酔狂録

吉井勇





 またしても恋物語である。しかしその物語の主人公は私ではない。
 それはもう今から七八年前の或る冬の夜のことであつた。私はその時分毎晩のやうに銀座界隈の酒場歩きをやつてゐたので、その夜ももうかなり遅く、尾張町の角のところにある、或る大きな、天井に近い高い壁から時時造りものの獅子が首を出して吼える仕掛けになつてゐるカフヱーで、頻にウヰスキーの杯を傾けてゐた。
 私もその晩かなり酔つてゐたがそこの酒場に集まつてゐる人達は一人として酔つてゐないものはなかつた。酒の匂ひや莨の煙がむつとせかへる位立ちこめてゐて、コツプの落ちて壊れる音やナイフやフオークの触れ合ふ響きが、酒に荒んだ人の心を、いやが上にも苛苛させるやうに聴こえて来た。家の中は暖炉がさかんに燃えてゐるので、むしろ顔が火照る位熱かつたが、外は霙まじりの雨が振り頻つてゐるので、入口の硝子扉が開く度毎に、冷たい湿つた風が用捨なく吹き込んで来て、折角帰り懸けてゐる人の足を留めた。私も幾度か帰らうとしては、外の寒さを思ふと何となく逡巡ためらはれて、また新しい杯を命じないではゐられないのだつた。
 この物語はこの夜図らずもこの酒場で出会つた或る青年――それが彫刻家であると云ふことは話を聴いてゐるうちに分つた――から聴いた話である。彼と私とは唯顔を知り合つてゐると云ふ位の交際しかなかつたのだが、その晩はひどく懐かしさうに私の傍に近寄つて来て、
「是非あなたに聴いて貰ひたい話があるんです。どうぞ今夜は僕の話を聴いてやつて下さい。」
と云つてから、ウヰスキーの壜を自分の前に持つて来させて、それを立てつづけに呷りながら話しはじめた。
みづからの胸の傷みを癒さむと飲む酒なればとがめたまふな
酔へばいつか夢まぼろしの国に来ぬこの国をかしながく住ままし
われ往かむかの獅子窟は酒ありて女もありて夢見るによし
窓の外の霙の音を聴きながらきけばかなしき恋がたりかな
洛陽の酒徒にまじりて或夜半は酔も身にむ恋がたり聴く

酔墨


 私が彼の女と始めて相見たのは或る年の正月のことであつた。
 その時私はまだ美術学校の学生時代だつたから、酒を飲んだりモデルの女の月旦位はしたけれども、紅灯緑酒の巷のことは、殆ど知らないと云つてもよかつた。それをその正月の或夜、酔狂を以て鳴つてゐる日本画家のKさんに伴はれて、大川端に近い旗亭に連れて往かれた。Kさんは私よりもずつと年が上で、その当時売り出しの流行児だつたから、さう云ふところの遊びでも、ひどく豪華を極めてゐて、その座敷にも殆ど入りきらない位の妓が来た。正月のことだから中にはもうしどけなく酔つた妓もあつて、私達は間もなく座敷一面に漂つてゐる酒の香と脂粉の匂ひとの中にあつた。
 私は暫くすると、殆ど正体もないと云つていい位酔つてしまつた。私の目の前には女の白い顔がちらつき、私の耳には艶めかしい女の声がとぎれとぎれに聴こえた。
「ようし、描いてやらう。しかし何を描くか分らないぞ。」
 不図さう云ふ声が聴こえたので、酔眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて向ふのKさんの方を見ると、そこではKさんは誰か妓の一人が持つて来たらしいぬめを拡げて、それに酔筆を揮はうとしてゐるところだつた。見てゐるとKさんは、うんと腹に力を入れて唸つたかと思ふと、そこにはもう墨色淋漓たる女達磨の絵が出来上がつてゐた。
「あなたも何か描いて頂戴。」
 さう云つてやつぱり絖を持つて私の前に来たのは、ひどく寂しい顔立をした、薄命そのものと云つてもいいやうな妓だつたが、私が画家でないと云つて断ると、やや失望の色を見せただけでおとなしく「あら、さう。」と云つたきりで、強ひて描かせようともしなかつた。
 この妓が私のこれから物語らうとするところの「彼の女」であつた。
夜となれば君を見るべく往きしころ大川端をさまよひしころ
酒の香に黒髪の香のまじるときふと悲しみを覚えけるかな
かにかくに舞台の如く酔ひれし河合に似たるうつくしきひと
わが友の女達磨の酔ひ描きをつくづく見ればかのひとに似る
その中にわが悲しみをただひとり知るひととのみ思ひ初めにし


 彼が彼の女と親しくなつたのはその秋の展覧会に出品するために「笛」と題する彫塑を制作した時、不図彼の女のことを思ひ浮べて、そのモデルになつて貰つた時からであつた。
 最初は果して私のやうなまだ無名の青年のモデルになつて呉れるか如何か心配しながらKさんから頼んで貰つたのだが、彼の女もたつた一度会つたぎりの私のことを覚えてゐて、直ぐに快く承知して呉れたと云ふ返事だつた。Kさんはその返事を齎して来た時突然私の顔を見るなり大きな声で、
「おい、うまくいつたぞ。君だと云つたら喜んで承知をして呉れたよ。あの工合ぢやあ少し君に惚れとるかも知れんぞ。」
と云つてからからと笑つた。
 私の制作しようと思つた「笛」と題する彫塑は、唯一人の若い女が笛を吹いてゐるところで、昔藤村が「若菜集」に収めた或る詩から暗示を得たものであつた。これは彼の女のやうに寂しい顔立の女のモデルが必要だつたので、それで不図心に浮ぶままに、Kさんを煩はすやうなことになつたのだが、かう直ぐに承知をされて見ると、私にはかへつて不安が感じられた。しかし彼の女がその姿をいよいよ私のアトリエに現はしてからは、そんな不安も消えてしまつて、私の仕事は毎日面白いやうに捗取つて往つた。
「ああ、くたびれた。少しやすんでもいいでせう。」
 笛を持つ手が疲れて来ると、彼の女は少し甘へるやうな調子でかう云つて、一生懸命土をいぢつてゐる私の方へ、媚びるやうな眼を投げた。
「さうですか。それぢやあ暫く休んで、紅茶でも滝れることにしませうか。」
「ええ、紅茶ならあたしが淹れて上げるわ。」
 かうして紅茶を喫みながら話し合つてゐるうちに、私は彼の女の哀れな身の上話を聴いて、すつかり同情させられてしまつた。
君に似し女の像をつくらむと思ひ立ちにしわれならなくに
土をもてわかき女の姿をばつくれば秋のかなしみ来る
笛吹けば笛も燃ゆると云ふほどの情を君は持つや持たずや
かにかくにいづれを君は選ぶらむよろこびの笛かなしみの笛
あはれなる君が身の上ばなしより先づ秋風は吹き初めしかな

その女


 彼の女の話に依つて、私は始めて彼の女が私生児と云ふ悲しい運命の星の下に、この世に生れて来たものであると云ふことを知つた。彼の女の母はやはり狭斜の巷に育つたもので、多情多恨の時を過ごした果は、今では東京にもゐられなくなつて、遠く中国筋の或る港街に老妓としての侘しい月日を送つてゐた。
 彼の女はこの母のために、どの位悲しい思ひをしなければならなかつたか知れなかつた。母は彼の女が未だ七つか八つ位の時に彼の女を或る家に預けたまま、その時分情人であつたところの或る俳優とともに、大阪の方へ逃げて往つてしまつた。そして母から見棄てられた彼の女が、それから五六年経つて、始めて教※(「扮のつくり/土」、第4水準2-4-65)の女として座敷に現はれるまで帰らなかつた。
 しかし母が帰つてきてからは、彼の女は前よりも一層悲しい思ひをしなければならなかつた。母の乱行はこの年になつても止まないで、彼の女の着物がひそかに典物として持ち出されたことも屡屡あつた。そして今度は或る老相場師に瞞された揚句が、娘の着物はもとよりのこと、指環や髪のものまで持ち出したまま、何処かへ行方知れずになつてしまつたのである。
「あたしあんなに情ない思ひをしたことはありませんわ。あたしはこんな世の中なら生れて来ない方が好かつたと、その時ばかりは染染思ひましたの。」
 さう云ひながら彼の女は、私のアトリヱの玻璃窓を洩れて射し込んで来る夕日を、眩しさうに避けながら、涙に潤んだ瞳を上げた。
「しかしその後よくおつ母さんの行方が分りましたねえ。」
 私がさう云ふと、彼の女は寂しく点頭うなづいて、
「ええ、それもやつぱりあたしのところへ、無心の手紙を寄越したことから判つたんですの。しかしやつぱり母子ですわねえ。あの年になつてあんな遠いところで芸者をしてゐるのかと思ふと、いくら身すがらとはいへ、可哀さうになりますわ。」
薄命はかの大川の水あかりよりも果敢なきものとかは知る
運命のかなしき星にかたどりし瞳なればかつねに潤みぬ
しみじみと箏の稽古に通ふよりほかにすべなき君なりしかな
しみじみと悲しきときはただひとり大川端に泣きにゆく人
君に似しはにとまことの君とありて夕日まばゆく窓に照るとき

寂しき恋


 私達の恋は寂しかつた。それは、彼の女の哀れな身の上に対する同情から生れた恋であるためだつたからかも知れないけれども、私達は人目を忍んで会ふ時でも、あんまり話をし合はないで、唯嘆息を吐いてばかりゐる時の方が多かつた。何かと云ふと彼の女は、袂で顔を蔽うてしくしくと泣いた。泣いて泣いて泣き尽くして、思ひつきり涙を流してしまふと、彼の女は少しは胸が霽れたやうに顔を上げて、
「こんなに泣いてばかりゐて、あたしほんとに馬鹿だわねえ。」
と寂しい微笑を洩らしながら云ふのだつた。
 私達のかうした寂しい恋は、それからかなり長い間続いた。彼の女をモデルにして私の「笛」と云ふ制作が、その年の秋の展覧会でかなり評判になつたので、その翌年学校を卒業する時分には、私は新進彫刻家として世間からも認められるやうになつてゐたから、私はさう無理をしないでも、毎日のやうに彼の女と会ひ続けて往くことが出来た。私達は会つても別に話はないのだけれども、一日会はないでゐると、堪へられないほどの寂しさが感じられた。さう云ふ時には私達は、きつと長い長い手紙を書いた。彼の女の手紙には、いつも※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)き籠められたやうに涙の匂ひが染み込んでゐた。
「昨夜は朝がたまでまんじりとも致さずに、とりとめのなきことをのみ思ひ明かし候。いろいろ思ひ廻らし候へば、わたくしほど不幸なものはないやうな気が致し候へども、また思ひ返し候へば、この頃のわたくしほど幸福なものはないやうにも思はれ候。思ひ乱るるとはかかる心地を申すにやと、寝床の中にてひとりで寂しき微笑を洩らし候。」
 或時の手紙には、こんな文句が書き列ねられてゐることもあつた。
 恋は寂しかつたが、私達が幸福であることは事実であつた。しかしその幸福はあまり長くは続かなかつた。私達の上にはもう何時の間にか、運命の暗い呪いの影が近付いて来てゐた。
しみじみと水を凝視むるうつくしき黒瞳にも寂しさの浮く
かなしみの世界より来し人のごと会へばよく泣く君なりしかな
頬を濡らし袂を濡らしわが膝を濡らす涙は秋雨に似る
たはむれに涙の文と名づけたる君がかなしき狭斜消息
かにかくにわれら酔へるが如くゐぬさいはひに酔ひ悲みに酔ひ

解脱


 処女作「笛」を出品したその翌年の秋の展覧会には、私は「解脱」と題するかなりな大作を出すことにして、既にもう初夏の頃から、その制作に取り懸つてゐたが、これは「笛」のやうに感傷的なものとは違つて、その題名の示す通りに、宗教味のある思想的な作品であつた。私はこれに依つて彫刻家としての自分の真価を世に問ひたいと思つてゐたので、制作に取り懸つてからは、殆どアトリヱにばかり閉ぢ籠つて、彼の女と会ふことも稀になつた。その代り私達の間には毎日のやうに、かなり長い手紙が取り交はされた。
 私が最初「解脱」と云ふ題名の下に構想したものは、解脱の悦びに躍つてゐる数人の男女の群像だつたが、しかし制作してゐるうちに私の考へもだんだん変つて結局一人の裸形の男が、天を仰いで双手を挙げてゐる等身大の像を作ることになつた。蒸されるやうに暑いアトリヱの中で、泥と汗とにまみれながら仕事をしてゐる時に、不図思ひ出されるのは、大川の水の面を吹いて来る涼風と、それに後れ毛をなぶらせてゐる彼の女の姿だつた。それを思ひ出すことが多いと、それだけ私の仕事は捗らなかつた。
 しかしもう夏の終りに近くなつた頃には、私のこの「解脱」と題する彫像は、略完成したと云つてもいい位になつてゐた。と、或る曇つた、今にも驟雨でも降つて来さうな日の午後のことであつた。彼の女が私のアトリヱに訪ねて来た。
「よく来られたね。如何したんだい。」
 さう云ひながら何の気なしに女の顔を見ると、先づ私の目に映つたものは、焔のやうにちらちらと燃えた瞳だつた。気を付けて見ると、何だか頬も火照つてゐるやうだし、乾いた唇を洩れる息も喘いでゐるやうに苦しげであつた。
「おや、お前如何かあるんぢやないかい。」
「ええ、あたし大分熱があるらしい。何だかこのまま死んぢまひさうな気がしたから、それであなたに会ひに来たの。」
 この時もう屋根の上へは、ぽつりぽつり雨の音がし始めてゐた。
夏は来ぬかの焔よりいや熱く燃ゆるは君の胸ばかりかは
ふと土に手を触れながらかのひとのことを思へば涙こぼれぬ
夏は来ぬ大川端に泣きにゆく頃となりぬと書ける文かな
大川の風に吹かれて来るごとし飄然としてきたる汝が文
はらはらとわが膝の上にこぼれたる涙に似たる雨の音かな

病蘇小


 彼の女がどつと重い病の床に就いたのは、その夜からのことであつた。
 病院に入つたと云ふ誰か代つて書いたらしい手紙が来たので、私は急いで芝のその病院まで見舞に往つて見ると、彼の女は白い寝台の上に、静かに眠つたやうに横はつてゐたが、不図私の足音を聴き付けると熱に潤んだ目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)いて、
「よく来て下すつたわね。」
と強ひて笑ひをつくりながら云つた。
「如何だい。苦しいかい。」
 私がさう云ふと女は微かに点頭いてかう云つた。
「ええ、何故だか熱が如何しても下らないの。窒扶斯チフスぢやあないかつてお医者さまは云ふんですけれど、あたしには何だかお医者さまにも誰にも分らない、神様か仏様でなければ分らないやうな病気のやうに思はれて仕方がないの。」
「お前つて人は、時時妙なことを考へるね。兎に角いろいろなことを考へないで、お医者さまの云ふ通り養生おしよ。きつと癒るから。」
 私がかう慰めるやうに云ふと、女は目に一杯涙を溜めて、
「ですけどあたし、何だか死ぬやうな気がして仕方がないわ。」
 と心細さうな調子で云つたが、急にぢつと私の顔を見詰めながら、
「若しあたしが死んだらあなたは毎日お墓詣りに来て下さること。」
と真面目になつて訊くのであつた。
 私は返事に困つて唯幾度も慰めの言葉を繰返した。彼の女と向き合つてゐる間は、やつとの思ひで耐へてゐたのだが、病室を出ると私の目からは、涙がとめどなく流れ落ちた。
「どうぞ早く快くなつて呉れますやうに。」
 私は心の中で、かう云ふ祈祷に似た言葉を念ずるやうに幾度か唱へた。夏の夜風は私の涙を拭ふやうに、すがすがしくも頬を吹いた。
白妙の床も冷たき雪のごと目にしみじみと寒かりしかな
或ときはわが身も夢のなかにゐぬ病める蘇小が小夜床の夢
熱のため潤める目にもかなしみの影ふとさしぬ君は寂しき
小夜床に寝る身やいかに寒からむ死の足音の聴こえ来るとき
さまざまの君が悲しき言葉のみ残れる耳に夏のかぜ吹く

残されしもの


 私が彼の女の訃音を聴いたのはそれから一月ばかり経つてからのことであつた。
 私は秋の展覧会の間に合はせなければならないので、彼の女が病気になつてから、まるで手を附けずにあつた「解脱」の制作を急いでゐた。彼の女の病気も日を経るに従つて、だんだん快い方に向つてゆくやうな様子なので、私も安心してアトリヱに引き籠つてひたすら制作にばかり熱してゐた時だつたので、突然彼の女の訃音を聴かされた時には、事実それはこの世の出来事でないやうに思はれて仕方がなかつた。私は涙を流す術さへも知らないやうに、唯茫然として私の目の前にある、裸形の男の像を見上げた。それは彼の女の死とは何の関りもないやうに、冷やかに空を仰いでゐる裸形の像を。
 彼の女の死はどんなに私を悲しませたらう。彼の女の死はどんなに私を歎かせたらう。彼の女をこの世に失つてからの私は、全く絶望の人となつてしまつた。それからの私には、毎日暗く寂しい日ばかりが続いた。とてもアトリヱに引き籠つて、仕事をする気になれないので、到頭もう一日か二日で完成する筈の「解脱」も、秋の展覧会に出品されずに、そのまま埃の中に埋められてゐた。
 私は悲しいと云つては酒に走り、寂しいと云つては杯を重ねた。死んで往つたものよりも、この世に生き残つてゐるものの方が、どんなに不幸であるかと云ふことを、私はしみじみ感じないではゐられなかつた。
 私は時時死を思ふこともあるが思ひ切つて拳銃の口を額に当てることも出来ない。私はさう云ふ時には、拳銃の代りに杯を取る。そして酔ふときつと私は、まるで生きてゐるもののやうに、ありありと彼の女の幻を見るのである。
「酒だ、酒だ。」
 かう云つて私がもの狂はしく叫んでゐる声は、私の耳には彼の女の名を呼んでゐるやうに聴こえる。
「酒だ、酒だ。」
 私はおそらくは死ぬまでかう叫び続けてゐなければならないのであらう。
かの君の死の知らせをばもたらして秋はかなしく訪れて来ぬ
死は悲しながき別れの死は悲し短きわかれにしも泣く身に
生きてまた君を見るべき時なきかかく歎きつつ杯を取る
杯を重ぬるごとにかなしみも重なりてゆくここちするかな
酔狂の子とは呼べどもわがことを恋に狂ふと云ふひともなし





底本:「日本の名随筆 別巻55 恋心」作品社
   1995(平成7)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「吉井勇全集 第四巻―歌物語」番町書房
   1963(昭和38)年11月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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