しんぱくの話

小川未明




 たかやまの、とりしかゆかないようなけわしいがけに、一ぽんのしんぱくがはえていました。そのは、そこでいくねんとなく月日つきひごしたのであります。
 人間にんげんのまれにしかゆかないやまとはいいながら、そのながあいだには、幾多いくた変化へんかがありました。ひとあしるところ、またのとどくところられたり、またられたりしたのであります。そして、それは人間にんげんばかりとかぎっていなかった。
 あるときは、あめがつづいて、出水しゅっすいのために、あるときは、すさまじいあらしのために、またしんおそろしいゆきのために、その脅威きょういは一つではなかったのです。
 おな生命せいめいゆうしている人間にんげんのすることにくらべて、はかりれない、暴力ぼうりょく所有者しょゆうしゃである自然しぜんのほうが、どれほどおそろしいかしれないとおもっていました。しかし、こうした嶮岨けんそ場所ばしょしょうじたために、しんぱくは、無事ぶじ今日こんにちまでおくることができたのであります。けれど、それは、また偶然ぐうぜんであるといわなければなりません。
 なぜなら、たとえ、人間にんげんちからでは、そこへはたっしなかったけれど、自然しぜんちからは、いつも自由じゆうであったからです。げんに、数年前すうねんぜんのこと、ちょうど春先はるさきであったが、轟然ごうぜんとして、なだれがしたときに、みき半分はんぶんはさかれて、ゆきといっしょに谷底たにそこちてしまったのでした。さいわいにのかみついていた岩角いわかどくだけなかったから、よかったものの、もしこわれたら、おそらくそれが最後さいごだったでありましょう。
 しかし、いまは、そのときの傷痕きずあとふるびてしまって、みきには、雅致がちくわわり、こまかにしげった緑色みどりいろは、ますます金色きんいろび、朝夕あさゆうきりにぬれて、疾風しっぷうすりながら、騎士きしのようにほがらかにられたのであります。
 ふゆでも、この岩穴いわあななか越年えつねんする、いわつばめがすんでいました。ひらひらと、あおそらをかすめて、みぎに、ひだりに、んでいたが、やがて、かぜってちてきたのように、しんぱくのえだにきてまりました。
ゆきちかづきましたよ。西にしそらのようにあかいのです。こんどあらしがあるときっとゆきってきますからね。」
 そういって、いわつばめは、だんだん黄昏たそがれていく、奥深おくぶかそら見上みあげていました。
 うっかりしようものなら、つめたかぜが、ちいさなからだをさらって、もうくらくなった谷間たにまへたたきとそうとしたのであります。
 しんぱくは、そのたびに、あたまをはげしくりました。
「いや、そのほうがいいでしょう。あなたたちは、岩穴いわあななかでゆっくりねむりなさるがいい。かれこれするうちに、じきに四、五がつごろとなります。あの水晶すいしょうのようにあかるい雪解ゆきどけのはる景色けしきはなんともいえませんからね。それまで、わたしは、あらしや、吹雪ふぶきうたでもたのしんできいています。そして、あなたたちが、岩穴いわあななかで、こうもりのおばあさんからきいた、不思議ふしぎのおとぎばなしをおしえてくだされば、わたしは、西風にしかぜのうたっていたきたくにうたをうたってきかせますよ。」
「なんだか、来年らいねんはるたのしみですが、もう人間にんげんが、ここへやってくるようなことがなければいいが。」
 いわつばめは、不吉ふきつ予感よかんがしたように、いきいきとしたかおをくもらしました。
 しんぱくは、またひとしきり、疾風しっぷうかおうごかしながら、
「このごろは、よるになるとしもがおります。そして、ほしかげは、魔物まもののようにすごくひかります。どんな人間にんげんでも、露宿ろしゅくすることはできますまい。あの、あおずんだ、真夜中まよなか景色けしきを、あなたにせたいものです。」
 だまって、しんぱくのはなしをきいていたいわつばめは、きゅうぶるいをしました。そして、あわてて岩穴いわあなかえってゆきました。
 真夜中まよなかごろ、は、あたまうえを、あおほのおをひいてながれるほしました。なんとなく、宇宙うちゅう存在そんざいするいっさいのものが、運命うんめい支配しはいされ、流転るてんすることをかたるごとくにかんじたのです。
 あくるのこと、すぐちかくで、人間にんげんこえがしました。さるのごとく、岩角いわかどつたわって、つなたよりにりてくるおとこました。こしには、いわくだき、道具どうぐむすびつけていたので、しんぱくは、だれをあてにやってくるのか、すぐにさとったのでありました。
「ああ、いいだ。ながいことにらんでいたのだが、まったくいのちがけでなければれるところでない。」と、としをとったおとこは、ひとりごとをしました。
 そして、そこで、いくねんきてきたしんぱくを、岩角いわかどからりはなして、そのもとをくとしっかり背負せおって、つなをたぐってがってゆきました。しんぱくは、かつて自然しぜんをおそれて、人間にんげんにどれほどのことができるものかと、かんがえていたことの、たいへんなまちがいだったのを、この瞬間しゅんかんさとったのであるが、それから、自分じぶんはどうされたのであるか、さきのことはわからなかったのです。
 が、やっと元気げんき快復かいふくして、はっきりと、またくようになったのは、あるおおきな盆栽師ぼんさいし庭園ていえんでありました。そして、自分じぶんめずらしい支那鉢しなばちえられて、一だんたかい、だんのうえせられていたのでした。
 よるになると、かぜいたけれど、あのむちをり、ひづめをらしてぎるようなあらしではありませんでした。ほしひかりきゅうに、とおくなって、また銀河ぎんがいろは、えるかえぬほどのかすかさです。
自分じぶん生活せいかつは、わってしまったのだ。あのいわからはなされたときは、れるとおもったのがこうしてきるばかりでなく、あのあらしから、吹雪ふぶきから、もう、まったく安心あんしんなのだ。なんという人間にんげんは、かみ以上いじょうちからっていることだろう。」
 しんぱくは、人間にんげんえらいとおもいました。ここへくるひとたちは、だれでも、この鉢植はちうえのまえあしをとめて、感心かんしんして、ながめました。
「いい、しんぱくですな。」
 は、みんなが、自分じぶんをほめてくれるのでうれしくおもいました。いわつばめや、こうもりなどに、あいされるよりは、人間にんげんにほめられるほうが、うれしいようながしたのです。
いのちがけで、自分じぶんやまからつれてきて、かわいがってくれるのだからな。」
 こう、おもうと、また、いつかくもが、
やまそだって、下界げかいへいったものは、みんなんでしまう。だから、きりと、あらしと、ゆきなからしをうらんではならない。なんといっても、それがとうとくて、かがやかしいのだから。」といったことが、おろかしくかんじられました。
 ある、りっぱな紳士しんし令嬢れいじょうをつれて、この庭園ていえんへはいってきました。そして、やがておなじように、しんぱくのまえって、主人しゅじんからはなしをきかされていました。
「それは、人間にんげんのちょっとゆけるような場所ばしょでありません。高山こうざんの、しかも奥深おくふか嶮岨けんそながけの岩角いわかどにはえて、はげしいあらしにかれていたです。このしみは、なだれにたれた傷痕きずあとでございます。」
一度いちどそういうやまへ、のぼってみたいとおもいながら、わたしたちには、そんな元気げんきがない。せめてこのでもながめて、あこがれたやまへいったつもりでいましょう。」
 紳士しんしは、高価こうかかねはらって、しんぱくをくるまなかみました。このとき、しんぱくは、いのちけてり、そだててくれたほどのひとが、金銭きんせんってしまった、そのあいについてうたがわずにはいられなかったのでした。しかし、これが人間社会にんげんしゃかいおきてでもあろうかとおもったのであります。
 ついに、しんぱくは、岩頭がんとうのかわりに、紫檀したんたくうえかられたのでした。そして、ほしのかわりに、はなやかな電燈でんとうらしたのでした。そして、周囲しゅういうものは、あの可憐かれんないわつばめでなくて、人間にんげんうつくしい男女だんじょらでした。きくのはあらしのうたでなく、ピアノの奏楽そうがくでした。この息詰いきづまる空気くうきなかで、は、刻々こくこく自分じぶん生命いのちれてゆくのをかんじながら、「ぬうちは、みんながあこがれるが、おとぎばなしの世界せかいはけっしてくるところでなく、ただ、きくだけのものだ。」と、しみじみさとったのでありました。





底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
   1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
初出:「民政」
   1933(昭和8)年10月
※表題は底本では、「しんぱくのはなし」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2012年5月6日作成
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