二笑亭綺譚

柳宗悦




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 式場君には色々の著書がある。其の中で一番式場君の本分がよく現れているのは、此の一書であると思う。他の著作に比して寧ろ短い一篇ではあるが、始めから終りまで材料がよくこなされていて、定めし著者にとっても会心の一書ではないかと思う。嘗て出た画家ゴオホ伝も大著であるが、それは今迄世に出た多くの評論の集大成であった。併し此の著書は凡て式場君自身のもので、謂わば創作的価値に於て更に優れたものと思える。第一題材が斬新であるのみならず、全く打手附けのものであった。式場君は精神病学が専攻であり、一方いつも美の世界に心を惹かれている。実に此の二つのものが結び合ったのが此の題材である。だから著者は其の叙述に於て、充分専門家的であり、兼ねて又文学的である。恐らく式場君にとって之れ以上好箇の材料はなく、又二笑亭にとっても此の著者以上の解説者は得られないであろう。之で式場君の仕事が益々活かされ、又二笑亭も始めて其の存在を得たとも云える。そのせいか文章も内容も書きぶりも、活々して淀みがない。式場君の書く多くのものの中で、近頃一番心をそそられたものの一つである。かかる印象を受けるのは恐らく私一人ではあるまい。誰でも引きずられて、一気に読み終るであろう。而も内容から云って、決して一時の読み物ではなく、凡ての精神病学者や又は美術家達から、折ある毎に引照される本となろう。兎も角異常な題材への優れた記録で、珍しい書物と云わねばならない。まして其の実物が毀された今日、此の著作のみが其の価値を代弁する。嘗て雑誌に出たものがここに増補され、一冊の単行本にまとめられたことは祝福に堪えない。
 二笑亭の建物は救う可きであった。天下の奇屋として名を海外にさえ轟かすことが出来たであろう。学界は須らく輿論を起して、保護の策を講ず可きであった。それは決して好奇心の対象に止る可きものではなかった。学術的に又美的に充分見返さる可き創作であった。だが其の廃棄の寸前に式場君の注意を惹き、其の筆によってせめても其の面影が伝えられたのは何たる幸いなことか。残る幾つかの写真はもう貴重な材料である。家族の人達からみれば暗い幾多の思い出がつきまとうであろうが、狂者の創作した建築物は真に稀有な存在であるのみならず、二笑亭のそれは結構大きく又堅牢を極め、構造や間取、又其の装飾等、甚だ独創に富んだものであって、世界でも殆ど類例を見ないと思える。なぜならそれは空想に溢れた狂者と、何人の制肘をも拒けきる意志と、充分なる経済力と、彼の要求を辛棒強く世話した大工とがなかったら、到底実現されることがないからである。此の建物もよき一人の学徒に巡り会わなかったら、あたら闇に葬られて了ったのである。
 狂者の創作は其の根底に於て変態的なものであるのは云うを俟たない。其の意味で吾々の模範とすべきものでもなく、又それによって幸福が約束されるものでもない。併し狂者と天才とが幾多の点で近似することが早くから注意されたように、狂人は其の異常な状態に於て、不可解なことを可能にさえする。それは何か遠い人間の或る本能を取り戻すかのように見える。だから常態に於ては有ち得ない力、又は既に喪って了った力を甦らすように見える。そうして屡々夢想だもし得ない驚嘆すべき作物を展開する。若し狂人が描いた絵画の或るものを展覧するとしたら、美術界に大きな波紋を投げるであろう。平凡人の近づくことの出来ない構図と色彩と表現とに満ちているからである。それを何も本道の芸術と呼ぶことは出来ない。併し其の閃きの著しい場合に出逢うことが出来る。何か眠っているものが忽然として覚まされるのである。心理的にみれば人間に潜在する能力の突如とした発露とも云えるであろう。瞬時の閃きであるから、発展を伴うことはないかも知れぬが、それだけに天来の響きがあろう。かかるものに接する時、尋常人の仕事はねむたげにさえ見える。
 試みに街頭の写真を見よう。中央のそれは左右の民衆に対し圧倒的な力ではないか。病的と云えばそれ迄だが、何か作者は健康な本能の力を活かしているようにさえ見える。力を失った近代都市の習俗的な民屋に対して、比較にならぬ程確実ではないか。主人は其の空想に充ちた大胆な壁画に於て、却て凡人の不自由を笑うようにさえ見える。何れが病的な軟弱さを有つか、答えを迫るものがあるではないか。
 凡人たらんよりは狂者になりたいと希う心、天才たり得ずば狂者でありたいと叫ぶ心。人間は幾度真面目に此のことを考えたであろう。人間は終りなき想像力の人間になりたいのである。習俗に沈み勝ちな現代の文学や美術から、シュール・レアリズムの運動が力強く起ち上ったのも無理はない。是等の作者の絵画と狂人の作とを並べるならば、其の間に屡々けじめをつけ得ないのに驚くであろう。而も狂人の創作は理論に発したものではない。それだけに尚真実なものを含むように見える。狂者の創作を無益にしてはすまない。吾々をもっと健康にする前にそこから幾多の示唆を受けることが出来る。それこそ不幸な人々への吾々の務めではないだろうか。二笑亭綺譚を只の綺譚に終らせてはならない。





底本:「二笑亭綺譚 ――50年目の再訪記」求龍堂
   1989(平成元)年12月25日第1刷
   1990(平成2)年5月30日第2刷
底本の親本:「決定版・二笑亭綺譚」今野書房
   1965(昭和40)年
初出:「二笑亭綺譚」昭森社
   1939(昭和14)年
入力:華猫
校正:Juki
2018年2月25日作成
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