日本民藝館について

柳宗悦





 私はよくこういうことを想像します。もし民藝館のような仕事を誰か他人が何処かで企てているとしたら、どんなに私は感心するであろうかと。そうして誰にも劣らず讃辞を惜しまないであろうと。そうしてただにたびたびそこを訪れるのみならず、進んで広く紹介する役割をかって出るであろう。陳列を終る時、私はよくそう考えるのです。これをあながち自分に酔う愚かな者の空想だと思うわけにゆきません。それほど民藝館の仕事に私達は一つの信念を抱いているのです。
 民藝館は日本における唯一の存在なのです。こういう性質の美術館は、かつて企てられたことがありませんでした。当然存在しなければならないので、私達が代ってその任務を果しているのです。啻に日本において唯一のみならず、世界でも類例の稀な存在だと思っています。私共は随分世界の美術館を見ましたが、多少似たものはありますけれど、この民藝館のように美の目標を定めて、統一された蒐集と陳列とを行っているものはないように思います。未だ出発でありますから規模は小さくありますが、あるいはこの位の程度の大きさの方が、かえって鑑賞されるには適宜かと思われます。


 それならどういう点で他の美術館と違うのか。どんな美術館でも、事情の許す限りいい品を集め、それを陳列しようと欲していることに変りはありません。ですが「いい品」とは何なのかということになると、実に曖昧あいまいなのです。ある人は歴史的に貴重だということに重きを置き、ある人は伝来の由緒を尊び、ある人は在銘のものを敬い、ある人は技巧の精緻なものを美しいとし、ある人は稀だということに心を惹かれ、ある人は完全な品だということに貴さを見るのです。いわば色々な立場があって、色々なものが集っているのです。美術館が大きくなり、館員が増すにつれ、ますます見方が区々まちまちで統一を保つことが困難なのです。色々の異る意味でいい品が集めてあるということで満足するなら、それでもよいのですが、しかしいい品と見做みなすその根拠が大概の場合実に薄弱なのです。なぜなら歴史的に有名なもの必ずしも美しくはありません。由緒の深いもの、在銘のもの、皆いい品だとは云われません。技巧の勝ったもの常に優れた作だとは云えません。技巧と美しさとは必ずしも一致してはいないからです。また稀な品や完全な品を非常に大事にする人がありますが、それ等のものが必ずしも常に美しいとは限りません。珍しいものは本筋のものでなかったり、完全なものが冷たかったりする例は実におびただしいのです。ですからそういう立場で、ものを選ぶということは基礎が弱いのです。その結果はどうかというと、必ず選択が玉石混淆に陥るのです。立派なものの傍らに見るに堪えない品がならんでいる例は余りにも多いのです。見方が本質的なものを欠くからだと思います。こういう意味で真に統一のある美術館は稀の稀なのです。美術館でありながら醜い品を列べていない所はほとんどないと云っても過言ではありますまい。もっともある上代の品ばかりを列べているような美術館には、よく統一のとれたのがあります。しかしそれは見方があって統一されたのではなく、時代のお蔭で統一されているに過ぎないのです。


 真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を越えねばなりません。そうしてものそのものを直接に見ねばなりません。立場は一種の色眼鏡なのです。ですから知識で見たり概念で見たりしたら、末葉の性質に引っかかって、本質的なものを見逃してしまうのです。ものの美しさは何よりも直観に依らねばなりません。これも一種の立場だと云われるかも知れませんが、直観ほど純粋なものはなく、いわば立場を越えた立場と云っていいでしょう。知識は補助としては役立つことがあっても、ものの真価を見極めることはできません。もし直観を充分に働かせたら、美しさの世界はどんなに変化を受けるでしょう。今まで有名なあるものは価値を失い、今まで省みだにしなかったものが燦然と輝いてくる場合が起るでしょう。そういう直観から統一された美術館がどうしても欲しいのです。民藝館はこの要求から起ったのです。それ故直観から美しいと感じたもののみを列べる陳列館なのです。いわば美的価値を中心とした美術館なのです。在来の美術館にはかかる価値統一がほとんどないのです。ですから民藝館は今までの見方に対しては勇敢な反逆でもありました。私達の見方がしばしば奇異に想われたのもそのためです。ですが私達の信念はゆるがないのです。民藝館は信念の仕事なのです。


 民藝館を始めておとなわれる方は、その陳列品の実に九割以上も今までどの美術館にも陳列されたことがない品なのを気附かれるでしょう。あるいは余りしばしば見ているため、今まで価値を認めなかったものもあるでしょう。ともかく私達は今までいかに美しいものの多くが等閑に附せられ、またいかに多くの醜いものが過剰な讃辞を受けて来たかに驚かされます。ですから民藝館の材料は斬新なのです。私達は摸倣して集めはしませんでした。有名なものだからとて誤魔化ごまかされはしませんでした。今まで認められている品物でも、新しい見方から見直したものなのを信じます。集めて見ると私達が選んだ品物の大部分は、今まで誰からも真面目に取り扱われてはいなかったものなのです。鑑賞家や歴史家や美学者達からも正当な認識を受けることなく放置せられたものでした。
 私達は別にこれとて自慢していいほどの学識の持合せはありません。ですから知識や理論から出発して選んだのではないのです。しかし純粋な直観からものを見直した点で、今までの誰よりも幸福であったと思います。私達は活々した多くの感激を味ってきたのです。品物はうぶな姿で私達に接しました。それは多くの場合発見でした。歴史家の叙述やこの世の評判等に左右されることはありませんでした。他の人々の知識は余り役立ちませんでしたので、私達は私達自身で歩くより仕方ありませんでした。民藝館はそういう事情のもとに在る親しい幾人かの友達の協同の所産なのです。


 さて、それなら何故この美術館を「民藝館」と名附けたのか。この名前によって、私達は私達の意向をはっきり標榜ひょうぼうしましたが、同時にこのために色々誤解を受けました。今も誤解されていることに変りありません。「亡びゆく民藝派」等と得意で揶揄やゆする人まで出ました。私達が様々な美しい民器を取り上げた時、また雑器に見出される美を説いた時、しばしば嘲弄ちょうろうをさえ受けたものです。今は事情が変りましたが、もう十年も前は多くの人々の眼は開かれていませんでした。
 もともと民藝という言葉は「民衆的工藝」の意味で、私達が便宜のために創作したのです。私達が感嘆する部類の工藝を、云い現わすべき適宜な言葉を他に探しましたがありませんでした。しかしこの新しい言葉も、非難する人、弁護する人等のお陰で、迅速に広がり、今ではほとんど誰もの口に上り、辞典にまで載るに至りました。何故私達が民藝品の価値を重要視するに至ったか。前にも述べた通りそれは決して理論から主張したのではないのです。概念から決めてかかったのではないのです。実は吾れながら驚くほど単純なことに過ぎません。直観から多くの品物を眺めて、美しいと感じたものを選び出した時、実に次の二つの事実を見出したからなのです。
 一 その多くが民衆的工藝品でした。今まで大切にされていた貴族的な品物には真に美しいものがかえって少ないのに気附きました。そうして今まで馬鹿にされてきた民衆的な品物に、無数に美しいものが見出されました。このことは美しい工藝品が在銘品よりも、かえって無銘品の中に多いことを如実に立証するものでした。いわゆる「上手物じょうてもの」よりむしろ「雑器」と蔑まれているものの中に、多くの美しいものを見出しました。私達はたびたび例証として引き合に出しましたが、かの万金に価する茶器、すなわち「大名物」はことごとく民器なのを知らねばなりません。健康な工藝品は民藝品に多く、病的な工藝品は貴族品に多いというのが、疑うべからざる事実として吾々の前に展開されました。この世に生れた最も美しい工藝品を陶器なり織物なり各部門に亘って幾何いくばくかを選ぶとしたら、その一切が無銘品なのに気附かれるでしょう。
 二 ですが何も民藝品ばかりが美しいのではありません。上等の品にも美しいものが見出されます。特に上代のものにおいてその傾向が多いのです。ところがそういう美しい上等品に限って、手法なり形なり模様なりが、単純で素朴で、貴族的ということにつきまとう華美な性質が少いのです。ですからそれを美しくしている法則は、全く民藝品を美しくしている法則と共通なのを見出します。それは貴族的だから美しいのではなく、むしろ簡素だから美しいのです。この簡素とか健康とかいうことは、民藝品の一特質と云っていいのです。ですから美の法則を知る上に、いかに「民藝美」が重要な鍵を与えるかを体験するに至ったのです。
 ですから民藝館は必ずしも民藝品ばかりをならべる所ではありません。ただそういう品が必然に多いというまでなのです。しかし民藝美への理解が美そのものを理解する上に根本的に必要でありますから、その趣旨を明確にするために、美術館とは呼ばずして「民藝館」と名附けました。民藝館に来られてある種の品物を指し、「これは民藝品ではなく上等な品ではないか」と云って、反問される方が時々ありますが、私達には歯痒はがゆいのです。私達はそれがいかなるものであるにせよ、美しい品を並べているので、それが上等のものか普通のものか、それにこだわってはいないのです。ただ前述の通り、美しいものの非常に多くが民藝品に見出され、かつ上等品でも民藝的な簡素な美しさをつもののみが真に美しいのだということを示したいのです。ですから民藝ということは一つの美の目標を語る言葉として用いているのです。


 これで民藝館の任務を了解せられたでしょう。その重要な使命の一つは混沌とした鑑賞界に明確な一つの美の目標を確立することにあるのです。私達は在来の見方に大きな修正を必要として、この「民藝館」を公衆に贈るのです。これは少くとも今までの日本のどの美術館も試みなかった所です。否、これほど明確な標準から統一した美術館を建てている国は外国にもないかと思われます。
 私達は多くの蒐集家の蔵品も見ました。またできるだけ歴史家達の著書も省みました。しかし残念なことに大概の場合一つの幻滅を感じるのです。それは正しいものと間違ったものとの区別に対しはっきりした判断をつ人が少いことです。美しいものをめると同時に、きまって醜いものを賞めているのです。玉石の区別に対して非常に曖昧あいまいなのです。そのことは本当に美が分っているのではないことを告白するに等しいでしょう。今は実に何よりもものを見る眼の力が衰えた時代だと思います。器物の美しさが分っているべきはずの茶人達でも、醜い茶器を弄ぶ習慣から全く自由になり切ってはいないのです。つまり何が真に美しいかを見分ける力を有つ人が少いのです。むずかしく言えば価値問題について多くの人は正しい見解を有つことができないのです。この世に美学者や美術史家は多いのですが、真に美の見える学者達にほとんど出会ったためしがありません。しかし美術館が、美しい品をならべるべき使命を帯びている限り、美的価値のことについて曖昧なのは許すべからざる怠慢だと思われます。民藝館の使命はこの美的価値の問題に、明確な一つの答案を送ることにあるのです。


 ここでもう一つ是非言い添えたいことがあるのです。この問題は恐らく多くの方々にとっては、未だ分りにくい難渋なことかも知れませんが、私共にとっては特に述べたい事柄なのです。それはこの民藝館にならべてあるものは、各種のものに亘ってはいますが、常に工藝が中心で、いわゆる美術が中心ではないということです。なぜなのか。今日までは美しさの標準はそれがどれだけ美術的であるかによって評価されてきました。しかし私達の考えではむしろそれがどれだけ「工藝的」であるかによって、価値が決定されると思えるのです。ものが工藝的たることと、ものが美しくなることとには密接な関係が潜んでいるのです。ここでも直観は私達に次の二つのことを明かにしてくれました。
 一 物が何であるにしても、美しいと思ったものを選んだ時そのほとんど大部分が工藝の部門に属することに気づいたのです。普通は美術の前には工藝の位置など認める者がなく、美のための美術が、実用のための工藝より遥か美しいものだと信じられていました。しかしそれは概念的な見方なのであって、むしろ用と美とが結合されたものが一番健康な美の性質を示していることを知ったのです。個性的な美術よりも非個性的な工藝にもっと深い美を見出したのです。
 二 しかし何も工藝品ばかりが美しいのではなく、いわゆる美術品と見做されている品にも多くの価値あるものが見出されます。しかしそれ等のものを選んでくる時、それは実に美術的なる故に美しいというより、工藝的なる故に美しいと説くべきなのを知ったのです。すべての美術品はそれがどれだけ工藝的な美しさに入っているかで、価値が決定されるのです。例えば東洋の彫刻では漢代のものや六朝仏が一番だと思いますが、それは工藝的な性質においてのみ、その美しさの密意を解くことができると考えるのです。それ等は用途と密接な関係があり、個性よりも伝統の表現であり、美しさにも模様風な様式化が見られるのです。これ等の性質こそは工藝の性質ではないでしょうか。民藝館の存在はかかる意味で「工藝的なるもの」の美を語るためなのです。
 ですから「民藝館」の抱負は、美学に対し一つの革命を起そうとしていることです。美に対する在来の見方は全く因襲に捕われたものと思います。


 このほか私達は二つのことについて書き添えねばなりません。一つは陳列のことについて、一つは新作品に対する仕事のことです。
 美術館は美しい品をならべる場所ですが、不思議にも美しく陳べている所は非常に少いのです。何をどういう位置におくか、光はどうか、たがいの色どりや大きさはどうか、これをならべる棚はどんなものが似合うか、これ等は当然考慮に入れるべきことですが、結果から見ると感心させられる陳列は非常に少いものです。もっとも陳列は優に一つの藝能なので、誰にでもできるとは云えません。しかるに一般の美術館ではそんな藝能のある人を特別にかかえてはいません。棚の形の如きは最もむずかしいものですが、金をかけていながら随分醜いものを用いている所が多いのです。物がよくとも列べ方がまずかったら、物はその美しさのなかばを失うでしょう。私達は事情の許す限りできるだけ陳列に留意しているのです。そうして陳列場はとかく冷たくなりがちですから、なるべく家庭的な住宅的な雰囲気を作って、ものに親しんでいただきたいと考えています。美しく陳列してある点でもそう引け目はとらないつもりです。光を柔らげるために障子を用いたり、また床を設け地袋に留意したりしてあるのも、和様の暮しを活かしたいためです。
 陳列されているものは各種の工藝品や絵画彫刻にわたっていますが、その過半数は古作品です。時代は徳川期のものが多いのです。それ以前のものはなかなか得難いのと、工藝が民衆のものとなり、純日本のものに消化されて発達したのは、むしろ徳川時代なのですから、この時期のものが多いのは必然なのです。しかし私達はこの民藝館をただ古い品物の陳列場にしたくはありません。むしろそれ等のものは参考品としてであって、これから学んだ多くのものを新しい作品に植えつける仕事がしたいのです。ですから必ず一室は新作工藝の陳列に当てています。かつ春秋には欠かさずに新作展を開催しています。新しい時代を負う工藝界と多くの交渉をちたいのが吾々の念願なのです。それで未来のある新しい作家を見出したり、地方工藝の現状を調査したりすることは、吾々の年来の悦ばしい仕事でした。北は陸奥の国から南は琉球に至るまで、私達が蒐集した現存する地方民藝品の数はかなりな量に上ります。それ等の国々の工人達との接触もようやく頻繁になってきました。ですから農村工藝の展観も吾々のしばしば試みているところです。未だ小規模の美術館ではありますが、この民藝館ぐらい多忙に仕事をしている所は、少くとも日本には例がないかと思います。それにたい仕事が山ほど目前にあるので、皆腕をさすっているのです。


 民藝館というと、何か偏頗へんぱな立場に立った見解の狭い特殊な美術館だと思われるかも知れませんが、そんな考えを棄てて品物を悦びに来てくださることを望みます。私達は美しい品物を、共に悦び合いたいためにこの民藝館を建てたのです。品物については私達を信じてくださっていいのです。進んでそこから美の目標について多くのことを学んでくださったら、吾々にとってもこの上ないさいわいです。

追記


 始めて来られる方のために道筋を書きます。知らないと遠い所のように思われますが、渋谷からわずか数分よりかかりません。一番便宜なのは渋谷駅から帝都電車で三つ目の駅「駒場」で下車、西へ二丁です。もし自動車でお出の方は、「航空研究所」と「前田侯邸」との間の通りと云われればよいのです。番地は「目黒区駒場町八六一」です。よく駒場を駒沢と間違える運転手があるので御注意ください。毎日午前十時から午後四時まで開門。ただし毎月曜日及び大祭日は休館。ちなみに観覧料は一人三十銭、学生は半額。終りにこの民藝館の敷地および建物は大原孫三郎翁の好誼によってできたものであることを申添えたく思います。開館したのは昭和十一年十月でした。





底本:「民藝とは何か」講談社学術文庫、講談社
   2006(平成18)年9月10日初版発行
   2009(平成21)年10月27日第5刷
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2012年6月30日作成
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