めくら星

小川未明




 それは、ずっと、いまからとおむかしのことであります。
 あるところにのよくえないむすめがありました。おかあさんは、むすめが、まだちいさいときに、むすめをのこして、病気びょうきのためんでしまいました。そのあとにきましたおかあさんは、このむすめを、ほんとうの自分じぶんんだ子供こどものようにかわいがらずに、なにかにつけてむすめにつらくあたりました。
 むすめは、こそあまりよくえませんでしたけれど、まことにりこうなおんなでありました。そして、あとにきたおかあさんにまれた、おとうと三郎さぶろうりをしたり、自分じぶんのできるかぎりの世話せわをしたのであります。
 こんなに、おとうとをかわいがりましたのにかかわらず、おかあさんは、やはりむすめかたきにしました。おかあさんは、じつにものの道理どうりのわからないひとでありましたけれど、おとうと三郎さぶろうはこのあねしたい、そのいうことをよくきく、いいでありました。
 三郎さぶろうは、一のかわいらしい小鳥ことりっていました。その小鳥ことりは、はねいろうつくしいばかりでなく、いいこえして、あさからばんまでかごのなかでさえずりうたいましたから、三郎さぶろうはこの小鳥ことりあいしたことは一通ひととおりでありませんでした。また三郎さぶろうのいちばん大事だいじにしていたのは、この小鳥ことりであったことはいうまでもありませんでした。
 いじのわる母親ははおやは、むすめかって、
「おまえは、毎日まいにちとりみずをやりなさい。そして、もしとりをにがすようなことがあったなら、そのときはたいへんだ。そうすれば、もう、おまえはこのうちからていくのだ。けっして、うちきはしないから。」といいました。
 おとなしい、のよくえないむすめは、どんなに、この母親ははおやのいいつけを当惑とうわくしたでありましょう。
 小鳥ことりは、そんなこととはらず、あさからかごのなかでとまりにとまって、ないたり、さえずったりしていました。そして、ほそいかごのから、とおそらなどをながめていますうちに、小鳥ことりはどうかして、ひろて、自由じゆうに、あの青々あおあおとしたそらんでみたいものだとおもったのであります。
 小鳥ことりは、自分じぶんともだちらが、えだや、かなたのそらでないているのをきますと、そのままな生活せいかつがうらやまれたのでありました。自分じぶんもどうかして、このかごのなかからげてて、せめて一目ひとめなりとも、なかのさまざまな景色けしきたいものだとおもいました。
 こう小鳥ことりそとにあこがれていますうちに、あるのこと、のよくえないむすめは、餌猪口えちょこをかごのなかたおして、それをなおそうとをもんでいました。小鳥ことりは、むすめとかごのぐちのところにすきまのあるのを発見はっけんしましたので、すばやくをすぼめて、ついとそこから、そとしてしまいました。
 小鳥ことりは、まず屋根やねうえまりました。そして、これからどっちへかってげていったらいいかと、しばし思案しあんにふけったのです。そのとき、いえうちでは、なんだか大騒おおさわぎをするようなようすでありましたから、まごまごしていてらえられてはつまらないとおもいましたので、一声ひとこえたかくないて、遠方えんぽうえる、こんもりとした森影もりかげあてに、んでいってしまいました。
 むすめは、小鳥ことりがしてしまうと、たいへんにおどろかなしみました。どうしらいいだろうとをもみましたけれど、なにぶんにもがよくえませんので、どうすることもできないので、ただ、うろうろさわいでいました。
 このとき、三郎さぶろうあねのそばにけてきまして、
ねえさん、とりはどこへいったの! ぼく大事だいじにしておいたとりはいなくなってしまった。ぼくは、どうしたらいいだろう。」としました。
 やさしいあねは、おとうとをいたわって、
三郎さぶろうさん、わたしがわるかったのだから、どうか堪忍かんにんしておくれ。あんなに三郎さぶろうさんがかわいがっていたとりがしてしまって、わたしがわるかったから、どうか堪忍かんにんしておくれ。きっと、わたしがとりさがしてつかまえてきてあげるから、かないでおくれ。」といいました。
 この物音ものおときつけた母親ははおやは、なにごとがこったかとおもって、おくからてきました。そして、その次第しだいると、たいへんにおこりました。
三郎さぶろうのあんなに大事だいじにしておいたとりがしてしまって、おまえはどうするつもりです。いつかの約束やくそくですから、さあ、おまえは、このうちからていってしまうのです。どこへでもかってにいってしまうがいい。」と、母親ははおやはいいました。
 むすめわせて、けっしてわるでしたのではないから、ゆるしてくださいといてわびましたけれど、もとより、これを機会きかいむすめしてしまうかんがえでありましたから、母親ははおやはなんといってもむすめあやまちをゆるしませんでした。おとうと三郎さぶろうは、あねがかわいそうになりましたので、ともに母親ははおやのたもとにすがってゆるしをいましたけれど、母親ははおやはついにゆるさなかったばかりでなく、むすめいえからそとしてしまいました。
「そんなにうちはいりたければ、げたとりさがしてつかまえてくるがいい。」と、母親ははおやは、むすめ後目しりめにかけてしかりました。
 むすめはやっとかおげて、
三郎さぶろうさん、わたしは、きっととりさがしてつかまえてきてあげますよ。」と、なみだながらにいいました。そして、彼女かのじょは、いずこへともなくってしまったのであります。
 むすめは、からになったかごをぶらさげて、あてもなくまちからむらて、むらからまた野原のはらへと、さまよいあるいたのであります。
 もしやどこかで、おぼえのあるとりこえはしないかと、みみかたむけましたけれども、あたりは、しんとして、なんのとりのなくこえもしなかったのであります。
「どうか、とり! とり! このかごのなかかえっておくれ。おまえがかえってくれないと、わたしはうちかえられないのだから、どうかこのかごのなかかえってきておくれ。」と、むすめは、あてもなくげていってしまったとりかって、ひとごとのようにたのみました。しかし、どこからもとりんでかえってくるようすがありませんでした。
 むすめはしかたなく、野原のはらをさまよって、だんだんもりなかから、やまのふもとへあるいてきました。そのうちにはしだいにれかかったのです。
「どうしたらいいだろう。もしとりがこのかごのなかかえってきてくれなければ、わたしは、おとうとたいしてすまない。おかあさんは、わたしのあやまちをけっしてゆるしてはくださるまい。しかたがないから、わたしはんでしまおう。」と、決心けっしんしながら、とぼとぼと、なおもみちあるいてきました。
 たかやまはしが、あかく、黄色きいろいろづいては、いつしかしずんでしまいました。むすめかなしく、しずむのをながめました。もういえてからだいぶとおあるいてきました。いまごろ、おとうとや、おかあさんは、どうしていられるだろうとおもうと、さびしく、たよりなくなってなみだがわいててきました。
 そのうちに、彼女かのじょあるいているみちは、いつしかきてしまって、まえあおあおいけえました。はまったくれて、そらほしがちらちらとそのしずかなみずうえうつっていました。
 むすめは、がよくえませんけれど、このふかそうに青黒あおぐろえる、いけおもてうつったほしひかりだけはわかりました。彼女かのじょは、ずっとそのいけおもてつめて、んでしまおうかと思案しあんしていました。
 ちょうどそのとき、みずなかから、
ひめひめ、どのほしになる。きんほしか。ぎんほしか。それとも紫色むらさきいろほしか。」というこえこえたのであります。
 むすめは、これはきっと、かみさまが自分じぶんすくってくださるのだろうとおもいました。おほしさまになったら、もういままでのようにかなしいこともなければ、またつらいこともなかろう。そして、なつかしい真実ほんとうのおかあさんにあうこともできれば、また三郎さぶろうさんの大事だいじにしていたとりを、世界せかいじゅうめぐりめぐってさがすこともできるだろうとおもいました。
 また、このとき、みずなかから、先刻さっきおなこえで、
ひめひめ、どのほしになる。きんほしか。ぎんほしか。それとも紫色むらさきいろほしか。」と、姿すがたえないけれど、おなじことをいいました。
 むすめかんがえて、
きんほしになる。」とこたえました。すると、
きんほしはやいぞ。はやて、おそはいる。」と、またみずなかからいいました。
 むすめは、これは、金星きんせいは、はやそらて、おそうみはいるのだから、はやいけなかめというのだろうとおもいましたから、さっそくわせて、かみさまにいのりながら、ざんぶりとばかり、みずなかんでしまったのであります。
 そのから、そらに、金色きんいろあたらしいほしが一つえました。
 けれど、そのほしは、めくらぼしでありました。ほかのおほしさまのように、とおく、たかく、からはなれて、天上界てんじょうかいむことができないのであります。毎夜まいよもりや、はやしや、うえちかくさまよって、このおほしさまは、なにかたずねています。それは、んだあねが、なお、おとうとのかわいがっていたとりさがしているのであります。
 あるのこと、やまや、もりや、はやしや、かわは、みんないっしょにあつまって相談そうだんいたしました。
「あのめくらのほしは、ほんとうにかわいそうだ。」
毎夜まいよ、この下界げかいちかくにまでりてくる。もし、やまや、もりきあたったらどうするつもりだろう。」と、かれらはたがいにはないました。
「こりゃ、おれたちが、あのほし注意ちゅういしてやらなけりゃならない。」
「そうだ。それがおれたちのすべきことだ。」と、かれらは、またいいあいました。相談そうだんがすむと、かれらはたがいにわかれてしまいました。
 どんなばんも、あめらないかぎりは、めくらぼしは、金色きんいろひかって、下界げかいちかそらをさまよいます。みなさんは、金色きんいろかがやくおほしさまが、やまいただきにとどきそうになってぎるのをるでありましょう。そのとき、ふもとの谷川たにがわは、こえをかぎりにさけびます。また、もりには、かぜこって、ゴーゴーとります。あるやまは、あかいて、ほし警戒けいかいします。
 めくらぼしは、たかやまいただきにつきそうになって、この物音ものおときつけて、さもさむそうにぶるいしながら、あおあおよるそらをあてもなく、無事ぶじぎてゆきます。
 かみさまは、めくらぼしとなったむすめを、かわいそうだとおもわれました。けれど、げた小鳥ことりにべつにつみのあるわけでありませんから、それをばっすることができませんでした。ただ、めくらぼし毎夜まいよちかりてとりさがしているのを不憫ふびんおもわれて、これはいくらさがしてもわかろうはずはないから、げたとりは、ほかのとりのように昼間ひるまはないたり、さえずったりさせずに、よるにかぎってないたり、さえずったりさせてやろう。そうすれば、めくらぼしはきっと、そのなきこえきつけてさがしあてることができるだろうと、かみさまはおもわれたのであります。
 もりに、やまに、はやしに、みんなほかのとり昼間ひるま太陽たいようかがやいているあいだは、おもしろく、たのしく、こずえからこずえにさえずりわたっているのを、ひとり、昼間ひるまねむって、くらよるあいだねむることができずに、反対はんたいにないているとりがあります。これは、むかし、かごからげていなくなったとり子孫しそんらであります。しかし、めくらぼしは、永久えいきゅうもりなかちかづくことができません。むなしく、はるかにほととぎすや、ふくろうのなきごえきながら、たかやまいただきぎるのです。





底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
   1976(昭和51)年11月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第7刷発行
初出:「おとぎの世界」
   1919(大正8)年6月
※表題は底本では、「めくらぼし」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班
2011年11月2日作成
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