教育談

箕作秋坪




 人の幼穉ようちなるとき、意を加えてこれを保護せざれば、必ずみ、必ず死す。また心を用いてこれを教育せざれば、長ずるにおよびて必ずがん、必ずにして、蛮夷の間といえども共にたつべからざるに至る。これもっとも知りやすきのことわりなり。しかしてそれ、これを保護するがごときは、天然の至情ありて、知愚貧富の別なく、みな意を加えざるなきも、それ、これを教育するの一事にいたりては、これを度外に置きかえりみざる者また少からず。実に怪むべく、たんずべきにあらずや。
 それ小児の生れて二、三歳より六、七歳に至るまで、その質たる純然無雑、白玉はくぎょくきずなきがごとく、その脳中清潔にして、いささかの汚点なし。ゆえにその耳目じもくの触るるところのもの、善となく悪となく、深く脳に印象して、終身消滅することなし。これもってその性情を薫陶くんとうし、品行を養成する、このときをもって最上の期とす。その教導のほうよろしきを得れば善かつ知、その方を誤れば頑かつ愚となるなり。この感覚鋭敏のときにあたり染習せんしゅうせし者は、長ずるに及んでこれをあらためんとほっするもべからざる、なお樹木の稚嫩ちどんなるとき、これを撓屈とうくつすれば、長ずるにおよんでついにこれをなおくすべからざるがごとし。終身、善悪智愚のわかるるところここにあり。あに意をとどめざるべけんや。
 それ諸国のごとき、人民を教育する諸般の学校を設け、諸般の方法をたつる、もとより周密そなわらざるなし。しかして近来、文化ますます進むにしたがい、自家において子女を教育する、はるかに学校にまされりとの説ますますさかんなり。その説にいわく、一家はなお一国のごとし、その子女を教育する、天道人理においてもとより父母の任たるあきらかなり。父母たるものは、その幼穉ようちにして感得の力もっともさかんなるときにあたり、これをおしゆる、造次ぞうじも必ずここにおいてし、顛沛てんぱいも必ずここにおいてするを。かつその教えんと欲するところを教え、そのつたえんと欲するところを伝え、父厳母慈ふげんぼじならびおこなわれ、外人のこれを擾乱じょうらんし、これを誘惑するの害なし。家を離るるときはその教則、風習なるの地といえども、擾乱誘惑の害なきあたわず。かつ良師良友といえども、その情その父母の訓育とはおのずか径庭けいていあり。ゆえに小児を教育する、自家をもって最良の学校とし、父母をもって第一の師となすべし、と。
 しかれどもこれ中人ちゅうじん以上、家道やや豊富なる者につきてその理をのぶるなり。なんとなれば文明の国といえども、父母たるもの、家において十分によくその子女を訓育する者まれなり。いわんや文明ならざる国においてをや。たまたまこれあるも、自家の事業におわれ、職務のために妨げらる。ゆえにそのの訓育を他人に托する、もとよりやむを得ざるにづ。しかるに方今ほうこん世間の情勢を察するに、父母たる者その児を他人に委(ママ)するをもって当然のこととなし、小児を教育するはその親たる者の本分たることを知らざるものに似たり。ゆえにその家にあるや、さらに父母のこれを訓育するなく、富家ふかにありてはただ無知盲昧もうまい[#「盲昧の」はママ]婢僕ひぼくに接し、驕奢きょうしゃ傲慢ごうまんふうならい、貧家にありては頑童がんどう黠児かつじに交り、拙劣せつれつ汚行おこうを学び、終日なすところ、ことごとく有害無益のことのみ。あに頑愚無知とならざるを得んや。しかるにその親たる者、すでにその職を尽し、これをおしえる能わずして、その児の成長するにしたがい不良不知なるに至りては、その罪かえっておのれにあるを知らず。みだりにこれを譴責けんせきし、はなはだしきは師友をうらむるのやから少からず、迷えるのはなはだしきにあらずや。
 しかれども、これまた深くとがむべからざるものあり、何ぞや。けだし今の父母たる者、またその父母より教育を受けしことなし。ゆえにその児を教育する、何ものたるを知らざればなり。しからばすなわち、いかにして可ならん。曰く、この病根すでに深く骨髄に透入とうにゅうし、これを除かんと欲するも、もとより一朝一夕いっせきのよく及ぶところにあらざるは論なし。ゆえに我輩決して今にわかに父母たる者をして、十分その児を教育せんことをむるにあらず。ただ父母たる者、その児を教育するはわが職たるを知り、心をとめてその力の及ぶだけをほどこさば、その児またその子を教育するのおのが職たるを知り、ついに一家、風を成し、一郷、俗を成すに至らんことを希望す。かつ、さらに深く望むところは、今より盛に女学を起し、力を尽して女子を教育し、その母たるに及んでその児を教育するの緊要たるを知らしむるにあるのみ。○拿破崙ナポレオン第一世、あるとき有名の女先生「カムペン」にいいいわく、旧来の教育法は、ほとんどその貴重すべきものなきに似たり。しかして人民をよく訓導するために欠くところのもの、何ぞや。「カムペン」答て曰、なり。帝おおいにおどろきて曰く、ああ実にしかり。この一語もって教育の法則となすに足れり、と。むねあるかな、げんや。
 女学の欠くべからざるの説、次号に載すべし。





底本:「明六雑誌(上)〔全3冊〕」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年5月17日第1刷発行
底本の親本:「明六雜誌 第八號」明六社
   1874(明治7)年5月31日
初出:「明六雜誌 第八號」明六社
   1874(明治7)年5月31日
※表題は底本では、「○教育談」となっています。
※校注者による冒頭の解説は省略しました。
※校注者による脚注は省略しました。
※「貴重すべきものなき」の「なき」がないテキスト、また、行間にいれているテキストが存在すると底本の補注に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:hitsuji
2020年11月27日作成
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