幸福の鳥

小川未明




 さむい、きたほうちいさなまちに、ひとものおとこんでいました。べつに不自由ふじゆうはしていなかったが、口癖くちぐせのようにつまらないといっていました。
「もっと、おもしろく、らされないものかな。」と、ったひとにあうごとに、たびたびもらしていました。
 また、おなまちに、かわったおじいさんが、んでいたのです。このおじいさんは、むかしふるほんていました。なんでも、当世とうせいのことよりか、むかしのことがきで、ふるほんいてあることをしんずるというふうでした。そして、いつも、ふちふとおおきな眼鏡めがねをかけていました。
人間にんげんつくった、機械きかいにはくるいがあるが、おさまのおあるきなさるみちにちがいはない。」といって、おじいさんだけは、日時計ひどけいいて、時刻じこくたので、万事ばんじ、おじいさんのすることはそういうふうだったのです。
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 あるのこと、おとこが、このおじいさんにかって、いつものように、さもつまらなそうなかおつきをして、
「こう毎日まいにちそらくもって、陰気いんきではしかたがありません。おじいさん、なにか、愉快ゆかい幸福こうふくうえとなることは、できないものでしょうか。」と、たずねたのであります。
 おじいさんは、みじかい、綿わたのたくさんはいった、半纒はんてんていました。そして、おおきな眼鏡めがねうちからをみはって、若者わかものかおていましたが、
「おまえさんは、他国たこくかけるがあるか。」ときました。
「おじいさん、幸福こうふくらせるものなら、わたしひとものです。どこのくにへでもまいります。」と、おとここたえた。
 すると、おじいさんは、かんがえていましたが、
「もう、みぞれが、三ばかりったな。」
「ちょうど、三りました。こんどは、ゆきるでありましょう。」
「じゃ、あのおんなとお時分じぶんだ……。」と、おじいさんがいいました。
「どんなおんながですか?」
 おじいさんは、ふる書物しょもつから、はなして、
「このいえまえ往来おうらいを、さんごのくつをはいて、あおたまのついているかんざしをさした、わかおんなあるいてゆくから、つけて、そのおんなをいたわってやんなさい。そのおんなは、ふねって、みなみまちかえるだろう。こいというたらついてゆくのだ。
 ふねは、しろをあげて、あおうみをゆくであろうから、幾日いくにちも、幾日いくにちもかかるにちがいない。けれど、そのうちにあたたかなかぜいてきて、みなみへ、みなみへとふねはしってゆく。そして、とうとう、とおいそのまちく。ちいさいけれどきれいなまちだ。おんなは、きたくにで、心細こころぼそたびをしているときにけたごおんかえすために、いろいろていねいにしてくれる。おまえは、そのまちむことになる。やまには、黄色きいろに、果物くだものみのっているし、ながれのふちにも、野原のはらにも、あかはないている。おまえはこんないいところはないとおもう。まれてから、はじめて、のびのびとした気持きもちで、きなふえく。ことに、つききよらかなばんに、とお故郷こきょうのことなどをおもいながら、ふえく。んだ音色ねいろが、つきひかりって、ゆめのように、しろれんがづくりのおおい、まち建物たてものうえながれてゆく。まちむ、おとこも、おんなも、みんなおまえをきになる。そして、おまえは、もうまれた北国ほっこくかえろうなどとはおもわないだろう……。」と、おじいさんが、いいました。
 若者わかものは、うでんで、おじいさんのはなしをだまっていていたが、ことごとく感心かんしんしてしまった。
「ほんとうに、おじいさん、さんごのくつをはいて、あおたまのかんざしをさしたおんなが、このいえまえとおるのですか?」
「もう、とおるころだが、それは、いつかわからない。おまえが、もしつけなかったら、幸福こうふくは、とりのように、金色きんいろはねそらかがやかして、かなたへんでいってしまうばかりだ。」と、おじいさんは、こたえたのです。
 ひとものおとこは、よるも、ねむらずに、そのおんならえようと決心けっしんしました。
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 雪雲ゆきぐもれて、いつりになるかわからないそらしたのぬかるみを、わらじの足音あしおとが、ピチャ、ピチャとまどぎわにちかこえるのでした。そのたびに、おとこは、障子しょうじひらいてそとをながめた。おとこ旅人たびびとが、したいていそぎがちにゆくのでした。
「ああ、おとこ旅人たびびとか……。」と、かれはいいました。かぜさむいから、また障子しょうじめて、行火あんかにあたっています。
「ピチャ、ピチャ、……ピチャ……。」
 こんどは、足音おとがすぐまどしたでしました。かれは、そのおとがやさしいから……とおもって、障子しょうじけてみると、おもいもらぬおばあさんが、つえをついてゆくのでした。
 こうして、れてからも、しばらくのあいだは、足音あしおとがしました。そのたびに、かれはのがしてはならないと、障子しょうじけてくらそとをのぞいたのです。いつしか、まったく足音あしおとも、とだえてしまうと、うみおとが、うすをひいているように、ゴウロ、ゴウロとさびしいゆき野原のはらをころがって、こえてきたのです。
「ああ、今日きょうは、おんなとおらなかった。」と、かれは、あきらめて、ねむりにつきました。その翌日よくじつも、ついにおんなとおりませんでした。そして三日みっかめのこと、
今日きょうは、きっとおんなとおるだろう……。」と、なにとはなしに、おもわれた。
 ずっと、昼過ひるすぎのころ、あおたまのついたかんざしをさして、さんごのくつをはいたとおもわれる、あしをしたおんなが、荷物にもつをしょって、いえまえとおったのであります。おんなはたいへんにつかれているようにえました。
「ああ、このおんなにちがいない。」と、かれはとっさにかんがえたから、さっそく戸口とぐちて、
「まあ、あかあしだこと。さんごのくつをはいているのですか?……」といって、おんなあしつめました。
 おんなは、あまり不意ふいなので、おどろいたふうをしてまった。
「わたしは、ながあいだゆきなかあるいてきました。それで、ゆびもかかともゆきみがかれて、こんなにあかくなったのです。わたしは、まだこれからとおいところへゆくものですが、途中とちゅう気分きぶんわるくなり、身体からだつかれています。どこの納屋なやのすみにでも、一晩ひとばんめてくださることはできませんか。」と、おんなは、たのみました。
「おじいさんのいったのは、このおんなのことかもしれない。」と、かれは、おもって、めてやりました。
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 その夜中よなかから、明日あすあさにかけて、ひどい吹雪ふぶきとなりました。けれど、おんなけると、ゆきて、このいえから、いとまげたのです。
「これは、つまらないものですがおれいのしるしでございます……。」といって、おんなは、なにか袋物ふくろものにはいっているものをのこしてゆきました。
 あとで、おとこは、ふくろけてみると、なかには、くろまめが、いっぱいまっていました。
「なにか、これには、意味いみがあるかもしれん。」と、おとこは、さっそくおじいさんのところへやってきました。そして、昨日さくじつはなしをして、おじいさんのいわれたおんなは、このおんなでなかったかとたずねました。おじいさんはかんがえていたが、
「たぶん、ゆきえる時分じぶんに、そのおんなは、おまえをむかえにくるかもしれない。もし、おまえさんが、ただ一で、そのふくろなかまめかずをまちがえずにかぞえることができたら、希望きぼうがかなうとおもっていい。そして、まちがったら、なにもかも、ゆめえてしまったものとおもいなさい。」といいました。
「おじいさん、それくらいのことをまちがうはずはありません。」と、かれはこたえて、いえへもどりました。
 だれが、そのあいだにやってきてもあわないつもりで、ぐちかためた。そして、まめふくろからして、熱心ねっしんかぞえはじめました。
 まどつあられのおとも、とりこえも、かれのこころうばうことができなかった。くらくなると、ろうそくをともして、めしべずにかぞえていました。きゅうに、どこのすきからか、かぜんだものか、ろうそくのがちらちらとなびいた。かれは、はっとして、いま、えてはたいへんだと両手りょうてをあげて、ろうそくの火影ほかげをかばいました。その瞬間しゅんかんに、せっかくかぞえたかずわすれてしまったのです。
 このとき、金色きんいろつばさかがやかして、幸福こうふくとりが、うみのかなたへんでゆくのを、かれは、まぼろしにました。
――一九二七・一一――





底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
   1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「未明童話集3」丸善
   1928(昭和3)年7月6日
※表題は底本では、「幸福こうふくとり」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2020年10月28日作成
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