頬よせてホノルル

片岡義男




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ラハイナの赤い薔薇



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 三十分ほどまえに、ぼくは目を覚ましベッドを出た。ついさっき、シャワーを浴びた。うなじのあたりが、まだ濡れている。いまは朝だ。
 朝食を作るために、ぼくはキチンに入ってきた。キチンの窓のまえに、ぼくは立っていた。窓の外にある景色を、ぼくは見ていた。「ホノルルの景色として、最高の景色のひとつが、この家ではキチンの窓からでも見ることができるのですよ」ぼくがこの家を借りるとき、不動産エージェントは、そう言っていた。
 最高であるかどうかは、いまは問わないとして、いい景色であることは確かだ。ホノルルの市街地とそのむこうに大きく横たわっている太平洋、そしてその上の空とを、この窓から一望することが可能だ。家は、高台に建っていた。ホノルルが海と接するあたりから見ると、このへんは相当な高度だ。窓から見える広い景色に対して、この高度は、バランスがちょうどいい。景色が具象を離れて抽象となっていく、そのちょうどはじまりのあたりに、この家は位置していた。
 ここへ来るまえは、ぼくはサンフランシスコにいた。そして、サンフランシスコのまえは、ニューヨークだった。ニューヨークからサンフランシスコへ来ると、あらゆることのペースが、がくんとゆるやかとなる。サンフランシスコからホノルルへ来ると、ペースはさらにおだやかになる。しかし、ここも都会であることに変わりはなかった。その都会のなかでの日常を連想することなく、都会の景色をこのキチンの窓から眺めることができた。これ以上に高いところ、たとえばハイライズの最上階に近い部屋からだと、そこから見える景色は抽象化されすぎてしまうだろう。
 ホノルルの街は、思いのほか白い。ここでは、ぼくは、毎日の朝を、自分の好きなようにスケジュールすることができる。だから、基本的には毎日、ぼくはいい朝を迎えることができる。いい朝は、そのまま、いい夜からはじまっている。昨夜がいいから、今朝もいいのだ。
 窓辺に立っているぼくは、うしろにあるゆったりとしたキチンのスペースをふりかえってみた。キチンとつながっているような、あるいはつながっていないような、微妙な造りになっているダイニング・アルコーヴのテーブルは、すでにセットしてあった。昨夜のうちにセットしたのだ。いい夜とは、たとえばこのようなことをも意味する。
 さて、今日は朝食になにを作ろうか、とぼくは思う。冷蔵庫のなかに入っているさまざまな材料について、思いめぐらす。入っている材料のうち、およそ半分を手に入れたマーケットや店が、いまぼくが眺めている景色のなかに存在している。あのあたりに、スーパー・マーケットがある。あのあたりに、あの店。そして、あの店は、もうすこしだけむこうの、そう、あのあたりだろう。
 なにを作ろうか。コーヒーだけ、という朝食は、もっとも簡単だ。コーヒーをいれれば、それでいい。コーヒーと朝刊のスポーツ・セクションがぼくの朝食だ、と言っているビジネス・マンの友人がいる。彼はいま、東京で商談だ。可哀そうに。
 土曜日の朝は好きな時間に目を覚まし、パジャマのままコーヒーをわかし、朝刊といっしょにそれを持って寝室へひきかえし、ベッドにもぐりこみなおす。そして、ゆっくりコーヒーを飲みながら新聞を読むのだと教えてくれた女性も、実業の世界で活躍している。金曜日の夜、ベッドに入るとき、目覚まし時計は浴室の化粧台に置いておくのだと、彼女は言っていた。
 715、という数字の並びが大嫌いだと言っていたのは、彼女だったろうか。715はすなわち朝の7時15分、彼女の枕もとで目覚まし時計の鳴る時刻だ。
 朝、その日はじめてのコーヒーについてとりとめなく思いをめぐらせつつ、ぼくはまた別の女性を思い出す。夜、寝るまえに目覚まし時計をセットしながら、明日の朝この目覚まし時計の音で目を覚ましたなら、起きてまず最初に、その日はじめての、とびきりおいしいコーヒーを私は飲むのだと、彼女は自分で自分に言いきかせる。そのコーヒーのおいしさに期待をかけることによって、目覚ましの鳴るあまりにも早い時刻のつらさを彼女は中和させているのだそうだ。
 朝、その日はじめてのコーヒーは、とても大事だ。自分の好みどおりに、きちんといれたコーヒーを、朝のキチンのテーブルでひとり飲んでいると、自分の内部で機能しているあらゆる身体的な生理システム、神経システムのすみずみまで、そのコーヒーが浸透してくのを私は自覚できる、と語ってくれた女性とは、音信不通になってしまった。こういう自覚は、私が私の時間を私だけの責任においてコントロールしているという事実の、なによりの証明なのだと、彼女は言っていた。そして彼女は、朝起きてからすくなくとも一時間は、誰とも口をききたくない、とも言っていた。
 目を覚ましてから一時間というと、仕事のために部屋を出ていくまでの時間と、ほぼおなじだ。ベッドを出て浴室へいき、シャワーを浴びて服を着るのに十五分。朝食を作るのに十五分。それを食べるのに、おなじく十五分。食べながら、その日の予定を検討しなおす。アパートメントに住んでいるとして、駐車場に停めてある自分の自動車の運転席に入るまでに、五分。十分、残る。これは、クッションにしておけばいい。毎朝、余計に時間をとられてしまうことが、なにかしら起こるはずだから。
 では、まず、コーヒーをいれようか、とぼくは思う。しかし、ぼくのやりかただと、コーヒーは朝食の最後にいれる。食べることがすべて終わってから、コーヒーをいれて飲む。自分の部屋のキチンでは、いつもきまってそうだ。コーヒーは、あとだ。食べてしまってからだ。
 コーヒーと新聞のスポーツ・セクションとがぼくの朝食だ、と言った友人には、同類がたくさんいる。キチンのテーブルのかたわらで、立ったまま喉のなかへ流しこんだOJが、食道を下って胃に入っていく頃、部屋のドアを出ていく、と言った友人など、同類のひとりだと言っていい。OJとは、オレンジ・ジュースだ。彼にとっては、自動車のなかで聞く朝のラジオのニュースと天気予報も、朝食の一部なのではないだろうか。
 ウールワースのレストランで飲む朝のコーヒーを、ぼくは嫌いではない。あのビニールのシートにすわり、クリーム・サブスティテュートの入った小さな容器を三つ、四つ、おおざっぱにテーブルの上に転がしていくウエイトレスの体の動きに、都会の朝の日常がある。
 注文を告げると、「エニシング・エルス?」と、受け持ちのウエイトレスは、尻あがりにきく。ここから、朝が本格的にスタートする。一杯めのコーヒーは、正確にはコーヒーとは言えない。一杯めをほぼ飲みおえた頃、ウエイトレスがコーヒー・ポットを持ってテーブルへ来てくれて、「もっとコーヒー?」ときいてくれて、はい、ください、と答えて注いでくれた二杯めこそ、真のウールワースのコーヒーだ。そしてそのウールワースの朝食は、四ドルくらいで間にあわせることもできる。
 三ドルの朝食だって、ぼくは作ろうとおもえば作ることができる。ごはんをフライしてフライド・ライスをこしらえ、その上に目玉焼きを二個、乗せる。かりかりに油を抜いたベーコンをすこし添えて、ホウレン草をおまけにしよう。こんなふうにすると、僕の好みではないけれど、この島の雰囲気は出る。たまには、こんなのもいい。
 冷蔵庫からパパイアを一個出してきて、普通はそれを縦に切ってハーフ・パパイアにするのだけれど、ぼくならまんなかから横に切る。底を平らにしてすわりをよくしておき、種のかたまりをきれいにくり抜いてしまう。パパイアの内部に、空洞ができる。ここに、なにを入れようか。イチゴがいいかな。新鮮なイチゴをいっぱいに入れ、美しい皿に乗せて出せば、これだって一回の朝食にはなるのだ。
 朝食、という言葉を見たり聞いたりすると、連鎖的な反応として、自宅からオフィスまでのドライヴ・ルートを思い浮かべる友人たちも多い。ルートはいくつかあり、ルートのそれぞれに、立ち寄って朝食を食べるファスト・フードの店がある。今朝はどの店にするか、つまりどのルートを走り、オフィスまでの所要時間を何分にするかをきめるのが、その人たちの朝食だ。寄った店では、食べるものを買うだけのときも、しばしばあるはずだ。車へ持って帰り、オフィスにむけて走りながらそれを食べる。そのような食べ物を総称して、フィンガー・フードと言う。まえを走る車の赤いブレーキ・ランプが、朝食の相手だ。
 外の店で朝食を食べるなら、ふたりで十ドルから四十ドルくらいまでだろう。ふたりで十ドルでも、場所の選択と時間、そしてメニューからの選びかたさえまちがえなければ、快適なアイランド・スタイルの朝食を楽しむことができる。ほとんどの店は、六時とか六時三十分とかには、開いている。終夜営業の店へ四時三十分頃にでかけていって朝食を食べるのも、悪くない。
 外で朝食を食べると、この島ではエッグス・ベネディクトのありとあらゆるヴァリエーションに出会うことになるだろう。それから、スモークド・サーモン。これも多い。スモークド・サーモンにベイゲルとクリーム・チーズがついてきた朝食のとき、ぼくはそのクリーム・チーズにウースター・ソースをかけて楽しんだ。いっしょにその朝食を食べた友人は、ウースター・ソースのかかったクリーム・チーズを見て、見た限りではもっとも不快な朝食だと、言っていた。
 これは大統領の朝食だ、とぼくは言いかえした。クリーム・チーズ半個を皿に乗せ、それにウースター・ソースをかけて食べるのを好みの朝食としていた大統領が、かつていた。ウースター・ソースにまみれたクリーム・チーズを食べるまえに、ボディ・ガードに守られてプールでひと泳ぎするなら、それは大統領の朝食と言ってもいい、と友人はさらに言いかえしていた。
 チーズは、チェダー・チーズでもいい。ひとかたまりのチェダー・チーズにやはりウースター・ソースをかけて食べ、仕上げはコーヒーだ。こういう朝食も、たまにはいい。
 要するに、朝食は、きわめて個人的な出来事なのだ。朝食を中心とした朝の時間そのものが、たいへんに個人的なのだ。だから朝食を楽しもうと思うなら、その時間ぜんたいを、これ以上ではあり得ないほどに個人的な、気にいった時間にすればそれでいい。メニューは、ほぼ自動的に生まれてくるだろう。
 冷凍のハッシュド・ブラウンの、茶色に焼けた平たい四角な切り身のようなものを、気にいった個人的な時間のなかで食べるなら、美味ですらあり得る。今朝もまたエッグス・ベネディクトのヴァリエーションであっても、いっこうに構わない。だったら、それにスモークド・サーモンをつけよう。いたるところで朝食に登場するホウレン草も、たとえばベーコンとホウレン草のオムレツにして、登場させてしまえ。
 パンケーキを三枚、それにシロップとバターをたっぷりとかけ、ソーセージを二本、そしてハーフ・ア・グレイプフルート。こういうのも、やはりたまにはいい。しかし、いつもこんなふうに食べるのは、やめたほうがいいにきまってる。
 さきほどの、横に切ってなかにイチゴをつめこんだパパイアには、目玉焼きを二個、そしてカウアイ・ソーセージを添えて出せば、島ふうの朝食になってくれる。
 じつにきれいな出来ばえの半熟卵をふたつ、そして、ゆでたばかりの温かいアスパラガスをひとつかみ。アスパラガスは二センチほどの長さに切っておくといい。この二種類を、いっしょに出す。半熟卵を皿の上で切り開いてつぶし、そのなかにアスパラガスをまぶして食べる。こういうのも、いい。ぼくの好みだと、卵にウースター・ソースをほんのすこしだけ、かける。
 トマト・ジュース。マッシュルーム・オムレツ。チェダー・チーズ。ソーセージ。クロワサン。コーヒー。以上のようなメニューは、見てのとおりカタカナ朝食とぼくは呼んでいる。味噌汁。御飯。漬物。干物。海苔。生卵。緑茶。このようなメニューは、漢字ブレクファスト。そうだ、梅干を忘れていた。
 朝食になにを作ろうかと、さきほどからひとりでぼくは考えている。朝食とはなにかという問題について、すこしおさらいをしてしまったようだ。朝食を中心として、朝の時間は、きわめて個人的なものだ。だから、できるだけ個人的に、そして自分の気にいったものにしたい。メニューは、要するにそれは毎朝のことなのだから、完璧である必要はどこにもない。今朝はこれだ、とひらめいたものを、そのとおりに作ればそれでいい。やりすぎないことだ。
 いっしょに住んでいる人がいるなら、朝食は自分とその人との、楽しい共同のプロジェクトとなる。その人のために、ロケラニ・ア・ラ・ラハイナを忘れてはいけない。ロケラニとは、小さな赤い薔薇の花だ。ラハイナのお祖父さんの家の庭に咲いた、小さな赤い薔薇の花。ロケラニ・ア・ラ・ラハイナと、ぼくはそれを呼ぶ。食卓、特に朝食の必需品だ。
 窓辺に立って外を見ていたぼくは、ふりかえった。ダイニング・アルコーヴのテーブルは、すでに昨夜のうちにきれいにセットしてある。そして、端正なガラスの花瓶には、ラハイナの赤い薔薇が活けてある。朝食の準備は、整ったも同然だ。
 廊下に、彼女の足音が聞こえた。その足音は、こちらにむかっていた。彼女は、ダイニング・アルコーヴに入ってきた。ぼくを見て立ちどまり、華やかに新鮮に、彼女は微笑した。朝の彼女だ。いまここでぼくといっしょに住んでいる人だ。素敵な人だ。美しい人だ。ぼくの大事な人だ。これからここでいっしょに朝食を食べる相手だ。そして、いまのぼくにとって、たとえば朝食のもっとも重要な部分は、彼女だ。


 朝食のあと、ぼくと彼女は外出した。予定は、ふたりとも、なにもなかった。どこへもいく必要はなかったし、なにをしなければいけない、というわけでもなかった。ぼくが友人から借りている一九六七年のフォードの2ドアに乗って、なんのあてもなく快晴の日の道路を走った。
「クリスマスが近いというのに、真夏のようだわ」
 と、彼女が言った。
「でも、この島だと、本物の自然な気候だ、という感じは明確にあるから、クリスマスに泳げても、そういう気候に気持ちは完全になじめるね。たとえばLAだと、そうはいかないみたいだよ。LAでも、クリスマスに真夏みたいなときはあるけれど、まったく人工的な感触があって、気候でさえすべては造りものの嘘、という気持ちが抜けないんだ」
 ぼくは、フォードのグラヴ・コンパートメントを開いた。この一九六七年の2ドアは、ある家の庭に長いあいだ停めたままだった。その家のいちばん幼い娘が、兎小屋のかわりに使っていた。昔の自動車を専門に扱う中古車のディーラーがひきとり、きれいに修復しなおした。臭いは消してあるのだが、たとえばいまのようにグラヴ・コンパートメントを開くと、その一瞬、いまでもかすかに兎の臭いがした。
「読書をしようか」
 グラヴ・コンパートメントから双眼鏡を出して、ぼくは彼女に言った。
「読書?」
 双眼鏡を、ぼくは彼女に手渡した。
「走っている自動車の、バンパー・スティッカーを読むんだよ。ほんとは、LAのフリーウエイを走りながらのほうが面白いのだけれど、ホノルルでも充分に楽しめる」
 彼女は、双眼鏡を目にあてた。ぼくがホノルルで読んだバンパー・スティッカーの文句で、いまでも記憶しているひとつは、『これはなんのメッセージもない、ただのバンパー・スティッカーです』というものだ。オレンジ色の地に白い文字で抜いた、鮮やかなバンパー・スティッカーだった。
「読めるわ」
 彼女が言った。
「『今日もまた楽園におけるくだらない一日』ですって」
 双眼鏡を目にあてたまま、彼女は指さした。
「あの、グリーンのクライスラー」
「あそこの、まっ赤なスポーツ・タイプは?」
 彼女は、その車に双眼鏡をむけた。
「『正しい道を走ってますか』というメッセージだわ。宗教的な意味も含ませてあるのかしら」
「きっと、そうだ。最近、そういうのが多いよ」
 十年ほどまえのキャデラック・エルドラードが、ぼくたちを追い抜いていった。その車にも、後部バンパーにはスティッカーが貼ってあった。双眼鏡を使わなくても、読むことができた。『もしこれが読めるなら、車間距離のつめすぎだよ』という、この島に昔からある文句が、そのスティッカーには印刷してあった。
 彼女は、再び双眼鏡を目にあてた。
「ほら、あった。宗教的なスティッカー」
 マーシディーズ・ベンツのトランクの下端に、『汝イエスを愛するなら、ホーンを鳴らせ』と、スティッカーが貼ってあった。
「『血液は生命。人から人へ、手渡しなさい』というのがあるわ」
「そしてその隣りを見てごらん」
「左隣りかしら」
「そう」
「見えるわ。『人生は至難事』ですって」
 かつてLAのフリーウエイを走りながら読んだバンパー・スティッカーのいくつかを、ぼくは思い出した。『回答として我々にあたえられたものがイエス・キリストであるならば、最初になされたそもそもの質問はいったいなにだったのか』というのがあったし、『私はあなたがたを愛しています。いまのとこは、そこまでで勘弁してください。イエス・キリスト』というのもあった。
 ダイアモンド・ヘッドの北側、カイムキを抜けていき、フリーウエイが終わりになるあたりで、ぼくたちは決定的なバンパー・スティッカーを、ふたりで同時に読んだ。『クリスマス近し。メアリーのごとくあたえよ』と、そのスティッカーは主張していた。
「利己心のようなものを、自分の内部で完全に消してしまったメアリーに、すこしはならったらどうか、という意味だろうね」
「きっと、そうだわ」
「クリスマスは、女性にとって、大変な時期だね。メアリーが限りなくあたえる人だとすると、女性たちはなんらかのかたちで、そのメアリーのイメージを、クリスマスのときには引き受けなくてはいけない。自分の母や、そのさらに母親たちがクリスマスにおいて果たしてきた役割を、自分も果たさなくてはいけない。うまくそれができるかどうか、とても心配だし、クリスマスにむけての準備も、大変なんだ」
「すべての夢は女性がかなえてくれる、ということかしら」
「そんなふうに言ってもいい」
「おとぎ話のなかの出来事でしょう、それは」
「だから、もっと抽象的に考えればいいんだ。到達することなどとうてい不可能なほどの崇高な理想が、自分たちにとってまだ存在しているという事実を祝って、精神を高揚させる時期、それがクリスマス、というふうに」
「クリスマスに関して、最初の記憶というようなものは、あなたにもあるでしょう」
 双眼鏡を手に持って膝を組み、彼女がぼくにきいた。
「あるよ」
「どんなものなの?」
「直径が十二インチのケーキだ」
「焼いてもらったのね」
「母親が焼いた。彼女の父親に手伝ってもらって。子供のひとりひとりに、直径十二インチのケーキを焼いて、しかもどんなケーキがいいか、子供のほうから注文を出すことができたんだ。そのケーキが、数あるプレゼントのなかでも、群を抜いて最高のものだった。プレゼントの最高位に、そのケーキがあるのさ」
「楽しいわね」
「ほかのプレゼントは、あまり好きではなかったね。両親もふくめて、幼い頃のぼくの周辺には、いろんなプレゼントをくれる人たちがたくさんいた。つまり、彼らは、子供の頃、プレゼントなどほとんどもらえなかったのだ。ぼくのために考えて買ってきてくれたプレゼントに関して、どの人も自信を持ってないことが、子供のぼくにさえ、痛いほどに伝わってきていた。そしてぼくは、どのプレゼントに対しても、うわあ、ぼくはこれが以前から欲しかったのです、と気持ちをこめて言わなければならないのが、つらかった。よろこんでもらう、という期待をはずしてしまうことはできないし」
「もう何年もまえに両親のところを離れて、いまでは完全に独立して自分の人生を追求している三十代の女性が、クリスマスは誰にとっても重荷だと言っていたのを、私は覚えているわ」
「よくわかるよ。年に一度、親族が集まってきて、そこはたいていの場合、親のところだから、その親のもとに集められて、かつてとおなじように両親といっしょにクリスマスをするのは、たとえばいまだに自分が両親にどこかで頼っていたり、どこかにまだ親の拘束力が残っていたりすることを確認されているみたいで、愉快ではないんだね、きっと」
「自分を追求するために、家族から自分を切り離した女性だったから、両親に対する依存の関係のようなものは、思い出されたくないのね」
「そうだと思う。プレゼントも、ほんとうは、大変なことなんだよ」
「なにかいいものをもらうと、それを自分にくれた人に、自分が依存しているような気持ちになるのだと、その女性は言っていたわ」
「もらってうれしいものであれば、いいものをもらった、うれしい、という楽しみの気持ちを、人からもらった、つまり、人に頼った、というふうに彼女の内部では、反応してしまうんだ」
「子供の頃のクリスマスは、親があたえてくれるものの典型ですものね」
「そうなんだよ。親が語って聞かせる、かつて自分たちが子供だった頃のクリスマス、というイメージがまず重要なものとしてあるし、その彼らがおこなおうとしているクリスマスというものがそこに重なってくる。だから、ぼくならぼくの、最初のクリスマスの思い出とか、子供の頃のクリスマスとかは、すくなくとも三代くらいはさかのぼって、たやすく連鎖してしまう」
「過去に束縛されないようなクリスマスを考えて、実行すればいいのだわ」
「そうなのだけど、現実には、クリスマスは冬の儀式だね。その儀式のなかで、自分たちにとっていやな変化はなにもなかったし、これからもそんなものはなくて、これまでのそれぞれの場所でずっとおなじ状態で存在し続けることができるのだ、という幻想を楽しむ季節なんだ」
 クリスマスについて、そんなふうにひとくさり語ってから、ぼくは話題を変えた。この島での、ぼくにとっての幼なじみである友人が建築業を営んでいて、その彼が古いドアのコレクターでもある、という話を、ぼくは右側のシートにすわっている彼女に喋った。
「一九三〇年代や四〇年代から存在してきた、古い建物が次々にとり壊しになっていった時期があって、それはいまでも続いているのだけど、古い建物が壊されると聞くと、彼はそこへでかけていき、その建物の正面のドアとか、あるいは裏口のドアとかを、安くに譲り受けてくるんだ」
「趣味でおこなっていることなの?」
「彼の気持ちのなかでは、半分は趣味だろうね。すくなくとも、商売ではなくて、個人的なことなのだと、ぼくは思う」
 彼が古い建物のドアを集めるようになるにいたった最初のきっかけは、彼の祖父が昔から住んでいた家が壊されたことだった。彼は、その祖父も、そして祖父が住んでいた木造の家も、ともにたいへんに気にいっていた。とり壊されるにあたって、まだ少年だった彼は多いに哀しみ、ブルドーザーがきて壊した日には涙を流して泣いた。
 正面入口のドアを彼は記念に持って帰り、自分の部屋のなかに置いていた。家を壊す人ではなく、造る人になろう、建築家になろう、と彼が決意したのは、それからまもなくだった。
 いまでは、何枚もの古いドアを、彼は所有している。コレクションを、ぼくは見せてもらったことがある。どのドアも、長い年月のなかでたくわえてきた風格を持っていて、ドアだけをひとつひとつ見ていても、飽きることはなかった。
 そのコレクションのなかから一枚を選び、そのドアをイメージの中心にして、そこから一軒の家を設計して建築する、という作業を、彼はすでに何度か体験していた。祖父の家を再現し、その内部には祖父がまだ若かった頃のハワイを、当時のままによみがえらせてみたい、というような夢を、彼はかつてぼくに語ってくれた。
「その彼が、ある年のクリスマスに、コレクションのなかからドアを一枚、売ったんだ。すでに彼には家族がいたけれど、はじめたばかりの建築業は倒産しかかり、資金はもちろん、彼個人の生活のためのおかねも、不足していた。クリスマスが近づいてきて、どうにもならなくて、彼はドアを売ったんだ。買ったのはサンフランシスコの金持ちの女性で、そのドアは要するにインテリア・デコレーションなんだね。処分するときには自分に連絡してくれるように、という約束を彼女からとりつけた上で、彼はそのドアを売ったんだ」
「私も、そのドアのコレクションを、見たいわ」
「見せてくれるよ。紹介する」
「この島なの?」
「彼は、マウイに住んでいる。そうだ、これからマウイへいこうか。空港へいって飛行機に乗れば、三十分とかからない」
「楽しそうね」
「今日の予定は?」
「これといって、なにもないわ」
「ぼくも、なにもない。マウイへいこう。空港へむかおう」
 ぼくは、ダッシュ・ボードの時計を見た。これから空港へいき、マウイまで飛行機に乗ったとして、マウイに到着するとちょうど昼食の時間だ。
「昼食は、マウイでとろう。いい店を何軒も、ぼくは知っている。選ぶのは、まかせてほしい」
「マウイに泊まるの?」
「そうしてもいい。祖父の家に泊めてもらうと、面白い。あるいは夕方、この島へ帰ってきてもいい」
 空港にむかいながら、ぼくはダッシュ・ボードのラジオをつけた。中波の受信帯を、端から端まで、彼女にダイアルをまわしてもらった。英語以外の、彼女にとっては思いもかけないほどにさまざまな国の言葉によるラジオ放送を、次々に受信することができた。
「いろんな国から、たくさんの人たちが、この島へ来ているんだ。この島はアメリカだから、来たからにはかつての自分たちの文化をすべて捨て去り、英語を勉強し、アメリカ的な生活のなかへ同化するようにと、その人たちに対して強制的な指導がおこなわれている。高層のアパートを一方的にあてがったりしてね。しかし、そのような強制的な同化よりも、どの国から来た人たちもそれぞれの文化を充分に残した生活を、ここでまず定着させることを最初に考えるべきだという方針もいっぽうにあってね。そのような方針の人たちのグループのひとつに、さきほどのドアのコレクターは加わり、貢献している。英語や高層のアパートを無理じいして強制的に同化させるのではなく、それぞれの国の人たちに固有の文化を存分に残した生活とそのための場所をまず作って、話はそこからはじまる、という考えかたのグループなんだ。カンボディアから来た人たちのための居住地を、まず造るのだと、彼は言っていた。祖父の家を再現したいという気持ちと、この島へ新しく来た人たちのための場所を造る仕事とが、彼の内部では、ひとつにつながっている。彼に会って話を聞くといい。面白いよ」
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冬の貿易風



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 そのブック・ストアは、奥行きが深い。奥にむけて歩いていくと、両側にいくつものアルコーヴがある。棚のある壁面をできるだけ多く作り出すためには、数多くのアルコーヴが必要なのだ。アルコーヴごとに領域を設定できるし、そのなかにいるとなかば個室のようであり、本を選ぶ人の気持ちは落ち着く。
 ぼくは、奥にむけて歩いていった。フロアは、板張りだ。どんな靴をはいてここを歩いても、感触はとてもいい。店のなかぜんたいに、ほのかにお香が漂っていた。店のなかに、今日は人がすくない。土曜日の午後の、きわめてあいまいな時間だ。そして外は、冬のホノルルにときたまある、どしゃ降りの雨だ。
 店のいちばん奥には、宗教書がぎっしりと棚につまっていた。そのすこし手前に、現代の作家たちによる短編集をたんねんに集めたアルコーヴが、ふたつあった。ぼくは、そのアルコーヴに入った。女性の客がひとり、棚にむかって立っていた。
 アルコーヴのこちら側の端からむこうの端まで、かなりの距離がある。彼女はむこうの端に立っていて、ぼくはこちら側だ。ぼくは彼女のほうに顔をむけると、棚に面して立っている彼女のうしろ姿を、ほぼまうしろからぼくは見ることができた。
 ひょっとしたら日本の女性かな、とぼくは思った。着ている服はこの島で手に入る普通のものだし、姿勢やぜんたいの雰囲気にはアメリカの人らしさがかなり濃くあるけれど、しなやかに強靭そうな印象とは別に、微妙な優しさが体のいろんな部分にほのかにあった。その優しさがひとつに集合して、まっすぐにのびた体の強そうな印象の、縁どりをしていた。
 なんの変哲もない白い半袖のシャツに、この島ではやや珍しい、シックな灰色のスカートを、彼女は身につけていた。五センチのヒールのあるサンダルに支えられて、彼女はぼくとちょうどおなじくらいの背たけだ。スカートやシャツの着こなし、そしてその下にある彼女の体の、ひきしまってほっそりとしていると同時に、量感もまた充分にある美しさは、たとえばいまのぼくがそうであるように、見とれてしまってなんら不思議ではなかった。
 髪のつくりは、ぜんたいの雰囲気や体のありかたに対して、完璧と言っていいほどに完成されたものだった。無造作に見えて、じつは完璧なのだ。肩幅の広さは、スカートの裾から見えている脚の美しさと対応している。そして背中の広がりとその両側にある腕のきれいに流れる線は、腰の色気と呼応していた。相当な美人なのではないか、とぼくはひとりで思った。彼女は陽焼けしていた。昨日や今日の陽焼けではなく、すでに完全に自分の肌の色となっている陽焼けだ。
 隣りのアルコーヴにも、現代のアメリカ人作家たちによる短編集が集めてあった。そちらへ移っていこうとした彼女は、その場を離れようとして体のむきを変え、その動きのなかにある一連の動作の一部分として、ふとぼくを見た。そのまま、彼女の動きは止まった。彼女の視線は、まっすぐにぼくの顔にのびていた。
 その視線を受けとめて、ぼくは、ごく淡く微笑した。おなじ場所にいる人と視線が合ったときのための、あの微笑だ。そしてぼくは、いったん彼女の顔から自分の視線を本棚に戻した。だが、彼女は、ぼくを見たままだった。だからぼくは、再び彼女の顔に視線を移した。
 ぼくをじっと見ている彼女の表情には、いくつかのニュアンスが重なっていた。まず第一に、彼女は、なにごとかを確認しようとしていた。さぐりあて、呼び戻そうともしていた。ひょっとして、と希望をつなぎつつ、まさか、と打ち消してもいた。まさか、という気持ちのなかには、驚きもあった。そしてその驚きは、きっとそうにちがいない、という確信につながっていた。ぼくとしては、どうすることもできなかった。じつにきれいな人だ、と思いつつ、もう一度、淡い微笑を、ぼくは浮かべなおしてみせた。
「昭彦ちゃん?」
 と、彼女は言った。短い台詞だが、日本人の日本語だった。昭彦は、ぼくの名だ。ぼくは、水谷昭彦という。
「そうです」
 と、ぼくは答えた。
「やっぱり!」 
 子供の頃にぼくがたまに観た昔の日本映画のなかの台詞のように、彼女はそう言った。そして、ぼくは、思い出した。いま目のまえにいるひとりの美しい日本女性を、かつてぼくはよく知っていた。毎日のように顔を見ていた。彼女は、中原三津子さんだ。
「お姉さん」
 と、ぼくの口から、反射的に出た。かつてぼくが彼女をよく知っていた頃、ぼくは彼女のことをそう呼んでいた。
 ぼくは、十二歳から十八歳にかけての期間に、彼女を知っていた。ハワイにむけて東京の空港から出発する彼女を、ぼくは見送っている。ぼくが十八歳のときだった。そのとき以来だ。ぼくより五つ年上である彼女は、二十三歳だった。そして現在のぼくは、二十八歳だ。
 まっすぐに、彼女は歩みよってきた。泣き出しそうな顔をしていた。歩みよってさしのべてくる彼女の手を、ぼくはとった。
「お元気ですか」
 笑顔で、ぼくは言った。十年ぶりだ。懐かしい。それに、こんなふうに偶然に会えるとは。
「こんなところで」
 と、彼女は言った。
「ホノルルにいらしたのですか」
「昭彦ちゃんもここにいたの?」
「昔とすこしも変わっていませんね」
「昭彦ちゃん。面影がそのまんま」
「久しぶりです」
 と、ぼくたちのやりとりは、少しも噛み合わなかった。
「ほんとにびっくりしたわ」
 ぼくの手を握っている手に、彼女は力をこめた。もう一方の手には、本を三冊持っていた。彼女は昔から本が好きだった。
「驚いたわ」
「ぼくもです」
「元気そう」
「お元気そうですね」
「そんな他人行儀は、いやよ」
 と、彼女は言った。こんども、昔の日本映画のなかの女優の台詞のようだった。
「私は、ここに来てからずっと、ここに住んでるの。出発するとき、空港まで昭彦ちゃんは送ってくれたわ」
「よく覚えてます」
「私もよ」
「あれから十年になるのね」
「そうですね」
「昭彦ちゃんも、この島にいるの?」
「ぼくは、いまは日本です」
「日本に住んでるの?」
「そうです」
「あれ以来、ずっと?」
「高校を出るまで東京にいて、大学はカリフォルニアでした。大学を出たあとしばらくのあいだホノルルにいて、ふたたび日本に戻り、それ以来、日本にいます」
 おたがいの十年間に関して、ごく単純な言葉をいくつかずつ交わしあうだけで、その十年間のきわめておおまかな骨格だけは、伝えあうことができた。
「独身?」
 と、彼女はぼくにきいた。
「そうです」
「私もよ」
 片手に持っていた三冊の本を彼女はわきの下にはさんで持ち、両方の手でぼくの手をつつみこんだ。
「こんなことって、ほんとにあるのね」
 そう言う彼女を、ぼくは微笑して見ていた。
「なにか予感がしたのよ」
 微笑するぼくに、彼女は、
「今日は、いい日だわ」
 と、つけ加えた。
「なにか本を買うつもりではなかったの?」
 彼女が、きいた。
「いまは、いいです」
「私は、この三冊を買うわ。外へ出ましょうか」
 ぼくたちは、店のおもてにむけて歩いた。三津子は、片手でぼくの手を持ったままだった。クリスマス・プレゼント用のきれいな本がたくさん並べてあるアルコーヴをへて、ぼくたちはキャシーアのカウンターのまえに立った。三冊の本の支払いを彼女はおこない、カウンターの女性は薄いヴィニールの袋のなかに三冊の本を入れた。
 ぼくたちはブック・ストアの外に出た。巨大なショッピング・センターのなかに、そのブック・ストアはあった。激しく雨の降る冬の土曜日の午後、ショッピング・センターの内部には、この島のきわめて平凡な日常が横たわっていた。
「このあと、なにかほかに予定があるの?」
 丁寧に気持ちをこめて、三津子がきいた。予定はなしであってほしい、という彼女の気持ちが、きれいにすんなりと、ぼくに伝わった。かつてぼくがよく知っていた頃の彼女の持ち味が、領域によってはそっくりそのまま、いまでも残っていた。
「ぼくは、暇です」
「私も、土曜日だから、休みなのよ。よかったら、私の家へ来て」
 足をとめて、彼女はぼくの目を見た。
「一軒の家に、女性の友人と同居してるの。彼女には子供がひとりいて、離婚していて、いまは子供といっしょに出かけてるわ。夕方までには帰ってくるの。彼女にも会ってちょうだい。夕食をいっしょにしてもいいのだし。積もる話が、たくさんあるわ」
 ぼくたちは、駐車場へ歩いた。広く屋根のある、なかば地下のような駐車場に入り、三津子は自分が自動車を停めた場所にむかった。
「昭彦ちゃんも、車でしょう?」
「そうです。この近くに停めたはずです」
 彼女の自動車は、AMCのマタドールの4ドアだった。そしてその隣りに、ぼくの車、オールズモビールのカトラス4ドアが停まっていた。ぼくたちの車は、隣りあわせだった。
 二台のそれぞれに平凡な自動車のまえに立って、彼女は正面からぼくを抱いた。両腕を深くぼくの体にまわし、力をこめて抱き、彼女は体を押しつけた。
「これも、偶然なの?」
 ぼくの目のまえに、美しい三津子の顔があった。
「ぼくが車をここに停めたとき、このマタドールはすでにここに停まっていました」
「こんな偶然は、やはりお祝いしなくてはいけないのよ」
 すんなりとした癖のない英語で彼女はそう言い、ぼくをさらに抱きよせた。相手を抱きよせつつ、同時に自分のほうから相手に身をまかせる抱きかたのなかで、三津子はぼくの唇をとらえた。
 明らかに控えめではあるけれど、気持ちの充分にこもった口づけを、三津子はぼくに対しておこなってみせた。均等な情熱で、ぼくはその口づけに答えた。
 唇がやがて離れて、彼女は腹から下をぼくに押しつけたまま、上体をうしろに反らした。右手の薬指の先端で、ぼくの唇についた口紅を、彼女は丁寧にぬぐい取った。
「私たち、はじめて、やっと、こんなことをしたわね」
 今度は日本語で、彼女は言った。
 ぼくたちは、それぞれの車に入った。駐車場を出ていった。彼女のマタドールが先をいき、そのあとをぼくがついていった。ショッピング・センターの敷地を出ると、ぼくは彼女の運転のしかたを観察した。ぼくが十年まえの彼女の魅力のなかに感じていた、ふとしたときに見せるきわめて男まさりな、めりはりのきいたアクションを、ぼくはマタドールの動きのなかに思い出した。
 ホノルルのなかにある、平凡で雑然とした日常の光景は、冬のどしゃ降りの雨のなかで、さらにいちだんと平凡だった。その平凡さは、すでに普遍に到達している、と言ってもいいほどだ。自動車の外にあるその平凡な光景の空間を、大量の雨が横殴りに飛んでいき、ワイパーがガラスの上でそれをぬぐい続けた。路面は水の膜で覆われて光り、雨の冷たい香りはそれを吸いこんだ体を内部から鎮静させた。
 雨のなかを走っていくAMCマタドールのうしろ姿を見ていると、十年ぶりに再会した中原三津子がそれをいま運転していて、そのあとをぼくが追っているのだとは、とうてい信じられなかった。
 山裾をしばらく昇っていくと、住宅地に出た。それぞれに広くスペースをとった平屋建てのおおまかに大きな民家が、おたがいに存分な距離をとって、並んでいた。ホノルルの市街地の西側を、その山裾の上から見渡すことが出来た。
 密度の濃い雨のなかで、高台の空気は淡く灰色だった。その灰色のなかで、三津子のマタドールのターン・シグナルが赤く点滅した。道路から一軒の家の敷地のなかへ、彼女の車は入っていった。芝生の庭のなかを、家の建物にむけてドライヴ・ウエイがゆるやかにカーヴしつつのびていた。ポーチのまえをとおり、三津子の車はガレージのまえで停止した。ブレーキ・ランプが赤く灯った。そのすぐうしろに、ぼくはカトラスを停めた。エンジンを停止させた。ぼくと彼女は、ほぼ同時に、雨のなかに出た。
 走りよってきて、彼女はぼくの手をとった。手をとったまま、ぼくたちは雨のなかをポーチへ走った。階段を上がり、ポーチの軒の下に立った。キーを出して、彼女はドアを開いた。
 間取りがゆったりと広がっている、住みよさそうな家だった。ほどよく乱雑にしたままであり、その乱雑さのなかには、男の子供の存在を伝えるものが、いくつもあった。
「この家。じつは、私のものなのよ」
 微笑して、三津子は言った。
「見せましょうか」
 家のなかを、彼女は案内してくれた。彼女が自分だけのスペースとして使っている部分は、家ぜんたいに対してなかば独立したような造りとなっていた。広い寝室がひとつ。そして、それよりさらに広い、書斎のような部屋。その隣りにもうひとつ部屋があり、浴室とウオークイン・クロゼットでひとつにまとまっていた。居間に戻ってきたぼくたちは、居間の外側ぜんたいを取り巻いているラナイを眺めた。板張りのラナイは、激しい雨に打たれていた。居間の外はゆるやかな下り坂のスロープになっていて、その上にラナイは高く張り出していた。雨の降る太平洋と、それに面して横たわっているホノルルの一部分とを、ぼくたちは遠くに見た。この雨は、冬の貿易風が降らせていた。
 三津子は、コーヒーをいれてくれた。キチンの外に食事のためのアルコーヴが大小ふたつあり、小さいほうのアルコーヴにぼくたちは入った。七角形の出窓があり、そのすぐ内側に小さな丸いテーブルがあった。ぼくたちは、そのテーブルをあいだにはさんで、さしむかいとなった。
「空港で見送ってもらってから、もう十年なのね」
 感慨をこめて、三津子が言った。
「だから、もう、昭彦ちゃんとも呼べないわ。あなた、と呼んでいいでしょう?」
「どうぞ。しかし、ぼくは、昔のとおり、お姉さん、と呼ぶほうが自然ですね」
「お姉さんでいいわよ。うれしいわ。でも、なんだか、信じられないわ。こんなことって、あるのかしら」
「ありますよ」
「十年後のいま、ふたりでこうしてるのですものね。私は、八十パーセントは、ここの人間になったわ。でも、一日が終わって化粧を落とし、お風呂に入って髪も洗い、浴衣でも着ると、日本の女なのよ。東京にいた頃にくらべると、自分の状況は、ものすごく大きく変化したわ。その変化のきっかけは、あなたよ」
 笑顔で、三津子はそう言った。
「好きなアメリカに、直接に触れたいと思って、ひとりで勉強していた私は、あなたを知って、英語を教えてもらったり、基地に連れていってもらったりして、最終的にはあの基地の学校であなたが紹介してくれた先生をとおして、私はハワイに留学することになったのだから。間接的なのはいやだ、直接的でなくてはいやだと思って、その思いのとおりに進んできたら、十年でこうなったの。いまは永住権があって、銀行に勤めているの。能力はそのまま正直に認めてくれるところだから、責任のある相当な要職にあるのよ、お姉さんは」
「うれしく、心強いです」
「私はかならずアメリカへいくのだと、自分ではっきり思ったのは、私が五歳くらいのときなのよ。ずいぶん年のちがう姉たちといっしょに、ある夏の日の夜、映画を観たの。晴れた日の夜、外で映画を上映するの。道の両側の電信柱に布製の大きなスクリーンを張り渡し、それにむけて上映するのよ。知らないでしょうね。町の人たちがみんな、観にくるの。明るいアメリカ映画だったわ。主演の女優さんが着ている服を、姉たちは真似していたの。家とか自動車とかは、まるで夢みたいな世界だったけれど、たとえば半袖のシャツくらいなら、すぐに真似ができたのね。洋裁の心得のある友人を姉が連れてきていて、主演の女優さんが着ていたのとおなじような半袖のシャツを、作らせたりして得意になってたわ。袖を折って、襟をうしろですこしだけ立てて。風が吹くと、スクリーンがゆらゆらと揺れるの。東京でも、こんなことがあったのかしら。ある田舎町での、遠い昔の出来事。そんな姉たちを見ていて、私は絶対にアメリカへいくのだ、と五歳の私は心に誓ったの」
「実現してしまったのですね」
「この島へ来たのは、十年まえでしょう。よかったわよ、あの頃は。ハワイらしさがまだ残っていて。ダウン・タウンの日系人街とか、日系の人たちの社会とか。学校に通って、必死に勉強して、いろんなことを吸収して。懐かしいわ。十年もたったのね。それとも、わずか十年かしら」
 ぼくには、どちらとも答えることは出来なかった。だから、ぼくはただ、微笑していた。
 ぼくは、中学校のなかばから高等学校の三年間を、東京で過ごした。母親の親戚が世田谷で花屋を営んでいて、その家の広い庭の奥に建っていた小さな一軒家に、ぼくはひとりで居候していた。店の仕事を手伝うのが、ぼくは好きだった。学校を休んで仕事を手伝うことも、しばしばあった。中原三津子とはじめて逢ったのは、その花屋の店頭でだった。
 彼女は、いつも花を買いにくる、年上の美人だった。朝早くにくることが多かった。ほとんどの場合、ぼくが彼女に応対していた。
 なぜ、朝早く、毎日のように彼女が花を買いにくるのか、ぼくにとって小さな謎だった。その謎は、すぐに解けた。花を買いに出て、その花を持って家へ帰り、ダイニング・ルームのテーブルの花瓶に花を活けてから、彼女は朝食を作ることにしていたのだ。
 知り合ってほどなく、ぼくは彼女にとって英語の先生となった。好きな英語の歌に聞きとれない部分があるから教えてほしい、と彼女に言われたのが、最初だった。
 仕事をしながらひとりで英語の勉強をしている彼女は、いろんなことをぼくにきいた。公園のベンチで日曜日の午後ずっと、発音の練習をしたことを、ぼくはいまでも覚えている。自分で満足がいくまでは絶対にやめようとしない、頑固な学び手だった。
 美しく優しい、そして魅力的な彼女は、少年のぼくにとって、謎に満ちていた。そのいくつもの謎は、ぼくをかなり悩ませた。たとえば秋深い日曜日にふたりで散歩していると、彼女の足もとに落ち葉が舞う。当時から彼女は五センチのヒールのある靴をはいていた。彼女のきれいな足もとには、秋の落ち葉がよく似合った。足音は軽く優しく、くっきりとしていた。ただ優しいだけではなく、きりっとひきしまった強さが、影のように常にその音のどこかにあった。肩を並べて歩いていると、その足音が少年のぼくを悩ませた。
 彼女が留学したがっていることを知って、ぼくは父親の知人を府中の基地に訪ね、彼女を紹介した。その知人は、基地で先生をしていた。ピアノ、琴、お茶、花のほかは、洗濯とお酌しかできないと言っていた彼女だったが、留学の話は急速にまとまり、ぼくが高等学校を卒業するすこしまえ、彼女は日本をあとにしてハワイへ移った。空港に彼女を見送ったのは、そのときだ。
 彼女には、できることがさらにふたつ、あった。ポケット・ビリアードとソーシャル・ダンシングだ。ビリアードの腕前はプロであり、その世界で彼女の名は相当に知られていた。ぼくが居候していた家から歩いて十五分ほどのところにある町で、彼女は仕事をしていた。一階がビリアード、そして二階がダンス教室となっている建物があり、そこが彼女の仕事の場所だった。彼女は、二階でダンシングを教えていた。一階のビリアードでは、ぼくを相手によくナイン・ボールのゲームをおこなった。ナイン・ボールに関してならぼくは彼女とほぼ対等に渡りあうことができた。
 彼女は、ひとりで住んでいた。一階と二階とが別々になっている、洒落た造りの木造の一軒家の二階に、彼女はひとりでいた。ぼくは、その二階へ、しばしば招待された。日曜日の午後、彼女のジャズのLPのコレクションを、ふたりでよく聴いた。夕方になると、ふたりで料理を作り、いっしょに食べた。思い出していくと、思い出の材料はたくさんあった。
 美しく魅力的で、優しくて同時に強い芯のある三津子は、しかし、当時のぼくにとっては、やはり謎だった。彼女のことが、ぼくにはまだよくわからなかった。彼女がなにを目ざしているのか。彼女が自分の人生のなかでなにをやってみたいと思っているのか。そのようなことに関して、彼女にはすこしだけわかりにくい部分があった。ハワイも含めて、アメリカに留学することに関してたいへんに熱心な気持ちを抱いているのだ、ということが判明するまでは、彼女はぼくにとって謎だった。
「人とは、ちがっていたいの。人とおなじって、私は大嫌い。だから、結婚もできないのよ。したくないし、しないわ。独身でいる女性と、誰かの奥さんになってしまう女性とをくらべたなら、奥さんのほうがずっと多いでしょう。多いほうのひとりに、私はなりたくないの。多いほうに入ってしまうと、それだけ人とおなじになってしまうでしょう。いやだわ」
 彼女がハワイに出発するとき、空港ではじめて、彼女はぼくにそんなふうに語ってくれた。自分自身に言いきかせるかのように、彼女は熱意をこめてそう言っていた。
 十年ぶりに会う彼女が、いまテーブルのむこうにいる。電話のブザーが、どこからともなく聞こえてきた。彼女は、椅子を立った。キチンに入っていき、壁の受話器をとった。電話の相手と喋る彼女の声が、ぼくのところまで届いてきた。電話の相手は、この家で彼女がいっしょに住んでいる女性だということが、ぼくにもすぐにわかった。
 三津子は、テーブルに戻ってきた。椅子にすわりなおし、ぼくをまっすぐに見た。淡く微笑し、
「いっしょに住んでいるシャーリー・グリーンだったわ。これから帰るのですって。外から帰ってくるときには、かならず三十分ほどまえに、彼女は電話してくるのよ。なにかを気づかっているのかしら。たとえば、男性とか。自分の留守に、男性が来ているかもしれない、と思ったりしてるのかしら。そういうことを気づかってくれてるのかな、とも思うのよ。その気になると、とてもこまかく気持ちを配ることのできる女性だから。男性が来ていることを期待してたりするのなら、今日こそはその期待にこたえることができるわ」
 客がひとりいる、とさきほどの電話で彼女はシャーリーに告げていた。まるで予期していなかった人にブック・ストアでばったり会った、ぜひあなたにも紹介したい、と三津子は言っていた。
 三十分後に、一台の自動車がポーチのまえに停止した。シャーリーとその息子が家のなかに入ってくると、急ににぎやかになった。三津子は、ぼくをシャーリー・グリーンにひき会わせてくれた。シャーリーがぼくをはじめて目にする瞬間は、長く続いて人気のあるTVのソープ・オペラに新たに登場してきた人物を、居間のソファから一瞬のうちに鑑定するような視線をぼくが全身で受けとめる瞬間だった。ぼくは、その鑑定に、とりあえずは合格したようだ。シャーリーは三津子のことをジューンと呼んでいた。そして三津子は、ぼくをリチャードと言ってシャーリーに紹介した。リチャードは、ぼくの本名の一部分だ。
 シャーリーの息子、ジムは、十四歳だと言った。すこしだけ小柄だろうか。彼の母親のシャーリーは、いったいどのくらいの血が重なりあい混じりあっているのか、見当もつかないほどの混血ぶりだが、ジムにはポリネシアの影響が濃く出ていた。彼にくらべると、母親は白人により近かった。
 シャーリーは、三津子とおなじ年齢だった。背丈もほぼおなじで、体操の選手のようにほっそりとひきしまった、筋肉質の体をしていた。美人、と言っていい。余計な愛想がなく、浅黒い肌の体を鋭角的に動かした。言葉は誠実で明確であり、き真面目な表情からいきなり笑顔になった。きりっとしている表情は、笑顔になるとやや不安定に見えた。
 この島のラジオ局のアナウンサー、インタヴューアー、営業、番組編成などの仕事をへて、いまはこの島で五局めのVHF―TV局にスカウトされて移り、夜のトーク・ショーのホステスを務めているという。
 ジューンと知り合ったきっかけは、三年まえにスタートしたそのトーク・ショーに出演してもらったことだ、とシャーリーはぼくに説明した。テープがあるからあとで観よう、とシャーリーは言った。三津子は、笑っていた。
 ぼくについて、三津子はシャーリーに説明した。最初の出会いから現在にいたるまでを、きれいな英語で的確に、三津子は説明した。最後まで聞いて、シャーリーは感激していた。どう考えてもこれは一編のラヴ・ストーリーだと、シャーリーは言い張った。ぼくはストーリーを書くために、この島へ来ている。ぼくと三津子との関係をそのまますべて書いたら、それはシャーリーの言うとおり、ストーリーとして成立するだろうか。
 ぼくたちは、いっしょに夕食を作って食べることになった。しかし、夕食のしたくをはじめるまでには、まだすこし時間があった。服を着替えるために、シャーリーは部屋を出ていった。入れちがいに、ジムがアルコーヴに入ってきた。素足の彼は、片手にスニーカーを持っていた。鮮やかなブルーのスニーカーだった。もう一方の手に、白い靴ひもを二本、持っていた。スニーカーは、新品であるように見えた。
 椅子を立った三津子は、ジムとならんで立ってみせた。ぼくにむきなおり、
「どうお?」
 と、彼女は言った。
「私の子供に見える?」
 彼女とジムとは、よく釣り合っていた。取り合わせとしてはかなり不思議なのだが、ふたりならんで立っていると、母親とその息子に、無理なく見えた。
「いっしょにいると、よく間違われるのよ」
 楽しそうに、三津子は言った。
「この家には、母親がふたりいるの。変な家よ」
 ぼくは、ジムを見た。彼が持っている、新品のブルーのスニーカーを、ぼくは見た。ジムは、十四歳だ。ぼくも、十四歳のとき、彼がいま持っているのとおなじような、鮮やかなブルーのスニーカーを一足、持っていた。いまはもうこの世の人ではない実際の母親が、ぼくに買ってくれたスニーカーだ。
 ぼくが十三歳のとき、ぼくの両親は離婚した。当時のぼくは、ハワイの別の島にいた。離婚した母親は、カリフォルニアへいってしまった。父親はそのままハワイにとどまり、数年あとになって再婚した。いまでもその女性と、夫婦として生活している。
 十四歳のとき、ぼくはカリフォルニアへいってみた。目的のひとつは、母親に会うことだった。彼女と同居するのではなく、訪ねていって一週間ほど滞在するのだ。
 カリフォルニアは、十二月なのに真夏のようだった。空はまっ青に晴れていて、太陽の光はまぶしく強く、降り注いでいた。海岸では、泳ぐことができた。ぼくにとって、十二月が真夏のようであることは珍しくなかったけれど、カリフォルニアでの冬の真夏は、ハワイとは感触がちがっていた。カリフォルニアの冬の真夏は、人工的に造ったもののように、当時のぼくには思えた。大規模な山火事が起こっていて、サンタモニカの桟橋の突端にいても、山の樹が燃える匂いがした。芳しさのなかに猛々しいものをはっきりと感じることのできる匂いだった。
 久しぶりに見る母親は、髪が茶色だった。カリフォルニアの太陽で色素がブリーチされてしまったのだと、彼女は言っていた。
「ハワイだっておなじように太陽の光は強いけれど、ハワイではこんなふうにはならなかったのよ。ここへ来て、色が抜けはじめたの。カリフォルニアへくるとブロンドになってしまう白人の女性は、たくさんいるのですって」
 髪が淡く茶色になっているせいで、母親はぼくが知っているよりもさらにいっそう、とらえどころのない雰囲気となっていた。親切に丁寧に、そして優しく接してくれてはいるのだけれど、心はなぜだかここにはないという印象が、ぼくのその母親にはいつもあった。おなじような印象を、中原三津子にも、かすかにぼくは感じる。
 ディズニー・ランドへ連れていってあげる、と母親は言った。ぼくは、断った。何度もくりかえし、彼女はぼくをディズニー・ランドへ誘った。そのつど、ぼくは断った。ディズニー・ランドへぼくを連れていくことを最終的に彼女があきらめた日、彼女は、
「新しいスニーカーを買いにいきましょう」
 と、ぼくに言った。スニーカーもぼくはたいして欲しいとは思っていなかったのだが、スニーカーくらいならいいと思い、彼女についていくことにした。彼女の自動車は、ポンティアック・カタリーナの2ドアだった。色は、陽ざしのなかで見るといっきに目が覚めるような、鮮やかなスカイ・ブルーだった。
「ブルーのスニーカーを買いましょう」
 フリーウエイを疾走しながら、彼女が言った。
「カリフォルニアの青い空と対抗するためには、足もとに鮮やかなブルーが欲しいわ。この車も、そうよ。空と対抗するために、この色を私は選んだの」
 ぜひあなたに見せたい、と彼女が言っていたショッピング・センターへ、彼女はフリーウエイを一時間近く走って、ぼくを連れていってくれた。広い敷地のなかに平たい建物がいくつもある、巨大なショッピング・センターだった。駐車場には、激しくかげろうが立っていた。
 ここは高級な店だから、きっとここにいい色のスニーカーがあるはずだ、と彼女が言う店に、ぼくたちは入った。スニーカーは確かに高級だったが、彼女が期待していたようなブルーのスニーカーは、なかった。
「このような色のスニーカーをさがしているの」
 と、彼女は、応対してくれていた店員に、自分のパンプスを示してみせた。自動車とおなじようなスカイ・ブルーのパンプスであることに、ぼくはそのときはじめて気づいた。
 その店には、淡い上品なブルーのスニーカーしかなかった。ぼくたちは、ほかの店へいってみた。三軒まわってどの店にもなく、ここは安物ばかりを売っているからほんとうは入りたくない、と彼女が言う店に、ぼくたちは入ってみた。彼女が思い描いていたものとぴったり対応する、鮮やかなブルーのスニーカーは、その店にあった。見るからに安物なのだが、色はまさに求めていた色であり、母親はそのスニーカーを買ってくれた。
 カリフォルニアにいるあいだずっと、ぼくはそのスニーカーをはいていた。ハワイへ帰る頃には、鮮やかなブルーはすっかり色あせてしまい、淡いブルー・グレーのような色になっていた。
「安物はよくないわ」
 色あせてしまったそのスニーカーを見下ろしながら、空港で彼女はそう言った。ぼくがハワイに帰ってしばらくすると、彼女からクリスマスのプレゼントが届いた。二年後に、彼女はフリーウエイでの自動車事故にまきこまれ、死亡した。
 ジムが手に持っているブルーのスニーカーを見て、ぼくは以上のようなことを思い出した。着替えをすませたシャーリーがアルコーヴに戻ってきて、ぼくは思い出を脱して現実に帰った。
 来週はラス・ヴェガスへ取材にいくのだと、シャーリーは言っていた。ハワイの人たちはほんとうにラス・ヴェガスが好きで、なぜそんなに大勢の人たちが島から砂漠のなかの人工的な町へいくのかについて、取材してレポートするのだという。
「ハワイからくる人たちだけで一年じゅう商売の成り立っているホテルが、ラス・ヴェガスには何軒もあるのよ。空港からホテルまでのバスとか、部屋代はもちろん、三度の食事もすべて含んだ一括の料金で、航空会社も参加して客のとりあいをやってるわ。ラス・ヴェガスに、ほとんどの人が三泊して、そのあいだギャンブル以外はなにもしないの」
 その取材旅行で自分は二週間ハワイを留守にする、とシャーリーは言っていた。夕食のしたくを始める時間まで、ぼくたちはアルコーヴにいた。シャーリーは、何度か、中座した。彼女がいなくなり、ぼくと三津子だけになると、それまで英語だったぼくたちの言葉は日本語に戻った。彼女が、日本語で喋るからだ。
「ジューンだなんて、きまり悪いわ」
 笑顔で、三津子は言っていた。
「自分でつけたのよ。ミツコって、言いにくいらしいのね。マツーカ、なんて発音する人もいて。だから、ジューンにしたの。私は六月生まれだから」
 シャーリーが席に戻ってくると、ぼくたち三人の話は英語になった。シャーリーが席をはずすと、日本語に戻った。なにかがおかしい、とぼくはやがて思うようになった。どこかに、なにかすこしだけ、違和感があった。それはなにだろうか、とぼくは思った。ぼくと三津子にシャーリーが加わって三人になっていることのなかに、なにか不思議な雰囲気を生むものがあるのだろうか、とぼくは考えた。そうではないようだった。十年ぶりに会った三津子が、いまはごく普通に英語で喋っていることのなかに違和感があるのだろうか、ともぼくは考えた。三津子がきれいに英語を喋ることのなかに、しかし違和感はまったくなかった。
 おかしいのはジューンという名前なのだと、やがてぼくは気づいた。三津子がいまはジューンであることはいっこうに構わないし、たとえばシャーリーが彼女をジューンと呼ぶことにも、違和感はすこしもなかった。問題は、このぼく自身だ。
 六月生まれだからジューンとつけた、とさきほど三津子は言っていた。そのような理由を別にしてしまうと、三津子はスーザンでもいいしメリーでも構わない。ジェーン、キャスリーン、なんでもいい。カトリーヌやコンスエロでもいいではないか。
 ブック・ストアのなかで、彼女は、昔とおなじように、ぼくを昭彦ちゃんと呼んだ。いま日本語で喋るときには、彼女はぼくをあなたと呼んでいる。ぼくも、ブック・ストアのなかでは、かつてそうしていたとおり、彼女のことをお姉さんと呼んだ。そう呼ぶのが自然だから、とさえぼくは言ったのだが、それはまちがいだったと、いま気づいている。
 十年まえはそれでよかったのだが、いまのぼくたちは、ほぼ完全に対等だ。彼女がぼくをあなたと呼ぶなら、ぼくは彼女を三津子と呼ぶべきだろう。それが、いまのぼくたちには、もっともふさわしいはずだ。
 シャーリーがキチンでなにかやっている物音が聞こえてきた。
「私たちもキチンへいきましょう」
 と、三津子が言った。
 ぼくたちは、椅子を立った。キチンにむけて彼女が先に歩き、そのあとにぼくが従った。彼女のうしろ姿に、
「三津子」
 と、ぼくは言ってみた。
 待ちかまえていたかのように、彼女はふりかえった。そして、まっすぐに、ぼくを見た。ぼくが見るもっとも美しい中原三津子を、そのときぼくは見た。
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アロハ・シャツは嘆いた



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 大学の構内の制限速度を下まわる速度で、ぼくはマーキュリーのマークゥイスを走らせていた。妹のヘレンから借りた自動車だ。ヘレンはこの自動車を知人から買ったと言っていた。彼女らしさをどこにも感じることのできない自動車だ。この大学で単位を取ろうとしている彼女は、いまボストンへいっている。ボストンで、彼女は姉に会っているはずだ。
 広い道路の、右側の歩道を、女性がひとり、むこうにむけて歩いていた。明るく強い陽ざしのなかを、ほどよい風が常に吹いていた。歩いていく彼女が着ている薄いドレスが、その風にさまざまにはためいた。彼女のうしろ姿を、ぼくは観察した。
 完全に成熟をとげた、大人の女性のうしろ姿だった。ぜんたいのバランスの良さは、心の内部の基本がとっくにできあがっていることからくる落ち着きへと、つながっていた。ゆっくりとした歩きかたのなかには、見ていて心地よくなる一定のリズムがあった。そしてそのリズムは、彼女が自分自身で自分にために獲得した、ほかの誰のものでもない、きれいなリズムだった。
 対向車線を、一台の自動車が走ってきた。深いブルーの車体が、陽光に鋭くきらめいた。歩いていく彼女との距離がつまり、彼女とすれちがう寸前、その自動車のドライヴァーは、運転席のなかから歩道の彼女になにか叫んだ。すれちがって走り去るその自動車に顔をむけ、彼女は笑顔で手を振った。彼女の薄いドレスが、その自動車のほうにむけて、いっせいにはためいた。
 後方へ走り去るその自動車を見送りつつ、彼女はふりかえった。ぼくが乗っているマーキュリー・マークゥイスを、彼女は目にとめた。
 ぼくは窓から右手を出し、彼女に振ってみせた。ぼくだということに気づいた彼女も、手をあげた。そして、歩道の縁へ出てきた。彼女は、ドロシー・ミラーという。ヘレンにとっての、先生のひとりだ。
 歩道の縁にただ立っているだけでも、くっきりと輪郭の明確なドロシーにむけて、ぼくはマーキュリーを徐行させていった。そして彼女のまえで停止した。彼女は、優雅に腰をかがめ、運転席のなかを笑顔でのぞきこんだ。
「待ち合わせの場所へむかおうとしていたところです」
 と、ぼくは言った。
「私もよ。いつもの建物の、あのロビーへむかっているところだったの」
「乗ってください。送ります」
「うしろの席に乗ってもいいかしら」
「どうぞ」
 体をねじったぼくは、うしろのドアをドロシーのために開いた。そのドアをさらに大きく開いて、彼女はなかに入ってきた。ドアを閉じた。彼女の香水が、ほのかに香った。香りによって創りだされる世界のずっと遠くまで、透明感がゆきわたっているような香りだった。
「あの建物に、あなたはほかになにかご用があるのかしら」
 ゆっくり発進するマーキュリーのうしろの席から、ドロシーがきいた。
「いいえ。ぼくたちの待ち合わせのために、ぼくはそこへむかっていたのです」
「そのあとは、なにか予定があるの?」
「これといって、なにもないです」
「この車のなかで、お話をすることはできないかしら」
「いいですよ」
「カネオヘに到着するまで」
 と、ドロシーは言った。
「カネオヘまでいきたいのですか」
「そうなの」
「では、この車を、運転手つきのリムジーンだと思ってください」
「まあ、よかった。うれしい」
「このまま、すぐにカネオヘにむかっていいのですか」
「いいのよ」
「どの道をとおりますか」
「私は、ウィルスン・トンネルが好きなの」
「ぼくも、好きです」
「フォーレスト・リザーヴのなかを抜けていって、あのトンネルに入るあたりに、私はいつもスリルを感じるわ」
「ウィルスン・トンネルをとおるなら、リケリケ・ハイウエイですね。63号線」
「そうよ」
「トンネルを出るとすぐに、左へのカーヴがあって。あのあたりも、ぼくは好きです。そのカーヴを越えると、もうカネオヘですね」
「いまでは自分の日常の世界になってしまっているけれど、私にとっては、ウインドワード・オアフとか、カネオへとかの言葉は、まるで魔法のような力を持った言葉だったのよ。だった、と過去形で言うけれど、いまでも、そうなの。このオアフ島のウインドワード(風上の)とは、いったいどんな場所なのかと、地図を眺めては、いろんなふうに想像してたわ」
「リーワード(風下の)もありますよ」
「風下となると、なんだかすこしだけ散文的で、ウインドワードほどにはロマンティックではないわね。私にとって、もっともロマンティックなのは、トレード・ウインド(貿易風)という言葉なの。中西部のまっただなかで、私はハワイからのラジオ番組を聴きながら、貿易風、貿易風と、まるでおまじないのように、いつもとなえていたのよ」
 ぼくがドロシーにこうして親しく会うのは、今日で三度めだ。彼女の個人的なことがらに関して、ぼくはほとんどなにも知らない。ヘレンが間接的に紹介してくれて、知り合ったばかりだ。ドロシーが中西部の出身だということを、ぼくはいまはじめて知った。
「ハワイからのラジオ番組ですか」
 ぼくが、きいた。
「そうよ」
「なんという番組だったのですか」
 番組のタイトルを、彼女は答えた。
「毎週、欠かすことなく、私はその番組を聴いたわ。聴いては聴いては、想像してたのよ。高く空にむけてのびている椰子の樹の頂上を吹き抜けていく貿易風は、いったいどのような感触の風なのかと、そればっかり考えていたわ」
「その番組は、一九三五年から一九七五年まで続いたのです。アメリカの、ほとんどどこにいても、その番組をラジオで聴くことのできた時期があったのです。ぼくの父親は、よくその番組に出演してたのですよ」
「なんですって!」
 ドロシーが、叫んだ。
「ぼくの父親がその番組のなかで楽器を演奏するのを、きっと聴いているはずです」
 ドロシーは、驚いていた。驚愕していた、と言ってもよかった。ぼくの父親がその番組に出演していた時期と、自分が北アメリカ中西部のまんなかでその番組を熱心に聴いていた時期とを、ドロシーは重ねあわせてみた。かなりの長さにわたって、重なり合う期間があった。
「あなたのお父さんが、あの番組に出演していたのですって?」
 質問というよりも、確認だった。自分自身にとっての、大きな驚きの確認だ。
「そうです。ぼくの父親は、十四歳のときからホノルルで音楽によって生計を立ててきました。あの番組はライヴ番組で、地元のいろんな音楽家がたくさん出演できるような構成になってましたから、地元の音楽家のじつに多くが、あの番組によって、失職をまぬがれてきたのでした」
 しばらくのあいだ、ドロシー・ミラーは、自分がかつて夢中になって聴いたその番組についての思い出を、語った。あの番組のなかの音楽が、貿易風という言葉を中心にして、いかに自分の想像力を高めたかについて、ドロシーは熱心に語った。
「お父さんは、いまはなにをしてらっしゃるの?」
 ドロシーがきいた。
「ヒロで、なかば引退ですね。ホテルに出演しているミュージシャンたちのディレクターをやってますし、地元でときどきまだ演奏もしてるようです。そして、回想録を書いてます。大学の出版局が興味を示してくれている、と言ってます。古き良きハワイを、ハワイ音楽の演奏者の立場からとらえて、詳しく回想した本になるのだそうです」
「ぜひとも読まなくてはいけないわ」
 そう言ってドロシーは、シートの背に体を戻した。そして、膝の上に横たえていた書類ケースを立て、ジパーを開いた。なかから、彼女は分厚くふくらんだファイル・フォルダーを、ひっぱり出した。ケースを閉じてかたわらに置き、彼女は手に持ったファイル・フォルダーを眺めた。四角い袋のようになっているフォルダーは二冊あり、そのどちらも、資料で限度いっぱいにまでふくらんでいた。二冊のフォルダーは、幅の広いゴムのバンドで、十文字にたばねてあった。
「資料を、持ってきたのよ」
 彼女は、手に持った二冊のフォルダーを、ぼくに見えるよう、かかげてみせた。ミラーのなかに、ぼくはそれをとらえた。
「先日、私があなたに言ったとおりだったわ。アロハ・シャツに関する、歴史的と言っていいような資料は、これですべてなの。みつけることのできる資料は、すべてここにコピーしてあるわ。だから、あなたとしては、もうこれ以上は、調べる必要がないのよ。アロハ・シャツに関する本で、いまでも手に入るものは、リストしてあるので、自分で買うといいわ。そのほかは、すべてコピーしてあるの。大学の論文も、たくさん入っているわ。写真のコピーも。アロハ・シャツは、およそありとあらゆる方向から、すでに研究されつくされてるわ」
 上体をまえのシートにむけてのばしたドロシーは、二冊のフォルダーを差し出した。
「ここに置くわね」
 そう言って、彼女は、ふくらんで重そうなフォルダーを、ぼくの隣りの席に置いた。
「ぼくは、これを読みます。読みおえると、アロハ・シャツの歴史に関しての専門家になれるのですね」
「そうね。なれるわ。あなたはすでに、かなり詳しく知ってると、ヘレンは言ってたけれど」
「だいたいのところは、知ってます」
 ついさっき、ぼくたちは、大学の構内を出た。マノアを下っていきつつあった。カリヒまでひきかしてリケリケ・ハイウエイに入るのだが、ルナリロ・フリーウエイから63号線にはどうやって入るのだったか、ぼくは思い出そうとしていた。
「いま、アロハ・シャツは、コレクションの対象なのね。ここにある資料を読んで私も知ったのだけれど、コレクションのためのありとあらゆるアプローチが、すでに誰かによって試みられているのよ。びっくりしたわ。パイナップルをデザインしたアロハ・シャツを専門に収集している人が何人もいるし、襟の裏に縫いつけてあるレイベルのコレクターもいるのね。レイベルを鑑定する専門家もいるし、レイベルだけをカラー写真で再現した本も、私家版だけど、出版されてるのよ。その本のコピーも、モノクロームだけど、ここに入ってるわ」
「ぼくの父親のところにも、コレクターがよく訪ねてくるそうです。なにしろステージに立ったり人まえで演奏をしてきた人ですからね、仕事の一部分として、アロハ・シャツは非常に大事なものだったのです。物持ちのいい人で、昔のものから最近のものまで、自分が一度でも着たものは、すべて保管してあるのです。貴重品がたくさんあるのだと、父親は言ってました」
「売らないほうがいいのよ」
「一点も、売ってないみたいです」
「賢明だわ。かつて、ハワイとアラスカとが、アメリカの州に昇格することを競いあっていて、ハワイが四十九番めの州になるのだとみこして、四十九番めの州、という文句を絵といっしょにデザインして印刷してしまった生地を使ったアロハ・シャツがあって、これは貴重品なのですって」
「父親は、それを持っていると言ってました」
「たいへんなことだわ。アロハ・シャツのデザインを歴史的に研究した本も、非売品だけど、あるのよ。ついでにそれも、ここにコピーしてあるわ。現物を追いかけなければならないような研究や収集は、たいへんね」
「そうでしょうね。ぼくには、コレクションの趣味はないのです」
「ハイビスカスをデザインしたアロハ・シャツの収集とか、ダイアモンド・ヘッドのもの、ウクレレをあしらったシャツだけのコレクション、椰子の樹のもの、フラ・ガールをデザインしたものの専門的なコレクターとか、気が遠くなるわ。昔の、なんらかの意味で由緒のあるアロハ・シャツの復刻版も、いくつかあるのよ。『地上より永遠に』というハリウッドの映画を知ってるかしら」
「知ってます。観ましたよ」
「あの映画のなかで、モンゴメリー・クリフトやフランク・シナトラ、あるいはバート・ランカスターなど、主だったメイル・キャストは映画のなかでアロハ・シャツを着て登場するシーンを持っていたし、映画には出ないけれどもこの映画のための衣装の一部として支給されたものが何枚もあって、これの現物はいまではたいへんな値段がついていて、金額を問わずにすむ金持ちのコレクターが、狙ってるの。メイル・キャスト用に支給されたアロハ・シャツの復刻版が、十二枚セットで箱入りで出てもいるのよ」
「それは知らなかったです」
「モンゴメリー・クリフトが、最後に打たれて死ぬでしょう。あのシークエンスで彼が着ていたシャツが、現物のなかではもっとも高値なのですって」
「素晴らしいアロハ・シャツでしたね」
「ニューヨークにあった、シスコという名の会社が作ったの。ダーク・ブルーの地に椰子の樹が何本も高く描いてあって、遠景には山なみがあって、ほんとに素晴らしいものだわ。おなじデザインで色ちがいが何枚も、メイル・キャストには支給されて、コレクターたちはしつこく追いかけているみたいな」
「ブランフリートの復刻、という話は聞いたことがあります」
「その件に関しても、手に入る資料はすべてコピーして、このフォルダーのなかに入ってるわ」
「あらゆる資料が、そのフォルダーのなかに入ってるみたいですね」
「そうよ。私が捜して手に入った資料は、すべてコピーしてこのなかにあるわ。資料捜しは私の専門だし、ハワイは大好きだから、アロハ・シャツについても強い興味があるの」
「ぼくが自分で資料の調査など、あらためてする必要はないということでもあるのですね」
「そうなのよ。アロハ・シャツに関しては、ほとんどのアプローチからの研究や調査が、すでにおこなわれているの。もはや、新しい調査の余地は、ないみたいね」
「なるほど」
「あなたはアロハ・シャツの歴史に沿ったストーリーを書こうとしている、とヘレンは言っていたけれど」
「そうです。ストーリーです」
「ストーリーとは、フィクションなの?」
「そうです。ぼくが自分で創作するフィクションです。しかし、フィクションとは言え、すでに調査されていて、事実として判明していることがらに関しては、歴史的に正しいことを書いていきたいのです」
「正しい事実関係のなかに、あなたのフィクションが組みこまれていく、ということなのかしら」
「そうです」
「どんなフィクションなの?」
「アロハ・シャツというものをこのハワイで最初に作ったのは、日本から渡ってきた移民のうちのひとりだった、というフィクションです」
「それは、完全にフィクションだとは言えないわ。事実としてそういう部分もあるのよ、きっと。仕立て屋さんとしての技能を持っていた移民は、中国人と日本人だったから。昔のホノルルで、その仕立て屋さんたちは、活躍したのよ。ハワイにおける衣服産業の歴史的な推移についても、このフォルダーのなかに、ほぼ完璧な資料があるわ」
「魔法のフォルダーですね」
 ぼくは、心から感心して、そう言った。ヘレンにとっての先生のひとりであるこのドロシー・ミラーは、優秀な学者だ。研究にとってもっとも大切なのは、およそ手に入り得る資料はとにかくすべて手に入れることだとドロシーは確信していて、その確信のとおりを自分の研究活動において実行しているし、自分が教える学生たちにも、資料の探索に関しては、厳密に手ほどきをしている。
 アロハ・シャツの歴史を、ぼくは自分で図書館や博物館に通って調べようと思っていたのだが、基本的な資料ならドロシー・ミラーに効率のいい集めかたを教えてもらえるかもしれないとヘレンは言い、ドロシーをぼくに紹介してくれた。基本的な資料だけではなく、手に入り得るすべての資料を、ドロシーはあっさりと手に入れてくれた。
「アロハ・シャツという言葉が商標として登録されたのは、一九三六年でしたよね」
「そう。エレリー・J・チャンという人が、登録したの。この人の衣料品店はキング・ストリートとスミス・ストリートの角にあって、彼が商標登録したアロハ・シャツは、観光客たちのための、既成品のシャツだったの。現物はいくつも残っているし、襟の裏に縫いつけてあったレイベルも、残ってるわ。でも、そのレイベルには、アロハ・シャツ、とは刺繍されてないのよ。アロハ、とだけうたってあるの」
「一九三六年以前に、すでに、アロハという言葉を冠した商品は、シャツ以外にもたくさんあったはずですよね」
「そのことに関しても、資料はここにそろってるわ。アロハなんとかとか、アロハかんとかとか、いろいろあったのね」
「きわめてポピュラーな言葉ですし、たとえばハワイに来て人がはじめて覚える言葉は、アロハ、という言葉ではないでしょうか」
「そのとおりだわ。あなたのそのフィクションのなかでは、アロハ・シャツを最初に作ったのも日本の人だし、アロハ・シャツという言葉を作ったのも、おなじその人だった、ということにしたいのね」
「そうです」
「事実として、充分にあり得たことなのよ」
「ぼくも、そう思います」
「どんなフィクションなのかしら。すこしだけでも聞かせてもらえると、うれしいわ」
「日本からハワイへ、ひと組の若い夫婦が、移民として渡ってくるのです。名前は、すでに考えてあるのです。旦那は酒田半蔵といい、彼の奥さんは、幸江さんというのです。ふたりとも、日本での仕事は、仕立て屋さんで、奥さんの幸江さんのほうの実家は、反物の問屋さんなのです。彼らは、私的移民のひとりとして、ハワイへ来ます」
「とすると、一九二四年までには、彼らはハワイの人となってないといけないわね」
「そうです。彼らふたりがアロハ・シャツをはじめて作った年を、たとえば一九三一年として設定すると、彼らが仕立て屋さんとしてなんとかホノルルでやっていけるようになるまでに八年くらいかかったとして、彼らがハワイに来た年は、一九二二年になります」
「たいへんいいと、私は思うわ。時代的なつじつまは、ぴったりよ」
「日本から送られてきた、子供用の派手な柄の生地で、彼らは自分の子供たちに、シャツを作るのです。子供たちはそれを学校へ着ていき、評判になります。みんなが、そのシャツを好くのです。ある日、ハワイ系の主婦がひとり、彼らの店にやってきて、うちの子供にもあのようなきれいなシャツを作ってほしい、と頼むのです。彼らは、よろこんで作ってあげます。そして何日かたつと、こんどはおなじハワイ系のお父さんが店にやってきて、私にもあのようなシャツを作ってほしい、と頼みます。彼らは、きちんと採寸して、そのお父さんにぴったりのサイズの、ことのほか美しい出来ばえのシャツを、作ってあげます。お父さんはたいへんよろこび、いつもそのシャツを着ているのです。そしてそのシャツを、アメリカ本土から来た観光客が目にとめ、自分にもこんなシャツが欲しい、と思うのです。そのシャツはどこで売っているのか、と観光客にきかれたお父さんは、酒田半蔵の店へ、その観光客を連れていきます。こんども丁寧に採寸し、見事なシャツを、半蔵と幸江は作るのです。二日後には、その観光客は、仲間を何人もその店へ連れて来て、ひとりひとりに美しいシャツをあつらえさせるのです。このようなシャツはなんというシャツなのかと、そのとき客のひとりに聞かれて、幸江さんが、とっさに、アロハ・シャツです、と答えるのです」
 ぼくの説明を熱心に聴いていたドロシー・ミラーは、
「それは美しいフィクションだわ」
 と、言った。
「ひょっとしたら、そのとおりだったかも知れないのよ。なにしろ、いまの私たちが資料として手に入れることができるものは、なんらかのかたちで記録に残ったものだけなのだから。記録されなかったことがらは、もはやどこにもないのよ」
「ぼくが考えているようなフィクションは、事実関係のすきまに、成立するでしょうか」
「充分、成立すると思うわ。もちろん、実際に書くときには、もっと丁寧に、こまかな事実を散りばめていくはずだから、フィクションはそれによってさらに、事実へと接近していくわ。ストーリーのぜんたいは、どんなふうになるのかしら」
「カリフォルニアから、スタートするのです。ぼく、という一人称で書いていくのですが、そのぼくはかつてカリフォルニアで波乗りをやっていて、その頃の仲間のひとりを回想していくところから、このストーリーははじまります。サンタバーバラでの波乗りの仲間のひとりと、かつてぼくは親しくしていて、共同で生活していたこともあるのです。その仲間が、ある日の夜、海で死ぬのです。死んだかどうか、はっきりはしないのですが、海へいくと言って家を出ていき、それっきり帰ってこないし、どこにもいないので、海で死んだ、ということになるのです。彼は波乗りの巧みな青年なのですが、どこかすこしだけ人と変わったところがあり、たとえばサンタバーバラの海の冷たい波で波乗りをしていると、イルカと仲よしになったりするのです。一頭のイルカが彼になついてきて、彼が波に乗っていると、そのイルカはどこからともなく現れ、いっしょに波に乗ったりするのです。ぼくも、その現場を何度か見るのです。彼が海からあがるときには、そのイルカが、波打ちぎわまでついて来て、彼を追って砂浜の上にあがって来たりもするのです。彼についていこうとするのですね。でも、ついてくることはできませんから、彼はそのイルカを説得して、海へ帰すのです。やがて、彼がぼくといっしょに家にいる夜、彼はそのイルカが自分を呼ぶ声を聞くようになります。声が聞こえるたびに彼は海へいき、イルカに会うのです。彼はそのイルカにとりつかれたみたいになり、それはよくないことだからやめろ、とぼくは説得するのですが、そのときはすでに手遅れなのです。彼はそのイルカによって、気持ちは完全に海へひっぱりこまれていて、ある日の夜、イルカの呼ぶ声にこたえて海へいき、それっきりとなるのです。これが、発端です」
「面白いわ。興味深いわ。もっと知りたいわね、そのストーリーを」
「どこをどう探しても彼はいなくて、ぼくは何度も波に乗ってはそのイルカを捜すのですが、そのイルカもまた、ついにぼくの目のまえには現れずに終わります。彼の家族にぼくは連絡し、彼の姉が遺品を引きとりにきます。そのとき、一枚のアロハ・シャツに、ぼくは気持ちを引かれるのです。たいへんによくできたアロハ・シャツで、彼の自慢のものだったのです。襟の裏にはレイベルがあり、そのレイベルには、サチ、と縫いとりがしてあるのです」
「サチは、幸江の略称かしら」
 ドロシーが言った。彼女は、頭がいい。いろんなことを、よく知っている。知っている多くのことがらが、彼女の頭の内部で有機的に作用しあい、鋭い直感のひらめきとなって、おもてに出てくる。
「そうです」
「スリリングだわ。酒田幸江につながるのね」
「そのとおりです。そのアロハ・シャツを大切にしていた彼が、かつてぼくにふと語ってくれたことを、ぼくは思い出すのです。このレイベルにあるサチとは、ハワイで最初にアロハ・シャツを作った日本女性の名なのだ、と彼はぼくに言うのです。なにかストーリーを書きたいのなら、このサチを現在から歴史のなかをさかのぼり、昔のハワイのなかにつきとめたら面白いはずだ、と彼は思いつきをぼくに語ってくれたのです。カリフォルニアを引きはらってハワイに来たぼくは、サチを過去にむけてたどりなおす作業を、すこしずつ開始するのです」
「読みたいわ。ぜひとも、私はそのストーリーを読みたいわ。いつ、どこに、そのストーリーを書くの?」
「これから書きます。いただいた資料をよく読んで、歴史的な事実のディテールをととのえてから、フィクションをそのなかにはめこみ、うまくはまったなら、書きはじめます」
「資料は、今日からさっそく読むといいわ」
「そうします」
「そのストーリーの発端の背景は、いつ頃なのかしら」
「一九六〇年代の前半です」
「サチ、というレイベルのついているそのシャツは、その時代のものなの?」
「一九五〇年代のものだ、ということが、調査をはじめたぼくには、わかってくるのです」
「五〇年代のなかばには、アロハ・シャツがアメリカ本土でたいへんに流行したのよ」
「その流行のなかで、ほんのいっとき、ホノルルにあったブランドが、サチなのです」
「調査をはじめたときには、もうそのブランドはないのね」
「ありません。縫製工場も、小売りの店も、とっくになくなっているのです。でも、サチというブランドで一九五〇年代にアロハ・シャツを作った人の奥さんはまだ元気にしていて、彼女からぼくはいろいろと教えてもらうのです。彼女のご主人が、たどっていくと酒田半蔵と幸江にいきつく筋の人で、奥さんは古い写真帳をぼくに見せてくれます。一枚の写真があるのです。
大きなバニアンの樹の下に、一台の手動のミシンが置いてあり、ポリネシア系の若く美しい女性が、ストゥールにすわってそのミシンを操作しています。彼女は、真剣な表情でカメラのレンズを見ています。彼女の足もとには、反物が何本か置いてあり、それあ明らかに絹の反物なのです。アロハ・シャツ用にシルク・スクリーンで模様が印刷してあり、そのさらにかたわらに、ひとりの日本人の男性が立っています。二十代のハンサムな男性で、一枚の素晴らしいアロハ・シャツを彼は自分の胸のまえに広げて持ち、カメラにむかって得意そうに笑顔を作っています。そして、彼の足もとには、一枚の横長の看板があるのです。その看板には、『一九三一年にサチエによってハワイで作られたオリジナルのアロハ・シャツの店』と、書いてあるのです。その写真が撮影された日付が、片隅に焼きこまれています。一九四七年なのです」
「あなたが自分のフィクションのなかで試みようとしていることが、だいたいわかってきたわ。その青年は、酒田半蔵の息子のひとりでしょう」
「そうです」
「そして、ポリネシア系の美しい女性は、やがて彼の奥さんになる人ね」
「そのとおりです」
「半蔵と幸江は、ホノルルのダウン・タウンに店を持っていて、その店は繁盛していて、息子とそのフィアンセは、観光客たちの目にとまることを目的として、バニアンの樹の下でデモンストレーションをしているのね」
「正解です」
「その場所で客がついたら、そこで採寸してもいいし、店へ案内してもいいし。面白いアイディアだわ。その写真からさらに、あなたはどんなふうに過去のなかへ入っていくのかしら」
「まだよくは考えてないのです。歴史的なディテールをこまかく散りばめれば散りばめるほど、ぼくのフィクションも、ディテールを精密に作る必要があるみたいです」
「そうでしょうね。でも、半蔵と幸江の夫婦以後の、ファミリーのつながりがはっきりとわかっていれば、追跡はそんなに難しいことではないわね」
「ぼくも、そう思います。それに、酒田家は過去のいろんなものが丁寧に保管してある家で、しかも半蔵は日記をつけていたとか、店の営業日誌も残っている、そして写真もたくさんある、という設定にしようと思いますので、追跡そのものには、困難はないのです。困難があったら、むしろ不自然になるでしょうし」
「私も、あなたとおなじ意見だわ。半蔵と幸江の作ったアロハ・シャツの現物が登場したりするの?」
「登場しますよ。彼らの作ったアロハ・シャツは、コレクターズ・アイテムになっているのです。最初に客の寸法をとって作ったのが一九三一年で、半蔵はその第一号から、襟の裏にレイベルを縫いつけているのです。ごく簡単に刺繍したものなのですが、グリーンの絹糸で、アロハ・シャツ、と英文字で大きく入っていて、その下に、スタイルド・バイ・サチエ・イン・ハワイと、これも英語で入っていて、その下に、一九三一と、年号が添えてあるのです。一九三二年のものには、一九三二と入っていて、年ごとに年号は変化します。それに、アロハ・シャツ、という文字にも、年によって微妙な変化があったりもするのですが、基本的にはレイベルはずっとおなじまま続いていきます。しかし、それも、一九三六年までです。その年に、アロハ・シャツという言葉はほかの人によって登録されてしまうのですから。一九三六年からは、アロハ・シャツ、という文字にかわって、サチエ、と大きく英文字であしらわれ、その下に、イン・ハワイ、という言葉がくるのです。サチエ・イン・ハワイですね。そのさらに下に、年ごとに年号がくるのは、以前とおなじです。アロハ・シャツ、とうたってある期間のものが、コレクターにとっては、貴重なものなのです」
「基本的には、歴史的に大きく矛盾する部分はなにもないわ。楽しいフィクションができそうな予感が、充分にあるわね」
 ぼくの運転するマーキュリー・マークゥイスは、すでにリケリケ・ハイウエイに入っていた。カリヒ渓谷に沿って、登っていきつつあった。カメハメハ・ハイツを、すでに後方に置き去りにした。ホノルルの市街地は、さらにその下だ。道路地図で見ると、このあたりでリケリケ・ハイウエイは右へゆるやかにカーヴしているのだが、現実にそこを走っている感覚としては、ここからウィルスン・トンネルまで、ハイウエイは直線でのびていた。
「さっき、ブランフリートの復刻の話が出てたけれど、いまでもその復刻は、手に入るのよ」
 ドロシーが言った。
「ジョージ・ブランギアと、ナット・ノーフリートのふたりの名前を合成して、ブランフリートとなったのでしたね」
「のちに、カメハメハ・スポーツウエア、という名前に変わったわ」
「そうでした。まだブランフリートだった頃、ジョージ・ブランギアが、自分のところのアロハ・シャツを、一枚ずつ丁寧にたたんでは化粧箱に入れている写真を、ぼくは見たことがあります」
「ブランフリートがはじまったのも、一九三六年だったでしょう。彼のところのアロハ・シャツの生地は、おそらくその頃はまだ、日本製だったはずよ」
「戦前のハワイは、すでに観光地でしたけれど、アメリカ本土から来る金持ちがほとんどだったでしょう」
「そうね。お金のある裕福な階層の人たちが、のんびりと優雅に時間を過ごすための、太平洋のまんなかのエキゾティックな島だったのよ。でも、そういうハワイは、完全に失われているわ。戦争で多くのGIたちがハワイになじみ、戦後、特に一九五〇年代に入ると、ハワイはいっきょに、普通の人たちのための観光地になっていったのね。それまでのハワイにあった、丁寧な優雅さのようなものが、急速に失われてもいったのよ。たとえば、観光地としてのハワイを宣伝するための印刷物に、ある時期まではロマンティックで優雅なイラストレーションが使ってあったのに、一九五〇年代になると、それがいっぺんにカラー写真にとってかわるの。アロハ・シャツも、かつては丁寧な作りの、優雅なものだったのだけれど、大量生産の安物になってしまって、本当のアロハ・シャツは、コレクターズ・アイテムとしてしか残っていないのね」
「そのへんの歴史的な推移も、的確にストーリーのなかに織りこみたいと思っています」
「素敵だわ」
「アロハ・シャツの原型となったシャツは、やはり北アメリカ大陸の開拓者たちが着ていたシャツですか」
「そうね。千マイルの旅にも耐えてくれる丈夫なシャツということで、千マイル・シャツと呼ばれていた、あのシャツでしょうね。それがハワイに入ってきて、最初からハワイにいた人たちはシャツなどまるで必要ではなかったのだけれど、白人の宣教師たちに野蛮人扱いされ、裸の体を被いかくすために、シャツと半ズボンを着せられたのよ。それから、彼らは白人宣教師たちからは労働も強制され、その労働のためのユニフォームでもあったのね、シャツは。だから、アロハ・シャツの歴史は、ハワイの嘆きの歴史でもあるのよ。そのシャツに色がつき、模様がつき、街着になり、観光客のスーヴェニアとなって、デザイン的に洗練されつつ、流行していったの」
 アロハ・シャツの歴史をきわめて簡単に述べるなら、いまドロシー・ミラーが言ったとおりになる。
 ウィルスン・トンネルの入口が、前方に見えてきた。このトンネルに入るたびにスリルを感じるというドロシーの気持ちは、ぼくにもよくわかった。だから、いつものようにスリルを楽しんでもらうため、ぼくはトンネルに入るまで、黙っていた。トンネルに入ってからも、ぼくは黙っていた。そしてトンネルを出るとすぐに、
「半蔵と幸江は、自分たちの作ったシャツに、なぜ、アロハ・シャツという名前をつけたの?」
 と、ドロシーはぼくにきいた。
 ごく簡単な、きわめて明快なひとつの理由によって、彼らは自分たちのシャツを、アロハ・シャツと呼んだのだ。この、単純で明快な理由を、六か月ほどまえ、ぼくはひとりで手に入れた。
 六か月まえのある日、アパートメントの自分の部屋で、ぼくは一枚の写真を見ていた。一八九〇年代の写真だ。印刷したものではなく、印画紙にプリントしたものだ。ホノルルの港に船で到着した日本からの移民たちが、港の沖にある検免島と呼ばれていたサンド・アイランドにむけて、木製の簡単な橋を歩いていくところを、やや高い位置からとらえた写真だった。
 横位置の画面を、左上から右下にむけて、橋が横切っていた。橋の左上のさらにむこうが、ホノルルの港だ。画面の縁を越えてさらに右下にむけて歩いていくと、やがてサンド・アイランドがあった。
 この写真を、ぼくは、写真機材のひとつである四倍のルーペで、のぞきこむようにして、見た。いろんな部分を拡大しては、その内部に入りこんでいき、写真のなかにとらえてあるディテールをぼくは観察していった。印画紙にプリントした白黒の写真のなかへは、こんなふうにしてルーペで入りこんでいくことができる。
 橋の上を歩いている人たちを、ひとりひとり、ぼくはルーペで見ていった。日本から船旅によって到着したばかりの人たちだ。どの人も、ごく質素な服装であり、わずかな荷物をかかえたり肩にかついだりしていた。男性が、圧倒的に多かった。ごくときたま、女性の姿があった。
 ルーペで見ていったこのような人たちのなかに、ぼくは、これから創作しなくてはならない酒田半蔵とその妻、幸江の原型を見た。
 サンド・アイランドへの長い直線の橋の上を歩いている、ひとりの若い男性をとらえて、ぼくのルーペはとまった。ルーペの丸い視界の中央に、彼の胸から上が、四倍に拡大されていた。荷物を肩にかついでいる彼は、橋の上を大股に歩きながら、カメラに顔をむけ、笑顔を作っていた。若い、屈強そうな笑顔だ。気持ちの動きかたの明るい、意志の強そうな顔を、彼は持っていた。彼だ、とぼくは思った。ぼくがこれから創作する酒田半蔵は、このような青年として、日本からハワイへ渡ってくるのだ。
 彼のすぐうしろに、ひとりの日本女性が歩いていた。丸顔からまだ可愛らしさの抜けきっていない、若い女性だ。彼女も、カメラを見ていた。彼女は、笑ってはいなかった。唇を一文字に結び、真剣な表情をしていた。半蔵の妻、幸江は、彼女だ、とぼくは思った。
 船から港に降りたとき、桟橋の上で地元の人たち大勢が、彼らを迎えた。なかば見物、なかば好意の出迎えを彼らは楽しんでいて、桟橋を歩いてくる日本の人たちに、
「アローハ」
 と、おだやかな笑顔で声をかけた。誰もが、誰に対しても、
「アローハ」
 と、呼びかけた。
 酒田半蔵と幸江にとって、ハワイで最初に聞いたその島の言葉は、このときのアローハのひと言だった。
 橋をサンド・アイランドにむかって歩きながら、彼らふたりは、次のような会話を交わす。ぼくのフィクションのはじまりだ。
「アローハ」
 歩きながら半蔵は幸江をふりかえり、出迎えてくれた地元の人たちの口調を真似てみせる。幸江が、にこっと笑う。
「なんという意味だろうか」
 と、半蔵は幸江にきく。
「どの人も、アローハと言っていた。にこにこと笑いながら」
「きっと、挨拶の言葉でしょう。初対面で、しかも誰もが口にするひと言なのですもの、こんにちはとか、いらっしゃいませとか、そんな意味でしょう」
「アローハ」
 と、半蔵は幸江にむかって言う。
「はい。アローハ」
 幸江が、笑顔で彼にこたえる。
 善意や好意など、人に対する肯定的な気持ちのほとんどすべてを表現することのできる、きわめて便利な、そして重要なひと言がアローハなのだと、やがて彼らは知っていく。仕立て屋さんである彼らが、人のために服を作るのは、人に対する肯定的な気持ちが土台となっている。だから、このシャツはなんというシャツなのかと、白人の観光客にきかれたとき、幸江は、反射的に、そしてきわめてすんなりと、これはアロハ・シャツです、と言うことができたのだ。
 ぼくたちの乗ったマーキュリー・マークゥイスは、ウィルスン・トンネルを遠く後方に置き去りにしつつあった。前方に広がるウインドワードの風景をうしろの座席から見渡しながら、
「クリスマスのショッピングをしなくてはいけないわ」
 と、ドロシー・ミラーは言った。
 ぼくも、クリスマスのショッピングを、しなくてはいけない。妹のヘレンは、クリスマスのまえに、ボストンからホノルルへ帰ってくる。彼女へのクリスマス・プレゼントを買っておく必要があるし、いま自動車のなかにいっしょにいるドロシーにも、なにかいいプレゼントを考えようと、ぼくは思った。
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双眼鏡の彼方に



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 シャワーを浴びたぼくは、トランクス一枚で浴室から出てきた。古い板張りの廊下を歩きながら、腕時計をどこに置いただろうかと、ぼくは思った。シャワーを浴びるまえにぼくがいた部屋に、ぼくは入ってみた。
 その部屋は、本来なら居間として使うための部屋だ。しかし、いまはがらんとしている。居間のようには見えない。広い板張りの、ただの長方形の部屋だ。庭に面して、横に長い窓が低い位置にあった。窓の外には、軒が大きく突き出しているから、部屋のなかは今日のような快晴の日でも、ほんのりと暗い印象を受ける。
 一方の壁に寄せてライティング・デスクがひとつあり、そのデスクのわきに普通のハイ・バックの椅子があった。部屋のなかにある家具は、それだけだ。
 デスクの上には、空気銃が一梃、斜めに横たえてあった。その空気銃のためのBB弾の入ったケースが、腕時計および双眼鏡とならんで、空気銃のわきに置いてあった。持っていくために荷物のなかから出した双眼鏡を、ぼくはさきほど腕時計といっしょにここに置いたのだ。
 居間に入ったぼくは、ライティング・デスクまで歩いた。時計を左の手首にはめ、空気銃を取りあげた。部屋のむこうの壁を、ぼくは見た。
 むこうの壁の、ぼくの目の位置よりもやや低いところを、いっぽうの端から反対側の端まで横へ一直線に、七センチほどの幅の桟が一本、走っていた。なぜそこにそのような桟があるのか、正確に見当をつけることは出来ない。かつてこの家に住んでいた人が、なにかの必要を感じて、その桟をそこにとりつけたのだ。
 桟は、三センチほどの厚みがあった。空気銃の標的をならべて置くには、うってつけの桟だった。さきほどまで、ぼくは、この桟の上に標的をたくさん並べ、空気銃でひとつずつ撃っていた。
 標的は、クラッカーだった。アニマル・クラッカーはひと箱だけ、そして残りは、丸くて薄い、さくっと砕けるソーダ・クラッカーだ。標的として使うため、スーパー・マーケットで何箱も、ぼく自身が買ってきた。
 桟の横幅いっぱいにクラッカーの標的を並べては、端からひとつずつ、ぼくは撃ち砕いていった。標的を撃ちつくすと、クラッカーの箱を持って桟までいき、桟の上に残っているかけらをフロアに落とし、あらたに標的を並べ、デスクまで戻ってまた撃った。そのような遊びを、ぼくは午前中ずっと、ひとりで続けてきた。
 桟の上に、標的のソーダ・クラッカーが、ひとつだけ残っていた。ガスのカートリッジを装填しなおしたぼくは、そのクラッカーに狙いを定めた。引き金を、引いた。思いのほか強い反動と、鋭く大きい発射音とともに、BB弾は標的にむかって飛んだ。そして、丸いクラッカーを粉々に砕いた。
 砕けたクラッカーは、飛び散った。そして、フロアに落ちた。フロアには、むこうの端からこちらの端まで、壁から一メートルほどの幅のなかに、砕けたクラッカーが敷きつめたかのようにびっしりと、白くあった。これだけを見たなら、いったいなにごとがあったのかと、人は思うだろう。
 空気銃からガスのカートリッジを抜き取り、デスクに横たえた。本物のライフルに近い雰囲気を持つその空気銃は、重さもそしてその重さのバランスも、22口径のライフルとよく似ていた。アルミニウムの空き缶を縦にならべて撃つと、四つまでは簡単に貫通する威力だ。双眼鏡を持ち、ぼくは部屋を出た。
 寝室に入り、服を着た。半袖の白いラグビー・ジャージーに、はき古したブルー・ジーンズ。そして、木綿のソックスだ。今日は、ぼくはブーツをはく。双眼鏡のストラッップを肩にかけ、ぼくは寝室を出た。
 居間の手前までひきかえし、玄関へまわった。ポーチを出てドアを閉じ、ほんのかたちだけのロックをかけた。ポーチの最上段に腰を降ろし、ぼくはブーツをはいた。立ちあがり、腕の時計を見た。正午だった。
 これから空港まで、ぼくは自動車でいく。五十分ほどかかる。彼女がホノルルから乗ってくるアロハ・エアラインの定期便は、午後の一時二十八分に、この島の空港に到着する予定だ。いま出発すれば、余裕を持ってぼくは空港に到着することが出来る。
 ぼくはポーチを降りた。ポーチの階段は、いまの時間だとそのぜんたいが、深く張り出している軒によって、陽影になっている。影の外に出ると、その瞬間、腕の肌や頬に、陽ざしの強さを感じた。カレンダーを見ると、クリスマスまでにあと数日しかない時期なのに、東京の真夏日の晴天を軽くしのぐかんかん照りだ。
 庭のまんなかに停めてある自動車まで、ぼくは歩いた。斜めうしろから、ぼくはその自動車に歩み寄った。友人から借りた、ポンティアック・カタリーナのステーション・ワゴンだ。十二年まえのモデルだと、その友人は言っていた。彼はほかに三台の自動車を持っている。
 このステーション・ワゴンは、彼の奥さんがスーパー・マーケットへ買い物にいくときに使うものだそうだ。先週の土曜日に、ぼくはこのカタリーナを借りた。今日は、その次の週の水曜日だ。買い物は金曜日だから、明日には返しておかなくてはいけない。
 運転席のドアを開き、ぼくはなかに入った。双眼鏡を、隣りのシートに置いた。ドアを閉じ、この古いカタリーナには気の毒だけれども、ぼくはエンジンを始動させた。デトロイトが十二年前に造ったV8のエンジンは、太陽の熱を受けとめて熱く焼けているフードの下で、まだ健在だった。
 空港まで、田舎道を四十五分でぼくは走った。ごく普通の速度で、平凡に走った。ときたま、対向車とすれちがった。前方に自動車が見えると、ぼくは隣りのシートから双眼鏡を取りあげ、むこうから走ってくる自動車を見た。ドライヴァーの姿が、双眼鏡の丸い視界のなかで、八分の一の距離にたぐり寄せられて、見えた。対向車のエンジン・フードが放っている熱は陽炎のように作用し、視界のなかのドライヴァーは、いつもかすかにゆらめいていた。
 空港の建物のロビーには、ほどよい数の人がいた。適当なにぎわいだった。受けとるカウンターだけの軽食の店へいき、紙コップにコーヒーを買った。それを持ってニュース・スタンドへいき、まだ残っていた朝刊を買った。ホノルルからの到着便の便名と時間とを確認し、ぼくは片隅のベンチにすわった。コーヒーを飲みながら、ぼくは朝刊を読んだ。
 はじめから終わりまで、いくつかのセクションのすべてにざっと目をとおしたとき、ひとりの白人の男性がぼくのかたわらに立ち、ぼくにかがみこみ、ぼくが手に持っている新聞を指さした。
「スポーツ・セクションを読んでしまったのなら、ゆずってもらえないだろうか」
 と、彼は言った。
 スポーツ・セクションを抜き出し、ぼくはそれを彼に進呈した。
 ホノルルからのアロハ・エアラインが間もなく到着する、というアナウンスがあった。この便は、ホノルルとこの島とのシャトルであり、到着して一時間後にはホノルルにひきかえす。朝刊を折りたたんでわきの下にはさみ、双眼鏡を首にかけ、ぼくはロビーの二階にあがった。
 なぜこの建物に二階があるのか、よくわからない。いつも人はいないし、なににも使われていない。外の滑走路に面して大きくガラス窓がいくつもならんでいて、そのまえに立つと、離着陸する飛行機を目のまえにながめることが出来る。
 地元の子供たちが数人、むこうの窓のまえにいた。彼らのほかに、人の姿はどこにも見えなかった。ぼくも窓のまえに立った。双眼鏡で、滑走路のあちこちを見た。ライツ・トリノヴィットの、八倍の双眼鏡だ。
 二週間まえ、東京からこの島に着いたとき、持って来た荷物のなかにこの双眼鏡が入っていた。荷物のなかに加えた記憶はないのだが、着替えのシャツにくるまって、入っていた。手に入れたばかりで、しかも気にいっている双眼鏡だから、なかば自動的にぼくはそれを荷物のなかに加えたのだろう。
 機体のあらゆる部分を純白に塗った、双発のヴァイカウントが、建物からそれほど遠くないところに停まっていた。白い機体は太陽の光を鋭く反射させ、まぶしい。乗客が数人、そのヴァイカウントにむかって歩いていた。この島から、おそらくモロカイ島にむかうのだ。
 巨大な背中、思いきって太い胴、そしてやはり巨大なと言わざるを得ないお尻の白人女性が、私はこんなふうにしか歩けないと、一歩ごとに宣言しているような足どりで、ヴァイカウントにむかっていた。
 彼女は、白地に鮮やかな花模様のサン・ドレスを着ていた。量感のある彼女の体に対して、そのドレスの生地はきわめて薄く、しかも吹いてくる風がドレスを彼女の体に張りつけるから、強い光のなかで彼女は裸のようにも見えた。花模様は、双眼鏡でよく見ると平凡だったが、彼女が着ていると威厳があった。
 しばらくすると、青い空の一角に、飛行機が小さく見えた。ぼくがそれに気づくよりも先に、むこうの窓のまえにいる子供たちが、発見した。彼らが指さしている方向を、ぼくは双眼鏡で見た。
 着陸の体勢にすでに入っているその737は、滑走路にむけてまっすぐに降下しつつあった。降りてくるその定期便を、やや斜めにそれた正面から、ぼくは双眼鏡の視界のなかに見ることが出来た。
 機首からはじまって、窓の列をなぞって機尾へ、そして垂直尾翼ぜんたいへと広がっている、オレンジ色の花模様が、はっきりと見えた。花は、ハイビスカスだ。見ているぼくにとって、花は逆光だ。まっすぐに降下してくる機体は、やがてシルエットになった。
 短距離路線用のジェット旅客機が着陸するまで、ぼくは双眼鏡で見守った。タイアが滑走路に接触する瞬間を、ぼくは見た。接触して煙があがり、いったん軽く浮きあがって再び接触する。そして、機体の全重量をタイアにあずけて、着陸は完了する。
 エンジン・ブレーキの音をひきずりながら、737はぼくたちの目のまえを横切っていった。滑走路のむこうの端の近くまでいき、そこで停止し、おもむろに方向を変えた。ゆっくりと、建物の正面へ、機体はまわってきた。そして、指定してある位置に停止した。
 タラップが機首と機尾の両方のドアにとりつけられ、ドアが開き、やがて乗客が機体のなかから階段を降りてきはじめた。彼女はどちらのドアから出てくるだろうか、とぼくは思った。機尾のドアから、より多くの乗客が降りてきつつあった。彼女は機首のドアから降りてくるだろうと、ぼくは見当をつけた。そのドアを、双眼鏡ごしにぼくは見守った。
 降りてくる人がすくなくなってから、彼女がドアを出てきた。白い半袖のシャツ・ドレスを、彼女は着ていた。スカートと髪が、風にあおられた。立ちどまって顔を傾け、風をやりすごして髪をうしろになびかせ、彼女は乗客を見送っているスチュワデスに微笑してなにか言った。
 彼女はタラップを降りていった。座席の下におさまるオーヴァー・ナイターをひとつだけ、彼女は持っていた。コンクリートの上に降り立った彼女は、空港の建物にむけて、ゆっくりと歩いてきた。
 737は機体の左側をこちらにむけ、陽ざしをほぼ正面から受けとめていた。エンジンは、すでに停止していた。コクピットを、ぼくは双眼鏡で見た。パイロットが見えた。彼の顎と白いシャツの胸とが、くっきりと陽ざしを受けとめていた。パイロットは、コクピットにいる人を相手になにか喋り、笑っていた。
 歩いてくる彼女を、ぼくは双眼鏡でとらえなおした。半袖のシャツ・ドレスが、よく似合っていた。ほどよい高さのヒールのある靴を、おそらく彼女は素足にはいている。はくとき、両足に彼女はタルカム・パウダーをはたく。彼女に関して、この程度のことなら、すでにぼくは知っている。
 この島を、彼女はいまはじめて体験している。一歩ずつ確認するかのように、彼女はゆっくり歩いていた。きれいに膝ののびる、すっきりとした彼女の歩きかたが、ぼくは好きだ。彼女の顔を、ぼくは視界のなかにとらえた。空を見上げ、ほんのりと微笑した瞬間だった。誰が彼女を見ても、この女性はきれいな人だと、言うだろう。陽ざしを受けとめて、彼女の喉ものが白かった。
 やがて彼女の姿は、大きく長方形に張り出している軒の下にかくれ、見えなくなった。
 ぼくは下に降りた。到着した人たちが、ゲートからロビーのなかに広がっていきつつあった。あちこち見渡しながら、彼女はロビーの中央にむけて歩いていた。斜めに彼女に接近したぼくは、歩いていく彼女のうしろにまわり、距離をつめた。そして、
「佳子さん」
 と、呼んだ。
 ふりむくときの身のこなし、そしてふりむいてぼくを見るときの表情に、おっとりした好ましさがいつもある。いまも、そうだった。立ちどまった彼女は、笑顔になった。
「来てたのね」
 と、彼女は言った。
「いらっしゃいませ」
 ぼくが、笑って言った。
「いいところだわ。沖縄の周辺を、私はよく知っているの。似てるのかなと思ったけれど、まるでちがうのね。楽しいわ」
「荷物は?」
「これだけよ」
 朝刊を片手に持ち、ぼくは彼女を抱き寄せた。彼女も、ぼくを抱いた。上半身を離し、
「邪魔だわ」
 と、双眼鏡をぼくの背中にまわした。そして、あらためてぼくを抱きなおした。
 ロビーをひとまわり歩き、ぼくたちは建物のそとに出た。深い軒が回廊のようになっていて、駐車場に面したあたりには、レンタカーの小さなオフィスがいくつも並んでいた。彼女のバッグをぼくが持ち、ぼくたちは駐車場のなかへ歩いた。
 ポンティアックのステーション・ワゴンまで歩いてきて、その平凡な車体をぼくは佳子に示した。
「いまは、これに乗っているんだ。友人に借りた」
「友人って、エドワードさんという人?」
「そう。エドワード・カウアカヘキ。手紙にも書いたけれど、いろんな人種の血が彼には入っていて、人種ごとに名前があるから、それをぜんぶつなげると、たいへんに長い名前になるんだ。日本人の血も、入っている。日本の名前は、木村というんだ」
 ぼくが運転席に、そして彼女は隣りの席に、それぞれ入った。ぼくはドアを閉じ、エンジンを始動させた。
「不思議な匂いがするわ」
 と、佳子が言った。
「買い物の匂いだよ」
「買い物?」
「エドワードの奥さんは、このステーション・ワゴンを、金曜日ごとの買い物に使っているんだそうだ。もう十年近く使っていると言っていたから、匂いがしみこんで抜けないのさ」
 頭上からまともに陽の当たっている駐車場から、ぼくはポンティアック・カタリーナを出していった。
「東京からの旅は、どうだった?」
 と、ぼくはきいてみた。
「楽しかったわ」
「時差は、感じるかい」
「飛行機のなかで、いつもの私にとって夜に相当する時間を眠って過ごしたので、ほとんど感じないわ」
「近くにある町へ、寄ってみよう。コーヒーでも、飲もう」
 空港のすぐ北側を、ハイウエイが走っている。このような島でも、ハイウエイはメイン・ランドとおなじく、雰囲気はきわめて抽象的だった。いまのところなににも利用されていないような、あるいは、利用しようとして途中で考えを変え、そのままに放置されているような広い土地が、ハイウエイの両側に続いていた。地元の人たちの生活を、その景色から感じ取ることは、無理だった。どこともわからない場所から、おなじくどことも不明な場所にむけて、番号のついているハイウエイを自動車でひた走った。陽ざしが、充分すぎるほどに明るく強かった。
 そのままハイウエイをいくと、溶岩による台地の上に出た。海を、広く見渡すことが出来た。片側に海を見ながら、ぼくたちは西へむかった。二十分ほどで、町の標識が見えてきた。ぼくたちは、北側からその町に入った。
 これが町なみと言えるかどうか、とにかく道路の両側に建物が続くようになって、佳子はガラスを降ろしたドアの窓から、顔を外にむけ、町なみを熱心に見ていた。
「子供の頃、ぼくは、ある時期、この町にいたことがある」
 彼女の横顔に、ぼくは言った。
「そうだったわね」
「昔は、もっとにぎやかな町だった」
「面白い雰囲気だわ」
 ハワイの田舎町には、とりとめのないのんびりした様子が、かつては濃厚にあった。いまではその様子は薄く淡くなり、ほとんど消えかけているが、ほんのすこしだけでよければ、所によってはまだ残っている。
「こういうところであなたは育ったのね」
「自分でも不思議な感じがするよ」
「興味深いわ。子供のあなたは、ここでなにをしてたの?」
「楽しく遊ぶ、ということ以外はなにも知らずに、毎日を過ごしていた」
「遊びは、いまでも続いているの?」
「続いている」
 その町にはメイン・ストリートが一本あり、その道路と交差して、町の中心と言っていい道路が何本かあった。右折禁止をうまく利用しながら、ぼくは町の中心をひとまわりした。
「この町の、主だった部分は、これですべて見たことになる」
「歩いてみたいわ」
 町でいちばん大きなスーパー・マーケットまで、ひきかえした。マーケットに隣接して、エイヴィスやバジェットのオフィスがあるのを確認して、ぼくはステーション・ワゴンをマーケットの駐車場に入れた。
 空いているスペースに停め、ぼくは彼女のバッグそして双眼鏡を持ち、外に出た。彼女もドアを開き、外に出た。
 スーパー・マーケットのまえから三ブロック歩くと、そこはこの町のかつてはもっともにぎやかだったあたりだ。日系の軽食堂に、ぼくたちは入った。
 カウンターの席に、ぼくたちはすわった。彼女は、いささか空腹だと言った。BLTにオレンジ・ジュース、そしてコーヒーを、彼女は注文した。ぼくは、コーヒーにドーナツだ。
 彼女は、店のなかを見渡した。長い年月にわたって、充分に使いこんだおもむきのある、木造の建物だった。
「昔からあるの?」
 彼女が、きいた。
「一九三九年に建てた店だ」
「あなたが子供の頃は、すでにあったのね」
「ほとんど変わってないよ。昔は、カウンターがもっと高くて、ストゥールも高かった。それに、いろんな部分が、もうすこしきらきらしてたかな」
「双眼鏡を持って、なにをしてるの?」
「東京から持ってきたんだ」
「なにを見ているの?」
「ただ持って歩いているだけだよ」
 手をのばし、彼女は双眼鏡を持った。両肘をカウンターにつき、正面の開け放たれたままのドアから、双眼鏡で外を見た。焦点を調節する彼女の長い指を、ぼくは見た。
「なにが見える?」
 ぼくが、きいた。
「昔のあなたのような子供が、空き地で遊んでいるわ」
 二週間まえ、ぼくは東京からこの島へ来た。出発するまえに彼女に会い、ぼくがこの島で滞在する場所を教えておいた。友人のエドワードの自宅の所番地と電話番号も、教えた。ひょっとしたら私もいくかもしれないけれど、いってもいいかと、彼女はそのとき言っていた。来たら歓迎する、とぼくは彼女にこたえた。
 ぼくがこの島に来て一週間後に、彼女から手紙がエドワードのところに届いた。私もいくことにしました、と彼女は短い手紙のなかに書き、ホノルルからこの島に到着する日時を、書き添えていた。その日が、今日だ。ぼくが計画したとおりに、ことは運んでいる。ぼくがいまこの島に来ている目的は、彼女に結婚を申しこむことだ。
 時間をかけて、ぼくたちはコーヒーを飲んだ。彼女はBLTを食べ、ぼくはドーナツを食べた。
 軽食堂を出て、ぼくたちはスーパー・マーケットまでひきかえした。マーケットを見たいと佳子は言い、ぼくたちは一時間以上を、そこで過ごした。
 マーケットのあと、レンタカーのオフィスへまわった。自動車を一台、借りた。普通のセダンにしようと思っていたのだが、カウンターにテープで貼ってあるリストを見ていて、ぼくはフォードのレインジャーという4×4のピックアップ・トラックに気持ちを動かされた。フォード・レインジャーはありますかと、対応してくれていた女性にきいてみた。あるわよと、彼女は興味なさそうに答えた。彼女は書類を作ってくれ、ぼくがそれにサインし、カードによる前金の支払いをおこなった。彼女はキーをぼくの顔のまえにぶらさげるように差し出し、外の広い駐車場を指さした。
「ずっと奥に停めてあるわ。まっ赤な色」
 と、彼女は言った。
 オフィスを出たぼくと佳子は、駐車場の奥へ歩いた。オフィスの彼女が言っていたとおり、フォード・レインジャーはまっ赤だった。佳子が来ている純白のドレスに、その赤は、強い陽ざしのなかでよく似合った。
 シートの上には、そのフォード・レインジャーのカタログも含めて、この島のホテルの案内パンフレットやレストランの案内、さまざまなローンをおこなっている銀行の勧誘案内など、何枚もの宣伝材料が広げてあった。
「まず、ぼくがいま泊まっている一軒家へいこう。そして、そこできみはシャワーを浴びて、気楽な服に着替えるといい」
 ぼくが運転席に入り、佳子はその隣りの席に落ち着いた。カタログやパンフレットの束を持った彼女は、一枚ずつ点検するように見ていった。フォード・レインジャーのカタログに書いてあることを、彼女はぼくに読んで聞かせてくれた。
「マニュアル・シフトの5スピードですって」
「こういうシフトは、久しぶりだ。うれしいよ」
「百四十馬力。二・九リッターのV6」
「うん」
「エレクトロニック・マルティポート・フュエル・インジェクション」
「結構だ」
「ロール・バーがついてたわね」
「一見したところロール・バーだけれど、横転したらなんの役にも立たない。単なるライト・バーだね。ライトが二個、ついてた」
「なにからなにまで、まっ赤だわ」
 車内を、佳子は見渡していた。彼女が言うとおり、内装はすべて赤で統一してあった。シフト・レヴァーとそのラバー・ブーツだけが、黒だった。
「シャワーを浴びて気楽な服に着替えたら、昼寝をしたくなるよ」
「飛行機のなかで、充分に眠ったわ」
 島の東側から西側へ、ぼくたちは横断した。西側へ出るまでに、四十分かかった。強く陽が射すだけで、人の姿などまるで見ることの出来ない裏通りに面して、ぼくが友人から借りている一軒家は、建っていた。道路から庭に入り、ポーチの階段のまえでぼくは車を停めた。エンジンを停止させた。佳子は、その家を珍しそうに見ていた。
「まわりの雰囲気に、完全に溶けこんでいるわ」
「ぼくにこれを貸してくれている友人は、この家を手に入れて、もうすこし美しく魅力的に改装するのだと言っている。ぼくみたいな仕事の人にぴったりの家にする予定だと、彼は言っていた」
「だったら、ここに住んで仕事をすればいいのに」
「考えなくもないんだ」
 ピックアップ・トラックの荷台から、ぼくたちは彼女の荷物を降ろした。家のなかに運びこんだ。すくない荷物のなかに、彼女はきっと要領よく必要なものをつめてきたにちがいない。
 彼女はシャワーを浴び、着替えをした。オリーヴ色のショート・パンツに、白い半袖のシャツを着て、彼女は浴室から居間に出てきた。片手に、白いテニス・シューズとソックスとを持っていた。居間の中央まで歩いてきて、彼女はフロアの上に腰を降ろした。ソックスをはき、続いてテニス・シューズをはいた。
「さて」
 と、ぼくが言った。
 フロアにすわったまま、彼女はぼくを見た。
「どうしようか」
「面白い家だわ」
「いちばん最初の持ち主が、ほとんどひとりで手造りした家だそうだ」
「素敵だわ。とても、おおざっぱで」
「風がよくとおるんだ」
「浴室の窓から見える景色が、私は好き。自分はいまほんとに、ここにいるんだ、という気持ちになるわ」
 彼女は、立ちあがった。居間の隣りの部屋へ、ぼくは彼女を案内した。がらんとしたその部屋のなかには、ライティング・デスクと一脚の椅子があり、そのデスクの上には空気銃が一梃、斜めに横たえてあった。部屋のむこうの壁には、ぼくの目の高さのあたりに、真横へ一本、桟が走っていた。その壁に沿って、フロアの上には、こまかく砕かれたクラッカーが、まるで敷きつめたかのように、広がって落ちていた。
 ぼくは壁へ歩いた。フロアに置いてあったクラッカーの箱のなかから、いくつかのクラッカーをつまみ出した。適当に間隔をとってそれを桟の上に並べ、ぼくはデスクのかたわらに戻った。
 空気銃を持ち上げて安全装置をはずし、壁のクラッカーにむけて構え、狙いをつけた。いちばん右の端にあるクラッカーを、ぼくは撃った。象の形をしたクラッカーにBB弾は命中し、クラッカーは砕けて飛び散った。
 ぼくは、空気銃を佳子に差し出した。
「狙って引き金を引くだけでいいんだ。やってごらん」
 すんなりとした動きできれいに空気銃を構えた佳子は、狙いをつけた。
「いちばん左」
 とぼくが言った次の瞬間、そのクラッカーは飛散した。
「その隣り」
 今度は彼女の言葉に続いて、おそらく縞馬だろう、左から二番めのクラッカーが、見事に砕けた。
「その次」
 彼女がそう言うと同時に、ライオンの形をしたクラッカーが、粉みじんとなった。佳子は、空気銃を降ろした。
「なるほど」
 なかば感心して、ぼくは言った。微笑して佳子は空気銃をデスクに横たえ、
「大学生のときには、エア・ライフルを趣味にしてたの」
 と、彼女は言った。
「知らなかった」
「あなたが知らないことは、ほかにもまだたくさんあるわ」
「楽しみだ」
 ぼくたちは、外に出ることにした。彼女の荷物、そしてわずかにあるぼくの荷物を、ぼくたちは外へ運んだ。ピックアップ・トラックの荷台に乗せた。
 海沿いの道路に出て、南へむかった。ゆっくり走って五分とかからないところに、ぼくのお気にいりのガス・ステーション兼日用雑貨店があった。道路から浅い角度をとって斜めに、わき道を入ったところにあった。道路とのあいだには幅広く熱帯樹の植え込みがあり、ここにこの店があるということを知っていないと、簡単に見逃してしまう。おもての道路には、ガソリンの広告看板も出ていない。
 一九四〇年代のガソリン・ポンプが二基、店のまえの広場に立っていた。ガソリンを入れにきたのではないことを示すため、そのポンプから離れたところに、ぼくはトラックを停めた。
「買い物をするんだ。頼んでおいたものが、届いているはずだ」
 と、ぼくは佳子に言った。
「ここは、店なの?」
「そう」
 トラックを降りたぼくたちは、店の建物にむかって歩いた。建物も、一九四〇年代のものだ。部分的に改装したり、いたんだ箇所を造りなおしたりしてはあるけれど、基本的には一九四〇年代のままだ。昔の面影が、あらゆる部分に濃厚に残っていた。木造の板張りの建物は、驚くほどしっかりと、頑丈に出来ていた。ペイントがこれまでに何度塗りかえられたか、店主でも知らないだろう。窓枠が白く塗ってあり、そのほかはくすんだ淡いグリーンだ。ポーチの階段を、ぼくたちはあがった。入口のドアは大きく開いていた。
 店のなかは、ほんのりと暗かった。客はいなかった。店主の姿も、見えなかった。普通なら寂しい雰囲気になってしまうはずだが、この店には人がいなくても人の気配がいつもあった。周辺に住んでいる、昔からのなじみの客たちの気配だ。
 店の内部も、一九四〇年代に開店してからほとんど変化していない、と店主は言っていた。雑多な商品を陳列してあるガラス・ケースは、その作りが見るからに昔らしく、おっとりとした余裕を持っていた。ガラス・ケースの配列や棚の様子、そしてそこにぎっしりとならべてある日用品の数々も、昔とほとんど変化していない。一九四〇年代から五〇年代にかけての雰囲気が、店のなかにはほぼそのまま、いまでも存在していた。入口を入ると、その瞬間、客たちはタイム・トリップをおこなう。ぼくにとって、この店は、来るたびに新しい発見のある面白い場所だ。佳子にとっては、さらに珍しいはずだ。
 店主が、ふっと、店のなかに出てきた。店の建物の裏に、別棟になって、住居がある。店主はぼくを見て気さくに微笑し、うなずいた。初老の、しかし元気な日系の二世であり、名前はバイロン寺前という。日本の名は、徳一だ。
「あなたに頼まれてたレイディオ。みつけたよ。持ってきてある」
 奥のガラス・ケースに手を置いた彼は、独特の喋りかたでぼくにそう言った。かなり距離をとった場所からいきなり話しかけてくるのが、彼の特徴のひとつだ。ぼくは、彼にむかって歩いた。
「デッド・ストックのなかに、ちゃあんとあったよ」
 微笑を浮かべたままの顔をぼくにむけて、彼は言った。自分が喋っている内容とそれに対する相手の反応を充分に楽しみながらも、どこかでそのことぜんたいに対してあきれたような、あるいはあきらめたような、醒めた面白さをいつも感じているような、そんな喋りかただ。
「ぼくはポータブルがあると言ったけれど、みつけたのはどれもテイブル・レイディオだった。コンソールではなくて、このくらいの小さいモデル」
 両手で、彼はラジオの大きさを描いてみせた。
「見せてください」
 ぼくの言葉にうなずいた彼は、店のいちばん奥にある小さなオフィスのなかに入った。すぐに、紙の箱をかかえて出てきた。ガラスのケースの上に彼はそれを置き、ぼくはそのガラス・ケースのまえまで歩いた。
 箱を開いてなかのラジオを半分ほど引っぱり出し、彼は手をとめた。そしてすこし離れたところにいる佳子に視線をむけ、
「きみの奥さんかね」
 と、きいた。
 佳子はまだぼくの奥さんではないけれど、
「そうです」
 と、ぼくは答えてみた。
「結婚しとるとは、聞いてなかったね」
「そういう話題は、出ませんでしたから」
 彼はうなずき、箱からラジオを出した。
「一九五四年。エマスン。なかを見ると、ちゃんと真空管が並んでるよ」
 信じられないほどに美しい出来ばえのラジオだった。一九五四年製の、誰の目にも明らかな普及品だが、このような造形と雰囲気、質感のラジオが、世のなかから姿を消して久しい。ぼくが子供の頃、このようなラジオが、身のまわりにあった。かすかに記憶している。そのかすかな記憶が、いま目のまえに、これ以上に具体的ではあり得ないほどに具体的な形となって、ガラス・ケースの上に横たわっていた。一九五四年の新品のラジオは、多くの人の手をへて傷み古びた中古品とちがって、堂々と一九五四年そのものだった。そのラジオおよびその周辺に、一九五四年がくっきりと美しくよみがえっていた。
「ちゃんと鳴るよ」
 興味なさそうに、店主は言った。そして、
「もっとあるんだ」
 と、つけ加えた。
 佳子が、ぼくのかたわらへ歩いてきた。立ちどまり、ラジオを見た。店主と、微笑をかわしあった。ぼくは、店主に彼女を紹介した。彼女が手をさしのべ、ふたりは握手をした。
 首を左右に振りながら、
「日本の美人はいい」
 と、テラマエさんは言った。
「化粧しなくても、こんなにきれいだ。アタミ、イカホ、ユガワラ、キヌガワ。昔、日本へいって、いろんな温泉をまわったよ。日本がまだ、オキュパイド・ジャパンだった頃の話さ。ダラー・ビルをたくさん持ってハワイからくる人は、よくもてたよ。楽しかった。美人がたくさんいた。でも、きみの奥さんのようなのは、いなかった。いまの美人だ。時代は、進化している。日本の電気製品は安くて品がいいのに、なぜこんな昔のものを欲しがるのかね」
「ニューヨークでは、中古ですら五百ドルから七百ドルはしてますよ」
「ニューヨークでいくらしたって、ぼくは知らないよ。ここはハワイの片田舎だから」
 と言った彼は、片手でケースの上のラジオを示した。
「これでいいかね」
「買います。たいへん気にいりました。いくらですか」
「ぼくは興味ないんだ。ニューヨークなら、千ドルふっかけるよ。でも、ここでは、欲しいと言っているきみが、値段をつけなさい」
 しばらく、ぼくは考えた。そして、三百ドルという価格を提案した。真剣な表情に戻った彼は、いさめるようにぼくを見た。首を振り、
「二百ドルにしなさい。こんなものに三百ドルも払うなんて、馬鹿げている。しかし、気持ちはありがとう」
 そのラジオを、ぼくは二百ドルで買うことにした。
「きみは、しばらくのあいだ、この店の客たちのあいだで、話題の中心になるよ」
 笑いながら、店主は言った。そして、ラジオを紙箱のなかにおさめた。話題になるついでに、ぼくはラジオの代金を現金で払った。
 ぼくたちは、しばらくその店にいた。佳子は、分厚いノート・ブックを二冊に、タイコンデロガの黄色い鉛筆を一ダース、買った。店を出るぼくたちを、店主は見送ってくれた。
 ぼく佳子は、フォード・レインジャーに乗った。彼女が、ラジオを持ってくれた。太腿の上に置き、両手で押さえていてくれた。
「私のことを、きみの奥さん、と言ってたわ」
 と、佳子は言った。
 海沿いの道路に出て、大きくUターンをした。走ってきたほうにむけてひきかえし、港とヨット・ハーバーのある小さな町の裏を抜け、そこからさらに十分ちかく走った。ハイウエイからわき道に入り、やがてはじまったゆるやかなスロープをのぼっていくと、道路からひっこんで一軒の家があった。マンゴーの樹に囲まれた、木造のごく平凡な平屋建ての家だ。建ててからかなりの年月が経過していることを、建物ぜんたいの風情から正しく推測することが出来た。道路から草地のなかに入っていくと、やがて漠然と庭があり、その広い庭のむこうに家は建っていた。庭の適当なところに、ぼくはトラックを停めた。
「この車とさっきの一軒家をぼくに貸してくれている、エドワード・カウアカへキの家だ。奥さんとふたりの子供といっしょに、彼はここに住んでいる。彼とぼくとはいっしょに小学校にかよった仲だ」
 家のなかから、子供がふたり、出て来た。ポーチの上に立ち、ぼくのトラックを見た。ぼくは窓から手を出し、彼らに手を振った。エドワードの幼い息子たちだ。四歳と五歳の年子だ。ふたりはポーチの階段を降り、トラックにむかって歩いて来た。女性がひとり、ポーチに出て来た。エドワードの奥さん、キャロリンだ。ぼくは、彼女にも手を振った。彼女も手を振った。鮮やかなグリーンのラグビー・ショーツに、花柄の半袖シャツを、今日の彼女は着ていた。
「彼女が奥さん。キャロリン」
 と、ぼくは佳子に言った。ラジオをぼくは受けとり、シートの下のフロアに置いた。佳子とぼくは、トラックを降りた。
 ぼくは家にむかって歩いた。そのぼくにむかって、
「トラックを手に入れたのね」
 と、キャロラインは言った。彼女のその言葉を聞いた瞬間、ぼくは思い出した。キャロリンから借りて乗っていたポンティアック・カタリーナのステーション・ワゴンを、スーパー・マーケットの駐車場に停めたまま忘れて来た。いまこの瞬間まで、そのステーション・ワゴンのことは、ぼくの頭のなかから完全に消えていた。佳子も、まだ気づいていない。いつもの彼女ならあり得ないことだ。時差がすこしは影響しているのだろうか。
 ポーチの上に上がったぼくは、彼女の車について説明した。佳子を空港で迎えて町へいき、レンタカーの事務所でトラックを借り、そのままステーション・ワゴンのことは完全に忘れてしまったことを、ぼくはキャロリンに説明した。ぼくたちは笑った。
「あとで取ってくるよ」
「いいのよ、いつでも」
 彼女のシャツの裾が、風になびいた。花柄のなかにところどころあるきれいな緑色の葉が、キャロリンのグリーンの瞳に合わせてあった。
 トラックのそばにふたりの子供たちと立っている佳子に、彼女は視線をむけた。
「あの女性なの?」
 視線をぼくに戻して、キャロリンはきいた。
「そうだよ」
 ぼくは答えた。あの女性なの、とはつまり、あなたが結婚するつもりでいるのは、あの女性なのか、という意味だ。
「いい女性だわ。私には、ひと目でわかるのよ。ぜひ彼女と結婚しなさい」
 キャロリンは、癖のない英語で、そう言った。彼女はいま家庭にいてふたりの息子を育てているが、本来は心理学の、ある分野における専門の研究者だ。彼女の研究している領域は、簡単に言うと、人の第一印象だ。人を外側から見て、その人の性格や性質などを判断することの研究だ。人の内面が外側にどのように表現され、それを外側から見る人がどんなふうにとらえ、解釈するか、というようなことの研究だ。
 ふたりの子供たちと話をしながら、佳子もポーチへ来た。ぼくは彼女をキャロリンに紹介した。ふたりの女性が、おたがいに相手をひと目見て好きになるという、いい関係のはじまる瞬間を、ぼくは見た。
「午後のコーヒーをいれたばかりよ。飲む?」
 と、キャロリンはきいてくれた。ぼくたちは、家のなかに入った。食事のためのスペースの中央に大きなテーブルがあり、ぼくと佳子はそのテーブルの椅子にすわった。
「ぼくたちは、忘れものをしている」
 と、ぼくは佳子に言った。
「忘れもの?」
「そうだよ」
「なにかしら」
「気がつかないかな」
「なにかどこかへ忘れてきたかしら」
「忘れてきた」
「なにを?」
「思い出してごらん」
 日本語がかなりわかるキャロリンは、コーヒーを注ぎながら笑っていた。
「なにかしら。困ったわ」
「片手に持てるような小さなものをまず想像して、そこからすこしずつサイズを大きくしていってごらん」
 彼女は、考えた。キャロリンが、ぼくたちのまえにコーヒー・カップを置いてくれた。ぼくたちふたりを対等に見ることの出来る位置の椅子に、キャロリンはすわった。
 ぼくはコーヒーを飲み、佳子は受け皿に片手の指さきをかけて、考え続けた。
「空港に到着してからのことを、順番にたどりなおしてごらん」
 ぼくがそう言うと、佳子はすぐに思い出した。ぼくたち三人は、笑った。
「あとで、とりにいこう」
「すっかり忘れていたわ」
 部屋のなかを走りまわっていた子供たちは、佳子のかたわらに立ちどまった。佳子にしきりに話しかけ、彼女はそれに対応した。やがて、子供たちに手を引かれるようにして彼女は椅子を立ち、部屋を出ていった。
「プロポーズは、したの?」
 興味をいっぱいにたたえて、キャロリンはぼくを見た。ぼくは、首を振った。
「これから」
「プロポーズのあとは、どうするの?」
「もしOKなら、すぐにここで式をあげる。知っているお寺があるので、そこに頼んで。ごく簡素に。そのときは、エドワードといっしょに、証人になってほしいんだ」
「よろこんで、なるわ」
 と、彼女は答えた。そして、質問をつけ加えた。
「あなたの、そのような予定について、彼女はすこしでも知っているの?」
「なにも知らない」
 と、ぼくは答えた。
「どうやってプロポーズすべきか、ぼくはこれから考えなくてはいけない」
「私のときは、突然だったわ」
 と、キャロリンは言った。
「クリスマスの三日まえだったの。彼とふたりでビーチへいって、半日をのんびりと過ごして、その帰り道に、彼は彼の両親のところへ寄ったの。それまでに彼の両親に会う機会がなかなかなくて、私はそのとき、彼の両親とはじめて会ったの。ご両親にちょっとだけ会うつもりだったのに、彼は両親の家のまえに自動車を停めると、エンジンを停止させてから私にむきなおり、ぼくの妻になる人だと言って、これからぼくはきみを両親に紹介したいんだ、それでいいかい、ときいたのよ。突然でびっくりしたけれど、うれしかったわ。私は彼のプロポーズを受けて、砂だらけのサンダルとショート・パンツ、そしてタンク・トップといういでたちで、彼の両親に会ったの」
 コーヒーを飲んだキャロリンは、佳子をさがしにいった。部屋を出ていき、すぐに戻って来た。
「地下室にいるわ。子供たちは、すっかり彼女になついているみたい」
 佳子、という名前に使ってある文字の意味を、キャロリンはぼくにたずねた。ぼくは答えた。そして、地下室へいってみた。
 この家の背後は、スロープとなっていた。キチンのまえをとおり抜けたところに階段があり、それを降りていくと、上のフロアから見るとほぼ完全に地下室である、広い部屋があった。部屋はひとつだけでがらんと大きく、窓からはスロープの下を見渡すことが出来た。子供たちの遊び場になっている部屋だ。
 部屋の中央に、佳子はすわっていた。その両わきに、エドワードのふたりの息子たちが横すわりしていた。佳子は、一冊の絵本を膝の上に開いていた。部屋に入って来たぼくを、彼女は見上げた。
「絵本を読んでいたのよ」
 と、彼女は言った。ぼくは、彼女とむきあって、フロアにすわった。彼女が膝の上に開いている絵本は、『昨日の雪だるま』というタイトルだった。
「ふたりとも雪だるまが好きなのですって。でも、現物をまだ見たことがないし、作ったこともないの」
「この島では無理だ」
 階段の上から、キャロリンが息子たちを呼んだ。立ちあがった彼らは、階段を駆けあがっていった。
「雪だるまというと、子供の頃、姉といっしょに作った雪だるまを、ぼくは思い出す」
「どんな雪だるまだったの?」
「ごく普通さ。でも、目に工夫がしてあって、その目は、見ることが出来るんだ」
「見る?」
「直径三センチほどの、長さは三十センチくらいの、鉄の管が二本あってね。雪だるまのぜんたいを作ってから、姉はその鉄管を雪だるまの頭の目の位置に、一本ずつ、ねじこんでいったんだ。両目の位置に鉄管をねじこんでむこう側まで出して、頭ぜんたいをもう一度よく整えてから、その鉄管を一本ずつ、姉は丁寧に抜きとっていった。二本とも抜いてしまうと、目が出来ていた。雪だるまのうしろにまわってつま先で立つと、そのふたつの穴のむこうを見ることが出来た。その雪だるまの目で、むこうを見ることが出来た」
「面白いわ。そんなふうに目を作る雪だるまは、はじめてだわ」
「その姉はいまボストンに住んでいる」
「その雪だるまを作ったのは、どこでのことなの?」
「金沢。叔母のところへ遊びにいき、滞在しているうちに雪が降り、ぼくと姉は雪だるまを作った。当時のぼくよりもひとまわりほど大きい雪だるまでね、いっぱいに背のびすると、ぼくの目の位置と雪だるまの目の位置とが、一致するんだ」
「楽しいわ」
「雪だるまの目から、雪の降っている景色が見えたよ」
 やがてぼくたちは階上に上がった。今日の夕食はキャロリンの料理をここで食べるのだと、ぼくは佳子に伝えた。これから準備をはじめる、とキャロリンは佳子に言い、なにか手伝うことはないかと、佳子はきいていた。なにもない、と笑いながらキャロリンは答え、それに対して佳子は、何日かあとにこんどは自分が料理を作るから食べてほしい、とキャロリンに約束していた。料理に関しては、たとえるなら佳子がキャプテンで、ぼくはファースト・メイトだ。つまり、彼女が料理を作るときには、ぼくは雑役としてこき使われる。
 ぼくと佳子はトラックに乗り、キャロリンの家の庭を出た。
「ほんとに、どうしたのかしら、うっかりしてたわね」
 膝の上にぼくのラジオを持って、佳子が言った。マーケットの駐車場に忘れて来たキャロリンのポンティアック・カタリーナのことだ。
「これからコンドミニアムの部屋へいこう。そこに落ち着いてから、あの町へ再びいこう。そして、二台の車で、ゆっくり戻ってこよう。そうすれば、夕食にちょうどいい時間になる」
 海に沿ったハイウエイまで降りていき、再び海沿いを走った。しばらくいくと、コンドミニアムが見えてきた。地形的には平凡な場所だが、海は目のまえだ。すこし以前まではなにもないただの空き地だったのだが、突然、そこにコンドミニアムが出来た。彼女が来たら部屋はこのぼくに世話させてくれ、と友人のエドワードが言い張り、このコンドミニアムのペントハウスに部屋をとってくれた。ただ同然の安い料金だった。
 客は、いまはぼくたちのほかに三組しかいないという。人の気配のない静かな建物のなかに入り、エレヴェーターでぼくたちはペントハウスに上がった。
 そのペントハウスの部屋は、簡単に言ってしまうなら、3ベッドルームだ。寝室が三つだから、浴室もそれに付属して三つある。広い居間とダイニング・ルームとを中心にして、その三つの寝室が、おおまかに配置してある。キチンもある。家庭のキチンとしても充分すぎるほどの出来ばえだ。海に面した側を、広いラナイが、完全にとり囲んでいた。どの寝室からも、そのラナイに出ることが出来た。ふたりだけのぼくたちには、どう考えても広すぎるのだが、ぜひここにしろと友人が主張するので、ここにきめた。
 両端の寝室を、それぞれの部屋としてぼくたちは使うことになった。おたがいに荷物をおさめるべきところにおさめてから、ぼくは彼女の寝室へラジオを持っていった。大きなナイト・テーブルにラジオを置き、壁のアウトレットにプラグを差しこんだ。佳子がかたわらで見守るなかを、ぼくは電源スイッチをオンにした。ダイアルに、静かに明かりが灯った。テューニングしていくと、クラシック音楽を専門に聴かせてくれる局がみつかった。同調を正確にとり、音量をあげてみた。
「いい音だ」
「人の体温のようなものを、音のなかにはっきりと感じるわ」
「ゆったりしてるね」
「思いがけないほどに、深い音よ」
 しばらくその音楽を、ぼくたちは聴いた。そしてぼくは佳子に顔をむけた。
「モーツアルト?」
 と、ぼくはきいた。
 佳子はうなずいた。
「ピアノと管弦楽のための五重奏曲」
「ピアノとクラリネットと」
「オーボエ、ホルン、バスーン。ピアノは、ブレンデルでしょう」
 モーツアルトを聴いている彼女をそこに残し、ぼくは自分の寝室の浴室に入った。裸になり、シャワーを浴びた。ショート・パンツに半袖のシャツで居間に出てくると、佳子はラナイにいた。ぼくがさきほどテーブルの上に置いた双眼鏡を持ってラナイの手すりのまえに立ち、彼女は海を見ていた。双眼鏡を、彼女は目に当てた。居間の中央に立ち、ぼくは彼女のうしろ姿を見守った。そして、考えた。
 彼女がこの島にいるあいだに、ぼくは彼女に結婚を申しこもうと思っている。承諾してもらえたなら、ぼくの両親のいる島へ、やがてぼくたちはいくだろう。そして、彼女を両親に紹介する。クリスマスは、そこでいっしょに過ごしてもいい。さきほどキャロリンが語ってくれたことが、参考になりそうにも思える。
 ぼくの両親が住んでいる家のまえに自動車を停め、その自動車を降りてから、かつてぼくの友人のエドワード・カウアカヘキがキャロリンに結婚を申しこんだときとおなじように、家に入るまえのごく短い時間に、ぼくもおなじような台詞を佳子に言うといい。ぼくは、頭のなかでその台詞を言ってみた。「これからぼくの両親にきみを紹介するけれど、ぼくの妻になってくれる人だと言ってひき会わせたいんだ、それでいいかい」悪くない。すんなりと出てきそうだし、佳子にとっても受けとめやすいはずだ。彼女は、こう言われて驚いたりするだろうか。あまり驚かないのではないか、とぼくは思う。
 エドワードの真似をしなくても、佳子に結婚を申しこむための台詞とその状況は、いくらでも作れる。たとえば、これからしばらくして、ぼくたちはトラックで空港の近くの町までいく。ぼくがトラックを運転し、彼女はキャロリンのカタリーナを運転して、ぼくのあとからついてくる。島のこちら側の海辺に出てから、公園の縁にぼくはトラックを停める。彼女が、そのうしろに停まる。ぼくはトラックを出て、カタリーナまで歩いていく。彼女が、車の外へ出てくる。ぼくは彼女のかたわらに立ち、結婚を申しこむ。これだって、悪くないではないか。次々に頭に浮かんでくるどの状況も、それぞれに愛しく貴重だ。状況はいまでもいい。ぼくもラナイに出て彼女のわきに立ち、そこで結婚を申しこむ。これだって、けっして悪くない。
 ぼくはラナイに出ていった。双眼鏡で海を見ている彼女のうしろに立ち、彼女の肩に両手をかけた。彼女の後頭部に、ぼくは顔をつけてみた。彼女の髪の、いい香りがした。ぼくの目のすぐまえに、彼女の髪があった。
「なにが見える?」
 と、ぼくはきいた。
「海が見えるわ。面白いのよ」
 姉がかつて作った、目の見える雪だるまを、ぼくは思い出した。
「ぼくにも見える」
 と、ぼくは言った。
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ヒロ発1158



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 ボストンから直行便でシアトルにむかった。そしてシアトルで一泊だけした。ボストンでは姉に会い、シアトルでは叔父に会った。そしてシアトルから再び直行便でハワイ島にぼくはむかっている。まもなく、この747はヒロ空港に着陸する。
 雑誌の記事を読みはじめたとき、スチュワデスのアナウンスがあった。まもなくこの飛行機は着陸の体勢に入り、次第に高度を下げていく、というアナウンスだ。シート・ベルト着用のサインが出たなら、ただちにシート・ベルトをしめてほしいと、スチュワデスは中西部育ちのアクセントで、乗客たちに告げた。この飛行機は、全席が禁煙席だった。
 記事を読んでいる途中で、シート・ベルト着用のアナウンスがあった。ヒロの気温と気象とを、スチュワデスはついでに告げた。気温はいくぶん低めであり、ヒロは雨だという。
 重い音とともにランディング・ギアが胴体から外へ出ていく頃、ぼくは雑誌の記事を読みおえた。雑誌を開いたまま膝の上に置き、ぼくは窓から外を見下ろした。
 さきほどおなじようにして外を見たときには、窓の外には雨の雲が白くくすんで流れていただけだった。いまは、機体は雲の下だ。空港に隣接する一帯が、眼下に見えた。なにに利用されている土地なのか、にわかには見当のつかない、漠然とした広い空き地のような土地のすぐ上空を、747は滑走路の端にむけて降下していきつつあった。
 まっすぐにのびている道路の上を、747は斜めに横切っていった。赤い屋根の自動車が一台、その道路を走っていた。雨の降る道路を法定速度で走るその自動車もまた雨に濡れていることが、飛行機の窓からでもはっきりとわかった。その自動車の運転席からガラスごしに見えている光景や、もしラジオがかかっているならそのラジオから聞こえている音楽やアナウンスメントなどを、ぼくはかなり正確に想像することが出来た。
 滑走路は急速に接近し、タイアがその滑走路に接する音および間接的な衝撃とともに、747は着陸した。着陸したとたんに、窓から見えている光景は、本来のきわめて平凡な光景へと、戻った。飛行機がまだ空中にあるあいだは、上空から見下ろす光景は、なにか特別なもののように見えている。
 滑走する機体の速度が落ち、スチュワデスのアナウンスがあり、乗客たちはシートから立ちあがりはじめた。
 ぼくは、読んだばかりの雑誌の記事を見た。ロード・アイランドのリトル・コンプトンの沖にある、小さなひとつの灯台についての記事だった。雑誌を閉じたぼくは、まえの席のうしろにあるネットの袋のなかに、その雑誌を押しこんだ。まえの乗客が読みすてたのだろう、ぼくがシアトルから乗ったとき、すでにその雑誌はそこにあった。
 ぼくも、シートを立った。何時間もすわったままでいたあとだから、ただ立ちあがるだけでかなり爽快だった。頭上の棚を開いて平たい紙包みを取り出し、シートの下からキャリーオン・バッグを引っぱり出した。ぼくの荷物は、これだけだ。
 機体は、すでに停止していた。乗客たちは、ドアにむかって通路を歩いていた。やがて、ぼくも、機体の外へ出た。空港の建物から機体にむけてのびてきている廊下を歩き、建物に入った。雨の日のヒロの香りが、ぼくを包んだ。
 手荷物だけのぼくは、バゲジ・クレイムを素通りした。ロビーから外に出た。何軒かあるスーヴェニア・ショップのひとつに入り、ぼく自身のためにTシャツを一枚だけ買った。ヒロへ来るのがこれで何度めだか、ぼく自身にも正確にはわからない。このTシャツは、何度めともわからないヒロでの、ぼく自身へのおみやげであると同時に、今夜のぼくのパジャマでもあった。ヒロに、ぼくは、一泊だけする。今回の旅行は、そのような旅行だ。スーヴェニア・ショップには、クリスマスの飾りつけが出ていた。
 建物の正面に出たぼくは、雨の駐車場を見渡した。そして、レンタカー会社へ専用のホットラインで電話した。係員がすぐにそちらへむかうと、対応した女性は言った。
 待つほどもなく、レンタカー会社の看板を屋根につけた小さなセダンが、建物のまえへ入って来た。手をあげたぼくに反応して減速し、セダンはぼくのまえで止まった。
 青年がひとり、運転席から降りた。
「電話をくれた人かな?」
 と、彼はぼくにきいた。ぼくは、そうだと答えた。彼は、セダンのうしろへまわっていった。トランクを開き、なかへ荷物を入れろと、ジェスチュアでぼくに示した。
 ポリネシア系を土台に、いくつもの血が混じりあっていることをはっきりと見せてくれている、小柄な、屈強な体格の青年だった。いかつい顔立ちであり、にこりともせずにまっすぐに相手を見た。ふたサイズほど大きいジョギング・シューズに黒いショート・パンツ、そして赤いTシャツを、彼は着ていた。Tシャツの背中には、七桁の番号が横にプリントしてあり、その下には、『私はただの番号』という文句が添えてあった。
 荷物をトランクに入れて閉じ、ぼくはうしろの席に入った。青年は運転席に戻り、すぐにセダンは発進した。
 レンタカーのオフィスは、空港の敷地のすぐ外にあった。敷地に沿ってまっすぐにのびている広い道路をしばらく走り、やがて金網のゲートのなかに入った。なにもない広い敷地の奥に、オフィスの建物と整備ガレージがあった。
 オフィスのまえにセダンを停め、青年は運転席から外に出た。ぼくも、外に出た。
「きみの番号は、なかなか覚えられないね」
 と、ぼくは、彼の背中を指さして言った。
 ふりむいた彼は、客への愛想として最小限の微笑を、浮かべてみせた。そして、なにも言わずに、ガレージのほうへ歩いていった。
 ぼくは、オフィスのなかに入った。黒人の若い女性が、ひとりでディスプレイ・ターミナルにむかい、事務をとっていた。肩ごしにふりむき、
「ちょっと待ってね」
 と、彼女は言った。
 カウンターの端にあるコーヒー・マシーンから、ぼくは紙コップにコーヒーを注ぎ、カウンターにもたれてコーヒーを飲んだ。オフィスのどこかにラジオがあり、深いバリトンの男性アナウンサーが、ローカル・ニュースを読んでいた。
 しばらくして、彼女は椅子を立ち、カウンターへ歩いてきた。強い香水の香りが、彼女からぼくに流れた。
 彼女の名は、カティアというのだった。車はあれでいいかしら、と彼女はいまぼくが乗せてきてもらったセダンを指さした。濃い褐色の指は存分に長く、爪は黄色に塗ってあった。
「ほかにどんなセダンがあるのですか」
 ぼくの質問に対して、カティアは、まるでウエイトレスがビールの銘柄をならべたてるように、自動車の名をいくつも、ひと息にぼくに告げた。そのなかから、ぼくは、ビューイック・センチュリーを選んだ。
 デスクに戻ったカティアは、書類を作りはじめた。途中でデスクにあるマイクのスイッチをオンにし、ビューイック・センチュリーをおもてにまわすようにと、早口で言った。
 すぐに、ビューイック・センチュリーが、整備ガレージのむこうから出てきた。セダンのうしろに停まった。さきほどの青年が、運転席から降りてきた。セダンのトランクを開いてぼくのふたつの荷物を出し、ビューイックのトランクに移した。ビューイックのトランクを開けたまま、彼はセダンで走り去った。
 書類が出来た。ぼくはカードで前払いをすませ、必要なことを書類に記入し、何箇所かに署名をした。
 外のビューイックを再び指で示し、
「あなたのものよ」
 と、カティアは言った。
 空港からヒロのダウン・タウンまで、いつ来てもそのたびに、道順をうろ覚えのまま、ぼくは自動車で走る。確かこの方向だったと思いながら走っていくと、正面に見えている光景のぜんたいが、あるとき、記憶のなかの光景と重なる。そのことによって方向の正しさを確認し、なおも走る。確かここを左に曲がったはずだと思いつつ、左へ曲がる。しばらくは光景に見覚えがないが、やがて、さきほどとおなじように、目のまえの光景と記憶のなかの光景とが、重なってくる。
 そのようにして、やがてぼくは、ヒロの町の海岸通りに出た。その道路から、町の内部にむけて左折した。左折する場所で見える光景は、一年まえと寸分たがわなかった。ここへ来るのは、一年ぶりだ。
 カフェのてまえのパーキング・メーターが空いていた。そこにビューイックを停めたぼくは、外に出た。ドアをロックし、カフェまでの数歩を歩いた。ドアが開いたままになっているカフェに、ぼくは入った。
 店主とその奥さん、そして午後のこの時間の常連客たちは、今日も健在だった。思いがけないぼくを、店主夫妻は、よろこんで迎えてくれた。L字型になったカウンターの、その角のところに、ぼくの父親がいた。昔とおなじように、ヘア・クリームをたくさん使ってまさに日系二世のスタイルにときつけた髪は、昨年よりさらに白くなっているように見えた。しかし、元気そうだ。銀縁の四角な眼鏡の奥で、父親の目はぼくを見たその一瞬、厳しくそして優しかった。よく陽に焼けた、しかししわの深い六十代後半の顔に、銀縁の眼鏡はまだよく似合っていた。
 父親の隣りのストゥールに、ぼくはすわった。
「久しぶり」
「元気かね」
 と、父親がきいた。
「元気。お母さんは?」
「家にいる。達者だよ」
「妹も」
「あれはいつだって元気だ」
「ぼくが会って来た人たちも、元気だったよ」
 シャツの胸ポケットから、ぼくは写真を二枚、取り出した。一枚はボストンの姉、そしてもう一枚は、シアトルの叔父だ。どちらも、ポラロイドで撮った。二枚の写真を、ぼくはシュガー・ポットに立てかけた。父親は、その写真を笑顔で見た。カウンターのなかの店主に、ぼくはコーヒーとドーナツを注文した。
 コーヒーとドーナツは、すぐに出てきた。ドーナツには、ホイップド・クリームを添えてもらった。ドーナツを口のなかで噛み、コーヒーで飲み下すと、その一瞬、ぼくは、生まれてからずっとこの町に住んできた人のような気持ちになった。ただし、そのような気持ちは、その一瞬だけだ。
 会ってきたばかりの姉と叔父について、彼らの状態や近況を、ぼくは父親に語った。父親は、この島にいる近親者たちについて、ぼくに語った。
 膝の上に持っていたいくつかの紙包みを、父親はぼくに渡した。
「クリスマス・プレゼントだよ。家に泊まるのだから、家で渡してもよかったのだけど、ここへ持ってきた」
 いちばん小さな包みのなかは、四角な固い紙の箱だと、手ざわりでわかった。
「それは、きみのワイフに」
 その次の紙包みも、小さな箱だった。この箱は、細長い。
「きみの娘に。銀のスプーンだよ。ホノルルのリバティ・ハウスで、ヘレンに買ってきてもらった」
 ヘレンは、この島にいるぼくの妹だ。ただし、母親がちがう。達者で家にいるとさっき父親が言った、その母親だ。父親が再婚した相手だ。ボストンにいる姉はマーガレットといい、彼女とぼくとは、母親がおなじだ。その母親は、すでに何年もまえに故人となっている。東京にいるぼくの娘は、九歳だ。
「そして、それは、きみのだ」
 三番めの紙包みを示して、父親は言った。
 大きくて、ずしりと重い紙包みだった。
「これがなにだか、言われなくてもわかるよ」
 思わず苦笑しながら、ぼくは言った。これも、辞書だ。クリスマスや誕生日に、これまでいったい何冊の辞書を、ぼくは父親からもらっただろうか。
「類語辞典だ」
 ぼくの言葉に、父親は柔和に笑っていた。
「さもなくば、引用句辞典だ」
「開いてみればいい」
 ぼくは、紙包みを開いた。ぼくの苦笑は、声をあげた笑いに変わった。
「これは、すごい」
 と、ぼくは言った。父親からの今年のクリスマス・プレゼントは、『あらゆる機会に利用出来る傑作ジョーク5000篇』という分厚い本だった。
「すぐれたジョークによって、さまざまな難局を切り抜けることが出来るのは、歴史が証明するところだよ」
 大統領のような英語の口調で、父親は言った。
 ぼくは、カウンターの上にその本を開いた。そして、まえに立っている店主を見上げ、
「面白いジョークをひとつ、いかがですか」
 と、言った。
 笑顔の店主は、
「面白い奴ならいつだって歓迎だね」
 と、答えた。
「では、これを聞いてください」
 ぼくがそう言うと、店主はほかの客たちの話を制した。ぼくが読むジョークを聞くようにと彼は言い、全員がぼくを見た。
 開いたとたんに目にとまったジョークを、ぼくは読んだ。すくなくともこのジョークに関しては、タイトルに偽りはなかった。笑わずにはいられない、面白いジョークだった。カウンターの客たちは、ひとりを除いて全員が笑った。理解できずに笑わなかったその人は、パキスタンから来たばかりだという男性だった。ほかのすべての人を笑わせたぼくを、彼は怒ったような表情で見た。ぼくは、分厚いジョークの本を閉じた。
「仕事は、どんなふうかね」
 と、父親がぼくにきいた。
「進めているよ。いつも忙しい」
「働きすぎないように。東京にいると、人は働きすぎてしまうから」
「だいじょうぶだよ」
「この店のストーリーは、書いたのかい」
 ドーナツを食べ、コーヒーを飲みながら、ぼくは父親の質問を受けとめた。一年まえにここへ来たとき、ぼくは、この店を舞台にしてなにかストーリーを書くと、父親に言った。父親がいま言っているのは、そのことだ。
「書いたよ。しかし、部分的なんだ。やがては、一冊の本になるのだけれど、いまはまだ、部分的にしか書いていない。本になったら、持ってくるよ」
 この店に触発されてぼくがとりあえずひとつだけ書いたストーリーは、次のようなものだ。


 朝食
 ハムまたはベーコン・アンド・エッグス、そしてトースト、コーヒー 2ドル25
 ホット・ケーキ 1ドル
 フレンチ・トースト 1ドル10
 フライド・エッグス 85セント
 トーストにコーヒー 60セント
 紅茶またはコーヒー 35セント
 パイナップル
 グアヴァ
 トマト
 ジュース三種類各40セント
 ホット・ミルク、ココア 60セント
 フレッシュ・ミルク 60セント
 サンキュー
 セヴンナップの広告をかねたメニュー・ボードには、以上のように朝食のメニューが出ている。アルファベットをひと文字ずつ細いスロットにさしこんで表示をつくるメニュー・ボードだ。ケアウェ・ストリートに面した窓のすぐわきの壁に、このメニュー・ボードはかかっている。
 自分の注文した朝食が調理室から出てくるのを静かに待ちながら、彼は、そのメニュー・ボードの表示をていねいに読んだ。
 彼は、老人だ。一九〇一年生まれだという。このハワイ島の北東、ハマクア・コーストのラウパホエホエというところにかつてあった、砂糖キビ耕地のなかで生まれたという。
 小柄な、老いた日系の二世だ。やせている。白髪が、当人でさえすでにそこに生えているのを忘れてしまったのではないかと思えるような風情で、頭ぜんたいに薄いけれどもまんべんなく生えている。顔そして首が濃く陽に焼け、縦横無尽に深いしわがかさなりあっている。
 若いころはハンサムだったにちがいない端正な顔は、おだやかな表情を悲しげにたたえている。淡いブルーの半袖のシャツの裾を、黒に近い濃いブルーのスラックスの外に出している。シャツの胸ポケットには、黒いビニールのケースにおさめた眼鏡が入っている。
 ひもで結ぶ黒い靴をはいている。両足にはいたその小さな黒い靴は、店のコンクリートのフロアに、軽く静かに、乗っている。
 アルミニウムの板で縁どりをした赤いフォルミカ・トップのカウンターに、老いたいまはすっかり細くなってしまった両腕を、彼は置いている。茶色の斑点の無数に浮かんだ、しわだらけの両手を、かさねあわせている。
 メニュー・ボードの文字を読んだ彼は、正面に顔をむけた。カウンターの内側のスペースのむこうに、壁によせて台があり、コーヒーをつくると同時にそのコーヒーを熱く保っておくための装置、ニクロ・デュオブリュー・オートマティックが、乗っている。
 この装置のうしろの、クリーム色に塗った壁にも、メニュー・ボードがある。おなじくスロットにアルファベットをはめこんでいく方式であり、こちらのほうはコカコーラの広告をかねている。彼は、このメニュー・ボードの文字を、左肩から読んでいった。
 ハンバーガー 65セント
 チーズバーガー 90セント
 チリ・バーガー 90セント
 グリルド・チーズ 75セント
 ハム・アンド・エッグ 1ドル35
 ベーコン・トマト 1ドル35
 ハム・アンド・チーズ 1ドル35
 ハムまたはベーコン 1ドル
 フライド・エッグ 60セント
 ツナ 85セント
 ホット・ドッグ 60セント
 ロースト・ビーフ 1ドル50セント
 ハンバーガー・デラックス 95セント
 ツナ・アンド・トマト 1ドル35
 グリルド・ツナ・アンド・チーズ 1ドル60セント
 チーズ 60セント
 パイ・アラモード 60セント
 モルテッド・ミルク 1ドル25セント
 サンデー 1ドル10セント
 バナナ・スプリット 1ドル60セント
 ルート・ビア・フロート 1ドル
 アイスクリーム・ディッシュ 95セント
 コーク・フロート 1ドル
 ソーダ 30セント
 ソーダ・ラージ・グラス 55セント
 サンカ・コーヒー 35セント
 以上だ。
 小柄な日系の老人は、ていねいに、ゆっくり、このメニューを読んだ。いつ読んでも、メニューはおなじだ。料理の値段が5セントあるいは10セントに値上がりしたとき、数字が変わる。変化といえばせいぜいそんなものだが、この店ではそんな小さな変化も、めったにない。
 メニュー・ボードは、もうひとつある。調理室のドアの左側の壁に、ソーダ・マシーンと丸い鏡とにはさまれて、コカコーラのマークが赤く入った縦長のメニュー・ボードがある。これは朝食のメニューであり、スロットにはめこまれている文字は、ケアウェ・ストリートに面した窓のとなりにあるメニュー・ボードと、まったくおなじだ。メニュー・ボードの右わきに、赤いカードがスコッチ・テープでとめてあった。黒い文字で、コリーアン・ジンセン・ティー 40セント、と読めた。
 ゆっくり、老人は天井に目をむけた。簡単な造りの白い天井が、ほんのりとすすけていた。天井に接して白く塗った板壁の部分があり、老人が面している正面の板壁には壁かけ時計がとりつけてあった。古い時計だが、作動していた。七時を数分だけ過ぎていた。朝の七時だ。老人から見て左側にあたる壁の、天井に近い高いところに、厳島神社のしゃもじがひとつ、かけてあった。
 白く塗った幅のせまい板壁の下には、甘いものの品書きが、横に一列にならんでいた。
 オレンジ・フリーズ 1ドル10
 ルート・ビア・フロート 1ドル
 アイスクリーム・ディッシュ 95セント
 ストロベリー・サンデー 1ドル10
 バナナ・スプリット 1ドル60
 この店が開店したときからここにこのままある品書きだ。三十年、変わらずにある。ただし、値段は数字を印刷した紙を切り抜いてもとの数字のうえに貼り、訂正してある。どれにも簡単な絵がそえてあるのだが、色はすっかり変色してしまっている。ストロベリー・サンデーはストロベリーではなくチョコレートのようだし、バナナ・スプリットはぜんたいが一様に色あせたシルエットになっていて、アメリカで育った人以外には、これがバナナ・スプリットだとはわからないだろう。
 調理場のドアが開いた。この店の日系の店主が、客のために調理した朝食を両手に持って、出てきた。右手に持っている皿には、スクランブルド・エッグスにベーコン、そして一個のジャガイモを五つに切ってフライしてそえたものが、盛り合わせてあった。左手の皿には、トーストが二枚、おたがいに斜めにかさなっていた。トーストのうえには、薄く四角に切ったバターが乗せてあった。
 黒いスラックスに白い長袖のビジネス・シャツを着て蝶ネクタイをしめた店主は、小柄な日系の老人におだやかな口調で語りかけながら、彼のまえにふたつの皿を置いた。スクランブルド・エッグスとベーコン、そしてジャガイモの皿を老人の手前に置き、トーストの皿をその奥に置いた。
 コーヒーのブリューイング・マシーンのわきにつみかさねてある紙ナプキンを一枚とり、スクランブルド・エッグスの皿のわきに置いた。カトレリーのトレイからナイフとフォークをとり、ナプキンのうえにならべた。
 コーヒーがいりますねと言い、ニクロ・デュオブリュー・オートマティックのうえにかけて保温してあったガラスの容器から、コーヒー・マグにコーヒーを注ぎ、スプーンを一本、マグのなかに入れ、トーストの皿のわきに置いた。
 砂糖注ぎを老人の手の届くところに置き、ミルク・ピッチャーをコーヒー・マグのわきに、そして塩と胡椒をコーヒー・マグのうしろに、それぞれ配した。グラスに冷えた水を注ぎ、老人の手もとに置いた。2ドル25セントの朝食が、老人のまえにととのった。
 塩と胡椒は、両方とも味の素の小さな容器に入っていた。老人はまず塩をとってスクランブルド・エッグスにかけ、それから胡椒をおだやかにふった。
 ナイフとフォークを持ち、ベーコンを切り、ナイフを置いて食べはじめた。歯がほとんど入れ歯になってしまっている人に特有の、妙に入念な噛み方で、彼は食べた。
 この店は、一九五〇年代のはじめに開店した。ハワイ島の電話帳には、ファウンテン・サーヴィスとして載っている。ヒロの小さな町のなか、ケアウェ・ストリートとマモ・ストリートの交差する角にある。角のスペースを大きく占めている二階建ての木造の建物の、いちばん角にあたる一角だ。
 小さな店だ、とはじめから思ってしまえば、小さな店かもしれない。だが、現在の営業のされ方からいえば、これで充分な広さだ。
 ケアウェ・ストリートに面した側面と、マモ・ストリートに面した側との両方に、入口がある。両方の側面とも、入口のほかは壁面の大部分が大きくとった窓だ。マモ・ストリートからの入口は、観音開きのドアだ。店が営業しているあいだは、内側へ開いたままになっている。木の枠は白く塗ってあり、桟でこまかく仕切って透明なガラスがはめてある。観音開きの両側が上から下までそれぞれ一列のガラスで、長方形の小さな枠ごとに一枚ずつ、煙草の広告スティッカーが貼ってある。上から順に、バークレー、メリット、ヴァイスロイ、クールと、左右対称におなじものが貼ってあり、いちばん下は、左がヴァージニア・スリム。そして右側はマーボロのメンソールだ。
 ドアの両側が窓だ。右側の窓は小さく、左側は角の柱まで、大きくいっぱいに一枚ガラスの窓だ。ファウンテン・サーヴィス、そしてサンドリーズと、窓に看板が出ている。左側の大きな窓の内側は、サンドリーズ(日用雑貨)の看板どおり、かつては商品の陳列ウインドーだったのだが、いまは煙草の棚に煙草がならんでいるのが見えるだけだ。ガラスには自動車のスパーク・プラグの広告ポスターや盆踊りの案内が貼ってあり、内側の棚に置いたいくつもの観葉植物の鉢によって、窓の下半分はふさがれていた。
 ケアウェ・ストリートに面した入口は、頑丈な木製の大きな引戸だ。午後三時に店がしまると、黄土色に塗った引戸が入口をふさぐ。入口の右側は、小さく一枚ガラスの窓がある。この窓も、主として何枚もの煙草のスティッカーによって、下半分は視界をふさがれていた。窓枠によせて、営業時間を表示したスティッカーが貼ってあった。マーボロの広告をかねたもので、例のカウボーイが投げ縄を持ってポーズしている下に、ストア・アローズが表示してあった。定休日は木曜日だ。それ以外の日は、午前六時三十分から午後三時まで、この店は営業している。
 店の内部の中心は、L字型になったカウンターだ。背もたれのついた低いストゥールがカウンターの外側にならんでいる。客が十人も来れば、いっぱいとなるだろう。
 カウンターの内側は、人が自由に動きまわれるだけのスペースをへて、広い台をよせた壁になっている。ケアウェ・ストリートに面した窓からのびてくる壁には、いまひとりで朝食をとっている日系の老人が最初に読んだメニュー・ボードをあいだにはさんで、丸い大きな鏡が、ボードの左右に対称となってかかっている。右側の鏡の前には、アンセリウムが何本もひと束になって生けてある。赤いアンセリウムが写ったその鏡は、マモ・ストリートに面した窓のガラスごしに、七月の快晴の朝の、輝く青い空と明るい陽ざしをも、写しとっていた。壁によせた台には、冷たい飲み物やフロート・ファッジをつくるための道具と装置が、ならんでいた。どの道具も長い年月にわたってよく使いこまれていた。台のあちこちにいろんなものが置いてある。よく使いこまれた雰囲気や、置いてある物の古びた影のなかに、朝の六時三十分から午後三時までの営業を三十年にわたってくりかえしてきた時の流れの、置いてけぼりになってそのままそこにとどまっているごく小さな断片が、ひっそりとあった。
 日系の老人がベーコンを噛みながら見つめている正面の壁には、ほぼ中央に、調理場のドアがある。ドアには、丸く小さく、窓がくり抜いてある。ドアの左側は、食器を洗う流し台だ。右側の壁によせた台はニクロ・デュオブリューのコーヒー・メーカーを中心に、トースターふたつ、コーヒー・マグや受け皿、スプーン、砂糖の容器などがならんでいる。日系老人の客が読んだ横長のメニュー・ボードの左下に、できあがった料理を調理場から受けとるための、台のついた半円形の窓がある。
 カウンターのストゥールにすわった客の背後にあたるスペース、そして年代物の金銭登録機が置いてある一角は、いくつかの商品陳列ケースによって占められている。キャンディや菓子パン、クッキー、そして自動車のための小さな部品、日用のこまごました雑貨の奇妙にかたよった一部分、釣りの道具などがケースの内部に入っているが、ならべ方は雑然としていて、たいていのものは色あせ、ほこりをかぶっている。ケアウェ・ストリート側の壁には文房具の棚がある。何年もまえに仕入れをやめ、そのまま売れ残ったノートパッドやボールペンが、時間の流れの外にとり残されている。朝と昼にカウンターで出す朝食と昼食、そしてそれ以外の時間での軽食が、この店の商いの中心だ。
 金銭登録機のある台の前面には、つい立てのような壁がある。かつてこの店で釣りの道具をさかんに売っていた頃の名残りが、その壁にある。この店で糸や針を買った客の釣った魚のカラー写真が、何枚か貼ってある。写真はどれも褪色をはじめていて、ある写真は赤い色だけが強く残り、またべつの写真はブルーが強く残ったりしている。写真のまえには、裸電球が一個、天井からさがっている。
 金銭登録機のうしろは、処方箋によらない日常的な薬品の棚だ。ラヴォリス。ペプト・ピスモル。ST37アンティセプティック・ソリューション。サロンパス。ジョンソンのベイビー・パウダー。ステリ・パッド。金鳥のモスキート・スパイラル。Qティップス。カンフォフェニック。バクティン。デンタル・フロス。ドラマミン。ネクタスイート。アブソルビン。トーストにナイフの先でバターを塗りつけながら、日系の老人は白い棚の薬品類を順に見ていった。棚のあちこちに、なにもない部分が大きくあった。煙草のカートンをつんである棚だけが、新しさをたたえていっぱいにつまっていた。
 数人の客が、つづけて入ってきた。日系の店主は彼らの注文をきき、自ら調理するために調理場に入った。朝の客も昼の客も、この地元、ハワイ島ヒロの町の常連たちだ。
 はじめにひとりで朝食を食べていた小柄な日系の老人も、常連と言っていい。彼がこの店で朝食を食べるのは、今日で連続して七回目だ。毎日七時まえに、彼は店へ来る。
 オアフ島のウインドワード、カネオヘに、彼は住んでいる。奥さんとのふたり暮らしだ。娘が三人、息子が二人いる。五人ともすでに結婚していて家庭を持ち、それぞれに何人かの子供がいる。長男は五十歳をこえている。
 三人の娘のうちのひとり、グレイス・キクエがヒロの町に住んでいて、彼はこの七日間、彼女のところに居候している。彼女の家はキラウエア・アヴェニューの北のいきどまり、ハイリ・ストリートとのT字交差の近くにあり、この店まで彼は歩いてくることができる。
 彼が現役を引退してずいぶんになる。引退する以前は、ホノルルで長いあいだタクシーのドライヴァーをやっていた。
 ハワイ島ラウパホエホエの砂糖キビ耕地で、幼い頃をいっしょに過ごした友人がヒロに住んでいる。その友人を見舞うために、彼はいまヒロに来ている。
 彼とおなじく一九〇一年に生まれたその友人は、彼よりもはるかに老いている。体のどこが病気というわけでもないのだが、目覚めて起きている時間の大部分は、記憶のなかによみがえってくる昔の日々の出来事を反芻することに使っている。自分ひとりだけのために心のなかのスクリーンに映写される、一本の長い映画を見るような気持ちで、友人は夢うつつのうちに一日を過ごしている。
 現実とのつながりがほぼ断たれてしまった夢遊の人だ。この半年ほど、そんな状態がつづいている。誰がなにを語りかけてもまったく見当のちがったこたえがかえってくるだけだったのだが、最近のある日のこと、ハイラムに会いたい、と言いはじめた。ハイラムとは、ハイラム・サクイチ・カワシマ、つまりいまこの店でスクランブルド・エッグスにベーコンの朝食を食べている日系の老人だ。ハイラムに会いたいと言っているラウパホエホエの幼なじみの名は、ワラス・トクジ・カネシゲという。
 ワラスの娘がハイラムに電話をかけ、会いたいと言っているから来てくれないか、と彼女は頼んだ。その依頼を受けて、ハイラムはオアフ島からハワイ島へ来た。夏の観光シーズンで飛行機の切符がうまくとれず、七日まえ、ホノルルからマウイ島を経由して、ハイラム・カワシマはヒロへ来た。
 久しぶりに会うワラス・カネシゲの様子を見て、トクジももうこの世に長くいることはできないのではないだろうか、とハイラムは思った。
 ワラスも老いた妻とのふたり暮らしだ。ヒロに着いてすぐにハイラムが訪ねたときには、奥さんはお寺の集まりに出かけていて、留守だった。白い半袖シャツに古びたスラックスをはいたワラスは、居間のソファの中央に枯木のようにすわり、虚空を見つめてじっとしていた。
 幼なじみの友人、ハイラム・サクイチ・カワシマが来たということはひと目でわかったらしく、ハイラム、よく来た、と言ってワラスはひとりがけのソファをすすめた。もうじき女房が帰ってくる、帰ってきたらコーヒーをいれさせる、とワラスは言い、ソファの中央にすわりなおした。そして、その瞬間、彼は、さきほどまで自分の心のなかによみがえっていた過去のなかに再び入ってしまった。
 ワラスが五歳のとき、彼は母親をなくした。母が死んだ直後の頃の自分にワラスが心のなかで完全に帰還していることが、ワラスのひとり言をじっと聞きつづけたハイラムに、やがてわかった。
 砂糖キビ耕地のなかの、粗末な木造の小屋のなかで、母をなくしたばかりの幼いワラスが、夜、眠ろうとしている。蚊がたくさん飛んで来て、幼いワラスの体を、ところかまわず刺す。かゆくて眠れない。むずがると父に叱られ、叩かれる。蚊に刺され、父に叩かれ、泣きながらうとうとしていると、小屋の窓から見える暗い夜のなかに、母の顔がぼうっと見える。
 というような遠い昔の体験と幻想が、ソファにすわっている老いたワラスの内部に、くっきりとよみがえっている。いつ見たのだかそれは記憶にないが、かつて自分が見た夢をもういちどべつな夢のなかで思い出しているような、遠いけれども近く、近いけれども遠い不思議な感触で、現在のワラスは遠い過去の幼い自分にもどり、そこでひとり夢遊している。
 幼い子供の声で彼はママ、ママと声をあげて泣き、心のなかに見えている窓の外の闇に目をむけている。蚊に刺されつつ、死んだ母を思いながら泣いて眠った七十年以上も昔の自分をそっくりに再演している。そんなワラスの、夢うつつのひとり言に、ハイラムはおだやかにつきあった。
 ワラスの心の深い内部では、昔のある日あるときのおなじ場面がくりかえしよみがえるらしく、ソファにすわったワラスは何度も蚊に刺され、何度もむずがり、何度も父に叩かれ、何度も泣き、窓の外の闇に母の顔を何度も見た。
 幼いワラスがラウパホエホエの砂糖キビ耕地の小屋で、夜になって床につき、泣きながら眠りに落ちるまでの一時間あるいは二時間のあいだに体験した悲しくさびしい出来事を、現在のワラスが何度も心のなかでくりかえし体験しなおすありさまを、ハイラムはじっとながめた。
 ワラスの奥さんがお寺から帰ってきた。ワラスとハイラムは奥のキチンへいった。朝たくさん作って置いてあるコーヒーを奥さんがあたためなおし、ワラスとハイラムはそのコーヒーを飲んだ。ワラスは白い食パンにレヴァー・ペーストをつけ、ひとりだけ食べた。奥さんの名はチエコというのだが、ワラスは彼女のことをキミコとかサチエとか、いろんな名で呼んだ。
 ワラスには四人の姉妹がいる。ジョイス・サチエ、イヴリン・キミコ、グラディス・ハツミ、ジューン・サトコの四人だ。朝起きてから夜になって寝るまでのあいだ、ほとんどの時間を遠い昔の幼い自分にもどったまま過ごしているワラスにとって、私は彼の四人の姉妹全員の身代りなのだと、ワラスの奥さんはハイラムに説明した。
 コーヒーを飲むと、ワラスとハイラムは、再び居間にもどった。ソファのまんなかにすわったワラスは、また幼い頃の自分にもどった。耕地のなかで近所の人が飼っていたクラッカーという名前の犬が、作業用のピックアップ・トラックにはねられて重傷を負った日の自分に、ワラスは返ってしまった。
 ピックアップ・トラックにクラッカーがはね飛ばされる瞬間の目撃からはじまり、瀕死のその犬が赤土のうえからよろよろと起きあがるやいなや、気が狂ったように、猛然と、まっすぐ一直線に突っ走りはじめたこと、そして、巨大なモンキー・ポッドの樹の太い幹に脳天から激突して即死したところまで、ワラスは当時の自分にもどり、目撃できなかった友人たちに語って聞かせたときとまったくおなじ口調で、ひとり夢遊病者のように語った。
 何度もくりかえして語った。クラッカーという犬がとげた奇妙な死は、ハイラムも記憶している。午後の明るい陽ざしのなかで、クラッカーの死体がモンキー・ポッドの樹の前に長々と横たわっているのを、幼いハイラムも見た。そのときの光景は、いまでも彼の記憶のなかに残っている。
 クラッカーの死をくりかえし語ったワラスは、当時の自分と同じくらいの幼い友人たちとともにクラッカーの死体をとりかこんで見下ろし、クラッカーの死にかたを語って聞かせた自分へと、やがて移っていった。幼いハイラムも、そのときそこにいた。当時のままにワラスが正確に語るから、目を閉じるとその一瞬だけ、ハイラムも幼い頃にもどったような気持ちになった。目を閉じるとそのたびに、彼は昔にひきもどされ、目を開くとそのつど、ワラスの足もとにクラッカーの死体が見えるような気がした。
 ワラスがまるでうなされたようにひとりで語る過去は、詳細でしかも正確さをきわめていた。
 オアフ島からこのワラスを見舞いにヒロへ来て以来、毎日、ハイラムはワラスを自宅に訪ねた。午前中に一度、そして午後にもう一度、ワラスのところへ彼は立ち寄る。マモ・アンド・ケアウェの角にあるファウンテン・サーヴィスから娘のグレイス・キクエの自宅までの距離とちょうどおなじほど、反対の方向へ歩いたところに、ワラスの家はある。
 いつ訪ねても、ワラスは夢遊病者のようだった。完全に昔へ帰り、いまはもう彼の記憶のなか以外どこにも存在しない過去を、なにものかにとりつかれたかのように、かつて体験したとおりに、ワラスはなぞりなおしていた。
 昨日は、一本の樹にまつわる過去の記憶のなかに、ワラスは生きていた。幼い彼が住んでいた小屋の、南側の窓のすぐ外に大きなケアヴェの樹があり、この樹を自分がどんなときにどんなふうに見ていたかについて、ハイラムを唯一の聞き役にして、ワラスは語った。
 昼間は普通のケアヴェの樹なのだが、たとえば雨嵐の日とか深い闇の夜には、まったく別の生物になったように見えたということについて、ワラスは当時の自分に戻って語った。
 このケアヴェの樹も、ハイラムは知っている。幼い頃の自分たちにとって、その樹は、いろんなふうに自分たちの相手をしてくれる遊び仲間だった。
 夜、幼いワラスが窓辺で床についていると、外の道路をごくたまに自動車がとおる。小屋の建っている敷地は、道路よりすこしだけ低くなっている。風に動く無数の樹の葉がヘッドライトの光を受けとめ、窓ごしに小屋の天井へ反射させる。ゆれ動くおぼろで小さな光がいくつも、ほんのみじかい時間、小屋の天井にうつる。幼いワラスが、それを見る。このような情景のこまかい描写は、静かに聞き役にまわっているハイラムにとって、詩的ですらあった。
 モンキー・ポッドの樹やケアヴェの樹が、幼い時期を過ごしたラウパホエホエの耕地にまだあるかどうか、ハイラムはふと興味を持った。見にいきたいものだとハイラムは思ったが、老人の酔狂な回顧につきあってくれる物好きは、みつかりそうになかった。娘のグレイス・キクエは昼間は働きに出ているし、高校生の孫たちはハイラムをほとんど相手にしてくれない。
 その頃、ぼくはたまたまヒロにいた。ハイラム・サクイチ・カワシマが今日も朝食を食べ終わろうとしているこの店の、ごくみじかいあいだの常連でもあったぼくが、ハイラムにつきあうことになった。レンタルのフォードのうしろの席にハイラムを乗せ、ある日の午後、ぼくはラウパホエホエにむかった。ワラスもつれていこうとハイラムは言い、ワラスの家に寄った。だが、ワラスは、その日はいつもよりはるかに強く深く、過去の彼方へ戻っていた。居間のソファにすわって朝早くから泣きじゃくってきた彼は、老人性白内障が進行しつつある目をまっ赤に泣きはらし、いまでも泣きつづけている、とワラスの奥さんが言っていた。奥さんがさらに説明したところによると、今日のワラスがもどっている過去は、彼の母が死んだ明くる日だった。
 ラウパホエホエは、ハマクア・コーストにきわめて漠然と存在していた。太平洋をかなり高い位置から見下ろす高台のような一帯で、灰色の曇り空の下で強く風が吹き、椰子の葉が頭上で重く鳴った。ときたま、ごく淡く、とおり雨が走り抜けた。
 幼い頃のハイラムやワラスが住んでいたところは、いまでも砂糖キビ耕地だった。彼らの小屋が点在していたあたりには、耕地労働者とその家族のための簡易住宅が、ならんでいた。クラッカーという犬が頭をぶつけて死んだモンキー・ポッドの樹は、すぐにみつかった。住宅の敷地の片隅に、その樹は大きく枝を広げ、太く立っていた。だが、無数の葉が自動車のヘッドライトを小屋の天井に反射させたとワラスが言うケアヴェの樹は、みつからなかった。
 ヒロに七日間いて、ハイラム・サクイチ・カワシマは、オアフ島に帰っていった。帰る日の午後、ぼくは彼を空港まで送っていった。空港から町へひき返したぼくは、マモ・アンド・ケアウェのファウンテンの前に自動車をとめ、店でコーヒーを飲みアップル・パイを食べた。何人かの初老の常連が、コーヒーを飲んだりアイスクリームを食べたりしていた。
 店主と彼の奥さんが、常連の相手をしていた。店主はいつも黒いスラックスに白い長袖のビジネス・シャツを着て、蝶ネクタイをしめている。今日のタイは、渋いブラウンに白い小さな水玉だった。閉店の午後三時ちかくまで、ぼくは店にいた。
 一時間ほどあと、再び自動車でぼくはケアウェ・ストリートを走った。ヒロの町の一日の活動は、すでにあらかた終わっていた。営業時間を終わったファウンテンは黄土色の大きな引戸を閉じ、ケアウェ・ストリートに人の姿はひとりしか見えなかった。
 ケアウェ・ストリートの海側の歩道を、ほぼ完全に気の狂った老人が、ゆっくり歩いていた。脚のどこかに故障があるらしく、歩きにくそうに、一歩ごとに体の内部のバランスをはかりなおして、彼は歩いた。片手に、小さなトランジスタ・ラジオを持っていた。同調のとれていない音が、スピーカーから大きく出ていた。
 彼のほかに人のいないケアウェ・ストリートは、午後四時のまぶしい陽ざしを、西から存分に浴びていた。
 ヒロ湾に面したベイ・フロント・ハイウエイを、ぼくは西にむかった。カメハメハ・アヴェニューに面したほんのすこしだけの町なみも、一日の活動をおえていた。どの店も営業を終わり、歩道に人は歩いていなかった。
 ホノルルにつぐ都会としてかつては栄えた昔のヒロには、路面電車が走っていた。ヒロ湾に沿って三日月のかたちをした町だったから、クレッセント(三日月)・シティと呼ばれた。一九四六年四月一日の大津波によって、この三日月は半分ちかくが叩きこわされ、海へひきずりこまれた。町は再建された。そして、一九六〇年の津波で、再び町の半分が破壊された。こんどは再建はされず、半分だけの町となり、いますこしだけ残っているのは、その半分のさらに何分の一かだ。


 カフェを出て、ぼくと父親は、彼の自宅にむかった。父親はうしろの席にすわった。カフェへは、妹のヘレンの自動車に乗せてもらって来たと、父親は言っていた。ヘレンは、両親の家から三軒隣りの家に住んでいる。
「ヘレンは、いまでもスポーツ・タイプの車に乗っているのかな」
 と、ぼくがきいた。
「そうだね」
 父親が答えた。
「去年の車は、きっと新しいのにとりかえたね」
「デイトナ・パシフィカという名前の、今年のモデルだよ」
「スポーツ・タイプだね」
「まったく実用的ではないんだ。まっ黒でね、しかも。気味が悪い。乗っていると、きまり悪いよ」
 ぼくが借りてきたこのビューイック・センチュリーに関しては、父親はなにも言わなかった。
「クリスマス・プレゼントはトランクのなかにあるんだ」
 と、ぼくは言った。
「なにを持ってきてくれたのかね」
「お母さんには、箸おき。二十四個のセットだ」
「そんなにたくさん」
「佳子が選んでくれた。京都で、ふと入った店にいいのがあって、どれもみな美しいから、たくさんのなかから二十四個を選んで、ワン・セットということにしたのさ」
 クリスマスになにかもらえるなら、日本製の箸おきがいいと、これは母親からのリクエストだった。
「ヘレンには、チューイン・ガムのケース」
 ぼくの言葉に、父親は笑った。
「人々は、ガムをケースに入れはじめたかね」
「フランス製の革細工で、きれいな出来ばえだよ。これがいちばん、高価だった。とび抜けて、高い」
「ぼくには、なにがあるんだい」
「自宅で見せる。期待して、待っていてほしい」
 両親の住む家には、すぐに着いた。雨の降る道路のむこうに、その家および周辺の光景が見えてくると、奇妙な懐かしさをぼくは覚える。ぼくにとっては、いつもの生活の場所ではなく、たとえば今度はわずか二泊するだけの場所だが、そこには父親とそのふたりめの妻が住んでいて、三軒隣りには妹も住んでいる場所だ。ここにぼくも居ついてしまおうと思えば、十年でも十五年でも、居つくことは出来る。
 車を、ぼくは庭のなかに入れた。父親のスカイラークのうしろに、停めた。ワイパーを止め、エンジンを停止させた。けっして金持ちの家ではないが、両親の住む家はいまでも居心地よさそうに見えた。
 母が、ドアを開いてポーチに出てきた。おだやかに微笑して、彼女は手をあげてみせた。白髪の、ほっそりした体の、静かなきれいな人だ。口数のすくない、おとなしい女性だということは、ドアのわきに立っているその姿勢からでも、判断することが出来た。
 ヘレンは、外観がこの母によく似ている。ヘレンだけを見ていると、彼女はうしろの席にいる父親にそっくりだが、母を見ると、ヘレンはより母に似ている。
 ぼくたちは、自動車の外に出た。ぼくはトランクを開いて荷物を出し、かたわらで待っていた父親といっしょにポーチの階段をあがった。
「元気そう」
 ぼくを優しく抱いて、母が言った。至近距離から彼女の目をのぞきこむように見るのが、ぼくは好きだ。
「元気で、しかも財産が増えたよ。おやじが、ジョークの本をクリスマス・プレゼントにくれて、さっそくひとつ、カフェでみんなに披露したんだ。頭のなかに持つ財産として、ジョークに勝るものはないそうだ」 
 ぼくたちは、家のなかに入った。一年ぶりのその家は、すこしも変わっていなかった。香りも感触も、目にみえるあらゆる部分も、すべておなじだった。
 ぼくのために空けてある部屋が、奥にひとつある。その部屋へ、ぼくは入った。裸になり、着替えをした。くしゃくしゃの、はき古したチノ・パンツに、おなじく古いアロハ・シャツを着ると、自宅に帰った人のような気持ちになることが出来た。
 居間へ戻ると、テーブルにお茶が出ていた。
「ケーキを食べる?」
 と、母がきいた。
「ヘレンが焼いたのが、あるのよ。たいへんおいしい」
「食べたい」
 ソファにすわっているぼくの位置から、居間をへだてたむかい側の壁に寄せたライティング・ビューローが、正面に見えた。そのビューローのいちばん上の棚に、それぞれ小さな額に入った写真がいくつも立ててある。岩国の錦帯橋の上で撮った、母の若い頃のモノクロームの写真が、去年とおなじ位置にあった。
「そうだ、クリスマス・プレゼントを持ってくる」
 ぼくは、自分の部屋へいった。三人へのクリスマス・プレゼントを持ち、居間に戻った。テーブルの上には、ケーキが出ていた。そしてそのケーキは、母が言っていたように、たいへんによく出来ていた。
 父親へのプレゼントは、旅行用の鞄だった。軽くてしっかり出来ていて、しかも洒落ている。大きさも、ちょうどいい。
「飛行機の座席の下におさまるサイズなんだ。これを持って、日本へ旅行するといい」
 父親は、その鞄を気にいった。手にさげて居間を歩きまわり、ためつすがめつ見た。
「どうかね」
 と、妻の三枝子に彼は意見を求めた。
「よく似合いますよ」
「よし。日本へいこう。気候のいいときに、荷物はこれひとつに全部おさめて。身軽な旅が、ぼくは好きなんだ」
 これまでに、何度か聞いたことのある台詞だ。気候のいいときに鞄ひとつで日本を旅行する、と父親は以前から言っているが、なかなか実現しない。
 カフェで、父親は、ぼくの妻へのクリスマス・プレゼントもくれた。あの包みのなかにはなにが入っているのかと、ぼくはふたりにきいた。
「バター・プレートの五枚セットよ」
 と、母が答えた。
「きれいよ。清水焼きのようで」
 母がいれてくれるお茶には、緑茶の葉といっしょにパフド・ライスが入っている。その芳ばしい香りが、緑茶の味と微妙に調和していた。
 窓の外では、雨が降っていた。ヒロ空港に着陸する寸前、747の窓から見下ろした光景のなかの雨を、ぼくはふと思い出した。そこから連想は飛行機のなかに戻り、着陸の体勢に入るすぐまえに読んだ雑誌の記事を、ぼくは思い出した。
 ロード・アイランド州の沿岸、リトル・コンプトンというところの沖にある、年齢百二歳の灯台、サコネット・ライトハウスに関する記事だった。
 大西洋からサコネット河に入ってくる船にとって、サコネット岬を中心に広がっている浅瀬や岩礁は、やっかいで危険な相手だった。そこに百二年前から立って、サコネット灯台は船を導いてきた。まっ白に輝きつつ遠くまでのびていく光と、短く三度ずつ点滅する赤い光は、沿岸に住む人たちに親しまれてきた。
 黒い土台の上に、その灯台は、丈はすこし短いが、どっしりと白く立っている。ほんのちょっとした岩礁が海面から顔を出しているその上に、灯台は立つ。嵐のときには、山のような波をかぶって見えなくなってしまう、小さな灯台だ。
 一九五四年にそのあたりを襲ったハリケーンによって、大きく損害をこうむったその灯台は、沿岸警備隊の判断で現役を退くことになった。灯台の光は、消えてしまった。荒れるにまかされたその灯台は、一九六二年には競売に出された。
 灯台を自宅から正面に見ることの出来る場所に住んでいるひとりの人物が、その灯台を買い取った。そして、傷みきった灯台に応急手当てをほどこしはじめた。
 彼がすこしずつ灯台を修復していくのを見たり聞いたりしているうちに、町の人たちの多くが灯台を完全に修復させることに、そして再び現役に戻すことに、強い関心を持つようになっていった。
 一九八三年には、その灯台は、歴史的に由緒ある場所および建造物としての指定をとりつけた。
 サコネット灯台の友人たち、という名称の非営利団体が組織され、灯台の現役復帰にむけて資金集めの運動がはじまった。
 町ぜんたいが灯台に対して強い関心を持つにいたり、資金は思いのほか多く集まった。最初にその灯台を買った人物が巨額の寄付をし、集まった資金は十五万ドルに達した。
 やがて灯台は完全に修復され、冬のある日の午後、何十年ぶりかで光を放ちはじめた。クリスマスまであと数日だった。灯台の光は、町の人たち、そして沿岸に住むすべての人たちにとって、またとないクリスマスの飾りとなった。
 以上のようなクリスマス・ストーリーが、その雑誌の記事には書いてあった。
 ボストンで会った姉、バーバラのこと、そしてシアトルで会って来た叔父のことについて、ぼくは父親と母に語った。
 お茶を四杯も五杯も飲みながら話をしていると、おもての庭に自動車が一台、入って来た。まっ黒なスポーツ・タイプの自動車だった。
「ヘレンだよ」
 と、父親が言った。
 母がヘレンを迎えに出て、すぐにふたりは居間に入って来た。
「見なれない車が庭にあるので、お兄さんだと思ったわ」
 うれしそうに叫ぶようにそう言いながら、ヘレンは大股にぼくにむけて歩いた。すっきりと細身の、しなやかに強そうな体をした、陽に焼けた美しい顔立ちの妹だ。
 抱きついてくる彼女を、ぼくは受けとめた。ぼくに会うといつも、ヘレンは、きわめて親しい男と女どうしであるかのように、ぼくを抱く。すこしだけやりすぎなのではないかと、ぼくはそのたびに思う。彼女の薄いシャツの下に、強そうな背筋の動きを、ぼくは掌に感じた。彼女の香りは、完全にアメリカの香りだった。ボストンのバーバラも、そうだった。
 ぼくたちは、ソファにすわった。テーブルの上に出ているクリスマス・プレゼントを、ヘレンは見た。そして、楽しそうに声をあげた。母は、二十四個の箸おきを、丁寧に扇の形にならべていた。そのひとつひとつを指さきに取り、ヘレンは感嘆した。屈託のない、まるっきり善意の、にぎやかな女性だ。
 いきなり、ヘレンは、ぼくにむきなおった。そして、
「お兄さん」
 と、日本語で言った。ハワイの英語のなかに、お兄さん、という日本語だけがいきなり出てくると、奇妙な感じがする。
「奥さんは、どこにいるの? それから、娘は?」
 ヘレンが、そうきいた。
「この次には、みんなでいっしょに来るよ。今度は、ぼくはここに二泊するだけなんだ」
「まあ、なんという旅行なの、それは」
「そういう旅なんだよ」
「仕事なのね」
 妻と娘のふたりにここで落ち合い、クリスマスと正月をここで過ごしてもよかったのだと、ぼくは思った。
「来年、みんなで来るよ。まだ日本が寒いあいだに」
「ぜひ、来て。ここに住めばいいのに。娘は、ここの学校に入れましょうよ。学校の委員には、親しい友だちがたくさんいるから」
 二十四個の箸おきのひとつひとつに、何度も感嘆しながら、ふたりの女性たちは話をした。それを父親が微笑を浮かべて見ていた。そしてその三人を、ぼくが見た。
「私がお父さんとお母さんにプレゼントするのは、クリスマス・トゥリーなのよ」
 と、ヘレンが言った。
「本土から運んでくる木なの。ハワイにもあるのだけれど、まるで匂いがしないのね。いかにもクリスマスらしいあの香りが、島の木にはないのよ。たいへんな人気があって、なかなか買えないの。でも、今年は予約してあるから、だいじょうぶ。明日、取りにいくの。お兄さんも、いっしょにいきましょう」
 ぼくは、手に持っていた小さな包みを、ヘレンに差し出した。
「これが、今年のクリスマス・プレゼント」
 と、ぼくは言った。
 妹は、歓声をあげた。小さな包みを両手で受けとり、シックな包装紙を開いた。陽に焼けた長い指の動きを、ぼくはながめた。その指は、一見したところ、せっかちに、しかも不器用そうに動いた。
 気品のある淡い褐色の、紙の箱が出てきた。その箱を開くと、皮細工によるチューイン・ガムのケースが、薄い紙に包まれて入っていた。
「素晴らしくきれい!」
 妹は、言った。
「でも、なにを入れるの?」
 父親と母とが、笑った。
「指を入れるんだよ」
 父親が言った。
「指を」
「そうさ。いま、流行してるんだ」
 右手の中指を、妹はそのケースのなかに入れた。母、父、そしてぼくと、順番に見ていき、
「指を入れたわ。そして、これから、どうするの?」
 と、きいた。
 母が、笑いころげた。父親は、苦笑していた。彼は、
「ガムを入れるんだよ」
 と、ヘレンに言った。
 たとえばハンド・バッグにガムを入れておくとき、このケースにおさめるのだと知って、ヘレンは再び感嘆した。あくまでも上品に洒落ているそのケースの様子に、彼女は熱心な賛意を表明した。
「ガムは、ある?」
 父親にむきなおって、彼女はきいた。
「あるよ。持ってこよう」
 ソファを立った彼は、居間を出ていった。すぐに戻ってきた。リグレーのプレンティー・パックをひとつ、彼はヘレンに差し出した。
 受けとってパッケージを開き、ガムを取り出し、それをヘレンはケースにおさめた。ひとつずつを包んでいる白い紙になにも印刷していないスティックが十枚、ケースのなかにおさまった。それをかかげて見せ、ヘレンは得意そうだった。
「これは、すごいわ。世のなかにこんなものがあることを、私は知らなかったわ」
 父親はそのケースを classy だと言い、ヘレンも母も、賛成した。
「小さくて素敵なものをみつけてくるのが、お兄さんは昔からうまいのよ」
 ヘレンは言った。そして、
「明日は、会う人ごとに、私はこのケースを出して、ガムをすすめるわ」
 と、つけ加えた。


 明くる日は、きれいに晴れた。気温も上がった。午後一時に、スーパー・マーケットの正面で、ぼくは妹と待ち合わせた。昼の休みにオフィスを出た彼女は、クリスマス・トゥリーを買うためにスーパー・マーケットにやって来た。そのトゥリーを乗せて帰るため、隣りに住んでいるドイツ人夫妻から、ぼくはピックアップ・トラックを借りてきた。
 約束の時間に、ヘレンは現れた。ぼくにむけて笑顔で歩きながら、バッグからガムのケースを出してフラップを開き、ケースの口をぼくにむけて差し出した。
「ガムはいかが」
 笑いながら、ぼくは一枚、抜き出した。
「このケースは、好評なのよ。みんな、びっくりしてるわ」
 トゥリーの予約をしておいた人たちに、マーケットの裏側の駐車場で引き渡しがおこなわれていた。トゥリーが何本もならんでいて、人が大勢いた。
「去年は、おなじく本土からコンティナー船で運んできたトゥリーの売り出しを、ホノルルで見物したわ。予約ではなくて、早い者勝ちだったので、まだ暗いうちから並んでいる人もたくさんいて、大さわぎだったのよ。一万七千本のトゥリーが、去年は売れたの」
 買った木をかかえて歩いている人がいた。うしろから見ると、その人の姿は完全に木にかくれていて、木だけが右に左に交互に傾きつつ歩いているように見えた。
 妹が予約しておいたのは、七フィートから八フィートの高さの木だった。値段は五十ドルを越えていて、七フィートの木と八フィートの木とのあいだには、微妙な価格の差があった。
 五十二ドル七十八セントを支払って、ヘレンは自分の木を引きとった。かかえようとするぼくを制し、彼女はその木を自分で持ち上げた。自分よりも高い木を両腕でかかえて歩く彼女を、ぼくは横から写真に撮った。カメラにむけた彼女の笑顔に、明るく陽が当たっていた。
 その木をピックアップ・トラックの荷台に乗せ、ぼくは両親の家へ帰った。父親とふたりで木を降ろし、居間に運びこんだ。居間の中央に、その木をとりあえず立てた。
 飾りつけをするのは、ヘレンのひとり息子の仕事だと、母が説明した。何人かの生徒がチームを作り、クリスマス・トゥリーの飾りつけをおこなう。完成したなら、クラスの生徒たちが見て評価するという。クラスの授業の一部なのだと、母は言った。
 夕方、いろんな人たちがそのトゥリーを見に来た。ぼくにとって親類にあたる人たちが、何人もいた。ごく幼い頃のぼくを抱いてよく散歩にいったよ、と懐かしそうに言う老人もいた。
 アメリカ海軍の会計士をやっているという、ぼくとおなじ年齢の男も、妻をともなって来ていた。ぼくの仕事に興味を示した遠縁の彼は、ぼくの年収や必要経費のことなどを、細かく聞いた。ここに住んで英語でストーリーを書け、そのほうが税金の面ではるかに有利だと、彼はとりあえずの結論としてぼくに言った。トゥリーを見に来た人たち全員に、ヘレンは、ガムのケースを出してガムをすすめていた。


 次の日も、きれいな晴天だった。ぼくは、午前十一時五十八分の飛行機でホノルルにむかうことになっていた。ホノルルに着いて二時間後の便で、東京にむかう。
 ビューイック・センチュリーで、ぼくは両親の家から空港にむかった。両親が、うしろの席に乗っていた。
「きみがかよった小学校のわきをとおってみよう」
 と、父親は言った。
 うろ覚えの道順を、しかし正確にぼくは自動車を走らせ、その小学校のわきに出た。学校は、授業中だった。見事に太ったポリネシア系の女性の先生が、校庭のむこうのバスケットボール・コートで、数人の生徒に球技を教えていた。
「思い出すことは、あるかい」
 父親が、うしろの席から言った。
「たくさんあるよ」
「ここに住みたまえ。そして、娘をこの学校に入れよう」
「ヘレンは、反対しますよ」
 母が言った。
「ヘレンが言うには、この学校は運営のしかたがいけなくて、いまは程度が低くなっているのですって」
「では、もっといいのをさがせばいい」
 校庭の中央には、はりぼての雪だるまがひとつ、立っていた。高さは、十フィートを越えているだろう。雪だるまらしく骨組を作り、その上に新聞紙を貼りつけ、ぜんたいを白く塗ったものだ。強い陽ざしを受けとめ、そのはりぼての雪だるまは、まっ白に輝いていた。まぶしいほどだった。
 ぼくは自動車を停めた。バッグからカメラを出し、その雪だるまを写真に撮った。
 空港でチェック・インをすませてロビーにいると、妹のヘレンがやって来た。四人でとりとめのない話をしているうちに、搭乗の時間になった。
「車を返しておいてほしい」
 ぼくは、ビューイックのキーをヘレンに渡した。お別れに、ヘレンはぼくを抱いた。ぼくの体に深く両腕をまわし、膝から胸までぴったりと体を押しつけた。彼女の夫は、海軍の軍人だ。タイコンデローガだったかアイゼンハワーだったか、とにかく彼は航空母艦に乗り組んでいて、ソロモン諸島の周辺に出動していると、昨年のヘレンは言っていた。
 ぼくを抱いて、ヘレンは、
「Come back.」
 と、気持ちをこめて言った。
 両親が、それぞれ柔和に微笑して、ぼくとヘレンを見ていた。

 ぼくが乗った定期便は、定刻にヒロ空港を離陸した。水平飛行に移ってから、ぼくは、ヘレンがクリスマス・プレゼントにくれた包みを、膝のうえで開いてみた。
 平たい頑丈な紙の箱のようなものが、淡いブルーの包装紙で包んであった。ヘレンなりに丁寧に包んだそのパッケージには、荷造り用の強靭なテープが、十文字にかけてあった。テープの先端をさがしあてたぼくは、爪の先で先端を起こし、テープをはがしていった。
 白く固いボール紙の箱が、なかからあらわれた。箱の蓋を、ぼくは開いてみた。なかに入っているものの香りを、ぼくの嗅覚がとらえた。大きなワックス・ペーパーでゆとりを持って包んである平たいものは、菓子だった。ヘレンが自分で焼いたものだ。
 紙のなかから取り出し、ぼくはその菓子を両手の指先で支え持った。星の形をした、みごとな出来ばえの菓子だった。厚みを持たせてしっかりと固く焼いたジンジャ・ブレッドが土台になっていて、八つの先端を持ったエイト・ポイントの星を象っていた。芳ばしい強い香りと、甘い香りとが、微妙に混合しあってぼくの顔のまえに漂った。ひとつの突端からその反対側の突端まで、星の直径は十二インチあった。
 星の形のすぐ内側が、横に一列にならべたアーモンドによって、縁どりしてあった。星の中央には丸く穴があいていて、その穴の縁も、穴にむけて頭をならべたアーモンドで縁どりがしてあった。星のひとつひとつに、飾りがあった。胡桃を殻からそっくり取り出し、きれいに半分に割ったものが、ひとつおきに埋めこんであった。そして胡桃と胡桃とのあいだには、甘く煮てなかば固めたチェリーが、周囲に緑色のゼリーによる飾りをそえて、埋めてあった。しばらくのあいだ、ぼくはそのジンジャ・ブレッドの菓子を、さまざまに鑑賞した。そして、もとのとおりに包みなおしていった。
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あとがき


 今年の春おそくから秋にかけて書下ろしたこの小説『頬よせてホノルル』は、連作長編です。五つのストーリーに分かれていて、どのストーリーでも主人公は「ぼく」であり、一人称です。そして舞台はハワイですので、分かれてはいてもどこかでぜんたいがひとつにつながっています。
 五つのストーリーを書きおえ、校正刷りを読んだあとで、じつはぼくはひとつの面白い発見をしました。一人称の「ぼく」によって、これまでぼくはあまり多くの小説を書いていませんけれど、ハワイを舞台にして書くと、主人公はいつもきまって「ぼく」であることに、はじめて気づいたのです。
 ぼくがいちばんはじめに書いた小説、『白い波の荒野へ』は、ハワイを舞台にしていて、主人公は一人称の「ぼく」でした。このストーリーは、おなじ「ぼく」を主人公にして連作長編となり、『波乗りの島』(角川文庫)となっています。最近になって書いた『時差のないふたつの島』(新潮文庫)の主人公も、「ぼく」。そして、ここにあるこの小説『頬よせてホノルル』の主人公も「ぼく」です。
 ハワイを舞台にして書くとき、ぼくはほとんどなにも考えず、自動的に、主人公には一人称の「ぼく」を採択しているようです。なぜだろうか、と自分にきいてみると、答えは簡単に出ます。三人称の「彼」によって書くさまざまなストーリーのなかの「彼」よりもはるかに、ハワイにいる「ぼく」は、現実のぼく自身に近いからです。
 ハワイを舞台にして書くと自動的に一人称であり、そのときの「ぼく」は自分自身にたいへんに近くなるのはなぜかと考えていくと、やはりハワイという場所およびその場所でのぼくの体験が、そうさせているのだと思います。
 ハワイがぼくにとってことさらに特別な場所である、ということはないと思うのですが、祖父はマウイ島のラハイナで砂糖きび畑に水を供給するための、複雑な給水システムを管理する仕事を続けた人ですし、父親はラハイナで生まれホノルルで育ち、カリフォルニアで仕上げをした日系二世です。ぼくにはどこにも故郷はないのですけれど、ひょっとしたらハワイは故郷かもしれない、と思うことはよくあります。近いような遠いような、不思議なかたちでハワイとぼくとはつながっていて、そのへんがまず面白いところですし、ぼくというひとりの人がもっともいいかたちで表現され得る場所はハワイなのだ、というふうに言うことも出来ると思います。ハワイとぼくとはいい関係にあり、日系の人たちの社会に関してなら、かなり詳しくその雰囲気や成り立ちかたを知らないわけではない、という状態にありますから、毎日の身のまわりにある場所でもないかわりに、とんでもなく遠くでもないという、微妙な中間地点にある。ハワイは、やはりぼくがすんなりとぼく自身になれる場所なのだろう、とぼくは思っています。
 ハワイがぼくにとっていちばんいい場所であるのかもしれない、ということ、つまり、ハワイにいるときのぼくの幸福感のようなものが、『頬よせてホノルル』のなかのどのストーリーに対しても、いいかたちで作用していてほしい、とぼくは思います。ぼくのなかのいちばんいいものがすんなりと出ているなら、そのことは、ハワイを、あるいはそこに生きる日系の人たちを、ぼくのこの小説が持っている範囲内で限度いっぱいに肯定していることにもつながります。自分がポジティヴなかたちで出てくるなら、描く対象もまた、ポジティヴな側にあるものとして描きたいのです。
 この小説のなかにぼく自身がもっともいいかたちで出ているということは、そこに描かれるハワイがきわめてぼく自身のもの、きわめて個人的なものになっている、ということでもあるのです。典型的なハワイ、というものがあるかどうか、ぼくは知りませんけれど、描かれているハワイは典型でも固定観念でもなく、ぼく個人のハワイです。

一九八七年十一月
片岡義男





底本:「頬よせてホノルル」新潮文庫、新潮社
   1990(平成2)年8月25日第1版第1刷発行
入力:八巻美恵
校正:八巻美恵、野口英司
2010年5月16日作成
2012年12月31日修正
青空文庫収録ファイル:
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頬よせてホノルル by 片岡義男 is licensed under a Creative Commons 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 License.




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