おばあさんと黒ねこ

小川未明




 いまでは、いいくすりがたくさんにありますけれど、まだ世間せけんひらけなかった、むかしは、家伝薬かでんぐすりなどをもちいて病気びょうきをなおしたものであります。
 このはなしも、その時分じぶんのことで、ゆききたくににあったことでした。
 おじいさんは、はたらいて、たくさんのおかねをおばあさんにのこして、さきへこのなかからってしまった。あとのこされたおばあさんは、ひとりさびしくらしてゆかなければなりませんでした。
 おじいさんとおばあさんのあいだには、ただ一人ひとり子供こどももなかったのです。おばあさんは、おじいさんののこしていってくれた、たくさんのおかねがありましたから、なに不自由ふじゆうなくらしていくことができました。
 しかし、おばあさんもまたしあわせなひとではありませんでした。ふとわずらって、それがだんだんわるくなって、ついに両方りょうほうともえなくなってしまったのです。
 おばあさんのうちに、一ぴきくろねこがわれていました。このねこは、おばあさんが病気びょうきにならない時分じぶんに、あるのこと、いぬわれてうらたかいすぎのげてきてがったのでした。
「あのねこをころしてしまえ。」と、むら子供こどもたちは、いぬにけしをかけてしたにやってきました。そしてねこをがけていしげつけたり、ぼうってきてとそうとしたりしたのでありました。
 くろねこは、いっしょうけんめいに、すぎのえだにしがみついていました。小石こいしは、四ほうからんできて、からだのまわりをうなってんでゆきました。それが一つたろうものなら、いくらねこは、しっかりしがみついていても、がくらんでちずにいられませんでした。ねこはそれをおもうと、ぶるぶるふるえていたのです。
「もっとながいさおをってこいやい。」と、子供こどもたちはさけんでいました。
 このとき、おばあさんは、いえうち仕事しごとをしていましたが、あまりいぬえますので、何事なにごとこったのであろうとうらてみました。
 するとむら子供こどもらがおおぜいあつまってきて、すぎのげてがった、ねこをとして、いぬころさせようとしていたのであります。おばあさんは、わるいことをする子供こどもらだとおもいました。
「ああ、みんないいだから、そんなことをするものでない。」と、おばあさんはいいました。
 子供こどもらは、おばあさんのいうことなどをみみにいれません。
「あのねこは、にわとりのひなをったわるいねこだもの、ころしたってかまいはしない。」
「あのねこは、宿やどなしなんだから、だれもしかりゃしないんだ。」
 子供こどもたちは、かってな理屈りくつをつけて、さおにさおをして、どうかしてたかえだまでとどくようにしたいと苦心くしんしていました。
 いぬは、うえあおいで、おおぜいの子供こどもたちの加勢かせいがあるので、ますますたけえていたのです。
 おばあさんはこのさまると、うえにしがみついているねこがかわいそうでなりませんでした。
「そのねこは、うちがないならわたしにおくれ、ってやりましょう。そのかわり、そこにいるみんなにおあしをあげるから……。」と、おばあさんはいいました。
 子供こどもたちは、おあしをくれるといわれたので、たちまちおとなしくなってしまいました。おばあさんはみんなにおあしけてやりました。子供こどもたちは、いぬをつれてどこへとなくってしまったのです。ねこは、ようやくにしてあやういいのちをおばあさんにたすけられました。おばあさんは、ねこのきそうなさかなをさらにいれて裏口うらぐちいてやりました。日暮ひぐがたになると、ねこは、まったくだれもあたりにいないのをすましてからりてきました。こうして、このくろねこは、そのからおばあさんのうちやしなわれたのでした。
 ある、おばあさんは、ねこにかって、
わたしは、このようにえなくなってしまった。おまえは、これから、わたしちからになってくれなければいけぬ。」といわれました。
 このむらひとたちは、おばあさんが金持かねもちだということをっていました。そこで、むらちいさくて、いたって戸数こすうすくなかったけれど、おばあさんのうちのぞいては、いずれも貧乏びんぼうでありました。
 なかには、こまると、おばあさんのところへおかねりにやってきました。おばあさんは、いいひとでありましたから、いやだとはいえませんでした。それに、自分じぶん一人ひとりでいるし、またむらひとたちの世話せわにならないともかぎらないからとおもって、おかねしてやりました。
「おばあさんからりたのだから、はやっていってかえさなければならない。」といって、正直しょうじきひとは、かねができるとかえしにゆきました。しかし、よくない人間にんげんもあって、
「どうせおばあさんは盲人めくらだ。それにかねっているのだから、すぐにかえすことはない。」
といって、約束やくそくがきてもかえさないものもありました。
 くろいねこは、よく人間にんげん見分みわけたのでした。
「おばあさん、こまっていますから、おかねしてください。」と、むらひとがいってきても、ほんとうにこまっていて、また約束やくそくちがえずにかえひとなら、ねこは、おばあさんのひざのうえって、のどをゴロゴロらしていましたけれど、きたひとがおばあさんをだまして、かねかんがえであると、ねこは、そのひとはらなか見破みやぶりました。
「おばあさん、このひとに、かねしてやるのは、およしなさい。」といわぬばかりにみえました。
 おばあさんは、ねこがそういっていたときは、かねしてやるのを見合みあわせました。いつしかおばあさんのうちくろねこは、人間にんげんよりりこうだという評判ひょうばんがたちました。なかにも正直者しょうじきもの人々ひとびとは、くろねこをほめましたけれど、はらのよくない、おばあさんをだまそうとおもっているようなものは、くろねこをわるくいって、あんなのをかしておいては、すえになって、おそろしいなどといいふらしたのであります。
 また、あるときは、くろねこのことを、
「あのねこはけますよ。ひとりで障子しょうじけたり、めたりします。また、おばあさんが、えないとおもって、ぬぐいをかぶって、おどったりするのです。」といって、どうかして、くろねこを退治たいじしてしまおうとしました。しかし、なかには、くろねこをかばうものもあり、またくろねこがりこうで、容易よういに、そのひとたちのにかからなかったのです。
 おばあさんには、べつに身内みうちのものというほどのものもなかった。病気びょうきになるとむらひとたちが、しんせつに世話せわをしてやりました。おばあさんはいいとしでもありましたから、病気びょうきにかかるとほどなくこのからってしまいました。
 むらひとたちは、おばあさんに世話せわになったものがおおかったから、そのひとたちの葬式そうしきはすまされたのです。
「さあ、葬式そうしきもすんだが、おばあさんは、おかねをどうしたろう?」と、いったものがありました。
「なるほど、おばあさんは金持かねもちだった。きっとどこかへかくしてあるにちがいない。」と、あるものはいいました。
 あつまったひとたちは、いえうちをくまなくさがしはじめたのです。けれど、ほんのわずかばかりのかね財布さいふなかにあったほかには、まとまったかねというものが見当みあたらなかった。
「おかねのないはずがない。きっと天井張てんじょうばりのうえだろう……。それでなければ、たたみしたにちがいない。」と、あるものはいいました。
 天井張てんじょうばりのうえも、たたみしたさがしましたけれど、やはりかねいだされなかったのでした。
「おばあさんは、もうかねをもっていなかったのじゃないか。そしてかねがなくなると、ちょうど自分じぶんいのちもなくなってしまったのだろう……。」と、いったものもありました。
 みんなが、こうして大騒おおさわぎをしているのを、くろねこはあさましそうにだまってていました。
「おお、このくろねこがっているはずだ。さあ、どこにおかねがしまってあるか、いえ! いわなけりゃ、だれも、めしをやらないぜ。」と、人々ひとびとは、くろねこにかっていいました。
 くろねこは、とうとうそのから、主人しゅじんうしないました。そして、ひとりさびしいくらにすんでいましたが、だれも、めしをくれるものもなかったから、よるになるとそとて、あたりのごみためをあさっていたのです。
 そのうちに、さむい、おそろしいふゆがやってきました。ごみためのうえまでゆきふかもってしまいました。あわれなくろねこは、ひもじいはらたすことができないので、かなしい、うらめしいこえをあげて深夜しんやゆきうえをうろついたのでした。
 いえなかでは、人々ひとびとをさまして、かなしそうにくねこのこえみみかたむけていました。
「かわいそうに、おばあさんがなくなられてから、だれも、ものをやるものがないから、ああしてきながら、さがしてあるいているのだ……。」と、いっていました。
 それは、吹雪ふぶきのした、さむい、さむばんのことでした。くろねこははたけなかこごえてんでいました。むらひとは、それをつけたけれど、気味悪きみわるがって、その死骸しがいをつけるものはなかったのです。
「もう一、はげしい吹雪ふぶきがすれば、くろねこはかくれてしまうだろう……。」
 そうおもって、人々ひとびとは、ゆきうえにあるくろねこのしかばねていました。しかし、一、そのくろ動物どうぶつからだは、吹雪ふぶきのためにかくれたけれど、天気てんきになると、またくろく、ゆきうえあらわれたのでした。
 そのとき、どこからか、たくさんのからすがあつまってきて、はたけなかにおり、くろねこの死骸しがいをつつきました。むら人々ひとびとは、雪球ゆきだまげたりしてからすをったけれど、二、三にちは、そのあたりを、ガアガアといてりませんでした。ゆきもって、やまにも、さとにも、ものがなくなったからでありましょう。かれらは、くろねこのしかばねいつくすとまた、どこへともなく、んでいってしまいました。
 村人むらびとがそのことをわすれてしまった、ゆきえたころです。ふたたびどこからともなくからすがあつまってきて、おばあさんのいえ裏手うらての、いつかくろねこがいぬわれて、げてきてがった、たかいすぎのえだつくりはじめたのでした。
 やまほうから、またおかえて、うみほうからえだや、海草かいそうや、のようなものをくわえてきて、からすはつくりました。
「おばあさんのいえうらへ、からすがつくりましたね。」
「あのいえは、くろねことか、からすとか、いろいろなものがくる、みょうないえですこと。」
 むらひとたちは、こんなはなしもしたのでした。
 あるのこと、みんなが、わいわいいってそらをながめていました。
 晩方ばんがたそらにからすがてんでに、ぴかぴかひかるものをくわえて、すぎのいただきびまわっていたのであります。
「あれは、なんでしょうか?」
 むらひとたちは、したにやってきました。そして、なかには、わざわざうえのぼってゆくものもありました。からすは、なかへ、ひかるものをくわえてはいるのもあれば、また、これをくわえてやまほうへ、おかしてうみほうへ、おもおもいにってしまうものもありました。
 うえのぼっていったものは、ようやくのことで、からすにあたまをつつかれたり、をねらわれたりするのをふせいで、なかからひかるものを一まいしてみたのでした。
きん小判こばんだ!」と、うえからさけびました。
 したっているひとたちは、まさかきん小判こばんをからすがくわえてくるはずがないといってしんじませんでした。そのうちに、からりてきたものが、それをみんなにせると、ほんとうに、きん小判こばんでありました。
 むらひとたちは、大急おおいそぎをして、からすのっているきん小判こばんうばおうとしました。しかし、からすは、それをくわえて、いずこへとなく、みんなってしまって、村人むらびとにはいった小判こばんは、やっと二まいしかありませんでした。
「おばあさんは、かねっていなされたはずだが、なくなられてもかねがどこにもつからなかったのはおかしいとおもっていた。からすが、どこからかつけして、くわえていったのだろう……。」
「まだ、どこかに、かくしてあるかもしれない。」
 かれらは、宝探たからさがしでもするように、おばあさんのいえ周囲まわりりはじめたのです。けれど、なにもいだすことができなかった。
 このはなしが、まったく、不思議ふしぎはなしとしてつたわりました。その翌年よくねんのこと、むらわる病気びょうき流行りゅうこうしました。ちょうど、そのとき、たび薬売くすりうりがむらへはいってきたので、むらひとは、その薬売くすりうりからくすりいました。
 そのくすりは、たいへんに病気びょうきによくきいたのであります。薬売くすりうりは、あちらへばれ、こちらへばれしました。
「なにか、このむらにたたっているのではありませんか?」と、薬売くすりうりはいった。
 むらひとは、べつに、たたるものもないが、おばあさんがんだけれど、だれも、はかててやるものがないということをげました。
 薬売くすりうりは、あたまりながら、
「それは、よくありません。むらひとのお世話せわになった、おばあさんのはかててあげないというほうはありません。」といいました。
薬屋くすりやさん、あなたのいわれるのは、もっともなことです。けれど、このむらは、いつだって貧乏びんぼうです。そんなにおかねがないのです。」と、むらひとこたえました。
 薬屋くすりやは、かんがえていましたが、
わたしっているくすりは、どれも家伝かでん名薬めいやくです。このくすりつくかたを、このむらひとたちにおしえてあげましょう。そのかわりに、からすのくわえていたという二まいきん小判こばんわたしにください。わたしはそれを土産みやげにして故郷こきょうかえり、この不思議ふしぎはなしをいたします……。」といいました。
 むらひとたちは、あつまって相談そうだんをしました。そして、二まい小判こばん薬売くすりうりにやりました。薬売くすりうりは疫病えきびょうにきくくすり製造法せいぞうほうと、下熱剤げねつざいつくかたむらひと伝授でんじゅしました。
 この旅人たびびとは、小判こばんたずさえて、いずこへかってしまいました。そのあとむらひとは、薬売くすりうりからおしえられたくすり製造せいぞうしました。このくすりもたいへんによく病気びょうきにきいたのであります。
「こうなったのも、おばあさんのしてくだされたことだ。」と、むらひとはおばあさんに感謝かんしゃしました。そして、くろねことからすのくすりふくろくことにしました。
 疫病えきびょうにきく、毒下どくくだしの薬袋くすりぶくろにはくろねこのき、下熱剤げねつざい薬袋くすりぶくろにはからすのきました。むらひとは、つくったくすりをおぶって、それから、やまえて他国たこくりにてゆきました。国々くにぐにはるなつあきふゆめぐって、くすりきると、また自分じぶんむらかえってきたのです。
 北国ほっこくのさびしいむらは、こうしていつしか名高なだかくすり産地さんちれ、んだまちとなりました。





底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日第1刷
※表題は底本では、「おばあさんとくろねこ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2014年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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