おてらの けいだいに
大きな さくらの
木が ありました。ことしも つぼみが たくさん ついて、もう ふくらみかけました。かみさまは、いろいろの
木たちに、こう して
年に 一ど、
花を さかして、この よの
中の ありさまを みせて くださるのでした。
さくらの
木の かたわらに、ふるい かねつきどうが ありました。そこには、むかしからの
青さびの した かねが、さがって いました。
花は だれよりも はじめに、かねに あいさつを し、それから かわいい はとに、また すこし はなれて たって いる すぎの
木に、こえを かけようと おもいました。
風は あたたかく、
日は うららかに てって、いい お
天気で ありました。
ちょうど その とき、
「まあ、
花さん、いい ときに おひらきですね。きのうまで、
雨が ふりつづきましたが、きょうは こんなに よく はれて、あなたは おしあわせです。」
と いった ものが あります。
こえの する ほうを みると、やねの
上の かわらで ありました。
「かわらさんも、おたっしゃで けっこうです。」
と、
花は にっこり わらいました。どう した ことか、どうに さがって いる かねが みえないのです。
花は びっくりして、じぶんの
目を うたがいました。
「これは、ふしぎな ことだ。」
さくらの
木が、まだ
小さくて
花の さかなかった まえ、その また ずっと まえから、かねは ここに かかって いたのでした。そして、むかしから、おもしろい こと、かなしい こと、めずらしい こと、いろいろの ことを みて、しって いるので、
花に はなして きかせて くれた ものです。
かねは おだやかな ちょうしで、
「なにしろ わたしは、この てらの たちはじめから いるのですもの、ここの ことは、なにひとつ しらぬ ことは ありません。これから また いく百
年、あなたが かれて しまって、あなたの
子どもさんや おまごさんの じだいに なっても、たぶん わたしだけは、ここに いると おもいますよ。そうしたら わたしは、あなたが うつくしかった こと、えだぶりが よくて きれいな
花で あった こと、おてらへ おまいりを する
人たちが、みんな ほめた ことを、
子どもさんや おまごさんに かたって きかせましょう。」
と いったのでした。
その とき
花は、かねの いう とおりだろうと おもいました。いま その かねは、どこへ いったのであろう。しばらく
花は、からっぽに なった かねつきどうを のぞいて いましたが、とうとう やねの かわらに むかって、
「かねさんの すがたが みえませんが。」
と たずねました。
やねの かわらも、ここで ながい あいだ、
雨に さらされ、
風に ふかれて、
年をとり、わかい ころの げんきは なかったけれど、まだ なかなか
気が しっかりして いました。かわらは、
花を みつめて、
「あなたが ごぞんじないのも むりは ありません。きょねんの
秋の こと、かねさんは おめしを いただいて、いくさに いきました。」
「まあ、どちらの ほうで ございますか。」
「それは わかりませんね。ただ ごほうこうに あがるからは、二どと かえらないと いいました。」
と、かわらは かたりました。
「そうでしたか。」
花は、あの ゆったりと して なつかしい かねの すがたを おもいだして、かんがえて いました。
すると、すぎさった
春の ことが
目に うかんで きました。なんでも おひがんで、おてらの にぎやかな
日でした。
「あれ、ごらんなさい。かみしばいの まわりに、あんなに
子どもが あつまって いますこと。」
と、
花が いうと、
「
花さん、むかしは のぞきと いって、ひとりが めがねを のぞいて、せんそうや おとぎばなしの えを みながら、ものがたりを きいた ものですよ。」
と、かねが いいました。
「からくりなら、わたしの
子どもの ときでも ありました。」
「それは そうと、せんそうが はじまってから、ふうせんを うる おじいさんが みえませんね。」
「ゴムが いりように なって、おもちゃを つくらなく なったのですよ。」
と、かねが おしえました。
「あなたは、なんでも よく ごぞんじですが、わたしは、
春の わずか
十日かんばかりしか この よの
中を みる ことが できません。」
と、
花は かねを うらやみました。
また その とき、かねは いいました。
まい
日、あさ、ひる、ばん、ときを しらせるのが、わたしの つとめです。わたしは、つとめを だいじと おもい、できるだけ うなりますから、とおくまで きこえます。
田や はたけで はたらく
人は もとより、しごとばで しごとを する
人たちも、みんな わたしの なり
音を きくと、
耳を すまします。
「おてらの かねが なるな。」
と おもう ことでしょう。
おてらの やねで あそんで いる はとも、すずめも、また わたしの なり
音を よろこんで きいて くれます。こうした へいわな
日が、どれほど ながく これまで つづいたか しれません。
わたしの
目の
下で、あそんだ
町の
子どもたちは、いつしか
大きく なって、りっぱな あるじに なりました。
女の
子は、およめさんに なって、おみせで はたらきました。そして その
人たちは、いつの まにか
年を とって、おじいさんや おばあさんと なりました。
「あれ、あすこを ごらんなさい。つえを ついて いく おばあさんが ありましょう。あの
人も、おさげの じぶん、この かねつきどうに きて、おともだちと いっしょに あそんだ ものです。」
さくらの
花が その ほうを みると、しき
石みちを あるく おばあさんが ありました。おばあさんは むかしを おもいだしたか、つえを とめて、かねつきどうを ながめて いました。
これは きょねん、
花が、かねから きいた はなしでしたが、いま その かねは どこへ いったか、まったく すがたが みられません。
さくらの
花が やねがわらに むかって、
「かねさんの いく
先が おわかりなければ、せめて
出征なされた
日の ようすを おきかせくださいませんか。」
と たのみました。
「ああ、その ときの ようすですか。」
と、やねがわらは はなしを つづけました。
「いよいよ かねさんが、この どうから おろされて、
出征なさる
日には、
在郷軍人や、ふじんかいの
人たちが きましたし、また、こくみん
学校の せいとたちも きました。おてらは、おまつりのように にぎやかでした。ひげの
白い おじいさんが かねに むかって、
『ながい あいだ わたしどもは、まい
日 おせわに なりまして ありがとう ございました。どうか こんどは てっぽうの たまと なって、わるい てきの じんやに とびこみ、おくにの ために はたらいて ください。』
と、あたまを さげました。
すると、みんなが いっしょに あたまを さげました。そして『
武運長久』と かいた
赤い たすきを かねさんに かけて、まるで
出征軍人のように うやうやしく とりあつかいました。また かねさんを のせた
車にも、
赤 白 たくさんの はたが たてられ、それには『
大日本ばんざい。』『にくき
敵 米英を うちほろぼせ。』などと かいて ありました。まったく めいよの ことです。かねさんは たえず にこにこして いました。いざ おわかれと いう とき、みんなが 『ばんざい。』を さけびました。わたしたちさえ あつい なみだが わいて きました。」
こんな はなしを やねがわらから ききながら、さくらの
花は、じぶんは ちる ときには いつでも いさぎよく ちる やまとごころを もつ ことを、ほこらしく かんじたのです。
この とき、あちらから はしって くる
小さな
足音が しました。それは
勇ちゃんと あや
子さんでした。
「ほら ごらんなさい。あんなに さくらが さいたでしょう。」
「ぼく きのう みた ときは、まだ さかなかったのだよ。」
「どこで しゃせいしましょうか。」
「いい ところが ないね。」
「わたし、この
石の
上で かくわ。」
「ぼく、かねつきどうを かこうかな。」
「かねが なくて おかしいわね。」
ふたりは、ならんで クレヨンを とりだして、
学校へ もって いく ずがを うまく かこうと いきごみました。
花も かわらも、おしゃべりを やめて、よく かいて もらおうと まじめな かおつきに なりました。
ふたりは だまって えを かいて いました。あや
子さんは、
勇ちゃんの えを みて、
「ももの
花?」
と ききました。
「さくらの
花だよ。」
と
勇ちゃんは、おこりごえで こたえました。
「あんまり
赤く して、ももの
花みたいだわ。」
勇ちゃんは、もっと うすく かけば よかったと おもいました。
「あや
子さん、やねに とまって いるのは からす?」
と、こんど
勇ちゃんが あや
子さんの えを みて ききました。
「あら、はとよ。」
と、あや
子さんは、
目を まるく しました。
「だって、からすみたいだ。」
と、
勇ちゃんは いいました。あや
子さんは、はとが
大きかったと おもいました。
「でも さくらの
花は、よく かけたでしょう。」
と、あや
子さんは いいました。
この とき うしろから こえを かけた ものが あります。
「なにを して いるの。」
ふたりは ふりむくと、たっちゃんです。たっちゃんは、
教練服を きて せんとうぼうを かぶって いました。
「いま かえるの。」
と、
勇ちゃんが いいました。
「もう さくらの
花が さいたね。」
と、たつぞうさんは、
上を みました。
「ぼくたち、しゃせいを して いるの。」
「
学校へ だすのよ。」
「もう くらく なるじゃ ないか。」
「きょうは、うまく かけなかったから、また あした かこうよ。」
三
人は、おうちの ほうへ あるきだしました。あちらの
空が
赤く みえます。
「たっちゃん、
出征した かねは、どこへ いったろう。」
と、あや
子さんが ききました。
「こうじょうへ おくられて、てっぽうの たまや ひこうきの はねに なって、
戦地へ いくのさ。」
「もう かえって こないから、かわいそうね。」
「かわいそうなもんか。めいよだもの。よろこんで いるよ。」
と、たつぞうさんは いいました。
「おてらの かねも、うまれかわって、ひこうきに なったかも しれない。」
「きっと ひこうきに なったろう。」
「だから かねは、よろこんで かねつきどうを でて いったわ。」
「ひこうきに のって、あちらの
空へ とんで いけば、まだ
日の あたって いる きれいな
町が ありそうだ。」
と、
勇ちゃんが いいました。
たつぞうさんは、かた
手に おべんとうばこを かかえ、かた
手を ズボンの かくしに いれて いました。
「
勇ちゃんは しらない。あっちは
満洲だよ。」
「
満洲は あっちなの。」
「いまごろ、
白けいロシヤの
人たちは、きょうかいどうへ いって、かねを ならし、おいのりを して いるだろう。そして
満洲の
子どもたちは、いぬと いっしょに やぎを おって、くさはらを かけて いるだろう。」
「たっちゃんは、どうして しって いるの。」
と、あや
子さんが ききました。
「ぼく、えいがで みた。」
「いって みたいな。」
「ひこうきに のれば、せかいじゅう どこでも いけるさ。」
「ぼく ひこうかに なろうかな。」
「わたし
女だから つまらないわ。」
たっちゃんは、にこにこ わらいながら、
「
女だって
男と かわらない。
南の あつい しまで、へいたいさんと いっしょに ジャングルの
中を
進軍して いるじゃ ないか。」
と いいました。
「そうね、わたしも
大きく なったら、かんごふさんに なろうかしら。」
三
人は、めいめい おうちへ わかれて かえる ところまで きました。
「ぼく そのうち、こうじょうの りょうへ はいるかも しれない。あしたは おやすみだから、あそびに おいでよ。」
と、たつぞうさんが いいました。
「あっちで とまるの。」
と、あや
子さんが ききました。
「めったに かえらない。ぐんたいせいかつと おんなじだもの。」
ふたりは、あした あそびに いく やくそくを しました。
たつぞうさんは、おとうさんと ふたりで くらして いました。
小さい ときに、おかあさんが、なくなられたからです。おとうさんは、こめやを して いられたが、こんど
転業なされて、こうじょうへ つとめるように なりました。そして たつぞうさんも、こくみん
学校を そつぎょうすると、みならいに なりました。
あさ はやく ふたりは、おべんとうばこを かかえて、いえを でかけます。
「これから、まい
日、いっしょに いかれて いいな。」
と、おとうさんが いいました。
「ぼく、りょうへ はいれば、いっしょに いかなく なるね。」
と、たつぞうさんが こたえました。
「その かわり、りょうへ はいれば、べんきょうが できて いいだろう。」
「おとうさん、ぼく りっぱな
少年工に なるよ。」
「おお、よく
上の かたの おっしゃる ことを きいて、せいを だすのだぞ。」
「だい一せんに たつ つもりで いる。」
「それが じぶんの ためでも あれば、また おくにへ つくす ことにも なるのだ。」
ちちと
子は、こんな ことを はなしながら みちを あるきました。
その るすに、やどなしねこが、おうちへ はいりこんで きました。この ねこは、ちかい うちに
赤ちゃんを うむのでした。
ある
日、どまに おいて あった あきばこの
中へ、ねこは、
赤ちゃんを うみました。ばんがた かえって きた おとうさんと たつぞうさんは、これを みて びっくりしました。
「こんな ところへ、ねこが
子を うんで こまったなあ。」
「どこかへ すてようか。」
「いや、ここが あんしんと おもって、うんだのだ。こう して おいて やろう。」
と、おとうさんが いわれました。
「どこから おうちへ はいったろう。」
「二かいの まどを しめわすれて おかなかったか。」
と、おとうさんは きかれました。
「あっ、そうだ。」
おとうさんは、いり
口の ガラスを 一まい はずして おいて、るすでも ねこの でいりが できるように して やりました。
しかし ははねこは、もっと いい ばしょが、ないかと おもったのでしょう。やっと
目の あいたばかりの
子ねこを くわえて、ほうぼうを あるく うちに、あとの
子どもを なくし、ただ 一ぴき くわえて、また もとの あきばこへ もどりました。
「きょう、
勇ちゃんと あや
子さんが、あそびに くると いったがなあ。」
と あくる あさ、たつぞうさんは おもって いると、
「たっちゃん、あそびに きたよ。」
と、ふたりが はいって きました。
「このあいだ、はいきゅうの あんパンを ほとけさまに あげて おいたら、この ははねこが、しらぬ まに はいって きて、一つ さらって いって しまったのよ。」
と いいました。
「のらねこの くせが ついて いるので こまった やつだ。」
と、たつぞうさんが いいました。
「おちちを すわれて、おなかが すくからだろう。」
と、
勇ちゃんが いいました。
「あさ ごはんを やって いくのだよ。」
「三びき、うんだのでしょう。」
「二ひき、どこへ いったか、かわいそうになあ。」
と、たつぞうさんが いいました。
「だれか、この ねこを、もらって くれない。」
「ははねこと
子ねこと 二ひき?」
「
子ねこだけさ。」
「あたし、おかあさんに きいて みるわ。いいと おっしゃったら いただきに くるわ。」
ひるすぎでした。あや
子さんは、おさかなの ほしたのを かみに つつんで、たつぞうさんの おうちへ きました。
「ねこの
子を、もらいに きたわ。この おさかなを、ははねこに あげて ください。」
と いいました。
りこうの ははねこは
子どもが もらわれて いくのを さとったのでしょう。
子ねこを なめて、わかれを おしみました。
「しんぱいしなくても、いいんだよ。」
と、たつぞうさんが いいました。
「ちかいのだから、あそびに おいで。」
と、あや
子さんも いいました。あや
子さんは、ねこを かわいがりました。ねこの
毛の いろが、
白と よもぎと、すこしばかり
赤が まじって いましたから、
三毛と
名を つけました。
「あまり だくと、よわく なりますよ。」
と、おかあさんが おっしゃいました。けれど かわいくて、どうしても だかずに いられません。
「ねえ、おかあさん、
三毛が しんだら、わたし この かわで、えりまきを つくるわ。」
「そんなに、かわいければ つよく して おやりなさい。」
「ほんとうに そうね。」
と、あや
子さんは、だきたい ときも、がまんを しました。しかし、
勇ちゃんが あそびに くると、
「ねこ、どこへ いった。」
と さがして、だいたり じゃらしたり しました。
ある
日、あや
子さんは、
三毛を だいて、おともだちと、かねつきどうの
石だんに こしかけて いました。いつか しゃせいした、さくらの
木の かげで、すずしく せみが、どこかで ないて いました。
「うちの
三毛、きぶんが わるいのよ。」
「どうして。」
と、かね
子さんが ききました。
「なにか わるい もの たべたらしいの。」
そこへ
勇ちゃんが 三りん
車に のって、
武ちゃんや つとむさんたちと あそびに きました。
「あや
子さん、ねこ、だかして おくれ。」
と、すぐに
勇ちゃんは 三りん
車から とびおりました。
「だめ、
三毛、きぶんが わるいから。」
「いじわるだなあ。」
と、
武ちゃんは いいました。
みんなが
石だんに こしかけて、おはなしを しました。
勇ちゃんは、すこしばかり だかしてと いうので、あや子さんが
三毛を わたすと
勇ちゃんは いつものように からかいました。
「
勇ちゃん、かまくらへ いった こと あって。」
と、あや
子さんが ききました。
勇ちゃんは、ねこに
気を とられて いるので、なにを きかれても、
耳に はいりません。
「わたし、いった ことが あるわ。」
と、かね
子さんが いいました。
「おかんのんさまを おがんで?」
「おがんでよ。」
「おどうの
中が うすぐらくて、よく おかおが わからないのね。」
と、あや
子さんが いいました。
「やさしい おかおと おもったわ。」
「おかあさんのように やさしい おかおよ。そして あや
子さん、だいぶつきまを おがんで?」
「ええ、
大きな だいぶつさまね。」
勇ちゃんは、こちらの はなしが おもしろそうなので、ねこを
武ちゃんに わたしました。
「わたし、きれいな かいを ひろって きたわ。」
と、あや
子さんが いいました。
「どんな かい。」
と、
勇ちゃんが ききました。
あや
子さんは、はやく みんなが、ねこを はなして くれれば いいと おもいました。
この とき
武ちゃんが、
「ねこが、
口から なにか だした。」
と いいました。
「だから、びょうきだと いったでしょう。」
みんなは おどろいて、ねこの そばへ よろうと しませんでした。
あや
子さんは、すこしも きたながらずに、お
口の まわりを きれいに ふいて、しずかに だいて やりました。
「わたしも、ねこを かわなければ、みんなのように きたないと おもうかも しれないわ。かんごふさんたちが、あつい ところ、さむい ところ、また たまの とぶ
中で はたらきなさるのは、こころから おくにを おもうからだ。」
と、あや
子さんは おもいました。
三りん
車に のって いた
勇ちゃんが、
「おてらの かねも、
戦地へ いった。ぼくの 三りん
車も、
戦地へ いくと、いいな。」
と いいました。
「もう のらないの。」
と、つとむさんが ききました。
「あしたは、
金ぞくおうしょう
日だろ。ぼく、こんど のる ときは、わかわしだ。」
と
勇ちゃんは、
空を みあげて いいました。
かねつきどうの やねの かわらは、
子どもたちの いう ことを、かんしんしながら きいて いました。