教壇もない
机もない
椅子もない
教師の握る鞭もない
この学校には粗末なベットがあり
ベットは二十幾つも並んで
ベットの上には
自分の肺をくさらせた青年がねている
一九三四年の日本の東京で
貧窮に 過労に 困苦に
生身の肺を病菌に
遂に
いく月も
いく年も
ここのベットにねたきりとなる。
青白い顔の生徒達は
食慾のおとろ
うすかゆやじゃがいもを啜りこんで
是が非でも生きんとする
老母や姉弟の見舞の小銭を押しいただいては
あきらかならずとも
この饑餓の日本にふんまんを抱き
強く生きんことを学ぶ
かばねの自由なければ
神を説き精神の自由を説いて
キリストの愛 今はブルジョアのための忍従を
胸に抱けと教ゆる牧師はあれど
こころただ
現実の窮乏と奴隷の生活よりのがれるすべを
ひそかにひそかに思うのみ、
ドストエフスキーの不敬の十年の牢獄は学校となり
労働者の組合は党の学校となる
肺を病む青年のねている施療
ブルジョア日本の支配の下で
牢獄に捕われし多くの同志と同じく
ここも又学校となる