさいますよ』
 栄一は父が何だか芝居をして居る様に思はれてならぬ。頑固な父をよく芝居で見るが、現実のものぢや無いと思つて居た。が、現実――而も我父が頑固阿爺の標本だと思へば可笑しくて堪らぬ。
『少し学問が出来たかと思ふと父を嘲弄して笑ふ』と父が云ふので冷やりとした。父はかう云つて黙つて立つて奥へ這入つた。
『おい洋服を出して』と云つて居る。お梅が、
『旦那御膳は召上らないので御座りますか?』と問ふたが答へが無い。で、
『お父様は、此頃なんでも怒る様になつて居られますから、どうぞ御許しなしてよ』とお梅は栄一に謝して居る。
『いゝえ、怒つたり致しますものか』と栄一は云つたが顔は上げぬ。涙が眼に集つて居る。奥から、『何を喋つて居る、早く出さぬかい』と云ふ。
『へい』とお梅は慌てゝ化粧の間へ走つた。
『どうぞ沢山お上りなして』と先きから、呆気に取られて見て居た下女は、新見の箸を置くのを見て盆を差し出した。その声が可愛い。然し栄一は『有難う』と云つたなり台所の隅の障子を開いて下女の室へ這入つて、身を倒して涙にくれた。雨は烈しく降る。
 暫くして父が出勤した後、お梅が、二階に床を延べたから昨夜の疲れを休めてはどうかと親切に云つて呉れた。それで栄一は二階へ上つて寝た。
 午後の四時頃まで少しも知らなかつた。雀が三四匹喧しく鳴いたので眼が醒めた。一寸障子を開いて外を見ると雨は小降りになつて天はボウと明るく、黄色い光線が屋根の瓦を照らしてゐる。乾を見ると倉の蔭に二階立の家が見える。柿の木がその横にある。窓を開いて若い女の人が本を読んで居る。一寸顔を上げてこちらを見る。
『ア、美しい女!』と栄一は思つたが、羞しかつたから障子を閉めて茫然ぼんやり何とはなしに考へて居た。父の声が下にする。
『父が早や帰つて来たのか』と思つて縮み上つた。
 夕飯の時に栄一も席をまた連ねたが、父は晩酌の酔が大分まはつてくると、そろ/\栄一を攻撃し初める。お梅と益則は唯黙つて聞いて居る。然し栄一は決して黙つては聞いて居らぬ。酔つて居るからと云つて無責任なことは云はさぬと覚悟して居る。
『今迄幾百円幾千円と入れさして、二十二も三にもなつて何の役にも立たぬと云ふのは情ないではないか? お前ももうこれから本を読むのを止めて兵庫の店へでも行つて、番頭の代りか丁稚の代りでもしてはどうだい? それも出来ぬかい。出来ぬと来ては困るなア。東京へ行つて遊ぶことゝ無理云ふことを稽古して来た様なものぢやなア。一体栄一、それでは、今から何をする積りぢや。今の処どんな考へを持つて居るのか?』
『今の処は別に何にもありません。然し唯お父様が笑子をまづ可愛がつて下さいと云ふことゝ、恁那大きな家を建てゝまで借金しなくとも、小さい宅を建てゝ私に勉強さして下さいと云ひたいのです』と栄一は出来るだけ熱烈な言葉を並べて父を刺戟しようと考へた。
『フム、生意気な事を云つて居る。借金するもせんも勝手ぢや、あまりお前の様な浮浪者ゴロツキに云つて貰はぬわい。勉強は勝手にするがよいわ。今迄さうして遣つたので結構ではないか。中学を卒業して四年も五年も東京へ遣つてやつて肺が悪いと云へば小笠原まで養生さしに行かしてやつたに一言のお礼も聞かぬ。まだその上に久し振りに帰つて来て、やア笑を可愛がらぬとか、自分を可愛がつて呉れぬとか。……フム、生意気な、それが高等学校に居た学生か、耶蘇と云ふのはそんなものか?……それぢや耶蘇教では親不孝を教えるのだなア』
『……耶蘇教では……………………子を可愛がらぬ親、一人の女を愛せぬ夫は……………。お父様などはそれだから……………』と栄一は冷く云ひ切つた。
『フム、お前は…………、お前は己の子では無いのぢや、内にはお前の様な浮浪者はいらぬわ。よくまア過去の恩を忘れてそんな事が云はれるな。お前はそれまで、わしが憎いか?』と父も敗けぬ。すると栄一も、
『お父様もよく何人も女を…………。嘸々さぞさぞ私のお母様が墓の中で泣いて居る事で御座りませうよ。それに、新聞に攻撃せられても平気でよく市役所に出られますね』と本気になる。
『生意気な、何をぬかす』と父は立ち上つて、栄一の処に近づいた。
『云はして置けばよくまアそんな生意気な事が云へるなア。も一度云つてみい』と声を震はせて咽びながら云ふと、栄一は繰返して、
『賄賂を取つたなどと云はれて、よく平気で市役所に出られますね』と平気で云つた。が、此言葉の云ひ終るか終らぬかに父の掌は栄一の頬に強く落ちて、持つて居た箸と茶碗は膳の上に転がつた。そして続いて父の足に蹴られた栄一は横に倒れた。倒れた栄一の頸筋を掴まへて父は栄一を玄関へ引きづつて行つた。益則も下女も小僧の吉三郎も黙つて見て居たが、お梅は立つて、
『旦那様、およしなさいませ。もしお怪我なしても悪いですから……』と申訳の仲裁をして居た。
 栄一は決して反抗しない。父は玄関の障子を開いて、
『出て行け!』と栄一を蹴落した。そしてぴしやりと障子を閉ぢて泣いて居る。
 障子の蔭で栄一は強く泣きながら苦しい笑を漏して居る。が、少しして何か心に浮んだのであらう、急に中門から裏に廻つて化粧の間で洋服に着替へ、また玄関に来て哀れな靴を穿いて傘もさゝずに家を出た。
 外は闇だ。


 父の宅を出た栄一は、何処へ行くであらう? 徳島本町を西に市役所の角を左に曲つて徳島橋を越えた。板野の田舎に帰るには少し回り道であるが、通町へ出て傘を買ひたかつたのである。警察署の電気燈が鈍く光つて居る。西洋雑貨商の宮井は矢張り昔の宮井だ。何時かと時計を覗くと宮井の御主人は火鉢の前で居睡して居る。少し頭が禿た様にも思はれる。通町の一丁目は変つて居らぬ。唯井関の本屋が大道から出て来て大きな店を張つて居る。こゝにも阿爺さんが居睡つて居る。二丁目は少し変つた。仙石が郵便局を兼ねたのと日本基督教会が新しく立派に建築せられた事である。唖の傘屋に這入つて番傘を買つて道を急いだ。雨は小降りだ。二丁目の角の夷神社へ来ると乞食の文やんを思ひ出した。跛の正直な――五銭銀貨と五厘銅貨を見せると後の方を取る。――乞食。
『ぼんやんなんぞつかい。奥様なんぞつかい!』と時間を定めて貰つて歩く乞食。快活で、いつも笑つて居る乞食、金持ちで百円以上の貯金があると噂せられて居る五十許りの男。夷神社に寝宿りして堂守りの様にして居る文やんはまだ生きて居るか知ら? 文やんから連想するのは大道のお千代、高慢な豪ら相に貰つて歩く乞食の塩川の子を産んだと噂せられた馬鹿のお千代、朝から晩まで左の目尻を下げて妙な笑ひをして誰を見ても、
『うち、いや! あの人、をかしいの!』と大きな声で叫ぶお千代、時によると鼻許り黒く塗つて、また時によると顔全体に壁の様に白粉を塗つて、袖の長い破れた着物を着て哀れな袋をさげて坊主頭をなでながら貰つて歩くお千代。七八年の昔、ある朝勢見の金比羅に散歩して見るとお千代が絵馬堂の前で笑ひ乍ら掃いて居た事を思ひ出す。
 それにもう一人思ひ出すのは『日曜日』と云ふ乞食である。之も馬鹿で日曜日と書いた箱を頸から懸けて、日曜日でなくても金曜日でも土曜日でも貰ひに来た、背の高い四十恰好の男乞食。
 お千代に子を生ました塩川は先年死んだと聞いたが彼を除いて此三人の乞食は、皆徳島市の名望家で、市長より、市民に可愛がられて居る。三人共皆野心を離れて生活を楽しんでをる。今頃は、嘸、無邪気な夢でもみて居るであらうなど考へ乍ら一丁目に来る。隆盛堂の本屋が潰れて貸家札が貼られて居る。小西の薬屋も菓子屋も昔の通りである。市川の料理屋の四階が三階になつて居る。いつも賑やかな新町橋が淋しい。左の靴の底から水が浸入つて来た。
 古川病院の電燈も光らない。滝見橋から滝の山を見ると光りが七つ八つ。監獄署はいつ見ても大きい。前川の橋を渡つて地鳴りの様に聞えるのは紡績会社。雨の夜でも機械は運転して居るらしい。前川駐在所は昔の所にある。上助任かみすけたうの八幡宮に来た。十年前阿波国一の大相撲『諏訪の森』がひいきで此処へ宮相撲を見に来た事を思ひ出す。靴の心地が益々悪い。下駄屋へ這入りかけたが止めた。
 古川の渡しに来たのが八時。川幅三町に架つて居る長い橋を渡る。淋しい。何だか風に乗つて居る様だ。然し田舎へ帰ると歓迎されるに違ひないと思ふと愉快になる。が、又父と口論した事を思ふと夢の様だ。五抱もあらうと思ふ鯛の浜の一里松も過ぎて人力車に会つた。今迄誰にも会はなかつた。之れからまだ二里。疲れたと思ふが足は歩いて居る。牛飼の田台(野原)を通り過ぎて中村へかゝつたが、また此村を過ぎると長い野道。盗賊が出たらと思つたが、盗賊が出たら皆遣る。そして裸体で馬詰まで走つて帰らう。殺されるなら消えるまでだなどと茫然ぼんやりしたことを考へながら、野原も過ぎて北村。北志多来のダラ/\(坂)を越えて自分の村の川向、俗に新田と云ふ処に這入つた。板野郡堀江村大字東馬詰村小字新田である。栄一の宅は古田だ。氏神のお諏訪さんの森の前を通る。お祭の時に自分が太鼓を叩いて、若衆が獅子を舞ふた事を思ひ出す。
 それからそれへと連想して、古田の天神様の子供祭には自分が一年隊長になつて、一晩あの鎮守の森の祠で大勢の子供と寝て騒いだ事など思ひ出す。牛屋島の橋を渡る。中学の一年の時、此の渡しで呉の水兵が二人の娼妓に惚れられて此処まで二人を連れて逃げて来て、金が無くなつて心中をしたことがあつた。川の流れは静で、細い雨の音しとやかである。水が川幅一ぱいに満ちて居るのが景色がよい。薄い闇が川の上を蔽うて三人の幽霊でも出ないかと思ふと妙な気になる。この川で三月の節句には子供連れで舟遊びをするために……『※(「人がしら/十」、第4水準2-1-26)やまじふ』の伝馬に乗つて寿司や煮しめを弁当にして川に出たことも思ひ出す。継母と姉のお雛様のことを思ひ出す。近所の娘がそれを見に来たことも、それから田宮の鶴子様の見に来たことも――目のぱつちりした美しい可愛い女の子だと思つたから、話するさへ恥かしかつた鶴子様、もうお嫁入りをしたかしら。東京へ行つてから鶴子様が何うなつたか一向聞かぬが――と先から先を思ひ廻しながら、栄一が高等一年生と二年生の間世話になつた学校の処へ来る。四年前の夏一寸帰つて来た時には、まだ学校も立つて居たが、今は跡形もなく唯石垣のみが残つて居る。
 学校は何処へ移つたのであらう? この牛屋島の学校で神戸育ちの生意気小僧が大に威張つた昔を思ふと羞しい。まだ入学試験も受けずに卒業生と一緒に送別会を開いて三十五銭の会費で浜口屋の二階で酒を飲んだ事があつた。三十人の卒業生と五人の先生が皆酔つ払つた。隅で独り杯を傾けて居た小使も酔つ払つた。……小使の事を思ふと身震ひがする。酒が好きな小使で、生白い顔に血走つた眼付、髪は前を一寸五分許り高くしてむしや/\生え放し、酒に酔ふ程黙る男。あの男の娘が八つの頃であつたらう。その子が二年生の夏休みに突然死んだ。そしてその病名は『肋』と云ふ字が頭に付くものであつた。処がその女の子は栄一が洋傘で脇腹をついて肋骨の三枚目を折つたから死んだと云ふ噂が立ち、栄一は全く関係も何にもない事を聞かされて吃驚した。そして二日二晩座敷の蚊帳の中で泣き明した事があつた。その結果貯蓄して居た五円を香奠として自身で持つて行つた。恁那噂を立てられる位自分は腕白であつたかと思ふと、今になつて此誤解を憤つて、小さい時から他人を可愛がる方に向つて居たのだと考へる。今では、その娘は水車を踏んで居て、上から落ちて肋膜炎にかゝつて居たのだとわかつて居るが誤解程悲しい者は無いと今も考へる。醤油を製造する原の門長屋の処に来る。この門の脇で目の丸い桶屋の常公に『坊は学校の小使の女の児を殺したと云ふでないで?』と問はれて吃驚して逃げて帰つた事があつた。あれから十年まだ此村に誤解があるかと思ふと足を入れるのが心苦しい。
 藪に包まれた川口屋と云ふ木賃宿に背の高い色の白い肥つた二十許りの娘があつたが、今はどうして居ることだらう。
 堤を伝つて榊の横を通ると、従妹のお兼さんが此処へ一度嫁に来て姑が六ヶ敷くて離縁せられた事を思ひ出す。大きな槇の木の上に鎌を立てゝあつたのは昔と変らぬ。川辺の小屋は桶家の種吉の家、種吉の息子の常吉は馬詰の宅の番頭である。次の家は非人の『助』の宅である。屋根に網を張つてあつたので小さい時には特別に注意したものである。助は馬詰の宅の夜番で、朔日ついたち、十五日には裏門から台所の流しの溝の前に淋しく立つて一斗なり二斗なりの米を夜番賃として与へられるのを待つて居た。田宮の浜に小さいあかりが見える。渡守の番小屋からであらう。思ひ出すのは目腐りの渡守の息子の辰である。自分が分限者の子供であつたから児分が多くあつたが、その中で辰は第一の児分であつた。正月に子供が寄つて賭博しても辰はいつも自分の下について居た。また泳ぐ時でも隠れん坊する時でも辰はいつも付き纒つてゐた。水泳から連想するのは田宮の鶴子様の兄様と自分が『潜り』を競争した事だ。あの時、時行様はもう十五六であつたが自分とは極く仲よしで雑誌を貸して上げては大きな夏蜜柑を貰つた事があつた。牛屋島を離れて愈々我が村に這入る。川に沿うた藪の中に馬の灸をすゑる所がある。之れから三丁は家も何にもない。両側の藪の間から広い堀江の平野が北に見える。北山まで小一里もあらうか山の下には大谷と云ふ一寸した町がある。その町の端れに土御門天皇の火葬場がある。山路には所々火がついて居て淋しい。此土手の川岸で学校へ上る冬の朝、よく太陽に温つたことを思ひ出す。東馬詰へ這入つて第一の小屋が木曳きの政の宅。政は此小屋の子持ちの寡婦に食つ付いたのだ。子の名が長兵衛であつたと思ふ。乱暴な児で穢いことを云ふことゝ喧嘩を日課にして居た。此小屋から半町で新見の藍の売場の番頭であつた市橋源三郎の屋敷がある。源三郎は金沢の売場で死んだ。その裏の屋敷跡が、市橋熊蔵の屋敷跡、中学の二年の時、北海道へ移住した。今は唯門跡の横にある黒柿が雨にうたれて残つて居る。
 源三郎の西隣りを東の新宅と云つて昔は大きな家屋敷を持つて居たさうだが、今は生垣の中に一寸した家が立つて居る。前は藪である。藪の下が淵で『西ら』のお老爺さんがよく魚を釣つて居た処だ。愈々自分の宅に近づいた。土手を降りて虎吉さんの宅がある。この隣が政吉さん。水門の横を通つて狸付のおかみさんが居た権助さんの横に出ると自分の宅の大きな門が見える。政吉さんの隣が坂東の平さん、煙草刻商であつたが今は何をしてゐることか? 昔はそれでも大きな家で、※(「人がしら/十」、第4水準2-1-26)と云へば近在に誰知らぬものゝない地持ちであつたのが、今は母屋許りになつて屋敷が畑になつてゐる。子守り歌にも、
『田宮金持ち、※(「人がしら/十」、第4水準2-1-26)は地持ち、
  裏の金内かないさんは娘もち』
と、唱はれた位である。金内さんと云ふのは新見家のことで美人が多くあつたさうだ。斎藤の信さんの裏を廻つて驚いたのは田宮の家屋敷の影も無いことである。唯乾の隅の三抱もあらうと思ふ赤松が、闇に淋しく雨にたゝかれて居る。栄一は唯不思議に思つた。
『東馬詰に田宮がなけりや
   後は川野のけゝす原』
とまで讃美せられた士族の田宮の屋敷が形も跡も無い。
 榎の大きな木が生えて槇の生垣を廻らした田宮家の墓所の裏から右に折れて、新見の門の前まで道がある。新見の本家の家屋敷は田宮があつた時からでも一番東馬詰で大きいのであつて先代盛平は十八ヶ村の大庄屋であつた。胆の太い男で二十四間に五間の大きな藍の寝床と、四間に十二間の西の寝床を建てた。東納屋と云ふのがその大きな方で、西納屋と呼んで居るのがその小さい方だ。前納屋は二階付きで大きい高い建物だ。前納屋の東側に大きな門屋がある。
 もう九時半、栄一は静に此門屋の軒下に立つた。色々な感興が湧いて来る。門を叩いて屋敷の中に音がするかと思つて伺つてゐた。西納屋に馬が腰板を蹴つてコトン/\と云はしてゐる。暫してまた叩くと母屋の戸が開いて女の声がする。
『誰れで?――』確か、えみの声である。そして誰か外にもう一人の若い女の声がして二人で何かぶつ/\囁いて居る。
『私――』と栄一は低い声で答へたが、
『今頃誰れだらうな』と笑の声がして、また若い女の声と混つて話して居るのが聞える。軈て、長い蔽蓋(納屋の軒の方言)を二人で歩く音がする。その足音が響いてカン/\と音がする。番頭が居らぬのか知らと思つて居る中に門の潜りは開かれた。また馬が嘶いて腰板を蹄で蹴つて居る。
『誰れかと思つたら兄様ですか? どうなしたの?』と笑が尋ねる。若い女が蔭に隠れてゐる。栄一は門の中へ這入りながら、
『番頭は居らないの?』
『一番は今夜一寸産があつて往んで居るし……二番はお四国へ行つてまだ帰つて来ず……恐ろしいから、お静さんと一緒に開けに来たのですわ。よう恁麼に降るのにお帰りなしたな。ほんまにだれぞと思ひましたわ』栄一は若い女に眼を付け乍ら、
『笑さんはまだ徳島に居ることだと思つて居たら、早や帰つて来て居たのだね』と云ふ。若い女は『若旦那、初めてお目に懸ります。私は常吉の妹で御座ります』と礼をする。妹も、
『常吉さんの妹さんの静さん――』と紹介して居る。妹と静を見較べると下女の方が遥か美しい。静の持つて居る六角の小燈の光ではよく見えぬが、生へぎはの美しい、地蔵眉毛で、一皮瞼ではあるが優しい目付をして、透き通る様な皮膚を持つて居るのを見ると、田舎には珍しい美人である。笑の様な髪の赤い、色の小黒い、唯太いと云ふ許りの女には雪と炭との違ひがある。
 栄一も相当に礼をしたが、あまり美しいから、よく顔をみるのも羞しかつた。三人はまた蔽蓋を母屋に伝つたが、笑と静と二人で、
『誰れぞと思ふたな』
『ほんまに吃驚致しましたない。もしや強盗でも這入つて来たらと思つてない』と話して居る。
『お母様は御機嫌?』と聞くと、
『少しリヨウマチスの気がおありなさりますさうです』
『いつから?』
『十日位前から……徳島へ使で私を呼びにこられましてない。それで私が帰つて来たのです』
 寝床の蔽蓋から母屋の蔽蓋に飛び移つて石段を五つ六つ昇つて三人は玄関に這入つた。(此地方の屋敷は大抵平地より二丈も三丈も高くする。之れは吉野川が毎年八、九月頃に両三度は必ず氾濫するからである)
 玄関へ上つて栄一は『お母様は何処?』と尋ねたが、『裏座敷』と答へて居るから裏座敷の方へ行つた。
 栄一が帰つて来たので継母も立ち上つて坐つた。相当に時候の挨拶から栄一の今度帰つて来た理由なども聞いて田宮の話が出た。継母は顎を左の手の拇指と人差指で弄りながら、折々鬢の乱れを右の手でなであげて語り出す。
『世の中はほんとに薄情なものですわ、……どんな身分のある人でも貧乏すれば相手にして呉れまへんわ。田宮だつてお金のある間は田宮、田宮と云つて、もち上げる者が多かつたけれど、今になつたら可哀相なものですわ』
 母は顔の小さい、色の白い一皮瞼の眼の細い女である。円行燈が暗く光る。
『おまはんが帰つた年の秋ない。あれが旧暦の十月の朔日か二日の日にない。朝から五六人の角袖が宅の前をあちらへ行つたりこちらへ行つたりするでないで、さうすると土手の方にも警部の様な人と巡査が二三人立つて居るんですよ。そのうちに田宮へ這入つたと思ふと誠さんが渡しから徳島の監獄署へ連れて行かれましたわ。私も吃驚しましたわ。なんでも誠さんが村長をして居つたでせうな。それに材木で損をしたとかお蚕で損をしたとか、村役場の横の料理屋の女に入れたとか云ふが、なんでも役場の金を二千円とか三千円とか費ひ込んだんださうですわ。そしてまだ裁判もすまぬ中に牢屋の中で首縊つて死んだんですわ――おいとしい事でないで――それ聞いて奥様も気が狂つて川へ這入つて死なれましたわ、まアそらお気の毒やらおいとしいやらで私も泣きましたわ、奥様が身投げなしたと云ふことを聞いて、屋敷は取り払はれる。這入る処は無しない。御隠居と鶴子さんとまささんは正月から盆まで宅の裏座敷にお出でなさりましたわ、あしこの化粧の間が台所で此処の二間をお室になして。然し鶴様だけは四月に東京の叔父様とかゞ徳島の師範学校の先生になつていらつしやつて、その叔父様のお宅へ養はれて行らしやつたが、此年はもう女学校を御卒業なしたゞらう。市の宅と裏合になつた家ですわな。田宮の御親類の宅は?』と側に居る笑に尋ねる。
 笑子は『二階から乾の隅にお二階が見えますわ』と答へて兄の顔を眤と見て居る。
『そして盆がすんで御隠居様はまさ様をお連れになつてお里へお帰りなしてない、総領の時行さんは矢張り東京の御親類にお出でなしたのだらう。まア然し変れば変るものですわ。田宮の屋敷が無くなつた当座は何だか淋しう御座りましたぜ。然しない、栄一様、田宮の事ぢや御座りまへんでよ。宅も早晩田宮と同じ目に会ふかも知れまへんでよ。どうもお父様には困りますわ。栄一様ちつと云ふてつかはれ』
 栄一は笑の言葉から、今日の午後四時、二階から見た美しい女は鶴子様であつた事と想像する。すると鶴子様は却々なかなか美人になつて居る。
 栄一は父と喧嘩した事は言はなかつた。またあまり悲観した様な事も云はなかつた。
『二番が四国参りに行きましたつて?』と無意味な事を聞く。
『ヱ、毎年村から一人づゝを四国へ出すのが今年は抽籤が宅に当つてない。一番は嫁が妊娠して居るから遣れないので、二番を遣る様になりました。今日で宅を出て一寸二十八日になりますわ』と母は云つて居る。栄一は閑な田舎人が仏の名を唱へて、物を貰ひながら遍路して居る様を想像する。
 雨垂れの音の間に火の用心の声が聞える。
『助が矢張り火の用心を廻つて居るの?』
『エ、やはり』と答へて居る。
『然し、お母様の御病気もたいした事がないので幸ひですね』と栄一が云ふと、
『有難う、唯一寸右の足が自由にきかぬと云ふ丈けぢやからない。さう心配せいでも、すぐ癒ると思うて居るのですわ』と答へる。
 火の用心が西納屋の方から裏座敷の方へ廻つて来た時に、裏座敷の話の声を聞いて、
『お嬢様まだ帳場の戸が閉つて居りませんない』と注意して居る。
『笑さん、それ、また帳場の戸が閉つて居らぬて!』と継母は笑に注意する。
『ア、忘れて居つた。先に誰ぞと思うて門を覗いて、まだ開けたなりで――』と立ち上る。
『早やうてゝお出でなはれ!』と継母は命ずる。
 笑子は縁を母屋に走つた。
 継母は栄一に『あの子は鈍で困りますわ』と呟く。
 雨はまだ強く降つて居る。


『太陽は実によく光る!』
と、表座敷の縁側に仰向きに寝て、太陽を見て居た栄一が云うた。
 もう、午後一時半。昨夜の雨は、庭に僅かな湿り気を残して、何処かに隠れた。今日は朝から『よく光る』太陽が出て、春は一度に甦つた。
 栄一はあまり、まばゆいから左の拳に小さい穴を造らへて、それから太陽を見てゐる。綺麗なラデエーシヨンが出来る。
『綺麗なラデエーシヨン! まるで虹だ!』と栄一は自分一人囁いて、色々と考へた。
『太陽の光線は美しい。これが九千三百万哩やつて来たのか! 此の光線が空気の外では全くの紫色だと云ふが……どんな美しい世界だらう。神秘だね、光は――』と考へて、また色々想像を廻らした。
 が、昨日の陰気な一日に堪え兼ねた栄一は、今日太陽を見てあまり喜んでも居らぬ。呪の様なことも云つてゐた。
 栄一は、起き上つて、唯、茫然飛石の隅を見詰めてゐた。が急にまた気が付いたと云ふ様な身震ひをして、両手で顔を拭いた。そしてすぐ、
『噫。つまらぬ/\。神様は自殺したのだらう!』と無意味なことを云つて庭に下りた。
 東南の隅に『もち』の木がある。二抱へもあらう。緑色の葉が一枚一枚光つて美しい。折々葉先を鳴らして躍る。その西に白椿がある。もう散つてゐる。横に五葉の松が枯れて居る。見覚えのある木で、自分が湯殿の前に植ゑたものだ。その外、木犀と山梔くちなしが湯殿の横の衣裳倉の前にあつて、南天、馬練などが隅にある。あまり広くも無い庭が、一ぱい草木で詰つて居る。
 栄一は駒下駄を穿いて、あちらこちら庭の飛び石を伝つて、思ひに沈んだ。手織縞の女着に弟の兵古帯。色は青く、眼は非常に鋭い。
 栄一の黙想は段々と妄想になつて来た。
『……僕は何の為めに散歩する? 生きてゐるから[#「 生きてゐるから」は底本では「生きてゐるから」]散歩する。何故生きて居る。生きてゐるから生きて居る。いや、死にたくないから生きてゐる。いやさうでもない。自殺したいが、暗闇には行きたくないから生きてゐる……実云へば……頸に繩をつけられて引ずられて居るから生きて居る。生命に価値のないことを知つて居るが、何だか死より恐ろしい手が咽笛を押へて居るから生きて居る……生命が恐ろしい。……生命と云へば此頃は全く食慾がない。その上、朝も昼も、硬い麦飯。継母は吝な程質素な人だ。だから田舎は嫌だ。嫌になつた。僕の様な天才の住む処ぢやない。都に居ると善い様に思ふが来て見ると詩も消える。僕は田舎に葬られるのは何だか情ない……が、都会へ出て何を喋る。社会主義? まアそれ位ゐのものだね。然し社会主義も何だか飽いた。社会主義と云ふ主義は乞食の仕事だ全く。まア、然し国家主義よりは善いが。――処で、哲学は物知りの玩具の様な気がするから之で名誉も得たくなし、それかと云つて、国にお辞儀して飼ひ殺しにして貰ふのも面白くないとすると、矢張り、○○○主義か社会主義だ。然し、都会で、大声で○○○主義でも唱へ様ものなら、すぐ赤い衣は受合だ。あきれるね!……世界はまだ戦争とか云ふものがあるのだからね。日本にはまだ軍艦と云ふものがあるからね。さうすると、都会へ出て行つて、武装して居る世界を嘲つて、監獄へ一度位ゐ這入つて……? 兎に角、トルストイや長明の真似は止めよう。……それに此村で小学校の教員を始めたとした処で、昔の小使が居れば、また顔を見られる毎に、震ひ上らなくちやならぬ。……が町へ出るとパンに困る……』とまで考へて、石の上に立ち止つた。眤と[#「眤と」は底本では「昵と」]自分の影を眺めると、太陽は益々照つて影は益々明かだ。然し、その影は如何にも哀れだ。
 座敷の障子を開いて笑子が顔を出した。それで栄一は、
『笑さん、この五葉の松は何時枯れたの?』と問うた。
『兄さん、あれ?』と視線を五葉の松に転じた。
『はア』と同じく栄一も松を見る。
『あれは何ですわ、お母様が植ゑ替へなして枯れたんですわ』
『僕が湯殿の前へ植ゑたのに?』不平らしく云ふ。
『なんでも五葉の松は屋敷の辰巳に植ゑると貧乏するとか仰しやつて、今年の一月であつたか自分手にお植ゑ替へなしたんですわ』
 栄一は縁に腰を下して、
『常吉はまだ帰らぬのか知ら? もう二時だね』
『さうでせう。もう二時過ぎますわな』
『宅の昼御飯はいつもこんなに遅いの?』
『いつも之れ位ゐですわ。大抵なら一時半ですわ。ほだつて五度たべるのですからない』
『さうだね』
『兄さん東京つて、怎那処です?』
『なに、つまらぬ処さ』
『それでも徳島よりは大きくつて、美しいでせう。神戸よりも!』
『徳島つて――笑さんは徳島に何ヶ月位ゐ居たの?』
『一月半も居りませんだわ』
『なぜ徳島へ出て行つたの?』
『何故つて、そんなことは云へませんわ』
『兄様だから云つても善いだらう』
『あの継母さんが――云へませんわ。そこにごた/\した事があるんですわ』と俛いた。笑の髪には灰がとまつて居る。大竈の下で麦藁を焚いたからであらう。
『笑さん云へないことがあるものですか、兄さんだから云つて頂戴! 何卒』
『継母さんが、あんまりお叱りなさるから徳島へ逃げて行つたんですわ』
『何故?』
『打つたり叩いたりなさるんですもの』と袖をくはへて口籠る。
『さう、継母さんが無理だね』
『私裁縫が下手でせうな。それに出来んと云ふ理があるか、そんな不調法なのなら、お前が下に降りて下女を上にあげて縫はしますわと仰しやるのですからない』笑は水仕で爛れた手を隠す。栄一は眼に涙を浮ばせた。
『徳島へ行つて何うして居たの?』
『下女の代りをして居たんですわ、お梅の下で』
『お父様の処で?』と兄は顔を背けて泣いた。
『あのお梅が私に非道くあたりましてない。……私、ほんとに徳島の事は何にも云ひたくありませんわ』と咽んで居る。
『何故そんな処で愚図々々して居たの?』
ほだつて行く所がないんでへんか――』
『笑さん、お父様の処には下女が居ら無かつたの?』
『居りましたけれど、私が行つて二日程して直に往にましたわ、そしてまた来て、また往にましたわ。今度来て居るこまんさんは私が帰る三日前に来たのですわ。お梅が六ヶ敷いからない』
『笑さん、お梅はあれ、歳は幾つ、若く造つて居るが』
『あれで三十二ですと。来年が厄年ぢやと云つて心配して居りますわ。私のお母様が三十三の厄で死んだんでせう――お母様が生きて居らつしやれば善いのに。せめては、姉様でもない。私お母様が生きて居らしやつたらと思はぬ日は一日もありませんわ。お母様があれば恁那つらい心配はせいで善いのぢやが、之れでも学校へも少し上つて居つたらない』と怨む様に云ふ。
 栄一は小さい時から此妹を可愛く思はなかつた、姉様の様に美人で無く学問も出来なかつたから。然し今になると何となしに可哀想でもあり、女の心で継母との間柄をよく切り抜けて行くと思ふと豪いと賞めてやりたくなる。
『笑さん、然し失望する必要は無いよ。兄さんだつていつまでも愚図々々して居らぬからねえ――お母様の事など思つて居たら際限りないから、もう心配するの止めて下さいね』
『それでも私死ぬ程辛いのですもの。毎晩々々寝屋へ這入つて泣かぬことはありませんわ。お母様の写真を見ては泣き、お母様の写真を見ては泣き、お母様がたとへ今私と一緒に居られなくとも何処ぞに生きて居つて下さるならと思つてない――いつそ死んだらまた会へる事もあると思うて仕方が無いのですわ……ほれに去年の春からない、血の道の気があつて、気がふさいで仕方が無いのでせう。お静さんにそつと中将湯を買うて来て貰うて幾廻りも飲みましたが、効能が見えぬのでせう、お医者さんに見て貰ひたいと思うても、云へば叱られるし、お金はなしない。六月七月八月と三月ぶら/\して寝込んで終ひましたわ。それでも誰も介抱して呉れる人は無し、継母さんは反つて、「笑さんの病気は名が無いわ。唯泣いて居る許りの病気ぢや……それ位の病気が、なんで、気をしつかり持てばすぐと直る。私であつたら寝込んだりしはせんわ」と朝から晩まで、ぽん/\仰しやるのでせう。私はその時こそほんまに死なうと思ひましたがない。然しまた今死んでは兄さんにもお父様にも済まぬと思つたから、またお母様の形見の金の笄や緞子の帯を売つて薬代を拵へて養生しましたの――』と泣く泣く物語る。栄一も泣かされた。
『徳島でお父様は何も呉れなかつた?』
『帰る時にお梅が古い半襟一筋呉れましたわ。たつたそれぎり』
『それぢや笑さん、私に呉れた五円はどうして拵へたの?』
『私、前から持つて居りましたわ。衣服売つたりして』
『衣服つて、どうして売るの?』
『牛屋島のお清さんてない、干雑魚いりざこの阿婆さんがあるんですわ。その人が色々そんな世話をしてくれてない、売つて呉れるんですわ』
 鶏が大庭を通る。
『安いだらうね?』
『安くつても仕方がありませんわ、生命には替へられまへんもの』と袖で涙を拭いて居る。
『笑さん、その外何かお母様の形見を売つた?』
 母の形見と云ふと何となしに惜しい様に思つて、保存して置きたい心地がしたから尋ねた。
『え、大分売りました』と憂への高調も少し過ぎて笑子はやつと顔を上げて栄一の顔を見入る。母に善く似た顔。眉から鼻筋の恰好、口元のしまつた具合ひ、如何にも母に似て愛らしく優しい。その眼の大きくて二皮瞼に黒い瞳から洩れる温かい視線はどう云つても女だ。
『兄さん、私、兄さんをお母様と思ひますから、兄さん、あなたも私を可愛がつてください。私は兄さんひとりしか頼りにする人が無いのですから』と云つてまた頷垂れて終つた。栄一は今迄遠く離れて居つた妹に斯うまで信頼せられると、兄妹と云ふ者は妙なものだと考へる。答するにも言葉が無い。唯黙つて居ると、
『兄さん!』と妹が呼ぶ。
『何に?』
『お父様は、矢張り兄様に学資を送つて居らツしやいましたか?』
『ア、貰ふのは貰つて居たがね』
『困りはなさらなかつた? お父様が、あんな大きな家を建てたでせう。そして前から借金のあるのにない、よく金を返して呉れと人が来るのでせう。それでもお父様は平気ですね。……私、お父様が何かの話からもう兄様には学資を送らぬと云ふことを聞いたでせう。吃驚してない。自分はお梅の衣飾の為めなら百円でも二百円でも出す癖に月に十五円か二十円のお金を兄様に送れぬと云ふことがあるかと思つてない』
『然しそんな事は何うでも善いさ』と栄一はあまり問題にしない様に見せて居る。
『然し兄様が耶蘇教の学校へ這入つたと云ふので怒つて居らツしやるのですな』
『さうだらう。僕は怒るとか泣くとか云ふのが面倒臭くなつたわ、笑さん』と眉の間に皺をよせて云ふ。笑は変に思つて黙る。少し経つて、
『兄さん御病気はもう全快なしたのですか? 矢張り血色はお悪いが』と尋ねた。
『肺は楽をして御馳走食へば自然と癒るがね――金が無いから僕には養生は出来ぬよ。肺病と胃病は金持の病気だね』と栄一は一寸と笑つて見る。笑子も笑つた。笑つて太陽を仰いだ。
『今日は好いお天気ですね』と云うて居る。門に下駄の音がする。五十恰好の筒袖を着た男が這入つて来る。
『ア、彦吉がまた来た。あれ天理さんを弘めに来るのだつせ、お母様が病気が悪いから。――羞しいから内へ這入らう』と妹は障子を閉めた。
『こんな散乱髪さんばらがみを見られたら羞しい』と障子の蔭に声がして足音が段々遠くなる。
 彦吉は表の庭の中門の前へ来て、
どなたさんかと思へば若旦那様でいらつしやいますか? 久しくお目にかゝりませぬ。その後は御無沙汰を致しました。文蔵がまた長らくお宅でお世話になります。……五六年もお目に懸らぬと見違へる様に御立派にお成りなさりましたない。之れでは道でお会ひ申してもお見違ひ申しますわい。その後御具合がお悪いと承りましたが、どんな事で御座りますか?』と腰を曲げて両手を揉みながら頭を色々に向けて極く落付いて口上を申立てた。
『奥様はまた何かリヨウマチスでお悪いとか、誠にお加減が悪いことで御座ります。然しまア今の処で格別どうと云うてお悪うないので御安心で御座います』と丁寧に云ふ。天理教の人は何処か違う。栄一もそれに相当の挨拶をした。
『今日はもし、お天気がおよろしう御座ります、誠に』と彦吉は白椿の木から太陽に視線を転じて、腰の煙草入を探しながら云ふ。
『さア、今日は綺麗に晴れましたね。――何卒此処へ腰をお懸けなして』と新見は促した。
『いや、これで結構で御座ります』と云つて白椿の下の岩に腰を下す。
『お江戸の方は嘸珍らしい事が多いことで御座りませうな――何日こちらへお帰りなさりまして御座りますか?』
『昨日――』と答へたが、頭が重くて彦吉と顔を会はせて話するのが何とはなしに物憂い。
 彦吉は煙草を揉んで皿の大きな煙管へ次ぎながら、
『此五葉の松は枯れまして御座りますない』と云ふ。栄一は、
『ハア、枯れました。――』と一寸答へて続けて、
『彦吉さんは天理教の信者でいらつしやいますか?』と尋ねた。
『はい』
『天理教と云ふのは一体どう云ふもので御座りますか?』と笑を浮ばせて。
『さもし、一口に天理教と申しましても、一言半句では御話し申すことは出来ませぬが、中々勿体ない教で御座りますわい』と吸殻を落しながら云ふ。
 栄一の好奇心を聊かそゝる。
『一つ、聞かして下さるわけには行きませんか? 一体あのオミキ婆さんとよく云ひますが、どう云ふ人ですか?』
『へえ、中山ミキ、真道弥弘言知姫尊みちいやひろみことしるひめのみことが即ち世に云ふオミキ婆で御座りますが、天理教の御教祖さんで御座ります』と少し上瞼を膨らまして羞しさうに云ふ。
『ははア、――大和の国ですね――中山ミキの生れたのは』
『へえ、大和の国山辺郡三味田村で御座ります』
『その人はもう昔死んだので御座りますか?』
『いゝえ、明治二十年九月二十六日に亡なられたので御座ります――先づ、天理様の起りと申しますと、ミキが小さい時から美人で、十三の時既に丹波市字三島中山善兵衛に嫁入に参つたので御座りますな。此の善兵衛の宅は大工職で御座りましたが、嫁入したのが文化七年九月十五日で御座ります。夫婦仲よく暮しまして一男五女を拵へました。処が或時黒疱瘡が大流行を致しまして、お隣の大庄屋足達家の五人の子供が皆死んで終ひましたが、独り残つた第六番目の息子と云ふのがおミキさんのお乳を貰つて育てゝ居りましたで御座りますない。それで御座りますからおミキさんは非常に力味まして此子だけは殺さない様にと世話を焼いて居りましたが、其子もまた黒疱瘡に懸りまして死に相になつたので御座りますない。それでおミキさんは此処が神仏の頼み処だと思ひまして一生懸命にお願を掛けたので御座ります。すると不思議なことにはその御願が聞かれてその子が助かつたので御座ります。之がそもそも天理教の起りで御座りますな――まだ/\御教祖様の御威徳は数へられぬ位多いので御座りますが。……肺病も全快するわ、腸を病んだ人も天理様のお蔭で生き返つたとか。それは/\数へきれません程で御座ります』と得意になつて、薄い唇を大きく張つて喋べる。何となしに野鄙な処があるので、栄一は云ふ事の出来ぬ嫌気いやきを感じた。然し女予言者デボラの事などを思ひ出して、ミキの自覚と感化の大きい事も考へた。
『あの、家屋敷を売つて、教会に持ち寄りすると云ふのは一体どう云ふことですか?』
『いや、あれは中山ミキが四十歳の時、天理様のお教を是非とも世界に弘めねばならぬと云ふ決心を致しましたので、自分の田地諸道具を皆天理様に差上げたので御座ります。これが起りで、信者になりますと皆家屋敷を寄附致すので御座ります。……何しましても大和の本部まで参詣致しますのにビタ一文もいらぬと云ふので御座りますから結構な事で御座います。……私もこれ長年煩つて居りました黄疸が、天理様の御蔭で全然今では本復致しましたが有難い事で御座りますわい――』唾を吐いて終りの方を曇らす。栄一は何だか哀れに思うた。彦吉は唇を渋らした様に手で拭いて、また語る。
『大和の本部は実に大きいもので御座いますな――昨年の暮に参詣致しましたが――そら京の本願寺や智恩院などと申しましても話になりませぬわい。お正月の御鏡が一石二石と云ふ大きな奴で御座りますわい。それがお下りになるときは材木をひく鋸でゴシ/\と小切に挽くので御座ります。それを誰にでも雑煮にして食はすので御座りますから、たいしたもので御座りますない』白椿の散りかゝつてゐる花から蜂が出る。静かだ。
『それぢや四海同胞主義ですね?』
『本が伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみの二柱から出た人間で御座りますからない』とまた唾して下駄で消す。膨れて居る瞼を伏し目勝にして少しの間黙る。栄一はじつと彦吉を見た。青い顔色に白毛混りの髪、汚れた筒袖に母指の爪先の出た白足袋、帯は黒の小倉の角帯だが、紺がもうさめて居る。
『天理教では、神様は伊弉諾、伊弉冉の二神ですか?』
『神は十柱で御座りますが、此の十柱の神様が日と月の二神から別れたので御座りますから――まア二人の神様と申しても宜敷う御座りますな』彦吉は門の方に足音を聞いて一寸立ち上つて、垣の花形の隙しから外を見る。常吉が帰つて来る。栄一は唯瞳を据ゑて足先を見つめて居る。
『十柱の神? 二神から別れた?……観念と云ふ花嫁が空想と云ふ子を産んで、空想の子が更に神様を孕む。そして宗教とか理想とか云ふものを口にして居るものは自我をさへ失はねばならぬ。だから……自我が隠れない様に凡ての自我を足先に集める。足先は客観界の現実だ。観念の中に迷うてはならぬ。実在? 足先に実在の影が躍つて居る』など考へて行く。視覚が鈍つて形も色も色々と乱れて来る。頭の中には何の考へも無くなる。唯無意味に時間と影が移る。蜻蛉が一匹飛んで来た。
 彦吉は煙草を吸つて居る。そこへ常吉が中門を一寸覗いて若旦那の居るのを見て這入つて来た。
『や、彦吉さんか? 誰れぞと思うた。また天理さんでか? アハハヽ』と笑ふ。
『何云ふので、帰つて来るから。常吉も此頃はちつと気が違つて居るな』三人とも笑ふ。常吉は直ぐ真面目になつて、
『若旦那、町の旦那様も奥様も宜敷く申されて御座ります』
『旦那は居たの?』
『お昼にお帰りになつてお会ひ申しまして御座ります』
『荷物は何うしたの?』
『預つて置くから、今日は是非とも町へ出て来る様に云うて呉れと仰しやいまして御座ります』
『私に来いつて? さう? どうも有難う。お使立申しまして誠に済みません。お昼は?』と不安の念に駆られながら丁寧に云つた。
『はい。町で頂戴致しまして御座ります』
『常さん。ねばり込んで御馳走になつて来たな。どして晩まで居つて塀裏の二銭姫でも買つてこんでか。アハヽ』と笑つて煙草に火を付けて居る。
 常吉は一寸手を延してマツチの箱を叩き落した。
『助け給へ天理王ノ尊……』と笑つて、『若旦那様、それぢや別に御用は御座りませぬか?』と問うて急いで中門を出た。
 彦吉はマツチを拾ひながら、
『こらまた常が悪いことをした、エヘヘヽヽ。仕方が無い奴ぢや』
『なんぼ天理様でも常の悪いことをする事だけはよう止めんな。アハヽヽ』
『嬶に子まで産まして、まだ悪いことがしたい様では困るな、お歳は幾つぢや』
『三十ぢや』
『まだ若いの』
『彦吉さん――』と常は呼ばつて、両手を揃へて内から外へ掌をかへして叩く。
『屋敷を払ふて借銭借り込め田を売り給へ。天理王ノ尊。アハハハハ……』と嘲笑して西納屋の厩の方に歩んで行く。馬は昼飯を呉れる人が来たので嘶いて居る。
 義敬が学校を終つて帰つて来た。一寸中門から首を出して、
『兄さん、唯今』と云つた切り玄関から奥へ這入つた。彦吉は、
『小坊さんは、大きくおなりなさりましたない』と云ふ。
『大きくなりましたね。――今から町へ行きますと日の暮れない中に着きませうか?』
『そら、充分着きますとも。まだ日天様はお高う御座りますからない』
『それぢや今から出掛けよう。――彦吉様、まア内へお這入りなさい』
『はい、有難う』二人は内へ這入る。西納屋には歌が聞える。
『やれ寝むたい――寝た方がよかろ――。
 様と寝た方が、――猶よかろ――シヨンガエ……』
 馬も嘶いて居る。


 田宮の浜へ出ると、干潮で浜が皆露出あらはれて居た。
 辰の親が渡して呉れたが、舟の中で辰の事を聞いて見ると赤痢で死んだと笑ひながら云つて居る。善い心持もしなかつた。
 新田に渡つて、自分の宅の茅野を二町許り横過つた。此茅野へ小さい時に女の連れと『茅花つばな』を抜きに来た事がある。その中に田宮の鶴子様も居つて熱心に抜いて居た。自分は抜いた三四十本の『茅花』を皆鶴子様に与へた。すると翌日学校で皆になぶられた。また或時は此処で雲雀の巣を見付けて置いたが、翌日行くと早や誰れかゞ壊して[#「壊して」は底本では「壌して」]あつた。
 茅の芽は春に会ふて萌え出て居る。樺色、青色、鳶色が交り合つて美しい。雲雀の声がする。十四五町向ふに大きな土手が見える。それまでは皆麦畑だ。よく実つて居る。ふり返つて観ると古田の堤は籔で蔽はれて居る。その下に蒼い水が流れて、田宮の浜の上には四五抱もあらうと思ふ榎が、実に何とも云へぬ美しい芽を萌き出して居る。河上の方には徳島の城山が確然はつきり見える。川を通る舟もない。唯古田に寄つた川岸の茅野に風が渡つて、今年出た青い細い葉に波が打つて居る。
 茅野が終つて、自分の宅の麦畑の間を通り抜けて西の新宅の田圃へかゝつた。雲雀の声が蝉の様に聞えたと思ふと鳴き止つて何処かへ降りた。徳島へ行つて父に何か云はれるのかと思ふと胸苦しい。いつその事、此様な晴れ晴れとした野原に小屋でも建てゝ、自然を楽しんだ方が遥かに神に近い。が此雲雀の鳴いて居る野原は世界の全部では無い。田園生活が生活の全部で無いとも考へる。栄一は畝道を歩み乍ら思ひつづけた。
 父の怒が何が恐ろしい。お梅の迫害が何だ。栄一は男だ。明治の侠客主義者だ。凡ての権位を退けて平和と平等を来らすべき責任を帯びて居る者だ。永遠の平和と平等の為めには、火と剣とを辞してはならぬ。『父を子に背かせ、婿を嫁に、嫁を姑に』と叫んだキリストの熱を持つて居るのだ。
 慣習の家長制度! 父とは何だ? アポクリフアにはキリストが『爾肉にあるものを父と呼ぶ勿れ、父は一人なり、即ち天に在す神はそれなり』と云つた事があるが、之だ。父とは何だ? 権威とは[#「権威とは」は底本では「権位とは」]何だ?
 恁那事を考へながら土手へ上つた。五六間もあらうと思ふ高い堤。此堤は自分の小さい時に洪水で切れて新たに造つたものである。土台の青石に金色の四角な一分か二分かの長方形の結晶体が付いて居るのを辰や、初ちやん、市ちやんと一緒に取りに来た事があつた。
 それから段々と連想すると、蝋石を彫刻した事、姉に倉へ入れられて中で小便した事、裏の『すだち』の木から落つこつた事、越前から藍商が二人来て藍善さんを床の間に祀つて拝んで居た事から、田舎廻りに市川市十郎が来て、幡随院長兵衛を牛屋島で演じたが、自分等がその真似をして西らの厩の軒と、市橋歓一さんの納屋の軒で芝居を初めた事があつた。
 あの時の事を思ふと独り笑へて来る――。
 自分の宅から黙つて姉様の着物を取り出すやら、化粧の間から、鏡やおしろいを持ち出して、与力窓の暗い暗い下で自分がお化粧をして、兎に角、女に化ける積りで涼み台の舞台へ現はれ蓆の幕の開くのを待つて居ると軈て幕が開く。女だけは出たが中々男が出て来ぬ。自分はまた納屋へ這入つて歓一さんに、早く出て来いと云ふ、歓一様は自分の脱ぎ捨てた衣服を裏返しに着て、顔に紅で三つ四つの輪を入れて、今帯を締めて居る処であつた。締め終ると、
『坊々は後から出て来なはれよ』と云つて舞台へ現れる。そして何か『エツサツサ、/\/\』と繰返して、奴が使に行く真似をして居るらしい。見て居る女の子も男の子も皆笑つて居る。自分も笑はせたいと思ふから、一寸もう一度鏡を覗いて、自分乍らも美しいと思つたから、姉様の長い絹の衣物の裾を取つて俛いたまゝ、如何にも萎れた風をして出て行つた。勿論髪は市ちやんの黒の前掛けの束髪である。処が案外にも之が皆を感服さしたらしい。後の方で見て居る鶴子さんが川上栄さんに、
『美しいな』
と、囁いて居るのが聞えた。自分は鶴子様がさう云ふので羞しくなつて来たが、舞台で何するのか知らなかつた。然し歓一さんの奴が僕を縛つて、蹴つたり踏んだりして奥へ引ずつて行つた事を覚えて居る。そして今度の幕の間に、自分がまた加藤清正にならうと思うて、おしろいを水で洗ひ落して居ると、鶴子様がこつそり独りで這入つて来た。
『綺麗であつたワ、今の女の人は』と賞めて急いで自分の懐へ差入れて呉れたものがある。何か知らぬが薄い四角い厚紙だ。そして『誰れにも云ふたらいきまへんでよ』と云ひ捨てて表へ出た。生憎歓一さんは家へ衣裳を取りに行つて居るし、市ちやんと真一ちやんは舞台で何か蓆の幕を工合よく直して居た処であつたから、外の者には誰れにも見付けられなかつた。
 外に出た鶴子さんは川上の栄さんに、
『今見て来たらな、新見の坊々が今加藤清正になつて居つたでは、おまはんも見て来なはれ』と叫んで居る。それでドヤ/\と急に納屋は賑やかになつて、女の子達が六七人這入つて来た。その中に衣裳を取りに行つた歓一さんは、衣物も何も持たずに、
『坊々やめよう――お母に叱られたけん』と云つて来た。それで芝居はお仕舞ひになつた。自分は鶴子様に可愛がられたり賞められたりした上に、思つて居た芝居が出来ず、中途で止めると云ふ様な事が起つたので、臆病な時に起る様な慟悸の打ちかたをさせて家へ帰つて行つた。そして鶴子様に貰つた厚紙を見ると、須磨の風景写真であつた。然し此芝居をしてから後夏休みが近かつたので、その上鶴子様と仲善しする事も出来ず、兵庫の店へ遊びに行つたので、恋と云ふか可愛がり合ひと云ふか、何か知らぬが幼い時の美しい情が一時中止せられた。九月に帰つて来てからも、村で鶴子様は、坊々を慕つて居ると云ふ評判があまり高かつた為めに全く顔を見るさへ羞しくなつた。その翌年の四月に自分は中学校へ入学してから、その後は勿論互に音も沙汰もする事が出来なかつた――など考へると過去が何だか淋しい様な気がする。それは昨日見た美人が鶴子様だとすると、また何だか一層妙な響が胸にする。
 また、北志多来のダラダラを越へて、北村の方へ歩んで居ると色々な過去の思ひ出が湧いて来る。押入から砂糖を盗んだ事や、鍋銭を黒く塗つて一文に通した事、黄粉が好きでマツチ箱に詰めて前納屋の横で隠れて頬張つた事、買ひ食ひすると叱られるのだが、五厘や一銭を盗み出しては村はづれの山下と云ふ駄菓子屋で、ピラミツドの形に砂糖を固めた物を善く買つた事、西らのお婆様について大谷の大師さんで一晩お籠りした事。――あれが夏の夜で蚊に食はれて一睡も寝られなかつた事、大師の縁日の二十一日には吃度二銭か三銭かの小遣ひ銭を貰つて、初ちやんや市ちやんや西の新宅の小坊さんと連れ立つてお参りに行つた事、その時分には胴乱を七つも持つて居た事、それから夏の夜の虫送りの焚松行列――『実盛さんのお通りぢや』と大声に呼ばつて村の端れの焚松を消す習慣――東馬詰ではせぬが山路の大谷では毎年するのを裏座敷の格子越に見た事、また之れも夏の終り秋の初め、世が静まつて稲田に涼しい風が吹くと、折々高く折々低く山路辺に獅子の太鼓を練習して居るのが寝耳に響いて、小太鼓は鼓膜を破る様に鋭く、大太鼓は耳朶みゝたぶを引張る様に濁つて、淋しく物哀れに、然し何か透き通つた様に聞えて、継母と姉と自分の三人の家内が、今にも何かに襲はれて消えて終ふのではないかと、十二三の小さい胸で心案じした事などを思ひ出す。それから思ひ出すのは盆の地蔵踊りのことである。石川の佐平さん――村の世話役で面長のいつも笑つて居る人――の庭で一脚(涼み台)を五つも六つも積み重ねて、その上に竹の四本柱を建てゝ幕を張り、音頭を出して、その調子で皆が手足よろしく踊つた。大抵踊るものは箕笠を着て居たが、変ちきりん[#「変ちきりん」は底本では「変ちきりん」]な態をして居たものもあつた。音頭は太閤記十段目とか二嫩軍記ふたばぐんき三段目とかさはりを善く遣つて、三味線は西らの益さんがお定りで、音頭出す若衆と三味線の益さんが台の上へ昇つて、
『ヨオイ、ヨオイ、ヨイトコサ、
 明けりや、お寺の、鐘が――鳴る……』
と、初めるのだつた。自分も益さんのお父さんに太閤記十段目を練習して一度台に上つた事があつたが、三味線にも合はず、声も充分出ず、中途で止めて賞品には渋団扇一つ貰つて失望して家へ帰つた事があつた。
 色々のことを思ひ出すと、人間の過去と云ふものは羞しいものであると考へられる。
 北村へ這入つて車に乗つた。栄一が徳島本町の父の宅へ這入つたのが五時過ぎであつた。市中は何となしに騒々して居た。


 栄一が小学校の教師となつてから、早や四日たつ。父は市の要務を帯びて、上京して留守であるから、夕飯もいつもより早く済まして散歩に出た。東京から帰つて丁度一週間目、その日は土曜日であつた。町には学生がぼちぼち散歩に出た。佐古の方まで散歩して、日も全く暮れたから、東新町をとぼとぼ帰つて来てゐた。一丁目の角へ来ると、大勢の人が軒に立つて、讃美歌の声が中から聞える。
 栄一も立つて窺いて見ると、間口四間に奥行五間許りの土間にベンチを十脚許り置いてある。之れに子供が一ぱい腰を掛けて居る。正面の右二間は板壁になつて、その前に粗末な梯子で二階へ登る様になつて居る。梯子の横に、讃美歌を大きな字で書いた紙が懸つて、左の二間は奥まつて畳が敷いてある。此座敷の前に三尺許りの縁がある。之にも女の子が、せり合つて腰を掛けて居る。座敷の真中に白いテーブルクロースの掛つた机、其右手には大きなオルガン、此オルガンの上に錆びたブリキの笠のついたランプが吊つて有つて、横の黄色い壁には古びたユダヤの地図が懸つて居る、座敷の裏側に入つて居る障子は紙が茶色で処々破れて居る。左右の壁の真中に煤けた細い虫の食つた柱が現れて居る。右側の柱に半紙を四尺許りに継いで小ましやくれた字で、聖書研究会、毎火曜日午後七時より徳島本町マツケンジー氏方、説教毎日曜午前十時及び午後七時より通町教会堂にてと、書いてある。右側の最後のベンチの後には、隅に寄つて焼芋屋の荷車が置いてある。
 通りかゝる人は、一度は必ず説教場の内を窺く。窺くと第一に目に付くのは子供に讃美歌を教へて居る二十前後か十八九と云ふ、それは綺麗な婦人である。髪をマガレツトに結んで、紫の袴を穿いて居る。眼は大きく黒くて、二重瞼の二重顎ダブルジヤーの福々しい女。その眉の形と云へば全く話に出来ぬ程美しい曲線だ。頬に赤みがあつて淡泊あつさりとした女である。
 栄一は『鶴子様だ……』と胸の中で云つて、珍らしさうに見て居る二三十人の間に這入つて窺つて居た。歌が済んで、ベンチの子供は騒ぎ始めた。十二三の男の児が隊長となつて、部下の五六人が席の広い狭いを争つて居る。暫くして隊長は縁に進んで女の子を追ひ退けると五六人の家来が皆従ふ。組の中に黄ろい声で――
『われ等のいくさは肉ならず……』と歌ふ者があると思ふと皆に伝染して大きな声で歌ひ始める。終りは唯『ウエヘエイ』と叫ぶ。門口に立つて居るものも、ベンチに掛けて居るものも皆笑ふ。牧師とも見える洋服姿の五十恰好の男、髪を一寸分けて、八字髯を生やした口幅の広い唇の右が少し下へ捻れて居る人がテーブルの前に立つて、小形の新約聖書を開いて居る。子供は矢張り大騒ぎをして居る。
 牧師は『今からお話を初めますから、子供さん皆お静かになさい』と丁寧に注意した。すると隊長は口の右を右手で捻らして左の人差指で八字髯の形を拵らへて出て行つた。部下も皆同じ真似をして出て行く。之は牧師の顔の形を真似して居るのだ。外へ出て、
『口いがみ/\』と叫んで居る。
 女の子のひとりが栄一の居るのを見付けて、
『今度来た先生!』と囁いた。すると少しの間に皆、柔和を装ひ始めた。然しこの慎みも暫くの間で、一人去り二人去つて子供の大抵は逃げ去つて終つた。牧師は黙祷を終つて『讃美歌を一つ唱ひます』と、云ひ乍ら、梯子の横に懸つて居る紙を一枚一枚裏返して、
エスきみエスきみ みすくひに
われをももらさで いれたまへ
主よ主よ     きゝたまへ
くだけしこころの ねぎごとを
と、初めに書いてある讃美歌を選んで美しい婦人に『之れを』といつて示す。
 美しい婦人はオルガンの前に腰を掛けて奏き乍ら唱ひ始めた。その歌が新見には身に浸みこむ様によく感ぜられた。
 歌が終つて、美しい婦人はテーブルの影に坐つて俛いて居る。牧師は説教を始めた。
 説教が大分進行すると今迄講義所の前に黒く集つて居た者が、一人去り二人去つて僅かにベンチに腰かけて居るものは五人になつて終つた。四十許りの背の低い丸髷に結つた女が一番前に此女は少し酒を飲んで居るらしい、顔を赤くして居睡つて居る。そのすぐ後に此講義所の家主で、お隣りの吉田洋服店の主人が、寝て居る三つ許りの女の子を抱いて、聞いて居る振りをして掛けて居る。左側のベンチの壁によつて筒袖を着た白い兵児帯をしめた二十五六の青年が腰を下して居る。痘痕あばたが有つて跛の男。これが此講義所の番人、如何にも敬虔らしく天からインスピレーシヨンでも受けて居るかの様に、眼を閉じては祈り、眼を開いては牧師の口に注意して居る。
 ベンチを二ついて洋服屋の主人の側に掛けて居るのが年頃二十一二の青年、これまた筒袖で黒の兵児帯、小薩張りとして居るが下駄を見ると広い薄ぺらな筍の皮の様な物に、棕櫚の緒をたてゝ穿いて居る。労働者であるらしい。もひとりは新見栄一で、講義所の番人の後のベンチに絣の羽織を着て、何だか気の落ち付かぬ様な態度で掛けて居る。この外に机の蔭には鶴子さんが聞いてゐた。
 牧師は頗る熱心だ。或時は沈鬱な労働者の青年に、其次の瞬間には栄一に話して居る様に視線を転じて説教する。
 表に車夫が立つてゐるので、又二三人集つた。
 説教者は熱心にイエスとニコデモの話しを語り終つた。その眼は焔に燃えて居た。車夫が軋り音高く去ると、其音に鶴子は一寸頭を上げて往来を見た。
 説教は長いもので一時間位かゝつた。説教がすむと美しい婦人はまたオルガンの前に現はれた。丸髷の酒呑先生が目を醒した。そしてつうと立つて帰つて行く。最後の讃美歌は、
みめぐみあふるゝ インマヌエルの
ちしほのいづみに つみをあらへ
じふじかのうへの ぬすびとすら
このいづみをみて よろこびけり
と、云ふのであつた。新見は聞いて居ると自分も全く耶蘇のお弟子になつてしまつたかと思ふ様な心持がした。鶴子様の高い声が胸を貫く様に鋭い。栄一は目を閉ぢて鶴子様の唱ふのを眤と聞いて居た。歌が終つて牧師は祈祷を始める。然し栄一は目を閉ぢて居る間に、色々な事を考へた。
『……キリストが都の大きな塔の真上に誘はれて、「爾此処から飛んでみい」と云はれて、よう飛ばなかつたのは卑怯だ。もし飛び降りる勇気があれば、僕は彼の前に跪くのだが……人生には塔の上から飛び降りる様な勇気がないから、疲れる。キリストがもし飛び降りて居た時には、人生問題は凡て解決して居るのだ。人間なら人間で済んだのだ。世界はキリストが塔から飛び降りなかつた許りに迷うて居る。飛び降りて天の使がさゝへたとアポクリフアが書いても、人間は奇蹟だと云つて、笑うてしまふだらうが、キリストが、どうせ十字架で死ぬのなら、薄命なエユフオリオンの様に、人間は死ぬなら死ぬと示して呉れて置けばよいのだ。彼は世界を迷はす。人間は疲れる。熱がない哲学者が皆寝入る。だから、「エリアの火」を呼ぶ必要はあるまいか……永遠に燃えて居る鉄の火箸を具へて置くのだ。寝入らうとする哲学者の口を裂いて、その軟かい長い舌を引出して燃立つ焼け火箸を恐ろしい勢ひで舌にさし付けるのだ……焼けて血が口に満つと塩辛い血の味がする。ぴり/\と顎の所々が痙攣ひきつける。そして延髄の処が重くなる。空想の哲学を産み出した神経中枢が破壊される[#「破壊される」は底本では「破壌される」]。残るのは石を積んだ様な数学的の哲学を産む中枢ばかりだ。要するに人間が血眼にならねば哲学系統は湧いて来ぬ……が疲れた。東京から帰つて来て人間にも全く飽いた。唯人生を痛罵したい……』
 祈祷が終つてアーメンに加はつた者は番人と鶴子様の二人。牧師は祈祷がすむと直ぐ下駄を穿いて栄一の処へ遣つて来た。一礼して、
『失礼ですが貴君は今迄にキリスト教をお聞きになりましたか?』
『はア』と軽く答へて、一寸鶴子の方を見てまた俯向いて指をもぢ/\さす。
『何処でお聞きなさいました?』
『一週間前まで、東京に居りましたので』
『学校に居らつしやいましたか?』
『ハイ』
『何処の学校に?』
『明治学院に』
『アヽさうですか、明治学院に居らつしやつたんですか。それぢやあなたは信者でいらつしやいますか?』
 鶴子が進んで来る。
『いや、まだ信者ぢや無いのですが……』
『チツト私の内へも遊びにいらつしやい。通町の教会の裏に居りますから』
『失礼ですがお宅は?』と続けて問ふ。鶴子は牧師の側まで進んで、
『橋本さん、失礼致します。おやすみ』と丁寧にお辞儀をして帰らうとする。
『田宮さん、一緒に帰りませう。少しお待ちください。お急ぎですか?』
『いゝえ』と鶴子は答へて、跛の番人が表の戸を苦しさうにして閉めて居るのに気が付いて助けに行つた。
 栄一は『徳島本町で御座ります』と答へたが、
『徳島本町の何処あたりでいらつしやいますか?』と問ふ。
『新見で御座ります』と答へたが、橋本は市長の息子だとは思はぬらしい。
『何処か洗濯屋のお近くで御座りますか?』と尋ねて居る。
『洗濯屋の隣りで御座ります』
『それぢや市長さんの――』
『ハイ』
 戸を閉めて戸の外に立つて居た鶴子は新見と聞き、市長と聞いたから、内を覗いて居る。そして驚いた声をして、
『私……いや……ほんとに忘れてしまつて居た。どうも失礼しました』と叫んで這入つて来る。鶴子に取つては若い美しい青年に礼をするのは何だか罪深い様に感ぜぬでは無かつたが、
『新見さんでいらつしやいますか、大きくお成りなしたから見違へましたよ。御免ください』と笑い乍ら礼をする。
『あ、鶴子様』と栄一も腰を上げて挨拶した。
『暫く、御機嫌はおよろしう御座りますか?』
『あなたも?』
 橋本牧師も笑ひ乍ら、
『田宮さんは、新見さんを御存知ですか?』
『はア、同じ村の前と裏で、同じ学校友達ですの……新見さんは御親類にも当るのですの……然し長らくお目に懸らぬから全く忘れて居りましたわ。新見様は大きくおなりなさいましたね』
 身振りの自由な、愛嬌のある話し振りをする。
『長くお会ひにならなかつたのですか?』
『さうですね、一寸七年で御座りませう。ね、新見さん?』
『さうですね。七年にもなりませうね』
 三人は揃つて新町橋を越えて、通町を帰つて来た。二丁目から鶴子と栄一と二人で話し乍ら帰つた。
 夜の空気が冷かつた。


 門の戸が閉ぢて居た。もう九時半であつた。
 新見家は朝が早いので宵寝だが、今夜は主人が留守だから特別に早く寝た。小僧の吉三郎を煩はして内に這入つたが、室内の空気が重々しくつて[#「重々しくつて」は底本では「重重しくつて」]、壁の臭ひがするので胸が悪くなる。奥を覗くと行燈がついて居る。お梅がこちらに、益則がむかうに寝て居る。九時半は外出時間を半時間過ぎて居る。然しお梅は別に叱りもせぬ様だ。栄一は鶴子に会つて少し刺戟せられたから今から勉強せうと決心した。
『ランプ! 押入の戸を開けてランプを取り出さねばならぬ。あの大きな押入の戸を開けると激しい音がする。お梅の安眠を破る! 九時半! 之れからの勉強、必然明日の朝は叱られるにきまつて居る』と思ひながら恐る恐る玄関の押入れからランプを出した。
『マツチ! 台所の隅。足音立てずに』とマツチを探したが無い。奥の行燈の台のマツチを取つて来た。
 二階へ登らうとすると、段に渋紙が敷かれてある。吝なことをしたなと独り言云ひながら、出来るだけ物音立てずに上り始めたが、家が新しいからギユ/\と木が呻る。
『なに勉強しに上るのだから、呻つてもよいさ。また別に足元に注意する必要もない』と正々堂々と上つたが、呻りは一層家の隅々まで響いて大震動が起る様だ。
『こら少し悪かつた』と思つたが猶上ると猶響く、『或はお梅が叱るかも知れぬ』と耳底を済まして下から起る声でもあるかと思つて居ると、妙なものだ。時過ぎず、下からお梅の鋭い声!
『だれで、そんなにドン/\二階へ上るのは。人が寝て居るのに』
 悪い事をした、然し生意気だ、『誰で?』僕と解つて居て、と考へたが、
『ハイ私です』と温和しく返事をする。
『兄さんで? 今から御勉強?』
『ハイ』と答へて置いて、トン/\と昇りつめてお梅の云ふことなどは何うでもよいと、自分の書斎スタデーの襖を開いた。
 書斎にも渋紙の上敷が延べてある。栄一は少なからず驚いた。
『お梅は僕が美感も何も無いと思つて居るのだな。まアよし……ア、今夜も戸を閉てるのを忘れて居た。また明日の朝は小言を聞くのだ。鶴子様はまだ勉強するのか知ら?』と戸を一枚開いて乾の方を見ると、二階立の家にはまだ戸が開いて居てランプの光が輝いて居る。黒い影が障子に写つたり消えたりして居る。
『アレは女の影だ。障子一枚取るとマガレツトの鶴子様が現れるのだ。女は可愛い、あすこに飛んで行つて見たい。……然し勉強しよう』――と栄一は戸をビツシヤリと閉めて机の前に坐つた。ランプの油は少ないし、ホヤは掃除して呉れてない。吉三郎まで自分を軽蔑して居ると思ふと腹が立つ。硯箱も変へて終つてゐる。散歩に出て居る間にと思ふと散歩を悲しく思ひ、三時間のうちに、室の有様が変つたのだと思ふと時間が憎い。
『然し不平が人間の職務ではない。黙想録に何か書いて見よう、今夜は思想の統一は無いが、此問題はなるべく早く完全したものを得なければならぬから……下から声がしたのぢやないか? お梅の野郎が二階へ上つて来る様な気がするが、僕の錯覚か、まア墨でも磨つて……此筆は何だ。先切れのお古。待て。――なに我慢するさ――何か書いて見よう』
 栄一は筆を取つて、三百枚許りの原稿紙を綴つた帖を開いて『唯物論の実在観』(五月十二日)と書いた。
『墨が薄い。字が滲む。こんなげすつた墨! 大きくても質が悪ければ糞にも立たんぢやないか、小さくても古梅園なら屑でも善い。虐待だ……まア辛抱するさ。然し何から何まで、よく虐待しやがるなア。きやつ! 生意気だ』など考へながら筆を下す。
『電気物質観は非常なる速力を以て、その研究の歩を進めた。最近の或新聞紙には電子の形態を論じてあるのを見た。近き将来に於て或は此電子論より人間の自覚を説明するの時期がくるかも知れない。――』
『ウム、下から声はしないか? お梅が二階へ上つて来る様に思ふが、何に、かまうものか。我輩は勉強するさ。虐待も何もあるものか。我輩は悲観と楽観に超越して勉強するのさ。我輩の能力の凡てを発展さすさ。What は For とか And と云ふ意味は無い。真理を求むる哲人は透明だ。自らには、色も香も涙も喜びも、輪廓も影も無い。唯透明なガラスだ。凡俗の埃や塵には無関係だ。……然し鶴子は美しい、可愛い、また可哀想だ。兄さんが今度台湾の郵便局へ転勤するつて? 別れるのが辛いだらうね。独りの兄様が気候の不順な台湾へ行く。僕は同情する。鶴子様は高等女学校が出来るとすぐ二年へ入学したつて云つたね。今は補修科を修めて居る……それからと――』
『然し其の時期になつても自覚の中に含まれたる目的論的見解が盲目的機械論に征服せられる事はあり得ない。相対にして、不可思議な時間空間の中に表顕したるイオンが、その中に無限の実在即ちカントの所謂デング・アン・デツヒを具へたる、絶対の実在なりと証明せらるべき事は到底不可能の事である。――』
 カントの現象論とハミルトンの相対論を思ふと頸筋に冷水を流される様に感じる。……
 鶴子様が洗礼を受けたのが、去年の二月の二十一日、祝福せらるべき日だ。僕が社会主義の事を一寸話すと阿部磯雄氏の『瑞西』と平民社の『ラサール』を読んだ事があると云つて居た。明治学院に居たと云ふと喜んでゐたね! 信者で無いと云つた時には少し失望して居た様だが、『それでもあなたも私もキリストに耳を傾けて居ると云ふのは不思議な事ですね』と云はれては、僕の胸が少なからず騒いだね。キリストは実に偉大だ。彼は世界で最も尊い愛のシンボルだ。然し認識論が云ふことを聞かぬ。認識は神を知らぬと云ふ、……此唯物論の実在観でも解決した上で、唯心的神が其の力を以つて世界を創造したと云ふならば、キリストを信ずる。……チエ、また空想に耽つて居た。
『……茲に吾人が実在を知覚するに当つて、其知覚する者はエネルギーなる事は明白な事実である。或は電子の形態を論ずるも、皆之主観の空想或は仮定であつて、客観の事実としては形態を有するイオンを仮定するも可いけれ共、絶対実在として之を認識することは最近の心理学が許さゞる処である。そのフオースなる物を盲目的とすれば、吾人の意識はその盲目的フオースの進化したものとせねばならぬ。然し認識は相対で、機械論的見解を認識するには目的論を離れて知ることも出来ない。……』
 面倒臭くなつて来た。我輩の此様な論法では唯心論になるかも知れぬ。認識論に這入つては面倒だ。もう筆が進まぬ。頭に哲学を黙想する様な余裕は無い。鶴子が凡て占領して終つて居る。……然し哲学者が此様な事では困る。もし僕が日本の哲学界に貢献しようと云ふのなら、も少し虚心平気にならねば駄目だ。此世紀はカール・マルクスが云つた様に哲人が出でゝ社会を根本から解決せねばならぬ時ぢや。世界は予言者の代りに真の哲学系統を求めて居る。……駄目だ。恋に哲学を奪はれては! 世界の最大哲学者は皆禁欲主義の無妻主義者だ。キリストや釈迦は云ふに及ばず、ヱピクテタスも、アウガスチンも、スピノザも、ライプニツツも、カントも、ヒユームも、ロツクも、ミル、シヨウペンハウエルも。それに仏教も基督教の多くの聖徒哲学者――僕だけは情欲から離れて理性の鍵をしかと握ることは出来ぬか?……が、理性と肉慾はどちらが根本的だ? 最も根本的のものが哲学ならば、肉は哲学の最も聖なるものだ。……僕は既に鶴子に囚はれた。
 女性観を多く説く必要は無い。男も女の子だ。男がまた女を産むのだ。子が産みたい! 子が産みたい! 何だか恋した上で子が産みたい様な気がする。生れて初めて恁那事を考へるのだ。僕には怎那子ができるだらう。芸術品の中で子を産む程立派な作物があらうか? 人間の子は肉付きがよくつて跳ね廻る! 恋! 生殖! 伊賀駒吉郎さんの様に六百頁も七百頁も女性観を書く必要は無い。恋! 僕は女と居たい! 凡ての哲学を解決するのだ。耳の底に残るのは今別れる時の鶴子の最後の言葉!
『おやすみ!』
 僕は身体がぐにや/\になつて終つた。下女と、宿屋の給仕と、ミルクホールの姉さんにしか接しなかつた僕が、美しい鶴子様と肩を並べて帰つて来た時の胸の中。僕は急に飛び付いて抱きしめて城山の森の中へでも連れて行きたかつた――あまり鶴子さんが優しいから――少なくも、別れる時だけは手を握りたかつた。然し、『肉を離れた恋』と云ふ声がして恐る恐る手が縮まつた。彼女は僕の偶像だ。不潔な事は出来ぬ。また威厳に恐れて手が出せなかつた。僕は彼女の手を握りたい。然し肉慾を超絶して?……遂に僕は悩める者だ。恁那時に鶴子様の顔を一目見れば、アヽもう寝て夢に鶴子様を忍ばう。あゝ睡い!』と栄一は机の下に足を入れて仰向けになつた。
『ア、鶴子様が恋しい。誰か呼びに行つて呉れゝば……』と身体を縮めて両手で顔を蔽うた。その時急に、
『兄様もう、おやすみ』と云ふ声が入口の襖の方にした。栄一は反射運動の様に起き上つて、机に倚つて、後を見た。然しお梅は居らなかつた。自分の神経であつた。それでまた読書でもしようかと思つたが、頭が重くて読書する勇気も出ぬ。また、
『ア、鶴子様が恋しい。恁那に恋しいのなら別れなかつたら可かつたのに』と仰向けになつた。恁那に仰向けに臥て居る処をお梅に見付けられたらと、折々入口を見たがお梅も上つて来ぬ様だ。そして暫くの間鶴子の容貌身振を想像して居ると、
『おやすみ、兄さん、蒲団の中へ這入つて――』と云ふ声が入口の方にした。入口を見ると今度は真にお梅が掻巻きのまま立つて居る。あはてゝ起き上つて、机の上に両臂をついて頷垂れて黙つて居ると、
『兄様、そんなにして寝て居つて、足で机の上のランプでも引繰り返して、火事でも放つた事なら大変ですよ、お父様のお留守に危い。ほだけん、夜は早く寝て、朝早くお起なはれと云ふのに。兄様もう下へ降りて、おやすみ!』
『火事をやる? 大きな事を云ふ』と考へたが、黙つて居た。
『兄様。もう、おやすみ』栄一は顔さへ見せぬ。
『もう十一時だつせ』栄一は立とうともしない。お梅は『お休みなはれよ』と云ひ捨てゝ一寸梯子段を降りようとしたが、また帰つて来て、
『兄様、此居間の上敷はない。畳が新しいのですから、机を置いたり、本箱を置くと、綺麗な畳の上に形が付いて汚れるからない。晩方に一寸吉三郎と、倉から出して敷いたのだすわ。先刻から黙つて居るから解らんが、もしや、上敷の事で怒つて居る様な事なら、そんな理由じやけん怒らん様にしてつかはれよ』と云つて、弁解して居る。
 栄一は一寸顔をお梅に向けて、足先から頭までじろ/\見た。お梅は、
『兄様、私もう下へ降りて行きますから、どうぞ早く降りてつかはれよ』とまた降りかけたが、また引き返して、窓の障子を開いて、戸を閉めてあるかを験べる。
『吉三郎が閉てたのぢや。若旦那は宵に閉てゝなかつたが――』と云つて栄一の横顔を凝と視て居る。
 栄一は鋭い視線をお梅に浴せかけた。それでお梅は、
『もう寝なはれよ』と下へ降りて行かうとしたが、襖の所まで来ると栄一が笑つて居る。それで自分が笑はれたと思つたのか、
『いやな笑ひ方するの……』と云うた。そして、何か復讐したいと思つたのであらう、暫く考へて居て、
『兄様、まだお降りなはらんので? 私がランプを持つて降りて消しますから、あんたは先へ降りなして』と云つて見たが、返事が無い。
『あまり起きて居つたら火の用心が悪いけん、もうランプを消しますでよ』と今度は脅迫的に出た。栄一の所へ近づいて行つてランプを吹き消した。
 栄一は決して反抗はしなかつた。飛び立つて下へ降りて中の間で寝た。床の中で泣いた。

十一


 それから三日立つて火曜日の夕方であつた。新見はぼんやり厳格いかめしい門の前に立つて、通りの人を見るでもなく、また別に考へるでもなく、意味なしに時を過して居たが、不図気がついたのは福島橋の方から走つてくる二人の子供である。
 先の子は浅黄の様に洗ひ切つた紺の筒袖の所々破れたものを着て、舟の様に大きい草履を穿いて居る。年は十か十一かで悪るそうな子である。手には模様入りの古い手拭に何か穀物を包んで持つて居る。帯は走つた為めか解けて居る。
 後から追つかけて来る子の風体はちやんとした中流の子供らしい。跣足である。新見は先の子が後の子に弄められて居ると云ふ事を見て取つたから、止めに行かうと思つて居ると、新見の屋敷の隅あたりまで二人が馳けて来て、後の子は突然前の貧乏人の子をつき飛ばした。
 貧乏人の子は手に持つて居た包みを向ふに飛ばしてドシンとうつ伏に倒れた。倒れた時も起き上る時も別に泣く様にも見えなかつたが、手拭の中の米が散らばつて居るのを見て、大きな声を上げて泣いた。つき飛ばした子は得意になつて『ウエヘーイ』と町の遥か向ふに集つて居る子供の群に凱歌をあげて飛んで帰つた。
 新見は一寸微笑んで子供に近寄つた。可哀想に、その子は、唯、町を向うへ走る腕白小僧の影を見守つて、うらめしさうに泣いて居る。
『可愛いから、泣いちやいけないよ。可愛いね』と栄一は繰返して子供の衣を振るつてやつた。子供はその影が大勢の中へ消えるや否や、そこに散らばつた米も砂も小石も共に手拭を拡げて拾ひ入れる。そして口の中で、
『わし、宅へ往んだらお父さんに怒られるわ、アーーー』と云つて泣く。栄一は同情して子供を助けて米を拾ひ集めながら、子供に尋ねた。
『あなたの家は何処?』
 之れを二三度問うたが子供は中々云はぬ。四五度聞いて漸く、
『むかうの方』と顎で方向を指すばかりで確と所を云はない。然し口の中では続けて、
『宅へ往んだらお父さんに怒られる』と云つて泣きじやくりをして居る。
『それぢや、私が送つて行つて、上げませうか?』
『うゝうむ』と頭を左右に振る。『他所の人やかし連れて往んだら怒られる』とまた小声でひとり言を云ふ。
『なぜ?』
『なんでも――』と急いで散らばつた米を掻き集める。そして新見を排斥する様な気味を見せて、飛び立つて走り出した。新見は子供に手を掛けて、
『あなた私が行つて、言ひわけをして上げよう、ね』と親切に云うたが子供は唯黙つて走る。走る子供にまた追ひついて、
『米をあんなにしたからお父さんに叱られるだらう。僕が君の宅へ行つてお父様に謝つて上げよう。泣かずに居るんですよ』
 此度はもう栄一に反対しなかつた。然し猶泣いて居る。子供と歩調を合して歩みながら栄一は尋ねた。
『何故あの子があの様に突き飛ばしたの?……あの子、何処の子?』
『岩城ちふ宅の子』
『どうしたの?』子供は云はふとして、また声を出してまた泣き始めた。
『ね。可愛いから泣いちやいかんよ……どうしたの?』
『……あの……わしが、福島橋のねきの米屋で米を買ひよつたら、あの子が皆と一緒に居つて、こいつは此間船場で……遍路しよつた奴ぢやつて云つて頭はつたけん、急いで逃げて出て来よつたら、皆が泣かしてやれと云つて後を追かけて来たん……』
『さう。悪い子だね』と栄一は言葉を返したものゝ此子供の大胆な告白と資本家の子弟の残酷を思つて涙ぐんだ。其後二人の間に言葉は無かつた。日も全く暮れて、城山の烏の啼く声も聞えない。子供に導かれて福島橋を渡つて、右に折れて半町と行かぬ中に長借屋の下駄屋と芋屋の間に奥まつた路次がある。此路次を処々折れてついて行くと先づ沢庵の腐敗した堪へ切れぬ臭気に貧民窟の影を窺ひ得たのである。実に想像より予想外な所に舞ひ込んだ。子供は先に走つて影は消えた。想像しなかつた天地。家根は低く家は小切つて普通の家の玄関の土間だけも無い。人間はこれほどまでも家を区切る必要があるかと思つた。多くは戸が閉ぢて[#「閉ぢて」は底本では「閉ぢられても」]光も無かつたが、光の付いて居る所も豆ランプが精々で、大抵はブリキ製の糸心の燃え出し、ずつと栄一は両側を見て通つたが、左側で光の付いて居る三軒目に、女の疳走つた声で、
『馬鹿野郎が、福島橋の所まで一寸使ひに遣つて、今迄かゝるてなんなら……』と叫ぶのが聞える。次いで、子供が打たれると子供の泣き叫ぶ声が起る。急いで新見は此家の前に現れた。
『御免なさい』三十五六の女が竈の前に跪んで火箸を持つて火を焚いて居る。栄一は一寸後ろを顧ると、向側は煙つて居る。九つか十の女の子が竈の前に坐つて、年寄の身体の不自由な人であらう、通りに頭を向けて臥て居る。『此煙と此老衰!』と栄一は臆病な心が起つた。『あんな老人を僕が世話すると云ふ日になればもう御免だね。あれでも生きて居りたいかな』と眉の間に皺をよせた。女は、『さ、何卒内へおはいりなして、ほんとに鬱陶敷う御座りますが』と鋭い目に愛想をしようとして新見を見た。引詰の髪にしけの一面にして居るのは糸屋か機屋に出て居るからであらう。這入れと云はれても、四尺許りの後ろにあの老人が寝て居ると思ふと、這入らずに直ぐ帰つて行つて美人の顔でも見て気晴しがしたい様な気がして這入れぬ。貧民窟と云ふのは恁那悲惨な所か? 壮年者が病んで臥て居ると云ふのならまだ希望と云ふものがあるが、老衰と来ては話にならぬ。身が縮まる。
『有難う』と新見は遠慮して、後をも一度見たいと思つたが、『あの薄い蒲団の中のあの老人』を眼の前に画いて見ると、また見るのが恐ろしい。
 女は栄一に愛想を云つて置いて、土間から三尺許り高い床に、うつ伏にもたれて包みをいたまゝ泣いて居る息子に、
『おまへ、お米を出さんかい。何を愚図々々して居るので? もう泣くのを[#「泣くのを」は底本では「泣くを」]止めて竈の下でも造ろはんかい』と云つて居る。危機が迫つたと新見は内へ這入つて、
『をばさん、実はね、私はお子供さんの代りに云ひ訳けを致さうと思つて参つたので御座りますがね……』と云ひ終らぬ中に、
『え、うちの子供がまた何か悪い事でも為ましたので御座りますか知らん? うちの子は仕方の無い悪い子で御座りますのでない。悪いことでも致しましたら御免なしてよ』と早口に云つて、栄一には別に頓着しない様な、また尊敬も払はない様子である。
『早く竈の下でも見んかい』と一つ頭を撲つて米の包を取り上げる。之を見て栄一は、
『その包を私に貸してくださりませんか、その米代は別に差上げますから』と申出た。然し女は、
『どう致しましたんぞいない?』と云ひ乍ら竈の火の明かりで米を験べて居る。石や砂の混つて居るのを別に不思議とも思つて居ない様だ。が、米を棚に置いてつか/\と子供の側へ来てまた頭を一つ擲つた。子供は泣き叫んだ。女は、
『早くあしこを見んかい』と大きな声で叱り付けて、『お父様、米が砂や石と一緒に混ぜつて今夜は食べられんでよ』と隅へ向いて云つて居る。すると隅から、
『お客様、どうぞ、ちとおかけなして。誠に鬱陶敷う御座いますが』と一寸蒲団の中から首をつき出して、新見に礼をする。
 新見は吃驚した。此家は三畳敷一間に、一坪の土間と云ふ作りだから、二人の外に人が居れば必ず目につく筈だ。実云へば這入つて来た時子供があまりお父様お父様と云つたに、男の親の様な者も見えぬ。唯隅に朝起きたまゝ巻いて捨てゝあるのだなと思うた蒲団が置いてあるだけだなと思つた。が、声があつて初めて気が付いた。此蒲団が父親なのだ。髪は長く生へ延びて青い顔色、唇の艶の無いのが、心持ちが悪い。栄一は入口の柱に片手をかけて左の足駄の爪先を立てながら、
『ハ、有難う御座ります。御病気でいらつしやいますか?』
と優しく尋ねた。父親は竈の下の燃ゆるのを見詰めて、また栄一の顔を見返つて、
『ハイ、いや別に之れと云ふ病気では無いので御座りますが、三月まで鉄道の方に出て居りましたので御座りましたが、三月の初めに鴨島で足を汽車に轢かれまして、エヘヘ……一生立ち上る見込が無くなりまして、それからぶら/\して居るので御座ります……どうぞおかけなして』
 女が竈の前に踞んだので父親の顔が見えなくなつた。子供は矢張りうつ向になつて顔を見せない。
『さうで御座りますか? そらどうも誠にお気の毒で御座ります』女はふりむいて栄一の顔を見て、
『ほんまに、お客様、もうつく/″\、生きて居るのがいやになりましたわ。やどがあんなに怪我をしましても鉄道の方からは二十円の御見舞金で見放されますしない。それかと云つて便たよつて行く所は御座りませず、私は朝早うから晩の遅うまで機屋の管巻きを致しまして今日の細い烟を立てゝ居りますが、女一匹ではどんな事が御座りましても二人の男を食はす事は出来まへんなで。今夜はあれが久し振りにお米の御飯が喫べたいと申しますので五等米を五合許り買ひに遣りますと、此通りでない』と恨めしさうな口吻が如何にも哀れである。
『それはね、をばさん、私が見て居りますと、お宅のお子さんが怜悧にして帰つて来るのを、何処の子か知りませんが、後からつき飛ばしてね。このお子さんが倒れて、通りに米をこぼしなしたのですよ。お子さんが悪いのでは無いのです……』
『さうで御座りますか――それにまああなた様はどちらのお方か存じませんが御親切に云ひ訳けに御出でゝ下さりましたので御座りますか? 誠にお礼の申し様も御座りません。いやうちの子も悪い子で御座りますので誠にどむなり[#「どむなり」は底本では「どむなり」]まへんので御座ります。学校へ行けと云つても行きませぬ位の児で御座りますから、もう親も手にあまして居るので御座ります』
『どうして学校がお嫌ひなのです?』
『いやなんで御座りますの――三月の節句の翌日で御座りますの、私が今日は食ふものが無いから何処へでも出て行つて、何でも貰つて来て食うて呉れとよく聞かせて外へ出しました処がもし、昼頃になりまして泣く泣く帰つて来て頭痛がすると云つて臥込ねこんでしまひまして、その翌日が丁度学校へ上る日で御座りましたが、もう行くのはいやと申しまして参りまへんのですわ……父親が字は一字も読めぬので今日困つて居りますので、せめては尋常だけでも卒業させてやりたいと申しまして、食ふに食へぬ中から尋常の三年生まで出しましたので御座りますが……いや、どうも貧乏すると子供までが自由になりませいでない』
 女はこゝまで語つてあまり烟るので火吹竹を取つて口を蔽うた。栄一は大抵女の云ふ事で子供の告白が読めた。がこの人々に何をして遣るかと云ふ方法を知ら無かつた。
『三年生までいらつしやつたのですか?』
『続けて行つて居りましたら今は四年生で御座ります。四年生に及第あがつてすぐ止めましたので――一年は子守に遣つて御座りましたから遅れましたんで』
 栄一の心は二つに分裂した。一方は無理矢理に恁那うるさい所で博愛主義などの真似をしなくても、早く逃げて帰つて、あの立派な畳の敷けて居る家の中で哲学の一頁でも読め、君は恁那なものに手を出して居ては遂に平凡と相去る一歩だ、と云ふ声がすると共にまた他方では親切は生命だ、有機体の社会で或ものが生きる為めには或るものが犠牲にならなければならないと云ふ声がするのである。
『失礼で御座りますが、あなたさんのお宅は何処だんで?』と女は尋ねて居る。
『いや何処つて……此処からは遠くはないのですが、――あのお子供さんは今何をして居らつしやいますか?』
『今之れと云つて何もさして居りませんが、父親の使をしたり、私の糸繰る手伝をしたりさしてをります。福島橋を向うへ渡りますと散髪屋が御座りますわない。あしこに丁稚に来て呉れんかと云ひますので、やらうかと思つて居りますがない。ものになるまで辛抱が出来るかとも思つて心配して居ります……どうぞ、そんなにおたちなさらずに、ちつとお掛けなして』と云ひながら一寸蓋を上げて麦が湧いて来たのを見て居る。そして隅の手桶を取つて門口の方に出かけた。水を汲みに行くのであらう。
 新見は、あまりこんな陰気な所に居りたくないと思つたらしい、
『散髪屋ですか? そらおよろしう御座りませう……私はもう失礼致します、外に用事も御座りますので――これで失礼致します。どうぞ私の帰つた後でお子供さんをお叱りにならぬ様にお願ひ申します』と云つた。別に米代を渡さうとも為なかつた。
『どうも有難う御座いました、またちつとお話にお出でなしてくださりませ、むさくるしい処では御座りますが』と女は戸の外に立つて云うた。栄一は病んで居る男に向つて、
『さやうなら、お身体をお大事に』と云つて見た。然し心の中では無意味な偽善を云ふと笑つて居た。
『どうも御親切に。さよなら誠に鬱陶敷う御座りますが時々お話に』
『有難う。また伺ひます』と答へた。
 然し心の中で、新見は、貧民を愛しないのではない、恁那処ばかり見て居ると人間が縮み込んで終ふとも思つた。
 栄一は夢の様な思ひをして暗い路次を出た。城山に赤い光の天気予報が上つて居た。福島本町の角で小僧の吉三郎に会つて一緒に帰つた。
 然し吉三郎と、何の話もしなかつた。
 夕飯をすまして、約束もあつたから、鶴子様を訪れた。

十二


 新見は今自分の宅の前に静かに立つて居る。今夜も外出時間に遅れたのだ。先刻からいくら叩いても開けて呉れないので稍退屈して居る。
 一寸通りに出てみたが、徳島本町は皆よく寝て居る。それも其筈、もう十二時少し廻つて居るのだ。東京から帰つて来て今までに三度遅れた。二日前の日曜の晩、教会へ出席した為に吉三郎が火の用心の拍子木をたゝいて屋敷をぐるりと廻つて、丁度門を閉ぢると云ふ所へ帰つて来たのと、先きの土曜の晩遅れたのと、今夜とで三度である。
 今夜は遅くなる理由がある。栄一は鶴子を訪れて遅くなつた。それも日曜の晩教会から帰りに、鶴子の兄様の時行さんが帰つて来て居るから、是非とも此二三日の中に一度遊びに来て呉れと云はれたからだ。
 新見は空を仰いで見たが星が眠むさうに光つて居る。実は自分が眠いからである。栄一は父が九時限り門の戸は一切開かぬぞと云つた事を覚えて居る。それに今夜は父も東京から帰つて居る事だから実際遠慮して激しく叩かぬ。亦吉三郎の安眠を破るのを非常に気の毒に思つたから、十一時頃鶴子の宅から帰つて来たが遠慮して叩きもせず、一時間程助任橋の方まで散歩して来たのだ。いや実は自分に刑罰として、四五里ある処を往復せうと思つて出かけたが、途中疲れて来たのと、明日学校に出て生徒に眠むさうな顔を見せたくない、生徒に読み方を教へなくても、昼は眼を開いて居る位の事は教へねばならぬと思ひついたから、吉三郎には気の毒ではあるが、再び戸を叩きに帰つた。眠らねばならぬと思ふと実に眠い。星までが眠い様に見える。
 栄一はも一度叩いてみようと門の戸近く寄つたが、拳を握つて戸を叩く段になると、叩く一つ一つが皆父の胸に釘を打つ様に感ぜられる。随つて父の怒が自分に報いてくると思ふから、我と吾身を磔殺する様なものであると考へると、敷石を下駄で踏むのも恐ろしく、郵便受の下で暫し踞んで思ひに沈んだ。
『何故僕はいつも乍ら、真の父を此様に遠慮しなければならないであらうか? 何故自分は家の外の冷かな空気に触れて門の横に踞らなくちやならないのであらうか? 自分は全く父の親切を要求する権利が無いのであらうか?……けれど鶴子の可愛い今夜の応接振り? 兄様は撫養むやから帰つて来る筈で遂に帰ら無かつたが僕は却て満足した。老爺さんと老婆さんが寝てから後、僕が鶴子様の書斎に導かれた時! 僕は頷いた。僕は近頃の女学生の気質と云ふものを知つて居る。が鶴子に於ては決して……いや、僕が若し鶴子様を愛すると云ふ段になると、たとひ軽躁な女学生でも厭ひはせぬ……が鶴子には境遇上凡て軽躁な点は除き去られて居る。鶴子様は福々しい亜米利加美人だが、荘重な処は確かにゴシツクだ。仏蘭西タイプと型を異にして居る。
 然し二人が机の前で西洋歴史の話をして居る中に自然と手を握り合つたには自分ながら驚いたよ、いや、うれしかつた。鶴子様が過去を語り出て、二人とも泣いたが、自分の膝の上に泣き倒れられたには羞しくもうれしかつた。
 ほんとに鶴子の悲しむのも尤もだ。義理の老爺さんや老婆さんの下で下女働きは苦しい。女の狭い胸ではそれに違ひはない。尤もお父様やお母様が、あの様な最後を遂げなさらなかつたなら鶴子様も他人に一歩は措かないであらうが、何れ、お友達と身の上話が出ても震へ上つて立ち退くのであらう。僕だつて妾の子だと云はれるのは決して善い心持はしないもの。……
 鶴子様はクリスチヤンになつて朋友が、減つたが教会の親切な奥様方のお仲間入りが出来て、決して淋しくは無いと云つて居られたが、あれは祝賀すべき事だ。僕は奥様と名が付く人は誰れでも好きだ。奥様の仲間入りをして居る鶴子はそれだからすきだ。日本では、妻君は下女か子を産む機械か判然せぬが、女が多勢の子を持つて泣いて居るのは決して憎いものではない。苦痛美と勢力美の交つた可愛い者だ。
 僕は鶴子を愛したい。愛する。全身を献げて愛する。……然し何と無意味な事だ。僕は人生の帰趨を知らなくて恋をして居る。無目的の人間が? 人間の歴史を進化さす為めに? 無意味な進化論! 我輩の生活に何処に進化がある?……チヤンス!……噫、人間にはチヤンスも運命の進化と云ふ権威も無い。……唯人間は冷たい海の中に沈んで行くのだ。鶴子を恋するのも沈みの一尺にしか過ぎぬ。無目的と云へば無目的だ。無目的でなくて、盲目的なのだ。さうかと云つて無目的だから死ぬか恋するかと問はれると、勿論生きて鶴子と一日の苦痛を共にしたい。然し我輩に恋人と快楽を共にするなど云ふ事は無意味だ。恋人と泣くのだ。そして最後は心中? 恋はそれで遂げる。然し一体恋とは、何だ?……
 でも、今夜の様に突然恋が成立すると、セキスピヤの十二夜物語の様で何だか馬鹿々々しい。一体恋と云ふものはあんなものであらうか? 然し鶴子は僕を生捕つて終つたのだ。我輩の意志で、どうすることも出来ない。実云へば僕もあの様な美しい恋人を持つとは思はなかつた……然し恋と云ふのは何だか馬鹿らしいものだね。僕は○○の○○か○○かの快楽の為めに長い恋と云ふ馬場を馳つて居るのでは無いのか? 神聖と恋? 馬鹿々々しい。まるで浄瑠璃の文句を夢の中で読む様だ。つまらない!
 嗚呼もう飽いた。恋に飽いた。我輩の恋はこれだけの観念で上等だ。もう観念もいやだ。快楽は一瞬だ。恋は苦痛だ。醒めた後が苦しい。恋はいやだ、頭痛がする、女を愛すると[#「愛すると」は底本では「愛する」]云ふのも要するに苦しい快楽を貪るにしか過ぎぬ。人間が子を産む為めに妻君を? 無意味だ! 唯だ子を産む為めに子を産む。唯擁いて寝る為めに擁いて寝るのだ。安眠が出来るなら、美人などいらぬのだ。仏陀! 小乗的思想! 衆生寂滅。諸事涅槃! 僕は大海の一波にしか過ぎぬ。早く冷やかな、沈んだ黒青い海の底に落ちて行きたい。人間! 面倒臭い。え。フム。チエ、舌を噛み切つて死んでしまひたいな。生きて居ると貴族主義の臭ひがする。僕は香水の匂ひは嫌ひだ。社会主義だもの、涅槃と死! 社会主義は此時だけに……』……栄一は立ち上つた。屋根の瓦も落ちよと云ふ程猛烈に檜の柾板の立派な戸を拳をかためて撲り上げた。
 然し何の反応も無い。世は矢張り眠つて居る。死者も別に墓の中から飛び立つて来ない。世界は遂に睡りから睡りに移つて居る様だ。だから、も一つと今一層烈しくやつた。が矢張り答は無い。天を見ると星が渋い顔して居る。向ひの軒から雀が一羽また一羽飛び立つて五軒目の軒に隠れた。
『父を起さずに雀を起した。罪が深い。然し資本家は猶罪が深い。垣と云ひ門と云ふものを造らへて自由勝手に人間が出入出来ぬ様に屋敷を構へて威張るから罪が深いのだ。耶蘇の坊主も随分罪深い、キリストにあるものは悦ぶべしだと吐かして、べらんめえ、現世主義の、貴族主義の、個人私有財産主義の泥棒主義のゴリ/\で固め上げた遺伝宗教で満足しやがつて、神の国が来るものか……僕はもう煩悶に堪へぬ。釈迦――涅槃――熱――涙が凍る。が、死ぬには勇気がありすぎる。覚えて居ろ? 仁王立か? 獅子吼? さア、これから……今から、革命だ。我に自由を与へよ。然らずば永遠の生命を保証せよ。然らずば死! 悶えの涙が知らず、識らず流れる。人は知るまいが宇宙は我胸に革命を起して居る。アア僕が此処に踞つて居る間に福島浜側の貧民窟には神を呪つて居るものがあるのだ。苦しい生命。之れでも矢張り生きたいのだ。……柔順と称せられた僕が之れから天の星を降らせ海原を旱魃にする権威があるのだ。何も遠慮して恁那処で愚図々々する義務も無い。善より悪が賢い事が多い。戸を叩くべしだ。革命の鐘だ。革命も仏教的革命だ……仏教の真髄は小乗的○○にあるのだ。なめくじの様な大乗は雨に解けて終ふ。と云つても、釈迦は革命の失敗者だ。現世に火をつけずに彼世に火をつけた。婆羅門迷妄は善かつたが印度列国の存在を○○しなかつたのは大馬鹿だ。日本の坊主に至つては猶以つて馬鹿だ。大乗教! 法身仏! 国教! 本願寺! 馬鹿にも程がある。仏が折角人生は盲目的○○の連鎖で遂に涅槃に達すべき事を説いたに、今は政府のよだれを拭いて居る。故に我輩は之れから仏教的大革命を始めるのだ。此革命に凡俗は参与する権威が無い。然し霊界には感応がある。必ず果が結ぶ。此小さい徳島の市に僕が生きて居ることを知る人は多くあるまい。けれども誰れがナザレにイエスありと知つて居た? ○○!』
 栄一は苦しい謀反気を起して全身を震はした。身震ひしながら拳では思ひ切つた音が出ぬから右の下駄を採り上げて撲り上げた。
 玄関の戸がガラ/\と開いた。栄一は誰れが開いて呉れるのかと待つて居たが、父が手燭を持つて戸を開いた。父は栄一が門へ這入るや、顔をつく/″\見て居た。が、黙つて急に拳を固めて栄一の左の頬を擲つた。
 栄一は涙に咽せんで自分の室に閉ぢ籠つた。
 彼は机に倚りかゝつて茫然唯泣いてみた。泣くと大分気が鎮まる。暫くしてかうして居てもつまらぬと思つたか涙を拭いて頭を上げると、壁に懸つて居るカーライルの半身像が横に向いて渋面して居る。
 栄一は『サータス、レザルタス』を思つて、ゲーテ式失恋派哲学者の意味は虚弱だと思はないでは無いが、自己の悲哀な運命と資本家社会の地獄を泣かさざるを得ない。そして自分も一歩々々『永劫えいごふ虚空こくう』を自己の胸に掘つて居ると考へあたらざるを得なかつた。
『噫。永劫の虚空! 何が栄一の虚空を充し得るのだ。僕は影の様なものだ。さうだ苦しい夢を見て居るのだ。生命と見えるのは僕の夢だ。
 面倒臭い。父が養子に新見家へ来ながら、本妻を捨てて僕の母を妾に置いた。母が死ぬとお梅を入れた。人生は中々急がしい。その間に父は代議士となつたり、貴族院書記官になつたり、今度は代議士を止めて市長。市長になつても急がしい。家は新築しなくちやならぬ。賄賂は取らなくてはならぬ。お梅の機嫌は取らなくてはならぬ。その間に徳島鉄道の取締もしなくちやならぬ。その取締をしても急がしい。折々工夫が負傷する様な事が起る、……あの徳島本町の哀れな工夫の家庭! 取締役の父がもう少し省る所があればあんな家庭の惨事も起らぬに。僕が父のかはりに人を可愛がらうか? いや。自分の生命の処置にさへ困るに貧民の世話まで出来ようか? 此刹那! 自分の身体は唯燃えて居る。此一瞬間でもよい、酒にでも酔つ払つて此苦痛を脱れたい。熱烈に女でも掴へて死ぬ様なキツスがしたい。アヽ此一瞬! 此刹那! 夢! 夢! 影! 影! 空!
 思ひつまつて世界を盲目と観じ自分を虚空と観ずると一種の法悦からくる微笑の催しがある。沼に白い蓮が咲いて居る。……と云つて、之もつまらぬ厭な生命の一部分だ……[#「……」は底本では「…」]実際は謎の様な嘘だ……未だ鶴子が恋しい。恋しい? よし!――現実を捕へて恋と云ふ一瞬の夢に隠れよう。一瞬の快楽で足る! 消へるなら消す。亡びるなら亡びる。打衝ぶつかる処で打衝かつて破滅する時に破滅する。アヽ、自殺がしたい。二度も三度も自殺がしたい。
 然し鶴子、鶴子、君は僕を神秘に隠してくれるか? 兎に角僕を愛して呉れるか? 君は可愛い。美しい、綺麗だ、そして僕の者になれば僕が救はれる。霊も肉も栄一を愛し給へ、君、君、僕は今少しの間気狂ひだが君が僕を愛して呉れないと全くの気狂ひになつて終ふよ。僕は満足する、満足する、君の為めに気狂ひになるなら。どうせ世界は気が狂つて居るのだから君の為めに気狂ひになるなら気狂ひの中でも高尚な方だよ。恋。僕は遂に恋に囚はれた。そして囚はれた事に賛成する。恋は狂気たるを要する。賛成、鶴子を得る為めに狂気とならう。オ、うれし……涅槃がある。女は神だ。……父のブルタル、フオース! 半獣主義賛成? やつつけるぢや僕も。然し父が僕をあの様に打つとは? もう云はぬ。僕はもう云はぬ。唯恋を与へよ。然し疲れた……』
 又疲労は栄一を夢の夢に誘つた。机の下に足を入れて仰向きになつて少しの間睡んだ。が、キー、キーと云ふ音に驚いて目醒めると、室の入口に、またお梅が立つて居る。
 見付けられちやつたと今更の様に心が騒いだが、仕方もなし、頭をたれて机に倚つた。
『お休みなさい――お父様がお休みつて、栄一さん』とお梅が歯の根にしみる様に云ふ。
『有難う御座ります』と栄一は柔和に答へて、二階から降りることに決心した。
『が、どう考へて見ても、生命は真面目の様で真面目で無い。僕が之れから寝る? つまらねえや! 寝る? 馬鹿にしてゐら! 醒めて狂ふものを暗い床の中に突き込んで、僕の自覚と生命を数時間なりとも奪はうと云ふのか? 儘よ!』と栄一は立ち上つて二階を降りかけた。
『栄一さん、まだ二階の戸が閉つて居ますまい』
『しまつた』栄一は再び室に立ち帰つて戸を閉め始めたが、乾の方の鶴子の室はまだぼつと明るい。影は鶴子であらう。『恁那に遅くまで鶴子は何をして居るのだらう』と思つたが、こちらの戸を閉てる音に鶴子も障子開いて閉て始める。
 此一瞬、栄一は満足した。閉て終つて玄関に降りた。栄一は全く気狂ひたる事を自任した。『少しの間、他人に見られない様に気狂ひになるのだ』と玄関の押入から蒲団を出さうとしたが、
『どうせ、気狂ひだ。どうせ、父やお梅からはいぢめられるのだ。父やお梅が寝て居る間だけでも手足を延ばさう。今夜は寝ずに居てやらう。今夜どころか、死ぬまで起きてゐてやらう。死ぬまで? いや我輩は死なぬ』とかう考へ乍ら其処で身を倒した。暫らくの間、暗い暗い押入の中で禅の真似をした。
『禅の真似? 之もつまらぬ。疲れる許りだ。明日の教授が面白くなからう。兎に角寝る事にしよう。そして小さい薄い夢でも見よう。もう中の間に移る必要も無い。此処で寝よう』
と、吉三郎の横に床を延べて寝巻きも着かへず、そのまゝ床の中へ這入つた。床は矢張り心地が善い。『これなら一層寝巻きに着かへて』と、も一度起きて寝巻きに着替へた。栄一は考へた。
『寝床だけには敵が居らぬ。――嫌な睡りは最後の救ぢや。………アヽ女よりか寝る方がよい……』

十三


 父に叱られ又殴られてからと云ふものは一層父と自分の間に蟠まりのある事を感じた。それのみならずお梅は勿論弟の益則までが自分を馬鹿の様に見下げてゐる不愉快さ。事情も何も知らずに雷同する馬鹿者と思へばそれつ切りだが、自分の勢力範囲が家族のうちにさへ恁那に狭まつたと思ふと少々悲観せずには居られぬ。が栄一は却つてこれで反抗心が起つて読書の時も黙想の時も多く、鶴子に対する夢と神秘とが増進すると考へて居た。
 此二三日は機械的宇宙観と、目的論的宇宙観に関する黙想を主にやつて居るが、之れに関して栄一は決して書物を開かぬ。書物は何等の権威が無いと思つて居る。実際有つたにした処で生死を賭して研究して居る事だから書物に相談する暇は勿論無い。それに一方には家族と健康の方から圧迫があるから栄一の胸は推察するにあまりある。
 栄一は唯生きて居ると云ふだけではあるが、矢張り動いて居る。勿論系統ある動きかたはせぬ。然し、暇があれば鶴子の顔を見に行くのと、田舎の妹に会ひに帰るのと、日曜日に教会に出席するのとは、他の凡ての盲目的活動と少し違つて稍筋道があると云つて善い。
 彼が日曜日に教会へ行くに就ては別に理由もない。鶴子様がオルガンを奏く為めかと云ふに、それ許りでは無い。或時は鶴子を胸の思ひから消して終ふ事がある。それでは何かと云ふに、栄一は何か牧師が基督に関して説教する中に自分を刺戟して基督の様な熱烈な血を遡らす処が無いかと考へて居るのと、今一つは栄一には妙な癖があつて大勢集つた所が好きなので、ステーシヨンとか芝居とか学校とか教会とか云ふものが非常にすきで、そこで人々の服装とか骨相とかを研究するのである。それから最後の理由は家に居つても面白くなし、と云つて、遊びに行くところは無し、時間潰しに教会へ出席するのである。
 が栄一は自分許りに教会行きを勧めない。弟の益則にも教会行を勧める。子供と女には基督教が非常に薬になると云ふのは彼の持論である。然し益則を引張つて行くとお梅が不服を云ふ。父も怒る。益則も閉口して居る。それで父と自分の中が益々割れる。そこへ田舎の本妻の処へ栄一が屡々帰ると言ふので父もお梅も苦い顔をして居る。事が斯く進行することは愈々面倒になつて来るものである。栄一は此頃父と共に膳に坐つた事が無い。
 栄一は今しも学校の教授を終へて自分の宅の門へ入らうとする所であつた。
 門の側には遍路車が据ゑてあつて、中には面付きの悪い十二にはなるまいと思ふ子が、足が立たぬ様な態度をして栄一の這入つて行くのを見守つて居る。玄関の側の中門から内へ這入らうとする所でバツタリと出会つたのが、四十五六から五十二三迄の女乞食。腰を前に屈めて頭は垂れ、椀と渋紙を持つて出て来た。
『お茶が欲しいと思ふんで御座りますが――奥様……』
 新見は此野郎少しづうづうしい奴だと思つたが、兎に角物が欲しいのに違ひない。欲しければ遣る事にしようと、
『あの……君は、お茶がいるのですか? お茶がいるならば僕に従いて来給へ』
『若旦那様でいらつしやいますか? どうも有難う御座ります。どうも有難う御座ります。奥様に先程お願ひ申しましたが……中門から来るとはけしからんとのお叱り――それに、若旦那様の御親切。目から涙がこぼれます』頭に中古の手拭を置いて居るが顔が黒くて痘瘡面である。中門から台所の裏口まで腰を折つて爪先で歩いて薄い唇をペロ/\動かして居る。口は動かす為めに作つてあるが、これほどまでに動かしても可いものかと、いやになる程能弁である。栄一先生、全くクラシカルの乞食もあつた者だと閉口した。
 栄一は台所へ這入つて湯が沸いて居るかと思つて、見廻したが、沸いて居ない。奥へ行つて鉄瓶を提げて来た。長火鉢には何時も火があつて湯が沸いて居る。台所に来ると女乞食は裏口の敷居の前に土下座して居る。針仕事してゐる廂髪の下女が吃驚してゐる。進んで行つて、
『此処へいらツしやい。さ。湯を上げませう』と竈の前の踏み上がりの上に立つて云うたが、
『どうも勿体なう御座ります。どうも勿体なう御座ります』と云うてどうしても這入つてこない。
『それぢや』と云つて、栄一は下駄をはいて乞食の所まで行つて鉄瓶を傾けると、乞食は渋紙を椀に乗せて受けようとする。
『変なことをするね』
『勿体なう御座ります。此様な鬱陶敷い椀でお湯を戴かして貰ひましては。勿体なう御座ります』と云つて、どうしても椀のまゝ湯を受けようとしはせぬ。真にクラシカルな乞食もあつた者だと思つて、馬鹿にせられた様な気で渋紙の上に湯を注ぎ入れて、鉄瓶持つて這入つた。乞食も出て行つた。
 が、『あの乞食、金が欲しいのかも知れねえ、多分湯は方便だらう』と思つたから、『金が欲しければ遣る。いらぬと云ふまでやる』と思ひ立つて急にまた裏口から廻つて中門に出た。所が驚いた。彼女、四角い竹で編んだ籠の上に、
此者帰国セント思ヘドモ旅金ナキ者ナレバ
大方ノ御恵与を乞フ。
と、書いた一尺五寸四角許りの板を乗せ中門の側に土下坐をして居る。
『勿体なう御座ります。有難うて眼から涙がこぼれました』
『君、金がいるかい。……いるならこれを上げよう』と懐の中から一円紙幣を取り出した。
『若旦那様とやら、恁那旅乞食に一円遣らうとのお仰せ、有難い事で御座りますれど、有難い事で御座りますれど、若旦那様とやら、鉄瓶持つて湯まで貰はして頂きまして、お金一円遣らうとは、勿体なう御座ります』
と、つうと立つて乞食の店を終つて車まで帰つて行つた。その訴ふる様な声、その疑ふ様な声、驚いた様な声、軽蔑せられたと云ふ様な声は全く此女はクラシカルの乞食だと云ふ事を思はした。人相が悪い。然し人相が悪いからと捨てゝ終うのは本意では無い。
『それでは之れを取り給へ』と門まで追つて行つて二十銭銀貨を差し出した。
『勿体なう御座ります。有難うて眼から涙が……一円もやらうと仰つては私の様な乞食でも、どうしても貰へませぬ』と竹籠を車に収めて車のてつに手をかけてひき出した。然し車の中の子供は憎い憎い面をして車の屋根を支へてゐる隅の一本の柱を掴まへて、貰へ貰へと云ふ意味であらう、揺すつて揺すりまくつて大騒ぎを始めた。
『君はいらんのかね、物乞ひに来て。遣ると云ふなら貰つて置けばいゝぢやないかね』とかう駄目をつめた、女は二三間行つて車を止めた。引返して来て、
『勿体なう御座ります』と云ひながら栄一の前に土下坐して籠を差出す。栄一は此乞食の変な動作に驚いて居たが、
『それでは僅かだけれども取つて置き給へ』と一寸微笑んで銀貨を籠に入れた。そして直に門に這入つた。心の中では自分の慈善を罵つた。知らぬ顔して自分の室に這入つて机の前に坐つた。何をしようかと考へたが別に之れと云うて読む本も無い。横にある小さい鏡を取つて見入つた。この顔に鶴子が惚れるかと云ふのが問題であつた。然し自分手に『美しい顔だ。恁那女が居れば僕は恋をする』などと云つてみた。口を大きく張つて見たり、笑つてみたり、睨む真似をして見たりして長い間鏡に見入つて居ると、門の外に吉三郎の声と乞食の声が相混つて聞える。『まだ乞食は居るのか』と耳を澄ましてきいて居た。
 遍路は一円の金に思ひ切りが悪いのであらう、栄一が門へ這入ると入れ変つて、お梅の命令で乞食の行方を見に出た小僧の吉三郎に、
『勿体ない事で御座りまするが、唯今の若旦那に、もう一度会はして下されたう御座りまするが……もう一度お目にかゝつて御礼を申し上げたう御座りまする。恁那旅乞食にあれまでの御心……』腰をかがめて左手を土にすれ/″\にして述べたてるところが如何にも哀れに憎い。小僧の吉三郎は乞食を眼の下に見て、
『何んじや知らんがな。おまはん、もう貰うたら往んだらよいでないでかだ。若旦那はもう奥へお這入りになつたでは』とやつて居る。
『一円のお金を遣らうと仰るのであまり勿体ないので一度は御辞退申しましたものゝ――』
『若旦那が一円遣ると云つた? 恁那乞食に――馬鹿らしい。うちの若旦那はどうかしとるのかいな』と胸の中で吉三郎は吃驚した。そして、
『どうすると云ふので、それで、またその一円を貰つて呉れと云ふのでかだ。おまはんの使ひはようせんがな。おまはん、もうお金貰うたんだらうな』
『一円のお金は御辞退申しました処がそれでは二十銭やると仰しやつて二十銭は戴かせて頂きましたが、わたしの子供が申しますには自分の宅へ帰らうと云うのに、お金がなうて困つて居るから、一軒々々貰ひ歩いて居るのに何故あの一円を貰はぬか、一軒の家で貰ふのも百軒の家で貰ふのも貰ふのは同じではないか? 遣らうと云ふ所で貰つて置かな先で困つて終ふで無いかとかう申すので御座ります。何ならもう一度若旦那様に此処まで出ておもらひ申す訳には参りますまいか?』とうつぶき入つて頼む。
『然し若旦那はもう奥へお這入りなさつたがな』小僧は左の手を腰の上に置いて乞食にはあまり頓着せぬと云ふ様子で首を左右に回して、通りの東西を見て、その眼で一寸見降ろして頗る応揚な態度である。
『勿体ない事で御座りますが、何卒も一度お目に懸ることが出来ますれば……恁那遍路に一円もやらうと仰しやる若旦那に。どうぞ丁稚さん、若旦那様にも一度お取次ぎをお頼み申します』
 吉三郎はまた通りの東西を見て居たが、西の方を見るとフロツクコートを着てステツキをついた紳士がやつて来る。旦那のお帰りと見て取つた吉三郎は一層強硬な外交手段を取り初めた。
『おまはん、国へ往ぬ、国へ往ぬと云うて幾日此の徳島で愚図々々して居るで、うちが知つてから、もう、一月にもなるでないで、……それにおまはんは此間、寺島の鉄工場の横で何やら物を盗んだと云はれて職工に蹴られよつたでないで。おまはん、あまり慾が深いでよ。二十銭も貰うたら結構でないで……それだけ貰ふたらもうお帰りなはれ、一円も貰ひたいつて何で。お通り。お通り』
と、云ひ終らぬうちに乞食はベタリ土下坐して、うつぶき入つた。市長の旦那は増々近づいた。吉三郎は小々当惑の顔色で眼尻に皺をよせ、出歯をむき出して笑つてゐる。玄関の障子を少し開けて見て居たお梅はもう少し開けて顔だけを出す。市長の大旦那は愈々現場に立ち臨んだ。吉三郎は丁寧に『お帰り』と迎へる。
『吉三郎。どしたんな?』
『若旦那がお金二十銭もおやりになつたら、付け上りくさつて一円呉れと云ひ腐つて往なんですわ……此奴その癖に性が悪いので御座りましてない、此間も寺島の鉄工場の処で何やら盗みよつて、職工に打撲どしつき上げられよつたのでつせ』
『泣きよるのかい?』
『泣きよるのか何か知りませんが、かうしたらお金でもくれると思つて居んでせう』
 台所から女中も出て来た。中門から頸だけ出して見物して居る隣りの洗濯屋から亭主が出て来た。向ひの角田の妻君が障子を一寸許り開けて見て居る。車の中の子供は、
『お母往なう――お母――お母――』と叫んで居る。
『お前此処は何処と思つて居るので、寝る処で無いでよ。さつさとお帰りなはれよ。愚図々々して居たら巡査を呼んで来るでよ』と小僧は市長を横に置いて大に威張つて居る。然し乞食は身動きもせぬ。
『吉三郎。奥からもう二銭貰つて来て遣れ?』と市長は云ひ残して玄関へ歩を移した。吉三郎は隣りの洗濯屋の亭主を見て、
『恁那者に二銭もやる者があるでかな。な。恁那者に』と云つて居る。隣りの洗濯屋は変な顔をして、
『一体。どうしたの?』
『いや家の若旦那があんな善いお方だろな。それで此奴が付け上り腐つて、なんでないで、若旦那が此奴に一円見せたんだらうな。そしたらそれを呉れ、それを呉れと云うとるんぢやがな、慾な奴ぢやな。そして貰うとらんかと云ふと貰うとるのでよ、二十銭も』
『オホー、二十銭も※(疑問符感嘆符、1-8-77)
 市長が這入ると、内に這入つた女中が二銭銅貨を持つて来た。そして吉三郎に手渡しながら、
『之れを遣つて帰れつて、それでも帰らんのなら巡査を呼んで来る様にと』特別に巡査の言葉に力を入れて云ふ。下女は洗濯屋を見て、
『今日は』と挨拶する。
『や、今日は――この人は一体どうしたので』
『さ、どうしたのかない。先きにも渋紙と椀とを持つて中門を開けて黙つて裏へ廻つて、裏口の処で土下座してお茶を呉れと云ふでないで、私も吃驚してな。そしたら奥様が出て行かせと仰しやつたので、出て行つて貰うたのですわ。そしたら若旦那があんな善いお方でせうな……』
『フム』
 下女は続けて喋らうと思つて居ると玄関で『よし、よ』とお梅の呼ぶ声がしたので洗濯屋に挨拶もせず、黙つて這入つた。吉三郎は下女に変つて喋り出す。
『此奴、此間もあの寺島の鉄工場の横で職工にどづかれたのでよ。何やら盗んだのだつて。狡猾い奴じやな』
『ウム、此乞食は、長いこと、徳島に居るで無いで。此間だつて……それでももう十五日も二十日にもなるな……西船場に居つたがな』と洗濯屋も応じる。
 女乞食は何を思つたか、洗濯屋が云ひ終るか終らぬにつうと立つて、
『此奴丁稚めが。覚えてゐやがれよ。こら、よくまア大勢の前で恥を晒しやがつたな。覚えてゐやがれよ』と荒々しく立つて車の所に近寄つた。近寄ると子供はワアと泣き叫ぶ。
 吉三郎は乞食の正面攻撃に呆気に取られて物も云はず、恥しさうな赤い顔に変な笑ひを漏して、洗濯屋の亭主を見た。洗濯屋も淋しく笑つた。然し吉三郎はハツと気が付いたと云ふ様な様子で慌てゝ車の脇に走つて行つて、
『ホレ二銭上げるは』と車の中に抛り込で門へ立ち戻つた。
 が乞食は車が三廻り四廻りかすると思ふ頃、車の中の二銭銅貨を取り上げて一寸後向いて、『恁那金はもらはぬわ』と土の上に投付けた。此の小気味の悪い投方に吉三郎は、
『アレ、遣ると云ふのに貰はぬと云ふ遍路じやどうで。まアあきれるは。ホホ……』と指の先に棘を立てた様な笑ひ方をする。
『非道い奴じやな!』洗濯屋も云ふ。

 栄一は先から事の成り行きを八分通り知つて居たが、何だか矛盾して居る様に思ふので鏡を捨てゝ茫然考へて居た。すると、下の女中が、
『若旦那が一円も乞食にお見せになるのがお悪いのですわ』と云ふ声を聞く。すると何か自分も弁解せねばならぬ様な気もするし、自分の親切気に自分ながら感謝して呆れる様な気もする。また、徹底せぬ慈善主義は味噌にも糞にもならぬとも考へる。が、乞食の身の上が可哀想だと唯直覚的に泣きたい気もする。そして自分も父の家を捨てゝ気狂ひのやうな乞食生活を送るなら、あの様な運に出会すのだなどと取つても付かぬ空想に自分の立場を置いて考へて見ると、何とはなしに涙が落ちる。
 半分泣きながら、玄関の二階まで出て、
『吉三郎。もう遍路は行つて終うたか?』と尋ねた。
『へえ今向ふの角を廻つて居ります』
『まだ向ふの角までか?』と急いで二階から駈け降りて玄関に出た。然し玄関に自分の下駄が無いから急いで裏へ廻つた。急ぎ様が何か意味あり気であるから、お梅が奥から出て来て、
『兄様、お父様が一円も遍路に遣つてはいかんと仰しやりましたよ』と伝へて来た。
 が聞かぬ振して門の方へ出て『アヽ残酷だ。資本家は残酷だ。トルストイが自分の失敗した経験から慈善を罵つても僕は持つて居るものを皆遣る。遣ればもう遣るものが無くなる。無くなれば慈善もしなくつても善い。罪は社会にあるのだ。うその乞食でも僕はかまはぬ。金をやる』と胸の中を掻き乱して遍路の跡を追つかけた。
 恰度福島橋の上で追ひ付いて、籠の中に一円紙幣を投げ込んで置いて飛んで帰つた。
 然し自分の宅の門には洗濯屋と吉三郎が未だ立つて居るので、宅へ帰らうとはせずに一町手前で折れて、鶴子の家のある町へ足を運んだ。そして普通の人の量る事の出来ぬ悲痛の涙にくれた。その涙は新見自身には甘いものであつた。

十四


 鶴子の家を訪れると鶴子は居た。鶴子は栄一に二階の勉強室に行つて居れと云つて、自分は台所で一寸用を済まして二階へ昇つて来た。
『今日はお婆様は?』
『お爺様もお婆様も皆留守なのですよ。独りお留守番でしたの。よく来て下したのね。然し、かうして会へるのも暫くですよ。私はもう六月の末には広島へ行く都合になりましたのですよ』と何だか憂ひを帯びた様なまた得意である様な句調で始めた。
『さうですか? 六月の末に、それぢやもう一月ですね』
『さうね』
と、云ひ乍ら自分の机の脇に座蒲団を据ゑて、
『どうぞお坐りなして』
『何しに広島へいらつしやるの?』
『幼稚園の方へ』
『さう? 勉強に?』
『はア保姆養成所へ』
『さうですか、それは善いですね。子供は可愛いものですね』
 鶴子は忽ち、変な目付をして栄一の顔をつく/″\見て居たが、
『ちよいと、あなた、泣いたの? どうしたの?』と尋ねる。
 悟られてうれしいやら辛いやらの新見は、唯、
『はア』と答へた。
『どうなしたの、一体どうしたの私に云つて下さらない?』
『さうね。云つても善いけれど――』
『私に云つて頂戴な。私に云へない様なこと?』と一寸前の障子を開いて庭に足音がした様に思つたので見てみた。然し人の影もないから、また閉ぢて、涼しい目を輝かし乍ら、
『私に云つて下さらないの……私を愛して下さるなら云つて頂戴な――』と鶴子には精一杯の勇気で云つて終つた。『愛してくれるなら』の一言葉で油の様に解かされた栄一は、
『鶴子様。あなた私を愛して下さるの?』と鶴子の手を取らうとすり寄つた。
『鶴子様。私の心をほんとにうち開けませうか?』
『うち開けて頂戴』
『云ひませうか?』
『云つて頂戴』
『ホホ……ほんとに聞いてくれる?』
『聞きますとも、聞かずにどうしませう』と云ひ終らぬ中に鶴子は栄一の手に接吻した。栄一も返した。
『それぢやね。鶴子様。云ひませうよ。……それでも云ふのが恥しいわ。オ恥し』と栄一は頭を一寸縮めた。
『ね。先き、私がね……云はうか止めようか?』
『お云ひなさいな。どうしたの? 今日はいつにない元気がないのね。どうしたの? 先き?』
『先きね、乞食に一円呉れて遣つたの。その乞食の事思つて泣いてゐるの』
『さう。善いことをしたのね』と鶴子は別に驚きもせぬ。が、その涼しい眼で栄一の眼を見詰めて、握つた手をグツと占める。片手を差出して栄一の左を呉れと求めた。
 栄一は美しい鶴子の眼付に恥しくて一寸顔を背けたが、鶴子があまりに見詰めるので、自分も鶴子の面を見入つた。見詰めれば見詰める程鶴子は綺麗だ。絹の様な滑かな頬に薔薇色の色合ひ、何故此様に美しいかと疑つた。視線と視線は永く合つて沈黙のうれしさに二人は酔つた。
 が元気な鶴子は、『それだけ? まだあるのでせう。すつかり云つて頂戴な』と沈黙を破つて促した。
『私ね鶴子さん。私もお父様の家に居るのは暫時だと思ひますわ』
『何故?』
『でも……』
『何故?』
 栄一は女の様に、子供の様に妙に逡巡して同情を引かうとして居る。それに鶴子は女らしく同情をしようと務めて居る。
『あなたも御存知でせう、お梅の事など――』
『知つて居りますよ。あのお父様のそれがどうしたの?』
『私ね、父がね。あの様な汚れた女を相手にして田舎のお母様を泣かして居られるのを見るに忍びないでせう』
『さうね。然しあなたはそれをどうなさるお積りなの?』
『私、それで困つて居るのですよ』
『まア、お坐りなさい』
『いや、私は立つて居るのが好き』
『さう、それぢや立つて居りませう』
『私、お父様にあの女を出して貰ひたいの――あなたどう思うて?』
『私は寧ろさう思ひませぬわ――』
『どうして?』
『あの、アウガスチンがね、悔改めて信者になつたのは妾に励まされたのださうですね? なんでせう、アウガスチンが妻を――若い妻を娶らうと思つて皆と相談して居ると前から連れて居た妾が、アウガスチンに捨てられても自分はアウガスチンを捨てぬと云つてアラビヤへ隠れて終つたのでせう。それが動機となつてアウガスチンは清い聖徒になつたんださうですね。私はそれを思つて居るのですよ。愛するものがあるので、どれだけ人間は柔和になつて居るか知れませぬよ。妾だからつて排斥するとまた反つて、お父様のお気に触つてどんな事が起るかも知れませぬよ――』鶴子は如何にも智慧者らしく語り出した。栄一は恋しい女から此様な言葉を聞くのがうれしくて堪らぬ。が、
『然しね……』と云つて見た。
『私はクリスチヤンだから厳格に、一夫一婦主義を守りたいのですよ。でも私は私の愛した人なら、その人が、たとへ何の様な女と罪を犯しても決して捨てませぬわ。その罪を許して地獄までも追つ掛けて行つて基督の処へ救つて来ますわ、アウガスチンもその様な事を云ひましたね。また私は思ふのですよ――真に愛しあつた者なら一生どころか二生も三生も一夫一婦で送りもするし送りたくて堪らぬだらうと思ふのですよ。あなたのお父様だつて決してすいて好んで女遊びはなさらぬと思ひますわ……』
『さうか知らん? プラトニツク・ラブの実現する事があるでせうか? そら勿論世界が算盤の珠の様に動くものなら一夫一婦主義は理想でもあり実現もせられませうがね――』と低い声で栄一は囁いた。
『だから、お梅様を、今の所独り愛していらしやるのならそれで善いでせう』と栄一の理窟ぽい疑問に頓着せずに云つた。
 栄一もその大胆な判決の広さに驚いた。美しい鶴子が何故か光る様に思はれる。鶴子の目は全く斯う云つて終つた時に大きく見張つて輝いたのだ。それで、
『鶴子様、あなたは真に大きい心を持つていらつしやるのね』と賞めなくてはならぬ様になつた。
 賞められて鶴子は下を向いたがまた新見の鼻筋のあたりを見ながら、
『然しわたしは、あなたのお心は充分察して居りますよ』
『さう、あなた、察して下さつて?』早や涙ぐんで居る。
『ね、鶴子様、私はもう世の中がいやになつたわ』
『なぜ?』
『父もあの様だが、自分も謎の様な人間に成つて終つたのよ』
『あなた、此世が嫌ひ、私が居ても』と云つて置いて可愛らしい鶴子は新見の冷い青白い頬に接吻した。愛に堪へ兼ねて栄一は鶴子を固く抱きしめた。そして小さい声で、
『斯うして地獄へ落ちても私は神様に不平は言はぬわ』と囁く。
『私も……』と鶴子は答へたが、その声は歔り泣きであつた。泣く泣く鶴子は囁いた。
『あなたもお辛いが、私もほんとに不仕合せですよ。あなたは私のことを思つて御覧なさい、どれ丈幸か知れませんよ』
『ほんとにね。私は鶴子様に同情して居るのですよ。鶴子様の為めなら死んでも善いと思ふ位同情して居るのですよ』
『オホヽヽ。うれしいこと……私の為めなら死んで下さる? それぢや、二人ともかうして死にませうか? そしたらすぐ天国へ行けますよ』
『ほんとに?』と恋に酔つた人々が先から先へと世界を創造して居る。
『……死ぬと鶴子様に会へないと云ふのなら、私は苦しくても悲しくても善い。此浮世に居りたいわ』
『私も』と栄一の美しい目をつく/″\と見詰めて居る。栄一も瞳から鶴子の胸へ這入つて行く位ゐ見詰めて、
『鶴子様は何故こんなに美しいの?』繰返して、段々と沈黙のよろこびに沈んで行く。
 が鶴子はまた問うた。
『それではあなたはどうなさるお積りなの?』
『どうつて、革命を起すのです』と栄一は笑つて云ふ。
『革命? 恐ろしいこと仰しやるのね。オホホホ。まア何でも善いわ。然し最後の勝利は愛と沈黙だと云ふ事をお忘れなさるな』栄一は説教を聞いて居る様な気がした。が黙つて鶴子の唇に接吻した。そして静に口を開いて、
『さうかも知れませんね。然し白紙の様な人間の真似は僕は嫌ひですよ。僕は色を白く塗りたいのですよ』
『さうですね。それでも自己の主張を他人に無理矢理に強迫するのは真理の敵ですよ、神で無い以上は、自分を自分に支配する者は他人を支配する者ですわ。私此頃つく/″\恁那ことを考へて居るのですの。私がね教会の皆様や内の爺様や婆様に同情して貰はう慰めて貰はうと思つたらいつも慰めが得られないで、苦しくて苦しくて堪らぬのですよ。さうでせう、此度広島へ行くときめるに付きましてもね、色々と自分に心配がありませう。そら学資の方はミセス・テーラーが心配してくださるのだけれども、その外に色々と心配がありますわね。それが他の人に心配して頂かうと思つたらいつも失望許りなのですよ。あなたが此の一週間許りいらつしやらなかつたでせう。その間にね、私は三日程学校を休んだのですよ』
『何故?』
『何故つて、病気で』
『どんな御病気?』
『一寸頭痛がしただけでしたが――』
『どうしたの?』
『どうもしないのですがね、心配で心配で堪らなくつてね、たうとう寝込んだのですの……親類ではもう年だから外へ遣りたいと云ふし叔父の方では高等師範へ行けと云ひますしね、私は神戸の女学院か東京の女子学院へでも這入つてみたいのでせう。ほんとに苦しくてね。あなたでもいらしたら枕元へ来て面白いお話でも聞かして貰はうと思つて居たのですけれど。あれからどうしていらつしやらなかつたの?』
『ね、あまり毎晩出るものですからね、内では不審に思つて居るし、お父様も怒つて居らつしやるしね。それ、時行さんがお帰りにならなくなつて遅くまで話した晩などはね、私、父に叩かれた位ですからね。あまり夜出るのは悪いと思つたから控へて居ましたの』
『まア――あの初めていらした晩? 非道いのね! あなたをお叩きなしたの? 栄一様を? 私の可愛い人を? 何故? 私が代りに叩かれゝば善かつたに。遅くなつたからお叱りなしたの?』
『はア』
『それぢや、何故私の宅へ泊りにいらつしやらなかつたの? 宅は年寄許りだから喜んでお宿め申すのに。今度から遅くなつたら私の宅へ泊りにいらつしやいよ。宅の爺さんや婆さんは善い人だからね。あなたが毎晩泊りにいらしても喜んで居りますわ。……さうあなたお父様にお叩かれなしたの、今度叩かれるなら屹度私が代りに叩かれますわね』と鬢の髪を掻き上げながら首を左に傾けて云ふ。
『鶴子様。あなたは三日もお休みになつて居らしたの? 三日も?』
『ア、恰度床の中に居ましたのは三日ですよ。頭が病めましてね。ほんとに苦しかつたわ』
『それぢや来れば善かつたにね。三日も寝たの? 今度御病気になつたら屹度看護に来ますわね』
『来て下さいね。お約束して置きますよ。あなたが来て看護して下さるなら、すぐと回復なほりますよ……あなたそらさうと肺はどうなの?』
『私の肺? もう善いのでせう。然し無理が出来ないのですと』
『あなた自分の病気を他所の人の事の様に仰しやるのね』
『それでも此病気だけは解らないのですもの、自分には』
『ね、あなたが、私の病気の時に看護に来て下さると仰しやるから、あなたが今度、もしも肺でも悪くお成りになつたら広島からでも飛んで帰つて来て看護しますよ。電報打つて下さい、すぐ帰つてきますから』
『屹度? うれしいことね。鶴子様の看護? ラザロの様に死んでゐても、鶴子様が「起てよ」と云つたら、その一声で甦りますよ』
『甦る? それぢや、あなたがお死になさる前に私が死んで居ましても生き返つて来ねばなりませんね』
『さうね』
『さうすると、誰が私を甦らしてくださるの?』
『そら、私』
『それぢや私とあなたとは一緒に甦るのね。それからもう死なゝいの?』
『死んでもまた甦るの?』
『可笑しいこと仰しやるの。もう、それからは天国へ行くのでせう。一緒に天国へ行きませうね?』
『あなた道案内してくださる?』
『案内して上げますとも、オホヽヽ』
『The Woman-Soul leadeth us upward and on ! ですか?』
 二人は恋から恋に、幻から幻に迷つて、甦る時の相談までして時間を潰した。それで、日の暮れるのも知らなかつた。日暮れにお婆様が帰つて来て栄一を喜んで歓迎した。夕飯も一緒に食へと勧めたので夕飯も一緒に食つてまた九時頃まで話した。別れると云ふ時になつて、鶴子に温かいキツスを与へて、自分の宅へ飛んで帰つた。

十五


 議場は混乱に陥つて何が何やら薩張りわからなかつた。議長は声を嗄らして『御静粛に願ひます』と連発した。然しそれは無効で有つた。議長席の下で公民派の榎本厚吉と土曜会の増田尊徳が罵倒し合つて居る。榎本は三等郵便局を請合つて居る公民派の顔役である。
 中央では土木課長の本田時彦と『活弁』事楠本春次が寺島派の井上、結城、中立の三谷の三人と格闘をやつて居る。楠本は富田遊廓第一級選出の議員で、公民派のあばれ者であるが『活弁』と云ふあだ名を取つたのは彼の演説が活弁の句調とそつくりだと云ふ評判があるためである。
 議長席の右側でも市助役の畠山が、土曜会の北田と衝突して居る。今日は近頃新聞で問題になつて居る臨港軽便鉄道問題と例の富田川浚渫事件が市会で討議せられて居るのである。国民系の土曜会ではその機関新聞で随分手非道く新見市長をこき卸してその悪辣な遣り方を攻撃して居たので、今日は傍聴席も一ぱいである。
 栄一も父の議員操縦振りを見るためと田舎の生活の単調を消すために傍聴席の隅に隠れて居た。
 今日の議場が混乱すると云ふことは始めから見えすいて居た。それは去年の三級補欠選挙の時に公民派が寺島派との口約を破つて、寺島派の市会議員細田保氏の補欠だから必ず寺島派の或者を推すことに賛成すると云うておいて、本年二月の選挙間際になつて、突然三級候補に、富田遊廓の検番取締花田真誠を選出することに運動し、美事、政友系の勢力を持つて勝利を得たのである。それ以来、寺島派はこと/″\に公民系の新見市長をいぢめることを画策して、善にも悪にも兎に角一度は必ず反対してみると云ふ有様で、議場に於ても『之は公民派の主張でありますから我等は之に反対します』と一も二もなく反対するのである。その最も極端な一例は今度の臨港軽便鉄道問題がそれである。政友系は例の積極政策からいつでも事業を起して議員も儲け、選挙民にも悦ばれる為めの事業のあることを喜ぶのであるが、臨港鉄道問題だけは喜ばなかつた。それはこの問題が最初弁護士仲間――即ち寺島派から市会に持ち出されたからである。最初の提案は市の繁栄の為めに臨港鉄道が必要である。で、これは当然徳島市直営の事業として、政府の補助を仰いでやるが善いと云ふので有つたが、政友系の之に反対した理由は、政友系は新見を始め市の有力者を含んで居るが、寺島派の提案に賛成することによつて、利益の多くは提案者に奪はれると思うたからである。然し更に研究してみると地主は多く政友系の人々なので遂にそれに賛成することになつた。市会の議論の中心点は、市の当局が何故富田川の浚渫を怠るかと云ふ問題である。そして寺島派は一種の収賄行為がそこにあると云ひ触らして居るのである。そして、十四万円からかけた浚渫船が、僅か二三年しか使用しない中に、もう廃物の様になつて、船大工島に繋いであるのは市長の無能の為めであるのみならず、新しい浚渫船の注文の事についても何かそこに不正な行為がある様に云ひ触らされて居るのである。それで、最初富田川浚渫問題が日程に上つた時に、土曜会の増田尊徳が先づ質問した。
『議長、二十三番、私は浚渫問題に就て市長自らに質問したいのであります。それで、市長に是非とも議場へ出席を希望します』
 さうすると議長は市長が別室で、代議士連と浚渫問題で相談中である為めに、一寸顔が出せないと答へた。
『然らば土木課長でも善いです』と云つて、『最近大阪から修繕して帰つて来た浚渫船が毎日船大工島で遊んで居るのはどう云ふわけであるか説明を願ひます』と質問した。
 それに対して、土木課長は、『遊んで居るのでは無い、一日に五百噸乃至六百噸の土は浚渫して居るけれど、あんな旧式な機械では、とてもこの大きな川底を浚渫することは出来ないが、一日雨が降つて、土砂が上流から流れて来ると、約三万噸から五万噸の砂が浚渫した後を埋めるので、何の役にもたゝぬから、自然に対する不可抗力には打勝つことは出来ないとあきらめて居るのであります』
と、答へた。があきらめて居ると云ふ言句が、如何にも悲しさうなので、議員は皆笑つた。
 それで、増田は、あきらめる様なものなら、何故修繕にやつたかと問うたが、土木課長の本田は、議員の無智を笑ふが如く、
『それは、私共が御請求申したのではありません、市参事会も、市当局も、徳島港には全くあきらめをつけて居るのでありまして、富田川の浚渫は、全く無効であると申上げて居るのでありますが、皆様は御自分に多数決で御決議になつて、私等におしつけられたのであります。今頃になつて、その責任を私達に転嫁しようと云ふのは無理であります』
 その時、増田はグツと癪に触つたが、
『責任を転嫁しようと云ふのでは無い。そんなことがわかつて居るならなぜもう少し早くから、市会に忠告しないかと問ひたいのである。私は今日まで徳島港が駄目であると云ふことを聞かなかつた』
 増田は運送業者である為めに、特別に浚渫問題に八釜敷いのである。
『然し皆様は、御説明を申上げても御用ひにならないのです。こんなことは、専門家にまかせて下されば善いのです』
『では、土木課長、君は市会は無用だと云ふのかね』と弁護士の井上が坐つたまゝ議長の許可も受けずに叫んだ。
『何吐してるんだい、掴み上つて』と結城が怒鳴る。
『市長を出せ、市長を出せ』と三谷が叫ぶ。
 助役の畠山が市長室へ飛んで行く。給仕が何か議長の耳に囁いて居る。
『市会を馬鹿にして居る』と結城が独言のやうに云ふ。
『謝罪させろ』議席から井上が叫ぶ。
 傍聴席に居た栄一はこんな声が議場の所々に起るので、もう吃驚してしまつた。新聞記者連は何か八釜敷く笑ひ合つて居る。それを議長が睨みつける。併しそんなことを新聞記者は何とも思つて居ない。議場には三十八人しか出席が無いが、まるで何処かのクラブへ行つた様に八釜敷い。
 井上は立ち上つた。そして、
『議長、我等は、本田氏の唯今の言論は市会を侮辱したものとして、謝罪を要求します』との動議を出した。
『賛成、賛成』の声が、多数の口からもれる。政友系のものまでが、課長いぢめに賛成を叫んで居る。
 さうすると、活弁事楠本春次が、土木課長を救うてやるのは今だと立ち上つて、
『何の謝罪だか薩張わからんぢや無いか?』と叫ぶ。
『黙れ、活弁』
『引込め、女郎屋の亭主!』
 議員の口から楠本に対する罵倒の声が漏れる。
 楠本は罵倒の声を聞くや、[#「聞くや、」は底本では「聞くや」]
『君らの云ふことは少しもわからぬぢやないか』と井上に云ふと、
『貴様に用事は無いわ』と井上が返す。
『貴様てなんだ』と楠本が議席をはづして、井上の処へつめよる。結城は大きな声で、
『議長、謝罪謝罪』と叫んで居る。さうすると、土木課長は、
『馬鹿臭い、何だそんなことに』と口籠つた。すると結城は赤い顔して怒り出した。
『馬鹿つて何だ、貴様こそ、馬鹿だ――掴みやがつて』かう聞くと、先きから沈黙を装うて居た本田は青筋を立てゝ、
『掴んだと云ふのは、何処に証拠があるんだ、そんな無礼なことを云ふと、許さんぞ』
『貴様が掴んだから掴んだと云ふのぢや、よく良心に聞け』
『馬鹿!』本田は泣いて居る。
『馬鹿つて何だ、貴様こそ馬鹿だ』
 助役の畠山が這入つて来た。土曜会の北田が席をはづして、畠山の所へ走つて行つた。
『市長を早く出さなくちや駄目だ、新見君どうしたんだい』
『いや、すぐ来る、話も大分進行して居たやうだつた』
『然し、本田には謝罪させなくちやいかぬよ、畠山君』
『謝罪の必要なんかあるものか』
『そんなこと云ふから君等は官僚式と云はれるのだ』
 井上は楠本に胸を掴まれて、今にも喧嘩せんとして居る。今楠本は井上を擲つた。三谷と結城が駆けつけた。外のものは茫然見て居る。政友系のものは小さくなつて居る。殊に無髯の近眼の花田真誠は顔を真青にして震へて居る。
 益田尊徳は、議長を連呼して居る。議長は給仕を連呼して居る。市長を呼びにやる積りであるらしい。
 増田は議長席へ近づいて行つた。そして議長席の下から、
『議長、楠本を懲罰委員に附して下さい』と早や懲罰問題を出して居る。さうすると、議長の味方だと自任して居る三等郵便局長の榎本厚吉は、
『懲罰無用、懲罰無用』と叫んで居る。
 然し政友系の口からは、
『最初は井上が悪いのだ』
『井上、謝罪、井上、謝罪』と叫ぶものがある。
 そこへ市長が這入つて来た。そして番外席についた。その態度が如何にも応揚で、権威があるらしく見える。
 栄一は父の議場を何とも思つて居らぬ態度にすつかり感心してしまつた。
 そして市長が這入つてくると、議席はまた馬鹿に静かになつた。そして懲罰問題も、謝罪問題も忘れたやうになつて、凡てのものが議席に返つた。井上は、自席の机にもたれかゝつた儘顔を見せない。本田は番外席に坐り直つてハンカチで涙を拭いて居る。
 西村議長は『唯今、市長より、浚渫問題に就て御説明があります』と云ふと、
 新見市長は極く簡単にこんなことを云うた。
『富田川が全く駄目であることは既に諸君も御存知だと思ひます。それで此度内務省とも、県当局とも話して、研究の結果どうしても駄目と云ふことがわかれば、小松島か古川港に臨港鉄道を以つて徳島市との聯絡を取り、残念乍ら、徳島港を放棄すると云ふことに決定したのであります。従つて、富田川浚渫問題も一年十数万円と云ふ多額な費用を浪費するに忍びませんから、現今の浚渫船は売払つて、艀船の出入の為めには別に現今も持続して居りますやうな人力で浚渫することにいたします。各派の代議士諸君とも御相談の上その方針を取ることに決定しましたから、諸君におかれましても、左様御了解あらんことを希望します』
 これに対しては、議席から質問の一言葉も出すものは無かつた。それは、先きの井上と楠本の喧嘩で、議席は反動的に安静を要求したからである。
 議長は『それでは本日は之れで散会いたします』と宣告した。そして、議員は各自、喋り乍ら休憩室の方へ流れて行つた。
 栄一は、狐に憑れた様な気になつて、傍聴席を出た。そしてその足ですぐ鶴子を訪問して議会政治のつまらぬこと、四十人足らずの市会に二人まで女郎屋の亭主が居ること、議場に於ける父の偉大なことを讃美して居た。
 翌朝、食事の席に、栄一は一寸、父を賞めた。之は栄一が父を賞めた初めてゞ有つた。それに対して、父は『さうか、おまへも来て居たのか』と答へたのみで有つた。

十六


 小学校と云ふ処は妙な処である。
 栄一は尋常三年生の乙組五十三人を受持たされたが、低能児の多い組であつた。栄一が黒板に何か書いて居るとすぐ生徒がわい/\騒ぐ。車輓の子供だと云ふ石川常次は年齢も十一になる小僧であるが最もよく騒ぐ。狂暴性と云ふものか注意力は少しも纒らなくて、机の上に平蜘蛛の様に拡がつて――机がこの児には低く過ぎるのである――硯を出してみたり鉛筆を噛ぢつてみたり、雑記帳に楽書してみたりして居るかと思ふとすぐ隣の石板を取り上げる。隣りの児が泣く。全級の生徒が騒ぐ、栄一はほと/\閉口した。
 組で矢張りよく出来るのは中流以上の子供であつた。弁護士で市会議員をして居る増田尊徳の次男や、同じく弁護士で市会議員の河井の子供がよく出来る。勿論貧乏人の子供でよく出来るおとなしい谷本と云ふ子供などもあるが、衣服の穢い子供は矢張り出来が悪い。それで栄一は此処にも社会改革が必要だと思うた。栄一は自己の案出した学習心理サイコロヂイオブラーニングを応用して、注意力の集中と趣味と『繰返し』と、言語中枢と視覚に訴へる為めに随分注意した。然し教室の喧躁は取れなかつた。それは教室の狭いためと、心理的能力の違つて居る各種の子供を一教室に追ひ込んで教へる為めであつた。
 栄一は自分の教室を『豚の教室』と呼んだ。石井常次は休憩時間十分間に十一人の子供を泣かすことは稀で無かつた。それで栄一は石井常次が自分の教室に居る間は完全に授業が出来ぬと思うた。然し首席訓導にも又は校長にも話す勇気は無かつた。あまり栄一の教室が八釜敷しいので、隣の四年の教室を受持つて居る師範出身の沢村と云ふ男が覗きにくる。『君静かにさしてくれな困るよ』と云ふ。
 毎週月曜に開かれる教員会議で首席訓導と校長はたゞ『訓練、訓練』と云ふことだけを繰返す。栄一はそれが自分を指して云ふのだと思ふと頭が上らなかつた。それで首席訓導はどんな風に教へて居るかと覗いてみると女生徒の四年生が、静かに授業を受けて居る。感心する。然し栄一は女生徒であればあれ位の静粛は保たしめ得るとも思うた。
 教室は毎日八釜敷かつた。それで校長が臨席する様になつた。然し校長の臨席位で石井常次は沈黙しなかつた。それで栄一は石井常次を変態心理の児童だとしてあきらめて居た。沢村と首席訓導の林が栄一を侮辱するやうなことを云ふ。然し栄一は沢村や林に変態心理がどんなものだかわからないものだと考へたから敢て反抗もしなかつた。
 教員生活は愉快なものぢやなかつた。殊に教授細目の作成に至つては沙汰の限りであつた。馬鹿気て書く勇気だに無かつた。栄一は日本の小学校は人間を殺す処だと考へた。
 教員室の気分は殊にいやであつた。月給一円や五十銭の差で二十六人の教員が皆階級を異にして居る、栄一は尻から五番目であつた。栄一よりつまらないものは準教員養成所をこの間出て来たまだ年の若い何にも知らぬ男教師二人と女教師一人と、福島小学校校長の長男で今年の四月に中学校を卒業した十九になる青年の四人であつた。
 然し実際の学力では全先生中栄一に肩を並べ得るものとては無い。栄一は英語と独逸語は自由に読むし、科学でも宗教でも社会問題でも文学でも芸術でも読めない本とては無かつた。それで栄一は授業の休憩時間には独逸文の哲学書などを読んで居た。
 それで首席訓導も沢村もあまりいぢめなかつた。同じ教員室に居ても女教員と男教員と話をすることは稀であつた。それをすることは罪を犯すことのやうに皆のものが考へて居るらしい。然し去年この小学校の男女教員の間に出来た恋愛問題は教員間には面白く伝へられて居た。その二人は今は夫婦になつて美馬郡の山奥へ教員になつて行つて居るさうであるが、教員仲間ではまるで死刑囚のやうに悪口を云うてゐた。
 兵式体操と修身だけは八釜敷かつた。栄一はその形式的の軍国主義教育の中毒に驚いてしまつた。
 栄一は小学校は彼が長く奉職すべき所でないと思うた。然し生徒が可哀想であつた。世界的に偉大になり得る国民が今日むざ/\とその芽生え時に殺戮されて居ると考へれば堪らなかつた。
 栄一は日本の教育は人間を人形に造り上げるのが目的であると断定した。そして彼はルソーの『エミール』や『ソフヰア』の教育――それは恋愛教育までも含んだものであらねばならぬ――のことを思うて日本の教育を呪うた。
 そしてソフヰアとエミールの恋愛教育を思ふと、自分と鶴子の恋愛が幸福なものであることを自ら祝福して毎晩会ひに行つた。
 栄一は自分の恋の成功を喜んだがまた云ふ可からざる苦痛を感じて来た。然し恋人と語る一分は二十四時間の苦痛を贖ひ得ると信じて絶えず鶴子を訪問した。もう一月すればまた別れねばならぬと思ふと、何だか小説じみた悲哀の情緒が湧くので恋の趣味が一層増した様に思はれた。
 然し宅では頻りに栄一が夜遊びする様になつた事を非常に怪んで居る。
 吉三郎も未だ秘密を知らぬし奥も栄一が鶴子に通つて居ると云ふことは知らない。だから奥の方では下女の『よし』が毎晩伯母の宅へ行くと云つて出て行く事などから或は栄一が常々から女中にあまり親切な素振をすると云ふ所から、此辺に秘密があるのではあるまいかと推察して居た。
 処が五月の月も今日一日と云ふ日の夕方、下女の『なほ』本名大山こまんはお梅から暇を貰つて帰ることになつた。その理由は此度看護婦になると云ふのであつた。
 奥では朝から晩まで栄一とこまんの関係の噂で持ち切つて居る。吉三郎はこまんが或時栄一のスタデーに泣いて居るのを見たと高い黄ろな声で云つて、お梅の好奇心を買つて居た。
 大山こまんは五月一ぱいを限りとして去つた。それでお梅は吉三郎を口入屋へ遣つて、ちよつと美しい小間使を探して呉れと頼んだ。然し直にと云ふ工合にも行かず二日立ち三日経つて早く一週間も下女無しに送つたが、一日下女の来るのが延びると一日栄一が怨まれる日が長く延びる、お梅は蔭になり陽になつて栄一が下女に暇取らしたのだ、宅が憎いから宅が困る様にと思うて下女をなしたのだと出来るだけの悪口を云つて居た。
 処が、六月七日の夕景であつた。栄一がもの思ひに沈んで散歩から帰つて来る途中寺島の剣先でヒヨツコリこまんと行き会つた。こまんはもう立派な女学生で下女の様な面影は少しも無い、そして憎くも無い眼付きをして栄一にお詫びすることがあると云ひ出すのである。
『お詫び?』と栄一は問うた。
処が『奥様が此度私がお宅からお暇戴いたのを何か私と貴君と関係があつて私が出たと云ふ様に思ひなしていらつしやるのですから』と悲しさうに囁いた。それで栄一は、
『実際関係があるでせう。私が貴女に看護婦になれと勧めたのだから全く関係が無いと云はれますまい。……一寸、然し一体誰れから奥様がそんな事を思つて居ると聞いたの?』
と、聞かれてこまんは赤い顔して、
『此間一寸吉三郎と道で会つて聞きましたのですが、唯今お宅へ一寸お礼に参りましたら奥様が「栄一様とお前は此頃思うた様に遊べるだらうな」と仰しやつたので吃驚したので御座りますわ――』と答へる。
『君は卑怯だね。はい毎晩狂つて遊んで居ります。ヘイ、それがどう致しました。そしてお手前は? と云へば善いに。さう云へばお梅は閉口して終つたゞらうにね』と栄一は強い言葉を並べ立てた。するとこまんは手に持つて居た更沙の風呂敷で顔を蔽うて、
『オホヽヽヽ、そんな嘘が云へますものか? オホヽヽ』と笑つた。
『然し言葉は仮物だからね。逆に云つたら合点することがあるものですよ』
『それでも……オホヽヽ』
『僕は君と関係があると云はれたら嬉しいよ』
『若旦那。御冗談ぢやありませんよ。ホヽ』
『君の嫁入に差支へますか? それぢや関係があるとは云ひますまい。が僕は他人の誤解位は何とも思つて居ないから其積りで心配し給ふな。なにお梅の野郎がどう云つたとて、そんな事は気にかけ給ふな。それはさうと、もう入学が出来たの?』
『お蔭様で』
『そら都合が善かつたね。勉強し給へよ。凡ての女の人は僕が君によく云つた様に、フランシス・ウイラードやナイチンゲールの様な人間になれるのだからね。たとひなれなくとも立派な子供のお母様にはなれるのだからね』
『精々勉強はして居ります。今度の入学試験にも高等女学校卒業生許り応じましたがね。その中で二人しか入学の許可をして呉れませんでしたの』と云つて人が通りかゝるかと思つて通りを見て居る。
『さうですか? それは善かつたね。実際此頃の高等女学校の生徒などと云つても宛にならぬからね。何しろ自分手に勉強して満足する人が一番豪いのですよ。僕などもと云ふとをかしいが、僕など学校で真に教へられたことと云ふことは少しだね。君など看護婦養成所に居つても自分手に勉強をせなければ駄目だよ』
と、兄の様に友の様に云ひ聞かすのでこまんも満足して、
『はい。有難う御座ります。若旦那とは少ししか、御付き合ひ致しませぬが色々と受けました御恩は真に忘れません。屹度御恩返しいたします』
『御恩返しとか何とか、えらい歌舞伎めいて来たね。御恩も何も有つたものぢやない。君、今五十年して見給へ、下女とか云ふ事は昔噺になるよ。今の中に看護婦にでもなつて人に笑はれ無い様になつて居らな、年食つて恥かくよ、ね』
 往来の人々は変な目付をして二人を見て通るが、栄一は反つて視線を浴せかける。
『それでも、あなた様がいらつしやらなかつたら私は看護婦などには夢にもなれませぬわ』
『そんなに拝まなくてもいゝぢや無いかね』
『ほんとに、若旦那は善いお人ですね。それに何故あんなにお父様が可愛がりなさらぬでせうね?』
『善い人だ? 人を馬鹿にしてるね。僕はもう失敬しますよ。帰つて少し勉強しなくちやならぬ』
『それぢやまたお目に懸ります』と二人は立ち別れた。が、こまんは別れて一町許り行くと吉三郎が風呂敷包を持つて向うから遣つて来るのを見た。吉三郎はこまんが誰れと話して居たかを聞いた。若旦那とだと少し顔を赭らめて答へると、吉三郎は苦々しく笑つて通り過ぎる。そして二三歩進むと、
『をかしいな! 誰やら』と振り顧つて叫んで置いて道を急いだ。
 翌日の朝栄一は平常の様に、父やお梅に遅れて食事しようと八時十五分程前に二階のスタデーから下の台所へ降りて来た。栄一は朝の五時頃から大抵三時間読書する習慣がある。二階から降りて来るとお梅は変な顔をして『流し』の前から、
『お早う、今日はいつもより遅いのですな』と云ふ。
『いゝえ、平生の通りで御座りますよ。八時前で御座りませう』
『八時ですか、もう。私などはもうちやんと六時半頃に朝の御飯をすましてそれからお雑仕にかゝつて居りますのですよ……雑仕が急しうて困る。はや、二時間も御雑仕許りして居つて』
 吉三郎も恰度板の間に飯を食つて居たが、お梅は吉三郎の方にむいて、
『吉三郎、真に朝は急しいな。若旦那の様に朝が遅いと困る。恁那にまで遅く本を読まれると困るな。精々七時までに切り上げて貰はな、な』その云ひ方が面憎い。吉三郎は笑つて許り居た。
『これでも下女が二人も居つて、若旦那に一人だけ、附けて置いて、若旦那お独りのお雑仕から何からすつかりさせたらな善いのぢやけんど。女中が居らん上に八時頃まで雑仕を待たされると一寸困るな。な。これ吉三郎』
『ヘエ、ヘエ、……』と吉三郎は唯栄一の顔を見て笑つて居る。
『栄一様、昨日こまんさんが来ましてな。若旦那によろしく云うて居りましたでよ』
『さうですか? それはどうも有難う御座ります』と軽く答へて、お梅を相手に為なかつた。栄一が怒るであらうと思つて揶揄からかつたにあまり答への軽いので、
『若旦那は昨日こまんに逢うて色々面白い話が出来ただらう。な、吉三郎』栄一は別に驚きもしなかつた、吉三郎がお梅に告げた事だと思つたから。
『女中が居らんので奥や吉三郎が困つて居るのは、脇から見たら面白うて小気味が善いだらうな。「奥様がむづかしいからその罰ぢや」とこまんが云つて居つただらうな。栄一様』
『さう云つて居りましたか知らん?』
『小気味が善いわ。そら、お父様や弟様が困るのは、そして私の様な駄性どじやうたれ奴が困るのも。栄一様、此頃は毎晩毎晩、あの可愛いこまんさんと、打ちくつろいで話が出来るだらうな。此頃はこまんさんも綺麗になつたな』
 云はせて置けば勝手に復讐をやつて居る。が栄一は別に騒が無い。
『さうですね。こまんは綺麗になりましたね』
『綺麗になつたから嬉しいだらうな』
『嬉しう御座りますよ』
『そら、水仕奉公をして居つたら綺麗な人でも穢うになるわな。宅に使はれて居つたけん、小まんも穢なかつたのぢや。ほんまに水仕は毒ぢや。私が早や七日で手や顔の艶がなくなつてしまうたもの。な吉三郎。さうだらうな、奥様の手のきめを見なはれ、これ、恁那に荒れて来た。どうで』
 栄一は心の中でお梅の小さい根性を嘲笑して居た。併しお梅には足る程悪口を云はさして遣らうと思つたから、小言を云はれてうまくも無い飯を出来るだけ落付払つて腹一杯食はうと決心して居る。
『な、吉三郎。これから女中が居らん間は皆面々に自分手に御飯を焚いて自分手に食ふことにせんで――自分だけ本を読んで居れば善いと云ふ人があるけん……』
 まだ栄一は怒らぬ。
『栄一様、今日はお弁当が出来まへんでよ。益則さんのが漸う出来兼ねた……』お梅は益々脅迫して来た。が栄一は何とも考へて居らぬ。
『アヽ、漸う、雑仕がすんだ。もうお雑仕がいやになつた。栄一様、私はもう髪を梳き付けんならんけん、そのお膳とお茶碗は自分手にお洗ひなはれよ。アヽ忙しかつた』と云うて流しを去つて奥へ這入らうとして、両手を前掛けで拭いてゐる。吉三郎は食事が済んでお膳の蓋を頂いて居る。お梅は『よろしく』と冷やかに笑つた。
 栄一も云はれた通り静かに膳を『流し』に運んだ。お梅は栄一がどうするかと思つて、立つて見て居たが、茶碗を洗ひながら笑つて居る。お梅は心細く、
『可笑しい人!』と低い声で嘲つたが、栄一の耳には這入らなかつた。笑ひも止らなかつた。
『アレ、ほんまに、可笑しい人ぢやな』とお梅は再び繰返した。此の嘲弄の声が今度は少し耳に這入つた。
 その時、茶碗を洗ひ終つて桶から取り出す処であつたが、茶碗取り上げ栄一は、粉微尽になれと敷石めがけて投げた。茶碗は砕けた。栄一は、
『アヽ破壊れた[#「破壊れた」は底本では「破壌れた」]。アハヽヽ』と夢の様な軽い笑ひを洩した。お梅は、『吃驚した。危ない、ようまア私の目にでも破片が飛んで来なかつたものぢや』と云つて奥へ這入つた。
 栄一は学校へ急いだが、その日の授業を面白くすまして何処かへ隠れてしまつた。三日許り家に帰らなかつた。田舎へ帰つたのでも無い。鶴子の処に居たのでもない。勿論こまんの処にも行かなかつた。
 三日目の晩方真蒼の生気の無い痩せた顔をして帰つて来た。帰つて来た時一人の女中はこまんの代りに台所で忠実に働いて居た。
 鶴子は栄一に決して父に反抗してはならぬと勧めて居た。然し栄一は鶴子の寛容は、ルーテルのプロテスタンチイズムを帯びた近代的色彩モーダーンカラーが無いと考へた。そして父の反省を促す為めに自分が気狂ひになつても善いと考へて居た。諫めて駄目だとは決して思はぬ。栄一は一々父の反省を促すべき事を数へて『第一反省を促すべきは金その者の価値に就いてゞある。第二は株式の一攫千金の夢である。第三は市長の価値そのものである。第四には女遊び。第五にはお梅と本妻と自分等子供の所置を明瞭に付けて貰ふ事である』と思ひ悩んだ。そして父は必ず自分の様な心になれると考へた。彼は駄目だとは思はぬ。が、父を之等の諸点に就いて納得させるには尋常一様の手段ぢや駄目だとも考へた。
 海の様な寛容で、女遊びも蓄妾も、笑つて許して遣りたい気もした。然しキリストの様な熱と血の流れて居る多くの聖徒を思ふと、また『ノーノー』と反対せねばならぬ様に思はれた。
 一緒に住んで居ると、突然父を掴へて諫めるのも何だか変な気もするので、延ばし延ばして三十日も過ぎた。諫めると云ふ事はなか/\出来ないものだ。
 三日断食して何処からか知らぬが帰つて来た晩、父とお梅が長火鉢を間に置いて煙草を吸ふて居るのを見付けたので、折もよしと二人の前に現れた。
『唯今帰りました。色々御心配かけましてすみませんでした』と栄一は手をついて平気で謝した。
 父は黙つて知らぬ顔をして居る。お梅は愕いた顔をして、
『お帰り。宅ではどんなに心配して居つたか知れまへんでよ。栄一様……何処へ行つて居つたので?』
『いや、一寸考へることがありまして――』
 父は威張つた目付で栄一を一寸顧て、
『栄一、貴様の様な不孝者は無いぞ……よく考へてみい』と冷い落付いた口調で云ふ。一座は暫し身動きもしなかつた。
 然し栄一は顔を上げて、厳格な犯すべからざる態度を取つた。父は両臂を長火鉢の端にもたせて、栄一の動作には無頓着を装つて居る。お梅もさうだ。然し二人とも心の中ではどんなことを栄一が為出かすか知れぬと思つて心配して居る。
 が栄一は中々口を開かぬ。その高慢な王様気取りで居る様な視線を父に浴せかけて居る。
 父は自然身が震へて恐ろしくなつて来たから、
『栄一、貴様は気が狂つたのか? どうしたのぢや、己に向つてその生意気な態度は一体何ぢや』と、叱つた。
お梅も、
『栄一様の目付き。いやな目付き。そんな、いやな目付き、なさるな』と苦しい笑ひと共に栄一を制止せざるを得なかつた。
 栄一は急に柔和な笑ひをその青白い痩せた頬に浮べて、喜びに充たされて居る様な瞼の使ひかたをして、
『お父様』と女の様に愛らしい声で低く云つた。そしてまた続けて『お父様』と父を呼んだが今度の声は曇つて居た。そして、も一度『お父様』と呼んだ時には泣き声であつた。然し父は三度が三度まで返事をしなかつた。
 栄一は涙をハラ/\と流しながら、
『お父様、一生の御願ひで御座りますから、私の云ふことを御聞き下さい』と皆まで云ひ終らぬうちに咽んで語尾を明瞭に云ふことが出来なかつた。お梅はたゞ四日前悪口を云つたのを気にして栄一の云ひ出すことの遅いのを苛つた。
 少し過ぎて栄一は顔を上げる勇気もなく、
『お父様、栄一はお父様の真の子なのですか?――私は何故か知りませぬが心の底からお父様を愛する事が出来ないのです。然し心から底から愛する事が出来る様にと思つて、日に日に泣いて許り居ります。此三日間は大麻山で考へて参りました――どうすればお父様を真に愛する事が出来るかと思ひまして。世界に何か人間の心と心を繋ぐ糸筋の様なものがあれば、その不思議な力でお父様の胸へ私の考へを伝へて呉れと祈つて来たのです……』と云つて俛向いて、泣きながら沈黙した。然し胸の中では、
『諫める? 陳腐な真似をする! 重盛時代にはまだ価値もあつたが、二十世紀には父を諫める男は一人も無い、家を出て女と食付かうとそれで善いのだ。近頃の小説に父を諫めると云ふ様な陳腐な真似をする主人公は一人も無いわい。……』と嘲笑の声が起る。
 それをうち消して栄一はまた、
『お父様……』と呼んで『私はお父様。どうも申上げねばならぬ四つ五つのことがあるので御座ります。失礼ですがお父様は御自身で此頃の生活を人間の道を渡つて居らつしやるとお思ひなさいますか? 私はどうしてもお父様の此頃の生活は人間の道を真直に渡つて居らつしやらないと思ふので御座ります。私は之を申上げよう、申上げようと思つて、またお父様に叱られるのが恐ろしいので、卑怯になつて、申上げる事が出来なかつたので御座ります……』
 父は頭を垂れて居るがお梅は知らぬ顔をして煙草を燻して居る。
 栄一はまた言葉を継いで、
『私は田舎へ帰る度毎に、お父様が田舎のお母様さんに対して無慈悲だと思はざるを得ないのです』
『無慈悲ぢや! 何をぬかすのな』と父は叫んだ。
『さうです、無慈悲です。全く無慈悲です。生きた可愛い女を墓の中へ生き埋めにすると云ふのはお父様の事です』と栄一は云ひ放つた。然し彼は泣いて居る。が、
『凡ては過去だ。過去に冷やかであつた父と本妻の間の関係を現在温かく甦らそうとして居る。父は既に五十六! そして三十年間も本妻と離れて居るのである。三十年を取り返す事が出来るならばその情も熱も取り返す事が出来るだらう。いや始めから情も熱も無かつた。……然し云はずに済ます事が出来るだらうか?――』と頭を悩ました。
『自分も妾の子の癖に何を云つて居る』と心の中で栄一は自らを嘲弄した。今日はいつもの父と違つてよくものを云ふ――。
『黙れ! 栄一。生意気なことをぬかすと承知せぬぞ。お久にはお久だけの食ふものをあてがつてあるではないか?』
 お梅はつと立つて便所に出て行つた。栄一はその大きな丸髷が醜く見えた。お梅の後姿を見送つて、稍穏当に、
『私はお父様に叱られても申し上げる事だけは申上げます。少しの間だけ御辛抱して聞いて下さい。もし聞いて下されば私はもう死んでも宜敷う御座ります。お父様。馬詰のお母様のお話によればお父様は此頃非常に株で御損をなされたさうですね。私の一生のお願ひで御座ります。何卒投機だけはお止めなして下さい。話によれば馬詰の家屋敷も皆抵当に入つて居るとか……お父様、これを新見家の先祖に対して何と申訳をなさいますか?』栄一は急に儒者になつた様な気がした。『わしがどうしようと勝手ぢやないか? お前等の知つた事では無いわ。生意気な子伜が何をぬかすんだ。それじや己をどうする積りか? 勝手にさしてやるわ。もう己も年が寄つて役に立たぬからお前の勝手にさしてやるわ』と父は云ひ放つた。
『あなたは自分の金で自分が賭博を打つから善いと仰しやりますか?』と栄一は父に向つて失礼だと思つたが元気づけて云つた。
『ウム、貴様等生意気な書生が何を知るか? 貴様よくも親から今日まで養はれてゐて親に向つて、そんな生意気なことが云はれるな――』父の額に青筋が立つて居る。父は火鉢によつてうつむいて色々と考へて居る――。
 恁那に家庭が乱れるのも皆運命だ。十六の時に養子に行かなければならなかつた彼は、新見家に養子に来なかつたならば唯大津村の酒屋の次男として世を終らなければならなかつたのだ。そして新見家が無ければ決して学問も出来なかつたし、選挙運動の金も出来なかつたらう。が、お亀を妾にしたのは抑へる事の出来ぬ情熱からだつた。そしてお梅を入れたのも抑へる事の出来ぬ本能の命令に従つたからであつた。お亀を入れた時にお久が反対した。お梅を入れるとお亀の子が反対をするが、皆運命だ。本能を抑へる事が出来たなら此悲劇は起らぬ。が始めからお久の様な十三の小娘に養子にならなかつたら善かつたのだ……運命だ、運命だと思ふと彼は何の責任をも感じない。栄一は続けた。
『それぢや、お父様その御自分の金と云ふのを見せて貰ひませうか? お父様は新見家の財産を片端から使つて置いて何処に自分の金と云ふものがあります!』
 かう激烈に詰めかけられてはたまらぬ。
『云ひたいだけ云へよ。然し新見家の財産は盗んだのではないから安心して呉れ』
『盗まぬから善い?』と栄一は反問した。
『何とでもぬかせ。盗賊なら盗賊でも善いわ。賭博うちなら賭博うちでも善い。お前が何程豪らさうに云はうとも恁那大きな家はよう自分手には建てまい。泥棒でも盗人でも善いわ、よ、お前も恁那大きな家に住める様になれえよ。世界には豪い泥棒もあつた者ぢや。市長の椅子を占める泥棒つて、な。安気な公平な泥棒ぢや。行政権を握る事も出来る泥棒ぢや。――』
 栄一は沈黙させられた。然し少ししてまた勇気を出して、
『お父様、それぢや、私達はどうしてくださるので御座ります? 妹を、笑や義敬を……』
『どうならうと己の考へ次第ぢや。お前に干渉して貰はんわ。生かさうと殺さうと己の勝手ぢや。お前は長男だから口がきけると思ふと間違つて居るぞ。近い中に益則に相続権を譲つて了ふ積りで居るわ……こちらでは。お前の様な賢い人には泥棒の家を継ぐ事は出来まい。な、否だらう。また継がさぬわい。な、安心した方が善いだらう』
『いや私はお金の一文も他人から貰ひたいことはありません。相続権などは勿論益則が相続したければ悦んで譲りませうよ――』と、云つたものゝ、栄一は涙も涸れ、善の標準も無くなり、唯鉄で作つた機械が胸の中に運転して居るのでは無いかと感じた。
 が、また心の中で考へて居る事を皆云つてしまはないので、
『お父様。あなたが私のお父様ですか?』と茫然した問を発した。また之れだけしか発せられなかつた。父は栄一が気狂ひの様な変な顔をして此妙な問を発するので、
『己はお前の父ぢや無いわ』と云ひ放つた。
 栄一は頭が変になつて来たのだが、別に自制しようとも思はず、
『ウフア、フア……』と泣きたい様な笑ひをして、目には涙を湛へ『お父様』とまた父を呼んでみた。そして立ち上りながら、
『お父様は何故私を可愛がつて下さらぬのだらう。なぜお父様は栄一を可愛がつて下さらぬのだらう。お父様は何故お母様が死んだ後にすぐお梅を引ぱり込んだのだらう』と柱に倚りかゝつて独り言を云ひ始めた。
 栄一は自分手に、気狂ひの真似をしてゐる事に気が付いて居る。妹が折々気狂ひの真似をして田舎の本妻を困らすと云ふ事を思ひ出して居る。然し妹の気が狂ふと云はれる時の心理状態は恁那時を云ふのかと思ふと同情する。気が狂ふと云ふのは高熱の心理状態が普通の人より永く続くのだと想像する。そして此高熱の心理状態の処が何となしに清々して抑圧したくない程面白く感じられる。
『お父様。私はお父様を愛して居るのです。然しお父様が株式や投機に手を出して、女遊びに身を窶すのが嫌ひです』と鶴子が急に乗り移つたかと思ふ様な気がしたので、鶴子の云ふ様な女口調で、優しい声をして云つた。
『私は何故お父様に嫌はれるだらう。私が明治学院へ入学したのが悪かつたかしら? アヽ、然し今頃の様な間違つた世の中で誰が官吏や弁護士になる馬鹿があらう。私が明治学院から帰つたのが悪いのだらうか? お父様は理由も聞いて下さらずに私をお責めなさる? 然し私は……さうぢや。もう云ふまい。僕は勝手に勉強しよう――』と大きな声で自問自答した。栄一はこれだけ云へば父に解るかと思つたのである。
 父は先つきから何を感じたか頭を鉄瓶とすれ/\に置いて泣いて居る。が、栄一の態度に何か超自然の力がある様に思はれて恐ろしく感じて居る。
 お梅は縁に出て立ち聞きして居たが、二人が沈黙したので這入つて来た。すぐと、
『栄一様は気が狂つた様ですわね』と長火鉢の前に坐つて煙草を入れた箱を膝の上にのせて、長煙管を取り上げながら云うた。また平気な調子で吸ひ始める。
 栄一はお梅の下品な態度を見て、
『フン』と鼻で嘲つて家を出た。鶴子を尋ねるのだ。
 お梅は旦那が泣いてゐるのを見て、大きな声で笑つた。
『旦那さん、何をお泣きなはるので? 馬鹿々々しい。栄一様の仰しやる位の事が何だす。私など爪の垢とも思つて居りやしまへんわ。旦那それぢやけんいつも云つて居るでへんか? 早やう別嬪さんを栄一様に世話してあげなはれつて。別嬪さんを側へ付けて置いたら、旦那に一言も仰しやりはしませんわ。旦那は私の云ふとほりになさらずに、自分にお困りなさるのですわ――』と得意になつて論ずるやら慰めるやらする。
 父の喜一は唯過去を追想して黙つて居る。折々便所の方の縁側から栄一の母の幽霊でも出て来ぬかと見て居た。栄一の顔がお亀の顔に見えて目の先にちらつくのである。

十七


 家を出て久し振りに鶴子を訪れた。鶴子は栄一の顔の窶れたのに驚いた。原因を尋ねたが栄一は答へなかつた。栄一は初めから熱烈なキツスでも与へられたら答へもしたであらうが、何だか行儀作法の真似をして居る様に思つたから云はなかつた。またその瞬間に鶴子は自分に根本の同情を与へ得る女では無い。鶴子は近世的男性と云ふものも知るまい、たゞ田舎者だと考へたので、沈黙して居た。
 栄一は恋人と云ふ者も無意味であると云ふ気がした。矛盾した世界に何の恋の甘味があるかと疑つた。然し恋は疑つて益々甘味のあるものである。憂ひの恋! 之程あやしいものは世界に無い。栄一があまりに沈黙して居るので鶴子は熱して来た。そして其手を取つた。然し栄一は恋の興を湧かさうとはしなかつた。今日は恋を嘲笑に来たのだと云ふ気がして悲痛な情が燃えた。手を握られて大麻山の森の中を思ひだす……あの天狗が居ると云はれて居る森の中の三日間を。三抱へもある杉の森の中の小さい祠の中で三日断食して黙想した事……夜更けて杉の枝に風が強く吹き付け、十日頃の青い月が自分の坐つて居る祠堂の中を覗き込む其瞬間、眼をパツと開いて、淋しい歓喜に充され乍ら月を見上げた時の感想を思ひ出す。その時は世界に恋など云ふ『我』の這入つた劇は演じたくないと思つた事を回想する。『然し』と考へて人間の濁つた音声の中にも鶴子の調子の高い会話の中にもあの高い大きな松の枝を渡る風の音の神秘が通つて居ると考へると、頭を傾けて鶴子を見上げたい。鶴子の顔を見上げると眉の間の輝いて居るのは何の為であらう。がまた鶴子を抱くのは何だか子供に恋する様な気もせぬではない。『あの大麻山の森を渡る嵐を一言葉で静めた時、青く光る月を一寸手を挙げて光を消した、その時、それこそ打寛ろいで恋に結び付けたいのであるまいか? くうと空の世の中から無を探し出した時それが真の喜びではあるまいか?』と思つたりすると馬鹿らしくて鶴子の側に居られぬ。
 栄一は鶴子を抱いて目を閉ぢた。そして鶴子が立ち所に消えて自分の幻の中に現はれて来るなら之が真の恋だと考へた。然し幻の中に鶴子も現はれて来ない。たゞ鶴子のつけて居る香水の薫りが匂ふ許りだ。
 栄一は想ひから想ひに移つて、全身の血脈が皆幻であるかと疑つた。そしてまた現実を我脳中の夢に、客観を風で我幻に変へて終ふ積りだと心にきめた。客観は最早や実在では無い――彼に取つては実在即ち幻で幻即ち実在である。客観は最早や実在で無い。世界は凡て狂つて終つた。栄一は自分の唇を鶴子に近づけて、
『鶴子様。世界のよりが少し狂つて居るよ。北極星が二十三度半傾き過ぎて居るのですよ……』と低い哀れな声で云つた。鶴子は何の意味だか充分解らなかつたので唯黙つて居たが。が、鶴子は栄一が人々に亦自分に対する柔和な親切な愛と同情に云ふに云へぬ気高い秀でた、普通の基督教信者より勝れた徳を見出して居るので、多分また何か他人の為めに苦しんで居るのであらうと思つて居た。鶴子はキツスをした。そして憂ひを帯びた低い声で、
『どうなしたの?』と伏目になつて尋ねた。
『鶴子様はいつ広島へ行らつしやるの?』
『私?』と鶴子は顔を斜にして、
『わたしね、広島へ行きたくないわ――』
『どうしたの?』
『なぜ、あなた、それでは、此頃そんなに悲しそうにして居らしやるの? 私はあなたを捨てゝ広島へ行くのが何だか心許ないの……』
『私の傍に居てくださる、それぢや! 私も鶴子様に別れるのは嫌ひよ。私は鶴子様が広島へ行くと云つても遣るまい! 鶴子様、私はあなたが行くと云つても遣りませぬよ』
『ア、私も行きませぬよ。かうして死ぬまで居りませうか?……そらさうと此間は庭を掃除して下さつて有難う』
『いゝえ』
『その前は風呂へ水を入れて貰つたりお使に行つて貰つてね。私あなたにほんとに、済みませんね』
『なぜ? 私、貴女の為めなら生命でも捨てますよ』
『それでも私は、私の可愛い人を使ひたく無いもの。ね、貴君は私の可愛い人よ。貴君と私との仲は神様でも切れ無いのよ……』
『それはさうと鶴子様。私はもう近い中にお父様の宅を出る積りなのですよ――』と云つたが、鶴子は驚いて、
『どうしたの?』
『実はね。怒つちやいけませぬよ。皆云つてしまふから。今またお父様と喧嘩して来たの――』
『喧嘩を? 私が喧嘩をしなさるなと云ふのに』鶴子は少し曇つた。
『鶴子様。さう下へ向かなくても善いでせう。私が理由を話するまで聞いて下さいな。私とお父様との関係は毎度云つた通りでせう。もうね鶴子様……どうしても近い中には破裂するのですよ』
『どうしたの? 破裂つてどうしたの?』
『私はもう相続権を取られて了つたの』
『誰方に?』
『お父様は益則に譲るのですつて』
『非道いのねお父様も』
『ね、鶴子様、東京に居つては学資は充分送つて呉れず、帰つて来ては、継子扱ひにせられるつて、ね』
『真にね、同情致しますよ』
『僕は何にも準禁治産者にせられたのはつらくもありませんがね。お父様の僕に為て居らつしやる通り社会に為て居らつしやるのが悲しくて堪らないのですの』
『お……父様はそんなに貴君あなたがおいやなの――それぢやおうちに居られませんか?』
『此儘居れば父に殺されるより外は無いと思ふのですよ』
『殺される? あなたが殺されたらどうしませうね?――それであなたはどうなさるの?』
『近い中に私も何処かへ行かうかと思ふのですよ』
『何処へ?』
『さ。あなたのいらつしやる処へ附いて行きませうか?』
『広島へ? それでは? そしてなにをなさるの?』
『何でも善いのですよ。小僧でも、丁稚でも、百姓でも……』
『百姓? わたし百姓嫌ひ!』
『エ、貴嬢あなた百姓嫌ひ、フム、あなた百姓嫌ひ? あなたは普通の女学生と違つた処があると思つて居たら、あなたも矢張り普通の女学生と同じね……百姓程神聖な者がありますものか? トルストイのシンプル・ライフ主義には真理が多いのですよ』
『いや、ちよつと云つて見たのですよ。そんな真向うから攻撃していらしやらなくとも善いでせう。アモスなども元は百姓ですね』
と云ひ解けしたが栄一は矢張り自分の立場を弁解しようと、
『実際僕は百姓が恋しくて恋しくて堪らぬのですが、安気な百姓許りが人生ぢやないと思つて居るから今は小学校など教へて居るのですよ』
『ほんとに百姓程神聖な生涯はありますまいね』と今度は鶴子も百姓主義に賛同したが、下からお婆様の声が懸つて、降りて行かねばならぬやうになつた。
 栄一は窓を開いて色々と考へた。もう十五日に近い月が庭を照らして柿の葉、蜜柑の葉、桃の葉が光る。近所は極く静かで何処の家にも光は見えぬ。月の走るのが早い。門口の戸を開いた音がする、鶴子が何処かへ使に行くらしい。栄一はひとり物思ひに沈んだ……
 明治学院を捨てた動機と今の無意味な生活を考へ較べると、情なくなる。そして、人生の凋落を痛切に感じる。
 が、一方では、今度志を立てゝ化学か物理学を研究して大発明でもすれば人生もさう無意味でもあるまいし学校も無意味でもあるまい。社会改良とか宗教とか云ふ様な空想な事を止めて、一つ工科大学へでも這入つて大発明でもやれと云ふ声が心の中に起る。……月が雲から現れた。庭の隅々までよく見える。此実証主義も一種の嘲笑を以て退けた。此の人間が機械の様に働いて機械を発明するのも無意味だ。人間は遊ぶべきだ。科学と云ひ宗教と云ひ道徳と云ひ人生と云ふのは皆大きな遊び道具だ! 芸術は大きな衣服を製造して遊ぶのだし、道徳は小さい人形を、そして宗教は大きな人間を作らへて之も矢張り遊ぶのだ。人生は一種の狂言だ。遊ぶのが人間で、よう遊ばぬのは畜生だ。
 現代の人間は遊び方が間違つて居る。遊び方を人間に教へる必要がある。父を諫めるのも、遊び方が間違つて居るからだ、と反問して自己の今迄取つて来た遊び事の様な哲学研究を弁護した。
 鶴子は思つたより早く帰つて来た。鶴子が二階へ上つて来ても栄一は知らぬ顔して考へて居た。
『あなた、もうあまり考へないのが、およろしいですよ。然し困りましたね。でも神様は人間がどうして善いか皆知つて居らツしやりますわ……』と鶴子はすぐ云つた。
『神様に皆お任せなさいな』かう云つても黙つて居る。鶴子は先ツき自分が百姓が嫌ひだと云つたのを怒つて居るのかと思つて、
『一寸、あなた御免なさいよ。私があなたに反対したのが悪かつたのですか。それで御怒りになつたらお許しなしてよ。ほんとうにあやまりますから』と詫びた。
 別に栄一は怒つて居るのでは無いが、十分許り一言も言葉を発せなかつた。鶴子も知らぬ顔して窓の欄干によつて、沈黙して居る。然しまた何か泣いて居る様であつた。鶴子の泣くのを気にも止めず栄一は胸の中で独り泣いてみた。が、栄一は少したつて鶴子にシエレーの詩でも一緒に読まうかなと云ひ出した。そして一時頃まで鶴子が『面白かつた』と云ふまで一緒にシエレーを読んだ。その夜栄一は強られて鶴子の宅で泊つた。鶴子は自分の室に栄一の床を延べたが、鶴子が床を延べる間にシエレーの話から東京の社会主義党員の活動を話した。鶴子は『愉快ですね』と繰返して居た。
 鶴子は机によつて聖書を一章読んで、下へ降りて行つて寝た。
 栄一は床へ這入つたが夢許りみて寝られなかつた。

十八


 この晩から栄一は頭が変になつて、強い震ひが、自分の胸に絶えず起つて居る様に思つた。
 そして此の強い震ひは何物にも恐れないが、自分手に自分を顧て折々驚くことを発見した、そしてまた此震ひが強く外界に現はれて来る時には、夢が真やら真が夢やら分別がつかない様な気がして来る。
 鶴子の宅で宿つた翌日の夕方、栄一は表庭に水打つことを命ぜられたが急にバケツや杓を破壊したくなつたので、目茶苦茶に壊して終つた。そして我と我身を不憫に思つたので涙を流して泣いて見た。泣いた後、城山の森の中へ隠れたくなつて、夕飯も食はず十二時頃まで大きな樟の木の影で泣いた。十二時頃に鶴子を起してまた泊めて貰つた。
 吉三郎とお梅は栄一が全く気狂ひになつたのだと騒ぎだした。
 然し栄一はまたその翌日、ナイフと云ふ者は恁那綺麗な柱でも削れるものか知ら、削れるものなら一つ削つて見よう。此柱は父の贅沢のシンボルだ削つても善いなと考へて表の床の間の檜の真柱を二三ヶ所削つて見た。削ると柱の見えが大分悪くなつたので、笑ひたくなつて笑つて見た。恁那笑ひは心持ちが善い。七十五日位長生きするなど考へた。
 また、あくる朝であつた。吉三郎は憎い奴ぢやが不憫な奴ぢや一度殴つて頭をなでて可愛がつてやりたいと思つたので、突然頭に拳固を一つ見舞つた。処が『若旦那、何をなさるんだんぞ?』と生意気な口返事をするのが憎かつたから其場へ吉三郎を引き倒して馬に乗つて耳を出来るだけ引張つた。すると吉三郎にも感覚があつたのか泣き出した。それで、『ウフム、アハアハ……』と笑つてみた。
 が小学校へ教授に出ると、生徒が皆自分の云ふことを聞くので嬉しくて堪らぬ。それで悧口な美しい女の子を見付けると抱きしめて、心の中で泣いた。女生徒も新見先生に抱かれるのを嬉しがつて居る。
 栄一は鶴子を見る毎にぢきに泣きたくなつた。鶴子の魂は栄一の掌に充分這入つて居らずに、這入つてもすぐ指の間から抜ける一種の幽霊の様なものだと思ふからだ。さう云つても鶴子は恋しいから、また鶴子と自分の関係を誰れも邪魔しようと云ふ競争者も父兄も無いから、来る日来る日も会つて夜遅くまで泣いては話し、話しては泣くのが嬉しくて堪らなかつた。
 自分には別に気狂ひになつて了つたとは思はないが兎に角、変な事を為て居るとは気が付き乍ら色々ないたづらをして四五日も早や過ぎた。
 此間も或時は懐からナイフを取り出してよろこんでみたり、新しい白い倉の壁に『超然』『偉大』『化身』と云ふ文字を大きく楽書したりなどして急しく送つた。
 鶴子は、六月二十六日の晩十時の蒸汽船で広島に行くことになつた。
 二十六日は早や来た。土曜日であつたが、田舎から至急話したい事があるから帰つてくれと云ふ本妻の手紙を受取つた。――此手紙は既に開封せられて居た。然し別に怒りもせず、お梅や吉三郎がたとへどんな邪推をし悪計を廻らしても臍の垢とも思つて居らぬと心中大いに意気上つて学校を休んで帰つて行つた。
 町を出るとパアと打ち開いた吉野川の平野。もう水田が一面に出来て世界を賑かに見せる。樺色の真摯な色が飛び/\の茅葺の屋根に表はれて泰平の気が満ち充ちて居る。
 栄一は自分手にバケツや杓を破壊した事が可笑しく不憫になつて来た。何故すぐに恁那打ち開けた日の照る平野に出て来なかつたか、子供じみた気狂ひの真似などもせずにと思つた。
 また併し人間の世界に住むならば折々茶碗の一つ位ゐ割る勇気も出て来ねば駄目だ。いや駄目処ぢやない。出す必要がある。必要ぢや無い。それは予定せられて居る。僕は何にも好いて好んで床の間の柱を削りはせぬ。何だか命ぜられた様な気がして削つたまでだ。……とその時の事を回想して事情止むを得なかつたのを弁護して居る。一里二里と大分我家に近づいて、牛屋島の渡しにかゝつた時に、
『アヽ自然より恋人と抱き合ふ方が善い。いやさうでもない。自然の恋人と一緒にある方が善い。恁那に独り歩くと淋しくて堪らぬ。勿論独り居ると気の立つことも無いが。いや恋人と二人で淋しい荒野で暮すならどれだけ楽しからう。荒野だから別にとがめる人もなし。お梅や吉三郎の様に悪口を云ふ人もあるまいし、さうであつた。鶴子と二人で出かけたら善かつたに。いや/\鶴子は馬詰村には恥しくて帰れぬ。アヽ鶴子が恋しくなつた。鶴子が恋しい、僕は鶴子にどうしても一日会はずには居られぬ。今日はどうしても帰つて行かう。明後日、出発するのだから一時間でも多く顔を見て置かう。僕は帰つて直ぐ……』など考へながら歩んだ。
 恋人の家屋敷の跡を見た時一寸立ち止まつて、『鶴子様』と口の中で云つて、自分の家の方へ歩を運んだ。
 真面目腐つて家に這入ると、母も妹も裏座敷で針仕事を為てゐるらしい、母屋には居ない。裏座敷へ椽を伝ふと、
『お前はんはほんとに鈍なの。恁那処をさへ善う縫はぬので、恁那「オクビ」の処さへな? 恁那なことでお嫁に行けるでかな――』と母が笑を叱つて居るのが聞えた。栄一は椽の外に立つたまゝ、
『お母様。今日は、御病気は如何で居らつしやいますか?』と尋ねたが、内から障子を開いて、
『栄一様で、よく来て呉れたな。手紙は届いたかいな。有難う。お蔭で段々……』と沈んだ様子である。
『栄一様。笑さんはほんまに鈍でこまりますわ。まだ袷の一枚が独りで充分縫へんものですからない』とお久は笑を眺めて云ふ。笑は俛いて『オクビ』を縫うて居る。
『御厄介でせうが、何分によろしくお願ひ申します。併し御病気が段々およろしいのは結構で御座ります……お母様。どんな御用事で御座りますか? 今日は』
『まア内へ這入つて畳の上へお坐りなはれ。そんなに椽の先で踞まずに。今日はまア悠然なはれよ。明日は日曜でせうな。笑さん、一寸座蒲団を持つて来て』
 笑は黙つて立つて台所へ走つた。栄一はその後姿を見送つたが、粗末な木綿着に赤い唐縮緬の帯、下手に着物を着て居るから細帯をしめて居るあたりが格別いやらしい。髪は乱れて首筋には汚れが黒くついて居る。大きな足をべた/\と音をさせて走つて行く様は、自分の兄妹だとは決して思へない。
『え、有難う。然し今日は一寸是非とも帰らねばならぬ用事がありましてね』
『栄一様。いつに無い今日は妙な事を云ふな。今夜は泊つてお出でなはれ。私も此二三日少し身体の具合もよし、今日も恁那に起きて坐れる位ゐぢやけんな、今夜は悠然とお話聞かうと思つて居るのぢやがな。東京の話でも――』
『いや然し是非とも今夜は帰らねばならぬことがあるのでしてね』
『さうですか? 用事つて、どう云ふ用事なのです?』
『別に用事と云ふ用事でもないのですが、お友達が此二十八日に広島の方へ行くので話せねばならぬことがあるのでして』
 笑が蒲団を持つて来た。
『さ、お敷きなはれ……笑さん、お茶を……さうですか、その様な用事なら別に止めは致しませんがな。私の今日栄一様に来て貰うた用事と云ふのはない、外の事でもないが、お父様が今度急に秋の年貢を四分方引き上げると仰しやるのでない……』
『いつ、そんな事を云つて来たのです?』
『何時つて、一昨日、亀公が町の方から出て来て早や布れて廻つたのですわ。亀公は内に居るよりか町の自分の内に多く居るけんない。内には何にも知りませんわ。処が昨日になつて新田の方の連中が揃ひで内へ遣つて来て不服をとなへるでないで――そら恐ろしかつたでよ。な、笑さん、昨日の朝は恐ろしかつたな』と、茶を持つて来た笑をも話の中へ引張り込む。
『兄さん、どんなに恐ろしかつたか知れませんぜ』
と、応じて継母の機嫌を伺つて居る。
『一体どうしたのです?』
『どうのかうのつて、皆玄関へ並んでな。さう、笑さん何人居つたいぞいな。八九人も居つただらうな』
『さうです。十人も居つたかも知れませんない』
『十人も? 十人も来たのですか?』
『それがな、黙つて、旦那様に御目に懸りたう御座りますと云うて落ち付き払つて、玄関へ皆つか/\と上つてくるでないで』
『誰れが出て行つたの?』
『私は恐ろしかつたから出て行かなかつたがな。初め女中が出て行つたんですわ。そして後から笑さんが出て行つたでわ――な、笑さん』
『そして出て行つたら?』
『旦那様は留守で御座ります』と云はした処が、不服なら馬詰へ来いと亀公が申して参りました。旦那様はお帰りなしていらつしやるに違ひないと云ふでないで、何にもお父様は帰つて来た事はなし、宅には何にも年貢の事など知らんだらうな。そぢやけんそら町の方から云うて参つたのでせうが、私の方では何にも知りません、もし不服がありなさるなら、町の方へお出でなしてと云つた処がない。さう云ふ事があるものか、現在亀公が布れて来たのだから間違ひのあらう筈がない。そして同じ新見でありながら知らぬと云ふ道理はない。知らぬと云ふなら、年貢を納めぬまでぢや。もしそれとも旦那様が居らぬなら奥様でも出て来て呉れと云ふのでよ。ほだけん、奥様は病気で御座りますと云はした処が、それならお嬢様でも善いから出て呉れと下女が云うて来るのでよ。笑さんは恥しいと云うてどうしても出て行かなんだら、お嬢様でも出て来ても呉れな此処を動かぬと云ふのでよ。しようことなしに笑さんを出したら裏座敷まで聞えるやうな大きな声で理窟を並べたてるのでよ――「苗代立てる時に御年貢御上げになるならなると仰しやつて下されば私の方でも考へが御座りますが、もう稲も大きくなりまして肥えの二回もやりました時分に四分上げると仰しやるやうなことでは私共の方ではどうも仕方が御座りませぬ。無理を申しますと警察の方からお手をお廻しになるでせうから無理は申しませぬ。然し善くまア私達の様な貧乏人を御困らせなさりますない。いづれ近々の中には御恩返し致しますからどうぞ宜敷く御内儀の方から、町の旦那の方へお伝言を願ひます。あなたの方から無理仰しやるならこちらも無理を申します。どうせ警察から年貢を取り立てられるのなら私の方から警察の御厄介になる考へで御座りますから、そのお積りで」と落ち付き払つて、こちらが女許りぢやと思うて調子を降ろして云ふで無いで、私は胸糞が悪うなつて来たでよ。何んぼ女でも』
『ヘエ、豪い事が起りましたね』と栄一は別に驚きもせず笑つた。
『ほんとに恐ろしかつたでよ。それで、すぐ十人に暴れられたら如何しようかと思つたでは。男は居らず私は病人なりな。三人が三人ながら殺されるわな。ぢきに』と、稍誇張して、
『フム、お父様は非道い事をしますね』
『こちらが困ることを知つて居つて、こんなことをするぢやけんな。ほんとに困つたな』
『ほんとにお困りでしたね。それで、どうなさいました。それから?』
 裏の堀に子供が二三人蝦網をおろして騒いで居る。『モズ』が柿の木の上で喧しく鳴いて居る。
『内の方では全く知らんけん、町へ聞き合せて見てから、よくよくのお話は致しますと云つて置いたのでよ』
『さう云ふと帰りましたか?』
『え、一時間許り、互に相談の様なものをして居つたが、帰つて終ひましたわ。ほだけんど昨日はまたどうせられるかと思つて夜も寝ずに心配して居りましたわ』
『巡査に云つたの?』
『巡査に云うたら善いのぢやけんど。内の恥を曝らす様なもんぢやけんな。それに巡査に云ひに行く途中でどうせられるや解らんと思うて誰れもやりまへなんだわ。……然し栄一様、どれだけ昨日は心配したや知れまへんでよ』
『番頭はどうしたの?』
『番頭と云つた処で宅の人ではなし、恥かしうてお父様が四分も年貢を上げて、新田の人が脅しに来たと云へまへんわ』
『お母様、それでどうなさるの?』
『それで、おまはんに今日至急来て貰うて、おまはんに相談しようと思つて居つたのですわ?』
『さ。然し、私がどうかうつて困りましたね』
『然しどうかせな。な。一体亀公が布れたつて、真だらうか?』
『嘘の様ですね。然し嘘であれば、そんなに怒つて来る筈もありますまいね。お父様のことだから真でせうよ。利子の払ひが出来ずに困つて居るのでせう』
と、半分冗談にして、
『多分それ位ゐだらうな。併し貧乏して来たら、いやな事が色々起つて来るものぢやな。噂ではお父様今度株で六万円損したつて云ふでないで。あれは真で?』
『どうですか? 私も此前帰つた時、お母さんから聞いたゞけのです。六万円損したつて?』
『それぢや、おまはんは一緒に居つても知らんぢやな。六万円も損したさうでよ。亀公がそんなことを云うて居りましたわ』
『もうそんな事は煩さくつて――』
『ほんまにな。もういやになつて来たな。どうせ近い中には此家屋敷も他人に取られて終ふと思うたら』
『なに他人に取られても善いでせんか。裸体で産れたのだから裸体で生きて居つたら善いのでせう。鳥などは寝ても起きても着のみ着のまゝぢやありませんか?』とキリストのソロモンの栄華の譬へを思ひ乍ら、
『併し鳥の様な美しい衣服を着て居るなら私も不服は云ひませんわ。栄一様は男ぢやけん、そんな勝手が云へるけんど、女であつたら、中々そんな事は口には出まへんわ――』
『女ぢやからつて、男と別に変つた事も無いでせう。人間は衣服着て居るより裸体の方がどんなに美しいか知れませんよ』と栄一流の裸体主義を遣り始めた。
『そら理窟から云うたら、まアさうぢやな。併し世の中はそんなに理窟許りで行けんからな』
『理窟ぢやから世に会はんと云ふ道理がありますもんか? 道理ならこそ世の中も渡れるのでせう、道理は世の中に合はしてこしらへてあるのですもの』
『もう栄一様にはかなわぬ。さう来られては。オホヽヽヽそれではどうしたら善いので、栄一様の理窟から考へて――此度の事は?』
『此度の事ですか、何にも困つた事でも無いですよ。私から見たら……』
『何でも無い? 家をどないせられるやら解らんのにない?』
『家が焼かれようが壊されようがどうでも善いですよ。人間が殺されても人間の魂は殺される気遣ひは無いでせう』と極端な議論をする。
『併しまア私は家を焼かれるのは嫌ぢやわ。な、笑さん、さうでないで』笑子はたゞ笑つて居る。
『まア栄一様。そんな事は云はずに今度のことはどうしようで。私また十人も十五人も来られて脅かされるの否ぢやわ』
『卑怯ですわ。お母様、十人や二十人が何ですか?』
『大きなことを云ふな。オホヽヽヽ…栄一様も大分人間が変つたな。な、笑さん』
『さうですない』とまた笑は瞹昧な答をする。
『ほんとに、ほだけんど、どうしような。お父様に尋ねに遣つて真であつた処で、こちらで、どうする理由にも出来んのぢやからない。まア善い恥曝らしぢやな』
『お母様。何にも心配入りませんよ。私が引受けますよ。何に仔細は無いのですよ。お母様。心配は入らぬですよ。小作人の帳面は宅にあるでせう』栄一は内庭の水の無い泉水を眺めて居る。苔が穢い。台所の縁の下に、紫色の薬瓶や、硝子の壊れ物を並べてある。こちらの軒に蜘蛛が巣をかけて居る。お日様でよく照るので蜘蛛の巣が光る。
『エ、ありますよ。……それでどうするので』
『処を調べて端書を出すのですよ。此間四分上げると云うたが都合があつて見合せると云うて――』
『お父様の名前で?』
『お父様の名前でも私の名前でも善いでせう』
『そらまたお父様が怒りまつせ。怒られても知りまへんでよ』
『お父様が怒つた位』お久は笑を顧て、
『笑さん、もうお昼の仕度なされよ。……然しおまはんの善いと思ふ様にしてつかはれ、私はもう心配するのがいやぢやけん』
 笑が台所の方へ椽を走る。
『お父様が勝手なことをするから、こちらも勝手にすれば善いでせんか……帳面は何処に』と尋ねて栄一は下女に端書を買ひにやらせて、年貢を引き上げることを見合せると云ふ通知を書いた。
 昼食を終つて二時頃まで書くのがかゝつた。途中で便所へ行かうと思つて台所へ来ると、笑が『流し』に立つてお釜の中から水で洗ひ落した飯粒を拾つて食つて居るのを見た。そして実に不憫に思つた。
 書き終るとすぐ馬詰を辞して帰らうとした。門を出かけると後から草履で追つかけて来るものがある。
『兄様』と声をかける、誰かと思ふと笑だ。栄一は鶴子の事許り思つて居たので笑子のことを忘れて終つて居た。笑子の顔を見ると涙が出て居る。
『どうしたの笑さん?』と尋ねると、
『兄様、私あなたに聞いて貰ひたいことがあるのですわ』
『どう云ふこと?』
『此処では皆に見られるから、何処か浜の方へでも行きませう』
『笑さん。どう云ふこと? 笑さん今日は叱られたね。ほんとに気の毒だつたね』
 笑子は黙つて居る。そしてまた少時して、
『兄様早う。何処か人に見られん処へ行きませう』
と非常に人に見られるのを嫌つて居る様だ。
『それぢや東の新宅の浜へでも行かうか?』
『何処でも善いけんど、お母様に誰れかゞまた告げると、また叱られますわ』と門の方を見てそは/\して居る。
『それぢや急いで行くから追いていらつしやい』と栄一は急いで早足で歩く。笑も小走に追いて行く。土手に上つて、東の新宅の浜の藪影に二人の姿が隠れた。栄一は緑色の新田と青い川を眺めながら笑子に問うた。
『笑さん、どう云ふこと?』
『兄さん、私はもう死なうかと思ふ程辛い事許り……』と咽んで黙つてしまふ。兄は笑子をぢつと見詰めて居たが、貰ひ泣きをして来た。
『笑さん、なぜそんなことを云ふの?』
『私はもう馬詰にどうしても、よう辛抱しまへんわ。昨日ちよつと一枚お皿を壊したら来る人来る人に云うて鈍ぢや鈍ぢやと布れて告るのですわ。今日も朝から怒られて許り居つたのです。私ほんまのお母様があれば……』栄一は唯黙つて居る。田宮の浜から新田へ渡し船が渡る。澄み切つた水に葦がうつる。
『今度田敷の十七になる娘さんが西の新宅の高行さんの処へくるのでせう。其娘さんは、大抵自分手に嫁入の衣裳を縫ふ人ですと、そしたら昨日田敷の叔父様が(お久の従兄にあたる)宅へいらつしやると私の眼の前で「うちのこの子は鈍ぢやけん役に立ちまへんね。針のもちようさへまだ知らんし、茶碗の一つもよう洗ひまへんのでよ」とお母様が仰しやるのでせう。私もうその時死んでしまはうかと思ひましたわ――』
『笑さん、そんな短気を起しては困るね』
『兄さん、併し考へてつかはれ、朝は大抵誰れよりも一番早う起きて大釜の下を焚き付けて、女中さんや番頭さんを起して朝御飯の支度に取りかゝつて、晩と云うたら九時頃まで夜なべさせられるんでせう。それだけ働いてもまだ働きが足らん働きが足らんと仰しやつて追つ立てなさるのでせう。それに一つお皿をめいでもまどへと仰しやるのですからない』
『弁償して居るの?』
『え、昨日やかし五銭償ひましたわ』
『お母様そのお金を取る?』
『お取りなさりますとも』と云つて泣いて居る。
『兄様、ほんまに、私の心を察してつかはれ、……女の親には死に別れ、男の親があつてもあの様だし、継母のねきに居るから、女中よりつらい辛抱はせなならず……私はもうどうしてもよう[#「どうしてもよう」は底本では「どうしてもう」]辛抱しませんわ。……三日まへない……』と云つて黙つて終ふ。笑の胸は何から云つて善いかと思ひ乱れて居るのである。十日程前奥でつまみ食ひをして居る所を見付けられて叱られた時のパノラマや、継母の御飯をつぐとつぎ様が下手ぢやと云はれた事、鶏が一匹七日程前に居らぬ様になつたが、罪は自分にきせられた事、御仏壇の掃除が悪いと云つて叱られた事、笑さんはいつも行燈に燈心を四本も入れると云つて叱られた事、朝晩の味噌汁の塩梅にいつも小言を云はれる事……先から先へ考へて行つて、三日前に、継母が床の下に敷いて寝たと云ふ一円札が紛失したと云うて、罪を自分に着せた事を一番新しく鋭敏に思ひ浮べて居るので、この時の感想を始めから云はうとして居るのだが、どうしても口に出て来ぬ。今迄何度か此様な難題をかけられた事も思ひ出す。
 それで栄一は『三日前にどうしたの?』と尋ねたが、笑は泣いて返事をしない。暫くして、
『三日前にない、兄さん。わたしが取りもせんのにお母様がお金を盗んだと仰しやるのですよ。一円――。あの、お休みになる時床の下へお敷きなしたんが朝になつて無いのですつて――』
『然し笑さんは自分に盗まぬのだらう。盗まぬのなら何にもそんなに苦にしなくても善いぢや無いかね』
『それでも盗まぬものを盗んだと云はれたら辛うござりますわ』
『なに、それ位の事。町でね、笑さん、こまんさんが今度看護婦になつたゞらうな、あの女中が。そしたらね宅では僕が宅を困らさうと思うて看護婦にした位までに思うて居るのだよ、何だね、人の誤解を恐れる様な人間でどうなる? そら笑さんは辛いだらう。併し僕の事を思つて見給へ。何にも辛い事は無いよ。僕は三度の食事も充分に食はして呉れはしないよ。シヤツなどは勿論自分手に洗ふのさ。そして僕は今これ一枚しか無いのだよ』とメリヤスの半シヤツの垢ににじんだ物を現して見せた。
 笑は一目見て泣いた。栄一は、
『そんな大きな声で泣くと上を通る人が不審がるから』と制した。
『お父様と云へばお父様ぢや、自分の子が恁那に困つても知らぬ顔して居るつて……』と笑は恨んで居る。
『笑さん、それはまだ善いがね。此頃学校へ行つても弁当さへこしらへて呉れないのだよ。それに夜は勉強すると油代が多く要るから、朝、勉強せよと云ふの』
『お父様がそれまで――』
『それまでなら善いがね。今度益則に後を譲るつて云つて居るよ』
『あなたを止めて? 兄様を?……』と笑子は驚いて居る。栄一は涙を拭きながら川の上を見たが静かな滑かな海に小波が立つて居る。そして或る処は格別光つて白く見え、或処は青く、紋のやうに見える。実に美しい。
『笑さん、泣きなさるな、私が生きて居る間は笑さんに心配はさゝぬよ。ね、少し待つて居て呉れ給へ』
『然し私は、もう田舎に居るのがいやになりましたわ。こんなに朝から晩まで叱られて許り居つたら、いつか殺されるか死ぬかしますわ』
『併し忍んでいらつしやい、今少しだから。笑さん、今どうするたつて仕方が無いでせう』
『それでも兄さん、私もう十日と馬詰に居るのがいやになりました。噫、妾の子つて辛いもんぢやな……』と云つて泣いて居る。
『妾の子』と云ふ言葉がガクと胸に響くと、栄一は決心の色を現して、
『笑さん、いゝよ。それぢや私に追いていらつしやい。神戸へ行かう。下女奉公でもする覚悟はあるね?』慌てゝ云うた。
『下女奉公? 馬詰より下女奉公の方がどれ位いゝやら……』
『笑さん、それぢや、そのまゝすぐ行ける?』
『私なりも何もいりまへんわ。兄様がかまはぬなら追いて行きますよ。併しお金は?』
『いゝよ笑さん。お金は月給の残りが十円許りまだあるから心配は無い。神戸まで之れで充分行ける。一緒に行かう。早く行かう! 宅に悟られん間に』
『それぢや兄さん、私を連れて行つてくださるの?』と袖で涙を拭きながら顔を上げた。その顔には可愛い女の弱い依頼心が現れて居た。
 二人の後ろ姿は牛屋島に消えた。車で徳島へ飛んだ。徳島へ着いたのが五時頃であつた。栄一は車の上で、今日は妹に涙の為めの涙を流させられた。――など考へて居た。行く処が無いから滝の山まで曳かして二人は滝の山を散歩した。行先を考へると、お日様がもう西に這入つて再び東から出ぬ様な感じがした。
 三重の塔の下に立つて、徳島全市を眼の下に見ながら栄一は笑子に云つた。
『笑さんに下女奉公などさしたくは無いが……ね』
『兄さん、それでも時の運ですよ。星の廻りが悪いのだから仕方が無いんでへんか』と充分明かに覚悟を示して居る。が栄一は、此間は下女を一人出世さして置いて、今一月経たぬ中に、我妹を下女に出さねばならぬ事を悲しんだ。
『ね、笑さん、笑さんが神戸の何処かへ奉公入しても、淋しいと云つて兄さんに手紙は書けないわねえ。それ思つたらほんとに辛いわ。然し笑さん、兄さんが一月に一度か二月に一度は屹度会ひに行きますよ』
『兄さん、私もそれを思つたら辛いけんど。かうやつて兄さんと一緒に居ると何だか私は極楽にでも居る様な気がしますわ。私、そら兄さんに手紙を出す事の出来んのは辛いわ、それでも田舎のお継母様に泣かされるより善いわ……』と安心して居る。何だか不憫だ。
『ア、兄様、中洲に電気燈がついた。綺麗な、御覧』と何だか楽しさうだ。然し栄一は笑が未来に対する何の自覚もなく電気燈を見て居る様を見て、田舎娘の前途を思ひ、目を眩まし、良心を鈍らす誘惑物の多い都会に、彼女を送り出すことを気遣つて涙を落さざるを得なかつた。
『兄様まだ泣いて居らつしやるの?』と笑子は栄一の返事の無いので振りむいて云つた。
『ね、笑さん。笑さんが神戸へ行くのも善いが、病気にでもなつた時はどうしようかと思つてねえ』
『兄様、そんな事を思つたら家を出る事が出来ますものか。兄様が病身だから、そんな事を思ふんですわ。私の様な息災な若者が病気になりますものか?』と微笑んで豪い勢である。
『併し笑様、あなたがあまり元気が善過ぎるので心配するのですよ。田舎の人が町へ出るとそれだから困るのですよ。町が色々と珍しいものだからね。つい浮かされて少しの間は面白くて元気も善いが、漸々だんだんに夢が醒めるのですよ。町へ出て脚気に罹る人でも、初めから誰れが脚気に罹ると思ひますか?』と色々誡めると、笑子は黙つて萎れて居る。しをれた処を見ると、また可愛くなつて神戸へ逃してやらうと思ふ。
 萎れて居るのを見てあまり哀れに思つたから、
『笑様、滝の焼餅でも食はうか?』と云つた。
『兄様やめませう。十銭のお金でも今は使へまへんでせんか』と咎める。
『兄様、もう中洲へ行きませう。蒸汽は何時に出るのか知らん』
『まだ行くのは早いよ。八時に共同丸が出るが、遅い方は十時だからね』
『もう何時か知らん?』
『もう七時だらう、大分暗うなつたから。緩然した方がいゝですよ。あまり苛らだたなくて』
『それでも蒸汽に乗込まなくちや何だか心配だ――』
『なに心配はない。兄様が付いて居るよ。然し笑さん腹が減らぬ? 何か食ふかそばでも?』
『そばでも? 私は何にも食べたく無いのですが、兄様はお腹が減いたでせう。下へ降りて何かめしあがれ』
 それで三宜亭の方から白糸亭の前を通つて神武天皇の銅像の前へ出た。白糸亭の玄関には富田橋竣工祝賀会と筆太く書いた紙が貼つてあつた。三階には三味線や、喧しい声が聞えて居た。栄一は笑子に、
『笑さん、お父様も多分此の中に混つて居るのでせう。安気なものだね。アハハ……』と笑つて話した。
 笑子と栄一は晩の八時の蒸汽船で神戸へ行つた。そして相生町の口入屋へ行つて見たが、保証人が入ると云ふので吉田由太郎(船頭)の宅へ引き返して事情を打ち開けて話して万事宜敷く頼む、父の方へは一切秘密にして置いて呉れる様にとくれ/″\頼んで置いて、昼の十二時の蒸汽で引揚げた。
 桟橋まで笑子は送つて来たが、栄一は汽船に乗込まうとして一寸笑子を顧て、
『笑様、近い中に全体出て来るかも知れぬよ』と云つたが、
『兄様、屹度出て来て下さい、待つて居りますよ』と笑子は頼む様に云つた。
『未だ乗込むのは早い、まだ少し話しませうか?』と桟橋の先に笑子を連れて行つて、人に聞えぬ様に、
『笑さん、ほんとに、しつかりして働いて下さいよ。御頼みだから』と笑子の顔を見詰めた。笑子は頷垂れて居た。色は黒いが頬のポツと赤い所には決心の情が現れて居た。続けてまた、
『私ね、もうずうと帰らずに居りたい様な気がするがね。も一度なり、二度なり、お父様に云つて見る積りだから帰つて行きますよ。そして駄目だと思つたら出て来ますよ』と云うた。併し其時は寧ろ父の事より鶴子の事を思つて居た。そして鶴子の美しい薔薇色の頬と鬢の散らばつて何とも云へぬ姿を想像した。
 笑子は『そら、その方が善いのですよ。二人とも隠れて了つたら、屹度後から探しに来るでせう。さうすると事が面倒になりますからない』と兄の意見に賛成した。
 話して居る中に汽笛が鳴つたので、栄一は急いで乗込んだ。船は間もなく桟橋を離れた。残された笑が淋しさうに桟橋に立つて居るのを眺めてゐたが、男らしく無いと思つたから三等室に降りた。併し三等室の暗い隅に兵庫の桟橋が現れて、そこに背の低い、髪の縮れた、頬のパアと赤くて色の小黒い、目のパツチリした手のたゞれた不憫な女が俛いて立つて居るのを見た。

十九


 栄一が知らぬ顔して宅へ帰つたのは晩の七時であつた。父はお梅と晩酌をして居た所であつたが、栄一の帰つたのに驚いた様子であつた。父はすぐ『笑はどうした』と尋ねた。昨日田舎からすぐ使が尋ねて来たから父には知れて居たのだ。然し栄一は答へ無かつた。栄一は重い頭を抱へて鶴子を訪れた。鶴子は栄一がまた瞼を腫らして居るのを見て、
『今日もまたどうかしたの?』と尋ねた。
『ア、また悲劇を演じて来たの』
『誰と?』
『お父様と』
『どうしたの』
『私は妹を隠したのですよ』
『何処へ?』
『いや』
『云つて呉れない?』
『いや、恥しくて云へない。あなた大抵想像出来ますよ。出来るでせう』
『大抵想像は出来るけれど。またあなた、お父様と何か衝突なしたのでせう』
『アヽ、衝突しましたよ』
『ね、あなた、妹さんをどうなしたの?』
『神戸へ置いて来たのですよ』
『神戸へ? 何時の間に? あなたもいらつしやつて?』
『今日、今帰つた許りです』
『今日?』
『あなたも面白い人ね。妹さんをどうなされたの? 神戸へ連れていつて?』
『下女にして終つたのですよ』
『下女に? まア非道いのね』
『非道いつて、そりやア、あなた事情を知らぬからですよ』
『私にその理由を聞かして下さい。云はれない?』
 栄一は段々話を始めた。そして涙を流して悲しいと云ふ風を装うて(もし泣かないと同情が無いと云はれると思つたから)鶴子の同情を求めた。そして、その結論は恋であつた。
 栄一の胸はもうまるで平均を失つてしまつたと云つても善いであらう。恋しい鶴子が徳島を立つと云ふ日になつても別に悲しいとも思はなかつた。勿論その日学校へ出ても快活に子供等と遊べなかつた。
 晩の八時頃ヒヨツコリ栄一は鶴子の家へやつて行つて、恋人が別れる時にする様な真似を一時間許りした。そしてその中の二十分は沈黙で、後の四十分は公然の夫婦だと世界に広告して廻る事の出来なかつた事を恨む様な話を繰返したに過ぎなかつた。然し二人共涙を流した。
 中洲へ見送つて行つた時、女のお友達が大勢皆美しい当世流の髪を結つて綺麗な顔をして来て居た。その中にはミセス・テーラーも居つた。女学校の先生も居た。同級生も居たし下級生も居た。男の見送りは牧師と栄一のみであつた。
 栄一は鶴子のお友達の美人を一つ見ようとでも思つたか、鶴子が入つて居る二等室へ行つて、大勢美しい女の居る前もかまはずに、
『手紙を忘れない様にね』と云ひ置いて出かけた。鶴子は、
『まだ出帆までには二十分位あるでせうから、少し話してゐらつしやい』と強ひるとはなしに強ひたが、何だか男らしくないと思つたから出て来た。
 二等室の出口を覗いてゐる時、
『あの綺麗な男の方はどなた?』と鶴子に問ふ者があつた。
『あの方は市長のお息子さんですよ』と鶴子が得意に答へて居る声を聞いた。
 出帆の真際になつて、色の白いマガレツトの鶴子は、綺麗な絹物に纒はつて甲板に立つた。そして特別に栄一の方を見て居る様に思はれた。
 烟を残して船は出て行つて終つた。栄一は家へ帰つて直ぐ床に入つた。そして鶴子の顔を想像して見ようと思つたが、横向きの顔の輪廓は少しは似顔も画けるが、真向きの輪廓は、どうしても現はすことが出来なかつた。出来なかつた許りぢや無い。鶴子の顔を忘れて了つた心地がした。その代りに色の黒い背の低い髪の赤い妹が俛いて泣いて居る幻が現れる。それで栄一は『鶴子が早や逃げて了つた』と小さい声でひとり言を云つた。

二十


 あくる朝、夢を見た。
『サアビ』と云ふ亜米利加バアジニア州の農夫の夢を見た。此度亜米利加と独逸との間に起る戦争は陰謀者があるので、此陰謀者は三十八日断食すれば捕まる。此陰謀者が捕まると独亜の戦争は勿論、世界に戦争と云ふものは全く無くなる。だから『断食して見よ』と云ふのであつた。それでサアビは夢の通り『断食』してみると、三十八日の断食は別に困難でなく、陰謀者も安々と捕へられて、独逸と亜米利加は勿論、世界に戦争がなくなつた、と云ふ夢であつた。
 何だか標準もつか無い夢だなと思つたが、夢の事から瑞西スイツル白耳義ベルギーは中立国だから、戦争が嫌ひな人民は瑞西と白耳義とへ帰化すれば善いのだ。早く帰化権を得た方が善い。帰化さゝぬ? 誰が?………………?………………何だ? 偶像だ? ヘーゲルだ! 幽霊の様なものだ……など夢の様に考へて居た。
 いつに無い朝寝をしたので、父は戸を開けて神様を拝んで居る。いつもならば『栄一、起きて戸を開け』と云ふのだが、今日に限つて黙つて居る。黙つて居るからこちらも寝て居る。
『新聞!』と云ふ声が玄関の方にして、バサと新聞の入つた音がしたから、こいつは一つ新聞でも読んで遣らう。哲学とか云ふ面倒臭い勉強をしなくとも、新聞読んで一生送る方が気楽で善い。世界に新聞許り読んで一生を送る人は多い。なに新聞許り読んで居ては飯が食へぬ……然し一寸新聞を読まう。『一寸新聞を読みます』と頼む様に自分に云つて見て、寝巻きのまゝ玄関へ急いで飛んで行つた。踞んだまゝ新聞を読み始めた。
 論説は何だか中華民国の危機とか云ふもの……アヽ老子荘子の国が危いと云ふのか?……亡びやうが亡びまいが、我輩にはちつとも関係はねえ。……亡びても我輩さへ生きて居りさへすればそれで善い。敵がせめて来て僕を殺しても僕の幽霊は残る。幽霊が残つたらそれで善い。中華民国の危機とか云ふのは世界に威張りたい連中が捏造した遊び事だ。まア我輩には関係はねえ――と一頁を瞥見して、二頁を返したが、倫敦電報とか、紐育電報とか、何とかかんとか云ふ電報で埋つて居る。その中には前代未聞の大夜会など云ふ文字も見えて居た。少し恁那夜会に出席して、西洋の美人と舞踏して見たいと云ふ気も起つた。三面を見ると、大森の水死美人とか又復またまた華厳の滝とか、少女誘拐せらるとか云ふ文字で充されて居る。水死美人を読んで見ると恋人の心変りを気にして水死したのだと書いてある。恁那女に惚れられると幸ひな物だと思つて、華厳の滝を読むと失恋したと書いてある。失恋したのなら、時を待つて第二の美人の恋を得たら善いだらうに、一寸恋人の心を引かうと思つて、奇妙な軽業をやつて生き損ひをするのだねとも考へたが……然し尤な処もあると頷いた。
 恁那文句を読むと恋と云ふものは奇妙なものだ。恋して居る人は仕合せだ。折々恁那事件が起つて恋に値打を付けて呉れるから――など思つて直ぐ鶴子と自分の関係に思ひ及んだ。新聞に接吻した。
 四頁の広告を見ると、新刊の哲学書や小説の広告が出て居る。岩永健著『ロツチエの研究』とか云ふのは、長々しい効能書きを書きそへて定価一円七十銭で販売致しますと出て居る。此広告を見ると、何だか自分は生存競争の敗者の様な気がする。少し社会改良とか、家庭改善とか云ふことを止めて、二三年も勉強すれば、之れ位の著作は何でも無いがと思ふ。それから鶴子に自分は近い中に哲学の著作を一冊出すと云つた事を思ひ出す。然し今となると心臓が鈍れて筋肉の所々が痙攣する様にも思はれるから哲学の著作は一頁も出来ぬとも感じる。胸糞が悪くなつたから新聞を寸々ずたずたに引き裂かうとしたが、まア/\と一頁を返して見ると初め気が付かなかつた新刊紹介と云ふ欄がある。その中に岩永健著『ロツチエの研究』と云ふ標題で批評が出て居る。『行文難渋にして読者をして何処に論意あるかを疑はしむ』と書いてある。栄一は『アヽ之だ。我輩が書いても恁那批評しか受ける事が出来なかつたらどうする。社会から見捨てられたらどうする。気体の悪い?』と新聞を畳の上へ投げ付けて置いて中の間へ帰つて来た。中の間へ這入りかけるとお梅が神様を拝みに行くのとバタと出会した。お梅は、
『まだ上げんので……』と呟いて椽へ出た。栄一は黙つて衣服を着変へながら『馬鹿々々しくて小学校の教員などに満足はして居られねえ、社会から見れば自分等一文の値ひが無いのだ』など考へて居る。朝飯も今日は止めにして哲学の本を一冊読み上げて終はうと思ひ立つた。思ひ立つと慌てゝ蒲団をグル/\と巻いて玄関の押込へつき込んで、二階のスタデーへ飛び込んで机にもたれた。
 何を読んで善いやら解らぬ。まア此間宣教師から借りて来た『基督教教理史』でも読んでキリスト教を唯物史観の立脚地から教理の変遷でも研究して見てやれと云ふ気になつた。がハーノツクとオーアどちらを開くかが問題になつた。宣教師は曾つてハーノツクを異端だから用心しろと云つて居たからハーノツクを開く事にしようかと思つたがハーノツクは五冊に成つて居る。今日一日に読んで終ふにはオーアの方が都合が善い。オーアのは僅か三百六十頁。一日には易い仕事だと考へた。然しハーノツクのは厚いだけ実がある。まア両方共と二冊を二冊ながら机の上に置いて両方の一頁を開いて見る。
 ハーノツクの方はスベ/\の紙で印刷がハツキリして居る。オーアの方は日本紙の様な雅味のある紙に大きな字で印刷されて居る。
『どちらを読まうか? え、ハーノツクにせえ、実のある方を』とオーアをブツク・ケースに押込んで頭を抱へてハーノツクを読み初めたが、『之を読んで何にする? 之を読んで[#「 之を読んで」は底本では「之を読んで」]名誉でも買へるか? ハーノツクを読んで居ると鶴子に云うたら鶴子は「あなたは学者だ」と云つて接吻の一つもして呉れようが、もう鶴子も広島へ行つて終つた。……さうだ鶴子は今頃汽車に乗つて岡山あたりへ行つて居るだらう。岡山から西は僕は知らぬ。鶴子は景色が善い、景色が善いつて喜んで居るだらう。明日は手紙が来る。その中には多分、
「恋しい君と別れて内海の夕陽見ん力もなく自然を楽しむ余裕もあらばこそ唯南を望んで君の美しき姿を幻に現はし、翼あらば飛び行きて抱きもせんなど思ひつゝ、思はず知らず袖を濡らしつ……」位ゐの文句が書いてあるであらう。さうすると言文一致で出来るだけハイカラに、
「甲板の上に立つて居た君の……恋しい人のその面影! 目を閉ぢても目を開いても目先に現はるゝは君が姿! 曾て君がスタデーで与へられた接吻、どうして忘れる事が出来ませう! 夕べが来る毎に遊びに行く処が無くて勉強室を開いて物干を見ると、主が去つて開かれぬ二階建の家。君は永遠に去つたかと思つて泣く。……」と云ふ風に書いてもやらうか』と心は先から先へ乱れて行く。読んで居る事は何が何やら薩張り解らない。
『之ではならぬ、僕のジニアスは哲学だ。哲学の研究を女などに妨げられてはならぬ』と思ひ直して読んで来た処をまた始めから読み直すと少しは解つて来る。大分解つて来た、嬉しいと思つて居ると、
『栄一様、蒲団を畳んで入れんでかい?』と玄関でお梅が叫んで居る。またお梅が生意気なことをぬかして居る。あれだけ畳んで置いたら結構ぢや無いか。放棄ほつといてやれ、と聞えぬ振りして本を読んで居ると吉三郎が上つて来る。
『若旦那、奥様が蒲団を畳んで押込みへ入れてお置きなはれと仰しやつていらつしやいます』と云ふ。
 矢張り知らぬ顔して本を読んで居る。下女が上つて来る。
『若旦那、御飯をお召上りになりますかつて……そして玄関の蒲団を畳んで入れて置きなされます様に仰しやいました』と伝達して来る。それでも黙つて居る。下女も黙つて返事を待つて居る。下女は可哀想だと思つたから、
『あなたは下へ降りて行つても宜敷いですよ』と無意味な返事ではあるが兎に角為て、下女を下に降ろす。
『お梅は僕の蒲団まで検査してゐるのか? 日に日に。腹の立つ野郎だな。えい』と立ち上つて下に降りる。玄関に現はれるとお梅が今蒲団の隅から隅へと目を配つて畳んで居る。栄一はつと進んで行つて、
『失敬な!』とお梅から蒲団を取り上げて畳むか畳まんかに押込に押込んでピシヤンと戸を閉ぢて終つた。
 お梅は『フム。をかしい人。人が畳んで上げるつて云ふのに畳まさんで、勝手にするが善いわ。その変りになんぼ汚れても洗濯はして上げまへんわ』と嘲笑つて居る。
 父が出て来た。父は出て来るや否や、持つて居る長煙管で栄一の頬を耳からかけて擲りつけた。
『ア痛た』栄一はそこへ倒れた。然しすぐ飛び起きて家を出た。その日一日帰らなかつた。昼飯も食はずに山へ登つて瞑想してゐた。そして晩は九時頃まで勢見の絵馬堂でうろついてみた。が、寒くて仕方がないので帰ることにした。大麻山で三日断食した元気は今は何処かに消えて栄一は哀れに閉ぢられた門の前に立つた。雨がしよぼ/\降つて来る。門はいつまで経つても開くことは無い。栄一は女の様に泣いた。一時間程して下女が便所に出て来たので下女を呼んで内へ入れて貰つた。

二十一


 昨日の雨が未だ止まなかつたが六時頃に『広島にて、さる人』と云ふ名前で、女の手紙が来た。勿論それは鶴子からである。鶴子は御身の事が恋しくて堪へられぬ。恁那に恋しくては広島で三年も勉強を続ける事が出来るかと思ふなど書いて来た。然し此手紙を見るに別に永遠に夫婦にならうとか公然許婚しようなど云ふ文字も見え無い。のみならず、未だ自分を慕ふ情が足らぬと思つた。
 が、鶴子と自分の関係を思つて、父と自分の関係、お梅と自分の関係を思ふと、今にも消えて了ひたい様な気がした。
 そして鶴子の様な美しい女に対して自分の様な美しく無い境遇に居る者は、どうしても、永遠の夫婦にはなれぬと云ふ気がした。
 色々考へて居ると『如何でも善い。アヽ死にたい……死ねねば人でも殺してみたい』と云ふ気が唯起る。自分ながら恁那危険な情緒が起つて来ると、マツチを取つて家でも焼いて見たいと思ふ気になる。で、台所へ行つてマツチを取つて来て玄関の障子を焼いて見ようと云ふ気になつた。然し玄関はあまりだと思つたから、中の間の障子に一寸付けて見た。本当に焼けたならと心配したが『アヽ焼けても善い、灰になつても善い、自分も焼けて灰にならう。恁那世界に生きて居るより灰になつてみた方がフンヤリと心持がいゝだらう』と思ふ。中の間の南から二枚目の障子に火を付けた。ぼーと燃えたが障子の格子も畳も家もと思つたに、焼けも燃えもしない。上まで燃えて行つて鴨居の所で止つて終ふ。之ぢやも一枚焼いて見て遣らうと思つたから南から三枚目の奴にも付けて見た。之れは前よりも好成績で紙の燃え様も盛であり、障子の燻つたのも甚しかつた。も一枚と思つたが此上焼いて真に家を焼くと、町内を騒がしても面白くないと思つたから止めた。序に鶴子からの手紙に火を付けて焼き捨てゝ了つた。
 幸ひに恁那乱暴して居る間、お梅も父も吉三郎も益則も出て来なかつたので善かつた。何に出て来ても血を見るまでさと思つたが、それでも出て来て喧嘩するより喧嘩しない方が遥かに善いと自分に祝詞を云つて家を出た。然し今日も学校には出席しなかつた。
 家を出て何処へ行かうか? 今日は雨降りだ。昨日の様に奴ヶ原で座禅を組むと云ふ事は出来ぬ。それかと云つて大麻山の真似をする勇気も無い。一つ之れから小松島の方へでも遊びに行かうと思つたから徳島橋を渡つて、県庁の前を通つて、富田橋を越えて、徳島新報の前へ差しかゝつた。
 軒下に吊してある新聞を見ると田舎新聞に善くある下手な小説の※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画が三面に入つて居る。下手な※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画の下に粋な話と云ふ見出しで、
『話は少し古いが此間富田橋竣工祝賀会の白糸亭に開かれた折大和楼の三七、錦楼の鳴門は市長から祝儀を沢山戴いたが散会後二人共三宜亭へ市長に呼ばれて翌朝早くコソ/\と帰つて行つたとか、粋な市長にはありさうな事だ』
と、云ふ意味が出て居る。栄一は今更ながら世界と云ふ処は自由勝手のきく所だ。金さへあれば千人の美人でも一度に抱いて寝る事の出来る世界だ。僕は今迄道徳と云ふ囲ひを知らず識らず設けて苦しく思つて居たが、世界はもう疾うの昔に此囲ひを破壊して居るのだ。人間は昔から自分を解放して居る、まア不思議なのは世界だと考へながら重い足駄をトボ/\と『中の町』の方へ運んだ。
 然し目に浮ぶのは障子に付けた火の燃え立つ様子……ペラペラ……ポーと馬の走る様に燃え立つたがポツと消えた時には浦島が玉手箱を開いた時の様な心持ちがした。あの燃え方! 何だか目の前にちらつく。あれはあれなりで消えた様に思つたがすぐ家を飛び出したから消えたと思つても、或はまた燃え立つて今頃は大火事になつて居るかも知れぬとも考へてみた。
 然し警鐘の鳴らぬのは火事の無い証拠だ。それでも火事をやる様な事をしたから自分に如何様どのような難題を父やお梅が持ちかけるかも知れぬ。また警察の手を借りて如何様な惨酷な事を自分にするかも知れぬ。すると自分は小松島へ遊びに行つても先の見え透いて居る禁錮の身だ。縛め上げられた身だ。今頃はお梅や父がどんな事を巧んで居るだらう。それが知りたい。幽霊であれば飛んで帰つても聞くのだが、然しどうも仕方が無い、肉が付いて居る幽霊ぢや、と思つて居る時にザアと烈しく雨が降つて来る……あちらの屋根こちらの軒に、そしてまた栄一が持つて居る番傘の上に小石を投げ落す様に降る。人力車の轢る音も急いで菓子屋の小僧が戸を半分閉める音も雨の音にも勝らない。之では如何することも出来ぬ。此雨に小松島まで行く勇気は無い。然し何処へ行かう。まア歩けるだけ歩く事にしよう。とゆつくり出来るだけ暇を取る様に歩いて居ると、横町から小学校の生徒が二三人、重い傘を持つて袴を半分雨に濡らして学校へ出掛けて居る。羨ましい。
 もう十一時になるかと思つたがまだ七時半だ。二軒屋まで行かうと大道の角の派出所までやつて来た。到底小松島へ行く事が出来ぬのはわかり切つて居る。わかり切つて居るなら東新町の叔母の内へでも久し振りに遊びに行かうと思ひ付く。叔母の所へ? あの穢い小い家に、子供の大勢ある貧相な叔母の処へ、あの愚痴な無学な哀れツぽい叔母の処へ? よした方がいゝだらう、よした方が。叔母とは一時間か三十分は話も出来るか知らんが三時間四時間とは話は出来ぬ。叔母の話は大抵極つて居る。
『な栄一様、内が恁那に貧乏しても、親類で誰一人顧て呉れる人は無しな。芝生の兄様もあんな金持でも一銭の金も貸して呉れず。偶に遊びに行つても泊つて帰れとも云つて呉れず、徳島本町の兄様は市長になつたり代議士になつて豪い出世もしたけんど、今になつては一言半句四季の挨拶に来て呉れんわ。食ふに困つて二円なり三円貸して呉れと云うて行つても内にはそんなお金は無いから此度はお断り申しますと反付はねつけられると云ふ工合でな。内の父さんはあの通り仕事はせずにブラ/\して居ると恁那浮世に生きて居るのが真にいやになりますわ……』相も変らぬ事を田舎弁で説き立てられると堪つた者ぢや無い。此間道で会つて遊びに来いと云つたからあまり行かぬのも気の毒ぢやと思つたので行つて見たものゝ黙つて聞いて居ると泣き言許りだ。泣き言聞かせて貰ひに来たのなら二十一日の縁日に滝の大師堂へでも行つて、道側に泣いて居る遍路乞食の話を聞いた方が遥かに勝つて居ると思つた位で閉口した。叔母の内へ行くのも善いが泣かれる。覚悟は善いか? 君は面白く無いこと許り家で為て居て外へ出てまで面白く無いことを経験する必要があるか?……
 などと自分に尋ねながら大道を歩いて行つた。大道を歩いて居る事は知つて居る、然し何だか外は真暗がりの様な気がする、眼もキン/\光らして両側と前とは見て居る、家が両側にあつて人間が商売して居る。商売して居る中には古道具屋もあり時計屋もあり質屋もあると云ふことは知れて居る。がハツキリ此処は質屋で此処が菓子屋だと云ふ区別はつかぬ。何間歩いても玉の上を歩いて居るか風に乗つて居ると云ふ調子でポカリ/\と歩んで居る。肥車がやつて来た。矢張り気が付かなかつた。
『ホレ、危ない!』と声をかけられて、気が付いた。
 今迄暗かつた客観世界がボツと明くなつて此処に理髪店がある、此処に着物屋がある。アヽ此処に八百屋がと区別が付く様になつた。それで叔母の処へ行かうと決心した。派出所の角まで引返して大工町の第二の曲りを左に這入ると東新町、左側に並んで居るのが松浦の長借家である。長借家の一番こちらが叔母の宅で格子戸を開けて這入ると叔母が丁度掃除をして居る。
『ア、栄一様で、今日はどうしたんで? 学校はやめたんで?』と驚いて尋ねる。
『何ぞ、用事でもあるんでか?』と返事せぬ中に続けて尋ねる。
『いや別に用事も無いのですが、頭が変になつて神経衰弱でも起つた様ですから此頃は学校を休んで居るんです。今日は雨降りなり内に居つてもあまり面白くないから遊びに来たのですよ――』と云ふと、叔母は笑ひ乍ら、
『それぢや、まあお上り』と云つて、栄一の上つて行く処を、
『栄一様、兄さんは今度、大分コレ貰うたさうで……』拇指と人差し指とで輪を造つて示す。
 栄一は苦い顔をして『知りませんよ』と軽く答へると、
『知らんと云ふ道理があるでかい。同じ家に住んで居つて』
と栄一にすり寄つて背中を叩く。
『ほんとに知りませんのですよ』実際のことを云ふ。叔母はそれでも、
『あの富田橋の浜の土手で……栄一様は悧口だから化けて居るのだらう』と来る。そう来られては堪らぬ。
『実際知らぬのですよ。富田橋や土手で賄賂を貰つたのですか、お父様が?』
『さう云う話ぢやな』と苦笑して妙な振りして云ふ。
『さうですか、全く知りませんでしたよ』
『さうで、知らん方が善いなア。内では叔父様がそんな話を聞いて来るんでよ。それに大城の方から来とる土方の頭が宅へ此頃きて居る人でな、折々話が出てな、兄さんはうまい事をして居るつて噂をするんですわ――』
『そんなに甘いこと行くでせうか?』
『そらなんでも牛屋島の榊を知つて居るだらうな。それ馬詰の隣村の牛屋島の榊……うちの花が嫁入して居る家でわ』
『アヽ知つて居りますよ』と栄一は答へたが、小学校時代の昔を思ひだす。従姉の花さんがなる程牛屋島の榊へ嫁入して居た事がある。然し離縁せられたが――
『あの榊が此頃土木に手を出して居るんでよ。兄様とは眤懇の間ぢやから甘い事そこらあたり誤魔化して居るんだらうな。……恁那事おまはんの前で云ふと怒るかも知らんけど……まア栄一様此処より二階へでも行かんで、今日は皆学校へなり外へなり出て留守ぢやからない、まア二階へでもお出でなはれ……』
『エ、有難う』と黙つて急な小さい段梯子を上つて叔母について行く。
『火でも入れるわな。御免なはれよ、掴みさがしてあるけんど』と叔母は云ふ、叔母の云ふ通り取り乱してある。六畳と四畳の二つを打ち通した室に窓の方には二つの小さい机が並んで居る。之れは叔母の親類の女の子を女学校へ出すので月に幾何か叔母を補助する積りで子供を預けて居るが、その二人の女学生の机である。その机の上は勿論のこと、壁の側の行李支那鞄などは蓋もせず衣服は畳みもしないで取り散らしてある。栄一は座敷の真中へ坐る。叔母は火の無い火鉢を前に据ゑて坐る。
『煙草喫まぬから火は入りませぬよ』
『さうでか、下にも火が無いやらあるやら解らんけん、それぢやもう火は入れんでよ……』と淡泊さつぱりした叔母は、気軽なことを云ふ。
『然しお父様もよくそんな事が出来るものですね』とまた云ふと、
『さうしても善いでせんか。市長になつたらそれ位の事はせな。千二百円やそこらの年俸であんな大きな家に住んでは会計が立つて行かぬでわ』と叔母は何でもないやうなことを云ふ。
『然しですよ叔母様。市には市参事会員や市会議員と云ふものがあつて中々小さい橋をかけるのでも大勢が相談してするのですがね――』
『そんでも、金の匂ひを少し、かざますと直ぐ云ふ事を聞くでわ。今時の人は皆悧口ぢやからな、金の多い方に付くのぢやがな。それでなくとも、請負仕事はらちがあかぬと云うて市長が自分手に取り締ると云ひ出したら、それ切りでないで』と説明して叔母は痩せた顔に得意の色を輝かす。
 栄一は、自分の側に捨てゝあつた『女学世界』を引き寄せて見る。目次を見ると中々面白さうな事が書いてある。叔母はそれを見て、
『今時の人は女の子でも雑誌や小説つて、色々な本を買うて読むんぢやな。お金が入ることぢやな随分、それ東京ポツクとかパツクとか云ふ本があるでないで面白い本ぢやな。少し古いんぢやけんど、歌留多取りの帰りに惚れた男を待つて居る女と、また惚れて居る男を画いてあつたが、なか/\甘いこと書いてあつたな……あの本は何処へ行つたか知らん、此あたりにあつたと思うたが……』と立ち上つて机のあたりを探す、色々な雑誌を引つ繰り返しても見えぬ。
『見えぬわ――』と云つてまた元の所へ帰つて来る。
 栄一は熱心に『女学世界』を見てゐる。
『栄一様。何んで面白いことでもないでか? 面白いことがあれば聞かしてつかはれ』と雑誌を覗き込む。
『さうですね――』と茫然した答をして、世界各国の女学生気質と云ふ題の所々を読んで、ともすると叔母の宅に居ることを忘れる位熱心になる。米国の女学生の自由な恋愛談の所を読んでクス/\と笑つて居る。
『何がをかしいので? 云つてつかい』と叔母は顔を見上げる。それでも栄一は続きを読んで行く。叔母も少し馬鹿気て来たから、
『栄一様、今日は叔母様の家で御飯べて[#「御飯べて」は底本では「御喫べて」]御帰りなはれよ。御馳走はないけんど家へ帰らんのならよ』と、立ち上つて梯子段の所まで来て云ふ。
『有難う』と唯簡単に答へて置いて読み続ける。叔母が下へ降りて行くと栄一は考へた。
『も少し丁寧に返事すれば善かつた。貧乏の中でも甥だとこそ思へば昼飯も食へと云つて呉れるのに、昔と違つて飯を三杯多く食はれても困る今じやに……心から何か知らぬが一緒に食へと云つて呉れると嬉しいものだ。叔母も可哀想だ、叔父が女郎買ひをして妾宅騒ぎをした許りに破産したのだから。大城の大井と云へば近村で誰知らぬ金持ちであつたが、明治の変り目にとう/\破産して了うたのだ。叔父は因果としても叔母は罪が無い、可哀想だ、然し我家も屹度大井のやうになるに違ひない』など考へながら『女学世界』のあちらこちらを渉り読みした。色々な想像が浮ぶ。この前叔母の内へ来た時に叔父が居た。『狸つき』の話をして真面目になつて自分も『狸つき』を信ずると云つた事から、叔母が叔父は近頃唯信心許りで藍場の浜の大神宮さん許りにお参りに行つて少しも仕事をせず暇があつたら何やら咒ひの様な真似をして居ると云うた事を思ひ出す。さうすると五分刈の頭に白い髪が大分のびて口髯も三四分荒らく生やした眼尻の皺が特別に多く深く寄つた顎の三角になつた、頬の細い銅色の叔父が唯ふらふら用事も無いのに町を歩いて居る様が夢のやうに現はれる。何となしに淋しい。衣服に付いた垢の匂ひがする。壁に立てかけてある襖の破れが目につく。机の下の反古がいやに穢いと感じて来る。天井の隅の煤にまみれて蜘蛛の巣や、唯三四寸ブラリと下つてゐる麻糸が非美術的だといふやうになる。畳が穢いと思ふ。窓から裏の方をずうつと見ると便所や物干場や芋畑やそれから向うの薬湯の煙筒が秩序も無く配列されて胸が悪くなる。雨空の澄みきらぬのも心地悪い。早く何処かへ行きたいと思はれてくる。然し行く処は無いと考へる。また続けて雑誌を読む。少しは面白い。そして昼の来るのを知らなかつた。
 昼には[#「 昼には」は底本では「昼には」]香の物と汁と御飯とで食事を済ましたがそれから何をして善いか知らなかつた――午後の長い間を、また二階へ上つて雑誌でも読んで居る中に日は暮れて呉れると思つて二階へ上つて雑誌を読んで居ると女学生が帰つて来た。午後四時だ。時間の立つのも早い物だと今更ながら感じて、これはあまり長く居ては叔母に善く思はれぬ。そこらあたりをよく云うて帰つて行かうと、きまり悪く叔母の家を出た。然しそれから先は何をして善いやら全く解らぬ。雨は小歇こやみと共に夜が近くなつて居る。まア仕方がない、今夜は何処か宿屋へでも? そうだ。宿屋は善い思ひ付だ。金も二円二十銭許り持つて居るから上等でなくても中等の宿りで五十銭かそこらはまだ余る。処で何処へ宿らう? 二軒屋? 二軒屋にしよう。然し今から宿り込むのもあまり早くて何だか変だ。勢見の金比羅へでも遊びに行かうか……と思ひ付いたので勢見の方へスタ/\行つたが全く無意味だ。自分は無意味で歩いて居るのだと思ふと自分手に可笑くなつて笑ひ乍ら石段を上つた。絵馬堂へすぐ這入つて菓子を売つて居る店へ腰を降した。羊羹の一つも食つて見た。然し甘いと思つた切りで唯……つまらんと思つた。絵馬堂から徳島全体を見降しても景色の事も何にも感ぜぬ。家が無意味に並んで居る。あちらこちらから煙が無意味に立つて居る。栄一は『僕の様に毎日々々遊んで彷徨うろついて暮すと別に不愉快な事もない。大臣になつて乾分を大勢連れて威張るより大分面白い。恁那に気儘にうろつくのが大分面白くなつて来たわい……』など考へた。
 あまり長くは此処には居られぬ。菓子家の婆アさんも店をしまひかけた。どれ、それぢや帰つて行かう。帰つて行くのぢや無い何処かへ行かう。然し宿屋へ行くのは未だ少し早い。二軒屋の端まで行つて見よう。『どれ、ぼつ/\』と石段を高下駄で降りた。下の巡査派出所では、巡査が何かコツ/\書いて居る。無意味なことをして居ると心の中で笑つて、呉服屋の前へ来ては無意味な人間が裸体を恥かしがるので着物がゐるのだと心の中で思ひ乍ら町の端へ来たがまだ日は暮れない。も少し、も少しと思ふうちにたうとう法華橋まで一里を来て了つた。もう大分暗くなつた。これから帰れば丁度宿屋に入るに都合が善い。『どれ』と舞ひ戻つて場末を町の方へと歩いて行く。町へ入ると精米所がある。精米所の隣りが鍛冶屋――二軒の家の前は野良だ。三軒目から向う側がある。鍛冶屋の隣りが木賃宿、ア木賃宿へ今夜宿つて見よう、経験的に。然し少し恥しい――かすりの浴衣に鳥打帽を被つて居ては。然し勇気が無い様な事では困る。なに家々に燈のついて居る時だから別に見る人もない。一町許り通り過ぎたが引返して、
『御免なさい。今夜泊めて下さいませんか』と頼むと、真赤な顔をした四十恰好の髯の男が角火鉢の前で晩酌をして居たが、
『狭いけんど泊りたければお泊りなはれ』と栄一の顔を覗きながら答へた。そして、
『御飯はすんだんでかい?』と問うた。それで、
『まだすみません』と答へると、
『ゆきひら貸して上げるけん、向ふの火鉢で火を起して、御飯をお焚きなはれ』と云つて呉れる。
『お米や炭は?』と尋ねると、
『お米、何合入るで、三合食ふかい?』と問ふ。
『え、三合位貰ひませうか』と云ふと、暗い仏壇の下の米櫃から米を三合出して呉れる。行平鍋に入れて『それを裏の井戸へ行つて洗うて来なはれ』と渡して呉れた。
 裏へ出ると女の人が竈の下の火を見詰めて居た。栄一が出て行つたので一寸見た。栄一は生れて初めて米を洗ふことだと思ひながら井戸から水を汲み上げたが、向ふを見渡すと水田に細い雨が落ちて勢見の山がボーと見える。悲哀な湿りツぽい景色にまた何とも云へぬ雅致がちがある。
 米を洗ひ乍ら『僕は実にローマンチツクな人間だ。ローマンチツク……自由意志……悲哀なのだ――然し――僕は何と幸福な目に会つたのだらう。幸福だ。僕は恁那美しい一瞬間を経験する事が出来た。僕は雨の夜に自分手に米を炊く』など考へた。
 米を洗つて、内へ持つて入ると、例の主人が『それ炭を上げるでよ。二銭のも[#「二銭のも」は底本では「二銭がも」]あつたらいゝだらうな』と炭を呉れる。
『こちらの室に火鉢があるでわ』と二尺許りの土間を置いた隣つた室の障子を一寸開いて呉れた。
 開けると室は十畳敷許りのものだ。三分心のランプが一つ真中に吊つてある。隅から隅まで善く見えぬが向うの方には六人の男と女が三組になつて抱き合つて寝て居る。中には子を中にして居る者もあり、裸体になつて着物を薄い薄い蒲団の上に置いて寝て居る者もある。蚊が居るが蚊帳はつらぬらしい。こちらの入口の隅に鉄の火鉢がある。主人は、
『あの火鉢で――』と示して呉れた。幸ひ火種がある。二銭の炭を入れて火を起した。大分待たねばならぬと栄一は隅に向つて坐つた。然し矢張り三組の男女が眼の前にちらつく。
 十七八分すると沸いて来たので、蓋を取つて善いのか悪いのか知らぬが、取らぬと火が消えるから取つて沸くのを眺めて居た。
『暇だ。暇だ』と頭の中から叫ぶ。『哲学問題はあまり苦し過ぎる。唯客観の現実を楽しまう』と答へて置いて米粒が角力を取つて居る様に動くのを感心しながら見て居た。『暇だ、暇だ』と頭から叫ぶ。飯が焚ける。食はふか……と茶椀と箸を借つて来て主人が持つて来て呉れた梅干と干魚を菜にして食ひ始めた。
 食ひ始めた時に、坊主頭の五十恰好の男が細い目をして這入つて来た。顔は銅色で酒気を帯びて居る。然し何処かに愛嬌がある。
 栄一を見て一寸驚いた様子であつたが、栄一はぶしつけない顔もせず、
『今晩は』とこちらから挨拶をした。それで向うも、
『今晩は、善く降ります』と答へた。男は座敷へ上つて火鉢の側に坐つて煙管に火を付けながら、
『失礼ですが、あなた様はどちらで?』と問うた。
『え、こちらで御座ります。然し生れは神戸で――』
『さうですか? 神戸と云ふと海を一つ越えてですな』
『あなたさんは?』と栄一が尋ねると、
『越中で御座ります』
『随分遠い国で御座りますね。何をして居らつしやいますか』と尋ねた。尋ねられて視線を炭火の方へ転じながら、少しの間黙つて居たが、廻りを一寸見渡して、
『はい、何です、殖林事業の遊説で、田舎廻りをして居ります。唯今の処では』と一寸息を切る。
 栄一は、殖林事業の遊説……大きな事を云ふ男だなと思ひながら、その男を見ると破れたシヤツに処々つぎの当つて居る筒袖の袷を着て別に人品のある男でもない。
『遊説とはどう云ふ処を?』と大きな声で聞くと、
『大きな声をせん様に、皆が寝て居りますからな』と制して大きな声での会話を避けようとして居る。栄一は此老人の動作が不思議で堪らなかつた。筒袖の男は低い声で、
『殖林の勧誘で御座りますから家々を尋ねて行くので御座りますがない。あの村で三日、此村で五日と家々を訪問して殖林の道を講じて居るので御座ります』
『さうですか、それは善い思ひ付きですね』と賛成の意を表すると、
『あなたはどう云ふ御職業で居らつしやりますか』と問ふから、
『え、まだ学生で御座りまして職業も何も無いのです、近頃脳が悪いのでブラ/\して居ります』
『さうでいらつしやりますか、今日は何処から?』と尋ねられて、栄一は答に困つた。
 暫時二人は沈黙したが雨がまた烈しく降つて来たらしい、戸の外には恐ろしい音がする。栄一は何とは無しに感情が興奮する様に覚えた。然し胸には悲壮な血が湧く。小さい声で『此処に寝て居る人達はどういふ人達ですか?』と頭を対手あいての頭にすれ/″\にして聞くと、
『え、皆、乞食です』と一寸後を見返つて、自分は乞食と同宿して居ても地位が違つて居るよと云ふ態度で返事をした。
『皆夫婦なのですか』と聞くと、
『いや、寄るとあアやつて寝るので、夫婦とか何とか云ふ六づかしいことはあの仲間には無いのですな』
『さうですかね』と驚いた様子で栄一は答へた。語をついで栄一は尋ねた。
『乞食だけですか? これらの人は? よくやつて行けますね』
『そらまた日に一升も一升五合も米を貰ふ事は普通ですからな。そしてそれをまた此処らへ来て売るのですが、一合三銭か四銭かに』
『フム』と栄一は感心して居る。話の方が飯より甘い。然し飯も魚の干物で案外甘かつた。四杯食つて、明日の朝の分に少し残した。
 男は稍々大きな声をして、
『あなたは明朝は何処へ?』と問ふ。
『さ、何処か知れませんが、彷徨つくのがすきですから』と答へたが、『遊説をして廻つても私を信用して呉れぬので困りますわい』と男は独り言の様に云ふ。
 栄一は茶碗と箸とを隅に片付けながら、
『何故です?』と尋ねた。
『こんな振りしてはどうしようもない』と栄一の新しい絣の衣服に目を付ける。
『何でも善いでせう。自分の主義さへ通れば』と笑ふ気味で云ふと、『世の中の人は心の中を読まんでな』と答へる。
『世の中の人は皆馬鹿と思はねば事業には取りかゝれませんよ……自信が必要ですね』と栄一は老人の心を読んだかの如くに云ふと、男は改まつた口調で、
『全くさうですな。これで私も越中の高林寺の僧侶で御座りますが、今時の坊主が酒色に溺れて居るのが歎はしいので乞食の真似でもいゝから、日本の為め国の為めなら決して身も厭はずに遣つて、一つ他の人の思ひ付いて居らぬ殖林事業の遊説をしようと寺を出たので御座りますが……もう寺を出て今年で十年難行のありだけはして来ましたが……実際どうも世間の人は馬鹿としか思へませんな』と述べたてる。
『さうですか。中々熱心に奮闘せられたのですね』
『随分やつて来ましたな』
『然し殖林と云ふのは一体どう云ふのです』
『私の云ふのはいや何に、面倒なことはないので、日本の国は材木国であるのに、材木を伐つて了ふなら景色を害するのみならず今に都会などは空気が悪くなる。それに家を建てる木は少くなる。それで色々な木を植ゑる必要があるが――桐は一番目に立つて育つ木で三十年すれば早や物になるから桐を家のもの一人に付いて一本づつ植ゑてはどうですか――と説いて廻るのですが――日本に五千万人の人口があるとしますと一人に付いて一本づつ植ゑるなら五千万本の桐の木が生へる理由で、之が三十年して一本五円に売れるとしますが五五二十五の二億五千万円の大金になりますからな。戦後の日本が貧乏で困つて居る時に恁那金儲けの道を忘れて居ると貧乏する一方ぢやと思ひましたので、日清戦争が了んで、すぐ思ひ立つて国を出ましたが……いや世の中の人は耳が無いので困りますわい――』と眼の下に皺をよせて冷やかに笑つて、俛いたまゝ烟管に煙草をつぐ。
 障子の向うに主人の罵る声が起るが、唯、罵る声許りで罵られる者は誰れか知れぬ。主人は酒の酔が廻つたのだ。
 栄一は煙に巻かれて唯苦笑した――此老人にもまだ若々しいドン・キホーテ式愛国心があるかと思つて。
 いや、ドン・キホーテ式は実際恁那封建的時代の老人の頭に多く湧くのだ。武士道は根本的にドン・キホーテ式だから寂しい人生だ。此老僧の孤独な情熱の生涯を思ふと何とはなしに冬枯れに会つた桐の葉が一枚一枚舞ひ落ちると青細い灰色がゝつた幹が真直につつ立つて、枝も僅か二三本幹の先についたなり西風に震へ上つて居るのが眼の前に浮ぶ様だ。が何だか老僧は詐欺師の様に思はれてならぬ。然し木賃宿階級の社会は之れだから愉快だと思はざるを得ない。
『それで効果はどうですか?』と、問うた時に急に二階から落ちる物音がして女の泣き叫ぶ声がする。主人の声で、
『此ん畜生奴が?』と物狂はしく聞える。栄一は障子を開いて立ち上ると、仏壇の横の梯子段の下に女が泣き倒れて居る。二階から三つ四つの荒々しい顔が、眼許り光らして下を覗いて居る。皆土方の連中だ。主人はすました顔してまた盃に酒を注いで居る。
 二階から覗いて居る顔が、『どうしたんで、一体?』
『ひきずり落したんぢやわ、二階へ逃げて来よつたのを、あしこまで上つて来た奴を』と話して居る。
 老僧は落付き払つて煙草を薫らして居る。ちつとも騒ぐ様に見えぬ。
『毎晩あれなんです――困つたものです。下等社会は』と云つて少し高く止つて居る。
 新見はゴールキイの小説をパノラマで見る感がした。胸が圧迫せられる様に重い。然し木賃宿の内は何か活気が満ちて居る。生命の水が湧いて居る様だ。
『あれ所ぢやないのです。一昨日の晩なぞ、そら非道い喧嘩しました、息子が帰つて来ましたので。なんでも此処の主人は此処のお神さんと後から一緒になつた様ですな。息子は先の女房の子の様ですから……』
 栄一はまだ老人の夢の様な経験談を聞きたいので、
『遊説の結果はどうですか?』と再び尋ねると、
『今の処は駄目ですな。どうも私を乞食の様に思つて信用して呉れませんからな』
 開いた障子を閉ぢようと向うを見ると主人は甘さうに飲んで居る。新見は喉が乾く様に思うた。六人の乞食は静かに眠つて居る。
『つまりあなたの風体を見て信用しないのですか?』
『まア、そんなものですな。之れが一月前までは袈裟があつたのですが、木賃で一晩泊つて財布も何にもかも取られたので袈裟だけ残つた奴を旅籠賃の代りに置いて、今は恁那襤褸の筒袖一枚になつたものですからな。人が信用して呉れんのも尤もですわ』
『それぢや、あなたの衣物と私の衣服と交換しませうか?』
と云つて見た。
『冗談ぢや御座りませぬ。虱の居る様な襤褸とあんた様のやうな立派な絣――』と相手にならぬ。
『さ、替へませう。あなたさへ、おかまひ無くば』と矢張り真面目に主張する。
『冗談ぢや御座りませぬぜ』と大きな声で断る。
 こいつは一つローマンチツク風を吹かしてやれと栄一は考へたので、
『何だえ。君、一枚や二枚の着物位ゐ。裸体になつても知れてるぢや無いかね。君は遣ると云ふものをよう貰はぬのかい? それぢや人に遣ることも知らないだらうね――』と一寸侠客風を吹かしてみた。老僧は頗る真面目に、
『感心した。あなたに、さう云はれて貰はぬ理由には行かぬ。よし貰ひませう。……然しあなたは豪い。世界にあなたの様な見上げた人は一寸少ない……』と嘆賞して居る。
 栄一はシヤツもズボンも脱いで褌一つで火鉢の前に坐る。老僧も衣服を脱いだ。二人は顔と顔を見合せて小気味よく笑つて暫く黙つてゐた。外は雨が急しく音をたてゝ降つて居る。栄一は『ローマンチツクな真似をした、他人の為めに着物を脱ぐと云ふ聖人の真似をした。我輩も聖人の中だ』など笑ひ乍ら其晩は煎餅蒲団にくるまつて寝た。

二十二


 翌朝暗い中に、一晩五銭で借す煎餅の様な蒲団から起き出た栄一は、筒袖の襤褸を着たまゝ大手を振つて我家に帰つて行つた。
 勢見の金比羅の下から大道を急いで歩いて居た時にこんなことを考へた――
『人間が大きくなると余裕が出来て来る。余裕が出来てくると何物にも驚かなくなる。人生が真似の様に見える。善も別に賞めた事でなく、悪も決して悪いものでなくなる。……悪を責めなくなり、悪に同情する様になると、悪をする余裕が胸の中に出来てくる……その代りに、善は宝石の様に珍らしくなる。そしてその時が人間の危機と云ふものだ。聖人か? 悪人か?――それで無ければ犯人と云ふ時だ』こんなことを考へ乍ら家の門へ来たのが午前五時半であつた。
 宅では栄一が火事をやる様なことをしたと昨日一日は騒いで、父は遂に頭痛がすると云つて市役所にも出頭せず引籠り栄一をどう処分して宜いかとお梅と二人で考へた。が、善い思ひ付きも無いので医師の三木浩を招いて決して他人には話して呉れるなと断つて栄一の全く発狂したことを告げた。三木は事情を聞いて理由も無く精神病院に送れと云つたが、新見は笑ひ乍ら、
『己の宅の息子が女に惚れて発狂したと新聞にでも出されては市長の名誉にも関するから、内々で出来る限り処分したいが――』と答へた。然し外に策も無いので先づ神戸の湊山脳病院にでも送ることにしようと一決した――徳島に脳病院が無いからと云ふ理由で――
 それで今朝は安心して寝て居る。
 栄一は門の戸が開かれて間も無く帰つて来た。下女に父が未だ寝て居るか否かを尋ねて、未だ寝て居るとの答を得たので奥へ這入つて行つた。
 奥にはまだ行燈がついて益則もお梅も父も寝て居る。栄一は父の枕元にかしこまつて坐り。――
『お父様。栄一で御座ります、栄一で御座ります……一寸お父様に申上げたい事が御座りまして帰つて参りました』と出来るだけ柔和な声を装うて父を揺り起した。父は暫くして目を醒ましたが無意識の中で云ふ様に、
『栄一か? 今日はもう要事があるからな、外へ出歩いてはならぬぞ』と至極穏当に云つた。それで、『お父様怎那御用で御座りますか?』と問ふと、父は黙つて頭を蒲団の中に入れた。栄一は父が何時に無い用事があるなどと云ふから不審で堪らなかつた。暫くの間栄一は黙つて居たが、父は一寸首をつき出してお梅を見て、
『栄一、用事があるからな、今日は二階の東の間から出てはならぬぞ』と叱る様に命じた。
 女中が『旦那様郵便が参りました』と父の枕元へ手紙を持つて来た。栄一は急に、鶴子からの手紙であるに相違ないと胸を躍らせて下女の持つて来た四五通の手紙を見た。
 有る? 有る? 厚い重い封筒の手紙はそれだと気が付いて、『これは私の』と手に取り上げて封を切つた。
 読んで行く中に栄一は手足が震へて胸が轟くことを感じた。鶴子はもう自分を馬鹿にし切つて居るやうだ。一生独身主義で送ると云ふことを繰返して書いて居る。そして何かその文字の下には、新見の家庭に対して不満である様なことも書いて居る。さうかと云うて全く栄一と関係を断つと云ふのでも無い。恋を白熱的にすると云ふ勇気も無く、全く冷かして了ふことも恐れて居るらしい。然し全体の調子は『否定的』である。それで栄一は地球から抛り出された様な気がした。
『こんなになることを知つて居れば』……と栄一は鶴子に裏切られたことを口悔しく思つた。然し仕方がない。『校則』『校則』と繰返して以後は文通が出来ないからと書き、之は消燈後廊下の電燈の光で夜半に書いたのだと書き足して居る。
 読んで居て堪らなくなつたから急に立ち上つて二階のスタデーへ這入らうと襖を蹴立てゝ二階へ駆け上つた。驚いた事には、自分のスタデーは蒲団の洗濯物の為めにでんぐり返してある。腹は立つが鶴子の裏切が猶憎い。泣きたくて堪え切れぬから、東の部屋へ飛び込んで行つて、打ち倒れた。そして泣いた。泣いても泣いても足らない。頬の筋肉がピリ/\する程泣いたが、まだ足らぬ。そして唯、身が慄へる。大分泣いたと思つた時に、益則が上つて来た。
『お父様が今日は学校へ行つてはなりませぬつて……』と伝へに来た。
『何故?』と自分に問うたが解することが出来ない。たゞ未来に対する恐怖と自分の室の荒されて居る事に対する想像と相混つて動悸の高くなるのを感じるのみである。
 然し恁那事ではならぬ。主義に立つて居る者が未来に対する恐怖とか、自分のスタデーの荒されて居る位の事で身震ひする様では駄目だと思つたから、身を起して窓に立つて見渡すと、晴れ渡る朝空に、川に沿うて生えて居る老松の緑が如何にも対照よく見える。北の方には裁縫女学校の寄宿舎の窓から頸を出して此方を見る者がある。呑気だと思つたから、恁那呑気な世界は僕には不適当だと、また室の隅に倚つて考へた。また鶴子の手紙を読んだ。読んで居る中に、
『栄一、栄一、栄一は何処に居るか?』と父が二階へ上つて来た。栄一は答へなかつたが東の隅に居るのを見て、
『栄一、貴様はな、気が狂れて居るからな、暫らく学校を止めて保養した方が善いと思ふがどうぢや?』と父は顔色を変へて云ふた。
『お父様、私は何にも気が狂つて、居りませぬよ。気狂ひでも何でもありませんよ』と栄一は答へたが、父はじろ/\栄一の着て居る襤褸の筒袖を見て、
『それぢや何故、家を焼いたり、床の間を削つたりするのか?』と眼をいからせて問うた。此の問ひを待つて居た栄一は、
『お父様を善くしたい許りに――私の胸を悟つて貰ひたい許りにです』と答へた。父は憎い笑ひを洩らして、
『己を善くする? お前が気が狂うてゐて、どうして己を善くする事が出来るか』と冷酷に云うた。『お父様がお梅や外の女に現をぬかさなければ何にも気は狂ひはせはしないのだけれども……』と泣く様に独言を云うて、暫く黙つた。然しその時『僕の様な者を気狂ひと云ふのだらうかな』とも考へてみた。
『お前の着て居る着物は何ぢや、それは。そんな物を着て帰つて気狂でないと云へるか?』と父はまた笑うた。そして今度は稍改まつた口調で、
『栄一、お前、今は気がをさまつて居てもまた気が狂ふと困るからな。気の静まつて居る中に、全く気が狂はないやうになるまで、脳病院へやつてやるから、そこへ行つて呉れよ』と宣告した。
 脳病院と聞いて栄一は突然立ち上つて父に近づいて行つた。そして父の顔を見詰めながら、
『脳病院に這入れえ? 這入ります。仰しやる通り。もし宅に居るとお父様や御家内を傷けることがあるかも知れぬと仰しやるなら……然しお父様はいつ私の云ふことを聞いてくださるのです』と涙を拭き乍ら尋ねた。父は無頓着に、
『それぢや行くな?』と駄目を押して立ち去らうとした。其時栄一は少し躇つたが、つか/\と進んで行つた、父の袖を捕へて急に子供心に立ち帰つたかのやうに――
『お父様。何故私を脳病院なんぞへお入れなさるのですか?』と尋ねた。然し父は栄一の目を睨んで、
『お前の眼付がな、普通の人の様になれば出してやるわ。……栄一、そこを放せ』と云うた。
『放せ、栄一そこを』と捩ぎ取らうとする。それで栄一は……
『お父様、それでは私はもうあなたと一生お目に懸りませぬ。私とあなたの道はあまりかけ離れ過ぎて居ります。……お父様、私はこれで一生のお別れをいたします。私は私の道を急ぎます。そしてあなたにはあなたの朽ち果てた古い道を歩ゆんで下さい。私は小さい脳病院に行く代りに大きな世界の脳病院へ、之から出かけて行きます。……それでは、お父様、さよなら、私を産んで下したお父様、さよなら……最後に私はあなたを拝んで、之を今生の見納めにさせて頂きます』と云つて、栄一は合掌して父を拝して、涙を拭き乍ら、そのまゝ家を出た。
 外は朝日が輝いて居た。栄一は思はず独言を云うた。『あゝどうしてまア日本の家庭はこんなに暗いのであらうか、外はこんなに輝いて居るのに?』と……
 その晩栄一は叔母から少しばかりの金を借りて神戸行の三等客となつた。……乞食坊主の着て居た筒袖そのまゝで。

二十三


 神戸へ上陸つた、栄一は故意と鍛冶屋町の店にはよらなかつた。そしてすぐ湊町四丁目の口入屋の手を経て東出町の沖仲仕の権蔵部屋に送られた。
 栄一はこれが、自ら受く可き苦き盃であることを信じた。栄一は何処かの工場に送つてくれと口入屋の亭主に頼んだが、不景気で何処にも口が無いからと云ふことで、たうとう東出町の権蔵部屋に送られた。
 権蔵部屋の生活はあまりに苦し過ぎるものであつた。畳一枚に二人平均に詰込んで、狭い天井の低い、物置きの様な所に寝かされた。栄一には革命も社会主義も凡ての理想問題も一度に消えた。社会改造さへも許され無い程堕落し過ぎて居ると云ふことに気がついた。彼は毎日土方の手伝にやられた。或時はまた鉄のヅクを担はされた。沖仲仕に出て、ウヰンチ番位になりたいと云ふ理想も有つたがそれは理想ばかりで有ることがわかつた。熟練の無いものは仲仕さへ出来ないと云ふことが理解された。部屋ではすぐ栄一に『青瓢箪』と云ふ綽名がつけられた。栄一は屋根を葺く時に用ふる土を運ぶことが、自分に最も適したものであることがわかつたので毎日それを志願して、遠く脇浜から御影あたりまでも人足に買はれて行つた。栄一は全く理想を殺した。そしてその日一日が面白く可笑く、送れたら善いのだと云ふ様なことをも考へて見た。然しすぐに友人を作つた。前科二犯あると云ふ坂井と云ふ五十男は人足頭であつたが、何か知らぬが特別に親切にしてくれた。然し権蔵部屋に来てから十五日目に勘定を楽しみにして居たものが、月末に延びたと云ふので失望した。が、権蔵部屋の悪辣なことを知るには暇がかゝらなかつた。月末が[#「月末が」は底本では「月未が」]来た時に栄一は二十三日の労働に僅か二円三十銭しか貰ふことが出来なかつた。その他の労銀は何とか理窟をつけて、権蔵部屋の主人が捲き上げてしまつた。
 栄一は新聞に渇ゑた。二十四五日間と云ふものは新聞らしいものを見なかつた。手紙の一通も受取らなかつた。シヤツにも虱がわいて痒かつた。然し仕事から帰つて来て、洗濯する勇気などは全く無かつた。仕事から帰ると彼は二階へ這ひ上ることさへたいぎに思つた。又着物を着換へる勇気さへ無かつた。それで三日目に一度位はそのまま寝た。或時の如きはあまり昂奮し過ぎて寝られぬことさへあつた。そんな時には仲間が酒を呑んで居るのが羨ましかつた。然し彼は酒を呑む勇気が無かつた。多くの労働者は仕事から帰つて来て、新開地の方へ活動写真を見に行つた。或者は福原遊廓へ素見ひやかしに行つた。然し栄一はそれを見る為めにこの上十町以上も歩いて見る勇気は無かつた。助平連は女郎買の話をして居た。然し栄一は、性慾を起す元気さへも無かつた。彼は中性の様になつて居た。今彼には理想も、性慾も、希望も、親友も、文化も、新聞も、金も、着物も、体格も、安らかな寝床も、書物も何にも無かつた。彼は自分に『今僕は消極的聖人だ』と云つた。全く彼は聖人で有つた。彼は賃銀として一日六十五銭を貰ふ筈で有つたが、それは表面だけのことで有つて、食費として五十銭を除き去られると、一日十五銭しか剰らぬ勘定になつて居た。然し彼はその十五銭に対する所有権をも捨てた。髪がのびた。然し散髪する必要が無かつた。味噌髯が生えた。然しそれを剃る慾望も無かつた。折々大きな店の装飾棚や、硝子戸の前に立つて、そのみすぼらしい姿を憐れんだ、が仕方が無いとあきらめて居た。
 彼は社会の凡てを呪ひたかつた。ドン底に落ちて、始めて社会の呪ひ方を知つた。然し彼にはペンも紙も机も電気燈も無かつた。権蔵部屋には十畳敷に二十二人も詰まつて寝るのだが、そこには五燭の電気が一つしか無かつた。彼は仕事場で思ふ存分『睾丸政きんたままさ』と云ふ男から毎日のやうに侮辱された。睾丸政は彼が『かた睾』で有る為めに、こんな、あだ名をつけられたのである。彼は二番の消防の筒先だと云ふのが自慢で、仕事場では火事の話ばかりしかしないが、栄一は話があんまりつまらぬから、返事もろく/\しなかつた。それで頭から、『書生ツポの青瓢箪は生意気だ』と云つて『鉄砲担ぎ』――(屋根に土を運ぶ時に、桶に土を入れて、鉄砲の様に肩にのせて、屋根に上つて行くことを鉄砲担ぎと云ふ)――をやつて居る時でも、無理な註文ばかりするのである。或時の如きは土の運びやうが遅いと云うて、彼を屋根の上から衝き落したが、幸ひにして『なる』(柱)にひつかゝつて下まで落ち無くてすんだ事もあつた。栄一が坂井を徳としたのは、睾丸政が栄一をいぢめる時にいつでも栄一を助けてくれたからで有つた。栄一はそんなに、いぢめられる時にいつも泣いた。そして彼は早やく自由の身になりたいと神に祈りたかつた。然し彼は自分が全く奴隷以上の苦しい生活に沈められて居ることに気がついても神に祈る信仰も無かつた。彼はたゞ、部屋に誰かゞ捨てゝ有つた鉛筆と『実業之日本』を拾つて、『いぢめられ日記』を書いた。
 その『いぢめられ日記』は実に悲惨なもので有つた。栄一はドン底より実在を呪つた。また或時は自殺しようかと考へて見た。また或時は社会主義のことを考へて見た。然しまた社会主義の時代になつて、この『睾丸政』の様な執政官に出会したものなら、とてもやり切れないとも考へた。
 彼は権蔵部屋に来て最初に貰つた二円三十三銭の金で単衣の古手を一枚買うた。それは一枚二円で有つた。十五銭で丸坊主に頭を刈つてもらつた。久し振りに気持ちが善くなつたので、鍛冶屋町の店を訪問した。二十数日間の新聞の綴込みが見たい為めで有つた。然し勿論、父の様子も伺ふ為めで有つた。
 村井は洋服を着て店の椅子に腰を掛けて居た。外には誰も居らなかつた。栄一が這入つて行つた時に、村井は状紙に何か頻りに書いて居た。そして栄一が店と庭とを仕切る『バー』に倚りかゝるまで知らぬ顔をして居た。それで、栄一は『村井さん、今日は……』と挨拶をした。村井は気乗りがしない口調で、
『おや、坊々ボン/\、どうしていやはるんだ? お父さんの所へはお便りなさいましたか?』
『いや……何とか云うて来ましたか?』
『先達つて、大旦那が東京へお越しの節、一寸お立寄りになりましたが、「若旦那はお達者ですか」とお尋ね申しましたら、家を出てもう二週間も立つが何の便りも無いと云うていらつしやいましたが……あなたは、こゝにいらつしやつたのですか……丸坊主になつて居らつしやるから、一寸会つてもわかりませんな……大層痩せて、お焦げになりましたな。一体どこにいやはるんです?』
『父は心配して居りましたか?』
『いや、別に』さう云つて村井は急しく手紙を書いて居る。栄一に対して全く愛想が無いこと甚しい。然し彼はそれを別に気にも咎めなかつた。彼は金と力の無いものが、此世界で尊敬せられないことをよく知つて居た。然し東京から帰つて来た時の接待振りと今日のそれとの差は甚しいのに驚いた。それで、何だか悲しくなつて、新聞を見せて貰ふ勇気も無く、そのまゝすご/\と東出町の権蔵部屋に帰つて来た。そして、一枚の煎餅蒲団にくるまつて泣いた。店を出る時に、村井は栄一の住所を尋ねて居たが、栄一はわざと返事をせずに飛んで帰つた。
 その後、栄一には辛いことが続いた。仕事先で毎日の様に負傷した。そして睾丸政に毎日いぢめられた。然し詩が無いことも無かつた。日中瓦屋根を踏んで土を運ぶ時に、正午の太陽が上からカン/\照りつけて、瓦が玉の様に光ると、彼は労働の神聖を思うた。そしてその瞬間が彼には最も宗教的な時であつた。
 彼には進歩も成長も無かつた。彼は自らこの頃の生活を『銅線の生活』だと叫んだ。たゞ時間的に延長するのみで、それ以上進化する望みも何にも無かつたからである。
 雨が続いて降つた。そして権蔵部屋の男はみな毎日、家でごろ/\して居た。賭博がはづんだ。賭博をしないものは通名『讃岐』と云ふ三十男の病身ものと栄一だけで有つた。喧嘩も毎日のやうにあつた。葬式も一つ出た。それは、川崎造船所の雑工に雇はれて居たものが鉄板に跳ね飛ばされ即死したので有つたが、その葬式には栄一もほと/\労働者の生活の悲哀を思はされた。
 そして来る日も来る日も雨がつゞいて、まる九日間は食ふばかりで、仕事には少しも出なかつた。それでその間の食費は全部借金となつた。そして栄一はこの借金を支払ふ為めに二ヶ月は、たゞ働きをせねばならぬと云ふことを考へてラサールの『賃銀鉄則』どころでは無く『賃銀地獄』と云ふことを思ひついた。栄一は古着屋の店先を通る時――餅屋の前を通る時――生れて始めて泥棒してみたいと云ふことを感じた。
 彼は彼の手と足を見詰めた。そして自己の姿を見詰めた。そして自分の悲惨な姿に泣いた。社会は改造することも何にも出来ぬ程固結してしまつて居るので、彼が労働運動など夢みてゐたことは全く夢で有つたのだ。日本の労働者は眼醒すことが出来ぬ程疲れ切つて居る。
 彼は毎日この疲れた日課を繰返した。そしてそれが月の何日で、何曜日であるかも忘れた程で有つた。丁度雨の晴れた第一の午後、彼が脇浜の山口の建築場から大勢と一緒に帰つて来る時であつた、栄一は兵庫の店の穂積と宇治川尻でひよつくり出会した。勿論穂積が知らう筈は無かつたが、栄一から声をかけた。栄一は印絆纒に草鞋と云ふ風体であつたから穂積は吃驚して居る。
『坊々……そんな風でなにしてゐやはるんだ? あんたも物好きやな』と冷かされた。それに対しても栄一は別に何とも答へなかつた。
『内へ帰りなはれ、私からうまいこと云うてあげまつさ……然しな、ぼん/\、大将は、どえらい大病だすとさ。もうあかんと云うて居つたわ……腸チブスやと。栄一つあん帰つておあげやす、あんたも親不孝やな、学問するとあんたのやうになるから私しや嫌ひだ』
『え、お父様……病気? もう、あかんて?』
『今日位ゐうちが帰つたら、「死んだ」と云ふ電報が来とると思ふね』
 栄一は非常に憂欝になつた。それで漸く、
『お父様がわるかつたと云ふ電報が来たら知らしてんか?』と云ふ言葉が喉から出た。
『知らさなくてどうするものか、後継ぎぢや無いかあなたは……然し、栄一つあん、あなた一体何処に居やはるのだす? 村井から此間、あなたが貧相な姿をして店に見えたと云ふことだけ聞いたけど、一体どこに居やはる、わからんもんやさかい、お父さんのことも、もう少し早く知らさなきやならんのやけんど、失敬しとりましてん
 栄一は穂積の親切を心よく有難く思つた。それで栄一は自分の下宿――即ち権蔵部屋のある所を詳しく教へた。それを聞いて穂積は、
『アヽ知つとる、知つとるとも、あしこかいな、ありや二番の消防の小頭の柴田のうちや、わたしあいつよう知つとる』と云うて居た。
 栄一はそれで穂積と別れたが、晩に栄一が柴田の狭い庭で立つたまゝ飯を食つて居る時に、新見の店の小僧六弥が村井からの手紙を持つて来た。それは父の死を報じたもので有つた。
 栄一は飯を半分食ひさしにして主人の柴田に理由を述べて暇を貰ひたいと申出た。その時ちゞれ毛の細目でやぶにらみのおかみさんが出て来て、
『あなたは、うちに四円五十銭の借金があることになつとるから、払つてくれはりまつしやろか』と尋ねて居た。それで栄一は初めて兵庫の店のことを話した。そしてすぐ一緒に取りに来てくれと云うた。そしてその金を取りに行く命令を受けたのは、そこに居合せた睾玉政であつた。おかみさんは飽迄疑つて居た。睾玉政と栄一と二人は黙つて歩いた。そして東出町から鍛冶屋町まで二十分以上も少しも言葉を交はさずに歩いた。
 村井は栄一の借金を払つてくれた。睾玉政は妙な眼付をしてそれを受取つて帰つた。
 その晩栄一は徳島行の船に乗つた。村井も同船した。
 栄一は村井に多く彼の顔を見せなかつた。そして話もしなかつた。権蔵部屋で『讃岐』の死を見た彼は父の死が特に意義あるものとは考へなかつた。彼はドン底で、意志は鉄の如くあらねばならぬと云ふことだけは学び得たと考へて居た。
 葬式の日に、栄一は出来るだけ、無関心であることに、心をきめて居た。然し瑞巌寺ずゐがんじの葬式場で十二ヶ寺のお坊さんの後について、三度、棺のぐるりを廻つた時に、無関心では居れなかつた。黙つて歩いて居る中に、父と彼との『生』の交渉がパノラマのやうに見えた。それで、栄一はハムレツトがオツフエリアの葬列を見たより以上に――栄一はその時さう感じた――実在に対する驚異と悲哀に泣いた。凡てが神秘であつた。少しも音楽的で無い銅鐘の響き……印度的読経の音譜……栄一はその無意味な葬式の音楽を聞き乍ら堅く決心した――彼は凡ての『死』の線を飛び越えて、因襲と姑息と伝統と迷妄と戦はねばならぬと云ふことを。
 彼の前には今大きな世界がある。それは栄一が嘗て父に云つたことのある大きな脳病院である。……軍国主義と、資本主義の『パラノイア』に悩まされて居る、地球大の脳病院である。栄一が発狂して居るのか、地球が発狂して居るのか、戦ひは之れからであると決心した。

二十四


 父は遺言も何にもせず死んだので、親族会議で遺産取り調べをしたが、家屋敷地が二ヶ所にも三ヶ所にも抵当に這入つて居るには全くあきれて終つた。
 栄一は凡ての会議に与からずに日に日に勉強して居た。二週間位はどうなることやら栄一には薩張わからなかつたが、ある時大阪の安井の叔父が事情を聞くので一々話したが吃驚して居る。そして叔父は同情を持つて『お前は、兵庫の店を甘いことして遣るから、あしこをやつて行け。己れが益則と義敬の二人を引取つて世話するから、何にも心配することは無い。田舎のお母様は、あれでは少し気の毒だが、自分の貯金も大分あるし裏座敷を残すことにしたからあれでぢつと居て貰はう……』と云つて呉れた。叔父は笑の事を全く忘れて居る。それも其筈、笑は父の死んだと云ふ事さへも知らず、勿論帰つても来なかつたからである。
 万事は進行した。
 大きな家は通町の松田が抵当の担保として受取ることになつた。本妻は裏座敷へ這入つた。大きな納屋と藍の寝床は皆壊されることになつた。益則と義敬は大阪に、お梅は二千五百円を貰つて料理屋を開店することになつた。栄一は兵庫の運送店へ来た。
 栄一は実業に自分のジニアスがあるとは思はない。勿論彼の希望では無かつた。然し彼は今直に下層社会に飛び込んで行く勇気は無かつた。権蔵部屋と木賃宿は彼には余り暗かつた。それで実業を一度経験する事も主義の運動の為めに必要な事であると自ら弁解して、安井の叔父の言に従ふことにした。今栄一はあの辛かつた権蔵部屋生活の二ヶ月を忘れることに努力した。

 栄一が兵庫に来てから、栄一は世界が変つた事を自覚した。自分は主人だ、まづ云へば資本家だ。然し自己が客観に影を延ばす事はまだ遠い事で、自己はまだ真の自己を発見する事は出来ぬと悲しく思うた。
 今は自己の凡てを捨てて、社会に化身しようと覚悟した。五月の始め頃の勇気と熱烈とは既に失せて、苦い客観の権威が固く自分を縛め上げ、泣くにも泣けず、叫ぶにも叫べぬものにして、深い海の底に沈めにかけて居る様な心地がした。近頃は自己の破滅を思はずには居られなかつた。
 放浪中鶴子から一通の手紙も手に入れなかつた。が、こちらも一通も送ることが出来なかつた。
 また放浪中、奮闘的生涯の苦痛は到底女の如き弱い者が堪え得べきものでは無い。鶴子と云へども所詮自分と一緒に未来に続く苦闘に堪えることは出来ぬと思つたから、恋は一種の罪だとして捨てゝ置いた。また不思議に昼だけでも恋を忘却した。いや少なくも忘却せんと努力して居た。
 然し人間のあせつて居る都会に出て、運輸事業を始めると、自分と云ふ袋には全く底が無い事を自覚せずには居れぬ。学校と云ふ、社会に関係の無い所では底なしでも善かつたが、今は底がいる。此底は何に? 布片では駄目だ。『女か? Woman Soul ?』と栄一は胸に手を置いた。が、今になると、名誉も得られず、恋は破れて自己が段々と収縮する。無限に延ばした翼が一枚一枚羽根を落して今は筋までも切り断たれかゝつて居るのだと思うた。
 運輸事業を始めた。老フアウストの如く海に望んだ。然し何処にメフィストフエレスが[#「メフィストフエレスが」はママ]潜んで居る? 何処に神秘がある? 何処に堤を造つて海を干すか?
 栄一は権威を持たぬ。出来るだけ謙遜して、郵船会社に、自分の店に、さては沖に繋留る船に立ち働いて見た。社会主義の実現とか無政府主義的自由とかは思ひもよらぬ事だ。大きなミネソタ号が栄一を乗せて笑つて居る。
 栄一は朝五時から起きて勉強する。八時から小僧六弥と一緒に船積に行つて晩の八時で無ければ帰つて来ぬ。晩に船積から帰つて来て肉を食ふのでも無ければ、酒を飲むのでも無い。それかと云つて恋しい人が待つて居るのではない。また恋の興味も湧かぬ。女と云ふものが無ければ淋しいと思ふが――神戸へ来て特別に――然し女の用事は何かと思ふと早や飽きが来る。女と云ふものは唯肉付がよく皮膚が滑らかで綺麗で、男がその横へ行くと少しの間だけ快感を覚えさすものだと定義を下すと、そんな快感が五年も十年も続くであらうかと心配する。唯『書物、書物』と、少し金廻りが善いと好きな哲学書を多く東京の丸善から取り寄せた。で、船積から帰つて、此書物の間に身を投げて卵と牛乳を啜りながら横になるのであつた。淡路出の四十恰好の下女のお徳が『旦那様夕飯が少し遅くなりましたが……』と云つて来るまで外国雑誌の評論でも読んで居る。淋しい。膳に坐つても菜食主義だ。御馳走のある筈が無い。海苔で舌鼓をうつ。『ア、ヒユームの様に妹でも居れば』と思ふが、妹も居らねば猫も居らぬ。栄一は神戸に来て直に妹の行衛を尋ねて見たが何処に隠れたか一向知れぬ。頼んで置いた吉田由太郎も妹を馬鹿の様に云つて居る。由太郎の宅には寄りつきもしなかつたさうだ。寝る時になつて男の友人でもあればと思ふが、今迄一人として心からの友人の無いのが悲しい。然し鶴子が……と思ひ出すと手を握り合つたり、抱き付き合つた、友愛の情の細かであつた過去を思ふ。『セツクス』を抜きにするならば鶴子はよい友人だと……慕しく、なつかしくなる。『鶴子は立派な女だ』と独言を云ふて、その友情が求めたい気がする。『友としての鶴子!』と繰返すと胸に聖い泉が湧く様だ。蒲団の中で恁那事を思ひながら本を読むといつの間にか睡つて居る。之が一日だ。
 然し不愉快な事許りでも無い。小僧と番頭と下女が、可愛がつてやる為めに愛嬌に充ちて来た。また経済上思つたよりも融通が善いので、店員に俸給を増してやつた。それで此調子なら店員等と利益配分主義の方針で事業を拡張して見ようかと云ふ夢が出来た。之は愉快ではないとは云へなかつた。之が十月の終りの事である。
 十一月の始めから芝居見物を始めた。人情史を研究して見ようなど考へ付いて、十一月の満月の晩栄一は子猫を拾うた。それは夜更けに十二時過ぎ、相生座からの帰りであつた。子猫が一匹湊川の空地で泣いて居た。まだ小さい猫で、瞼に赤い所が多かつた。赤い細い縮緬の頸玉をして鈴を付けて居たが、馬鹿に痩せて、白と黒との斑の毛が格別長い様に思はれた。
 憐れみ深い栄一は之れを拾ひ上げた。懐へ入れてやると、今迄泣いて居た小猫がちやんと泣きやんで唯喉をグワラ/\云はす許りだ。折々懐の中で大騒動を始める。栄一は笑ひながら、捨てゝ置くと段々胸を攀ぢ登つて栄一の鼻息を伺つて『ニヤオ』と泣く。そして湿り気のある小さい柔かな鼻先を栄一の鼻につける。心持ちが悪いが、憎くもない。暫くするとまた『ニヤオ』と泣いて懐の中へ這入る。首だけ襟から外へ出してやると月を見て居る様だ。栄一は生命に疲れた恋人を擁いて居る様に感じた。月との対照が殊にいゝ。本町を歩みながら色々と考へて見たが、猫が愛らしい。月影が瓦屋根に落ちて夜露の多い所が光る。電信柱と電線の影が道に写つて、白い絹に紋様をぬいた様だ。月夜は街でも美しく見える。然し栄一は猫を抱いて此美しい市街美とでも云ふものを考へてみた。一寸前にみた、茜屋半七と三勝の心中劇がさあと幻の様に現れる。瓦屋根が銀のやうに光る。
 翌朝小猫が店の大評判となつた。穂積は『こいつは牝だ!』と大騒ぎを始める。『若旦那が抱いて寝たら丁度いゝわ』と細川が冷かす。四日の間、朝から晩まで此猫で皆笑つた。栄一は毎晩抱いて寝たが、朝になると、下の方から這ひ出て主人の鼻息を伺つて、例の小さい柔かな湿うた鼻を、栄一の鼻につけて上唇を舌で嘗める。『猫のキツス!』だと栄一は独り笑つたが、起きて見ると蒲団の下に小便や糞をしてをる。之を店員に話すると皆『若旦那許りぢや無い。私の処にも、私の処にも』云ひ出る。四日目の昼は雨降りであつたが、此猫が無遠慮にも穂積君の法被の上へまた遣つたので、穂積君大いに怒つて、小僧の六弥に命じて浜へ捨てに遣つた。小僧は平べつたい顔に大きな鼻をして、大きな薄ぺらな唇から、嘲笑の声を洩らしながら、浜へ捨てに行つた。いつもならば六弥は穂積のいふことなど聞くのではないが喜劇の結末をつけようと思つて、云ふことをきいた。小僧が帰つて来るのを待つて居た若主人は『どうした?』と尋ねた。『あまり可哀想であつたから、浜の菓子屋へやつて来た』と云つて居る。それで喜劇の一幕が済んだ。
 十一月の終りになると店の者が公然と遊廓の話を若主人の前で話し始めて、細川の如きは春画を煙草入れの中から出して栄一に見せた。あまり馴々しくなつて来たので増長してきたのだ。栄一は別に此誘惑を恐ろしいとも思はなかつたが、面白い現象では無いと思つた。
 猫の事件の済んだ次の晩、穂積と楠公さんへ散歩した。穂積は栄一を大弓へ引張る。栄一は君子らしい事を云つて帰つて来かけた。然し穂積は平気で這入る。栄一は穂積の様な大胆で無いのを残念に思うた。社会研究だ。何にも見て置く必要があるとまた大弓の前へ来ると、綺麗な凄い程婀娜あだつぽい女が出て来て栄一を引張る。『お連れがお這入りになつたのに、そんなにしてお帰りにならなくても善うおますやないか?』と神戸弁で云ふ。すると今度はも一人の女が出て来て栄一を引張る。穂積が出て来て、『もう少ししたら帰りますわ、内へ這入つて、少し間待つてん』と云ふ。仕方なしに這入る。穂積は美しい女を掴へて冗談許り云ふ。然し栄一は知らぬ顔をして居る。穂積は、栄一の菜食主義の事や猫の事を女に喋る。栄一も別に悪い心持ちはせぬ。暫くして出て来る。二人の女が、『またお出やす』と送り出す。栄一は全く女の魔力に驚いた。穂積は色々女の事を喋る。然し栄一はまだ堅固な積りで居る。

二十五


 東京では『新紀元』の一派と柏木派が分裂して後、『新紀元』は廃刊する、I氏やF女史がその後を引き継いで小さい新聞を発刊して、罰金ばかり払はされて居たが、新見はそれを三河の山奥に住んで居る主義者から聞いて、僅かではあるが、罰金の中へ十円送つた。栄一は、何とかして日本に於て民主思想が、もう少し徹底的に宣伝せられねばならぬと考へたが、自分の今の立場ではどうすることも出来なかつた。栄一には、英国の社会改良家トインビーの様に貧民と共に一生を送りたいと云ふ希望が益々盛んに起つて来た。
 それで、栄一は凡ての性の慾望を握らんとした。然し、周囲の誘惑があまりに強過ぎた。そして、最近起つて来た、自然主義文学の感化は栄一の胸にも強く感ぜられた。栄一は美と女に敗けることが、何だか勝利のやうに感じた。
 丁度十一月の末であつた。栄一は村井に頼まれて、神戸の市会議員の三級の補欠選挙に運動せねばならぬことになつた。その時の候補者には、栄町三丁目の鳥井運送店の主人が三級候補で出たのであつたが、運送仲間だと云ふので、栄一は無理矢理に引摺り出された。栄一は演説の一つ位であればすると云ふのであつたが、演説会は、あとにも先にも、たつた一回開いた切り、それも福原遊廓の近くの菊水亭と云ふ四百人位ゐしか這入れ無い寄席であつた。弁士は多く雑誌屋や新聞屋――それも月に一回出すか出さぬか、広告専門で、三ヶ月一回、新聞紙法に違反しないやうに出して居る。名前だけ大きな『日本金物新聞』とか、『関西醤油新聞』とか、『材木新聞』とか、『阪神船具新聞』とか飛び切り大きなものでは『海の大日本』とか云ふ名の附いた妙な半分政治ゴロのやうな、地方政治専門家であつたが、話は拙いものばかりであつた。それで、栄一の新しい思想と、訓練された演説は充分聴衆に感動を与へた。翌日の新聞は、新見栄一氏の雄弁は特に聴衆に感動を与へたなど書いて居た。そのわけでも無かつたらうが、その三日後に、鳥井氏は当選したのであつた。
 そしてその当選祝ひが、会下山の筒井花壇に開かれたが、その席へは是非新見君が出席して下さるやうにと、海運月報社長の小畑が誘ひに来た。そして栄一は小畑と一緒に、筒井花壇へ行つた。そこで栄一は生れて初めて、芸者にお酌をしてもらつて一杯だけ酒を呑んだ。そして初めて芸者の踊りと云ふものを少人数で見た。栄一はこの時初めて、多くの人々が堕落することの無理で無いことを知つた。宴会に連なつて居たものは、鳥井氏を入れて、合計三十一人で有つたが、新見を除いて外は凡て先に云つた、小つぽけな月刊新聞社の記者連ばかりであつた。そして栄一は此処で、地方の政治と云ふものはどんなものであるかをよく理解した。鳥井と云ふ人は店の村井に云はすと、早稲田の専門学校の出で、長く神戸で回漕業をやつて居る人ださうである。温厚な人らしい。然し栄一とは別に立ち入つた話もしなかつた。
 唯、小畑は村井から聞いたことを同志に吹聴して居た。それには新見は余程大学者だと云ふのであつた。宴会の席では頗るもてた。小畑は特に芸者仲間の事情によく通じて居ると見えて、栄一の隣りに坐つて芸者の名を教へてくれたのみならず、芸者を紹介してくれた。宴会は十二時半過ぎに果てたが、小畑はまた栄一に第二次会を開くから三人の芸者等と一緒に花隈まで行かぬかと誘うた。そして栄一は美の探求者として拒む気になれなかつた。花隈の美しい電燈が多くついて居る中に『玉の家』と書いてある下に五台の車が止つた。車が止つた時に格子戸の中から、女の黄い声がきこえた。そして五人の車から出るのを出迎へた。此処では別に酒も何にも出なかつた。然し、姉さん株の『喜代之助』と云ふ名のついた女が特別に栄一を大事にしてくれた。花壇から一緒に帰つた小秀と云ふ、栄一も美しいと思ふ二十一二の女は、恥しさうな風をして、話もあまりしなかつた。一緒に帰つたものゝ中には、も一人梅若と云ふのが有つたが、頭痛がすると云つてすぐ二階へ上つて寝てしまつた。小畑は今夜は、此処で泊ると云ひ出した。そして、新見にも是非泊つて行けと勧めた。長火鉢の前で、みんなで坐り込んで女達の美しい香を吸ひ乍ら、栄一はみんなの冗談話に尻が落付いてしまつて、立ち上つて帰る勇気も出なかつた。喜代之助も親切に遅いから泊つて帰つて下さいと勧めた。そして、軈て、小秀は二人の床が並べて延べられてあることを告げてくれた。栄一は、世界は便利に出来て居るものだと感心した。芸妓屋と云つても別に下品な猥褻な所とて少しも無かつた。徳島の父の内に居るよりかより温く、人間味が充分に有つた。それで彼はみんなの親切を感謝して、その晩は小畑と二人で同じ室に寝た。
 翌日、栄一は八時頃に『玉の家』を出たが、喜代之助は、小秀を連れて、栄一の店へ遊びに行つても善いかなど云うて居た。栄一も『遊びに来て下さい』と云うて帰つた。

二十六


 翌日、喜代之助は長い手紙を車夫に持たせて、鍛冶屋町の新見の店まで届けた。開け放した栄一は、それを店のものに見せた。さうすると村井も、六も、穂積も、女中のお徳も、大きな声で笑うた。
 その日の午後、店に二人の洋服を着た立派な紳士が車で乗りつけて来た。栄一は変に思うたが、それは『神戸海上保険』の人々で有つた。村井はその人々を迎へて、二階の応接間で一時間許り長々話して居たが、二人が帰つた後に、荷物の『送り状』を書いて居た栄一の所へ村井がやつて来て、
『若旦那えらいことが起りましたぜ!』と云ふ。
 栄一は、慌たゞしく、
『何です?』
と、尋ねた。
『大福丸が、一週間程前の暴風雨に、遠州灘で難船してマストは折られる、梶は取られる、荷物は三分の一流して、漂流して居た所が、アメリカ行のコレヤ丸に発見せられて、船頭九人だけは一度救助されたが、――なんでも船頭は生命だけは助けてやるが、船と荷物は捨てゝしまへと云はれたので、住みなれた船を捨てかねて食糧品だけを貰うて、また漂流をつづけた処がいつの間にか、伊豆の大島へ近づいて居たのですが、島の人は漂流船だと云ふので早速救助船を出して、船を港に入れてくれたさうですが、村の人は強慾なものだから、船に残つて居た荷物の半分位ゐはまた村の人に盗まれてしまつたさうです。神戸海上では、この電報を一昨日受取つて、すぐ、伊豆の何とか云ふ港へ人をやつて居るさうですがね……それで相談をして来たのは「丸二」の東京積のアンモニア[#「アンモニア」は底本では「アンモニヤ」]五百俵ですな。あの荷物の半分は流れてしまつて居るのださうです。所がまだ二百俵位ゐは水濡れもなく大丈夫だらうと云ふのですがな……保険会社の云ふのには、沈没と違つて、流失ですし、それも、態々船頭が海の中へ抛り込んだものですから、会社ではどうも、保険金を、全部払ふことが出来ないから、お見舞金で辛抱してくれと云ふのですがな……勿論、なんださうです、もし、あれを、船の底へ穴をあけて沈没させて了ふか、それとも荷物を全部流失させて居ると、保険金は、全部支払ふと云ふのです。そこで、私は尋ねたのですがね、それでは、今這入つてゐる港でゞも船の底に穴をあけさへすれば保険金はもらへますかと尋ねましたところがね、「差上げます」と云うて居りました』
『困つたね……『丸二』は[#「『丸二』は」はママ]知つて居るのだらうか?』
『さつき、二人で寄つて来たさうです。……なんでも、石田の船は播州の飾磨沖で、難船した時も、こんなことがありましたよ……残つて居たアンモニアに、わざわざ、水をかけて駄目なことにして、全部の保険金を取つたさうです』
『そんなことをしても善いのかね』栄一は、資本主義の経済学と云ふものは、変なものだと、すぐ反問した。
『そら、かまはないのですよ。神戸海上の云ひ分によりますと、なんでも「丸二」さんは、一年に二万五千円位ゐの、保険金を払つて居るさうです。それで、今度の荷物の保険料は総額四万円たらずださうです。だから、この後御愛顧を受け無くてはならぬから、船を沈没させてくれるか、荷物を全部役にたゝぬものにしてくれるなら、保険金を支払ふと云ふのです』
『妙なことを云ふものだね……僕にはそんなことは、わからぬがね』
『そこでですね、私は船は沈没させることは出来ないから、荷物を海へ抛り込んでしまふか、水で濡らすかすると善いと思ふのですがね』
 話をして居る中に『丸二』の店から電話が懸つて来た。話は矢張りそのことで有つた。村井は弱つて居る。アンモニアは、少し在荷が不足なものだから『丸二』でも欲しいと云ふのである。さうかと云つて、保険金は欲しいし、兎に角取調べに、人を送つてくれと云ふのであつた。
 それで、栄一は、村井と相談して穂積を送ることにして、電話で、『丸二』へさう云うてやつた。そして栄一は昼飯を早くすませて、早速穂積を沖へ探しに行くことになつた。
 穂積は、晩の七時半の神戸発の一二等急行で、丸二肥料株式会社の店員と、伊豆の大島へ急行した。その晩栄一は、喜代之助と小秀の方に引かれる様な気がしたので、花隈の方へとぼとぼ歩いて行つた。然し何だか気恥しくてならない。
 丁度、福原口まで行つた時に太鼓の鳴る音がするので、何かと思つて見ると、福音伝導隊が、路傍で説教して居るのであつた。栄一の宗教心は、その晩に限つて特別昂進して来た。栄一は、喋つて居る若い青年と自分とを比較してみて、自分の不甲斐無さを憤慨した。それで、花隈へ行くのを中止して多聞通四丁目の福音伝道館までついて行つた。そして説教の終るまで聞いて居た。新見は説教にさして感じもしなかつたが、労働者の証しには非常に感じた。低能に見える川崎造船所の人夫だと云ふ、三十五六の男が熱心に自分が無頼漢であつた過去より、イエス・キリストの救によつて、救はれたのは全く恵であると証して居る。栄一はそれには全く感動させられて、涙が流れて抑へることが出来なかつた。栄一は自分の現在と耽溺の迷路を考へてみた。そして、決心してクリスチヤンにならうかと考へて見た。然し、まだ新見には哲学が邪魔して居た。彼は三位一体とか、処女懐胎とか、昇天とか、奇蹟とか、わけのわからぬ多くの宗教的迷語に共鳴することが出来なかつた。
 牧師と云はれる人は四十恰好の痩ぎすの背の高い如何にも感傷的な――寧ろヒステリツクな、同じことを繰返し、繰返し云ふ人であるが、救はれた人は『めぐみの座』に出て来いと聴衆に――二三十人しか居らなかつた――云うたが、二三人のものはつか/\と出て行つたが、栄一にはその勇気が欲しかつた。
 栄一はどうしても、悔改めたいと思つた。然し、今夜会ふ可き筈の美人――殊に小秀の誘惑の方が、宗教よりも強かつた。それで、栄一は悔改めの為めに、恩の座に出て行く勇気も無く、すご/\そこから出て来た。そして、花隈まで急いだ。
 花隈の方は明るかつた。栄一は、福音伝道館の中はなぜあんなに暗いものかと考へ直してみた。兎に角山手の芸者屋町は明るい。美しい着物をきた、目のぱつちりと大きい、色の白い女が、水も垂れるやうな黒髪を島田に結んで、細い道ですれ違ふ、それだけでも、栄一はうれしかつた。
『玉の家』では喜代之助と小秀は、招きが有つたが、新見が来ると思つて、わざ/\それを断つて待つて居たと云ふ。さう云はれて見ると、何だか、もう少し早く来れば善かつたにと思つた。
 小秀は、秋田美人で、如何にも美しい。今夜は特別に美しく見える。栄一はその傍に坐るだけでも大きな特権だと思つた。
 栄一と小秀と喜代之助と女将と四人は長火鉢を囲んで坐つた。女将と云ふのは少しも女将臭くない。何処かの商人の妻君の様な風采があつた。小畑の昨夜の寝物語では、何処か元町の帽子屋の妾だとか云ふことである。
 お茶が出て、お菓子が出て、喜代之助が今夜は『芝居にでも連れて行つて、もらひまほかと思つとりましてん』と話を切つたが、栄一のだんまりに座が白らけてしまつた。栄一の希望は寧ろ、小秀と二人で、昔鶴子と自由に恋の遊戯をしたやうに遊びたいことであつた。然し喜代之助は栄一に熱心である為めに、そんな注文は勿論出せなかつた。喜代之助は一人で喋つて居た。小畑の噂から小秀は『小畑さんは嫌ひだ』と云ひ放つた。喜代之助も嫌ひだと云ふ。小畑の煙草の吸ひ方の真似を小秀がする。その吸ひ方は神戸の市長さんによく似て居ると喜代之助が云ふ。それから市長さんの棚おろしが始まる。喜代之助は灘の酒屋の八木の旦那の妾宅の新築祝に市長さんが祝辞を述べるに困つた話をする。小秀は翌日の神戸新聞に、そのことで市長さんの悪口が出て居たが見なかつたかと尋ねる。新見は知らないと答へる。小秀はその報告をする。新見は堕落して居るのは、徳島市長ばかりでは無いと思つて苦笑した。
 それから、市長攻撃が始まる。市長と芸者との関係が噂に上る。さうすると、
『一寸、姉さん、知つてる?』と小秀が大きな声で話を途中で切つて、『小畑さんの松浦楼の対方と云ふのには、県の土木課長の山田さんも郵船会社の篠田さんも通つて居るんですつて』と素破抜く。
『土木課長の山田さんが女郎買ひに行くの?』と喜代之助が眼を円くして尋ねる。
『えゝ』
『あの人はお子供衆は無いの?』
『五人もあるのですつて』
『それになぜ遊びに行くの?』
『奥さんのお腹の大きい時ださうです、なんでも』
 それから栄一は郵船会社の篠田の遊び振りを喜代之助から聞かされた。そして威張つて居る篠田の裏面を聞いて彼は苦笑した。
 こんな話をして居る中に梅若が外から帰つて来た。梅若は宴会の模様を話して居る。明日の晩は中尾の旦那に歌舞伎へ連れて行つて貰うんだと云つて喜んで居る。それを聞いて小秀は新見に、
『新見さん、明日の晩歌舞伎座へ連れて行つて頂戴ね』と哀願的に云ふ。新見はすぐ承諾した。喜代之助は、
『私もね』
と云ふ。勿論、栄一は拒む勇気も無かつた。梅若は時間を尋ねて居る。十一時だと女将が睡むさうな眼をして答へる。それで梅若はもう寝ると云ひ出した。さうすると喜代之助は、
『新見さん、今夜は私達三人の間に床を引いてあげまつさかい、泊つておいきやす、……女ばかりでは、余り淋しゆうおまつさかい、寝ながら話しまほ』と云ふ。
 勿論栄一は之に反抗する勇気は無かつた。それで、栄一は小秀と喜代之助との間に別の床を取つてもらつて寝た。女達の付けて居る、香水が心持よく匂はれて、栄一は、凡ての問題を忘れて、たゞ性と肉との誘惑に床の中で震へた。然しまた栄一は之等の芸者達の性格が、鶴子などより以上に立派なものであることに気がついて、たとひ、之等の女達の或者の誘惑の手に落ちても、さう悲しむ可きことでも無いと考へた。

二十七


 年の暮も近づいた。そして荷物が沢山出て運送業者は何処も急がしかつた。穂積は五日目に伊豆から帰つて来たが、船は大丈夫だし、荷物も半分は助かつて居るから保険金は取れまいと云ふ。それでも今の荷物を全部水に濡らす勇気があれば、神戸海上は保険金を支払ふだらうと報告した。村井は電話で『丸二』に聞いて見ると荷物は全部を濡らして保険金を取ると云うて居た。
 それから二三日たつてであつた。神戸新聞を見ると、村井の夫婦喧嘩のことが出て居る。それは妻君が村井に殴られたので大きく云つて警察署へ訴へ出たものだから書かれたものらしい。然しそれには村井が『やとな芸者』と関係して居ることなど書いてある。村井が『やとな芸者』と関係して居たことは、店のものが二三週間前に評判して居たが、妻君が妊娠中だから、あの吝な男が、外の女に手を出すのだよなど噂をして笑つただけであつたが、それが原因となつて、新聞にまで出されることになると、何だか気の毒な感じがする。その日、店は非常に急がしかつたが、村井はとうとう一日中、店に顔をみせなかつた。
 その日の夕方、栄一が手数料を計算して居ると、六が浜から帰つて来て、浜での評判では、店の細川が浜の菓子屋の娘――先に六弥が子猫を遣つた店の――に子を孕ませたと云ふことだと報告した。菓子屋の娘と云へば、まだ十五か十六で、細川とは十も違ふにと栄一は考へたが、自分に弱点もあるものだから何にも云はなかつた。然しその晩、沖から帰つて来た番頭の細川も、山田も、穂積も皆変つた顔色もして居らなかつた。然し次の朝、穂積と細川とは何か栄一にはわからぬが、台所で罵り合つて居た。そして、穂積は栄一の机の所へやつて来て、
『大将、細川に気をつけなあきまへんで!』と忠告した。それが何を意味したか栄一には理解されなかつた。然し細川はその晩とう/\帰つて来なかつた。翌日も、またその翌日も帰つて来ない。そして村井も丁度三日間も出て来ない。それで穂積とまた二十歳にならぬ山田と小僧の六弥と自分と四人で船積に目の眩む程働いた。然し困つたことは、海上保険に立て換へねばならぬ金が一文も無いことである。銀行の通帳は村井が持つて居るので、それにはまだ五百や六百の預金が有つた筈である――栄一は閉口してしまつた。村井は飾磨から七百円の手数料を取つて来て持つて居る筈である。『丸二』は事件が片付くまで手数料を請求することが出来ない。仕方が無いから、徳島の近藤から廻つて来た運賃三百三十円を融通することにした。
 十二月の九日の朝栄一は二階の書斎で新聞を読んで居ると六弥が、飾磨の荘田の主人が来たと伝へて来た。会つて見ると、細川の不正を働いて居たことが理解された。それは、穂積が伊豆へ行つて留守して居る中に北海道小樽上げの米百五十石を、十二月一日神戸出帆の博多丸に積んだ筈であるに係はらず、その中五十石を抜いて居ると云ふことがわかつた。それで栄一は全く驚いてしまつたが、何れ取調べた上でと荘田を返した。
 村井はその朝、平気な顔をして、荘田の帰つた後にすぐ店へやつて来た。栄一は村井のことに就ては何も云はなかつた。然し荘田の事件を話すると『細川やりやがつたな』と憤慨して居た。そして、村井はあちらこちらと電話をかけて居たが、細川が東京へ行つたと云ふことだけはわかつた。そして、山田は米の五十石が東川崎町四丁目の谷井と云ふブローカーが買つたと云ふことを物語つた。そして、何にも知らない山田は、今日まで細川に不正があるとは知らなかつたと村井に告げた。『仕方が無いな!』と村井は舌を鳴らして居た。
 村井に、預金がどれ程あるかと聞いて見たが、『私の月給を貰へば三百円しかありませんよ』とすげ無い返事をして居た。

二十八


 次の朝栄一が二階の書斎で早くから読書をして居ると、
『若旦那、桟橋の篠田はんがいらつしやいましたよ』と小僧の六弥が云ひに上つて来た。(桟橋と云ふのは郵船会社桟橋支店で、川崎造船所の横の郵船会社の桟橋にある事務所のことである。)
『何の用事か知ら……お通りつて、二階へ』栄一は別に気にもせず云ふ。下女のお徳は……
『篠田さんが? あの店へよく来る? 肥へた、八字鬚の、金縁眼鏡の?』と座蒲団を、例の水竹先生の書を貼つた屏風の所から取り出す。篠田は栄一とは桟橋でよく知つて居る。店へも栄一が来てから三四度来たことがある。然し座敷へ上つた事はない。三四分、村井と大きな声で戯かう様な事を云つて葉巻を燻らして居るかと思ふと、プイと帰つて終ふ。そして村井が後で大きな声でカラ/\と笑ふのが常だ。
 少しすると梯子段の方に大きな音がする。四十恰好の大きな男が上つて来る。モーニングの洋服姿だ。
 篠田は、
『や失敬、新見君。今日は善い天気だね』[#「善い天気だね』」は底本では「善い天気だね」」]と山高帽を畳の上へうつちやりながら、八字鬚をハンカチで拭いて衝立つたなり軽く礼をして云ふ。雀が裏の倉の屋根に四五羽囀つて居る。
 栄一は手をついて礼をした。
『さ、どうぞ、こちらへ――』と云ふ。
 篠田は床の間の書籍棚の洋書を見て、
『新見君は読むね』と大きな声で叫びながら、
『どれ一つ本を拝見さして貰ふか』と本棚に近く寄つて行く。
『フム、哲学書許りだね。然し、ア、此処にカール・マルクスの「資本論」がある。さうすると哲学者と云ふのでもないのかね。お、ウエステルマルクの「婚姻進化論」もある。僕等には解らんもの許りを読むね』と平気な調子で云ふ。篠田は極く書生肌でいつも快活な男である。それだから桟橋でも皆に好かれて居る。暫く黙つて書物に眼を通して居て、また、
『回漕店の御主人には惜しいと云ふ処だね――神戸の本屋でこれだけの哲学書を集めて居る本屋は少ないね……神戸と云ふ処は真実に本を読まぬ処だ――それだから馬鹿が多いや。アハハ……』と独りで笑ふ。実に大きな声だ。
 栄一は黙つて、篠田の探す本を見て居る。篠田はまた、
『新見君。君は回漕店の主人を止めて何処か専門学校の教授にでもなりたまへ。中学の倫理の教員位ゐなら一つ世話をしようか?』と思つた事を勝手に云ふ。
『然し中学校の倫理の教員は御免蒙りませうね』と答へると
『――いいや、実はね、僕の友人が三河の豊橋で生徒が二百許り居る私立中学を開いて居るのだがね。英語の充分話せる哲学の解る男が神戸あたりにあれば月に七十円位ゐで雇ふと云つて来て居るのでね――僕は今探して居るのだ』
『神戸で哲学の解る人? 神戸は赤いネクタイを付けて英語で一寸挨拶位ゐ出来たら善いのでせう』
『然し折々アメリカの神学校を出て神戸の商館あたりでブラツイて居る男があるからね。それを目懸けてゐるのだらう。アメリカで哲学を専攻した人格の高い人と云へば一寸地方でも幅がきくからね』
『さうですね。神学校帰りがありますね』
 小僧が下からお茶を運んで来た。
『然し、君は面白い本を持つて居る。君は詩をよく読むのだね』と云ひながら与へられた座蒲団の上へ胡坐をかく。気楽な男だ。
 下女のお徳が煙草盆を運んで来て篠田の前に差出す。篠田はポケツトから葉巻を出して火を付け乍ら、
『君は煙草は?』
『喫ひませんよ』
『そら感心だね、それぢや酒もだらうね』
『え、此頃は飲みません、私にや飲まなくても別に何とも感じませんから』
 傍に居るお徳は口を添へて、
『肉も魚も召上りませんのですよ』
『そら豪いね。一体そらどう云ふ理由で?』
『菜食主義でしてね……而もそれが極端な奴で』
『妙な真似をおツ始めたのだね』
『然し人間は肉を食ふのが不思議なのですよ。生理学上から云つても、胃の構造から歯の構造を研究して見ても、人間は菜食動物ですな……それで無くても蚊も虱も蚤も解放して自由と生命を与へるのですな。アハハアハハ』
『肉を食ふのが不思議だ? 君の様なグニヤ/\した身体で肉を食はな、死んで終ふぞ。君』
『なに肉を食はぬと死ぬのなら、日本の百姓は皆死んでしまひますよ――』
 篠田は机の上の帳に目を付けながら、
『実際人間は肉を食はぬのが真実だね。釈迦も殺生を禁じた位ゐだから。……然し僕は肉を食ふね』と、大きな声で笑ふ。
『それは何んだね』
『なにつまらん、頭の中の日誌ですよ』
『それから向ふに積んである紙は?』
『これですか?』……と栄一は二三百枚畳んである紙をバラバラとさせ乍ら……『これはお笑ひなすつちやいけませんよ。「人間の顔の歴史」の研究です』
『そら奇抜だね』と篠田はまた大きな声で笑つた。
 暫く二人は沈黙して居たが、篠田は少し改まつて、
『新見君。今日はね……実は少々御頼みがあつて来たのですが――聞いて呉れるかね』
『聞きませう。あなたの事ですから、アハハ…』と軽く笑つた。多分金の事であらう。此間花隈で噂されて居るやうな遊びをするのだから暮しに困つて居るのだらうと想像した。
『君の事だから聞いて呉れるだらうと思つて来たのだがね――また君の家のことだから運転もきくと思つてね……来たのだが、君、誠に恐れ入るが金を少し貸して呉れまいか?』篠田は少しも恥し気なく云つた。
『アヽ、宜しい。幾何?』
『百円程欲しいのだが』
 栄一は受合つたものゝ『百円?』と胸の中で聞いて見たが男らしく、
『今日御入用ですか?』
『いや、今日でなくても宜いのですが、此暮には是非欲しいので、ね』
『暮までにですか? 出来ませう。二十五日頃までには融通致しませう。百円位ゐなら出来ますよ』
『有難う。何分宜敷く頼みます……国元の妻が今度病気になつたとで金を送れつて云つてくるのでね』
『はア、宜敷う御座ります。屹度御用立申しませう』
『それぢや、僕はもう何も用事がないから帰らう――朝早くから失敬しちやつた。新見君』と平気で云ふ。が、眼の下を一寸赤らませて眼鏡の底で瞳をモジ/\させてゐた。
『さうですか、それぢや失礼します』と新見も別に引き止めやうともしなかつた。
 篠田はまた山高帽を取り上げて下へ降りた。
 新見は送り出しもせず、
『それぢや、これで御免』とまた机の前へ坐つた。女中は店まで送り出してまた二階へ上つて来た。小僧の六弥もあがつてくる。煙草盆を取りに来たのである。そして栄一を見て、
『あの篠田、大将、(栄一のこと)今日は金借りにでも来たのですか? あいつ桟橋で何時も威張つて居やがるのに、今日はヘエコラ/\頭を下げて居やがつた。あいつは桟橋で一番生意気な奴だつせ』と、立つたまゝで云ふ。
『だつて、篠田さんは、お前、一番桟橋でえらいのではないか?』と栄一が答へると、
『あの人は東京の高等商業学校の卒業生ですつて? その学校卒業したら、あんなに威張れるのですか?』……一寸物干台の方を見て居る。『アヽ、今日は善い天気だ。山へ遊びに行きたいな』と窓の方へ飛んで行く。六弥は年が十四だ。腕白盛りである。『やい、六。そんなに走つたら埃が立つぢやないか』と栄一が叱つても知らぬ顔をして物干へ出る。
『錨山が見える、錨山が! 山へ遊びに行きたいなア』と六弥は叫んで居る。
 お徳が六弥に、
『篠田さんは桟橋でいつでも何をしとるの?』と尋ねると、
『あいつは支店長の次席ぢやから、椅子に腰かけて威張つて許り居るワ』と答へて六弥は篠田の威張り方の真似をして居る。
『唯威張つて許り?』
『あいつ嬶を国に置いておいて、福原へ遊びに行つて仕方がないだつせ。大将、あなた聞きましたか?』と閾に腰を下ろした足をブラン/\させながら、六弥が尋ねる。
『あの豪らさうにして云ふの』と女中が笑ふ。
『然しあいつ、中々幅がきいてゐるからな。外の小僧は皆あいつにビク/\して居るね。己だけぢや、あいつの机の処へ行つて悪戯してやるのわ』
『豪いね』と女中が続けて笑ふ。
『篠田に此間英語を大分教へて貰ひましたぜ、ね、大将。……ドグと云ふのが犬で、スチーマーと云ふのが本船で、ランチはランチ。それからウエブが波でせう。それだけぢや、もう皆忘れて終うた。アまだ覚えて居る。チモニーがフイトルでせう?』
『よく覚えて居るな』
『大将、僕に少し英語を教へて呉れてやおまへんか?』
『それだけ知つて居れば上等だらう』
『これだけ位、ほんまに、こゝにある本が皆スラ/\と読める様になればな――新見回漕店で丁稚なんぞして居りやへんのやがな。大将だけ実際英語が喋れたら、桟橋へ行つて威張り散らかしてやるんぢやけど――クラン、チユン、キチ、パーと云ふ風に英語許り喋つてやるんぢやがな。異人をつかまへて話が出来ん様ぢや面白うない』
 お徳は腹を抱へて笑ふ。
『威張つたらそれで善いのかい?』
『威張つて、金儲するんです』
『欲が深いね。威張る人には金は無いものだよ』
『それぢや威張るだけで善いから、若旦那、英語を教へて呉れてやおまへんか?』
『夜学校へやつてやらうか?』
『夜学校、英語の? 行きますわ、やつてくれるなら』
『六、もう何時だ?』
『九時でせう』
『村井が来たか、来ないか降りて見て来い』
『三吉さんは今日は来ませんわ。大将、此間の新聞を見たでせう』
『ウム、見た』
 下から『六――』と呼ぶ。確か村井三吉の声だ。
『ア、三吉が来やがつた。また大きな声で人を呼びやがる。知らんわ。「噂すれば影とやら」と云ふのは真やな、な。お徳さん……村井は山の手の高等淫売に血を啜られて居るのに違ひなし。……大将。北長狭ながさの家と云へば、そら穢い家だつせ』
『さう? 六は行つた事があるか?』
『何度も行きましたわ』
 また下から『六――』と叫ぶ。
『知らんわ……ね、大将、村井の嬶はいやな奴だつせ。吝な吝な、それは吝な――』
 お徳は六の顔をみて、
『面白い顔をするの……然し六さん、下へ行かな村井さんがまた怒つて来ますよ。下へ降りていらつしやい』
『ウム、あの三吉が怒つたつて何が恐ろしいものか……頸を前に出して歯をむきだしながら、腕を前に出して軽蔑の意味を現す……それにね大将、子供が三人あるのに、どいつも、こいつも皆お凸さんでね。それは/\、乱暴な餓鬼許りだんね――オ、三吉が上つて来よる』と梯子段を上る足音を聞きつけて、小僧は急いで物干へ飛んで出て、屋根の上に隠れる。
 果して足音は村井だ。襖の蔭から身体を半分現して、栄一に礼もせず、
『六の野郎、また隠れやがつたな。今二階に声がして居つたが』
と、呟きながら下へ降りて行く。
 栄一も女中も気の毒で、村井の顔も見られず、村井が降りて行つた後で顔を見合せて笑つた。
 六も屋根から降りて来て笑つた。それで栄一は『六』を連れて、また沖へ船積に行つた。そして沖の船積は栄一にも最も楽しいものであつた。

二十九


 栄一は自分が商人に適しないことを、つくづくと思うた。そして自分が今日の社会組織に、どうしても合はない人間であると云ふことをも考へて見た。さうかと云つて今直に店を捨てる勇気も持つて居なかつた。また夏のやうに権蔵部屋に這入る勇気は無いし、新聞記者にはなりたくあるが、市会議員選挙当時に会つたやうな連中の中へ這入る勇気もなし、自分に自分が愛想がつきるやうに感じた。
 凡て為すことに興味が湧かない。労働が縛られたやうに考へられてならない。そして選挙運動以来自分の心が全く喜代之助や小秀の為めに荒らされて行くことを思うた。さうかと云つて、彼はそれに打勝つべき工夫を知らなかつた。自分が今堕落すると共に自分の周囲のものが凡て堕落して行くことを見た。そして新見回漕店の運命も永くは続かぬと考へた。
 彼の淋しい心は今の処は、女ならでは慰め得られないとも考へた。然し一面に於いては、聖くならんとする意志、社会に奉仕せんとする意志は猛然として、彼の心の中に頭を擡げて来たのである。
 それで、彼は、玉の家へも、十一月の末に、喜代之助と、小秀とを芝居に連れて行つた切り行かなかつた。彼はこの生活の危機に、宗教で無ければ切り抜け得ないことを痛切に考へた。それで、年の暮が近づくと共に、彼の宗教心は一層昂進して来たので、毎晩福原口の福音伝道館へ通うた。いやな感じが無いでも無かつた。然し彼は今は外部の形式や教条を八釜敷く云つて居れなかつた。それで、いつも黙つて説教や証しを聞いた。そして自分だけが味ひ得る宗教味と云ふものが大抵何であるかと云ふことの見当が多少ついた。
 年の暮の総勘定は安定的なものでは無かつた。無い中から篠田には百円貸してやつたが、『丸二』に立替へた保険料は這入らず、細川に倒された千円近くの金には借用証書を書かされるし、来年はどうなることかと多少心配が無いでも無かつた。
 然し彼は出来るだけ早く自分を自由の身にして、労働運動の方へ突進したいと考へた。然し小さい乍らにも、信用もあり店を張つて居ると、それを全く打捨てることも出来ないのである。
 明治四十一年の最後の日が来た。そして栄一はこの年の最後の日を祈りつゝ送らんと除夜祈祷会へ出席した。福原口は何となしに喧噪で、充分除夜祈祷会の気分にはなれなかつたが、彼は明治四十二年には必ず、労働運動の一歩が踏み出し得るやうにと祈つた。
 暮は苦しくても、正月は陽気であつた。屠蘇機嫌で、村井も、穂積も、山田も、六弥も、女中のお徳も嬉れしさうであつた。栄一も勉めて快活にならんとした。然し、それは不可能であつた。何か知らぬが、宗教的気分を味ひ『天の父』と云ふものに、まかせ切つてしまはねばならぬと考へ乍らも、哲学的煩悶が多年習癖になつた彼には、全部を宗教に打込む勇気に欠けて居た。
 殊に新年に皆のものが美しい着物をきて花隈や福原へ遊びに行くと聞いては、自分だけ一人冷たい空気の中に残されることが如何にも憐れに考へられた。
 それで栄一は一人京都奈良地方の淋しい旅行に出かけることにした。
 一月二日の朝、栄一は京都行の列車に身を揺られて靄の深い京都に着いた。そして車を飛ばして博物館をみた。それから、銀閣寺から御室の方まで車で廻つた。然し何にも面白いこととては無かつた。翌日は奈良へ出たが、矢張り同様であつた。それで栄一は「フアウスト」第二編の第一幕目にある皇帝の言葉を繰返した。
Ich habe satt das ewige Wie und Wenn;
Es fehlt an Geld, nun gut, Do Schoff es denn.
永遠の『如何にして』と『もしも』には飽いた!
金が欲しいのだ、それで善いのだ、今それを呉れ!
 丁度家を出てから五日目の午後五時五十二分、列車が小さい法隆寺ステーシヨンを西に走る時、北東の森に靄の中に消え行く黒ずんだ伽藍の影が見え無くなつた時、口には云へぬ悲哀の情が胸に漲つた。栄一は今にも泣く様に見えた。栄一はもう旅に疲れたのだ。そして彼は人生にも疲れたのであつた。『もし……もし、レールの上に横へて凡てのものが虚無になるのならば、僕は今覚悟して次の列車に死んで了つても善い。唯全部消え切らぬ様に思ふから、幽霊のやうな生活を続けて居るのだ。……アゝ――間違つた世界に生れて来た運転のきかぬ機械に、いくら油をさしても駄目だ。小秀を眺めても、もう駄目だ。家を出て五日になるが、僕の胸には何が充された。僕を救うてやると云ふものは誰も現はれても来ぬ。それは神か? いや、祈つても神の手はあまり短い。女か、女は神より猶小さい! 金か? 金か? あゝ穢ない、おれはもう駄目だ、もう駄目だ――』
 発熱した頭痛のする頭を硝子窓に寄せて栄一は眼を閉ぢた。うと/\する。列車は恐ろしい音をたてて走る。客車が総硝子で出来て居れば善いになど考へる。
 天王寺から汽車はいやな程多くのステーシヨンで停る。窓から見ると天満だとか、玉造だとか、大阪らしい無風流な名が、ステーシヨンの角ランプに書いてある。停車場と停車場の間は沙漠の様に瓦屋根が並んで、その上を黒い烟が流れてゐる。夜の大阪は実に物凄い。大風雨の海でも見る様だ。
 淀川の岸を汽車が走つた時、急に心中の名所だと思ひ出した。そして何時ぞや神戸の相生座で誰やらが演じた茜屋半七と三勝の心中劇を思ひ起した。夜の大阪に心中? 何の関係があるかは知らぬが恐ろしい密接な関係のある様に思つた。そして大阪が恐ろしい……人の集るところが恐ろしいと思つた。
 店の方は可成の成績であつた。
 一月二日の積初めには、小栗(島上町の米の仲買)から小樽行の米が五千出たさうで、近頃これだけ大きな荷を扱つた事はなかつた。村井は、
『今年は屹度、運がよろしうおまつせ』――といつに無い笑ひを、例の鰐口から漏らして居た。
 然し二十数年来の得意であつた藍玉の取扱は新しい契約が成立したとかで、愈々、新見の手を経ずに直接本船に廻はされる事になつた。
 小僧の六弥は、胸糞が悪いと云つて栄一の前で大に憤慨して居た。その憤慨のしようが面白い。『もう恁麼吝な回漕店に居るのが嫌になつた。もう家へ帰つて百姓するんぢや……』と云ふのである。
 村井は今年からの方針は全く『兵庫の米問屋と手を握るにありだ』と云つて居る。
 然し、一月は米問屋社会も比較的不景気で、小栗も五千出した後で一千を室蘭に出した切りであつた。東京では銀行の警戒の声が高かつた。
 荘田への金が払へなかつた。一月の支払を二月五日に延ばした。
 荘田から、二月になつて米が出なかつた。来る日も来る日も二百か三百の米で五人の店員が簿記台の前に坐つて、新聞を読むのが仕事になつた。閑だのに小僧の六弥がなまけて、新聞を纒めないから、店には新聞が散らかつて、混雑して居るやうに見せた。然し混雑に見せたのは之れ許りでない。阿波の山奥から北海道へ移住する連中が、三十、四十と押寄せて来るものも繁昌めかした。然し、この混乱中に栄一は人間が生きて居らねばならぬ理由を発見することが出来なかつた。

三十


 栄一には一つの道が残つて居た。
 それは、死である。冷い、静かな死である。それで彼は、死に得るか、死に得ないか、目茶苦茶に何にか突進したいと思つた。尋常一様の死――水死、縊死、轢死、ダイナマイトの死――監獄の中の死刑、病死、劇薬中毒の死、そんなことでは面白くない。
 兎に角マラソン競争の様に、走つて走つて、走り抜いて、そして、一度に心臓が破裂して、死んで了ふに越したことはないと考へた。
 然し、そんな、死――自殺はどうして遂げ得るかと考へて見た。
 それで、或時は道の上へ、誰も人が見て居らぬを幸ひに自分の体を投げて見た。
『この骸よ、死んでしまへ』と。
 然し、それで、死ねさうにも無かつた。然し彼はいつ自殺するかも知れぬと云ふ危険性を持つて居た。
 彼はナイフを見ても、海を見ても、薬屋の店先を通つても、いつでも、死と云ふことを考へた。
 彼は出来るだけ、自己の身体を虐待しようと考へた。
 彼は死ぬ機会があるかと思つて、須磨明石の海岸を彷徨して見た。然し愈々死を決して見ると、倦み疲れた眼にも実在の驚異が這入つてくる。殊に街を通る女の背に負はれて居る子供の顔を見る時に、栄一は、自然にも増して、実在の驚異を見た。
 それかと云つて、猶奥深く、この実在の驚異の奥底に探りを入れる感官を、彼は持たなかつた。それで、彼は、実在の驚異と死の間を彷徨した。
 彼は、魔にさゝれた様に毎日、ぼんやり室に引籠つて泣いた。彼はたゞ身体が水肥りのやうに膨れて行くやうに感じた。手と足が馬鹿に大きくなるやうに思つた。脳と胸が段々小さくなるやうに――そしてしまひには癩病人のやうに身体に粉が吹くだらうと考へた。
 呼吸が苦しくて、舌の根がかばりつく。『今』と云ふ『今』は、一瞬でも、いや夢が見たい。一刻でも呼吸をとめてみたい。
 胸の底から泣けるだけ泣いて見たいと思つた。それで栄一はヒステリーのやうに込み上げて泣いた。
 私は灰だ……世界は火葬場だ、竈の中には血と肉を焼く火が燃えて、竈の外には、氷が張り詰めて居るのだ。喉を破るやうな強い北風が地獄の底から吹く。噫、火葬場! この竈に私は半分、身体を衝き込んで、後の半分を、氷で腐らして居るのだ。……然し……今に……死の権威に謀反しなくてきくものか? ? ? 此竈を打ち砕いて、此腐つた手で、燃え立つ熱火を掴み出して、自分の立つて居る、氷の上に投げつける!
 氷が解ける。そして自分は立場を失ふ。そして己れは何処かへ落ちて行く! 何処かへ! 何処かへ! 何処かへ……そして、それから、永遠の夢が始まるのだ。
 社会が何だ? 国家が何だ? 文明が何だ? 父が何だ? 恋人が何だ? 実在が何だ? 神が何だ? 価値が何だ? 美が何だ?……それは、凡て虚無ぢや無いか!
 落ちるのだ……落ちるのだ、凡てが死と共に――地球の廃滅と共に――自我の消滅と共に――消えて行くのぢや無いか! 野心と、誤解と、迷信と、虚偽と、因襲の上に固め上げた凡ての社会構造は、自我の破裂と共に、ちりぢりに飛んでしまふのぢや無いか!
 要するに人生は、この虚無の上に咲いた花を弄んで居るのだ。アア、虚無の虚無よ――マイナスのマイナスよ、猶この上に私は生きなくちやならないのか? ? ?
 いや、いや、引摺られて行かう。実在よ、盲目の手引きよ、早く、宇宙の際に来てくれ! わしはそこから飛び下りて、死の世界のまだ向うの世界へ飛びたいのだ!
 彼はこんなに考へて、煩悶した。女も、書籍も、太陽も彼を慰めなかつた。彼は自己の無能と無気力と無理想に愛想をつかした。
 こんな煩悶の中に丸一ヶ月半を送つた。
 然し、実在の驚異は余りに固く彼を捕へて居た。
 実在の驚異が遂に彼に勝利を得た。彼は、凡てを肯定する決心をつけた。凡ての肯定――さうだ、生命とその時間の上に流れる凡ての表現を肯定することにした。彼は絶望の淵より驚異の世界に甦つた。彼は実在の世界に死の力を以つて強く生きんと覚悟した。凡てが驚異なのだ……死も、自己も、土地も、石も、砂も、飯も、女も、娘も、汽船も追ひ求めて居る虚無それ自身すら驚異なのだ。色も、光線も、輪廓も、薔薇の花も、若き女の唇の赤い色も、皆、驚異だ。黒い血も、罪も、穢れた心も、驚異だ。彼はその凡てを肯定した。彼は強く生きんと決心した。そして時間の上に踊り上つて、勇敢に前に突進せんとした。その為めには凡ての実在を許容し、宗教と、その表徴の凡てを許容せんとした。自殺する勇気を以つて凡てに折衝かつて行かんと決心した。
 かう、決心して、彼は、段々、キリストに近づいて行つた。彼は海へでは無く、これから驚異の世界に身投げして溺れるのだと、自らに告げた。
 それで、二月十一日、遂に決心してイエスの弟子たることを、告白することに定めた。
 彼の教会は、神戸の中でも、最も小さい兵庫の水木通三丁目にある、日本基督講義所で米国宣教師ウイリアムス博士がやつて居るものであつた。ウイリアムス博士は、ずつと前に徳島市に長く居つたことがあるので、中学時代には、栄一も英語のバイブルで会話など習ひに行つたことが有つた人であるが、福音伝道館があまりに噪がしいので、自分の性格に会ふやうなものを、探して居る中に、ウイリアムス博士の講義所が、見付かつたので、そこへ行くことにしたのである。彼はその小さい講義所を見付けて二度目の日曜に洗礼を受けた。
 然し、栄一は福音伝道館の単純な信仰が好きで有つた、殊にT牧師の真摯な態度は一般に温かく、人に接してくれる。貧しいそこの信者が、栄一は好きで有つた。それで栄一は、毎日曜日に、伝道館の修養生と云はれる人々と――その人々はT牧師とW宣教師の下で伝道師となる為めに、聖書を研究して居る人々である――一緒に必ず湊川公園で、路傍説教をした。
 栄一は、イエスの弟子になつた以上は、誰れにも敗けない信仰を持たねばならぬと一生懸命になつた。然し栄一の初めての路傍説教の経験は恥しいものであつた。誰かゞ自分の過去を知つて居て欠点をあばきはしないかと頗る恐れて居た。
 彼はまた三月の第一土曜日の晩、初めて一人、神戸の東の端にある葺合新川の貧民窟へ、路傍説教に出かけた。そこは栄一が昨年夏権蔵をして居た時によく通つた処で、日本の貧民窟でも、此処程甚しく穢ない所は無いと思はれたものであつた。
 甚しく穢ない所は六ヶ町で、そこには八千幾百人から人が住んで居るのである。八十何戸かある二畳敷長屋と云ふ所には一軒の家が、二畳であるのに一家九人もそこに這入つて寝るのである。栄一は先づ、此処へ這入つて、住まねばならぬと考へた。然し、誰れも知己とて無いので、知己を作る為めに、路傍説教をすることに定めたのであつた。
 一人で讃美歌を歌ひ、一人で説教を初めると、多くの襤褸を着た貧民や妙な顔をした労働者が集つて来た。街の電気燈が美しく光る。『地にある穢れを捨てゝ、天を見よ』と叫び乍ら、自ら天を仰ぐと天は限なく晴れ渡つた春の夜に、無数の星が輝いて居る。実に美しい。星の下に長く引かれて居る電線までが、今夜に限つて美しい。栄一は、自分が、野に叫べる人の子――一個の預言者であると云ふことをつくづく考へた。
 彼は強くあらねばならぬ。学校に反抗し、父に反抗し、家庭に反抗し、社会に反抗して来た以上は、一人強く生きねばならぬと云ふことを涙を流し乍ら考へてイエスの福音を説いた。
 彼は三十分か四十分か、神の愛と、イエスの山上の垂訓を説いて居たが、聴衆には『何ぬかして居やがるんだい』と云ふものもあれば、『あれは何にや』と云ふものもあり、『あれはアーメンか』と云ふものもあつた。然し、栄一は擲ぐられることを承知の上で来て居るのであつた。それで、そんな罵倒は平気であつた。
 そこへ年の頃三十近くに見える筒袖を着た痘瘡のある背の低い不恰好で、明かに前科のあるやうな眼付をした獰猛な男が、新見に近づいて来て、
『一寸、僕にも、あかしをさしてんか?』と云ふ。新見は変な男だと思つたが、見ると、その男は、五銭の聖書を持つて居る。益々変なので、新見は、どんなになることかと思つたが、『一寸待つて下さい』と云つて、話をすませて、
『唯今このお方が「あかし」をせられるさうであります』と紹介した。
 その男の『あかし』と云ふのは次のやうなものであつた。それは『わしは、この間、監獄から出て来たばかりの、植木虎太郎と云ふ、この新川では、誰でも知つて居る悪い奴じや、監獄へ這入つたのは、十五の時に悪心が起つて六軒道へ火をつけたのぢや、そしたら、あのあたりがみな燃えだしたんぢや――今は建て直つて居るが――そして、わしは九年の懲役に処せられて、つい先達つて出て来たんぢや、聖書は充分読めんけんど監獄の中で、「イロハニ」から稽古して、かうやつて、聖書を貰うて来て、善い話ぢやとみんなに勧めて居るんぢや、それで、みなさんも、たつた五銭のことぢやさかい、この本を買うて、お読みなさい。わしも、まだすつかり善心になつて居ると云ふのでは無いけれども、山手の、村上浅四郎と云ふ人を見なさい、あの人は関西随一の掏摸であつたけれども、今ではああやつて、悔心して居る』と、云ふやうなことを話して、終りは、くくりがつけられないので困つて居るやうであつた。
 それで、路傍説教も済んだので、帰りかけると、その植木虎太郎と云ふのが、
『君、一寸、僕は君に聞いてもらひたいことがあるのや、一寸来てくれんか』
と、呼び止める。生意気な、豪さうな言葉つきに、新見は少々面喰つたが、権蔵部屋生活の経験で、下層労働者の心理が多少理解が出来るので、彼は植木の後からついて行つた。
 さうすると植木は、暗い暗い路次の奥の方に彼を連れて行つて、長屋の或家の前に止つて、
『君は耶蘇教の先生か?』と豪さうに聴く。
『いや、私は先生でもなんでもありません?』
『君、先生でなくても、説教出来るんか?』
『出来ますよ』
『君、村上浅四郎と云ふ先生知つとるか?』
『いや、知りません』
『をかしいな、それぢや君はまだ耶蘇教の新米やな、奥平野の村上浅四郎つて云つたら、神戸の人は誰れでも知つとるがな、監獄から出てくるものを、みんな助けて居る人やがな……そらさうと君、僕も、君のやうに、耶蘇教の説教して廻りたいのやが、何処へ云うて行つたら善いのや……耶蘇の本部つて云ふのは、神戸には何処にあるんや』解つたやうな、解らぬことを云ふ。
『耶蘇に本部と云ふのは別にありませんよ』
『それぢや、君の、教会所は何処や?』
『兵庫の水木通三丁目の講義所です』
『そんな所に教会所が有つたかいな! 知らんな!……先生は何と云ふ人や?』
『ウイリアムス[#「ウイリアムス」は底本では「ウイリヤムス」]と云ふ米国人ですよ』
『異人さんか……異人さんは親切やな……君、失敬やけれど、尋ぬますが、怒らんやうにしてくれ給へよ、君のやうに説教して廻つたら、いくら位ゐ月給が出るんや?』
『私は、何にも月給なんか、もらつて居りはしませんよ……すきで伝道して居るのです』
『そんなことは、無い筈ぢや、屹度、月給が出る筈ぢや、何でも、月に一番少なうて二十五円位出ると云ふ話ぢやが、それは嘘かいな、……君は「鉄窓二十三年」と云ふ本を知つてるだらうな、あの男は監獄から出てすぐ伝道師になつたやろ、うちもあの人のやうに、伝道師になつてかましてやろかと思つて居るね……然しつてが無いので、それで本部のある処を君に聞いて居るのやがな……わしも、監獄から出て、此の内(家を指して)に世話になつて居るのやが……毎日ぶらぶらして遊んで居るのやが……そらこの内は別に、わしが小さい時から世話になつた内ぢやさかい、何十日遊んで食はうが、別に八釜敷うも云はんがな、わしも遊んで居つては小使にも不自由はするし、困つて居るんや……何んぞ楽な小使のやうな仕事でも無いもんだつしやろか……わしもこんな片輪者だつしやろな(右手が左手より短かいことを見せて)……之にも色々事情があつてな、色々きいてもらひたいこともあるのやが……あなたのお宅はどちらです』
 栄一は、その男の乱暴な言葉使ひに吃驚して、この男が、鍛冶屋町の店でも訪問してくると困るとも思つたが、
『兵庫の鍛冶屋町です、新見廻漕店と云へばすぐわかります』
『新見廻漕店? 兵庫鍛冶屋町やな? あなた今夜は、これからお帰りですか、わしもあなたが、こんな寒空に一人で辻説教に来ると云ふのは、余程、信心深い人やと思ふさかい、色々話を聞いてもらうて、私の身の立て方について相談に乗つてもらひたいのだす』
 新見は、少し道が遠いから、失敬しますと路次を出たが、植木は『そこまで送りまつすさ』と云つてついて来た。要する処彼は、仕事がなくて困つて居るから、伝道師になれるか、さも無ければ、餅売の資本金でも貸してくれと云ふのであつた。
 然し生憎、栄一は一円足らずの金しか持つて居らなかつた。それで、その資本金を直に与へることが出来なかつた。その上に、植木がどんな性質の人間かわからないので、その儘別れようとしたが、別れる段になつて、
『誠に済みませんが、二十銭でも三十銭でも、よろしうおますさかい、小遣銭貸しておくんなはれ』と哀願的に出た。
 それで、栄一は財布の中から凡ての金を出して与へた。然しそれはタツタ八十一銭であつた。植木はそれで別に『有難う』とも云はずに、『之で失敬しますさ』と云ひ捨てゝ帰つて行つてしまつた。
 栄一は妙な性格の男もあつたものだと驚いてしまつたが、貧民窟が何だか底気味の悪い所であると云ふことだけは、充分植木によつて了解した。
 翌日は日曜日であるので、栄一は水木通の講義所へ行つたが、帰ると、植木が待つて居た。村井を始め店のものは皆変な顔をして居る。そして一寸出て来てくれと云ふので、店の外へ行くと、餅屋をするから資本金を二十円貸してくれと云ふ。無理なことを云ふと思つたが、イエスの福音の通りに、実行したいと希望を持つて居る栄一は、『よろしい貸してあげます』と約束をして、栄一は、店へ帰つて、村井に二十円貸してくれと云うたが、
『栄一さん、何にしなはるのや、あの男に貸しなはるのか? このせち辛い世の中に、あんな男に二十円も貸す馬鹿な男がありますかいな、五円でよろしい、五円でよろしい』と金庫から、五円だけ出してくれた。
 それで栄一は、その五円の金を持つて、云ひわけをして、植木に帰つてもらつた。
 然しそれから植木は、毎日、新見の店を訪問して来た。然し栄一は大抵、沖に荷役に行つて居たので、一度も会はなかつた。木曜日の晩、講義所へ行くと、ウイリアムス博士が、
『新見さん、植木と云ふ人、御存知ですか』と聞くから『どうしましたか、知つて居ります』と云ふと、『新見さんが、十五円だけ私に貰へと云ひましたと云うて来ました。それで私は五円だけ与へました』と云うて居る。
 怪しからぬ男だと思うたが、新見は、ウイリアムス博士に初めての貧民窟の路傍説教のことから、あの男の過去に就て、凡てを物語つた。
 さうすると、ウイリアムス博士は、反つて非常に喜ばれて、『それぢや、私はあなたと一緒に、その貧民窟の路傍説教に行きます』と云ひだした。
 然し新見はそれを断つた。西洋人が行くと反つて、誤解があるから、蔭でお助け下さいと彼の希望を述べた。
 新見は此頃から、店のことを凡て、村井に委せておいて、自分は一層宗教的に進みたいと、決心を堅めた。

三十一


 栄一は続けて宗教的に熱心であつた。然し彼の宗教的情熱は、彼の店の事業を少しも救はなかつた。村井も、穂積も、宗教には無頓着であつた。彼が湊川公園で、野天説教をしても何とも云はなかつた。
『栄一さん、近頃、豪い熱心だな、キリスト教に』と一言云つた切りであつた。穂積も何にも云はなかつた。然し近頃は遊廓へも行かぬらしい。細川の事件で皆な、こり/\したものらしい。
 その中、栄一も大分店に落ち付いて来たので『イエス伝研究史』と云つたやうなものを書かうと、サンデーや、ヒルスや、シユワイチエルなどの著作を朝々読んで居た。そして毎日曜には日曜学校を手伝つたり、路傍説教を一人でしたりなどして居た。然し葺合の貧民窟の方へはその後二三度伝道館の修養生と行つた切り、少し遠いのと、片手間でやつても駄目な様に思へたので行かなかつた。
 その中に須磨公園の桜が咲いてまた散つて、播州から全国へ素麺が出る時となつた。それで、新見の店も少し忙がしくなつた。それで……
『荘田から素麺が三百? 荘田、あいつ内へ出したう無いんぢやけんど、細川の千円返して貰ひたい許りに、内へ荷物を廻しとるね。金を払うて貰うたら、屹度高木廻漕店へ出すにきまつとる!……今日は阿波から何が来て居るか知らん? チツト阿波からでも荷物が出てくれな暇で暇で困る』
と、お茶目の六弥が呟くことを聞くのも少なくなつた。
 四月に這入つて、村井は『北長狭の汽車積の運送店の三好から電話を抵当に金を借りて、荘田へ渡しませうや』と栄一に相談をかけた。勿論栄一はそれに反対しなかつた。
 三好と云ふのは北長狭の運送店であるが、新見の店を買ひ受けたい希望があるのだと村井が云うて居た。
 夏が来た。そして栄一は頗る平凡な生活を続けて居た。それは女も恋も凡てを忘れた単調な生活であつたが、『イエス伝研究史』だけは百五六十枚書けた。沖へは相変らず通勤した。沖仲仕の間にも多くの友人が出来た。栄一には沖仲仕の友人の間に這入つて、大きな声で冗談話をするのが何より楽しみとなつた。
 夏の真昼頃仲仕の連中が荷役を済ますと、皆裸体になつて、海へ飛び込む。渋色の美しい骨格が波の上を流れて行く。青い波の上に白い泡が立つ。太陽は上から、カンカンと照りつける。港は美しく輝く、さうすると何とも云へぬ生の歓喜の響が何処からともなしに聞える様である。仲仕の一人が、
『新見の大将来な!』と呼ぶ。二人三人の声がまた、栄一を呼ぶ。栄一も褌一つになつて、本船の甲板の上から飛ぶ。
 ドブンと音がしたかと思ふと、自分は海の底へつうと降りて行く。白いラムネの泡のやうなものが立つ。どこまで落ちて行くものかと心配する程下へ降りた時に、また水面へ浮び上らうと、青い水を両手で掻きわけて、息をつめて、あたりを見ると、海の中も美しいものである。
 海の凡てのものは壮大である。それで夏の太陽と、海とを讃美せずには居れなかつた。
 然しこんな処から、鍛冶屋町の暗い家に帰つてくると、凡てのものが小さく見えた。そんな日に限つて、村井の話はつまらぬものであつた。それは新見廻漕店の会計が全く行き詰つて居る為めに、村井が、ケチなことばかり云つて聞かせるからであつた。
 七月の末に長く行方不明で有つた妹の笑子から手紙が来た。その手紙の内容は次のやうなものであつた。
『長い間御無沙汰を許して下さい。私は兄様と別れて辛い事許りに出会ひました。十三度も奉公先を変へましたが、終りに、竹田と云ふ、私の学校友達の家へ知らずに奉公する様になつて、そこの旦那様のお世話で、台湾の支店の支配人と夫婦になる事になりまして、今は表記の様に台湾に来て居ります。然し台湾と云ふ処は気候が悪いから一日でも早く本国へ帰る積りであります。此頃は妊娠して居る上に脚気の気味がありますから、早く本国へ帰りたいと思つて居ります。一月程前に馬詰のお母様に兄様のことがあまり気にかゝりますから、尋ねにやりました処が、お父様が亡くなられて、兄様は兵庫の店に居られると云ふ返事を見て、日々泣いて居ります。……私は父の死際にもよう会はぬ不幸者です。然しそれも何かの因果だと思うてアキラメて居ります。兄様お身体を大切にしてください。私は兄様独りしか、頼りにする人がないのだから、どうぞ私を思うて下さるなら、お身体を大切にして下さい』
と、いふのであつた。
 七月も過ぎた。そして穂積には三ヶ月分の俸給、六弥には四ヶ月分の俸給が滞つて居る。之は穂積と六弥とが店の運転が悪いのを知つて居るものだから態と受取らないのである。穂積は小さい時から新見の店で育つたので、自分の家のやうに思うて店の為めに尽すのである。それには栄一も感謝せずには居られなかつた。
 二人は『月給が貰へぬ代りに、飯をウンと食ふんだんね』と云うて、実に善く食うた。その食ひ方が面白いので、店のものが皆腹を抱へて笑うた。
 新見の店の運転の悪いのは荷物がないからであつた。父の生きて居た時には、徳島県の荷物は九分通りまでは、新見の店を経て全国に廻されたもので有つたが、その父が倒れてからは、たゞ無用の冗費が多くかゝつて月給と雑用に倒されるばかりであつた。
 それで栄一は、自分の店を他人に渡して、自分は何処か堅い所に書記にでも這入りたいと云ふ希望を持つて居た。
 で、村井は三好と相談を進めて居た。そして栄一は丸二事件から心易くなつた元町の神戸海上の事務員に雇うて貰ふことになつて、盆過ぎから、元町の保険会社へ通ふことになつた。この間の経過は殆ど暴風のやうであつた。栄一は毎日低気圧に襲はれたやうに、憂鬱に充されて居た。
 九月の二日であつた。朝の八時頃新見は本町を湊川の方に急いで保険会社に出勤して居た。(栄一が急いで歩く時の身の振り方は店の評判だ。前に俛向いて、腰から上を右左に振つて歩く)
 向うから、色の黒い肥えた背の高い坊主頭の、袷に縞の羽織を着た男が、途の真中を遣つて来る。すぐ『三好』だと気がついたが、利子が入れて無いので気がひける。栄一は洋服を着て居たが、靴は磨かず、ズボンの折目も付けず、カラーも穢れてゐた。
 新見は三好にお辞儀をするのを避けようと思つたが、なに、お辞儀して通り越せばそれですむのさと勇気を出して、恰度駒屋と云ふ昔は兵庫第一と評判を取つた菓子屋の前で出会つた。
 三好は坊主頭を一寸前に垂れて、
『新見さん、どちらへ』と立ち止つて、向うから優しく礼をする。栄一は意外であつたから、何だか極まりが悪かつたが、礼をして、
『会社へ』と云ひ切つた。
『唯今、お内へ伺ふ処ですがね、村井君はもう来て居りますか?』
『ハア来て居ります』
『それぢや、失礼します』と云うて通り過ぎて了つた。新見は鬼の手から逃れた様にうれしかつた。三好も何か云はうとしたのだが、気の毒だと思つたか、往来だと思つて遠慮したか行つて了つた。
 栄一は『兎に角、人間は変な者だよ――』と考へ乍ら湊川も越えて相生町を急いだ。
 ……三好と云ふ男も思つたより優しい男だ。人間は一日か二日の交際で胸の底まで知り合ふ事は出来ぬ……今朝向うから礼をするとは思はなかつた――と俛いて道の小石を見詰めながら、駒屋の前のあたりを想像して見た。相生橋を渡る時に……
 資本家と云ふ者に我輩が苦しめられて、利子と云ふものに悩んで居るが、資本家から見れば尤な話だ。資本家が憎いと云ふのは間違つて居る。資本と利子とで生きて居りたい人間があるならば、生かして置くさ。他人が遊んで居るのが、羨ましい位なら、初めから労働しないのが善い。他人の楽しむのは自分が楽しむのだ位ゐに思はなければ人間も駄目だ。乞食は貧乏でも金持が持つて居ると思つて安心して居るぢやないか? 凡そ透明体の様に考へなければ全く悟りを開いた人とは云へない。エマルソンの歴史論はある程度まで此意味だ。そう云つても僕は社会主義を捨てるのぢやない。我輩の社会主義は外延的だ。――
 結局、三好が僕の血を啜ると三好は肥える。三好が肥えるのは僕の肥えるのだ。三好と僕とが同じ太さであれば『肥えた人』が世界になくなつて、あまり単純で飽きが来ると云ふ論理かね? 万人が痩せても一人の『梅ヶ谷』が太ければそれで満足だと云ふのだ。平凡許りより『偉大』が少し欲しいと云ふのだ。全くだ。社会主義も此論理(?)の上に立たねば純正社会主義は実施せられる望は無い。他人の向上を喜ぶのが社会主義の根本思想ぢやなからうか? 自分の地位を他人の地位に向上さすと云ふのが、社会主義であらうか? 何故、自分の地位を他人と同様の地位に置く必要があるであらう? 自分の地位が高くなれば他人も幸福だと云ふ論理からぢやあるまいか? 他人を自分の地位に引き崩すと云ふのが、それとも社会主義であらうか? 社会が有機体(頗る圧制的な捏造語ねつざうごだが)であるなら、平等の差別の間に発見せずばなるまい。……結論は僕が汽車か電車かに轢かれて殺されたら、文明的犠牲の基督教が出来るのだ、アハヽヽ。それ、汽車が東から下つて来る。東京からと云へば何だか生き生きして居る。僕は汽車が大好きだ。……
 然し僕はもう駄目だ。今日も簿記台の上で人生の日記を数字フイギユアーで書かなくちやならぬのだ。鉄のペン先と根較べだ。――
 あゝキリスト教の孤児院が、もう少し大きくて、僕の様な男でも入れて呉れるなら善いのだが……然し恁那事は『秘密』だ。他人に向いた日にや自力宗の頑張つた処を見せてやるのさ。之れを哲学者の『秘密』と云ふものさ。それだから哲学者には偽善者が多い。……ハーノツクの『教理史』から得た事は何? セオドレ・ホールの『英国宗教運動の社会的解釈』は何を教へる? 大きな男の孤児院が必要だ。宗教は肉化しなくては『愛の実在』を捕へる事は出来ぬ。経済の圧迫した時に宗教熱が起るのは、凡ての国民の歴史だ。殊に現代の英国民はそれだ。大人の孤児院を建設しろ、大人の孤児院を! 現代の最大要求は子供の孤児院ではない。ジヨウジ・ミユラーではない。石井十次でもない。希臘的猶太教の芸術的『社会=無政府』主義だ? 偉人の孤児院だ。此孤児院には、世界で偉人と云はれて居る男女、偉人と自覚して居る者を入院さすのだ。彼等の胸の底には、例の秘密』があるから……彼等には『』がないから……そして基督も大きな孤児だ。『父よ』と叫ばざるを得なかつた男だ。
 相生橋を降りると、牛肉屋が並んで居る。立派な散髪屋がある。向うから背の高いハイカラの日本紳士が来る。靴を見ると、漆のやうに光つて居る。
 ……僕もあんなハイカラになつて見たい気がする。金がない。金が欲しい。……と考へ乍ら石造の保険会社の角まで来た。
 横町を西洋の美人が飛んで来る。美しい顔をして居る。何故西洋人はあんなに美しいのであらうと、ドアーを押して三階の自分の簿記台へ飛んで行つた。
 包を解いて、ラスキンの『近世画家』の二巻を机の側に置いて、仲間の重田にお辞儀をして、昨日の午後書き残した帳簿を取り出し数字の記入に取りかゝつた。書いて居ると、
 ……一体人間が頭を垂れ、腰を前に曲げてお辞儀をするが、何の理由かしら? 歌舞伎でお姫様が泣く時に臂を肩まで上げて、頭振かぶりするのは何の理由だ。俯向くことより、反ることに、意地と婉美の表れるのは何の為めだ。力学上ではどう解釈するのだらう?――と云ふ妙な疑問を起した。
 恁那事を考へながら数字を記入する位ゐの事は気楽な話だ。心地が善い。……それは加速度の原理さ。昔から、頭が『高』い『低』いと矢張り力学上の術語をクラシツクな、作法の上にも用ひて居る。上へ直線に延び上ると活動の範囲が広くなり霊化する。それが横が延びると『拡張エキステンシヨン』になつて肉化するのだ。之が礼儀の元則だ。四つ這ひに……動物の真似をすることが……だから礼儀の極致だ。
 いや、それは極端だ。然し組織的に、物理的に、習慣や遺伝を解釈して見たいね。――とラスキンの芸術論から色々なことを考へ乍らインキ壺へペンを差入れる。
 鼻が喉から口に出て来さうだから、窓の下の啖壺に吐きに行つた。(栄一は鼻が喉から口に出る癖がある)
 一寸窓から下の往来を見ると、ハイカラの婦人が、女学生と連れ立つて歩いて居る。まだ夏姿で、意気な白のレースの肩掛を巻いて、何だか喋つてゐる。
『一寸自分を見上げないか』と思うたが行き過ぎた。向うの田中洋物店には西洋人が三四人這入つて居る。車が一輌支那人を乗せて走る。後から自転車が走る。小僧が二人喋りながら行く、荷車が行く。『社会は複数だ』と結論して自分の席へ再び戻つた。ペンを取り上げて、ラスキンであれば、今の様な市街美を否定するのだねと笑ひ乍ら 1.785 と云ふ数字を記入した。
 それから、数字と云ふものは可愛いものだと思つて見た。午後の四時頃、『近世画家』を道々読み乍ら帰つて行つた。『……世界も別に憎い所ではない。人間が動く所には恰度まア適当して居る……』など、後から追ひ越された人力を見た時に考へた。
 帰ると村井も三好も待つて居たと云ふ。大抵は想像したが『愈々協商が成立して合資にすると云ふ事になつた、どうか喜んで呉れ』と三好が云ふ。
 栄一は別に苦い顔はせず、成るか、ならぬかはどうでも善いが、まア成立つといへば結構だと考へたものだから……
『さうですか? それはお目出度う!』と口では第三人称の地位に居るやうな調子で云うた。そして続けて、
『三好さんは、今朝から続けて居らつしやいましたか?』と問ふと、
『はア、村井君が御馳走してくれましてね』と目の下に皺をよせて、頬の両脇に大きな肉の塊を拵へて笑ふ。
『さうですか? 御馳走が御座いましたか知らん』と云ふと、村井は、
『一寸魚善から取り寄せましてね』と真面目に下顎をつき出して云ふ。
『それから――と村井は続けて――若旦那も協商は全く賛成して下さいましたな』と内容も何も知らぬ栄一に裁可を請求する。然し栄一は内容を尋ねる時ではないと思つたから、
『勿論、賛成しますよ』と答へて置いた。
『それぢや、一つお祝ひに「かしわ」でも奢りませうか?』と村井が動議する。三好も賛成した。村井は六を呼んで財布から一円紙幣を二枚出して、之で『かしわ』を買つて来いと命令いひつけた。栄一は村井の財布を一寸見たが金が大分這入つてゐた。村井は栄一よりも金持だ。
 かしわに葡萄酒が出て、大分酔が廻つた時、村井と三好が栄一の父を賞讃する。やれ、雄弁家であつたとか、才子であつたとか、女がすぐ惚れたとか、惚れられる様な人間でなければ駄目だとか、終には『玉の家』の小秀の評価にまで移つて、栄一が父に善く似て才子肌ぢや、女が惚れる所を見ても解る。此人に金の小二万円も持たして南米貿易でも初めさしたなら、そら大きな仕事が出来るだらう――など云ひだす。
 話を聞くと、三好も、栄一の父を全く知らぬ男でも無いらしい。田島克麿さんの内で何度か会ひましたと云うて居る。
 父と自分が善く似て居ると云はれると、なる程と頷かれる。父の色慾を遺伝したかと思ふとぞつとする。のみならず、借金しても何とも感じない処は父の悪い処を皆遺伝して居る――罪の遺伝?――と考へ込んで身震ひした。……オウサドツクスの云ふ様な事だと云うて自分に弁護しても何だか宿命のやうに感ぜられた。
 晩の九時頃に三好は歩いて帰つた。(倹約しまつな人で車を勧めたが乗らない)帰らうと云ふ村井を栄一は引き止めて、協商の内容を聞いた。
 処が村井が得意になつて説明する。
『内の名前だけが千五百円と云ふのなら善い価値でありませんかア? それに三好が三千円の資本金を出すと云ふのですから恁那甘い話はありませんよ。又あなたも内で働いて下さるならば、今保険会社で貰つて居らつしやるだけは差上げる事になつて居るのですがね。それで、手が揃ふと、今度はうんと広告をして、ちつと得意廻りもするのですな。それでどん/\荷が出るなら都合よく行きまつせ……勿論、三好に借りて居る千百円は三好が払込んだ割にして千九百円を此上に払込む事になつて居るのですがね。さう……利子も矢張り払込んだ理由になつて居るのですな。……』と息をもつがずに早や口で述べたてた。
『それぢや、配当は勿論、払込み高によつて分配するのでせうね?』と新見は尋ねた。
『さうです。つまりさう云ふ事になりますね』
 栄一は別に反対もしなかつた。然し電話から、帳簿から、商標と云ふか広告料と云ふか『新見』と云ふ名前の過去二十年間の存在は千五百円では少し安いと思はぬではなかつた。然し栄一はもう店には飽いてゐた。それで何にも云はなかつた。

三十二


 栄一は、愈々店も片付いたから、猛烈な宗教運動に前進せんとした。
 そして、九月の五日から、毎日一人で元町二丁目の市田写真館の角で路傍説教を始めた。それは少し位ゐ雨が降つて居ても平気であつた。彼は今日の教会の引込み思案に不満であつた。それで、彼は自分の信ずる道を猛進せんとした。
 彼は九月一杯、毎晩、元町で路傍説教して居た。折々巡査の干渉が有つて中止せざるを得なかつた。然し彼はそれで萎む様な男では無かつた。
 彼は道の上で、トルストイとジヨウヂ・フオクスの無抵抗主義を説いた。また万国主義と、文明の根本的更改めを説いた。
 然し民衆の中で誰も彼の云ふことを信ずるものとては無かつた。
 彼は恰度満一ヶ月路傍説教をつゞけたが、彼の説教は何の効果をも示さなかつた。彼はニネベに於けるヨナよりも悲惨な叫びを、神に向つて洩らした。彼が路傍説教を続け様に初めてから、彼の保険会社の同僚は彼を狂人扱ひにした。それで彼には親友が出来なかつた。
 九月の末から、彼は長く見無かつた発熱を感じる様になつた。恰度、満一ヶ月目の十月の五日の午後九時頃、路傍説教をして居ると驟雨が来た。それでも栄一は、説教を中止しなかつた。彼はもう一週間程前から声も完全に出ない程疲れ切つて居た。然し彼の宗教は遊戯では無かつた。彼は満身の勇気を以て絶叫する積りで出て来た。驟雨が来た時に彼はフラ/\として一度に息でも詰るかの様に感じた。恐ろしく悪寒を覚え始めた。その中に見る見る中に発熱してくるのを覚えた。然し彼は、
『最後に私は云ふ、神は愛だ、私は倒れるまで云ふ、神は愛だ――之は目に見えぬ神が愛だと云ふのではない、愛する所に、生命と神が現れ給ふと云ふことだ』
と、云ひ捨てゝ、彼は発熱した倒れさうになつた重い身体を雨に濡れつゝ、元町三丁目の瓦斯会社の前まで引摺つて来たが、目が眩むので、『あれ、あれ、もう倒れさうだ――嘔吐を催して来た――おゝ倒れさうだ』と自分に独語し乍ら瓦斯会社出張所の大ガラスの前に倚りかゝつて居たが、彼は猶勇気を出して歩まんとしたが、遂に、バタリと雨の中に倒れてしまつた。そして身体の下部の筋肉が凡て痙攣することを感じた。また『此処で暫時安眠がしたい』と云ふ妙な考へが起つた。そして、彼は昏睡状態に陥るやうに覚えたが、軈てドヤ/″\と人々が自分を取り巻いて群がることを微かに耳の底で聞いた。
 そして『元町で辻説教して居た青年ぢや』『行倒れしたのだ』『行倒れぢや』『行倒れぢや』と口々から云ふ声も聞いた。
『何処の人かいな?』と或人が聞いて居る。或人は『兵庫鍛冶屋町の新見回漕店の若主人だんがいな』と云うて居る。新見は、今、自分に身体が自由にならぬことを知つて居る。然し、自分を知つてくれて居る人が、この附近にもあると思つた。
 彼は十五分間位ゐ雨の中に倒れて居た。その中に彼は全く元気を回復して、独手に立ち上つた。彼は十五分間も倒れて居る中に、誰も助けて自分の内へ這入れと云つてくれる人も無かつた。社会は不人情だと思つた。然し彼はもう充分立つことが出来た。それでとぼ/\と元町四丁目の角の車の帳場まで歩いた。見て居た大勢の人々は『可哀想にな』と云つた切り、栄一はずぶ濡れになつたその衣服と身体を車に揺らせて、鍛冶屋町へ帰つたが、店へ着いた時には、もう二階の居間へ這ひ上る勇気は無かつた。それで入口の所でまたバタリと倒れた。『どうしたんです、若旦那?』と穂積が、机の前から飛んで来て、山田を二階から呼び下ろして二人で栄一を床に寝かして、電話で、医者を呼んでくれた。
 医者は、之は余程重態です、肺炎の兆候がありますと云うて帰つたが、栄一はそれから一週間は、たゞもう安眠も出来ず苦しみ通しに苦しんだ。熱は四十度から下ら無かつた。二三度朝は三十八度位に下つたことも有つたが、午後には、すぐ四十度以上に昇つた。そして苦しい、喉につまる様な咳が有つた。痰には血が混つた。穂積と六弥は親切に氷嚢や氷枕など、なにくれと無く心配してくれたが、こんな時には、女手で無ければ、痒い所に手が届かないと栄一は思つた。
 さうかと云つて栄一には看護婦を雇ふ金と云ふのは一文も無い。村井は看護婦などと云ふやうな親切気を知らぬ男だ。こんな時に喜代之助か鶴子の様な親切な女の人が居ればと、栄一は思はないでもなかつたが、勿論喜代之助などと、今更思ひ出す勇気もなし、女中のお徳は、台所の用事に忙しくて、手が廻らず、栄一はあまり苦しいから『もう死んだ方が苦しくなくて善い』と繰返した。十月の十二日にウイリアムス博士が、初めて訪ねて来てくれた。その時まで博士は新見がこんな重態にあるとは知らなかつた。
 ウイリアムス博士は額に手を置いて祈つてくれた。そして、『新見さんは余り無理をするからいけません』と云つて帰つて行つた。それと入れ代つて婦人伝道師の久保たまえと云ふ栄一とは八つ九つも年の違ふ婦人が尋ねて来てくれた。そして、長時間の間看護して行つてくれた。
 新見はこれが、どれだけ嬉しかつたか知れない。それで、新見はどうか、出来るだけ長く居て世話してくれと依頼した。それで親切な――然し評判はさうよくも無い、何でも先に失恋したことのある女だとかで――久保さんは徹夜して看護してくれた。栄一は久保さんの親切を見て、矢張りキリスト教で無くちや駄目だと思つた。
 それで、小さい声で、久保さんの耳に囁いた。
『私が、今度、もしも、善くなつたら、屹度、葺合新川の貧民窟へ這入つて、一生を神に捧げますよ、今度、よくなつたら、それは全く、皆様の御親切のお蔭です』と感謝した。
 床についてもう十日も過ぎたが、栄一の容態は少しも善くならなかつた。血痰は止つたが脈搏が変になつた。一分間に百二十二も打つやうになつた。さうかと思ふと脈が止ることがある。心臓が変になつたのである。之を見た医者は、遂に死の宣告を栄一に与へた。之は栄一には云はなかつたが、村井と久保さんとにさう云うた。十月十六日の晩七時頃、栄一の枕元には、ウイリアムス博士を始め、教会員で栄一を知つて居る四五人のものが皆集つた。そして最後の告別祈祷会を開いて居た。
 凡ての人は黙祷して居た。たゞ一人久保さんが声をあげて美しい祈りを捧げてくれて居ることを栄一は微かに聴いた。栄一も自分自身手の脈を握つて見て、脈の無いのには驚いた。
 然し栄一は、神が彼に委託した或事業――それは、貧民問題を通じて、イエスの精神を発揮して見たいと思つて居ること――その為めに貧民窟で一生送ると云ふ聖き野心を遂げ得るまでは、死なぬと云ふ確信を持つて居た。
 彼は死を飛び越えて、神秘の世界に突き込んで居ると云ふ一つの信念を持つて居た。それで彼は、床の間の柱に電気の光が反射する一点を凝視した。一分、二分、三分、四分、五分、十分、十五分と凝視した。その間に彼は、また云ひ知れぬ、実在の不可知な驚異に巻き込れた。それは、凝視する光の一点が、虹のやうに見え、自分の横たはつて居る部屋がパラダイスのやうに感じられ、美しくも無い彼の着て居る蒲団が錦襴で造つたかのやうに見えた。そして彼の父なる神の手にしつかり握られて居ること……否……神は父と呼ぶ可きものよりか更に接近したものであつて、彼自身にすら住み給ふものであつて神自身に彼が漬かつて居ると云ふ実感の喜びを感じた。そして彼がこの喜びを持つや否や、熱は忽ち下り、血脈は全く平常に復することを知つて驚いた。
 翌朝栄一は二つの夢を見た。
 一つはまだ少し早いのに海水浴に行つた処が、急に寒気が催して、持病の肺がまた起つて、咳する度に口から血が流れ出る、白い砂地が血に染つたと云ふ、心地の悪い夢であつた。
 夜明けになつて見たのは、栄一が店を捨てゝ独り、朝鮮の方へ徒歩旅行して居ると、何処か沙漠の様な処へ差しかゝつた。
 ……『アゝ此の向うの村だ、カントが産れたのは』――急に思ひ付いた。それから段々歩いて行くと『カントは独逸人ではなくて日本の人だ、世界の人が皆誤信して居るのだ。今から百年程前の人で本居宣長の朋友であつたのだ』――と順々に記憶が新しくなつて来る。道は荷車が一輌通れるか通れぬかと云ふ程狭い。砂地だから車の輪の深く這入つた跡が付いて居る。左に曲ると大きな森があつて、その内に小さい格子付の瓦葺きの家がある。前に粗雑な胸の高さまでの、よく牧場にあるやうな垣があつて、点燈が入口の所についてゐる。その点燈の正面にはカント、カント、カントと書いて、最後に独逸語を日本の仮名に直した様な文字で、カントと読ましてある。此処がカントの家かと思つて居ると、また左に這入る道があつて、ずうと桑畑が両脇にある。これを行くとカントが小さい時に両親に死に別れて貰はれて行つた養家があるのだ。カントは孤児であつたから、あんな立派な、然し悲哀な哲学を編むのだと思ひ出す。恁那事を考へて居る内に、小さいカントが、蜻蛉髷を結つて脛までの筒袖衣に角帯をしめて、牛を追ひながら桑畑の間を通る。『此小僧! まるで二宮尊徳の様だ』と思つて居ると、カントが消えて、一寸した寺が現はれて来る。『何だ? 寺ぢやないか?』と思つて居ると坊主が読経して居る。『エ? カントが仏様に祭られて居るのかい?』と思つて居ると、皆大勢たかつてカントを本尊にして礼拝して居る。見ると耶蘇教の牧師だと云ふ二人の男も礼拝して居る。本堂の左は庭園で、生垣で囲んである。右は段々があつて、それを降りると、何か池か泉の様なものがある。
 本堂で売つてゐる縁起を読むと、所々に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)絵が這入つて、カントの小さい時の逸話が載つて居る。中にはカントが義経の様に八艘飛びをして居る絵まで※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んで、仰々しく書いてある。またその中には、此本堂の右の泉はカントが掘つた泉で、山本勘助が久能山に掘つたといふ二百数十尺の深い泉より一層深い泉で、その底は到底知る事が出来ぬと説明してある。泉を上から見ると、善男善女が智慧が増しますやうに礼拝した証拠に摺附木すりこぎが一杯抛り込んである。本堂の前に立つて居ると耶蘇教の牧師が栄一に、『君は何処の学校に居たか?』と問ふから、芝の白金の明治学院に居たと答へると、僕等は同志社だと二人は云つて居た。二人とも顎髯の多い人だ。栄一は『君等は此処へ耶蘇教の伝道に来たか?』と問ふと、路傍説教に来たのだと答へる。何処で説教するかと問ふと、此庭でだと答へて居る。妙な耶蘇教だと思つて、此寺を立ち去つた。
 カント崇拝がなか/\此地方に盛だなと考へ乍ら此村を通り過ぎると、カントと本居宣長とが、銭湯に這入つて居る。そして[#「そして」は底本では「そし」]宣長はインマヌエル・カントの背中をすりながら云うて居る。『君の日本歴史の研究は破天荒の快著だ。僕の古事記の研究の様なつまらぬものぢやない。君はまだ一巻しか出版しないが、あれが全部出ると日本には革命が起るね』と湯をかける。
 然しカントは黙つて笑つて居る。本居先生――『いや、いや、君の烱眼には恐れ入る。僕の著書などは全く批判が足らぬから駄目ぢや』と云つて居る。
 栄一は面白い事を見たり聞いたりした。次の村に行くと小学校の教科書を売つて居る店がある。その読本の名は『カント』と云ふのだ。中を見るとカントの小さい時のお伽噺の様な逸話がある。
 栄一はもう/\吃驚してカント熱が斯くまで世界に流行して居るかと思つて、序に此村の名を聞くと『小坪』と云ふ処で昔は何でも海であつたのだが、今は砂原となつた、など説明してくれる者があつた。栄一は岡山県の児島あたりではないかと考へた。あのカントを祀つて居る寺は何と云ふ寺かと聞くと、真言宗だと云つて居た。
 之で夢が醒めた。カントは矢張り独逸人であつた。
 不思議にも、それから栄一はだん/\健康を回復した。そして、毎日のやうに床の中で詩篇を読むのを楽しみにして居た。
 丁度三週間許り寝て居たが、彼はいよ/\葺合新川の貧民窟に這入る決心をした。それで少し歩けるやうになつた、初めての日の午後、北本町六丁目二千五十三番の植木の世話になつて居る家を尋ねて行つた。植木は衛生掃除の『塵芥挽』に行つて留守だと、植木の世話になつて居る増田のおかみさんが教へてくれた。路次から出て来た時に、丁度五つ許りの子供が大きな子供と喧嘩をして追はれ乍ら逃げて来たが、路次の入口の処で、パタリと倒れた。小石で怪我をしたか、額から血が出て居る。血を見て子供は大きな声をあげて泣き出した。栄一は飛んで行つて抱き起して、子供の額を見ると、三四分額に傷をして居る。持つて居たハンカチを取り出して、血を拭き、
『あなたの家は、何処です?』と尋ねた。
『あしこや、あしこや』
と門構の家を指差したが、それで新見はその子が、この附近の大親分水田の息子であることを知つた。
 それで、栄一は親切に、その子を伴つて、その家へ届けた。家には恐ろしい風体をした若者連が十二三人寄つて賭博をして居た。奥から美しい顔したまだ若い妻君が出て来て、子供を受取つて、
『ボンボン、喧嘩するさかいに、いつでも他処の子に泣かされるのやがな』と云つて、新見にお礼を云うた。
『靴の音がしたから誰かと思うた……』
『巡査かいなと思うた』
『あア耶蘇の先生や……よく辻で説教しよる』
『親切やな』
と、若い者は口々に、いろんなこと云うて居る。
 之が、きつかけとなつて、新見は、この水田の一族と親しくなつた。それで愈々十二月二十四日の晩、貧民窟の一軒の家を借りることにしたが、その家と云ふものも、この水田の家であつた。
 栄一は相変らず、昼は保険会社へ出て、夜は著作やら、路傍説教に出て居た。病気は全く善いと云ふのでは無かつたが、心配する程でも無かつた。毎日午後の『四時熱』が出て居た。然しこれには慣れて居るので平気であつた。
 どうせ、近い中に死ぬのだから――一年か、二年か、長く生きて、三年位ゐの中には肺で死ぬのだから、死ぬまでありつたけの勇気をもつて、最も善い生活を送るのだと決心した。彼は全くトインビーやフレデリツク・マウリスや、チヤールス・キングスレーの基督教社会主義に傾いて行つた。そして、たゞ唯物的なマルキシズムでは満足出来なくなつた。彼は然し現代の教会が肉を離れ、経済問題を離れて、愛を説くことに反対した。彼は愛は肉を裳はなければならぬと考へた。彼は愛とは肉と精神は一つのもので、時間の上に延び上る意志が精神で、空間に拡がる意志が肉だと考へた。それで肉を取らなければ、凡てのものに意義が無く、神も肉の形で表象されなければ、我等には理解がされない。つまり、ローゴス即ち『化身』は宗教の奥義だなど考へた。
 それで彼は、高山樗牛の格言である『吾人は須らく、現代を超越せざる可らず』の代りに、『吾人は須らく現代に化身せざる可らず』と口ずさむで居た。そして彼はロシヤの革命家の連中が『人民の中へ』“V-Narod!”『人民の中へ』“V-Narod!”と云つたことゝ、トインビーや、貧民窟植民運動の人々が、貧民の中へ行つたことを思ひ、是非貧民窟の中へ行かう。そして貧民と労働者の間に労働組合運動を起す機会があれば、直にその方へ移つて行かう――と考へた。
 新見はこの頃、福音伝道館のT牧師から、ジヨン・ウエスレーの日記を借りて来て読んだ。そしてウエスレーが肺病であるのに、驚く可き大きな事業をなし得たことを感じた。その中に書いてある、大西洋を帆船で横切る敬虔派の人々が、自らは船暈ふなゑひの為に血を吐いて居るにかゝはらず、他人の為に看護をすると云ふことを読んで非常に感じた。そして、どうしても『死を決しても貧民窟へ行く』と決した。
 この頃文壇は、自然主義文学の全盛時代であつて、教会の多くの青年が、その為めに堕落して行くことを聞いた。

三十三


 植木は塵芥掃除夫として、市役所の仕事をして、毎日六十二銭づつ儲けて居たが、思つた程悪人でも無かつた。そして栄一が貧民窟に這入ると云ふことに就ては、色々と世話をしてくれた。家が空いて居ると教へてくれたのも、植木であつた。それで栄一は植木と二人でその家を見に行つたが、それは北本町六丁目の大通りを西へ這入つて、第一の路次を山手に這入つた十軒続きの長屋の東から二軒目の家であつた。家は五畳敷で、表が三畳に奥が二畳敷ける。植木の話では去年の暮に此家で人が殺されて、近所では幽霊が出ると云つて、誰も這入らないので、空いて居るのだと云うて居た。
 この註釈は栄一の好奇心をそゝり立てた。
 それで栄一は家主の水田の家へ行つて、家を借りたいと申込むと、子供の怪我のことから心易くなつて居るので、早速承諾してくれた。そして日家賃七銭で一ヶ月二円十銭になるが、月家賃二円にまけてくれた。之が十二月の初めであつたが、それから栄一は毎日引越しを急いだが、海上保険の方が急がしいので、たうとうクリスマスの前夜まで延びることになつた。
 そして、クリスマスの前夜、十二月の二十四日、各教会には賑やかに『クリスマス』『クリスマス』と騒いで居る中を、午後二時頃から栄一は植木に助けられて、引越をした。栄一はその時木綿縞の筒袖を着て、自分手に荷車を曳いて、兵庫の鍛冶屋町から、葺合の新川までやつて来た。車には蒲団と衣類一行李と書物一行李と竹の本棚一つを積んで来た。植木はその間に床の下を掃いて畳を敷けば善いやうにしてくれて居た。それから植木と二人で畳を買ひに行つた。然し彼は五枚分を買ふ金を持たなかつた。それで彼は一枚一円二十銭の古畳を三枚だけ買うた。そして植木と二人で之を南向きの三畳の室に敷いた。然しまだ障子が無かつたので、また古障子を買ひに行つた。そして一間半四枚のもの一組と、一間二枚のもの二組を買ひ求めて来た。紙を貼つてあるので便利なものである。早速それを入れて、その晩はランプも無い真暗の中を、そのまゝ蒲団を敷いて寝てしまつた。
 翌日、植木は栄一がまだ床の中に寝て居る時からやつて来た。そして『一緒に今夜から此処へ寝さしてくれるか』と尋ねて来た。そしてその理由を色々述べて居た。然し栄一は植木を何故か信用することが出来なかつた。それでキツパリと返事をすることが出来なかつた。さうするとまた三十分位して、林と云ふ博徒と、富田と云ふ水田の一乾分とか云ふ背の高い男がやつて来た。そして、林も『隣の室に置いてくれるか』と云ふし、富田も『わしの乾分の内山を置いてやつてくれるか? 不景気で宿銭を払へずに困つてをるのや、大酒呑やけど、あなたの宗旨に凝り固まつて之から改心すると云つてるさかい』と云うて居る。新見は吃驚した。何故こんなに見ず知らずの人が、『置いてくれ、置いてくれ』と云ふかと思つた。
 さうすると林は自説を急に撤回して、『教ヶ島(内山のこと)を置いてやつてくれ』と富田の応援をする。植木も『そら内山を置いてやつて欲しいな』と口添をする。こんなに三人が一致すると仕方が無い。それで栄一は、
『今夜その人に会つて見ませう』と答へたが、富田は、
『植木、おまへ阿波屋(木賃宿)へ行つて、教ヶ島(内山の土木の親分の名、貧民窟では親分の名で乾分が返事をする)を呼んで来てんか?』と云ふ。
『よツしや』と、
 植木が飛んで行く。植木が飛んで行つた後で、富田は林に、
『あいつ、悪い奴ぢやで……六軒道に火をつけよつたのや……そして三月程前に監獄から出て来よつたのや……新見はん、あんな奴に心許したらいきまへんぞ、でえらい目に会ひまつせ』
『あいつほんとに悪い奴ぢや』と林が相槌を打つて居る。栄一は『さうですか?』『さうですか?』と答へて居た。
 富田は何となしに親分風を吹かす男であつた。背の高い人の悪るさうな顔をして居る。然し羽織を着て風彩だけはキチンとして居る。林は紺の筒袖を着て、角帯を締めて居る。丸坊主の小利口さうな顔をして居る。
『寒いな、少しも火の気が無いんぢやな』
と、云ひ乍ら、敷居に腰を下ろす。そしてマツチをすつて、巻煙草に火をつける。
『富田、おまいも近頃悪うなつたな、あの「熊」の嬶はどうしてやつたんや? まだ関係つけとるんか?……新見さん……植木も信用が出来んが、こいつも信用しちやいきまへんで……こいつも仲々悪い奴だつせ、他所の嬶を取るのを専門にしとるんだつせ』
『林、もう、やめとけよ、余計なことを云ふなよ』
『然し、「熊」はほんとに可哀相やな、……富田、おまへ、妾、何人持つて居るのや?』
 富田は懐手をして狭い半坪の庭に立つたまゝ、
おとくで十一人ぢや』
『新見さん、この男は悪い男だつしやろ、他所の嬶を十一人も妾にしとるんだつせ……何処、何処にあるんや?』
『川向うに五人と、新川に三人、筒井に二人、兵庫に一人や……然し関係して居るのは五人しか無いで……』
おとくはその中へ這入つて居るのか?』
『そんなことはどうでも善いやないか?』
『他所の嬶を盗るの、面白いか?』
『盗りもなにもせえへんけど、向うから来るのやさかい仕方が無いがな』
『いや、そんなことも無いで、……富田、もうおまいんとこ「淫売」居らんのか?』
『もう、そんなこと云うてくれるな、初めての人に、聴こえが悪いさかい……』
『新見さん、この男、悪い男だつせ、淫売を十一人も十五人も置いて、盆賃を巻き上げて居りまんのやで』
『然し、林、おまいん所のやうに、嬶を淫売なんかに、出さんからな……もう淫売居らへんで……』
『富田のやうに云うても、おまいんところのやうに、人の娘を淫売さして食へるんと違うて、嬶にでも淫売さゝな食へんさかいな……おためはどうした? まだ居るか?』
『内に居る』
『まだ淫売に出よるか?』
『ウン……』
『それぢや、まだ居るんやないか? おさだは?』
『おさだも居る』
『おそのは?』
『おそのは、大阪へ帰つた』
『おそのは、あいつまた来るぜ、あいつ、余ツ程、淫売がすきと見えるわ、おしかは?』
『おしかも居る……』
『もう居らんのか?』
『もう一人居る……うちの二階に置かんと云ふのやけど、一人居つたら、皆寄つて来るのやさかい、仕方が無いがな……』
 栄一は先きから二人の会話を驚いて聞いて居た。こんな世界は栄一には未知の世界であるだけに、もう少し多く聞いて見たいやうな気がした。
『新見さん、富田つて云ふ奴は悪い奴だつせ、他所の嬶を取つて、もうちよつとで殺されかゝつて居りましたんやで……な、富田……[#「……」は底本では「…」]
『えらいもんやな、林、まだ、こんなに寒いと縫うた所が痛むんや……』さう云つて、富田は、胸を拡げて、腹の傷をみせようとして居る。一反の白木綿で巻きたてた下に、一尺にも余る刀創が上から下へ真一文字に出来て居る。そして敵方が攻め込んで来た時の話を面白くして居た。
 話の途中に五十恰好の頭の真丸い、印袢纒に草鞋履きの男が、植木に連れられてやつて来た。栄一は、床から起きて、内山を見ると、内山の顔は覚えのある顔である。よく阿波屋の門に立つて居る男である。
 富田は内山を見るや否や、
『教ヶ島、今夜からな、此処で泊るやうに頼んで置いたからな、こつちい来て寝え、宿銭だけ助かるわ』
『へえ、そら……』
 内山は眼が悪いと見えて、眼をパチクリして居る。然し、言葉数の少ない男と見えて『へえ、そら』と云つた切り何にも云はない。
 富田は新見に、
『まア、お寺の、納所坊主ぢやと思うて置いておくんなはれ』と云ふ。
 新見がろくろく返事もしないのに、向うでは、もう決定してしまつて居る。そしてまた、
『耶蘇教は人助けやさかい、教ヶ島のやうな可哀相な男を、よう助けてやらな嘘や……然し内山も惰けものやな……阿波屋の入口で、あゝやつて、草鞋履いて立つてた切り、一日中動かぬと云ふのやから、ほんに可笑しな奴やな……内山、よう頼み、こん夜から、此処へ来るのやで……』
『へえ、……』内山は『へえ』の外、何にも云はない。然し新見も、内山を連れて来られて押付往生で、頼み込まれるのは弱つてしまつた。
 その中に、栄一は、水道の傍へ、顔を洗ひに行つて、洋服に着換へて、保険会社へ出る為めに出掛けると、富田と林と植木と内山はぞろぞろ連立つて帰つて行つた。
 そして、栄一が、その日の午後四時に会社から貧民窟へ帰つてみると、蒲団の中に内山が印袢纒を来たまゝ寝て居た。
 栄一は、妙な処へ来たものだと考へたが、その晩、水木通の講義所のクリスマスへ出てまた貧民窟に帰つて見ると、
『燈がおまへんさかい、富田のうちから、ランプを借つて来ました』とランプをつけて栄一の帰るのを待つて居た。その顔は酒で真赤になつて居た。栄一はその晩、内山と一緒の蒲団に藻繰り込んで寝た。翌朝内山の手の甲を見ると、一面に疥癬ひぜんが出来て膿んで血が出て居た。

三十四


 翌日の午後、ウイリアムス博士から、西洋人の教会の日曜学校からだと云つて、玩具を二行李、車夫が届けて寄越した。それで二十七日の朝早くから、貧民窟の子供に分け与へた。新見の内へ二三百人の子供が押しかけて来た。それを聞いて林も、植木も、富田もまたやつて来た。そして、富田はづうづうしくも、自分の好む玩具を勝手に選んで、
『うちの、かつえに、やつておくんなはれよ』
と、云ふ。それに見習うて、林も、植木も玩具を取る。大人も十五六人やつて来て、玩具をねだる。栄一はその中に三ノ宮筋によく乞食に出て居る目茶目茶女を見付けた。それはしつツこく玩具を要求する。それで栄一は玩具の分配法に困却してしまつて、ありつたけのものを凡て子供に与へて、逃げ出すやうにして保険会社に出た。
 晩方、ウイリアムス博士の出資で、阿波屋の広間を借りて貧民窟のクリスマスをした。そして、お菓子と手拭を一筋づつ木賃宿の二畳敷の貧しい人々百人にわけ与へた。
 内山は栄一が来てから、殆ど飯も食はずに寝てばかり居る。聞いて見ると、二十六日は一度も食はず、二十七日は朝富田に十銭貰つて、朝食したばかりだと云ふ。それは、内山が誤解をして、耶蘇の納所坊主になるのだから、養うて呉れるものと考へて居るらしいのである。内山は、人も善さそうだし、親切でもあるしするから、一緒に居ることはかまはないが、養はねばならぬと思ふと、何だか重荷のやうに考へられた。実は新見も朝食もせずに、昼と晩とはうどんやで親子丼を食つて居るのであるが、あまり、内山が可哀相に思つたから、早速米と土鍋と七輪を買うて来て、一緒に飯を炊いて食ふことにした。
 二十八日の晩、栄一が路傍説教して居ると、昨夜阿波屋で会つた、伊豆と云ふ四十五六の貧相なリウマチで困つて居る病身ものが、
『教ヶ島が御世話になつて居るさうで誠に結構で御座いますな……私もお世話をして頂きたいのですが、どんなもので御座いませう』
と云うてくる。
 それで蒲団が無いと云ふと、蒲団を持つて行くと云ふ。畳が無いと云ふと蓆を持つて行くと云ふ。それ以上断ることも出来ないので『それぢや、いらつしやい』と云ふと、『今夜から行つても善いか』と尋ねる。今夜からでも善いと答へると、すごすご重い足を引摺り乍ら闇に影が消えた。
 説教をすませて帰つて来ると、後から『大将、大将』と呼ぶ男がある。みると、五十位の仲仕風の男だ。随分酔うて居る。
『大将頼むぜ、お雪を頼むぜ』と繰返す。
 栄一には何のことか薩張り判らなかつた。
『わしは、君ン処の隣の、吉田と云ふ餓鬼ぢや、頼む……頼む……少しな胸糞が悪うて飲んだんぢや……頼むぜ、大将』と云ふ。それで栄一が帰つてくると、後からついて帰つて来る。そして西隣に這入つた。
 ランプも何にも無くて、カンテラを灯して居るが、家の中には畳も何にもない。床になつて居る古板の上に、南京米の袋を敷いて寝るらしい。隅に小さく黒くなつて居るものがある。それが吉田の娘お雪らしい。着物を着たまゝ何にもかけずに寝て居るのだ。
『お雪、こら、お雪、酒買うて来い』と怒鳴つて居る。
 栄一はあまり悲惨なので、立入つて話もせずに、自分の室に這入つた。さうすると、伊豆さんが、早やもうちやんとやつて来て隣の室に蓆を敷いて寝て居る。用事が無くて昼から寝て居る内山は勿論、栄一の温かい善い蒲団の中へ這入つて居る。
『伊豆さん、その蒲団はどうしたの?』ときくと、
『一晩二銭の貸蒲団を借りて来ましてん』と云うて居る。ランプの光で見てみると、『かしぶとん、しち入れおことわり』と模様に幾千字と無く書いてある。『なる程』と栄一は合点した。
『伊豆さんの職業は何ですか』と尋ねると、明日から『繩拾ひ』に行くのだと云うて居る。
 栄一は内山の疥癬が伝染して痒くてその晩は充分に睡られなかつた。内山も、ボリボリ掻いて居た。
 その晩十時頃栄一が寝て居ると向隣の日山と云ふ妙な名の夫婦ものが住んで居る家で大喧嘩を始めた。よく聞いて居ると、下のまるさん[#丸三、U+3282、151-上-1]で高利を借りた処が払はないと云ふので、破戸漢のやうな男が暴れて居るらしい。
 それで栄一は飛んで行つて、理由を聞くと、僅かに、五十銭のことなのだ。それで栄一はそれを支払つてやつた。さうすると日山は、栄一を神様を拝むやうにして拝んで居た。
 翌日、朝早くから、植木がまたやつて来た。そして、不景気で仕方が無いから、春から浜へ行つて餅屋をするから、五円の金を借してくれとまた云うて来た。それで栄一は植木が此前に彼を欺いたから否ぢやと云うた。さうすると『わしも考へがあるね、どうしても借らな承知せんのや、切れるものを持つて居るのや』と云うて『ドス』(懐刀のこと)を栄一に見せる。そして植木の顔色が段々変になつた。
 そこへ林が之もまた、
『ちつと、金でも貸してもらはな、どむならん』と云つてやつて来た。そして植木に向つて、『お前こんな所へ、何にしに来て居るんや? また、愚図々々云ひに来やがつたら許さんぞ』と詰責して居る。植木は林の前には何故か、頭が上らない。
『帰つて行け、帰つて行け!』と云ふと、すごすご帰つていつた。
 今度は林が金を十円是非とも貸せと云ふ。そして、栄一の財布を探して居る。そして、また『ドス』を懐から取り出して見せる。そこへ富田がやつて来る。
『林、ドスなど持つて来て、何をして居やがるんだい。帰れ、帰れ』と云ふ。林が黙ると、今度は、自分が金三十円借りたいと云ふ。そして今度は、ピストルを見せる。栄一は、破戸漢に弄められて居るとは考へたが、[#「考へたが、」は底本では「考へたが。」]『ドス』もピストルも少しも恐ろしいとは考へなかつた。反つて面白かつた。こんなことが無ければ、貧民窟に来た甲斐が無いと思つた。それで黙つて居た。一言も返事をしなかつた。一言でも返事をすると附け込んで来るからである。さうすると、富田と林の二人が喧嘩を始めた。それで、内山が起きて来て二人の喧嘩を分けて居る。栄一は静かに起きて、水道端へ顔を洗ひに行つた。帰つて来た時に二人共帰つて居つた。
 それで内山は叮嚀に栄一に『ユスリ』の手段を説明した。
『喧嘩を吹きかけて、仲裁するやうな風を見せてユスるんだつさかいな、一寸でも、腹を立てたらいきまへんぜ……然し富田のあの勢ぢや、今夜は屹度、暴れに来まつせ、先生は逃げて居つた方が善いな』と云うて居る。そしてまた、『明後日の大晦日に入る金があると見えるな』と云うて居る。
 その晩、果して富田は暴れに来た。七時頃栄一は貧民窟の訪問に出ようと思つて居ると、富田がやつて来て、『糞生意気な』と云ひ乍ら、栄一を突き飛ばして、頬ぺたを三つ四つ擲つた。栄一は何のことだか薩張りわからなかつた。それは新川の親分の繩張りで、富田の云ふことを聞かぬと云ふのが、『生意気だ』と云ふことであるらしい。更に富田は、
『殺すぞ』
と、九寸許りの『ドス』を引抜いた。頗る凄いもので有つた。然し栄一はビクとも為なかつた。既に死を覚悟して、飛び込んで来て居るのだ、斬られることは少しも辞する所では無かつた。絶対の無抵抗主義者ではあるし、勿論反抗もしなかつた。
 富田が『ドス』を振り上げると、七輪に暖まつて居た内山が飛んで来て、『兄キ、何にするんや……まアそんなに怒らんでも善いぢやないか』と、懐刀ドスをもぎ取つた。
 さうすると、富田は、七輪目懸けて飛び上つて行つた、七輪を庭に立つて居る栄一に投げ付けんとしたが、急に、何を思つたか、畳の上へ、打ちつけた。山の様に燃えて居た炭火が座敷中に散る。また内山が飛び上つて行つて、その火を拾ひ集めて居る。その間に栄一は裏口から逃げ出て、海岸へ祈りに行つた。
 十一時頃に栄一が帰つてみると、一枚の障子は目茶苦茶に擲き毀してあつた。栄一は非道いことをすると思うたが、黙つて寝た。
 三十日の朝も晩も、富田は暴れに来た。それでたうとう内山は栄一に忠告して、
『先生、富田に二十円か、そこいらおやりなさい、その方が傷つけられるより結局徳ですぞ』と云うた。
 そこで栄一もその気になつて、保険会社から貰つた、僅か許りの年末賞与、月給一ヶ月分二十五円の中から二十円を富田に与へることにした。然しそれを知つて植木は承知しなかつた。たうとう、後の五円を持つて行つてしまつた。栄一は猶月給の残りを僅か許り持つて居たが、隣の二畳に畳と障子を買うて入れたので後は一文も無かつた。
 明治四十二年はそんな淋しい年の暮を貧民窟で送つた。然し栄一に取つて、たゞ一つの喜びは僅か四日ばかりの貧民窟の生活に友人の出来たことであつた。勿論内山の爺さんがその一人であるが、伊豆さんも他の一人であつた。
 然し此処に新しく、新見を『先生』として仰ぐ一団が出来た。それは、貧民窟の子供等であつた。貧民窟の子供は非常に栄一が好きになつた。そして栄一も彼等が好きであつた。
 甚公に、虎市に、花枝に、数さんに、熊蔵は午後の四時頃に栄一の帰るのが待遠しいので、朝から遊びに来て、栄一の留守の間は、狭い栄一の家の前の路次で、昼の間遊んで栄一を待つて居る。そして、午後四時に栄一の顔を見ると路次の東の端から西の端まで飛んで来て、栄一を歓迎してくれる。そして彼等の云ふ第一声は、
『先生、今日、玩具無いの?』
と、云ふことであつた。栄一は先づ、甚公の頭を撫でて、虎市、花枝と順々に子供等の頭に手を按くのであつた。さうすると子供等は皆『先生』の外套の裾を持つたり、袖を握つたりなどして、栄一の家まで随いてくるのである。
 その外に、栄一には、生れて始めて一人の信者が出来た。それは二十七日の阿波屋のクリスマス貧民招待会に、吾妻通六丁目の二畳敷長屋から、妻君に負はれて、集りに来た足の立たない四十近い男が居た。聞けばその男はリウマチで、四ヶ月も足が立てないのだと云うて居たが、二十八日の夕方栄一の処へ、優しさうなその妻君が、
『先生、どうか誠に済みませんが、耶蘇の御祈祷をして下さることは出来まへんだつしやろか』と云うて来た。
 それで栄一は早速出かけて行つて、病の癒える様にと祈つた。すると三十日の朝方、栄一が年の中の最後の日の出勤に出かけて居ると、長い竹の杖にすがつて、足の立たなかつた筈の出口が路次の向うからやつて来る。髪は石川五右衛門の様に真直に延びて、青ざめたその顔は、貧民窟で無ければ見られぬ姿であつた。
 出口は、栄一の祈祷でその日から足腰が立つやうになつたと云つて、感謝をしに来たのであつた。
 それからと云ふものは出口は貧民窟に於ける、耶蘇教の宣伝者となつた。明治四十三年の一月一日は丁度日曜日であつたが、栄一はその狭い五畳敷で初めて夕の礼拝をすると貧民窟を布れて廻つた時に、出口は吾妻橋六丁目の二畳敷から六七人の友人を連れて来て、狭い所は一杯であつた。その中には繩屑拾ひの伊藤、井戸渫への石野夫婦――之は夫婦に子供を連れて来た『羅宇らをげ換へ屋』の老爺さん、それにも一人の紙屑拾ひの年寄が有つた。それに伊豆と内山が加はつて晩の礼拝は実に愉快であつた。
 栄一は幸福であつた。栄一は出来るだけ平易に話をした。そして、皆のものが一人、一人祈つて帰つた。その中の一人は『祈祷』と『感謝』を間違へて『病気の癒されんことを感謝し奉る』など云うて祈つた。
 然し栄一には何故斯うキリスト教が早く伝播するかと云ふ理由がわからなかつた。然し礼拝の後に出口の云ふ所でよくわかつた。それは出口が教へて廻つたのであつた。
 兎に角、貧民窟の生活は栄一の若き血を湧かしめるには充分で有つた。

三十五


 一月二日の朝早く植木が、丸井と云ふ男を連れてやつて来た。
(植木の癖は栄一が起きない先に栄一を捕へるにあつた。)[#「あつた。)」は底本では「あつた。」]そして、丸井は花筵を車で挽く人夫であるが、彼の姉の夫と云ふのが博徒で、今は監獄へ行つて留守で、貰つた子は昨夜死んだのだが、一文の葬式代も無いので葬式を出す金を呉れんかと云ふのであつた。栄一は早速承知して家を見に行つた。吾妻通六丁目の五畳敷に表三畳に丸井の一族六人が住み、裏の二畳に姉が二人の女の子を連れて住んで居る。そして死んだ貰ひ子と云ふのは百日足らずの子供であるが、母乳は勿論のこと、牛乳を買ふ金もないのと、お粥とおも湯ばかりを与へて居たので死んでしまつたと云うて居る。穢ない借蒲団の中に屍を横たへて赤ン坊の着て居たモスリンの袷の着物をかけてある。栄一はその袷の着物を取り除いて死体の顔を見た時に、何とも云へぬ不快な気に打たれた。それは、子供の眼瞼は全く潰れた様に赤くむけ、頬の肉は全く落ち、手はひからびて、柴の葉のやうになつて居た。
 それで栄一は丸井に色々と様子を聞くと、金に困つたから殺さねばならぬと知りつゝも、僅か五円の金に目が眩れて、姉がこの子をもらつたのだと云うて居る。それで栄一は一先づ自分の家へ引返し、行李から、絣の綿入と羽織を出して、之を質屋に持つて行つて、六円三十銭を借りて五円だけ丸井に渡した。丸井は植木と相談して、新見の向筋に住んで居て、半年程前迄西隣の吉田の嬶であつた『おいぬ』と同棲して居る、『たべらう』さんの所へ、屍体を片付けてくれと云つて来た。『たべらう』は『おいたべらうとも云はれて、貧民窟の葬式の出来ない人々の屍体を独りで片付けて煙草の木箱や蜜柑箱に、それを詰めて背に負うて、春日野の火葬場へ運ぶのがその職業で有つた。その日も彼は夕刻、蜜柑箱に赤ン坊の屍体を詰めて丸井の宅から運び出した。
 之を見た、栄一は全く憂鬱になつた。そして急に貧民窟とその恐ろしい罪悪がいやになつた。彼は絶望的に悲鳴を上げて神を呪ひたいと思つた。神は愛では無い、暗黒と、絶望と、死と、貧乏の創造主だと罵りたかつた。
 然し一月二日に死の面を見た栄一を意地の悪い神はそれだけで許さなかつた。一月五日の朝、また元旦の夕の礼拝に出て来て居た井戸渫へ屋の石野が、宅の子供が死んだから葬式をしてくれと云うて来た。それをも栄一は引受けた。吾妻通六丁目の藤本の借家に住んで居る、石野の宅へ行つて見ると、石野とその妻君とが呆然と坐つて居る。そして死んだ子が貰ひ子だと云ふことがすぐわかつた。
 栄一が行くと、石野は、
『死んだのは、この子です』と、丸井の宅の子供より未だ小さい赤ン坊の屍体を隅から出して来た。座蒲団を三枚きりきりと兵児帯で巻きつけて、まるで土人形の様にしてあつた。その顔は、丸井の宅の子供のやうに眼が潰れては居らないが、色の青い、頭に湿疹の出来た醜い子であつた。こんな醜い子であれば、勿論育てる勇気は起るまいと栄一は感じたことであつた。之れは死体検案がいると云ふので、最も近い田沢医師の所へ飛んで行つて来てもらつた。田沢さんは老眼鏡をかけて、穢いからか不精からか畳の上に上りもしないで、庭に立つたまゝ、
『その子、こゝへ連れて来な!』と云うた。
 さうすると、石野がそれを栄一に見せた様にして、医者に見せた。田沢さんは、
『アヽ、よし、よし、之か? 之は栄養不良ぢや! もう、わかつて居る、わかつて居る』と立つて脈も取らなければ、屍体に触れもしないで、その儘帰つて行つてしまつた。
 栄一が後から随いて行くと、
『アレはな、あんなにして、貰ひ子をして食つて居るのぢやがな……この近所はあれ許りぢやから困るわい』と云うて居る。死亡診断書を取つて、出口の所へ立寄ると、石野の悪口を云うて居る。
『石野はあれで、三遍目です……貰ひ子をしては殺し、貰ひ子をしては殺し、その度毎に家を変るんだすがな……近所に恥かしいさかい……あんなことして居ると罰があたると云ふのやけんど、あれの嬶が、どんなまくらでな、石野は毎晩、嬶に淫売をさせて、自分はあの年が[#「あの年が」は底本では「のあ年が」]寄つて、嬶の淫売の立番をして、その日の暮しを立てとるんだんがな……今朝も内へ来て、葬式代が無いさかい、耶蘇の先生に頼んでくれと云ひますさかい……そんなことを云ひよつたら罰が当るぞ、貰ひ子する時には、五円か、十円の金の為めに眼が眩んで、死ぬとその葬式代が無いとか、なんとか云うて、隣り近所を借り歩くつて、そんな鳥獣のするやうな真似はわしは出来んと云うてやりましてん……然しあなたも、こんなにして我々貧乏人を救はうと思うて、こんなうるさい新川と云ふ所へお出でなしたんですから、もし助けられることでしたら、どうか助けてやつて下さいませ……この後は私もよう云うて、改心させまつさかい』と同じことを繰返して栄一に告げた。
 兎に角栄一は、それで石野の家庭の事情がよくわかつたので、その足で直ぐ石野の処へ行つて、
『葬式代を後から持つて来ますから』と云つて出た。
 内山は栄一の心をよく察して、
『先生、私が質屋へ行つて来てあげます』と云つて、栄一の袷の着物二枚をもつて走つた。そしてまた五円の金が出来た。それでその金を持つて、石野の処へ走つて行つた。栄一の行李には、もう後、袷一枚、筒袖の綿入一枚、浴衣二枚、そしてぼろ袴一枚、合計五枚しか残つて居らなかつた。
 栄一は心臓がドキつく様な色々な試錬に会ふ度毎に強くなつた。栄一はその日神戸海上から帰つた後にも、まだ石野の棺が出て居らないことを知つて――新見に耶蘇のお葬式をして貰ふのだと云うて、帰りを待つて居た為めに――生れて初めて、キリスト教のお葬式と云ふものを貧民窟の三畳敷で施行した。
 然しそれには格段な説教と云ふものも無かつた。『こんな醜い世界を見るよりか、死んだ赤ン坊の様に、早く天国へ飛んで行つた方が幸福だ』と述べたにしか過ぎなかつた。葬式が済むと石野は自分手に棺を持つて、春日野へ運んで行つた。栄一も石野の後から、沈黙のまゝ随いて行つた。正月の暮れ易い太陽が須磨の鉄拐山の後に隠れた時に、栄一は春日野の火葬場の前に立つて、石野に顔を隠して泣いた。神戸の街にはキラ/\電燈が光り出した。隠亡おんばうが棺を運ぶ車をカタ/\云はせて居た。

三十六


『なぜ、こんなに苦悩せねばならぬ様に、自分は造られたのであらう』と栄一は明るい元町筋から、薄暗い新川へ帰つてくる道々さう考へた。
『私はエレミヤのやうに、泣く為めに造られたのか? 自分の為めに泣き飽くと、人の為めに泣かねばならないのだ。
 然し、間違つてしまつた世界には、私のやうなものが、いくら煩悶したつて、努力したつて役にはたゝないのだ……貧民窟にはペストが這入つた。女性の△△△の中へ、蛇が這ひ込んで居る刺青いれずみを背中にして居る、淫売のおとめが一昨日死んだ。そして、昨日はその阿爺が避病院へ送られた。今朝は岐阜屋の川股と云ふ沖仲仕が同じくペストで送られたと云ふ。おそろしい、おそろしい。然しそのペストの中には猶、迷へる羊の為めに、一人奉仕し無くちやならぬやうに造られた、新見栄一は、何と云ふ不孝な男であらう。……さうだ、私はペスト病に伝染して早く死なう。その方が、早く宇宙の苦悩を見なくてすむ。
 金が有つて、救済に従事するのも善いが、金は一文も無いし、昼飯を無くして、二人の同宿者と、飯を分つ為めに、一日二食に減じて[#「減じて」は底本では「滅じて」]……それも、お粥に梅干で辛抱しなくちやならぬと、理想を植ゑられた男は何と云ふ不幸な男であらう。
 世の中には、阿娜な女と、絹の着物と、芝居と、音楽がある中に、自分だけ社会改造を夢みて、貧民窟の真中に据ゑられて、泣き乍ら、屍体の片付を命ぜられるのは何故だ?
 社会は余りに間違つて居る。……然し云ふまい。たゞ大きな、社会改革の時代を待たう。それまで出来るだけ貧しきものを慰め、新しき日の来るのを待たう。今日の金持の道徳の腐つたものゝ代りに新しいクリスチヤンの道徳を産まう。十字架の道は、貧民窟の路次にあるのだ。――』
 さう考へて、栄一はいつも新生田川に架つて居る日暮橋を渡るのであつた。
 そして、その橋の名が如何にも、その日暮しの貧民や労働者にふさはしいので立止つて、詩的感興に打たれるのであつた。
 一月七日の日曜からは狭いその五畳敷で日曜学校を始めた。七十人も来るので、たゞ騒がしくて、お話も何にも出来なかつた。然し、もう、ちやんと、新川全体の子供は新見を知つてしまつた。朝の礼拝に兵庫の講義所に行つたが、その後にウイリアムス博士は貧民伝道に之から月々二十円づつ補助するから大いにやつてくれと云うてくれた。新見はそれを感謝して受けた。その日の午後婦人矯風会の姉妹達が二人来て新見の家を見て泣き乍ら帰つて行つた。然し新見は泣いてくれる位なら、何故住み込んでくれないかと考へた。
 植木は金が欲しいと言つて脅迫を続けた。祈祷会を開いて居る真最中に栄一が『敵を愛する心を教へ給へ』と祈つたのがけしからぬと云うて怒り出した。『敵と云ふのは我輩のことだらう……祈つて聴いてくれるやうな神様なら、七輪の火を蒔き散らしてやるから、火が燃え立たないやうに祈つて見ろ』と、座敷の真中へ七輪を引繰返す。
 伊藤や石野が慌てゝ火を七輪の中へ入れると、
『それ見ろ、やはり、神様だつて、火はよう消さないぢやないか』と罵る。
 さうかと思ふと、祈祷会がすんで皆が帰つた後で、酒に酔払つて、寒月の冴えて居る前の路次を洗足で兵式体操をやつて居る。
『前へ……オイ、右向け右!』
『廻れ右前へ……オイ』
『善に立ち帰れ……オイ』
と、叫ぶ。さうすると、之も酒に酔払つて、街から帰つて、南京袋の中へ這入つて寝て居る吉田が、家の中から、
『八釜敷いわい、奴畜生、静かにせい!』と狼の様に吼える。
 それには、植木はよう反抗しない。そしてたゞ、栄一に毒づくのである。その日植木は金を借らうと思つて、兵庫の新見廻漕店から水木通の講義所、生田教会と、ぐる/\廻つて栄一を探して廻つたらしい。然し結局は家の中へ這入つて、教ヶ島が植木虎太郎になり代つて栄一に謝罪する段になると、植木は着て居た縞の筒袖の袷を裾の方から、バリバリと歯で裂いて居る。そして、
『悪かつた! 悪かつた』と云ふ。そして『今夜一緒に寝させてくれ』と云ふ。それで栄一は『よしや、足を洗つて来い』と云ふと、『水道端へ行つて、水をかぶつて酔をさましてくる』と云つて出て行く。やがてブル/\震へながら栄一の寝床へ這ひ込んで、その冷え切つた身体を、栄一にすり寄せてくる。
 こんなにして居るかと思ふと、また金が無くなると、短刀を持つて、栄一を追ひかける。それで栄一は勉めて隠れた。栄一が警察署へ訴へぬと云ふことを知つて居るものだから、一層猛烈に脅迫した。短刀で聖書を切裂いて、
『新見――貴様も今にこんなにしてやるから』と繰返して云うた。
 然し栄一は植木に犯罪の機会を与へまいとこそ思うて逃げもしたが、刀を恐ろしいと思うたことは無かつた。栄一には悪漢の系統とその心理が段々よくわかつて来た。それで少しも、怖ぢなかつた。
 こんな混雑の中へ、柴田忠吉と云ふ病人が宿銭が払へないので木賃宿の阿波屋で此処へ行けと教へられたと云つて、やつて来た。彼は大阪で友染織工であつたさうで、今年取つて二十八歳だが原籍は神戸で、真の父は亡くて今は義理の父が兵庫東出町で二番の消防の組頭をして居る。放蕩の結果こんなになつて、家には帰れないのだと告げた。
 それで栄一はすぐ三年前の夏、苦しい権蔵部屋の生活を送つたのが、柴田の義理の父の家であつたと云ふことがわかつた。それで直にその男を世話することにした。然し家は実に狭い。それに医者に見せると、腸結核だと云ふことが判明した。一週間、二週間として居る中に、柴田はもう立てなくなつた。そして肉が下におりるやうになつた。実に臭い。それを栄一と内山と二人が看護せねばならぬのであつた。一緒に寝て居る伊豆さんには余り気の毒なので、隣の室へ這入つてもらつて、二畳の室を病室にした。それで家があまり狭いので、もう一軒借りねばならぬことゝ思つて居た。
 丁度その時――関西学院神学部の竹田君と、八尾君と、橋田君が親切にも、貧民窟の日曜学校を受持つことを申込まれたので、日曜学校の為めにも家が余り狭いものだから、二軒置いて西隣の――六畳の家を借りることにした。
 そして、此処が一畳だけ広いものだから、新見と内山はそこへ移ることになつた。
 日曜学校も、晩の説教も凡て六畳の家ですることになつた。処がその家の便所を置いて西隣は淫売のおしかの家であつた。それで栄一は、すぐそこの家に寝泊りして居る、三人の淫売婦と親しくなつた。さうすると新川の貧民窟の中にある淫売婦のことも、大阪の飛田と長柄の淫売婦のことも、すつかりわかつてしまつた。親しくなるに付けて、新見は、その中の一人が、十二月の末に新聞に評判された両性の生殖器を持つ淫売婦のおちかであると云ふことが判明した。出歯の醜い顔をした女であるが、新見は改心しないかと勧めた。
 さうすると、おちかは食ふ道をつけてくれるなら、今日からでも改心すると云うた。それで、栄一はすぐ神戸養老院の富島のぶえ女史の所へ行つて、理由を述べて、おちかを引取つて貰ふことにした。そして栄一がおちかの風呂敷包みを持つてやつて、富島女史の所へおちかを届けた。

三十七


 伊豆は毎日繩を拾ひに行つた。内山は毎日のらくらして居た。然し忠実に朝早くから起きて栄一のために、また病人のために飯を焚くのであつた。それには栄一は感心してゐた。
 貧民窟生活は、栄一にシツクリ合つて来た。栄一は生れてから今日まで、貧民窟生活ほど自分に合つた、張り詰めた生活をしたことが無かつた。朝早く、又晩遅く、貧民窟の路次路次を巡回して見ると、小さい乍らにも皆生きるために努力して居る。その小さい努力に、栄一は少なからず動かされた。
 或時、栄一が巡回して居るとおふぢと云ふ、もとは淫売婦であつたと云ふ三十女の醜い跛が二畳敷の日家賃三銭を、八日分だけ滞らして居ると云ふので家主に追ひ立てられて居るのに出会した。おふぢは声を立てゝ泣いて居る。その側に痘瘡の醜い一人娘が又泣いて居る。家の中を見ると破戸漢らしい、家賃を取り立てる男が、畳をめくつて居た。
『お前等の様な奴に貸してやらなくとも、うちの借家には沢山這入つてくれる人があるんやさかい……毎晩毎晩訛しやがつて、それでこつちが立つて行くかい』と独言の様に呟いて居る。
『おあし(金)が無いんやさかい仕方がない。昨日も一昨日も飯もよう炊かず、何にも食はずに居るんや……おあしが有つたら真先に持つて行くんやけんど、不景気やさかひ、拾ひに行つたつて、何にも落ちて居れへんのや……そら、うちやつて、外の人の様に他人の荷車に積んで居る綿なんぞ盗んだりするなら困りはしやへんのやけんど……ほんまに金があらへんのや』
 大勢の貧しい人々が、おふぢに同情して居る。お春と云ふ女乞食が、栄一を見て、
『先生、助けてやりなはれ、おふぢはほんまに可哀相や、二日も飯を食うてをれへんのや、ほんまに可哀想や――』
 それで栄一は、八日分の家賃を、おふぢの為めに支払うてお米を一升だけ遣る約束をして帰つた。
 こんなことを見て、帰つて来て居ると、裏隣の安さんのおかみさんのお政さんが、眼を赤く腫らして赤ん坊を脊負つたまゝ、井戸端で米とも何ともつかぬドス黒いものを洗つて居る。着物が無いので寒中単物ひとえもので子供をすぐ肌につけて背負うて居る。
『おかみさん――なぜ泣いて居るの?』と栄一が聞くと、
『先生、まア、よう聞いて下さい。うちの安さんが、お米一升もよう買ひくさらんと云うて、どつきますけれど、自分も葬式には毎日あぶれて来るし、お米を買ふお金は無いし、先生の知つての通り、うちには餓鬼が六匹も七匹も居りまつしやろ。金の借れる処はズツト借りてをりまつしやろ「どこかで金の工面をしてお米を買うて来い、それ位の工面が出来ないで……甲斐性なしよ」と安さんが怒りますけんども、私はよその人の様に淫売に出る甲斐性はおまへんしな、灘の酒屋へ行つて、かうやつて土べたの上に落ちた小米を拾ひ集めて、お粥にして焚いて食ふのですけれども、こんなに土が混つて居つては、食はれまへんがな……それに安さんと云うたら私に許り罪を被せて私を殺すとか、撲るとか云ふのだつしやないか……』
 さう云つておかみさんは涙をぽろ/\桶の中に落して居る。
 栄一もすぐ貰ひ泣きをして、何にも返事もようせずに、便所の処へ来て、ヒステリーにかゝつた人の様に泣いた。
 ――『神さま、どうして貧乏人はこんなに苦しむのですか??』と。
 それで、栄一はその一瞬間に決心して、決して之等の貧しい人々が救はれるまで、二枚以上の衣類は着るまい、肉も魚も決して食はぬと神に誓つた。そして後に残つて居る衣類をすつかり売払つて貧民に与へて自分は一枚の着物の使徒にならうと考へた。で、早速内山に頼んで、筒袖の綿入一枚を残して洋服も何にもかもすつくり――と云つても袷一枚に浴衣二枚と洋服一着と袴一つ――を質入することにした。然し内山は阿爺らしく栄一に忠告して、
『先生こんな洋服なんか質入したつて、二足三文ですぞ、一円か一円五十銭にしか取らしません。それよりかあなたがまだ着て居た方がましですよ』と云つて質屋へ持つて行かない。
 それで仕方がないから洋服を残して後のものをすつくり質入してもらつたが、全部で七円二十六銭になつた。その金を持つて栄一は直ちに、裏の安さんの処へ出かけて行つた。裏口から這入ると、片目の安さんは、障子も何にも無い家に昼の日中、戸を閉めて、着物が無いので、法被を着たまゝ、垢のギチ/\に着いた貸蒲団に引くるまつて寝て居る。安の側に病身さうな子供が矢張り安と同じ蒲団の中へ足の方から這入つて寝て居る。
 おかみさんは古下駄を竈の下にくべ乍ら、砂の這入つた、小米を焚いて居る。今、その飯の湧き立たうとする所であつた。
 栄一は黙つておかみさんの後に立つて、
『おかみさん、これは少しですけれども米代にして下さい』と五円紙幣を差し出した。
『へえ、勿体ない。こんなにたんと?…… 安さん!』
 栄一は、たゞ黙つたまゝ、紙幣を裏の二畳の上り口に置いて出て来た。
 そして、その足でまたおふぢの所へ廻つて、二円を置いて来た。
 その晩安は貰つた五円で、酒を呑んで、ぐで/\に酔ひ潰れてお礼にやつて来た。そして、
『新見さん、あなたは、ほんまに神様や、私はほんまにあなたを拝みまつさ……然しほんまに新川と云ふ所はうるさい処やよつて、また、あなたの身体の上にどんなことがあるやらわからん、その時には屹度私が一生を投げうつてあなたをお助け致します』と廻らぬ舌を酒の興に借りて、一生懸命に弁じて居た。

三十八


 おはつを養老院の方へ送つたことは、隣の感情を害した。それで四日目に、たうとう、おしかの亭主が暴れ込んで来た。この男は、二尺五六寸もある刀を抜いたまゝ、
『新見は居るか』と云つてやつて来た。
 丁度其時に栄一は飯を食つて居たが別に慌てもせずに、
『何んですか?』と云ふと、
『何んですかつて、一体、何んぢや?』と云ふや否や刀の背で、飯台代りの机の真中を強く打つた。すると、茶碗も皿もお菜も飯も四方に散乱した。
 裏の雑仕をして居た内山が慌てゝ這入つて来た。
『まア、そんなに怒らなくとも善いやないか。兄弟、話をすればわかるんやさかい、もうちつと心を落付けて呉れ』
『………………………』
 内山は濡れ手を開いたまゝ、トラホームの眼をパチクリとさせ乍ら……。
『そら、兄キも、おはつのことで立腹して居ると云ふことは聞いて居る。然し、それも、先生が、あアやつて、人助けに新川へ来られたのやさかい、困つて居るものを皆助けて下さるのやから……おはつも、先生にお頼みして、改心したいと云ふのやけん……そら先生が、兄キに断らなかつたのも、わるいかも知れないが、先生としちや、おはつは兄キに案内して居ることゝ思つて居られたんやさかいな……』
 大勢の人々が門口に集つて来た。
 皆何が起るかと見て居る。
 栄一は迷惑さうにして坐つて居る。おしかの亭主――通名『大阪』はいきり立つて喋る。
『いや、内山、聞いてくれ、そら先生だつて人助けに、新川に来たんやから、そらわしだつて、先生が新川に居るのが悪いと云ふのやないやけれど……一体、生意気やつて……新川には新川の流儀と云ふものが有つたもんぢや……わしも、かうやつてな、淫売の口銭取りをやつて居るから、新見のやうな書生つポに軽蔑せられるけれど、何にもわしだつてよその女に淫売なんぞ、させたく無いんけれど、食へんけん仕方が無い……、こら、新見……』と、また刀を振り上げて、膳の前で黙つて祈つて居る栄一に打懸らうとする。
 それで内山は、腕に組みついて、
『そら、兄キ危い、短気を起して、兄キが、監獄へでも行かなきやならんやうなことになつても困るさかい、その切れ物だけはわしが預かることにするさかい』と刀を取らうとするが仲々放さない、組みつかれたまゝおしかの亭主は叫ぶ……
『こら、新見、おはつをどこへ隠しやがつたんな、覚えて居れ……おまへは、わしを食へんやうにする積りやな……わしもいつまでも、こんな新川に燻つて居つて、淫売の立番なんかしたくは無いんぢや……わしがこゝにかうやつて居るんが五月蠅いのなら……すぐ旅へ立つてやるがな……支度料を貸して貰はうかい……こら、新見、おれを一体何と思つて居るんだ……百円出せ――百円――百円出しや、いつでも、新川を立つてやらア……』
『危いからな、その切れものを、わしが預かると云ふんだよ、兄キ』と内山は一生懸命である。
 おしかがやつて来た。淫売婦二人もやつて来た。黙つて見て居る。路次には人山が築かれて居る。裏から葬式屋の安が出て来た。
『安さんが来た、安さんが来た』と表で五六人のものが云ふ。安は通名『喧嘩安』と云ふあだ名がついて居る位で、目茶苦茶に、喧嘩をしたがるので、表の人々は大喧嘩になることを心配して居るのである。栄一も安が来たので困つたことになつたと思つた。勿論安としてはこの間、世話になつた御礼の積りで助けに来たのである。
『こら、「大阪」! 何を、ぐづ/\ぬかしてゐやがるんや、こんな所で!』
 安は頭から『大阪』をきめつけて居る。『大阪』は全身に刺青をして、恐ろしい顔をして居るけれども、片目の安を見ると、急に黙つて内山に刀を渡した。内山はそれを善い機会にして、
『まア兄キ、話はわかつて居るさかい、帰つて行つてくれ』と云ふと、『大阪』は黙つて帰りかけた。
 今迄昼寝して居たとも見える安は、穢い顔をして、寒いにバツチもはかずに、印絆纒ばかりを引掛けて庭につき立つたまま、栄一に理由を尋ねて居る。内山は無理に『大阪』を連れ出した。淫売婦とおしかと『大阪』の声が路次を西に行く様に、その声がやがて消えた時に、大勢の人々も西へ動き『大阪』について西隣に集つた。
 それから、安は自分が喧嘩に強いことを繰返し、繰返し述べて居た。すると庭の表からのぞく小娘が居る。それは『大阪』の宅に貰はれて来て居る『清ちやん』と云ふ今年十二になる、品の善い娘である。クリスマスに栄一が人形を与へてから、栄一が好きで毎日栄一の処へくるのであるが、今の先、義理の父が暴れ込んで来たことなどは、忘れてしまつたかのやうに、晴れ晴れしい顔して[#「晴れ晴れしい顔して」は底本では「晴れ晴ばれしい顔して」]、栄一を見て笑つて居る。それで、栄一が、
『お清ちやん!』と呼ぶと、顔を引込める。それで、栄一は『安』に困つて居るので注意を転換する為めに出て行つて、清ちやんを家に伴ひ入れた。
『お清ちやん、お父さんは怒つて居る?』と聞くと、
『うち知らん……先生、堪忍してやつてな』と軽く云ふ。栄一は、その優しい気前に涙ぐんだ。

三十九


 それから後、おしかと『大阪』と清ちやんは一二週間も顔を見せなかつた。柴田の病気は段々重くなる一方で有つた。栄一は海上保険会社へ毎日出勤しなくてはならないので、内山に昼の看護を頼んでおいて、午後の四時過ぎに帰つて来ると、すぐ、柴田を見舞つた。毎日、柴田は衰へて行つた。頭の毛が、病気の為めに抜けて哀れに見える上に、顔が脹れて青くむくんで居て、如何にも病人らしいが、栄一を見ると、偶像を拝むやうにして、拝むのであつた。然し結核が喉に来て居るのか、明瞭に言葉が出ない。然し感謝して居ることは明かに見える。
 栄一は病人に親切で有つた。隣の部屋に寝て居る『伊豆』も、『先生の真似は出来ぬ』と感心して居た。伊豆がそんなに賞めるのはをかしいと思つて居ると、『大阪』の事件があつて一週間後に、『先生、豆腐屋の三公ない、……あの岐阜屋(木賃宿)に泊つて困つて居る……あの病身たれの三公が、どうにか、先生に頼んでくれんかと云ひますのですがない――どうかあいつを置いてやつて下さるわけには行きませんやろか、私の脇に寝さしてやりたうおますのやが』
 それで栄一は直に『よろしい』と承諾した。豆腐屋の三公(本名藤田三蔵)は直にやつて来た。彼は伊豆と違つて怠惰なまけ者である。内山は仕事に出るのは嫌ひだが内の仕事はよくする。然し三公は内に居つても決して炊事の手伝を助けようともしない。青く水腫れした顔をしてヂツとして居る。心臓が悪いのである。然し梅毒気もあると自分手に云うて居る。この男は伊豆と違つて、繩拾ひにも行かなくて栄一に食はして貰ふ考へで来たのであつた。それで、栄一は月給二十五円で四人が食はねばならぬことになつた。米は一升十四銭ではあつたが、四人が食へば余ることは無い。それで栄一は自分は昼飯を食はぬことにして、四人が、お粥と梅干と味噌汁で送らうぢや無いかと申し合せた。どう云ふわけか内山は『結構です、結構です』とわかつたやうなことを云ふ。病人もそれで感謝して居る。三公だけは不平ばかり云ふのである。それで内山と三公は毎日衝突ばかりして居る。そして毎度内山は三公をぼろ糞に叱り飛ばすのであるが、叱られると三公は黙つて居る。然しお粥がまづいと云ふことは決して止めない。それで三度三度必ず三公と内山は口論をする。
 三公はまだ三十四の若い男ではあるが、一般の労働者がいつも十歳位ゐ老けて見えると云ふ定則に違はず、四十以上にも見える。石川五右衛門式に髪をのばしたまゝ手も入れず放つて居る。大の臆病もので、夜中に一人で便所によう行かないのである。幽霊が出ると云ふのである。それはかうである。彼は小さい時から孤児で育つたのであるが、早くから豆腐屋に奉公して居た。四年程前に彼が中道筋の或豆腐屋の売子をして居た時に、脇浜へ豆腐を売りに行つたところが、酔払ひの男が、彼に打衝かつて、彼の担つて居る豆腐の荷をすつかり目茶苦茶にしてしまつたのである。それで彼は怒つて担いで居た棒で、その酔払ひを擲つた処があたり所が悪くて、その男は即死したのであつた。すぐ巡査がやつて来て、三公を警察へ引致した。それから、彼は一年間監獄へ行つて居たが、証拠不充分で出て来たのであつた。然しそれ以来、彼には、幽霊が出るやうになつたのである。それで、非常に臆病になつて、仕事にもよう出なくなつたのである。それは少し違つた仕事場に行くと、殺した男の顔が、色々なものゝ形になつて出てくると云ふのである。
 栄一は三公を不憫に思つた。それで栄一は内山に、『三公を可愛がつてくれ、あの男には誰れも味方が無いのだから』と云うて、食はして置いてやることにしたのである。

四十


 栄一は毎日忙しくペン先労働に出て行つた。それは頗る平凡なものであつた。彼には保険会社の高等政策には何の関係も無かつた。彼は毎日帳簿へ数字を記入するのが役目であつた。同僚は十四五人も居るが、彼はその同僚の中で最もつまらぬものゝ一人であつた。然しそんなことには彼は超然として居た。彼は去年の秋に肺炎をやつて、もう駄目だと思つて居たものが、また復活したので、職業に就ては何等不平を云はぬことに決心して居た。彼は資本主義を是認するのでは無いけれども、彼には社長や支配人を憎むことが出来なかつた。彼はいつも丁寧に社長や支配人にお辞儀をして、彼等の命令には決して背くことをしなかつた。それが、彼等の余剰価値の発生を助けて居ると云ふことを知らぬわけでは無かつた。然し彼は今、職務に忠実であると云ふことの外に為す可き道を知らなかつた。それが他人の為であらうが、自分の為めであらうが問ふ所では無かつた。他人が儲けるならば、それで結構である。己れは全く奉仕の生活に没入し、資本主義に反旗を飜し得る時機を静かに待たうと決心して居た。それで悦んで義務を尽した。彼はまた考へた。たとひ社会主義の時代が来ても、今日多くの人々が忠実に資本家に奉仕して居るやうに社会に奉仕するのでなければ、到底完全な社会は来ないと。それで彼は社会主義社会に対する奉仕の緒論として今日の社会に奉仕するのだと考へた。彼はまた凡ての人を尊敬した。貧民窟の凡ての人を尊敬した。内山をも、伊豆をも、藤田をも、尊敬した。たとひ彼等が尽く人生に於ける失敗者であるとは云へ、彼等の失敗には、各々尊い失敗の理由があることを発見して、猶一層彼等を尊敬した。栄一は、富田をも、林をも、植木をも尊敬した。彼等にも一面愛す可き点があることを発見して、栄一はそれを尊敬したのである。彼は貧民窟の凡ての乞食、凡ての淫売婦を尊敬した。それが人間としての尊い実在を持つて居る以上、彼は、たとひ、それ等の人々が誤れる方向を取つて居るとは云へ、また悔い改むる時期を与へらる可き人々として、尊敬したのである。即ち今、栄一は救主として世に降つたイエスの自覚に這入つたのである。彼は凡てを救はねばならぬ為めに、凡てを尊敬せねばならなかつた。それは、尊敬に値しないものは救ふ必要が無いからである。
 この意味に於て、栄一は凡ての人を尊敬した。彼は資本主義を憎む、然し彼は人間を憎むことが出来なかつた。彼は淫売婦、博徒を愛すると同じ意味で資本家を愛した。それで彼は神戸海上でも、人の善い男として愛せられた。
 殊に丸二事件から知り合ひになつた、宮本と樽谷とは、特別に新見を尊敬した。そして社では栄一の貧民窟の事業が非常に評判となつた。樽谷は貧乏な家庭に育つたことがあると云ふ理由によつて、特別に栄一に同情して或日五十銭の銀貨を貧民に与へてくれと午後の四時に退ける時に、新見に渡した。之は栄一が友人から受けた同情金の初めてゞあつた。之を受けた時に栄一は、淋しかつた。何だか、自分が不甲斐無いものであるかの様にも感じた。また侮辱せられて居るかのやうにも感じた。然し栄一はまた、神の名によつて、それを感謝して受けた。支配人の小林英作も樽谷から新見の話を聞いて十銭を寄附した。栄一はそれをも好意を以つて受けた。神戸海上のものは、栄一をよく理解するやうになつた。そして社の下を乞食が通ると、
『おい、新見君、君の友人が来よるよ!』と冷やかすのが常であつたが、非常に尊敬してゐた。

四十一


 栄一はつゞけて発熱して居た。会社が退ける頃、ガツクリ疲れて、重い足を貧民窟の方へ運ぶ時に、自分の身体で無いやうな気がした。それで貧民窟へ帰ると、すぐ洋服を着たまま、上り口に打倒れて、熱の下るのを待つのであつた。検温器で計ると、三十八度近く出て居るのが普通であつた。それで病気がなほり切つて居らないのだと云ふことを、よく自覚して居た。そしてこんな時に一寸風邪をひいて、くしやみをすると、血粒が気管支から出るので、自分にも気味が悪かつた。掌でその血粒を受けて、それを見詰めて、自分の運命を考へると、段々淋しく、臆病になる。死が目の前に見えるやうだ。自分は近い中に死ぬ。自分は世界に何物をも残して居らない。貧民窟改良問題は勿論のこと、著作も、思想も、信仰も、芸術も、何一つとして纒つたものを残して居らぬ。然し毎日繰返して同じやうに午後に熱が出る。愈々今度床に就かねばならぬやうになれば誰れが世話してくれるのだらうと思ふと心細い。いやその時には、内山が世話してくれると思ふけれども、それも頼り無い。金は誰れがくれるかと思ふと、人生の孤独に泣きたくなる。
『アヽ、之だ、貧民が立ち上れないのは! 貧民は貧乏だから貧民になると云ふよりか、孤独だから貧民になるのだ、貧民の苦しみは大きな都会に知人が無いと云ふことだ』と一人自己の境遇から割出して、貧民に同情してみた。
 一月の末から二月一杯、栄一は路傍説教の為めに全く喉を傷めて、善い声が出なかつた。栄一は或は口頭結核にやられたのでは無いかと心配した。
 彼は貧民窟の六畳敷の上り口の所で引繰返つて寝て居る時に色々そんなことを心配し乍ら考へるのが常であつた。そしてそんな時に限つて、阿波の田舎の継母は今頃、どうして居るだらうとか、大阪の叔父の所へ行つて居る二人の兄弟のことや、遠く台湾に行つて、近い中に帰つてくると云ふて来て居る笑子のことを思ひ出して、自分の一家の離散した悲惨な運命を考へ乍ら、泣くのが普通であつた。『たうとう、己も貧民になつた』と自分に云うてみることもあつた。そして、『アヽ、笑子でも居てくれゝばなア、病気の時には世話をして貰ふのだがなア』とも云つてもみた。こんな時に限つて、その後、一通の手紙を寄越さ無い田宮鶴子の事を思ひ出すのであつた。然し栄一は田宮鶴子にはもう望を託して居らなかつた。
 然しこんなに、しよげ込んで居るかと思ふと、すぐに跳ね起きて、黙つて、下の二畳敷長屋へ出かけて行つて、路次の隅々から子供を集めて、広場へ連れて出て、わいわい騒いで居ることを見るのが普通であつた。
 貧民窟の子供は一体に美しい。それで、美しい赤ん坊を抱き締めて、自分一人で『神は愛だ』と悦び興じて淋しい冬の夕暮を賑やかに送ると、何時の間にか熱は醒めて居るのである。それで、栄一は発熱してくると、下熱剤の代りにと云つて、二畳敷の子供の処へ遊びに行つた。繩飛び、鬼ごつこ、隠れん坊、けんけん、子供の要求する遊びはなんでもした。そんなにして遊んで居ると、大勢集つて来て、暮の五時半頃には、百人位ゐの子供が集ることは珍らしくなかつた。あまり大勢になると、今度は歌を唱はせて、西洋の学生がよくやる、グース・ステツプの真似をしたり、『猫が鼠取りや、いたち[#「いたち」は底本では「いた」]を追つかける』と云ふ文句を大勢で繰返し乍ら列を組んで『子盗り』の遊びもした。いつしか列の中には、甚公、虎市、花枝、数さん、熊蔵、そして、近頃親しくなつた、清ちやんなどまでが這入つて居ることなどもあつた。男の子も、女の子も、みな新見が好きで、彼に触られたいばかりに、わざ/\いたづらをするものもあつた位である。
 日曜学校は大勢で、関西学院から来る竹田さんも、八尾さんも、橋田さんも弱つてしまつてゐた。殊に下の二畳敷から来る子供等は下駄を穿かずにやつて来て、そのまゝ上にあがつて話を聞いて居る中に、自分が下駄を穿いて来たのか穿いて来なかつたのか忘れて了つて、そこにある下駄を黙つて穿いて帰るものもあると云ふ仕末には日曜学校の先生達も閉口して居た。彼等の多くは塵箱から拾つて来た古下駄――それも大抵は片ちんばの下駄を穿いて来て、どれがどれやら、自分のものを知らないものだから、そこに百二三十の古下駄が並ぶ度毎に、下駄番に一人の先生が附き切りで有つても、授業が済んで帰ると云ふ段になると、目茶苦茶である。薩張りどれが自分の下駄だか見当がつかない。それで喧嘩が起る、擲り合ひが始まる、日曜学校が何の為めにあるのだか薩張りわからない。寧ろ日曜学校が無い方が、彼等に静かな気分を養はさすだけ、善いのではあるまいか、と思ふ程であつた。
 それにこんなに、混雑して居る上に、この附近で最も不良少年だと知られて居る、喧嘩安の親戚に当る岩沼松蔵と云ふ十二になる餓鬼大将が、日曜学校のお祈の最中に障子の間から石を投げ込んだり、犬を連れて来て吠えさしたり、五六人の子供を外に呼び出して、
『アーメン、ソーメン、冷素麺』
と、繰返し、繰返し云はせてみたり、罪も無い子供の下駄を隠したりなどするので、栄一は遂に岩沼の後を追つ駆けて行つてみたが、矢張り駄目である。それで日曜学校をほんとにやつてこの附近の子供を真から底から感化しようと思へば、先づ岩沼を栄一の宅へ引取つて世話をするより外に道は無いと考へたので、喧嘩安に話して、遂に松蔵をも引取つて世話することにした。それで新見の家族は今や六人の家族となつた。
 ウイリアムス博士は毎月十五円づつ補助してくれた。それのみならず、米国より観光に来た紐育市第五街の有名なプレスビテリアン教会のピアソン牧師夫人を貧民窟に連れて来て、新見に紹介した。ピアソン夫人は、栄一のして居る事業に非常に感心して、五百五十円のチエキを書いて、ウイリアムス博士に渡しておいて帰つて行つてしまつた。そして再び支那朝鮮の伝道状態を視察した後に帰つてくるからその時に悠然ゆつくり会ふことにすると伝言をして朝鮮へ渡つた。栄一はこの五百五十円を心より感謝した。そしてイスラエルが荒野でマナを拾うたやうに喜んだ。それは五百五十円で五六人の貧民を充分二年間位ゐは養ふことが出来るからである。早速今迄のお粥と梅干を、普通の飯に変更した。そして昼飯を廃して二食しか食はずに居た彼は再び三食に帰ることにした。その時に栄一は心より主の祈りの中にある――
『我等に日用の糧を今日も与へ給へ』
と、祈る意味が初めてわかるやうに思つた。
 金が這入つたので夜具を買うた。古蒲団を十枚許り買うた。そして内山と別れて寝ることにした。そして、伊豆も今迄借蒲団で毎晩二銭づつ払つて居るのが可愛相だと思つたので、三公と伊豆とに三枚づつ与へたが、さうすると、まだ蒲団が足らない。それで不良少年松蔵と栄一とがどうしても一緒に寝なければならぬことになつた。

四十二


 酒呑が暴れに来る。吉田がやつてくる。車挽の森がやつてくる。『帝国』がやつてくる。『阿波』がやつてくる。向隣の日山がやつてくる。酒呑を相手にして居るだけでも一つの辛抱が入る。森はいつでも芝居の真似ばかりする、そして路傍説教を妨害する。それは説教の真中に目玉をくり/\[#「くり/\」は底本では「くり/\」]させ手を振つて妙な科白せりふをやるのだから、聴衆がどつと笑ふのである。彼は昼はいつでも酔うて居る。そして十二時頃から福原遊廓附近へ車を挽きに出かけるのである。家は下の二畳敷に、蒲団も何もなく、車の毛布にくるまつていつも寝て居る。『帝国』は酔うてはたゞわけのわからぬことを云つてやつてくるのである。人の善い男で決して怒らぬ、たゞ『頼むぞ、頼むぞ』と繰返すのみである。
『阿波』は、酒に酔うと、耶蘇の神様に祀つてくれと云つて、十銭銀貨を持つて来たり、二十銭銀貨を持つて来て、そのまま帰つてしまふ。さうかと思ふとまたやつて来て、三十銭貸してくれとか、五十銭貸してくれとか云つて金を借りると帰つてしまふ。
 向ひの日山は少し質が悪い。酔つ払つて乱暴をしたがるのである。隣の吉田に到つては、もう問題にならぬ。子供を泣かす、床板を焚く、そして『耶蘇の奴畜生めが八釜敷うて寝られんわい』と礼拝の讃美歌に反対する。それも僅か壁一重であるから、彼の怒るのも尤もであると云ふものゝ、酔はなければ何にも云はないし、また丁寧なのである。吉田はまだ、自分を捨てゝ今『おいたべらう』の嬶になつて居る女に未練がある。で、どうかすると頻りに『おいたべらう』の家の前に行つて怒鳴つて居る。然し吉田に同情するものとては一人も無い。殊に家賃は払はないし、家を壊して焚くものだから、家主の水田のお婆さんが怒つて来る。さうすると、そのお婆さんを床板で擲りつけると云ふ勢、そこを通り合せた水田の乾分等が、それを見て息の根のとまる程、吉田を擲きのばすと云ふ大騒動、それを見て栄一は、富田に頼んで、生命だけ助けてやつてくれと挨拶して、漸くその場が納つたことが有つたが、それから吉田は四五日間は、飯もろくに食はずに寝て居たやうであつた。然し決してそれで懲りる男では無い。また酒を呑んで、新見の処へやつてくる。そして、『水田が何だい、乾分が七百人ある、八百人あるツて云つたつて、わしが暴れ込んで行つても、よう殺さんぢや無いか!』と威張つて居る。
 彼は礼拝の最中に、褌もせず真裸体で『己れも、今日から耶蘇になるんや、……先生、おまへ、どんな風をして来てもかまはんと云うたやろ、それでわしはこんな風をして来たのや……いゝだらう?』と聞く。
『何にか着ておいで』と云ふと、
『それぢや、着てくるわ』と云つて、素直に帰つたかと思ふと、蓆を着てやつて来て、ちやんと坐り込む、来合せて居るものが皆笑ふ。出口も、伊藤も、石野も、植木も、そこに坐つて居る女連まで笑ふ。然し、吉田は平気である。十分間位は黙つて、栄一の説教を聞き乍ら、居睡をして居る。栄一はどんな着物をきて来てもかまわないと云つた理論上、反対するわけにも行かないので捨てて置くと、軈て居睡が少し止つて酔が醒めてくる、
『もう往んでくるわ』と帰つて行く。
 然し新見の最も困つたのは、西洋乞食の古賀と浜井とであつた。古賀は神戸熊内の素封家の息子であるが、中学の四年の時に不図したことから、賭博を覚えて、それが堕落の糸口となり、葺合新川の貧民窟の大親分水田の一族と出入するやうになつて、遂にドン底に転ろげこんだのであつた。酒癖が悪くて、酔払ふと乱暴をするのである。労働としては沖仲仕の一群に加はつて居るのだが、中学を退学させられた後に、乾癸義塾に通学して少し会話が出来る為めに、西洋人の乞食――主として外国の水夫が汽船に乗り遅れて乞食を覚えて神戸大阪を貰ひ廻り、貰つた金は凡て飲んで了ふのである――に親しくなり、乞食の生活が非常にローマンチツクだと云ふので、その真似がしたくなり、自らは朝鮮人だと偽つて、西洋人の家のみ貰つて廻るのである。
 新見が、明治四十二年のクリスマスに貧民窟に這入つた時に、貧民窟で最初に英語で会話を話しかけられたのは、この古賀であつた。彼はバイブルも少し読んだことがあるので、
“I know Bible, You see,”
(私はバイブルを知つて居りますよ)
と、喋つて居た。貧民窟へ這入つて四晩目であつたか五晩目であつたか、この古賀がぐでん/\に酔つて来て、栄一の着て寝る蒲団の上に嘔吐をする、小便をする。そして一晩寝込んでしまつたことがある。内山の云ふ所によると、古賀はお父さんの借家の雨戸を盗み出して来て、それを貧民窟で売払つて賭博をすると云ふ猛烈さである。古賀はよく『十銭かせ』とか『十五銭かせ』とか云うて来た。
 古賀は温和であるが、新見の最も閉口したのは、古賀の友人の浜井であつた。この男も西洋人対手の乞食兼破戸漢であつて、風采は実に堂々たるものであつた。顔と云へば面長の目のパツチリした眉の濃い、カイゼル髯をいかめしく生やした、身の丈と云へば五尺五六寸もあらうかと思はれる立派な三十近い青年で有つた。然し顔の皮膚は酒に焼けて赤茶色をして居る。そして着物と云へば寒中袷一枚でブル/\震へて居る。栄一に会ふなり、“Sir, Will you please give me a shirt?”(シヤツ一枚下さいませんか?)と云うた。
 栄一は英語をよく知つて居ても、日本人同志では、日本語で話したいと考へて居るので、一寸最初はまごついたが、わざと丁寧な日本語で、
『私は今着て居る一枚のシヤツの外、一枚もありませんから御勘弁下さい』と答へた。すると、
『Give me the shirt, which you wear!』(君の着て居るシヤツをくれ!)
と、やつて来た。それで栄一は黙つて、肌を脱ぎ自分の着て居るシヤツをとつて浜井に、
『どうぞ』と云つて差出した。さうすると、浜井は“Thank you!”と云つて、それを受取つて、さつさと着て居る。そして更に、英語で宿賃が無いから、宿賃を五十銭貸してくれと云ふ。栄一がその金は無いと云ふと、偽善者だとか、慈善を騙つて『富豪の金を詐欺して居るのは貴様だ』と、脅喝する。それでも栄一が黙つて居ると、栄一の胸を捕へて揺る、蹴る。栄一は、『人間と云ふものはこれ程までに堕落するものか』と思つて涙を流し乍らも黙して居ると、今度は、綺麗に分けて居る栄一の頭の毛を掴んで侮辱する。それでも栄一は黙つて居ると、内山がさア大変なことが起つたと裏の安さんを呼びに行く、安がドス(懐刀)を持つて飛んでくる。さうすると、浜井は黙つて帰つて行くのである。
 こんな時に限つて、浜井は強い酒を呑んで居るので、目が据つて唇が紫色に変つて居る、栄一は酒乱と云ふのは、浜井のやうな場合を云ふのだなと考へた。
 然し浜井が栄一を侮辱するのは一度や二度で無かつた。金が取れると知れば毎日、二度でも三度でも来る。そして金を取るのは栄一ばかりでは無いらしい。貧民窟の傍に立つて居るバプチスト伝道会社の幼稚園へも毎日保姆をユスリに行くのである。それでたうとう幼稚園では巡査に渡して、浜井は二週間の拘留になつたが、出てくると同じことである。新見も幼稚園もその他木賃宿と云ふ木賃宿は皆ユスられた。彼は路傍説教を妨害する。貧民窟の信者や関西学院の連中をまぜて八人の路傍説教隊が、小野柄橋を渡つた処で説教をして居ると、突然やつて来て、何にも云はず、八つの提灯を凡て擲き壊して、栄一に飛びかゝつて来た。栄一は頬ぺたを三つ四つ擲られた。栄一は黙つて立つて居る。そこを通りかゝつた林は、人だかりをわけて輪の中に這入つて来た。栄一が大きな男にやられて居るのを見るや否や、早速右足の下駄を手に取り上げて浜井を後ろから擲りつけた。栄一は『林君、そらいかん、そらいかん』と叫んだが林はきかない。ポカン/\やつて居る。そこへ巡査がやつて来た。巡査がやつて来てから浜井と林は組み打ちを始めた。然し誰れも浜井に同情するものが無いので、たうとう浜井は交番所へ連れて行かれた。
 栄一は群集の散つた後林に感謝し、交番所へ浜井を貰ひに行つた。巡査は新見をよく知つて居て、
『いや、よくわかつて居ります。然し此奴は木賃宿を一軒一軒ユスつて廻るものですから、こちらの方にも、その現行を押へようと待つて居た処ですから』と浜井を解放しない。浜井はたうとうその晩は警察署に留置せられることになつた。
 浜井が警察署に送られたと知つて、古賀は新見の所へ飛んで来た。が、古賀も、浜井には愛想をつかしたと見えて、
『あいつはもう、三十二度拘留に処せられて居るのですよ、去年は東京で暴れて来たのですと……或男爵家へゆすりに行つて、金が貰へないので怒り出して、大玄関に立てゝある金の衝立を蹴破つたりなどして、それは乱暴したのださうです。ほんとにあんな悪い奴はわしはまだ見たことが無い』と云うて居た。
 翌朝の新聞には、ちやんと新見栄一が擲られたことが小さく三面に出て居た。

四十三


 淫売婦は皆栄一と親しくなつた。親しくなつたと云ふ範囲を通り越して、栄一を慕ふものも出来た。お秀と云ふ二十三の小綺麗な淫売婦は栄一によく色々な身の上話をした。此女は栄一の筋より一つ浜側の中程に巣を構へて居て、水田の若親分の妻君の兄と云ふものゝ妾のやうになつて居て、毎晩淫売に出て居たが昼の中に会つて見ると、少しも淫売婦らしくない立派な処女のやうな風体で居る。栄一がその前を通りかゝると中から呼ぶ。そして頭から――
『新見さん、わたしを、あなたの嫁さんにしてくれてやおまへんか、私は一晩でも善い、あなたの様な人に抱いて寝てもらひたうおまんがな……あなたはほんとに、神様やな、出来ん世話やな、まだお若うても感心やな』と云ふ。
 路次に立つたまゝ、栄一は、
『そんなに冷やかすものぢやありませんよ』と云ふと、
『ほんとやがな』とそこに居合はせて居る、淫売婦三人に賛成を求める。皆口々に栄一を賞める。一人は、新見さんはほんとに美男子だと云ひ、も一人は、英一が擲られても平気で居るのは豪いと云つて賞める。
 それから、おはつの話が出て『大阪』が暴れ込んだ話が出る。
『ほんとやな、なにも「大阪」のやうに暴れ込まなくても、わけを云や先生だつて満更捨てゝ置けへんわな、五十や百のお金はすぐ出しなはるわな、然しあんなに暴れ込む奴には、お金をやつたらいきまへんで……』とお秀が同情して居る。
 それからお秀は自分が十三の時から淫売して居ることから、淫売をし出すと阿呆らしくて、外の仕事が手につかぬことから、『後悔せにやならぬことは知つて居ても、借金と頼母子講の懸け金とが無けりや、いつでも、淫売なんか止めるんですけれどもな、病気しまつしやろな、間に。さうすると、すぐ借金が出来ると淫売でもせな、その金が払へしまへんがな』と云ふ。
 いくら借金があるかと尋ねると、百五六十円あると云ふ。どうしてそんなに多くの借金が出来たかと尋ねると去年腸チブスをやつたと云ふ。話をそれ位にして、栄一は改心するやうに云うて帰つて来たが、四五日後の新聞を見ると、お秀が八木某と云ふ悪漢と共にはかりごとして十四歳になる小娘を一円で売買し、無理に淫売を強いたことが発見せられて、警察署へ引致せられたことが出て居た。あの美しい女が、まさかと思ふが、お秀は矢張り毒婦の部類に属するものだと断定した。然し栄一には、お秀の場合どうしても彼女が生れ付きの毒婦であるとは考へられなかつた。そして境遇の罪、貧民窟の犯させる罪を深く考へた。
 淫売婦の中で、岡山屋と云ふ木賃宿に泊り込んで、そこに来る客に淫売してるお春といふ低脳の淫売婦には、新見も弱つてしまつた。之は手紙狂で、栄一の後からついて来て、仮名釘流に書いた、恋文のやうなものを自分手に栄一に渡すのである。貧民窟の人々も、淫売婦仲間でも、お春を『色情狂いろきちがい! 色情狂』と呼んだが、そのお春は朝からやつて来て栄一の所を離れないのである。そして、『先生、うちを此処へ置いてくれるか! もう淫売やめて改心するさかい』と云ふのである。そんな処を見ると全く発狂して居るらしくも無い。栄一には少しも猥褻な態度を見せない。
 夕刻になると栄一の西隣の『大阪』の家へは淫売婦が張皮の男を入れ代り立ち代り連れ込んで、五分間も立つとすぐ出て来る。
 然し、それは『大阪』が栄一の所へ暴れ込んで長くは続かなかつた。或三月の土曜の夕方、栄一が会社から帰つてくると、内山が、
『先生、豪いもんだな』と感心して居る。
『内山さん、何に?』と聞くと、
『今日ね、先生、西隣の、「大阪」とこの娘のお清ちやんがね、もう先生に会へ無いからと云ひましてね、内へ何度花枝さんと一緒に先生は何処へ行つたか? 何時に帰つてくるかと尋ねに来たか知れませよ……なんでも、「大阪」は今度大阪の北へ帰るのですとさ、神戸に居つても面白くないからと云ふので、あれから、隣に居つても面白く無いものと見えますなア……然し可哀想なのはお清ちやんですよ、新見先生とイエスさまとは、一生忘れぬと云つて、戸口で半日泣いて居りましたぜ!』
 栄一はそれを聞いてほろりとした。そして心の中では、『福音の勝利だ、福音の勝利だ。イエスと愛は子供の心にはよくわかるのだ。何と美しいことだらう――私とイエスは一生忘れぬと云つて半日泣いた。私もそんなに、半日泣くだけの魂の憧れが欲しい』と自分に云つてみた。
 それで、栄一は清ちやんが、もしやまだ居りはしないかと西隣を窺いて見たが、畳までめくつて何にも無い空洞であつた。
 それで東隣の十一の花枝さんに聞くと、花枝さんは美しい顔をして、
『清ちやんは半日、先生とこの戸口で泣いて居つたワ……お父さんに連れられて長柄へ往ぬとすぐ外へ売られるのがつらい、向うへ行くと、もう日曜学校が無いから、淋しいから、往ぬのがいやぢやと云うて泣きよつたワ』と答へてゐた。
『いつ頃、此処を立ちましたか?』と聞くと『もう少し先に』とのみ答へた。
 栄一は清ちやんの魂とその行末を考へ乍ら、狭い路次をあつちこつちと歩いた。
 貧民窟へ来てから、凡てのことが彼の予想外のこと許りである。そして、あまり問題が大きい為めに、貧民窟を改良すると云ふよりか、貧民窟に吸ひ込まれさうに考へられるのであつた。

 柴田の病気は段々重くなつて、肉と血が下るので、臭気が二三十間も離れて匂うてくる。その襁褓おしめを栄一と内山は毎日交代で朝早く吾妻通四丁目と三丁目の大溝まで洗ひに行つた。そのお襁褓を洗ふ度に栄一は色々と宗教的訓練のことに就いて考へた。
 医師の田沢先生がもう柴田は駄目だと見放したのは、二月の中旬であつたが、柴田はなか/\死ななかつた。そして日一日と柴田の信仰が増して行つた。それは殆ど驚く可き程であつた。栄一としては別に柴田に伝道がましいことは云ふわけでは無かつた。栄一は信仰を強ひることは大きな罪だと考へて居るので、尽せるだけ尽せば、自然信仰は発生するであらうと思うたので、何にも云はずにたゞ黙つて、母の様な愛を持つて柴田を愛した。柴田も少し病が重いと知つて来たので、卵をくれとか、牛乳をくれとか無理を云ふ。栄一はその凡てを聞いてやつた。之を見て内山も栄一に心から底から感心したやうである。それで内山が心から柴田に同情を示して世話して居ることが眼に見えた。内山は信仰がメキ/\と深くなつて来た。栄一は内山を聖人のやうに考へるやうになつた。つい二三ヶ月前までは大なまけものの手本とも考へられた男が、自分の手に合ふと考へる人の世話には、一生懸命になつて居るのを見て、栄一は感服してしまつた。
 栄一は内山が柴田の為めに繰返し、繰返し声をあげてお祈をして居ることを聞いた。彼の癖は家の南西の隅へ行つて、目を閉ぢて祈ることであつた。彼は祈つた後に、柴田の所へ行つて、極く単純に新見から聞いたイエスの福音を物語つた。そして柴田はそのまゝ信じるのであつた。
 内山の信仰は単純なものであつた。彼は栄一にこんなことを云うた。
『柴田もほんとうに可哀想やが、かうやつて天のお父様のお恵みで、天国へ行けるのは仕合せなことや、此処へ来たばかりに、イエス様のお救ひを受けたのや』
 栄一は内山の信仰に満足した。然し栄一と内山の祈を神はお聴きにならなくて、柴田は遂に三月二十一日に永き眠りに就いた。然しそれは勝利の死であつた。それは栄一の胸をどれだけ深くえぐつたことであらう。
 その日の朝、栄一は、保険会社に出て居た。すると、十時過ぎに内山の使として植木が保険会社へやつてきた。そして、
『柴田が、お父さんのところへ帰るので、早く帰つて来て下さい』
とだけ云つて帰つてしまつた。
 栄一には、その意味が充分わからなかつた。お父さんの処へ帰る? 東出町の義理の父の処へ帰ると云ふのか知ら……あまり我等の手では充分世話が出来ないと云ふので……それであれば実に残念なことである。然しもしあの身体で歩いて帰るとすれば、途中で倒れるにきまつて居る。可哀想に、僕等の親切がわからずに、彼は遂に死を犯しても義理の父の処へ帰らうと云ふのだな……あしこへ帰つてもあの権蔵部屋では、とても誰れも顧みてくれるものはあるまい。
 こんなに考へ乍ら栄一は、貧民窟へ帰つて見ると、内山が路次に立つて居る。
『先生、柴田はたうとうお父さんの処へ帰りました』
 栄一には、まだその意味がわからなかつた。
『エ、お父さんの処へ帰つた、東出町の……』
『いゝえ、天のお父様の処へです……柴田はほんとに安心して帰つて行きました。くれぐれも先生によろしくと申しまして最後に「内山さん、私は之から天のお父さんの処へ帰らして貰ひます」と云うて眠るやうに帰つて行きました』
 それを聞いて栄一ははら/\と涙を流した。栄一は深く考へた。
『何故自分に内山と柴田だけの信仰が無いのだらうか。自分が天国へ行くとは考へて居たが、今の今まで天の父の所へ帰るとは考へなかつたのだ。理窟も何にも無い。内山と柴田には、死は父の家へ帰ることであるのだ。まア何と云ふ深い信仰と徹底であらう、あゝさうであつた、柴田が、私に先立つて天の父の懐に帰つて行つたのだ。放蕩息子が父の懐に帰つたやうに、勝利の足踏みを以つて彼は帰つて行つた』
『アーメン、アーメン』と彼は繰返した。
 葬式は午後の五時と定めた。そしてそれまでに、市役所の届をすませて東出町の柴田へ報告せねばならぬ。それで市役所へは自分が行くことにして、東出町へは植木に行つて貰ふことにした。植木はこんな時には存外役に立つ。
 彼は貧民窟の自分の家から出す初めてのお葬式でもあり、貧民窟で、イエスの名によつて死んだ最初の人の葬式でもあるから、純基督教式の寝棺にしようかとも思つたが、さうすると五十円ですむまいと、葬礼屋の人足頭である『喧嘩安』が云ふので、寝棺をよして普通の棺で葬式を出すことにした。
 午後五時の出棺であつたが、三時頃から柴田は二番の消防組全部を引卒してやつて来たので、四時に出すことにした。
 栄一は内山と二人で鄭重に湯灌をすませて、柴田の屍を棺に納めた。裏の安は人夫から、その他凡ての葬式のことを引受けた。栄一は出棺に臨んで、極く簡単な説教をした。柴田の義理の父を初め消防手十五、六人は裏口と便所との間に少し空地のある所に蹲まつた。そして栄一の説教を畏こまつて聞いた。説教者は初めから終まで泣いて居た。それは彼自らが柴田の地位に置かれた時に果して、彼の如く信仰を持つて死に得るか否かを疑つたからである。唯物的な見方をする彼の癖は、或は神を呪ひ人を呪うて死んだであらうと思ふと、自分の下等な性質と、素直な柴田の性質を比較して見て恥かしくなつたのである。
 今日まで、彼は永生の問題に就ては全く無関心であつた。それは、ゼームスのプラグマチズムの講演を読んでから、一層永生の問題に就いて冷淡になつたのであつた。彼は刹那の実在感を重じた。刻々の[#「刻々の」は底本では「刻刻の」]宗教味と云ふことが、彼には何より大切なことであつた。それで彼にはいつ死と云ふ颱風が襲ひ来るとも大丈夫であると考へて居た。彼は去年の九月に生死の間に彷徨した経験を持つて居た。あの時すら、彼は少しも死を恐れなかつた。彼は死に対して平然たるものであつた。
 然しそれは、たゞ死を恐れないと云ふに止つた。死を勝利で迎へると云ふことは出来なかつた。況んや柴田の如く、死の光栄を担ふと云ふ境域に到達することは出来なかつた。柴田の場合、死は優れた芸術で、高く空中に舞ひ上つて、死の領域を易々と乗り越えて居る。栄一はその厳粛な、死の芸術を見せられて、全く感服してしまつたのである。之は彼に取つては幾億万遍の念仏よりも、幾千万冊の読書よりも、強く信仰と云ふことを心に刻みつけた。
 彼はその簡単な説教にそのことをありの儘述べて居るのである。消防組の連中にはそれが何のことやら薩張りわからなかつたらしい。彼等は身動きもせずに聴いて居るが、少しも感動の色を面に顕さない。然し内山も植木も泣いて居つた。藤田の三公は口を開けてただボンヤリ見て居た。

四十四


 柴田が死んで後に、栄一は何だか胸の底に空虚があるやうに考へた。それは自分が、未だ人を充分愛し得ないと云ふことゝ柴田のあんなに早く死んだのは、自分の看護に手落ちが有つた為めでは無からうかと考へるやうになつたことであつた。
 栄一はまた著しく陰気になつた。それに貧民窟のことがわかつてくれば、わかつてくる程、その暗黒なこと――貧乏と、殺人と、犯罪と、賭博と、淫売と、親不孝と、そして、捨鉢なところに、よく眼が付いて来て、イエスが十字架で死んだのは尤もであると考へるやうになつた。それは一度この世の醜を真面目に見詰めたものは、どうしても死なねばならぬと考へたからである。そして、自分がまだ生に執着して居るのは、要するに世界の悪と徹底的に戦つて見る覚悟が欠乏して居るからだと自らを責めた。
 栄一の淋しい魂を何人も慰めることは出来なかつた。彼は恋も、野心も、名誉も、知識欲すらも打捨てゝ、今全く神に奉仕せんとして居るのである。彼は性慾の昂進することを感じないでもない。然しそれは瞬間的のものであつた。鶴子と接近したり、小秀を思うて居た時には、自慰することが一つの習慣のやうになつて居たが、洗礼を受けて猛烈に路傍説教を始めてからは、殆どそれも忘れたやうになり、それが、貧民窟に這入つてから、救主のやうな自覚に這入つてからは全然習慣として無くなつて了つた。彼は淫売婦の淫猥な、開け放しな会話を聞いても、決して性慾を感じなかつた。彼は今になつては、トーマス・ムーアなどが性慾を制する為めに、馬の毛で編んだシヤツを着て寝たと云ふことが寧ろ不思議に考へられた。
 彼は聖人になるのだと自分手にきめた。そしてもしもイエスの様に奇蹟が行へるならば、貧民窟の病人の凡てに手を置いて彼等を癒してやらねばならぬと考へた。それで、彼一人位ゐが聖い生活に入ることは必要なことであると自認した。
 彼は淋しかつた。彼は日曜日、日曜日に山へ駈け込んだ。そして、或時は布引の山奥の小川の流に沿うた櫟林で馬太伝一章から二十八章まで三時間と四十分で全部を読み通し、祈りつゝ、イエスの踏んだ道を考へることもあつた。また或時は正午に摩耶山の向山の頂上から『神戸を我に与へ給へ、貧民窟を我に与へ給へ』と祈ることもあつた。
 自然と睡眠と赤ン坊は彼を最もよく慰めた。
 然しまたこの淋しい間を通じて、何より彼を幸福にしたのは、お清ちやんのやうな、優れた日曜学校の生徒が二三出来たことゝ、出口が中心になつて、日曜の晩の礼拝が益々盛んに行はれることであつた。近頃は喧嘩安までが礼拝に出てくる。大抵十四五人のものが集る。路傍説教からついてくるものも二三人はいつもある。それに日曜学校の生徒は七八十は欠けたことが無いので、家が狭くなつた。それに日曜学校へ来る子供が暴れるので、随分近所に迷惑であらうと新見は心配した。その中にも栄一は吉田に一番気兼ねをした。彼は耶蘇教が大嫌ひな上に酒を呑むなと栄一が云ふので、栄一が癪に触るのである。それで集会の度毎に必ず妨害した。それで大親分の水田の婆さんも栄一に同情して『吉田の様な、あんな悪漢な奴を改心さす工夫は無いものかな。あいつ、もううちの借家から追出してやりたいのや、あんたん(あなたの)ところもほんとに妨害されて困りなはるやろな』と云つてくれる程であつた。それで、栄一は家も狭いし、吉田も八釜敷云ふから向ふの空家へ吉田を移して、隣を自分に貸してくれるなら、非常に都合が善いと頼んでみた。水田のお婆さんはすぐそれに賛成してくれて、吉田に向側へ移るやうに命じた。吉田はいやだと云ふかと思ふと『今迄の家賃の滞つて居るのをこらへてくれるなら、向側へ這入る』と答へた。それで栄一は、吉田の為めに一ヶ月半の家賃を水田に支払つて隣の家をも合併することにした。家の合併の済んだのは四月の初旬であつた。栄一は二軒の家の間の壁を取り除いて、庭の所に床を張りつめて十七畳敷の大広間を拵へた。そして貧民窟の講義所は之で充分だと考へた。家が広くなつて、栄一も悦んだが、日曜学校の生徒が最もよろこんだ。そして日曜学校の生徒の悦ぶのを見て、栄一はまた悦んだ。

四十五


 四月の五日に阿波の田舎から手紙が来て継母が病気だから、帰つて来てくれと云うて来た。それで栄一は会社に欠勤届を出して、三日程板野郡の方へ帰つて行つた。継母はリウマチで足腰さへ自由でない迄に悩んでゐた。然し継母のリウマチに同情すると云ふことよりも、あの大きな東納屋、西納屋、前納屋、厩、二つの庫、大きな二階建の母屋が全部無くなつて、たゞ六畳二間の裏座敷へ継母が一人で這入つて居るのを見ては、何よりも同情に堪えられなかつた。継母の血縁は寧ろ西の新宅と云ふ田宮の分家にあるので、そこの戸主はお久の妹の子で、真の甥に当る。で、お久は西の新宅が世話すべき筈で何等血縁関係の無い栄一に面倒をかける筈では無いのだが、継母お久の妹が栄一の父の死と前後して死去したので、西の新宅ではお久を邪魔者扱ひにするのみならず、お久が少し許りの貯金を持つて居るに就いて――或人は二千円だと云ひ、或人は三千円だと云ふ――そこに眼をつけてお久の妹の婿の亮助がお久を妹の代りに貰ひたいと云ふのであつた。
 処が現戸主とお久の妹の婿と云ふのは義理の仲で、お久は嫁入して長男と次男を産んで、夫に死に別れたので、名東から、現戸主の義理の父に当る亮助を婿に貰うたのである。処が亮助とお久の妹の間には四人の子が出来たので、一家は一層不和になつて居た。そしてお久の妹が死ぬと、亮助は中の新宅の一人寡婦に手を出してすぐ子を孕ませて居乍ら、またお久に夫婦になれと云ひ寄つたのである。栄一は東馬詰へ帰つてこの話を聞いて、田舎も貧民窟と同様に腐敗して居ることを見て全く驚いてしまつたが、お久は――
『こゝに、かうやつて一人で居れば亮さんにやられるから、どんな所でも善い、あなたの所へ連れて行つて下され』と哀願した。それで栄一もお久に同情して、もし貧民窟でも善ければ五月の末か六月の初めになれば、お引取り申しますと云ひ置いて、神戸へ帰つて来た。
 ところが、三日留守をして四月八日の朝早く貧民窟へ帰つて見ると、さア大変、富田が、熊の嬶のおとくを連れて来て六畳の方で一緒に寝て居る。そこへ、熊が刀を引き抜いて、暴れ込んでくる。それを見ておとくが真裸体に色の褪めた赤ネルの腰巻一つで、今、裏口から逃げ出すと云ふ所であつた。
 熊公は『内山! おとくはどつちへ逃げた』と、抜いた刀を手に持つたまゝ内山に尋ねて居る。
 熊公は、富田にはよう反抗し無いのである。それは富田がピストルを持つて居るからである。
 栄一が思つたより以上に早く帰つて来たので、みな吃驚して居る。最も閉口したのは富田であつた。
『先生すみまへん』と床の中から起き上つて頭を掻いて居る。栄一は泊り込んで居るのは、富田とおとくと二人かと思うて居ると『おしづ』と云ふ女が寝て居る。沢田と云ふ出獄人が寝て居る。栄一は全く吃驚した。おしづをなぜ入れたかと尋ねると、
『何にも人助けですからな』と軽く内山が答へて居る。
 然し黙つて居られないのは、三公である。『内山はおしづを抱いて寝ましてん』と云ふ。
 おしづは十七の小娘である。生れ付き色白ではあるが、貧血で青褪め幽霊のやうに髪を乱して、自堕落な女である。地廻り淫売の周旋屋として評判の悪い、八木仙蔵の宅に四日前まで半身不随で寝て居た。彼女は一二ヶ月前までは年齢が三十も違ふ土方と木賃宿で一緒に世帯を持つて居たが、病気になると共に男に捨てられて、八木の宅へ身をまかせたのである。
 内山の云ふ所によると、彼に会つた晩『おしづは八木の宅からも追ひ出されて、橋の下ででも寝ようかと云うて居たので拾つてやりました。然し別に悪い考へは持つて居りませんで』と云ふ。
 沢田と云ふのは、前科二犯の詐欺取財犯人である。なんでもおとくの亭主である熊公の友人だと云ふ。
 栄一は暫くの留守の間に、こんなに、イエス団の空気を乱されたことを悔いた。然し之も自分の不明の致す所としてあきらめた。そして早速沢田に出て貰つて、おしづは兎に角内山と別に寝て貰ふことにした。
 それで一家族は新しく女を加へてまた六人になつた。
 富田は自暴腹になつて、その昼うんと酔うて来て、栄一に喧嘩を売らうと力めた。それで彼はそれを避けて、築港へ祈りに出た。その後で富田はピストルの試験だと云つて、栄一の室の壁にピストルを乱射した。栄一が帰つて見ると銃弾が沢山壁に埋つて居た。

四十六


 四月の第三の木曜の午後で有つた。新見は神戸教会が貧民窟の為めに古蒲団や古下駄や、炭俵など色々のものを集めてあるから取りに来てくれとの伝言があつたので、自ら荷車を曳いて貰ひに行つた。荷は車に山程あつた。それを曳き乍ら彼は坂を下つて北長狭通四丁目に出て来た。そして鉄道に沿うた街上で、ひよつくり田宮鶴子に出会した。
 その日、鶴子は手に洋傘を持ち日和下駄を穿いて、極く質素な目のつんだ縞の瓦斯織の衣物を着て居た。そして自分は一枚しか無い筒袖を尻まくりして、炭俵を山程積んだ荷車を辛うじて曳いて居た。もしこちらから鶴子に声をかけなければ、多分彼女は新見を知らずに行き過ぎたであらう。
 新見は車を鉄道側の柵の方へ、引きよせておいて数分間立話をした。
『まア、新見さん、何をして居らつしやるの?』と鶴子が聞くから、
『貧民窟へ屑物を貰つて行く処です』と答へた。
 その日は曇りで、鉄道側の灰色の空気は特別に重苦しかつた。そして鶴子も何だか元気がなささうに見えた。その日鶴子は広島から阿波へ帰る処であつた。
『ほんとに、出来ない真似ね』と鶴子は軽く答へて居る。少しも油が乗らない。
 そこで、栄一はすぐ突き込んだ。
『鶴子さん、あの問題どうして下さるの?』
『あの問題ですか? 叔父が妙なことを云ひますからね、私今の処駄目です、私はもう一生結婚しない積で居るのです。今度思ふことがあつて山の中へ這入る積りなのです……』
『山の中へ? 何処の?』
『小学校の先生にでもなつて、何処かの山の中へ這入らうと思つて居るのです』
『恰度、二年目でしたね……』
『さうね、あなた、お年を取りましたね』
『さうですか、こんな風をして居るから猶ですわね……』
『私、あなたのことをウイリアムス博士の奥様から、先程、すつかり伺ひました、ほんとに出来ないことですね、私にはとても出来ませんわ……』
『それぢや、鶴子さん、私もう一度伺ひますが、あの問題は、もうあれで打切りなんですね?』
『あなたが、さう仰しやると、私何だか苦しいわ。私は、あなたの様な聖い方の真似は出来ないと思ひますわ……』
 鶴子は、早や眼に涙を浮べて、唇を妙に噛みしめて居る。
『それでは、鶴子さん、私はもう之で失礼します』と新見は荷車の棍棒を握ると、
 鶴子は慌たゞしく、
『一寸待つて下さい、新見さん……』と云つて自分も片手で棍棒を握つた。そして、ハンカチを出して涙を拭いて居る。
『許して下さいね、あなた、どうぞ、許して下さいね』
 東海道の上り列車が大きな響をたてゝ通過する。
『…………………』
『私は、あなたの……私は云ひたいことが沢山あるんですけれども、云へません……それでは左様なら……』
 栄一も貰ひ泣きを始めた。涙がポツリポツリ街上の埃の中に落ちる。
 然し、こんなに若い二人のものが、泣いて居ては人目も悪いと思つたから、栄一は勇気を出して、
『さよなら、鶴子さん。あなたも神様に守られて、達者でいらつしやい』と荷車を前に二足三足挽いた。
 さうすると鶴子は人目もかまはず、ハンカチで顔を蔽うて泣き咽んでしまつた。
 新見は猶も五歩六歩挽き続けて居ると、鶴子は後から早足で追ひかけて来て、
『新見さん、どうか許して下さいね、どうぞね』と一緒に歩いて来た。
 それで栄一は、
『許してくれも何にもありませんよ、凡ては、神様の御心のうちにあるのですから、あなたは、あなたの方向へ進んで行つて下さい。私は、貧民窟で一生送つて、そこで死ぬ積りで居るのですから……神様はあなたをも、私をも守つて下さいますよ』
 二人は黙つて生田前まで一緒に歩いたが、そこを少し通り越すと、鶴子は、
『私は、何にも今云ふ勇気がありません、私は穢れたつまらぬものですから……それでは、新見さん、さよなら……』と切れ切れに。
 それで栄一は元気よく、
『さよなら、鶴子さん、永久に……』
『それでは……』と鶴子は涙を含めた瞼をあげて、栄一の眼を見た。
 眼と眼とが会つた時に、栄一は神秘の極度に包まれて居る様な気がした。鶴子の秀でて叡智に充ちた美しい頬に何処となく憂ひが漂うて居た。
 二人は三四秒も互に凝視して居たが、鶴子はまた視線を街上の土の上に投げた。そして、黙つたまま足を返して西の方へ歩いて行つた。栄一は後を振り向きもしないで、車を進めた。涙は頬を伝うて流れた。

四十七


 突然、笑子ゑみこが台湾から帰つて来た。
 それは、日本晴に美しく晴れ渡つた、四月の十八日の朝であつた。鍛冶屋町の村井から会社の方へ電話がかゝつて、鍛冶屋町へ会ひに来ないかと云ふのであつた。
 それで、栄一は支配人小林の許可を得て、鍛冶屋町へ会ひに行つた。足懸け三年も会はなかつたので、話が多過ぎて却つて言葉が無かつた。
『お父さんも居らつしやらない……』と笑は云うて黙つて泣いて居る。さうして二三分も経つと、又、
『益則と義敬は安井の叔父さんの処へ世話になつて居るさうですない……』と云つて泣く。そして、それに対して栄一は多くを云ふ勇気は無かつた。また三四分間も黙つて泣いた後に、
『東馬詰の、あの大きな家も、毀されてしまつたさうですな……』と云ふ。
 笑子はたゞ黙つて泣き続けて居る。それで栄一も黙つて泣いた。
 笑子は丸髷に結うて居る。若いお嫁さんである。顔色を見るも可哀想な程焦げて居る。台湾に長く居る人はみなさうであるが、内地の人々にみるやうな血の色は無くなつてしまつて、顔は土色に変るのである。笑は顔の形の悪い女では無い、美人と云ふ方では無いが、さりとて、醜い方では無い。ただ少し黒ずんで居た方であつた。然し十六七の時、即ち三四年前は、頬に紅をさした様に血の気が有つて、時には小黒いなりに美しいとも見えたが、台湾は笑子の健康には合はないらしい、全く焦げて居る。
 それで妹思ひの栄一は、特別に笑が可哀想だと考へられて、涙を抑へることが出来なかつた。
 やがて、栄一は笑を連れて、葺合の貧民窟に帰つて来た。
 道々、栄一は笑の嫁入して行つた先の事情を一々聞いてみた。また妊娠して居たと云ふが、どうしたと聞いてみた。さうすると笑は、主人が自分より、十三も年上であること、そして佝僂せむしであること、そして子供は流産したと極く簡単に話した。
 何故帰つて来たと尋ねると、『徳島のお母さんが、リウマチで身体が不自由で困つて居るから、帰つて来てくれと云ふ手紙が来たから看護に帰つた』と云ふ。
『それでは、何日頃台湾に帰る積りか』と尋ねると、
『もう帰らない』と云ふ。
『何故帰らないか』と尋ねると、その理由を云はない。たゞ亭主のお母さんと云ふのが六ヶ敷い人だとのみ答へる。
 それで、栄一はそれ以上、笑の急に帰つて来た理由を尋ねる勇気も無かつた。沈黙勝ちで二人は、貧民窟まで歩いて帰つたが、久し振りに帰つて来たのであるから、御馳走でもしてやりたいと思つたが、貧民窟ではどうとも出来ない。上つて坐れと云つても座蒲団もなし、兎に角広い室の方では、あまり家らしくないからと、台所にして居る六畳敷の方へ這入つてもらつた。それも奥の三畳には、おしづが寝て居る。恰度十二時であるからと云ふので二人は極く簡単に食事を一緒にしたが、笑子は何となしに喜んで居る。矢張り自分の家に帰つた様な気がすると云うて居る。さう云ふ言葉を聞いて、栄一も猶涙を流した。
 食事の済んだ後で、笑は内山が洗ふと云ふものを取り上げて、他所行の衣服の上に襷をかけて、せつせと雑仕をして居た。栄一もそれを見て、矢張り兄妹と云ふものは善いものだと、心のうちで喜んだ。

四十八


 栄一は無理をして毎金曜日の朝四時頃から、神戸で最も浮浪労働者の集まる弁天浜へ伝道に出かけた。それは一人でも栄一の熱心に感じてイエスの方へ向けるものがあるかと思ふ伝道心からであつた。
 彼はまだ日の出ない初夏の朝を、とぼ/\と十字架のついた提灯を持つて貧民窟から十五六町もある弁天浜へ出かけて行くのであつた。
 朝毎に彼にはインスピレーシヨンが新たであつた。彼は恵の中に生長することを覚えた。南の空には天狼星が、彼の為めに光つて居るやうに見え、また桝星さんが彼の為めに、朝の空に据ゑられてあるのかと考へる程、朝の空に感謝した。
 彼は自らが迷へる魂を尋ねるものとして置かれた悲痛な自覚を感ぜざるを得なかつた。彼には世界の外の人が感じるやうに、自己が充実して居るか否かを尋ねる暇は無かつた。世界の今歩んで居る道は明かに誤つて居るのである。彼はそれを感じる。貧民窟を出る時にそれを感じる。貧民窟へ帰る時にそれを感じる。強く胸を抉ぐられたやうに――或時は泣き出したくなるやうに貧民窟の実在することに就いて悲しく思ふ。そして彼が朝早くから弁天浜の沖仲仕に伝道に行かねばならぬと云ふ自覚を与へたものは矢張り同じ感じからであつた。社会主義を叫んでも世の中の人はたゞおびえて耳に入れようとはしないし、それかと云つて彼等を捨てゝ置くわけにも行かない。それで彼は最善の努力をして、死ぬか生きるか発狂するかの程度まで、イエスの福音を伝道せんとして居るのである。弁天浜へ行くと夜はもう余程明かるい。ニツケル会社の小頭のやうな男がやつて来て、
『まだ誰れも来て居らんな……(栄一を一寸見て)や、新見さん、えらい、御熱心だんな』と云うてまた向うへ行つてしまふ。
 栄一は茫然防波堤に立つて見て居ると、防波堤の内側には二百三百と糞尿汲取の荷車が多くの男女に曳かれて集つて来て、それを一々大きな和船に積み込んで居る。海はその為めに屎尿色に濁つて居る。悪い臭ひがプンとしてくる。栄一はこれ等の労働者を気の毒に思ふ。肥汲人夫は非常におとなしく一言も声を出さないで蟻のやうに大勢のものが細い『あぶみ』をあつちらこつちらと行き来して居る。それが実に崇高に感ぜられる。
 それに比較して、仲仕の方は集まつてくるとすぐそこで賭博が始まる。幾十円かの銀貨が胴取の前に置かれる。六十人七十人のものがその胴を中心にして「丁半」をやつて居る。
 その間に栄一はトラクトを凡ての人に分け大きな声で讃美歌を唱つて、説教を始めるのである。新川の貧民窟から出て来た人も幾人かあるから、或人々の間にはよく栄一のことが知れて居るので、話を有難がつて聞くものも無いではないが、多くのものは無頓着であつた。栄一は自分に自分の努力を笑ひたかつた。なぜ、こんなにまでして、イエスの福音を伝へなければならないであらうかと、また自分ながら自分を不憫に思うた。
 芥船ごみぶねが出て行く。沖へ行く艀が人夫で一杯になつて出て行く。川崎の方では造船所の槌がかまびすしい。小さいランチが港の中を勢よく走り廻る。大きな外国船が這入つてくる。美しい白い波をたてて、四五百噸級の汽船が港を出て行く。朝日がハツキリと港の凡ての上を照す。陰と陽が判然と区別がついて、幾千となく弁天浜の側に群がつて居る和船の舷側ふなべりの木目が黄金色に色彩られる。その日の射して来た光景と、栄一が今見て居る仲仕の賭博を打つて居る有様と自分の説いて居る千九百年前の物語の間に何の連絡も無いやうに見えて悲しい。
 日が昇るに従つて、海の上が黒ずんで見える。何とはなしに悲しくなつてくる。それに近頃は不景気である為めに沖行の人夫が要るより以上に若い者が多く集るので、仕事にあぶれたものが、何にもせずに、ぼんやり防波堤の上に佇んで居るのもあれば、『仕方が無いわい、賭博でもしようかい!』と自棄を起すものもあり、さうかと思ふと、『桟橋の方へ廻れ、むかうの方では買うてくれるかも知れん』と云うて立ち去るものもある。栄一には此失業者の声が如何にも悲しく聞えた。大抵は本船まで仲仕について行つて伝道するのであるけれども、そんな日に限つて、彼はすぐ貧民窟へ引帰してくる。そして世話をして居る病人と一緒に、教ヶ島の炊いてくれた朝のお粥を啜つて、また疲れた身体を休める暇もなく、保険会社へ足を運ぶのであつた。
 凡ての伝道は無効では無かつた。沖から栄一を頼つてくるものも二三あつた。その中でも添田と云ふ十九の青年は有望であると思うた。それで、栄一は一層伝道心を増して、月曜日の晩には必ず中山手八丁目のニツケル商会の沖人夫合宿舎に伝道に行つた。
 夏の夕に喧嘩は頗る多くあつた。裏の筋では毎晩のやうに悲鳴が聞えた。父親が妻の連れ子と関係をつけたと云うて、大喧嘩を始める。酒を飲んで喧嘩する。賭博の為めに兄弟喧嘩する。その喧嘩に仲裁に這入つてまた喧嘩を大きくする。昼の中は皆のものが仕事に出て居るので静かであるが、夕刻になると帰つてくるのでいつも一大紛擾が起るのである。それで暑くて寝られない夏の夕よりか、喧嘩する為めに八釜敷くて眠れないことの方が遥かに多くあつた。
 夏は貧民窟ではとても寝られなかつた。太陽が日中屋根を照らしたほとぼりが、夜になつて低い天井を通じて放射されるのでとても堪らない上に燈火が消えると、南京虫が、ぞろぞろ這ひ出てくるのである。で、またランプに火をつけて南京虫を取ると、毎晩四十匹五十匹と取るのであつた。それで栄一は戸の上に寝たが、南京虫はまた戸についてしまつた。机の上に寝た。また机について居る。それで彼は発狂する程悲しかつた。然し南京虫に弱つて居るのは、栄一だけでは無かつた。家内のものの凡てがさうであつた。最も苦しんだのが笑子であつた。笑子は南京虫に噛れた後を掻いた為めに腫物が出来た。内山も南京虫に噛まれた所と疥癬の腫物とが一緒になつて、目も当てられぬやうな皮膚をして居る。三公は最も南京虫に悩まされた一人であつた。夜中に泣いて居ることが屡々である――『南京虫が噛み付いて寝られない!』と云うて――。不良少年の松蔵と伊豆は平気であつた。おしづは黙つて居た。一つはおしづは身体が不自由であるからあまり小言を云ふと世話をしてくれないと云ふことを心配して居たのである。
 栄一は幾日も寝られなかつた。眠むられない程悲しいことは無かつた。それで栄一は神経衰弱のやうに身体の衰へて行くことを感じた。
 そこへダンテの研究者として友人間に知られて居る時田文雄と云ふ白金時代の同窓で東京下谷明星教会の牧師をして居た友人が尋ねて来てくれた。今度大阪で結婚するので下つて来たと云うて居た。栄一も淋しい時でもあるしするから、白金を去つて後の話を色々と物語つた。兎に角、結婚式までに三日もあるからその間共に語らうと云ふことになつたが、さて夜寝ることになると時田は煩悶して居るのである。あちらの戸板を、こちらに運んだり、こちらの戸板には南京虫が多いからと云うて、あちらのものと換へたり、夜中に真暗の中を戸板をがた/\させ乍ら『寝られない、寝られない』と煩悶して居る。
 然し時田は三日間兎に角辛抱した。そして三日目の晩に彼は真面目臭つた顔をして、貧民窟からフロツクコートを着て、結婚式の式場である、大阪中の島二丁目北教会へ出て行つた。栄一は一寸用事が有つたので、少し遅れて貧民窟を出たが、式場で、南京虫に噛れて煩悶して居た昨夜の時田が真面目になつて居るのを見て、一人で噴き出しさうに可笑くなつた。
 勿論こんな中へ義母お久を迎へ入れる勇気は無かつた。それで五月の末か、六月の末に貧民窟へお久を迎へる積りだと云うてやつたがその望みは絶えた。それで、秋の小口に神戸に来て下さいと書いて送つた。
 八月に這入つて、おしづは全快して一人で歩けるやうになつた。それで木賃宿へ行くことになつた。そして自分よりも三十も年上の仲仕と一緒になつた。
 八月は栄一に取つては随分急しかつた。彼は貧民窟の子供を須磨か明石に連れて行きたいと思つて有志から寄附を募つた。そして恰度八月十六日に八十人ばかりの子供を連れて明石まで遊びに行つた。その日は栄一に取つては悦びの日であつた。松蔵は得意になつて、多くの子供を世話して居た。甚公も、虎市も、花枝も、数さんも皆うれしさうに明石の海岸で転び廻つた。たゞ一つ困つたのは女の児が裸体のまゝ平気で水浴することであつた。それを恥しいとも何とも考へないのであるから、栄一も弱つてゐたのであつた。
 八月の伝染病もいやであつた。コレラが同じ町内にある木賃宿の坂本屋にあつて、昨日は三十六人和田の岬に隔離せられたとか、今日はチブスで、裏の筋の散髪店のおかみさんが東山伝染病院に送られるのだとか、そんな話を毎日聞いた。然し新見はそれを少しも恐れなかつた。岩沼松蔵の盲目の母がコレラで避病院に送られたのを見舞に行つた。二畳敷を廻つてコレラの注意をした。栄一は死線を越えたものには、伝染病はよう伝染しないと云ふ自信を持つて居る。それで毎日午後四時過ぎからと、日曜日には勉めてそんな病家を訪問した。
 盆が過ぎてすぐ内山自身が一つの葬式を出してやつてくれと栄一に依頼した。それは栄一の居るすぐ下の筋の乞食のおつたの亭主が長の患ひで死んだのだが[#「死んだのだが」は底本では「死んのだが」]、金が無いからと云ふので有つた。それで栄一はそれを心持ちよく引受けて棺桶から何からすつくり買うて来て自分も手伝つて棺に収めて野辺送りをしたのであつた。
 おつたはそれから内山を非常に尊敬して毎日やつて来た。内山に云はすと、おつたは数年前に痘瘡をしない前は新川での美人であつたと云ふ。然し今は目茶々々のそれは醜い女で、毎日身体の前後に赤ン坊二人をくゝりつけて乞食に出るのが本業であつた。それで見るからに心持の悪い女で、年の頃も四十か五十かのやうに見える位で有つたが、内山は二十四であると云うて居る。何にしてもお葬式のことからおつたと内山の親密になり加減はたゞ事では無かつた。その中にまた内山は先の亭主の葬式から二週間もたゝないにかゝはらず栄一にも一つおつたの葬式をしてくれと云ふ。おつたの赤ン坊が死んだのである。それで栄一はよく三ノ宮筋で乞食して居るおつたが二人の赤ン坊を身体の前後に運んで居るを見て居るので『どちらの子だね』と尋ねると、『一人しか無いんです』と内山は弁解して居る。
『それでも、いつでも二人の子を背負ふて居るぢや無いかね』と云ふと、
『先生、ありや乞食するに都合が善いやうに近処で借りて行くのです』
『それぢや、おつたには児は一人しか無いのかね?』
『実云へば、その一人の児と云ふのも貰ひ児です――亭主の薬代に困つて貰つた児です』と内山は答へる。
 それで栄一は凡てを了解した。貧民窟にもう九ヶ月も住んでゐても、なか/\貧民窟のことはわからないと栄一は今更乍ら吃驚した。それで栄一は、またその貰ひ児のお葬式を出してやつた。
 春日野の墓地から帰つてくると、おつたがやつて来て、是非耶蘇に入れてくれと申込んで来た。栄一はその意味が充分わからないので、内山を呼んで聞いてみると、
『先生な、誠に済みませんがな、おつたを御内の下女代りに置いてやつて下さいませんか、もうあんなに一人ぼつちになりましたので行く処がありまへんのでな』と云ふ。
 栄一はその図々しいのに吃驚したので、
『うちは女の人を入れることは出来ないよ――おしづの時でも君は無理矢理に引張り込んでしまつたのだから、僕は困つてしまつたが、おつたは真平ら御免だね』と答へたが、よく聞いて居ると、内山とおつたは亭主が死んで、二三日してすぐ一緒になつて居るのである。それで同棲を申出でて居るのであると云ふことが知れた。それを知つて、鈍い内山に何時そんな機敏なことが出来たかと思ふと、不思議に考へられるが、よく考へると、栄一が海上保険に出て居る留守の中に一緒になつたとしか考へられ無い。
 それで栄一は仕方が無いから、内山を出して了はうかと思つたが、また一面から考へると貧民生活には内山は手引きのやうなもので、この後内山のやうな男が居らなくなると、どんなにゆすられるかも知れぬと思ふと、少し位ゐのことは許してやりたくなつたのと、家を一軒持たすとなると、金の四五十円も呉れと云ふであらうが、栄一にはその余分の金が無いし、一先づおしづの這入つて居た家を二人の為めに貸してやることにした。それで一家の人々は益々増加して、七人となつた。そして内山とおつたが台所に使つて居る隣の室に、台所には笑子が寝ることになり、花枝さんの家を一軒置いて隣の二軒の家を打貫いた家には栄一、松蔵、伊豆、三公の四人が寝ることになつた。

四十九


 賭博は毎日北本六丁目の貧民窟の真中で行はれた。それには毎日幾十人が群がつて居た。
 八月の末の或日のことであつた。水田の家の周囲に私服巡査が二三十人ウロ/\して居るよと見ると、水田の若主人を初め七人の博徒が現行犯を押へられて警察署へ送られた。それから貧民窟内部の賭博は幾日かは全く中止されて居た。だが、ものゝ四日も経つかと思ふと、早やそろ/\と賭博がまた見張をつけて窟内の小さい空地で行はれた。然し大親分が西の宮の賭博場で之も現行犯で捕へられたと聞いたのはその後間も無いことであつた。
 その捕へられた様子を、富田が内山の処へ遊びに来る度毎に、繰返し繰返し詳しく物語つて帰るのであつた。水田の大親分の親子が掴つて後、富田の威張り方は一様では無かつた。これまであまり酒も飲まなかつたものが、豪酒をして栄一の処へやつてくる。久しく来なかつた林もやつてくる。富田と林が繁々やつて来ると、植木もやつてくる。そして昼寝したりして帰るのであつた。留守をして居る笑子はこれ等の人々の物語を聞いて吃驚して、会社から栄一の帰つてくるのを待つて一々その話を繰返した。
 話によると、北本町六丁目の大通で木賃宿と高利貸をして居る通名和歌山事佐藤清熊と、富田とが水田の後見役に就いて喧嘩して居るらしいのである。そして近い中に、和歌山の乾分と水田の乾分とが一大衝突をするらしく見えた。和歌山は十数年前に水田の親分をたよつて来て今の身分になつたものであると云ふ。それで、もしも和歌山が少しでも恩義を思ふ人間であれば差し入れの一つでもしても善いのであるが、自分は今堅気になつて居ると云ふ口実で、水田家の此度の不幸に就いては少しも顧み無いからけしからぬと云ふのが富田の云ひ分である。
 果して八月三十一日の晩であつた。和歌山の経営して居る、和歌山屋と云ふ木賃宿にピストルの音がするよとみえると、水田の乾分七八人が刀を抜いて暴れ込んだ。
『そら喧嘩だ!』と貧民窟から幾百の人間が一瞬間に集つて来た。水田の一味徒党を指揮して居るのは富田である。栄一は報告を聞いて駈け附けたが、富田は全くぐでん/\に酔払つて居た。そして手にはピストルを持つて、
『和歌山が、何だいな! 少し端た金を蓄めやがつたと思つて生意気なことを云ふな』と繰返して居る。外のものは畳と云はず、襖と云はず、障子と云はず、鈍刀なまくらで、滅多切りに切り散らして居る。群衆の中には、こんなことを云うて居るものがある。
『和歌山は居らんと見えるな、居つたら大分大事ぢやが……あの男も負けん気ぢやから、負けて居らんわな』
 その中に刑事らしい男が這入つて来て、
『まア静かにせ、静かにせ』となだめて居る。少し静まつた様であるから、栄一も富田を呼び出した。然し富田は全く前後不覚である程酔うて居る。それで来合せた内山と二人で富田の宅まで送つてやつた。その帰る道々、如何にも得意であるやうに、
『なんぞいな、和歌山一人がどんなに威張つた処で、それがなんぞいな、あいつが今夜家に居れば擲き殺してやるんであつたんやけんど』と繰返して居た。

 家の会計は笑子が来たけれどもまだ内山がして居た。然し何だか変なのは米価に変動があり、米に上下があるにかゝはらず、月末の支払ひを見るといつでも、一斗の価格がいつ見ても同一になつて居ることであつた。それがこの四月以来全く同一であるので、栄一は初めて尋ねて見た。さうすると、内山は妙な答をして居る。
『それは……米屋がちやんと勘定して、米が安くなつた時には美い米を、高くなつた時には悪い米をよこして、先方で甘いこと塩梅して居つてくれるんです』と云ふのであつた。
 それで栄一自身米屋に行つて聞いて見ると、米屋も内山と同じことを云うて居た。たゞ不思議なのは、その日の米一升の代価より通帳の米の代価の方が少し高い事であつた。それで重ねてその理由を尋ねると、それは通帳には一ヶ月分の金利を加へて居りますと答へて居た。然し栄一はその答を聞いて非常に不愉快であつた。之が八月の末日であつたが、恰度植木がやつて来て、栄一に内山とおつたの関係のことから、米屋でコンミツシヨンを取つて居ることから、すつくり栄一に打開けてしまつた。
 それで栄一も合点して、内山と別れることにした。栄一は内山の為めに十円の金を与へて――二十円許りの金をコンミツシヨンに貰ひためたことを知つて居たから――別に家を持たすことにした。
 それで笑子が凡ての会計をやることになつた。笑子は喜んで栄一の為めに労働して居た。然し、いつも気が欝いだやうで、栄一は、それが何の為めであるかを知るに苦しんだ。それで栄一は九月に這入つた或晩のこと、それを尋ねた。然し笑子は何にも答へなかつたが、突然台湾の僧侶だと云ふ人が尋ねて来た。そして笑子と馴れなれしく話をして居た。そして晩方になつて二人は出て行つた。栄一はそれが不審でたまらなかつた。それで栄一はその人が何人であるかを尋ねた。
 その不思議な僧侶は、それから二三日にあげずやつて来た。その度毎に笑子は出て行つた。栄一はそれが不思議でたまらなかつた。笑子の子供らしい所のあるに比較して、その僧侶は三十五六の老獪な顔をした男で一癖ありそうな人であつた。それで栄一は可哀想だと思つたが、その人物と笑子との関係に就いて問ひ詰めた。すると、笑子は遂に白状した。そして、彼女と僧侶との間に関係があること、笑子の夫と云ふのは佝僂である為めに、子供は出来ないのだが、あの人と一緒になつた為めに子を孕んだのだが、その子をこの春流産したのだと云うて居る。
『堕胎させたの?』と尋ねると、
『いや、そんなことはありませんわ』とのみ曇つた声で答へたが、外に何とも答へなかつた。然しこの上、尋ねることは栄一としては堪えられなかつた。栄一は全く妹に同情してしまつた。そして自分がその罪人自身であるかの様に脅えた。そして一人思ひ込んで、台所の庭に腰をかけて泣いた。笑子も泣いた。
 栄一は煩悶して居る笑子に何かの変動が有つてはならないと、色々心配して居た。その僧侶と云ふ人は繁々と笑子に会ひに来た。そして笑子は遂に、栄一に向つて、
『私は悪い人間ですから、兄様に御厄介になることが出来ませぬから、どこかへ行きます』と云ひ出した。
 この言葉は栄一には父に別れるより悲しかつた。
 そして九月も、もう三日で終ると云ふ秋風が吹き初めた日に、笑子は栄一の引止めるのも聞かずに家を出て行つて了つた。何処へ行くとも、例の男と一緒になるとも云はず、たゞ、『色々と御心配をかけましてすみません、もう兄様に会はせる顔がありませんから――何処かへ行きます』と云ふだけで有つた。
 それで、栄一はそれを引留めることが出来なかつた。もしも自殺でもすると云ふのであれば心配もするのであるが、ただ行くと云ふのである為めに、どうすることも出来なかつた。
 笑子は貧民窟を立つたのは朝飯の後で、色々詳しいことも聞きたいと思つて居たが、すぐ立つと云ふのであつた。信玄袋をさげて笑子は貧民窟の路次を西に消えた。子供の魂であれば、括りつけて置くものをとも思うたが、既に大きくなつた魂は繋いでおくわけには行かなかつた。
『笑子よ、達者で居てくれよ、神様に守られてね』と口まで出て来たが、出て行く後姿を眺めて、栄一はたゞ泣いた。

『お前知とつるかい[#「知とつるかい」はママ]、あの人は幽霊を見た人やぞえ……』とおしんさんは竈の下の火をつくろひながら、お政さんを見て云うた。
 おしんは市役所の衛生人夫の奥山廉三の妻で、もう年も四十二三とも見える。痘瘡でめかんち(片目)の上に髪の毛の濃い醜い女であるが、このあたりの切れもので、毎日身体の具合の善い時には痘瘡の上に白粉を塗つて、頭に飴を入れた盥のやうなものを載せ、手には小太鼓を持つて、子供の居りさうな四つ辻に立つて『花はよい、よい……』の歌をうたつて飴を売る豊年屋であるが、以前は亭主が火葬場の隠亡をして居たと云ふだけあつて何となしにきつい所がある。よく喋る女で、喧嘩安の細君お政をつかまへて稲荷降ろしの『おじゆう』の噂をして居るのである。栄一は伝道の積りで会社から帰つて後におしんを訪問して居た。おしんの家は栄一の裏筋の路次に有つて喧嘩安の向側になつて居る。
 まだ秋の日は貧民窟の路次に日足を留めて、軒先には夕方の黄ろい光が残つて居た。おしんの子供等は皆路次に出て騒いで居る。お政は背中に生れたばかりの子供を背負うて、手には沢庵漬を新聞紙に包んで持つて居る。
 新見が、おしんの家に腰を下ろして居るのを見て、挨拶をしたが、竈の下を見て居たおしんが無理に呼びとめて、四方山の話から宗教の話になり、同じ筋の散髪屋の妻君で、稲荷降ろしをして居るおしんと極く仲の善い、おじゆうの話になつたので、おしんが知つて居るだけのことを栄一に聞かさうと思つて、間接にお政に話して居るのである。
 お政は入口の柱に倚りかゝつたまゝ、向側の井戸端を見詰めながら……『さうぢや、さうな……余程風変りの人ぢやわいな……』と相槌を打つ。
 おしんは竈の下からおきを『十能』に入れて、表の室のマツチの屑と、煙草の吸殻で一杯になつて居る穢い長火鉢に入れながら、
『まア然し、あんな若い気でよく居れるもんやな、あれで繁蔵さんとは十一も十二も年が上ぢやな』
 栄一はおじゆうをよく知つて居る。毎晩『南無妙法蓮華経』の太鼓を八釜敷く叩いて居るので、近所のものは皆頗る迷惑して居るのである。
 おしんは喋り乍ら長煙管を取上げて吸ひ出した。お政もそろ/\火鉢の脇までやつて来て、栄一の側に尻を下ろす。
『ほんとの処、あの人は少し気が若過ぎるわ……あれで……あの毎晩夫婦喧嘩して居る態と云へば見られんな……繁さんを何処へ行くんでも連れて行かなければ気がすまないと見えるな。な、おしんさん、毎晩の喧嘩は悋気の話やないか!』
 おしんは、煙を鼻から吹き出し乍ら、
『ウム……あの気で、今迄に、五人の男を替へたと云ふから豪いやないか!』
 栄一は壁に貼つた赤色と黄色の燐寸のレツテルを見詰め乍ら、二人の物語を黙つて聞いて居た。
『オ、さうかい? あの人は五人も替へたのかい?』
『お前知らんのかい、お前もあんなに、おじゆうさんと懇意にして居つて? あの人はお前、十六の時に大阪の南で或旦那の子を産んでな……それから、一度嫁入して、二人の女の子を産んで……そらその女の子と云ふのは、此処へよく来る女の子が居るだらうな……今何処かの仲居か、酌婦かをして居ると云ふ、あれがあの妹娘やがな……』
 おしんが上腕の処に刺青をして居るのが、栄一の眼に写る。お政は話に夢中になつて居る……
 お政『さうぢや、さうぢや……あの背の高い丸顔の一寸小綺麗な?』
 おしん『あれが初めて嫁入した時の子ぢやさうな、姉はなんでも横浜で、女郎か、何かして居るんやさうな……その家も旦那が外に女を拵へたとか、なんとかしたとかで、出されるか、出るかして、今度は、そら、後妻になつて、あの幽霊を見た家に縁づいたんぢやないかいな――』
 お政『ウム、さうかい、後に行つた時かい? あの幽霊を見たと云ふのは』
 栄一は話が面白いのでついつり込まれて、
『おしんさん、あの稲荷降しのをばさんは、ほんとに幽霊を見たのですか?』と尋ねた。
 外から十二三になる子守をして居る男の児が、泣く児を連れて乳を飲ましに帰つて来た。おしんさんは、その乳呑児を取り上げて、乳を呑ませ乍ら大きな声で興がつて話をつゞける。飯が炊けたか釜から湯気が吹く音が聞こえる。それでもおしんさんは知らぬ顔をして語りつゞける。
『なんでも、先妻が、死ぬ時に、旦那を呼んで、わたしが死ぬとすぐ、嫁さんを貰らはぬやうにと遺言をして死んだんださうな、それに旦那が云ふことを聞かずにおじゆうさんを入れたんぢやさうな。さうすると婚礼がすんで七日目から、毎晩毎晩、夢に先妻の幽霊が出たのぢやさうな――』
 あまり湯気の吹きやうが甚しいので、子供を抱いたまゝ竈の前へ行つて、火を引きながら猶話をつづける……
『なんでも、それから、あの人は、気狂ひのやうになつて、昼の日中「アヽ、幽霊、幽霊!」と大声をあげて街を駆け廻つたのぢやさうな。それで家内の人も、それは唯事では無いと、先妻の成仏するやうに、「南無阿弥陀仏」を一万遍お唱へすることにして、親類や近所のものが皆寄つて来て、仏壇の前で御通夜をして、「南無阿弥陀仏」を唱へて居ると、恰度、真夜中頃、おじゆうさんが急に「ウン」と云つたなり気絶して了うたのぢやて、それから大騒ぎになつて、医者を呼ぶやら介抱するやらして、やう/\口がきけるやうになつて聞いて見ると、
「幽霊が仏壇から出て来て、自分を蹴飛ばして何処かへ行つて了うた――」と云ふたさうな。然しそんなことがあつたので、すぐ帰つて来て――それ、おじゆうさんがよく云ふ、お寺さんのお妾になつたのぢやとさ』
 お政『フム、そして、繁ちやんのおかみさんになつたのは、それからかい?』
 おしん『そして、お寺さんのお妾さんも長うは続かんで、三年半前に、今の散髪屋さんと一緒になつたんやないか!』
 栄一はこの二人の面白い会話にサマリアの女の話を聞くやうな気がしたが、貧民窟ではこんな話を聞くことは決して珍しくは無かつた。然し栄一がこの話に興味を持つたのは、外にもう一つ理由があつた。それはおじゆうの今の夫の散髪屋の元木繁蔵が――彼はまだ二十二の[#「二十二の」は底本では「二十二年の」]青年であるが痘瘡でずつと年より更けて見える――二人の仲に出来て居る子供の入籍のことに就いて法律上の手続を尋ねに来た序に、彼が耶蘇教は大好きであると云うて、求道の心を起して居るのだが、妻がどうも稲荷さんとか不動さんとかの凝り固りで私が耶蘇教に入ることを許してくれないと、栄一に云ひ残して帰つたことが耳に残つて居たからであつた。おしんとおじゆうとは新川へ落ちて来てから血を啜り合つて女兄弟の縁を結んで居るもので、その他に吾妻通六丁目のあたりから来る、五六人の女兄弟仲間と共に右腕の同じ所に、同じ様な形の刺青をして、折々寄つて酒を呑んだり、賭博をしたりして居る。栄一が先程おしんの右腕に注意した『力』と云ふ刺青の文字はそれである。
 栄一はそれから、おしんに近所の『夜逃げ』の話を聞かされた。おしんは此辺の女侠客で通つて居るので一寸威張つて居るし、近所の家庭の事情をよく知つて居る。お政が――『うちもう往んで、夕飯の支度をしよう――長いことこんな処で話しよつた』
と、立ち去つた後にも、長々と近所の家庭の歴史を話してくれた。そして、廻り廻つて、
『あんたんところのやうに、有り余るやうな金があるなら、ちつと恵んでおくんなはれ』と云ふ結論に到るまで、貧民窟の物語の材料になるやうな話を沢山聞いた。
 これから後、栄一は貧民窟の話を聞かうと思へば、おしんの所へ聞きに行つた。

五十


 親しくなると共におしんは男勝りであるだけ色々と役に立つことが多くあつた。喧嘩安が暴れ込んで来ても連れて帰るのは、おしんの役になつた。その代りおしんは無理も云ふ。折々頼母子講の掛け金に困つて借りに来た。またおしんの知つて居る年寄夫婦を世話してやつてくれとも申込んだ。そしておしんの亭主の職業――市の衛生人夫の仕事もあまり面白くないから、その老人が持つて居た『羅宇』菅換への荷を全部買ひたいから、金を四五円貸してくれとも申込んだ。新見は凡ての願を聞いてやつた。
 それで、おしんの連れて来た、岸本のおぢいさん夫婦は、イエス団にいつでも居ることになつた。そして媒介者であるおしんもそれを感謝する意味で『私も耶蘇に入れてもらひまつさ、私には何にもわからんけれど、善い教へぢや、第一、人に親切ぢや』と云つて教会へ出てくることになつた。
 おしんは散髪屋の元木繁蔵をも引張つて来た。それで小さい教会は急に賑やかになつて来た。散髪屋は自由に平仮名が読めた、それで新約聖書を一生懸命に読んで感心して居る。
 そして栄一に感心したことを一々話して居る――
『第一、感心するのは、マリアが亭主が無いのに、天の神さんのお力で、子を孕んだと云ふことぢや……あらたかな神さんには、そんなことはきつとある。
 うちのじゆう公も、そんなことを吐しよつた。精神を籠めよつたら、男なしに児は産めるつて。あいつの三番目の息子は――四つの時に死んださうですがな――おじゆうの一番信心に凝つた時に産んだ児やさうですが、あれに云はすと、男と一緒にならないのに生れたと云つて居ります。私はなんだか嘘のやうに思つて居りましたが、マタイ伝を見ると全く男なしにでも子は出来るもんだすな。おじゆうの云ふ処を聞くとマリアさんの場合も何だかほんとだと思はれまんな。
 それから[#「 それから」は底本では「それから」]、感心なのは、イエスさんがお手をおさわりになると、死人が生き返つたり病人が治つたりすることだす……私の妻もよく御祈祷をあげて、何人も病人を治しました……そらある、そんなことはある……[#「……」は底本では「…」]病気は気の病やさかい、御祈祷の力できつとなほる――
 もう一つ感心するのは、イエスさんが、磔殺はりつけにかけられて、一旦死んでもう一度生き返つたことや、――それ位でなかつたら神さんにはなれまへんな――然し先生、イエスさんの墓場から出て来やはつたのは幽霊とは違ひまんのかな……幽霊であつたら、うちのおじゆうも見たと云つとりまつさ。何にしてもイエスさんはほんとにおえらい方だんな――』
 こんなに、簡単にイエス伝を片付けて了ふので、栄一も少々面喰つた。散髪屋さんが奇蹟主義者であるに反して、おしんさんは字が読めない為めに聖書も読めず、また『眼に見えぬ神様』と云ふことがどうしてもわからない――
『先生、眼を潰つてお祈しまつしやろな。さうすると真暗い中に、キンキン光る雲が現れてその中に阿弥陀さんのやうなものが見えて来ますのが、あれが、神さんだつしやろか、私にはどうしても神さんが眼に見えて仕方がおまへん』と云ふ。
 栄一はこんな人々を掴まへてイエスの福音を説かねばならぬのであつた。それで栄一は先づ散髪屋さんに著しい宗教的動機を与へて居るおじゆうさんに会つてみたいと思うた。

 おじゆうさんの教会所は新見の教会所よりも遥かに盛大なものであつた。それは栄一の裏の筋の五畳長屋の一軒で有つたけれども三十六人の老幼男女がすつかり這入つて、拍子木と太鼓で調子を取つて、『南無妙法蓮華経』と繰返して叫び乍ら、天照皇太神宮を拝むのであつた。栄一が見に行つたのは十月一日の夕刻であつたが、栄一の驚いたことは、耶蘇の教会で『天のお父様』と云つてお祈りをする主人公の繁蔵も太鼓を叩いて居るし、おしんさんも拍子木を叩いて居る。礼拝の中には散髪屋さんのすぐ西隣の夫婦とも盲目の按摩さんも混じつて居た。今年の春私生児を産んで、つい先達その子供を死なせた高利貸のおたねさんの娘も来て居る。見て居てもつまらぬが、十分二十分とたゞ『南無妙法蓮華経』の繰返しと太鼓と拍子木の乱打がリズミツクに繰返される外何事も起らない。然し栄一は辛抱して見て居た。さうすると軈て拍子木の音が止り、太鼓が已み、お題目の声が静かになつたかと思ふと、おじゆうさんの両手が揃へられたまゝ上の方に挙つた。さうして腕を打震はせて、小さい声で『南無荒熊大明神』と繰返して居たが、一座のものは底気味の悪い眼を光らせて、おじゆうを注意する。忽ちおぢゆうはツウと立ち上り、全身を打震はせ……。
『わしは、能勢の妙見さんの狐ぢや……わしに何でも聞け……わしは何でも知つて居る』と云うて居る。栄一は生れて初めて稲荷降しと云ふのを見るので、何となしに物凄さと可笑さとが、代る代る感ぜられて、吹き出しさうになつたが、戸の蔭に立つて見て居た。夕日はもう隠れて、路次も物静かであるが、六尺に三尺の少さい煤けた押込を神棚にして、そこに太い蝋燭でお燈明を二つ灯してあるのが、かなり荘厳に見える。
 栄一が立つて居るので、路次を通るものが五六人立ち止つた。そして皆熱心に見て居る。
 おじゆうが、能勢の狐だと自称すると、隣の盲目の男按摩とおしんと繁蔵の口から期せずして――『今日は、能勢のお狐さんが来やはつたのやな……勿体ないことや』と云うた。
『今日はよく、あたるでえ――』と乞食のお浅さんが云ふ。
 盲目の按摩さんが尋ねた。
『能勢のお狐さん、一寸お尋ね致します、あなたさんは、何歳におなりになりますか?』
 栄一は愚問だと思うたが、おじゆうの狐は真面目である。
『わしか? わしは九百七十五歳ぢや』
 男按摩『さうで御座りますか? 一寸お尋ね申しますが、わたくしはリウマチで困つて居ります、お治し下さいましやろか?』
 狐『よし、来い、わしがさはればすぐ治る』さう云うて、男按摩の肩から腰へなで下ろしてゐる。その眼は閉ぢ両眼の間に立皺をよせ、色は青ざめ穢れた袷に細帯のまゝで紺絣の前垂をして居るが、そのおじゆうの姿と変体心理状態が、栄一にはたゞごとでは無いと映つた。
 患者は後から後から進んで出てお狐さんになでゝもらつた。五六人も撫でゝもらつたかと思ふと、また患者と狐との対話が始まつた。高利貸のおたねさんの娘が尋ねて居る。
『わたしの子供は、もう極楽へ届きましたかな――』
 狐『いや、まだ極楽にはつかぬ、六道の辻でうろ/\して居る』
 それを聞いておたねさんの娘は、そこに声をあげて泣き倒れた。
『泣きなはんな、もう仕方が無いことやさかい、な、お八重はん(おたねの娘の名)――』とおしんが慰めてゐる。
 乞食のお浅は亭主の病態を尋ねて居る。
『お狐さん、うちンところの病人は治りましやろかな』――お浅の亭主は、矢張乞食で腹膜炎で臥て居る。
 狐『いや、本復の見込は無い』
『さうだつしやろかな』とお浅は溜息をつく、お燈明が静かに揺いで居る。
 それで一先づ質問も済んだやうである。みなのものは黙つて居る。その沈黙が二三分続くと、おしんが、
『お狐さん、御苦労で御座りました』と云ふ。それについて二三のものも、
『御苦労で御座りました』と云ふ。
 さうすると、おじゆうの狐は、ぶる/\と身震ひをして、そこに屈まつて前に打倒れる。さうして五六分黙つて居る。その中に路次の向うで騒いで居た子供の群が見物にやつて来た。
『やア、狐ぢや、狐ぢや』と大勢のものが騒ぐ。その中には、甚公も、虎市も、熊蔵も、喧嘩安の子供が三人までも居る。
『やい、熊! 八釜敷い! 静かにしとらんかい』と、おしんが奥から叫ぶ。おじゆうの狐は黙つて居る。子供は妙な眼でおじゆうを見て居る――
 軈て、おじゆうは坐り直つて、ほつれ髪を撫でつけ乍ら……
『皆様、よく御参詣になりました』と云ふ。それに答へて一同は、
『御苦労様で御座りました』と云ふ。
 おしんだけは子供を抱き上げ乍ら、
『おじゆうさん、あんなにしとつたら、しんどいやろ?』と現実曝露のやうな質問をやる。
『なに、なんにも知らんでえ』
『そんなもんやろかな』とお浅が感心して居る。
 子供等は『狐が往んだ、向うへ行かう、向うへ行かう』と騒ぎ乍ら、路次の西に飛んで行く。
 栄一も静かに考へ込み乍ら、路次を西へ歩んで行つた。そしておしんの亭主が『羅宇』菅換の小綺麗な車を路次に引き入れて居るのに出会つた。

五十一


 お稲荷さんは伝染して行く。今迄拍子木の音もお題目の声も聞かなかつた、栄一の台所の裏に当る高利貸のおたねさんの家にも、散髪屋と競争で、太鼓を叩くやうになる。二三日前に初めて、お稲荷さんが降るやうになつたと云ふので、おたねさんが心配して居る。
 十七畳敷く栄一の広い方の家の向側の花筵の荷車曳のおかみさんにもお稲荷さんが降ると云うて、亭主が心配して居る。その為めに一度は美しい稲荷さんのお堂も買うて来て、入口の正面に祀り二三十の小さいお提灯も吊り下げて居たが、あまり毎朝お下りがあつて、赤ン坊の世話もせずに妙なことを口走ると云ふので、亭主は怒つて、買うて来てまだ十日にもならぬ、お稲荷さんのお堂を擲き壊して路次で焼き捨てゝ居る。
 栄一はそれまで、向ひのおかみさんにお稲荷さんが降りると云ふことを知らなかつた。あまり静かに家の内だけでして居るし、太鼓も拍子木も叩かないから解らなかつたのである。然し事情を聞いて見ると誠に同情に値するやうなことを亭主は云うて居る。
『四五年前にも、お稲荷さんが降りるとか云うて大騒動を致しましたんで、すぐお稲荷さんのお堂を焼捨てゝ引越しましたんです……うちんとこの家内は非道いヒステリーだつさかいな……それでこの四五年はお稲荷さんも下りまへんのでしたがな……この頃、近所であんなに太鼓を叩きますやろな、それでつい先達て、裏の散髪屋とこのおかみさんに狐とか狸とが遣つて来て居るのを見たと云うて、その日からあんなに妙なことをするんだつせ――うちんとこの狐は筒井の狐だすさうな……狐につかれると、もうかなひまへんわ、一日何んにもせずに、たゞうろ/\して居てくれまんのでな』
 お稲荷さんのお堂はもう燃えてしまつた。そこへ、おかみさんが平気な顔をして出て来た。
 亭主『こら、もうお堂は焼いて了うたぞ、狐を早やう往なさないかんぞ!』
 おかみさんは黙つて笑うて居る。このおかみさんは貧民窟に珍らしい温順な妻君で、身の丈の高い、顔にほくろの沢山ある三十近い女であつた。
『耶蘇はほんとによろしうおますな、ケンケンさんが来んだけよろしうおまんな』と亭主は栄一に云うて居る。
 お稲荷さんの流行は北本町の貧民窟だけでは無かつた。吾妻通にも、日暮通にも太鼓が鳴つて、稲荷降しが妙なことをやつて居る。
 新聞を見ると神戸警察署も『稲荷降し』の検挙をして、五十数名のものを科料に処したと書いて居る。筒井部落へ行くと、大通の長屋の前に大きなお稲荷さんの赤鳥居が立つて居た。栄一はお稲荷さんの信仰復興に少なからず驚いて居た。

五十二


 貧民窟に居ても栄一は存外呑気であるから、惰気なまけものに会つては、なまけものゝ研究をし、下駄屋の門先に立てば古下駄屋の哲学を研究して居た。また二畳敷長屋に廻つて行けばデイオゲネスの犬儒哲学をすぐ考へた。
 栄一が一年足らず貧民窟に居る中に、すつかり貧民窟の人々の理解を得たので、彼はその手帳に男女合して八十人ばかりのなまけものゝ表を作つた。一、桜井から始まつて、その下には怠惰の程度を記入し、家庭の種類、怠惰の原因、年齢、健康等をきつらねて居た。
 そのなまけもの研究の手帳の奥にはまた『古下駄哲学』と題してこんなことを書いて居る。
『――男の下駄は八寸である。女の下駄は七寸。丸太でくる時は七寸五分。日和下駄は高さ一寸二分に七分の穴をほる。それに五分の厚さが横から見える。幅は広い程善いが、山三寸二分から三寸八分である。雨降りの高下駄の「はま」の厚さは二分から二分半である。日本人はこの二分のはまの上に立つて居る。高下駄の高さは女で二寸七八分から男で三寸である。日本人は高下駄で仙人の真似をしても地上より三寸しか超越出来ないのだ――』
 また栄一は二畳敷生活の讃美者である。独身ものであれば人間は二畳以上の家はいらぬと考へて居る。それで下の二畳敷の猫のお婆さんの処へ遊びに行くのが何より好きであつた。それで五畳敷三軒に七人も八人も寝なくてはならなくても決して不服はなかつた。貧民生活は非常に面白かつた。ただ夕方元町から帰つて貧民窟へ這入ると、いつも一寸吐き気が起るのが、苦しいと思つたゞけであつた。然し栄一は貧民生活を一つの道楽として居るので、之も道楽の一種ぞと考へると別にいやな気もしなかつた。
 貧民窟は淋しいと感じる暇は少しも無かつた。後から後から問題が起つて来て、内省も、冥想も、凡てを忘れねばならぬ程であつた。況んや、周囲の事情があまり悲惨である為めに、考へ込むだけの余裕を与へられないのである。然し笑ふ機会があれば必ず皆と一緒になつて笑つた。彼は貧民窟に来てから初めて笑の職分を覚知した。笑は神の与へた尊き安全瓣であつた。貧民は悲しくて泣かなくてはやり切れない時にも勉めて笑ふことがある。それで栄一は彼等と一緒になつて笑つた。下の二畳敷で一番よく笑ふのは乞食のお春である。表のブリキやの妾をして居るが(乞食しながら)よく肥つて、少しも乞食臭いところが無くて、よく笑ふ。
『ナ、先生、泣いとつたつて、仕方が無いわな、先生もいつもニコ/\しとつてやが、笑つて送るのも一生なら、泣いて送るのも一生であつたら、笑つて送らな損やな! 笑ふ門には福来るやな、ナ、先生』と笑ふのである。
 健康な者には貧民窟に住んで居ても充分笑ふことが出来る。そして貧民窟には物質を離れ虚栄を離れて、赤裸々の最も人間的な、最も肉体的な笑が出来るのである。栄一は貧民が存外よく笑ふものであることを見て驚いた。中流階級は渋面ものが多いに反して、貧民窟には存外ニコ/\したものが多いのである。そしてそんなものに限つて親しみ易い。
 栄一は多くの友達を貧民窟に作つたが、どうしても近づくことの出来なかつたのは、栄一の二軒の家に挾まれて居る花枝さんの家族であつた。
 この家族が随分悲惨な家庭であると云ふことはあまり之まで知らなかつたが、近頃よく兄弟喧嘩があるので、この家庭にも悪魔が住んで居るのだと知つた。
 花枝さんには兄さんが二人と姉さんが二人ある。一番上は俳優になつて大阪に行つて帰つて来ない。その次の兄さんは今年十九歳で、マツチ会社に通うて居る。上の姉さんは三十一二の片眼の人であるが、不幸な人で、木賃宿の息子に縁付いて居るのだが、その人は肺病で、木賃宿の一室で床についたきりもう幾年も臥て居る。それで自分はマツチ会社に通うて夫を養うて居るが、燐の為めに下顎が腐つて、前歯が凡て抜け落ちて居る。その肺病人と片目の姉さんとの間に、今年六つになる佝僂である上に盲目の子供が一人ある。盲目になつたのはお産の時に眼に毒が這入つたのださうで、佝僂になつたのは、お守をして居て何処かで落したのだと云うて居た。おまけにその子は唖の上に聾と来て居るから見るも痛ましい位である。
 それで花枝さんの一日の仕事は、この六つになる子供を一日背中に負うてお守をすることである。
 その次の姉さんは一寸顔形の善い女で、それに少し発狂の気味のある土田と云ふものが恋慕して居るのである。もとは大和郡山の藩士の妻君であつたと云ふ、立派な顔立をして居る。お母さんも、十九になる勝之助と云ふ弟もこの土田と二番娘の関係を大に反対するのである。その為めに勝之助と二番娘とが衝突し続けるのである。
 栄一は花枝さんが背負うて居る『秀』を見る時に、地獄に出会うた様な心持になるのである。それに此子は昼は睡つて、真夜中に奇声を発して一晩中騒ぐ癖がある。それが一晩や二晩であれば善いが、一ヶ月二ヶ月と続くのである。これで一家族のものは『寝られぬ[#「寝られぬ」は底本では「寝なれぬ」]、寝られぬ』とこぼして居る。
『そんな子を早く殺して了つた方が善いのに、姉え……殺してやろか、こら、「秀」!』と勝之助が子供を罵るこゑを真夜中に聞くことは珍らしくなかつた。
 さうすると姉さんも、
『ほんとにな、勝つあん、うちもう何度殺して了ひたいか知れへんのやけどなア、之も前世の因業やさかい、堪忍しておくれ』と答へて居るのであつた。
 然しこの姉さんと云ふ人が誠に感心な人で、結婚して十年に近い年月の間、夫は八九年も肺病で寝て居る中を、自分の細い腕でそれを介抱して、その上に不具な子供を今日まで養うて来て居るのである。いつも黙つて居る人で、栄一はその人を見る度毎に、自然何ものかに威圧せられるやうに荘厳な気に打たれるのであつた。
 然しその一家族はどう云ふわけか、耶蘇教に無頓着であつた。花枝さんが毎日のやうにやつて来ても、お母さんに当る人は一度だつて、栄一の家に這入つて来たことは無かつた――その反対に栄一は屡々隣の家に這入り込んで、その家の事情を聞くこともあつた。
 ところが十月の初めにたうとう上娘のその肺病の夫が亡くなつた。そしてその葬式が済んで間も無く、上娘も、その不具な子供も一緒に床に就いて了つた。医者に診断させると肺結核であると診断したのである。それと同時に、木賃宿からは離縁の話があり、肺病の親子は花枝さんの家で寝ることになつたのである。然し、家族六人が十七の一青年と、日給三十銭しか取らぬ妹娘の手で養へることは不可能なことである。いよいよ困つたが、栄一の処へ薬だけでもくれと申込んで来たのは、病人が床に就いて五日間経つてからであつた。その使ひに来たのは勝之助であつた。
 勝之助は何か友人にでも云ふやうな調子に、無雑作に、そして早口に、
『先生、すんまへんけれどな、うちの姉えな、肺で悪うおまつさかい、薬やつておくんなはれ、たのみますさ』と云うた。
 栄一はそれを心安く引受けた。そして八雲通の前田さん(医者)を迎へるやうにと云うた。
 それから病人の容態は日に日に重くなる一方で、医者も『駄目だ』と宣告した。然し一家族のものはそれを別に何とも感じて居らぬらしくみえた。少なくとも勝之助は、
『助かりますさ、死んでくれるんだつたら、早う死んでくれたらいいんだつさ、病人の為めに、親子六人がすつかり飢死にしなけりやなりませんさかいな!』と云うて居た。
 之は勝之助ばかりと思へば母親も、花枝さんも、みなさう云うて居る。それでは病人の看護はおろそかにして居るかと云へば、必しもさうでは無い。それは手厚くして居るのであるけれども、生活難に苦しんで居る六人家族の口から、ついそんな自棄な言辞が出るのである。
 栄一はつとめてその一家族を慰めた。三円、五円と母親に金を渡して病人を大事に世話するやうにと云うて慰めた。それを病人が知つて涙を流して居た。然し病人は栄一には一言も言葉を出さなかつた。
 肺病と云ふから栄一は、それを特別に同情したのであるが、隣りの病人が死ぬまでには余り長い患ひでは無かつた。七日目頃から肉が腸から下つたが、十四日目の朝四時頃永遠に此世を去つた。勿論葬式料が無いので、栄一はまた八円だけ補助した。
 然し子供はまだ比較的寿命が長かつた。毎日花枝さんは死体の様になつて居る佝僂の病身な子供を背中に負はされて、背中で煩悶する子供に、頸筋の後れ毛を引きむしられて居た。
 栄一がこの一家族に示した同情は、その一家族をして栄一を親類以上にたよりになるものとして近よらしめた。殊に勝之助はそれから毎晩のやうに遊びに来た。そして路傍説教まで一緒にするやうになつた。

五十三


 この頃から多くの青年が栄一の処に集るやうになつた。最初に来た青年は竹田と云ふ善良な青年であつた。この青年の導かれたのは五月雨の降つて居る時分であつた。夜遅く立派な口髯をはやした五十恰好の人で子供等にキリスト教を教へてくれと依頼して来た一人の易者があつた。
 その易者は非常な変人で、神戸湊川新開地で易者をしてゐるのだが、精神的に煩悶した人を見付けると、
『あなたのその心の病は、この下の辻を西へ曲つて五六軒向うに、キリスト教の伝道館があるが、その方へ行かなければ直らない』と、忠告するのが常であるとかで……妹が信者で、自分もイエス・キリストに就いて深く研究して信じて居るし、殊に近頃の青年には、耶蘇のやうな精神がいると考へるので、会ふ人毎に、勧めて居るが、どうも、自分の子にはよう勧め無いから、是非基督教のバイブルを青年達に教へてくれと心をこめて依頼した。
 それで栄一は、保険会社から帰つて暇がある度毎に、貧民窟から五六町離れた日暮通四丁目の青年等が協同して貝ボタンの作業場を作つて居ると云ふ、小さい小さい工場に行つて、キリスト教の話をした。
 そこには、竹田とその友人の山本と云ふ青年が中心で、浅井、元山、久保、笹井、榎本、井上と竹田の弟と、合計九人のものが労働して居た。青年の多くは十九歳で、榎本と井上だけは十四五歳であつた。貝ボタンの製造に従事して居たが、栄一が行くとみな貝の粉を白粉を塗つたやうに顔につけて、たゞゲラ/\笑ふばかりで、キリスト教のことなど聞かうとはしないのであつた。
 然し、二三回行つて居る中に、讃美歌だけは一つ二つ唱ふやうになつた。然し、貧民窟の教会へ来ると云ふやうな熱心な求道心を起したものは誰れも無かつた。
 然し、秋の立つ頃、竹田が先づ第一に来た。頭を丸坊主に苅つて、まる/\と肥えた竹田は丈の短い法被を着たまゝ説教を聞きに来るやうになつた。彼は小さい時に日曜学校へ行つたとかで、よく基督教を理解して居た。
 竹田が来出しても、他の青年はなか/\来なかつた。然し、花枝さんのすぐの兄さんの『勝』も教会に行くと云ふことを聞いて、三四人のものが教会に出るやうになつた。それで小さい長屋にある説教所は今迄のやうに老人や聖書の読めない屑拾ひの人々ばかりの集会と違つて、何となしに活気が出てきた。栄一には、それが無上にうれしかつた。
 そこへ十月十八日の晩、豪酒と不身持で、人も信用してくれないと云ふので自殺に出かけた豆腐屋さんが、新見の辻説教を聞いて改心して、イエス団へ続けてくることになつたので、教会は俄かに賑やかになつた。
 この豆腐屋さんは名を町田与三五郎と云うて、人を切ること八回、人に切られること十三回、最後には眼を抉られて片目になつた。妻君を七回換へ、職業は幾十種換へたか知らないと云ふので、人生の酸いか辛いかはよく知り抜いて居るのである。弁舌のさわやかな人で、改心した次の日から辻に立つて説教をしたが、話が面白いので、聴衆の中から……
『豆腐屋もう少しやれ!』と注文することが度々あつた。中年の豆腐屋と青年等の間も面白く行つた。青年は豆腐屋さんが好きで、よく豆腐屋さんの述懐談や、社会攻撃に耳を傾けた。特に豆腐屋は今日までに株をやつたことの経験があるので、株屋の心理状態を甘いこと話しするので、説教がすむといつでも、豆腐屋を中心として雑談に耽けるのであつた。
 青年が貧民窟に集るやうになつて新見に新しい問題が一つ殖えた。それは青年達を中心にした労働問題であつた。栄一の所へ寄りつく青年の凡ては、附近にある工場の様子をよく知つて居た。勝之助はマツチ会社の職工であつた。竹田と一緒に来る元山は今は貝ボタンの製造に従事して居るが、つい二三ヶ月前までは、日本一のパシフヰツク・ゴム会社に三年以上も通勤して居たのである。
 また浅井はプリミヤの自転車会社に通勤して居たので、その事情に明るい。
 その中でも燐寸会社とゴム会社の話が最も非道いやうである。然しそれでもパシフヰツクの前に毎朝立つて居て雇うて貰うことを待つて居る人は五十人や六十人では無く、一人しか入れない時でも百人近くも門に立つて待つて居る。
 そして、そんなに苦しんで入れて貰つてもする仕事と云ふのは二日と辛抱の出来ない所で、大抵のものは一週間と辛抱出来ずに逃出すのであるが、一週間で逃げ出すとその間の日給はくれないので、初め這入る時に、一週間でやめるなら給料は貰はないと約束の証書に印を押さゝれるものだから仕方が無いと云うて居る。
 栄一はこれでは貧民窟をいくら救済しても、そんな乱暴な処を根本的にやつ付けなければ駄目だと、その方向に接近して行く為めに、色々と苦心してみた。それで新見は青年に労働組合の必要を力説した。
 然し実際労働組合を作る機会も与へられずして、月日は経つて行つた。その間に貧民で栄一に頼寄たよつて来たものは五人や十人では無かつた。その中には僧侶の真似をして町にお布施を貰ひ歩く立派な顎髯の男も居た。この男は内山とよく知つて居る男で、イエス団に入会して、毎日竹の『耳かき』を削つて居た。貧民窟では『髯』で通つて居た。『髯』はその友人の植木屋の戸田を教会に連れて来た。この植木屋はもう子供の四人も持つて居る男であつたが、もとは建築手伝であつたのだが、道楽から植木屋をやつたり、夏は高山植物を山に取りに行つて、それを三ノ宮神社の夜市にかけるのであつた。
 十月も終りになると不景気の為め救済してくれと申込んで来るものが沢山あつた。その中には『浮れ節』の市公と云ふのが居た。之は内縁の妻を枕で擲き殺したと云ふ男で、丸々と肥つて居るのだが顔色は土色をして居た。梅毒から来たリウマチで身体の動きがとれぬから助けてくれと云うて来たので、栄一は置いてやることにした。
 同じ十月の末であつたが、長崎の女郎屋の若旦那で警察で撃剣の教師や巡査をして居たといふ男が之も仕事が無くて旅金に困つて居るからと云うてやつて来た。そしてまた一週間するとその梁瀬と云ふ女郎屋の若旦那を頼寄つて、台湾で巡査をして居たと云ふ、身の丈六尺もあらうと云ふ大男の飛田がイエス団を頼寄つて来た。それで一家族は一度に十人――栄一と岸本の老人夫婦、松蔵、伊豆、三公、髯、うかれ節の市公、巡査二人となつた。
 岸本のおぢいさんは潔癖で毎日四時に起きて飯を焚いて、また五時頃に一度床に這入つて、みんなが起きる頃にはまたゴトゴトするのが癖であつた。おぢいさんの潔癖は入口の敷居を拭くことに現れて居た。家の内を整理することは勿論だが、土にまみれた敷居が白くむける程一日に三度も四度も拭くので、近所の物語の種になつた程であつた。
 松蔵は小学校へ通うて居た。組でも大きい方であるし腕白大将であるので、折々先生に居残りを命ぜられて居た。また折々交番所へ引張られるので、その度毎に栄一は大きな声で松蔵を叱りつけるのであつた。栄一が大きな声を出すのは説教をする時と松蔵を叱る時とだけだと、岸本のおばあさんが云うて居つた。松蔵は小さい声で叱られても叱られた気にならないので、(貧民窟では凡て声が大きい)態と出ない声でも絞り出して大きな声で叱るのであつた。松蔵も、『先生の叱るのはこわいことないけんど大きな声がこわいワ』と新見に云つたこともある。
 巡査二人はプリミヤのリムバフ(磨き)に毎日通うて居た。
 栄一は貧民窟に慣れた。それで貧民窟を何とも思はなくなつた。そして気がだん/\荒くなつたやうに考へられた。それで、松蔵さんと呼ぶ所を『松』と呼び捨てたり、うかれ節の市公を叱る時にも『市つあん』と呼ばなくて『市』と呼び捨てにすることが平気になつた。
 栄一は之を恐れた――自分が貧民窟で最も豪いものであり、金のあるものであり、一人前の人間であると云ふことの為めに威張ると云ふ自分の心事を自分に軽蔑した。然し貧民窟に長く居れば居る程自分は神経衰弱にかゝつて生意気になることに気がついた。さうかと云うて、休暇を取ることは出来ないので彼も弱つて了つた。
 それにあまり仕事が多いので気がせはしいと云ふことも、その一つの原因であると知つて居た。貧民窟では時間を励行することは出来なかつた。それをやらうと思へば気短かにやるのである。それで自分は全く用事の無い人間にならねばならぬのであつた。
 貧民窟の人々もイエス団の青年も出来るだけ新見と長く話をして居りたいと云ふ風であるが、新見は彼等の云ふ通りして居れば読書の時間も無いし、考へる暇も無いのである。それでつい『僕は失敬する』と云ふと『先生は西洋人みたやうな』と云はれるので、何だか貧民や青年とかけ離れて居るやうな気になるのである。
 何事をしても悠長にかまへて居て、話をするのでも一二時間も坐り込んで、ゆつくり同じことを繰返して聞いてやらなければ云うた様な気のしない新川の人々は、栄一が要領だけ聞いて『わかりました』と云ひ切るのが気に入らなかつた。『先生は気のせはしい人や』と悪口を云ふものもあつた。
 栄一はそれをやめようと考へたが、それでは自己を養ふ可き糧――読書を廃さなければならない。栄一はそれに惑うた。
 栄一は性慾――自慰を一年近くも忘れたやうであつた。一つは美しい女に接近する機会の無いのと奇蹟が行へないからと竊かに信じて居るので、彼は奇蹟的能力を発揮さす為めに禁慾的に出て居るのであつた。
 精力の出るのは自分にも不思議であつた。菜食主義でよくまアこんな根気の出るものだなアと自分に感心した。
 それで自分が屡々高慢な態度に出るものであると云ふことの外は殆ど無生物か枯木のやうなものであると考へた程澄み切つた心を持つて居た。栄一は過古の凡てを忘れたやうであつた。自分は絹を吐く蚕のやうに透明であると考へた。それで自分手に貧民窟へ降りた仙人であると考へた。まかり間違へば忍術の力で白日に昇天でも出来はしないかとも考へる程澄み切つた心を持つて居た。然し白日の昇天をしたいとも考へなかつた。死は勿論栄一には恐ろしいものではなかつた。栄一は何か知ら無いが刀が自分の体には立た無いものであると信じた程である。それで喧嘩だと云へばすぐ飛び込んで仲裁した。そして栄一が現れると、どれ位の大喧嘩でも、凡てのものが、彼の顔をたてゝ喧嘩をやめるのであつた。
 この頃であつた。篠田が突然尋ねて来た。そして大の成金振を発揮して神戸一流の料理屋諏訪山の東常盤で御馳走するからと云つて栄一を誘ひ出したのは、栄一は多少変化を求めて居る時であつたから篠田について行つた。
 篠田は栄一に『色々過去に厄介かけたが、朝鮮で農園に成功したから御礼として聊か君の事業に寄附するから』と云ふので、いつか借りた百円を併せて三百円を栄一に渡した。栄一はたゞ、
『ありがたう』と、云つてそれを受取つた。
 篠田は、あまり栄一が簡単にそれを受取るので、
『君は簡単だね』
と、云ふから、栄一は、
『僕が使つたら、金が生きてくるから、二百円でも三百円でも使つてあげるよ』と簡単に答へた。
 室は広い十畳の間で、神戸を見下した善い景色のある所であつた。御馳走が色々出た。
『新見君、小秀を呼ぼか?』と出しぬけに篠田が尋ねた。
『許してくれ、君、それだけは』と云うたが、
『こいつは面白い、一つ小秀を呼んで、君を困らしてやろ』と云つて、新見の困るのを面白がつて、電話口の方へ飛んで行つた。はち切れさうな肥つた身体を、どし/\と廊下を向うへ運んで篠田は消えた。
 神戸の市は静かに、夕闇の中に消えて行く。秋の夕は何となしに空気も澄んで、街に灯る電燈も澄んだやうに光る。眼の下には葺合新川の貧民窟も見えるし、工事中の築港から、川崎の大きなクレン、それからずうと向うの兵庫の方には、三菱造船所、鐘紡の煙筒が見える。和田の岬を廻ると鷹取須磨が見える。
 篠田は、また廊下を帰つて来た。
『来るぜ、秀公が――君が来て居ると云ふと、そらお珍らしいと云ふて居たぜ』
 それから栄一は何故、小秀と自分の関係のあつたことを知つて居るかと云ふと、つい此間朝鮮から帰つて来て、あしこへ遊びに行つて聞いたと云うて居る。
 栄一は古傷に針を刺されるやうに感じた。篠田は色々と金儲けの話をして居た。栄一はそれを一々聞いて居た。
『君は商売に共鳴せんかね?』と篠田が云ふから、
『つまらないね!』と一言答へると、
『君のやうに無慾でも仕方が無いね』と云ふ。
『無慾では無いのだが、慾が少し大き過ぎるのだね』
『ほんとに、さうかも知れないね』
 それから御馳走が出たが、栄一は『菜食だ』と云ふと篠田は弱つて居る。お給仕に出た年増女が栄一をお坊さんだと云つてひやかす。
 篠田『それぢや、勿論飲まぬね』
 新見『あゝ、飲まない』と答へると、
 篠田『窮屈だね』
 新見『いや、ちつとも食ひたくも飲みたくも無いのだ、貧乏人の子供と遊んで居れば、それで何より面白いのだ』
 それから篠田は色々と栄一のひやかしを云うたが、篠田は新見にはサイダーを飲ましておいて、自分は葡萄酒を飲み出した。
『僕もね、酒をのむと肥え過ぎていかないのだがね』と云うてのむ。
 栄一は別に説教がましいことも云はなかつた。たゞ景色が善いので飯が甘く、『甘い、甘い』と食うて居た。篠田は突飛に、
『君は、小秀が美しいと思ふかね』と、
『美しいと思ふね』
『それぢや君も枯木でも無いのだね』
『枯木ぢや無いさ……』
『君の失恋の話を小秀がして居たよ』
『エ? 小秀が? 僕の?』
『その失恋物語に惚れたと云うて居たよ』
『もう冷やかさないでおいてくれ給へ……僕は、今日は昔の僕と違ふのだ、耶蘇宗の修行者なんだ――僕は、今の処は恋も、性慾も忘れて居るのだ』
『それぢや君は小秀が君の妻にしてくれと申込むと拒絶するかね、……いや君はそれを拒絶する権利を持つて居るかね』
『心配してくれ給ふな、僕は愛せられざる権利があるよ』さう云つて栄一は黙つてしまつた。それで篠田も黙つた。その沈黙は暫くの間続いた。
 栄一の顔は曇つて来た。室は実に静かである。彼はその静かさが好きでならない。朝から晩まで貧民窟と保険会社の騒しい中に住んで居るので、こんな静かなところで黙つて居らしてくれるならば、どんなにうれしいことであらうと屡々考へたことがある。それが今友人の好意で暫くの間でも静かにして居られるので、彼は出来るだけ長く黙つて居たいと思つて居た。
 二分、三分、五分と沈黙が続いた。篠田が怒り出しはしないかと思ふ程、新見は黙つて居た。そしてたゞ白紙のやうな心になつて何にも考へずに、また何を見るともなしに、たゞ静かに呼吸した。静かにして居ることは善いことである。栄一は何にも食はうともせず、何にも飲まうともせず、たゞ静かにして居た。お給仕の女も先きから黙つて居たが、あまり二人が黙つて居るので、
 給仕女『旦那はん達はこんな処へぎやうしにきやはただつか? 一寸賑やかにしておくれやす。』
 篠田『いや心配しなくても善い。今に、美しいのが来るから、さうすると、此旦那は少しは笑ひ出すよ』
 栄一は無造作に笑つた。
 その中に小秀の声が廊下にした。案内の女中と何か話して居るのである。
『そら来た、新見君、君をまち憧れて居る女が来たぜ!』
 給仕女は障子の処へ走りよつて、障子を開いて、
『お起しやす』と挨拶する。
 小秀は敷居の所で手をついて、
『遅くなりました』と挨拶して、二人の所へ近づいて、またうや/\しく挨拶した。水ぎわ立つた島田髷に、派手な裾模様の絹物をきて、美しい眼のぱつちりした小秀は今日は一層美しく見えた。
 栄一はこれでは男の堕落するのはあたりまへだと感じた。小秀は二人の間に坐るや否や、篠田のコツプに葡萄酒をついで、
『新見さん、久しぶりだんな、何年目だつしやろか?』
『さアね、忘れてしまつた』
『あなた近頃窶れていらつしやいますな、どうして居らしやるんだす』
篠田は、『貧民窟へ這入つて居るんだ、貧民窟へ、俺は今日、新見君を、貧民窟へ訪問して来たんだが、そりや、実に非道い所だ。君も一度訪問して来給へ、学問になるよ、……そして新見君は、貧民と一緒に同居して、世話して居るのだから、出来ない事だと僕は全く感心して居る処なんだよ』
『つい、そのお噂は新聞社のお方から折々噂に承はつて居りますが、それでは是非一度拝見させて頂きませうかね、行つてもかまひませんか、新見さん、私のやうなものでも』
『然しその風ぢや、君は行け無いね』
『そら、こんな風では行きはしませんよ。平常衣ふだんぎのまゝで行きますよ、私、見たいわ』
 篠田『君が行くと、穢れるとよ』
 小秀『篠田さん、およしなさいよ、ね、かまはないでせう、新見さん』
 新見『エ、お出でなさい!』
 篠田『おゝ? 新見君は、酒も魚も肉も食はないで居る癖に、女だけは善いのだね――之は妙な行者だね』――
 小秀『まア、新見さんはお酒もお魚も召上らないんですか? まア近頃は変つて居らつしやるのね』
 篠田『耶蘇教になつて居るんだ!』
 小秀『そのことは聞きました。なんでも元町で辻説法をして居らつしやつたと云ふことも聞いたことがあります。……然し随分の変りやうね』
 栄一『いや、別に変りはしないのだがね……』
 小秀『あの方はどうなさいました?』
 栄一『あの方つて誰れ?』
 小秀『そら、あの方ですが! 新見さん、馬鹿の真似をしちやいやですよ!』
 さう云つた時に、小秀は恥かしさうに、パツと顔に朱をそゝいだ。
 栄一『あの、広島の?』
 小秀『エ、……あの方、どうなさいました』
 栄一『駄目だつた』
 小秀『あの女の方は、矢張り広島で?』
 栄一『いや、徳島の田舎へ這入つて、小学校の先生になつて居るんでせう――少しも便りがないから、少しもわからない』
 篠田『小秀さん、そこでさ、小秀さんが、新見君の処へ行きたいと云うて居ると、話して居た所なのさ』
 小秀『ホヽさう? それは御親切にね』
 篠田『君は真面目だつたね、此間、さう云つたのは?』
 小秀『エ、オホホヽヽヽ』
 篠田『今日は直接申込んで見給へ』
 小秀『まさか?』
 篠田『ぢや、この間は嘘を云つたのだね』
 小秀『だつて、新見さんが、私のやうなものを、お嫁さんにして下さる理由は無いぢやありませんか、……ねえ』
 篠田『そんなことは無い、仮に申込んで見給へ』
 その云ひ様が面白いので、小秀も新見もお給仕の女も皆笑ふ。小秀は、今日はどう云ふわけか元気が善い、いつもと違つてはき/\して居る。平気な態度で篠田の酌をしながら、――
 小秀『新見さん、私をあなたのお嫁さんにして下さいますか?』
 篠田『さうだ! さうだ! 君はえらい、さう切り込まなくてはならないのだ!』
 栄一『それは、ほんとかね!』
 小秀『ほんとですとも』と小秀は急に真面目になつた。そして、大きな眼で栄一を見守つて居る。
 然し栄一も貧民窟で、性慾のどん底から、どん底のことまで聞いて居るので、別に何とも考へない。
 栄一『まア、考へて置くよ』と軽く答へる。
 小秀『片恋になつちや、つまらないですからね』
 栄一『僕に恋することはよし給へ? 枯木にならなくちや、僕に恋は出来ないよ!』栄一は物静かに云ふ。
 小秀『それぢや、どうすれば、あなたの奥さんになれますか?』
 栄一『まア、貧民窟へ住まなくちや駄目だね』
 小秀『そら、なんでもありません、私も、もとは貧乏人ですから、貧乏人になる位のことはなんでもありません。私は恋の為めなら乞食とでも一緒に寝ますよ』
 栄一『えらい勢だね』
 小秀『ね、篠田さん、私は真剣ですわね……ね……新見さん……あなたは私が芸者だから、よう貰つて下さらないのでせう、さうでせう? さうですよ? あなたは品行が方正だから私が怖いのでせう?』
 栄一『えらい真面目だね――』
 小秀『失敬な、新見さん、私真面目なんですよ』小秀は一生懸命になつて居る。篠田は面白さうに葉巻を燻らしながら聞いて居る。
 栄一『僕は正直な処、小秀さん、僕はね、労働をしない人間は嫌ひなんだよ――』
 小秀『だから、私は、あなたの処へ行けば、きつと労働します。裸体になつてはたらきますよ。それ此間、東京新橋の芸者の葛葉が井上とか云ふ大学生に惚れて結婚したでせう。私だつて葛葉位ゐの勇気はありますわ』
 この言葉で、栄一は少し、小秀の心が読めた。栄一は小秀の云ふことは全く篠田が仕組んだ芝居のやうに見えてならないのである。彼は後の方によつて障子に倚りかゝつた。小秀は篠田から巻煙草を貰つて喫ひはじめた。栄一は、あんなことを云ふ女が、煙を鼻から吹かすのが面白いと考へて、小秀の鼻から吹き出す煙の跡を静かに見詰めて居る。紫の煙が舞ひ乍ら、天井の方へ消える。外は全く真暗になつて、新開地と三ノ宮の空だけが、パアと明るい。室には広い室に似合はず電燈の光が鈍く、煙草の煙が室の中を巻いて、何となしに胸苦しい。
 栄一は急に何を思つたか、ツウと立ち上つて、
『篠田君、僕はもう失敬する。御馳走さんでした。小秀さん、失敬、僕は之で失敬します。』と立ち去らうとする。
 篠田『まア、いゝぢや無いか! もう少しゆつくり話をしようや、[#「話をしようや、」は底本では「話をしようや」]之で君が帰りや、話が途中で切れるぢや無いか! 君と小秀さんの会話は、なか/\僕には面白い。もう少し二人で話をしてくれんか!』
 栄一『いや、僕は、一寸用事がある、もう八時かね?』
 篠田『今、七時半だ、まだ早いぢや無いか!』
 小秀『新見さん、あなた、まだ帰つちやいかんわ、私はまだすつくり話をして居らないんですよ』
 然し栄一は拗ねたやうに帰ると云ひ張る。給仕女までがとめる。篠田と小秀もそれには弱つて了つて、遂に、栄一を帰らすことにした。
 栄一は東常盤から帰つて、まだ時間が早いので、直に中道筋へ一人で路傍説教に出かけた。そして篠田から貰つた三百円のことも、小秀から申込まれた恋物語も、全く忘れたやうになつて一生懸命に、イエスの福音を宣伝して居た。

五十四


 翌日の昼頃、篠田は神戸海上へやつて来た。そして、小秀があんなにむきになつて栄一に話した理由を物語つた。それは、小秀の身代金も生活費も保証すると、前に話してあつたからだと告げた。それで栄一は、突然に起つた問題の黒幕を充分理解した。篠田は栄一に世話になつた御礼に何か栄一の為めにしたいと思つて、栄一の妻を周旋する積りで、小秀をそゝのかしたのだと云ふことがわかつた。
 それで栄一は篠田の親切を心から感謝した。篠田も栄一の行動を激賞して、出来るだけ之から栄一の運動を助けると云つた。またそれに加へて、彼は今は堅気になつて居るし、妻子も健全だから安心してくれと懺悔話をして帰つて行つた。
 栄一は小秀のことを余り気に止めなかつた。相も変らず不良少年の松蔵と一つの床に這入つて、全く性慾を忘れた恋愛抜きの日を続けて居た。
 小秀と会つてから、三日目に小秀から長い手紙が舞ひ込んで来た。小秀は存外真面目である。前の晩小秀が云つたやうなことを繰返して書いてあつた。それで栄一は何にもかゝずに詩を一節書いて送つた[#「書いて送つた」は底本では「書い送つた」]

何人も 我を愛す可からず 何人も
我は神の子 自由の子
『愛の鎖』につながれず。

何人も この垣越ゆるな 我胸の
神に立てたる祭壇の
『自由』のまがき打越えて。

我を愛す可からず 乙女等よ
自由なき愛 なんすれぞ
悲しき恋を なにかせん。

我にたてたる誓あり
自由の日 ならんまで
愛の鎖に つながれず。

 この詩を送らうと思つて、自らポストの方へ貧民窟の路次を出た時に、栄一は何だか惜しいやうな気がした。矢張り女に愛してもらひたいとも考へた。いや、それよりか濃厚な程度で、あの眼のパツチリとあいた美しい、薄紅色の皮膚を持つた、島田髷の小秀が両手を開いて待つて居てくれるものを無理矢理に拒絶するやうな気がして、さう思ふ瞬間にも小秀のつけて居た香水の麝香の匂ひがしてくるやうに思へてならなかつた。彼は今男であると云ふことを拒絶するものであると云ふ様な気もした。美しい女に惚れられるうれしさを感じないでもなかつた。然しまた栄一は小秀が何だか不安で仕方がないのと、自分が肺病患者で、行先がどんなに変化するか知れないと云ふことを考へて、恋愛は拒否するのでは無いが、性慾と生殖を拒否するのだと云ふやうな矛盾したことも考へた。
 手紙をポストに入れた時に自分の意志の強いのに驚いた。
 然しあんな詩を出しておいても、栄一はどんな反応があるかと思つて待つて居たことは争へない事実であつた。栄一は篠田が小秀を再び彼に括りつけて、何となしにまた聖からざる或誘惑の世界に彼を送り込まうとして居ることを感じた。それは彼の聖い何者をも侵入させなかつた一年有半の世界を全く掻き乱して了つたやうにも考へられた。
 神様が遠く逃げて行つて了つたと云ふ感じでは無いが、自分が抱くべき筈の愛を抱き得ないと云ふ矛盾した不安な世界に捨てられることの不安が栄一に出来た。
 美しく生きたい。小秀に接触して行きたいと云ふ一方には、自分が常に醜悪の友であり、一枚の衣の使徒であり、美しからざるもの追ふ人道の志士であると云ふことの矛盾がある。美しくなりたい、また美人と一緒になりたいと思へば、今の生活状態を変更せねばならぬ。それは癩病人の側にでもすぐ寝転ぶと云ふ簡易な生活から、少なくとも美人が住むに適する――そして美しい人間が、美しく見える境遇の世界に引越しせねばならぬと考へると、彼は美と善との間に挾さまれて苦しんで居ることを考へるのであつた。
 この不安の中に捨てられつゝ、今日返事がくるか、明日返事が来るか、もし小秀が狂烈に恋してくるならば、その狂烈の程度に従つてその方に傾かうと決心した。
 然し小秀は別に狂烈な恋をも見せなかつた。二週間ほどは少しも小秀から通信もなにもなかつた。
 その間に栄一は急がしく色々なことを片付けた。それは愈々彼は専心貧民窟の救済事業に没頭する為めに、神戸海上を辞職すると云ふ決心をつけたことである。その最大の理由としては、篠田が三百円を寄越したことも一つであるが、ウイリアムス博士が貧民窟へ案内して来た、米国ジヨウヂア州の煉瓦製造会社の重役で熱心な平信徒が、東洋伝道を視察に来て、新見のして居る仕事に非常に感心して、之から向う二年間毎月五十弗だけを新見の為めに保障すると云うて帰つたからであつた。
 新見は専門になつたから出来るだけ多くの貧民を助けたいと決心した。彼はまた貧民窟の子供に読ます為めに、先づ画入の聖書物語を出版したいと考へた。それは、十一月の十七日の日であつた。彼は愈々神戸海上を辞した。そして初めて三十銭で古手屋から買うて来た三十銭の机の前に、机より高値の五十銭の椅子に腰をかけた時に、何となしに落ちつかないやうな気がした。
 今まで毎日神戸海上に精勤した調子で彼は聖書物語を何冊も著述したいと思つて、先づ『ダビテ[#「ダビテ」はママ]とヨナタン』の友情の物語に筆をつけた。どうしても思つたやうに筆が取れない。然し彼は会社で数字ばかり書いて居るより遥かにうれしいと思つた。
 朝から晩まで、貧民窟に居つて見ると色々な事件が起る。『うかれ節の松公』が蒲団を竊み出して質に入れたものを、新見が知らずに居ると、警察の刑事がそれを発見してくれて云うて来てくれる。それを警察に貰ひに行く。松公が監房から出てくる。それを許してもらつて連れて帰る。
 不良少年の松蔵が電信柱の針金を盗んで古物商に売つて居る所を、刑事に発見せられて交番所へ引致せられて居るのを巡査に勘弁してもらつて連れて帰る。
 プリミヤの自転車工場に通うて居る元の巡査二人、梁瀬と飛田は初めの勘定の晩はおとなしくして居たと思うたが、二勘定目の晩から女郎買ひに行くらしい。朝の二時頃でなければ帰つて来ない。十一月十七日、栄一が始めて会社を止めた時の如きは附馬をつけて神戸仲町の料理屋から帰つて来て、栄一に五円七十二銭の支払ひをさすと云ふ始末である。
 向隣の吉田は、何処で拾つて来たか、顔がむくんだ青瓢箪の女を連れ込んで、嬶のやうにして居たが、五日目にそれが逃げ出して、地廻淫売の周旋屋である八木の家に頼寄つて行つたものを、八木の妻がよう世話せぬと云うて新見の所へ救済を申込んで来たので、新見も仕方なしに、自分の内へ引取らうと思うたけれども、吉田はまだその女に未練が有つて、毎晩酔払つてはその事に就いて猛獣のやうに吼え猛るので、とても危険で引取ることも出来ないからと断つて、毎日米一升づゝを送ることにした。
 十一月に這入つてから毎日行倒れものが有つた。その度毎に親切に遠くからでも栄一の所へ報らせてくれるものがあつた。勿論そんなに多くのものを収容出来るわけでも無いし、市役所に交渉をしたが、市役所は警察署に云うてくれと云ふ。警察署は市役所に云うてくれと云ふ。結局その行倒れものが、そのまゝ辻で死んで了ふことがある。死んで了へば市役所はすぐ取つてくれるのである。それで栄一は笑つたことがあつた、神戸市役所は生きて居るものは面倒臭がつて世話せずと死んだものは誠に丁寧に世話をしてくれると。
 その市役所が偶に世話してくれるものがあつても、すぐ逃げ出してくる。それは市役所には貧民救療所と云ふものが無くて、一日六十銭の割で神戸護国協会と云ふ慈善団に病人を委託して居るのであるが、その慈善団は孤児院もやれば、養老院もやり、貧民救護もやるものであるが、どんなに見積つても一日六十銭で一人の病人を世話の出来る法は無いのである。それで新見があまり逃げ出して来るものが多いので、見に行くと、湊川の土手の下に小さい学校の古い建築物を市役所から貰つて来て、六畳敷位の一室に六七人の病人を詰め込んで居るので、そんな部屋が五つ六つ有つた。而も栄一は昼食時に訪問したので有つたが、実にその食物と云へば病人の食ふものではないのである。栄一は吃驚して飛び出して来て、資本家のやつて居る慈善事業と云ふものはこんなものかと罵りつゝ、貧民窟へ帰り、早速、自分の筋の向側の一番西の端の家が明いて居たので、そこを借りて病人を収容することにした。そしてそこには一室について一人――そこには二室あるから二人の病人――を収容することにした。最初そこに這入つたのは脚気腫の患者で湊川の市の行路病院から逃げ出して来た、宇野と云ふ四国遍路の男乞食であつた。五十恰好の男で物静かなそして上品な男で有つた。そしてまた奥の一室には『おいたべらう』の元の妻君で有つたと云ふ鬼のお梅が子供の政市を連れて這入ることになつた。鬼のお梅と云ふのは、恐ろしい窶れた顔に犬歯が著しくのびて、ほんとに般若のやうな顔をして居るのでその名をもらつたのであつた。病気(梅毒の三期)の為めに乞食をして居たが動けなくなつて、吾妻通六丁目の『めしや』の店先で寝て居たのを栄一が背負つて来て、そこに収容したのであつた。
 世話を依頼に来るものは、それだけでは止さなかつた。植木屋の戸田は子供が四人もあるにかゝはらず、それを捨てゝ置いて、外に女を拵らへて逃げて了つたのである。それで栄一はその一家全部を引受けなくてはならぬことになつたのである。さあ賑かなことである。まだ年の若い戸田のおかみさんが、嬰児を盥の中に入れて麻糸つなぎをするので、家庭らしくはなかつたが、ぎやあ/\赤ン坊が泣くので、家の中は急に気ぜはしくなつた。
 そんなことをして居る中に、小秀に詩を送つて二週間経つたが、突然、小秀が車でやつて来た。品の善い黒縮緬の羽織にハイカラ髷に結つて、何処の奥様かと云つた様な態をして路次に這入つて来た。
 その時に栄一は路次に出て戸田の赤ン坊を高い高いして天の方に差上げて居た。その日は誠に秋の空のよく晴れた日の午後の二時頃のお日様が路次の隅々をよく照らして心地のよい時であつた。
 小秀を見付けて栄一は、
『まア、よくいらつしやいましたね』と小秀を見るなり、栄一は心持ちよく、彼女を歓迎した。
『まさか、よういらつしやらないと思つて居たら、あなたもなか/\元気がありますね』
『私だつて、それ位の元気はありますよ』
 後へつゞく車夫が何か包みを持つて来たが、小秀はそれを受取つて、車夫に、
『待つて居て下さいね』と云ふと、車夫は額の汗を拭き乍ら路次から消える。
 栄一は戸田のおかみさんを呼んで、子供を取つてもらつて、十七畳敷の広い方の部屋に小秀を通した。
 小秀は半分壊れかゝつた椅子に腰をかけて、
『あの赤ン坊はあなたの?』
『いや、あれは戸田と云つて親子五人を私に打ちやつて置いて他の女と逃げてしまつた、植木屋さんの子ですよ』
『私はまた、あなたのお子さんかと思つた、あんまり可愛い顔をして居たから……ホヽヽ』と笑つて居た。
『ぢやあなたは吃驚したでせうね、初め』
『エ、ほんとに、私は吃驚しましたよ、あなたにはお子供さんも奥さんも無い筈だにと思ひましたね』
『兎に角、今日はよくいらつしやいましたね』
 新見は岸本の老人を呼んでお茶を出すやうに注文した。戸田のおかみさんが気をきかしてお茶を持つて来てくれる。
 小秀を見る為めに、路次から子供が室内を覗く。
『別嬪や! 別嬪や!』と遠慮の無い鮹坊が叫ぶ。さうするとその真似をして小さい子供までが、
『別嬪や! 別嬪や!』と云ふ。
 それを聞いて小秀は笑つて居る。
『私恥しいわ、あんなに見られちや!』
『だつて仕方が無いじやありませんか』
『お内には、戸が無いのね、戸締はなさらないのですか?』
『イヽエ、戸締なんかしたことはありませんよ、泥棒に這入りたければ、這入り放題です』
『泥棒は這入りませんか?』
『盗られないことも無いですが、別にそれを警察に云ふやうなことは致しませんよ』
『ほんとに、あなたのやうに聖人になれば、さうなるんでせう』
『然し、金でもあれば、盗られる恐れがありますが、着物と云へば、着のみ着のまゝですし、何にも取られるものはありませんから、何にも心配はありませんよ』
 それから小秀は硝子越しに覗く十二三の子供の顔を見て、『私、御近所の子供に上げようと思つてお菓子を持つて来ました』と云つて、三四斤も入ると思ふ程の大きな菓子箱から、星の形の砂糖がついて居るビスケツトを取り出して、硝子障子をあけて、一人一人に与へる。さうすると貰つた子供が家の方へ飛んで帰つたかと思ふと、みる/\中に子供は三十四十と群がつて来た。
『先生、菓子おくれ!』
『先生、煎餅おくれ!』
 小秀はそのあまりの大人数に吃驚して居る。栄一もその人数の一度に増加したのに驚いた。小秀は、ビスケツトを凡て与へ尽して、
『まア、もう無いわ』と云つて愁嘆して居る。そして栄一を顧て、
『あなた、お金を換へて来て下さいな、子供等に二銭づゝやりませう!』
 栄一はそれを止めた。
『お金だけはやらないで下さい。子供の性質が悪くなりますから……』
 小秀は女王になつたやうな積りで、無性に悦んで居る。
『貧民窟と云ふのは、広いんですか、此処が貧民窟なんですか、こんな処でしたら、私ちつとも、来ても辛くは無いわ。――』
『あなた、貧民窟に住む勇気がありますか、南京虫が居りますよ』
『南京虫? 南京虫はいやですね、然し私はね、まだ南京虫を見たことがありませんの、南京虫つてどんな形をして居るんですか?』
『さうですね、もう少し早いと、いくらでも居るんですがね、夏の夜なぞは、一晩に五十匹も六十匹も取るんですよ』
『まア、それは困りますね……それだけは御免ですね、それぢや私は貧民窟によう来ないのね』
 そんな問答の有つた後に新見は小秀に貧民窟を案内して廻つた。美しい小秀が通るので、路次の戸口から、女の人も年寄も皆顔をつき出して珍らしさうに、小秀の顔をぢろ/\と見る。三四十人の子供が小秀の後からついてくる。十人ばかりは栄一の前後に群がつて、手を引いて貰ふのもあれば栄一の袂を握つて居るものもある。それでも足らなくて小秀の黒縮緬の袂を穢い手で握らうとする。小秀はそれには閉口して居る。
 小秀は妙な顔をして栄一を見る。それで栄一は、子供に、『をばちやんの袂を掴まないやうになさいね、あなたのおててが穢いから……』と教へた。さうすると、その子供は栄一の裾を掴まうとする。それで栄一は帯の端を与へた。
 新見と小秀と子供四五十人からなる行列が貧民窟を廻ると、新見を知つて居る人々は一々お辞儀をする。
 下の二畳敷に行くと、丸々肥えた男の子を背負つた女乞食のお春が、
『先生、今日はハイカラの別嬪を連れて、結構だんな、先生、この人、あんたの奥さんだつか?』とむきつけに遠慮も会釈もなく尋ねる。
 新見『いゝや、僕には、まだ妻はないよ』
 お春『先生、この別嬪さんを、嫁さんにもらひなはれ』
 小秀は素知らぬ顔をして、お春の背負つて居る子供の顎に指をあてゝ、
『オンゴ!』をやつて居る。そこは玄人筋だけあつて大胆なものである。栄一もそれには感心して了つた。
 貧民窟を廻つて帰つてくると、小秀は吃驚したと云うて居る。そしてとてもあんな所で一日だつて住めないと云ふ。栄一から、葺合新川だけに一万一千人の貧民が居ると聞かされて猶吃驚して居る。そして小秀は疲れたか顔色を変へて、帰ると云うて居たが、急に裏筋の路次が賑しくなつてバタ/\と人々の走る音がした。忽ち新見の台所の炊事場の上に葺いてある亜鉛トタン屋根の上を走る音がする。子供等はその方へ皆走つて行く。栄一の所へ飛び込んで来たものがある。それは林であつた。小秀を見て驚いたやうであつたが、
『先生、今、網が降りてん、少し隠しておくれよ』
と、云ふ。栄一は黙つて居た。すると、林は岸本のおぢいさんが丁寧に積み重ねた蒲団を取り出して病人でも臥て居ると云つた風に、そこに寝込んでしまつた。
 変装の刑事が二三人新見の家を覗き込んで、
『此処へ、一人逃げて来たと思ふがな』
『此処は、耶蘇やな』と云つて、すぐ行つて了ふ。
 小秀は小さい声で、
『私、こわかつたわ、あれなんです、新見さん?』
『賭博の網が降りたのですよ』
 二人は少しの間沈黙のまゝ裏と表で話されて居る色々の会話を聞いて居た。それは実に面白さうな会話であつた。誰れがどんなに逃げたとか、亜鉛屋根に這ひ上つたのは誰れだとか、誰れはこちらの屋根から、むかふの屋根まで飛んだのは豪傑だと云ふのであつた。その話を綜合して見ると、網は降りたけれども捕へられたものは誰れも無いらしい。
 林もそれを蒲団の中から聞いて居たらしかつたが、亀が甲の中から頭を出すやうにして、
『あゝ、こわかつた。もう少しで掴まる所であつた……先生、助かりました。逃げ遅れてわしが一番後まで博奕場に残つて居ましてん……ア、助かつた、また三ヶ月か、四ヶ月食ふところやつたンやが、先生に助けてもらうた』と云つて、寝床の中から出てくる。そして路次の群衆と一緒になつて、また逃走冒険談を物語つて居る。
 小秀は――
『私、もう帰ります、私、こわい!』と云つて路次に出る。隣の花枝さんの家の前に立つて居る十四五人の大人は皆視線を小秀にむける。
 小秀は打萎れた姿で路次から消えせた。
 小秀が貧民窟を訪れた二日後であつた。夕方、紀州の新宮で伝道して居る音無信次君が、突然尋ねて来た。丁度向ひの呑太の吉田がぐづ/\云つて来て居る時であつた。
 栄一は話対手が無くて困つて居た時であるから、音無に面白い話を少ししてくれと無理に引留めた。
 吉田は路次で、ぐづ/\云うて居た。不図見ると路次に居るのは、吉田計りでは無い、洋服を着たキチンとした紳士が二人居る。栄一は音無の友人だと思つたものだから、
『お這入り下さい、むさくろしい処ですけれども』と声をかけると、音無は、
『善いよ、新見君、あいつらはスパイだよ、何処までも僕の行く後へついてくるのだよ、……新見君、早速だがね、今日は少し頼みがあつて来たのだがね、君、人を一人世話してくれんか?』
『いゝよ、君のことなら』
『さうか、それは有難い』
 音無は英国の基督教会の牧師さんが着るやうな、カラーを頸環の様にして、チヨツキで頸の処まで隠し、咽の処だけを一寸白く見せて居る。元気で、顔は丸々と太つて、赤味を帯びて居る。詩人のやうに髪を心持長く延ばしてそれを頸の所で揃へて居る。それがどうも調和して居ない。
 音無はつゞけた。
『いやね、君、困つて居る男があるのだよ、例のOの事件からね、……』
 初め栄一は、音無のOの事件と云ふ意味が解らなかつた。然しそれは近頃新聞で八釜敷い△△事件に関係して居た新宮のOだと云ふことがすぐわかつた。
『高見と云つてね、Oの親戚だと云ふ理由で、小学校では辞職を要求せられ、地方で食へなくて困つて居るものがあるんだよ、神学校へでも入れようかと思うて居るのだがね……その男は僕のところの信者でね、……近い中に出てくると云ふから、君一つ世話してくれないか』
『こんなうるさい所でも構はなければ』
『結構だよ、却つて教育になつて善いよ、……然し、君、君はこんな所へ這入つて居て、スパイはつけへんか?』
『少しもつきやしないよ』
『そら変だね』
『君は何をしに出て来たの……たゞそれだけの用かね』
『いや、Oの妻君のことで一寸外にも用が有つたので出て来たのだがね……まア助かつた、君が引受けて[#「引受けて」は底本では「引け受けて」]くれたので安心した。その男を何処へ連れて行かうかと心配して居たのだ。まアうれしい、うれしい』と音無は喜んで居る。
 音無と新見とは、明治学院時代の知己である。然し年齢は音無が十二三も上だし、音無は孤児院の院長、新聞社の社長、小学校の校長と云つた経歴を持つた後に、神学部の別科に這入つて来たので、栄一には叔父さんの様に思へたから深い親しみが出来なかつたが、よく一緒に散歩をしたり、議論もしたことがあり、新見が徳島へ帰り、音無が新宮へ伝道に行つた後にも互に通信して居た。殊に『サンセツト』と云ふ音無がO氏と一緒に発行して居た新聞形の小雑誌には二三度、新見が兵庫へ来てから短篇を送つたこともあつた。
 二人は三十分間程話をしたが、音無は何か急いで居るやうで、すぐ帰つて行つてしまつた。そして二人の刑事も、柔順に音無の後について路次から出て行つた。
 音無の訪問を受けた翌日、すぐに三宮警察署の高等特務だと云ふ男がやつて来た。そして、音無との会話の内容、彼との関係、△△△△△との関係、O氏との関係、社会主義に関する新見の意見を尋ねて居た。
 それで栄一は、明瞭に、
『自分は、基督教社会主義者である。然し、それと同時に、無抵抗主義者である。貧民窟へ来たのは貧民の救済と感化に来たものである。然し心配してくれるな、労働者をも尊敬し、貧民をも救済せんとする私が、人を殺すなどと云ふ事は決して企てはしないから安心をしてくれ。私は凡ての人を尊敬する。労働者をも凡ての人を尊敬する。それで、私は基督教社会主義者と云ふよりか、寧ろイエス主義者と云つた方が善いのです』
 さう云ふと、刑事は猶もうるさく、あなたの説は西洋ではどんな人が主張して居るか。日本では誰れが唱へて居るかとか、しつツこく聞いて居た。それで栄一はそれに対して一々明瞭に答を与へた。
 然し、之で栄一は完全に神戸警察署の要視察人名簿に載ることになつた。刑事は三日目に一度位一寸硝子障子の外から、内を覗き込むことになつた。
 小秀は貧民窟から帰つて翌日美しい手で長い手紙を送つて来た。そして栄一の真似は出来ぬと書いて居た。二人の関係に就いては少しも書いて居らなかつた。
 十一月も後少しになつたので、栄一はもうクリスマスの準備をせねばならなかつた。ダビデとヨナタンの友情を書いた『聖書物語』の原稿も出来上つたので、布引教会の信者で新見に非常に同情を持つて居る、神戸印刷会社の支配人吉野又平さんの所に持つて行つて、クリスマスまでに出してくれないかと依頼した。吉野さんはそれをすぐ承諾してくれたのみならず、会社の経営して居る書店から出版することにするとまで云うてくれた。

五十五


 十一月の末の冷い雨の降る日であつた。栄一は葺合新川を出て、阿波の義母を迎へに帰つた。そして四日目に義母を連れて貧民窟に帰つた。恰度帰つて見ると高見友弥と云ふ三十二三の青年で、年よりは余程老けて見える人の善さそうな男が音無の紹介で来て居た。
 新見は義母の為めに更に一軒――家賃一ヶ月二円五十銭――の家を借りてそこに這入つて貰ふことになつた。高見は毎日就職口を求めて、神戸市内を走り歩いたが、或晩こんなことを新見に報告して居た。
『郵船会社に二人の書記が入ると云ふので二週間程前に募集広告が出たところが、五千七百通の履歴書が出たと云つて、通信者が吃驚したと云うて居りました。世の中は余程不景気だと見えますね』
 全く世の中は不景気である。その為めに、新見は毎日数人の救済依頼者を色々と世話した。然し戸田の一家族は栄一には一種の悦びであつた。赤ン坊のすきな栄一は何より勝つて、その赤ン坊を愛した。そして栄一は、『赤ン坊は神の作つた芸術品の中でも最も美しいものだ』と口癖のやうに繰返した。高見はそれを聞いて淋しさうに笑つて居た。高見には故郷に妻と女の子が一人あるのである。
 クリスマスが来た。そして栄一は去年に勝つた催しの準備をした。殊に今年は高見が手伝つてくれるので、面白いものが出来るとよろこんだ。
 彼は十二月の二十五日クリスマスに乞食招待会をもくろんだ。吾妻通六丁目の広場に天幕を張つて、そこに八百人の貧児を招待して子供のクリスマスを盛にやり、昼はそこに百人の乞食を御馳走しようと云ふのであつた。その為めには彼の手だけでは不充分であつた。それでウイリアムス博士にもそれを話し、教会の婦人連の手を借りようと思うた。そして教会の婦人連は悦んでそれを引受けてくれた。
 イエス団には女子は無いでも無い。助けてくれと云へば、おしんさんを始め稲荷降しのおじゆうも助けてくれないことも無い。然し皆急がしい。それで誰れにも依頼することが出来ない。
 たゞ最近一ヶ月程教会の集会に欠かさず顔を出す二十五六の婦人がある。いつも髪を蝶々に結つて妹をつれて貧民窟の教会に出てくるが、まだ教会の仕事を助けてくれと云ふ程親しくはなつて居らないのである。
 その婦人は一寸見れば、どこかの妻君のやうであるが、実は神戸印刷会社の折本部の女工頭をして居るので、もうその印刷会社には七年も居ると云うて居た。
 初めての晩は路傍説教からついて来て、路次の奥のイエス団の障子越しに説教を聞いて帰つたが、その後は必ず十七八になる品の善い妹を連れて教会にやつてくるのであつた。新見は信仰の芽が生えつゝあるのだとは考へたが、込み入つた話は少しも聞かなかつた。
 十二月二十一日に新見の初めての書物とも云ふ可き小冊子『友情』が出来た。新見はその※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)絵全部を自分手に書いたので出来上つた自分の画が余りに拙いので苦笑したが、兎に角自分の書物と云ふ可きものが出来たので、少なからず喜んだ。
 二十二日の日から新見は天幕を張る色々の準備に走り廻つた。こんな時には、富田や、林や、植木のやうな侠客仲間のものは非常に力を貸してくれるので、うれしかつた。それで二十四日の夕方迄に天幕はちやんと出来上つた。
 富田が番人をつけなければ駄目だと、新見に云うたのであつたが、新見はそれにまで及ばぬと云うて捨てゝおいたが、クリスマスの当日になつて、朝早く行つてみると、死にさうになつて居る女乞食が、天幕の中に這入つて寝て居た。そしてどんなに云うても返事をしなかつた。それで仕方なしに新見の北本町六丁目の病室に舁ぎ入れた。それは矢張り地廻りの淫売婦の成れの果であつた。
 朝の八九時頃から神戸教会の婦人会の人々が七八人見えた。栄一は百人分の食器を生田神社筋の瀬戸物屋に買ひに行つた。そして十時頃には天幕の側に造らへた竈の上には大きな一斗五升も入るやうな釜に一杯めしが炊けて居た。大きなお祭心地がした。招待券は前の晩に配布したのだが、もうやつて来て、天幕の中で待つて居るものがある。
 貧民窟の青年の信者は大抵助けに来てくれた。竹田も、浅井も、元山も、花枝さんの兄さんの勝之助も助けに来てくれた。そして依頼もしなかつたのに、樋口さんが印刷会社を休んで助けに来てくれた。今日は妹も連れずに一人手でやつてきて、せつせと水を汲んで居る。
 この教会の人々は着物の上にエプロンをかけて急しさうに仕事をして居るのだが、あまり上品振るので少しもハカが行かない。事毎に青年の助手が入るので、元山は栄一の所にやつて来て、
『先生、あきまへんな、山手の人は駄目や、樋口さんの方が余程仕事が早い』
 また実際樋口は一生懸命に尽して居る、山手の教会の人々のやうに美しい声でお喋りはしないが、沈黙のまゝに仕事を運んで居る。その早いこと、新見はそれを見て少からず感心したのである。そして樋口さんがたゞの女工で無いと云ふことだけは知つた。その態度が上品で、人に対して丁寧な処は家庭が余程しつかりして居るのだと云ふことはすぐわかつた。山手の教会から美しい娘さん達も三四人来て居た。その中には女学院の高等学部を出たと云ふ娘も来て居た。純町家のお嬢さんらしいものも来て居た。然し新見の眼にはそれがハツキリと写らなかつた。たゞ樋口の行動が少なからず印象せられたわけである。
 十二時一寸過ぎて、百枚の招待券に百二十人の乞食が集つた。仕方が無いので、新見はそれを大きな天幕の中の緞通の上に坐らせた。そして婦人達はそれにお給仕することになつた。御馳走は簡単なものであつた。赤飯、肉のにしめ、鰤の一片、吸物と蒟蒻のあへものであつた。それにお煎餅一袋とお蜜柑五個がついて居た。
 御馳走は一時間以上も食ふにかゝつた。それは自分は食はなくて、先づ半分を家に持つて帰つてくると云ふものもあり、娘にもお相伴させてくれと云うて立つものもあり、非道いものになると、二日分を食ひ貯めると云つて、十七杯もかへるものがあり、中には家から持つて来たお櫃の中につめて帰るものもあり、最も野蛮なものになると前垂や袂の中にそのまゝ赤飯を五杯も六杯もうつして貯へて帰るものもあつた。その露骨な乞食的遣り方には、お給仕をして居る婦人連が全く吃驚したのであつた。天幕から出て来ては、お給仕の人々はゲラ/\笑うて、貪り食ふ真似をする人もあり、袂に茶碗をうつす真似をするものもあり、新見は乞食招待会が全くの乞食侮辱会に終りはしないかと心配した程であつた。然しその間にもただ黙つて、教養ある婦人にも立ち勝つて、笑ひもせずにお給仕をして居たのは樋口さんであつた。樋口さんは平気の平左で赤飯を乞食の袂にうつして居る。それが如何にも同情あり、乞食の心理を理解して居るものがするやうな態度なので、それを天幕の外側から見て居た新見はポロリと涙を流した。それは乞食の浅間敷い態度と、樋口さんの神々しい態度が、この上なく優れた一幅の絵画になつたからであつた。
 凡ての視線は樋口さんと飯を貰つて居る乞食の所に集つた。天幕の外側に居る山手の婦人連はみな、
『まア、あれを御覧なさい!』
と、云つて笑つて居た。竹田は真面目になつて眺めて居た。外の乞食等も――その中には跛乞食も、癩病乞食も(二人まで)四国遍路も、盲乞食も、ゐざりも、老人も居たが、盲目でないものゝ凡ては、慾張り乞食――それはあざの大きなものが顔の右側にある四十恰好の男乞食であつた――の方に視線を注いだ。そして笑つて居た。凡ての人が笑つて居ても乞食は平気なものであつた。
『おかみさん、うんと袂に這入るだけつかはれ、この袂にはまだ這入りまつさ……』と大きな声で云うて居る。
 この光景を見て居た、侠客の富田が新見の所へ廻つて来て、
『乞食と云ふものは強慾なもんだな、わしは十年近くもこの新川に住んで居るけんど、今日のやうに乞食が強慾なものであるとは始めて知つた……然しあのお給仕して居やはる御婦人はどなただす……あの人は感心な人だすな……善く出来た人だんな、山手の人にもあんな人があるかいな?』と新見に尋ねて居た。
 乞食のお客さんにも樋口の親切がわかると見えて、特別に樋口を呼び付けて、
『姉さん、もう少し』とか、
『おかみさん……お吸物はもうおまへんか』とか注文して居る。
 樋口さんが天幕の方へくるのを待つて、竹田は、
『あなたもおかみさんになりましたな』と云うて居た。年よりも更けて見える樋口は実際何処かの妻君であるかのやうに見えた。そしてその親切な態度は結婚したことの無いものには気のつかぬやうなことに気がついたのであつた。
 その晩の八百人の子供招待会も盛んなものであつた。之は主として関西学院の神学部生徒諸君が中心となつてやつてくれたので、新見はさう骨も折れなかつたが、それは実に賑やかなものであつた。晩には樋口は今度は妹を連れて集会に出て居た。

五十六


 十二月二十六日の新聞は『賑かな貧民窟のクリスマス』と題して二段抜きに詳しく新見の仕事を報告して居た。新見が貧民窟へ這入つて恰度一年になるが、漸く新聞紙が注意するやうになつた。
 その昼頃、また突然小秀がやつてきた。それは今日の新聞を見て羨しくなつたから来たと云ふのであつた。
 新見は別にいやな顔もしなかつた。小秀はいつ見ても美しい顔をして居た。今日も優れて美しく見えるのでその顔を貧民窟に見せに来てくれるだけでも御礼を云はねばならないと思つたからである。
 さうかと云うて、小秀の態度は頗る煮え切らぬものであつた。勿論栄一の態度に一層煮え切らぬものが無いでもないが、たゞ栄一は貨幣の手伝のする恋が出来ないと考へたのであつた。
 小秀は賢い女であるからそのことをよく知つて居る筈なのである。そして栄一も小秀自身が今日まで贅沢に生活の出来るのは何処か旦那が貢いで居るからさうだと云ふことはよく知つて居る。それで小秀にすれば決して至純な心で栄一を愛し得ぬことはよく知つて居る。然し小秀の心に何か栄一の方に引くものがあることも彼はよく知つて居た。然し小秀を自分のものにすることは幾千円の金がいることでもあるし、そんなにしてまでも恋を購入しなくても善いと思うて居るから、小秀が至純な心を持つて自分の心に飛び込んで来れば特別であるが、平常は忘れて居て篠田に評判を聞かされた時とか、新聞で彼に関する記事を読んだ時だけ彼を訪れるやうでは、どれだけ美貌の持主であらうとも余程距離の遠い仲だと考へざるを得ないのであつた。
 然し例の貧民窟十七畳の間に壊れかゝつた椅子に腰をかけて二人で坐ると、何とも云へぬ不可思議な運命の手が二人を結びつけつゝあるとも考へないわけには行かなかつた。
 四つの瞳は合つた。小秀の瞳はまた特別に美しいものであつた。黒目勝ちの瞳であるがパツチリとそれが開いて居る為めに角膜の白いところが少しばかり水色に見えて、それが廻転する度毎に絹のやうな眼瞼の中に柔かく動いて、温かい曲率の附いた配合よく植ゑられた長い睫毛が瞬きをすると、そこに何とも云へぬ表情が出て来る。栄一はトラホームを持つて居るので美しい眼を持つて居らぬ。それで、小秀の美しい瞳を見ると自分の醜い眼を隠したいやうな気がするので、すぐ伏目勝ちになる。
『恋と云ふものは美の追求を云ふものであるが、それでは、かうして二人で坐る時にのみ恋は成功して居る。恋は肉慾の所有を意味するならば、恋と美と分離せねばならぬ。美は永遠に安住してくれない。美と恋は暫くかうして坐る時にのみ与へられる。恋はこれ以上に要求す可きものでは無い』と新見は心の中で囁いた。
 二人が坐つても、別に話題は無かつた。さうかと云うて、『あなたは私を愛してくれますか』と云ふのもをかしいし、栄一は黙つて居た。さうすると小秀も黙つて手をいぢつて居た。その手がまた美しく可愛いものであつた。サフアイヤーの這入つた金の指輪をさして居るが、それが白い細い手に如何にもよく配合されて居た。それで栄一には小秀を所有したいと云ふ慾望が起らぬでも無いが、一緒に住むことと恋が別の事であるやうにも考へられる。然し栄一はどうしても貧民窟から出ることが出来ぬ。小秀が貧民窟へ来ればその美は忽ちにして枯れて了ふ。美に栄養を与へることが出来ないからである。そしてその美に対して栄養を保証し得ない彼がそれを所有する権利があるかないかを疑ふ時に、彼はその所有権を抛棄したい気がする。然しそこに彼の煩悶が無いでも無い。彼に義母があり、彼が肺病であり、彼が貧乏であることが、凡て彼に美の所有権の抛棄をすゝめる。そして彼は今や石の様な意志を持つて居る。女を恋しないかと思へば直に心の瓣を全く閉ざして、中性になることが出来る。最近には美しい小秀に屡々会ふ機会が出来ても、彼が一年以上抑圧して少しも苦痛だとは思はない性慾の瓣は少しも揺がない。
 然しそこに彼が小秀に対しても至純な心で接近するよろこびを持つのである。之が小秀が性慾の対象にでもなれば、小秀の美しさを正面から鑑賞する能力を彼は欠いで居るかも知れない。然し彼は少しもそんなことも考へずに、殆ど中性の心を持つて、小秀に対し得るのである。
 いや、栄一には女らしいデリケートな所がないでもないので、栄一は折々自分は女に生れた方が美しい心で居れたものをと考へた程で、彼は小秀に対しても、同性に対する理解を以つて近づくのであつた。
 理窟はつけるが、矢張り小秀はどう考へても美しいのであつた。たゞ小秀が手を延ばしてくれんのが癪に触るのであつた。それで貧民窟の色々な話をしてくれるよりか、出来るだけ自分の話ばかりだけ、それも恋物語だけをしてもらひたかつた。彼は性慾を抑へる瓣は開くまい。然し美だけは神の許しを得て飽くまで追求したいとも考へた。
 このピアトリスは栄一には矢張り一つの指導であり光明であると考へられた。
 新見は義母が来て居ること、友人がO事件に関係して、O氏の親戚に当る高見君を預けに来たことを話した。小秀はその事件を新聞で見てよく知つて居るので、興味を持つて聞いて居た。
 そして、溜息をついて、
『ほんとに、新見さんは感心や……私はほんとにあなたに会ふ度毎に感心さゝれるばかりだす……。』
と、大きく眼を見張つて云うた。
 栄一はそれから新しく出来た小冊子『友情』[#「『友情』」は底本では「「友情」」]のことを小秀に告げた。小秀はそれを見せてくれと云ふ。
 それで栄一はそれを取り出して二人で並んでその画を見て居た。それを見て居る中に小秀は栄一の机の上に置かれた片手の上に自分の手を重ねて、
『ほんとに、あなたの真似は、私にはとても出来ません、感心ですね……』
と、繰返した。
 小秀の美しい白い手を栄一はヂツと見た。そして、その重ねられた意味が何を意味するかと深く考へた。それを見詰めて居る時に、彼は昨日の樋口さんの神々しい姿を幻のやうに画いてみた。小秀か? 樋口さんか? 聖か? 美か?
 栄一は小秀も欲しいし、樋口さんも欲しい。樋口さんの魂を小秀の体に入れたものが欲しい。小秀は二分三分と重ねたまゝ『友情』を片手でめくつて見て居た。それは必ずしも甘いものでもなかつた。
 正月は急がしいからよう来ぬと帰つて行つた小秀の後姿を見送つて、栄一は暫く物思ひに沈んだ。義母のお久は、
『あの別嬪さんは誰れで? 美しい人やな?』と尋ねて居た。それに対して栄一は明確に彼女が芸妓であることを答へた。

五十七


 樋口喜恵子さんはクリスマスの済んだ翌日から毎日昼飯時の三十分を利用して、女工三四人を連れて栄一の所に遊びに来た。神戸印刷からは僅か二町半しか無いので、食事をすますとすぐ飛んで来ても十五分や二十分は遊ぶ暇はあるのである。
 恰度十二時十分過ぎになると、樋口さんは紺の筒袖の上張りをつけたまゝ十三の弥生ちやん、十五六の梶さん、梶さんより一つ上だと云ふ富海ふみさんを連れて、いつも子供が首を出す硝子障子の処に顔を出すのであつた。その顔は丸顔で色の白いことは西洋人の肌そつくりで、小秀よりか遥かに白いもので、混血児あひのこで無いかと思はれる程である。髪は波形に縮れて居るが漆のやうに真黒で、皮膚の色によく配合して居る。美人と云ふのでは無いが、凛々としたしつかりした顔で、貧民窟の人々がよく『おかみさん』と云ふ位だけあつて、更けて見えるのである。
 遊びに来ても、別に何にも話することは無いので、栄一はそれが一種の恋の近道へかける橋渡しだとすぐ感付いた。家のことを話したり、小さい時に樋口さんが横浜の日曜学校へ行つた話、聖書の話、それから最近出来た新見の『友情』の折本は此処に来て居る四人のもの等が、主として折つたことの話を繰返した。
 樋口さんが関東の女であることは、話をすればすぐわかる。発音の明晰な、言葉使ひの上手な、句切のはつきりした、美しい関東語に何とはなしに意志の堅固な賢い女と新見は発見した。然し何を云うても新見は高等教育を受けた男であるし、樋口は女学校の一年も行つて居らぬ職工であるから、樋口さんが特別の美人ででもあれば、恋愛は成立せぬとも限らぬが、たゞ普通に賢い人であると云ふだけでは恋愛は成立せぬと、いつも中性主義で新見は心持よく女工等をあしらつて居る。
 然し樋口さんはいつも親切であつた。小さい事にまで気が付いて、破れ袴の綻びを縫うたり、十七畳の部屋の掃除の行届いて居らぬ所を一々丁寧に掃除したりしてくれた。それを栄一は少しも悪い意味に取らず宗教的に取つて居た。

 正月は毎朝五時から連朝の礼拝式が有つた。それに新見は聖書の講義をした。そして礼拝後、うちのもの全部十七人、義母、岸本夫婦、梁瀬、飛田の元巡査二人、戸田の一家族五人、髯さん、伊豆、三公、病人三人と、自分と、貧乏で餅を搗けなかつた隣の勝と花枝さんの一家族を招いてお雑煮を戴くのであつた。その連朝の礼拝に根気よく出席したのは樋口さん、樋口さんは十六七町もある脇の浜からであつた。妹と二人で毎朝欠かさず出て来た。そしてお雑煮の仕度を手伝つておいて、自分は食はないで、妹を連れて帰つて行くのであつた。栄一はそれを出来ぬことだと心で賞めて居た。

 正月は去年よりも喧嘩が多くあつた。うかれ節の松公が、裏の筋のおしんさんの隣の紙屑買ひの所に元日のお雑煮に招かれて行つて、酒が廻り過ぎて喧嘩を始めた。それに喧嘩安が仲裁に這入つて喧嘩が更に大きくなつた。仲裁に仲裁が這入つて、喧嘩が五つに分かれ、松公が新見の台所で火箸を焼いて居る。何をするのかと云へば之で敵を火傷さしてやる積りだと云うて居る。勿論新見はそれを押止めたが、四十四年の元日だけにも、午前九時までに十九の喧嘩が、北本町の八つの長屋だけにあつた。
 そしてまた去年のやうに正月早々栄一はお葬式の世話をせねばならなかつた。
 元日に一つ、二日に二つ、五日に一つのお葬式の世話をした。
 正月にお葬式を出す度毎に新見は一休和尚を思ひだした。『元日や冥途の旅の一里塚、目出度もあり目出度もなし』栄一はその小さい悲しい貧民の死にたゞ何とも云へぬ苦痛を感じた。然しこの多くの死を飛び越えて、延びて行かねばならぬと思ふと、生命が如何に不思議なものであるかを考へざるを得なかつた。
 正月になつて、竹の『耳かき』を削つて居た髯さんは、別に一軒の家を借りて出て行つた。高見は新しく出来た『大阪朝報』の神戸支局に通勤することになつた。そして北海道の監獄部屋へ行つて居た戸田も帰つて来た。そして一家族を引取つた。それで新見の一族は急に六人を減じた。一月中旬に高見君も一軒別に家を中山手通五丁目に持つて一家族を紀州の新宮から迎へた。
 一月二十日の新聞号外はK氏を初め、O氏の一味徒党二十四人の処刑されたことを報じた。その中十二人は死刑に処せられて居る。栄一はその号外を受取つて、『時の兆』だと感じた外、別に何とも感じなかつた。その晩高見君がやつて来て夜遅くまで話した。近頃頓と訪問を受けなかつたが、K事件の有つた翌日三ノ宮署の高等特務の丁寧な訪問を受けた。
 その男は『K事件に関する御感想はどうですか?』など尋ねて居た。

 不景気の為めに港は暇であつた。栄一は相変らず毎金曜日に弁天浜に伝道に出かけた。近頃は不景気であるために、三百四百のものが仕事にあぶれることがある。それで横浜にもぐるものもあれば、門司、朝鮮、大連、遠いものでは香港あたりまでも荷物の中にもぐつて生活の道を尋ねて行くものがある。ブラジル移民の人々も正月早々神戸の移民宿に一杯になつて居た。一月六日に六百近くを積んで第一回のものが出発したが、一月の末に出発するものにはまた六七百人が行くと見えて、葺合新川の貧民窟の近くにある移民消毒所には百二百の団体が出入して居た。
 一月二十七日の朝、突然、新見の金曜日の浜の伝道を受けて改心した添田と云ふ十九の青年が尋ねて来た。その添田は日本に居ても面白くないから、一月三十日に出帆する加茂丸の移民の一行に加はつてブラジルに渡航するのだと云うて居る。ブラジル移民は仲々条件が面倒で、夫婦もので無ければ行けないのだが、彼は人の養子となり偽名して行くのだと云うて居た。改心して偽名すると云ふのも可笑いと思つたが、その青年はどうしても不景気な日本には居りたくない、広い世界の空気を吸うてくると強く主張するので、前途を祝福してやつた。
 不景気になると貧民窟の人はみな毎日仕事をみつけに廻るのであるが、男のものまでがおかみさんの内職を助けてマツチ箱貼りするものを見るのも珍らしくもなかつた。然しマツチ箱を貼るものも多くなつたので一千個八銭五厘のものが五厘下つて八銭になつた。それでも貼らねばお粥にする米代が出来ないので、あちらでもこちらでもマツチ箱貼が始まつた。
 事業界が不振で、労働者の賃銀は下る一方であつた。新聞紙は毎日生活難の為めに自殺するものを報じた。それを見る度毎に新見もこの儘で捨てられて置くことの出来ない時代が来たと強く心の中で感じた。
 然し凡ての人は黙つて居た。社会主義の社の字も発音することは許されなかつた。労働者も知識階級も凡て唖であつた。たゞシベリアから吹いて来る北西の風だけが、冬の空に吠えて居た。

五十八


 二月に這入つて栄一は、隣の花枝さんや、光さんや勝之助が、ぶらん/\して居ることに気がついた。それで新しく書き出した『預言者エレミヤ』の原稿の筆をとめて、勝之助が路次で日向ぼつこして居るのを呼び入れて聞いてみた。勝之助はそれに答へて、
『近頃、会社は休んで居りまんね』と云ふ。
『どうして?』と尋ねると、
『ストライキして居りまんね!』と云ふ。
 それでその次第を聞くとかうである。
『初め吾妻通六丁目の酒井と云ふ十一になる娘が火傷しましてん。足から股から殆ど身体半分焼きましてん。ところがあの娘のお父さんは賭博で今監獄へ行つとりまんね、それで余り可哀想だつさかい、私と秋山と云ふ私の上の掛りのものが二人で膏薬代を貰ひに行つてやりましてん。さうした処が先生、会社は一文も出さないと云ふのだしやないか、その口実がかうだんね、あれは自分の過失で火傷したのだから、会社としては出す金は無いと云ふのだす。そら過失に違ひおまへんね、何分小さいものだすよつてに、乾燥室から運び出す時につい燐を塗つた箱を落したんだすよつてに、過失と云へば過失だんね。然し危険な仕事に十か十一になる子供を使用すると云ふのが、大体会社が間違うて居りまんね、それで私はうんと云うてやりましてん、然しその「おとめ」と云ふ娘は医者にもかけずに未だ抛つてあるのだす。あまり会社の仕打が不人情だつしやろ、うちの姉が死んだ時だつて一文の香奠も寄越さないんだつしやろ、医者の見立によるとうちの姉の歯の抜けたのは、マツチ会社の毒のある燐をいぢつて居る為めに、その毒の勢で抜けたと云つて居ましたやろ。歯が抜けるまで尽してやつたのに、死んで香奠の十銭も寄越さんと云ふ無慈悲な会社はやつつけてやりたいと思つて居りました時だすよつてに、いつか復讐してやりたいと思うて居りましてん。……それに近頃は不景気だつしやろ、それで受取りの賃を下げて来ましてん、この夏などは一日に一円近く儲かつたものが、二度下げて、此頃では高々七十五六銭にしかなりまへんね、それで皆怒つて居る所だつしやろ、私が事務所から出て来て、
「仕事、止め! 止め!」と行つて廻りますと、みんな「何や何や」と寄つて来ましてん、それで私と私の上の掛りのものと二人で事情を話しました処が、皆腹を立てゝ居る時だすよつてに、
「ストライキ! ストライキ!」と云つて機械を止めて了ひましてん、それで女工までが「何や何や」と出て来ましたから、私が演説してやりましてん。賃銀は下るし、火傷はしても薬代はくれまへんし、会社の犠牲になつて死んだ処で一文の葬式料はくれへんから、こんな会社に居つても駄目ぢやから、みんなストライキするより仕方が無いつて……先生によく聞きまつしたやろ、西洋の労働組合の話だんな……その通り云うてやりましてん、さうすると、女の子までが、「帰ろ! 帰ろ!」と出て了ひましてん。そして二百四五十居る子供が、女から大きな男まで、すつくり帰つて了ひましてん。それが一昨日だつしやろ、それから毎晩男のものだけが、小野柄通の秋山の家で寄つとりまんね。そして今日愈々秋山と私が代表者となつて、昼から会社へ行くことになつとりまんね』
 勝之助は得意になつて物語つた。勝之助は尋常四年生を半途でひいて、その後はずつとまる八年間と云ふものは『神戸燐寸会社』に姉二人と共に毎日通勤して居るのである。学問は無いけれども、男前の善い、わかりの早い男で、まだ年も十九かそこらであるけれども、職工仲間では非常に信用があるので、勝之助の云ふことを他のものがよくきくのである。又勝之助は最近新見に近づくことが多くなる程、労働問題に対して理解が出来て来たので、直にストライキを実行する気になつたのである。
 新見は勝之助に色々会社の重役の名や、支配人の名を聞いた。そしてその実権を握つて居るものは貧民窟の長屋を持つて居る逢坂とか、森岡とか云ふ高利貸だと云ふことを知つた。
 それで栄一は、勝之助に云うた。
『勝さん、そいつはしつかりやりなさい。こんな時にあいつ等をやつ付けなければやる時は無いのだから……』
『先生も助けてくれますか?』
『後見役位であれば……』
『それは旨い……それぢや先生も今日うち等と一緒に行つてくれておまへんか、うちら重役の前へ行つたらよう喋れまへんね……』
『そら何でもないことですよ、あなたが今云うただけの事なら、私は行つてあげます。』
『そいつは旨い……それぢやわし、秋山の内へ飛んで行つて来ますわ。先生が一緒に行つてくれるつて』
 それを栄一は一寸引き止めて、
『勝さん、会社への要求はもう決議でも出来て居るのかね?』と尋ねた。
『いや、まだそんなものは出来て居りまへんね、たゞ、昨夜きまつたのは、賃銀を此上引下げ無いと云ふことゝ、怪我や火傷の有つた場合に相当の見舞金を出すことゝ、職工が死んだ場合に少しでも香奠料を出して貰ふことがきまりましてん……』
『それでいゝですよ……それぢや行つていらつしやい』と新見は庭に降りかけた勝之助に云うた。

五十九


 その日の午後一時過ぎ、新見は勝之助と秋山と三人で、『神戸燐寸』に出掛けて行つた。工場には全く人気が無かつた。そして支配人も重役も誰れも居らなかつた。たゞ縞の羽織に前掛をつけた事務員が三四人帳簿をいぢつて居るだけであつた。
 事務員に来意を通じると、
『一寸お待ち下さい』と事務所の前に待たしておいて頻りに電話をかけて居る。支配人と重役を呼び出して居るのである。
 その中に年の寄つたいやな男が出て来て、
『こちらへ来て下さい』と云つて、三人を応接室に通じた。何となしに、つんけんして居る。
 十分二十分と待つた。応接室と云つても何の飾りも無い。机の上には埃が一面にして居る粗雑なものである。待つて居る間に秋山と勝之助の二人は、会社の職工虐待振りと重役の芸者や娼妓に発展する有様を色々新見に物語つた。秋山は栄一にこんなことを云うた。
『此処の乾燥室は三ヶ月に一度位ゐは屹度火が出るのです。そして毎度二三人火傷をするものが出るのですが、そんな時でも会社の遣り口の非道いのに驚くのです。去年の春なども、或るおかみさんが乾燥室の火事で焼け死んだのですが……その時はそれでも二十円だけの見舞金が出たのですが……タツタ二十円で追払はれたのですよ……その癖に森岡と云ふ支配人は職工あがりださうですが毎晩のやうに年増の芸者をあげて酔ひ潰れて居るのですから仕方がありませんなア――』
 秋山は侠客肌の大きな男で、石川五右衛門のやうに髪を上に立てゝ、一寸見ると赤顔にニキビの多く出たおそろしい男であるが、話してみると仲々面白い男である。
 話のとぎれとぎれに、もう来るかもう来るかと、耳をそばだてて聞くのだが、なか/\やつて来ない。
 たうとう一時間以上も待つたと思ふ頃、支配人と森岡と社長の逢坂ともう一人の男がやつて来た。そして豪らさうな風をして応接室に這入つて来た。
 社長の逢坂は背の高い五十過ぎの痩せぎすの男で、額の処が禿げ上つた眉毛の薄い細目の男である。森岡は頭だけは仏蘭西刈にした眼玉の大きな、唇の薄つぺらな金歯を多く入れた中背の男である。
 森岡は先づ口を開いた――
 森岡『秋山君、君、何の用事や』
 秋山『へえ、一寸御願がありまして』
 森岡『この人は誰ぢや』
 秋山『之は新見さんと云つて、耶蘇の先生でおます』
 森岡『耶蘇の先生に何の用事が有つて、こんな処へ引張つて来たんな――(勝之助に向つて)こら、勝! お前ら、十年近くも会社で世話してやつてあるのに、一体生意気ぢやないか、お前ぢやさうな、ストライキの煽動の演説をしたのは――』
 勝『さうです、わたしです――』
 勝之助は大きな眼をギヨロつかせ、唇を尖らして答へる。
 勝『森岡はん、一体考へてみなはれ、私は何にもわかりまへんで、然しあなたこそ一体生意気やおまへんかいな、職工は朝から晩まで働いて五十銭か一円しか儲らないのに、あなたは、毎晩々々、年増の芸者に浸り込んで』
『こら勝! おまへ今日、わしに喧嘩買ひに来たのか、喧嘩ならいくらでもするぞ』
 社長の逢坂は巻煙草に火をつけて、
 逢坂『まア森岡君、そんなに激昂したら話は出来へん、職工の方にどんな要求があるか、それを聞かして貰はうぢやないか――(秋山に向つて)どんな要求が会社に対してあるんですか、それをお聞かせ下さりたいのです』
 それで秋山は懐中から白紙に書いたものを取り出し、埃の多い机の上に置いた。
 森岡はそれを取り上げた。それは新見に注意せられた要求事項を書き連ねてあつた。それを書いたのは明かに勝之助である。下手な字体で次のやうに書いてあつた。
神戸燐寸会社職工一同が会社に要求する事項は左の通りに候。
一、この後賃銀の値下げを行はざること。
二、工場内の衛生設備をもう少し重じ、負傷者には手当を出すこと。
三、職工死亡の際には相当の手当を出すこと。
代表者  秋山 亀松
山内勝之助
 森岡はそれを逢坂に廻した。逢坂はそれをまたもう一人の知らぬ男に廻した。その間両側は沈黙を守つて居た。森岡は秋山に向つて、
『これ位のことで何にもストライキまでのことは無いぢやないか!』
 秋山『然し一昨日も申上げたあの火傷をした酒井とめですな、あの娘は一体どうして下さるのですか? あんな非道い火傷をしたのにさへ一文の金を下さらぬやうな無慈悲な会社では、我々は安心して働くことは出来ません……』
『酒井とめ? あれに何にもせん? こちらではするだけのことはしてある積りぢや』
 勝『いつですか』
 森岡『一昨日すぐ持つて行つておいた!』
 勝『そんなことを聞きまへんでえ、一昨日も昨日も酒井の内へ行きましたけんど、そんなことは一言も云ひよれしまへんでえ。あなたはよつぽど嘘吐やな』
 森岡は赤い顔をして黙る。栄一は両者の会話を見て、資本家側の高慢につく/″\といやになつた。
 勝の知らない会社側と見える男が栄一のかほを穴のあく程見て居る。
 逢坂は沈着いた口調で、秋山に向つて、
『どうも一々職工の云ふことを聞いて居ると会社も立ち行きまへんによつてになア……賃銀をこの上下げるなと要求せられた処でこつちは商売だすよつてにな、向うから下げて来るものはこつちも賃銀でも下げな会社が立ち行きまへん、前々のやうな賃銀の払ひ方をして居つては、金利も支払へんやうなことになりますのでな』
 秋山『然しこの上、さげられては、我々はお米の一升も買へなくなりまんがな……あなたがたから見れば職工が五銭や十銭のお金を八釜敷云ふのをお笑ひになるかも知れまへんが、我々にしたら大金だすよつてにな。わたしのうちなど、一家族八人でとても日給九十銭や一円では食うて行けまへん、お米も毎日三升いりますし、それに七十銭の金が消えて了ひますよつてにな、とても子供の教育など出来やしまへん』
 森岡『秋山、おまへンとこ、家内は誰れ誰れや。』
 秋山『おふくろに、夫婦に、十二の女の子を頭に今年生まれました乳呑児まぜて五人の子供とで合計八人だす』
 森岡『よく産んだもんやなア、もう少し、控へて産んだらいいんや』
 秋山『嬶と一緒に寝ると出来るんだすよつてに、仕方がおまへん――嬶を殺して了うやう……』
 勝『森岡はん、どうしてくれてだんの?』
 森岡『みな、ストライキを止めて、明日から会社へ出んかいな、そしたら旨いことしてやるがな』
 勝『無条件でだつかいな?』
 森岡『勿論さうだ、一々職工の要求を聞きよつたら、こちらは食はんと居らなければならん』
 勝『然し、うちらは無条件ではとてもよう帰りまへん、この三ヶ条は聞いて貰はにや、みなのものに、顔を合せることが出来まへん』
 森岡『そらおまへは、煽動の張本人やさかい顔を合せることが出来ないか知れへんけど、こんな要求を聞きよつたら、会社が潰れるがな、勝! おまい知つとるか、ストライキしたら日本の国では罪人だぞ!』
 勝『罪人になつたつて仕方がおまへんがな、犠牲になるんやさかい仕方がおまへん……森岡はん、それでは三ヶ条とも聴いてくれてやおまへんのやな?』
 森岡『ウン聴けん、こんなこと聴きよつたら職工が増長して仕方が無い』
 勝『職工が燐の病気にかゝつて下顎がみな腐つて、うちの姉のやうに歯がみなぬけても、あんたンところの会社は知らん顔をするつもりだんな』
 森岡『勝、おまへは一体生意気だよ、まだ二十歳にもならぬ小僧の癖にお前に何がわかるか、うちの会社は法律の上で守らねばならぬことは凡て守つて居る。おまへらに衝き込まれるやうなことは少しもして居らぬ積りぢや』
 勝『貧乏人がみな飢ゑ死にしても、あんたらは知らぬ顔を為とつてのだつか?』
 森岡『おまへは社会主義か、おまへは十年間も世話してやつた此会社の恩を忘れたのか?』
 勝『会社の恩、会社の恩や云うてやけど、うち、会社の恩など受けとれへん、うちを雇うてくれる所はいくらでもあるがな、会社に儲けさせてやりこそすれ、恩になつたことは少しも無い。反つて姉さんの生命を取つたのはこの会社や』勝は独り言のやうに云ふ。
 森岡『もうなんぼ云うて聞かしてやつてもわからんのやな、勝、おまへもう会社をやめ!』
 秋山『森岡はん、そらあんまり非道いやおまへんか、勝はなにが悪いんだす、勝はたゞ職工二百四十余名のものを代表して此処に来ただけであります。それをこゝで首を切るんでしたら他の職工が怒り出しまつせ!』
 森岡『秋山、おまへも今日から暇を出す、うちではこんな要求を聞くことは出来ん。一人々々来い。そしたら相談に乗つてやる。うちは一人々々雇ひ入れたのやさかい、一人々々と話する。ストライキしたりして二日三日も機械の運転をとめたりしたつて、こつちはそんな要求を聴くことは出来ぬ。ストライキは国法を犯して居るのやないか、治安警察法の第十七条にはストライキをすれば一ヶ月以上六ヶ月以下の重禁錮に処するとあるやないか……秋山、おまへはそれを知つて居るか?』
 秋山『わたしそんなこと知りまへん』
 森岡『勝、おまへ知つて居るか?』
 勝『知つとります……然し、そんなこと云うて脅したつて、職工はこの上賃銀下げられたら食へはしまへんがな……監獄の一ヶ月位ゐ、いつでも務めて来まんがな』
 勝之助は、さすが貧民窟育ちだけあつて監獄位ゐ何とも思つて居らない。
 秋山『それぢや、森岡はん、もう我等の云ふことを聞いてくれてやおまへんのやな……そして何だつか、私と勝は首だつか?』
 森岡『さうや、聞くことは出来ぬ。そしておまへと勝とには会社を出てもらはう。ストライキを煽動するやうなものに居つてもらうたら此会社が潰れる』
 その答を聞いて、秋山は椅子から立ち上つた。そして森岡を睨みつけて、
 秋山『こら森岡、貴様、わしを何と思うて居やがるんや? 一寸の虫にも五分の魂と云ふことのあるを知らんのか! 俺だつて此会社には十七年から尽してやつたのぢや、それに逆様に恩を着せやがつて、職工の代表者になつて来たと云うて、首にしやがる。こら森岡、貴様はわしを何だと思うてけつかるんな』
と、秋山が激昂したと思ふと、机を廻つて、秋山の向側に坐つて居る森岡の方に進んで行つた。それを見て勝は引き止めたが、秋山は聞かない。
『首になつた以上は、わしはもう、この会社のもんやないんぢや、どうせストライキをして監獄へ行くんなら、こいつの頭を三つ四つ擲つておいて這入らなきや損ぢや、こんな強慾非道な餓鬼は一つ懲らしめてやる必要がある。』
と、云ふや否や、森岡の胸倉を引掴んで、右の拳で、森岡の頬ぺたを四つ五つ擲りつけた。それで森岡も立ち上つて反抗した。
 先きから、黙つて怪しい男と睨み合つて居た新見は立ち上つて秋山を宥めた。秋山はどうしても云ふことを聞か無い。勝も秋山をすかした。それでも、森岡の胸倉を放さうとはしない。逢坂は椅子に腰を下ろしたまゝ至極落ち付いて居る。
 さうすると、怪しいと新見の思つて居た男は、
『秋山、勝、貴様等、すぐ神戸警察署まで来い、一寸用事がある』と、小声で云つた。
 それを聞いて秋山は驚愕したやうであつた。そして、森岡の胸を放した。
 秋山『あなたはどなたですか?』と聞いて居る。
 刑事『わしは神戸署の刑事ぢや、君等二人すぐ署まで同行してくれんか?』
 秋山『何にも神戸署へ引致せられる理由がありません――』
 刑事『いや、兎に角来てくれ――』
 森岡『それみい、貴様等、職工がなんぼ威張つたてあかんのや――』
 刑事は二人を連れて応接室を出た。そして暮れやすい冬の夕方の黄ろい道を、三人のものは三ノ宮の方へ、小野柄通を真直に西に歩んで居る影を栄一は見た。それを見送つて栄一は涙をハラ/\と燐寸会社の前の砂埃の上に落した。然し一刻も早く秋山と勝とが神戸署に引致せられたことを報告せねばならぬ、と、急ぎ足で貧民窟へ飛んで帰つた。

 新見は勝の家に報告しておいて、すぐ一町上の吾妻通六丁目の酒井とめの家を訪問した。家は二畳二間の家であつた。奥の間に十一歳になる丸顔の眼の窪んだ西洋人のやうに色の白い(貧民窟にはよくこんな皮膚を持つて居るものが居る)女の子が身体中にメリケン粉のやうなものを塗つて、寝て居た。
 女親と云ふのは片目の醜い女で六人あると云うて居た。男親は三十六銭の酒樽を一挺盗んだと云ふので監獄へ行つて居ると女親が云うて居た。(勝之助が賭博で監獄へ行つて居ると云ふのは誤謬であると知れた)
 それで栄一は、
『神戸燐寸の方から何か云うて来ましたか。』と尋ねた。すると母親は
さいぜん来やはりました、紙にな……三円だけ包んで……』
『三円?』と栄一は聞き直したが、女親は三円だと云うて居る。それで栄一は会社へ三人で交渉に行つて、遂に、秋山と勝之助の二人が神戸署へ引致せられたことを告げた。
 新見は、おとめさんの容態を心配して色々聞いたが、まだ医者にもかけて居らないと云ふので、すぐ近所の田沢さんの所へ飛んで行つて来て貰つた。田沢さんはその容態を見て、『之はむづかしい』と云うて何にも云はなかつた。それで新見は『どうすれば善いか』と尋ねると、『もう手遅れで一寸駄目だ』と云ふ。
『死にますか?』と尋ねると、
『之は丹毒でも這入るとね』と答へる。
 女親は別に何とも感じて居らぬ様だけれども新見はそれを聞いてがつかりした。そして田沢さんはその上どうせよとも云はずに帰つて行つて了つた。
 新見もそれには弱つて、また川を西に越えて、八丁も走つて、前田先生を呼びに行つた。前田さんは実に親切に、新見から容子を聞いて、繃帯を多く準備して出懸けてくれた。そして、おとめさんのメリケン粉のやうなものをとらして薬を塗つて、繃帯で巻いた。火傷の後の皮膚がずる/\になつて居るので、栄一はその悲惨なのに驚いた。
 繃帯巻きがすんで、栄一はおかみさんの身の上話を聞いて居ると『秋山の宅に多くのものが寄つて相談して居るからすぐ来てくれ』と、花枝さんが知らせて来た。それで、新見は急いで小野柄通の秋山の家に行つた。平家建ての四畳に六畳の狭い部屋に三十人近くもつめ込んで身動きもならぬ程来て居た。その中には栄一が毎晩招いて寝て世話をして居る不良少年の岩沼松蔵の兄も居るし、『勝』の姉に恋慕して去年の秋、隣りで一騒動を起した、[#「起した、」は底本では「起した。」]土田も来て居た。然し最も口をきくのは堀江と云ふ賢さうな中年の男であつた。
 栄一は今日の会社との交渉の顛末から、酒井とめには、今日会社から三円の金を送つて来たこと、また秋山と『勝』が拘引されて居る以上どうしても徹底的に戦ふより外に道の無いことを語つた。衆議は勿論ストライキを継続することであつた。
 土田は、勝之助に非常に同情があつて、
『そらな、先生、あの会社のわからんことと云つたら有名なもんだんね、ちつとやつたらな、いきまへんわ……』と云うて居た。
 堀江は秋山の身の上のことを心配して居た。それで新見は治安警察法第十七条と云ふものがどんなものであるかをよく説明した。
 ストライキはもう一日続いた。然し早や職工側の足並は揃はなくなつたと報告するものがあつた。それで職工の委員は今朝から会社の入口に立番を出すことになつた。そのことを報告に土田が北本町六丁目の新見の長屋へ這入つて来たが、その後をつけて、酒井とめが今の先死んだと近処のものが報告に来た。そしてそれと立代つて、いつもよく来る神戸署の高等特務の平野と云ふよく肥えた四角な顔をした男が這入つて来て、
『新見さん、司法課の主任警部が、あなたに一寸今朝出てもらひたいと云うて居りますが、すぐ出ていただくわけにはいきませんでせうか』と丁寧に通知に来た。
 それで、新見は愈々駄目だと考へた。警察署に行くと司法部主任は昨夜の会合の容子をすつくり知つて居た。そして栄一をストライキの煽動者として告発すると云つて聞かない。然し新見はそれに対して何の答へもしなかつた。兎に角一大家族を持つて居るから一先づ家に帰らしてくれ、酒井とめの葬式をも済ませてそれから監房へ這入るからと主任警部に云つて帰つて来た。

六十


 帰り途に花万によつて棺と人夫とを註文して、直ぐ酒井の宅に行つた。おとめさんは、もう白い顔の窪んだ眼を閉ぢて居たが、可哀想に思うたのは、蒲団が無いので、死体の側に赤ン坊を寝させて居ることであつた。
 栄一はお葬式を取り急いだ。さうしなければいつ警察から巡査が連れに来るかわからぬと思つたからであつた。棺が来たので栄一は自分の一枚しか無い浴衣を持つて来ておとめさんに着せて繃帯のまま死体を棺に納めた。
 丁度それは正午であつたので、印刷会社の昼休みに樋口さんがいつものやうに新見の所へ遊びに来たのであつたが、新見がお葬式をして居ると云ふことを聞いて、仕事衣のまゝ駆け付けて来て手伝つてくれた。それで栄一はほつとしたが、栄一は樋口さんと二人手で極く簡単なお祈と聖書の朗読だけのお葬式をすませて、野辺送りをしようと門口に立つて居ると、今度は平野と違つた高等課の主任の有田と云ふ五尺八寸もある大男で色の浅黒い眼鏡をかけた男が、吾妻通六丁目の酒井の入口までやつて来て、
『新見さん、神戸区裁判所の検事局からあなたに午後二時までに裁判所へ出頭するやうにと云うて来ましたから……出来るならば私と一緒に同行を願ひたいのですが……』と云つて彼に呼出し状の這入つた大きな検事局の印の捺さつた鼠色の状袋を渡した。
 その日は寒の中の二月ではあつたが、太陽が眩ゆい程照りつけて、貧民窟の路次が隅々まで乾いた心持の善い日であつた。それで栄一はその呼出状を受け取つて、その正午の太陽を見て黙祷した。
 そして、極く簡単に事情を樋口さんに説明して『之から検事局へ行つて、多分五六ヶ月は帰れないと思ふから、後はウイリアムス博士と相談して、伝道の方をよろしく頼む』と依頼し、また今出しかけた酒井のお葬式も春日野の火葬場まで送つて下さいと樋口さんに依頼して、栄一は路次を刑事と二人で出た。それを見送つて樋口さんは泣いて居た。
 有田刑事は、新見を神戸区裁判所の検事局まで送つてくれたが、そこに着いたのは一時過ぎであつた。
 栄一は検事に呼び出されるまで、一時間以上もコンクリートの大きな幅の広い廊下で待たされた。
 刑事は栄一を廊下に置きざりにして帰つて行つたが、栄一は狭い固いベンチの上で、コンクリートの敷石と睨みつこをして検事の取調を待つて居た。生憎葬式場から引致されたので、一冊の書物も持つて来て居らない。それで栄一は、祈祷と、冥想のみしか考へ付かれなかつたが、栄一はまだ、酒井とめの屍が眼の前にあり/\と見えてならなかつた。栄一は、リンコルンの奴隷解放宣言前夜の祈祷の一夜を思ひ出して、狭い固いベンチの上で、祈祷と冥想とに沈んで行つた。栄一は今度の事件が躓き石であることを知つて居た。然し、自身には何の罪をも感じなかつた。世界は凡てこのやうにして運ばれて行くと云ふことをよく知つて居た。然し自分の魂は何人も縛ることが出来ない。俺は監獄で五六ヶ月祈つてくるのだと考へ続けた。
 四十分、五十分と検事を待つた。西日が窓からさす検事局は午前中に用事を済ませて午後は誰れをも呼び出して居らぬらしい。検事を待つて居るのは栄一だけである。
 猶、五分、十分と時間がたつ。栄一は静かに祈りつゞけて居る。廊下のコンクリートの敷石が美しく輝く。





底本:「死線を越えて(三部作全一巻)」キリスト新聞社
   1975(昭和50)年7月30日発行
   1978(昭和53)年6月10日第3刷発行
初出:「改造 第二巻第一号〜第二巻第五号」改造社
   1920(大正9)年1月〜5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「それぢや」と「それじや」、「貸家」と「貸屋」、「目尻」と「眼尻」、「眼付」と「目付」と「眼付き」と「目付き」、「着かへ」と「着替へ」、「エ、」と「ヱ、」「持出して」と「持ち出して」、「まあ」と「まア」、「まま」と「まゝ」、「脊」と「背」、「憂欝」と「憂鬱」、「印絆纒」と「印袢纒」、「奴ぢや」と「奴じや」、「申し上げ」と「申上げ」、「アア」と「アゝ」と「アヽ」、「所」と「処」、「要事」と「用事」、「捨てて」と「捨てゝ」、「新見回漕店」と「新見廻漕店」、「噛まれた」と「噛れた」、「ユスリ」と「ゆすり」、「云う」と「云ふ」、「何も」と「何にも」、「こまん」と「小まん」、「何んぢや」「何んじや」、「たてゝ」と「たてて」の混在は、底本通りです。
※「ぶら/\」と「ぶらぶら」、「そろ/\」と「そろそろ」、「わざ/\」と「わざわざ」、「すご/\」と「すごすご」、「とう/\」と「とうとう」、「わい/\」と「わいわい」、「なか/\」と「なかなか」、「ろく/\」と「ろくろく」、「いよ/\」と「いよいよ」、「だん/\」と「だんだん」、「そろ/\」と「そろそろ」、「とぼ/\」と「とぼとぼ」、「一人一人」と「一人々々」の混在は、底本通りです。
※「笑」に付くルビの「ゑみ」と「えみ」の混在は、底本通りです。
※本文中の「退化になつて居るだらう!」の「!」は、底本では逆さまになっています。
※本文中の「おいたべらう」に付く傍点は、底本では「う』は『おい」に付いています。
※誤植を疑った箇所を、国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)で公開されている「死線を越えて」改造社、1920(大正9)年10月10日4刷の表記にそって、あらためました。
入力:Nana ohbe
校正:富田晶子
2022年6月26日作成
2022年7月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

丸三、U+3282    151-上-1


●図書カード