ある夏の日のこと

小川未明




 ねえさんは、庭前にわさきのつつじのえだに、はちのつけました。
「まあ、こんなところへつくって、あぶないからとしてしまおうか。」と、ほうきをったおさえてためらいましたが、
「さわらなければ、なんにもしないでしょう。」
 せっかくつくりかけたをこわすのもかわいそうだとかんがなおして、しばらくまって、一ぴきのおやばちが、わきもせず、熱心ねっしんちいさなくちで、だんだんとおおきくしようと、かためていくのをながめていました。そのうちに、はちはどこへかりました。なにか材料ざいりょうさがしにいったのでしょう、しばらくすると、またもどってきました。そして、おなじようなことをうまずにかえしていました。
「このはち一ぴきだけだろうか。」
 彼女かのじょは、おなじ一ぴきのはちが、ったりかえったりして、はたらいているのしかなかったからです。
ゆうちゃんに、だまっていよう。」
 つけたら、きっとるであろうとおもいました。
 ねえさんは、すわって、仕事しごとをしながら、ときどきおもしたように、たる庭前にわさきました。くろずんだざくろのに、はなが、点々てんてんのともるようにいていました。そして、水盤すいばんみずいたすいれんのに、はちがりてまっているのをました。
「あのはちは、さっきのはちかしらん。」
 をはなさずにていると、はちは、しばらくたって、つつじのえだほうんでいきました。
「やはりそうだわ。みずみにきたんでしょう。」
 翌朝よくあさにわをそうじするときに、ねえさんは、はちがどうしているだろうとわざわざつつじののところへいって、をのぞいてみました。そこには、昨日きのうおやばちが、やはり一ぴきで、いっしょうけんめいにおおきくしようとしていました。彼女かのじょは、はじめてそのとき、一ぴきのはちのちからつくられた注意ちゅういけたのです。
 なんと並々なみなみならぬ心遣こころづかいと、努力どりょくが、そのかたむけられていることか。たとえば、雨風あめかぜかれても容易よういれそうもない、じょうぶなえだえらばれていました。また、のつけは、さわってもちないように、つよそうに黒光くろびかりがしていました。ちいさなはちにどうして、こんな智慧ちえがあるかと不思議ふしぎおもわれたほどでした。
「そうだ、これをおとうとせてやろう。そして、りこうなはちが、どうしてつくり、また子供こどもそだてるのに苦心くしんするかをおしえてやろう。そうすればおとうとは、ここにのあることをっても、けっしてとすことはあるまい。」と、かんがえたのでした。午後ごごになってゆうちゃんは、学校がっこうからかえると、にわて、一人ひとりあそんでいました。
ゆうちゃん、はちのがあってよ。」
 彼女かのじょは、おとうとかおました。
「ああ、っている。」
「え、っているの。」
 おとうとが、どうして、それをとさなかったろうとうたがわれました。
ねえさん、つつじのだろう。おかあさんばちがひとりでつくっているのだよ。」
「ええ、そうなの。」
「このあいだからると、だいぶおおきくなった。あのあななか子供こどもがいるんだね。あついときは、水盤すいばんみずふくんでいって、うえやしているよ。」
「まあ。」
 そんなくわしいことまで、いつおとうと観察かんさつしていたのだろうとびっくりしました。
 しかし、ねえさんは、おとうとが、どんなにそのはちをかわいがっているかを、まだらなかったのです。
きみ、はちのっていくと、ほんとうによくれるよ。」
 子供こどもたちは、日課にっかのように、みんなでかわりにかけました。かれらは、血眼ちまなこになって、はちのをさがしていたのです。ゆうちゃんは、そのはなしくたびに、にわのはちのかべました。このごろははばちの片方かたほうはねがすこしやぶれているのをかんがえると、むねいたくなるのをかんじました。ほかの子供こどもは、どこからか、はちのをさがしてっていくことがあったが、ゆうちゃんだけは、いつもうどんえさつくって、りにかけたのでした。





底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
   1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「生きぬく力」正芽社
   1941(昭和16)年11月
初出:「女子青年 24巻8号」
   1941(昭和16)年8月
※表題は底本では、「あるなつのこと」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年6月19日作成
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