國譯史記列傳

老莊申韓列傳第三

司馬遷

箭内亙訳註




箭内亙による譯

老子らうし苦縣こけん※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)らいきやう曲仁里きよくじんりひとなりせい李氏りしあざな伯陽はくやうおくりな※(「耳+冉の4画目左右に突き出る」、第4水準2-85-11)たんふ。しう(一)守藏室しゆざうしつなり孔子こうししうき、まされい老子らうしはんとす。老子らうしいはく、『ところもの其人そのひとほねみなすでちたり、ひと其言そのげんのみ君子くんしは、其時そのときればすなは(二)し、其時そのときざればすなは(三)蓬累ほうるゐしてる。われこれく、良賈りやうこ(四)ふかざうして・きよなるがごとく、君子くんし盛徳せいとくありて容貌ようばうなるがごとしと。(五)驕氣けうき多欲たよく(六)態色たいしよく(七)淫志いんしとをれ。みなえきし。ぐる所以ゆゑんかくごと而已のみ』と。孔子こうしつて弟子ていしつていはく、『とりわれぶをり、うをわれおよぐをり、けものわれはしるをる。はしものもつ(八)あみく、およものもつ(九)いと[#「綸」の左に「ツリイト」のルビ]く、ものもつ(一〇)※(「知」の「口」に代えて「曾」、第4水準2-82-26)いぐるみし。りよういたつては、われ風雲ふううんじようじててんのぼるをることあたはず。われ今日こんにち老子らうしるに、りようのごとき』と。
老子らうし(一一)道徳だうとくをさむ、其學そのがくみづかかくしてきをもつつとめせり。しうることこれひさしうして、しうおとろふるをすなはつひつて、(一二)くわんいたる。(一三)關令くわんれい尹喜ゐんきいはく、『まさかくれんとす、ひてめにしよあらはせ』と。ここおい老子らうしすなは書上下篇しよしやうかへんあらはし、道徳だうとくふこと五千餘言よげんにしてれり。をはところし。あるひいはく、『老莱子らうらいしまた楚人也そひとなりしよ十五へんあらはして道家だうか(一四)ようふ。孔子こうしときおなじうすとふ』と。けだ老子らうしは百いう六十餘歳よさいあるひふ二百餘歳よさいと。みちをさめてじゆやしなへるをもつなり孔子こうししてよりのち百二十九ねんにして、(一五)史記しきに『しう太史※(「にんべん+擔のつくり」、第3水準1-14-44)たいしたんしん獻公けんこうて、「はじしんしうがつしてはなれ、はなれて五百さいにしてがつし、がつして七十さいにして霸王はわうたるものでん」とふ』とあり。あるひいはく、『※(「にんべん+擔のつくり」、第3水準1-14-44)たんすなは老子らうしなり』と。あるひいはく、『非也ひなり』と。しかるやいなやをし。
老子らうし隱君子いんくんしなり。老子らうしそうそうしやうり、段干だんかんほうぜらる。そうちうちうきうきう玄孫げんそんかん孝文帝かうぶんていつかふ。しかうしてかい膠西王※(「昂−日」、第4水準2-3-53)かうせいわうかう(一六)太傅たいふる。よつせいいへせり。の・老子らうしまなものすなは儒學じゆがく※(「糸+出」、第4水準2-84-18)しりぞけ、儒學じゆがくまた老子らうし※(「糸+出」、第4水準2-84-18)しりぞく。『みちおなじからざれば、あひめにはからず』とは、あにこれ(一七)李耳りじ無爲むゐにしておのづかくわす、清靜せいせいにしておのづかただし。
莊子さうじ(一八)蒙人もうひとなりしうしうかつもう(一九)漆園しつゑんたり。りやう惠王けいわうせい宣王せんわうときおなじうす。(二〇)其學そのがく※(「門<規」、第3水準1-93-57)うかがはざるところし。しかれども其要そのえう老子らうしげんもとづきす。ゆゑ其著書そのちよしよ餘萬言よまんげん大抵たいていおほむ(二一)寓言ぐうげんなり(二二)漁父ぎよふ盜跖たうせき※(「月+去」、第3水準1-90-44)きよけふつくり、もつ孔子こうし詆※ていし[#「言+此」、U+8A3F、19-7]し、もつ老子らうし(二三)じゆつあきらかにせり。(二四)畏累虚わいるゐきよ亢桑子かうさうしたぐひみな空語くうごにして事實じじつし。しかれども(二五)しよしよくつらね、ことじやうるゐし、もつ(二六)じゆぼく剽剥へうはくす。當世たうせい(二七)宿學しゆくがくいへど(二八)みづか解免かいめんすることあたはざるなり 其言そのげん(二九)洸洋自恣くわうやうじしもつおのれかなふ。ゆゑ王公大人わうこうたいじんより、これ(三〇)とせざりしなり。
威王ゐわう莊周さうしうけんなるをき、使つかひをして(三一)へいあつうしてこれむかへしめ、(三二)ゆるすにしやうすをもつてす。莊周さうしうわらつて使者ししやつていはく、『千きん重利ぢうりなり、卿相けいしやう尊位そんゐなりひと(三三)郊祭かうさい犧牛ぎぎうざるこれ養食やうし[#「養食」の左に「ヤシナフ」のルビ]すること數歳すうさいするに(三四)文繍ぶんしうもつてし、もつ(三五)太廟たいべうる。ときあたつて、(三六)孤豚ことんたらんとほつすといへども、けんすみやかにれ、われ※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)けがすことかれ。われむし(三七)※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)をとくうち遊戲いうぎしてみづかこころようせん。くにたももの(三八)せらるることからん。終身しうしんつかへず、もつこころざしこころようせんかな』と。
申不害しんふがい(三九)京人けいひとなりもとてい賤臣せんしんなり。(四〇)じゆつまなび、もつ(四一)かん※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)せうこうもとむ。※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)せうこうもつしやうし、うち政教せいけうをさめ、ほか※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうおうずること十五ねん申子しんしをはるまで、くにをさまりへいつよく、かんをかものかりき。申子しんしがくは、(四二)黄老くわうらうもとづき、(四三)刑名けいめいしゆとせり。しよへんあらはす。がうして申子しんしふ。
韓非かんぴかん(四四)諸公子しよこうしなり刑名法術けいめいはふじゆつがくこのむ、しかうして(四五)其歸そのき黄老くわうらうもとづく。ひと口吃くちきつ[#「口吃」の左に「ドモル」のルビ]し、(四六)道説だうぜいすることあたはず、しかうしてしよあらはす。李斯りしとも荀卿じゆんけいつかふ。みづか以爲おもへらく、かずと。かん削弱さくじやくせらるるを※(二の字点、1-2-22)しばしばしよもつ韓王かんわういさむ、韓王かんわうもちふることあたはず。ここおい韓非かんぴ((韓王ノ))くにをさむるに、その法制はふせい修明しうめいし・(四七)いきほひつてもつその臣下しんかぎよし・くにましへいつようして・もつひともとけんにんずるをつとめず、かへつて(四八)浮淫ふいんげて・これ(四九)功實こうじつうへくはふるをうれへ、以爲おもへらく、(五〇)儒者じゆしやぶんもつはふみだし、しかうして(五一)侠者けふしやもつきんをかす。(五二)くわんなればすなは名譽めいよひとちようし、きふなればすなは介冑かいちうもちふ。いまやしなところもちふるところあらず、もちふるところやしなところあらずと。廉直れんちよくの・(五三)邪枉じやわうしんれられざるをかなしみ、(五四)往者得失わうしやとくしつへんる、ゆゑ(五五)孤憤こふん・五内外儲ないぐわいちよ説林せつりん説難ぜいなん、十餘萬言よまんげんつくる。しかれども韓非かんぴぜいかたきをり、説難ぜいなんしよつくることはなはそなはれるも、つひしんし、みづかのがるることあたはざりき。
(五六)説難ぜいなんいはく、『およぜいかたきは、もつくことるのかたきにあらざるなり(五七)またべんあきらかにするのかたきにあらざるなりまたあへ(五八)横失わういつしてつくすのかたきにあらざるなりおよぜいかたきは、(五九)ところこころつて(六〇)ぜいもつこれきにり。ところ(六一)名高めいかうすにづるものなるに、これくに厚利こうりもつてせば、すはな(六二)下節かせつとせられ、しかうして卑賤ひせんとせられ、かなら棄遠きゑんせられん。ところ厚利こうりづるものなるに、これくに名高めいかうもつてせば、すなは無心むしんにして事情じじやうとほしとせられ、かなら(六三)をさめられざらん。ところじつ厚利こうりさんとしてあらは名高めいかうものなるに、これくに名高めいかうもつてせば、すなはあらは其身そのみをさめてじつこれうとんぜん。これくに厚利こうりもつてせば、すなはひそか其言そのげんもちひてあらは其身そのみてん。これらざるからざるなり。ことみつもつり、るるをもつやぶる。いまかならずしも(六四)其身そのみこれもらさざるも、しか((説者ノ))((適※(二の字点、1-2-22)))かくところことおよばんに、かくごとものあやふし。貴人きじん(六五)過端くわたんり、しかうして説者ぜいしやあきらかに善議ぜんぎもつ其惡そのあくせばすなはあやふし。(六六)周澤しうたくいまあつからざるに、しか(六七)きはめてなれば、せつおこなはれてこうるときはすなは(六八)とくく、せつおこなはれずしてはいるときはすなはうたがはれん、かくごとものあやふし。(六九)貴人きじんけいて、みづかもつこうさんとほつするを、説者ぜいしやあづかりればすなはあやふし。(七〇)かれあらはだすところことり、すなはみづかもつ也故たこすに、説者ぜいしやあづかりればすなはあやふし。(七一)これふるにかならさざるところもつてし、これとどむるにあたはざるところもつてするものあやふし。ゆゑいはく、これ大人たいじんろんずればすなはもつおのれ(七二)かんすとせられ、これ(七三)細人さいじんろんずればすなはもつ((己ノ))けん(七四)ひさぐとせられ、あいするところ((ノ人))ろんずればすなはもつ(七五)るとせられ、にくところ((ノ人))ろんずれば、すなはもつおのれこころむとせらる。其辭そのじ(七六)徑省けいせいすれば、すなは(七七)不知ふちとしてこれくつし、(七八)汎濫博文はんらんはくぶんなれば、すなはこれおほしとして(七九)ひさしとす。(八〇)ことしたがぶれば、すなは怯懦けふだにしてつくさずとひ、ことはかること(八一)廣肆くわうしなれば、すなは(八二)草野さうやにして(八三)倨侮きよぶなりとふ。(八四)ぜいかたき、らざるからざるなりおよぜいつとめ、ところけいするところかざり・しかうしてにくところ(八五)めつするをるにり。かれみづか其計そのけいとせば、すなは其失そのしつもつこれ(八六)きはむるかれ。みづか其斷そのだんゆうとせば、すなは(八七)其敵そのてきもつこれいからすかれ。みづか其力そのちからとせば、すなは(八八)其難そのなんもつこれ(八九)がいするかれ。異事いじともけいおなじうするをはかり、異人いじんともおこなひおなじうするをめば、すなはもつこれかざつて・そこなかれ。ともしつおなじうするらば、すなはあきらかにしつきをかざれ。大忠だいちう(九〇)拂辭ふつじするところく、(九一)悟言ごげん(九二)撃排げきはいするところく、すなはのちその辯知べんちぶ。親近しんきんせられてうたか[#ルビの「うたか」はママ]はれず・(九三)これくすを所以ゆゑんなり(九四)曠日くわうじつ彌久びきうして(九五)周澤しうたくすであつきをば、ふかはかるもうたがはれず、※(二の字点、1-2-22)こもごもあらそふもつみせられず、すなはあきらか利害りがいはかりてもつ其功そのこういたし、ただちに是非ぜひしてもつ(九六)其身そのみかざる。これもつ相持あひぢする、ぜいなり伊尹いゐん(九七)はうり、百里奚りけい(九八)りよる、(九九)みなつて其上そのかみもとめしところなりまことこのみな聖人せいじんなるも、えきしてわたくのごと※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)ひくきことあたはず。すなは(一〇〇)能仕のうしづるところあらず。そう富人ふうじんあり、あめりてかきやぶる。其子そのこいはく、「きづかずんばまさたうらんとす」と。その鄰人りんじんちちまたふ。くれにしてはたしておほい其財そのざいうしなふ。其家そのいへはなは(一〇一)として、鄰人りんじんちちうたがへり。むかしてい武公ぶこうたんとほつし、すなは(一〇二)其子そのこもつこれめあはせたり。つて羣臣ぐんしんうていはく、「われへいもちひんとほつす、たれものぞ」と。關其思くわんきしいはく、「し」と。すなは關其思くわんきしりくしていはく、「(一〇三)兄弟けいていくになりこれてとふはなんぞや」と。胡君こくんこれいて、ていもつおのれしたしむとして、ていそなへず。鄭人ていひとおそうてこれれり。(一〇四)このせつ其知そのちみなあたれり。しかれどもはなはだしきものりくせられ、(一〇五)うすものうたがはる。かたきにあらざるなり(一〇六)しよするすなはかたきなり。むかし彌子瑕びしか衞君ゑいくんあいせらる。衞國ゑいこくはふひそかきみくるまするものつみ(一〇七)※(「月+りっとう」、第4水準2-3-23)げついたる、すでにして彌子びしははむ。ひとき、いてよるこれぐ。彌子びしいつはつてきみくるましてづ。きみこれきてこれけんとしていはく、「かうなるかな、ははめのゆゑ※(「月+りっとう」、第4水準2-3-23)げつざいをかせり」と。きみ果園くわゑんあそぶ。彌子びしももくらうてあまし。((彌子))つくさずしてきみたてまつる。きみいはく、「われあいするかな、其口そのくちわすれてわれおもふ」と。彌子びしいろおとろへてあいゆるび、つみきみるや、きみいはく、「かついつはつてくるまし、またかつわれくらはすにその(一〇八)餘桃よたうもつてせり」と。ゆゑ彌子びしおこなひいまはじめかはらざるに、まへにはけんとせられて、のちにはつみものは、(一〇九)愛憎あいぞう至變しへんなりゆゑしゆあいせらるればすなはあたりてしん[#「親」の左に「シタシミ」のルビ]くはへ、しゆにくまるればすなは(一一〇)つみあたりて[#「疏」の左に「ウトサ」のルビ]くはふ。ゆゑ諫説かんぜいは、(一一一)愛憎あいぞうしゆさつしてしかのちこれかざるからざるなり。りようの・むしたる、(一一二)擾狎ぜうかふしてし。しかれどもその喉下こうか(一一三)逆鱗げきりん(一一四)徑尺けいしやくなるあり。ひとこれるるあればすなはかならひところす。人主じんしゆにもまた逆鱗げきりんり。これもの人主じんしゆ逆鱗げきりんるるければすなは(一一五)ちかし』と。
ひとあるひ其書そのしよつたへてしんいたる。秦王しんわう孤憤こふん五蠧ごとしよいはく、『嗟乎ああ寡人くわじん此人このひとこれあそぶをば、すともうらみじ』と。李斯りしいはく、『韓非かんぴあらはすところしよなり』と。しんつてきふかんむ。韓王かんわうはじもちひず、きふなるにおよんですなはりてしん使つかはす。秦王しんわうこれよろこび、いま信用しんようせず。李斯りし姚賈えうかこれこれそしつていはく、『韓非かんぴかん諸公子しよこうしなりいまわう※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)しよこうあはせんとほつす。つひかんためにして、しんめにせず、(一一六)ひとじやうなりいまわうもちひず、ひさしくとどめてこれかへさば、みづかうれひのこなり(一一七)過法くわはふもつこれちうするにかず』と。秦王しんわうもつしかりとし、(一一八)くだしてをさめしむ。李斯りしひとをして(一一九)くすりおくらしめ、自殺じさつせしむ。韓非かんぴみづか(一二〇)ちんぜんとほつすれどもまみゆるをざりき。秦王しんわうのちこれい、ひとをしてこれゆるさしむれば、すでせり。申子しんし韓子かんしみなしよあらはし後世こうせいつたふ、(一二一)學者がくしやおほり。ただ韓子かんしの・説難ぜいなんつくしかみづか((禍ヲ))のがるることあたはざりしをかなしむのみ
太史公たいしこういはく、老子らうしたつとところみちは、(一二二)虚無きよむにして因應いんおうし、無爲むゐ變化へんくわす、ゆゑ著書ちよしよ(一二三)辭稱じしよう微妙びめうにしてがたし。莊子さうじ(一二四)道徳だうとくさんじて放論はうろんす、えうまたこれ自然しぜんせり。申子しんし(一二五)卑卑ひひ(一二六)これ名實めいじつほどこす。韓子かんし(一二七)繩墨じようぼくいて事情じじやうせつに、是非ぜひあきらかにす、きはめて(一二八)慘※さんかく[#「激」の「さんずい」に代えて「石」、U+7909、28-2]にしておんすくなし。みな道徳だうとくもとづく。しかうして老子らうし深遠しんゑんなり。

箭内亙による註

【一】守藏室の史。書物庫の記録官。
【二】。馬車に乘ること、即ち出でて世の爲めに盡すを云ふ。
【三】蓬累。斷蓬の如く移轉する也。
【四】多くの貨物を倉庫に藏め置けども、一見、物無きが如きを云ふ。
【五】驕氣。高慢なる氣象を云ふ。
【六】態色。容態ぶることを云ふ。
【七】淫志。志の散漫なることを云ふ。
【八】罔を爲す。網にて捕へる也。
【九】綸を爲す。釣絲にて釣る也。
【一〇】※(「知」の「口」に代えて「曾」、第4水準2-82-26)を爲す。絲を付けたる箭にて射る也。
【一一】道徳。老子の道徳は儒教の道徳と異なり、虚無清淨なり。
【一二】は散關とも函谷關とも玉門關ともいふ。
【一三】關令。關所を守る役人。は姓、は名。
【一四】。作用也。
【一五】史記。六國の時の史官の記録なり。此語は周本紀・秦本紀を參照せよ。
【一六】太傅。輔佐役。
【一七】李耳即ち何等の作爲する所無くして民自ら化し、清淨平靜にして民自ら正道に歸す。此二句は敍傳中の語、誤りて此に入りしなるべしと古人云ふ。
【一八】。縣の名。
【一九】漆園。城の名。
【二〇】博學なるをいふ。
【二一】寓言。寓は寄する也。他の人又は他の事物に寄せて我が本意を示す言なり。
【二二】漁父盜跖※(「月+去」、第3水準1-90-44)。皆莊子の篇の名なり。※(「此/言」、第4水準2-88-57)。そしるなり。
【二三】は道なり。學術なり。
【二四】皆莊子の書中にある人名。
【二五】書を屬し辭を離ね。書をつづり辭を陳ぬる也。事を指し情を類し。世事を指陳し人情を類推する也。
【二六】儒墨を剽剥す。孔子墨子の學を攻撃する也。
【二七】宿學。老成の學者。
【二八】莊子と論戰して、其鋒先を免るること能はず。
【二九】洸洋自恣。廣大にして自分勝手なること。
【三〇】。すぐれたる人物として用ふる也。
【三一】幣を厚うす。禮物を手厚くする也。
【三二】宰相と爲すべきことを條件として之を聘せし也。
【三三】郊祭。郊外にて天を祭る也。犧牛は、いけにへの牛。
【三四】文繍。縫箔したる衣。
【三五】太廟に入る。太廟に引き入れる也。
【三六】孤豚。仔豚也、仔豚ならば犧牲に用ひられざる故に云ふ。
【三七】※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)。濁水也。
【三八】。束縛せらるること。
【三九】。縣の名。
【四〇】。刑名、法術の學を云ふ。
【四一】韓の昭※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)に干む。昭※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)に面接して仕官を求めし也。
【四二】黄老。黄帝老子。
【四三】刑名。刑名は形名也。名を以て實を責むる學。
【四四】諸公子。末流の公子。
【四五】其歸。其歸著點也。
【四六】道説する。物を言ひ談をすること。
【四七】。君主の地位、權力をいふ。
【四八】浮淫の蠧。輕薄淫靡の小人を云ふ。蠧は害蟲也。
【四九】功實。功勞實力ある人を云ふ。
【五〇】儒者は文學を以て古を引き今を譏りて國法を亂す也。
【五一】義侠を立つる人は、武力を以て國禁を犯す也。
【五二】國家無事の時には、名聞ある人を人物と思ひて之を寵愛し、一朝事ある時は、急に介冑の武士を用ひて其急に應ずる也。
【五三】邪枉の臣。よこしまにして枉れる小人を云ふ。
【五四】往古の成敗得失の變を觀察する也。
【五五】孤憤五蠧内外儲説林説難。竝に韓非の著はしたる韓非子の篇名。
【五六】韓非子説難の篇を參照せよ。煩簡同じからず、順序も亦異なり、蓋し太史公の刪易、傳寫の譌倒、皆之れ有る也。
【五七】原文「又非吾辯之難」の難は衍字なり。
【五八】横失。失は佚也。横矢[#「横矢」はママ]に縱横に説くを云ふ。
【五九】説く所。我が説を進むる人を云ふ。
【六〇】我が辯説を以て先方の心に合はしむることに在る也。
【六一】名譽を高くせんとする者を云ふ。
【六二】下節。節操見識の低き者也。
【六三】收用せられざる也。
【六四】其身。説者。
【六五】過端。過失の端緒也。
【六六】周澤云云。先方の己を信ずること未だ厚からざるを云ふ。
【六七】語極めて知。説く所極めて理に當る也。
【六八】徳亡く。徳とせられざること。
【六九】貴人、他人より一策を得ること有り、是れを自己の智慧より出でたるが如くにして己の功と爲さんとするに方りて、説者、其出處を知るときは、邪魔とせらるるが故に、其身危し。
【七〇】は他の字の誤なり。貴人、表面には或る事を爲し、裏面には他の事を爲さんとするに、説者、其事情を知るときは、油斷ならずとせらるるが故に、其身危し。
【七一】は貴人、人君をさす。
【七二】。譏刺也。
【七三】細人。小人也。
【七四】。賣る也。
【七五】己の助を借り度いのだなと邪推する也。
【七六】徑省。捷徑に省略する也。
【七七】知識缺乏せりとして之を屈辱す。
【七八】汎濫博文。説の範圍廣大にして引證該博なり。
【七九】久し。長たらしい也。
【八〇】事に順ひ意を陳ぶ。事柄のままに意見を陳べて、大言壯語せざる也。
【八一】廣肆。廣博放肆。
【八二】草野。鄙陋也。
【八三】倨侮。倨傲侮慢也。
【八四】此れ游説の困難なる所以にして、心得置かざる可からざる也。
【八五】滅する。諱みて言はざる也。
【八六】窮むる。追窮する也。
【八七】其敵。敵對の説也。
【八八】其難。敢てし難きをいふ也。
【八九】。阻碍する也。
【九〇】拂辭。怫然として引退するを云ふ。
【九一】悟言。さとす言葉。
【九二】撃排。攻撃排斥也。
【九三】は辭の誤。は得の誤。當に韓非子に從ふべし。傳寫の誤なり。
【九四】曠日彌久。長日月を經過するを謂ふ。
【九五】打解け信用せらるるなり。
【九六】其身を飾る。爵祿を得るをいふ。
【九七】。料理人。
【九八】。囚虜。
【九九】是れ皆其の君主に任用せらるる手段として此に出でたる也。
【一〇〇】能仕は能士なり。才能ある士なり。は恥の誤。當に韓非子に從ふべし。
【一〇一】。賢なり。
【一〇二】其子は其女子なり。
【一〇三】兄弟の國。婦の黨を婚兄弟と曰ひ、壻の黨を姻兄弟と曰ふ。
【一〇四】此二説。鄰人の父と關其思とをいふ。
【一〇五】薄き者。甚しからざる者也。
【一〇六】其智を施し用ふること則ち難き也。
【一〇七】※(「月+りっとう」、第4水準2-3-23)。斷足の刑。
【一〇八】餘桃。食殘しの桃。
【一〇九】愛憎の變化甚だしき也。
【一一〇】韓非子には「智當らず罪せられて疏を加ふ」に作る、今史記改めて「罪當りて疏を加ふ」に作る、文義尤も勝れたり。
【一一一】愛憎の主。主の愛憎と曰ふが如し。
【一一二】擾狎。ならすこと。
【一一三】逆鱗。さかさまの鱗。
【一一四】徑尺。直徑一尺。
【一一五】。庶幾なり。游説の成功に近き也。
【一一六】此れ人情として當然の事なり。
【一一七】過法。苛酷なる法。
【一一八】司法官の手に下して、韓非を糾彈せしめし也。
【一一九】。毒藥。
【一二〇】。陳辯なり。
【一二一】申子・韓子の著書を學ぶ者少からず。
【一二二】虚無にして實體無く、自然に因り變化に應じ、何等爲す所無くして、千變萬化す。
【一二三】辭稱。言辭なり。
【一二四】老子の道徳の意を布衍して、縱横放肆の議論を爲す。
【一二五】卑卑。卑近。
【一二六】道徳を刑名法術に施行する也。
【一二七】繩墨を引いて。墨繩を引いたやうにとの意。法則ずくめなるをいふ。
【一二八】慘※[#「激」の「さんずい」に代えて「石」、U+7909、28-註【一二八】] 慘忍刻薄也。恩少し。情愛少き也。

原文

老子者。楚苦縣※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)郷曲仁里人也。姓李氏。名耳。字伯陽。諡曰※(「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1-90-41)。周守藏室之吏也。孔子適周。將禮於老子。老子曰。子所言者。其人與骨皆已朽矣。獨其言在耳。且君子得其時則駕。不其時。則蓬累而行。吾聞之。良賈深藏若虚。君子盛徳容貌若愚。去子之驕氣與多欲。態色與淫志。是皆無子之身。吾所子。若是而已。孔子去。謂弟子曰。鳥。吾知其能飛。魚。吾知其能游。獸。吾知其能走。走者可以爲一レ罔。游者可以爲一レ綸。飛者可以爲一レ※(「知」の「口」に代えて「曾」、第4水準2-82-26)。至龍。吾不其乘風雲而上上レ天。吾今日見老子。其猶龍邪。老子修道徳。其學以自隱無一レ名爲務。居周久之。見周之衰。迺遂去至關。關令尹喜曰。子將隱矣。彊爲我著書。於是老子迺著書上下篇。言道徳之意。五千餘言而去。莫其所一レ終。或曰。老莱子亦楚人也。著書十五篇。言道家之用。與孔子時云。蓋老子百有六十餘歳。或言二百餘歳。以其修道而養一レ壽也。自孔子死之後。百二十九年。而史記周太史※(「にんべん+擔のつくり」、第3水準1-14-44)秦獻公。曰。始秦與周合而離。離五百歳而復合。合七十歳。而霸王者出焉。或曰。※(「にんべん+擔のつくり」、第3水準1-14-44)。即老子。或曰。非也。世莫其然否。老子。隱君子也。老子之子名宗。宗爲魏將。封段干。宗子注。注子宮。宮玄孫假。假仕漢孝文帝。而假之子解。爲膠西王※(「昂−日」、第4水準2-3-53)太傅。因家齊焉。世之學老子者。則※(「糸+出」、第4水準2-84-18)儒學。儒學亦※(「糸+出」、第4水準2-84-18)老子。道不同。不相爲謀。豈謂是邪。李耳無爲自化。清靜自正。
莊子者。蒙人也。名周。周嘗爲蒙漆園吏。與梁惠王齊宣王時。其學無※(「門<規」、第3水準1-93-57)。然其要本歸於老子之言。故其著書十餘萬言。大抵率寓言也。作漁父。盜跖。※(「月+去」、第3水準1-90-44)。以詆[#「言+此」、U+8A3F、5-5]孔子之徒。以明老子之術。畏累虚。亢桑子之屬。皆空語。無事實。然善屬書離辭。指事類情。用剽剥儒墨。雖當世宿學。不自解免也。其言洸洋自恣以適己。故自王公大人之。楚威王聞莊周賢。使使厚幣迎一レ之。許以相。莊周笑謂楚使者曰。千金重利。卿相尊位也。子獨不郊祭之犧牛乎。養食之數歳。衣以文繍。以入太廟。當是之時。雖孤豚。豈可得乎。子亟去。無我。我寧游戲汚涜之中自快。無國者所一レ覊。終身不仕。以快吾志焉。
申不害者。京人也。故鄭之賤臣。學術以干韓昭※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。昭※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)用爲相。内修政教。外應※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。十五年。終申子之身。國治兵彊。無韓者。申子之學。本黄老而主刑名。著書二篇。號曰申子
韓非者。韓之諸公子也。喜刑名法術之學。而其歸本黄老。非爲人口吃。不道説。而善著書。與李斯倶事荀卿。斯自以爲不非。非見韓之削弱。數以書諫韓王。韓王不用。於是韓非疾國不明其法制。執勢以御其臣下。富國彊兵。而以求人任上レ賢。反擧浮淫之蠧而加之於功實之上。以爲儒者用文亂法。而侠者以武犯禁。寛則寵名譽之人。急則用介冑之士。今者所養非用。所用非養。悲廉直不一レ邪枉之臣。觀往者得失之變。故作孤憤。五蠧。内外儲。説林。説難。十餘萬言。然韓非知説之難。爲説難書。甚具。終死秦。不自脱。説難曰。凡説之難。非吾知之有以説之難也。又非吾辯之難。能明吾意之難也。又非吾敢横失能盡之難也。凡説之難。在説之心。可吾説上レ之。所説出名高者也。而説之以厚利。則見下節。而遇卑賤。必棄遠矣。所説出厚利者也。而説之以名高。則見無心而遠事情。必不收矣。所説實爲厚利。而顯爲名高者也。而説之以名高。則陽收其身。而實疏之。若説之以厚利。則陰用其言。而顯棄其身。此之不知也。夫事以密成。語以泄敗。未必其身泄一レ之也。而語及其所匿之事。如是者身危。貴人有過端。而説者明言善議。以推其惡者。則身危。周澤未渥也。而語極知。説行而有功。則徳亡。説不行而有敗。則見疑。如是者身危。夫貴人得計。而欲自以爲一レ功。説者與知焉。則身危。彼顯有出事。迺自以爲也故。説者與知焉。則身危。彊之以其所必不一レ爲。止之以其所一レ已者身危。故曰。與之論大人。則以爲己。與之論細人。則以爲權。論其所一レ愛。則以爲資。論其所一レ憎。則以爲己。徑省其辭。則不知而屈之。汎濫博文。則多而久一レ之。順事陳意。則曰怯懦而不一レ盡。慮事廣肆。則曰草野而倨侮。此説之難不知也。凡説之務。在説之所一レ敬。而滅其所上レ醜。彼自知其計。則無其失上レ之。自勇其斷。則無其敵上レ之。自多其力。則無其難上レ之。規異事與同一レ計。譽異人與同一レ行者。則以飾之無傷也。有與同失者。則明飾其無一レ失也。大忠無拂辭。悟言無撃排。迺後申其辯知焉。此所親近不疑。知一レ之難也。得曠日彌久而周澤既渥。深計而不疑。交爭而不罪。迺明計利害以致其功。直指是非以飾其身。以此相持。此説之成也。伊尹爲庖。百里奚爲虜。皆所由干其上也。故此二子者。皆聖人也。猶不身而渉世。如此其※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)也。則非能仕之所一レ設也。宋有富人。天雨墻壞。其子曰。不築。且盜。其鄰人之父亦云。暮而果大亡其財。其家甚知其子。而疑鄰人之父。昔者鄭武公欲胡。迺以其子之。因問群臣曰。吾欲兵。誰可伐者。關其思曰。胡可伐。迺戮關其思曰。胡。兄弟之國也。子言之何也。胡君聞之。以鄭爲己。而不鄭。鄭人襲胡取之。此二説者。其知皆當矣。然而甚者爲戮。薄者見疑。非知之難也。處知則難矣。昔者彌子瑕見衞君。衛國之法。竊駕君車者。罪至※(「月+りっとう」、第4水準2-3-23)。既而彌子之母病。人聞。往夜告之。彌子矯駕君車而出。君聞之而賢之曰。孝哉。爲母之故而犯※(「月+りっとう」、第4水準2-3-23)。與君游果園。彌子食桃而甘。不盡而奉君。君曰。愛我哉。忘其口而念我。及彌子色衰而愛弛得罪於一レ君。君曰。是嘗矯駕吾車。又嘗食我以其餘桃。故彌子之行未初也。前見賢而後獲罪者。愛憎之至變也。故有主。則知當而加親。見主。則罪當而加疏。故諫説之士。不愛憎之主而後説上レ之矣。夫龍之爲蟲也。可擾狎而騎也。然其喉下有逆鱗徑尺。人有之。則必殺人。人主亦有逆鱗。説之者。能無人主之逆鱗。則幾矣。人或傳其書秦。秦王見孤憤五蠧之書曰。嗟乎。寡人得此人。與之游。死不恨矣。李斯曰。此韓非之所著書也。秦因急攻韓。韓王始不非。及急迺遣非使秦。秦王悦之。未信用。李斯姚賈害之。毀之曰。韓非。韓之諸公子也。今王欲※(「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22)。非終爲韓。不秦。此人之情也。今王不用。久留而歸之。此自遺患也。不過法上レ之。秦王以爲然。下吏治非。李斯使人遺非藥。使自殺。韓非欲自陳見。秦王後悔之。使人赦一レ之。非已死矣。申子韓子皆著書。傳後世。學者多有。余獨悲韓子爲説難而不上レ自脱耳。
太史公曰。老子所貴道。虚無因應。變化於無爲。故著書辭稱。微妙難識。莊子散道徳放論。要亦歸之自然。申子卑卑。施之於名實。韓子引繩墨。切事情。明是非。其極慘※[#「激」の「さんずい」に代えて「石」、U+7909、8-1]恩。皆原道徳之意。而老子深遠矣。





底本:「國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳」東洋文化協會
   1955(昭和30)年5月30日複版発行
※底本では箭内亙による訳と註をそれぞれ「箭内亙による譯」「箭内亙による註」の中見出しのもと入力しました。
※底本では「箭内亙による譯」中の註番号に該当する註をなるべく訳と同じページになるように囲み枠を作成して組まれています。
※底本では原文はまとめて巻末に掲載されていますが、本テキストでは副題毎にファイル末に「原文」の中見出しのもと入力しました。
※表題は底本では、「國譯史記列傳こくやくしきれつでん」となっています。
※副題は底本では、「老莊申韓らうさうしんかん列傳れつでんだい三」となっています。
※原文の返り点は、「及彌子色衰而愛弛得罪於一レ君」のように、現在の学校教育で習うものとは、少し異なるところがあります。
※原文中の「及彌子色衰而愛弛得罪於一レ君」は訳中では「彌子びしいろおとろへてあいゆるび、つみきみるや」となっています。
※箭内亙による訳、註、原文中、「※(「耳+冉の4画目左右に突き出る」、第4水準2-85-11)」と「※(「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1-90-41)」、「[#「言+此」、U+8A3F、19-7]」と「※(「此/言」、第4水準2-88-57)」、「羣」と「群」、「廼」と「迺」と字体の違うのは底本どおりです。>
※原文中の「守藏室吏」は訳中では「守藏室史」となっています。
※原文中の「與之游」は訳中では「これあそぶ」となっています。
※原文中の「無我」は訳中では「われ※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)けがすことかれ。」となっています。
※原文中の「汚涜」は訳中では「※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)涜」となっています。
※原文中の「衛國之法」は訳中では「衞國ゑいこくはふ」となっています。
入力:はまなかひとし
校正:みきた
2022年1月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「言+此」、U+8A3F    19-7、5-5、19-7
「激」の「さんずい」に代えて「石」、U+7909    28-2、28-註【一二八】、8-1


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