今は
昔、もうずっとの昔のことですが、北海道にコロボックンクルという、
妙な神様が住んでおられました。その時分はまだ北海道には日本人が一人もいなくて、山には
熊、川には
鮭、そして人間といえばアイヌ人ばかりでした。だからコロボックンクルはアイヌ人の神様でした。この神様は大変体が小さいものですから、雨の降った日でも日の照った日でも、それが
丁度屋根のようなつもりで、暇さえあると、
蕗の葉の
蔭に休んで一服することが好きなのだそうです。だからアイヌ人がこの神様のことをコロボックンクルと呼ぶのは、それはアイヌの言葉で「蕗の下の神様」という意味なんです。
ところが、この小さい神様のコロボックンクルはそんなに体が小さい
癖に、大の
悪戯好きで、
無暗に、人間――と言っても今も言った通り、それはアイヌ人のことですが――と競争することが好きで、そしていつもアイヌ人を出し抜いては喜んでいました。と言うのは、例えばアイヌ人の
誰かが山へ
姥百合を
掘りに行くとしますと、そこは神様のことですから、いつの間にかちゃんとそれを知ってしまって、
先廻りをするのです、そしてアイヌ人の出かけて行った時分には姥百合をすっかり取ってしまっておくのです。
或は
又、アイヌ人が川に魚を
捕りに行こうと思って、
網をもって出かけるとしますと、それをどこかの蕗の葉の下から見付けると、
早速その小さい体を
兎のように走らして、やっぱり先廻りをしてその辺の川にいる魚をすっかり捕ってしまうのです。
すると、アイヌ人は「チョッ!」と
舌皷を打って「又コロボックンクルさんが悪戯をしたな。仕様がない、帰ろう、帰ろう」と言って、別に腹を立てた顔もしないで、すたすたと帰って行くのです。と言うのは、前にも言った通り、悪戯好きの神様ではありますが、コロボックンクルはなかなかなさけ深い神様で、そうして人を出し抜いて取った姥百合でも、魚でも、その外何でもそれを決して自分の物にはしないで、それぞれ平等にアイヌ人たちに分けてやるのでした。
けれども、誰だって実はこの神様の姿を見た人はないのでした。歌っている声や、話をする声は誰にも聞えますが、
肝心の姿は
隠れ
蓑という、姿を隠すものを着ていますので、誰にも見えないのです。だから、いろいろの物を持って来てくれるにしても、人の
家の入口から品物だけを差し入れるようにして、そして姿を見せずに帰って行くのでした。誰かがその訳を聞くと、神様の仲間では人間に姿を見られることは、この上もない
恥としてあったのだそうです。
或日、コロボックンクルはいろいろな
御馳走を用意して、それを成るべく困っている、
可哀そうな人に分けてやろうと思いまして、例の蕗の葉の下から、隠れ蓑で体を包んで出て来ました。そしてアイヌ人が部落をしている村の中をあちこちと見廻っていました。と、一人のいかにも貧乏らしいアイヌが目に留りました。ところが、どんな神様にも目違いということがあると見えまして、それが実は間違いだったのです。というのは、それはクシベシという、貧乏は貧乏なのですが、それというのも、その男は大変な
怠け
者で、そして心の
善くないアイヌだったのです。だから、その日もクシベシは、もうお日様がずっと高くなってからやっと目を
醒ましまして、仕方がないのでやっと
寝床から起き出したのですが、不断からの心がけが悪いので食べ物が少しもないのです。だからと言って、それを探しに出かけるのも
大儀だと言うので、困ったなァ、と思って、
悄気ていたところだったのです。そんな訳とは知りませんから、コロボックンクルは、どこか体でも悪くて、それで食べ物を取りに行くことが出来ないのだろう、と可哀そうに思いまして、
「お前さん、大変困っているようだが、これを上げよう」と声を
掛けました。で、怠け者のクシベシはひょいと顔を上げますと、目の前にいろいろな御馳走がにゅっと出ているのです。
「これは
旨いぞ」とクシベシは思いました。「コロボックンクルの御馳走だな」そこで、
「いや、どうも
有難う」と言って、御馳走を受取ろうとしました
拍子に、ふと、その御馳走の下にそれを突き出している、それはそれは何とも言えぬ
程可愛らしい手が見えたのです。おや? と思いましたが、元々
悪賢い男ですから、それが隠れ蓑からはみ出している、コロボックンクルの手だ、と
直に気がつきました。すると、「こいつは
面白いぞ」とクシベシは考えました。「コロボックンクルは決して人間に姿を見せたことがないという話だが、
俺が一つ見てやろう。何の、神様だなんて言ったって、蕗の下にいる位だから、それにこの手から判断しても、小さい、力の弱いものに違いない。
取捉まえて、あわよくば、見せ物にして
金儲けをしてやろう」とクシベシという男は、
先にも言ったように、心のよくない人間でしたから、
折角御馳走をくれようとまで言ってくれた親切などは忘れてしまって、いきなり御馳走をさし出してくれた、コロボックンクルの小さい可愛らしい手をぐっと捉まえまして、
無理耶理に隠れ蓑を
引剥いでしまいました。
さあ、どんなにコロボックンクルは
喫驚したことでしたろう、又恥しがったことでしたろう! いかに
敏捷いと言ったところが、そういう風に乱暴な男に捉まえられたのでは、どうにも仕様がありません。そこで、いろいろと悲しそうな声で、クシベシに隠れ蓑を返してくれるように、と頼みましたが、相手は
唯意地悪そうに、にやにや笑っているばかりなのです。
終にはコロボックンクルは泣き出しました。けれども、
邪険なクシベシは平気な顔をして、言いますには、「そんなに隠れ蓑が返して
欲しければ、返してやらぬこともないが、その代りただでは
駄目だよ」
「
私に出来ることなら何でも……」とコロボックンクルは言いました。
そこで、クシベシは
暫く何か考えている様子でしたが、「じゃ、
俺の……」と言いました。が、余りいろいろな
慾張りな
考が次から次と頭の中に
湧いて来ますので、どうと言って急に考が
定らない風でした。が、やっとして、「そうさな、俺の、俺の一生の間食べ余るだけの食べ物と、着余るだけの着物とをくれると
屹度約束したら……まあ、それで
我慢してやろう」
「その位のことなら何でもない」とコロボックンクルはほっと安心したように言いました。「その位のことなら、今夜のうちに屹度持って来てやろう。さあ隠れ蓑を返しておくれ」
「おっと、そうは行かない」とクシベシは一層ぐっとコロボックンクルを捉まえている手に力を込めて言いますには、
「それで、よしと言って、お前に隠れ蓑を返してしまったら、それ切りお前が
逃げてしまって、帰って来なければそれ
迄じゃないか? そんなことで俺を
欺そうとしたって……」
「
馬鹿なことを言うものじゃない」とコロボックンクルはその時は
流石にむっとした声で言いました。「欺すとか、疑ぐるとか言うのはそれは人間同志のすることだ。安心したがよい、私はそんなことはしない。それに、隠れ蓑を返してくれなければ、私は帰る訳には行かないし、そうすればお前に約束の望をかなえてやる訳に行かないじゃないか?」
そう言われて見ると、クシベシもなる程と気が付きましたので、思い切って、コロボックンクルに隠れ蓑を返してやりました。そして、「じゃ、約束のものは後でとどけるよ」と、隠れ蓑を着ましたので、元のように、姿は見えなくて、こう声だけ残して、コロボックンクルが帰って行きますと、クシベシは、さあ、これからは心配なしに遊んで
暮せる、と
独言を言いながら、ごろりと
腕枕をしてその場に寝てしまいました。
桝ではかって目方にかけて、
己が命を俵につめる、
エンヤラ一、エンヤラ二。
尺ではかって鋏で切って、
己が命を切り刻む、
エンヤラ一、エンヤラ二。
いつ
頃から始まっていたのか、ふとクシベシが目を醒ました時にはこういう
唄が聞えるのです。それがどうやら大勢の声のようにも聞えますし、又一人の声のようにも聞えるのです。クシベシは大きな
欠伸をしながら、起き上ってそこらを
眺めましたが、声ばかりして人らしい姿は見えないで、一つ、二つと俵が自分の小屋の中に転がって来るのが見えるのです。
「なる程、神様だけに正直だな」と気がつきました。「コロボックンクルが約束通り、持って来やがったな」
コロボックンクルはクシベシには何とも言葉をかけないで、
唯唄ばかりうたって、一俵、二俵、と見る見るうちに六俵の俵を積み上げました。クシベシは心の
中で、ここへ六俵積んで、それからあそこへ又十俵ばかり積んで、それからどこへ積むのか知らと見ておりますと、俵は六俵積み上げられただけで、それで
終と見えまして、
「では、約束通り持って来たよ、さよなら」というコロボックンクルの声だけが聞えましたので、
「何だい?」とクシベシは
呶鳴りました。「たった六俵ばかりで、これじゃ俺の一生どころか、三月にも足りないじゃないか? それに着物はどうしたんだい? この俺をごまかそうたって駄目だよ」
「これこれ」とコロボックンクルの声が神々しい響で答えますには、「これこれクシベシ、
私等は人間と違って、ごまかすようなことはしない。それだけでお前の一生に足りるのじゃ。着物か? 着物はもうちゃんとお前の体に着せてある
筈じゃ。それも、それ一枚だけで足りる筈じゃ。……さよなら」と言って、どこともなく行ってしまいました。
見ると、なる程、いつの間にかクシベシは
今迄のような
襤褸のではない、新しい着物を着ていましたが、クシベシは、「こんなもので、これだけで足りるものか?」とぶつぶつ独言を言いながら、「あのコロボックンクルの奴、ごまかすようなことはしないなんて大きな口をきいておきながら、こんなものでこれっぱかりで……」と長い間腹を立てていました。が、根が怠け者のことですから、だが、まあこれで当分の間、食べ物の心配なしに暮して行ける、何にもくれなかったよりは
増だ、こう思って、あきらめるともなしにあきらめるうちに、いつか又ごろりと横になって寝てしまいました。
その次の日から、クシベシにはどうしてもしなければならぬ用事が一つ出来ました。というのは、たとえ六俵でもお米の俵が積んであるのですから、今迄のように人に食べ物をもらう訳には行かないのです。それには御飯を
炊く
薪がなければなりませんので、毎日不承不承ながら、それを取りに出かけるのです。
ところが、どこへ行ってもどこへ行っても、薪が一本もないのです。どんなに早く起きて出かけても、夜のうちに出て行っても、それがどこにもないのです。ない訳はないのですが、例のコロボックンクルが先廻りをして、クシベシの行く先々の薪をみんな取りさらえてしまっておくからなのです。だから、どうかすると、小屋の窓を
壊して、薪の代りにしなければならぬようなことになりました。薪ばかりでなく、何か野菜物をと思って畑へ行って見ても、魚を
捕ろうと思って川に行って見ても、クシベシが行くとどこにも何一つないのです。何しろ、競争が上手で、悪戯好きなあのコロボックンクルのする仕事なのですから、とてもクシベシにはかなわない訳です。終にはクシベシも泣き顔をして、弱り切ってしまいました。
そのうちに、時候の方では何の遠慮もなく、寒い寒い北海道の冬が来ました。クシベシの小屋では、今はもう壁の代りに張ってあった材木を、大抵御飯を
炊く薪の代りに使ってしまったものですから、夏ならばいいが、風の
吹く日などはたまらないのです。まるで私たちの
家の庭にある、
四阿の中に住んでいるような訳ですから、膚を突きさすかと思われるような風がぴゅうぴゅうと吹き通すのです。それに、見ると、コロボックンクルから
貰った俵ももう
殆どなくなりかけて来たのです。さすがのクシベシもこれでは冬が越せないぞと、心配になって来ました。
それでも、根がそういう怠け者のことですから、ぐずぐずと日を暮しているうちに、とうとう今日で俵のお米がみんなになってしまうという日が来ました。ところが、
生憎、この日は一段と寒さの激しい日で、見ていると、山の頂にかたまっては流れている雲の色さえ、そのまま
凍ってしまうかと思われるような寒さで、それを見ながら、ああ、ああ、
明日から食べる物がなくなるんだな、と思いますと、クシベシは胸騒ぎがする程心細くなって来まして、寒さが一倍体にこたえるのです。何はともあれ、食べて体を
温めようと思い立ちましたが、例の通り薪がありませんので、仕様がないので、自分の小屋の柱を一本切りました。それでどうやらこうやら御飯を炊きましたが、それも残らず食べ切ってしまいまして、
愈々夜になりますと、まるで氷の中に
埋められたかと思うような寒さです。とても
辛抱が出来ませんので、クシベシは又一本柱を切って、それを薪にして体を温めました。言う迄もなく、それも直になくなってしまいますと、又一本柱を切りました。終には屋根も何も曲ってしまったのは言う迄もありません。
すると、夜中から、空一ぱいに
拡がっていた雲はとうとう雪になりました。クシベシは、いつかもう薪は燃え切ってしまうし、切れるだけの柱は切ってしまいますし、仕様がないので、いつもの少しばかり土を掘って、その上に、熊の皮を敷いてある寝床の中に、もぐり込みましたが、がたがたと体がふるえるばかりで、とても、眠り入るわけには行きませんでした。
やがてその夜は明けまして、見渡す限りまばゆいような雪景色の上の空は、昨日とはすっかり変って、青々と底の知れない海のように
綺麗に澄み切っていました。その下にクシベシの家は見る影もなく、雪におし
潰されていました。そして可哀そうに、クシベシはその下で凍えて死んでしまったのでしょう。
何故と言って、その日から誰もクシベシを見たものはないのです。
それと共に、コロボックンクルがどこかへ行ってしまったのです。何故といって、それからは誰も先廻りをして、野菜をとられたり、魚をとられたりしたこともなく、その代り、いくら困っていても、姿は見えないで、声と品物とがひょっこり現われるというようなこともなくなりました。
無邪気なコロボックンクルはとうとう怒ってしまったのです。
そしてコロボックンクルがいなくなると共に、アイヌ人がだんだん滅びて来まして、年々に数が少なくなり、今ではもう
殆どなくなりそうな有様だそうです。コロボックンクルはつまりアイヌの守り神様だったのでしょう。