子供は虐待に黙従す

小川未明





 弱い者は、常に強い者にいじめられて来た。婦人がそうであり、子供がそうであり、無産者がそうであった。
 ことわざに言う「手の下の罪人」とは、ちょうどかかるたぐいを指すのであろう。婦人は、暴力に於て男子の敵ではなかった。貧乏人は金持ちの前に頭が上がらなかった。小作人は到底地主を屈伏くっぷくすることができなかった。
 しかし、時勢は、推移した。今や、婦人は平等の権利を主張し、無産階級の解放は、また決定的の事実と見らるるに至った。もはや彼等は、手の下の罪人のような待遇を受けずに済むことも恐らくは遠くはあるまい。
「手の下の罪人」何という暴虐ぼうぎゃくな言葉だ。誰が罪人なのだ? そして、いったい何人にいかなる権利があってほしいまま鞭打むちうち、苦しめ、虐待をえてするのだ。誰に、そんな権利があるのだ。
 ちょうど、資本家が、労働者を酷使こくししたように、男子が女子を束縛そくばくしたように、子供は常に、その親達から、また大人から虐待されて来たのだ。そして、無産者や、婦人は、いつしか、自分達の境遇から奮起して、横暴な権力の下から脱して、解放を期することが出来ても、ひとり、子供は、いつまでも、手の下の罪人でいなければならないのだ。
 親はその子供を愛し、大人は小人を愛撫すると言われているが、果たして子供等は真に愛されつつあるであろうか。極めてうたがわしい。
 無産者の家庭にあっては、子供は、常に、罪なくして親達の生活に対する焦燥から、感情の犠牲者となって、無理由な虐待をば受けてはいないか? 有産階級の家庭にあっては、年若い母親や、父親が、自分の享楽のために、子供を人手にまかして、捨てて顧みずにいはしないか?
 たとえば、子煩悩ぼんのうと言われているような親達でさえも、どれ程、深く子供自身の気分に沈潜して、その子供のために考え、そしてはかるというようなことがあろうか? 私は、思う。多くの子供は、親達に対して、大人に対して、対抗し得ないところから、言い換えれば絶対に弱いがために、かつて、命令に服従せずにはいられなかった。
 どんなことでも、言い付けらるればしなければならぬ。それが多くの子供の運命であった。そして誰も、曾て、子供等のためにこの暴虐な運命に対して抗訴こうそするものがなかった。
 絶対に服従しなければならぬ。それが、子供としては、あたりまえであると思われて来た。そして今日、なお子供の運命に対してあやしむ者をみないのである。
 永久に、子供は、手の下の罪人でいなければならぬだろうか?
 家庭にあって、大人は、どれ程自分達の都合のために、子供を酷使して来たか分からない。子供の感情を蹂躙じゅうりんし、脅威きょういし、ある時は殆んどその存在すらも無視して来たのであった。しかし、子供は、ついにそれに対して訴うる言葉を持たなかった。永久に、子供は持たないのである。「お前が悪いからだ。」と言われて、それに服従しなければならない。
 子供のために、その親達に、また大人に、抗議を申し込むものがないばかりに、子供自身には、全くその力がないばかりに、子供等が虐待されていながら、世間は、それについて考えもしなければ、また、顧みもしないのである。
 私は、そのことに考え至ると、一種の恐怖すらもよおすのである。どんな粗悪なものを食べさせようと、またどんな不潔な着物をせようと、子供はもくしている。
 人間性を信じて来たがために、かかることはあり得ないとさえ思ったことがあった。しかし、日常の見聞から、少年に対する暴虐を否定することができない。


 孤児院からと称して、まだ、年もいかない子供を、軒毎のきごとに立たせて、物を売らせるのや、まだ四つか、五つの子供を地面じべたに坐らせて、通る人々に頭を下げさして、ぜにわしめるのなどを、私は、見る時に、血が逆上する。その者の罪は、まさに死にあたいすると感ずるのである。
 この社会には、うるさい程いろいろの法律があるのに、なぜ、この子供を虐待する親達や、大人を取り締まることができないのだ。
 子供が、その両親や、祖父母を訴うることを許さずと法律で定めながら、なぜ、子供をも大事にしない親達を厳重に取り締まらないのだ。
 子供は、筋肉に於て、智能に於て、いまだ発達を遂げていないのだ。すべてが弱いのだ。ただ愛撫あいぶにのみ待つのである。
 子供が、漸く両親の手から離れて、学校へ行くようになったとする。その学校というところはどんなところだ。資本主義の病毒は教化の精神を腐蝕ふしょくし尽くしている。子供は全く自由を奪われ、そこでは競争を強いられ、人間同志が相互に敵視することを学ぶのだ。試験制度は、全く、彼等の想像力と空想力と冒険的精神を磨滅まめつさしてしまう。学校へはいると、もう子供の喜びは奪われてしまうのだ。家庭にある間は、たとえ、両親が無理解であっても、なお野原があった。森があった。はたけがあった。そこにはいつも親愛な花や、虫や、動物や、自然が彼等と共に遊ぶべく待っていた。しかし、学校へはいるとそれにも別れなければならなかった。
 少年期から、青年期に至るまでの学校生活は、たしかに牢獄に等しいものだ。
 しかし、子供等は、また、これにも黙って服従しなければならない。大人が制定した、この社会の一切のものに対しては、大学時代にもなればいざ知らず、子供の時分は、それに対して怪しむことすら許されないのである。
 この故に、私は、子供等の代弁者となり、ために抗議し、主張し、またその世界の一切を語らなければならぬ芸術の必要を感ずる。同時に、一方この時代の少年を慰撫いぶする芸術をも必要なりとするのである。
 最近一、二年間、童話雑誌が頻出ひんしゅつして、少年文学に志す人々が多くなったのを見て、私は文壇がようやくこの方面にも覚醒したと思った。そして、このことを限りない喜ばしい現象だと考えた。
 けれど、真に、その必要を感じて企てられた雑誌は、僅かに二、三に過ぎなかった。それも、一時は数えきれない程の作家の凡てが、子供を愛する真の純情も、又信念もなかったがために、いたずらに筆をとったに過ぎなかったがために、それらの雑誌すら、今では、毎月の筆者に憂えているような有り様である。
 重ねて言うが、彼等は、徒に筆を採ったに過ぎなかった。ただ子供のものを書くのは楽だというような誤った見解から漫然として筆を採り、それを金に換えたまでの話だ。このことは、却って少年を毒し、ようやく生まれんとした真面目な少年文学の前途に一抹の害毒を流したのみであることは、多言を要しない。
 彼等には、ほんとうに子供を愛する純情が欠けているのだ。また将来の新社会を造るものは子供であるという、社会的自覚の観念にも欠けているのだ。
 このことは、今日の日本の文壇にとって、その無気力を意味し、たとえ恥辱とはなっても、決して名誉とはならないのである。革新期に際しては、一方に、大胆なる破壊はなされても、他方に、また細心の建設的用意がなければならぬ筈である。
 畢竟するに、子供の文学の盛んにならないのは、以上のような理由があるからである。そして、また一方に少年文学に対する、慎重な批評が欠けていたことにも原因するであろう。
 私は、文壇のなすべき事業の一つとして、少年文学の興起を望まずにはいられない。社会はこぞってもっと子供に対して、誠実を尽くすべきだ。





底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
   1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「芸術の暗示と恐怖」春秋社
   1924(大正13)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:へくしん
2022年2月25日作成
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