日の当たる門
小川未明
きかん坊主の三ちゃんが、良ちゃんや、達ちゃんや、あや子さんや、とめ子さんや、そのほかのものを引きつれて、日の当たっている門のところへやってきました。
「学校ごっこをしようや、さあ、ここへならんで。」と、三ちゃんは命令をしました。けれど、みんなは、まだ学校へ上がっていないので、よく字を知っておりません。
「気をつけ、番号!」
「一、二、三、四っ、五、六、七っ。」
「さあ、まる書け。」
三ちゃんは、ポケットから、白墨を出して、塀に大きなまるを書きました。白墨を持っている子供たちは、めいめい門の上へ、またあちらの塀の上へ、まるを書きましたが、白墨を持っていない子供たちは、ぬかるみのどろんこの中へ棒を入れて、きれいに洗ってある門の前の石畳の上へ、土でまるを書きました。三ちゃんは、みんなの書いたまるをひととおりながめて、さも満足したように、
「うん。」と、うなずきました。
「こんどは、なんにしよう?」
「唱歌だ。あいこく行進曲をうたおう。」
みんなは、声をあわせてうたいました。
「見よ、東海の空あけて、きょく日高くかがやけば、天地の正気はつらつと、希望はおどる大八島……。」
「もういい。あや子さんが、いちばんうまい。達ちゃんはだめ。」と、三ちゃんが、点をつけました。
「僕、もっとうまく歌えるやい。」と、達ちゃんは、不平をいいました。
「こんなこと、もうよしたーと。」と、一人が、叫びました。
「だめ、こんどあっちへいくんだ。原っぱへいって、戦争ごっこをするんだ。気をつけ、前へ!」
三ちゃんは、号令をかけました。そして、自分が、いちばん先頭に立って、テンテンテ、テンテンテ、トテトテト――と、口でらっぱのまねをして、威張っていきました。その後から、みんながついて、あちらの横町の方へまがって見えなくなってしまいました。
ちょうど、そのじぶん、門のある家のお勝手もとのガラス戸が、ガラ、ガラとあく音がしたのです。ほおと両手を赤くした女中が、お使いにいこうとして、門のところまでくるとびっくりしました。
「まあ、どこのわるい子供だろう、こんないたずらをして。」と、しばらく立って、あっけにとられながら、門の上や、石畳の面や、塀に書かれた白い丸や、どろんこの丸を見つめていました。
この家のおじいさんが口やかましいので、毎朝、女中さんは、つめたいのをがまんして、門をふいたり、石畳をゴシゴシとたわしで、みがくのでありました。女中さんは、お使いから帰ったら、またおそうじをやりなおすうえに、塀までふかなければならぬかと思うと、がっかりしてしまったのです。
「このへんには、ほんとうに、わるい子がたくさんいるとみえて、いやになってしまう。」と、ひとり、口の中で、ぶつぶついいながら、出かけていきました。
この通りは、先が止まっているので、あまり人が歩きませんでした。それを幸いにして、また天気のいい日は、朝から、昼すぎまで、日がよく当たるので、子供たちの遊び場となっていました。
「勇ちゃん、しっかりお投げよ。」と、敏ちゃんは、ポン、ポンとグラブをたたいていました。
「よし、いい球を出すよ。」と、こんどは、勇ちゃんの強く投げ出したボールは、敏ちゃんのグラブの中に、ボーンといって、うまくおさまりました。
そのうちに、あっ、という勇ちゃんの声がしたかと思うと、球はねらいをはずれて、ドシンと大きな音をして、板塀にうちあたったのです。二人は、いっしょにくびをすくめました。そして、顔を見あって笑いました。
「おじいさんがしかるよ。」と、そばで見ていたよし子さんが、いいました。
「しかったら、よすよ。」と、勇ちゃんが、いいました。
「勇ちゃん、いまのはすべったんだ。もっと強くたっていいよ。」と、敏夫は、元気でありました。
「このボールがいけないんだね。」
二度めに塀へ球があたったときは、板を破りそうな音をたてました。すると、門のところへおじいさんが出てきました。
「おい、子供、あっちへいってやれ、門燈をこわすと大事だ。ここは人のとおる道で、ボールを投げて遊ぶ場所でない。こんど、塀にあたるとゆるさないぞ。」と、おじいさんは、いいました。おじいさんのひっこむのを見ると、敏ちゃんが、
「塀にあたるとゆるさないって、どうするんだろうね。こんなくさった塀がなんだい。」と、いって、ボールを投げつけるまねをしました。
「原っぱへいこうか?」
「ああ、いこう。」
敏ちゃんは、手に持っているボールを高く空へ上げて、自分でうけとっていましたが、どうしたはずみにか、ボールは門の内へ落ちて、あちらへころころと、ころがっていきました。
「エヘン。」と、おじいさんの咳ばらいがしました。女中が、なにかおじいさんに話している声がきこえます。
「いうことをきかなかったら、とりあげてしまえばいいのだ。」
「ほんとうに、この近所には、いたずら子が多うございます。」
勇ちゃんと、敏ちゃんとは、舌を出していました。よし子さんは、笑っていました。
「ボールが入ったから、こちらへ投げておくれ。」と、敏ちゃんが、いいました。門の内から、なんの返答もありません。勇ちゃんは、しゃがんで、門の下のすきまからのぞくと、ボールは山茶花の木の根もとのあたりにころがっていました。
「さおを持ってこようか。」と、敏ちゃんがいいました。
「あちらへ、ころがってしまわないかな。」
「よし子さん、取ってきてくれない。」と、勇ちゃんがたのみました。
「いやよ。」と、よし子さんは目を大きくみはりました。
「困ったなあ。」
「みんな内へ入ったら、僕とってくるから。」
そのうちに、女中もいなくなるし、おじいさんも、庭の方へいったようです。勇ちゃんは、門のわきについている扉をおすと、チリン、チリンとけたたましく鈴がなりましたが、彼はすばやく内へかけ込んで、ボールを拾うと、また走って門の外へ出ました。扉をしめるときに、力をいれて引いたので、チリ、チリ、チリンという音が、けたたましくしました。
「さあ、原っぱへいこう。」
たちまち、子供らの姿は、ここから見えなくなってしまいました。
* * * * *
その翌日もいい天気でした。この門のところには、朝早くから日が当たっていたのです。
炭屋の小僧さんが、塀によりかかって、ぼんやりとひなたぼっこをしていました。夜の間に降りた霜柱が、日の光をうけて、しだいにとけています。敷石の上は乾いているが、土の上をふむと足の跡がつきました。
「もう、得意をまわったのか、早いなあ。」と、そこへやってきたのは、同じ年ごろの酒屋の小僧さんでありました。
「寒くてしようがないや。」
「そんなに肥っていても寒いかなあ。」
「ばかいっていらあ、おまえは寒くないか。」と、炭屋の小僧さんが、いいました。
「相撲とろうか、おまえは強そうだな。」と、酒屋の小僧さんが、いいました。
「おまえとなら、負けやしない。」
「じゃ、こい!」
「よしきた。」
二人の小僧さんは、日の当たる前の石畳の上で、たがいに押しあい、もみ合いしていました。うん、うん、といううなり声がきこえたのです。梅の盆栽を縁側において、ながめていたおじいさんは、小僧さんたちのうなり声をきいて、なんだろうと思いました。
「また、うちの門のところで騒いでいる。あすこは、よく日が当たるものだから、いいことにして、みんなあすこへきて、塀によりかかって、きれいにしておく石の上をよごしてしまう。どれ、ひとつどなってやろうか。」
おじいさんは、わざと勝手もとから、門の方へまわりました。そして、塀についている節穴から、外のようすをのぞいて見ました。すると、いま二人の小僧さんが顔を真っ赤にして、たがいに負けまいとして取り組んでいる最中でした。
「ははあ、やっているぞ。」と、おじいさんは、しかることを忘れてしまって、じっと、どちらが勝つか、負けるか、見とれていました。
「そうだ、そうだ、もうひと押しだ。」と、おじいさんは、自分でも力んでいました。そして、心に、五十年も昔に友だちと相撲をとったことを思い起こしたのです。
「そうだ、そうだ、うん、どちらもなかなか強いぞ。」と、口の中で、おじいさんは、いっていました。
二人の小僧さんは、どちらも力があって、いい勝負だったが、炭屋の小僧さんのほうが肥っているだけに体力がつづくとみえて、酒屋の小僧さんはへとへとになって、石畳の上へ倒れてしまいました。
「やっぱり、おれは弱いなあ。」と、酒屋の小僧さんはため息をつきながら、悲観しました。おじいさんは、
「なんだ、そんないくじがないことでどうする。もう一番やってみろ。」と、心の中で、叫びました。
「どれ、もう一度やろうか。」と、酒屋の小僧さんは、立ち上がりました。けれど、こんどは、なんの苦もなく、炭屋の小僧さんに、たたきつけられてしまいました。
「おまえなんか、いくらかかってもだめさ。」と、炭屋の小僧さんは、威張りました。酒屋の小僧さんは、いかにもくやしそうです。これから、毎朝道であっても、炭屋の小僧さんに頭が上がらないと思うと、残念でたまりません。
「おい、もう一度やろう、今度負けたら、降参するよ。」と、酒屋の小僧さんは、いいました。おじいさんは、
「そうだ、その意気だ、しっかりやれ。」と、心の中で、酒屋の小僧さんに応援しながら、塀の節穴から目をはなしませんでした。
「いいか、今度負けたら降参するんだぜ。」
「いいとも。」
二人は、たがいににらみあって、白い息をはあはあやっていましたが、酒屋の小僧さんは、弾丸のように、相手の胸へ飛び込んでいきました。二人の顔が、たちまち真っ赤になりました。さあ、今度こそ大相撲です。一人は肥って力は余っているし、一人は、負ければ恥になるだけでなく、いよいよ降参しなければなりません。どうしても負けられない一番です。見ているおじいさんまでが、苦しくなってきました。
「うん。」
「うーん。」
二人は、うなりつづけて、組み合ったまま押したり、押し返したりして、相手のすきをねらっていました。
「うーん。」と、おじいさんもうなって、自分までが相撲をとるような気持ちでいました。ちょうど、そこへ女中が、
「また、あすこへきて、石畳の上をよごしている。」と、口こごとをいいながら、お勝手もとから出てくると、おじいさんは、手でこちらへきてはならぬと追い返しました。なんといっても、酒屋の小僧さんは、いっしょうけんめいです。うん、うん、炭屋の小僧さんを押していましたが、炭屋の小僧さんは、よくこらえていました。
「もうひと息。」と、おじいさんが、いったと同時に、酒屋の小僧さんがここぞと押した力に、炭屋の小僧さんはどっと仰向きに倒されて、ミシ、ミシといって、塀の板はこわれました。酒屋の小僧さんは、勝った喜びもどこへやら、急に顔の色を変えて、倒れた炭屋の小僧さんと、こわれた塀とを見くらべましたが、
「よし、よし、塀なんか、かまわない。おもしろかったよ。」と、おじいさんが、ふいに門の外へ出ましたので、二人の小僧さんは、二度びっくりして、おじいさんに、いくたびも頭をペコペコ下げて、いってしまいました。
「ああ、子供は元気でいいなあ。」と、おじいさんは、空を見上げました。そのおじいさんの顔を見て、太陽は、にっこりと笑いました。それからおじいさんは、子供が家の前へきて遊んでも、しからなくなったのであります。
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