昨年は二十歳の娘で自殺をしたのが幾人もあった。その理由は、
丙午に生れようが、
些細な迷信でも、一つを黙認すれば、他をも黙認せねばならず、次から次へと、負けて行けば、終には、いかなるはなはだしい迷信でも許さねばならぬことになる。されば、恐しいのは、迷信そのものよりも、むしろ迷信を許す頭である。
今日のわが国の状態を見ると、衣食住にも、その他の風俗習慣にも、改めたらばよろしかろうと思われる点がいくらでもある。昔は他国との競争がなかったゆえ、どんな風俗でも随意であったが、現代のごとくに、交通が盛んになって世界中の国々が皆、密接に関係し、しかも、他国が速かに進歩する世の中にあっては、いかに先祖代々からの習慣であっても、馬鹿げたことや、不便なことはこれを廃して、合理的なものに改めねばならぬ。もしも、躊躇していつまでも改めずにいると、たちまち他の国々より文明が後れて、とうてい同列に加わることができなくなる。このことはすでに大勢の人が心付き、生活の改善ということが盛んに唱えられ、そのための会まで設けられた。今日流行のいわゆる文化生活も、日常の生活を改善しようとする努力から生じたものである。
まず衣服から考えてみても、長い袖をぶら下げていては、仕事の邪魔であり、幅の広い帯を結んでいては、どんなに窮屈か知れぬ。脱げやすい下駄をはいては、電車の乗り降りに不便であり、縮緬の羽織は雨に遇うと、一度で汚点だらけになる。また、畳の上に座っていては、立つのが面倒になって仕事ができず、火鉢にかじりついていては、なおさら能率が上らぬ。紙で張った障子は何度張り換えても子供に破られ、縁側と雨戸とは拭き掃除と開閉とに大いに手数がかかる。その他、三度の食事や衣服の世話に追われて、主婦の頭は死ぬまで進歩せず、生活を簡単にしたいという考えさえ容易に起らぬ。人の家を訪ねるには、かならず菓子を持って行き、先方から来るときには、ちょうどそれと同じ値段の菓子を持って来て返す。有名な人の旅行には、送迎の人たちで停車場がいっぱいになり、真に用事のある急ぎの客は、出ることも入ることもできぬ。宿屋へ泊ればいくら茶代をやってよいやら分らず、ぐずぐず考えているととんでもない冷遇を受ける。息子が兵隊に行くと、何本も旗を立ててお祭り式に送られるから、止むを得ず、その人々に酒を飲まして思わぬ借金が殖える。まだ、数えたら幾つあるか知れぬが、これらは誰も、皆、気の付くことで、およそ、生活改善が唱えられる場合には、これらの箇条を掲げぬことはない。しかるに、方々で何回も唱えられたにかかわらず、今日もなお依然として風俗が少しも改まらぬのは何故であろう。
私の考えによると、これはまったく頭が変らぬからである。頭が変らぬ以上は、いかに声を大きくして生活改善を叫んでみたところで、けっして生活改善の実はあがらぬ。改善とは文字のとおり、改めて善くすることであるから、馬鹿げ切った迷信さえも思い切って排斥し得ないような頭では、何の改善もできるはずがない。生活改善に先だつものは、まず頭の改善でなければならぬ。
頭の改善というと、誰も第一に教育のことを考えるであろうが、明治、大正を通じて五十何年間の教育は、頭の改善に一体どれだけの役に立ったか。「いろは」をも読めぬ人間は確かに減ったであろう、学校の出席率はだんだん殖えたであろう、大学も高等学校も次第に数が多くなった。昇格した学校も少なくない。学士も博士も有り余って困っている。しかし、頭の改善という点からみると、今日の教育は、私などが小学校にいた明治初年の教育に比べて、なんら優ったところがあるとは思えぬ。明治八、九年の頃には、学校でも家庭でも、私は今日盛んに行なわれているような迷信を、話に聞いたことさえもなかった。たまたま、
私の考えを率直にいえば、生活の改善にはまず頭から改めてかからねばならぬ。文化生活などというても頭が改まらなければ、単に猿の人真似であって、しばらくすれば、また旧のとおりになる。しかして頭を改めるには、まず、思い切って、馬鹿げた迷信を捨ててみせることが必要である。十人
そこで私は、生活改善を目的とする会の人々に次のことを勧める。まず、事業を第一期と第二期とに分け、第一期には頭の改善を、第二期には生活の改善をはかることとする。しかして第一期には、頭の改善を行なうための手段として、まず迷信の打破を実行する。およそ物の曲ったのを直すには、反対の側へ曲げる位にせねば効がない。それゆえ、迷信を打破するためには、わざわざ迷信の反対のことをして見せる位の覚悟を要する。生活改善を唱える人々は、もし家を造るならば、はなはだしい差支えのないかぎり、便所を鬼門に造れ。息子の嫁を探すなら、まず丙午の娘を第一の候補者に選べ。棟上げは二、三日延ばしても仏滅の日にせよ。葬式はなるべくは友引きの日に出せ。この位な覚悟で着手しなければ、頭の改善はできず、頭の改善ができねば、いくら生活改善、生活改善と騒いでも、碌な生活改善はできぬ。その代り、もし第一期の事業に成功すれば、第二期の事業は実に容易であって、ほとんど捨て置いても独りでにでき上る。
以上ははなはだ簡単ながら、私の生活改善案の骨子である。それゆえ、私から見ると、今日、生活改善を唱えて居られる多数の識者の実行方法は、あたかもコンクリートの家を建てるにあたって、一階の方を後に廻し、まず二階から着手しようとしておられるごとくに感ずる。もし私の考えが間違うていれば仕合せである。
(大正十四年十一月)