野の墓

岩本素白




 流離のうちに秋が来た。まだ彼岸ひがんだといふのに、ある朝、合服あひふくを着て往来へ出たら、日蔭の片側が寒くて、われ知らず日の当る方を歩いて居た。やはり信濃路だなと思つた。毎朝見る姨捨山の姿がくつきりとして来て、空はいよ/\青かつた。
 この町へ来てもう三月みつき近くになる。終戦にはなつたが、このさき日本がどうなるのか分らないやうに、私達の身の振り方も、どうすればよいのか、皆目かいもく見当が付かなかつた。文字通り無一物で焼け出されて、生れて初めての田舎住まひであつた。それも東京ではずつと静かな所に住んで来たのに、此処は小さい町ながら其の中心に当る所である。向う側に此の辺ではやや大きい総二階の旅館があつて、その隣りは休業中の料亭が二軒、その一軒には些かの庭もあつて、門に会席の看板を掛けて居た。直ぐ隣りが小さい郵便局、薬局、よろづ屋、電気器具商、続いて低い、暗い、馬鹿に横巾の広い理髪店。さういふ周囲であつた。
 私達親娘三人は、戦争で休業して居る商家の二階の六畳、八畳、十畳といふ三部屋を借りて居た。その八畳は本格的の座敷になつて居て、二間にけんの床の間があり、来た時には世界地図が掛つて居た。私が笑ひながら、少し殺風景過ぎることを云ふと、当主の母である、しつかり者らしい年寄りが、案外気安く大和絵のふくを掛けてくれた。疎開といへば佗しい限りのものと思ひ、わるくすれば蚕室、物置を改造した所にもはいるつもりで居たのに、実に予想以外のことであつた。色々事情はあつたが、そもそも戦火に遭ふということから、又思ひがけぬ信州へ来るといふことから、かうした場所に落着くといふことまで、自然さうなるやうなまはり合せであつた。私はさういふ廻り合せにぢたばたせず、静かに随ふやうな気持で毎日を過して居た。今迄の職業も経歴も告げず、この二階を私達に譲つて行つた親戚の者の、信用され又多少尊敬されても居る蔭に身を寄せて、無為な不可解な毎日を送つて居た。
 中学も女学校も有るのに、町にはまるきり物資が無かつた。膳の代りに使はうと探した丸い木の盆さへ得られなかつた。紙筆は勿論、粗末な手帳のやうなものも無かつた。長野市へ出て、やつと買つて来た信濃名所集と云ふ、恐らく新刊当時のまま残つて居たらしい本と、反点かへりてんだけ付いた論語集註とを時々開いて読んだ。長野市の書店も品物は疎開でもしたと見え、時局向きの小冊子類がばら/\店に並べてあつた。古本屋で見つけた方の名所集が、少し今の心を慰めるだけのものであつた。そんな本に飽きると、私はよく裏手の低い山へ登つて、其処から周囲の山々を眺めた。遥かに姨捨駅の赤い屋根が見え、やや右寄りの方には、千曲川向うの塩崎の長谷寺の大きな茅屋根が見えた。
 そんな山歩きの間に、漆かはぜにでも触れたと見えて、急に手や顔がれてむずがゆく、ひどく気分が重くなつた。丁度その少し前、ある日表の窓から往来を見ると、寂しい葬列が下を通つて居た。荷車に枢を載せて、紙で造つた天蓋や花などを捧げ、少しばかりの葬列が続いて居た。私は眼も腫れふさがつた重い顔を天井に向けて、そんな光景を想ひ出したりして居た。家内達は大分心配して居たが、二三日すると腫れも引き気分も直つた。気晴しに近くの町でも見に行かうかと思つたが、少し大事を取つて、やはり近くの千曲川べりに出て見たりして居た。
 宿の近くの横丁は、禅宗らしい寺院や地方事務所や裁判所の出張所などの在る静かな裏町であつた。其処を過ぎると、もう新しい国道の走つて居る田圃で、流れの早い小溝や、それに臨んで倉垣くらがきめぐらし、乳鋲にゆうびやうの付いた扉を持つた頑丈な門構への家や、それを護るやうな形に密集した小さな農家の群れ等があつて、道は少し行くと千曲川の辺りに出る。遠い上流は知らず、千曲川も此の辺りは甚だ平凡な川で、堤防下の川畑を浸して巾の広い水がただ勢ひよく流れて居るだけである。小石と水との美しい河原といふものも無く、謂はば東京の六郷川と余り違はない平凡な景色であつた。河原が無いので、堤防に近い道路の小石を拾つて見たりしたが、別に形の面白い石や色の美しい石も無かつた。これはと思つて、手に取つて少し歩いて居るうち、つまらなくなつて捨てるやうな石もあつたが、二三日して再び其処を通つて見ると、捨てられた場所に其のままあるので、何か淋しい気がして、又手に取つて宿まで持つて帰るやうなこともあつた。
 堤の上をぼんやり歩くことも楽しかつたが、其処までゆく畑道から南の方の姨捨山を観る景色の美しいのにも心が惹かれた。朝の宿から見る此の山の曙の色は美しい薔薇色のうひ/\しいものであるが、真昼時、この野から見るこの山の色も姿も本格的に落着いた、人で言へば壮年の美しさであつた。それに、頂近くにかなり大きな巌が見え、此の山は姿の整つた雄偉な趣も具へて居て、私はいつも暫く杖を止めて、此の野から姨捨を眺めるのであつた。
 ある晴れた日の午後、私はふと此の野の辺りにある野墓の一と群れのある所の前で、杖を止めた。墓のあることは前から気付いて居たが、近づいて親しく墓を眺めたのは初めてであつた。よくある農家の片隅などの僅かな墓の群れではなく、近くの寺の離れた墓地ででもあるらしいかずであつた。墓は南を向いて遠く姨捨山を眺めて居るが、それは大抵小さく古いものであつた。其の中に夫婦の墓らしく、同じやうな形で並んだ二つの墓があつた。一つの墓には蘭室幽香信女と彫つてあつた。その隣りの墓には秋山微笑居士。私は秋山微笑居士と今一度声に出して誦んで見て、これはよいと思つた。秋山微笑は少し和尚さんも興に乗じたのかも知れないが、何にしても此の景色の中では動かないところである。私はすつかり好い気持になつて、軽い足取りで宿へ帰つた。
 さうして二階へ上るなり、何かつづくり仕事をして居る家内に、「私も此処で秋山微笑居士になるかな」と言ひかけた。けげんな顔を上げて私を振り仰いだ家内に、私は又続けて、「蘭室幽香信女ではどうだ」と云つた。





底本:「日本の名随筆55 葬」作品社
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発行
   1990(平成2)年2月10日第4刷発行
底本の親本:「素白随筆」春秋社
   1963(昭和38)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年11月29日作成
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