今は故人になつてしまつたが、私の知つてゐる落語家先代の柳家小せんは、足腰が立たず、目が見えなくなつてからも、釈台を前に置いて高座を勤め、昔からある落語にもいろいろ自分で工夫をして、「芸」に磨きをかけることを忘れなかつた。
久保田万太郎、岡村柿紅、私などが
「五人廻し」「錦の袈裟」「子別れ」「とんちき」「高尾」「山崎屋」「突落し」「居残り佐平次」「磯の鮑」「お見立」「廓大学」「お茶汲」「羽織」「白銅」と云つたやうな
小せんも落語には、いろいろ苦心をしてゐたが――或る日のことである。
「小せんさんゐるかい。」
厩橋の直ぐ近くをちよつと曲つた、小せんの家の格子戸をがらりと開けて、声を懸けたのは岡村柿紅君。
「ああ、どうぞお上んなすつて下さい。」
障子の中からさう云つて返事をしたのは、まさしく小せんで。
「やあ、稽古か。」
上がると直ぐ茶の間で、瀬戸物の火鉢を中に、小せんと向ひ合つて坐つてゐるのは、近頃
「ちよつと失礼します。」
と云つて、小せんが小山三に稽古をしてやつてゐるのは「高尾」の一節で、声色の冒頭として教へてやつてゐるらしい。
「ここまで話して置いて、それから声色にかかるんだ。いいかい。分つたかね。今度来るまでに幾度も自分でやつて見るがいいや」
と云つてから稽古を終つた小せんは、女房のお時に助けられながら、私達のゐる座敷の方へ居ざつて来た。
「如何も失礼を致しました。上野の師匠(三代目小さん)に頼まれて、若い輩五六人に稽古をしてやつてゐるもんですから、近頃はこれで中々忙しいんです。」
「さうかい。そりやあ結構じやないか。」
「ええ、お陰様で皆さんが心配して下さるもんですから、こんな体になつても、如何にかかうにかやつてゆけます。」
小せんはさう云つて、色の黒い面をちよつと伏せたが、暫くすると何か思ひ出したやうに顔を上げて、
「ねえ、岡村先生。あのう、白浪五人男の稲瀬川の勢揃ひの場で、それぞれツラネの
「抜け参りからぐれ出して。」
「ああ。さうさう、旅から旅を稼ぎ廻り。」
と云ふ小せんの言葉を継いで、柿紅君はすらすらと、
「碁打と云つて寺方や、物持百姓の家へ押し入り、盗んだ金の
と云つてから、
「何だい。何かにこれを使ふのかい。」
訊かれると小せんの顔には、盲目とは思はれないやうな朗らかに明るい微笑が浮んだ。
「ええ、実はこの次の小せん会で、居残り佐平次を演らうと思つていろいろ工夫をしてゐるんですが、終ひの方に女郎屋の主人が、すつかり佐平次を持て余して、ひと先づ金の算段に出て行つて呉れと云ふところがあるでせう。」
「ああ、あすこで。」
「こいつを使はうつて云ふんですよ。へえ、それがね、もし旦那え、と芝居がかつた台詞になつてから、こちらの閾を跨いで外へ出られないと云ふのは、実は旦那、人殺しこそしてゐませんが、夜盗、かつさり、家尻切、悪いに悪いと云ふことを仕尽しまして、五尺の体の置きどころのない身の上でございますと云ふと、主人は驚いて、そんな悪いことをしさうな方でもないやうな方だと云ひます。」
「うん、それから。」
「ええ、それからがこの台詞ですが、すつかり調子を砕いてしまつて、持つて生れた悪性で、餓鬼の時から手癖が悪うございまして、抜け参りからぐれ出しまして、旅から旅を稼ぎ廻り、碁打と云つては寺方だの、物持百姓の家へ押し入りまして、盗んだ金の罪科は毛抜けの塔の二重三重、重なる悪事に高飛なしと云ふと主人が、何だか聴いたやうな文句だと云ひます。如何でせう、ひとつ今度はかう云ふ風にやつて見ようと思つてゐるんですが。」
「なるほど。こいつあきつと受けるね。」
「面白いよ。」
と柿紅君と私とは口を揃へて云つたが、果して当日ここへ来ると、どつと客席が引くり返るほど受けた。
その晩楽屋で苦心した甲斐のあつたことを、ひどく喜んでゐた小せんの顔を、私はいまだに忘れることが出来ない。