海の少年

小川未明




 今年ことし夏休なつやすみに、正雄まさおさんは、かあさんやねえさんにれられて、しま別荘べっそう避暑ひしょにまいりました。正雄まさおさんはうみめずらしいので、毎日まいにちあさからばんまで、海辺うみべては、うつくしいかいがらや、小石こいしなどをひろあつめて、それをたもとにれて、おもくなったのをかかえてうちかえると、あねいもとせて、だんだんたくさんにたまるのをて、東京とうきょうへのおみやげにしようとよろこんでいました。
 あるのこと、正雄まさおさんは、ただ一人ひとりうみほうからいてくるすずしいかぜかれながら波打なみうちぎわを、あちらこちらと小石こいしかいがらをつけながらあるいて、
つかれしょ、つかれしょ、おれつかれしょ。真珠しんじゅかいがらつかれしょ。」といいました。
 青々あおあおとしたうみには白帆しらほかげが、白鳥はくちょうんでいるようにえて、それはそれはいいお天気てんきでありました。
 そのとき、あちらのいわうえ空色そらいろ着物きものた、自分じぶんおなじいとしごろの十二、三さい子供こどもが、っていて、こっちを手招てまねぎをしていました。正雄まさおさんは、さっそくそのそばへって、
「だれだいきみは、やはりしまへきているのかい。ぼくといっしょにあそぼうじゃないか。」といいました。
 空色そらいろ着物きもの子供こどもはにっこりわらって、
ぼくひとりで、つまらないから、きみといっしょにあそぼうとおもってんだのさ。」
「じゃ、二人ふたりなかよくあそぼうよ。」と、正雄まさおさんは、そのいわしたって見上みあげました。
きみ、このいわうえへあがりたまえな。」
 しかし、正雄まさおさんにはあまりたかくてのぼられないので、
ぼくにはがれないよ。」とかなしそうにいいました。すると、
「そんならぼくりよう。」と、ひらひらとりて、さあ、いっしょにうたってあそぼうよと、二人ふたり学校がっこうでおそわった唱歌しょうかなどをこえをそろえてうたったのであります。そして二人ふたりは、べにがにや、うつくしいかいがらや、しろ小石こいしなどをひろって、晩方ばんがたまでおもしろくあそんでいました。いつしか夕暮ゆうぐがたになりますと、正雄まさおさんは、
「もううちかえろう、おかあさんがっていなさるから。」と、うちほうかえりかけますと、
ぼくも、もうかえるよ。じゃきみ、また明日あしたいっしょにあそぼう。さようなら。」といって、空色そらいろ着物きもの子供こどもれいたかいわうえへ、つるつるとはいがりましたが、はやその姿すがたえませんでした。
 くるひるごろ、正雄まさおさんは、海辺うみべへいってみますと、いつのまにやら、昨日きのう空色そらいろ着物きもの子供こどもがきていまして、
「や、失敬しっけいっ。」とこえをかけてり、
きみにこれをやろうとおもってひろってきたよ。」と、それはそれはきれいな真珠しんじゅや、さんごや、めのうなどをたくさんにくれたのであります。正雄まさおさんはよろこんで、そのうちかえって、おかあさんやおとうさんにせますと、ご両親りょうしんさまは、たいそうびっくりなさって、
正雄まさおや、だれからこんなけっこうなものをおもらいだ。え、その子供こどもはどこの子供こどもで、はなんといいます。」と、きびしくわれたのであります。正雄まさおさんは、
「どこの子供こどもですかぞんじません。」と、ただいていました。おかあさんは、
正雄まさおや、もうこれからけっして、こんなものをおもらいでないよ。そして、さっそく明日あした、この品物しなものをその子供こどもにおかえしなさいよ。」と、かたくいいきかされたのであります。
 くる正雄まさおさんは、また海辺うみべへいきますと、もう自分じぶんよりさきにその子供こどもがきていまして、昨日きのうのよりさらにうつくしいさんごや、紫水晶むらさきすいしょうや、めのうなどをってきて、あげようといって、正雄まさおさんのまえにひろげたのであります。正雄まさおさんは、昨日きのうばん、おとうさんや、おかあさんにしかられたことをおもして、
きみぼく昨晩ゆうべ、これをもらっていったので、たいへんに、おとうさんやおかあさんにしかられてしまった。もうしくないから、昨日きのう、もらったのをもかえすよ。」とかえしたのであります。
 すると、空色そらいろ着物きもの子供こども不審ふしんそうなかおつきをして、
「なんで、きみのおとうさんや、おかあさんはしかったんだい。」とききますと、正雄まさおさんは、
ひとから、こんなものをもらうでないと、いって……。」とこたえました。
 すると、空色そらいろ着物きもの子供こどもは、からからとわらって、
りくうえ人間にんげんはみょうだな……。」といいました。正雄まさおさんは、不思議ふしぎおもって、
「え、きみりくうえって、きみは、いったいどこからきたんだい。」
ぼくは、うみなかんでいる人間にんげんだよ。」
うみなかにもくにがあるかい。」と、正雄まさおさんは、ますます不思議ふしぎがってききますと、
きみはばかだな、うみそこにりっぱな都会とかいがあるのをらないのかえ、りくうえうちみたいに、こんなにきたなくはないよ。水晶すいしょうもめのうもひろがないほどちているよ。」
「そうかなあ。」と、正雄まさおさんは感心かんしんしてしまいました。
きみは、今年ことし何年生なんねんせいだい。」と、うみなか子供こどもがききますから、正雄まさおさんは、
ぼく高等こうとうねんだよ。」とこたえました。
ぼく今年ことし年生ねんせいだ。いちばん修身しゅうしん歴史れきしきだよ。きみは? ……」
 正雄まさおさんも歴史れきし大好だいすきなもんですから、
ぼく歴史れきしきだ。やはりうみ学校がっこう読本とくほんにも、だんうら合戦かっせんのことがいてあるかえ。」とききました。
「それはあるさ、義経よしつねの八そうびや、ネルソンのはなしなど、先生せんせいからいつきいてもおもしろいや。」
ぼくも、うみ学校がっこうへいってみたいな。」
きみ来年らいねんきたられていってあげよう。もう明日あしたから、ぼくのほうの学校がっこうはじまるから。きみばん東京とうきょうかえるんだろう。ほんとうに来年らいねん夏休なつやすみには、またきみもきたまえ。ぼくもきっとくるから、そしてうみそこみやこには、こんな真珠しんじゅや、紫水晶むらさきすいしょうや、さんごや、めのうなどが、ごろごろころがっていて、建物たてものなんか、みんなこれでできているから、電気燈でんきとうがつくと、いつでもまちじゅうがイルミネーションをしたようで、はじめてきたものはがくらむかもしれないよ。」
「じゃ来年らいねんは、ぜひれていってくれたまえ。」と正雄まさおさんは、くれぐれもたのみました。
 そのうちにれてきますと、西にしうみ真紅まっか夕焼ゆうやけのくもひたして、黄金色こがねいろなみがちらちらとかがやいたのであります。そのときうみなか音楽おんがくひびいて、一個ひとつおおきなかめが波間なみまて、うみなか子供こどもむかえにきました。
「じゃ失敬しっけい! お達者たっしゃで、また来年らいねんあおう。さようなら。さようなら。」
といって、そのかめの背中せなかって、空色そらいろ着物きもの子供こどもは、なみあいだえなくなってしまいました。そしてまたなみが、ど、ど、ど――ときて、すなうえちていたさんごや、真珠しんじゅや、紫水晶むらさきすいしょうあらながしていってしまったのであります。





底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
   1976(昭和51)年11月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第7刷発行
初出:「少年文庫」
   1906(明治39)年11月
※表題は底本では、「うみ少年しょうねん」となっています。
※初出時の表題は「海底の都」です。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班
2011年11月2日作成
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