打出の小槌

外村繁




 ――私の三男は家中の愛嬌者である。渾名は「たゆ」又は「安福」と言ふ。「たゆ」と言ふのは、彼の申年の「さる」が言へないので、「たゆ」。「安福」と言ふのは、私の郷里の村に安福寺という禅寺があり、ある夏、私達が帰省してゐた時、真宗である私の家とは日頃何の附合もない、その安福寺へ「たゆ」は単身遊びに行き、その上、両手に一杯お菓子を貰つて帰つて来たことがあつた。丁度その時やはり帰省してゐた私の弟が、その様を見て、
「たゆの安福さんや」と言ひながら、たうとう笑ひ転げてしまつたのであつた。それ以来「たゆ」は「安福」とも言はれるやうになり、またさういふ風なことをすることを「安福」と言ふやうになつた。「たゆ」は実にこの「安福」の名人で困る。私が往来など歩いてゐると、時には思ひも寄らぬ家の二階から、聞き覚えのある黄色い声で、
「と、お、ちやん」と呼ぶ。驚いて見上げると、果して「たゆ」が会心の笑を浮かべて顔を覗かせてゐるのである。今年の正月も昼御飯になつても彼だけ帰つて来なかつた。家内や長男が心当りを一一探してみたがゐない。毎日のやうに遊びに行く隣家には、その隣家の子供達が表で皆揃つて遊んでゐるので、よもや行つてはゐないであらう。私も加はつて探しあぐんでゐると、隣家の子供の一人が、
「洋ちやん、何だか自家らしいよ」と言ふので、私は不思議に思ひながら、隣家を尋ねてみた。するとどうだらう。「たゆ」はお隣の小父さんの膝に乗つて、炬燵に当りながら、蜜柑や煎餅や菓子などを貰つて「大安福」の最中なのであつた。このやうに「たゆ」の「安福」の例は限がない。
 また「たゆ」はその名のやうに、一寸したその場の思附や物真似が巧い。私の郷里は江州なので、彼は直ぐ江州弁も覚えてしまつた。勝気な私の母なども、余程彼は可愛いらしく、聊か持てあまし気味である。母などが何かしくじり話などしてゐると、「たゆ」はちらつと顔を見せて、
「ほれみない。あかへんほん」などと、言ひ捨てて、走り去るのである。またある時、家内が神奈川在の家内の郷里へ子供を連れて、二三日行つてゐたことがあつた。そこから帰つて来て暫く、彼は言葉の終りにいつも変な言葉を附けて言つてゐるのである。
「郁ちやん、行かうよ。べ」
 私は初のうちは何のことか解らなかつた。がやつと、それが田舎言葉の「べえ」の真似だといふことを知つて、私は思はず噴出してしまつた。
「たゆ」は実は薄情者の癖に、一見人懐こく、少しも人見知りをしない。「安福」の名附親、「めえ」叔父さん(眼鏡の叔父さん)とも大の仲よしである。私の友人達までまるで自分の友達のやうにしてしまふ。無口なNでさへ、
「こいつは面白い」と言つて、二人でよく言ひ合などやつてゐる。が、私は彼のこんな性質も、彼が三男坊であるといふことと思合はすと、何かなかなか笑つてしまへないのである。――
 こんな彼が幼稚園へ入つた当時、幼稚園から帰つて来て、彼は真面目な顔をして言つた。
「幼稚園の紙芝居は、箱がないよ」
 飴を入れる箱のことなのである。どうしてこの子供はかういふことばかりに気が附くのであらうと、私は情無かつた。が幼稚園には、また幼稚園だけに、種種「安福」の種があつた。ある日、彼はある歯磨会社のカードを一枚貰つて来た。さうして朝夕熱心に歯を磨き出した。もともとだらしない性質で、普段は顔を洗ふことさへ面倒がり、洋服のボタンなどもいつも外れ勝ちであつた。が、そのカードを貰つて来てからは、忘れさうで、なかなか彼は忘れなかつた。さうして歯を磨き終ると、喧しく家内を急き立てて、そのカードに判を押して貰ふのであるが、終りに近づくに従つて、歯の磨き方は次第にぞんざいになり、時にはほんの真似ごとのやうにして叱られたりしてゐたが、どうやらカード一面に判が押された。彼はそのカードを幼稚園へ持つて行つた。それから暫く経つて、彼は幼稚園から一枚の表彰状と、童謡や、舞踊や、漫才などのある表彰式への招待状とを貰つて来た。その表彰状といふのは、「右者齲歯ニ罹リ易キ乳歯時代ニ於テヨク留意シ口腔歯牙ノ清掃ヲ励行セラル依テ茲ニ之ヲ表彰ス」といふ物物しさであつた。次の日曜日には、殆ど外出しない家内までが着物を着換え、彼を連れて表彰式へ出かけて行つた。さうして帰りには、彼は大きなお土産袋を貰つて帰つた。
 昨年、彼も小学校に入学した。私は入学式に彼を連れて学校へ行つた。受付の先生の所へ行くと、先生は彼を見て、
「ほう、外村君の弟さんですか。ほう、これは可愛い」と言つて、彼の頭を撫でた。校庭で校長先生や先生のお話があつた。先生方は、学校は決して恐しい所ではなく、面白く愉しい所であるやうに、幼い頭に印象づけようと、一生懸命のやうであつた。その時、先生は桃太郎のお話をされた。それも非常に面白い話振りで。例へば、お爺さんが柴を担いで山から帰つて来ると、いきなりお婆さんは言ふのであつた。
「お爺さん、お爺さん、とつてもいいものがあるんですよ。何でせうあててごらんなさい」
「グリコ!」
「違ふ」
 お婆さんはさう言つて、にこにことかぶりを振るのであつた。見ると、子供達は皆一様ににつこりと微笑を漂はせ、一心に先生の方を見入つてゐた。一瞬、危く涙ぐむほど、私は有難かつた。それから新入生達は組組に分れ教室に入つた。彼は教室の一番前の机に坐つて、受口の唇をきつと結んで、それでも精一杯の顔をしてゐた。が、流石の彼も、学校では「安福」のすべもないらしかつた。相変らず、友達のお父さんやお母さんから、栗や、柿や、薩摩薯や、時には蓮根や人参のやうなものまで貰つて来ることもあつたけれど。(蓮根の時には、胸一杯に泥だらけの蓮根を抱きかかへ、
「よいしよ、よいしよ」と言ひながら帰つて来たので、私は驚いてその訳を尋ねた。
「周一君のお父さんのお手伝してたの」
 さう言つて、彼はさも得意そうに、
「この蓮根、とつても柔くて、おいしいんだから」と附け加へた。)その上、学校へ入学すると、嫌な勉強さへしなければならなかつた。彼は読方も算術も嫌ひで、勉強に退屈すると、ごろりと寝転んでしまつたり、時にはいきなり机の上に坐つたりした。さうして家内がどんなに喧しく言つても、けろりとしてなかなか取合はなかつた。
「ほんとに、机の上に坐るなんて、そんな子供は知りません」と、家内はほとほと困り顔だ。
「あれで、机を占領したつもりなんかな」
 私もただ呆れて、そんなことを言つたりした。
 また、ある勉強の時、家内が俯向いて答か何かを調べてゐて、不図気がつくと、肝腎の彼がゐないのである。
「洋、洋」
 が、勿論何の応へもあらうはずがなかつた。家内は急いで門の外へも出て呼んでみた。が最早その辺には影も形も見えなかつた。私はもういつそ、却つて家内の頓馬が面白く、たうとう腹を抱へて笑つてしまつた。
 そんな風であるから、彼の通信箋には乙が四つもついてゐる。が彼は、
「家鴨が三匹游いでゐます。立札も立つています。魚捕るべからず」などと言つて、早一つ乙の数を誤魔化してゐるのである。
 が、彼は図画と書方と手工とは得意である。所がいつ頃からか、彼は雑誌や新聞の懸賞に応募することを覚え出した。さうしてそれがまた不思議なほどよく当選して、色色な賞品を送つて来るのである。不器用な兄達は「また変な『安福』始めやがつた」と羨しがるのだが、別に止めるわけにも行かず、と言つて彼の場合には全然賞品目あてであることがあんまりはつきりしてゐるので困るのだ。その上、調子に乗ると、彼は何でも彼でも書き散らすので、やつとさうさせないことにした。
 彼はまた、庭を掘つて、何処から貰つて来るのか、野菜や草花を植ゑたり、種種様様な物の種を蒔いたりし始めた。大方、猿蟹合戦の柿の種のやうなことを、欲張つて夢見てゐるのであらう。
「鋏でちよん切るぞ」などと、時時独言のやうなことを言ひながら、畑のそばに佇んだりしてゐる。今も、庭の真中の、陽当の一番良ささうな所を彼らしくだだ広く掘返して、葱一株、玉葱一株、花の咲いた日野菜一本、小さな蜜柑、梅、枇杷、団栗の木が一本づつ植つてゐる。さうして丁度、南瓜や、朝顔や、名も知らぬおおきな白い豆の芽が、嫩葉を開いたり、太い頭を擡げたりしてゐた。周囲にはちやんと縄が張られてあるのだが、夏にもなればどうなることかと思はれた。
 ある日、夕食の後、子供達の話は何かの機に、自分達の一番好きな物を、言ひ合ふことになつた。
「青ちやんは」
「さうだな、僕は自動車、いや飛行機だ」と次男。それに続いて、七つになる郁子が、いかにも言ふまでもないといふ風にはつきり言つた。
「あたしはお人形」
「馬鹿だな。飛行機だつたら、それを売れば、いくらでもお人形が買へるぢやないか。」
「さう言へば、青ちやんだつて、飛行機よりもつと高いものだつてあるよ」
 長男がさう言つて反駁したが、話は誠に下らぬ話になつてしまつた。が、郁子はやはり重ねて言つた。
「だつて、あたしはお人形よ」
 今度は洋の番になつた。
「僕はね……」
 彼はさう言つて、さも嬉しさうに、につこりと両頬を脹らませた。さうして一気に声を弾ませて言切つた。
「打出の小槌!」
 途端、私も思はず顔を崩した。
「何だ、そんなもの、駄目だよ。そんなものないんだもの」
 長男と次男とが躍気になつて反対したが、どうやら彼等の負けのやうであつた。洋はもういつか立上り、小槌を振るやうな手つきをして言ふのであつた。
「青ちやん、どうだい、そらね、お蜜柑出てこいぽんぽん、大きい兄ちやんはお団子が好きなんだね。よし今度はお団子だよ。お団子出てこいぽんぽんぽん」
「馬鹿だなあ、それより打出の小槌を出せばいいぢやないか」
 長男がさう言つた。私は不図洋がどう答へるであらうと思ひ、はつと胸を突かれたやうに思つた。洋は暫く考へてゐたが、狡つこい笑を浮べて言つた。
「嫌だよ、嫌だよ。それを出しちや、たまんないや」
「よし、洋がそんなに慾ばりだつたら、寝てゐる間に、取つてしまふから」
 洋は、一瞬、言ひやうのない悲しい顔をした。私は思はず長男に言つた。
「何だい、兄ちやんも。冗談だよ」
 が、私は何か決して冗談ごとではないやうに思はれた。さうして少し狼狽をさへ感じてゐた。が、不意に洋が元気を盛返した声で言出した。
「いいよ、兄ちやん、兄ちやん、どうだい、お城出てこいぽんぽんぽん、タンク出てこいぼんぽんぽん、飛行機出てこいぽんぽんぽん、チョコレート出てこいぽんぽんぽん、お日さん出てこいぽんぽんぽん……」
「馬鹿な、馬鹿な……」
 皆はさう言ひながら、たうとう腹を抱へて笑ひ出した。
「すると、父さんは、小説出てこいぽんぽんぽんか」
 私もつい釣りこまれてさう言つたが、急に何も彼もあんまり馬鹿らしく、思はず一緒に声を合せて笑ひ出した。





底本:「日本の名随筆 別巻42 家族」作品社
   1994(平成6)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「外村繁全集 第六巻」講談社
   1962(昭和37)年8月20日
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年11月28日作成
2013年10月11日修正
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