子供と馬の話

小川未明




 九がつ一日ついたち大地震おおじしんのために、東京とうきょう横浜よこはま、この二つのおおきな都市としをはじめ、関東かんとうたい建物たてものは、あるいはこわれたり、あるいはけたりしてしまいました。そして、たくさんな人間にんげんにましたことは、もうみんなのっていることだとおもいます。いままでうごいていた汽車きしゃはトンネルやレールが破壊はかいしたために、もう往来おうらいができなくなりました。また、毎晩まいばんはなやかなまちらしていた電燈でんとうは、装置そうちこわれてしまったために、そののち幾日いくにちというものは、みやこじゅうがくらになり、よるは、ランプをつけたり、ろうそくをともさなければなりませんでした。
 そんなように、いままでつごうがよく、便利べんりであったものが、すっかりくるってしまって、三十ねんも四十ねんものむかしかえったように、不便ふべんなみじめなさまになったのでありました。
 こういうめにあいますと、いままで、便利べんり生活せいかつをなんでもなくおもっていた人々ひとびとははじめて、平和へいわのことにありがたみをかんじたのでありました。そして、また、それがむかしのようになるのには、どれほど、おおくの労力ろうりょく日数にっすうとがかからなければ、ならぬかということをったのであります。
 わたしたちは、けっして、ひとりでに、このなか便利べんりに、文明ぶんめいになったとおもってはいけません。たとえば、一つのトンネルをるにも、どれほど、おおくのひとたちが、そのためにくるしみはたらいたかをかんがえなければならないのです。
 また、電気でんきが、にぎやかな街々まちまちにつくのも、てんでのうちにきたのも、そこには、たくさんなひとたちの労力ろうりょくとそれについやされた日数にっすうがあったことをかんがえなければなりません。
 こうして、このなかは、みんなのちからによって、文明ぶんめいになり、つごうがよくゆき、そして平和へいわたもたれてきたのでありました。
 けっして、自分じぶんひとりが、どんなに富裕ふゆうであっても、また学問がくもんがあっても、このなかは、すこしもつごうよくいくものでもなければ、また文明ぶんめいになるものでもないことをよくらなければなりません。それをるには、こんどの災害さいがいはいい機会きかいといっていいのです。
 それですから、こまっているひとたちをこまらないひとたちはすくわなければなりません。そして、いままでのように、みんなが自分じぶん才能さいのうをふるって、このなかのために有益ゆうえきはたらき、ますますつごうがよくいくようにはやくしなければならないのだとおもいました。
 もう一つ、この機会きかいに、わたしたちは、らなければならないことがあります。それは、このなかのためにはたらいているものは、ひとり、人間にんげんばかりでなく、うまも、うしも、よく人間にんげんのためにはたらいているということです。
 この、ものをいうことのできない、おとなしい、かわいそうな動物どうぶつを、こころある人間にんげんは、あわれんでやらなければなりません。いじめられるからといっていじめてはなりません。
 太郎たろう二郎じろうとは、よく、あさきるときから、よるるまでのあいだに、いくたびということなく、けんかをしたかしれません。それは、ほんとうにたがいににくったからではなく、かえってなかのいいためではありましたけれど、つねにいいあらそうのには、どちらか無理むりなところがありました。
 おとうさんは、どういったら、二人ふたりがおとなしくなるだろう。どんなおはなしをしてかせたら、にしみてくだろうとあたまをなやましていられました。
 あるときのこと、おとうさんは、近所きんじょひとたちといっしょに、夜警やけいをしていられました。なんといっても、まだみんなは、おちつくことができずにいました。そして、火事かじをどんなにおそれていたかしれません、夜警やけいをしなければ、みんながおちついて、よるねむることができなかったからであります。
 往来おうらいていますと、れてからも、避難ひなんをするひとれがつづいてとおりました。五人連にんづれになったもの、三人連にんづれのもの、また、二人ふたり、四にんというふうに、いずれも、ぞうりをはいたり、また、はだしになったりして、わずかばかりの荷物にもつって、おとこも、おんなも、ふうなどはかまわずに、たいていはまったくしたままののままで、一こくはやく、このおそろしいみやこのがれて故郷こきょうほうかえろうとするものばかりでありました。そうしたれが、はや幾日いくにちつづいたことでありましょう。
 なかには、かれて、もうあるけなくなったのを、おかあさんやおとうさんに、はげまされて、とぼとぼとゆくちいさな子供こどももありました。
 このみちとおって、みんなは、汽車きしゃえきほうへとゆくのでした。
「ほんとうに、どく人々ひとびとですね。」と、夜警やけいをしている近所きんじょひとたちが、そのなかでも、子供こどもを三にんも四にんもつれて、みすぼらしいふうをして、さもつかれたようすであるいてゆく家族かぞくのものをましたときにいいました。
やすんでおいでなさい。」
「おむすびも、お菓子かしもありますから、めしあがっておいでなさい。」
 夜警やけいをしていた、太郎たろうのおとうさんや、近所きんじょひとたちは、口々くちぐちにこういいました。
 すると、つかれた家族かぞくのものは、こちらをいて、ちょっと躊躇ちゅうちょしましたが、ついにまって、
「どうぞ、おむすびを一つ子供こどもらにやってください。」と、父親ちちおやらしいひとがいいました。
「さあ、さあ、たくさんありますから、みんなめしあがってください。」と夜警やけい人々ひとびとはいって、ぼんってきてしました。
 子供こどもらは、はらっていますので、みんなおむすびをよろこんでべました。
 やがて、そのひとたちは、あつくおれいをいって、またみちあるいてゆきました。
「あんなような子供こどもがあっては、汽車きしゃるのが、どんなにほねおりだかしれません。」
 かれらのったあとで、みんなは、そのひとたちの停車場ていしゃばいてからさきのことなどを想像そうぞうして同情どうじょうしたのでありました。
 ひるから、よるとなく、つづいた避難ひなんするひとたちのれも、さすがに、真夜中まよなかになると、いずれも、どこかに宿やどるものとみえて、往来おうらいがちょっとのあいだはとだえるのでした。
 そらあおぎますとあまがわが、下界げかいのことをらぬかおに、むかしながらのままで、ほのぼのとしろながれているのでありました。
「もう、何時なんじごろでしょうか。」
「二をすこしぎました。」
 あたりは、しんとしていました。このとき、あちらから、やまなりに荷物にもつんで、荷馬車にばしゃがやってきました。
 その荷車にぐるまいているのは、しろうまでありました。そして、さきって、手綱たづないているおとこは、からだのがっしりした大男おおおとこでありました。うまも、おとこも、だいぶつかれているようにえたのであります。
 太郎たろうのおとうさんは、これをて、
「どこからきたのですか、よほど、とおいところからきなされたとみえますね。」と、やさしくこえをかけられました。
 ゴト、ゴトとおも荷車にぐるまうまかせてきたおとこは、手綱たづなをゆるめてまりました。
横浜よこはまから、今日きょうひるごろかけてまいりました。これから、もう一さきへゆかなければなりません。うまもだいぶつかれています。」とこたえました。
「そうとも、ここから横浜よこはままでは、十あまりもありますからね。」
「六郷川ごうがわ仮橋かりばしわたってきなすったのですね。」
「ええ、そうです。また、この荷物にもつろして、すぐに、今夜こんやのうちにかえるつもりです。」と、うまいてきたおとこはいいました。
「また、とおみちかえるのですか。」
「あすの晩方ばんがたに、あちらへきます。そして、あさっては一にちうまやすめます。」と、おとこは、こたえました。
 夜警やけい人々ひとびとは、このはなしいて、人間にんげんも、うまも、どんなにつかれることだろうとおもいました。
 こんなことは、平常ふだんおおくあることでありません。汽車きしゃとおっていれば、汽車きしゃ運搬うんぱんされるのです。こうした、変事へんじがあったときは、みんながたすったり、ほねをおらなければならないのであります。
 おとこは、また、手綱たづないて、ゆこうとしました。すると、うまは、もうだいぶつかれているものとみえて、じっとして、あるこうといたしませんでした。もっとこうして、やすんでいたいとおもったのでありましょう。
 しかし、いつまでも、おとこはそうしていることができないのをっています。やすめば、やすむほど、つかれはてきて、だんだんあるけなくなるものだからです。
「ど、ど、さあ、あるくだ。」とおとこは、うまこころからいたわるように、やさしくいいました。
 このとき、おとこは、けっして、うまをしからなかったのでした。ひとり人間にんげんだけではなく、うまでも、うしでも、感情かんじょうかいするものは、しかるよりは、やさしくしたほうが、いうことをきくものです。
 うまは、また、おも荷車にぐるまいてあるいてゆきました。
「こんなときは、うまもなかなかほねおりだ。」と、そのとき、太郎たろうのおとうさんといっしょに夜警やけいをしていたひとたちはかんじたのであります。
 翌日よくじつのことでした。太郎たろう二郎じろうとが、またちょっとしたことから、けんかをはじめましたときに、おとうさんは、昨夜ゆうべた、あわれな子供こどもらやとおいところからあるいてきたうまはなし二人ふたりにしてきかされました。
「かわいそうなひとたちのことをおもったら、けんかどころではないだろう。」と、いわれましたときに、二人ふたりは、ほんとうに感心かんしんをいたしました。
 太郎たろう二郎じろうは、自分じぶんのいままでんでしまってかさねておいた雑誌ざっしや、書物しょもつや、またおもちゃなどを不幸ふこう子供こどもたちにあげたいとおとうさんにもうしました。
「それは、いいかんがえだ。」とおとうさんはうなずかれました。そして、二人ふたりは、またおとうさんにかって、
しろいおうまは、もうおうちかえったでしょうか。」と兄弟きょうだいは、一にちあいだいくたびもおもしては、いていたのでありました。





底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社
   1977(昭和52)年2月10日第1刷発行
   1977(昭和52)年C第2刷発行
底本の親本:「ある夜の星だち」イデア書院
   1924(大正13)年11月
初出:「童話」
   1923(大正12)年11月
※表題は底本では、「子供こどもうまはなし」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:へくしん
2020年5月27日作成
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