温泉へ出かけたすずめ
小川未明
雪が降って、田や、畑をうずめてしまうと、すずめたちは、人家の軒端近くやってきました。もう、外に落ちている餌がなかったからです。朝早くから、日暮れ方まで、窓の下や、ごみ捨て場などをあさって、やかましく鳴きたてていました。
そのうちに、どこからか、彼らに向かって、空気銃をうったものがあります。一羽のすずめは、羽の付け根のあたりを傷つけられました。そして、もうすこしでその場にたおれようとしたのを、がまんして、やっとあちらの森まで、息をせいて飛んでいきました。
ほかのすずめたちも、この思いがけないできごとに出あって、どんなにおどろいたかしれません。
「ああ、怖ろしかった。」といって、あるものは、畑の中のかきの木の枯れ枝に止まり、あるものは、屋根の上に飛んでいって、目をみはっていました。
「どこから、あんな弾丸が飛んできたのだろう……。」と、彼らは、注意深く、あたりをながめていました。
しかし、意地ぎたない、これらのすずめたちは、また時がたつと、餌のありそうなところへおりていきました。こんどは、前のように、口やかましく、しゃべるかわりに、目を四方へくばって、注意を怠らなかったのであります。
ひとり、傷のついたすずめは、彼らの仲間入りをすることができなかった。そんな勇気がなかったばかりでなく、傷口が痛んで、血がにじんでいたのです。
すぎの木の枝に止まって、体をふくらませて、哀れなすずめは寒い風に吹かれていました。すずめは、いつ、その体が、高い木の枝から下へ落ちないとはかぎらないと思ったほどふらふらしていました。
もはや、彼は、空腹を感ずるどころでありません。ただ、うとうととして、苦痛をこらえて、目を開けたり閉じたりして、木の枝にしがみついているばかりでした。そのうちに、日は、まったく、暮れかかったのです。
そこへ、曇った空に、羽音をさせて、一羽のからすが飛んできたかと思うと、ちょうど、すずめの止まっている上の枝にきて下りました。すずめは、夢うつつの間に、自分は、とびにさらわれたのでないか? それでなければ、あのすばしこい小たかにとらえられたのでないか? と気をもみましたが、いまは、どうすることもできなかった。傷ついた身を運命にまかせるよりしかたがなかったのでした。
「すずめさん、どうなさいました? たいへんに元気がないようだが、気分でも悪いのですか……。」と、からすが話しかけた。
すずめは、いま、自分の身は、猛鳥に捕らえられると思っていたのに、思いがけない、やさしい声で、からすにこうたずねられると救われたような気がしました。
「うたれたのです……。弾丸にあたったのです……。」と、すずめは、ふくれながら、目を、白黒さして、哀れな声で答えた。
「え、鉄砲でうたれたんですか。ど、どこをやられました?」と、からすは、上の枝から、すずめのそばへ降りてきて、傷のついた、羽の付け根が血に染まっているのをながめたのです。
「まあ、かわいそうに、どこでですか?」と、からすは聞さました。
すずめは、畑のあちらの村を見ました。からすは、それと悟って、すぐにうなずいた。
「あ、あの悪太郎めが、空気銃でうったのですね。あまり、あなたがたが、家の近くへいくから、悪いのですよ。いつか、私にも、鉄砲を向けたことがあります。けれど、私はそんなうたれるようなのろまじゃない。私は、ばか! ばか! といって、あいつの頭の上で笑ってやりました。」と、からすは、自慢をまぜて話しました。
すずめは、そんな話に身をいれて聞くどころでありません。いつ自分の体は、目がまわって下へ落ちるかとそればかりおそれていました。
さすがに、からすは、すずめの苦しそうなようすが目にとまると、
「すずめさん、いいことを教えてあげます。この寒さでは、傷はなかなかなおりません。あの山を越えて、西南にどこまでも、下を見て、飛んでいきますと、白い湯気の立ち上がっている温泉があります。そこへいって、入れば、じきに、それくらいの傷はなおってしまいます。」
「人間のはいる温泉ですか? 私などが、そこへ入れましょうか。」と、すずめは、からすを見上げました。
「温泉は、なにも人間だけがはいるものと、きまってはいません。それに、このごろでは、人間はだれもいなかろうと思います。まあ、とにかくいってごらんなさい。」と、からすはいいました。
すずめは、その夜は、そこで、まんじりとも眠れませんでした。夜が、白々と明けると、からすに聞いた温泉へいこうと思って、苦しい旅をつづけたのです。
雪を頂いた、白い山を越して、すずめは、温泉にあこがれて飛んでいきました。からすのいったことは、うそではなかった。あちらの林に休み、こちらの森におりて、その方へ飛んでいくうちに、日の暮れかかる前に、谷間から白い湯気の立ち上る、温泉を見つけたのでした。
すずめは、そこへおりると、そこだけは暖かなので雪もなかった。そして、人間が、ついこのごろまで入浴をしていたものとみえて、湯船のまわりには、いろいろの食べ物などが落ちていました。
「これは、ほんとうにいいところだ。」と、すずめは思いました。食べ物の心配もなく、湯にはいって、療治をするうちに、羽の傷もだんだんになおって、まったく健康な体となったのであります。
「もう、これなら、だれにも負けず、どんなところへでも飛んでいける。」と、すずめは、高い山を見上げて、ひとり言をしました。
いくら、いい温泉場でも、ひとりいるのではさびしくて、堪えられなかった。体がなおると里の古巣を思い出したのも無理はありません。そこには、彼らの友だちが、たくさんすんでいるはずです。
ある日、すずめは、この温泉に、別れを告げました。そして、山を越えて、広々とした野原へ出ました。彼は、電線の上に止まって、しばらく休んだのです。どこを見ても、真っ白で、田や、畑は、雪におおわれている。わけてこれから、自分の帰ろうとする北の方の空は、暗く、曇って、寒い風が吹いています。それを見ると、すずめの心はふさがるのでありました。
「いやになってしまうな。」と、すずめはため息をついた。
すると、電線が、風の中で、笑いました。
「なにをそんなに、考えこんでいるのですか?」といった。
「いえ、あちらの方をごらんなさい。私は、しばらくほかへいっていたのですが、また、あの暗いところへ帰らなければならぬかと思うと、いやになってしまうのです。」と、すずめは答えた。
電線は、寒そうに、身をふるわしながら、
「なにも、いやだと思うところへ帰らなくったっていいじゃありませんか。いくらも、暮らしいいところはありますよ。南の方へいってごらんなさい。そして、山一つ越せば、雪がないということを、ここを通る汽車が、話しましたよ。」と、電線はいいました。
「それは、ほんとうですか?」
「なんで、あの正直で、働きものの汽車が、うそをいうものですか……。」
すずめは、南の方をぼんやりながめた。その方は、なるほど空が明るくて、ほんとうに、おもしろいことが、たくさんあるような気がしました。
「いいことを教えてくださって、ありがとうございます。」と、すずめは、お礼をいって、自分の古巣へは帰らずに、南の方の空をさして、飛んでいきました。
「あのからすといい、また、電線といい、なんというしんせつで、ものしりなんだろう……。私は、しあわせものだ。」と、すずめは飛びながら思ったのです。
はたして、山を越すと、もう雪はなかった。そこには、すでに、春がきているように、はたけには、青々として、去年の菜が、新しい芽を出していました。
彼は、木立の枝に止まって、友をほしそうに鳴いていたのです。
すると、このあたりにすんでいるすずめが飛んできて、同じ木にとまって、この見なれない旅のすずめをしみじみとながめていましたが、
「あなたは、どこからおいでになって、どこへおいきなさるのですか?」とたずねた。
「私は、どこへというあてはないのです。どこか暮らしいいところがあれば、いってみたいと思うのです。」と、北の国のすずめは答えた。
「そうでございますか。自分で、そういうのもおかしいが、この土地は、いいところですよ。それに、この汽車の通る沿線にいれば、人間が窓から投げるいろいろのものがあったりして、食べるのに困ることはありません。あなたさえ、その気になられたら私たちの集会場へきて、会長にお話しなされば、明日からでもみんなと、友だちになることができます。私が、いっしょにいって、ご紹介いたしてもいいのです。」と、この土地のすずめは、しんせつにいいました。
北の国のすずめは、旅へきて、心細く感じていた際に、こうしんせつにいわれると、ほんとうにうれしかったのでした。
「どうか、私をあなたたちの集会場へつれていってください。」と、頼みました。
二羽のすずめは、うちつれて、みんなのいるところへやってきました。そして、土地のすずめは、この旅からきたすずめを紹介したのであります。
「旅のすずめさん、なにか、あなたは、おもしろい話があったら、お土産に、みんなのために話してくださいませんか。」と、会長はいいました。
北の国のすずめは、顔を赤くしました。なにを自分は、いったらいいだろうか? 考えたけれど、これこそ、おもしろいという話が浮かんでこなかった。しばらく思いまどったすえに、自分が、鉄砲でうたれて、からすから温泉場を教えられていった、身の上話をするにこしたことがないと気づくと、彼は、ここにくるまでの話をしたのでした。
すると、多くのすずめたちは、それを感心したように黙って聞いていました。そして、話が終わると、
「まあ、危なかったですね。」と、いうものもあれば、
「ここは、だいじょうぶですよ。空気銃などを持って歩く子供はいませんから……。」と、あるすずめはいいました。
「それは、いいことを聞いたものだ。いつ、どういうさいなんにあって、傷を受けないものでもない。だれかここにいるもので、けがをしたときは、どうか、その温泉へつれていってください。」と、会長は、北の国のすずめにいいました。
こうして、彼は、みんなの仲間入りをして、楽しく生活をつづけたのです。しかしまったく不安というものなしに、すべての生き物は、生きることはできなかったのでした。
ある日、多くのすずめたちの中の一羽が、やはり、どこかで空気銃にうたれて、傷を受けて帰ってきました。すると、みんなは、温泉へいくことをすすめた。
「あの山のあちらの温泉へ、どうかつれていってください。」と、会長が、みんなに代わって、北国からきたすずめに頼みました。
「お安いご用です。」と、彼はさっそく、承知して、傷ついた友だちをいたわりながら、あちらの温泉へと出かけたのです。
一度、いったところであるから、道を迷う心配もなかった。二羽のすずめは、山を越えて、湯気の立ち上る温泉へついたのでした。しかし、そこは、もはや雪が深くて、湯船は、半分ほども、雪に埋まっていました。それですから、あたりには彼らが食べるような餌が、いくら探しても、落ちているわけはなかったのでした。
「さあ、困ってしまった。どうしたらいいだろう……。」と、北国のすずめは、ため息をもらしました。
「私は、どうしましょう。体は痛むし、そのうえ、腹が空いて苦しくてしかたがない。」と、けがしたすずめは、泣き声を出して訴えていたのです。
このまま帰ったら、自分が、うそをついたといって、みんなはなんというかしれない。困ったことになったと、案内したすずめは思いました。
「私が、なにか食べるものを探してきます。」といって、彼は、ひとり飛んで、餌のありそうな里をさして、出かけたのでした。そして、疲れて、山の頂に休んでいると、空遠く、がんの一群れが、羽音を刻んで、海の方をさしていくのが見られたのでした。このとき、すずめは、自分の故郷を思い出したばかりでありません。しみじみと、自分たちのみじめな生活にくらべて、つねに、だれにすがるということなく、自らの力で、海や、湖や、河を漁り、南から北へ、北から南へと渡って、雄々しく生活する、これらの鳥をうらやましく尊く感ぜずにはいられなかったのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「赤い鳥」
1928(昭和3)年3月
初出:「赤い鳥」
1928(昭和3)年3月
※表題は底本では、「温泉へ出かけたすずめ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:へくしん
2021年7月27日作成
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