おかまの唄

　松林（まつばやし）で、聞（き）きなれた鳥（とり）の声（こえ）がしました。窓（まど）をあけると、やまがらやしじゅうからが、枝（えだ）から枝（えだ）をつたって鳴（な）いていました。
「僕（ぼく）のにがしたやまがらではないかな。」
　少年（しょうねん）が、じっとその姿（すがた）を見（み）ていました。遠（とお）い町（まち）で逃（に）がしたのが、どうして、ここまで飛（と）んでこられよう、と思（おも）いました。
　戦争（せんそう）のさいちゅうで、もし家（いえ）が焼（や）けたら、かごの中（なか）の鳥（とり）がかわいそうだといって、自分（じぶん）はかわいいやまがらを逃（に）がしたし、友（とも）だちも、おなじ日（ひ）に、べにすずめを逃（に）がしたのでした。
「君（きみ）のべにすずめは、南（みなみ）の国（くに）へ飛（と）んでいくし、僕（ぼく）のやまがらは、北（きた）のふるさとへ帰（かえ）るだろう。」
　二人（ふたり）はよろこんで、飛（と）んでいった小鳥（ことり）を見送（みおく）ったのでした。
　少年（しょうねん）は、それからまもなく、お祖父（じい）さん、お祖母（ばあ）さんのすんでいられる田舎（いなか）へ、疎開（そかい）しました。この古（ふる）いお家（うち）で、お父（とう）さんが子供（こども）のとき、本（ほん）を読（よ）んだり、字（じ）を書（か）いたりなさったのだろう。またお祖父（じい）さんは、
「これから、いろいろの鳥（とり）が、裏（うら）の林（はやし）へくる。雪（ゆき）が降（ふ）ると、山鳥（やまどり）もうさぎもくる。そうしたら、捕（と）ってやるぞ。」といわれました。
　青々（あおあお）とした木々（きぎ）の葉（は）が、いつのまにか、みごとに赤（あか）く、黄色（きいろ）くいろづきました。すこしはなれた畑（はたけ）には、かきの実（み）がたくさんなっていたし、あちらの垣根（かきね）のすみには、山茶花（さざんか）が、しめった地面（じめん）の上（うえ）に散（ち）って、いちめん、貝（かい）がらをしいたようでした。
　小鳥（ことり）たちがいなくなったと思（おも）うと、さあっと、風（かぜ）が林（はやし）をかける音（おと）がして、つづいて、パラパラと、なにかの木（き）の実（み）が落（お）ちる小（ちい）さな音（おと）がしました。
「どんぐりかしらん？」
　ひとりごとをいって、少年（しょうねん）は頭（あたま）をかしげていました。田舎（いなか）へきてから、友（とも）だちが少（すく）ないのでさびしかった。そんなとき、東京（とうきょう）がこいしくなるのでした。けれど、いつもお祖父（じい）さんが、
「雪（ゆき）が降（ふ）ると、スキーはできるし、また、きじの子（こ）やうさぎを打（う）ってやるから、来年（らいねん）の春（はる）まで、こっちにいるがいい。」と、おっしゃると、その気（き）になるのでした。お祖母（ばあ）さんまで、
「お正月（しょうがつ）がくれば、おまえのすきなおもちをついてやるし、甘酒（あまざけ）もこしらえてやる。」と、おっしゃるのでした。
　なんで少年（しょうねん）は、うれしくないことがありましょう。そればかりではなく、せっかくしたしくなった村（むら）の学校（がっこう）のお友（とも）だちとも、わかれたくなかったのです。それであるから、
「僕（ぼく）、すっかりなれてしまった。」と、元気（げんき）よく答（こた）えるのでした。
「ほんとうか。それなら、いっそこっちの子（こ）になるか。」と、お祖父（じい）さんは、にこにこしながらいわれました。
「いいけど、さびしいんだもの。」
　これは、いつわらぬ少年（しょうねん）の心（こころ）のうちでありました。生（う）まれたときから、明（あか）るい空（そら）、いつも花（はな）の咲（さ）いている景色（けしき）しか知（し）らないのが、まったく、ちがった自然（しぜん）に接（せっ）したからでした。
　海（うみ）を見（み）れば、青（あお）ぐろい色（いろ）をして、波（なみ）の底（そこ）には、どんなものがすんでいるだろうかと思（おも）われ、高（たか）い山（やま）を見（み）れば、山（やま）の向（む）こうにも町（まち）があって、人（ひと）や馬（うま）が歩（ある）いているだろう、と考（かんが）えさせられるのでした。
　急（きゅう）に、耳（みみ）をすました少年（しょうねん）は、
「いまじぶん、雷（かみなり）が……。」と、おどろきながら、二階（かい）へ上（あ）がって、空（そら）を見（み）まわしました。
　海（うみ）の方（ほう）は、いつものように暗（くら）く、おどる波（なみ）だけが白（しろ）かった。屋根（やね）の上（うえ）には、灰色（はいいろ）、きつね色（いろ）、だいだい色（いろ）、さまざまの雲（くも）が、かさなりあっていた。そのため、日（ひ）はかげっていたけれど、雲（くも）の切（き）れめから深（ふか）い穴（あな）をのぞくように、青（あお）い空（そら）が見（み）えました。
「おじいさん、おそろしい絵（え）を見（み）るような景色（けしき）ですね。」
　少年（しょうねん）は走（はし）りよって、お祖父（じい）さんにたずねました。
「こちらは、これからいつもこんな空模様（そらもよう）だ。」と、お祖父（じい）さんは、気（き）になされませんでした。
　あまり遠（とお）いので、そのうち、雷（かみなり）の音（おと）は下（した）までとどかなかったが、青白（あおじろ）いいなびかりのひらめくたびに、雲（くも）の峰々（みねみね）を、浮（う）きだすようにてらしました。
　たまたま、金色（きんいろ）の日（ひ）の光（ひかり）が、もれてくることもありました。それを見（み）ると、天（てん）の上（うえ）は、いつまでもかわらぬ、おだやかなところであるけれど、下（した）は、雲（くも）がみだれて、戦争（せんそう）がつづけられているような気（き）がしました。
　少年（しょうねん）は、よくできた飛行機（ひこうき）に乗（の）って、雲（くも）の上（うえ）へ飛（と）んでいきたくなりました。
　夕飯（ゆうはん）のあとは、お祖父（じい）さん、お祖母（ばあ）さん、少年（しょうねん）の三人（にん）が、いろりのはたで枯（か）れ枝（えだ）や松葉（まつば）をたき、毎晩（まいばん）のように楽（たの）しくお話（はなし）をしました。
　やがて少年（しょうねん）は、床（とこ）へはいって、お父（とう）さんや、お母（かあ）さんのことを思（おも）い出（だ）しながら、ねむってしまいました。
　あくる朝（あさ）、目（め）をさますと、お祖母（ばあ）さんは、とっくに起（お）きて、お勝手（かって）ではたらいていられました。かまどに火（ひ）がもえ、ぴかぴか光（ひか）るおかまから、白（しろ）い湯気（ゆげ）が立（た）ち上（のぼ）っていました。あとから、あとから追（お）いかけては消（き）えてなくなる湯気（ゆげ）を見（み）ていると、そのうちに、ぷつぷつと、勢（いきお）いよく吹（ふ）き出（だ）して、重（おも）いふたを動（うご）かしました。
「おばあさん、おかまがおこって、小言（こごと）をいっているのだね。」と、少年（しょうねん）は、床（とこ）の中（なか）でいいました。
「よくたけたといって、よろこんでいるのだよ。」と、お祖母（ばあ）さんは笑（わら）われました。
「おもしろいな。」
「おまえのお父（とう）さんも、小（ちい）さいじぶん、よくそういって、このおかまの唄（うた）をお聞（き）きなさったのをおぼえている。」と、お祖母（ばあ）さんはいわれました。
　少年（しょうねん）が、昔（むかし）からこのおうちでくりかえされるおかまの唄（うた）を、とうとく思（おも）って聞（き）きました。