七月の水玉

片岡義男




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彼女が謎だった夏



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 教授の研究室のドアは開いていた。立ちどまった彼は教授の名を呼んだ。部屋のなかからいつもとおなじおおまかな返事があった。彼は研究室に入った。いくつもの本棚や書類キャビネットで部屋の壁はすべてふさがれ、残ったスペースのいっぽうに教授のデスクがあり、もういっぽうには三つ揃った肘かけ椅子が配置してあった。教授はそのひとつにすわり、その隣の椅子には長身にスーツ姿の年配の男性がいた。
「ああ、きみか」
 と教授は言い、あいている椅子を片手で示した。彼はそこにすわった。クッションは深く沈み、膝よりもずっと低い位置に尻が収まった。
「新聞社にいる卒業生から、アルバイトの学生を求められた。適性によっては入社してもらいたいから、その可能性のある学生を、という注文だった。ふと頭に浮かんだのが、きみだ」
 柔和な笑顔でいた年配の男性が、
「適性とはなにかね」
 と、訊いた。
「人の言うことを素直に聞き、よく働くことでしょう」
 教授はそう答えた。
「そりゃ大変だ、だいじょうぶかい」
 原田裕介に顔を向けて、年配の男性が言った。
「新聞社は嫌か」
 教授にそう訊かれた原田は、
「まったくそんなことはありません」
 と答えた。
 部屋の外に人が来た。男の声が教授を呼んだ。
「いまいきます」
 と教授は言い、椅子を立ち、
「すぐに戻ります」
 と年配の男性に言い、足早に部屋を出ていった。
「写真科の学生かい」
 男性が訊いた。
「そうです。来年は卒業です」
「どうだい、写真は」
「被写体しだいです」
 原田の返答に年配の男性は、
「ほほう」
 と言い、笑顔の柔和さを深めた。その笑顔にあと押しされた原田は、
「そこにあるものしか写真には撮れませんから」
 と言った。
「ほほう」
「被写体は僕とは関係なしに、すでにとっくに出来上がってそこにあり、写真機を持った僕がたまたまそれと遭遇し、なんらかの魅力を感じて写真に撮ります。魅力を可能なかぎりその魅力のとおりに、人に伝える手段が写真です。魅力とは、どんなことにせよ、なにかを人に訴えかける力、ということです」
「そんな被写体が見つかるかい」
 そこへ教授が戻ってきた。椅子にすわりなおした彼に、
「写真談義だよ」
 と、年配の男性は言った。
「被写体はとっくに出来上がっている。たまたまそれに遭遇して魅力を感じる。その魅力をそのままに人に伝えるために、それを写真に撮る。だから写真は被写体しだいだと、きみの学生はそう言うんだ」
「彼がそう言ったのですか」
「言ったよ」
「なかなか正解じゃないですか。先生でも彫刻を制作するとき、モデルを使うとしたら、そのモデルは写真家にとっての被写体のようなものでしょう」
「教授の言もまた正解だね」
 教授はその男性を片手で示し、
「彫刻家の長谷川先生」
 と原田に言った。
「うちではいまは名誉教授をしていただいている」
 彫刻家の長谷川という名前は、原田の頭のなかですぐにひとつの像を結んだ。大学の構内に立つ、若い女性の全身像の作者ではないか。原田は訊いてみた。そのとおりだと、教授が答えた。
「僕はあの像が大好きです。素晴らしいですよ。入学してすぐに、写真に撮り始めました。いまでも撮っています。あらゆる季節の、可能なかぎりさまざまな光のなかで。膨大な量のネガです。プリントも何枚あるかわかりません。昨年の台風の日には、脚立に立って彼女とおなじ目の位置で撮りました。風に吹き飛ばされそうになりながら」
 彫刻家の長谷川は笑顔を深めて原田を見た。教授も原田を見ていた。そして彫刻家に向けて、
「彫刻家冥利につきますね」
 と言い、原田には、
「その写真を見せてくれ」
 と言った。
「持ってきます」
「忘れるなよ」
「あの女性像にはモデルがいたのですか」
 原田が彫刻家に訊いた。
「いましたよ。二十年近く前のことだから、いまいくつになるかなあ」
「女盛りですよ」
「そうかい」
「クロパンという喫茶店を知ってるかい」
 教授は原田に訊いた。
「名前は聞いたような気がします」
「ここから商店街をまっすぐに抜けて、川を渡って急に坂道になる手前、右側」
「いったことはありません」
「うちの学生でクロパンを知らないというのは、一種のもぐりだな」
 そう言った教授はさらに説明を加えた。
「クロパンというのは、クロパン・クロパンというフランス語のかたわれでね、どうにかこうにか、という意味だ。略してクロパンと言っていて、それが店名さ」
「正式にはクロパン・クロパンというんだよ」
 彫刻家が訂正した。
「店の前の看板にそう書いてある」
「そうでしたか。前後ふたつあるクロパンのうち、どちらなのだろうかという冗談がひと頃あったのですが。原田、その店へ行ってみろよ。ママさんがいる。いま僕が言った、女盛りの女性が。きみが好きだという、あの女性像のモデルを務めた女性が」
「戦争の時代を続けてきた日本の、決定的な敗戦の記念に作ったんだ。これからは民主主義だから、なにかその象徴になるようなものを、という依頼だったけれど、僕としては敗戦記念だったね。若い女性の体だけが可能性を秘めているように思えていた頃さ」
「ママさんはいま四十を過ぎたばかりです。女盛りですよ」
「そうかもしれん」
「さっそくいってみます」
「写真を忘れるなよ」
「明日、持ってきます」
「きみのことは新聞社の男に伝えておく。自宅は東京だったね。そこへ直接に連絡がいくことになる。頼むよ」
 教授との用件はそこで終わった。原田は椅子を立ち、ふたりに礼をして部屋を出た。三階から一階へ降りた。女性の全身像が立っているところまで、足早に歩いて七分かかった。台座の上に立つその像を、彼は立ちどまって眺めた。これで何度目とも知れないが、見飽きることはなかった。十八からせいぜい二十歳くらいまでの年齢の、美しい体をした女性の像だ。彼女はゆっくりと歩いている。持ち上げられた素足の踵や足の裏などが、ちょうど彼の目とおなじ高さだった。
 薄い生地の膝丈のスカートが、正面から風を受けていた。生地は彼女の太腿や腰の前面に吹きつけられ、体の曲面が生地をとおしてくっきりと浮かび出ていた。いつ見ても腰の出来ばえが素晴らしい、と彼は思った。彼女は半袖のシャツを着ていた。色は不明だが、誰が見ても白いシャツを連想するだろう。シャツの裾はスカートのなかに入れてあった。腕の造形とその魅力も際立っていた。腕と腰だ、と彼は胸のなかで自分に言った。
 下から仰ぎ見るから、彼女の顔だちはよくわからなかった。美人であることは、文句なしに伝わった。髪の一部分が風を受け、軽くうしろへとなびいていた。右手にはなにも持っていないが、左手には小さな本を一冊、彼女は持っていた。人さし指がページのなかにはさんであった。写真に撮ることによって知りつくしているディテールを、彼は観察した。台座にはプレートが埋めてあった。完成年月日、そして長谷川修司という名が、プレートに浮き彫りになっていた。
 台座の周囲を何度か歩き、うしろ向きに歩いて彼は像から離れていった。そして像に背を向け、来たときとおなじく足早に立ち去った。大学の敷地から外に出て商店街に入り、教授が言った方向へ彼は歩いた。商店街を出はずれたのち、川にかかる橋を渡った。幅が五メートルほどの、川というよりも用水路だが、雰囲気としては川と呼びたかった。
 橋を渡り、川に沿っている遊歩道を越えると、道はいきなり坂道となった。かなりの登り勾配だ。坂になり始めるあたりの右側に、教授の言っていた喫茶店の建物があった。建物の前をとおり越して右への脇道に入ると、その道に面して前庭があった。ドアに向けてのアプローチのかたわらに小さな看板が立っていた。クロパン・クロパンという店名が、片仮名とフランス語の両方で書いてあった。
 彼は店に入った。客の少ない時間のいま、ふた組の客がいるだけだった。教授がママと呼んだ女性が、カウンターの外にいた。腰で軽くカウンターによりかかって立ち、胸の前に腕を組んでいた。女性が歌うフランス語の歌がLPから再生されていた。深い陰影そのもののような歌は、カウンターの前に立つ女性の姿の良さと美貌とに、どこかで釣り合っているように彼は感じた。
「いらっしゃいませ」
 と彼女は彼に言い、カウンターから体を離した。
 店の造りを彼は受けとめた。よくある喫茶店とは、まるで異なっていた。店のなかのスペースは単なる長方形だ。ヨーロッパのカフェの写真で見るような丸いカフェ・テーブルがいくつも、位置を定めず自由に、配置してあった。揃いの椅子が三、四脚づつ、どのテーブルをも囲んでいた。ただそれだけだ。窓の数と大きさ、そしてそれぞれの位置が、店内ぜんたいを落ち着いた雰囲気へと、仕上げていた。そのスペースの片隅に、壁からカウンターが途中までのびていた。そのカウンターの内側が調理場だった。
 空いているいくつものテーブルを示し、
「どこでも、お好きなところに」
 と、彼女は言った。
 芯の強さがそのまま輪郭の明確さとなっている、低い音域に艶のある声だった。彼女はカウンターの内側に入り、彼は店のまんなかのテーブルに席をとった。
 水を注いだグラスを彼女が持ってきた。彼はコーヒーを注文した。カウンターへ歩く彼女、そしてカウンターの向こう側でコーヒーを入れる彼女を、彼は観察した。体の動きに無駄がなく、滑らかであることはすぐにわかった。滑らかさの核となっているものは、あらゆる動きを司る神経の、鋭く的確な働きだ。
 一杯のコーヒーはすぐに出来た。彼女はそれを彼のテーブルへ持って来た。受け皿に載ったカップを、彼の手もとへきれいに置いた。
「長谷川先生に会うことが出来ました」
 と、彼は言った。
 なんのことか、という表情が彼女の目に浮かんだ。そしてそれはすぐに消えた。
「お元気でした?」
 彼女が訊いた。
「お元気そうでした。ついさきほど、写真科の教授の研究室で、偶然に会いました。二十年前にあの女性像のモデルを務めたかたが、こちらにいらっしゃるということを聞きました」
「私を見に来たの?」
 という彼女の言葉は、彼女の体の動きを支配する鋭い的確さと、完全に同質であることを彼は感じた。
「そうです」
 と、彼は答えた。
「どうぞご覧になって」
 微笑して彼女がそう言い、店にひと組の客が入って来た。彼女はその客に応対しつつ、カウンターへ向かった。
 一杯のコーヒーを相手に、ごく軽い内省のひとときを、彼は持った。女盛り、という言葉を教授は繰り返した。彼女に対するどんな気持ちからこの言葉が出てくるのか、二十歳の彼にもよくわかった。喫茶店の女主人はいろんな客と接する。彼女ほどの美人なら、多くの男性から、さまざまな誘いを受け続けるはずだ。そのような男性たちとの応対のしかたは、すっかり身についている。いまの自分も、その応対術の範囲内にいるひとりの客だ。
 コーヒーを飲み終え、内省のひとときも終わり、彼は椅子を立った。カウンターの端で支払いをした。
「僕は写真科の学生です。長谷川先生が制作されたあの女性像がたいへん好きで、入学したときから現在まで、写真に撮り続けました」
「あの銅像を、私はここしばらく見てないわ」
「素晴らしい作品です」
「それは確かにそうねえ。一九四七年に二十歳だったときの、私そのものですもの。モデルになった当人が、いまでもそう思ってるのよ」
「僕が撮った写真を持って来ますから、見てください」
「あそこへいくと、二十歳の自分がいるのよ。見るたびに奇妙な気持ちになるわ」
 彼は店を出た。坂道を下って橋を渡り、商店街へと歩いた。初夏の午後の向こうに夕暮れの時間が見えていた。彼は彼女について思った。気さくさが相手とのあいだに一定の距離を維持する機能を果たしている。そしてあの気さくさは、自分が自分自身に対しておこなうきわめて高い評価、つまり磐石のような自信から無理なく生まれて来るものだ。


 次の日の午後、スクラップ・ブックを一冊持って、原田裕介は昨日の喫茶店へいった。席につくとやがて彼女が水のグラスを持って来た。彼はコーヒーを注文した。そしてスクラップ・ブックを彼女に向けて差し出した。
「あの女性像の写真です。ご覧になってください。教授にも見せる約束があります。これからその教授のところへいきます。何日か預けることになると思いますから、先に見ていただきたいのです」
 スクラップ・ブックを受け取って彼女は微笑した。微笑ひとつで相手との距離を自在に操作することが出来る。いま彼女が浮かべたのは、彼との距離をほとんどなしにしてしまう種類のものだった。
 三年間、彼が撮り続けたあの像の写真から、厳選してプリントしたものが、考え抜いた配列で、一冊のスクラップ・ブックの全ページに貼ってあった。ほとんど写真集と言っていい出来ばえなのだ、と彼は自分では思っていた。スクラップ・ブックを受け取った彼女はカウンターへ戻った。
 ほどなく、彼女が彼のテーブルまで、コーヒーを持って来た。彼はコーヒーを飲んだ。生地の薄いスカートに半袖のシャツ。像とまったくおなじではないか、と彼は思った。十八年間という時間は、彼女の体つきには変化をもたらしていなかった。ただし成熟とそこから生まれる充実感は、彫刻家によって像に写しとられた二十歳の頃とは、くらべものにならなかった。
 一杯のコーヒーの時間を終えて、彼は席を立った。カウンターで支払いをした。彼女はスクラップ・ブックを返してくれた。
「あなたは才能のある人なのね」
「そうですか」
「見ればわかるのよ」
 彼は店を出た。大学まで歩き、教授の研究室へいった。教授は在室していた。原田から受け取ったスクラップ・ブックを、最初のページから見ていった。数ページ見てから、
「これはほとんど写真集だ」
 と、教授は言った。
「しかも完成している。じっくりと見るだけの価値がある。一週間ほど預からせてくれないか」
「どうぞ」
 スクラップ・ブックを閉じた教授は、
「クロパンへは、いってみたか」
 と訊いた。
「いきました」
「どうだった」
「店主の外見はあの銅像とおなじままです。シャツやスカートもおなじです」
 原田の言葉に教授はうなずいた。
「内面はもはや別人だろうな。いまいくつだ。四十を過ぎたかな」
「三十八歳です」
「うーむ」
 と教授は言っただけだった。
「名前をご存じですか」
「直子だよ。藤村、ではなくて、藤森。藤森直子。よし、これは預かる。それから新聞社のアルバイトの件だが、きみのことは伝えておいた。来週にはきみのところへ直接に連絡がいくことになっている」
 用件を終えて原田は教授の部屋を出た。一階まで階段を降りていき、女性像の立つところまで歩いた。自分は昨日とおなじ動きかたをしている、と彼は思った。時間が循環している、というふうに彼は受けとめた。ただし螺旋状の循環であり、まったくおなじところで循環しているのではなかった。
 銅像の周囲を彼は歩いた。歩きながら考えた。考えはすぐにまとまった。この像の写真は撮り終えた、という結論に彼は到達した。次に撮るものがあるとすれば、それはこの像から十八年後の藤森直子をおいてほかにない。大学の構内を出て商店街を歩き、彼女の喫茶店へいった。
 店は混んでいた。空いているテーブルがふたつだけあり、そのうちのひとつに彼は席をとった。水の入ったグラスと引き換えのように、彼はコーヒーを注文した。彼女はさきほどとおなじ微笑を浮かべた。やがてコーヒーがテーブルに届き、彼はそれを飲んだ。半分ほど飲んだところで、直子が水の入ったグラスを持って来た。さきほどのグラスと交換した。
「藤森さんの写真を撮らせてください」
 と、原田は言った。
「私の?」
「そうです」
「銅像ではなくて、いまの私を撮りたいの?」
「撮らせてください」
「撮るに値するの?」
「写真を撮るには被写体が必要です」
「私がそうなの?」
「そうです」
「どんなふうに撮るの?」
「無理のないところで、ごく自然に、いろんなふうに」
 原田の言葉に直子はうなずいた。そしてテーブルを離れ、ほかの客に応対した。コーヒーを飲み終わって店を出るとき、支払いをしながら原田は、
「撮らせてください」
 と、繰り返した。
「店が休みの日なら、いつでも」
 というのが彼女の返答だった。
「お願いします」
「いいわよ」
 近くの客に呼ばれてその席へいこうとした直子は、振り返って原田を見た。表情を特定することの出来ない目で彼女が自分を見るその視線を、彼は受けとめた。撮る約束を交わした直後、振り返って自分を見た彼女の目で、自分は止めを刺されたかのように彼は感じた。彼は店を出た。
 新聞社の酒井という人から、アルバイトに関して連絡があった。会いたいと言われた。だから今日これから、その新聞社へいって酒井という人に会う。都電を乗り継いだ原田は、新聞社の正面にある停留所で降りた。正面玄関から建物に入り、ロビーのかたわらの受付けで来意を告げた。五階へ上がり写真部A班の部屋へいくように言われた。
 ぶかぶかのチーノにランニング・シャツの男性が、その部屋の入口近くにいた。約束した時間よりも十五分ほど早かった。待っていただくように酒井部長に言われています、とランニング・シャツの男は言い、原田を応接室へ案内した。
 狭い長方形の部屋だった。突き当たりに窓があり、両側は壁だ。横長の低いテーブルが中央にあり、それをはさんで両側の壁にソファが寄せてあった。ソファのクッションは白い布で覆われていた。ドアは開いたまま、原田はソファにすわって待った。
 壁の電気時計で約束の時間ちょうどに、男性がひとり部屋に入って来た。
「原田裕介さん。私が酒井です」
 そう言って彼は差し向かいのソファに腰を降ろした。
「書類は大学から届いてます。そのかぎりでは、きみのことはわかってます。ま、よろしく」
 原田は礼をした。
「きみは体は丈夫か」
 酒井が訊いた。
「ごく普通に健康です」
「体が丈夫なら、それでいいんだ。あとは顔を見て声を聞けば、だいたいわかる。入社することになったら定年までいてくれよ。アルバイトの人材を求めていることは確かなんだが、それは新人の青田買いでもあるんだよ」
 酒井がひとりで喋る言葉を、原田は受けとめた。
「アルバイトの仕事内容はというとね」
 酒井は説明を始めた。
「一九四五年八月十五日、ここから戦後の日本が始まるというのが、我が社の考えだ。その敗戦から早くも二十年が経過し、いまはなんと一九六〇年代のなかばだよ。戦後二十年間に撮影した写真が、膨大な量になっている。増えていくばかりだ。東京オリンピックを境に、急激に増えている。これからもっと増える。ところが、写真資料の整理の悪さに関して、我が社は有名なんだ。不都合や不便は日常のことだし、重大な支障をきたすまでになっている。なにしろ他社へ写真を借りにいくほどなのだから。新社屋の建設が決定していて、もうじき地鎮祭なんだ。どうせ安普請だからすぐに完成する。写真資料が現在のままの状態で引っ越しをしたら、完全に収拾がつかなくなるのは目に見えている。だからそれまでに、戦後二十年間の写真、つまりネガとコンタクトを、整理したい。わかるかい」
「大変な作業ですね」
「本当に大変なのは、ここからだよ。ひと目でわかるように、日付順に整理する。撮影された内容に関しては、二十年分の台帳がある。定年退職者のヴェテランたちを動員して、撮影者のメモをネガおよびコンタクトと丹念に照合させ、台帳を作った。だからいまはこれには手をつけない。すべてのネガとそれに対応するコンタクトを、日付順に整理する。ネガは特注して作った透明なヴィニールのスリーヴに入れなおす。 三十六枚撮りを六齣(こま)ずつ切って、一本を一枚のスリーヴに収める、というのが原則だけれど、戦後はいろんなフィルムを使ってるからね。35ミリ以外はいまある既製品のスリーヴを使う。すべてのネガを日付順にまず整理するのだけれど、非常に多くのネガが、あるべきところにきちんとある状態ではないのが、現状なんだよ。使えばもとのところに戻さないし、スリーヴは破れてめちゃくちゃ、切り離した無数の齣が無数の封筒に入れられて、箱や袋のなかに詰まっている。最低限のルールとして、撮影の日付は書いてあるはずなんだ。コンタクトのスクラップ・ブックのなかにも、ネガは大量にはさまっている。だからね、コンタクトを参考にしながら、どのネガ・フィルムも、撮影された順番に組み立てなおし、日付順に整理しなくてはいけない」
「いまのうちですね」
 と原田は言ってみた。深くうなずいた酒井は、
「だから頼むんだ」
 と言って笑った。
「とにかく根気だよ。つまりは体力だね。勘も必要だ。一年分のネガが整理出来たなら、それをプリントする。一本のフィルムを一枚の印画紙に。これが原則。一枚に収まらなければ、二枚に分ける。一・五倍で焼く。印画紙は既製品があった。余白が取れるから、使用者による書き込みが可能になる。印画紙の端に三つの穴をあけて、三穴バインダーに綴じていく。穴あけパンチもバインダーも、既製品があって助かった」
「プリントも僕がするのですか」
「頼むよ。もちろん、きみひとりではない。今年の定年退職者たちが応援してくれる。アルバイトも、見つかりしだい投入する」
「とにかく基本の基本はネガの整理ですね」
「ばらばらになったネガを、一本ずつのフィルムのつながりへと、構築しなおさなくてはいけない。現場を見てもらおう」
 ふたりは部屋を出た。廊下を何度も曲がり、ドアの開け放たれた部屋に、酒井は原田を招き入れた。壁はすべて棚でふさがれていた。中央の小さなスペースに長方形のテーブル、そしていくつかの椅子があった。棚のぜんたいが、おなじ大きさの区画に仕切られていた。どの区画のなかにもネガがぎっしりと詰まっていた。ネガを入れたパラフィン紙のスリーヴは、どれもみな変色し、破れ果てていた。部屋を囲んでいる棚をぐるっと見渡すと、その光景は惨状を呈していると言ってよかった。フロアから三段までは別の造りの棚になっていて、そこにはコンタクトを貼ったスクラップ・ブックが、限度いっぱいに押し込んであった。
「写真は新聞社の財産だよ。それがこんな状態だからね」
 酒井が言った。
「厳しく管理する専任の人はいないのですか」
 当然の思いを原田は言葉にしてみた。
「いるよ」
 というひと言が、酒井からの返答だった。
「こういう部屋が全部で十三もある」
 酒井がつけ加えた言葉に原田は少なからず驚いた。ふたりは部屋を出た。廊下を歩きながら、
「ということだ」
 と酒井は言った。
「きみの社会生活はここから始まる」
「いつからですか」
「連絡する」
 と酒井は言い、次のように補った。
「なにしろ大変な作業だから、誰も手をつけたがらない。先送りの傾向は定着していて、状況はひどくなっていくばかりだ」
 エレヴェーターで一階へ降り、ロビーを横切り、正面の重厚な回転ドアから、ふたりは外へ出た。車寄せの向こうまで酒井は歩いていき、そこに立ちどまった。
「ネガの整理だけではなく、写真も撮ってもらいたい」
 酒井はそう言い、言葉を続けた。
「この世の基本は時間だよ。時間の経過だね。新聞が報じるさまざまな出来事だって、経過していく時間のなかで起きていくことなのだから。時間が経過していくとは、状況が変わっていくことだ。人や物が変化する。そして変化とはどういうことかというと、最終的には消えてなくなることだ。消えたあとには、似ても似つかない別なものが登場する。オリンピックこのかた、東京は激変のなかにある。経済の力だよ。日本の経済は拡大している。これまでとはまるで違った社会になる。人も変わっていく。これまでのものは、すべて消えていく運命にある」
 そこで酒井は原田に向きなおった。
「どんなふうに消えていくか、学生のきみにわかるかい」
「必要がなくなり、したがって使われないから、取り払われるのですね」
 原田の返答に酒井はうなずいた。
「廃止され、閉鎖され、使用は停止される。取り壊され、撤去され、消えていく。まったく別のものが、取って代わる。たとえば都電だよ」
 右腕を上げた酒井は、正面を走っていく都電を指さした。
「自動車の時代が始まっている。自動車の邪魔になるという理由で、東京から都電がなくなる。出来るだけたくさんの自動車を走らせよう、ということなんだね。銀座をとおる都電が一九六七年には消えることにきまっている。だからたとえば、都電のある東京光景を、消える前に可能なかぎり撮ってほしい」
「撮りますよ」
「楽しみにしてる」


 直子の喫茶店は今日は定休日だ。撮るにあたってはよく相談しましょう、と原田は直子に言われた。だから今日、その相談のため、彼は彼女の喫茶店へ来た。定休日、とだけ書いた小さなカードが、ドア・ガラスの枠に差し込んであった。ドアは開いた。彼はなかに入った。
 テーブルに向かって直子が椅子にすわっていた。今日もフランス語の歌がLPから再生されていた。直子は椅子を立った。その動作の美しいめりはり、そしてまっすぐに立ったときの姿の良さなどを、彼は受けとめた。そのテーブルへ歩いた彼は、標準レンズをつけた写真機をテーブルに置いた。
「今日から撮るの?」
「念のために持って来ました」
「コーヒーをいれるわ」
 直子はカウンターへ歩いた。そしてコーヒーをいれ始めた。再生されていたLPの片面が終わった。カウンターの壁ぎわにレコード・プレーヤーがあった。そこへいった直子は、LPを裏に返してアームを降ろした。何人かの歌手たちのオムニバスLPなのだ、と彼は思った。直子は彼のコーヒーをテーブルへ持って来た。そして椅子にすわりなおした。
「どうしましょうか」
 直子が言った。
 どうすればいいか、いまの彼には見当もつかなかった。人物の撮影体験は、学校で撮ったヌードだけだ。あとは友人たち、そして町を歩くさまざまな人の、スナップだ。ひとりの人物を集中して撮った体験は、彼にはなかった。大学にあるあの女性像を彼は思った。三年という時間のなかで、いろんな季節のさまざまな光のなかで、存分に撮った。
「これから夏になるわ。私は夏がいちばん好きよ」
 では夏のあいだに撮ればいい、と彼は反射的に思った。新聞社でのアルバイトは九月十五日からときまった。それまでの期間、直子の撮影に集中するといい。夏のなかの直子。あの像も季節は夏だ。スカートや半袖のシャツは、いまとおなじではないか。夏という正解は、ずっと以前からあの像とともにあった、と彼は思った。
「映画のようにしましょうか。私がひとりで主役、季節は夏、そして背景はいまの東京」
 スティル写真の連続する映画を、原田は想像してみた。その映画が一冊の本になっている状態へと、彼の想像はつながった。なおさら夏だ、と原田は思った。夏というひとつの連続した光のなかでの、直子のさまざまな姿。見る人はそこに物語を感じる。
「映画には撮了という日があるのよ。撮影終了ね。アップと言ってたわ」
「クランク・アップですか」
「そう。撮了の日をきめておくと、その日に向けて気持ちが集中すると思うのよ」
 言うことがいちいち正しい、と原田は思った。その思いのままに、
「八月三十一日をアップの日にします」
 と、彼は言った。
 微笑した直子は次のように言った。
「背景は東京でも、東京のどこでなければいけない、ということはないのね」
 この指摘も正しい。どこでもいいから、そのときその場での、なにげない一瞬。それを見逃さなければそれでいい。直子のこの顔立ちは、あらゆる角度に耐えることが出来るはずだ。撮るのは楽なのではないか、とも原田は思った。
「敗戦後の日本で、若い女性の体だけが可能性を秘めているように思えた、と長谷川先生はおっしゃっていました」
 原田が言った。
「体とは骨格だと思います。僕があの像を撮影して得た結論は、この像は骨格がいい、ということでした。藤森さんの骨格は写真に向いています」
 彼女の体の動きは的確な鋭さを持っている。これまで観察したなかにも、素晴らしい一瞬はたくさんあった。自分はそれを記録すればいい。どう撮るか、というような工夫や思案はいっさい必要ない、と言うよりも邪魔だ。この女性を写真に撮ることは、自分にとっては挑戦である、と彼はひとまず結論した。その結論に彼の気持ちは高まった。
 そして彼は不思議に思った。これだけの人が、ここで喫茶店の主人をしている。彼女を見るのは店へ来る客だけだ。十八年前に彼女を彫刻のモデルにしたあの彫刻家は目が高い。どんないきさつだったのか。いずれ教えてもらえるだろう。
「このお店はいつからなのですか」
 と原田は訊いてみた。
「私が三十歳のときから。学校の先生になろうと思って、体育の学校を出たのよ。女優になるといいと熱心に言ってくれた人がいて、ニュー・フェースのテストに合格して、ニュー・フェースになったの。大部屋の新人女優。ニュー・フェースだけで作ったカレンダーのための写真撮影が、最初の仕事だったわ。八月が私の月で、伊豆の海岸で水着姿になったのよ。芸名は藤なお子。藤森から藤の字をとって、直子は直だけ平仮名にして。ろくな役がつかなかったわ」
「どうしてですか」
「なぜかしら」
「戦後すぐのことですね」
「世のなかが少し落ち着いてから。日本映画は粗製濫造の時代。最初の出演作はシナリオが出来てないまま、撮影に入ったのよ。いつまでにアップ、いつまでに完成と、予定だけはきまってるから、とにかく撮り始めるのね」
 ろくな役がつかなかったとは、少なくとも映画のなかには居場所がなかったということではないか、と原田は思った。美人すぎるし、おまけにこの体だ。
「肉体派という言葉があったのよ。いまでもあるかしら。裸に近い姿で体当たり演技。きつい化粧をして、太腿もあらわに脚を組み、冷たい表情で煙草をふかしたり」
 そう言って直子は笑った。
「要するに半端な女の役ね。半端でしかも型にはまっていて。情婦とか娼婦。さもなければ、誘惑する役。意地悪な女、冷たい女。私はいいのだけれど、親しい人たちが見てくれて、スクリーンの上の私を現実の私と混同するのよ。それが嫌で映画はやめることにしたの。最後の出演作では、夜の港の倉庫を包囲する警官隊とピストルを射ち合って、私は死んだのよ。あお向けに横たわって絶命している私を、真上から撮ったの。そのときになると突然、なぜか私のスカートは腰まで裂けていて」
「映画は十年ほど続いたのですか」
「そんなには続かなかったわ。映画をやめて、ほんとに先生になって、三十歳のときにこの店を引き継いだの。女優だったときの同期の仲間のお父さんが経営してたのよ。懐かしい大切な場所だからこのまま引き継いでくれる人を、ということだったの。いまはもう買い取ったわ。裏に自宅があるのよ。いい時代だったのね。これからはそうもいかないだろうと思ってるのよ。それ以来、ずっとここ。ずっと独身なのよ」
 語る彼女を原田は視線で受けとめていた。白黒の映画フィルムに撮影されてスクリーンに映写されると、彼女の顔は冷たく、体は硬質なものになるのではないか。藤森直子への手がかりを、彼はふとそんなふうにつかんだ。高く薄い、きれいにとおった鼻柱。頬を中心にして肉が薄い。そして唇はくっきりと立体的だ。目に宿る意思には存分な深さがある。微笑すればそれは誘惑へと解釈される。写真に撮っても、このあたりが彼女の魅力になるのだろうか。
 そうであるなら、自分はそれをフィルムにとらえればいい。陰影のニュアンス豊かな、複雑な深みをたたえた謎になるなら、それはおそらくもっとも好ましい。だから演出は必要ない。瞬間ごとの彼女の魅力を、ありのままに撮ればいい。
「私とあなたの関係を、どうしましょうか」
 と、直子は言った。
「撮影者であるあなたと、被写体の私との関係を、どんなふうに設定すればいいかしら」
 直子のその質問に、原田はテーブルの上にある写真機を示した。そして、
「僕は写真機です」
 と、言った。
「私は演技をするの?」
「いいえ、いつものご自分です。撮るべき一瞬を僕は見逃さずにいます。しかしそれは一瞬ですから、次の瞬間には違うものになっていたりします。ですから、たったいまの一瞬を再現することが、多くなると思います」
「レンズを見て微笑したりしなくていいのね」
「それはなしです」
「ということは、撮られているという意識が、そもそも必要ないということね」
「そうです。僕という写真機は、記録するだけです」
「レンズを向けられるそのたびに、私は撮られていることを知らない人になればいいのね」
「そのとおりです。演出はきりがないです。ただし、演技したくなったら、自由に演技してください」
「服装は?」
「夏の服です」
「今日のような」
「はい」
「半袖のシャツに薄い生地のスカート、そしてヒールのある夏のサンダル」
「そうです」
「シャツは袖なしもいいわね。フレンチ・スリーヴを私が着ると、いやらしくなるのよ。試してみて。化粧と髪は?」
「今日のようで充分です」
 写真機を手にした原田は、ファインダーごしに直子を見た。バスト・ショットになるように自分の位置を変え、焦点を合わせた。まっすぐにレンズを見ている彼女の目に合焦したとき、彼が感じたのは、冷えるということだった。彼女をとらえているファインダーの画面ぜんたいが、合焦と同時に冷えた。彼女が印象として冷たいというようなことではなく、画面ぜんたいの質そのものが冷えたのだ。彼にとってこれはまったく初めての体験だった。
 だからこそなおさら、夏という季節は正解なのだ、と彼は思った。半袖シャツの下の幅の広い肩。肩から腕へとつながる造形の、たくましさを芯とした優美さ。そして胸。それらすべてが画面に入るよう、彼はレンズを操作した。肉感的な魅力という、冷たさとは相反する要素が、画面を支配するようになった。このふたつの要素が画面のなかでひとつになれば、そこにとらえられているのは、興味深い謎としての彼女であるはずだ。撮るにあたっては彼女の体を充分にとらえる必要がある、と彼は思った。
 彼はファインダーごしに彼女をいろんなふうに見た。立ち姿をさまざまな位置と角度から。そして、定休の日の誰もいない店内を歩く彼女。カウンターで、あるいは窓辺で。やがてふたりは店を出た。すぐ外の坂道。川に沿った遊歩道。川を渡る橋。直子には歩いてもらったり立ちどまってもらったりし、その彼女を前からうしろから、そして斜め横などから、写真機のファインダーごしに彼は観察を繰り返した。商店街に入った。雑多な日常性のなかで、彼女の魅力は思いのほか際立った。
「まだ撮ってないのね」
 彼女が言った。
「見ているのです。検討しています」
「なにを検討してるの?」
 なにと特定の出来る段階ではないのだが、次のような言葉が口から出た。
「撮り始めるときの、まず最初の、第一枚目のショットです。それを探しています」
「映画だとラスト・シーンを初日に撮ったりしたわ。さっき言った最後の作品の、おしまいで私が絶命するシーンは、初日に撮ったのよ」
 彼女の言葉を受け入れる自分の頭のなかに、彼女の言葉によってひとつのアイディアが像を結び始めるのを、彼は自覚した。その像はまだぼやけている。いまにはっきりしてくるはずだと、彼は胸のなかで自分に言った。
 とにかく、最初のショットを。理の当然として、最後のショットも、おなじ重要度を持つ。最初のショットと最後のショット。その中間にあるのは、ひと夏のなかで写真機だけが見た、ひとりの女性の体の魅力の物語だ。始まりからひとまずの終わりに向けて、その物語は進行していく。最後のショットで最初の場面へ戻るような印象があるといい。
 時間が循環する。螺旋状の立体として、循環して重なっていく時間。何点もの写真のなかを流れる時間が、そのような時間になるなら、物語は最後のショットで終わることなく、何度も循環することが暗示される。ただ終わることにくらべると、このほうがぜんたいのニュアンスが深まる。考えが少しずつまとまっていくことに、彼は興奮に似た感情を覚えた。
 二時間近く、ふたりは歩いた。大学へもいってみた。女性像の前にふたりで立った。十八年前の自分を写した銅像とおなじポーズを、直子はとってみせた。ふたりは喫茶店へ戻った。彼女はカウンターへいってコーヒーをいれ始め、彼はすぐそばのテーブルで椅子にすわった。二杯のコーヒーがすぐにカウンターに出来た。それを彼がテーブルへ運んだ。
「今日は撮らないの?」
 直子が訊いた。
「最初のショットがきまれば、それは撮ります。始まりの場面です」
「私がいる場面なのね」
「藤森さんひとりだけの物語です。どの写真にも藤森さんが登場します」
「何枚もの写真を、私ひとりで、ひとつなぎにしていくのね」
 一冊にまとめたい、とふたたび彼は思った。あの銅像の写真を、厳選して一冊のスクラップ・ブックに貼ったように、藤森直子の写真もそのように一冊にすれば、卒業制作として提出出来るものになるかもしれない。
「藤森さんというひとりの女性の物語が、最初の場面から始まります。物語は進展していき、最後のショットまで到達すると、そこでは次の循環がすでに始まっています。そんな物語です」
 彼女に向けた自分の言葉を、彼は頭のなかで確認した。これでいい。よりすぐれたアイディアによってくつがえされるまでは、これでいけばいい。始まりの場面は室内ではないか、と彼は思った。屋内だ。建物のなかだ。喫茶店の内部を彼は見渡した。ほかに人のいない店内の空間と直子の組み合わせは、魅力的な写真を生むはずだ、と彼は感じた。
 彼の気持ちを正確に読み抜いたかのように、
「私の自宅へいってみましょうか」
 と、直子は言った。
「すぐ裏なのよ」
 ふたりは店を出た。外の坂道を上がりながら、
「自宅はこれよ」
 と、直子は言った。
 坂道から五メートルほど高くなった位置に、生け垣に囲まれた敷地があった。道からは生け垣だけが見えた。喫茶店に入るときとおなじように、右の脇道へ入り、生け垣に囲まれた敷地のなかへ、小さな門から入った。玄関はドアがひとつあるだけだった。
「変わってるでしょう」
 平屋建ての小ぶりな家だ。ぜんたいのかたちは、大、中、小の長方形を、少しずつずらしながら重ねたものだと、原田は推測した。
 彼女が鍵をあけてドアを開き、ふたりは家のなかに入った。
「フランスの人が作った家なのよ。新聞社の特派員として東京にいて、旅館が好きでずっと旅館に住んでいたのですって。一軒の家に住みたくなって、この家を作ったというのよ」
 玄関を入ったところは、本来の用途としては食事のためのスペースだった。喫茶店にあるのとおなじカフェ・テーブルに、椅子が三脚、寄せてあった。
「その人がフランスへ帰ることになって、売りに出たの。喫茶店とはなんの関係もなく、この場所にあるということはまったくの偶然なの。引き受けた不動産屋さんが、まず私のところへ来て、その私が買ったわ」
 彼女は間取りを見せてくれた。日本の普通の民家とはまるで違っていた。フランスの人が作ったのだと聞かされると、なるほどそうか、と納得出来る。簡素で住みやすそうな印象を原田は受けた。
「気にいってるのよ」
 直子が言った。
 間取りの中央に坪庭があった。
「どうしても作りたくて、作ったのですって。京都の町家で見て、好きになったのではないかしら」
 カフェ・テーブルの置いてあるスペースは、南側のテラスと庭に向けて、居間とつながっていた。そして居間からなかば独立して、テラスに面した横長のスペースがあった。そのスペースの一端から寝室に入り、寝室の奥に浴室と洗面そしてトイレットがあった。坪庭は居間とキチンから見ることが出来た。
 テラスに面した横長のスペースの中央に、外へ出るためのドアがあった。その右側には窓がならんでいた。そして窓の下には作りつけのベンチがあり、クッションがいくつも置いてあった。そのベンチの前に窓に向かって立っている直子は、半袖シャツの裾をスカートのなかに入れなおすための、なにげない動作をしていた。彼女の斜めうしろから、原田はその様子を目にとめた。
「それです」
 反射的に、彼はそう言った。振り返って直子は原田を見た。彼女の上体はごく軽く左へとねじれた。そのねじれが、彼女の背中、胴、そして腰にかけて、魅力の陰影を深めた。
「まっすぐ前を向いているよりも、いまのように上体を軽く左へひねった状態にしてください。そしてシャツの裾をスカートのなかに入れる動作を、してみてください」
 シャツの裾を直子はすべてスカートから出した。そしてスカートの左側にあるフックをはずしてジパーを少しだけ下げ、シャツの裾をスカートのなかへ入れる両手の動きを、おこなってみせた。何度かシャッター・ボタンを押した原田は、要所はすべてフィルムにとらえた、と確信した。
「いまのをもう一度、繰り返してください」
 その彼の言葉に、
「場所は寝室のほうがよくないかしら」
 と、直子は提案した。
「窓の大きさが違うし、背景がもっと整理されるわ」
 寝室に向けて歩いた直子は、ドアを開いた。彼女のあとから彼も寝室に入った。
「このあたりね」
 そう言いながら彼女は立つ位置をきめ、上体を軽く左へひねった。その彼女の斜めうしろで、彼は両脚を大きく開き、視点を下げた。ファインダーごしに彼女をとらえた。背景が整理されるという直子の言葉はそのとおりだった。窓からの光が絶妙であることを、彼は確認した。
「いいかしら」
「どうぞ」
 シャツの裾をスカートから出した彼女は、さきほどとまったくおなじ両手の動きを、再現してみせた。直子の動作のすべてが終わるまでに七度、彼はシャッター・ボタンを押した。
「画面は縦で、上は頭のてっぺん、そして下はスカートの裾から五センチほど下がったところまでです。スカートのフックをはずそうとする指の動きの、はずす寸前の状態を作ってください、それだけを撮ります。上体は自然にひねって。顔は左からの横顔を、ややうしろからとらえます」
 直子の両手の指は、彼が注文したとおりの状態を作り出した。だから彼はそれを撮り、完璧に撮れたときの手ごたえが、最後のシャッター音のあとに残った。
 初夏の晴れた日の午後、やや遅い時間、窓から入って来る光を斜め前から受けて、見たところ三十歳ほどの、しかし成熟と充足はただごとではない姿の美しい美人が、スカートのウエスト部分を止めているフックをはずそうとしている。あるいは、フックをかけた直後だ。どちらにせよ、きわめて個人的で無防備な一瞬であるという意味において、まさに彼女ひとりだけの時間と状況だ。それを自分はいま写真に撮った。これが最初のショットだ。すべてはここから始まる。
「今日はこれで充分です」
 ふたりは寝室を出た。居間とその向こうのスペース、そして振り返ってテラスや庭を、彼は見渡した。
「町へ出なくても、ここと喫茶店だけで、写真として成立しますね」
 彼が言った。テラスに面した窓を背に、直子はクッションのあるベンチにすわった。
「おなじ動作を繰り返すことは映画で慣れてるから、まったく苦にはならないのよ。むしろ楽しいわ。遠慮なく注文をつけて」
「今日はここまでです」
「次はいつ?」
 直子は脚を組んだ。
「来週の定休日に」
「今日とおなじ時間に店へ来て」
「雨が降っても撮ります」
 彼は玄関へ歩いた。靴を履いてドアを開き、外へ出た。そしてドアを閉じた。


 藤森直子は写真のモデルとしてたいへんに優秀だった。彼が求めたポーズの再現を見事にこなしただけではなく、自らも原田にアイディアを提案した。レンズのためにごく軽く演技をすることも、彼女には自在に出来た。常に彼女自身であると同時に、ほんの少しだけ演技の加わった彼女でもあるという二面性は、写真のなかに固定された彼女にとって、謎としての奥行きに転換された。
 モデルとしての直子の良さは、要するに肉体の出来ばえである、という結論に原田裕介は到達した。肉体の出来ばえとは、それが置かれている状況やポーズそして服装などが、写真を見る人の気持ちのなかに呼び起こす、意味あいの微妙さや深さだった。写真のなかの彼女がそのようにして謎であり続けることによって、それを見る人が読み取ろうとする意味が、すぐにも解読出来そうに見える謎として、一定以上の距離のところに維持された。そして彼女の冷たく美しい顔立ちは、謎を常に補強する機能を果たした。
 喫茶店の定休日ごとに撮影をおこなった。六、七、八月の三か月、一度も休まずに撮影は続いた。撮ったフィルムは自宅で彼がすぐに現像し、すべてをおなじ大きさの印画紙にプリントした。そして次の定休日に、客のいない喫茶店のテーブルで、直子とふたりで点検した。そのようにしてひと夏が経過した。
 一回の撮影ごとに、五点は選び出すことが出来た。三か月分だと、選ばれたプリントの数は六十枚を越えた。このなかから原田は四十枚を選んだ。彼女の喫茶店と自宅の、内部や庭での写真がおよそ半分、そして残りの半分が外で撮ったものだった。その四十枚を一点ずつ黒い台紙に貼った原田は、九月第一週の定休日の夕方、直子の喫茶店へ持っていった。自分できめた順番どおりに、彼はその四十点の写真を彼女に見せた。
 ひととおり観察した直子は、
「私はいやらしい女に見えるわ」
 と言った。
「ご自分ではそう思うのですか」
「思うわよ」
「僕には謎の女性に見えます」
「どこが謎なの?」
「ぜんたいです」
「謎でもなんでもないのよ」
「この四十点でほぼきまりです。撮影はもう終わりです。プリントを整理し、さらによく考え、最後にはやはり四十点を残して、それで完成です。台紙に一枚ずつ貼って、一冊に製本します。卒業制作として提出するつもりです」
「写真家になったら、あなたはこんなふうに、写真を撮り続けることになるの?」
「いろんなものを撮るはずです」
「そうでしょうね。次々に撮るのね」
「十五日から新聞社でアルバイトが始まります。卒業と同時に入社することになるかもしれません」
「新聞社の写真班の人になるの?」
「面白い経験だと思います」
「夏はあっけなく終わったわね。もう九月なのよ」
「いい夏でした」
「私もよ」
「終わってしまうと、寂しい気持ちです」
 彼のその言葉に、直子は四十点の写真を示した。そして、
「これが終わっただけなのよ」
 と言った。おなじ手で西側の窓を示した。
「ほら、見てごらんなさい。日が短いのよ。この時間でこんなに暮れてるのよ」
 直子は椅子を立った。その窓まで歩いていき、外を見た。自分を見ている原田の視線を体でたぐり寄せるかのように、直子はテーブルまで戻って来た。彼のすぐそばに彼女は立った。彼女の腕が彼の肩に軽く触れた。台紙に貼ったすべての写真、そしてそれが入っていた事務封筒を、彼女は片手に持った。
「いらっしゃい」
 と、低い声で言った。
 椅子を立った彼の手を取り、彼女は店のドアへ歩いた。彼とともに外へ出て、ドアに鍵をかけた。坂道を上がり、店のすぐ裏の高台にある自宅に、彼女は彼を招き入れた。
 カフェ・テーブルに写真を置いた直子は、いちばん最初の写真と最後の写真とを、ならべてみた。
「ここからスタートして」
 最初の写真を指さして彼女はそう言い、
「ひと夏をふたりで通過して、ここへ到達したのね」
 と、最後の写真を指さした。
 最後の写真は最初の写真とよく似ていた。この自宅の寝室で、午後遅く、最初の写真とほぼおなじ時間に撮った。窓に向いて立っている直子は上体を左へねじり、スカートのウエストの左側にあるフックをはずし、そこからジパーをなかば降ろした位置に、両手の指が止まっていた。ふたりで相談してきめたポーズだった。
「そしてここからまた、次のことが始まるのよ」
 直子は原田の手をとり、テーブルを離れた。居間を横切り、テラスに面した窓およびドアの前を歩き、寝室のドアを開いてふたりでなかに入った。片手に彼の手をとったまま、彼女はドアを閉じた。窓の前の、最後のショットとおなじ位置に、直子は立った。
「よく見てて。ここから始まるのよ」
 上体を軽く左へねじり、スカートの左のウエストに隠れているフックに両手の指先をかけ、フックをはずした。その動きの延長としてジパーを完全に降ろし、スカートのなかから半袖シャツの裾を引き出し、下からボタンをはずしていった。そしてシャツを脱ぎ、かたわらの椅子に落とした。彼を振り返った直子は、彼がこれまでに見たもっとも美しい動作で、スカートを脱いだ。
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写真家がすべてを楽しむ



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 彼は電車を降りた。各駅停車のいちばん最後の車両だった。発車していくその電車を見送りながら、彼は階段まで歩いた。ストラップで右手に下げていた一眼レフを、首にかけなおした。階段を上がり、改札を出て、北口の階段を降りた。正面にある道を反対側へ渡った。そこから西に向けて、駅前の商店街が始まっていた。西に向けて彼は歩道を歩いた。五分も歩くと商店街は終わる。歩ききる前に彼は右へ曲がった。しばらくいくとその道は登り坂になった。坂は長く続いた。
 途中に十字路があり、彼はそれを左へ折れた。道順は完全に記憶していた。三年前、西本恵子がここに自分の家を作って以来だ。これで何度目だろうか、と彼は思った。恵子にはもっと頻繁に会わなくてはいけない。彼女に会わないでいることは、自分にとって損失なのではないか。会わないでいると損失は重なり、やがては自分にとって大きな赤字として計上されるのではないか。
 五月の終わりの週、快晴の火曜日。彼は腕の時計を見た。午後三時だった。五日前、彼は恵子に電話をかけた。相談したいことがあるから会いたい、と彼は言った。締切りが終わったあとの今日を、恵子は指定した。だからいま彼はここを歩いていた。駅から七、八分、高台の南側の縁をまわっていく、静かな道だ。歩いているのは彼だけだった。
 手前にある家の竹林の向こうに、平屋建ての恵子の家があった。高台の南側の縁に建っている。敷地の南西の角が、高台の突端と重なっていた。簡単な門を開いて歩道から敷地に入り、彼は階段を上がった。途中で方向の変わる階段を上がり、郵便受けのある煉瓦の壁のインタフォンのボタンを押した。インタフォンに向けてかがみ込んで喋ると、その顔を内部に隠された小さなレンズがとらえ、屋内のモニターに映し出す。その顔がいかに歪んで面白いか、この家が完成したとき、恵子はやってみせてくれた。
 恵子はうかつには返事をしないことになっている。ただしモニターの画面は見ている。玄関わきの縦長の小さな窓からは、階段のぜんたいを見渡すことができる。
「田島です」
 と言った彼に、
「どうぞ」
 と、恵子の声が答えた。
 すぐに玄関のドアが開き、彼はなかに入った。恵子はドアを二重にロックした。ほどよい広さの玄関ホールに立っている恵子を、田島は観察した。黒いジーンズに、明るい華やぎのある、きわめて洒落たマドラス・チェックの半袖のシャツ。髪のまとめかたは、本来なら時代を超越した女性らしいものなのだが、手間がかかるからいまではする人は少ない。そしてそのまとめかたが、これしかないほどに彼女には良く似合っていた。立ち姿の良さも美貌も、恵子は母親からそっくりに譲り受けていた。これほどの美人だったかと、見るたびに彼は驚く。その驚きは軽度ではあるけれど動揺と言ってもよかった。
「白だなあ」
 彼が言った。
「なにが?」
「足もとは白だ。白いハイヒール・サンダル」
「いまの私が履くとしたら?」
 という恵子の言葉に、彼はうなずいた。
「私もそう思うわ」
 歩み寄って手をのばした恵子に、彼は一眼レフを渡した。
「どうぞ、お上がりになって」
 彼は靴の紐をほどいた。
「また新しい靴なのね」
「作ってもらった」
「どの靴もどことなく似てる革の靴なのよ。色は黒が多くて」
「作りがしっかりしているところは、みんなおなじだね」
 玄関ホールは間取りの中央に位置している廊下のまんなかでもあった。
「ヴェランダに出てみましょうか」
 と彼女が言い、
「陽ざしが素晴らしい」
 と、彼は答えた。
 廊下から居間に入り、南側のガラス戸のまえにふたりは立った。一眼レフを彼に渡し、恵子はガラス戸を開いた。煉瓦敷きのヴェランダに置いていある白いハイヒール・サンダルを、彼女は笑顔で指さした。
「なるほど。用意は整ってるわけだ。こんなふうに正しく気のまわるところも、女優のお母さん譲りだろうか」
「そうかもしれないですね」
 素足にサンダルを履いた彼女は、腰を落としてストラップをかけた。
 この家の南側の底辺いっぱいに、煉瓦敷きのヴェランダがあった。居間の南東の角をまがり込み、東に面した窓の手前まで、ヴェランダはのびていた。
「今日もここがいい」
 彼の言葉に恵子は微笑した。
「定点観測のための一定点なのね」
 隣の家の背後にある竹林は、恵子の家の敷地にも大きく入り込んでいた。正しくぼかしてそれを背景に使い、これまでに何度もここで恵子を写真に撮った。前回は三月なかばの雨の日だった。白いパンプスにピンクの水着、そして黒い大きなこうもり傘をさす、というアイディアを彼女が出した。その姿で雨の竹林に向かって立っている恵子のうしろ姿は、絶品と言っていいできばえの写真となった。
 五月の陽ざしのなかで、田島は彼女を写真に撮り始めた。彼はポーズを注文しないし、彼女もポーズはとらない。なにげない立ち姿が持つふとした瞬間は、しかし、いくらでもあった。それをかたっぱしから彼は撮影した。ふたりは高校で同級生だった。写真部で活躍していた彼にとって、西本恵子は専属のモデルと言っていい存在だった。現在の彼らは三十八歳だ。二十年にわたって、彼は彼女を写真に撮ってきた。
 ひとしきり撮った彼はフィルムを二本使い、ふたりは居間に入った。片手にサンダルを持って恵子はガラス戸を閉じ、
「今日は抱いてくださるの?」
 と彼に言った。
「相談ごともあるし」
「コーヒーをいれるわ。お話をうかがいましょう」
「やがて時刻は四時をまわり五時となる」
 彼のその言葉に、恵子は振り向いた。引き締めた表情で彼を見て、彼女は居間を出ていった。いまのようなとき、下手に微笑したりしないところが、彼女の勘の鋭さのあらわれなのだ、と彼は思った。午後の五時から六時、そして七時にかけての時間、自分の体温はもっとも高くなるから、肉体的にも心理的にも、性的な行為にいちばん適した状態になるのだと、三十歳を過ぎた頃に恵子は彼に語った。
 テーブルに写真機を置き、田島はソファにすわった。ほどなく恵子があらわれた。長袖の黒いシャツ・ドレスに着替えていた。裾はくるぶしまで届いていた。前がボタンで全開になる作りだ。ボタンの数は十一個だった。ならんでいるものの数をとっさに、そして正確に数える才能が、彼にはあった。とも布の紐のようなベルトが腰にまわっていた。いつものように下にはなにも着ていないはずのシャツ・ドレスは、彼女によく似合っていた。彼女の体と完璧にひとつになりつつ、体の魅力、さらには顔だちを、服の内側に増幅して暗示していた。
 彼女はキチンに入った。ソファから立ち上がった彼は、キチンの入口まで歩いた。
「相談ごとって、なになの?」
 コーヒー・カップをふたつならべて置きながら、恵子が訊いた。
「僕が十八、十九、二十歳の頃、きみのお母さんを写真に撮った。四十歳、四十一、四十二、といった年齢の女優だった頃の、お母さん」
「私はよく覚えてます」
「いまのきみは、あの頃のお母さんの年齢へと、接近しつつある」
「めでたいことね」
「昔の自分が撮ったお母さんの写真を点検してみた。そして思いついたのは、これまでどおり折りにふれてきみを写真に撮ることは続けるけれど、ひとつの目的を作るといい、ということだった。四十歳に向かうきみを、いまから撮り始める。四十歳を越えても撮っていき、いまから四年ないし五年あとに、一冊の写真集を作りたい」
「作るといいわ」
「四十代前半のお母さんの写真に、四十歳前後のきみの写真を加え、巧みにぜんたいを配列する。ふたりの写真を母とその娘に分けてならべるのではなく、ふたりが溶け合ってひとりの人に思えるように、混ぜ合わせる。どこかに核心がひとつあり、それをふたりの女性が共通して体現しているような、不思議な写真集を作りたい」
「面白いわ。でも、あなたが望んでいるとおりに溶け合うかしら。母と娘は、簡単に見分けがつくのではないか、と私は思うのよ」
「きみとお母さんとは、もちろんそれぞれ別の人格だけれど、核心はまったく同一で、あらわれかたが違っているだけだ。完全に溶け合うと僕は思う。お母さんの写真ときみの写真を、ならべて観察してみた」
 一杯ごとにフィルターを換えて、恵子はコーヒーをいれた。それを田島が丸いカフェ・テーブルまで運んだ。ふたりは差し向かいに椅子にすわった。
「母と娘のつながり。共通項。おなじものだと言っていい核心。母から娘へと継承されていくもの。写真にとらえるには、時間のへだたりが必要なんだよ。僕たちが十八歳だったときに、お母さんは四十歳だった。それから二十年が経過して、あと二年できみは四十歳になる」
「母と娘の記録になるわね」
「時代の記録。そしてファミリー・アルバムでもある。ふたりとも名前はよく知られている。興味つきないキャラクターでもあることだし」
「作りましょうよ。ぜひ作って」
 恵子は言った。
「母にも訊いてみないといけないわね。でも、賛成するにきまってるわ、あの性格だから。なんでも賛成なのよ」
 差し向かいに位置している恵子を見て、田島は不思議な気持ちになった。この女性と高校で同級生だったのは、本当のことなのだろうか、とふと思う。恵子はバスケット・ボールの選手だった。股下の短い、ぴったりしたショート・パンツがユニフォームの特徴で、恵子はショート・パンツの女王と呼ばれていた。写真部の彼はその彼女をしばしば写真に撮った。まさにショート・パンツの女王として撮った彼女の写真を、学校の新聞に一ページ大で掲載し、いい意味で評判になった。彼らが高校を卒業したのは、一九六八年のことだった。
 彼は大学で写真を勉強した。卒業して新聞社に就職し、十年間ありとあらゆる被写体を写真に撮って過ごし、十一年目に入ってすぐに退社した。それ以後はフリー・ランスの写真家だ。彼女は体育の大学へ進んだ。そしてそこで空手を始めた。卒業してスポーツ・ジムで女性に空手を教え、ボディ・ビルディングも始めた。空手とボディ・ビルディングの両方において、美貌と筋肉のデモンストレーターとなり、若い女性アイドルのはしりのひとりの位置を獲得した。二十代なかばから三十代にかけての彼女を彼は撮影し、彼の撮った写真だけで一冊の本が製作された。出版は彼の独立と重なり、彼の独立記念ともなった。その本はよく売れた。僕は儲かった、といまでも彼は言っている。
 三十歳を過ぎて、西本恵子はコミックスを描き始めた。どのような工夫があったのか、それともそのようなものはなかったのか、デビューしてたちまち人気を得た。空手とボディ・ビルディングは続けているが、いまの彼女はコミックス作家として知られている。アシスタントは使わず、自宅にいてひとりで描くコミックスは独特の内容で、熱心な読者がついている。性的な好奇心の満足や、性的快感の冒険的な探究などを、正面から楽しんでいるひとりの女性の一人称で語っていく。田島とおなじく彼女も、結婚の体験はなくいまも独身だ。
 ごく初期の作品に『私は眼鏡の似合う美人です』というコミックスがあり、これを田島はいまでも記憶していた。高校三年生の女性が主人公になっていた。理知に徹したような顔立ちの、銀縁の眼鏡をかけた、学校でいちばんの美人だ。成績優秀なもの静かな女性で、その顔立ちと眼鏡ゆえに、級友たちのほとんどは冷たい女性だと思っているが、じつはまったく冷たくない。
 同級の男性から、「僕は童貞をきみで失いたい。協力してください」と、彼女は頼まれる。「それは私にもできることなの?」「できます」「では、協力するわ。私としても、いつかは失うものなのだから。でも期末試験が終わるまで待って」というようなやりとりがあり、期末試験の無事に終わった秋深いある雨の日、彼女の自宅の二階にある彼女の部屋で、若いふたりは裸になる。彼女の両親は旅行で留守、そしてひとりいる姉は外国に留学している。
 裸になった彼の体の、勃起というものを彼女は初めて目にする。彼女は心の底から驚く。「まあ、これはいったい、なになの?」と質問する彼女の視線に押されるかのごとく、彼はベッドにすわる。「よく見せて」と言う彼女に、彼は両脚を開いて投げ出すようにし、股間のすべてを彼女の前にあらわにする。
「なになの、これは」「勃起」「なんですって?」「勃起です」「そしてそれはなになの?」「これがこうして立つこと」「なぜ?」「は?」「なぜ、立つの。こんなものが、いつもここにあるの?」「そうだよ」「いつもこうなの?」「いまだけ」「なぜ?」「きみのなかに入るため」「これが私に入るの?」
 裸の彼女は勉強机へ歩いていく。そして眼鏡ケースから眼鏡を取り出し、着用する。端正な雰囲気の、冷たいと言えば確かに冷たいかもしれない、きれいな銀縁の眼鏡だ。美しく裸の体に眼鏡だけをかけた彼女は、脚を開いている彼の前に戻り、しゃがんで彼の股間にかがみ込む。眼鏡をかけた目で、彼女はさまざまな角度から、彼の勃起を観察する。その彼女の姿を彼は見ている。銀縁の眼鏡をかけた理知的な美人が自分の勃起を観察している光景は、彼にとって原風景のように深く心に浸透する。このとき以来、彼は眼鏡美人を追い求める人生を送る人になる。
「手を触れてもいいものなの?」という彼女の言葉に、同級の男の子はただうなずくのみだ。彼女は彼の勃起に指を添える。そしてその瞬間、彼は声すらあげて射精してしまう。これも彼女にとっては初めて見る光景であり、手を添えたまま彼の射精を裸の体のいたるところに受ける。このような内容の、笑わずにはいられない作品なのだが、主人公の彼女だけを絶妙に描き、あとは言葉だけで話を運んでいくから、たいそうエロティックなできばえとなってもいた。
「最後まで手を放さなかったきみが好きだ」と、後日の彼は彼女に言う。なにが起こっているのか見当すらつかず、しかも驚きはあまりにも大きいから、彼女としては反射的に手を動かすことすらできず、ただ見ているほかなかったのに、というような落ちがついていた。
『姉として生きる彼のこと』という作品も面白かった。三歳年上の美人の姉を持った、その姉によく似た弟の人生物語だ。「弟くんも女だったらよかったのに。そうしたら美人姉妹として名がとおったのに」と、幼い頃から身辺のいろんな人たちに、何度も言われて育った彼の心の底で確実に進行したのは、自分を姉と限りなく同一化していく営みだった。
 そんな弟の心を見抜いている姉は、彼が十七歳の誕生日に、彼を美容院に連れていく。自分とおなじ髪に作ってもらい、ブティークへいって彼に似合う女性の服を買いあたえる。そして自宅へ帰り、自分とおなじ化粧を弟の顔にほどこす。ふたりは姿見の前に立って抱き合う。「あなたはこれからもっともっと私に似るのよ」と、姉は彼に囁く。
 女性として生きる、自分を可能なかぎり姉に似せる、姉になりきる、というような彼の人生が、十七歳の誕生日から、本格的に始まっていく。三十歳を過ぎて彼がたどりついたのは、もうひとりの姉として生きる、という日々だった。自分が体現するもうひとりの姉。あるいは、自分を素材にして作り出す、もうひとりの姉という女性。写真家として活躍していつしか四十歳を目前にすることとなった彼だが、休みの日にはいまや日課となっているセルフ・ヌードの密やかな撮影だ。誰がどこからどう見ても、彼は妖しく美しい年増の女性にしか見えない。彼が我が身で生きるもうひとりの姉は、ほぼ完成の域に達している。
『唇に紅をさす人』は最近の作品だ。性行為の前戯として、相手の男性から唇に口紅を塗られる女性の、告白となっていた。ふたりで裸になってベッドに入り、化粧をしていない顔に彼女は彼から口紅を塗られる。彼が自分で選んで買って来た口紅だ。片腕で彼女をかき抱き、もういっぽうの手で彼女の唇に口紅を塗る男。いまでは明らかに次の段階へと進んでいる。性行為を始めてから、その途中で、彼は彼女の唇に口紅を塗って楽しむ。
「コミックスの製作は順調のようだね」
 コーヒーの終わりに彼が言った。
「読んでくださってるの?」
「読んでるよ。楽しみにしている。女性の体が、よくあんなにきれいに、しかもエロティックに描けるものだと、いつも関心している」
「私にとってはなんでもないことなのよ。自分の住所や名前を書くのとおなじことなのだから」
「自分の裸を鏡に映して参考にしている、という説を考えだして自分で信じ込んでいる男が、僕の身辺にいる」
「そんなことしなくても、いくらでもそらで描けるわ」
「口紅の話も読んだよ」
「男性としてあの話にどのように反応するのか、聞かせて」
「僕もやってみたい」
「私で試みてくださってもいいのよ」
「さっそく、今日」
「口紅を買って来たの?」
「そこまではしていない」
「口紅は相手の男の人が買ってこなくてはいけないのよ」
「いつもホテルの部屋で逢う男女の話があったね。あれも面白く読んだ。きみのコミックスを愛読している男は多いよ。それだけは確実に言える」
「私が自分の体験をそのまま描いているのだ、と思っている人が多いみたいね」
「誰だってそう思うよ。きみのうまさだね、そこが」
「自分の体験を描くなんて、私にとってはほんとに口惜しい、恥ずかしいことなのよ。体験なんて、絶対に描きたくないわ」
「やがて小説へと移っていくのかな、という思いも僕にはある」
「書いてみたいわ」
「おそらく、書くだろう」
「そう思う?」
「きみが描くコミックスの、ひとつひとつのフレームのなかにびっしりとある言葉は、小説になり得ると思う。あからさまであることのエロティックさに、妙なユーモアが溶け込んでいる。あからさまとは言っても、単なるあからさまではなく、洒落ている。センスの良さがぜんたいに対して陰影を作っていて、その陰影が息づかいのように機能している」
「私はいま褒めていただいてるのね」
「ひとりの妙齢の女性の、体の息吹のようなものを、コミックスのなかの言葉に感じる。小説でもおなじことができるはずだよ」
「絵があればこそ、いまあなたが言ったようなことが、コミックスとして実現されているのではないかしら」
 コーヒーの二杯めを彼が作った。ヴェランダへ持っていき、午後の西からの陽ざしのなかに、ふたりはすわった。
「コミックスのあのような性的なストーリーを、どうやって考え出すのか、僕は不思議に思っている。知りたい」
「体で思いつきます」
「なるほど」
「体の反応の一種なのね。空手の練習やボディ・ビルディングのさなか、ぱっとぜんたいが閃くこともあれば、小さな核が頭のなかに生まれて、それが少しずつ広がっていったり、いくつもの要素を集める働きをして、それらがひとつにつながったり。いろいろよ」
「きみは体の人だ。高校生の頃のバスケット・ボール。あのショート・パンツ姿は、まさに肉体派だよ。体育の大学。空手。ボディ・ビルディング。体が頭に働きかけている。見る、聴く、おこなうなどはもちろん、考える、思う、感じる、発想するなど、すべてのことが体を出発の拠点にしている」
「性的なことそのものについて言うなら、男性はあなたしか知らないのよ。それで充分だし」
「体のいろんなところをくぐり抜けて、最後は頭に宿り、それがあのコミックスの発想になったりする」
 時刻はやがて午後五時をまわった。性的なことに向けて、気持ちが体の反応ときれいに重なって高まっていく時間は、季節によって違っている、と彼女はかつて彼に語った。冬なら四時を過ぎればいいという。日が短いから四時を過ぎれば暮れていく。明るさが微妙に落ちていくことが大事なのだ。暮れていかないと、つまり明るいままだと、時計では五時を過ぎても体は充分には反応しない。雨の日や曇りの日なら、五時に近ければ用意は整う。
 五時三十分にふたりはヴェランダから居間に戻った。居間とは反対側、廊下の北の突き当たりにあるドアが、恵子の寝室のドアだった。寝室はほぼ正方形のスペースで、広さは十二畳ほどだと彼女は言っている。北側は横幅いっぱいにウオーク・イン・クロゼットだ。東西の壁には、おなじ位置におなじ大きさの窓がある。この家のほかのすべての部分を含めて、彼女がそのように設計した。
 寝室の窓は明かりとりだ。いま東側の窓は完全に閉じてあり、そこからの明かりはいっさい入っていない。ガラス窓の内側に、左右へ自由にスライドする、木製の雨戸のような戸が二枚ある。そのさらに内側は障子の窓だ。雨戸をどのくらい開くかあるいは閉じるかによって、寝室の空間をひたす明かりの量と質を、微妙に調節することができる。そしてその明かりは、障子によって優しくほのかなものへと、濾過される。
 クイーン・サイズのベッド、そしてディレクターズ・チェアがひとつあるだけの寝室だ。広すぎるのではないか、とたいていの人は思う。充分なスペースの内部に、窓からの明かりによって、親密な領域がベッドを中心に生まれていた。静かな空間のなかに明かりひとつで濃密な意味が作ってあった。
 恵子はベッドの縁にすわった。ワン・ピースのボタンを彼女は下からはずしていった。胸の前にボタンをふたつ、かけたままに残し、いちばん上のボタンもはずした。そしてベッドに両脚を上げ、上体をあおむけに横たえ、片肘で軽く支えた。彼女は片膝を立てた。服の前が大きくはだけ、白い右脚が太腿のつけ根まで、あらわになった。彼女のこのような一連の動きを観察しながら、彼は服を脱いだ。脱いだ服はディレクターズ・チェアに置いた。裸の彼はベッドへ歩き、ベッドの上で恵子に軽く体を重ねた。
「この服でいいですか」
 彼女が囁いた。
「素晴らしい。肌と顔立ちに、黒い生地がよく映えている」
「つい先月、買ったのよ」
「しなやかな生地だ。感触がとてもいい。きみの体によく適合している」
「前あきのワン・ピースが、クロゼットのなかにずらっとならんで掛かってるわ」
 体の前面がボタンで全開する作りのワン・ピースを、いまのようなときに彼女が身につけるのは、彼の好みによるものだ。初めの頃はシャツだった。裸の恵子がシャツだけを着て、胸の前でボタンをひとつかふたつ、かけておく。彼は裸だ。長袖のシャツは半袖のシャツへと変化し、そこからさらに袖なしのシャツとなった。これはかなり長く続いた。そしておそらくそこからの延長だろう、彼の好みは前あきのワン・ピースへと到達し、いまはそこに落ち着いていた。前あきのワン・ピースだから夏の服が多い。生地は薄い。これは好都合だ。
「これから夏に向かう季節に、さらにいくつか買えると思うわ」
「楽しみにしてる」
「街のお姐ちゃんみたいな人の着る服でよければ、かなり出てるのよ。妙な花柄の、透けて見えるような薄い生地。それはそれで、そそられるものがあるでしょう」
「きみの言うとおりだ。前あきのワン・ピースを好む男の話は、コミックスには描かないのかい」
 耳もとで受けとめた彼の言葉に、
「体験は描かないわ」
 と、恵子は答えた。
「体験としてではなく、ひとりの架空の男が持っている、変わった嗜好の問題として」
「面白いでしょうね」
「前あきのワン・ピースを買い集めている男の話がいい。前あきのワン・ピースに対してフェティシズムを持続させている男」
「描きましょうか」
「見かけて気にいると、買わずにはいられない人。自宅のクロゼットのパイプに、ずらっと掛けてある」
 彼の下で彼を受けとめながら、恵子は静かに笑った。
「その人はそれを着てみたりするのかしら」
「そうだろうね。前あきのワン・ピースを着用し、前を充分にはだけてベッドに横たわる女性、という理想のかたちを自分で仮に作ってみる。あの雑誌に連載している一回のストーリーとして、充分にいけると思うよ」
「考えてみます」
「僕が高校生だった頃に撮ったお母さんの写真を点検していて確認したのは、お母さんが前あきのワン・ピースを好いていた、という事実だった」
「よく着てたわね」
「桜の散る頃から秋風の季節まで、私服は前あきのワン・ピースだった。それ以外の季節には着物を着ていた。見る人にあたえる印象の落差が大きくて、僕はどちらも好きだった」
「母が着物を着ていると、年頃の娘の私は安心だったわ。でも、前あきのワン・ピースを着てると、恥ずかしかったのよ。裸よりも裸、という印象がいつも強かったから。下にはなにも身につけてなくて、そのことは誰の目にも明らかで、ボタンとボタンのあいだから、肌の見えることがしばしばだったわ。わざとそうしてるのではなくて、無頓着なのね、本当は」
 そこまで喋った恵子は、しばらくのあいだ考えた。そして、
「私の母の影響かしら」
 と、彼に言った。
「影響?」
「あなたと前あきワン・ピースとの関係に対して」
 今度は彼が考えた。
「心の底のどこかに」
 と、彼は答えた。
「それはあるかもしれないね」
 ふたりはしばらくのあいだ無言だった。そして田島が次のように言った。
「自分の体の生理や反応が、すべてのことの出発点になっている。この点において、お母さんとその娘であるきみとは、まったくの同一人であると言っていい」
「そうなの?」
「そうとしか言いようがない。最近の僕は、そんなことをよく考えるんだ」
「そしてこんなふうに確認するのね」
 西本恵子の母親、西本美佐子は、女優だ。まずたいていの人は、彼女の名前と顔を知っている。別府の温泉旅館の娘で、一九五〇年、二十二歳だったとき、ひとり娘となった恵子を生んだ。そして次の年、明らかに年かさのニュー・フェイスとして、映画会社に所属して女優の日々を始めた。
 三十歳までの七年間、彼女はさまざまに半端な役を演じた。役柄も使われかたも一定しなかった。使いようがなかった、と表現する評論家もいる。深く彫りのきいた美貌は、若さとあいまって、冷たい印象しか作れなかった。美人だから女優になることができたけれど、女優になってみると今度は美人すぎて使いようがなかった、という説だ。半分以上は当たっている。この七年間のたとえばまんなかあたりは一九五三年だ。『君の名は』や『東京物語』の年だ。どちらの主役も、少なくとも当時の西本美佐子には、務まらなかった。
 三十歳を過ぎた一九五〇年代の後半、景気が良く映画は好調の時代に、彼女は時代劇に主演し始めた。時代劇とは言っても従来どおりのものではなく、すぐあとの時代に盛んになった任侠映画のはしりだった、と評論家たちの意見は一致している。物語の背景は江戸を早い時期に置き去りにし、明治、大正、そして昭和の初期へと、急速に移っていった。現代に近くなればなるほど、主演の西本美佐子は冴えたのだった。
 ストーリーはいつもほとんどおなじだった。西本美佐子が演じる女性の、身内、親しい人たち、あるいは大切に思う人たちが、悪の側から理不尽な仕打ちを次々に受ける。初めのうちは、かわしたり耐えたりしているのだが、限界に達するときがくる。限界に到達したことを観客にいち早く伝える場面は、美佐子の裸身が画面いっぱいになる場面だ。禊(みそ)ぎをすませたような裸身に、彼女はひとりで着物を着ていく。能面のように表情を変えることなく、官能の充満する裸身は、引き締まった鋭い柄の着物につつまれた剣客へと、変身していく。この場面はどの作品でも人気があった。
 着物姿の彼女は、片手に太刀を一本だけ持ち、悪の敵陣へと乗り込んでいく。敵陣近くで彼女は抜刀する。どのような場面のどんなタイミングで抜刀するか、観客たちは文字どおりかたずをのんで見守った。抜刀と同時に館内には拍手と声援が沸き上がった。抜刀のすぐ次につないだフィルムは、彼女の顔をアップでとらえていた。彼女の美しい瞳には、もう少しでこぼれ落ちる涙があるのを、観客の誰もが見て、そのつど感動した。熱心な観客には女性も多く、男女半々ではなかったかと、評論家たちは論じている。
 殺陣(たて)はいつも素晴らしいできばえだった。斬って斬って斬りまくるという、ただそれだけなのだが、男の観客が涙を流すほど、西本美佐子の剣さばきと立ち回りは、見事なものだった。彼女は別府で小学生の頃から剣道を続けた。その体験は役に立っているのだが、生まれつき体の動きが美しく、その美しさは骨格の良さからくるものだった。
 太い骨が正しく均衡して組み合わされた骨格を、性能のいい筋肉がしっかりと支えていた。大柄というほどでもないのだが、スクリーンの上では存分に大きく見えた。姿勢が良く、立ち姿が美しく、動くとすべてがさらに良くなった。自分の体の動きを視覚でとらえて正確に予測する才能と、その予測のとおりに体を動かすことのできる能力が、完璧に合体して機能していた。寄らば斬るぞという印象の強い美貌は、もっとも激しい殺陣のなかで最高に効果的だった。演出と撮影監督の傑出した才能が、つねにすべてをくるんで仕上げをしていた。
 二十代の頃には目立たなかった逞しさが、三十代の彼女には目立つようにもなった。絵に描いたような女丈夫ぶりは、しかし、着物によって可能になったものだ。洋装の彼女もたいへんいいのだが、肉感的にすぎる体のつくりは、如何ともしがたかった。着物は彼女の体の肉感性をきれいに中和した。着物姿で斬りまくる一連の映画で、西本美佐子の人気は決定的となった。顔と名前が多くの人に記憶されて定着した。
 任侠映画が時代そのもののようになった頃には、彼女は別の役柄に移っていた。どこにも生活の根を持たない、流れ者のような浮草のような、つかみどころを見せない、しかし不思議な存在感のある、妙に気持ちのなかに残る女性、というような役柄だ。旅の途中の彼女が、とある町にふとあらわれ、なにかの事情があってしばらくそこに滞在する。滞在しているあいだに、ドラマティックな出来事がある。その出来事の中心は、裸になるとどうにも手のつけようがないほどに深い性的な魅力を、性的な行為のなかで存分に発揮させる場面だった。出来事が終わると彼女はその町を去っていく。あらわれるときと去るときは、かならず着物姿だった。骨格が良く動きがきれいで、筋肉が鍛えられている彼女の裸身は、設定や演出が相当なところまで性的でも、猥褻さとは奇妙に無縁だった。このような主演作もなかばシリーズのように製作されたが、斬りまくる映画ほどの本数は作られなかった。
 それでも十二本の作品が製作されて公開された。この十二本のうち九本までが、同一の監督そして撮影監督による作品だった。主演の美佐子が演じる性行為を、この監督は九本ともすべて、女上位の演出でとおした。個人的にそれが好きだから、という説を多くの人がいまも受けとめたままでいるが、監督自身の言葉を真に受けるとするなら、女上位の場面は彼の確固たる映画的な主義主張にもとづいたものだった。上になる美佐子、というキャッチ・フレーズを獲得することになったその主義と主張について、草野三四郎という名のその監督は、評論家との対談で次のように語ったことがあった。
「女性が上になる性行為の場面は、監督の私が私生活で好んでいるものだから、という説を言いふらした人がいて、その説が定着しているようだけれども、私生活が作品に出てしまうタイプの監督ではないんだよ、僕は。作品に影響をあたえるほどの私生活を送っていないからね。作品は作品であってね、それはあくまでも虚構だよ。虚構をいかに作っていくか、それが映画だから。虚構ではありながら、演じるのは生き身の俳優さんたちだし、ほとんどの娯楽劇映画は、ただいまここでの現実を背景に、写実を旨として撮ってるじゃないですか。そちらのほうの具体性に引きずられてしまうと、あれは監督の好み、というようなことになるんだ、よくないよ、それは。僕の個人的な好みを言うなら、たとえば雨の日が僕は大好きでね。全編これ雨という映画を作りたいと、ずっと以前から思ってるよ。でも、映画で雨を降らせるのは、大変なことなんだ。イングリッド・バーグマンが、どこかで喋ってたよ。なんという作品だったか忘れたけれど、彼女が主演した作品に雨の場面があって、その雨に彼女は濡れるんだ。雨を降らせる専用のタンク・ローリーが、出払ってたかなにかでなくてね、普通のタンク・ローリーを借りてきて、水を入れて使ったんだよ。そしたらその雨がものすごく油臭くて、しかもべとべとしていて肌に張りつき、不愉快で気持ち悪くて、ついには皮膚呼吸が大幅に妨げられて倒れそうになった、という話。こういうのが現実で、撮影されたその場面は、おそらく効果的な雨の場面なんだよ、そしてそれが映画さ。上になる美佐子というのはね、確かに僕は女上位でとおしたけれど、それはなぜかというと、映画的な効果を考えてのことなんだ。女性が下になると、いかに快楽に満ちた親しく濃密な性行為でも、フィルムに撮影して映写すると、女性が凌辱されてる雰囲気になってしまうんだ。上になってる男の頭のてっぺんから、布団が敷いてある畳まで、陰湿でどこか険悪な、男のほうから暴力が一方的におこなわれている現場になってしまう。これはもうどうにもならないね。演出の問題ではないし、俳優さんたちの責任でもない。そうなってしまうんだ。西本くんほどの体とあの顔でも、そうなるからね。これだけは避けたいと思った結果が、上になる美佐子なんだよ。西本くんのような人が上になって上体を起こしぎみにしていると、まずとにかく、画面がダイナミックに生きてくる。しかも、雰囲気は解放されるんだ。陰湿険悪な空気はそこに漂わない。映画は女性が主役だというのが、僕の信念のひとつでね。ストーリーの展開はもちろん、ひとつひとつの場面をどう構成するかにいたるまで、主役は女性にしたい。すべてを女性がリードするんだ。西本くんはまさにぴったりの人材でね、したがって性行為の場面も女性が上なんだよ。秘密をもっとばらすと、女性を上にしたほうが、なにかと場面を作りやすいんだ。男が上になってると、もうそのことだけに集中してしまって、余裕というものが生まれない。女性が上だと、なにかの拍子にふっと、休止符をはさむことができる。ごまかしやすい、ということもつけ加えておく必要があるね。これはあからさまな性行為の描写だ、けしからん、などとつまらないことを言うのを仕事にしてる人たちがいてね。上になってる西本くんだけを撮れば、性行為の場面ではあっても、問答無用の描写をしてるわけではないから、なに言ってるんですか、あの場面をよく見てくださいよ、女優がひとり写ってるだけじゃないですか、ひとりでなにをしてると言うんですか、自分の助平を他人にあてはめないでくださいよ、と言えるからね。男をほんの一部分にせよまったく画面に出さず、もちろん台詞なしで、女性のほうもふとなにか言うことがあっても、ひとり言をつぶやいてるような言いかたにすれば、ひとりだけの場面だからね、画面としては」
 このときの対談では、西本美佐子がこの監督の演出で演じた女上位の場面のうち、もっとも語り継がれている場面について、監督自身が詳細に語った。語るきっかけはナット・キング・コールだった。
「あの場面では、主演女優のすぐ背後の、壁に寄せた本棚にラジオがあり、そのラジオから番組が聞こえ続けますよね。音楽紹介番組とでも言うのでしょうか、中年の男性がDJの役を務めながら、ナット・キング・コールの演奏や歌を、一曲ずつ聞かせていきますね。あの番組での、まずナット・キング・コールですけれど、あれは監督ご自身の好みなのではないのですか。監督自らDJ役で声の出演をなさってますが」
 以上のように質問した評論家に対して、草野三四郎は次のように答えた。
「場面の質について、いろいろと考えた結果だから、僕はもちろん直接に関係しているけれど、私生活のなかでナット・キング・コールを好いているとか、いつも聴いてるのをそのままあそこで使ったとか、そういうことではないんだね。男の台詞はなし、西本くんもときどきひと言ふた言つぶやくだけだから、なにか音が欲しい。開いてある窓から、あのアパートがある庶民の街の音がいろいろ聞こえてきてもいいのだけど、それだけではいまひとつ面白くない。さて、どうしたものかと、思案が始まるわけだよ」
「あの部屋はロケだったそうですね」
「スタッフのひとりが実際に住んでた部屋なんだ。木造アパートの、二階の部屋。部屋の外に板張りのスペースがあって、カメラの位置は楽にとれた。据えたままの位置で、すべてを撮った。おあつらえ向きの、じつにいい部屋だった」
「下になってる男性は確かに画面に出ませんから、西本美佐子ひとりだけの場面ですね。あのとき西本美佐子の下にいたのは監督だった、という説がありますが」
「きみのような人が創作して言いふらしてる説だよ。僕はカメラのわきにいて、尖りきった神経だけになってたよ。助監督が下になってたという説もあるね。あお向けだと勃起して困るから、うつ伏せで頑張ったという説」
「ありますね」
「それもきみが作った説だろう」
「初夏のきれいに晴れた日で、すがすがしい空気の感触や空の青さなど、素晴らしいものでした。彼女のすぐ左に開いた窓があり、その窓から見える光景が、これまた絶品でした。あの時代、という雰囲気が作為ではなしに濃厚にありましたし」
「畳から低い位置に窓があって。上になってる西本くんの、ちょうど腰の上あたりから、窓の外が見える。平屋建ての庶民の家がびっしりとあって、すぐ近くの銭湯では煙突の補修工事がおこなわれてた。まったくの偶然なのだけど、あれはよかったね。煙突の周囲に丸太で足場が組んであって、職人たちが働いている。そんなに高くはない煙突で、職人たちの動きが、西本くんの動きとシンクロしてて、あの場面は確かに良くできてる」
 この場面での西本美佐子は、袖のごく短い白い半袖のシャツを、裸の体に身につけていた。前のボタンがひとつだけ、かけてあった。広い肩、厚い胸板、逞しく美しい腕、発達した大胸筋、そしてそれと分かちがたくひとつになっている、明らかに小ぶりな、しかしかたちのいい乳房。髪をゆるやかにうしろへまとめ、花柄の大判のハンカチで束ねていた。
 このハンカチは効果的に使ってあった。性行為の場面になるひとつ前に、このハンカチで髪をうしろに束ねる美佐子の描写があった。性行為のあいだ、このハンカチがアップになるときがあったし、部屋の隅で首を振りながらまわっている扇風機の風を受け、白いシャツの肩先で優しく揺れる描写もあった。行為の終わったあと、窓の前に横ずわりしている美佐子のショットがあった。このとき彼女は髪からハンカチをほどき、手に持っていた。窓の外のどこかへ視線をのばしつつ、頭の左側から頭頂を越えて右側へまわした手で、彼女は頭の右側の髪をうしろへ撫でつけた。右手のハンカチが、頬の上から耳にかけて、左手を追った。花柄のハンカチのこうした使いかたについて質問された草野三四郎は、
「場面を支えて進展させていく論理というものがあって、その論理の整合ぶりを視覚的に見せる工夫のひとつが、たとえばこのハンカチだね」
 と答えた。
「まず台詞というものから考えるとすると、台詞の内容に正しく対応したアクションがあるわけさ。台詞が悲しい状況を伝えてれば、アクションも悲しさを表現しなくちゃいけない。台詞がない場合は、アクションだけで、ことの成りゆきだけではなく、それに添って喚起された感情も、表現しなくてはいけない。このハンカチの場合は、西本くんが演じた女性が、アパートの二階での昼間の性行為を、どのように我が身に引き受けているかを、表現している。整合した論理の、すんなりとした一連の流れが、ハンカチの使いかたや、その描写のなかにあるんだね。もう一度よく見てごらん、そのとおりになってるから」
 この性行為の場面で流れたナット・キング・コールの歌と演奏について、対談のなかで評論家はさらに質問した。
「上になっている彼女の背後にある、本棚のラジオから聞こえている、という設定ですよね」
「午後の二時、三時という時間だよね、あの場面の時間は。アナウンサー調ではつまらないだろうし、若い女性というのも場違いかなと思って、自分でやることにしたんだ。地味な音楽評論家がラジオに出て、レコードをかけながら喋ってる、という設定さ。ナグラで録音して、撮影の現場であの本棚のラジオのスピーカーから、実際に音を出したんだよ」
「場面にぴったりでしたね」
「そうかね。もしそうであれば、考えた結果は成功だった、ということだろう。かなり迷ったんだよ。日本の流行歌では芸がないし、クラシックでもない、ムード音楽でたとえばマントヴァーニなんかだと、また少しはずれるでしょう。からっと晴れた昼間だからね。二階の窓から外が見えてて。もう夏だよ。民謡ではないし、あちら渡来のヒット・パレードふうのものかな、と思ったその先にジャズがあって、軽い感じのジャズ・ピアノ、そしてやはり軽いタッチの歌、しかも男の声、というあたりまで絞り込まれてさ。スタッフにジャズの好きな男がいて、いろいろレコードを聞かせてくれたんだ。そのなかにナット・キング・コールがあって、これだ、というわけさ。名前は知ってる人が多いし、歌声を聴けばなじみはあると言っていい。とはいえ、『モナリザ』や『カチート』みたいなよく知られたヒット曲は、一定のイメージがありすぎるし、歌声が持っている温度や湿度が、場面に合わない。場面に合うのを選んだら、あんなふうになったのさ」
 性行為の場面は本棚のアップから始まっていた。本にはさまれてラジオがあり、ナット・キング・コールがピアノを弾いているトリオの演奏で、『ハニーサックル・ローズ』が聞こえている。その曲が終わると、監督が自らおこなった語りの部分となる。ナット・キング・コールは歌手そのものだと思っている人が多いけれど、本来はジャズ・ピアノの人で歌はおまけみたいなものです、そう思って聴くと味わいはかえって深まります、というような内容の語りだ。
『スイート・ロレーン』の歌がかかり、それが終わって語りとなり、続く歌は『スコッチング・ウィズ・ザ・ソーダ』だった。それが終わってひとくさり語りがあり、『ヒット・ザ・ランプ』という曲がピアノ・トリオで演奏された。そのあと、短い語りに続いて、『スロー・ダウン』という歌になり、この歌の途中で性行為そのものの場面は終わった。
「では本番という段になって、西本くんが僕に訊くんだよ。私はいくのですか、とね」
 と、草野三四郎は評論家に語った。
「いってもいかなくてもいいけれど、下にいる相手の男はいかせてくれ、と僕は答えたよ。男がいったことをあらわすアクションとして、それまではまっすぐに起こしていた上体を、男の体に伏せてくれ、と僕は注文した。伏せるとフレーム・アウトなんだ。体を起こしていたあいだずっと、西本くんは表情をほとんど変えなかった。しかし男に向けて体を伏せる寸前、いまの自分の相手に対する愛しさの感情が、あのきれいな顔をさっと横切った。あれは見事だった。あれができるのが、西本くんなんだよ」
『女優たちの証言』という本のなかに、この監督、草野三四郎について西本美佐子が語ったことが、収録されている。八人の女優たちが、自分のかかわった映画をめぐって、これだけは言い残しておきたいと思うことを、インタヴューアーが引き出して語らせ、証言集のようにまとめた本だ。
「二十三歳でニュー・フェイスになって以来、びっしりと映画の仕事だけをしてきましたでしょう。だから映画をめぐる自分の体験は、それこそ山のようにあるのね。いつか話をする機会があれば、あるいは随筆のような文章を頼んでくださるかたがいらしたら、まず喋るか書いておきたいと思ってきた出来事があって、それから話を初めてよろしいかしら。映画にとっては、じつになんでもない、ごくあたりまえのことなのでしょうけれど、私にとってはひときわ印象が深くて、まず忘れることはないでしょうね、一生」
「ぜひその話を聞かせてください」
「さきほど話に出てたあの作品なのよ、じつは。確か決定稿だったと思うけど、シナリオをいただいて、自宅でひとり読んだのよ。冒頭の文章をいまでもそのとおりに覚えてるのよ。なんの変哲もない住宅地のなか。坂道がある。降りていく。民家、生け垣、電柱など。降りきると用水路のような川。幅は五メートルほどか。橋がある。そのたもとに赤い花。夏の光、正午前。こういう文章なの。ファースト・シーンね。この文章を読んだとたんに、私の頭に閃いたのよ。自宅のすぐそば、歩いて二分とかからないところに、この文章そっくりそのままの場所があるの。そのことが閃いたのよ。あまりにもそっくりだし、ロケするならここしかないわと思ったら妙に興奮してきて、シナリオを持って私は自宅を出てその坂道へいってみたの。何度読んでも、どう照らし合わせても、シナリオに書いてあるのはまさにその場所なのよ。季節も夏で、夏の光が周囲いちめんに当たっていて、生け垣があって電柱があり、なんと言っても驚いたのは、橋のたもとに赤い花が咲いてたことなの。夾竹桃が咲いてるの。ひとりでその場所を歩きまわっているうちに、どんどん興奮してきて、これはもう誰かに伝えないとおさまりがつかないと思って、近くの煙草屋から会社に電話をかけましたの。草野監督がたまたま用事で会社にいらしてて、電話で話をすることができたの。きみがそれほどまでに言うなら、僕はこれからそこへその場所を見にいくよ、と監督はおっしゃって。会社の車で、すぐにいらしたの。びっくりするほど早かったわ。いまから二十年以上前ですから、東京の道路はまだ空いてたのね。私の自宅に車が着いて、すぐに監督を案内したの。冷静に子細に観察なさって、西本くん、きみの言うとおりだ、ファースト・シーンはここだよ、とおっしゃったの。私はますます興奮して、坂道のまんなかで監督に抱きついたりして、大変だったの。そしてそこからもっと大変になったのよ。明日さっそくここで撮る、とおっしゃるのですもの。私の自宅へ帰って、そこから電話でロケの手配。必要なスタッフと機材が夜までには集まって、坂の上のお寺の前の道に、トラックその他、ずらっとならんだの。歩いて五分のところに私鉄の駅があり、駅前に旅館があったの。だから監督さん以下、みんなそこに泊まって。登場する役者は私ひとりで、衣装は自前でいくことにして、監督とふたりで着物を選んだのよ。スクリプターの女性は私の家に泊まって、次の日は快晴、早朝から撮影の準備なの。カメラの位置がきまって、用意は整って、西本くん、歩いてみて、という段階になって、助監督がどこかへ走っていくのよ。近くの小学校の前にあった文房具の店へいって、墨汁をありったけ買ってきたのね。それをみんなバケツに空けて水でほどよく薄め、じょうろに入れて坂道に撒いたのよ。どこから手に入れてきたのか、いまでも私にはわかりませんけれど、じょうろは五つ六つあったわ。手分けして坂道に撒いて、坂道の様相があっと言うまに一変したの、これには心底驚いたわ。映画屋さんの魔術なのね。坂道はアスファルト舗装で、ほどよくでこぼこしてたり波を打ってたりして、いい雰囲気なのよ。しかしアスファルトの色が淡くて、しまりのない灰色なの。あとで監督から聞いた話なのよ、自分ではそんなことにまで気はまわらないわ。薄めた墨汁をじょうろで撒いたおかげで、アスファルト舗装の坂道は、深く引き締まった、素敵な黒い色になったの。タイトル・バックやクレディットのあいだもその坂道が映っていて、クレディットが終わると、画面の左から私の右肩が入って、そのまま私は坂道を降りていくの。橋のまんなかでふと立ちどまり、肩ごしに振り返り、それからまたおなじ調子で歩いて、画面の上からフレーム・アウト。私が画面のなかにいる時間は三十秒ないはずよ。でもラッシュを見せていただいたときには、興奮がぜんぶ戻ってきて、私は声をあげて泣いたの。坂道の黒い色に私の着物の色が完璧に映えて。虚実の皮膜、という言いかたがありますでしょう。演じている私も、あの坂道のあの場所も、現実に存在しているのよ。でも、いったん映画としてフィルムに撮影されると、すべてが現実には存在しないものになってしまって、それでいてなおかつ、スクリーンを見る人にとってはそれが目の前の現実で、あのときの私はほんとに虚実の皮膜のなかにいて、女優であることがあれほどうれしかったのは、あとにも先にもあのときだけなのよ。坂道のそばの自宅は、引き払うとか売るとか、いろんな話があったけれど、私にとっては絶対に忘れられない場所ですから、いまも自分のものなのよ。しばらく娘がひとりで住んでましたけれど、いまは私とおなじで、空き家なの」
 七時前に恵子は田島とともに自宅を出た。駅の近くに気のきいたフランス料理の店がある。田島が恵子を訪ねた日は、夕食はともにその店で食べるのが、彼らふたりにとって習慣のようになっていた。夜の住宅地の坂道を、恵子は田島と腕を組んで歩いた。
「十九、二十歳の頃のあなたは、母を写真に撮って、悩まなかったの?」
 恵子がそう言った。
「悩む?」
「ええ」
「悩むとは?」
「だから、ごく若い男性のひとりとして、成熟した美人女優の魅力に、自分を持てあますことはなかったの?」
 遠まわしに解説するような恵子の言いかたに、田島は笑った。
「魅力に惹かれることはほとんどいつもだったとしても、あの頃の僕に太刀打ちできるわけがないじゃないか」
「勝負にならない、ということなのかしら」
「当たり前だよ」
「いまなら、どう?」
 組んでいる腕を恵子は揺すった。
「いまでもおそれ多い」
「三十八歳にもなれば、相手にはなり得るでしょう。ちょうどいいかもしれないのよ」
「いまの僕が三十八歳であることは確かだけれど」
「メインテナンスはいいから、厳しい娘の目で見ても、四十代の後半と大差ないと思うわ、体は。もうじき還暦。いまみたいに、母と腕を組んで歩いてみてよ」
「写真集の件では、いずれ会わなくてはいけない」
「母とできてみたら? おなじく厳しい娘の目で見て、早くに未亡人になって以来、男はいないままでとおしたみたいよ」
「それがいちばん快適だったからさ」
「親密な関係のあったほうが、写真にとっても好ましいのではないかと、私は思うのよ」
「ひとつの意見として聞いておこう」
「聞くだけではなく、体験してみて。母とできてみたら、という私の意見を体験してみて」
 恵子は立ちどまった。そして次のように言った。
「夜の道を腕を組んで歩いて、ふと立ちどまり、腕をまわして静かに抱き寄せればいいのよ。練習しましょう。やってみて」
[#改丁]
[#ページの左右中央]


七月の水玉だった



[#改ページ]

 初夏の快晴の土曜日、あまりにも陽ざしが美しいので、風を体で受けとめたくなったヨシオは、自分の部屋から庭へ出た。部屋の外に小さな板の間があり、そこのドアから庭へ出入りすることができた。陽ざしも空気の感触も、部屋のなかで感じたとおりの素晴らしさだった。彼は庭を歩きまわった。
 敷地の東隣にヨシオの住んでいる家とよく似た造りの家があった。どちらも平屋建てで、ぜんたいの雰囲気だけではなく、ふとした細部まで、似たところがたくさんあった。接し合っているふたつの庭の、おそらくそこが境界線なのだろう、敷地の北の縁から南の縁まで、まっすぐに竹垣が作ってあった。これも竹細工のうちに入るのだろうか、人の肩あたりまでの高さの塀が、竹だけによって組まれていた。
 そしてその竹垣は手入れがまったくなされていず、いたるところで竹が抜け落ち、穴があいていた。左右いずれの方向にも自在に倒れ、それゆえに塀はまっすぐではなく、蛇行しているように見えた。地面へ完全に倒れ落ちている部分もあった。塀に沿って歩き、その傷み具合を見ていたヨシオは、
「ヨシオくん」
 と、不意に背後から男の声で呼ばれた。立ちどまった彼は振り返った。こちらへ向けて大きく傾いている竹垣の向こうに、隣家の主人が柔和な笑顔で立っていた。ヨシオの父親とおなじ世代の、高木という人だ。以前は何度か見かけたが、庭の向こうのこの家は、いまは空家だったのではなかったか、とヨシオは思った。
「またここに住むことになりました。よろしく」
 と、高木さんは言った。
「こちらこそ」
「この塀ですけれどね。先日もお父さんと話をしたのですよ。私のほうが長く空家にしていたせいで、塀はすっかり壊れてしまい、ご覧のとおりまるで役に立ってません。どうしたものかと話をしているうちに、庭に仕切りが必要かどうかということになりましてね。仕切りはいらないとお父さんがおっしゃって、私も賛成だから、いったんすべて取り払ってしまおう、という結論になったのですよ」
「そうでしたか」
「仕切りがなければ庭は広くなって、おたがいに気持ちがいいのではないか。僕はそう思います。取り払う作業をうちの息子にやらせます、とお父さんはおっしゃってた」
「僕のことですね」
「押しつけるわけではないし、催促してるのでもないけれど」
「僕がやりますよ」
「それはありがたい」
「さっそくとりかかります」
「手助けが必要なら呼んでください」
「僕ひとりで充分です」
「いまおいくつ?」
「高校の三年で十八歳です」
「ひとり息子さんだったよね」
 ひとり息子さん、という言いかたを初めて聞く、と思いながらヨシオはうなずいた。
「なにぶんよろしく」
「こちらこそ」
 幼い頃から変わっていないヨシオの気質のひとつは、やらなければならないなにごとかが目の前にあらわれたなら、そのことにすぐにとりかかって手早く終わらせてしまうという、常にはっきりした傾向だ。その気質のとおりに、ヨシオは竹垣を取り払う作業を、すぐに始めた。両親はともに外出して留守だった。彼らが帰宅したときには、庭を分けていた竹垣はすべて取り払われ、庭のまんなかに積み上げてあった。
 次の日、日曜日の午後にも、彼は少しだけ作業をした。残っていた竹を地面から抜き取り、塀があった部分を中心に、地面を平らにならした。かつてここに塀があったとは思えない、平らにきれいにつながったひとつの庭になった。
 敷地の南側は十メートルほどの高台になっていて、低い金網フェンスの外から下の道まで、石を積んだ壁になっていた。ヨシオの自宅は西の端にあり、この西側も坂道に接して斜めに高台だった。庭がひとつになった二軒の家の配置、そして脇道から玄関へのアプローチなど、よく似ていた。おなじ大工がおなじ時期に建てたものだろう、とヨシオは思っていた。庭がひとつになったせいで、二軒の家のおたがいに似た様子は、さらに強まった。
 月曜日の午後遅く、ヨシオが学校から帰ると、庭に積み上げておいた竹垣の残骸が、すべてきれいに消えていた。坂の下にある銭湯の主人が燃料の足しにと持っていってくれた、と母親が説明した。庭をヨシオは点検した。ひとつにつながった広さは新鮮で、気分は良かった。もう引っ越して来ている、と母親は言っていたが、高木さんの家に人のいる気配はなかった。
 庭の一件はこれですべて完全に落着し、したがってヨシオの念頭から庭は消えた。五月が終わって六月となり、きわめて梅雨らしい梅雨の雨が始まった。高木さんの家の、庭に面した濡れ縁に、赤い傘が立てかけてあるのを、ヨシオは一度だけ見た。高木さんとともに引っ越して来た妙齢の娘を、ヨシオの母親はよく話題にした。だがヨシオが彼女の姿を見かけることはなかった。あの赤い傘は彼女のものなのだろう、と彼は思った。そしてそのこともすぐに忘れた。
 ひときわ梅雨らしく雨の続いた週の土曜日、ヨシオは庭の水はけがふと気になった。だから午後すぐに、彼は部屋から庭に出た。直径の大きい黒いこうもり傘をさし、彼は庭を見て歩いた。水たまりはどこにもできていなかった。庭の南側の縁には、金網のフェンスに沿って排水溝があった。そこに流れ込む雨水は、ひとつにつながった庭の両端にある排水口から、高台の土中を土管で下の道まで下っていき、そこで道の縁にある排水溝へと流れていた。庭の排水に関して問題はない、とヨシオは判断した。
 人の気配を感じて彼は振り返った。赤い傘をさした若い女性がひとり、素足に下駄をはいて庭の中央に立っていた。彼女は微笑を彼に向けていた。彼女が立っている位置は、ヨシオの体感として、まさに庭のまんなかだった。あまりにも正しくまんなかなので、自分としては彼女の立っている位置まで引き寄せられていくほかない、と彼は感じた。だから彼は彼女に向けて歩き、自分がさしている大きなこうもり傘の半径を彼女までの距離として、そこに立ちどまった。
「ヨシオくんとおっしゃるの?」
 きれいな声だった。彼女は自分がこれまでに見た最高の美人ではないかと思いつつ、
「そうです」
 と、彼は返事をした。
「私は扶美子といいます」
 という彼女の言葉に重なるかのように、
「娘です」
 と、男性の声が言った。自宅の濡れ縁のすぐ内側に立っている、高木さんだった。
「娘です。ひとつよろしく」
 笑顔で高木さんはそう言い、
「庭を広くしてくれて、ありがとう」
 と、つけ加えた。そして座敷の奥のなにごとかに反応し、立っていた場所を離れた。
「僕は片仮名で書くヨシオなのです」
 ヨシオがそう言い、扶美子は微笑を深めた。扶美子という名前をどう書くのか、彼女は説明した。
「大きな傘なのね」
 芙美子が静かに言った。自分がさしている赤い傘をすぼめた彼女は、ヨシオの傘の下に入った。ふたりは肩をならべた。ごく軽く、肩が触れ合った。自分と彼女の目の高さがおなじであることを、ヨシオは雨のなかで受けとめた。
「排水の様子を点検していたのです」
 ヨシオが言った。そしてふたりで庭をひとまわりした。自分の部屋の前で立ちどまり、
「ここが僕の部屋です」
 と言った。
「遊びに来てもいい?」
 という言葉に続けて、彼女は次のように言った。
「今夜はお夕食をこちらでお呼ばれなのよ。ご存じだった?」
 彼は母親からなにも聞いていなかった。だから首を振った。
「では、そのときにまた」
 閉じたときとおなじように静かに、扶美子は赤い傘を開いた。そしてヨシオのこうもり傘を出て自分の傘の下に移り、微笑して歩み去った。そのうしろ姿をヨシオは見守った。平凡な長袖のシャツにスカート、そして素足に女物の下駄を履いていた。各部の均衡の美しい骨格から自然に生まれる、彼女のきれいな歩きかたを、ヨシオは雨のなかにたどった。肩幅の充分な広さと、ふくらはぎのかたちの完璧さが、ヨシオが受けた高木扶美子の印象の、仕上げをした。
 扶美子はいま二十歳で、ヨシオよりふたつだけ年上だった。神戸で高校を卒業したのち、会計の学校へ一年かよって勉強をした。その勉強はさらに一年続く。それを彼女は東京で継続させる。継続はすでに始まっていた。ヨシオが小学校に入る前、半年ほど、扶美子は父親とふたりで、東京のこの家に住んだことがあった。幼いヨシオのことを覚えている、と彼女は言った。彼女の父親は東京の人だ。
 ヨシオの母親は扶美子をたいへんに好いた。彼女のすべてを無条件で認めて高く評価する、というような好きかただった。扶美ちゃん、扶美ちゃんとまるで自分の娘のようであり、その延長線上の出来事として、扶美子はヨシオにとって突然にあらわれた姉のような存在となった。
 会計の学校がある日は毎日のように、ただいまと言ってヨシオの自宅のほうへ、扶美子は帰って来た。下北沢ですませて来た買い物をヨシオの母親とふたりで検討し、多くの場合に扶美子が、夕食を作った。手ぎわのいい女性で、さきほど台所に立ったのにとヨシオが思う間もなく、やや薄味の小粋な料理がいくつも、食卓にならぶのだった。その味つけをヨシオの両親はことのほか好んだ。扶美子の父親もよく来ていた。ヨシオの父親を相手に酒を飲みながら話をしていた。
 庭をふたつに分けていた竹垣を取り払ったあと、ヨシオの仕事として母親があたえたのは、庭に物干場を作ることだった。ヨシオの家には物干場がすでにあったが不完全なものであり、以前から母親は不満をもらしていた。その物干場を撤去し、庭のまんなかにひとつ物干場を作ってちょうだい、と母親はヨシオに命じた。高木家と共同で使うから庭のまんなかなのだ、と彼女は言った。
 物干場と言っても、何本かの物干し竿を渡す左右の支柱を、所定の位置にぐらつかないように立てればいいだけだ。支柱のための細めの丸太を二本、材木屋で買って届けてもらった。濡れて重さのある洗濯物を満載した竿を、三本から四本、同時に支えてびくともしない横木を、支柱にどのように取りつけるかが、知恵のしぼりどころであり腕の見せどころでもあった。工作のもっとも簡単な、そして構造的にもっとも強い方法で、ヨシオは切り抜けた。庭のまんなかに穴をふたつ掘り、コンクリートの破片をいくつも使って、穴のなか深くに支柱を固定し、土をかけて突き固めた。ぐらつきはなかったが、垂直な一本に対して、もう一本がかすかに垂直をはずれていた。
 洗濯物のかごを置く台がぜひとも必要だ、という注文が母親から出た。簡単な構造の金属製の折り畳み椅子を、ヨシオは物置のなかに見つけた。それを物干場に置くと、ちょうどいい高さだった。たまたまあった白いペイントでぜんたいを塗ってみた。洗濯物と調和する雰囲気となった。
 初夏から梅雨をへて夏、そしてその夏が終わるまで、自宅にいるときの扶美子は、ほとんどいつもショート・パンツ姿だった。股下のごく短い、ぴったりしたショート・パンツだ。カーキー色とオリーヴ色、それに黒と白とが、規則的と言っていい周期で交互した。このショート・パンツに上半身は半袖ないしは袖なしのシャツだ。
 扶美子が洗濯も規則的におこなっている事実を、ヨシオはほどなく知った。規則性を正しく記憶するヨシオではないのだが、部屋の窓からふと外を見ると、ショート・パンツにハイヒール・サンダルの扶美子が、洗濯物を干している光景を目にすることが多かった。扶美子の脚の美しさを自分はどう受けとめればいいのか、ヨシオはひとりで何度も、解答を得ようと試みた。見ることを目的とはしない、という一線を画するならば、ふと目にとまったとき、ごく無理のないほんの数秒間、なにげなく見るほかに、彼女の脚を見る方法はなかった。
 物干場へ洗濯物を持って来た彼女が、洗濯物を竿に干す前に、ショート・パンツの裾を折っているのを、彼は部屋の窓から一度だけ見ることができた。白い太腿からつま先まで、すべてがあらわな脚の片方を軽く持ち上げ、ショート・パンツの裾をまくっている彼女の姿を、斜めうしろから彼は見た。しばらくあとで、息のつまる思いのようなものを、彼は体の内部に強く感じた。
 台所で料理しているとき、そしてそのあとの夕食の席では、扶美子はスカートに着替えていた。学校へかよう時間がヨシオとおなじ日があった。駅までふたりで歩き、改札を入ってから上りと下りとに別れた。空いている下りの電車の席にひとりですわり、母親が夫を相手に扶美子を褒めるときの言葉を、ヨシオは思い出したりした。
「あの気だての良さは、どこからくるものなのかしら。遺伝かしら、それとも自分で作ってきたものなのかしら。頭の良さは一を聞いて十も二十も知るのだから、勘の鋭さも手伝って、話の早さったら小気味がいいほどよ。それなりに苦労してるせいでしょう、人の気持ちをはずさないわねえ。若いのに目標をきちんと持って、ぴたっと狙いを定めて勉強してて、ほんとに感心。余計なものをまといつけない性格だから、頭のなかも身辺もすっきりしてて、あれだけの器量良しなのに、化粧や服にはさほど興味を示さなくて、もったいないこと」
 というような言いかたを、ヨシオの母親はしていた。
「いま私にいちばん興味があるのは、欠点と呼べるようなところが、果してあるのかどうか、ということなのよ。欠点があるなら、それはどこに、どんなあらわれかたをするのか、私は知りたくって」
「気の強いこだろう」
 と、父親は言っていた。
「いい女は誰だって気丈ですよ」
「きみのように」
「ずいぶん柔らかくしてるつもりですけどねえ」
「うちの娘みたいだなあ。そんな気のするときが、よくある」
「ここで夕食を作って食べるのは、お父さんの帰りが遅いこともあるんですけど、うちに電気冷蔵庫があるからなのよ。高木さんのとこでは、まだ買ってないんですって」
「そうなのか。では、電気が弱みだ」
「なにを言ってるんですか。それよりも、カラー・テレビは、どうしましょう。買いますか。秋から放送開始ですって。色のついてる画面の放送」
「きみにまかせる」
「どうしようかなんて考えるのは嫌ですから、買いますよ」
「それもいいだろう」
 一九六〇年の夏はやがて終わった。高校の三年生であるヨシオの身辺では、秋の新学期とともに、大学受験の話題が少しずつ多くなっていった。そのような話題は自分にとってはいっこうに切実ではない、という態度のヨシオだから、夏が終わって秋になっても、それまでとおなじく、とりたてて変化などない、平凡な日が連続した。変化と言えば、隣の家と庭がひとつにつながって広くなり、そこに扶美子があらわれたことだけだった。夏のあいだ、庭には夏草が盛大に生えた。ヨシオが刈るはじから生えていき、秋が深まるまでその勢いは衰えなかった。
 扶美子はヨシオの母親に説得され、着物のモデルを務めることを、なかば仕事として引き受けるようになった。ヨシオの母親は着物の着付け教室で教えていて、その教室は着物を販売する窓口としても機能していた。若い女性のあいだに着物が売れなくなりつつある、という話をヨシオは以前から聞かされていた。
「売れない物は売れなくてもいいけれど、扶美子が着物を着た姿を、私は人に見せたいのよ。ただそれだけ」
 と、父親を相手に話をしているのを、ヨシオは聞いた。
「着物の体をしてないだろう」
 と言う夫に、
「そんなことは、どうでもいいんですよ。私が着せてみせます。着物の似合う女にしてみせます」
「美人であることは間違いない」
「私の娘だと思ってる人がたくさんいて、お母さんに似てたいへんな器量良し、と言ってくださったかたが、すでに四人もいますから」
「それはたいへんだ」
「立ち姿はじつに立派よ。惚れ惚れします」
「新しい時代の人なんだね」
「私はもう古いですか」
「そうは言っていない。きみのことではなく、扶美子のことをいまは話題にしている」
「確かに、着物には慣れてないのよ。一度も着たことがないのですって」
「教えればいいことだ」
「教えますとも。まずモデルになってもらって」
 モデルとは着付け教室のモデルだ。新作の発表会でもモデルを務める。発表会には規模の大小がさまざまにあり、規模の大きなもののときには、舞台の自分を見る人たちの視線に対して、ファッション・モデルのような覚悟を持たなくてはいけなかった。地方都市での発表会もあった。ヨシオが小学生の頃には、母親がモデルをしていた。
「はにかんだり、ものおじしたりする女ではないね」
「それはそうですよ。ものおじして、なにになりますか、こんな時代に」
「せいぜい鍛えてくれ」
 秋の雨の夜、ヨシオがひとりで部屋にいると、部屋の外にある板の間のドアに、ノックのような音が聞こえた。外からそのドアを軽く叩いている音だった。ヨシオはそこへいってみた。赤い傘をさして扶美子が雨のなかにいた。ヨシオはドアを開いた。
「遊びに来たわ」
 と、扶美子は言った。
 この庭のまんなかで初めて会った初夏の雨の日、ここが自分の部屋だと言ったヨシオに、
「遊びに来てもいい?」
 と、彼女は言った。
 彼女はヨシオの家へいつも来ていた。庭から彼の部屋へ、扶美子が直接に来るのは、いまが初めてだった。
 扶美子は浴衣を着ていた。傘をすぼめて立てかけ、沓脱ぎの石に上がり、持っていた新しい雑巾を板の間の端に置き、下駄を脱いだ素足でその上に立った。夜のなかに満ちている雨の音と匂いから、扶美子という女性がかたちになって自分の前にあらわれた、とヨシオは感じた。
 ヨシオは彼女を部屋に招き入れた。彼女が着ている浴衣とその柄は、彼女にとって、近よりがたく端正である、という種類の似合いかたをしていた。その様子を受けとめながら、彼女がくっきりと化粧していることに、ヨシオは気づいた。彼女にしては珍しいことだった。浴衣の柄に負けないためだろう、と彼は判断した。母親からの影響で、まだ高校生の彼だが、そのようなことに多少の勘は働いた。ヨシオの両親は秋の旅行で昨日から留守だった。
「旅先も雨かと心配したのよ。晴れてるのですって。良かったわ」
 部屋の隅にあった小さな椅子に、扶美子はすわった。
「父は出張なの。今度は北海道ですって」
 彼女の父親の高木さんは、仕事で頻繁に出張していた。
 ヨシオの勉強机の端に、電気スタンドが灯っていた。机には本が開いてあった。鉛筆が何本か見えた。
「勉強してたの?」
 扶美子が言った。
「いいえ」
 というヨシオの返答に、彼女は笑った。
「大学へいくことにきめてあるのですってね」
「そうです」
「入学試験があるのよ」
「知ってます」
 このあたりならまず合格するはず、と担任が言っている大学を、ヨシオは受験するつもりでいた。
「得意な科目は、なになの?」
「これと言って」
「これと言って、どうなの?」
「ありません」
「勉強は好きなのかしら」
「好きともなんとも言えません」
「数学は?」
「ついていくのがやっとです」
「英語は?」
「右におなじです」
「困ったわねえ」
 と言った扶美子は、椅子から腰を浮かせた。上体をひねり、小さな椅子を見下ろした。その扶美子をヨシオは見た。
「この椅子」
 と、彼女は言った。
「これは小学校の椅子でしょう」
「そうです」
「すわっているときに椅子から腰に受ける感触を、私の体が思い出したのよ。小学生のときに、学校ですわってた椅子の感触だわ」
「小学校を卒業するときに、もらった椅子なのです」
「卒業記念なの?」
 扶美子はその椅子にすわりなおした。
「そんなふうに言うこともできますね」
「あなたが、個人的に、もらったのね」
「僕がすわっていた椅子をください、と担任の先生に言ったら、くれたのです。持って帰っていい、と先生が言ったので、僕は持って帰りました。卒業式の日のことです」
「面白い話だわ。すわってると、勉強したくなってくるのよ」
「どうぞ」
 扶美子はまた笑った。
「得意な科目がなくて、勉強が好きか嫌いかもまだわからないのは、いいことかもしれないのよ。平均してまんべんなくできる、ということではないかしら」
 扶美子のそのような言葉に、
「それは理想です」
 と、ヨシオは答えた。
「現実ではないのね」
「そうです」
「とは言え、入試のためには、勉強しなくてはいけなくってよ」
「します」
「もう始めないと」
「気持ちの上では始めてます」
「どの大学へいくの?」
「試験に合格したところです」
「大学でなにを勉強するつもり?」
「これと言って、なにも、まだ」
「大学生として過ごす四年間、というものをあなたは手に入れるのよ。それがあとになって、あなたにとってとても大事だったとわかれば、大学へいった価値は充分すぎるほどにあるのね」
 扶美子の言葉を受けとめて、ヨシオはかなり驚いた。つい二、三日前、担任の先生から聞かされたのと、まったくおなじ内容だったからだ。担任は常に浅黒く陽焼けした、小柄で声の大きい女性で、体育を教えている。ふたりの女性から、自分はおなじ内容の言葉を受けとめた、とヨシオは思った。担任の先生を思い浮かべながら、彼は扶美子を見た。
 そしてその瞬間、自分の全身をひとつの直感が走り抜けるのを、彼は感じた。浴衣の下に扶美子はなにひとつ身につけてはいない、したがって浴衣のすぐ内側の彼女は、いま完全に裸なのだ、という直感だった。確かな根拠はなにひとつないが、このような種類の直感に根拠は不要であり無縁でもあった。
 広げた一枚の浴衣がどのようなものであるか、ヨシオはよく知っていた。あのような単純な布をまとったいまの扶美子は、その布の内側で完璧な裸なのだ。肌というものに芳(かぐわ)しく包まれた、ひとりの若く美しい女性の体の存在。そして、一枚の浴衣という様式。その様式に自らをくるんで、扶美子は小学校の椅子にすわっている。
 女性が裸の上に浴衣だけを身につけるのは、特別なことでもなんでもない。驚く必要はなにもないのだが、浴衣の内側で扶美子は裸なのだと気づいた自分を、どうすればいいのか。どうすればいいのか見当すらつかない状態を、居心地の悪さをきわめたような不安定な状態として、いまのヨシオは意識した。
 扶美子があらわれて以来、じつは自分はずっと不安定だったのではないか。この女性とともにいて、自分が居心地良く安定することが、あり得るのかどうか。もしあり得るとしたら、それはいつとも知れぬ、ひどく遠い先のことなのではないか。そう思うとヨシオは少しだけ安心することができた。
「今年の浴衣はこれで最後だわ」
 扶美子が言った。
「お母さんに買っていただいたのよ」
 椅子から立ち上がった彼女は、浴衣姿の自分をヨシオに見せた。彼女としてはただそれだけの行為なのだが、ヨシオにとっては扶美子の裸体が目の前に提示されたのとおなじだった。
「肌寒くはありませんか」
 彼が言った。
「いい気持ちよ」
 ヨシオの母親のことを、扶美子はいつもはお母さまと言っている。しかし自分とふたりだけの場面では、お母さんと呼んでいることに、ヨシオは気づいていた。使い分けの基準があり、彼女はそれを守っている。お母さまという言いかたは、親しさのなかで守るべき礼儀のようなものだ。そして、お母さんという言いかたは、扶美子が感じている自分との距離の近さの表現なのではないか、とヨシオは思っていた。
 扶美子は窓へ歩いた。外にある雨の夜のなかへ視線をのばした。
「今月にもう一度、着物の発表会があるのよ。私はモデルを務めることになってるから、お母さんの期待にこたえなくてはいけないわ」
「着物には慣れましたか」
「自分で着ることができるようになったのよ。さっきまで練習してたの」
 その練習を終わったあと、すべてを脱いだ裸の体にこの浴衣を身につけた扶美子は、濡れ縁から庭に出て下駄を履き傘をさし、雨の降る夜の庭を歩いて、自分の部屋へ来た。そのことを思うヨシオに、窓辺から扶美子は振り返った。
「私はもう帰るわ」
 そう言って扶美子は微笑した。二十歳という若さとあいまって、扶美子の整いすぎた美貌には、ほとんどいつも硬さの印象が強くある。いまのような微笑は、その硬さのなかにのみこまれ、少なくともヨシオには意味がまるで計れない。
「私の家まで、いっしょに来て」
 この言葉の意味はさらにつかめない。つかめないまま、ヨシオはうなずいた。
「お庭に明かりをつける相談を、父としたの」
 板の間へと出ていきながら、扶美子は言った。
「私の家のお庭に面したどこかに、雨に濡れてもだいじょうぶなように、カヴァーのついた蛍光灯を取りつけて庭を照らすようにしておけば、必要なときに灯けられるでしょう。暗くて怖い、ということはなくなるわ」
 そうか、そういう意味だったか、とヨシオは思った。雨の夜の暗い庭を、ひとりで歩くのが怖いのだ。
 板の間のドアを扶美子が開いた。腰をかがめて下駄を履き、沓脱ぎから下りて赤い傘を持ち、軒下に立った。ヨシオも下駄を履いた。そして大きなこうもり傘をさした。扶美子はその傘の下に入った。彼女が体を寄せると腕が触れ合った。そしてそのままの状態で、庭を横切っていった。傘の柄を持っているヨシオの手に、扶美子は自分の手を重ねた。
 扶美子は自分の家の濡れ縁に上がった。彼女の脱いだ下駄を手に取り、それをヨシオは彼女に差し出した。彼女は受け取った。
「雨戸は閉めたほうがいいですよ」
 ヨシオがそう言い、
「そうするわ」
 と、扶美子は答えた。
 秋はすぐに冬となった。ヨシオは入試のための勉強を始めた。そのためのクラスが臨時に編成された。過去十年間の日本各地の大学で、実際に入試に出題された問題を、科目別に徹底して数をこなすという、特訓のような指導がおこなわれた。
「現実にどんな問題が出題されてきたのか、なにが問われ、そこでなにが答えさせられているのか。日本全国における、このことの十年分の蓄積を体験してもらう。とっくにパターンができてるんだよ。だからそのパターンを知ってしまえばいい。入試なんて、おなじことの繰り返しなんだから。英語は特にそうだね。たとえば発音の問題に出てくる単語、という領域がはっきり決まっていて、約百語。ここから繰り返し出題されている。だからその百語を覚えてしまえばいい」
 と、先生は初日に語った。入試のための勉強を、ヨシオはそんなところから始めた。そしていったん始めてしまうと、彼はそれを持続させる。
 庭には明かりがついた。隣り合う二軒の家の、庭をはさんで斜めに向き合う両端に一基ずつ、壁に蛍光灯を取りつけた。必要なときにどちらかでも灯すなら、庭は充分に明るくなるのだった。夜中にヨシオはときどきその明かりを灯けてみた。見慣れた庭が夜のなかで明かりに照らし出されると、その光景は珍しさに満ちていたからだ。
 歳が暮れて正月が来て、その正月の扶美子は美しい着物の人だった。春先、まだ寒さの残る頃、大学の入学試験がおこなわれた。いくつか願書を提出したうちの、最初に試験のあった私立大学に、ヨシオは合格した。だからそこへいくことにきめ、残りもすべて受験し、どこにも合格した。マンモス大学と呼ばれている大学の、法学部の一年生として、四月からヨシオは通学を始めた。通学先が高校から大学に変わっただけであり、それ以外に彼の生活に変化はなかった。
 一年がめぐってふたたび初夏の季節が来た。扶美子はショート・パンツの人になった。ヨシオの目に映じる彼女の脚は、昨年よりもさらに美しさを深めていた。梅雨に入った。そして来週にも梅雨が明けるという日の夕食の席で、高木家の父とその娘は神戸へ帰ることが、初めて話題になった。
「手塩にかけた娘を手放す親の気持ちが、つくづくわかりましたよ。その思いで私はやせました。体のいちばん内側から、自分が削げていくみたいに。つらくて、つらくて」
 ヨシオの母親はそう言った。
「手放すわけではない。関係はこれまでとなんら変わらない」
 父親が言った。
「会計の学校は終わったの?」
 ヨシオが訊いた。父親はうなずき、母親が次のように説明した。
「お父さんの会計事務所の支所が神戸にあるのは知ってるわね。そもそもはそこが本社にあたるのだけど、扶美ちゃんはそこに勤めることになったのよ。仕事が増えて、新しい事務所ができて。そこに勤めるの。どの程度の能力なのかテストしてみたら、これがほんとに優秀なんですって。見習いなさい、ヨシオ。扶美ちゃんを見てると、なんだかうらやましい気持ちにすら、なってくるわね」
「数字を見たり書いたりしてるのが好きな女性はたまにいるけれど、あそこまで数字の読める人はめったにいない。どう成長するか、楽しみだよ」
「寂しくなるわ、どうしましょ、この私は」
「いずれ東京で仕事をする可能性だって、なくはないんだ」
「いずれの話でしょう、それは。明日、明後日と、きめてくださいよ」
 こういう言いかたは母親そのものであり、ヨシオはそのことにひとりで笑った。
「なにを笑うの」
「仕事の量にくらべて人手が足らないのは、東京の事務所のほうなんだから」
「引っ越しね。段取りは私がつけましょう」
「手伝ってあげてくれ。おまえも」
 と、父親はヨシオに言った。
「土地と家をどうすればいいか、高木さんから僕はいろいろと相談を受けた。ひとまずうちで預かることにした。おそらく、買い取ることになるだろう」
「隣だから、買えば敷地は広がりますね。そうなさい」
「高木さんとの相談が進んでいった方向は、うちに買ってもらいたい、という方向だった」
「はっきりそうおっしゃってくだされば、話は早いのに」
「ていねいに道筋をつけていく人だから」
「買いましょうよ。うちがまずそうきめて、早くに伝えてあげたら、高木さんもご安心でしょう」
「そのとおりだ」
 そう言った父親はヨシオに顔を向けた。
「いずれにせよまずうちで預かったのだから、管理をしなくてはいけない。空家にしておくのが、いちばん良くない。おまえ、住まないか」
 提案ではなく決定なのだ。そのことをよく知っているヨシオは、うなずいた。
「もう大学生だ。あの家が勉強部屋だと思って、充分に使ってくれ。住むことをとおして、管理してくれ。いまのおまえの部屋は、僕が使う。調べものに部屋がもうひとつ、必要になった」
「扶美ちゃんが引っ越して、そのあとへヨシオが移って」
 高木家で荷物をまとめる作業が何日か続いた。ヨシオも手伝った。彼の母親は、あらゆることの段取りに関して、手際が良かった。荷物のまとめと送り出しがかたづくと、高木さんだけが先にひとりで神戸へ戻った。それから一週間、扶美子はヨシオの家に居候した。母親が扶美子とひときわ親密に過ごした一週間だった。
 明日の月曜日は扶美子が神戸への汽車に乗るという快晴の日曜日、扶美子はいつもとなんら変わらない様子で、庭に洗濯物を干した。その姿をヨシオは部屋の窓から見た。隣の家へ移るための、荷物の整理を彼はひとりでおこなっていた。
 袖なしのシャツは淡いオレンジ色のギンガム・チェックだった。それにオリーヴ色のぴったりしたショート・パンツ。裾が折り返してあり、したがって股下はほとんどないという短さだった。夕方、洗濯物を取り込むときの彼女も、ヨシオは部屋から見た。
 それからしばらくして、ヨシオが部屋で荷物の整理を続けているところへ、扶美子があらわれた。シャツは半袖、そしてショート・パンツはスカートに、着替えていた。荷物がほとんど整理された状態の彼の部屋を、彼女は眺めた。
「ちょっとだけ、あちらのお家へ、私と来て」
 と、扶美子は言った。
 ふたりで庭へ出て、隣の家の濡れ縁まで歩いた。そして濡れ縁から家のなかに入った。家具もなにもない状態の、がらんとした間取りを、ふたりは見てまわった。
「あなたが住んでくださるのですってね。私の部屋がいちばん快適よ。ぜひそこを、あなたのお部屋にして」
 その部屋へふたりでいってみた。明るい部屋だった。
「ここでひとり静かにしてると、落ち着いて勉強ができるわ」
 ドアを入ったところの壁を背にして立ち、ヨシオは部屋を観察した。ふたつある窓と庭との関係は、自分の部屋を反対に向けたのと、ほぼおなじだった。西側の窓辺に立った扶美子は、
「東京と神戸だから、私たちはいつでも会えるよの。私はあなたのお父さまの事務所で仕事をするのだし。東京へ戻ってくるかもしれないわ。神戸から東京へ、出張だってあるでしょうし」
 扶美子はヨシオのいるところまで歩いて来た。彼の前に立ち、体を寄せて触れ合わせた。ヨシオはうしろへ下がった。背が壁に触れた。扶美子はなおも体を寄せた。彼女の体を、ヨシオは自分の体の前面で、受けとめることになった。
「私のことを忘れてはいけないのよ」
 自分がいま感じている扶美子の体の奥深い量感の内部から、ヨシオは彼女の言葉を受けとめた。
「忘れません」
「私のことを覚えてなければいけないのよ」
「覚えてます」
「ずっとよ」
「ずっとです」
「ずっと覚えてるためには、いますでに、覚えてることがなくてはいけないのよ」
 扶美子の美貌をヨシオは目の前に見ていた。これほどまでに彼女と接近するのは、ヨシオにとって初めての体験だった。
「覚えてます」
 と言うのが、いまのヨシオには、限度いっぱいのことだった。
「どんなことを覚えてるの?」
 右手で扶美子はヨシオの手を取った。そしてさらに彼へ体を寄せ、接し合う太腿のあいだへと、彼の手を導いた。扶美子は深く息を吸い込んだ。
「忘れたらいけないのよ」
「忘れません」
「なにひとつ、忘れたらいけないのよ」
「なにひとつ」
「約束なさい」
 接し合っている太腿を内側へと越えると、そこはおたがいの股間があるせまい空間だった。そこまで彼の手を引き込んだ扶美子は、自分の小指にヨシオの小指をからめさせた。腰を押しつけた股間で、ふたりは指切りをした。小指をつないだ手を扶美子はそこで優しく上下させ、ヨシオはひとたまりもなく勃起した。急速に発生したそれは、瞬時に完成しつくした。そのことを扶美子が察知していないということはけっしてあり得ない、と頭の奥の遠いところで思いつつ、
「忘れません」
 と、ヨシオは言った。
「約束よ」
「約束です」
「お正月には遊びに来るわ」
 扶美子はヨシオから体を離した。彼の手を取ったまま、彼女は部屋の外に出た。廊下を歩いて玄関までいき、そこで靴の収納棚のドアを開いた。ひとつの棚の脇に寄せて、扶美子の夏のハイヒール・サンダルが一足、ヒールを手前にして、揃えて置いてあった。
「東京へ来たときには履くから、これはここに置かせてね」
 鎮静させる術のない勃起を意識しながら、ヨシオはその華やいだ色のサンダルを見た。
「お母さんが間もなく帰ってらっしゃるわ。その前に私は、夕食の支度を始めたいの」
 ふたりは濡れ縁へ出た。ヨシオは濡れ縁の縁にすわった。下駄を履いて沓脱ぎを下りた扶美子は、庭を斜めに歩いていった。途中で立ちどまり、振り返った。微笑した彼女はヨシオに向けて片手をさしのべた。ヨシオは首を振った。
「もう一度、部屋を見てきます」
 彼はそう言い、扶美子は庭を歩ききり、玄関へとまわり込んで、姿は見えなくなった。
 梅雨が明けて始まった真夏の日に、両親といっしょにヨシオは扶美子を東京駅へ見送りにいった。扶美子が身辺から欠落したままの夏は、やがて峠を越えて盆となり、残暑が例年よりも長く尾を引きつつ、それもやがて終わった。
 扶美子が梅雨の途中までは使っていた部屋に、秋の日にひとりでいると、なにもない空間に宙吊りになっているような自分を、ヨシオは痛感した。やるべきことは日常のなかにたくさんあった。たとえば、高木家のこの家の、傷んだ部分の発見や点検、そして修理だ。予想していた以上にたくさんあり、しかも手がかかった。
 しかし自分自身にはなにもない。なにもない自分が、自分のなかで宙吊りだ。時間はある。そしてそれは経過していくだけだ。次の年には自分は二年生だ。そして三年生。四年生として過ごす年の次にあるのは卒業だ。級友たちが盛んに語り合っているように、自分もどこかの会社に就職するのだろうか。証券会社や銀行を早くも選んでいる級友たちは、いくら物を製造しても最後は金融の問題になるのだから、などと言っていた。
 ヨシオには遠いことだった。まったく切実ではなかった。彼にとってもっとも切実なのは、自分にはなにもないという、欠落の問題だった。扶美子がいない。思い出だけがある。もっとも新しいのは、東京駅で見送ったときの、扶美子の姿だ。とおりかかった人の誰もが振り返って見る美人ぶりは、いつものとおりだった。彼女は半袖のシャツを着ていた。輝くような白地に、淡いブルーの水玉だった。それに灰色のスカート、そして水玉とおなじ色のハイヒール・サンダル。
 いまの自分にあるのはその彼女の残像だけだ、とヨシオは思った。思えば思うほど、残像の成り立ちを、直視しなければならなかった。それは彼が生まれて初めて体験する、強烈な思慕の感情だった。そしてそれを支えているのが、抑えがたい強さの性欲であることを認めてしまうと、つらさはなぜか少しだけ緩和された。彼女が持っている、あの感触のすべて。それは彼女のものであり、自分のものではない。だから彼女がここにいなければ、自分には自分しかないのは、当然のことだ。
 秋の深まりつつある日、彼宛てに郵便が届いた。文芸的な内容の同人雑誌が一冊、なかに入っていた。おなじ高校からおなじ大学の文学部に入った、かつての級友からだった。彼が文芸のサークルに入っていることを、ヨシオは知っていた。四月から五月にかけて、学校で偶然に彼に会うと、そのサークルへの入会を勧められたことを、ヨシオは思い出した。
 同人雑誌のページを彼は繰ってみた。送ってくれた友人の書いた短編小説が掲載されていた。『水中化』というタイトルのその作品を、ヨシオは読んでみた。読み終えて持った最初の感想は、馬鹿野郎、へたくそめ、もっとうまく書け、というものだった。
 田舎から東京へ出て、下宿生活をしながら大学へかよっている青年がいる。大学一年生だ。夏休みとなる。彼は帰省する。信用金庫へいく用事を彼は母親から頼まれる。高校生の頃には、それは彼にとって、家の仕事の手伝いの一部分だった。東京で何度も思い出していたあの女性が、窓口のひとつ奥のいつもの席にいるのを、彼は確認する。
 少なくとも三歳くらいは年上の、静かに端正な雰囲気の、好ましい美人だ。カウンターからは彼女の横顔を見ることができる。白い半袖のシャツにカーキー色のスカート。この信用金庫の夏の制服だ。部屋のいちばん奥に黒い扇風機が立っていて、首を振りながら回転している。
 夏祭りの日には夜になると商店街に露天がたくさんならぶ。彼はそこを歩いてみる。水中花を売っている店で足をとめると、そこに信用金庫のあの女性もいる。制服のままで、シャツの左胸ポケットには、名札もつけたままだ。荻野、という名前は以前と変わっていない。彼女は水中花をひとつ買う。
 顔見知りらしい中年の女性も買う。これは生き物だから、ときどき水を換えてあげてね。水から出して乾いて何日たってからでも、また水につければ生き返るよ。大事にしてね。陽焼けの濃い年配の店主がそう言った。彼もひとつ買った。
 自宅へ帰った彼はガラス・コップに水を満たし、そのなかに水中花を入れる。花は美しく開く。自室の机の上に、水中花の開いたガラス・コップが、そのまま何日もあり続ける。彼は毎日それを見る。水から出して乾かしてみる。数日後に水のなかに戻す。花は以前とおなじように、美しく開く。
 この花をどうすればいいか、と彼は思う。夏が終わったら、このままここに置いていくのか。それとも東京へ持っていくのか。下宿の机の上にこれがあれば、これはどうしたのかと、友人たちが訊くだろう。田舎の夏祭りで買った、と自分は答えるのだろうか。
『水中花』という短編はこのような内容だった。年上の美しい女性への思いが主題だ、とヨシオは思った。水中花は彼女の象徴として機能している。もの静かに端正で美しく、あらゆる観点から見て好ましい女性であるがゆえに、どんな物語にも読めてしまうもどかしさが、主人公の青年と彼女とのあいだに、見えない壁として立ちふさがっている。
 そして、いつもおなじたたずまいの水中花に、彼は彼女を見る。水中花をどうすればいいのかわからないとは、あの女性を自分のものにしたい、という気持ちではないか。自分のものである彼女、というひとつの確かな物語のなかに彼女を固定したい、という願望ではないか。そのようなことを考えながら、読後に自分が持った最初の印象を、ヨシオは確認した。前方にある時間のなかへと、すべてを運んでいく力のたいそう弱い、したがって単なる失敗作であるという評価は、動かなかった。
 次の週のなかば、野村というその友人に、ヨシオは学校でばったり会った。喫茶店へ誘われるまま、入り組んだ路地のなかほどの、小さな喫茶店に入った。差し向かいにすわり、煮つめたような濃く苦いコーヒーを飲みながら、話をした。野村が同人雑誌に書いた短編を、ヨシオは話題にした。
「読んだよ。信用金庫の女性は素敵だね。目に浮かぶ。たまにいるんだよね、あのとおりの女性が」
 褒めたとも言いがたいひと言だが、野村はうれしそうな笑顔になった。
「水中花が彼女の化身のようになっている。その水中花はひとまず彼の手もとにあるけれども、彼はそれをどう扱っていいのかわからないままに、あのストーリーは終わっている」
「うん」
 と、野村は言った。
「現実のあの女性をなんとかしたいけれども、なにもできないし、どうしていいのかすら、主人公の彼にはわからない。そういったことすべてが、水中花に託してある」
「水中花はガラスの向こうだし、水のなかの存在でもあるんだ」
 という野村の言葉に、ヨシオは次のように言った。
「そして現実の彼女は、信用金庫のカウンターの奥の席にすわっている。水中花は彼の机の上にある。どちらもぴたっと静止している。小説とは、前方にある時間なんだよ。なんらかのかたちで、前方にある時間というものが、物語をつき動かさなくてはいけない」
「無理に動かしたくはないんだ」
「もっとうまく書け」
「どういう意味だ、それは」
「大学一年生のときに帰省して過ごしたひと夏、という時間が動いていない」
「彼は田舎でひと夏を過ごしている。時間の経過はそこにある。それで充分だ」
「背景としての時間は経過しているけれど、彼と彼女の時間は、まったく動いていない。これでは、どうにもなりようがないよ。彼は水中花を見てるだけの人になる。母親のお使いで信用金庫へいったとき、席にすわっている彼女の横顔を見るだけの人になる」
「いけないか」
「いけない」
「そこまで言えるのなら、きみもぜひ書くといい。会のメンバーにはならなくても、投稿はいつも歓迎している。次の発行に間に合うように書いてくれれば、掲載される」
「次はいつだい」
「十一月なかば」
「書くよ。『水中花』とほぼおなじ分量で」
「発行が十一月のなかばだから、作品は十月の第三週には欲しい。締切りまで、いまからひと月ないけれど」
「書くよ」
「三年生のメンバーに、実家が印刷屋さんの人がいる。このすぐ近くに工場がある。印刷はきれいなんだよ。無理も聞いてもらえるし」
 短編をひとつ書く約束をしてふたりは喫茶店を出た。出たところでヨシオは野村と別れた。午後にふたつあるはずの講義は、ふたつとも休講だった。だから今日は、これからの時間をどう使おうとも、それはヨシオの自由だった。構内を歩ききり、国鉄の駅までの十五分の道を、彼は歩いていった。
 今日から三週間ほどのあいだに、自分は短編小説をひとつ書く。生まれて初めての体験だ。書くよ、というひと言を野村に言った瞬間、自分があらゆるものから切り離され、完璧と言っていいほどのひとりだけ、という心理状態に彼はなった。爽快と表現していいその状態は、いまも続いていた。
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寝室には天窓を



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 梅雨が明けた日の夜、天井で回転する扇風機からの風を頭のうしろに受けながら、川島健一郎は車両のドアへ向かった。減速を終えた電車は停止した。ドアが開いた。会社の勤めから帰って来た、白い半袖のワイシャツにネクタイという姿の男たち数人といっしょに、川島はドアを出た。プラットフォームには、昼間の暑さとその匂いが、まだ残っていた。改札口は前方の端にある。そちらに向けて歩き始めた彼は、
「川島」
 と、背後から男の声で呼ばれた。
 知っている声だと思いながら、川島は振り返った。高校の三年間をとおして同級だった岡部孝雄が、いつものおだやかな笑顔で近づいて来た。川島は立ちどまった。車掌の笛の音に続いて、電車のドアが閉じた。改札に向けて歩く人たちを避け、川島は塀のかたわらへ移動した。そこで岡部と向き合って立った。各駅停車の電車は発車した。
「いま帰りか」
 岡部が訊いた。
「そうだよ」
「いつもこの時間なのか」
「今日は少し遅い」
「俺もだ」
「元気か」
「就職してから初めてだね」
 岡部孝雄は気持ちの動きのおだやかな優しい男だ。怒っている彼、苛立っている彼などを、川島はこれまで一度も見ていない。あわてている岡部すら、記憶のなかになかった。彼はいつも静かに落ち着いておだやかだ。
「これから何度も、いまみたいにおなじ電車のなかで、ばったり会うよ」
 川島の言葉に岡部は微笑した。プラットフォームの前方に視線を向け、それを自分の足もとまで戻し、顔を上げて川島を見た。
「そうもいかないだろう」
 と、岡部は言った。
「なぜ」
「転勤だよ。大阪へ移る。大阪が本社なんだ。転勤と言うよりも、入社三か月が経過して、配属が正式にきまった」
「大阪本社勤務か」
「そうだね」
「嫌なのか」
 川島の質問に岡部は首を振った。
「大阪には住んでみたい。楽しみにしている」
 ふたりは前方に向けて歩いた。プラットフォームに屋根のあるところまで歩くと、そこからは壁と一体の造りになって、ひとつにつながったベンチのような、木製の席があった。ふたりはそこにすわった。
「そうか、大阪か」
「どうなんだ、仕事は」
「たいへんに忙しい」
と、川島は答えた。
「忙しいとは、写真を撮り歩いて忙しい、ということなのか」
「単に仕事がたくさんあるという状態ではなく、エネルギーの消費が常軌を逸している印象が強い。エネルギーとは、人ひとりずつのエネルギーではなく、社会ぜんたいを動かしていく動力としてのエネルギー、という意味だ」
「同感だなあ。俺のとこもそうだ。会社ぜんたいが、わんわん言っている」
 ふたりともおなじ私立大学を卒業した。川島健一郎は写真学科をへて、新聞社の写真部に就職した。岡部は法学部なのだが、法律とはなんの関係もなく、大阪に本社のある会社に就職した。
「お前には知らせようと思っていた。三日後に東京を発つ」
「木曜日か」
「午後一時三分発の新幹線。初めて乗るよ」
 小さな駅のすぐ外に踏切があった。夜のなかに警報が鳴り始め、やがて上りの急行がふたりの目の前を通過していった。入れ違いのように下りの急行が通過した。
「見送りにいくよ」
 川島が言った。
「仕事があるだろう。無理するな」
「いくよ」
「午後一時三分、東京発大阪行き」
「プラットフォームで待っている」
「母親が来るよ」
「お母さんはひとりになるわけだ」
 岡部孝雄が三歳のとき、彼の父親は死亡した。それからは母親がひとりで息子の孝雄を育てた。
「母親は喜んでるよ。青春がまた始まると言っている。一九二五年生まれだから、一九六七年のいまは四十二歳だ。物心ついてから一九三〇年代を成長していき、戦争で中断され、戦争が終わった年に僕を生んでいる。中断されていた青春が再開されるのだと言っている。力説していた。よろしく頼むよ」
 ふたりの青年は笑った。踏切の警報がふたたび鳴り始めた。
「下りの各駅停車が来るよ」
 川島が言った。岡部は立ち上がった。川島も立った。
「うちへ寄っていくか」
 川島の言葉に岡部は首を振った。彼は駅の数で三つ先までいく。
「たまには会おう」
「大阪へ来てくれ。新聞社なら、出張の口実くらい、すぐに作れるだろう」
「大阪で大事件があるのが、いちばんいい」
 岡部は笑った。
「荷物はすべて発送した」
「送りにいく。二十分前にはプラットフォームに上がって待っている」
 岡部はうなずいた。各駅停車の下りが、減速しながら駅へ入って来た。そして停止しドアが開き、どのドアからも乗客が降りた。岡部は車両に入り、向きなおって川島に片手を上げた。ドアが閉じ、電車は発車した。岡部はもう一度、川島に片手を上げた。川島は改札口に向けて歩き、最後の車両が駅を出てから、振り返った。下りのプラットフォームに人の姿はなかった。
 三日後の木曜日、川島健一郎はたまたま代休だった。しかし用事はあったから午前中に社へいき、そこで昼すぎまで過ごしてから、東京駅へ向かった。新幹線のプラットフォームに上がると、定刻より二十分ほど早かった。彼はひとりベンチにすわって待った。
 高校で同級だった女性たちがふたり、あらわれた。高校を卒業して、彼女たちは丸の内のおなじ会社に就職した。いまもおなじ職場だという。ふたりとも会社の制服を着ていた。岡部孝雄が母親の恵子と姿を見せた。そして岡部が働いている会社の、東京におけるこれまでの三か月間の上司であった係長、そして岡部と同期の男が、岡部を送る人たちに加わった。誰もがおたがいに挨拶をして、名刺を交換し合った。
 制服の女性たちふたりは、新幹線の発車を待たずに帰っていった。彼女たちが岡部恵子に挨拶している様子を、川島は見るともなく見た。若い彼女たちよりもはるかに自由で華やいだ雰囲気が恵子にあるのを、川島は確認した。川島がいちばん最初に岡部の母親に会ったのは、高校一年生の日々が始まって間もない頃だった。岡部からやや年齢の離れた姉なのだと、川島は思い込んだ。母親だと知ったときには、かなり驚いた。母親というものが持っているはずの、多くの場合たいそう窮屈そうでかしこまった枠のようなものが、岡部恵子にはまったくなかったからだ。
 早くに亡くなった夫が、親友とともに設立した会計事務所で、恵子は会計の専門家として仕事をしてきた。いまでも岡部孝雄の母親には見えない彼女は、会計の専門家にも見えなかった。いつもは地味なスーツにヒールの低い靴を履き、髪はうしろへ引いて丸くまとめていた。美人であることは常に誰の目にも明らかなのだが、今日のように華やいで自由な恵子は、川島にとっては初めてだった。白い半袖のシャツに灰色のタイトぎみのスカート、そして赤いハイヒール・サンダル。スカートのベルトがおなじ赤だった。
 いまここでの自分は、親友の岡部を見送るよりも、その母親である恵子を観察している自分であることを、川島は自覚した。どこに彼女がいても、その場にどこかそぐわない雰囲気が彼女にあることに、川島は気づいた。ところでこの人は誰なのか、この女性は何なのか、というかたちで、彼女は人の視線を引きつける。いまこの場に即して言うなら、彼女からもっとも遠いのは、岡部孝雄を生んで育てた母親である、という枠組みだった。
 このような不思議な感触は、恵子という女性のぜんたい的な持ち味の、核心であるように川島には思えた。つまりそここそが、彼女の魅力なのだ。美人であることとも無関係ではないはずだが、気質によって形成されたものではないか、と川島は思った。とらわれていない、固定されていない、現実を全面的には引き受けていない、というような自由な雰囲気が、そのまま恵子という女性なのだ。その彼女にあって、もっともつながりが希薄なのは、四十二歳という年齢のようだ、と川島はひとまず結論した。
 出発の時間になった。岡部はみんなと握手をし、最後に母親とも握手をして、車両に入った。彼の席は窓側だった。席にすわった彼は笑顔で手を振り、ベルが鳴り終わり、ドアがいっせいに閉じた。そして新幹線は発車した。最後尾の車両が目の前を通過していくのを見届けて、全員はプラットフォームから階段を降りていった。改札口を出たところで、岡部の会社の男性たちふたりが、恵子に挨拶してそこで別れた。川島と恵子がその場に残った。
「あなたも会社?」
 恵子が訊いた。
「今日は休みです」
「これからなにか予定は?」
「なにもありません」
 そう答えた川島に、
「では、いっしょにいましょう」
 と、恵子は言った。
「お昼は?」
「まだです」
 東京駅を八重洲側に出て、ふたりは高島屋まで歩いた。そこへいくことを恵子が提案した。食堂でふたりは昼食をとった。一階ずつ売り場を見ては降りていき、地下から地下鉄の駅へ入り、銀座線で日本橋から三越前へいき、三越を見てまわった。ふたたび地下鉄に乗り、銀座へ出た。松屋、三越、松坂屋と、見て歩いた。三越にいたときに恵子は川島と手をつなぎ、松坂屋では腕を組んだ。
「嫌?」
 と、恵子は訊ねた。
「いいえ」
「びくっとして、硬く構えたわよ」
「当然です」
 姿が良く動きの滑らかな恵子は、半袖のシャツにスカート一枚のいまでも、着やせして見える。着やせして見えるその体は、しかしじつはたいへんに肉感的な体であることを、これまでに何度も彼女に会って、川島は知っていた。
 やがて夕食の時間になった。銀座の裏通りの割烹へ、恵子は川島を連れていった。恵子はなじみの客だった。ふたりは個室にとおされた。差し向かいに座布団にすわって、
「事務所でよくここを使うのよ」
 と、恵子は言った。
 女将だという着物姿の女性があらわれた。挨拶をする彼女に、
「息子の同級生」
 と、恵子は川島を片手で示した。
「息子は明日から大阪勤務で、お昼に東京駅へ見送ったのよ。いまはその帰り」
 夕食の内容を恵子がきめた。女将が下がるとすぐにビールが届いた。
「今日の孝雄について、あなたの感想を聞かせて」
 という恵子の言葉に、
「いつもの岡部でした。いい奴です。親友です」
 と、川島は答えた。
「あれでいいのかしら」
 ビールのグラスのなかを見ながら、恵子が言った。
「せっかく大学の法学部を出ていながら、なんの関係もない仕事の会社に就職して。新人社員はいいけれど、文字どおりのゼロからのスタートになるでしょう」
「その話は岡部としたことがあります」
 岡部の父親が、おなじ私立大学の法学部を卒業した人であったことを、かつて川島は岡部から聞いた。
「あなたは写真を勉強して、いまは新聞社の写真部だから、進路は無理なくひとつにつながってるわね」
「岡部の場合は、確かにつながってはいませんね」
「それだけ損をするのではないかしら。今日の孝雄は、見るからにゼロの人ね」
「僕もおなじようなものです」
「仕事はどうなの?」
「多忙です」
 新入社員としての研修を終えて写真部に配属されたとき、「覚悟してくれよな」と、部長に言われた。大学三年のときからすでに、アルバイトというかたちで、川島はいまの新聞社で仕事をしてきた。実質的には新人ではなく、二年目の戦力だった。
「仕事が単にたくさんあって忙しい、というのとは質が違う忙しさなのです。世のなかの動きのすごさです。それが仕事に反映してます」
「これからはろくな世のなかにはならないのよ」
「昨年は飛行機事故が何度も続いて、大学では占拠やストがあり、僕はどこへも写真を撮りにいきました。ビートルズの撮影も応援しました。若いおまえのほうがいいだろうと言われて、羽田到着から始まって記者会見や武道館など、すべてでした」
「世のなかを相手に、写真機で斬り結んでいる感じなのかしら」
 恵子のその言葉に、
「斬り結べてはいません、圧倒されています」
 と、二十三歳の川島は答えた。
「ほかになにを撮ったの?」
「サルトルとボーヴォワールが日本間で座布団にすわり、日本のウイスキーを飲んでいるところを撮りました」
 川島の返答に恵子は笑った。
 テーブルの向こう側という至近距離にいるこの美しい女性は、いったいなになのだろうか、と川島は思った。恵子という女性を判断するための、なんらかの手がかりのようなものが、川島にとって皆無の状態だった。高校の同級生が大学を卒業して就職し、大阪の勤務となった。その親友を東京駅へ送り、散歩のように百貨店をめぐり歩いたあと、夕食に誘われていまここにいる。自分と恵子の、現在の関係はそういうことだが、そんな関係が持つ意味のいっさいを消去する力のようなものを、川島は彼女から感じていた。なんの束縛も意味の固定も受けない、単独のひとりの女性として、岡部恵子は川島の目の前にいた。
 夕食はかたちどおりに進行し、ほどよい時間で終わった。店を出ると昼間よりも気温は下がっていた。地下鉄で新宿へ、そしておなじ電車の各駅停車に、ふたりは乗った。夕食の店を出たときから、恵子は川島と手をつなぐか腕を組むかしていた。ならんで座席にすわっても、彼女は彼と腕を組んだままだった。恵子よりも三つ手前で降りる川島といっしょに、彼女も席を立った。車両のドアを出てプラットフォームの端に立つ塀のかたわらへ歩き、そこで手をつないだまま立ちどまった。三日前の岡部孝雄のときとおなじ状況だ、と川島は思った。電車を降りた人たちが改札口に向けて歩いていった。
「ひとり住まいですって?」
 恵子が訊いた。
「そうです」
「今夜は私を連れて帰って」
 きわめて自然な、なんの無理もない言葉だった。意味がどこにも固定されていない恵子には、いまのような言葉を自分の思うままにコントロールする自由さがあるのだ、と川島は思った。その自由さのなかに取り込まれると、恵子の言葉に対して、それはいけません、などと返答することは不可能だった。ふたりは改札口へ向かった。
 川島がいまひとりで住んでいる家まで、駅から歩いて五分かからない。高台の住宅地のなかをいく道が、下り坂になり始めたところで脇道に入り、そのまま奥へ。道を境にして左右に分かれて高低差のある、高いほうの敷地のなかの、平屋建ての家だった。
「ここです」
「いいところね」
 門まで三段の階段を上がり、門からなかに入った。玄関へのアプローチのかたわらに、棕櫚の樹が一本、ほかの植物に囲まれて立っていた。その棕櫚の樹を越える高さで立つ支柱に、照明が取り付けてあった。アプローチと玄関は、その明かりのなかにあった。
「素敵な家だわ」
「単なる長方形の、しかしちょっと変わった間取りの家です」
 鍵を取り出して川島は玄関のドアを開いた。ふたりはなかに入り、川島が鍵をかけた。
「なぜここにひとり暮らしなの?」
 上体をかがめてサンダルのストラップをはずしながら、恵子が訊いた。
「父親が友人の不動産屋さんに頼まれて、買ったものなのです。使い道がないので、僕がひとりで住んでいます」
「ご両親はどこにいらっしゃるの?」
「ここから歩いて五分ほどのところに自宅があり、そこにふたりで住んでいます」
 玄関を入ったところは、横に長い長方形の間取りの、ちょうどまんなかあたりだった。左には食事のためのスペース、そして右手には、南北の幅いっぱいに広がった居間があった。そのふたとおりのスペースの中間、フォイアと呼ぶならそう呼んでもいいスペースが、玄関と向き合っていた。いまのふたりはそこにいた。川島は居間の明かりをつけた。
「広々として素敵ね」
 居間の南側の隅にクーラーが立っていた。店舗用の大きな機械だ。これも父親が友人に頼まれて引き取り、ほかに置き場所がないからここに設置してある。そのクーラーのスイッチを川島はオンにした。
「いきなり涼しい風が出てきたわ」
「空気は確かに冷えるのですけれど、気密性はゼロに近いような造りの建物ですから、冷やす端から外へ逃げていきます」
 間取りを見たいと言う恵子に、川島はぜんたいを案内した。建物の東側には、いまは川島が自分のものとして使っている主寝室があった。部屋そのものは南側に寄っていた。北側には左右にあるクロゼットのあいだを抜けて、浴室や洗面、トイレットが横にならんでいた。
 食事のためのスペースには、南側の窓に寄せて、川島の机と椅子があった。西側の壁は本棚だ。この部屋の北側に、使いやすい配置のキチンがあった。このキチンゆえに、川島の母親はこの家へ引っ越すことを、真剣に検討したほどだ。キチンには居間の北側からも入ることが出来た。
 キチンと食事のためのスペースが縦につながった西側には、北側がユーティリティ、そしてまんなかに通路を置いて、南側は浴室、洗面、トイレットと、ここでは縦につらなってまとまっていた。このふたつの部分を厚みのある仕切りとして、間取りのいちばん西には部屋がふたつ、南と北にあった。仕切りの壁はクロゼットで、どちらの部屋もドアひとつで独立していた。
「なんて頭がいいんでしょう」
 見てまわった恵子が言った。
「この家を作ったのは、いったい誰なの」
「僕は知りません」
「住みやすそうだわ」
「快適です」
「自分でも、こんなところに住みたいくらいよ」
「いかがですか」
「貸してくださるの?」
「格安になるでしょう」
「あなたは、どうするの?」
「自宅の離れに戻ります」
「本気で考えていいのかしら」
「どうぞ」
「寝室の天窓が、とてもいいわ。もう一度、見せて」
「あの天窓は廃物利用です。金網の入った、分厚い不透明なガラスの、ガラス戸なのです。なんとか使い道はないものかと考えて、天窓にしたのだそうです」
 ふたりは彼の寝室に入った。東の壁に寄せてベッドがあった。南側の壁にはおなじ大きさの窓が間隔を置いてふたつあり、そのあいだの壁の前には、簡潔な作りの長椅子が見えた。ベッドの足もとまで歩いた川島は、天窓の下に立った。
「この天窓のおかげで、寝室はいつも明るいのです。暗くならない寝室です。暗くなるのは、ほんとにまっ暗な夜だけです」
 ドアのかたわらに立っていた恵子は、寝室のドアを閉じた。そして壁のライト・スイッチに手をのばし、明かりを消した。天窓からの月明かりだけになった寝室のなかを、彼女は長椅子へ歩いた。そしてそこにすわった。
「ここへ来て」
 彼女が言った。
 長椅子まで来た川島は、彼女のかたわらにすわった。彼女は彼の手を取った。そのまましばらく、彼女は無言でいた。そして、
「女のことはまず私で覚えて」
 と、低い声で言った。
「教えてあげるわ。とは言っても、私は長いあいだ、処女とおなじようなものだったのよ」
 彼女はさらに次のように言葉を続けた。
「処女とおなじようだった長いあいだ、ろくな話はなかったの。年寄りの後妻とか、ひと月いくらで囲われてみないかとか。さもなければ、妻子ある男が浮気の相手に、あの手この手で誘ってくるとか。私が絶対にしてはいけないのは、以上のようなことなの。だから、しないできたわ。したくもないし。ということは、私の相手は、あなたなのよ」
 この理屈を彼女は追って説明した。
「高校で三年間おなじクラスだった友だちのおふくろさん。だけど私は、あなたにとっては、なににでもなれるのよ。もうひとりのお母さんは、いかがかしら。年齢の離れた姉でもいいし。あるいは、親類の叔母さん。恋人でも、愛人でも、単なる年上の女でも、娼婦でも、なんでもいいの。どう?」
「たいへん面白いです」
 川島はそう答えた。自分からはどうすることも出来ないようないまの状況のなかで、自分を支える強がりの一種として、そんな言葉が反射的に出た。
「自分が結婚するなら、相手は私のような女性がいいと、あなたは孝雄に言ったのですってね」
「言いました」
「高校三年生のとき」
「はい」
「いまでもそう思ってる?」
「思っています」
「私のどこがいいの?」
「ぜんたいです。枠にはまっていないところが、自由な広がりとして魅力です」
「だからさっき私が言ったでしょう。私はあなたのなににでもなれるのよ」
「写真を撮る人としての僕が見た印象では、女優や踊り子、あるいはモデルのような人たちと、どこか共通した雰囲気があります。髪と化粧によっては、宝塚の人のようにもなるはずです」
 恵子は川島の肩に腕をまわした。彼の上体を軽く引き寄せ、
「服を脱ぎましょう」
 と言った。そして川島の半袖シャツのボタンを、彼女がはずした。そのあと彼女はスカートのベルトをはずし、シャツの裾を引き出し、ボタンをはずした。シャツを脱ぎ、立ち上がってスカートを足もとに落とした。長椅子にすわりなおして下着を取り、恵子は完全な裸になった。裸になった川島に彼女は体を寄せた。彼の背中に片手をまわし、上体をひねって彼に顔を寄せ、彼の手を取った。
「いちばん最近は、どんな写真を撮ったの?」
 思いがけない内容の質問だった。その思いがけなさを正面から受けとめた結果として、
「水たまりの写真です」
 と、彼は答えた。
「水たまりを写真に撮って、どうするの?」
「雨の日に、新橋、有楽町、日比谷、京橋、丸の内、八重洲と歩きまわり、雨が上がると、歩道や車道に水たまりがたくさん出来ます。そしてそのいくつもの水たまりは、どれもみな灰皿なのです」
「通りかかる人たちが、煙草の吸殻を水たまりに投げ捨てるのね」
「そうです。ひとつの水たまりのそばに一時間ほどいて、一定の間隔を置いておなじ角度から、何度も撮りました。撮り始めたときには、水たまりのなかの吸殻は二、三本だったのですが、一時間後には四十本以上になりました」
「それはすごいわ。世の中が荒れてるのよ」
「僕もそう思います」
「水たまりが吸殻を投げ捨てやすい標的だということは、よくわかるわ。でも、そんなことを越えた問題なのね。喫煙のマナーの問題でもなく」
「そのとおりです。人々の気持ちは苛立ってます。不満をかかえて落ち着かない状態です。人々からなにかが大きく欠落し始めています」
「灰皿になった水たまりは、そのことの証拠のひとつなのね」
「いまの日本を若い人の目で見てなにが写真に撮れるか、ということが会議で話題になったのです。いまの日本社会は激変しつつあります。そしてそれは進歩や発展だと言われていますが、じつは壊れていきつつあるのではないか、そして人々はそのことにどこかで気づいているのではないか、と僕は言ったのです。そしたら、それを写真で見せてくれ、と言われました」
「だから水たまりなのね」
「そうです」
 川島に上体を向けて、恵子は彼を抱き寄せた。頬を、そして唇を、軽く触れ合わせた。彼の腰に手をまわし、その手にこめた微妙な力で彼を促し、恵子は長椅子を立った。彼も立ち上がった。彼の腰に手をまわしたまま、恵子はベッドへ歩いた。そしてベッドの縁にすわった。川島がかたわらにすわった。
 彼に横から上体を預けながら、恵子はベッドに両脚を上げた。滑らかな動きであお向けに横たわり、手をのばして彼の腕をとった。彼は振り向いた。両脚が天窓からの月明かりのなかにある恵子を、川島は見た。


 川島健一郎のひとり暮らしの家へ、岡部恵子はそれから何度も来た。彼が彼女の自宅へいくこともあったが、彼女が川島の家へ来ることのほうが多かった。そのことのごく自然な延長として、恵子はその家に住むことになった。川島がそれを熱心に提案した。恵子に異存はなかった。
「恵子さんはこの家に似合ってますよ。恵子さんに関して、僕が早くに発見したことのひとつは、恵子さんがこの家に似合っているということです」
「この家のほうが、はるかに好きだわ」
「いまの家は借家ですか」
「そうよ。格安のお家賃」
「この家の家賃は、いまの家賃とおなじになります」
「そんなことが出来るの?」
「父親にそう言えばいいのです」
「あなたは、どうするの?」
「自宅の離れに戻ります」
「戻ったきりでは、いけないのよ。足しげくここへかよってくださらなければ」
「帰り道の途中ですからね。ここへ帰れば、それでいいのです」
「あなたの部屋があるといいのだわ。ひとつだけ、あなたの部屋にしておきましょう」
「西側にふたつある部屋のうちの、北側の部屋にします。僕の勉強部屋です。机と椅子、それに本棚を置いて、写真のプリントはすべてここへ持って来る、ということにしておきます。写真をめぐって、いろいろと考え、模索するための勉強部屋です」
 川島は父親に話をした。ちゃんとした人に住んでもらえるならそれがいちばんいい、というのが父親の反応だった。家賃の額を川島は恵子から聞いておいた。その額を父親に伝えた。充分だよ、と父親は言った。恵子は引っ越して来た。その日の夜、クーラーのおかげでほんのりと涼しい寝室のなかで、ふたりは長椅子にすわって話をした。天窓からの明かりが、ベッドの下半分を中心に、柔らかく広がっていた。
「お母さまに挨拶したのよ」
「僕の部屋がここにあることは、伝えてあります」
「お母様は、筋のとおったかたなのね」
「自分ひとりの主観では判断しない人です」
「あなたの部屋があれば、あなたがいつここへ来ていても、それはごく当然の、あたりまえのことなのよ。ね」
 最後のひと言である「ね」に託されたニュアンスを、川島は受けとめた。
「ここに私が住むことを、孝雄も喜んでたわ。電話で伝えたの。あなたの部屋があることも、伝えておいたのよ」
「最初から明らかにしておかなくてはいけないことですからね。明らかにしておかなければ、それは秘密にしておくことですし、秘密にしておくことは、僕たちの件に関して、岡部を欺くことになります」
「お母さまについても、それはおなじよ」
「最初からすべてを打ち明ける必要はないのです。なにも隠し立てをしていない、無理のない成りゆきのなかで、やがて誰もが気づいていけばいいことです」
「そこに自分の部屋があれば、そこへあなたは来る。私とふたりでひとつの家のなかにいれば、手が触れ合うこともある、ふと抱き寄せることもある、唇も重なるでしょう。そういうことだわ」
「そのとおりです」
「こんなふうに?」
 片手で恵子は川島の手を取り、もういっぽうの手で彼を抱き寄せた。ふたりの唇は重なるほかなかった。
「あなたが言うとおりだわ」
 唇が離れてから、恵子が言った。
「ああ、そうか、そういうことなのかと、無理なく気づいてもらうのが、いちばんいいのね。なぜなら、私たちは、そういうことなのだから」
 恵子が住み始めたその家は、川島が言ったとおり、駅から自宅への帰り道の途中にあった。足しげくかよってくれなくてはいけない、と恵子は言っていたが、かようと言うよりは立ち寄るであり、立ち寄ればそこに泊まることがしばしばだから、結局のところ、川島にとってもその家は、帰っていくところとなった。彼が自宅には戻らない日が頻繁にあり、恵子は家賃を払いにいくたびに川島の母親と会い、恵子は彼女から信頼を得た。恵子という女性と自分の息子との関係に、母親はおそらく気づいたのだろう、ある日いきなり、川島は母親から次のように言われた。
「あなたが原因であの人が泣くようなことがあったら、私は承知しませんよ。いいですね」
 隅々まで筋をとおした関係を維持しろ、という意味に川島は解釈した。人が守るべき社会的な、あるいは個人的なルールに関して、川島の母親はきわめて厳しい人だ。ひとり息子の川島は、幼い頃から、彼女がその厳しさを発揮するための、絶好の対象だった。母親の言葉を彼は恵子に伝えた。恵子は喜んだ。
「お母さまは私の味方なのよ」
 と、恵子は言った。
 それから二年が経過した。川島は二十五歳になった。あなたはいまようやくそんな年齢なのかと、恵子は言った。川島が二十代のなかばを過ぎても、恵子との関係は続いていった。いい関係だった。不調和や食い違い、軋轢など、ひと組の男女の関係のなかにほぼかならずあるはずのものが、ふたりの関係のなかには、どこを探しても見つからなかった。
 これはいったいなになのか、と川島は思うようになった。私はあなたのなににでもなれる、と最初に恵子は言った。そのとおりになった。彼にとって恵子は、魅力のつきることのない多面体だった。二十代後半の日々が進んでいくなかで、
「またあるときは、私はあなたの奥さんでもあるのよ」
 という台詞を、彼は恵子から受けた。これもそのとおりであり、現実そのままと言ってよかった。
「あなたにとって、なんらかのかたちで、私は力になりたいのよ。なんでもいいから、私から取っていって」
 と恵子は言い、さらに次のようにも言った。
「二十歳も若いあなたから体を求められるだけでも、私は充分にうれしいのよ。私がもっとも端的に役立つのは、まずそのような文脈のなかではないかしら。ワイシャツにアイロンをかけたり、遅く帰ったあなたにお茶漬けを作ったりするよりもはるかに、私はそういう意味で役に立ってるわ」
 だからふたりの関係は、このような関係でもあった。恵子は彼にとって、たいへんに親しい年上の女性であり、その女性は、状況によってなににでもなることが出来た。彼がまだ二十代なのだから、状況とは言っても、ほとんどの場合それは、単なるニュアンスの問題でしかないのだが。
「いちばん簡単な言いかたをするなら、私はあなたの女よ。そのことが、そしてそんなふうに言えることが、私にはなによりもうれしいの」
 彼と自分との関係に関して、岡部恵子が下した結論は、これだった。彼女にとってはこれで完璧だった。これ以上になにをどうする必要もなかった。そしてそのままの状態で、合計してちょうど十年が経過して、川島健一郎が三十三歳となったとき、ふたりにとって転機が同時に来た。
 それまでずっと仕事をしてきた会計事務所の神戸の支所へ、そこの責任者として、恵子は移ることになった。私がそうなるのは、もっとも無理のない推移というものだから私は神戸へいきます、と恵子は言った。そのこととは完全に無関係に、川島は新聞社の写真部を退職することにした。そこでの仕事は面白いものだった。そこにいたからこそ可能になった仕事や、体験することの出来たことなど、思い出して数えていくときりがなかった。常に多忙であるという状態は、自分をうしろから押してくれる推進力として、あてに出来るものだった。だが現実に十年が経過してみると、ここでの仕事は十年でいいだろう、という気持ちが支配的になっていった。
 恵子に相談したら、
「あなたは次の段階に入った、ということなのよ」
 という言葉を、彼は彼女から受けとめた。
「ひとりになってみたい」
「ああら、ちょうどいいわ。私は神戸だし」
「そういう意味ではなく。大きな組織の会社の一部分にいるのではなく、たとえるなら天涯孤独のような状態に、僕は一度なってみたい」
「おなりなさい。快適よ。いかに快適か、あなたはまだ体験してないのだから。あなたのいまの年齢は、そういうことにちょうどいいと、私は思うのよ」
「辞めよう、という思いと入れ違いに、フリーランスという状態の魅力が、大きくふくらんでいく」
「自分もそうなればいいのよ。それだけのこと」
「周辺に同世代で何人かいる。彼らのひとりふたりが、僕のことをサラリーマンと呼んだ。人としての内容の評価ではなく、立場の問題として、僕のことをそう言った。それから、おなじ社の四十代の人から、二足のわらじ、という言葉を僕は初めて受けた」
 二十七、八歳の頃から、川島は文章も書き始めた。自分で撮る写真に添えた文章を、自社の新聞や雑誌に書くようになった。それが他社の媒体にも広がり、個人の活動として認められてはきたけれど、このあたりが限度かなと自分でも思い始めたとき、二足のわらじ、という言葉を受けた。
「サラリーマンの二足のわらじ。サラリーマンという一足を脱げば、それですべては解決する」
「ぜひとも、そうなさい」
 かたわらには恵子がいる、という思いで彼は辞表を書いた。退社したい気持ちを直属の上司にまず伝えた。彼は熱心に慰留された。何人かの人から、慰留の話をする席へ、彼は次々に誘い出された。それが一巡していったん振り出しに戻ってから、彼は人事部長に辞表を提出した。辞表は受理された。
 恵子が神戸へ移る作業が、そのすぐあとに来た。荷物をまとめては送り出し、恵子は何度か神戸まで往復した。身ひとつで神戸までいく恵子を、やがて彼は東京駅で見送った。彼女が東京へ来たときには、それまでとおなじように自宅として使えるよう、恵子の部屋を残すことにした。彼が自分の部屋として使ってきた部屋の、南側の部屋だ。手ぶらで来てもいいように、必要なものはすべてその部屋に残した。洗面や浴室、キチンなどにある、恵子とつながった物品はみな、そのままそこに置いておくことに、ふたりできめた。
「私たちの関係がこれで終わるわけではないのよ」
「もちろんです」
「別れるわけでもなく」
「そうです」
「いままでどおり」
「続いていきます」
「ここへ私が来るたびに、あるいはほかのどこであれ、会うそのたびに、私たちはよりが戻るのね」
「それはいい考えかたです」
「私は神戸で孝雄は大阪だから、こんどは孝雄に近くなるのだわ」
 十年前、新入社員として大阪勤務を始めて一年後に、岡部孝雄はその会社を退社した。いまの自分の状態に納得がいかない、という説明を川島は受けた。法律の仕事がしたいから勉強しなおす、と岡部は言った。勉強しなおすとは、司法試験を受ける、ということだった。岡部はそのまま大阪にとどまり、勉強はうまくいったのだろう、司法試験に合格した。東京でひとり暮らしをした期間のあと、彼は大阪へ戻り、二十七歳で結婚した。それ以来ずっと大阪だ。
 川島は新聞社を辞めてフリーランスの状態になった。恵子は神戸へ移っていった。川島ひとりの生活が始まった。これからの日々が、自分から見てあらゆる方向に存在していることに、彼は快感に似たものを覚えることが出来た。いっぽうにはその快感、そして他方には、これまでの十年、というものが位置していた。意識のなかでそのふたつを見くらべていると、ふたつのものはやがてひとつになった。
 これまでの十年は単なる過去ではない、と彼は思った。これからの自分にとっての、核心のような機能を果たすものなのではないか。ではそれは、どのような機能なのか。
「振り返るための十年ではないのよ。これから先のための十年なのよ」
 と、恵子もおなじ思いを言葉にしていた。
 これからの自分にとっての核心とはなにか。これからどこでどのような体験をするにしても、すべてはいったん核心によって、からめ取られる。そしてそこにおいて、自分はあらゆることを感じ、すべてを見ていくことになるのではないか。
 フリーランスとは、川島健一郎の場合は、写真を撮り文章も書く、ということだった。写真は、撮れるものであれば、どんなものでも撮る。被写体しだいだ。あるいは、被写体があるところまで、自分が出向いていくかどうかの問題だ。文章は、初めのうちは写真に添えたものだった。時間の経過とともに、文章は写真を離れて独立していった。文章を書くことへの傾きは、写真を撮ることを越えて、大きくなっていった。
 新聞社を辞めてからの、彼による文章の仕事の中心は、短編小説集と長編小説とを、それぞれ一冊ずつ世に出したことだ。短編集は、雑誌に一年間にわたって連載したもののなかから、選んで一冊にした。それが獲得した好評によって、長編小説を書いて出版する、という経路が成立した。
 彼が書く小説は、なに小説とひと言では言いにくい。時代小説はそもそも書けないから、すべて現代を背景にしてはいるけれど、経済小説でもなければミステリーでもない。したがって男と女のことであり、強いて言うなら恋愛小説だ。「この騒がしい時代に、これほどまでに静かに充実した官能性の物語でデビューする人は、男と女のことを書くためにデビューする人なのではないか」と、短編集に対する評のひとつは言っていた。
 こういう小説を書くようになった自分というものについて、川島はときどき思いをめぐらせる。めぐる思いは、すべては恵子からの影響だろうか、という一点へと戻っていった。もともと自分の内部に自覚されずに眠っていた資質のようなものが、恵子によって目覚めさせられたのだろうか。そのようなきっかけとして、恵子は作用したのだろうか。そうであればいいが。単なる影響では、すぐに尽きてしまうのではないか。
 岡部恵子との体験をとおして自分のなかに獲得した、彼女という人。これからの自分にとっての核心とは、その人にほかならない。すべてはそこへ入っていき、いったんは彼女と同化した上で、彼女を経由して、文章なら文章として、自分の外へとあらわれてくる。「私はあなたのなににでもなれる」と、恵子は言った。その言葉どおり、彼女は彼にとっていかなる存在でもあったが、彼に対してもっとも影響をあたえた人、という種類の存在になった。
 恵子が神戸へ移り、川島は自宅の離れから、ふたたびその家へと、引っ越しをした。ひとりでその家に住んで二年が経過し、三十五歳となった川島健一郎は、写真と小説のために日々の時間を使っていて、その時間は常に大きく不足している。そしてそのような不足のただなかに、いまの彼が感じている充足があった。
 いま住んでいる家を建てなおすことを、彼は思いついた。あるとき閃いたそのアイディアは、彼の頭のなかでたちまち確かな像を結んだ。神戸へ移ってから二度めの年末そして年始の休暇を、恵子は川島とともにその家で過ごした。建てなおすアイディアをめぐって、彼は彼女と相談した。
「僕が中学三年生のときに建てたものだそうです。すでに充分に古くなってます。傷みも激しい。明らかに住みにくい状態です。建てなおす理由のひとつは、まずここにあるのですが、もうひとつは、いまのこの間取りとおんなじに、そして外観も可能なかぎりおなじに、建てなおしたい、ということです」
「それは面白いわ、私は大賛成します」
 と、恵子は言った。
「とてもいい間取りなのよ。なんら変える必要はないのよ」
「変えません。図面は父親から手に入れました。あらゆるディテールを自分で写真に撮りました。新建材ではなく、自然の木材のみを使います。しかし工法や設備は、現在の進化したものを使います。いまとそっくりに建てなおされると同時に、全体はいまよりもはるかに、進化したものになるのです」
「私はいつでも来ることが出来て、来るたびに懐かしいわ」
「かつてのままにあるのではなく、新しくなった、より良くなった過去のなかへ、恵子さんは訪ねて来ることが出来るのです」
「小説みたいね。小説家の考えることなのかしら。手がこんでるでしょう。そんな印象があるわ。建てなおしが完成したなら、そこを訪ねて来る私としては、以前にも増して、ここに深く巻き込まれるのよ」
 そう言った恵子は、
「寝室には天窓を作ってね。かならず作って」
 と、つけ加えた。
 そしていまは春先だ。これから川島は引っ越しをする。この家を空っぽにしたあと、解体しなくてはいけない。引っ越す先は自宅の離れだ。この家からそこへの引っ越しは、これで二度めだ。荷物はかなりの部分をすでに運び出した。引っ越しは簡単に終わるはずだ。すぐに解体作業が始まる。その過程を写真に撮らなくてはいけない。建てていく様子も写真に撮る。新しい家は梅雨までには完成する。
 雨の季節に恵子が訪ねて来ることになるのだろう。新しく作りなおされてすべて進化した過去のなかへ。天窓のガラスに降る雨を、ベッドでまどろみつつ、ふたりで見上げるのか。そのような時間が、かつて何度あったことか。いま彼はそのベッドに入って、天窓を見ている。寝室の明かりは消えている。三十五歳の彼にとっての、春先の一日はほとんど終わった。あとは眠くなって眠るだけだ。
 今日は夕方から久しぶりに岡部孝雄に会った。妻をともなった彼は、二週間の予定で東京へ来ている。川島は独身のままだから、彼らは三人で夕食を楽しんだ。岡部が法律を仕事にするようになって、そろそろ十年になる。法律の仕事が岡部にはよく似合っていた。すべてはうまくいっている。彼の奥さんに、川島はこれまで何度か会っている。会うそのたびに、好伴侶、という言葉を川島は思う。自分が書く文章のなかにはおそらく使わないはずの言葉だが、岡部の妻には、あらゆる意味でこの言葉がぴったりだ。
 川島にとっての最初の長編小説が、夕食の席で話題になった。主人公の女性はあなたのお母さんに似ている、と岡部の妻は岡部に言った。僕は岡部のお母さんを高校一年生のときから知っている、あれほどの人に影響を受けないはずがない、だから小説を書けば、その主人公はどこかで似てくるだろう、性格が似れば必然的にあとはすべて似てしまう、発想のしかた、論理の整合性、アクションによるそれの遂行など、すべてにわたって。というようなことを川島は語り、岡部はおだやかな微笑で聞いていた。
 最初の長編の主人公が恵子に似ていると指摘されたことについて、川島はひとりベッドに横たわり、夜の天窓を見ながら考えた。初めての長編小説で主人公に設定した女性が、恵子に似ていていいものだろうか。早くもこの段階で。次の人もどこか彼女に似て来るのか。似ている、とまた岡部の妻に言われるのか。恵子に似ていない女性を小説のなかに自分は作ることが出来るのか。これから架空の女性を何人も、自分は作らなくてはいけない。作れるのか。恵子ひとりだけがストックなのか。もしそうなら、小説に書く女性は、いつもおなじひとりの人になるのか。
 恵子という女性のなかに取り込まれた自分、というものは確実に存在している。そこから出ていくことの出来ない自分というものが、これからの自分にとっての核なのだ。それ以外の自分が、その核の周辺に広がる。いまこんなことを考えている自分は、周辺の自分だろう。その自分がふと中心に視線を向けると、そこには岡部恵子がいる。
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これは自分の理想だった



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 電車を降りた彼はプラットフォームから階段を上がった。そして改札口へと向かった。うしろ姿の美しい女性が、彼のすぐ前を歩いていた。中年の男性がひとり、彼女のすぐうしろへ、かたわらから割り込んだ。彼女が改札口に入り、続いて中年男性、そのあとを彼が、それぞれ改札を出た。中年の男性は右手の北口へ向かった。うしろ姿の美しい女性は、立ちどまって振り返った。うしろ姿を裏切らない顔だちであることを、彼は確認した。この姿にこの顔なのか、と思っている彼をまっすぐに見て、
「おなじ電車だったのね」
 と、その女性は言った。
 これほどの美人がなぜ自分に話しかけるのか。話しかけられているのは自分ではないのではないか、と思う途中で彼は気づいた。彼女は舞子という名の年上の女性だ。舞子という名は記憶に残りやすかった。彼が中学生のときに越してきた家の、すぐ近くに住んでいる女性だ。その頃からの顔見知りだ。中学と高校がおなじで、高校に入ったときには確か彼女と入れ違いだったはずだ、というあたりまで彼は思い出した。
「久しぶりです」
「いつもこの時間なの?」
 ふたりは南口の階段へ向かった。
「お勤めは新聞社だったわね。お母さまからうかがったのよ」
「五年前に辞めました」
「そうだったの。ではお母さまからうかがってから、もう五年以上がたつのね」
「大学を出て新聞社に就職したのです」
「なぜ辞めたの?」
 階段を降りながら彼女が訊いた。
「転勤の辞令が出たのです。神戸への転勤命令でした。僕は断りました。たとえこれを断っても、これから転勤は何度もあるよと言われて、辞めたのです」
 階段を降りたふたりは、まっすぐに南口の商店街の入口に向けて歩いた。大半の店は一日の営業を終えて閉まっていたが、人どおりはまだあった。
「おうちへ帰るの?」
「そうです」
「いつもこの時間なの?」
「いまは自由業ですから、時間はまちまちです」
「この下北沢を中心に、よくいろんなところで、偶然に会ったわね」
「最近は会いませんでしたね」
「新聞社ではどんな仕事をしてたの?」
「社会部で記事を書いてました。最後の記事は、上野動物園のパンダについてでした」
「まあ、そうだったの」
 という彼女の言葉に、彼は舞子に顔を向けた。彼女とこうして肩をならべて歩くのは初めてだし、微笑している顔を至近距離から見るのも初めてだ。舞子の目鼻だちは彫りが存分に効いている。そしてぜんたいのまとまりかたは整いすぎの美人だから、表情を消しているときには冷たい印象があった。人の視線はかならず引きつける。しかし、冷たい印象が、その視線を硬く跳ね返す。さきほど、改札口を出て振り返ったときの彼女は、まさにそのとおりだった。
「あのとき私もパンダを見にいったのよ」
 舞子の顔に微笑が深まった。相手を受けとめて許容する力の、幅と奥行がたいへんに広い微笑だ、と彼は思った。
「寒い頃だったわ」
「初日は十一月五日でした。いまでも日付を覚えてます。中国から贈られたパンダが、その日に初公開されたのです」
「私、おそらくその記事を読んだわ。おそらくではなくて、確かに読んだ。じつはトキヒコちゃんが書いたのだとは、知らないままに。トキヒコちゃんなんて呼んではいけないわね」
「僕は三十歳になりました」
「あらあ、ショックだわ、そんなに時間がたってしまったの。あなたが高校生だったのが、ついこないだのことよ」
「そうです」
「だから私は三十三歳なの。独身で、以前からの家にひとりで住んでいて」
「僕も独身です」
「ご両親は?」
「健在です」
「五年前と言えば、私もいまからちょうど五年前に、大きな転機がひとつあったのよ。父親が電子工学の研究者で、私の母を連れて、五年前にアメリカへいってしまったの。もう帰ってはこないのだと思うのよ。私はいきたくないので、東京にひとりでいるの。私たちはふたりとも五年前に転機があって、それから等しく五年が経過してたのね」
 南口の商店街を抜けていく道を、ふたりは歩ききった。道が三つの方向へ分かれる地点にさしかかった。右へ上がっていく細い坂道に、ふたりは入っていった。ふたりの家は、歩いて三分かからない近所どうしだ。
「偶然に会うのは、そう言えば久しぶりね」
「最後はいつでしたか」
「覚えてないわ」
「僕がいまの家へ両親と引っ越してきたのは一九六〇年で、僕は十三歳でした。それ以前は浜田山にいました」
「まあ、そこにも一致してるものがあるわ。一九六〇年と言えば私は十六歳で、いまの家を建てた年よ。おなじ場所にあったそれまでの家を壊して、建て直したの」
「節目が一致してますね」
「どうしてかしら」
「おなじ世代だということでしょう」
「ふたりともおなじ時代を生きてるのね」
 ふたりは坂道を上がりきった。交差している道を彼らは左へ向かった。舞子の怜悧な受け答えの奥に、少なくとも自分にとっては、きわめて快適な居心地の良さのようなものを、彼は感じた。肩をならべて夜道を歩きながら彼女と話をする。彼女の受け答えは的確であり、優しく先導する力を常にたたえていた。先導しながら相手を受けとめ、相手を充分に取り込んだところから、自分の反応が出てくる。そのような受容力の大きさは、彼にとって新鮮な発見だった。女性と話をしていて、これほどの心地よさを覚えるのは、彼にとっては初めてのことだった。舞子は誰に対してもこうなのだろうか、と彼は思った。
 しばらく歩いてふたりは道を横切った。そして脇道へと入った。どの家も敷地の広い、閑静な住宅地のなかとなった。ほどなく舞子の家が道の右側にあった。門の前にふたりは立ちどまった。
「夜は怖いから、塀を取り払って改装したのよ。ここから玄関まで、周囲も含めてすべて、見渡せるようにしたの」
 舞子が説明した。
「そう言えば、以前は高い塀がありましたね」
「ここで私はひとり暮らしなの。忍んできてくださってもいいのよ。ほんとに、遊びにきて。何度も会いましょうよ。と言うよりも、ちょっとお寄りになったら。夜はまだこんな時間だし」
 丈の低い門を彼女は外から開いた。
「お邪魔してもいいのですか」
「いいのよ。あなたがなにか悪いことをしたら、お母さまに言いつければそれでいいのですもの」
「舞子さんが悪いことをしたら、僕は誰に言いつければいいのですか」
 彼の言葉に舞子は笑い、ふたりは門を入った。彼女が門を閉じた。
「私、あなたのいまのような言葉が、なによりも好きよ」
 ポーチの階段へふたりは歩いた。細長いポーチの奥に玄関のドアがあった。鍵を取り出した舞子はドアを開いた。ふたりは玄関に入り、舞子が鍵をかけた。
「どうぞ。思いのほか小さな家なのよ。私を中心に設計したのですって。私とは、つまり、ピアノ」
 そうだ、彼女はピアノを弾く人だった、と彼は思った。間取りのぜんたいは、基本的には長方形だった。左右へ振り分けてあり、南側は二十畳のスペースを中心に、そのさらに南には、庭に面したヴェランダがあった。
「ただしキチンがそこにあり、カウンターの外のテーブルで食事なの」
 テーブルのかたわらに窓があり、その外もヴェランダになっている様子を、彼は夜のなかに見た。小型のグランド・ピアノが壁ぎわにあり、その向こうは玄関から壁で仕切られた小部屋だった。
「私の勉強部屋よ。あとは、北と西に部屋がひとつずつ。北の部屋が寝室で、浴室その他はその部屋のものとして、そちら側にまとめてあるわ。それだけ」
 舞子は居間の南側へ歩いた。ヴェランダの外にある夜の庭を見た。
「秋なのねえ。庭でしきりに虫が鳴いてたけれど、それも終わったわ。今年の夏の雨は、すごかったわね。二十二日も降り続いたのよ」
 西側の壁に寄せてソファが置いてあり、ふたりはそこにすわった。
「コーヒーでもいれましょうか」
「僕はなにもいりません。ご心配なく」
「新聞社を辞めていまは自由業と言ってたわね。自由業って、なにかしら」
「新聞社の社会部で記事を書いていた頃の延長です。フリーランスでいろんな雑誌にいろんな文章を書いてます。日劇ダンシング・チームについて書きましたよ」
「あら、私の友だちがあそこにいたのよ。最終公演を私は見にいったわ」
「僕も見ました」
「あの日あのとき、私たちはおなじ場所にいたのね」
「社会部の頃の人脈で、社会問題について取材して書く注文が多いのです。しかし僕は、あまり好きではないのです。世のなかの騒がしい前面ではなく、もっと引っ込んだ静かなところにいたいのです」
 自分より三歳年下の、三十歳の男性からの言葉を受けとめ、舞子はしばらく考えていた。そして、
「そういう人は小説家になるといいのよ」
 と言った。
「日劇のチームにいた友だちのお父さんが、小説家なの。広い敷地のなかにある昭和初期のものだという、複雑な間取りの大きな家の、印象としてはいちばん奥の書斎に、いつもいらしたわ。遊びにきてる私を見かけると、やあ、いらっしゃい、と言ってくださるの。いつもおなじ。いつも、やあ、いらっしゃい、なのよ。なにか他の言葉はないものかしら、などと思ったことがあるわ。その小説家も、世間から離れて静かにしてるのが好きなのですって」
「なんというかたですか」
 彼の質問に舞子はその作家の名前を答えた。
「僕の好きな作家です」
「お引き合わせ出来るわよ。お望みなら、いつでも」
 おっとりした雰囲気で、舞子はゆっくり喋った。音声となった彼女の言葉を受けとるのは、快感であると言ってよかった。彼にとっては新鮮な発見のひとつだった。顔だちからの連想では、無駄な言葉を削ぎ落とした冷たい切り口上が似合うが、現実は完全にその反対だった。彼女が喋るのを顔を見ながら聞いていると、美人ぶりと喋りかたとのあいだに、印象の上で大きな落差があった。
 下北沢の駅から彼女と歩きながら、この喋りかたは気取っているからなのだろうか、と彼は思った。中学生や高校生といった子供だった頃とおなじく、いまも無意識に僕を子供扱いしているのだろうか、とも彼は思った。どちらでもないのだ。この喋りかたは、舞子そのものなのだ。幼い頃から近所の顔見知りではあっても、三歳年上のこの女性について、自分はなにも知らない。いったいどんな人なのかと、彼は興味を持った。
「なぜ結婚なさってないの?」
 舞子が訊いた。
「相手がいません」
「たくさんいるでしょう」
「いいえ」
「理想像があるのかしら」
「あります」
「聞かせて」
「美人でピアノが弾ける人ならいいのです。彼女自身の問題としては、このふたつがクリアされていればいいのです。あとはすべて、ふたりでやっていくことですから」
「いくらふたりで力を合せても、美人ではない人は美人にはならない、ということかしら」
「そうです」
「まあ。でも私は、ピアノを弾くのよ。ずっとそれを仕事にしてきたの。それしか出来ないから。自分のLPが三枚あるのよ」
「それは知りませんでした。聴いてみたいです」
「三条舞子という本名で、出てるの。芸名ですかって、かならず訊かれるわ。芸名としても陳腐でしょう。困ってるのよ、この名前には」
「きれいな名前です。美人を想像します」
「京美人ね。私とは違うわ。私はギャングの情婦って言われるのよ。ナイト・クラブやホテルのカクテル・ラウンジで弾いてたときには、冗談でよくそう言われたわ。ギャングというのも、古い言葉ね」
「LPを聴かせてください」
「いまは三枚とも手もとにないのよ。見本盤がたくさんあったけれど、みんな人にあげてしまって。手に入れておくわ。いま弾いてもいいけれど、この家の防音は不完全で、夜だとかなりはっきり、外まで聞こえるの」
「どんな内容なのですか」
 と、彼は訊いてみた。
「私が主役で、あとはリズムのサポートがつくだけ。ベースとドラムスね。だから正確には、ピアノ・トリオなのよ。自分のスタイルはこれと言ってなくて、どんなスタイルでも弾くのが私のピアノなの。クラシックではなくて、ポピュラー音楽。父がアメリカからLPをたくさん送ってくれるの。そのなかに、これだ、と思うものが何枚かあったのよ。夜のバーやカクテル・ラウンジで、くつろいで聴いてもらう種類のピアノ音楽、とでも言うのかしら。ピアノ・ムードね。あるいは、ムード・ピアノ。カクテル・ピアノと言うのですって。このスタイルが自分の気持ちにぴったりだとわかってからは、それに磨きをかけてます。これまでの三枚のLPは、そんなふうに演奏して心地良く聴くことの出来る、アメリカの名曲のなかから選曲したの。四枚目を夏に録音したのよ。これはちょっと変わってて、日本の戦後十年間にヒットした歌謡曲から、いい曲を選んで十二曲。私がソロでグランド・ピアノを弾いて、選曲と編曲も自分でしたのよ」
「それもぜひ聴きたいです」
「戦争に負けた年の自分は一歳で、そこからの十年間ですから、私が十一歳のときまでね。子供の頃に耳にして覚えている曲もいくつかあって、選曲は楽しかったわ」
「聴きたいです。すでに出ている三枚は、レコード店で探して買います」
「私のピアノを、あなたはかつて聴いてるはずよ。あなたが高校一年生のとき、私といっしょに高校の学園祭へいったでしょう」
「覚えてます」
「体育館でのプログラムのなかに、卒業生が飛び入りするのがいくつかあったのよ。私はジャズ・バンドのプログラムに飛び入りしたわ」
「ブラス・バンドの連中が作っていたスイング・バンドです。優秀なバンドです」
「最近では、コンテストで何度も優勝してるのですってね。在学中の私はメンバーではなかったけれど、指導していた先生に頼まれて、よくピアノを弾いたわ」
「河島先生です」
「そう。自ら第一トロンボーンを吹くのね」
「グレン・ミラーを気取ってたのです」
「音大を出てるのよ。お兄さんが、日本のジャズ・トロンボーンではまずこの人、と最初に名前があがるほどのかたなの」
「それは知りませんでした。そのとき舞子さんは、なにを弾いたのですか」
「ディープ・パープル」
「はあ」
「しばらくソロで弾いて、やがてリズムが入ってきて、あるときいっせいに、トゥティになるの。自分のほかに十五人もいるのは、いい気分だったわ。あなたは美人のピアニストがお好みなの?」
「リクエストした曲を弾いてもらい、じっと聴いていたいという夢があるのです。聴いているときには、弾いている人を見ることになりますから、おなじ見るなら姿かたちは美しいに越したことはないという、それだけのことです」
 彼のそのような返答を、舞子は微笑して受けとめた。ピアノの弱音ペダルのかたわらに、華やかな色のハイヒール・サンダルが一足、揃えて置いてあった。腕を上げた彼は、それを示した。
「さっきから気になっていたのですが、なぜサンダルがあそこにあるのですか」
 彼の質問に舞子は笑った。
「いいところに気がつくのね」
 とひとまず言い、彼女は次のように説明した。
「私はミス・コンテストに出場したことがあるのよ、二十二歳のときに。さっき話に出た日劇の友だちが、冗談で勝手に書類を提出したの。冗談は完結させましょうということになり、私は出場したわ。水着は白、靴はハイヒールで、などと指定されて。特技はピアノということで、水着にハイヒール・サンダルで、私はピアノを弾いたのよ。そのときのサンダル。記念にとってあるの。捨てないでとっておいたほうがいい、という気がしたから。でも、もう十年以上になるわ」
「結果はどうだったのですか」
「私は準優勝。優勝したかたは、愛嬌のある丸い顔をしてたわ。準優勝のかたのピアノは玄人はだしですね、と褒めていただいたの」
 以上のような話をして、小一時間が経過した。
「僕はもう帰ります」
「どちらへ?」
「自宅です」
「帰りが遅くなると、お母さまはご心配ね」
 ソファを立ち、彼は玄関へ歩いた。
「僕は隣の別棟の家に住んでいます。ひとり息子に嫁が来たらここに住むようにと、母親が敷地のなかに小さな平屋建てを、勝手に建てたのです。そこに僕は住んでいます」
「お嫁さんは来ないの?」
「来ません」
「いつ来るの?」
「あてはありません」
「私がいこうかしら」
 玄関ホールでふたりは向き合って立った。
「明日の午後は、お出かけなの?」
 彼女が訊いた。
「予定はなにもありません」
「午後にLPを届けるわ。午前中にレコード会社へいくから、三枚とももらってきて、届けます。三時までには」
「僕は自宅で待っていればいいのですか」
「ぜひそうして」
 玄関で彼は靴を履いた。舞子が鍵をあけてドアを開いた。ふたりはポーチへ出た。彼の先に立って門まで歩いた舞子は、
「私はどちらのお家を訪ねればいいのかしら」
 と言った。
「小さいほうです。見ればすぐにわかります」
 そう答えた彼は門を出た。舞子は彼を見送った。
 次の日、きれいな秋晴れの日、午後から出かける用事があると言う母親を、彼は引き止めた。LPを持って舞子が訪ねてくることなどについて、彼は母親に話した。別棟の家で彼は午後の始まりの時間を過ごした。二時過ぎに舞子があらわれた。招き入れた彼は、やや長い長方形に収まった間取りを、彼女に見せた。
「母が会いたがっています」
「お会いしたいわ」
 ふたりが玄関を出ると、母屋のほうから彼の母親が歩いて来た。彼がひとりで住む家に、三人は入りなおした。食事のテーブルには椅子がふたつあった。作業テーブルからストゥールを持って来て、彼がそれに腰を降ろした。彼女から受け取った三枚のLPを、彼は母親に見せた。
「舞子さんの作品。プロの音楽家なんだよ」
「聴かせてちょうだいよ」
「あとにしよう。聴いてると話が出来ないよ」
 舞子に向き直った母親は、
「まあ、ほんとに」
 と、言った。
「すっかり大人になったのね。舞子さんが見えると言うので、出かける予定を取り消したのよ。そのかいがあったわ。ほんとに、早いものねえ。まあ、それにしても、見事に大人になって。こうして顔と姿を見ているだけで、なんだかありがたい気持ちになってくるわね」
 舞子の身辺をめぐって、あれやこれや母親は質問した。アメリカへ移住した両親のことなど、舞子は語った。ひとしきり話が続いたあと、
「このお家はお母さまがお建てになったとうかがいましたけれど」
 と、舞子は言った。
「嫁が来たら住むといいと思って、早手まわしをしたものの、いっこうにその兆しもないのよ。そういうものなのねえ」
 笑いながら母親はそう答えた。
「私が来たら、いけませんでしょうか」
 突然すぎたのだろう、母親は舞子の言葉の意味がのみこめなかった。
「初めての妙齢のお客さんが舞子さんで、幸先がいいですよ」
 彼の母親の言葉を、舞子は微笑とともに受けとめた。
「嫁としてこの私は、いかがでしょうか」
 母親は舞子を見つめた。腑に落ちない表情を、息子に向けた。そして、
「こういう話だったの?」
 と、息子に対する母親の口調で訊いた。彼は舞子に視線を向けた。助けを求める視線だった。その視線を引き取った舞子が、次の言葉を口にするより先に、
「舞子さん、それ、ほんとなの?」
 と、母親は言った。
「ほんとです」
 と、舞子が言いきった。そして彼を見て深く微笑した。
「こんな大事な話をいまいきなりで、私はびっくりするじゃないですか」
 さきほどとおなじ口調で、母親は息子に言った。
「僕だって驚いている」
「ほんとの話なの?」
「はい、ほんとうです」
 舞子が答えた。それに対する母親の台詞は、次のようだった。
「そんなことがもし実現したら、私はもう、うれしくて安心で、これが双六なら一番で上がった気分ですよ。大喜びで親戚じゅうに吹聴してしまうわ。編み物教室では出来た作品を着てみせるモデルになってちょうだい、十一月の末に発表会があるのよ、ぜひともお願い」
 彼の母親は編み物教室を主宰している。彼は幼い頃からセーターには不足しなかった。
「お安いご用です」
「いつからきまってたの?」
 母親は息子に問い質した。彼には答えようがなかった。舞子らしさが発揮されていく様子を自分は受けとめているだけ、という思いがいまの彼にはもっとも強かった。昨日の夜、下北沢の駅でともに改札口を出てから、今日ここにいたるまでの展開はきわめて滑らかであり、その滑らかさのなかに取り込まれている自分に、違和感はまったくなかった。
「ご両親はご存じなの?」
 母親が舞子に訊いた。
「今夜にも手紙を書いて、明日投函しておきます」
「舞子さんが私のとこの娘になるの?」
 そう言って母親は息子をつくづくと見た。母親の目でなにごとかを評定するかのようにしばらく見て、
「良すぎるわね、あんたにはもったいない」
 と言った。
 舞子は笑った。
「これから長いですから、私のいろんなところをご覧になって、びっくりなさることも多いかと思いますけれど、どうぞよろしく」
 椅子にすわったまま、彼の母親は、上体を深く前へ倒した。自分の母親が気持ちをこめてするおじぎの、これはもっとも気持ちのこもった実例ではないか、と彼は思った。
「これからふたりで、ちょっと私の家へ」
 と、舞子は言った。
「近くてよかったわ、これも安心の種」
 三人は玄関へいき、家の外へ出た。彼がドアをロックした。三人は門へ歩いた。そこで立ちどまってから、母親は息子に言った。
「これからは奥さんを養わなくてはいけないんですよ。どうするんですか」
 こうします、というような答えなど、あるわけなかった。体を寄せた舞子が彼の腕を内側からとらえ、彼の手を取った。その舞子に母親は再び深く礼をした。
 そこから舞子の家まで、三分ほどの距離を歩きながら、
「ということで、よかったかしら」
 と、舞子は囁いた。
「充分です」
 彼が答えた。
 舞子の家に入り、居間のソファにふたりはすわった。
「私の弾くピアノを、まだ聴いてもらってないのよ。ピアノを弾く私を、見てもらってもいないのよ」
 そう言った舞子はソファを立ち、
「ここで待ってて」
 と言い残し、居間から外の廊下に出た。
 しばらくして、彼女は戻って来た。光沢のある白い生地の水着に、昨日はピアノのペダルのわきにあった、ハイヒール・サンダルという姿だった。化粧と髪が、さきほどまでとは別なものになっていた。舞子自身としての端正な華やぎと清楚さが溶け合ってひとつになると、どう否定することも隠すことも不可能な、秘密の奥行きに満ちた肉感性が生まれる事実を、彼は目の前に確認した。
「見ていただけるなら、なにもかも見ていただいたほうが、いいと思うのよ」
 そう言いながら舞子はピアノ・ストゥールへ歩き、美しくそこにすわった。すわる彼女の身のこなしに、自分の内部から視線がたぐり出されていく錯覚を、彼は覚えた。舞子は顔を上げて彼を見た。そして、
「リクエストは?」
 と言った。
 昨夜のことを思い出した彼は、
「ディープ・パープル」
 と、答えた。
 一九三四年のアメリカに生まれたこの名曲を、正しい解釈で舞子は見事に弾いた。それを自分は聴いたと言うべきか、それとも、見たと表現すべきなのか。受けとめたことは確かだ。しかし、自分のどこでどのように受けとめたのか、自分なりにはっきりするまでには時間が必要だ、と彼は思った。
「なにかもう一曲」
「トゥー・ラヴス・ハヴ・アイ」
「ジョセフィーン・ベイカーの歌ね」
 これも彼女は見事に弾いた。ストゥールを立った彼女は、彼に歩み寄った。
「私は合格しましたか」
 という舞子の言葉への返答として、彼は彼女を抱き寄せるほかなかった。抱き寄せられるままに彼女も彼を抱いた。ふたりは唇を重ねた。そして彼の手を取った舞子は、居間の外へ向かった。玄関ホールから、居間とは反対側へとつながる廊下を歩き、奥の寝室に入った。正面の窓にはカーテンが閉じてあり、寝室のなかはほの暗かった。彼の手を離して舞子はドアを閉じた。
 彼のかたわらで上体をかがめた彼女は、ハイヒール・サンダルを脱いだ。素足でフロアに立ち、片足でサンダルをかたわらへと押しやり、彼に向けて両腕を差し出した。ふたりは抱き合った。
「こうなったら、早いほうがいいでしょう」
「母が来るかもしれない。もらいものの羊羹や最中を持って」
 舞子は笑った。
「居留守を使いましょう」
「代田の駅前まで、買い物にいったつもりになればいい」
「魚屋さん?」
「そうだね」
「あなたもいっしょに来たの?」
 恐ろしいまでに甘く、舞子はそう囁いた。
「いっしょです」
 彼が答えた。


 世田谷区役所へふたりで婚姻届を提出しにいった帰り道、舞子はかたわらを歩く彼に次のように言った。
「私たちのこの結婚は、ふたりにそれぞれ同時に訪れた転機なのだ、ととらえればいちばんいいのではないかしら」
 秋晴れの陽ざしのなかに、いま自分たちが歩いている、世田谷の一角の平凡きわまりない光景があった。その光景のなかに、舞子の声で転機という言葉が放たれ、陽ざしを短くかいくぐって消える様子を、彼は受けとめた。
「転機と言うほかないだろうね」
「転機とはつまり、ここからの私たち、ということね」
「まさかこうなるとは、思ってもみなかった。中学と高校の先輩の、近所に住んでいて顔見知りの、三条舞子さんと僕とが、同時に転機のなかにいるとは」
「これからの私は、すでに以前からきまっていたことの実行として、ヨーロッパへいきます。自分のピアノを試してみるのよ。試験を受ける気持ち、とでも言えばいいかしら。しかし実際には試験ではないから、合格とか不合格といった、ある一線上での決定というものは、ないのね。だからそのかわりに、時間が必要なのよ。少ない場合でも三年。ただし、どんなに長くても、五年にもなることはないと思うの。五年になると、それはもう生活でしょう。私の場合は、どこまで自分のピアノがヨーロッパで通用するか、試してみたいだけなの。住みついて現地の人になるとか、そういうことではないのよ。私は日本の女ですから、日本へ帰って来ます。帰って来たら、あなたの奥さんをします」
「きめたことは実行しないといけない」
 自分の言葉の平凡さを、彼はまず自分で受けとめた。
「やみくもに実行するのは、賢い方法ではないと思うわ」
「徹底させるといい」
「自分のピアノを、どこまで受けとめてもらえるか。お客が余興に弾くピアノではなくて、その土地に住んでピアノで仕事をしていくひとりの人として、どこまで好いて支持してもらえるのか、どんな拍手を受けることが出来るのか。そういうことを、ぜひとも試してみたいの」
「あちこちに悔いを残さないように」
「アメリカには両親がいるだけで、友だちはいないの。ヨーロッパには多くて、心強いのよ。まず落ち着く場所はフランクフルトで、そこにいる知り合いのかたは、もとは商社の駐在員で、いまはご夫婦で放送の仕事をなさってるかたなの。LPが出来るたびに送って聴いていただいて、あまりにも気にいったから地元の放送局に話をしたら、局のほうでもたいへんに好いてくださって、その局での仕事がすでになかばきまってるのよ。ウイーク・デーの一日のしめくくりとして、夕方にニュースがあって、ニュースが終わると次の定時まで、十二、三分から十五分くらいの、クッションに使える時間がいつも空くのですって。ひとりのアナウンサーがいろんな話をしながら、その合間に、私がスタジオでピアノを弾く、という番組なの。くつろいで聴くことの出来る、心あたたまってほっとするひとときなのだと思うわ。毎週、月曜から金曜まで、夕方」
「僕も聴きたい」
「カセット・テープに録って送ります」
「楽しみだ」
「ヨーロッパは、お好みではないかしら」
「接点はなにもないけれど、あちこち見ておきたい気持ちはある」
「一年くらい、いかがかしら」
「いいね。計画しよう」
「実現すると、私はうれしいわ」
「僕だってうれしい」
「現地に到着して、日常生活が落ち着いたら、その局で簡単なオーディションを受けて、すぐにいま言ったような仕事を始めることになると思うのよ。だからしばらくのあいだは、私の生活はそのラジオ番組が中心になります。三条舞子の、ライヴ・イン・フランクフルトだわ」
 そう言って彼女は笑った。
「デュッセルドルフ、ブレーメン、ハンブルク、ベルリンに友人や知人がいて、アムステルダムやコペンハーゲンにもいるのよ。そういう時代なのかしら」
「世田谷には僕がいます」
 もう一度、舞子は笑った。
「ホテルのバーで、午後から夕方にかけてピアノを弾く仕事の話もあって、早くも私はかけもちなのよ。お店の経営者が私のLPを聴いて、気にいってくださってるのですって」
「そういう話を聞くと、僕も安心だ」
「帝国ホテルのラウンジで弾いてたときの話をしておきましょうか。これも安心の種になると思うわ。ある日の夕方、見るからにヨーロッパの人という雰囲気の、中年の男性たちが四、五人、そのラウンジに来たの。ひとりだけ奥さんを連れてたわ。奥の席に入ったのですけど、やがてピアノが見える席へ移って来て、弾いてる私を全員で熱心に見るのよ。これはほんとに偶然なのですけど、その日の私はコンチネンタル・タンゴばかり弾いてたの。『夜のタンゴ』『薔薇のタンゴ』『真珠採りのタンゴ』『ジェラシー』『ただ一度の機会』といった名曲を、次々に。感心したような雰囲気で聴いてくださってることはよくわかったので、私も気分良く弾いたのよ。ラウンジを出るとき彼らは私のところへきて、親しみの感情を満面に浮かべて、私を見るの。そしてなにか話しかけるのだけど英語ではなくて、私の怪しい英語でやりとりしていて突然に閃いたのは、彼ら男性たち全員が、音楽の人だということなの。音楽のプロフェッショナルだということが、そのとき突然に、わかったのよ。だから私は、どちらのバンドのかたですかと訊いたら、答えを聞いてびっくりしたわ、マランド楽団のメンバーなのよ。奥さんを連れてひときわにこにこしてた男性が、リーダーのアリー・マースランドなの。日本公演に来ていて、その日はお休みだったのですって。私がピアノで弾いたコンチネンタル・タンゴは、マランド楽団に褒めていただけたのよ」
「オランダで再会があるかもしれないよ」
「可能性は充分ね」
 十一月のなかば、舞子はヨーロッパに向けて出発した。準備はすでに整い、フランクフルトへ送るべきものはすべて発送し終えていた。だから出発当日の舞子は、気楽な小旅行に出る人の雰囲気だった。空港まで彼とふたりでいき、空港にはたくさんの人たちが見送りに来ていた。
 ひとり東京にとどまる彼に対して、舞子はいくつかの希望を提案のかたちで残した。希望でも提案でもなく、ほとんど命令だったのは、自分の家へ引っ越して来て、そこに住んでいてほしい、ということだった。彼は賛成して引き受けた。舞子の家に移り住むのは、彼にとって好ましいことだった。それに留守宅を守る人として、自分が最適任であることは間違いなかった。
 日常生活の環境を変えたい、と彼は思っていた。引っ越しも考えのなかにあった。これまでの場所から歩いて三分という条件は、考えてみるとたいそう好ましいことのように思えた。ひとりで住んできたこれまでの自宅は、いつでも自由に立ち寄ることの出来る、至近距離にある第二の自宅ではないか。本その他、場所を移す必要のないものは、そのまま置いておくことが出来る。仕事部屋として使うと、気分は変わっていいかもしれない。
 彼は舞子の家へ移った。部分的な引っ越しだから、自分ひとりで持てる範囲で何度も往復しては運ぶという、ひとりで続ける楽しい作業となった。十二月に入った頃には、彼は舞子の家にすっかり落ち着いていた。住みやすい快適な家だった。環境を変化させたいと思っていた彼にとって、気分は充分に新しくなった。居間のある南側は、明るくて居心地が良かった。一日をそこで過ごすと、求めていた静かな別世界がそのままそこにあることを、彼は発見した。ヴェランダと庭が、冬という季節と無理なくひとつになっていた。夏はどうなのか。四季の変化とその反復。そういったことをじっと見ているのは、自分にとってかねてよりの理想だったではないか。
 これまで住んできた小さな家をめぐっても、彼はいくつかの新鮮な発見をした。舞子の家への引っ越しがなかったなら、このような発見も出来なかったはずだ。かつての自宅を、彼は完全に引き払ったのではない。だからその家はなにもない空家ではなく、住んでいたときとほとんど変わっていない。しかし、いまの自分が、毎日をそこで生活しているのでもない。自分の痕跡を充分に残した跡地なのだ、と彼はその家を理解した。
 つい先月まで、自分という人が住んでいた跡地だ。その自分の痕跡がいたるところにあり、それらの痕跡をいまの自分がひとつずつ観察していく行為は、ごく最近までの自分を、自分自身によって客観的に観察する行為であることに、彼は気づいた。自分が残した痕跡は自分自身そのものであり、それをいまの自分が、他の場所へ移った人の視点から、観察していく。
 母親が勝手に作ったその家で、彼はちょうど五年間という時間を過ごした。現在からさかのぼって五年前までの自分を痕跡のなかに点検すると、これからの自分にとっての進むべき方向が少しずつ見えてきて、そのことに彼は手ごたえを感じた。
 ありとあらゆる現実が、おたがいに脈絡などなしに、常にいっせいに動いてせわしなく多忙な世の中から、ずっと引き下がったところにあるはずの、個人的に充足した静かな世界に移りたいと、直感的に思い始めていた自分の、その直感の正しさを彼は確認することが出来た。買い集めた本やレコードなどのひとつひとつが、これからの自分にとっての意味という、これまでとは異なった新しい意味を提示してくれることも、彼は発見した。
 そして移り住んでいる舞子の家は、世の中からほどよく引き下がった、静かな世界そのものだった。得がたいものを手に入れたうれしさは、一日の時間を可能なかぎりその家のなかで過ごすことにより、何倍にも増幅された。だから家のなかでひとりで過ごす時間が、彼の生活のなかで、中心的な位置を占めるようになった。
 おなじ場所にともにいたときにくらべると、舞子は多元的な存在となった。これもうれしい発見だった。この家にこれまで舞子はずっと住んできた。二十八歳からの五年間は舞子ひとりだった。家のなかのあらゆるところに、舞子の気配や影があった。身のまわりに雑多な物をたくさん溜め込む性格の人ではない舞子に、所持品は少なかった。したがって家のなかのどの部分も、すっきりしていた。そしてその様子のなかに、舞子の気配が存分にあった。
 その気配を自分の感覚がからめ捕ることによって、自分のなかに像を結ぶ舞子を、彼は大切に扱った。勉強部屋だと彼女が言っていた、居間と続いた小部屋は、物の配置を変えたり自分が持ってきた物を加えたりせず、舞子が残したままに保った。寝室のクロゼットを開くと、ヨーロッパへ持ってはいかなかった服のひとつひとつが、それを着た人である舞子の体を感じさせた。
 子細に観察すれば濃厚に残っている舞子の気配のなかに、自分という別な人がその周囲に引きずっている気配が、少しずつ重なっていく様子を体験するのも、彼にとっての新しい発見だった。いまはここにいない舞子は、残された気配を集め、自分の感覚のなかに自分で再構成する舞子となった。ごく近い過去のなかから思い出すさまざまなことが、彼によって再構成される舞子の像を補強した。そしてそのような舞子は、彼がまったく新たに想像して描き出す舞子ともなった。いまもここにいるような、ふと姿をあらわしそうな、声が聞こえそうな、想像上の舞子だ。
 このようなさまざまな舞子は、彼女が作った三枚のLPを再生すると、スピーカーから聴こえてくる彼女自身によるピアノ音楽へと、この上なく美しくひとつにまとまった。ピアノ音楽としての舞子という、彼にとっては理想的なまとまりかただった。
 フランクフルトに到着してすぐに、彼女から電話があった。手紙や葉書など、すでに何通か届いていた。歌謡曲のLPが完成したらレコード会社から連絡があるから、十二枚を自分宛てに送ってほしいと、舞子は手紙のなかに書いていた。出発する前に頼んでおこうと思って忘れました、と万年筆で彼女が紙の上に書いた文字から、彼は舞子を頭のなかにさまざまに呼び起こした。自分はこういうことを好む人なのだという、発見でもあり確認でもある認識のなかに、これからの自分という、まだ存在してはいない自分を、ほんの一瞬、彼は見た。
 あなたは小説家になればいい、と舞子は言った。晴れた日の続く十二月が静かに経過していくなかで、彼は舞子のこの言葉を思い起こすことが多かった。舞子は正しいことを言ったような気がする、と彼は感じていた。舞子がヨーロッパから帰ってくるまでに、すべてが順調にいけば、少なくとも三年という時間は経過する。そのあいだ自分はここでひとりの時間を過ごす。静かなひとりの時間を賞味しているだけではいけないようだ。そのような時間のなかから、自分は文章を紡ぎ出さなくてはいけない。小説家、と舞子は言った。友人の父親からの連想でそう言ったのだろうが、自分が紡ぎ出すのは小説なのだろうか。
 文章ならまずたいていのことについては書くことが出来る。知らないことがあれば調べればいい。しかし、果たして小説が、この自分に書けるだろうか。小説を書くためにはどこかに原点が必要なのではないか。そのような原点が自分にあるのかどうか。母親が作ったあの家でひとり暮らしをした五年間だけではなく、もっと遠くまでさかのぼって、自分を検討しなくてはいけない。これからの日々はその作業のための好機なのか。
 新聞社で書いた文章、そしてフリーランスのもの書きになってから書いた文章は、活字になったものを切り抜いて、すべてファイルしてあった。手始めにそれを最初から点検し、意に満たないものはかたっぱしから捨てていく。あとになにかが多少は残るだろう。残ったものをさらに検討すると、そのなかにいまの自分がなんとか立つことの出来る足場が、あるのではないか。原点、つまり頼りになる蓄積がさほどないなら、なにごとにせよ新たに発見していくプロセスのなかに見つけるうれしさについて、書いていけばいい。
 あなたの処女作をヨーロッパで読みたい、とも舞子は言った。いくつもの文章を一冊にまとめたもの。そのような本を作るなら、最初の関門は無事に越えることが出来る。それは自分にとって最初の本だから、処女作であることは間違いない。一見したところいろんなことについて書いてあるように見えて、ひとつの容器のなかにすべてがおたがいに調和して収まっているような文章による、一冊の本。そこから始めるほかないだろう。書きたい主題をめぐって、書きたいだけのことを、次々に書いていく。それが原稿用紙で百枚を越えたなら、それを改めて検討する。検討すればかならずや、そこから前方への道は見えてくるはずだ。
 こうして舞子の家で静かな時間をひとりで楽しむことは、自分で自分自身を本格的に相手にして、文章を書いていくことなのだ。相手をして、そこになにがあるのか。相手をするに足りる存在なのかどうか。いまの自分にそれだけの力量があるのか。かなり大変なことが、我が身の上で、じつはすでに始まっているのだという自覚が、いまようやく、彼のなかを走り抜けた。きわめて淡く、彼は微笑した。
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秋風と彼女の足もと



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 若い女性の店員がいたほうがいいかな、とふと思ったその日の午後、よく来るその女性が店にあらわれた。カウンターの席にすわり、いつものとおり静かにコーヒーを飲んだ。そしてカウンターのなかの中島裕美子に、彼女は次のように言った。
「こちらのお店では、アルバイトの店員はご入り用ではありませんか」
 裕美子は微笑した。
「いてもいいかな、と思ってたとこよ」
 と、彼女は答えた。
「募集なさることがあれば、私は応募します」
 その言葉を受けとめて、裕美子は彼女の声について判断した。体のなかからまっすぐに出て来る、いい声だった。細身の美人で清楚な雰囲気があり、静かな陰の部分には怜悧さが宿っていた。その彼女を、カウンターの内側という場所から、裕美子はあらためて観察した。この喫茶店の店員として、悪くない。もったいないくらいかもしれない。
「あなたが応募してくれるとわかってるなら、わざわざ募集することはないわね」
「ありがとうございます」
「仕事はしてないの?」
「いまは無職です。ラジオの仕事が好きで、民放でアルバイトをしていました。ひとつの番組の専属だったのですけれど、その番組が終わってしまいましたので。裏方の仕事はあるのですけれど、スタジオ・ワークがしたくて、チャンスを待っています」
「おいくつ?」
「二十七歳です」
 その年齢でなぜ喫茶店のアルバイト店員になりたいのかと思いながら、四十六歳という自分の年齢に、裕美子は照合してみた。
「若いわね」
 という平凡な感想に、
「ほんとにここで店員をしたければ、してもらってもいいのよ」
 と、裕美子はつけ加えた。
「お願いします」
「最初にいらしたのは、半年ほども前になるかしら」
「三月でした」
「そうね」
「すっかり気にいって、それ以来です」
「いつから始めるの?」
「いつからでも」
「日曜と祝日が休みなのよ。時間は自由でいいわ。あんまり一定しないのも困るけど。お好きな時間帯で、無理のないところを」
「はい」
「営業時間は午前十一時から午後の七時まで、八時間営業。午後一時から六時までの五時間、というのはどうかしら」
「そうさせていただければ、たいへんうれしいです」
「あなたがいてくれれば、私は散歩が出来るわ。買い物にも歩けるし。服装は、働きやすければ、なんでもいいのよ。いまのような服で充分よ。いけなければ、私からそう言うわ。経験は?」
「ありません」
 すんなりとした、しかし存分に頼りなくもあるそのひと言を受けとめて、いまの自分は面接をおこなっている採用担当者のようだ、と裕美子は思った。苦笑が唇の端に宿って消えた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「店の外へ出てみて」
 ふたりは店の外へ出た。
「五十メートルほど歩いて、引き返して来て」
 歩きかたさえ見ればすべてわかる、と口癖のように言っていた演出家がいた。中島裕美子が踊り子として舞台に立っていた頃のことだ。あの演出家と最後に仕事をしてから、早くも二十年になるだろうか、と裕美子は思った。
 店のドアの前まで戻って来て、
「私は川崎律子と申します」
 と、彼女は名乗った。そして字を説明した。
「私は中島裕美子よ。四十六歳」
 ふたりは店のなかに入り、裕美子はカウンターのなか、そして律子は、さきほどとおなじ席にすわった。
「お若くておきれいですね」
 律子がそう言った。
「私が?」
「はい。どんな経歴のかたなのかと、いつも思っていました」
 中島裕美子はこの喫茶店の店主だ。五階建ての小ぶりな建物の一階のフロアぜんたいがこの店だ。五階に住んでいる大家に賃貸料を払っている。営業権だけが彼女のものだ。彼女が自分で始めた店ではない。前の経営者が引退したあとを、店名から造作、メニュー、コーヒー豆の仕入れなど、すべてをそのままに引き継いだものだ。四十歳になる直前のことだった。それ以来、ここが彼女の仕事場だ。
 カウンターの内側が彼女の定位置だ。客が入って来ると、笑顔を向けていらっしゃいませと言う。どうぞお好きなところへ、奥の席もございます、などと言うこともある。グラスに水を入れて席へ持っていき、注文を受ける。カウンターのなかでそれを作る。そして席まで持っていく。あとはその客が店を出るとき、代金を受け取るだけだ。店で客に接する仕事としては、それだけのことの繰り返しでしかない。気楽でいい、と裕美子は思っている。
 姿のいい大柄な女性だ。ひと目見て、ぱっと目立つ。彫りのきいた目鼻だちの美人であることとあいまって、明るく開放的で華やいだ雰囲気が持ち味だが、それは外見だけから生まれるものではない、とたいていの人は感じる。身についたものがにじみ出て来るものであり、そのいちばん底にあるのは、体つきや身のこなしなどを支える、鍛え抜かれた様子だ。
 だからごく普通の堅気の主婦に見えることは、まずない。かと言って、水商売でもない。色気は充分だがどこか品の良さ、あるいは人の良さが、否定しがたい感触として常にある。一度も結婚したことはなく、いまも独身だ。喫茶店のある場所から電車で四十分ほどのところに、自分のものとしての一軒家を持っている。そこにひとりで暮らしている。
 いま初めて名前を知った、二十七歳の常連客の女性から、どんな経歴なのかと興味を持たれた自分の過去へと、裕美子は視線をのばしてみた。経歴は生年月日から始まるのだろう、と彼女は思った。鹿児島のとある町で生まれてそこで育った。彼女が十五歳のとき、太平洋戦争は敗戦で終わった。父親は柔道と剣道の師範として知られた人で、その町および近隣に、三つの道場を持っていた。
 裕美子は三人姉妹のまんなかだ。いちばん体が使えるのは彼女であることを見抜いた父親は、柔道と剣道を彼女に厳しく教えた。彼女が地元の高校を卒業するまで、それは続いた。裕美子にとっては、かならずしも望んだことではなかったが、鍛えられた身体はすぐに貴重な財産として機能することとなった。
 高校を終えた中島裕美子は、家族の知人を頼って大阪へ出た。彼女は舞台が好きだった。舞台で生きたいという決意は、故郷を出るときすでに固まっていた。その決意だけを持って、彼女は大阪に住む人となった。大柄で鍛えられた体、そして舞台映えのする顔だちの十七歳の彼女は、化粧して華やかな衣装を身につけ、ステージの上で照明を浴び、歌って踊って飛び跳ねて、という生活を夢見ていた。そしてその夢はたちまち実現した。
 時代は戦後の混乱期で、大阪はひときわそうだった。しかし人々の気持ちは、制限のない解放へと向かっていた。大衆的で賑やかな娯楽には、それがなにであれ、底の深い大きな需要があった。その最高の位置にあったのが、中島裕美子が若い熱意を燃やした、レヴューの舞台だった。
 経験は皆無だが体という資産を持っていた彼女は、千日前の劇場の研修生になった。生活はとりあえず保証されるが給与はなし、という条件だった。最初の舞台をワンサ・ガールとして踏んだ。わんさといるうちのひとり、というような意味だ。ライン・ダンスのメンバーのひとりが失踪し、その代役が裕美子にまわって来た。だからこれが彼女のデビューとなった。このときのステージを見た演出家から、ライン・ダンスで右端から三人目にいた踊り子、と指定されて裕美子は次の役に抜擢された。踊り子としての年月は、このようにして始まっていった。
 仕事はいくらでもあった。そして仕事だけが生活のすべてだった。心身ともにそれで完全に充実していたから、それ以外にはなにも必要ではなかった。だから舞台のほかにはどこにも目を向けることのないまま、夢中で二十歳を越えた。この頃すでに、踊り子としての中島裕美子は、演出家の要求に完璧に応えることの出来る人となっていた。そして二十三歳になった頃には、要求に対して完璧に応えつつ、どこかで演出家を出し抜く快感を知っていた。出し抜くと言うか越えると言うべきか、あるいは裏切るという言いかたをしてもいい。演出家が思い描いたとおりを現出させながら、彼が考えた以上のことをそこにほんの一瞬だけつけ加える。演出家は自分が出し抜かれたとは気づかず、すべては自分の考えたとおりになった、とひときわ満足する。
 日本全国いたるところ、ありとあらゆる舞台に彼女は立った。日劇も国際も体験した。最後は日劇ミュージック・ホールの踊り子となった。ステージに出て半裸で踊る、という生活だけで生きて来た日々を、彼女はそこで終えた。舞台以外のことを、それがなにであれ、ほんの付録のようなものとしてしか、裕美子は知らない。
 嫌なことはなにひとつなかったし、犯罪に巻き込まれる、あるいは男に騙されてひどい目にあう、といったことも皆無だった。大恋愛や大失恋、そしてそれらの繰り返しなどとも、彼女は無縁だった。彼女のなかに決定的な痕跡を残した男性はひとりもいず、したがって結婚したことはなく、独身のままでもちろん子供はいない。鹿児島には両親が健在だ。姉と妹もおなじ町にいて、どちらも家庭の主婦だ。その鹿児島へ帰ろうと思うなら帰ることは出来るが、自分の居場所はない。自分で作り出すほかない。だったら東京にいてもおなじことだ、と彼女は考えた。
 四十歳直前に、彼女はこの喫茶店の店主になった。その頃の彼女は、ちらし広告のモデルをしていた。かつて何度も劇場をともにし、彼女が舞台を去ってからはすっかり疎遠になっていた演出家から、彼女のところへ突然に電話があった。ちらし広告を見てこの女性はきみに違いないと思い、なんとしても確認したいからそのちらし広告を制作した代理店に連絡し、きみの電話番号を教えてもらった、とその演出家は言った。
 せっかくだから一度ぜひ会おうということになり、会う場所として指定されたのが、この喫茶店だった。戦後日本の大衆芸能を専門にしている大学の教授から、かつての現場を直接に体験した証言者として、何度も連続してインタヴューを受けている、とその演出家は彼女に言った。そのインタヴューを受ける場所が、この喫茶店であることがたまにある、ということだった。
 喫茶店の経営者は引退を考えていて、建物の持ち主は喫茶店のままに引き継いでくれる人を探していることを、裕美子はその演出家から聞かされた。なにかの縁、というものを彼女は大事にして来た。店は客として初めて入った瞬間、気にいっていた。立地条件は悪くない。店のある周辺だけを見るなら、小規模な会社の入った小ぶりな建物がならぶだけの地区だが、そこから三分も歩くと、東京でも有数の歴史を持った繁華街だった。大学が多く、学生の街として知られている。だからその喫茶店の客には学生が多く、そのほかに大学の先生たち、近くの会社のサラリーマンとOLなど、常連客もかなりの割合をしめていた。客は充分にいる、女手ひとつでもやっていけると説明されて、裕美子はその喫茶店を引き継ぐことにした。
 それから六年だ。間もなく七年目に入る。このまま続けていくことは出来そうだ、と彼女は判断していた。やめたくなったら買い手を探せばいい。いまのうちにアパートでも建てておくといいのか、とも思ったりする。それには資金が必要だが、ではそれをどうしたらいいだろう、という日々だ。お若くてきれいですね、と二十七歳の女性から言われる。四十代後半の日々としては、けっして悪くないのではないか。
 川崎律子は安定した真面目な女性だった。欠勤や遅刻、頻繁な早退などいっさいなく、時間どおりきちんと仕事をした。喫茶店のウエイトレスの経験はない素人だとは言っても、水の入ったグラスやコーヒーを客席に運ぶだけだから、律子はすぐに慣れた。まかせていいとわかってからは、裕美子はしばしば散歩に出た。平日の午後に百貨店をめぐることなど、久しぶりに楽しむ時間が出来た。
 二十七歳の川崎律子は、芯は強いのだろうが、思いのほか手ごたえのない女性だった。ラジオの仕事が好きだと言うけれど、ラジオ局でなにをどうしたいのか、彼女の話を聞いても裕美子にはよくわからなかった。自分がどうありたいのか、どうあれば幸せなのか、到達しようとして目ざしている状態があるのかなど、彼女がアルバイトを開始してひと月がたち、長かった残暑が終わる頃になっても、裕美子にはつかみきれないままだった。
 伝票や帳面などには、きれいに整ったしっかりした字を書く。間違いはない。反応は鋭く、頭はいい。しかし、そこから先が、裕美子には見通すことが出来なかった。もしかしたらこれがいまふうなのかと、裕美子は不思議な気持ちになった。
 自分がどこで生まれてどのように育ち、四十六歳の現在までなにをして生きて来た人なのか、律子に問われるまま、このひと月のあいだに、裕美子はあらましを語った。裕美子が語ることに対して、律子は熱心な興味を示した。自分のほうから語ってばかりだったから、裕美子は律子に関してほとんどなにも知らない。ふたりのあいだに年齢の差が十九歳あることが話題になったのは、ごく最近のことだ。
「私とあなたとのあいだに、ほぼ二十年の開きがあるのね」
「私は一九四九年の生まれです」
「昭和二十四年ね」
「大阪で踊り子をなさってたのですよね」
「昭和二十四年というと、東京の新宿で、額縁ストリップがあった年ではなかったかしら」
 額縁ストリップを川崎律子が知るわけない。裕美子は説明を引き受けなければならなかった。
「ほとんど裸の踊り子がひとり、自分の背丈よりも大きな額縁のなかで、ポーズをとってじっとしてるのよ。その様子を客が見るの。ストリップと言っても、ただそれだけ。動いてはいけなかったのよ」
「なぜいけないのですか」
 という律子の質問に、裕美子は笑うほかなかった。
「動くと、それだけを理由に猥褻であると判断されて、逮捕されることもあったみたいよ。あら、ちょっと待って。額縁ストリップがあったのは、昭和二十四年ではなくて、二十二年のことだわ。私が大阪に出た年。大阪でも大評判になって、雑誌に載った小さな写真を踊り子たちが見て、大騒ぎしたのを覚えてるわ。そう、あれは昭和の二十二年のこと」
「私が生まれる二年前ですね」
「そう、新憲法の年。キャサリン台風。共同募金。鐘の鳴る丘。知ってる?」
「いいえ」
 とだけ言って首を振るのみの律子に、
「昭和二十四年は一ドルが三百六十円ときめられた年よ」
 と、裕美子は言った。
「ドル紙幣の束をバッグに入れて、自慢してた踊り子がいたわ。昔の話ねえ。いまは一九七六年でしょう。ほんのちょっとだけ以前のことなのに、かたっぱしから昔の話になってしまうのねえ。あなたが生まれた昭和二十四年の歌を、あなたは知ってるかしら」
 律子は首を振った。そして、
「懐メロですよねえ」
 と言った。
「懐かしのメロディー。ほんとにそうね、懐かしいわ。単に知っているというだけではなく、私の場合は舞台で踊って歌ってたから、思い出すとなったら体の底から思い出すのよ。自分の体の一部分ね。青い山脈。悲しき口笛。銀座カンカン娘。長崎の鐘。別れのタンゴ。月よりの使者。心の小鳩。かよい船。玄海ブルース。トンコ節。かりそめの恋」
「青春の歌なのですね」
「そうね、そう言ってもいいわね。青春のときの体が覚えてるのよ。ロシア民謡も流行してたわ。小さいぐみの木」
 自分が語ることを受けとめるだけの律子に、裕美子はさらに次のように言った。
「だから私が生まれた一九三〇年なんて、もっと昔なのね。一九三〇年について、あなた、なにか知ってる?」
「なにも知りません」
「昭和の何年?」
 昭和と西暦とを頭のなかで対照させ、引き算をしているはずの律子を、裕美子はカウンターのなかから微笑して見た。
「昭和の五年よ。そして私はその年に生まれたのだから、当然のこととしてなにも知らないわ。ひどい不景気だったということは、父から聞いて覚えてるのよ。アメリカから始まった、世界的な不景気でしょう。日本にも影響があって、生糸の値段が暴落したのですって。ほかの産業ももちろん打撃を受けて、大変だったみたいよ。その前の年の昭和四年には、ドイツから飛んで来たツェッペリンという飛行船を、父は見にいったと言ってたわ。自分が生まれた年について私が知っているのは、それだけ」
 自分より二十歳近くも若い女性を相手に、自分の視点から過去について語るという体験を、中島裕美子はこれまで持ったことがなかった。若い女性に向けて自分について語る快感を、裕美子はほんのりと自覚するようになっていた。
「私がいまのあなたとおなじ年齢の二十七歳だったのは、昭和三十二年ね。体から思い出すほかないので、きっかけはどうしても歌になるわね。まずフランク永井よ。東京午前三時。夜霧の第二国道。それから石原裕次郎の時代でもあったのね。錆びたナイフ。俺は待ってるぜ。なにを待ってるのだったかしら。あン時ゃどしゃ降り、という歌があったわね。春日八郎。踊子、という歌を歌ったのは、誰だったか覚えてないわ」
「思い出は豊富なのですね」
「この程度では、思い出とも言えないでしょう。昭和三十二年と言えば、百円玉が出た年よ。あなたは百円玉の時代の人なのよ。それから、五千円札。やっぱりおかねのことは覚えてるわ。次の年には一万円札が出たのよ。まあ、大変、次々に出て額面が大きくなって。インスタント・ラーメンが登場したのは、この頃ではなかったかしら。百円玉と一万円札とインスタント・ラーメン。妙な取り合わせだけど、あなたが始まったのは、そのあたりからだったのよ」
 残暑がようやく終わろうとする頃のある日、店が終わったあと近くで夕食をともにすることを、裕美子は律子に提案した。律子は熱意を示し、閉店の七時まで店にいた。歩いて数分のところにある、ロシア料理の店へふたりは向かった。歩道から階段を降りて地下の店に入った。天井に埋め込まれたスピーカーから、小さな音量で音楽が流れていた。
「うわあ、懐かしい」
 と、裕美子が言った。
「バルカンの星の下に、という曲なのよ。ひと月ほど前、昭和二十四年の歌を話題にしたことがあったでしょう。ちょうどあの時代に、なぜだか日本で流行したのよ」
 壁ぎわにあるふたり用のテーブルで、裕美子は律子と差し向かいになった。場所を変えてこうして間近に見ると、律子が美人であることを示すディテールを、彼女の顔立ちのなかに、裕美子は数多く見つけることが出来た。
 律子がアルバイト店員を始めてから、間もなくふた月になる。律子の友人が店へ来たことが一度もない、と裕美子はふと思った。友だちは少ないのか。友人が店へあらわれれば、私的な会話を多少ともしなければならない。店は仕事の場であるというような理由で、友人を店に来させることを、律子は意識して抑制しているのだろうか、などと裕美子は思った。
 料理を注文してから、律子は次のように言った。
「踊り子をなさっていた頃のお仲間とは、いまでもおつき合いがあるのですか」
「ないわよ」
 というひと言が、裕美子の返事だった。あとに続いた言葉は、そのひと言の説明となった。
「一度だけにしろいっしょにステージに出た踊り子の数となると、どのくらいになるか自分でもわからないわ。ほんとに散り散りで、いま頃はどこでなにをしてるやら、という状況よ。いろいろと顔は浮かぶけれど、本名なんて知らないままの人も多いことだし。昔の仲間とつき合いがあれば、なんだかんだと店へ来るわよ。誰も来ないでしょう。誰ともいっさいつき合いはないわ。それ以前の問題ね。音信不通なのだから。音信不通以前の問題かもしれないわね。あの喫茶店を引き継ぐきっかけになった、昔の演出家との再会なんて、ほんとに珍しい偶然なのよ」
 そこまで喋って裕美子はひと区切りとした。そして話題の新たな方向として、
「どんどんひとりになっていくわね」
 と、言った。
「孤立なさる、ということですか」
「孤立ねえ。孤立なら孤立でもいいわ。いろんな人との関係が切れていくというか、そもそも私はあんまり人間関係のないほうだし、新しい関係は生まれていかないし」
「お店のお客さまには、常連のかたが多いですよ」
「店の客は店の客なのよ。私を口説く大学教授がいたりするけれど。秘書になってくれないか、なんて。同僚の後妻の候補に推薦されたり。関係と言っても、その程度よ」
「ひとりで生きていけるかたなのですね」
「ひとりと言うなら、確かにそのとおりね。自分のこの体ひとつで生きていくのだから。踊り子として現役のときには、特にそうね。体しかないのよ。どんどんひとりになっているのは、その延長かしら。体ひとつで夢中で生きて来た期間があって、その期間を終えると、自分はひとりなんだなあ、とつくづく思って過ごす期間というものが、自分にとっての日々になるのね。残りの人生。ちょうどそのような年齢なのよ」
「そうでしょうか」
「自分はひとりなんだなあという思いは、自分とはこれなのね、これだけなのね、というような思いにつながっていくのよ」
「自分とはなになのか、よくわかるようになる、ということですか」
「そうね。よくわかるようになる、というのはたいそう余裕のある言いかたかもしれないわ。自分はこれっぽっち、これっきり、と言ったほうが正確ね」
「自分という存在の本質が、際立っていくのです」
 律子の言いかたに裕美子は微笑した。
「見えてくるのね。若いときには、若さにくるまれて見えないのよ。この歳になって、少しだけわかってきたわ。さすがの私も」
「あらゆることの基本がご自分の体ですから、いろんな方向へ拡散してなくて常に芯があり、しかも自分の体というものは、自分にとっていちばん確かなものですから。ずっと当てにして来ながら、じつは実体としてはなにもなかったのだ、という虚ろなところがどこにも発生しません」
 律子の言葉を裕美子は受けとめた。この二十七歳の女性は、彼女なりにいろんなことを考えていて、それを言葉にするとなれば、固さはあって当然として、充分に表現することが出来るのだ、と裕美子は思った。
「時間とも関係があるのよ」
 裕美子が言った。
「私に即して言うなら、すでにして四十六年という時間が経過してるのね。過ぎ去ってしまって、もはやどこにもないのよ。あるとすれば、それは自分の体のなかね。頭は体だから、頭とは言わずに、体なのよ」
「よくわかります」
「それに、いま現在、ここでこうしているうちにも、時間は飛んでいくわけでしょう。どんどんなくなっていくのね。だから私の過去とはなにかと言うと、それは時間としてはどこにもないという意味ではほんとにないのだから、私の過去なんてなにごとでもないのね。でも、私はまだこうしてここにあるのだから、過去とはこの私であり、自分がこれまでに体験したこと、つまり体のなかに入れたことのすべてが、私なのよ。しかしそれがどういう内容なのかは、誰にもわからないわね」
「知りたいです」
「他人の過去に興味を持っても、報われないわよ」
「いろんなお話をうかがいたいのです」
「いまの私とは、これまでの自分の過去のすべてなのだけど、でもその過去は懐かしくもなんともないし、いつもは忘れてることがほとんどなのよ」
「現在が充実しているからです」
 律子の言葉に裕美子は首を振った。
「とんでもない、充実なんて、なんにもないわよ。舞台で踊ったり歌ったり、あるいは寸劇をこなしたりしただけだから、その舞台が終わったときには、もうすべては消えてるのよ。証拠も痕跡も、どこにもないし。ただ、日本全国いろんなところへいったから、旅先からはかならず、自分宛てに絵葉書を出したのよ。自分が住む場所は、いつだってきちんとあったの。住所不定の踊り子は多かったけれど、私にはきまった住所がいつもあって、そこに宛てて絵葉書を出せば、かならず届いたわ。東京にいるときでも、なにかのパーティーの余興でホテルの宴会場で踊るような仕事のときには、そのホテルの絵葉書をもらって、今日はこんなことがありましたと書いて、自分宛てに投函してたの。いつも切手と万年筆を持っていて、絵葉書が手に入らないと困るから、官製葉書も二十枚くらい、バッグに入れてたわ。自分に宛てたそういう葉書がすべて取ってあって、七百枚くらいはあるかしら」
「面白いお話です。わくわくします」
「つい先日、取り出して観察してみたのよ。日付順にならべてあることすら、忘れてたわ。若い頃って、そういうことにエネルギーを使うのね。どの場所もすべて忘れていて、思い出すとすれば、ごくぼんやりと頭のうしろに浮かんで来るだけなのよ。でも、かつての自分が、確かに日本のその場所で、劇場の舞台で踊ったのだから、そうか、そうだったのか、という程度の感慨はあるわね」
「最初の葉書から順に、旅公演をした場所を、いま訪ねてみたらどんなでしょうか」
「なにもないわよ。街はどこも変わり果ててるでしょうし、劇場はまずないわね。とっくに取り壊されていまはパチンコ店だとか。駅から劇場までの略地図が描いてあったりして。若い自分がそこにいることは確実だけど、それは抜け殻みたいなものだし」
「その絵葉書を、私は見たいです」
「見せてあげるわよ。今度、遊びにいらっしゃい」
「ぜひうかがいます」
「話は変わるけれど、ご両親は健在なのかしら。なにも聞いてないわね。昨日、ふと思ったのよ」
「両親は私が小学生のときに離婚しました。私は母親に引き取られて育ちました」
「そうだったの」
「父親には二年近く会っていません。会えばかならず、世のなかそんなに甘くない、というお説教ですから」
「なにをなさってるかたなの?」
「会社に勤めてます」
「あなたはお母さんと暮らしてるの?」
「私はひとり暮らしです。母親は伊豆にいます」
「なにをしてるの?」
「作家です」
 律子は母親のペンネームを言った。裕美子には聞いたことのない名だった。
「ご存じではなくていいのです」
 という律子の言いかたに、
「なぜ?」
 と、裕美子は訊いた。
「書いてる小説は私小説で、私は嫌いです」
 なにごとに関しても強くは言わない律子が、そう言った。
「あなたがもう少し歳を取ってから読むと、また違った感想を持つかもしれないわよ」
「いいえ」
 と、律子は言いきった。
「私にも作家の友だちがいるのよ。十歳ほど年下の男性」
 裕美子はその作家の名を言った。
「私、ファンなのです。以前から好きで、読んでいます」
「あら、まあ。こういうところに、あの人の読者がいるとは。そう言えば、彼はしばらく店に来てないわね。呼んでみましょうか。好きな作家に会えるわよ」


 十年前の中島裕美子は三十六歳だった。ちらし広告のモデルをしていたのはこの頃だ。写真家のモデルを務めたのも、おなじ時期だ。この仕事は楽しいものだった。写真家が月刊雑誌に連載した仕事で、一年続いた。毎月一度、二、三泊の予定で、日本国内のどこかへいく。写真家と担当の編集者、そしてモデルの裕美子の三人だ。三人そろって出かけるときもあれば、三人が現地で集合することもあった。裕美子としてはとにかく万全の体調で、指定された日時に指定された場所へいけばそれでよかった。写真家が撮る街なみや景色のなかに、なにげなくふといる、ひとりの謎めいた美しい女性、という役どころを裕美子は演じた。タクシーであちこち移動しながら、場所を見つけては撮影する。夕方には終わり、夕食をともにすればその日はそれで終了だった。帰りの時間に合わせて、次の日も多少は撮影した。
 一年続いたこの仕事が終わったあと、裕美子は女性の友人から一軒のバーを預かった。日本を留守にするから、そのあいだだけの三か月、という約束だった。ひと月のびて四か月になった。戦後に出来た歓楽街としては東京でおそらく一番の地帯の、ややはずれに近いあたり、幅のせまい路地が複雑に交錯する奥に、その店はあった。
 歓楽街にある酒と食事の店の、ありとあらゆる種類や形態のぎっちりと詰まった、屋根裏まで含めると三階建ての、大きな木造の建物の隙間のような部分に、そのバーはあった。路地に面したせまい入口から、急な傾斜の階段を上がっていき、小さな踊り場の奥にあるドアを開くと、目の前にそのバーの内部すべてが見えた。
 片方には壁を背にしてカウンター、そしてもういっぽうのスペースでは、低いテーブルをソファが囲んでいた。ただそれだけの店だ。カウンターの端に小さなドアがひとつあった。そのなかは仮眠室のように作ったスペースで、物置として使われていた。その壁に垂直な梯子段があり、それを上がると屋根裏だった。かがんでしか歩くことは出来ないが、仮眠するなら下のスペースよりここのほうが楽だった。売春防止法以前からある建物だから、屋根裏は売春に使用されることが多く、バーは売春のための簡略な助走路として機能したのではないか。年配の男性客が裕美子にそんな説明をした。
 そのバーに、ある日の夜、彼があらわれた。十年前のことだから、彼は二十七歳だった。裕美子が写真家のモデルを務めて一年続いた、月刊雑誌の仕事の担当編集者とともに、夜のまだ早い時間、彼は裕美子が預かるバーの客になった。編集者は裕美子よりふたつ年下の同世代だった。二十七歳の彼は、裕美子にはたいそう若く思えた。今度うちの雑誌で仕事をしてもらうんですよ、と編集者は彼を裕美子に引き合わせた。
 当時の彼はまだ作家ではなく、いろんな雑誌からさまざまな注文を受けて文章を書く、フリーランスの書き手だった。雑多な文章を書くから雑文書きなのだ、と彼は言った。だから裕美子にとっての彼の最初の印象は、つかみどころがないまでに若い雑文書き、というものだった。
 さほど日を置かずに、彼はふたたびあらわれた。そのときは別な編集者といっしょだった。そして三度めのときには、彼はひとりで裕美子の店の客となった。夜の八時前という、まだ客のいない時間だった。
「これで三度めね」
 どこへ向かうとも知れない会話のきっかけとして、裕美子はそう言ってみた。
「そうです」
「今夜はひとりなの?」
「そうです」
 おなじ言葉を繰り返した彼に、
「なぜ?」
 と、裕美子は訊いた。
「三度めの正直ですから」
 裕美子は微笑した。
「今夜のあなたは、正直な人なの?」
「そうです」
「なぜ?」
「裕美子さんに強く惹かれている自分に対して、正直なのです」
「あら、まあ。普通はそこが嘘の始まりなのよ」
「どんな嘘ですか」
 男を相手のたいていの会話では、裕美子は先手を取り続けることが出来た。生まれついての気性がその方向だし、踊り子としての日々のなかで、気性は鍛え上げられた。その裕美子が、彼のその言葉に対して、
「どうしましょ」
 と言った。
「返す言葉がないわ。惹かれてる人のところへは、ひとりで足を運ぶの?」
「ほかに人がいても、邪魔なだけですから」
「あら、なぜ?」
 気のきいた返事など、裕美子は期待していなかった。だからただ微笑している彼を、裕美子は正解として受けとめた。
「お仕事は忙しいの?」
「多忙です」
「最初に見えたとき、あの雑誌のかたといっしょだったわね。仕事は始まったの?」
「まだです。なにか書けと言われていて、考えているところです」
「なにか見つかるといいわね」
「連載です」
「毎月、ということね」
「そうです」
「これまで、どんなことを書いてきたの?」
「いろんなことです。学生の頃から」
「だったら、もうひとかどのヴェテランでしょう」
「仕事はあります」
「なにか目ざしてるものがあるのかしら。目標とか」
「なにもありません」
「二十七歳だとおっしゃってたわね。あと三年で三十よ。三十路みそじと呼ぶのよ」
「どうなるのか、わかりません」
「自分でしてることなのに」
「これからどうなるのか、まるで不明です」
「早くからきめる必要はないのよ」
「そうだと思います」
「でも、このままずっと、というのも困るでしょう」
「困ります」
 というような会話を、カウンターをあいだにはさんで、ふたりは交わした。
 カウンターを出て彼のかたわらへいきたい、と裕美子はふと思った。これからの自分がどうなるのか、まったくわからない状況というものに、彼女は共感があった。いまの自分もそうなのだ。歳を取ったとは言いがたい年齢だが、踊り子として現役であった頃からはすでに遠い。前方に確たる当てがあるわけではなく、現在がこれから先に向けての足場として、期待出来るわけでもない。ないと言うならなにもない。これからどうするの、と人に訊かれると、さあ、としか答えられない裕美子だ。
 カウンターを出た裕美子は、ストゥールにすわっている彼のかたわらに立った。かたわらに立つと、彼とふたりで外を歩きたくなった。店を早くに閉めたい日があれば、そうしてくれていっこうに構わない、と店を預かった知人から裕美子は言われていた。知人も頻繁にそうしているらしく、早くに閉めるときにドアに掛ける札が、カウンターの下の棚に置いてあった。「誠に申し訳ありません、本日はよんどころなく、臨時に休業とさせていただきます」と、長方形に切ったボール紙にサイン・ペンで書いた札だ。紐がついていた。これをドアに打ってある釘に掛ければいいのだ。
 カウンターのなかに戻った裕美子は、その札を彼に見せた。
「ふたりで外へいきましょう。今日のこの店は、これでおしまい」
 彼が先に店を出た。しまい支度をして明かりを消し、裕美子は店を出た。ドアに鍵をかけ、タイトぎみのスカートの裾を、太腿のなかばあたりまでたくし上げた。階段が急だから、スカートが邪魔して歩きにくい。降りるときが特にそうだ。だから裕美子はいつも、この階段を降りるときには、スカートをたくし上げていた。階段の下に待っていた彼は、階段を降りてくる裕美子の見事な脚とその動きを仰ぎ見て、一段ずつ、鑑賞することとなった。
 裕美子は空腹を覚えていた。今日は朝食が遅く、それ以来なにも食べていなかった。自分もそうだと彼は言った。裕美子は彼と腕を組んだ。これからの日々になんの当てもない自分たち、という心地良さが、彼と腕を組むことによって増幅された。これからの日々になんの当てもなく、したがっていまこの瞬間のこととしては、自分たちがどこでなにをしていても、それは自分たちそれぞれの自由と責任でしかなかった。ふたりは寿司を食べた。食べ終えて店を出て、夜の時間は十時をまわったところだった。ふたりは腕を組んで歩いた。
 その頃の中島裕美子は、私鉄の線路ぎわに建つ一軒家にひとりで住んでいた。夜の街を腕を組んで歩きながら、この時間に自宅へ帰るのも悪くないと裕美子は言い、僕もいっしょにいきます、と彼が言った。だから彼を連れて、裕美子はいつもの電車に乗って自宅へ帰った。駅から彼女の家までの途中に銭湯があった。銭湯の前で彼女は立ちどまった。
「しまい湯までには、まだ多少の時間があるわね。うちに風呂はあるけれど、入っていきましょうか」
 裕美子がそう提案した。
「いっしょに?」
 真顔でそう訊く彼に、彼女は笑った。
「まさか」
「手ぬぐいも石鹸もないよ」
「どちらもなかで売ってるわ」
「そうか、銭湯というものがあったか」
「珍しい?」
「入っていこう」
 ふたりは男湯と女湯に、それぞれ分かれた。先に出たほうが外で待つことにした。
 彼が先に出た。コーヒー牛乳を買い、ストローを使って銭湯の前で飲んだ。半分ほど飲んだところで裕美子が出て来た。彼女がコーヒー牛乳をたいらげ、彼が瓶を返した。
「私はハンカチ一枚で銭湯に入るのよ」
 自宅に向けて歩きながら、裕美子が言った。
「いつも持っている、花柄のハンカチ。大判なのよ。いろいろと役に立つわ。腰に巻けばスカートにだってなるのよ」
「なるほど」
「あなたの書く文章の種に使えるかしら。花柄のハンカチで銭湯に入る女」
「早い時間がいいね。洗い場や浴槽が、まだ昼間の光で明るい頃」
「それは初夏から夏の終わりくらいまでだわ」
「花柄のハンカチは湯に濡れて、肌に貼りついたりするのだから、夜ではないほうがいい」
「なぜ?」
「そのほうが色気が出る」
「女の色気に興味があるの?」
「ありますよ」
「あら、よかった。色気なら不自由させません」
 裕美子の自宅へ帰ると、あらためてしなければならないことは、なにもなかった。小さな平屋の間取りを彼に見せ、廊下を台所に戻る途中で、裕美子は彼の手を取って立ちどまった。
「お茶でもいれましょうか」
「水でいい」
 と、彼は言った。
「では台所で飲んできて」
 囁くようにそう言い、廊下に面して襖が一枚あるように見える引き戸を、裕美子は示した。
「ここが寝室。私はなかにいますね」
 彼は台所へ歩き、裕美子は寝室に入った。押入れの襖は開いていた。なかから布団をひと組、裕美子は取り出した。そしてそれを敷いてから、まるで早変わりのような手ぎわで、寝巻に使っている浴衣に着替えた。前を合わせただけで紐は結ばず、布団のかたわらに端正に両膝をつき、軽く腰を降ろした。
 入ってきて引き戸を閉じる彼に、裕美子は押入れの閉じた襖を片手で示した。
「電車がとおると、その振動で襖がはずれるのよ」
 その言葉が合図だったかのように、家のすぐ外を電車が走っていった。
「下りの急行」
 という彼女の言葉に重なって、はずれた襖がふわっと倒れてくるのを、ふたりは見た。
「急行だと、まずかならずはずれるわね」
 倒れた襖を起こし、敷居にはめる彼に、
「左に寄せて、開けたままにしておいて。そこだと倒れないの。でも、たまに、朝起きると、はずれて倒れてるわ」
 裕美子は立ち上がった。天井から下がっている電球とその笠に向けて両手をのばし、明かりのスイッチをオフにした。寝室のなかは暗くなった。窓に閉じてあるカーテンの隙間から、ほのかに明かりが入っていた。布団のかたわらに美しくすわりなおした裕美子に、
「襖ははずれないように、僕が直します」
 と、彼は言った。
 建ててから十五年になるというごく普通の民家だった。寝室に使っている部屋には押入れと襖があった。襖を開け閉めするとき、電車が通るとはずれた襖のことを、裕美子はときたま思い出す。
 あの家に彼は居ついてしまったようになり、いくつかあった不都合を彼がみな修理した。その最初は、はずれる襖だった。隙間風を防ぐために窓や引き戸に貼る、細長いスポンジのロールを買ってきて、それを襖の木枠の上縁に両面接着テープで貼った。襖は倒れなくなった。しかし開け閉めでスポンジがちぎれ、やがてはがれた。固いボール紙を細長く切り、二枚重ねてボンドで貼った。襖の問題はそれで解決した。十年後のいま、裕美子は別の場所で一軒の家に住んでいる。
 裕美子はその彼に電話をした。彼も独身のままだ。そしてふたりの関係は、切れるような切れないようなかたちで、いまも続いていた。自分の喫茶店に二十七歳のアルバイトの女性がいること、そして彼女が彼の書く小説を好んで読んでいることなどを、裕美子は彼に伝えた。店へ来てくれる日と時間の約束を、裕美子はとりつけた。
 約束のとおりに彼は店へ来た。川崎律子は初めのうち緊張していた。やがて打ち解けて話をするようになり、カウンターの席で熱心に会話を交わした。話が無理なく弾んでいる様子に、裕美子は満足を覚えた。律子は夕方六時の定刻に帰っていき、彼は閉店まで店にいた。
「私とあなたが知り合った頃の、あなたの年齢とおなじなのよ、いまの律子が」
「あれは十年前だからね」
「あなたの小説は、よく読んでるみたいね」
「いい読者だ」
「ラジオの仕事が好きなのですって。専属だった番組が終わって、いまは待機中のような状態なのかしら、ここのアルバイトだけで、ほかにはなにもしてないのよ」
「ラジオでなにをしたいのだろう」
「なにかしら。はっきりしないのよ。自分で喋りたいのかな、とも思うわ。なにかないかしら。ラジオの世界に、あなたの人脈はないの?」
「なくはない」
「ラジオの仕事をしてたでしょう、何年か。今日は夜までスタジオにこもる、という言いかたをしてたのを、私は覚えてるわ」
「通り一遍のことを喋っても、相手にされないからね」
「いろんなコーナーをさばくのがいいのかしら」
「落ち着いた、好ましい喋りかただ」
「なにか見つけてあげて」
「地方局に就職して、いろいろまかされてひとりでこなす、というのがいいかもしれない」
「なるほど。律子には向いてるような気もするわ。連れて歩いてよ」
「ここのアルバイトがあるじゃないか」
「夜の時間に。経験はあるのだから、ラジオの世界の人と会うときには、引き合わせてあげて」
「心がけます」
「律子が二十七歳で、それは十年前のあなたの年齢とおなじで、私が二十七歳のときとなると、それは一九五七年なのよ。律子とも話をしたのだけれど、二十七歳の自分をめぐって思い出すことと言えば、百円玉と五千円札だけよ。どちらもその年に発行されたの」
「僕はそのとき十八歳」
 彼の言葉に裕美子は笑った。
「二十七歳の頃の自分の体を自分自身が懐かしがる、ということはないものかと、このところ考えてるのよ。体ひとつで生きてきたでしょう。だから、過去もなにもかも、すべては自分の体のなかにあるのだから、二十年も時間がたつと、二十年前の自分の体が懐かしいかな、と思って」
「どうでした」
「懐かしくもなんともないのね」
「たいして変化してないからだ」
「それは私も感じたわ。過去からのびている、ごくすんなりした延長線上に、いまの自分があるから」
「恵まれた状況なのさ」
「これからは大変かもしれないわね」
 一日の営業を終えた店のかたづけを、彼と話をしながら裕美子はおこなった。すべてが終わり、あとは明かりを消して店を出ればいいだけとなって、裕美子はカウンターの外に出て来た。ストゥールを立った彼と向き合って立ち、彼の腕に引き寄せられるまま、裕美子は彼に抱かれた。
「今日は連れて帰ってね」
 彼のうなじに裕美子は囁いた。彼女の体のいろんな部分に掌を滑らせながら、
「ほとんどなにも変化してないよ」
 と、彼は言った。
「今日も午後は散歩したのよ。日本橋まで出て、そこから銀座へまわって、百貨店めぐり」
「ひとりで?」
「そうよ」
「誘ってくれれば、つきあったのに」
「次には誘うわ。楽しいものを買ったのよ」
「なにですか」
「エプロンを一枚。見せましょうか」
 彼から体を離した裕美子は、レジの台の奥から百貨店の紙袋を取り出した。なかにあったエプロンを、彼女は胸の前に広げた。白地に赤く縦縞の走った、ごく基本的なかたちをした、平凡と言うならたいそう平凡でもある、しかし可愛いエプロンだった。
「ふとこれが目に入ったときは、かなり驚いたわ。けっしてこじつけではなく、おそらく二十六、七歳の頃、神戸のあそこにあったあの劇場の舞台では、コントも演じたのよ。そのコントで使ったエプロンの、まるで生き写しなの。これとそっくり。あのコントのあらゆるディテールをいきなりすべて思い出して、百貨店のその売場が舞台になったような錯覚だったわ。だから買ったのよ」
「楽しいね」
「舞台には客席に向けてアパートの台所のセットが、壁で仕切られて三つ、作ってあるの。そこにひとりずつ踊り子がいて、新婚の若奥さんという設定なのよ。時間は夕方で、夕食の支度を始めてるのね。三人ともおなじような動きをしてて、順番に台詞があって、その台詞をキューにして、三人がそれぞれ動きを展開させていくの。暑いと思ったら窓が開いてないと言って、三人が順番に架空の窓を開けて、それでもなお暑いと思ったら、こんなシャツを着てるからだわと言って、三人が微妙に動きをずらしながら、シャツを脱ぐのよ。そこで三人ともまず裸の胸を見せて、エプロンを身につけるの。ガス台のつもりのセットで、適当に鍋や薬缶を動かしたあと、まだ暑いと言って窓辺まで来て、エプロンのままスカートを脱ぐのね。三人とも脱ぎ終えたところで、あら、いい風が吹いて来るわ、涼しくていい気持ち、という私の台詞で、三人が客席にお尻を向けて、Gストリング一本の裸のうしろ姿を見せます。客席からは拍手大喝采という、とても素朴ないい時代よ」
 広げたエプロンを裕美子はかかげて見せた。
「そのときのエプロンに、これはそっくり」
「懐かしいですか」
「つい昨日のことのように、鮮やかに思い出すのよ。だから、懐かしいと感じるだけの時間のへだたりが、どこにもないわね」
「それは幸せだ」
「私を連れて帰ってくださったら、コントのあとの踊りを、このエプロン一枚で、踊ってみせてあげます」
「ヴェランダで」
「そうね。どこからも人の視線が届かない、あの六階の部屋のヴェランダで。でも少し狭いわ」
 裕美子はエプロンをたたんだ。店の明かりを消し、彼とともに店を出て、ドアに鍵をかけた。
「さて、夕食だ」
「もう完全に秋なのね」
「秋風だよ。ほら、夜の秋風」
 彼に体を寄せ、裕美子は彼と腕を組んだ。視線を伏せて自分の足もとを見た。季節は秋、という設定の舞台を歩く自分の足もとだ、と彼女は思った。
[#改丁]


あとがき


 かつて自分が書いた六篇の短篇小説の校正刷りを、ひとまとめに読んだ。その僕は、いまはもうとっくに、第三者のひとりだ。第三者として気づいたことひとつをめぐって、あとがきを試みることにしよう。書いた当人ではあるけれど、いまは第三者のひとりだと言い張る人による、短いあとがきだ。六篇ともにわたって、家が重要な位置と役を演じている。ここでの家とは、人が住む場所である住居、という意味だ。
『彼女が謎だった夏』では、直子がひとりで経営している喫茶店の裏に、彼女の住む家がある。日本に滞在していた特派員のフランス人が建てた家だ、と直子は説明している。ぜんたいの間取りが簡単に説明してある。その僕の言葉を頼りに、略図を起こすことは充分に可能だ。その図面を見るなら、あるいは見るまでもなく、この時代の建て売り住宅によくあった間取りとは、世界がまるで異なっている。直子のような人がひとりで住む家は、こうでなくてはならなかったからだろう。そのことを小説らしく可能にするために、フランス人の特派員が建てた、といういきさつになっている。原田という青年は、この短編が終わるところから始まる直子との親密な関係を、主としてこの家のなかで、これから持っていくことになる。
『写真家がすべてを楽しむ』という短編では、恵子は自分で建てた家にひとりで住んでいる。間取りが説明してある。部屋の基本的な配置は、この説明をもとに図面にすることが、ここでも可能だ。この間取りもかなり変わっている。恵子がひとりで生活する場所として、彼女の家はこうでなくてはならない、ということなのだろう。写真家の田島がこの家をときたま訪れる。恵子の母親がかつて住んでいた一軒家について、母親自身の台詞による説明があるし、映画女優として役を演じる自分が撮影された、セットではない現実のアパートをめぐる記述にも、興味深いものがある。
『七月の水玉だった』になると、家の問題はもっと複雑に設定してある。ヨシオが両親と住んでいる家と、扶美子が父親と住むことになる家とは、崩れ落ちた生け垣をあいだにはさんで、おたがいに庭を接し合っている。両家の主人の提案により、役に立たない生け垣は、ヨシオの手によって取り払われる。二軒の家の庭はひとつになる。そこへ扶美子が登場する。
 ヨシオと扶美子は隣どうしに住み、垣根の消えた庭を共有する。その庭は扶美子にとっては洗濯物を干す場所であり、干していく作業をする彼女の姿は、ヨシオの目にとまらざるを得ない。さらにこの庭は、雨の夜、素肌に浴衣一枚で傘をさした扶美子が、ヨシオの部屋に遊びにいくために横切るスペースであったりもする。
 事情があって扶美子は父とともに東京を去ることになる。家と敷地はヨシオの父親が買い取る。空家になる扶美子の家は、いちばん居心地が良いと扶美子が言う彼女の部屋を、勉強部屋としてヨシオが使うことにする。扶美子を親しく包んだはずの空間に、扶美子がそこを去ったあとで、ヨシオが身を置く。そこで彼は扶美子をなんらかのかたちで材料にして小説を書こうとするのだから、隣り合う二軒の家とそのあいだの庭は、ヨシオと扶美子との、かなりなところまで複雑な関係を支える場となっていることは確かだ。
『寝室には天窓を』では、物語が始まったとき、川島という青年は二十三歳だ。自宅のすぐ近くにある一軒家で彼はひとり暮らしをしている。この家に関しても、僕の説明だけで、間取りは正確に描けると思う。変わった家だが、変わっているぶんだけ確実に住みやすいはずだ、と僕は思う。
 二十歳年上の恵子がここに住むことになる。川島は自宅に戻る。その自宅の離れが、彼の場所だという。川島から提供を受けたその一軒家に恵子が住むことによって、彼と恵子との関係のぜんたいが、なんの無理もなく支えられ包み込まれる。川島はこの家に暗室を持つから、彼はいつここに立ち寄ってもいいし、何日続けてそこにとどまっても、異議をとなえる人はいない。
 川島青年が二十三歳で始まったこの物語のなかでは、十二年という時間が経過する。恵子はそれまで続けてきた仕事の仕上げとして、神戸へ場所を移す。建物は充分に古くなった。自分ひとりの場所となったその家を、彼は建て替えることを考える。いまあるその家をそっくりに新しく復元する、というかたちの建て替えだ。恵子という存在を彼が身辺に保ちつつ、どこかでそれを更新していくような機能が、建て替えられた新しい家によって、発揮されるのではないか。
 ひとりの女性が姿を消したあとの家に、男性がひとりで住むはめになるという構造は、『これは自分の理想だった』においても採用されている。彼がまだ両親と住んでいる自宅のすぐ近くにあり、子供の頃から顔見知りだった女性がひとりで住んでいる、という設定の家だ。ふたりが結婚したとたん、彼女は自分がそれまで考えてきたことを完遂させるため、ヨーロッパへいってしまう。あとに残された彼は、彼女の家でひとりだけの時間を紡いでいくほかない。
『秋風と彼女の足もと』では、主人公である四十六歳の裕美子がひとりで営む喫茶店が、ストーリーにとっての現在における舞台になっている。すでに過ぎ去った、いまはもうどこにもない時間としては、彼女が十五歳のときから記述されている。相手役の男性とはいまでも親しい関係が続いている。その彼と知り合ったのは裕美子が三十六歳のときで、彼は二十七歳だった。
 彼らふたりのあいだに親しい関係を確定させた場所は、当時の彼女が住んでいた、小さな平屋の一軒家だった。私鉄の線路のすぐそばにその家はあり、急行が通過していくときの振動を受けて、寝室に使っている部屋の襖がはずれ、布団の上のふたりに向けて倒れてくる、というような体験をすることの出来た家だ。物語の終わりの部分で、いまの彼がひとりで住む集合住宅の部屋へ、裕美子は彼とともに向かう。広いとは言いがたいヴェランダのある、六階の部屋だということだが、いまの彼女がひとりで暮らしている一軒家へ向かったほうが、よかったのではないか。その家の造りと彼女らしさとが、好ましく重なり合う様子に、ほんの少しでいいから文字数を費やしておけば。
 六篇の物語それぞれが進行していく時間の背景となっている時代は、探していくとどの作品でも、時代をあらわす具体的な数字に言及がなされている。掲載されている順に年号だけを列挙すると、次のようになる。一九六六年。一九八八年。一九六〇年。一九六七年。一九七七年。一九七六年。ただしこの最後の作品では、裕美子が彼と知り合った十年前に視点を置くなら、その時代は一九六六年だった。
 一九六〇年代が三篇。その時代の延長と言っていい一九七〇年代後半が二篇。そして八〇年代の終わり近くが一篇。どれも物語それぞれにとって必然性があってそうなっている、といまは第三者の僕は思う。六〇年代や七〇年代のほうが、人が自分らしく住まう環境は、いまよりもはるかに個人の自由がきいたという意味で、いまとはくらべものにならないほどに豊かだった、というような必然性だ。

二〇〇二年六月一日
片岡義男





底本:「七月の水玉」文藝春秋
   2002(平成14)年6月30日第1刷発行
入力:八巻美恵
校正:高橋雅康
2012年1月10日作成
2012年12月31日修正
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