國譯史記列傳

管晏列傳第二

司馬遷

箭内亙訳註




箭内亙による譯

管仲夷吾くわんちういご(一)潁上えいじやうひとなりわかときつね鮑叔牙はうしゆくが(二)あそぶ。鮑叔はうしゆく其賢そのけんる。管仲くわんちう貧困ひんこんにして、つね鮑叔はうしゆくあざむく。鮑叔はうしゆくつひ(三)これぐうし、もつげんさず。すでにして鮑叔はうしゆく(四)せい公子こうし小白せうはくつかへ、管仲くわんちう公子こうしきうつかふ。小白せうはくつて桓公くわんこうるにおよんで、公子こうしきうし、管仲くわんちうとらはる。鮑叔はうしゆくつひ管仲くわんちう(五)すすむ。管仲くわんちうすでもちひられてまつりごとせいにんず。せい桓公くわんこうもつたり。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこう(六)九合きうがふし、天下てんか(七)きやうする、管仲くわんちうはかりごとなり管仲くわんちういはく、『われはじくるしときかつ鮑叔はうしゆく(八)し、財利ざいりわかつにおほみづかあたふ。鮑叔はうしゆくわれもつたんさず、まづしきをればなりわれかつ鮑叔はうしゆくめにことはかり、しかうしてさら窮困きうこんす。鮑叔はうしゆくわれもつさず、とき不利ふりるをればなりわれかつたびつかへてたびきみはる。鮑叔はうしゆくわれもつ(九)不肖ふせうさず、ときはざるをればなりわれかつたびたたかうてたびはしる。鮑叔はうしゆくわれもつけふさず、われ老母らうぼるをればなり公子こうしきうやぶるるや、召忽せうこつこれし、われ(一〇)幽囚いうしうせられてはづかしめく。鮑叔はうしゆくわれもつはぢしとさず。(一一)小節せうせつぢずして・功名こうめいの・天下てんかあらはれざるをづるをればなりわれもの父母ふぼわれもの鮑子はうしなり』と。鮑叔はうしゆくすで管仲くわんちうすすめ、もつこれくだる。((鮑叔ノ))子孫しそんよよせい祿ろくせられ、封邑ほういふたももの餘世よせいつね名大夫めいたいふたり。(一二)天下てんか管仲くわんちうけんとせずして、鮑叔はうしゆくひとるをとするなり
管仲くわんちうすでまつりごとにんぜられせいしやうたり。(一三)區區くくせいもつて、(一四)海濱かいひんり、(一五)くわつうざいみ、くにましへいつようし、(一六)ぞく好惡かうをおなじうすゆゑ(一七)其稱そのしよういはく、(一八)倉廩さうりんちて禮節れいせつり、(一九)衣食いしよくりて榮辱えいじよくる。(二〇)かみおこなへばすなは(二一)しんかたし。(二二)らざればくにすなは滅亡めつばうす』と。(二三)れいくだすこと流水りうすゐみなもとごとく、民心みんしんしたがはしむ。ゆゑ(二四)ろんひくうしておこなやすし。ぞくほつするところつてこれ(二五)あたへ、ぞくとするところつてこれる。まつりごとすや、わざはひつてさいはひし、やぶれをてんじてこうし、(二六)輕重けいぢうたつとび、權衡けんかうつつしめり。(二七)桓公くわんこうじつ少姫せうきいかつて、みなみのかたさいおそふ。管仲くわんちうつてち、(二八)包茅はうばうの・周室しうしつ入貢にふこうせざるをむ。桓公くわんこうじつきたのかた山戎さんじうせいす、しかうして管仲くわんちうつてえんをして召公せうこうまつりごとをさめしむ。(二九)くわいおいて、(三〇)桓公くわんこう曹沫さうばつやくそむかんとほつす、管仲くわんちうつてこれしんにす。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうこれつてせいせり。ゆゑいはく、(三一)あたふるのるたるをるはまつりごとたからなり』と。管仲くわんちうとみ公室こうしつ(三二)し、(三三)反※はんてん[#「土へん+占」、U+576B、13-14]あり。(三四)齊人せいひともつおごるとさず。管仲くわんちうしゆつす。(三五)齊國せいこく其政そのまつりごとしたがつて、つね※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうつよかりき。のち餘年よねんにして晏子あんしあり。
晏平仲嬰あんぺいちうえいは、(三六)らい夷維いゐひとなりせい靈公れいこう莊公さうこう景公けいこうつかへ、節儉力行せつけんりよくかうもつせいおもんぜらる。すでせいしやうとして、(三七)しよくにくかさねず、せふ(三八)きぬず。てうるや、(三九)きみこれおよべばすなは(四〇)げんたかくし、これおよばざればすなは(四一)おこなひたかくす。くにみちればすなは(四二)めいしたがひ、みちければすなは(四三)めいはかる。ここもつ(四四)せい※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうあらはせり。越石父ゑつせきほけんにして(四五)縲紲るゐせつうちり。晏子あんしでてこれみちふ、(四六)左驂ささんいてこれあがなひ、かへる。((晏子))(四七)しやせず、(四八)けいる。これひさしうして越石父ゑつせきほ(四九)たんとふ。晏子あんし(五〇)※然くわくぜん[#「りっしんべん+矍」、U+6204、14-13]として衣冠いくわん(五一)をさめ、しやしていはく、『えい不仁ふじんいへども、やくまぬかれしむ。なんつをもとむるのすみやかなるや』と。石父せきほいはく、『しからず。われく、君子くんしおのれらざるもの(五二)※(「言+出」、第4水準2-88-60)くつして、おのれものぶと。われ縲紲るゐせつうちるにあたり、(五三)かれわれらず。(五四)夫子ふうしすで(五五)感寤かんごし、われあがなへり、おのれるなり。おのれるものにしてしかれいくば、もとより縲紲るゐせつうちるにかず』と。晏子あんしここおいれて上客じやうかくせり。
晏子あんしせいしやうり、づ。その(五六)ぎよつま(五七)門間もんかんより其夫そのをつとうかがふ。其夫そのをつとしやうぎより、(五八)大蓋たいがいようし、(五九)駟馬しばむちうち、(六〇)意氣揚揚いきやうやうとしてはなは自得じとくせり。すでにしてかへる、其妻そのつまらんとふ。をつと其故そのゆゑふ。つまいはく、『晏子あんしけ六しやく滿たず、齊國せいこくしやうとして、※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうあらはる。今者いませふづるをるに、志念しねんふかし、つねもつ(六一)みづかくだものり。いまけ八しやくすなはひと僕御ぼくぎより、しかみづかもつれりとす。せふここもつるをもとむるなり』と。其後そののちをつとみづか(六二)抑損よくそんす、晏子あんしあやしんでこれふ。ぎよじつもつこたふ。晏子あんしすすめてもつ大夫たいふせり。
太史公たいしこういはく、(六三)われ管子くわんし(六四)牧民ぼくみん山高さんかう乘馬じようば輕重けいぢう九府きうふおよ(六五)晏子春秋あんししゆんじうむに、つまびらかなるかなこれふや。((吾 ))すで其著書そのちよしよその行事かうじんとほつす。ゆゑ其傳そのでん(六六)ついづ。其書そのしよいたつてはおほこれり。ここもつろんぜず、その(六七)軼事いつじろんず。管仲くわんちう所謂いはゆる賢臣けんしんなり。しかれども(六八)孔子こうしこれせうとす。周道しうだう衰微すゐびして、桓公くわんこうすでけんなり、しかるにこれつとめてわういたらしめず、すなはしようせしめしと以爲おもへる(六九)いはく『其美そのび(七〇)將順しやうじゆんし、其惡そのあく(七一)匡救きやうきうす、ゆゑ上下しやうか相親あひしたしむ』と。管仲くわんちういひ晏子あんし莊公さうこうし、これこくしてれいしかのちるにあたつて、所謂いはゆる(七二)さざるはゆうもの諫説かんぜいしてきみかほをかすにいたつては、所謂いはゆるすすみてはちうつくすをおもひ、退しりぞいてはあやまちおぎなふをおもものなるかな(七三)假令もし晏子あんしにしてらば、これめにむちるといへど忻慕きんぼするところなり。

箭内亙による註

【一】潁上。潁水のほとり。
【二】。交際する也。
【三】。待遇する也。鮑叔、管仲の意を諒とし、善く之を待遇し、其の己を欺きたる事に就きて何事をも言はざる也。
【四】齊の公子小白は即ち後の桓公なり。公子糾は小白の兄なり。此一節、齊世家に詳かなり。參照せよ。
【五】。推薦する也。
【六】合。九度會合する也。古書に凡そ九と言ふ者は、皆、其極を指して言ふなり。
【七】一匡。天下の正しからざるを正す也。
【八】。あきなひ。
【九】不肖。其父に似ないといふ意で、不徳なることをいふ。
【一〇】幽囚。獄中に繋がる。
【一一】小節。事の小なる者を云ふ。
【一二】されば天下の人人、管仲の賢なることを偉しとせずして、鮑叔が能く人を知りて管仲を推薦したることを偉しとせり。
【一三】區區。小なるを云ふ。
【一四】齊の東は海に沿ふの地なり、故に海濱に在りと曰ふ。
【一五】貨を通ずるは、財を積む所以なり。財を積むは國を富ます所以なり。國を富ますは兵を強くする所以なり。要は、好惡を同じくし、勢利に因りて之を導くに在り。
【一六】。衆俗。
【一七】其稱。管仲の著書管子の中に述べてある語。管子の牧民篇に出づ。
【一八】民は其穀倉が常に充實して居る程になつて始めて禮義作法を知る也。
【一九】衣服や食物に不足がない程になつて始めて名譽と恥辱とを知る也。
【二〇】上度を服へば。服は行ふ也。上の行ふ所、法度に合へば也。
【二一】六親固し。父母兄弟妻子の間が親み固しとなり。
【二二】四維。禮義廉恥をいふ。
【二三】其の命令を下すこと、流水の源より出でて次第に地勢の卑き方へ流れ行くが如く、民の心に順應するやうにする也。
【二四】其議論卑近にして、行ふこと易し。
【二五】。與也。
【二六】何事によらず、輕きか重きかの問題を大切にし、深く物の釣合に注意せり。
【二七】少姫は蔡姫、桓公の夫人なり。齊世家及び左傳僖公三年四年を參照せよ。實は少姫を怒りて蔡を襲ひ、名は楚を伐ちて包茅を責むるは、是れ禍に因りて福と爲し、敗を轉じて功と爲す也。
【二八】包茅。祭祀に用ふる青茅の包みなり。
【二九】。地名。
【三〇】桓公、魯の曹沫に侵地を遷すことを約せしを、約に背きて還さざらんとする也。
【三一】人に與ふることは取ることの手段なることを知るは、政治の寶なり。
【三二】は比する也。
【三三】三歸反※[#「土へん+占」、U+576B、13-註【三三】]。三歸は臺。反※[#「土へん+占」、U+576B、13-註【三三】]は爵を反す具。諸侯の會に用ふる者。
【三四】管仲の功大にして以て之に當るに足るを以て也。
【三五】管仲の死後、齊國は彼が行ひたりし政治を遵奉せしが故に、常に列國の中にて強盛なりき。
【三六】莱の夷維。莱國の夷維といふ地。
【三七】食は肉を重ねず。肉、一種に止まる也。
【三八】。絹布也。
【三九】君の語之に及ぶとは、君、晏嬰と語るを謂ふ也。
【四〇】言を危くす。言葉を盡すの意。
【四一】行を危くす。奮勵自ら過なきやうにするの意。
【四二】命に順ふ。天命に順つて直行する也。
【四三】命を衡る。天命を計つて利害を考へる也。
【四四】三世。靈公莊公景公の三世の間。
【四五】縲紲。罪人を縛る黒き繩也。囚人となることをいふ。
【四六】左驂。車の左方につけたる馬。
【四七】謝せず。挨拶せず。
【四八】。寢室。
【四九】。絶交すること。
【五〇】[#「りっしんべん+矍」、U+6204、14-註【五〇】]。驚きあわつる貌。
【五一】。整ふること。
【五二】※(「言+出」、第4水準2-88-60)。屈に同じ。
【五三】。役人輩を云ふ。
【五四】夫子。大夫の敬稱、ここにては晏子を指す。
【五五】感寤。感じ悟る所あるなり。
【五六】。御者。
【五七】門間。門の隙間。
【五八】大蓋。車の上にかざす大きな傘。
【五九】駟馬。四頭の馬。
【六〇】我こそは宰相の御者なれと言はんばかりに得意げなる樣子なるをいふ。
【六一】謙讓の意。
【六二】抑損。自ら抑へて謙遜する也。
【六三】此論贊は「吾」より「其軼事を論ず」に至るまでは、管仲晏嬰を總叙し、以下「豈に管仲の謂乎」に至るまでは、管仲を論じ、以下篇末に至るまでは晏嬰を論ず。管仲を論ずる一段中、「乃ち霸を稱せしめしと以爲へる哉」に至るまでは、管仲を抑へ、以下「豈に管仲の謂乎」に至るまでは、管仲を揚ぐ。晏嬰を論ずる一段中、「義を見て爲さざるは勇無き者邪」に至るまでは、晏嬰を抑へ、以下、篇末に至るまでは、晏嬰を揚ぐ。
【六四】牧民山高乘馬輕重九府は、管仲の著書管子の篇名。
【六五】晏子春秋。晏子の著書。
【六六】次づ。次第して書く。
【六七】軼事。逸事に同じ。
【六八】孔子之を小とす。論語の八※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)篇に「管仲の器は小なる哉」とあり。
【六九】。古語也。此三句は孝經に出づ。
【七〇】將順。助け進むること。
【七一】匡救。矯正すること。
【七二】莊公の爲に賊を討ぜざるを云ふ。
【七三】若し晏子をして現代に生存せしめば、吾は鞭を執るが如きの賤職にも甘んじて之に事へんと慕はしく思ふ也。

原文

管仲夷吾者。潁上人也。少時常與鮑叔牙游。鮑叔知其賢。管仲貧困。常欺鮑叔。鮑叔終善遇之。不以爲一レ言。已而鮑叔事齊公子小白。管仲事公子糾。及小白立爲桓公。公子糾死。管仲囚焉。鮑叔遂進管仲。管仲既用任政於齊。齊桓公以霸。九合諸※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。一匡天下。管仲之謀也。管仲曰。吾始困時。嘗與鮑叔賈。分財利。多自與。鮑叔不我爲一レ貪。知我貧也。吾嘗爲鮑叔事。而更窮困。鮑叔不我爲一レ愚。知時有利不利也。吾嘗三仕三見於君。鮑叔不我爲不肖。知我不一レ時也。吾嘗三戰三走。鮑叔不我爲一レ怯。知我有老母也。公子糾敗。召忽死之。吾幽囚受辱。鮑叔不我爲一レ恥。知我不小節而恥功名不上レ于天下也。生我者父母。知我者鮑子也。鮑叔既進管仲。以身下之。子孫世祿於齊。有封邑者十餘世。常爲名大夫。天下不管仲之賢。而多鮑叔能知一レ人也。管仲既任政相齊。以區區之齊。在海濱。通貨積財。富國彊兵。與俗同好惡。故其稱曰。倉廩實而知禮節。衣食足而知榮辱。上服度。則六親固。四維不張。國乃滅亡。下令如流水之原。令民心。故論卑而易行。俗之所欲。因而予之。俗之所否。因而去之。其爲政也。善因禍而爲福。轉敗而爲功。貴輕重。愼權衡。桓公實怒少姫。南襲蔡。管仲因而伐楚。責包茅不一レ貢於周室。桓公實北征山戎。而管仲因而令燕修召公之政。於柯之會。桓公欲曹沫之約。管仲因而信之。諸※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)是歸齊。故曰。知與之爲一レ取。政之寶也。管仲富擬公室。有三歸反※[#「土へん+占」、U+576B、3-9]。齊人不以爲一レ侈。管仲卒。齊國遵其政。常彊※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。後百餘年而有晏子焉。
晏平仲嬰者。莱之夷維人也。事齊靈公莊公景公。以節儉力行齊。既相齊。食不肉。妾不帛。其在朝。君語及之。即危言。語不之。即危行。國有道即順命。無道即衡命。以此三世顯名於※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。越石父賢在縲紲中。晏子出遭之塗。解左驂之載歸。弗謝入閨。久之越石父請絶。晏子※[#「りっしんべん+矍」、U+6204、3-13]然攝衣冠。謝曰。嬰雖不仁。免子於一レ厄。何子求絶之速也。石父曰。不然。吾聞君子※(「言+出」、第4水準2-88-60)己。而信己者。方吾在縲紲中。彼不我也。夫子既以感寤而贖我。是知己。知己而無禮。固不縲紲之中。晏子於是延入爲上客。晏子爲齊相。出。其御之妻從門間※(「門<規」、第3水準1-93-57)其夫。其夫爲相御。擁太蓋駟馬。意氣揚揚。甚自得也。既而歸。其妻請去。夫問其故。妻曰。晏子長不滿六尺。身相齊國。名顯※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。今者妾觀其出。志念深矣。常有以自下者。今子長八尺。乃爲人僕御。然子之意。自以爲足。妾是以求去也。其後夫自抑損。晏子恠而問之。御以實對。晏子薦以爲大夫
太史公曰。吾讀管氏牧民。山高。乘馬。輕重。九府。及晏子春秋。詳哉其言之也。既見其著書。欲其行事。故次其傳。至其書。世多有之。是以不論。論其軼事。管仲世所謂賢臣。然孔子小之。豈以爲周道衰微。桓公既賢。而不之至一レ王。乃稱上レ霸哉。語曰。將順其美。匡救其惡。故上下能相親也。豈管仲之謂乎。方晏子伏莊公尸。哭之成禮然後去。豈所謂見義不爲。無勇者邪。至其諫説。犯君之顏。此所謂進思忠。退思過者哉。假令晏子而在。余雖之執一レ鞭。所忻慕焉。





底本:「國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳」東洋文化協會
   1955(昭和30)年5月30日複版発行
※底本では箭内亙による訳と註をそれぞれ「箭内亙による譯」「箭内亙による註」の中見出しのもと入力しました。
※底本では「箭内亙による譯」中の註番号に該当する註をなるべく訳と同じページになるように囲み枠を作成して組まれています。
※底本では原文はまとめて巻末に掲載されていますが、本テキストでは副題毎にファイル末に「原文」の中見出しのもと入力しました。
※表題は底本では、「國譯史記列傳こくやくしきれつでん」となっています。
※副題は底本では、「管晏くわんあん列傳れつでんだい二」となっています。
※箭内亙による訳、原文中、「怪」と「恠」、「窺」と「※(「門<規」、第3水準1-93-57)」と字体の違うのは底本どおりです。
※原文中の「太蓋」は訳中では「大蓋」となっています。
※原文中の「管氏」は訳中では「管子」となっています。
※原文の返り点は、「入貢於周室」のように、現在の学校教育で習うものとは、少し異なるところがあります。
入力:はまなかひとし
校正:みきた
2021年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「土へん+占」、U+576B    13-14、13-註【三三】、13-註【三三】、3-9
「りっしんべん+矍」、U+6204    14-13、14-註【五〇】、3-13


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