國譯史記列傳

孫子呉起列傳第五

司馬遷

箭内亙訳註




箭内亙による譯

孫子武そんしぶ齊人也せいひとなり兵法へいはふもつ呉王闔廬ごわうかふろまみゆ。闔廬かふろいはく、(一)の十三ぺんわれことごとこれる。(二)もつすこしくこころみにへいろくきか』と。こたへていはく、『なり』と。闔廬かふろいはく、『こころみに婦人ふじんもつてすきか』と。いはく、『なり』と。ここおいこれゆるす。宮中きうちう美女びぢよいだし、百八十にんたり。孫子そんしわかつて二たいし、わう寵姫ちようきにんもつ※(二の字点、1-2-22)おのおの隊長たいちやうし、みなげきたしむ。これれいしていはく、『なんぢなんぢ(三)むね(四)左右さいうとをるか』と。婦人ふじんいはく、『これる』と。孫子そんしいはく、『まへすなはむねひだりひだりみぎみぎうしろすなはよ』と。婦人ふじんいはく、『だく』と。約束やくそくすでき、すなは(五)※(「金+夫」、第3水準1-93-4)ふゑつまうけ、すなはこれ(六)れいしんす。ここおい(七)これみぎす。婦人ふじんおほいわらふ。孫子そんしいはく、『約束やくそくあきらかならず、(八)申令しんれいじゆくせざるは、しやう罪也つみなり』と。た三れいしんしてこれひだりす。婦人ふじんおほいわらふ。孫子そんしいはく、『約束やくそくあきらかならず、申令しんれいじゆくせざるは、しやう罪也つみなりすですであきらかにしてしかはふごとくならざるは、吏士りし罪也つみなり』と。すなは左右さいう隊長たいちやうらんとほつす。呉王ごわう臺上だいじやうより((孫子ガ))まさ愛姫あいきらんとするをおほいおどろき、すみやかに使つかひをしてれいくださしめていはく、『寡人くわじんすで將軍しやうぐんへいもちふるをる。寡人くわじんこのあらざれば、しよくあぢはひあましとせず。ねがはくはかれ』と。孫子そんしいはく、『しんすですでめいけてしやうたり。しやうぐんりては君命くんめいをもけざるところり』と。つひ隊長たいちやうにんりてもつとなへ、其次そのつぎもつ隊長たいちやうす。ここおいこれす。婦人ふじん(九)左右前後跪起さいうぜんごききみな(一〇)規矩繩墨きくじようぼくあたり、あへこゑいだすものし。ここおいて、孫子そんし使つかひをしてわうはうぜしめていはく、『へいすで整齊せいせい[#「整齊」の左に「トトノフ」のルビ]す、わうこころみにくだりてこれし。わうこれもちひんとほつするところ水火すゐくわおもむくといへど可也かなり』と。呉王ごわういはく、『將軍しやうぐん(一一)罷休ひきう(一二)しやけ、寡人くわじんくだりてるをねがはず』と。孫子そんしいはく、『わういたづら其言そのげんこのんで、其實そのじつもちふることあたはず』と。ここおい闔廬かふろ孫子そんしへいもちふるをり、つひもつしやうす。西にし彊楚きやうそやぶつて(一三)えいり、きたせいしんおどし、※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうあらはす。孫子そんしあづかつてちからり。孫武そんぶすでし、のち餘歳よさいにして※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんり。
※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)ひん(一四)※(「(西/土)+おおざと」、第4水準2-90-22)あけんあひだうまる。※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)ひんまた孫武そんぶ後世こうせい子孫也しそんなり※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんかつ※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんとも兵法へいはふまなぶ。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんすでつかへ、惠王けいわう將軍しやうぐんるをて、みづか以爲おもらへく[#「以爲らへく」はママ](一五)のう※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんおよばずと、すなはひそか((人ヲシテ))※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんさしむ。※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)ひんいたる。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんおのれまさるをおそれてこれ(一六)ねたみ、すなは法刑はふけいもつ其兩足そのりやうそくちてこれ(一七)げいし、(一八)かくれて・からんことをほつす。せい使者ししや(一九)りやうく。※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびん(二〇)刑徒けいともつひそかせい使つかひく。せい使つかひもつし、ひそかせてともせいく。せいしやう田忌でんき(二一)よみしてこれ(二二)客待かくたいす。※(二の字点、1-2-22)しばしばせい諸公子しよこうし(二三)驅逐重射くちくちようせきす。孫子そんし(二四)其馬足そのばそくはなは相遠あひとほからずうま(二五)上中下じやうちうげはいるをる。ここおい孫子そんし田忌でんきつていはく、『きみただ重射ちようせきせよ。しんきみをしてたしめん』と。田忌でんきこれしんじてしかりとし、わうおよ諸公子しよこうし(二六)きん逐射ちくせきす。(二七)しつのぞむにおよんで、孫子そんしいはく、『いまきみ(二八)下駟かしもつかれ上駟じやうしくみせよ。きみ上駟じやうしつてかれ中駟ちうしくみせよ。きみ中駟ちうしつてかれ下駟かしくみせよ』と。すですること(二九)はいをはりて、(三〇)田忌でんきひとたびたずしてふたたつ。つひわうの千きんたり。ここおい孫子そんし威王ゐわうすすむ。威王ゐわう兵法へいはふひ、つひもつせり。
其後そののちてうつ。てうきふなり。すくひせいふ。せい威王ゐわう※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんしやうとせんとほつす。※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)ひん辭謝じしやしていはく、(三一)刑餘けいよひと不可ふかなり』と。ここおいすなは田忌でんきもつしやうとなして、孫子そんしとなす。((孫子))(三二)輜車ししやうちり、して計謀けいぼうす。田忌でんきへいいててうかんとほつす。孫子そんしいはく、『(三三)雜亂紛糾ざつらんふんきうもの(三四)控捲こうけんせず、たたかひをすくもの(三五)搏※はくげき[#「てへん+戟」、U+64A0、36-11]せず。(三六)かうきよき、(三七)かたちそむいきほひきんずれば、すなはおのづかめにけんのみいまりやうてう相攻あひせむ。輕兵けいへい鋭卒えいそつかならそとき、(三八)老弱らうじやくうちつかれん。きみへいいて大梁たいりやうおもむき・(三九)其街路そのがいろり・其方そのまさきよなるをくにかず。かれかならてうててみづかすくはん。われきよしててうかこみをきて、(四〇)へいをさむるなり』と。田忌でんきこれしたがふ。はたして邯鄲かんたんり、せい桂陵けいりようたたかふ。((齊軍))おほい(四一)りやうぐんやぶる。のち十五ねんてうと、かんむ。かんきふせいぐ。せい田忌でんきしやうとしてかしむ。((田忌))ただちに大梁たいりやうおもむく。しやう※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんこれき、かんつてかへれり。(四二)せいぐんすですでぎて西にしす。孫子そんし田忌でんきつていはく、『(四三)しんへいは、もと(四四)悍勇かんゆうにしてせいかろんじ、せいがうしてけふす。たたかもの(四五)其勢そのいきほひつてこれ利導りだうす。兵法へいはふに、百にして(四六)おもむものは、上將じやうしやうたふし、五十にしておもむものは、(四七)ぐんなかいたる』と。(四八)せいぐんをしてり十まんかまどつくらしめ、明日みやうにちは五まんかまどつくらしめ、また明日みやうにちは三まんかまどつくらしむ。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんくこと三日みつかおほひよろこんでいはく、『われもとよりせいぐんけふなるをる。りて三日みつか士卒しそつぐるものなかばにぎたり』と。すなはその(四九)歩軍ほぐんて、その(五〇)輕鋭けいえいと、(五一)ばいかうあはせてこれへり。孫子そんし其行そのかうはかるに、くれまさ馬陵ばりよういたるべし。馬陵ばりようみちせまくしてかたは(五二)阻隘そあいおほく、へいふくし。すなは大樹たいじゆしらげて、これしよしていはく、『※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけん此樹このきもとせん』と。ここおいせいぐんものをして、(五三)萬弩ばんどみちはさんでふくせしめ、(五四)していはく、『くれがるをともはつせよ』と。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんはたしてよる斫木しやくぼくもといたり、白書はくしよすなは(五五)りてこれてらす。其書そのしよいまをはらざるに、せいぐん萬弩ばんどともはつす。ぐんおほひみだれ、(五六)相失あひしつす。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけんみづから・きはまりへいやぶるるをり、すなは(五七)自剄じけいしていはく、『つひ(五八)豎子じゆしせり』と。せいつてかちじようじてことごと其軍そのぐんやぶり、太子たいししんとりこにし(五九)かへる。※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんこれもつて、天下てんかあらはれたり。(六〇)其兵法そのへいはふつたふ。
呉起ごき衞人也ゑいひとなりこのんでへいもちふ。かつ曾子そうしまなび、魯君ろくんつかふ。齊人せいひとむ。呉起ごきしやうとせんとほつす。呉起ごきせいぢよめとつてつまし、しかうしてこれうたがへり。呉起ごきここおいて、さんとほつし、つひ其妻そのつまころし、もつせいくみせざるをあきらかにす。つひもつしやうとなす。しやうとしてせいめ、おほいこれやぶる。魯人ろひとあるひ呉起ごき(六一)あくしていはく、『ひとりや(六二)猜忍さいにん人也ひとなり其少そのわかときいへ、千きんかさねしが、(六三)游仕いうしげず、つひ其家そのいへやぶる。(六四)郷黨きやうたうこれわらふ。呉起ごきおのれそしりしもの三十餘人よにんころして、ひがしゑい(六五)郭門くわくもんで、其母そのははわかる。((己ノ))ひぢんでちかつていはく、「卿相けいしやうらずんば、ゑいらじ」と。つひ曾子そうしつかふ。ることこれしばらくして其母そのははす。つひかへらず。曾子そうし(六六)これうすんじてつ。すなは兵法へいはふまなび、もつ(六七)〔魯〕きみつかふ。〔魯〕きみこれうたがふ。つまころしてもつしやうたらんをもとむ。小國せうこくにして戰勝せんしようらば、すなは(六八)※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうはからん。ゑい兄弟けいてい國也くになりしかるにきみもちひば、すなはゑいつるなり』と。魯君ろくんこれうたがうて、呉起ごき(六九)しやす。呉起ごきここおい※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶんこうけんなるをき、これつかへんとほつす。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶんこう李克りこくうていはく、『呉起ごき何如いかなるひとぞ』と。李克りこくいはく、『たんにしていろこのむ。しかれどもへいもちふるは、司馬穰苴しばじやうしよぐるあたはざるなり』と。ここおい※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶんこうもつしやうす。しんち五じやうけり、の・しやうたる、士卒しそつ最下さいかなるもの衣食いしよくおなじうし、ぐわするにせきまうけず、くに(七〇)騎乘きじようせず、みづかかてつつになひ、士卒しそつ勞苦らうくわかつ。そつ(七一)しよものり。めに(七二)これふ。そつははこれいてこくす。ひといはく、『そつにして將軍しやうぐんみづか其疽そのしよふ。なんこくするをす』と。ははいはく、『しかるにあらず。往年わうねん呉公ごこう其父そのちちふ。其父そのちちたたかひて(七三)くびすめぐらさずして、つひてきせり。呉公ごこういままた其子そのこふ。せふ(七四)其死所そのししよらず。ここもつこれこくするなり』と。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶんこう呉起ごきへいもちひ・(七五)廉平れんぺいにしてのうつくこころたるをもつて、すなはもつ西河せいがしゆし、もつしんかんふせがしむ。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶんこうすでしゆつす。其子そのこ※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうつかふ。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこう西河せいがうかびてくだる、中流ちうりうにしてかへりみて呉起ごきつていはく、『なる哉乎かな山河さんがかため、魏國ぎこく寶也たからなり』と。こたへていはく、『((國ノ寶ハ))とくりてけんらず。むかし、三べう(七六)洞庭どうていひだりにし、(七七)彭蠡はうれいみぎにせしが、徳義とくぎをさまらず、これほろぼせり。(七八)夏桀かけつきよ(七九)河濟かせいひだりにし、(八〇)泰華たいくわみぎにし、(八一)伊闕いけつ其南そのみなみり、(八二)羊腸やうちやう其北そのきたりしが、まつりごとをさむることじんならず、たうこれはなてり。(八三)殷紂いんちうくに(八四)孟門まうもんひだりにし(八五)太行たいかうみぎにし、常山じやうざん其北そのきたり、大河たいか其南そのみなみしが、まつりごとをさむることとくならず、武王ぶわうこれころせり。これつてこれれば、とくりてけんらず。きみとくをさめずんば(八六)舟中しうちうひとことごと敵國てきこくたらん』と。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこういはく『し』と。(八七)すなは呉起ごきほうじて西河せいがしゆす。はなは(八八)聲名せいめいり。
しやうき、(八九)田文でんぶんしやうとせり。呉起ごきよろこばず。田文でんぶんつていは(九〇)こうろんぜん、ならんか』と。田文でんぶんいはく、『なり』と。いはく、『三ぐんしやうとして士卒しそつをしてたのしましめ、敵國てきこくをしてあへはからざらしむるは、いづれぞ』と。ぶんいはく、『かず』と。いはく、『百くわんをさめ、萬民ばんみんしたしましめ、(九一)府庫ふこたすは、いづれぞ』と。ぶんいはく、『かず』と。いはく、『西河せいがまもりて、しんへいあへひがしむかはず、かんてう(九二)賓從ひんじうするは、いづれぞ』と。ぶんいはく、『かず』と、いはく、『つのものみなしもでて、くらゐかみくははるは、なんぞや』と。ぶんいはく、『しゆわかうしてくにうたがひ、大臣だいじんいまかず、百せいしんぜず、ときあたつてこれぞくせんこれわれぞくせん』と。默然もくぜんたることややひさしうしていはく、『これぞくせん』と。ぶんいはく、『すなはが・かみ所以也ゆゑんなり』と。呉起ごきすなはみづから・田文でんぶんかざるをる。
田文でんぶんすでして、公叔こうしゆくしやうる。((公叔))(九三)公主こうしゆ(九四)しやうし、しかうして呉起ごきむ。公叔こうしゆくぼくいはく、『(九五)やすし』と、公叔こうしゆくいはく、『奈何いかんせん』と。其僕そのぼくいはく、『呉起ごきひとり、(九六)節廉せつれんにしてみづか(九七)このむ。きみつて※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうつてへ、「呉起ごき賢人也けんじんなりしかうして※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)こうくにせうにして、また彊秦きやうしん(九八)さかひじやうす。しんひそか(九九)留心りうしんきをおそる」と。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうすなははん、「奈何いかんせん」と。きみつて※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうつてへ、「こころみに(一〇〇)くに公主こうしゆもつてせよ。留心りうしんらば、すなはかならこれけん、留心りうしんくばすなはかならせん。(一〇一)これもつこれぼくせよ」と。きみつて呉起ごきして(一〇二)ともかへり、すなは(一〇三)公主こうしゆをしていかつてきみかろんぜしめよ。呉起ごき公主こうしゆの・きみいやしむをば、すなはかならせん』と。ここおい呉起ごき公主こうしゆの・しやういやしむを(一〇四)はたして※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうす。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうこれうたがうてしんぜず。呉起ごきつみるをおそれ、つひり、すなはく。
悼王たうわうもとよりけんなるをく。いたればすなはしやうとす。((呉起))はふあきらかにしれいつまびらかにし、不急ふきふくわんて、(一〇五)公族こうぞく疏遠そゑんものはいし、もつ戰鬪せんとう撫養ぶやうす。えうへいつよくし(一〇六)馳説ちぜい(一〇七)從横しようくわうものやぶるにるなり。ここおいみなみは百ゑつたひらげ、きた陳蔡ちんさいあは(一〇八)しんしりぞけ、西にししんつ。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうつよきをうれふ。(一〇九)もと貴戚きせきことごと呉起ごきがいせんとほつす。悼王たうわうするにおよんで、宗室大臣そうしつだいじんらんして呉起ごきむ。呉起ごきはしつてわうきてこれす。つの呉起ごき射刺せきしするにつて、あはせて悼王たうわうつ。悼王たうわうすではうむられて、太子たいしつ。すなは(一一〇)令尹れいゐんをしてことごと呉起ごきあはせてわうてしものちうせしむ。るにして、(一一一)そうたひらげられてせしもの七十餘家よか
太史公たいしこういはく、世俗せぞくしようするところ(一一二)師旅しりよは、みな孫子そんし十三ぺん呉起ごき兵法へいはふふ。おほり、ゆゑろんぜず。其行事そのかうじ施設しせつするところものとをろんず。(一一三)いはく、『これおこなものは、いまかならずしもはず、これものは、いまかならずしもおこなはず』と。孫子そんし※(「广+龍」、第3水準1-94-86)はうけん(一一四)籌策ちうさくすることあきらかなり。しかれども(一一五)はやうれひけいせらるるにすくふ※[#こと、44-1]あたはず。呉起ごき※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)ぶこうくに形勢けいせいの・とくかざるをもつてす。しかれどもこれおこなふや、(一一六)刻暴こくばう少恩せうおんもつ其躯そのみうしなふ。かなしいかな

箭内亙による註

【一】子の十三篇、足下の著はしたる兵書十三篇。即ち今日傳はる所の孫子十三篇なり。
【二】之を言ふことは易く、之を行ふことは難し、故に之を試みんと欲する也。
【三】。胸也。
【四】左右手背。左右の手と背。
【五】※(「金+夫」、第3水準1-93-4)。罪人を斬るに用ふるまさかり。
【六】三令五申。三度號令し五度言ひ聞かす。
【七】之を右に鼓す。太鼓を鳴らして、右に向かしむる也。
【八】申令。幾度も繰返す號令。
【九】左右前後跪起。左と云へば左、右と令せば右、前に後に、起つたり坐つたり、
【一〇】規矩繩墨。規はぶんまはし、矩は曲尺、繩墨は墨なは、皆大工の使ふ道具、此處にては法又は規則などの意。
【一一】罷休。休息。
【一二】。宿舍。
【一三】。楚の都。
【一四】※(「(西/土)+おおざと」、第4水準2-90-22)。竝に齊の地名。
【一五】。材能。
【一六】。嫉と通ず。
【一七】。入墨する。
【一八】彼が隱れて人に逢はぬやうにせんとする也。
【一九】。魏の都。
【二〇】刑徒。刑を受けたもの。
【二一】善す。心に其の人を悦ぶ也。
【二二】客待。賓客として待遇す。
【二三】驅逐重射。物を賭けて馬を驅る、即ち一種の競馬也。
【二四】馬足甚だ遠からずとは、馬の速力に大なる等差無きなり。
【二五】上中下の輩。馬に上等中等下等の三種あるをいふ。
【二六】千金を逐射す。千金を賭けて競馬をする也。
【二七】質に臨むに及んで。質は對也、いよいよ競馬をするに方りて也。
【二八】。車を引く馬四頭。上中下。馬の等級なり。
【二九】三輩し畢り。三組とも驅けて了つたとの意。
【三〇】我の下駟は彼の上駟に及ばず、故に一たび勝たず。彼の中駟は我の上駟に及ばず、彼の下駟は我の中駟に及ばず、故に再び勝つ。
【三一】刑餘。刑を被つたことのある人。
【三二】輜車。輜重車。
【三三】雜亂紛糾。絲の縺れ亂れたるをいふ。
【三四】控捲。拳にて撃つ也。
【三五】搏※[#「てへん+戟」、U+64A0、36-註【三五】]。手を以て撃つ也。
【三六】。急處をいふ。。空虚の處をいふ。
【三七】形格き勢禁ず。形勢不利となること。
【三八】老弱。老者幼者也。。疲なり。
【三九】其街路に據るは、所謂亢を批つ也。其方に虚なるを衝くは、所謂虚を擣く也。
【四〇】弊を魏に收むる。魏を疲弊させる也。
【四一】。魏は大梁に都して居る故、又梁ともいふ。
【四二】已に過ぎて西すとは、※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓歸り救ひ、齊の師の未だ至らざるを邀へんと欲せしが、齊の軍今已に過ぎて西のかた魏の地に入りし也、故に涓、利を視て疾く趨る也。
【四三】三晉。韓趙魏は共に晉の卿たりしを、三家共に晉を亡ぼして其地を分ちし故、此の三國を三晉といふ。
【四四】悍勇。慓悍勇猛なり。
【四五】其自然の勢に因つて之を我が都合のよきやうにうまく導く也。
【四六】利に趣く。戰利を爭うて急馳する也。。戰死せしむる也。
【四七】軍半ば至る。利を逐ふに急である爲、軍を整へて進む能はず、半數だけが先づ敵に赴くをいふ。
【四八】齊の軍が魏の地に入りて後、日日に減少したるやうに見せかくる也。
【四九】歩軍。歩兵なり。
【五〇】輕鋭。輕裝して勢鋭き騎兵。
【五一】晝夜兼行して追ふことをいふ。
【五二】阻隘。險阻。
【五三】萬弩。萬の石弓。
【五四】。約束する也。
【五五】火を鑽り。燧石を打つて火を出す。
【五六】相失す。散亂する也。
【五七】自剄。自ら首を切る也。
【五八】豎子。罵りていふ辭。小僧といふが如し。彼の小僧に功名を成さしむることとなれりとの意。
【五九】以て歸る。引連れて歸る。
【六〇】世其兵法を傳ふ。孫※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)の兵法の書、世に傳はれりとの意。
【六一】。惡言する也。そしる。
【六二】猜忍。猜疑殘忍の人。
【六三】游仕。四方に遊び仕官を求むること。
【六四】郷黨。故郷在所のもの。
【六五】郭門。城門。
【六六】之を薄んじ。其行を薄情とする也。。破門せし也。
【六七】魯人が之を惡するは、必ず之を君に惡する也。宜しく魯君の字を用ふべからず。二つの「魯」の字は衍文なり。
【六八】諸※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)、魯を忌みて之を伐たんとすべし。
【六九】。謝絶する也。
【七〇】騎乘。騎は馬に騎る也。乘は車に乘る也。
【七一】。癰の一種。
【七二】之を吮ふ。疽の膿を吸ひ出すこと。
【七三】踵を旋さず。幾程もなく也。
【七四】何時何處で死ぬか分らぬ也。
【七五】廉平。廉直公平。能を盡す。材能ある[#「材能ある」はママ]人に十分働かする也。
【七六】洞庭。湖の名。
【七七】彭蠡。險阻の地。
【七八】夏桀。夏の桀王。
【七九】河濟。二つの川の名。
【八〇】泰華。二つの山の名。
【八一】伊闕。伊水に沿へる險阻。
【八二】羊腸。阪の名。
【八三】殷紂。殷の紂王。
【八四】孟門。山の名。
【八五】太行。山の名。
【八六】今同舟し居る者も皆敵國の人とならんとの意。
【八七】呉起、文※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)のとき、既に西河の守と爲る。武※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)のとき、「即ち封じて西河の守と爲す」と曰へるは、甚だ疑ふべし。又、西河の守と爲すことは、封ずといふべからず。案ずるに原文の「即封」の二字は衍文にして、「呉起、西河の守たるや、甚だ聲名有り」と讀むべきならん。
【八八】聲名。評判也。
【八九】田文。齊の孟嘗君田文にあらず。
【九〇】吾、貴公と、功勞の比較を爲さんと思ふが、差支無しやとの意。
【九一】國を富ますこと。
【九二】賓從。服從也。
【九三】魏の公主。魏君の女。
【九四】。君の女を臣下に配するを尚と云ふ。
【九五】去り易し。退け易しの意。
【九六】節廉。節操ありて廉潔なること。
【九七】名を喜む。名譽を好む也。
【九八】界を壤す。界を接するの意。
【九九】留心。魏に留まらんとする意志。
【一〇〇】公主を呉起に尚せんといふ也。
【一〇一】君、此を以て呉起が魏に留まる意志ありや否やを判斷したまへ。
【一〇二】與に歸り。與に朝より歸る也。
【一〇三】公主。公叔の妻。
【一〇四】果して。公叔の僕の言の如く也。
【一〇五】公族云云。公族にして比較的疏遠なる者の在官者を廢す。
【一〇六】馳説。遊説者。
【一〇七】從横。合從連衡。
【一〇八】三晉。韓趙魏をいふ。
【一〇九】故の楚の貴戚。前に廢官された公族疏遠の者。
【一一〇】令尹。楚の宰相。
【一一一】宗を夷ぐ。一族を夷滅する也。
【一一二】師旅。軍旅の事。
【一一三】。古語。
【一一四】籌策。計略なり。
【一一五】足を斬らるるが如き禍を早く豫防すること能はず。
【一一六】刻暴。刻薄殘暴。少恩。恩情を缺く也。

原文

孫子武者。齊人也。以兵法呉王闔廬。闔廬曰。子之十三篇。吾盡觀之矣。可以小試勒一レ兵乎。對曰可。闔廬曰。可試以婦人乎。曰可。於是許之。出宮中美女百八十人。孫子分爲二隊。以王之寵姫二人各爲隊長。皆令戟。令之曰。汝知而心與左右手背乎。婦人曰。知之。孫子曰。前則視心。左視左手。右視右手。後即視背。婦人曰。諾。約束既布。乃設※(「金+夫」、第3水準1-93-4)。即三令五申之。於是鼓之右。婦人大笑。孫子曰。約束不明。申令不熟。將之罪也。復三令五申而鼓之左。婦人復大笑。孫子曰。約束不明。申令不熟。將之罪也。既已明而不法者。吏士之罪也。乃欲左右隊長。呉王從臺上觀。見愛姫。大駭。趣使使下一レ令曰。寡人已知將軍能用一レ兵矣。寡人非此二姫。食不味。願勿斬也。孫子曰。臣既已受命爲將。將在軍。君命有受。遂斬隊長二人以徇。用其次隊長。於是復鼓之。婦人左右前後跪起皆中規矩繩墨。無敢出一レ聲。於是孫子使使報一レ王曰。兵既整齊。王可試下觀一レ之。唯王所之。雖水火猶可也。呉王曰。將軍罷休就舍。寡人不下觀。孫子曰。王徒好其言。不其實。於是闔廬知孫子能用一レ兵。卒以爲將。西破彊楚。入郢。北威齊晉。顯名諸侯。孫子與有力焉。孫武既死。後百餘歳。有※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)※(「(西/土)+おおざと」、第4水準2-90-22)之間※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)亦孫武之後世子孫也。孫※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)嘗與※(「广+龍」、第3水準1-94-86)倶學兵法※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓既事魏。得惠王將軍。而自以爲能不※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)。乃陰使※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)至。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓恐其賢一レ己疾之。則以法刑其兩足而黥之。欲隱勿一レ見。齊使者如梁。孫※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)刑徒。陰見説齊使。齊使以爲奇。竊載與之齊。齊將田忌善而客待之。忌數與齊諸公子馳逐重射。孫子見其馬足不甚相遠。馬有上中下輩。於是孫子謂田忌曰。君第重射。臣能令君勝。田忌信然之。與王及諸公子射千金。及質。孫子曰。今以君之下駟。與彼上駟。取君上駟。與彼中駟。取君中駟。與彼下駟。既馳三輩畢。而田忌一不勝而再勝。卒得王千金。於是忌進孫子於威王。威王問兵法。遂以爲師。其後魏伐趙。趙急。請救於一レ齊。齊威王欲※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)辭謝曰。刑餘之人。不可。於是乃以田忌將。而孫子爲師。居輜車中。坐爲計謀。田忌欲兵之一レ趙。孫子曰。夫解雜亂紛糾者不控捲。救※(「鬥<((卯/亞の下半分)+斤)」、第3水準1-94-31)者不搏※[#「てへん+卓+戈」、U+2ABAE、10-16]。批亢擣虚。形格勢禁。則自爲解耳。今梁趙相攻。輕兵鋭卒。必竭外。老弱罷内。君不兵疾走大梁。據其街路。衝其方虚。彼必釋趙而自救。是我一擧解趙之圍。而收弊於一レ魏也。田忌從之。魏果去邯鄲。與齊戰桂陵。大破梁軍。後十五年。魏與趙攻韓。韓告急於一レ齊。齊使田忌將而往。直走大梁。魏將※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓聞之。去韓而歸。齊軍既已過而西矣。孫子謂田忌曰。彼三晉之兵。素悍勇而輕齊。齊號爲怯。善戰者。因其勢而利導之。兵法百里而趣利者。蹶上將。五十里而趣利者。軍半至。使齊軍入魏地十萬竈。明日爲五萬竈。又明日爲三萬竈※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓行三日。大喜曰。我固知齊軍怯。入吾地三日。士卒亡者過半矣。乃棄其歩軍。與其輕鋭日並行逐之。孫子度其行。暮當馬陵。馬陵道狹。而旁多阻隘。可兵。乃斫大樹。白而書之曰。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓死此樹之下。於是令齊軍善射者。萬弩夾道而伏。期曰。暮見火擧而倶發。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓果夜至斫木下。見白書。乃鑽火燭之。讀其書畢齊軍萬弩倶發。魏軍大亂。相失。※(「广+龍」、第3水準1-94-86)涓自知智窮兵敗。乃自剄曰。遂成豎子之名。齊因乘勝。盡破其軍。虜魏太子申以歸。孫子以此名顯天下。世傳其兵法
呉起者。衞人也。好用兵。嘗學曾子。事魯君。齊人攻魯。魯欲呉起。呉起取齊女妻。而魯疑之。呉起於是欲名。遂殺其妻。以明齊也。魯卒以爲將。將而攻齊。大破之。魯人或惡呉起曰。起之爲人。猜忍人也。其少時。家累千金。游仕不遂。遂破其家。郷黨笑之。呉起殺其謗己者三十餘人。而東出衞郭門。與其母訣。齧臂而盟曰。起不卿相。不復入一レ衞。遂事曾子。居頃之。其母死。起終不歸。曾子薄之。而與起絶。起乃之魯學兵法。以事魯君。魯君疑之。起殺妻以求將。夫魯小國而有戰勝之名。則諸侯圖魯矣。且魯衞兄弟之國也。而君用起。則是棄衞。魯君疑之。謝呉起。呉起於是聞魏文侯賢。欲之。文侯問李克曰。呉起何如人哉。李克曰。起貪而好色。然用兵。司馬穰苴不過也。於是魏文侯以爲將。撃秦拔五城。起之爲將。與士卒最下者衣食。臥不席。行不騎乘。親裹贏糧。與士卒勞苦。卒有疽者。起爲吮之。卒母聞而哭之。人曰。子。卒也。而將軍自吮其疽。何哭爲。母曰。非然也。往年呉公吮其父。其父戰不踵。遂死敵。呉公今又吮其子。妾不其死所矣。是以哭之。文侯以呉起善用兵。廉平盡能得士心。乃以爲西河守。以拒秦韓。魏文侯既卒。起事其子武侯。武侯浮西河而下。中流顧而謂呉起曰。美哉乎山河之固。此魏國之寶也。起對曰。在徳不險。昔三苗氏左洞庭。右彭蠡。徳義不修。禹滅之。夏桀之居。左河濟。右泰華。伊闕在其南。羊腸在其北。修政不仁。湯放之。殷紂之國。左孟門。右太行。常山在其北。太河經其南。修政不徳。武王殺之。由此觀之。在徳不險。若君不徳。舟中之人。盡爲敵國也。武侯曰。善。即封呉起西河守。甚有聲名。魏置相。相田文。呉起不悦。謂田文曰。請與子論功。可乎。田文曰。可。起曰。將三軍使士卒樂死。敵國不敢謀。子孰與起。文曰。不子。起曰。治百官。親萬民。實府庫。子孰與起。文曰。不子。起曰。守西河。而秦兵不敢東郷。韓趙賓從。子孰與起。文曰。不子。起曰。此三子者皆出吾下。而位加吾上。何也。文曰。主少國疑。大臣未附。百姓不信。方是之時。屬之於一レ子乎。屬之於一レ我乎。起默然良久曰。屬之子矣。文曰。此乃吾所子之上也。呉起乃自知田文。田文既死。公叔爲相。尚魏公主。而害呉起。公叔之僕曰。起易去也。公叔曰。奈何。其僕曰。呉起爲人。節廉而自喜名也。君因先與武侯言曰。夫呉起。賢人也。而侯之國小。又與彊秦界。臣竊恐起之無留心也。武侯即曰。奈何。君因謂武侯曰。試延以公主。起有留心。則必受之。無留心。則必辭矣。以此卜之。君因召呉起而與歸。即令公主怒而輕一レ君。呉起見公主之賤一レ君也。則必辭。於是呉起見公主之賤魏相。果辭魏武侯。武侯疑之而弗信也。呉起懼罪。遂去。即之楚。楚悼王素聞起賢。至則相楚。明法審令。捐不急之官。廢公族疏遠者。以撫養戰鬪之士。要在兵破馳説之言從横。於是南平百越。北并陳蔡。却三晉。西伐秦。諸侯患楚之彊。故楚之貴戚盡欲呉起。及悼王死。宗室大臣作亂而攻呉起。呉起走之王尸而伏之。撃起之徒。因刺呉起。并中悼王。悼王既葬。太子立。乃使令尹盡誅呉起而并中王尸。坐起而夷宗死者。七十餘家。
太史公曰。世俗所稱師旅。皆道孫子十三篇。呉起兵法。世多有。故弗論。論其行事所施設。語曰。能行之者未必能言。能言之者未必能行。孫子籌※(「广+龍」、第3水準1-94-86)。明矣。然不蚤救患於一レ刑。呉起説武侯形勢不一レ徳。然行之於一レ楚。以刻暴少一レ恩亡其躯。悲夫。





底本:「國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳」東洋文化協會
   1955(昭和30)年5月30日複版発行
※底本では箭内亙による訳と註をそれぞれ「箭内亙による譯」「箭内亙による註」の中見出しのもと入力しました。
※底本では「箭内亙による譯」中の註番号に該当する註をなるべく訳と同じページになるように囲み枠を作成して組まれています。
※底本では原文はまとめて巻末に掲載されていますが、本テキストでは副題毎にファイル末に「原文」の中見出しのもと入力しました。
※表題は底本では、「國譯史記列傳こくやくしきれつでん」となっています。
※副題は底本では、「孫子そんし呉起ごき列傳れつでんだい五」となっています。
※原文中の「馳逐重射」は訳中では「驅逐重射」となっています。
※原文中の「此三子者」は訳中では「つのもの」となっています。
※原文中の「侯」は訳中では「※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)」となっています。
※原文中の「「救※(鬥<((卯/亞の下半分)+斤)」、第3水準1-94-31)者」は訳中では「たたかひをすくものは」となっています。
※原文中の「搏[#「てへん+卓+戈」、U+2ABAE、10-16]」は訳中並びに訳注ではそれぞれ「搏[#「てへん+戟」、U+64A0、36-11]」「搏[#「てへん+戟」、U+64A0、36-註【三五】]」となっています。
※原文中の「並行」は訳中では「かうあはせて」となっています。
※原文中の「孫子以此」は訳注では「※(「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54)そんびんこれもつて」となっています。
※原文中の「太河」は訳中では「大河たいか」となっています。
※原文の返り点は、現在の学校教育で習うものとは、少し異なるところがあります。
入力:はまなかひとし
校正:みきた
2022年6月26日作成
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●表記について

「てへん+戟」、U+64A0    36-11、36-註【三五】、36-11、36-註【三五】
こと    44-1
「てへん+卓+戈」、U+2ABAE    10-16、10-16


●図書カード