美しく生まれたばかりに

小川未明




 さびしい、くらい、たにまえにひかえて、こんもりとしたもりがありました。そこには、いろいろな小鳥ことりが、よくあつまってきました。
 あきから、ふゆへかけて、そのあたりは、いっそうさびしくなりました。もり陰気いんきかおをして、だまっていました。そのとき、ねむりをさまさせるように、いいこえして、こまどりがきました。
 これをくと、もりは、元気げんきづいたのです。
「あのうつくしいこまどりがきたな。どうか、このもりながくおってくれればいい。」と、木立こだちおもったのでした。
 おおくの木立こだちは、自分じぶんえだへ、毎日まいにちのようにくるたくさんの小鳥ことりたちをっていました。しかし、どのとりも、こまどりのように、うつくしく、そして、いいこえをだしてくものがなかった。
「どうか、わたしえだへきて、こまどりはまってくれないものかな。」と、一ぽん木立こだちは、かんがえていました。
 ちょうど、そのとき、そこへんできたのは、やまがらと、しじゅうからでありました。
「たいへんに、さむくなりましたね。みねかぜるようです。しかし、このもりは、奥深おくふかいから、いつゆきになっても、わたしたちは、安心あんしんですが……。」と、とりたちは、はなしをしています。
 木立こだちは、それをくと、自分じぶんも、じつにさむくなったように身震みぶるいをしました。
「しじゅうからさん、やまのあちらは、れていますか? そういえば、もうくもゆきがはやくて、すっかりふゆですものね。また、ゆきなかにうずもれることをかんがえると、まったく、いやになってしまいます。あなたたちは、しあわせものですよ……。」と、しみじみとした調子ちょうしで、木立こだちは、いいました。
 やまがらは、そのえだで、一もんどりをちました。
わたしたちがしあわせだって? ……それはちがいますよ。一にちかぜかれてけまわっても、このごろは、むしぴきつからないことがあります。それに、これからは、雨風あめかぜわれて、あちらへげ、こちらへげなければなりません……。」と、やまがらは、こたえた。
「だって、そうして、自由じゆうそらべるのじゃありませんか。わたしたちは、永久えいきゅうに、ここにじっとしていなければならない運命うんめいにあります。こうして、毎日まいにちおなじような谷川たにがわおといていなければなりません。先刻せんこくでしたか、こまどりさんのうたきましたが、いつも、よいこえですね。」と、木立こだちは、うっとりとしていいました。
「ほんとうに、あのこまどりこそ、しあわせものです。どこへいっても、もりや、はやしに、かわいがられます。もりじゅうの木立こだちが、どうか自分じぶんえだにきてまってくれればいいとおもっている。わたしたちが、せっかく、一をそこにあかそうとおもってまると、えだ意地悪いじわるく、夜中よなかに、わたしたちのからだすって、とそうとする。それに、くらべれば、おな小鳥ことりとうまれて、こまどりは、ほんとうにしあわせものであります。」と、二小鳥ことりは、口々くちぐちにいいました。
 木立こだちは、さすがに、気恥きはずかしくかんぜずにはいられなかったのです。
「いえ、わたしだけは、そんな意地悪いじわるではありません。だれでも、わたしえだにきてまってくだされば、ありがたくおもっています。どうか、こんなさびしいは、よそへゆかずに、ここにいて、いろいろごらんなされた、おもしろいはなしをしてくださいませんか。」と、木立こだちたのみました。
 このとき、かぜが、またひとしきりつよくなった。やまがらは、おどろいて、とうとして、
「それよりは、わたしは、昨日きのうみねのあちらで、はやぶさにねらわれた。もうすこしでらえられようとしたのを、いばらのやぶにげこんでたすかったが、こうして、かぜが、ふいにくと、また、はやぶさにねらわれたかとおもって、びっくりする……。」と、しじゅうからにいうとなく、ひとりでおもいだしていいました。
「ほんとうに、そうしたはなしくと、自由じゆうそらべるあなたたちにも、いろいろな苦労くろうがあるのですね。」と、木立こだち同情どうじょうしました。
 いつしか、あたりは、くらくなっていった。そして、谷川たにがわみずが、あいかわらず、単調たんちょううたをうたっているのが、あたりが、しんとすると、いっそうはっきりとこえてきました。
 そらると、雲切くもぎれがしているそのあいだから、一つぼしが、おおきなしたをじっと見下みおろして、木立こだちまっている小鳥ことりたちが、熱心ねっしんに、かぜうごえだはなしをしているのに、みみましていていました。
「ねえ、そらのおほしさま、ここに、いつもこうして、じっとしてうごけないわたしたちと、このかわいらしい小鳥ことりさんたちと、どちらが、幸福こうふくなものでしょうかね。何事なにごとも、あなたは、わかっておいでなさるといていますが、どうか、おしえてくださいませんか。」と、まだ、そんなに、このもりなかではとしをとっていない木立こだちが、快活かいかつに、ほしかってたずねました。
 ほしは、きゅうに、いかけられて、いそがしそうにまたたきをしました。それから、じっと態度たいどまして、おちついた調子ちょうしで、
地上ちじょうに、すむものは、よいも、わるいもない、みんなの運命うんめいおなじなんです。」と、こたえた。
 すると、こんどは、ちいさなしじゅうからが、だまっていなかった。
ほしさん、ほしさん、そうじゃないでしょう。いいこえのこまどりは、どこへいっても、もりや、はやしたちばかりでない、人間にんげんからもかわいがられます。わたしは、ああいういいこえって、うつくしくまれてきたものが、幸福こうふくだとおもわずにいられません。」といいました。
 木立こだちは、しじゅうからの言葉ことばに、しきりに同感どうかんをして、あたまっていた。すると、ほしは、いちだんときよらかなひかりして、おおきなをみはったように、
「そうおもうのも無理むりはありませんが、どうして、それが、終生しゅうせい幸福こうふくだといわれますか……。そのためにいいこともあれば、また、わるいこともある。そらから、ているとよくわかりますよ。」と、ほしこたえたのです。
 かぜは、ますますつよいてきました。くろくもると、せっかく、のぞいたきよらかなほしひかりも、跡形あとかたもなくかくしてしまいました。
 小鳥ことりたちは、ついうかうかとして、ときのたったのにづかなかったが、まったく、くらくなってしまうと、おのおののともだちのいるところをさがして、あちらとこちらでびかわしながら、もりふかくへはいってゆきました。
 くるくれがたのこと、ゆきがちらちらとかぜにまじってっていました。こまどりは、ひとりいいこえで、この木立こだちまっていていました。
「ごらんなさい。あなたがきますと、ほかのとりたちは、みんなだまってしまうではありませんか。たまに、こうして、あなたがたずねてきていてくださるので、わたしたちは、さびしい、こんな山中やまなかにいてもなぐさめられるのです。今夜こんやは、ゆきになりそうです。ばんは、このもりおくへはいって、おやすみなさいまし。」と、木立こだちがいいました。
「きのうは、あちらのやまにいってみました。夕焼ゆうやけがあかかったから、ゆきになろうとおもったのですよ。自分じぶんうたが、西にしそらひびくようながしました。」と、こまどりは、自分じぶんこえ自慢じまんしたのです。
「こまどりさん、ほんとうに、今夜こんやにでもゆきもったら、明日あしたは、あなたは、ふもとのほうへいってしまわれるでしょう。そうすれば、また、はるがくるまで、あなたのうたくことができないのです。どうか、もう一つうたってくださいませんか。」と、木立こだちはたのみました。
 こまどりは、さむかぜかれながら、たにほういて、ほがらかに、さえずりはじめました。このとき、あちらから、るように、くろいものがんできたかとおもうと、こまどりはおもわず、すくんでしまった。それといっしょに、木立こだちは、
「あっ!」といって、こえをあげました。
 はやぶさが、こまどりをねらって、それをらえたからです。
 なぜはやく、もりなかへ、かくれなかったかと、木立こだちは、をもんだけれども、はや、なんのやくにもたたなかった。
「はやぶささん、どうか、そのこまどりのいのちだけは、らないでください。」と、木立こだちは、はやぶさにうったえました。
「あまり、こいつが、いいになって、自分じぶんこえ自慢じまんするからさ。」と、はやぶさは、こまどりを片脚かたあしさえつけて、いいました。
「なにも、あなたに、わるいことをしたのでありますまい。わたしが、たのんで、うたをうたってもらったのです。あまり、今日きょうは、あたりが陰気いんきで、さびしいものですから……。」と、木立こだちたのみました。
 はやぶさは、をくるくるさしていましたが、
「ほんとうに、さむい、さびしいだな。こんなには、小鳥ことりどもも、につかない。こいつはたところは、きれいだが、毛色けいろばかりでにくがまずいので、あまりおれは、きでない。そんなに、おまえがいうなら、こいつのいのちだけは、たすけてやろう。そのかわり、こんど、小鳥ことりが、ここへんできたなら、おまえは、あたまでもって、おれらせてくれい。」と、はやぶさはいいました。
 木立こだちは、こまどりがたすけられたので、うれしくおもった。しかし、はやぶさは、すぐに、こまどりをはなしてやろうとはしなかったのでした。
「おまえのいのちは、たすけてはやるが、今夜こんや一晩ひとばん、こうして、おれあしあたためさせろ!」といって、はやぶさは両脚りょうあしで、こまどりのからだみつけたのでした。こまどりのからだは、しつぶされそうになって、こえもたてられなかった。
 木立こだちは、なんという残酷ざんこくなことをするものだろうと、これをるのにしのびませんでした。が、じきに、くらく、くらくなって、すべての光景こうけいを、よるが、かくしてしまいました。
 よるが、ほのぼのとあけかかったとき、木立こだちは、こまどりがどうなったかをると、はやぶさは、もはや、そこにはいませんでした。あちらのみねほうへ、早起はやおきする小鳥ことりたちのこえきつけて、これをらえてえをたすために、んでいってしまったあとです。そして、こまどりだけが、あわれげなようすをして、くちばしで、自分じぶんからだみだれをなおしていました。
 木立こだちどくおもって、こえをかけることもできなかったのでした。
 ちらちらとった、ゆき清浄せいじょうらして、朝日あさひのぼりました。
 こまどりは、そうそうに、木立こだちわかれをげて、ふもとのほうをさしていそぎました。そのあとへ、先日せんじつのしじゅうからがんできて、木立こだちから、はやぶさとこまどりのはなしいて、ちいさなくびをなかにすくめたのです。
「こまどりは、まちへいっても、ころされるようなことはありますまい。しかし、先日せんじつのおほしさまのいったように、なにが幸福こうふくとなり、また、不幸ふこうとなるかもしれませんね。わたしどものように、だれからほめられるということのないかわり、自由じゆうそらけることができるのが、しあわせであるかもわからない。こんなかわほねばかりのわたしどもを、はやぶさだってねらいはしますまいから……。」と、いったのです。
 ちょうど、このとき、こまどりは、平原へいげんうえんでいました。わたすかぎり、初雪はつゆきにいろどられて、しろ世界せかいなかを、金色こんじきおびのように、かわかわれ、田圃たんぼは、獣物けだもの背中せなかのように、しまめをつくっていました。
 ひるごろのこと、こまどりは、地平線ちへいせんのかなたにかびた、はなやかなまちました。
「まあ、なんというかがやかしいまちだろう。人間にんげんがここにんでいるのだ……。やまにいるとき、よくほかのとりたちが、おまえさんは、はねいろうつくしいし、こえもいいから、人間にんげんにもかわいがられるだろうといったことがあった。もし、人間にんげんが、わたしをかわいがってくれるなら、わたしは、どんなにしあわせかしれん……。」と、こまどりは、たかまって、ひとごとをしていました。
 まち建物たてものは、かがやいて、煙突えんとつからしろけむりがおもしろそうに、雪晴ゆきばれのした、あおそらながれてえていました。このとき、すずめが、軒端のきばほうから二んできて、こまどりのまっている、したほうえだまって、はなしをしていたのです。
「あの、うつくしいおじょうさんのいえにいたのと、おなじいとりじゃないか?」
 この言葉ことばきつけた、こまどりは、すずめのほう見下みおろしました。そこには、見慣みなれない二とりたちが、自分じぶんのうわさをしていたのでした。すずめは、やまおくにはすんでいなかったからです。
「もう、一、いまのおはなしかしてくださいませんか。」と、こまどりはやさしく、いいました。
 すると、すずめは、おしゃべりものですから、
「このまちで、いちばんりっぱなおうちなのです。そこのおじょうさんは、評判ひょうばん美人びじんですが、あなたとおなとりが、このあいだまで、かわいがられて、われていたのですよ。それが、このごろ、げたとみえていなくなったのです……。」といいました。
「それは、どのおうちですか?」
「あのもりなかえる、たかうちが、それですよ。」
 こまどりは、いいことをいたとおもって、すぐに、そのいえほうんでいった。そして、にわさくらまって、いいこえしてきました。たちまち、まどいて、うつくしいおじょうさんが、かおをだしました。
「まあ、いいこまどりだこと、うちのがかえってきたのかもしれないわ。」といって、おじょうさんは、きれいなかごのなかへ、こまどりのきそうなえさ猪口ちょこれて、かごのをあけて、したへだしました。
 こまどりは、うえで、これをながら、しばらくかんがえていたが、だんだんしたりてきました。そして、とうとうそのかごのなかへはいると、くびをまわして、うちのようすをながめました。このとき、おじょうさんが、んできて、めてしまいました。
 こまどりは、かごのなかへはいってから、なぜいままでのこまどりは、このかごのなかから、げていったのだろうかということを、青空あおぞらながらかんがえたのです。すると、かれは、きゅう自由じゆううしなってしまったことにがついて、かごのなかで、さわぎはじめました。
「すこしくらいところへいたほうがいいわ。」と、おじょうさんは、おく座敷ざしきへ、かごをってきました。こまどりは、はじめて人間にんげんいえうちるので、めずらしそうにまわしていました。そのうちに、またたちまち悲鳴ひめいをあげて、せまいかごのなかくるした。あちらで、はやぶさが、こまどりをにらんでいたからです。
 しかし、それは、とこにかかっている、ものであることがわかりました。そして、このちいさなとりにも、人間にんげんは、なんでも人間以外にんげんいがいのものをおもちゃにするが、めったに幸福こうふくあたえるものでない、幸福こうふくというものは、自分じぶんだけのちからられるものだとさとると、いままでいろいろとえがいたうつくしい空想くうそうえてしまった。
 こまどりは、やはり、おそろしいはやぶさのすんでいる、やまなかこいしくなりました。そして、いまとなっては、とりかえしのつかない、自分じぶんのはやまった生活せいかつ後悔こうかいしたのであります。





底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
   1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「未明童話集4」丸善
   1930(昭和5)年7月20日
※表題は底本では、「うつくしくうままれたばかりに」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2019年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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