ごみだらけの豆

小川未明




 地震じしんのありました、すぐあとのことであります。まちには、こめや、まめや、むぎなどがなくなりました。それで、人々ひとびとは、あらそって、すこしでものこっているのをおうとしました。
 ある乾物屋かんぶつやでは、こんなときにこそ、小舎こやをそうじして、平常ふだんちているまめや、小豆あずきなどをひろあつめて、ってしまわなければならぬとおもったのです。主人しゅじん女房にょうぼうは、小舎こやなかをはいて、きれいに、ちているまめや、小豆あずきひとところにあつめました。それは、かなりたくさんなりょうがあったのです。おおきなうつわなかれて、みせしておきました。
 美代子みよこは、そとから、うちかえると、
「おかあさん、いま、まちの一けん乾物屋かんぶつやにたくさんしろまめがありましたから、はやく、なくならないうちにっておきましょう。」といいました。
 おかあさんも、おとうさんも、びっくりしたようなかおつきをして、
「ほんとうにまめがあったの。それは、なくならないうちにっておいたほうがいい。はやく、おまえいって、二しょうばかりっておいでなさい。」と、おかあさんはいわれました。
 美代子みよこは、ふろしきをって、いそいそとうちからていったのです。そのあとで、おとうさんと、おかあさんとは、はなしをなさいました。
「よくまめがありましたこと。」
「なにをてきたのか、いまごろそんなものがあろうはずがないさ。」
「だって、あのが、てきたのですもの、どこかからきたのでしょう。」
「どこかからきたのなら、そのうちけんばかりではないだろう。まあ、ほんとうにってくるか、もうすこしたてばわかる。」
 こんなふうに、おかあさんと、おとうさんとははなしていられました。
 そのうちに、美代子みよこは、おもそうに、ふろしきづつみをげてもどってきました。
「あったかい。」と、おかあさんはいわれました。
「なるほど、ってきた。えらいものだ。」と、おとうさんは、まず、その手柄てがらをほめられました。
 しかし、美代子みよこがふろしきをいて、おとうさんや、おかあさんのまえに、それをせたとき、おかあさんは、ゆびさきで、まめけながら、
「まあ、たいへんにいろいろなくずがまじっているのだね。」と、まるくなさいました。
 そして、れば、るほど、つちがはいっていたり、わらがはいっていたりするので、おかあさんは、あきれたかおつきをして、
「いくら、なんでも、このまめは、べられそうもないね。」といわれました。
 おとうさんも、だまって、ていられましたが、せっかくってきた、美代子みよこがかわいそうになって、そばから、
「なにもべるものがなくなれば、そんなぜいたくなことがいっていられるものでない。けっこうだ。あちらに、しまっておけばいい。」と、おとうさんはいわれたのです。
 美代子みよこは、うっかりして、とんだやくにたたないものをってきたと後悔こうかいしました。そして、こんなものをだまってった、乾物屋かんぶつやしんせつをおもわずにいられませんでした。
「ほんとうに、あのひとたちは、このさいだからといって、だまって、こんなものをったのね。きっとほかの人々ひとびとって、うちかえってからよくて、おどろいていることでしょう……。」と、美代子みよこおもいました。
 しかし、べるものがなければ、こんなものだって、どんなにありがたいかしれないと、おとうさんのいわれたことも、ほんとうだとおもいました。
 それで、美代子みよこは、大事だいじにして、そのまめはこなかにいれてしまっておきました。しかしこの必要ひつようは、まったくなかったのです。食物しょくもつこまるときは、美代子みよこうちけんばかりのことでなく、まち全体ぜんたい人々ひとびとこまることですから、いつまでも食物しょくもつがこなくて、すまされるわけはありませんでした。
 みんなのちからで、たちまちのうちに、いろいろの食物しょくもつが、まち商店しょうてん到着とうちゃくしました。それで、美代子みよこの一も、このくずだらけのまめべなければならぬことがなくてすみました。
 美代子みよこおとうととしちゃんは、そのとき三つでしたが、あくるとしには四つのかわいいさかりとなりました。
 あるねえさんにつれられて、まちはずれにあった、おみや境内けいだいあそびにゆきました。そこは、広々ひろびろとして、おおきながしげっていました。子供こどもらは、たくさんきてあそんでいます。またそこには、はとが、たくさんいたのであります。はとは、子供こどもらにれていました。人間にんげんが、自分じぶんたちに、けっしてなにもがいくわえるものでないとっていたからです。
 ねえさんは、おばあさんからまめってはとにやりました。はとは、おみや屋根やねから、また鳥居とりいうえからりてきて、よろこんでまめべました。としちゃんは、ちいさなをたたいてよろこびました。そして、自分じぶんも、まめを二つ三つ、にぎっては、はとにげてやりますと、はとは、としちゃんのあしもとまできて、それをひろってべていました。
 ねえさんととしちゃんとは、しばらくあそんで、あまりおそくなると、おかあさんが心配しんぱいなさるからといってうちかえりました。
 そのから、としちゃんは、はとぽっぽが、なによりもいちばん大好だいすきになったのであります。
 おかあさんは、これまではこなかにはいっている、まめますと、
「ほんとうに、もったいない。」といっていられました。
 美代子みよこも、そのまめますと、たとえあのさいだからといって、よくも、こんなまめったものだと、乾物屋かんぶつやひとたちをうらめしくおもわずにはいられませんでした。
「ねえ、ねえちゃん、はとぽっぽへゆくのだよ。」と、としちゃんは、それからは、毎日まいにち、おひるごろになるといいだしました。
「さあ、おねんねおし。そして、きたら、つれていってあげましょうね。」と、ねえさんも、おかあさんも、どうかして、だまそうとおもいました。
 としちゃんは、おとなしくねむることもありました。また、どうしても、すぐにいってみるといいはったこともありました。また、たとえねむってしまっても、きるとわすれずに、
ねえちゃん、おみやへゆくんだよ。」といったのであります。
「ああ、おかあさん。うちに、あのまめがありましたね。あれをっていって、はとぽっぽにやるといいわ。」と、美代子みよこおもいついて、いいました。
「ああ、それがいい。」と、おかあさんも、こたえられました。
 それから、毎日まいにちのように、べられなかった白豆しろまめふくろなかにいれては、としちゃんは、ねえさんにつれられて、はとぽっぽをにいって、そのまめをまいてやりました。
 おみやのはとは、すっかりとしちゃんになれてしまいました。そして、もう、としちゃんのやってくる時分じぶんだとおもうと、おみや屋根やねうえからまた鳥居とりいいただきから、じっと、いつもとしちゃんのくるほうをながめていました。そして、としちゃんの姿すがたると、みんな、としちゃんののまわりにあつまってきました。
 しまいには、としちゃんばかりでありません。美代子みよこまではとがかわいらしくなってたまらなかったのです。
 それから、二人ふたりは、毎日まいにち、お天気てんきさえよければ、おみやへまいりました。
「うちに、まめがあるから、いいようなものの、そう毎日まいにち、はとぽっぽへいって、まめってやったんでは、たいへんですよ。」
と、おかあさんは、わらっていわれました。
「ねえ、としちゃん、うちのまめがなくなるまではとぽっぽへゆきましょうね。だけどまめがなくなったらゆくのをよしましょうね。」
と、美代子みよこはいいました。
 そののち二人ふたりは、どんなに、まめがだんだんすくなくなるのをしんだでしょう。また、まめがなくなってしまったら、はとは、どんなにさびしくおもうでしょう。としちゃんとねえさんが、やってくるだろうとおもって、っているのに、とうとう二人ふたり姿すがたることができなかったら、はとは、かなしむだろうとおもわれました。
「まあ、あんなに、たくさんあったまめが、もう半分はんぶんぐらいになってよ。」と、ある美代子みよこは、としちゃんにかっていいました。
 そして、いまでは、おかあさんも、美代子みよこ乾物屋かんぶつやひとたちが、しんせつであったということをわすれてしまいました。
 あのとき、ってきたまめがいいまめであったら、こんなに、たのしく、としちゃんをたのしませなかったろう? また、はとをよろこばすことができなかったろうとおもいますと、かえって、べられなかったのが、しあわせになったのでありました。
 あねおとうとは、今日きょうも、いつものごとく、おみや境内けいだいちかづきますと、はとがよろこんで、ポッポ、ポッポといていました。これをて、美代子みよこが、あのごみじったまめが、どれほどながいこと、はとや子供こどもよろこばしたろうと感心かんしんしたのであります。
――一九二四・六作――





底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社
   1977(昭和52)年2月10日第1刷
   1977(昭和52)年C第2刷
初出:「童話」
   1924(大正13)年9月
※表題は底本では、「ごみだらけのまめ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:へくしん
2021年1月27日作成
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