樺細工の道

柳宗悦





 幸いにも日本の各地には、日本固有の藝能が幾多残る。だがこの名誉を負うのは、もはや中央の都会ではない。日本の固有性はいつにかかって地方にある。そのためそれらのものをある人は、取り残されたものとして、古い形式の中に入れてしまう。だが今日のように国民の意識が擡頭たいとうして来ると、固有性の弱い都市文化では、力がないことが分る。振り返るとそこには日本性の退歩が著しいのを感じる。だから色々の点で、地方の文化が重い意味を示してくる。
 だがその地方性も、ただ観念的なものに終っては力がない。どこまでも具体的な姿であることが望ましい。ここで造形の分野がどんなに頼りになるか知れない。ここでは物に即して日本を語れるのである。
 日本にはかかる固有なものが色々ある。だがその中で性質が一番はっきりしている一つは角館かくのだて樺細工かばざいくである。樺細工は何も角館と限ったことはない。だがここほどその仕事が見事な発達を示している所はない。
 樺細工というのは損な名である。すぐ白樺を聯想れんそうするからである。桜皮細工といってしまえば通りがいいが、しかしそれは都会人にそう思えるというに過ぎない。土地では樺細工で久しい間通っている。誰も想い惑う者はない。樺は古語では「かには」といい、これが後に「かば」となったものだと思える。そうしてこれは桜を意味していたから、「かば」の言葉は既に古い使用である。樺即ち樺桜は、広い意味での山桜である。それも山桜の皮を用いる細工である。これがさきにも述べた通り、秋田県羽後国仙北郡角館で珍らしい発達を遂げた。
 何もこれだけが羽後の固有な工藝だとはいえない。だがこの国の特産を何で一番代表させるかというと、誰でも樺細工を挙げるであろう。それほど仕事が盛であり、技においても他国の追従を許さない。樺細工こそは、角館が誇っていい、日本固有の産物である。世界のどこへ出しても差支えはない。町の内外に住む工人の数は現在四百五十人にも及ぶという。


 桜のことは、花でその名が高い。大和心やまとごころにそれをたとえた和歌は子供ですら知っている。画家はまたどんなにそれを画題として好んだであろう。模様にも広く取り容れられた。木材としては、目がつんでいるので、とりわけ版木はんぎよろこばれ、好んで彫師ほりしがこれに刀をあてた。家具にしたとて膚艶はだつやがいい。
 だが樺細工は皮細工である。桜の皮がつ特別な性質が、この工藝を招いたのである。それは三つの点において、とても貴重な資材だと思える。一つは桜皮が有つ美しい色彩である。渋い赤紫の色調である。二つにはその光沢である。磨けば膚艶がうるしの如く光る。三つには強靱きょうじんさである。横にはけやすいが、縦にはとても強く、並々の力では裂くことが出来ぬ。これらの三つの徳性が集って、樺細工を類のない仕事に誘った。
 ここで私たちはこの仕事が最初から如何いかに天与の恵みに頼っているかを知ることが出来る。自然の資材がこんなにも隅々すみずみまで、その力や美を示すものも少い。このことは如何にこの細工が、工藝品として安全なまた必然な道に立っているかを告げてくれる。なぜなら資材あっての工藝だということは、工藝の第一の約束だといってもいいからである。樺細工は極めて優れた材料に立つ工藝品だといわねばならない。ここに動かすことの出来ない樺細工の強みがある。
 だからこの仕事に招かれる技や術は、天与の資材を、どういや輝かすかにかかっている。何もこの種の工藝ばかりのことではないが、とりわけ樺皮においてはこのことがいえる。材料の美が目立って著しいからである。自然の恵みに浴するのが樺細工である。


 薄い皮でしかも強靱であるという性質は早くから、曲物まげものめに利用せられた。曲物のある所に桜皮のない場合はない。それはいつも板を縫う糸の役割を務めた。だから縫い方で一種の立派な模様を出した。この仕事は日本の至る所で見られる。北は奥羽から南は九州四国にまで及ぶ。曲物と桜皮とはつきものである。
 つづいてこの皮が適応されたのは、鉈鞘なたざやであった。想うに鞘を締める必要から起ったのであろう。ただに巻きつけたのみならず、一枚の皮でおおい、つなぎ目を組み合せる手法へと進んだ。これはアイヌの白樺細工にも見られるやり方である。互に歯紋はもんをなしてみ合うのである。これが一種の模様になって装飾の役を務める。
 だがこの樺細工が真に発達したのは印籠いんろう胴乱どうらんとを作るようになって以後である。そうしてこれらの品こそは、角館の技として名を成すに至り、樺細工といえば角館を想い起すまでに至ったのである。元来印籠は印の入物いれものであるが、携帯用の薬入れとしても重宝がられた。胴乱もほぼ同じく、印、薬などの入物で腰に下げてたずさうものであってしばしば両者にけじめはない。しかし胴乱の方は煙草具たばこぐとなるに及んで形が大きくなり、かつ印籠のように二重ね三重ねのものがない。あれば例外であって、皆ふたと身とから成り、これに煙管入きせるいれを添えるのを通則とするに至った。しばしば緒締おじめ根附ねつけが伴うのは誰も知る通りである。
 煙草具としての胴乱の発達こそは、樺細工の仕事を忙しくさせ、また角館の仕事を栄えさせた。樺桜の皮が湿気をふせぐのに上々の資材なのがこれでも分る。
ちなみにいう。「胴乱」という字は何かの当字であろう。『和漢三才図会わかんさんさいずえ』にも「止宇羅牟、正字未考」といってある。あるいは「銃卵じゅうらん」より来るのではないかといわれる。元来銃丸の袋であったという)。


 ことの起りは武士の内職であったというが、特殊な性質を有つ桜皮を正しく処理するということは、やさしい仕事ではない。相当の年期をかけずば品物らしい品物にはならない。それはやがて樺細工を専業にする者を要した。作る次第を見ていると、玄人くろうとの技となって始めて充分な細工になることが分る。これも並々ならぬ修業の仕事である。かけだしでは出来ない。
 樺細工はもともと桜皮に対する驚きから発したともいえる。だから人々はその皮を吟味して色々に区別した。大体表皮と裏皮とに分れる。ここで表というのは皮の表ではなく、品物の表の面に張るいわば上等な皮を指すのである。裏皮とは皮の裏を指すのではなく、箱や品物の内側に張る皮をいうのである。つまり内張り用の薄手の皮をいう。
 表皮は最も目につく所であるから、色々の名で皮の性質を区別した。飴皮あめかわ(赤味の色あるもの)、ひび皮(ふし目と反対に、縦ひびあるもの)、ちりめん皮(皮の内面に細い波紋状あるもの)、黒皮(黒色のもの)、銀気ぎんけ(銀色を呈するもの)、金気きんけ(金色を呈するもの)など様々に分ける。大体表皮は厚くして「ふし」(斑紋はんもん)が長い。深い山の中腹以上に育つだという。
 裏皮の方は薄くして、「ふし」が短く、これを「小豆目あずきめ」と呼んでいるが、表皮のように底光がない。この種の皮のとれる樹は山のふもとにあるという。
 山から切りとってくるのは最大なものは幅一尺乃至ないし一尺二、三寸、長さ三尺にも達する。表皮の大きいものを大版おおばんといい裏皮の大きいものを小版こばんと呼ぶ。その他「そく皮」と呼んで中間のものがある。二十枚を「一っぱ」、十ぱを「一束いっそく」と呼ぶ。


 以上のように皮にも色々あるから、その性質への知識、用途に準じての選択が肝心である。さて、これを物に作るには、第一それらの皮を綺麗きれいに仕上げねばならない。これがいわゆる「はだける」仕事である。続いてにかわを塗る事、経木きょうぎを用いること、皮をしっかりつなぐこと、身とふたとをよく合せること、こてを丁寧に当てること、充分に磨くことなど、すべてそれらの動作は易しく見えても微妙な働きである。素人しろうとには出来難い。それだけに本筋の仕事である。
 今の仕事ぶりを見ていると、実に長い歳月の経験や知識が堆積たいせきして、ここまで来ているのだという事がよく分る。一朝一夕の技ではない。ここにも伝統が如何に濃く働いているかが分る。仕上の入念さは、日本の手工の特色をよく語る。それはしばしば行き過ぎるまでに完成された仕事である。昔のものと今出来のものとを比べると今の方がずっと神経質で仕事がこまかい。昔のはもっと無造作である。どの分野でも似た現象ではあるが、自由さにおいて昔のものは優れ、繊細さにおいて今のものは勝る。このことは美しさにおいて今のものがとかく劣ることのあるのを告げる。注意していい事柄である。
 昔の樺細工はほとんど無地であった。皮の持味を活かす仕事であるから、これが当然である。いわゆる「ちりめん」はだや、「ひび」やまた「ふし」が天然の模様であった。それに皮の色自体が奥深い美しさである。これで既に充分な資材だといっていい。むしろこれに心をかれればこそ樺細工が始まったのである。
 だが段々技術が進むに従って、皮の色々な部分を用いるようになり、一つのものに二色三色を用いるに至った。白皮や二度皮の使用は模様を考えさせた。ここで天然の皮の上に、人間が考える様々な模様を置く技術へと進んだ。そうして大正から昭和にかけ、ついに山水だとか花鳥だとか複雑な模様をあしらう事が流行になり始めた。樺細工がこんなにも絢爛けんらんになったことはない。
 だが見ようによっては、このことが無地のもつ樺桜の持味を殺してしまって、ただ巧妙な技を示す仕事に落ちてしまったことをかくすことが出来ない。それ故この絢爛さは、樺細工の歴史に同時に大きな誤謬ごびゅうを犯したともいえる。もっともその模様が優れている場合は別であるが、私の目撃したものでは十中八、九極めて陳腐な図案に過ぎなく、模様さえなかったらどんなにいいかと、その都度つど思わざるを得ないのである。
 それにこれらの図案の根本的な弱味は、写生風な絵画をそのまま写してある事で、模様に成り切ったものとはいい難い。元来工藝の真の模様は材料や工程から必然に生れるものであるが、今ある複雑な絵模様には、その必然さがなく、むしろ材料や工程を無視して、作りにくいものが作れるという自慢に陥っているきらいが多い。そういう模様はむしろない方がよい場合が多いのであって、未だ充分に模様にこなされていない。そのため真に美しいものが少ない。模様に絵画的要素が多い限り、模様に熟し切らない証拠ともいえる。これを想うと、仕事はもう一度無地を立て前として再興すべきではないか。今のような複雑な模様を誇る限り樺細工の健全な存在はむずかしい。無地こそ本筋である。


 だが何も紋様もんようを置くそのことが悪いわけではない。正しい模様ならば進んで品物を活かすであろう。それならどうしたら模様を安全なものにすることが出来るか。模様への本能がとみに弱まって来た今日、何も樺細工の模様だけが悪くなったわけではない。だが樺細工は目立って無用な装飾のためにそこなわれてしまったのである。都合の悪いことには、かかる装飾があるものこそ、立派な作であると信じ切っていることである。
 だが実はその絵画的な装飾ほど、野暮やぼったいものはないのである。技は優れてはいよう。しかし非常につまらぬ模様を非常にうまく附けているというに過ぎない。模様をあしらうならどこまでも優れた模様でなければならない。それなら今の堕落をどうしたら救うことが出来るのか。私はここで有効な注意を二、三述べておきたい。
 模様は能う限り簡単な方がいい。理由はそれが一番安全な道だからである。美しさは簡潔なものと、ずっと結ばれやすい。今のように複雑なものをあしらう限り、美しい模様となる事は至難なのである。樺細工は今は愚かにも一番困難な道を進もうとしているのだ。それをこそ無益な徒労と評していい。
 次には早く写実風な絵画的な模様から脱け出ねばいけない。かかるものと模様とは性質が違うのである。模様というからには、写実のなまとどまってはいけない。模様はもっと煮つめたものでなければならない。模様は絵画と同一ではない。だから絵画を真似まねてはいけない。模様は模様自身でなければならない。絵画に従属している限り、それは正当な模様にはならない。
 次には技術や技巧の末に走ることを慎んでいい。巧妙に出来ていること直ちに美しいことではない。何人なんぴとにも容易に出来ない腕前を見せること、直ちに美しさを保障はしない。腕がどんなによくともたくらみがどんなに上手でも、結果が醜いものに落ちるなら何もならないではないか。昔の品を見ると、技術的には今のより劣っているものが多い。それなのにどうして今のものより美しいものが多いのか。とくと考えていい問題ではないか。腕前がよければ、一段と美しいものが産めていいはずである。しかるにそれが醜くなるのは、核心を忘れて末葉に走るからである。
 能うことなら模様は、材料の性質や手法の性質と、または用途と必然な関係を保つものでありたい。模様には何より無理があってはいけない。模様は樺桜が必然に要求する模様である限り、間違いはない。だが現在のものを見ると如何に多くの品が模様のための模様で、全く必然さがないかを嘆かないわけにゆかぬ。
 ここでも私は実際的な注意を加えることが出来よう。絵模様必ずしも悪くはない。いいものが生めれば、それにくはない。ただそれが至難なことであるのは、他の工藝でもうかがうことが出来る。だからもっと容易な安全な道を選ぶ方がよくはないか。私は線模様について語っているのである。ここで線模様というのは直線や曲線から成る対称的模様を指すのであって、一定の数的な組み立てによるものをいうのである。なぜもっと安全なこの線紋を試みないのであろうか。この領域で未来の樺細工が進むべき余地は大きい。そうしてこの種の紋様には、おそらく象嵌ぞうがんの手法が適するであろう。


 今の角館かくのだての仕事は、皮ににかわを塗り、これをこてで貼る手法である。そうしてこれが胴乱どうらんの如く木型を用いる場合と、箱類の如く木地を用いる場合と二種に分れる。このほか緒締おじめの如く、皮を巻くいわゆる「玉巻き」の手法や、いわゆる「ぶつめ」といって皮を組み合せる手法や、細かくは色々あろうが、大体型物と木地物との二種が、二大手法である。前者を経木きょうぎ細工後者を木地きじ細工と土地では呼んでいる。
 だが他の地方の樺細工を見ると、編んだり組んだりすることが古くから行われた。それは丁度竹細工やいたや細工のように、皮をある幅に切って、それを組んでゆくのである。この手法は一つの異る分野であって、これを取り入れることによって角館の仕事も拡大されるであろう。
 あるいはまた編むとか組むとかいうやり方ではなくして、網代編あじろあみの如き効果を、同じく鏝貼りで行うことが出来る。編む場合は皮が二重になるが、鏝貼りは小口だけがかさなってゆき、同じ貼りでも奥行が出てくる。こういう仕事も将来もっと取り入れてよくはないか。
 もしもまた樺皮のほかに、他の材料と結合させるなら、仕事は広々となってくるであろう。もっともこの場合注意すべきは、併用する材料が、どこまでも樺皮と調和あるものでなければならない点である。質の余り異るもの、例えば強度や伸縮度の差違がはげしいものは、避けなければならない。色彩の調和も大切である。
 また仕事の性質を見ていると、皮自体がつ特殊な制限を受けることがなかなか大きい。つまり樺皮では出来ない仕事の面が色々と現れてくる。この場合、漆と結合すると、なし得る仕事の範囲はずっと広げられる。樺で出来ない部分または出来にくい部分を漆で補えば、品物の種類や形の変化は、どんなに増してくることか。しかも樺と漆とは決して不調和なものではない。技法的にさえ似通いがある。昔から多少このことは行われたが、もっと発展させていい。
 またおそらく樺細工に銀の如き金具を附けるなら、物によりただに用途を増すのみならず、色調をも助けるであろう。もっとも金具自体が美しいものでなければならない。いたずらに装飾に過ぎるなら、かえって品物をそこなうに至るであろう。金具はどこまでも従の位置になければならない。だから附けるとするなら簡素なものほどいいに違いない。


 現状を見ると、樺桜の材料は決して豊富な量だとはいえない。角館で用いるものも、今は多く福島県から輸入されるという。一度皮をがせば、あとにコルク質の皮は出来るが、元のような強靱きょうじんな光沢あるものは出来ない。それに今のところ栽培はせず、山奥にある野生のものを剥ぎ取るのであるから、将来の限度は見えている。それに角館だけでも一年間の使用量は大きい。このことは当然遠くない時期に材料難をきたすであろう。樺桜は材料として、もっと貴重視されていいのである。
 このことを思うと、近時さかんに作る下駄表げたおもての如きは、奨励すべき仕事ではない。それは単に消耗品に過ぎなく、製品の生命が数カ月で終ってしまうからである。もし樺張かばばりの下駄を続けようとするなら、すべからく不用な皮を継いで用いるか、または三番手、四番手の皮を選ぶべきで、上等の飴皮あめかわの如きものを乱費してはならない。それは貴重な資材に対する慎みを欠くことになろう。
 時として机とか棚とか卓とか大きな品物が製作された。しかしこの種のものも、そう試みるべきではなく、材料の点から見ても幾許いくばくかの無理を常に感じる。樺細工はむしろ中型の箱類以下、胴乱の如き小型のものを中心に製産されるのが常道であろう。それに度々細かい技術を要するのであるから、これが中小品に適するのは論を待たない。手廻りの品物が樺細工の最も適した分野である。
 それに発達したその手法を見ると、なまやさしい仕事ではない。そうして多くの手間と注意とを要する仕事である。入念な技法がこの細工を堅牢けんろうなものにし、また美しくもする。粗末に扱えば、すぐ皮が浮くか、端がはがれるか、必ずや相応の罰をこうむってしまう。だから手間を食う手仕事の一例である。このことを想い、材料の乏しきを想う時、樺細工の道は、むしろ、少量の上等な品を作るべきである。多量な安い品は材料の点と技法の点とからいって、樺細工には無理である。しかしかかる高価は、永存を保障する根拠でもあるから、いたずらに高価なのではない。相対的に見れば、安くてすぐ剥げるものより、値段は実質的にはかえって安いものとなるであろう。高くとも丈夫で長持ちするからである。樺細工はよき品、長く用い得る品を目当めあてとすべきであって、消耗する如き品物に力を注ぐべきではない。樺細工は品質のよさで名を成すべきである。手堅い仕事の道徳の上にその名誉を建設せねばならない。この方が樺細工の本道である。やくざものを沢山作って自然の貴重な資材を無駄にしてはならない。





底本:「柳宗悦 民藝紀行」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
   2012(平成24)年6月15日第9刷発行
底本の親本:「柳宗悦全集著作篇第十一卷」筑摩書房
   1981(昭和56)年12月5日初版発行
初出:「工藝 第百十二号」
   1942(昭和17)年12月15日発行
入力:門田裕志
校正:砂場清隆
2019年5月28日作成
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