薬売りの少年

小川未明




 荷物にもつ背中せなかって、薬売くすりうりの少年しょうねんは、今日きょうらぬ他国たこくみちあるいていました。きたまちから行商群ぎょうしょうぐん一人ひとりであったのです。
 霜解しもどけのしたみちは、ぬかるみのところもあるが、もうひかりかわいて、陽炎かげろうのぼっているところもありました。むらはずれに土手どてがあって、おおきなっていました。かさのようにえだそらひろげていました。
「なんのだろうな。」
 少年しょうねんは、よくこうした景色けしきるのです。ゆくところ、どこにもおなじようなむらがあり、ひとんで、わらったり、おこったりしているとおもうと、なんとなくこのあたりの風景ふうけいてもなつかしいのでした。そしてここにはもうはるがきていて、したには、あおくさぐみ、紫色むらさきいろのすみれのはなさえいているのが、なかはいったのです。
 少年しょうねんおもわず、故郷こきょうほうかえりました。青空あおぞらとおくもながれていて、もとよりその方角ほうがくすらたしかでなかったが、くもがつづき、つめたいゆきっていることとおもわれました。かれは、青草あおくさうえこしをおろそうとしたが、そばにちいさな茶店ちゃみせがあるのにづいたので、さっそくはいって腰掛こしかけへやすみました。
「いらっしゃいまし。」と、おかみさんが、愛想あいそよくおちゃいでくれました。
「このむらへ、薬屋くすりやがやってきますか。」と、少年しょうねんは、たずねたのであります。
「あなたは、お薬屋くすりやさんですね?」と、おかみさんは、少年しょうねんました。
「そうです。どんなくすりでもっています。今年ことしいてゆきまして、来年らいねんまたまいりましたときに、お使つかいになったくすりのおだいをいただくのですが、どうか、ここへも一つかしてくださいませんか。」といって、薬売くすりうりの少年しょうねんは、たのみました。少年しょうねんは、おかみさんが、どういうだろうかと心配しんぱいしながら返答へんとうちました。
「よろしゅうございますよ。このへんは、まちるにはとおいし、お医者いしゃさまもいない、まことに不便ふべんなところですから、まん一の場合ばあいこまってしまいます。わたしいえばかりでなく、きっとよろこいえがありますから、このへんをおあるきになってごらんなさい。」と、おかみさんは、しんせつにいってくれました。少年しょうねんは、いいところへきたとおもって、たいそうよろこびました。
「こちらは、あたたかでいいところでございますね。」
 少年しょうねんには、おかみさんから、やさしい言葉ことばけたので、土地とちまでが、なごやかなしたわしいものにかんじられたのでした。
気候きこうはいいが、さびしいところですよ。」
 行商人ぎょうしょうにんは、かえって汽車きしゃなどのとおらないところ、まちのないところ、不便ふべんなところほど、得意とくいつくるのに都合つごうがいいとされていましたので、少年しょうねんとて、不便ふべんやさびしいということは、覚悟かくごでありました。ただ、こうしてあるいていて、ありがたくも、うれしくも、またかなしくもしみじみとかんずるのは、ひとなさけであるとおもいました。
 少年しょうねんは、その茶店ちゃみせからて、おかみさんにおしえられたみちほうへ、って、とぼとぼとあゆみをつづけたのです。
 松原まつばらへつづいている小道こみちで、一人ひとり少女しょうじょがしきりにしたいて、なにかさがしていました。
「この松原まつばらおくにもおうちがありますか?」といって、薬売くすりうりの少年しょうねんは、たずねたのです。おんなは、両手りょうてについたすなをはらって、少年しょうねんかおました。
「ええ、ずっとおくの、がけのうえに一軒家けんやがあってよ。」といいました。
「一けんきりですか?」
「ええ、一けんだけ、そして、たった一人ひとりだけんでいるの。」
一人ひとりだけですか……。」
先生せんせい一人ひとりんでいるの、わったひとなの。」
「どんなにわっていますか?」
「そうね、よくらないわ。おもしろいひとね。」
 少女しょうじょは、わらって、こうこたえると、またしたいて、なにかくさをさがしていました。
嫁菜よめなをつんでいるのですか?」と、少年しょうねんは、みちばたのあおくさました。
「いいえ、おんばこをさがしているの。」と、少女しょうじょは、こたえたのです。
「おんばこをさがして、なんになさるのですか。」と、少年しょうねんは、ききました。
「せきのおくすりにするのよ。にいさんが、せきをしてなおらないのですもの。」
「ああ、せきのくすりですか、せきのおくすりなら、わたしがたいへんきくよいくすりっています。」と、少年しょうねんは、いいました。すると、少女しょうじょは、おどろいたふうで、少年しょうねんをながめました。
「あんた、お薬屋くすりやさん?」
「ええ、わたしは、薬屋くすりやですよ。いいくすりっています。あなたのおうちはどこですか?」と、少年しょうねんは、いったのでありました。
「おじいさんにいてみるわ。わたしうちはあすこなのよ。」と、少女しょうじょは、さきになって、小道こみちはしっていきました。薬売くすりうりの少年しょうねんは、すこしおくれていていくと、
「おじいさん、お薬屋くすりやさんをつれてきた。」と、いうこえがきこえたのでした。そのいえ周囲しゅういは、ももはやしになっていました。鶏小舎とりごやがあって、にわとりがのどかなこえでないていました。おじいさんのまえへいってあいさつすると、
としわか薬屋くすりやさんだな、いくつになるかな。おお、うちのまごより五つはおおいが、感心かんしんなこった。まごもそのとしになったら、ひとりでふねって、父親ちちおやのいるハワイへいくことができるだろう。まごも、かぜをひいて、せきがなかなかしつこくてこまっているが、よくきくくすりがあったらもらって、すぐましましょう。」と、おじいさんは、かわいいまごのことで、こころがいっぱいだったのです。
 薬売くすりうりの少年しょうねんは、ろして、くすりにも、自分じぶんにもこんなやさしいおじいさんがあったらば、とおもわれるのでした。
「このおくすりをあげてください。せきによくききますから。」
 このこえをききつけて、ているおとこは、
「ありがとう。」と、薬売くすりうりの少年しょうねんほういて、おれいをいいました。まくらもとのかべには父親ちちおやがいっている、ハワイの風景ふうけい写真しゃしんられていました。
ぼっちゃん、はやくなおってください。」と、少年しょうねんがいいました。
「また、来年らいねんきてください。ぼくっているから。」と、ている、おとこがいいました。
「きっと、まいりますよ。」
 少年しょうねんは、かえって、あいさつしながら、ていくと、うし姿すがた少女しょうじょとおじいさんが見送おくっていて、
をつけて。」と、おじいさんが、いってくれました。
 少年しょうねんが、がけのうえにあるという、一軒家けんやをたずねていったのであります。それが、自分じぶん職業しょくぎょうであるうえは、たとえ一けんといってもててしまうわけにはいきませんでした。ちいさなもんがあって、けると、二、三にん子供こども花壇かだんのところで、あそんでいました。みなみうみからかぜあたたかなせいか、もう、ヒヤシンスがき、すいせんや、フリージアなどがいていました。
「だれかきた。」と、一人ひとり子供こどもが、いいました。
「いま、先生せんせいは、お留守るすですよ。」と、子供こどもが、少年しょうねんていいました。
薬売くすりうりですが、お留守るすですか。」と、少年しょうねんは、いって、恍惚こうこつとして、かなたにかがやあおうみをながめたのです。
「カナリヤにやる、はこべをりにいらしたのだからすぐおかえりになるわ。」と、おんながいいました。
「いい景色けしきですね。」と、おもわずくちして、薬売くすりうりの少年しょうねんは、がけっぱなほうあるきました。
「このいえは、あぶないのだよ。先生せんせいは、変人へんじんだから、ひとまないうちんでいるのだ。」と、一人ひとり子供こどもが、いいました。薬売くすりうりの少年しょうねんは、おんばこをんでいた少女しょうじょが、いった言葉ことばおもしたのです。
「どうして、変人へんじんなんですか?」
「だって、がんこなんだもの、ひとがあぶないといっても平気へいきでいるからさ。けれど、先生せんせいは、ぼくたち子供こどもだけはかわいがってくれるよ。」
「いいひとではありませんか?」
「それは、いいひとさ。けれど、大風おおかぜいたり、地震じしんがあったりしたら、このいえは、がけがくずれてひっくりかえるかもしれん。そうすれば、ぼくたち安心あんしんして、ほんならうこともできないだろう。」と、子供こどもが、いいました。
 薬売くすりうりの少年しょうねんは、したるとはるかになみいわくだけ、ひかりして、うつくしいにじえがいています。なるほど、がけのしたまで、つちけずとされて、五しきいろどられたしおにおうみせまっていました。汽船きせんがいくとみえて水平線すいへいせんに、一まつけむりのぼり、おき小島こじまには、よるになると煌々こうこうとしてひかりはな燈台とうだいが、しろとうのようにかすんでいます。
「あれは、燈台とうだいですか?」
「そうだよ、あの燈台とうだいかりは、先生せんせいのおうち座敷ざしきはいるのだよ。」
ぼっちゃんたちは、日本海にほんかいふゆうみらないでしょう。それは、すごいですよ。」と、薬売くすりうりの少年しょうねんがいいました。
「そうかい、そんなにすごいかい。けれど、台風たいふうがくるのは、たいていあちらのみなみほうからだぜ。そのときは、おおきなかぜいて、なみたかいのだよ。」
「なるほど、台風たいふうがきますね。」
 少年しょうねんは、おきほうて、茫然ぼうぜんとしていますと、そこへ、先生せんせい片手かたてにはこべをって、もんけてはいってきました。
「おまえは?」
 先生せんせいは、けげんなかおをして、少年しょうねんまえちました。
わたしは、薬売くすりうりですが、こののちごひいきにしていただこうとがりました。」と、少年しょうねんあたまげました。
「ここには、病気びょうきにかかるひとはいないよ。」と、先生せんせいはそっけなくいってことわりました。
「でも、まん一ということがあります。どうか一袋ひとふくろかしていただきます。」と、少年しょうねんはもう一あたまげました。
くすりなどいていかれると、病気びょうきこすようなものだ。いらないからさっさとかえってくれ。」と、先生せんせい少年しょうねんをしかりつけるようにいいました。薬売くすりうりの少年しょうねんは、なるほどがんこなひとだとおもいました。そして、こういうひとは、はな相手あいてもなくひとりぼっちでいて、どんなにさびしかろうと想像そうぞうされたので、
「お一人ひとりでいらしって、お心細こころぼそいことはありませんか。」と、少年しょうねんは、いったのでした。
「なんの、さびしいことがあるものか。ひとこえきたいとおもえばラジオがあるし、カナリヤは、一にちじゅうこのまどでさえずっているし、ここは、まえうみだから、台湾たいわん上海シャンハイ、ハワイ、どこのラジオもるようにはいってくるのだ。」と、先生せんせいは、海原うなばらやって、ほこらしげにかたったのです。
「ハワイからのラジオもこえますか?」
よるの十ごろには、るようによくこえる。」
 先生せんせいは、はこべをカナリヤにやろうとしてまどのところへちかづきました。
「あ、カナリヤのあしからていますよ。」と、薬売くすりうりの少年しょうねんは、おどろいて、さけびました。
「ねずみか、からすにやられたとみえる。このあたりに、わるいからすがいるからな。」
 先生せんせいは、案外あんがいカナリヤの痛々いたいたしいきずても平気へいきでした。
「かわいそうに。」
 少年しょうねんは、こういって、荷物にもつなかから、傷薬きずぐすりしました。
「おい、くすりなんかいらないよ。」
「いえ、おだいをいただくのではありません。ちょっとこれをつけてやってください。」
 少年しょうねんが、しろぐすりすと、
「おまえは、なかなか感心かんしんだ。」と、先生せんせいは、機嫌きげんがよかったのです。少年しょうねんが、ここからろうとすると、
「お薬屋くすりやさん、また来年らいねんくるの?」と、子供こどもたちは、少年しょうねんりまいてききました。
「あの、もものあるいえへまいりますよ。」
「あ、じゅうちゃんのいえだ。」
 子供こどもたちは、なんとおもったか、よろこんで、をたたきました。
「もしきたら、ここへもおり。」と、先生せんせいが、いいました。
「みんなが、あぶないといいますから、はやくこのうちをおうつしなさい。」と、少年しょうねんがいうと、
「はっ、はっ。」と、先生せんせいが、わらいました。





底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社
   1977(昭和52)年9月10日
   1983(昭和58)年1月19日第5刷
底本の親本:「小学文学童話」竹村書房
   1937(昭和12)年5月
※表題は底本では、「薬売くすりうりの少年しょうねん」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2016年9月9日作成
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