子供はばかでなかった

小川未明




 吉雄よしおは、学校がっこう成績せいせきがよかったなら、おやたちは、どんなにしても、中学校ちゅうがっこうれてやろうとおもっていましたが、それは、あきらめなければなりませんでした。
「なにも、学校がっこうへいったら、みんながえらくなるというのでない。りっぱな商人しょうにんには、小僧こぞうからがるものがおおいのだよ。うちにいては、なんのためにもならぬから、いいとこをさがして、奉公ほうこうなさい。そして、おともだちに、まけないようにしなければならぬ。」と、おかあさんは、いいました。
 いままで、小学校時代しょうがっこうじだいに、なかよくあそんだともだちが、それぞれうえ学校がっこうへゆくのをると、うらやましく、おかあさんにはおもわれました。
「なぜ、うちのは、もうすこし勉強べんきょうをして、できてくれぬだろう?」
 こうおもう一ぽうには、また、できない不憫ふびんになって、
「あのこころのうちこそ、いっそう、かなしいだろう。」と、かんがえて、なにもいうことはできなかったのです。
 まちの、おおきな呉服屋ごふくやで、小僧こぞうようだということをいたので、そこへ、吉雄よしおをやることにしました。
「よく、ご主人しゅじんのいいつけをまもって、辛棒しんぼうするのだよ。」と、おかあさんは、いざゆくというときに、なみだをふいて、いいきかせました。
 子供こどもが、いってから、二、三にちというものは、おかあさんは、仕事しごとにつきませんでした。
「いまごろは、どうしているだろう?」と、おもったのでした。
 すると、五、六にちめに、ひょっこり、吉雄よしおはもどってきました。
「どうして、おまえかえってきたのだい。」と、おどろいて、おかあさんは、たずねました。
うえ小僧こぞうさんが、意地悪いじわるをしていられない。」と、吉雄よしおは、うったえました。
「そんなことで、かえってくるばかがあるか?」と、おとうさんは、しかりましたが、おかあさんは、そこばかりが、奉公口ほうこうぐちでないといって、ほかをさがすことにしました。
 これも、まちで、きれいなみせっている時計屋とけいやでありました。そこで、もう一人ひとり小僧こぞうがほしそうだから、世話せわをしましょうといってくれたひとがありました。
「ほんとうに、時計屋とけいやなんかも、いい商売しょうばいだね。」と、おかあさんは、よろこびました。
 吉雄よしおは、そのひとにつれられて、時計屋とけいやへゆくことになりました。
「またつとまらんといって、かえってくるようなことがあっては、近所きんじょたいして、みっともないから、たいていのことは、我慢がまんをするのだよ。」と、おかあさんはいいきかせました。
 吉雄よしおは、うなずいて、ていきました。やはり、二、三にちは、おかあさんは、子供こどものことをあんじて、仕事しごとにつきませんでした。
「つらくても、我慢がまんをしているのでないかしらん? あんなことをいうのではなかった……。」と、おもいわずらっていますと、
ぼくかえってきた……。」と、ぐちでしたこえは、たしかに、自分じぶんこえでありました。母親ははおやは、またかとおどろいて、しました。
「どうしたんだ? 吉雄よしお……。」と、おかあさんは、おもわず、かおをにらみました。
 よくきくと、時計屋とけいやのおばあさんは、病気びょうきているのでした。吉雄よしおは、その看病かんびょうのてつだいをさせられるのがいやさに、てきたというのであります。
「もう、おとしよりでていられるのだから、そんなこと、なんでもないじゃないか。」と、おかあさんは、ひたすら、吉雄よしおが、つとめのいやさからてきたとしんじて、しかりました。
ぼくは、たんつぼのそうじなんか、させられるのはいやだ!」と、吉雄よしおが、いいますと、おとうさんは、これをいて、
子供こどもに、そんなことをさせるのは、先方せんぽうがよくない。いやがるのは、もっともだ。」と、こんどは、おとうさんが、吉雄よしお味方みかたされたのでした。
 吉雄よしおは、いえかえると、いつもかわのほとりにゆきました。かわは、むらはずれのおかのふもとをながれていました。くさうえあしして、あちらのそらをながめるのが大好だいすきでした。かれはかつて、ここの景色けしきいて、学校がっこう先生せんせいにほめられ、そのは、しになりました。また、ここを文章ぶんしょういて、こうをもらいました。
 そのも、ここへやってくると、かわみずはゆるくながれて、そらをゆく、しろくもかげを、ゆったりとした水面すいめんにうつしていました。
りにくれば、よかったな。」と、おもっていますと、おかうえで、ちょうど自分じぶんぐらいの少年しょうねんがくわをふりげて、つちたがやし、なにかえていました。
ぼくも、まちへなんかゆかずに、ああしてはたらいたら、どんなにいいだろう……。」と、おもっていると、その少年しょうねんがうらやまれたのであります。かれは、少年しょうねんのそばへゆきました。そして、二人ふたりは、じきに仲好なかよしになってしまいました。
 その少年しょうねんは、りんごのえていたのです。からだよわいので小学校しょうがっこうえると、自分じぶん果樹園かじゅえんいとなむことにしたのです。それで、自分じぶん一人ひとりではさびしいから、
きみもおとうさんや、おかあさんがゆるされたら、ここへこないか。二人ふたりでいろいろなものを栽培さいばいして、愉快ゆかい生活せいかつしようよ。」と、少年しょうねんはいったのでした。
ぼくは、きっとゆるしてもらうよ。」
 吉雄よしお少年しょうねんちかいました。そしていえかえって、熱心ねっしんたのんで、ゆるしてもらったのです。
 いま、このむら二人ふたり少年しょうねんが、経営けいえいしている果樹園かじゅえんらぬものはありません。はるのうららかなに、ここをたずねると、かわべりには、むらさきほしのようなヒヤシンスが、一めんにいいかおりをはなっています。また、なチューリップが、金色きんいろひかりにかがやいています。
 そのほか、いちごのはたけがあり、なつにかけて、おかのスロープには、大粒おおつぶなぶどうのふさが、みごとにみのるのでした。
 二人ふたり少年園芸家しょうねんえんげいかの、うわさが世間せけんひろまるたびに、吉雄よしおのおかあさんは、よろこんではなたかくしたのであります。





底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社
   1977(昭和52)年6月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第6刷発行
底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館
   1932(昭和7)年3月
初出:「国民新聞」
   1931(昭和6)年3月1日
※表題は底本では、「子供こどもはばかでなかった」となっています。
※初出時の表題は「子供は馬鹿でなかつた」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:津村田悟
2020年3月28日作成
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