道の上で見た話

小川未明




 いつものようにぼくは坂下さかした露店ろてんばんをしていました。
 このごろ、をかいてみたいというがおこったので、こうしているも、ものものとの関係かんけいや、光線こうせん色彩しきさいなどを、注意ちゅういするようになりました。またさか上方じょうほうそらが、地上ちじょうへひくくたれさがって、ここからは、そのさきにあるまちや、木立こだちなどいっさいの風景ふうけいをかくして、たとえば、あのさきうみだといえば、そうもおもえるように、いくらも空想くうそう余地よちあるおもしろみが、だんだんわかってきました。
 そのは、からっとよくれていました。ただおりおりかぜが、すなぼこりをあげて、おそいかかるので、気持きもちがおちつかなかったけれど、毎年まいとしなつのはじめには、よくある現象げんしょうでした。
 ちょうど、わかおんなが、みせまえって、せっけんをていましたが、ここをはなれて、あちらへいきかけたときです。とつぜん、さかうえから、おそろしい突風とっぷうが、やってきて、あっというまに、おんなのさしているがさをさらって、青空あおぞらたかく、風車かざぐるまのように、まきあげました。それは、またはなやかなアドバルーンのようにも、いとれた風船玉ふうせんだまのようにも、うすべにいろをして、うつくしかったのです。そして、がさは、くるりくるりとまわりながら、あてもなくんでいくのでした。
 このとき、とおりかかった人々ひとびとは、たちどまって、うえをむき、あれよ、あれよといってさわぎました。けれど、なかには、自分じぶんになんの関係かんけいもないできごとといわぬばかり、ふたたびあげようともせず、さっさといくものもありました。こんなさいちゅうに、たぶんこのあたりをうろつく、浮浪児ふろうじでしょう。
「おれが、ひろうぞ!」と、さけんで、二、三にん往来おうらいひとをかきわけ、かけていきました。
 かぜに、がさをさらわれた、おんなひとは、かおあかくして、とりかえしのつかぬことをしたとおもったのでしょう。いそいで、その方向ほうこうへいきかけましたが、五、六もいくと、きゅうにおもいとまって、もどりかけました。そして、みせまえまできたので、
「そんなに、とおんでは、いきませんよ。」といって、ぼくはおんなひとちからづけようとしました。
「いえ、だれかすぐにひろってしまいますでしょう。」と、彼女かのじょこたえて、もはや、あきらめたように、いってしまいました。
 こういたとき、ぼくは、なんということなく、かなしかったのでした。
 なんで、おんなは、あきらめなければならぬかとおもったからです。自分じぶんのものでありながら、それを保証ほしょうする道徳どうとくのなかったこと、こんな、よいわるいの分別ふんべつがなくなるまで、社会しゃかいがくずれたかという、なげきにほかありません。
 健全けんぜん秩序ちつじょのなくなるということは、まっくらばんを、あかりをつけずに、みちあるくようなものです。ぼくには、ちょうど、そんなようなわびしさをかんじたのでした。
 二、三日前にちまえのこと、ぼくは、おなじとおりで、古本店ふるほんみせしている、おばさんから、童話どうわほんりてきて、ばんをしながらみました。そして、それにいてあるはなしに、ふかい感激かんげきをもちました。
 それは、こういうはなしです。
 おおかみが、れをなして、すんでいました。どこへいくにも、先頭せんとうにたつのは、一ぴきのとしとったおおかみでした。なぜなら、このおおかみは、もうながあいだやまきて、いろいろの経験けいけんをして、このあたりの山中さんちゅうなら、どんなみちっていれば、どこへいけば、なにがあるということから、またいろいろのばあいにたいして、だれよりも知識ちしきがふかかったからです。
 たとえば、病気びょうきのときには、どのくさべればいいとか、てきわれたときは、どのたにへおりて、どのいわあいだにかくれるとか、そのことは、とうてい、わかいおおかみたちのるところではありませんでした。
 それだけでなく、かれは、てきあって、たたかわなければならないときも、自分じぶん相手あいてのいちばんつよいやつをひきうけるというふうでしたから、みんなから、尊敬そんけいされていました。
 しかし、このとしとったりこうなおおかみも、鉄砲てっぽうのたまをふせぐことはできなかったのです。ある、りょうしにうたれて、きずついたからだで、みんなといっしょに、やまおくの安全あんぜんなところまでにげのびてきました。そして、ついに、ちからつきてたおれました。
今夜こんや、わしはぬだろう。」と、としとったおおかみは、いいました。
 おおかみたちは、道案内者みちあんないしゃうしなったあとの不安ふあん心細こころぼそさからこえをあげてきました。
「わしが、いなくなったら、あたらしい先達せんだつをえらぶがいい。ただ、いかなるばあいでもみんなは、ちりぢりになってはいけない。たがいにちからをあわせて、たすけあい、いままでのように、生活せいかつをつづけるのだ。」と、いたおおかみは、いましめました。
 ゆうやけは、さびしい、たかやまあいだにうすれて、おおかみたちのかなしくほえるこえ谷々たにだににこだましたのでした。
「そうだ。ぼくたちも、ちりぢり、ばらばらになってはいけない。ただしいこころこころがむすびついて、おたがいにきぬく努力どりょくをしなければ!」と、ぼくはおもったのでした。
 午後ごごになると、ねえさんがきて、かわってくれたので、ぼくはしばらく、自由じゆうのからだになりました。
 えきへむかうみちうえで、なにかあるらしく人々ひとびとあつまっているので、自分じぶんもいってみるになりました。それは、はじめてる、悲惨ひさん光景こうけいではなかった。何年なんねんまえにも、どこかでたことがあるような記憶きおくがしました。やせこけた、あばらぼねうまが、全身ぜんしんみずをあびたようにあせにぬれて、おもくるまをひきかねているのでした。
 それをむりにかせようとする馬子まごも、かみはみだれ、かおから、むねへかけて、やはりあせがながれ、にやけたひふは、赤銅色しゃくどういろをしていました。そして、につけている、みじかい着物きものは、やぶれていました。
 ぼくは、うまにもなれば、おとこのたちばにもなってかんがえたのです。なんという、矛盾むじゅんした、いたましい事実じじつでしょうか。おとこに、うまくるしみをわからぬはずがない。ただ、このみちをトラックや、自転車じてんしゃ自動車じどうしゃが、たえず、往来おうらいするだけ、おとこを、いっそういらだたせたのでした。
 馬子まごは、はらだちまぎれに、あらあらしく、たづなをくと、うまは、あたま上下じょうげにふって、反抗はんこうをしめし、前足まえあしちからをいれて、大地だいちへしがみつこうとしました。そのたび、ほこりでよごれたたてがみが、くものようになみうちました。あつまった人々ひとびととおまきして、見物けんぶつしました。自分じぶん関係かんけいのないことは、たいていのひとは、冷淡れいたんなものです。
 このとき、どこか、まち喫茶店きっさてんから、レコードでならす、あまったるい歌声うたごえながれてきました。そこには、ことなった生活せいかつのあることをおもわせました。
 ひるまえいていたかぜがやんで、そらは、一ぺんくももなく、青々あおあおとして、のように、かがやく太陽たいようのやけつくあつさだけでした。しかしどこかのいすにこしかけて、アイスクリームをべ、つめたいソーダすいひともあったでしょう。ぼくは、このうまも、このおとこも、なぜにやす自由じゆうがもてないのかとふしぎにかんじました。
 すると、見物人けんぶつにんをかきわけて、まきゲートルをした若者わかものまえてきました。
「このうまは、一戦地せんちへいって、かえされたうまらしいが、かわいそうに、やせているな。つなをといて、すこしやすませてやんなよ。」
 そういって、うまちかづきました。馬子まごは、同情者どうじょうしゃがあらわれると、交通こうつう妨害ぼうがいとなって、しかられるのをおそれたけれど、いくぶんか大胆だいたんになりました。
「いつから、この仕事しごとをやっているんだね。」と、若者わかものが、きました。
「こんなことをするのは、このごろなんです。」と、馬子まごこたえて、つぎのように、のうえをかたりました。
わたしは、もと百しょうでした。うまって、はたらいていました。それが、戦争中せんそうちゅううま徴発ちょうはつされたのです。なんで、わすれよう、つれていくうまは、ふみきりのところで、電車でんしゃにおどろいて、あばれました。わたしは、こんなことで、びっくりするんでは、戦地せんちへいって、大砲たいほうおといたら、どうするだろうとおもいましたが、かわいそうにその、どうなったかりません。
 それから、自分じぶんも、むらにいたくなくて、まち工場こうじょうはたらいたのですが、戦争せんそうがおわったけど、むらかえがしなくて、こんなことをするようになったのです。このうまも、ぬしがろくろくえさをやらないので、こんなにやせているのです。もっとも、人間にんげんさええないのだから、くちのきけない動物どうぶつは、みじめなもんです。」と、馬子まごは、にはいりかけるあせをふきながらいいました。
「おれは、復員ふくいんして、がないが、まだ、やさしいかおにであわない。戦争せんそうのため、みんな、人間にんげんらしさをなくしてしまったんだな。いつまでも、こんなだったら、このくにはほろびてしまうだろう。さあ、はやみずをくんできて、うまませてやんなよ。」と、若者わかものは、馬子まごをうながして、自分じぶんは、よごれたうまのたてがみをなでました。
「そんなら、あとを、おたのみします。」と、馬子まごは、バケツをって、あちらへはしっていきました。
 始終しじゅうていたぼくは、たとえ、かなしみやくるしみに、たたきのめされても、ただしくきようとするものには、まだうつくしいおもいやりがあるのを、しんにうれしく、ちからづよくかんじました。
 なにをおもうか、若者わかものは、ライターで、たばこにをつけました。あおけむりが、たんたんとして、そらへのぼっていきました。





底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社
   1977(昭和52)年12月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「みどり色の時計」新子供社
   1950(昭和25)年4月
初出:「こどもペン 3巻4号」
   1949(昭和24)年4月
※表題は底本では、「みちうえはなし」となっています。
※初出時の表題は「道の上で見たはなし」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年12月26日作成
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