武ちゃんと昔話

小川未明




 この夏休なつやすみに、たけちゃんが、叔父おじさんのむらへいったときのことであります。
 あるむらはずれまで散歩さんぽすると、そこにおおきな屋敷やしきがあって、おしろかなどのように、土塀どべいがめぐらしてありました。そして、雨風あめかぜにさらされてふるくなったもんが、しめきったままになって、うちには、ひとんでいるとはおもわれませんでした。
「どうしたんだろうか。」と、たけちゃんは、不思議ふしぎおもいました。もんのすきまからのぞくと、いえのほかに土蔵どぞうもあったけれど、ところどころ壁板しとみがはずれて、修繕しゅうぜんするでもなく、竹林ちくりんしたには、がうずたかくなって、くものもないとみえました。あたりは、しんとして、ただすずめのごえが、きこえるばかりです。
「このうちひとは、どこへいったんだろう?」
 たけちゃんは、いえかえると、さっそくそのことを叔父おじさんにたずねたのであります。
「あの、おおきなもの屋敷やしきみたいないえには、だれもんでいないのですか。」と、いいました。叔父おじさんは、わらいながら、たけちゃんのかおをごらんになって、
「あんなところまでいったのか。なるほど、一ものるといううわさがあったよ。いい教訓きょうくんになることだから、あのいえはなしをしてあげよう……。」と、叔父おじさんは、たけちゃんに、つぎのようなはなしをしてくださいました。

 それは、むかしのことでありました。
 正直しょうじきな百しょうが、いつものように、朝早あさはやく、野良のら仕事しごとにいこうと、くわをかついでいえたのであります。まだ、つちがしめっていて、あまりひととおったようすもありません。百しょうむらはずれまでくると、なにかみちうえちています。
「なんだろう?」と、あしめて、それをひろげました。なかなかおもいのであります。つつみをいてみて、おどろきました。おもいのも道理どうりで、ふくろ小判こばんがたくさんはいっていました。
「だれが、このおかねとしたろう。がつかずにいってしまうとは、よくよくみちいそいでいたとみえる。なんにしてもどくなことだ。しかし、としぬしは、きっともどってくるだろう。まだ、そうとおくへはいくまいから。」と、正直しょうじきな百しょうは、おもいました。
 かれは、そのつつみをにつくように、みちのそばのえだにかけておきました。そして、自分じぶんのところへこしろしてばんをしていました。ところが、どうしたのかとしぬしはもどってきませんでした。
 一にちぎ、また二日ふつかぎました。けれど、街道かいどういそいでくる、それらしい旅人たびびと姿すがたえなかったのです。かれは、毎日まいにちこうして仕事しごとやすんでつことにいのないのをかんじました。
 ところが、三日みっかめのことであります。一人ひとり年老としとった旅僧たびそうが、自分じぶんまえとおりかかりました。
「おお、このおぼうさんにきいてみたら、あるいは手懸てがかりがあるかもしれない。」
 ふと、こうおもったので、かれは、おぼうさんをめて、自分じぶんのこうしてっているわけをはなしました。なんとなく、徳高とくたかえたおぼうさんは、百しょうはなしをだまってきいていましたが、
「いままでってももどってこないところをみると、おそらくそのとしぬしはもどってこないだろう。そのおかねは、おまえさんにさずかったのだ。おまえさんは、そのおかね開墾かいこんして、こまっているひとたちをすくってやりなさるがいい。そうするほうが功徳くどくになります。」と、いいました。百しょうは、おぼうさんのいわれたことをただしいとかんじましたから、おぼうさんのいったとおりにしました。
 百しょうは、地主じぬしとはなっても、けっして、たか小作米こさくまいることはなかったのです。自分じぶんは、いつまでもむかしの百しょうで、みんなといっしょになってはたらいて、みんなと苦楽くらくともにしましたから、むらひとたちからも、恩人おんじんしたわれて、たいへん尊敬そんけいされたのであります。
 やがて、つぎのだいとなりました。いまのおおきな屋敷やしきは、このひとだいつくられたものです。けれど、このひとも、よくおや遺言ゆいごんまもって、むらのものをかわいがることをわすれませんでした。そして、やはり、自分じぶんは、や、はたけて、みんなといっしょになってはたらきました。このひとだいも、また無事ぶじごすことができたのであります。
 三だいめがあとぐようになってから、だいぶかんがかたわりました。正直しょうじきな百しょうだった、祖父そふや、父親ちちおやは、みんなといっしょにはたらくことをよろこび、いいことがあればみんなとともにたのしみ、かなしいことがあれば、ともにくるしむというふうであったのを、ばかげたことだとおもうようになりました。
むかしむかしいまいまだ。この大地主おおじぬしともあろうものが、小作人こさくにんといっしょにはたらくこともあるまい。」と、いいました。
 二だいめが、屋敷やしきかまえ、くらつくったのは、先祖せんぞあと後世こうせいのこかんがえだったのです。ところが、三だいめになると、そんなかんがえはなく、ただ、あそんでらすことばかりかんがえていました。はたらくということをきらって、ぜいたくをしましたから、いつでもかね入用にゅうようだったのです。したがって、小作人こさくにんには、やかましく年貢ねんぐてるし、それでもりないので、鉱山こうざんや、相場そうばでもうけようとして、かえって、すっかり財産ざいさんくしてしまい、いえも、土地とちも、人手ひとでわたさなければならなくなりました。

「あの屋敷やしきも、このあきまでに、こわしてしまって、あとはたけにしようかというはなしだ。いくら先祖せんぞえらくても、あとをつぐものに、そのりっぱな精神せいしんがなければ、みんなこんなようになってしまうのだ。」と、叔父おじさんは、おっしゃいました。
 たけちゃんは、おもいがけない、いいおはなしをきいたと、叔父おじさんに、おれいをいったのであります。





底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
   1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「日本の子供」文昭社
   1938(昭和13)年12月
※表題は底本では、「たけちゃんと昔話むかしばなし」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年9月24日作成
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