地方の民藝

柳宗悦




 多少の知識は整ってはいたが、実際何が出て来るかは知る由がなかった。私たちは日本の各地に生い育った民藝みんげい品をもとめて長い旅を続けた。北は津軽から南は薩州にまで及んだ。もとより古い作物の探索ではない。現に何が作られているかを知るためであった。書物やら土地の人々の話で多少目当めあてけることは出来たが、吾々の目的を説くことには難儀を感じた。どの地方の人々も吾々のような客をったことがないと見える。また吾々の心をくものに留意する人は極めてすくないと見える。県の出版物も、陳列所の品物もよい指導にはならなかった。吾々は大概の場合みずかまず歩くより仕方がなかった。吾々が怠れば品物の方は決して近附かない。すべての所が処女地であった。精出してすきくわれない限りみのりはない。
 予期したのは城下町であった。旧藩の文化が残ると考えられるからである。封建制度がたおれてこの方、わずか半世紀より過ぎないが、変遷の極めて急激な日本では、早くも失った伝統がどんなに多いことか。時はもう遅過ぎるのである。それでも工藝の技術が一番多く残るのはそれらの町々をいてはない。城はすたれ、代官の屋敷は傾いても、何か歴史の跡が残る。その跡を辿たどって現状を見るのが私たちの第一の仕事であった。北に、南に古い城下町は点々と地図に載る。
 第二に足を向けたのは物資が集散する田舎の町々である。これは地理が決めてくれる。幾つかの奥地をそでに有つ町や村は、品物が集り、また散る場所である。特に市日いちびでも設ける所があれば、なお都合がいい。それらの場所では、その地方でなければないものを数々売る。これには材料の相違や習慣の差違が変化を与える。
 この領域では資材を絶えず注意せねばならない。資材あっての工藝である。こうぞしげれば、和紙の産地である。麻が畑に見えれば、麻布を予期していい。同じ土焼どやきの破片が数あれば、それでかまが見出せたともいえる。街道をつたって同じ仕事が目に繰り返って映れば、そのわざに歴史があることが判る。漆器しっき屋、竹籠たけかご屋、箪笥たんす屋等、多くは集団して軒を連ねる。京の夷川えびすがわ等いい例である。
 それ故町の名を頭に留めていい。大工町、檜物ひもの町、金屋かなや町、鍛冶かじ町、鋳物師いもじ町、銅町、呉服ごふく町、紙屋町、箪笥町、紺屋こうや町等々工藝の町々が歴史を負って至る所に残る。それらは多く吾々を待っている場所と考えていい。城下町にはこの幸が多い。
 続いて吾々は町の中でも古い街道筋を選ばねばならない。火災は何より工藝への恐怖である。蔵造りの軒並のきなみ萱葺かやぶきの屋根がそろえば、工藝の品もまた揃う。建物が吾々の足を留める所は、やがて品物にもえる個所である。旧家は物の歴史やりかを知るに何よりの手引きである。ここで年老いた人たちの物覚えに尽きぬ感謝を忘れてはならない。
 もとより私たちの注意は作る家、売る店のみに働いてはいけない。行きずりに道で逢う人々の身形みなりが大事である。かぶぼうまとう着物、背負う籠、腰の持ち物、それらよりきた手本はない。同じように事情が許すなら、民家の茶の間、その台所を見るにくはない。そこにまさる陳列の場所はない。私たちはそこでその地方の活きたものと話し合える。
 店にも色々あるが、地方の特色を一番手近に察知するのに是非とも寄らねばならない場所がある。いつでも店の格で一番下積みにせられる荒物屋である。ここは吾々にはかくれた倉庫である。特に町の街道がやがて終るあたりには、在方ざいかたの人々が寄る荒物屋が一、二軒必ずあるものである。山間や奥地の村々で日常使う品物がとおり揃えてある。地方を知ることと荒物屋を知ることとはしばしば同じ意味さえある。
 田舎の人たちは習慣にあつい。今は変りめではあるが、それでもしばしば驚くほどの保存において生活の様式が残る。私たちは必ずしも過去に歴史を探らずともよい。現に今使われている数々の品物で歴史を読むことが出来る。奥地への旅はこの興味をそそる。その場面の縮図が荒物屋に展観せられる。たがいに似ているようでいて、荒物ばかりは地方の独立を乱さない。
 地方で出来る品物はその分布の区域が案外に狭い。名を得て遠く出るものもある。だがしばしば遠出すれば、地方の性質を忘れがちになってしまう。私たちはある村で、見たこともない品物に逢う。だが買い忘れたら隣村で得られるといつも予期してはいけない。近い二つの村はしばしば品物において縁がないかの如くに並んでいる。それほど一区域に分布が限られる場合がある。民藝は時々極度に区分的な発達をする。
 興味深い一つの現象は、ある種の工藝が特にある場所でのみ栄えることである。鹿沼かぬまほうき丸亀まるがめ団扇うちわ天童てんどう将棊駒しょうぎごま久留米くるめかすり結城ゆうきつむぎ土州どしゅうの金物、それぞれに面白い発達である。そういう場所からはとりわけ生産の組織について多くを学ぶことが出来る。その考察は未来の民藝に取って重要な示唆を投げる。
 旅を終えて振りかえると、今なお続く民藝の分布について色々の結果を捕えることが出来る。固有の工藝が多く残るのは概して北方に多く、南国に浅い。もっとも焼物の如きものを寒国に予期するのは無理である。摂理は運命をうまくぎょして行く。雪に閉じめられる、陰惨な、退屈な、長い冬の日が、人々を工藝へ誘った一つの動因である。雪と手工藝とは因縁が濃い。暖国は作るよりもむしろ商うのに多忙である。南国は移動するが、北国は停止する。それだけに生活の様式が今も昔とそう変らない。変らないだけに品物は正直であり、純朴である。純朴なものは間違いが少い。各地で拾い上げたものをかえりみると、ほとんど皆昔とのつながりを有つものだけである。新しく工夫せられたもので美しいものは悲しいかな極めて少い。いわば伝統を背負うものの方が、いつも美しさで優る。地方の生活からき出た純日本のものには勝ちみが多い。それには背後に充分な準備が仕度せられているからである。自然と歴史と生活との綜和そうわがそれらのものの根柢こんていに潜む。都会から田舎へと洪水のように流れ込む商業的な品物には、そんな背景がない。正しい品物がそれらのものの中に見附からないのも無理はない。
 私たちはさいわいにも各地から多かれ少かれ品物を拾いあげることが出来た。だが数で表わせば、それらを取り囲む無数の品物に対して、まこと些少さしょうな歩合を占めるに過ぎない。この旅は私たちに辛棒しんぼう強い努力を要した。それは砂中に黄金を捜す倦怠けんたいな仕事とさしたる変りはない。それほど地方の民藝は深くかくれて姿を現さない。そのあるものは、否、多くのものは既に失われてしまったといえよう。それだけに吾々は仕事を急がねばならない。伝統がすたれ、早く手工藝の多くがほろびた西洋に比べれば、まだまだ余裕のある事情に在るとおもえる。私たちはこのことを恵みとして、活かして考えたい。手工藝をただ過ぎ行くものとして捨てる人もあるが、余り粗野な見方と思える。日本の工藝はまだあたたかいのである。多くは家庭の手仕事として生れている。
 もとより拾い上げた幾多の作物をながめて、その中に昔とは劣る色々な性質を気附くことが出来る。中で一番著しいのは、模様の喪失である。日本は刺繍ししゅうに、漆器に、陶器にあれほど優れた模様を有っていた国である。それも五十年とさかのぼれば沢山である。だがこの間に日本人は模様へのちからを速かに失ってしまった。今でも器物の上に無数の模様を描くことに変りはない。ただ正しい意味での模様だけは描けなくなってしまったのである。このことは一抹のさびしさを吾々に抱かしめる。事情が変ればこんなはずはない。
 だがこれらの引けめがあるにかかわらず、作物に正しさを求めて捜せば、何よりも地方の民藝が吾々の前に呼ばれて来る。それらはまだ用に忠実な仕事をしているからである。利のためにはすべてを犠牲にすることをいとわない都市の工場からは、決して正しい品を期待することが出来ない。地方の民藝を訪ねるのは、正しい工藝を探る意味がある。しかも日本の品と公に呼べるものは、それらをいてどこにあろうか。そこには借り物がない。日本で咀嚼そしゃくし、日本で産んだ工藝である。民藝で今も日本を語れるのは日本人の特権である。それらはともかく地から生れた工藝である、その意味で最も正当な工藝の性質を示すといっていい。
 今までこれらのものの存在を見棄みすてたのは自覚の不足にる。どの公な物産陳列所も、申し合せでもしたかのようにその地方の固有のものをならべない。そうして都風みやこふうしたものを目指している。どの陳列所もそれゆえ郷土の特色には乏しい。東に行くも、西に行くも陳列所は一列に同じである。今は凡ての品が都の工場から地方へ流れ込む時期である。地方ではそれを「くだもの」と呼ぶ。店という店、もう九割はそれでうまる。かつて都を指してのぼった地方の品々は、その逆流に手向うことが出来ない。特色ある各地の伝統と技術とは無数の優れた職人と共にたおれつつあるのである。これに勝る無駄があろうか。
 しかしこのことが何を意味するかを地方の人たちは充分に自覚しない。各地でやとう技師は驚くほど地方の工藝に付ては冷淡である。そんなものを考慮するほど野暮やぼなことはないと考えてしまう。私たちとここで考えが別れる。何故その土地に与えられた材料と手法とを活かして進まないのか。それより健実な進み方があろうか。地方の工藝のみが工藝ではない。しかしその喪失は工藝の重要な部門の喪失を意味する。
 私たちに取っては姿の新しさ古さは、さして難儀な問題ではない。それよりも物が正しいか正しくないか、誠であるか誠でないか、この方が一義となる問題である。このことを求めて追えば、如何いかに地から生れ出た郷土のものに、工藝として正しいものがあるかに気附くであろう。都会の工場から生れるものには偽瞞ぎまんが如何に多いことか。ほとんど皆商業主義の犠牲に過ぎない。その裏には悲惨な労働の苦痛が読める。そこに物の正しさを求めても無理であろう。私たちは自然と生活とに即して発した民藝から多分に工藝の律を学ぶ。都市が地方をそこなうべきではなく、地方が都市を救わねばならぬ。生活の変化はやがて民藝の外形を変えるであろう。当然そうあっていいのである。ただ変らないのは美の法則である。姿は変っても、民藝にひそむ美に古今はない。
 終りに読者に告げる。史的に見てこれらの蒐集品しゅうしゅうひんは、何か将来の研究者に役立つであろう。だが物を集め調べるそのことに私たちの意向の中心が在ったのではない。正しい作物を求め、そこに流れる美の律を省み、それをどう来るべき生活に活かすかが本旨である。それ故これらの品物を見てよろこんでくれる人があるならうれしい。進んでそれを生活に取りれて使ってくれる人があるならなお嬉しい。しかしそれよりも更にこれらのものを通して、未来に正しい作物を産んでくれる人が出るなら、最大の感謝である。業を失った多くの農村の職人たちは、よき指導者を待ちあぐんでいる。すべき仕事は多い。それらのことを念じて序の言葉を結びたい。

昭和九年十月二十三日

柳宗悦





底本:「柳宗悦 民藝紀行」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
   2012(平成24)年6月15日第9刷発行
底本の親本:「柳宗悦全集著作篇第十一卷」筑摩書房
   1981(昭和56)年12月5日初版発行
初出:「工藝 第四十七号」
   1934(昭和9)年11月14日発行
入力:門田裕志
校正:砂場清隆
2019年4月26日作成
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