将棋の話

外村繁




 僕達、阿佐ヶ谷に住んでゐる友人達が中心になつて、時時将棋の会を催すことがある。
 常連は井伏鱒二、小田嶽夫、上林暁、太宰治、木山捷平、古谷綱武、亀井勝一郎、中村地平君等である。時には上野から砂子屋書房主や尾崎一雄君。また一度などは遥か千葉から浅見淵君が参加したこともあつた。が、皆の腕前は非常にまづいらしく、記録係の、と言つても、ただ勝負の白丸黒丸を書くだけであるのだが、その僕が見ても、人前でうつかり将棋をさすなどとは言へないやうな人も多かつた。が、皆は、
「昨夜、どうもよく眠れなかつたのでね」
 などと、一生懸命なのである。さうして口口に柄にもない言葉を言ひ合ひながら、軈て夢中になつて優勝を争ふのであつた。私はもう皆四十にも近い友人達の、そんな何事も忘れてしまつたやうな無邪気な様子を見てゐるのが好きであつた。が、井伏君は、上林君や古谷君とともに、その中では主将格で、優勝することも多かつた。
 ある日、いつも私の所へ来る二人の青年が、彼等の組織してゐる劇団で今度上演したい脚本のことについて、Kさんに紹介してほしいといふことだつたので、私はその二人の青年をKさんの所に伴つた。が、その脚本は既に他の劇団と契約が出来てゐて、駄目だつたがその帰途、私は不図、井伏君の家の前を通り、その一人の青年が井伏君の作品を愛読してゐるのを思出し、
「ここ井伏さんの家、一寸寄つてみようか」と言つて、不意に井伏君を訪れた。丁度井伏君は在宅だつた。私は二人の青年を紹介すると、その劇団のことなど井伏君に話した。がその時も、井伏君は非常に将棋が差したかつたらしく、いきなり、
「君、将棋をする芝居はないかね」と言ふのだつた。不図見ると机の横に分厚い将棋盤が置かれ、その上には駒の箱がちやんと乗せられてあつた。大方、丁度井伏君が一人で将棋を差したい、差したいと思つてゐた時、私達がどやどやと現れたのであらう。かういふ時井伏君はもう子供のやうに、どうにも我慢出来ないやうであつた。いつかも、井伏君は私の家の玄関に立つて、いきなりかう言ふのである。
「将棋が差したいのだ。君、O君の家はどこかね」
 その頃、O君の家は私の家の近くだつたので早速井伏君をO君の家へ案内した。が生憎O君は留守だつた。すると井伏君は路の上で脚をもぢもぢさせながら言つた。
「君は、将棋が差せないから、駄目だね、K君の家はS医院の所を入るんだね、ぢや、失敬、将棋が差したいんでね」
 井伏君は何か私に済まないやうな、と言つて隠し切れないほど嬉しいやうな微笑を浮かべると、くるりと後を向いて、足早に歩き去つて行つた。若しもまたK君も留守であつたら井伏君は大方この辺の将棋の出来る友達を片端から訪ねかねまじい勢であつた。
「君達、将棋、やるんでせう」
 先刻から、この間の将棋の会の話や、他の友人との将棋の強弱など、将棋の話ばかり話し続けてゐた井伏君は、たうとうたまりかねたやうにさう言つて将棋盤を真中に持ち出した。が青年達は遠慮勝ちに、顔見合はせて尻ごみした。
「いえ、駄目なんです」
「いや、少し位は、差せるんでせう」
「いえ、駄目なんです。ほんの駒の動かし方が解るくらゐなんです。外村さんは少しもおやりにならないんですか」
「僕も、やつとその駒の動かし方が解る口なんだ」
「いや、駄目だよ君は、ほんとに君が将棋が出来ないのは、玉に疵だよ」
 井伏君は将棋が差せないのが余程口惜しいらしく、半分真顔になつてさう言つた。が私は笑ひながら答へた。
「なあに、疵に玉だよ」
 青年達は劇の脚本のことも相談にのつてほしかつたし、せめて少しは文学談も出来ることと思つてゐたのに、初めから終りまで将棋の話ばかりになつてしまつたので、むしろ呆気に取られたやうな顔だつた。が、まるで喉が乾き切つたやうな、あまり熱心な井伏君の様子に、つい一人の青年が口を辷らした。
「では、一度、外村さんとやつて見ませうか」
「やるか」
 すると井伏君は急に元気づいてさう言ひ、いかにも嬉しさうに自分で駒の箱を取つて、がちやりと将棋盤の上に開けた。
「僕はほんとうに駄目なんだが」
 私はさう言つて、渋渋駒を盤の上に並べた。が勿論、私は直ぐにじりじりと押されて来た。井伏君は初めのうちは口先でああかうと教へてくれてゐたが、たうとう途中から自分で乗り出してしまつた。が、その青年はなかなか強いらしく、その一番はその青年の勝になつた。
「ほう、なかなか強いんぢやないか、よし、さあ一番いかうかな」
 井伏君は満足さうにさう言つて盤に向かふと、大きく胸を張つて息をついた。が、その青年は本当に強かつたのである。その二局目も難戦の後、井伏君の敗北になつた。井伏君は残念さうに第三局を挑んだが、今度は殆ど井伏君の勝味もなく、簡単に敗れてしまつた。
「どうもいかん」
 井伏君は頭を振つて、四局五局と差続けたが差せば差すほど井伏君に面白くなかつた。さうして数局の後には全然歯も立たないやうであつた。
「なあんだ、とても強いのぢやないか」
 たうとう井伏君はさう言つて、やつと諦めたやうに駒を投げた。さうしていかにも照臭さうにしよぼしよぼと眼を瞬いた。
「でも、外村さんが記録係だなどと、おつしやいましたので、よほどお強いのだらうと思つたのです」
 その青年は恐縮して、正直にさう言つた。
 私は急に可笑しさが胸に込上げて来て、思はず声を上げて笑ひ出した。すると井伏君もしかたなく、ほつほほつほと腹の中から出て来るやうな声で笑ひ始めた。
「ねえ、一つ将棋をする脚本、書いてみないかね、面白いよ」
 井伏君は笑ひながら、照れかくしにまたそんなことを言ひ出した。
「うん、面白いね。それだと第一役者がいらないしね。僕達が実演すればいいんだからね」
「先づ幕があくとね、碁会所か何かのやうになつてゐてね。盤が五つ六つ置いてある。
 碁会所の親爺が、まだ見えないな、とか何か独りごちながら、空模様を見る風に、一寸空を見上げる」と井伏君。
「さうだ時候は夏、微かに遠雷の音、だね、そこへ先づ君登場、君でなくつちやならんよ。君が例の手拭と石鹸箱を持つてちよこちよこと出て来るのだ」と私。
 実際、井伏君はどうしてもしなければならない仕事があるのに、よく遊びに行きたくなる性質であつた。さういふ時、井伏君は夫人の手前よく風呂へ行く風を装つて、家を出ることがあつたのである。またある雨の日、井伏君は私の所へ遊びに来てゐて、夕方近くまで雑談してゐたのだが、軈ていつものやうに二人とも口が淋しくなつて来た。が、井伏君は私の家内を憚つてか、このざんざん降りの雨の日に、
「君、一寸散歩しようよ」と、言ふのであつた。
「小田、上林と、皆順順に集つて来るんだね、さうして最後が浅見君だ。あつ、あつ、と言ひながら中腰になつて、右手をその度に宙に動かしながら登場する。軈て皆それぞれ盤に向かひ合つて将棋を差し始める」
「初めのうちは、互に何か意味ありげな会話を言交してゐるのだが、そのうちに皆もう夢中になつて来るんだ。何も忘れて将棋を差すんだね。さうして本当の阿佐ヶ谷将棋会になつてしまつたらどうだらう」
「やつと、最後の一番が終つてね。皆、ああ疲れた、とか言つて横になるんだね。その時激しい稲光がして、ざあつと夕立が降つて来る。幕、どうだらう、出来たね」
「どうだらう、しかし見物の人、怒るだらうね」
「そーら怒るよ」
「殴られるね」
「そらきつと殴られるよ」
 あつは、あつはと、二人はたうとう阿呆のやうに大声を挙げて笑ひ出した。私は笑を押へ押へ、まだ言つた。
「題はね、夕立、ユーモレスク所載、井伏鱒二作、A・C(阿佐ヶ谷クラブ)劇団出演、ああ、もうこれでおしまひだ」
「しかし、本当に馬鹿な話になつたね」
「ほんとに馬鹿な話になつたね」
 二人は互に呆れたやうに言ひ、また腹を抱へて笑ひ続けた。が二人の青年は、一体何がそんなに面白いのか、訳が解らず、何かもう怒つたやうな顔をして、ぼんやり私達の恰好を眺めてゐた。
 後日、その青年に出会つた時、
「井伏さんとの初の時には、何とかして目立たぬやうに負けようと、随分苦心したのですが、駄目でした」と。その青年は笑つてゐた。が、私達の将棋の会は、日を追つて、いよいよ盛になりさうな形勢なのである。





底本:「日本の名随筆 別巻8 将棋」作品社
   1991(平成3)年10月25日第1刷発行
   2000(平成12)年10月30日第9刷発行
底本の親本:「外村繁全集 第六巻」講談社
   1962(昭和37)年8月20日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年3月8日作成
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