境界なき差別

丘浅次郎





 この題目を見て、奇態な題と考える人があるかも知れぬ。差別があれば、その間に境界があるはず、境界がなければ、その両側には差別はないはずであるから、「境界なき差別」というのは題目自身の中にすでに矛盾を含んでいると考える人があるかも知れぬ。しかしここに述べんとする事柄に対しては「差別はあり境界はなし」との一句で全部をいいつくし得るゆえ、これよりもなおいっそう適切な題目を付けることはできぬ。
 実物について自然物を研究する人は「境界なき差別」に絶えず遭遇する。たとえば、脊に三本縦縞のあるひるの標本と脊に一本の縦縞のある蛭の標本とを比較するとその間の差別は実に明瞭で、この二種の間には判然たる境界があるごとくに思われるが、実物を多数集めて見ると、二者の中間の性質を帯びたものがいくらもあり、三本の縦縞のうち、両側にある二本の色がはなはだしく淡いものもあれば、中央にある明らかな一本の外に両側になお一本ずつ微かな縦縞の見えるものなどもあって、これらを順に並べて見ると、とうていどこにも判然と境界を定めることができなくなる。また蛭には体の後端に吸盤があり、蚯蚓みみずには吸盤がないゆえ、普通の蛭類と普通の蚯蚓類とを比べて見ると、その差別は明瞭で、その間の境界も判然とあるごとくに思われるが、よく調べると、苔の下などにいる陸産の蛭の類には吸盤のないものがあり、他物に吸い付いて生活する蚯蚓の類には体の後端にりっぱな吸盤を備えたものがいくらもある。これらは昔は蛭類の仲間に入れてあったが、だんだん身体の構造を調べた結果、今日では蚯蚓類の方へ籍を移された。かかる次第であるゆえ、模範的の蛭と、模範的の蚯蚓との間にはきわめて明らかな差別がありながら、蛭類と蚯蚓類との境界はどこにあるかと尋ねられると、誰も正確に答えることはできぬ。
 かように差別はありながら境界はないということは、蛭や蚯蚓に限るわけではない。いかに差別のいちじるしい種類の間でも、ていねいに調べて見ると、かならず中間の性質を帯びたものがその間にあって、結局、境界は定められぬ。今日生存する動物種族の中で、鳥類と蜥蜴せきえき類とは外観も習性もずいぶんはなはだしく異なり、これは鳥類かまたは蜥蜴類かという疑問の起るような曖昧な動物は一種もないから、二者の間の境界はすこぶる判然たるごとくに見える。しかるに古代の地層から掘り出された化石を調べると、嘴に歯の生えた鳥、翼に爪のある鳥、後足で立って歩く蜥蜴とかげ、空中を飛ぶ蜥蜴など、あたかも鳥類の特徴と蜥蜴類の特徴とを七分三分とか四分六分とかに合せたごとき性質のものがいくらもあり、両方の性質を五分五分に兼ね備えた種類に至っては、全く鳥類と蜥蜴類との中間に位するから、鳥類と蜥蜴類との間の境界は全くないといわねばならぬ。また動物を胎生する類と卵生する類とに分けるが、胎生にも卵生にも種々の階級があって、生れたばかりの卵の中に、すでに子供の形のでき上っているものもあれば、形の未だ整わぬうちに早くも母胎から産み出されるものもあって、その間の境界はけっして判然せぬ。哺乳類は胎生するのが規則であるが、オーストラリヤ地方に産する二、三の珍しい種類では鳥類の卵に似た卵を産み落す。しかも、その内部にはすでに胎児の形が相応にできている。魚類は普通は卵生であるが、鮫類の中には胎生する種類がいくらもあり、しかも胎児には母体から滋養分を取るための胎盤のごときものが付いてあるから、すこぶる獣類の胎生に似ている。脊椎動物には体の中軸に脊骨があり、無脊椎動物にはけっして脊骨がないといえば、その間の境界は、きわめて判然しているごとくに聞えるが、実物について調査すると、発生の途中に一度脊骨ができて、後にふたたびこれを失うもの、わずかに脊骨の痕跡のみを有するものなどが、いくらもあって、けっして明らかな境界はない、それゆえ、昔は無脊椎動物とみなされたもので、今日は脊椎動物の方へ移し換えられたものが何種類もある。動物と植物とを比べても、犬猫や、梅桜などのごとき高等の種類だけを見ると、その間の境界は、きわめて明らかであるように思われるが、だんだん下等の種類を比較すると、終にはとうてい区別ができなくなる。根が生えて動かぬ虫や、尾を振うて游ぐ藻の仲間には、藻とも虫とも判断し兼ねるごとき生物がいくらもあるが、かような種類は動物学の書物には動物として記載し、植物学の書物には植物として記載してある。


 われらはつねづねかくのごとき、差別あって境界なきものばかりを見慣れているゆえ、生物以外のものを見るにあたっても、相異なったものの間に明らかな境界が有るか否かをまず疑うてかかる習慣が付いて、何ごとを論ずるにあたっても、まず第一に、境界の有無を考えてみるが、かくすると、世人が当然境界のあるごとくに思うている所にも実はけっして明らかな境界のないことを発見する。差別あって境界のないことの誰にも明白に知れるものももとよりすこぶる多い。例えば、晴天、雨天というごときも、その一例であるが、日が照っていれば確かに晴天、雨が降っていれば確かに雨天で、その差別はきわめていちじるしいが、その間には種々の程度の曇天があって、晴天とみなすべきか、雨天と心得てしかるべきか、判断に苦しむような天気もなかなか多い。狐の嫁入りなどと名づけて、日が照りながら雨が降ることさえけっして稀でない。夕立の後に現われる虹のごときは、境界なき差別の模範的の好例で、七色の差別は誰の目にも明らかであるが、判然たる境界はどこを探してもけっしてない。赤より樺、樺より黄、黄より緑と、順々に移り行くだけで、急に段が付いて、一の色から他の色に飛び越すごとき所はどこにも見つからぬ。春夏秋冬の四季の変化のごときも、これと同様で、夏は暑く、冬は寒く、春は桜の花が咲き、秋は楓の葉が紅くなって、その差別は誰にも明瞭に知れるが、その間に判然たる境界はけっしてない。暦を見れば、何月何日の何時何分何秒から春になるとか夏になるとか書いてあるが無論その時刻に急激な変化が起るわけではなく、冬はいつとはなしに自然に春となり、春はいつとはなしに自然に夏となり、その間に気候が次第次第に暖くなり行くのみである。昼夜の別も、そのとおりで、昼は明るく、夜は暗く、その差別はいちじるしいが、夜が明けて朝となるときも、日が暮れて夜となるときも、けっして判然たる境界はない。その他透明なものと、不透明なものとの間には種々の程度の半透明なものがあり、個体と液体との間には種々の程度の半流動状のものがある。濃い葛湯が凝って葛餅となる間には、今までは液体、今からが固形体というように、その境界を示し得べき時刻はけっしてない。
 さらに例をとってみるに、醒めているときは意識があるといい、眠っているときは意識がないというが、これもその間に判然たる境界はない。朝目覚めるときも、夜寝入るときも、無意識から有意識へ、もしくは有意識から無意識へと移り行く間には実に無数の半意識的状態を経過するから、その有様は夜が明けて朝となり、日が暮れて夜になるのと、少しも違わぬ。賢愚の別も、そのとおりで、賢人と愚物とを比較すれば、その間の差別はまことに明瞭であるが、その中間には賢七愚三とか、賢四愚六とか賢愚五分五分とかいうような種々な程度の人間が限りなくあるゆえ、とうてい明瞭な境界線を定めることはできぬ。健康と病気とか老と若とか、新と旧とか、大と小とか、軽と重とかいうように相対する名称の付けてある事柄は、いずれも両端を比較するとその差別は明らかであるにかかわらず、その間に境界線を付けられぬものばかりである。
 学問や芸術の区別にも同様なことがある。動物と植物との境界がない以上は、これを研究する動物学と植物学との間にはもとより境はない。物理学と化学との間には密接な関係があるゆえ、境界線を定めて切り離すことはできぬ。今日では物理化学というて名前からして両方にまたがった一学科がある。画も純粋な日本画と純粋な西洋画とはよほど違うから素人にも差別が知れるが、折衷派になると、いずれに属するともいわれぬ。また画は平面、彫刻は立体のもので、その差別は誰にも明らかであるが、画の方にもずいぶん絵の具を山のように盛り上げたものがあり、彫刻の方にも平面に彫り付けたものがあって、どちらの領分に属するか分りかねるようなものもある。外国貨幣の表にある人の顔の彫刻に絵の具を塗ったとすれば、これは画ともいえば、彫刻ともいえるであろう。義太夫とか常磐津とかいうものも、無論その間に明らかな差別があろうが、下手な者が語るといずれか分らぬようにもなる。芝居と活動写真とのごときも、これを半々に相混ずると、その中間のものができ上がる。


 以上はいずれも差別のある二つの物を取って、その間に境界のないことを述べたのであるが、相手なしにただ一つの物について、その終点を調べてみても、またけっして判然たる境界はない。雲はそのもっとも好い例で雲の形は明らかに見えていながら、その周辺に判然たる境界線を見出すことはできぬ。昔の支那や日本の画では明らかな線をもって雲の輪廓を画いてあるが、実物を見れば、無論かかるものはない。富士山へでも登れば、自身が幾度か雲の中に入り、また雲から出るが、いつも知らぬ間に次第に出入するだけで、けっして今から雲に入るとか、いま雲を出たとかいい得るような判然たる境界はない。雲は掴え難いものの例としていつも引き合いに出される物ゆえ、これは特別であると考える人があるかも知れぬが、他の物でも理窟は全くこれと同じである。例えば紙の裁ち切った縁は一直線をなして、境界がきわめて判然してあるごとくに見えるが、これを千倍の顕微鏡で見れば、多数の繊維が入り乱れてあたかも竹藪のごとくであるゆえ、どこまでが紙の領分で、どこからが紙の領分以外であるか全く判然せぬ。それゆえ、もし人間が今より何千分の一か、何万分の一かのきわめて微細な身体を持っていたと想像すれば、紙の縁を通過するときには、あたかも普通の人間が、雲に出入するときと同様で、とうてい明瞭な境界を見ることはできぬであろう。地図を見れば島の周囲を明らかな沿岸線で示してあるが、実地浜辺へ出て見ると、浪が寄せては返しているゆえ、陸の領分がどこまで達し、どこで終るかを示すことはできぬ。かく境界の定められぬのは、空間に対してのみではなく、時間においてもそのとおりで、人の生命のごときも通常何年何月何日の何時何分に生れ、何年何月何日の何時何分に死んだというて、生れた時も、死んだ時も、おのおの明らかな一点のごとくにいうてはいるが、実際生れるにあたっては、生れ始めてから生れ終るまでの移り行きがあり、死ぬにあたっても、死に始めてから死に終るまでの移り行きがあるから、けっして時の一点を指して、これが生れた時、これが死んだ時と指し示すわけにはゆかぬ。電灯のつまみひねれば、その途端に光が現われ、またこれを捻れば、その途端に光が消えて、光っていた時の始め終りには確乎たる境界があるごとくに感ずるが、これもよく考えてみると、境界はない。電球内の細い線が微かに光り始めてから、十分の光を発するまでには、順々の移り行きがあり、光がわずかに弱り始めてから完全に消え終るまでの間にも順々の移り行きがあるゆえ、仮に七十年の人間の寿命を一日に縮め、一秒に対する時の長さの感じを今日の人間が一日に対する長さの感じと同様にしたと想像すれば、電灯が付いて明るくなるときにはあたかも夜が明けて朝となるのと同様な移り行きを感ずるであろう。また電灯が消えて、暗くなるときにはあたかも日が暮れて夜となるときと同様な移り行きを感ずるであろうから、とうてい明らかな境界を定めることはできぬに違いない。
 なお通常相対立させて用いている言葉の中には、実際対等でないものがいくらもある。例えば動と静というごときはその一で、世人は一般に動と静とを相反するものとして、その間に確かな境界があるごとくにみなしているが、よく考えてみると、動という中にははげしい動から、微かな動まで無数の階級があり、微かの極に達した所がすなわち静であるから、動と静とはけっして相対立せしむべき性質のものではなく、静はむしろ無数に変化のある動の中の一の特殊の場合とみなすべきものであろう。曲と直というのもこれと同様で、曲という中には、はなはだしい曲からきわめて微かな曲まで無限の変化があり、もっとも微かな曲がすなわち直であるゆえ、直はむしろ曲の中の一種ともみなせる。有と無との区別も、そのとおりで、有の方には明らかに有るのから微かに有るのまで無限の階級があり、その一方の端が無であるから、前と同じ筆法で論ずれば、無は当然有の中の一種と見ねばならぬ。また仮説と事実との関係もこれに似たもので、仮説の中には、すこぶる真らしからぬものから、よほど確からしいものまでさまざまの階級があり、その中のもっとも真らしいものを事実とみなしているに過ぎぬ。地球が丸いということも、地球が太陽の周囲を廻転するということも、今では事実とみなされているが、昔はただ仮説に過ぎなかった。今日といえども地球は丸くないと唱える人もあるが、その人から見れば、地球の丸いということは、事実でなくて、誤った仮説と考えられているであろう。


 われらはつねづねかように考えるゆえ、いずれの方面を見ても、差別はあって境界はないというのが宇宙の真相であるごとくに感ずる。差別はあるが境界はないというのが宇宙の真相であるとすれば、ある差別をないと思うのも誤りであり、ない境界をありとみなすのも誤りである。差別のあることにのみ注意すると、とかく、境界のない所に境界ありと信ずる誤りにおちいりやすく、境界のないことにのみ注意すると、とかく、ある差別をもこれを無視するの弊におちいりやすい。されば何ごとを論ずるにあたっても、「差別はあり境界はなし」という根本の事実をつねに念頭から離さぬようにして、両方に注意せぬと、いずれか一方の誤りにおちいるを免れぬ。
 さてかくのごとく、実際に境界のないものを捕えて、何故世人は一般に境界あるものと思い込むに至ったかというに、われらの考えによれば、これは、全く人類が言語を用いて思考するためである。元来、物の名は、他物と区別するために付けたものゆえ、ことごとく差別に基づいて名づけてあって、他に移り行く所などはしばらく度外視してある。虹の七色の名称などはすなわちその適例で、特徴の明らかに現われた部分の外には名は付けてない。地面のいちじるしく高まった所には何山という名を付け、地面の目立って広い所には何原という名を付けるが、その境界の漠然たることは当分構わずに置く。自分の身体について見ても、手とか腕とか肩とか頸とか、各部に名称は付けてあるが、その間に厳しい境は定めてない。しかし境界は定めてなくとも、各部に名が付けてありさえすれば、腕に怪我をしたとか、頸に腫物ができたとかいう日々の談話には何の差支えもない。実物を目の前に置いて調べるような学問を修める者は、物の名称とはすべてかかる性質のものであることを忘れるおそれはないが、実物を離れて、ただ言葉のみをもって考える人々は、一つ一つの言葉に定義を下して、その内容の範囲を定め、隣りの言葉との間に繩張りをしてかからぬと思想の整理ができぬごとくに感じ、到る所に境界を造り、後にはかような境界が最初からあったもののごとくに思う癖が生じて、終には物と物との間にはかならず境界があると考えねば合点ができぬようになるとみえる。言葉と言葉との間の境界は畢竟行政上の区画のごときもので、整理の必要からいえば、是非ともどこかに定めねばならぬが、実物の方にはこれに相当する真の境界のないことをつねに忘れてはならぬ。土地の表面にはただ山川、高低があるだけで、何の境もない所へ、行政上の必要から、県の境、郡の境、町の境、村の境を設けるごとくに、実物にはただ差別があるばかりで、境界のない所へ、若干の言葉を割り振り、その間に縦横に繩を張って、一々の言葉の領分を定めたに過ぎぬが、実物を離れて、言葉のみを用いていると、繩張りのみに目が付いて、実物の方にもそこに判然たる境界があるかのごとくに思い込む癖が生じたのであろう。
 また人間は指をもって物の数を算え、数に一二三四五とおのおの名称を付け、十は五の二倍、四は八の二分の一というように勘定し、長さ、広さ、重さをいい現わそうとするにあたっては、まず単位を定めて、その何倍とか、何分のいくつとかいう言葉を用いる。長さならば、里町間とか、丈尺寸とかいう単位を設け、何里の道とか、何尺の紐とかいうているが、一本の紐を見て、目分量でその長さを測るときには頭の中で、その紐を一尺ずつに境を付けて考える。万事かように頭の中で、切って考える癖が付くと、何物を見ても、これを単位の集合であるとみなし、単位と単位との間には、判然たる境界があるごとき感じを有するに至りやすい。一昼夜を二十四時間に分け、地球の周囲を三百六十度に分けるなどは、皆境界のない所へ便宜上、境界を造ったものであるが、このことは誰にも明瞭であるにかかわらず、始終用い慣れ見慣れると、その境界が真にあるかのごとき心持ちになって、地図や地球儀を見ても、経度緯度の線が縦横に画いてないと、何となく間が抜けたごとくに感ずる。赤道の所にはやはり、太い線を引いて、北半球と南半球とを判然と区別して置かぬと承知ができかねる。日常の生活には午前と午後との間には確乎たる境界があるごとくにみなして置く方が都合がよろしい。かような次第で、差別の明らかでないところへ、便宜上境界を仮想することもつねであるが、これが習慣になると、その境界を実際ありと思うようになりやすい。今日赤道を通過すると聞いて、朝から甲板上に立って、一生懸命に海面を眺めている乗客の所へ、茶目式の若い船員が来て、赤道は肉眼ではとうてい見られぬからこれを貸してあげようというて、赤インキで玉に横線を引いた望遠鏡を貸してやったという話を聞いたことがあるが、これは極端な例としても、日常これに似た考えを持っている場合はいくらもある。大晦日と元日との間にも何となく判然たる境界があるごとき心持ちを禁じ得ない。


 人間の思考力が、今日の程度までに進み、人間の知識が今日の分量までに増したのは主として言葉を用いて考えた結果であることを思えば、言葉が人間にとっていかに大切なものであるかは、わざわざ論ずるにおよばぬ。理科でも文学でも、宗教でも、芸術でも言葉を離れてはとうてい発達することはできぬであろう。しかし、その反対に、言葉のために誤られ、言葉のために無益なことに頭を悩ませられた方を考えると、これまたけっして少なくない。言葉のために誤られるとはすなわち境界のない所に境界があるごとくに思い込むことで、そのため今日までに幾人の大学者が無用な水掛論を闘わしたかとうてい数えることはできぬ。昔からの議論の中でいつまでも結着の付かぬものは、多くは、双方ともに境界のない所に境界ありと思い誤って、さてその境界はどこにあるかと、互いに論じ合うているもののようである。
 いずれの方面でも、研究が進めば進むだけ、ますます細かく分解するようになるが、細かく分解すればするだけ、多くの境界線を仮想せねばならぬことになる。今日までに学問の進歩したのは、主として分解的研究の賜であって、今後とても、ますます分解的研究を進めねばならぬが、一方に分解的研究を努めると同時に、他方には、その結果を総合することが必要である。しかして総合するにあたって、けっして忘れてはならぬのは、仮想の境界線をことごとく消し去ることである。これを忘れると、分解したものをいかに正しく総合しても旧のとおりにはならぬ。学問研究に分解の必要なのは何故かといえば、これは人間の力に限りがあって、同時に全部を研究し得ぬからである。まずいくつかに割って、一部分ずつ調べてかかるより外には途がなく、くわしく調べようと思えば思うほど、まず細かく割ってかからねばならぬ。その有様はあたかも一度に口に入れかねる大きな煎餅を食うにあたって、まずこれを口に入るだけの大きさに割って、一部分ずつ片付けてかかるのと少しも違わぬ。すなわち割らねば手に合わぬゆえに割るのであって、煎餅の方にはけっして初めから割れ目はなかった。されば分解的研究の結果をいかに巧みに継ぎ合せても、その間に割れ目の存してある間はけっして分解以前のものと同一ではない。割れ目を消してしまうてこそ、初めて旧と同一のものになるのである。皿を一度数多の小片に壊しておいて、さらにこれを焼継ぎしたのでは、けっして旧の無疵の皿とならぬごとく、分解的研究の結果を継ぎ合せても、継ぎ目が残っては、それだけが誤りである。教育を分って智育、徳育、体育とするとか、人の体質を分って粘液質、胆汁質、何々質、何々質とするとかいうのは皆差別に注意して造った名称であるから、これを逆にして、教育は智育、徳育、体育の三区より成るというと、それでは唱歌は何区に属するかとの難問も生ずる。幼年、少年、青年等の間に明らかな境界がないからというてその差別をも無視して、赤坊も大人も同じ乗車賃を取ることは誰が考えても無理であるゆえ、五歳以下は無賃、十二歳以下は半額というように所々に境界を定めて置くことが必要であるとおり、差別ある物の間には、無論どこかに境界を設けねばならぬが、この境界は人間が便宜上、造ったものであることを忘れてはならぬ。
 以上述べたところを約言すると、初めにいうたとおり、「差別はあり、境界はなし」との一句になる。ある差別をなしと見るのも誤りであり、ない境界をありと思うのも誤りである。何学問でも、差別はあり境界はなしという、万物に通じた根本の原理に心付かぬようでは、今後分解的研究が進むにしたがうて、かえって、誤りの方に迷い込むおそれがないとも限らぬ。
(大正五年六月)





底本:「現代日本思想大系 26 科学の思想※(ローマ数字2、1-13-22)」筑摩書房
   1964(昭和39)年4月15日発行
初出:「心理研究 第10巻」
   1916(大正5)年
入力:川山隆
校正:雪森
2015年9月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード