台湾の民藝について

柳宗悦





○林本源邸

 とにかくえらい力だね。仮りにこんな家にわれわれに住めといわれても、とても住めないね。これを住みこなすのは大変な力だ。生活の中にこれだけの夢を現わすことはたいしたものだ。

○林本源邸所蔵執事はいの字

(特にそのうちの数枚を指して)これなぞはことに面白いね。これは制限されたスペースの中に所定の字数をめなければならないという制約から生れた美しさだ。工藝ではしばしば不自由が美を自由にさせる。

竹行李たけごうり(台北市内所見)

 隅のとうの編み方はうまいものだ。これなら隅がいたむことはないだろう。実用が招いた美しさだ。革がなくなってかえってよくなったね。

○菊元百貨店売品牛角製煙草たばこセット

(黄牛角製煙草筒をとり上げ)この筒だけなら見所がある。西洋ではこれで出来たコップがあるが、光線がすきとおって中の液が実に美しく見える。台湾のように暑くて、飲物がほしい土地では、この材料を何とか生かすといいね。

○穿瓦衫(板橋及び士林にて)

 なかなか味の好いものだ。これは始めてのものだ。如何にも建築を建物らしくするやり方だなあ。(士林渡口の籾庫もみぐらを見て立石鉄臣君を顧みながら)これは絵になるね。

○士林刀(士林の製作者の家を数軒訪ねる)

 どうにかして一本手に入れたいものだが。さっきの道端の子供のもってたのを譲ってもらえばよかったね。こんな品物が絶えるのは惜しい。

○淡水旧英国領事邸宅

 いい建物だ。これをもらって台湾の民藝館を作ればいいじゃないか。

○新竹市城隍廟こうびょう

 信仰がまだ生きている。繁昌しているという点だけなら成田の不動さんなどはあるが、日本中でもこんなに信仰と生活がなまなましく結びついているのはないね。

○新竹より苗栗への車中にて(某窯業ようぎょう会社々長に)

 台湾の在来の陶器には何といってもまだ骨が残っている。漢代以来の力というものがまだ失われていない点は驚くべきものです。日本などでは少数の地方窯以外は、ほとんど全部弱々しいものを作っている。これは日本の恥です。ところが台湾や南支の在来の陶器は、世界のどこに出してもひけをとらない実に立派なものがある。そういうものを日常使っていた民族に向って、今の内地製品のようなものは恥しくて到底提供されるものではない。貴方のおっしゃるように、彼らには水さえ漏らなければというような、そんな気構えで仕事を始められるのは大変な間違いでしょう。成程彼らはいいものと悪いものの区別がわからないかも知れない。美しさを見出すのはどうしても日本人です。だからその日本人が美しいものを提供して、彼らの美意識をひき上げなければならない。日本人にはそれだけの責任がある。それにはまず相手のもっている立派なものを認めてそれを尊重することです。

○霧峰林献堂氏邸にて

 林本源の邸宅も面白かったが、ここはまた格別だ。人の棲んでいる家は生きている。

○林献堂邸にて「馬卵」という菓子を味う

 これは今まで台湾でたべた菓子の中では一等だ。味が本ものだ。

○鹿港金盛こう

 面白い街だね。台湾で始めて街らしい街を見た。日本にはこういうのはちょっとないね。佐渡の宿根木港がちょっとこの気分がある。暮しぶりがにじみ出ている街とでもいおうか。

○彰化市にて籃蒸ナンスーン(竹の蒸器)を注文する

 とにかく大した力のものだ。力そのものだね。こんなに強いものはちょっと他にないね。こんなものを平気で使いこなすのは、暮しに幅がある証拠だ。

○彰化の民家の正庁にて神棹を見る

 台湾に来て一番驚いたのは神棹だね。そのあるものは世界のどこへ出しても第一流の工藝品で通るものだ。そしてどんな貧家でも実に立派なものを持っているのは驚く。

○彰化孔子廟門前にて

 単に往来をまっすぐするために、立派な建物をこわすなんて、そんなことをするのは実に馬鹿なんだね。もう二度と建たないものじゃないか。こんなのは道の方でければいいんだ。その方が往来をもっと往来らしくする。

○彰化市楊子卿氏邸

 ちょっと住んで見たいね。これだけのうちならうまく住みこなして見せるがなあ。

○同じく

 軒の肘木ひじきや屋根裏もなかなか面白い。煉瓦れんが甃石しきいしもいいものだね。台湾に住めばこういううちに住みたくなるのが当然なんだがなあ。

○彰化市福和盛菓子舗にて

 こりゃよかった。僕はお菓子屋をとても見たかったんだ。(公定価格の点で上製の菓子の製造停止中なることを聞いて)内地でもこんどは特別技術のあるものには公定価の例外を認めることになった。台湾ここでもそれをやればいいじゃないか。

○彰化市城隍廟にて

 廟に坐っている老人てものはいい顔をしているものだなあ。老人になると顔が彫刻的になる。

○彰化市中にて竹製のかまどを作る家あり

 内地だと、これも買って帰るんだがなあ。(大きさの点で運搬に困るという意)

○再び彰化市孔子廟について

 どうも孔子様みたいなかたにこんなことをするのは、それこそ風教上よくないね。もう一度建てようったって建たないんだからね。

刺竹しちく叢生そうせいする風景

 実に面白い竹だ。遠くからさきのひろがっている様子を見るとまるで絵のような感じだ。バーナード・リーチが見たらすぐ絵にするな。近づいて密生する根元を見るとその力には驚くね。

○南投にて

 この村はいいなあ。村全体がいいじゃないか。白壁の家並が実に美しい。

○相思樹の老樹

 なかなか風情のあるものだな、相思樹ってものは。大きくなるといいものだな。台湾に来ると樹の美しさが目立つ。

○斗六街梅里尚徳氏の楊琴ようきんを聴く(曲は百家春、天下楽、将軍令)

 なかなか上品なものだ。今どれだけこれを弾く人が残っているかしら。

○再び籃蒸ナンスーンについて

 しかしあの籃蒸の仕事というものは大したものだな。構造といい形といい大した力だ。伝統というものは実に驚くべき仕事をするものだなあ。

○斗六街梅里君の住いぶりについて

 とにかくあれだけの生活様式を創造しているところは偉い。台湾人の家庭では始めて見る暮しぶりだ。

○車中にて

 家具では何といっても北京ペキンが東洋一だね。あまり強くて日本に持って帰れない。他のものが皆負けてしまうからね。あれを平気で使っている支那人の力というものはえらいものだ。
 日本でも姫路の天守閣などは偉いものだね。あれが生きた生活にとりまかれていた時代というものは素晴らしかったに違いない。
 器物でもこの生きて使用されている場合にぶつかるまでは本当のことは判らないものだ。朝鮮のものなども、度々朝鮮へいってその場合を見たので、始めてよく判った例が多い。

○嘉義市施青江製作の楹籃えいらん

 うまいものだね。昨夜の(斗六梅里氏の)より好いかも知れないよ。技術も形も素晴らしい。あの角のぐりぐりしたところは実に味があるね。

○嘉義市中にて亜杉製の文筥ふばこを見る

 こんな木は始めてだ。これはもっとどうにかすれば非常に面白いものになるがなあ。

○同じく物売りの屋台を見て

 こんなものでも実に面白いところがあるなあ。こういうものまで美しく作ってしまうということは、驚くべきことだよ。

○台南産業館陳列の顔水竜氏指導作品の三角りんのスリッパー

 もっと先きのところをふくらますといいね。しかし大たいいいじゃありませんか。

○同所黄牛角製帯鉤たいこう

 これなぞはいや味がなくていいね。

○同所ジャワ製の竹の折鞄おりかばん

 これはしっかりしたものだ。こういうものを作ればいいんだ。いくらでも出来るんだがなあ。

○同じく福州産竹籠

 技術的には進んでいるな。技術は大したもんだ。

○台南市桐骨董こっとう店にてしん末頃の赤絵の皿を見て

 勿論こういうものは万暦まんれき天啓てんけいの赤絵に比べると落ちるが、とにかくこのべたに描いていて、それでいて好いのは偉いものだよ。渋いのは逃げ場がある。しかし派手なのは難かしい。浜田(庄司)でも富本(憲吉)でもまだべたには描けないな。

○安平港漁戸の門に干す薯榔染めの漁網を見て

 こりゃ好い染めだ。うまい色だね。この色さえあれば随分色々なものを染められる。

○同所竹筏たけいかだを見て

 こんなものも実に面白いなあ。形の力だなあ。

○同所妙寿宮にて使用中の宗教版画

 こりゃ好いね、なかなか。このはすなどなかなかいいや。これはこの辺には売っていませんか。

○同宮内の厨子ずし

 こりゃ好い厨子だ。こんなのはなかなかないんだね。

○安平市街

 こりゃ鹿港に負けない所があるね。いかにも暮しがあるな。
 実に街らしい街だ。坂などあって旧態が遺っているからね。

○台南市役所助役室備品草花模様交趾焼植木鉢

 これは何処から来たものかね。ちょっといいね。
 なにしろ昔はこういうものばかりで大変だな。悪いものの出来ない時代なんだからね。

○台南市台町市場の担麺ターミー

 しっかりした強い味だ。これは本格な食べ物だ。こんなものを貧乏人まで食べているんだ。

○同市媽祖廟正門の壁の浮彫

 ここのは皆いい。これまで見たうちで一番の彫刻だ。やはりちょっと時代が古いとものがよくなるな。これなど保護建造物に指定すべきではないかな。

○同市大南門

 これが今まで見た城門のうちでは一番だね、台北、新竹、台中などをこめて。

○同市孔子廟

 これも当然保護建造物にすべきだな。孔子廟ではこれがやはり一番だね。
 いいところだ。じっと坐りに来たいな。半日ほどこうして屋根や雲や人を眺めているといい気もちだろうな。
 この塀の、門のところでちょっとあがっているところなど、何でもないけれどいいものだなあ。
 格子も皆それぞれ面白い。

○同街の蒐蔵家医師林某氏、歯科医師黄某氏

 ああいう生活も面白いものだな。とにかく楽んでやっているから好い。楽んでいる人を見るのはいい気もちだな。

○同市謝汝川氏蔵木製椅子いす

 不思議なものだな。こりゃ始めてだ。やはり阿蘭あたりから来たものがもとだろうな。とにかくうまくこなしてある。

○台南州新豊郡関廟庄関廟にて

 これは面白いところだね。やっぱり仕事をしているところは面白いものだね。なにか生き生きした感じがあるね。

○同所の市場にて仙草をたべる

 こりゃうまいものだ。内地にはちょっとないあまさだね。

○同庄田中央部落盧氏の住宅

 こりゃ上等の住居すまいだ。実に堂々たる暮しだね。工人たちのこんな立派な住居ってものは、内地の田舎にはどこへ行ったってありゃしない。構造が面白いな。
 この構造には感心したね。竹の仕事をするにはもって来いの構造だ。実に面白い。河井(寛次郎)などに見せたら一ぺんに喜んでしまうね。
 えらいよ。でたらめじゃないからね。子々孫々までの計画を永く考えて実行しているんだからね。

○同所にて竹戸棚を見て

 これも下手げてだけど立派なものだね。

○同じく陶製の箸立はした

 珍らしいものだ。どこに売っているかしら。

○同庄花園部落の斎堂(明徳堂)にて屋根裏の構造を見て

 浜田(庄司)も竹屋根をやっているんだけど、これには負けるな。

○同所にて染附食器を多数譲られて旅嚢りょのうとみに重くなる

 幸福なる重さだよ。

○同所にて竹の家を見て

 こりゃまるで茶室だね。浜田や河井が見たら騒ぎだね。

○同庄松脚子部落

 こういう村ってものは実にすばらしいものだな。暮しの中に仕事があり、仕事の中に暮しがある。

○同所民家の仕事場にて

 こりゃ感心した。町などの仕事とは違うからな。まして近頃の工場などとは大変な相違だ。
 こういうところでせめて半年ほど仕事をしたいな。
 これでは悪いものは出来ないや。内地人の手さえはいらなきゃ間違いないんだ。
 こりゃ際限なく見所のある村だな。今まで見た中では台湾第一の村だね、仕事場としては。町なんかで作っているものとはまるで違う。

○同庄五甲部落の椅子の仕事を見る

 河井の(指導による京都の作品)はきれいだけど、しかしあの美は洗練された都会の美だ。こっちはもっと骨があるな。全く長枝竹という材料の美だなあ。

○関廟よりの帰途

 ああ面白かった。こりゃこの村一つ見るだけで台湾にわざわざ来た値打があった。はるかに他所よそより面白かった。
 大家族制度を組織として実にうまく生かしているな。工藝村としては理想に近いものだ。われわれが考えてもああうまくはゆかないな。
 十か十一くらいの子供があんなにうまく作るんだからな。
 組合が出来ているのはいいな。あれはいいことだ。組合が正当な働きさえすれば仕事はいつまでも乱れないのだ。
 村の人も皆いい人じゃないか。裕福だからかも知れないが、あれじゃ裕福にもなるよ。
 この村は大いに研究する価値がある。工藝問題の本質に触れているなあ。村岡(景夫)君見たいな人と、それに河井でも芹沢(※(「金+圭」、第3水準1-93-14)介)でもいい、誰かデザイナーを連れてきて一緒に仕事したいな。河井なぞ夢中になっちまうだろう。こりゃ河井に今夜手紙を書いてやろう。


○台南市顔水竜氏宅にてタイ国の籐製とうせい蹴毬けまりを見る

 うまいものだ。これは驚くべきものだね。しっかりしているな。実に強い力だ。完全で直しようがない。

○同じく竹家具を見て

 竹は性格がはっきりしているから、用いる場合は一部屋竹だけのセットにすべきだ。木とはなかなか合わない。
 竹のセットは東京だったら大たい夏の感じだね。涼しさを贈ってくれる。

○同市新楼医院の煉瓦れんがの踏石

 こういう仕事ってものは伝統的にやり方がきまっていて、慣れたうまいものを作るものだな。

○刺竹のくさむら

 性格があるね。まるで木のような感じだね。内地では見られない竹の美しさだ。

○長栄中学校の建物

 いい建物だ。生徒は幸福だ。

○同市開元寺

 石(浮彫うきぼり)にはなかなかいいのがあるな。
 この井戸の形もなかなか面白いものだ。

○同市中にて

 建物ってものは責任があるよ。自分が建ててもその外観ってものは公共のものだからね。大いに考えてやってもらわないと困る。

○台北市竜山寺について

 船の中で、まず竜山寺をごらんなさい、台湾一です、という話を聴いた。ところが実際を見るとあんなひどいのはないね。まずあのゆき方の極致だね。

○赤絵の小皿

 いったい本島人のものや高砂族のものだというと、軽蔑している場合が多いと思うが、立派なものだ、自信をもって使っていいのだということを知らせる必要があるね。例えばこれなんぞは日常の雑器なのだが、これほどの赤絵なんて、今の世界にはどこへいったって出来ないんだからね。
 高砂族のうちにだって尊敬すべきものが数々あることを知らなければいけない。われわれに出来ない立派な技術をもっているってことを、素直に認めなければ。

○台湾の窯業について

 台湾の焼物は、こんど始めて判ったが、こんなに盛んだとは思わなかった。何しろこれだけの地盤があるんだからね。
 とにかく内地の模倣をしないってことを一つのモットーにするんだね。内地のものを負かすのはわけはないよ。
 工藝品は形があるからね。形のあるものは正直だから勝負は早い。これほど勝負のはっきりするものはないんだ。いいものを作れば、どうしたって頭をさげさせることが出来るんだからね。
 彼らは知らずらずにいいものを作っている。知らずにいいものを作るということは尊いことなのだ。これはいいことだからと知っていていいことをする。これは道徳としては第二義的だ。知らずにいていいことをする。これが理想的なのだ。知らずにいていいものしか生れない。そういう工藝の世界が台湾にはまだあるんだな。
 いったい日本人は美しい物だというと大騒ぎをする。大騒ぎをして鑑賞するのはまだ本物じゃないんだ。平気で美しい物を使いこなす、そこまで行かなくちゃ。美しいものしか生れない時代にはそういう生活が普通だったのだ。

○店頭にて

 蛇皮じゃびでも蓑虫みのむしでも何とかなりそうなものだ。どこへ行っても同じものばかりで実に藝がないな。

○竹工藝について

 竹細工は是非生かすといいな。材料だってあるし、内地にはない技術なんだからね。あんな技術ってものは世界中どこへいったってありゃしないよ。

○台南州北門郡佳里番子寮の民家

 竹の柱ってものは実に風情ふぜいがあるものだ。茶人が見たら随喜の涙を流すね。しかしこれは此処だから出来るんで、この竹(刺竹)でないと駄目だ。輸送の都合がいいと東京へ少しもって行って、建てて見たいな。素晴らしいものが出来るがなあ。

○同郡学甲庄の新作の草鞋スリッパーを見て

 在来の形があるでしょう、前の方が開いた。実際からいってはきよくもあるし、形から見てもその方が力があるんだ。

楊桃ようとう

 いい形の菓物くだものだな。見るからおいしそうだ。

○学甲庄慈済宮の古銭窓

 こういうディテールは非常に面白のがあるね。こういうのをあつめるといいな。

○同郡草□〔不明〕の部落にて新建中の竹の家を見る

 すごいもんだな。この細工は。

○北門庄の林投帽

(漂白しない林投繊維で出来た帽子を見て)こりゃこの方がいいや。強い。漂白した方はどうしても感じが弱いね。こりゃどうにかすれば大した帽子が出来るぜ。是非この方が好いってことにしなければ。いつまでもあんな馬鹿な手間(神戸まで漂白に出す)をかけることになる。

○南鯤※[#「魚+身」、U+9BD3、281-2]の王爺廟

 こういう建物としてはゆく所までいったものだね。しかしこれも一種の力だね。力の持続が大変だ。われわれなら馬鹿々々しくなってやめてしまうよ。やっぱり大きい民族意志に支えられているものだね。この力をもっと有効な方に向けさせれば大したものが出来るはずだ。日本人にはない、えらい力だよ。

○再び関廟庄にて

石脚桶チョーカータン、浮彫ある石の洗濯盥せんたくだらい)しゃれたものだね、こういうものは。
(平煉瓦の化粧張りの壁)この組み方は実に面白いものだ。

○高雄市商工館所蔵広東カントン系本島男子用布鞋ぬのぐつ

 これは面白いものだ。すぐ利用出来るじゃないか。

○水牛角製印材

(台湾の一等品は内地の三等品だという話について)しかし、そりゃおそらくこっちの方がいいんじゃないかな。内地のリファインメント必ずしもよくないものだ。あれは使用者には無関係の現象だよ。中間の商人の都合から起ったものだ。帽子などにしてもそうだね。

高雄たかお州商工課主催の座談会にて

 一たい台湾を知るのは台湾だけを見ていてはなかなか判りにくい。内地、朝鮮、支那、あるいは広く世界を通じて比較しての台湾の位置というものを知らないと、ほんとのことは判るものではないと思う。私は台湾の見聞は非常に経験が浅いが、工藝問題については、今いった比較上の台湾の位置ということについて、多少は物をいい得る資格があると思っている。
 その目で台湾を見まして、本島のものに非常に尊敬すべきものが多いということが判って大変愉快に思っている。まず高砂族では織物が圧倒的にすぐれている。若し三百年前にこれが日本に渡っていたら、疑いもなくこれは大名物裂おおめいぶつぎれになっているに違いない。またもし千数百年前に渡っていて、これが勿体もったいないたとえではあるが、仮に正倉院しょうそういん御物ぎょぶつに混っていたとしても、何人なんぴともその価値を疑わないに違いない。今ごろは大騒ぎして研究されているに相違ない。
 高砂族を原始民族として、低いものに見るのは一面当然でもあろうが、われわれの方が頭を下げて教えを乞わなければならない点があるということは、これまた当然認めなければならない。現代日本の第一流の染織家の何人がこれほどのものを作り得るだろうか。断じて何人も作り得ないことを私は確言することが出来る。
 これと同様のことはまた本島漢人の作品にも感ぜられるのであって、たとえば焼物を例にとりますと、実は台湾には焼物は何もないと聞かされ、そうであろうかと想像して来たのですが、来て見てその盛んなことに驚いた。その製品は普通台所用のいわゆる粗陶器でありまして、一般には非常に安物でつまらぬものと考えられているものです。しかし、この普通品の粗陶器の中に漢代以来の骨と力とが伝えられている。東洋の「形」の正しい格が保たれているのでありまして、これと同様の力は朝鮮にはまだ幾分ありますが、日本内地では一、二のかまを除いてはもうほとんど残っていないのであります。
 陶器は時局の進展と共にますます島内で自給すべき必要が濃くなって来ることと思いますが、内地のものを取り入れようという考えは間違いである。とても内地のかなわない面がある。折角内地にもない東洋の力を保存しているものを、今の弱々しい内地品で弱めるということは、実に馬鹿な話です。こちらの形、こちらの手法を生かして、こちら独特の方法で将来進んでゆかれることを希望します。これが将来の日本工藝の力を強める一つの原動力ともならなければならないと考えるのであります。
 次に現在の台湾で一番欠けているものは一つは染織工藝であろうと思います。しかし先日来見ました所では台湾には繊維の種類が非常に多い。この点ではむしろ恵まれている土地ではないかと思う。広義の麻の系統、ことに芭蕉ばしょう繊維の如き、これだけでも成功すれば少くとも台湾の夏の衣物きものは解決する。雑繊維を馬鹿にしないで是非これを生かしていただきたいものと思う。
 また泥藍どろあいのあることは染めとしては非常な強味でして、琉球の染物がいいのは一にこの泥藍のためであります。藍は東洋の色彩の王者であって、西洋人が常に感心するのはこの藍の色であります。ことに泥藍はその技法が非常に容易であるという長所がある。
 茶系統の色彩は台湾のように植物の多いところではこれまた容易だと思う。薯榔の如きものを使えばいいのでありますし、黄色にはフクギ、クチナシ、キハダのようなものが必ずありましょう。また藍と黄色があれば緑は自由に出来ます。蘇木があれば赤が出来、これと藍とで紫も出来る。染めの伝統は台湾では少いようでありますが、これらの自然染料を研究利用することによって、台湾は優に自給することが出来ると思う。
 次に木具に移りますが、私が台湾で一番驚いたのはどの家庭にもある正庁の神棹であります。もっとも中には末梢的ないやな装飾のついたのもあるが、これは主として金持ちの家庭であって、中流以下の家庭のものは概して非常に立派である。あれだけのものを使っている家庭というものは、内地には滅多とあるものではありません。それを台湾ではどんな貧家でも使っている。実に驚くべきものです。将来の台湾家具は、こうしたものから無数のデザインと非常な力とを汲みとることが出来るはずであります。
 竹細工では殊に台南州関廟のに非常に打たれた。組織といい、仕事場といい、その仕事ぶり、その製品、そしてその販売組織、あれだけうまくいっている工藝の村というものは、おそらく世界のどこを探しても、めったにあるものではない。工藝の村としてはわれわれが頭で考えている一つの理想に近いものがこの世に実在してるような感じがして実に驚嘆しました。一時日本内地工人を招聘しょうへいして指導を受けた事があるそうですが、結果においては内地の方がまけで、在来のものがずっと強く、そしてずっとすぐれている。いったい工藝品は形のあるものですからよしあしの勝負が早い。内地から指導者を呼んだ場合にはたいていの場合改良でなくて改悪になっている。なぜこんな事が起ったか。本島在来の作品を尊敬しないところからおこったのである。内地風に改めるとそれですぐ良くなると思うのは、あまい不遜ふそんな見方であります。
 本島の竹細工は農具その他雑用品が多いから、あらいところがある。それを内地風に繊細にしようとするのですが、しかし技巧的に見ても、台湾には随分すぐれたものがある。例えば嘉義で出来る盛籃もりかごなどは難の打ちどころのない立派なものであります。
 当地の水牛角細工なども本島独特の風で発展させていただきたい。
 台湾はいろいろな面において東亜各地の要素が輻輳ふくそうしているところだときいていますが、将来東亜の造形文化の発展のうえにおいて一の基地とならねばならない。将来立派な使命のあるところだと思う。それには、今もいう通り、内地の工藝は既に弱々しくなり、堕落しつつあるのですから、内地を見本としてはいけない。この土地の伝統を尊敬して、正しい意味でこれを生かしてゆかなければいけない。ただ日本人はもののいい悪いを見わけることにかけては、世界でも第一流の眼をもっている。だから指導者としては日本人の介在した方が無難である。それにはわれわれがまず生徒となって勉強し、その勉強の上に立って指導する、その長所を発揮させる、これが指導の要諦ようていであろうと思います。

○同じ席上にて

 こちらで生活するには、こちらに住むことに喜びを感じなければいけない。僕は関廟に住いたくなったほどです。

○同じく

 焼物には南支製の粗陶器に実に立派なものがある。台湾の窯業家の将来手本とすべきものが充分にある。

○同じく

 台湾の竹椅子を見て、独逸ドイツの建築家のブルノー・タウトが実に驚いた。タウトは世界的の建築家であり、家具のことにもくわしい。ことに椅子と来ては、西洋の伝統を充分悉知しっちし身につけている。それが日本にきて何にまず驚いたかというと、台湾の竹椅子に驚いたのです。私はタウトとは始終つき合いましたがそのタウトの素直な参り方にまた感心したものです。タウトは竹椅子を見て、動けなくなった。実に頭が上らないといってへこたれた。彼は台湾の竹椅子に圧倒されてしまったのです。

○同じ席上にて某氏の持参した支那製煙管きせるを見て

 支那のものはなかなかはじくところがあって威張っている。ちょっと日本の生活にはそのまま入れられないところがある。この煙管でも、これだけの力ってものは日本にはない。

○同じ席上にて

 こちらにはこれだけいろいろな木の種類があるのだから、いいモザイクが出来ますね。

○東港郡万丹庄のある民家を見て

 竹の家は民家としては世界一だね。この味ってものは他にないものだ。刺竹の柱のたくましさは驚嘆すべきものだね。白壁との調和が実に見事だ。

○同じく

 刺竹の幹を曲ったなりで柱に用いている。曲っているとかゆがんでいるとか、そんなことを考えないからこそ、あれだけの強さが出たのだからね。

○同じく

 もしこの竹の家がもっと早くから内地に知れていたら、たしかに茶室の一様式を作っていたに相違ない。

○同じく

 竹の家のいい写真を出したら、皆が驚くぞ。

○刺竹について

 こちらへきて、形で驚いたのは刺竹だね。根の集った力ってものは大変なものだね。

○潮州郡ライ社にて

 こういう立派なもの(パイワンの織物)を見ると、これを作り出す生活を尊重して生かしてやりたいという気がすぐ起る。そうしなければ済まないような気がするんだが、それがほんとなのじゃないかなあ。

○本誌の民俗図絵について

 立石君の民俗図絵は面白いね。あれは是非つづけて一冊にまとめてほしいものだね。

羅東らとう寒渓かんけいのタイヤル族

 寒渓はタイヤルの特色がよく生かされている。そして村や住居が清潔で衛生的に改善されていてなかなか立派だ。この点アミ族の場合とは対蹠たいしょ的だ。寒渓は理蕃りばん政策に一つの解答を与えている。及第点に達しているといってもいい。衣服なども苧麻ちょまを染めて手織りで作っているが、非常にいいものが出来る。美しいものを作る本能がまだ残っているんだね。

宜蘭ぎらんについて

 宜蘭の媽祖廟の神棹はこんど見たもののうちで最もいいものの一つだ。
 宜蘭の民家の門にある低い扉にはなかなかいいのがあるよ。
 宜蘭は皆で一度一緒に行くといいな。

○文教局長主催の座談会席上にて彰化市の籃蒸ナンスーンを示しつつ

 こういうものを普段平気で使いこなすその生活の幅、強さ、厚みというものは大いに尊敬しなければならない。そしてその力を摂取しなければならない。
 今日の東京の生活はこれにくらべると遥かに弱い。東京の台所はこの品物に負けます。これを使いこなすには堪え得ない。病的に弱く薄くなりつつある日本の現代の文化を思うと、これにわが国民の将来を托すことには非常な不安を覚えるのであります。





底本:「柳宗悦 民藝紀行」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
   2012(平成24)年6月15日第9刷発行
底本の親本:「柳宗悦全集著作篇第十五卷」筑摩書房
   1981(昭和56)年5月5日初版発行
初出:上「民俗台湾 第二十三号」
   1943(昭和18)年5月発行
   下「民俗台湾 第二十四号」
   1943(昭和18)年6月発行
入力:門田裕志
校正:砂場清隆
2020年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「魚+身」、U+9BD3    281-2


●図書カード