陳言套語

津田左右吉




 僕のような融通のきかない学究がこういう雑誌に書くということは、甚だ不似合な仕わざであろうと思う。おい繰言くりごとの如き、生彩のない、調子の弱い、従って読者に何の印象をも与えない、贅言をくどくどと列べ立てるのが癖だからである。しかし、是非にということであるから、悪文の見本のつもりで書くことにする。ことわるまでもないことであるが、奇抜なかんがえをいうのでも新しい説を述べるのでもない。平凡の、ありふれた、当りまえの、ことをいうのである。つまり、いわないでもわかっていることをいうに過ぎないのである。
 もう、とっくに、そんなところを通り越している時代だと思うが、それでも今なお世間の一隅には、我が国固有の風俗とか固有の国民的精神または国民性とかいうことを高唱しているものがある。風俗とか国民的精神とか国民性とかいうものが、昔から今まで動かないで固まっていたものででもあるかのように聞こえる。が、そんな考が事実にそむいていることはいうまでもなかろう。
 例えば、我が国は家族主義の国であるという。家族主義ということばの意味は甚だ曖昧あいまいであるが、世間でいうところを聞くと、徳川時代に行われていたような家族生活の状態を指すのらしい。それならば、それは鎌倉室町時代から徐々に発達し、徳川時代になって出来上がったものであって、決して昔からの有様ではない。上古は勿論のこと、平安朝の貴族どもにおいても、その家族生活は全然いわゆる家族主義とは違ったものであった。また今日の家族生活が徳川時代のに比べて変って来ていることは、明白な眼前の事実である。こういうように、家族生活の状態は歴史的に変遷して来ている。決して固定していたものではない。何らかの形においての家族生活は昔も今もあるが、それは世界の大抵の民族がやはり何らかの形において家族生活をしていると同じほどのことである。
 我が国の大なる誇とせられていることについても同様である。その形体は同じでも、その内容をなすところの実際の国民の感情は時代時代において変って来ている。知識としてのその解釈もいろいろであって、古いところですら『古事記』などに説いてあることと、支那の政治思想が入って来てからのとは、全く違っている。今日の我々の生きた感情が『古事記』や支那思想に支配せられていないことは、明白な自己心中の事実である。ただその感情も知識も変化しながら、この形体との調和が失われずに来たのである。そうしてそれはこの形体自身において時勢の推移に順応し得べき特質を具え、また実際、時と共に推し移って来たからである。
 この変遷は決して無意味なものではない。人間は、個人としても国民または民族としても、その生活を維持し開展してゆくために、いいかえると、断えず起って来る環境の変化に順応し、またそれを支配しそれを新しい方向に導いてゆくために、断えず生活そのものを改造してゆく。それが即ち歴史の過程である。生活力の強い人間または国民ほどこの運動がさかんであるので、それが衰えまたは停止すれば、個人としては老衰であり、国民としては亡国である。幸にして日本人は生きていた。また生きている。過去においてはすこぶる貧弱な生活をして来たものの、ともかくも、こういう歴史を形づくっている。家族制度も種々の政治組織もみなその時々の生活の必要から形づくられ、そうして生活状態の変化と共に、あるいは風習や制度そのものが変化し、あるいはそれが変った意味に考えられて来るのである。さて過去において変化を経て来たとすれば、現在もしくは未来においてもまた同様でなければならぬ。歴史が停止しない限り、国民が滅亡しない限り、この変化はなくてはならぬ。例えば前に述べた如く家族生活の有様は徳川時代に比べて現に大なる変化をなしつつある。あるいは人々がそういう過去の因襲の羈絆から脱しようとつとめている。それでこそ今の社会が動いているではないか。あるいはまた形体の変らぬものにおいても精神は変って来ている。形体は変っても精神は変らぬというのはあやまりである。新しい国民生活、新しい国民の活動には、新しい国民精神がある。そうしてその変ってゆく精神に順応し得る弾力を具えた形体ならば、精神は無限に変化していっても形体は依然として維持せられる。あるいは旧い形体を断えず新しい精神で活かしてゆくことができる。(これに反して今日の守旧主義者はこの形体を少しの弾力もないものにしようとしている。はたから見ると甚だ危険である。)
 勿論、個人に個性のおのずから生ずる如く、国民にもおのずから国民性が生ずる。そうして、個人について個性の尊重せらるべき如く、国民としてはその国民性を尊重すべき十分の理由がある。しかし、個性があるといっても、そういう特別のものが変転極りなき日常生活の間に立って始終不変に存在するのではなく、生きた人格によって統一せられ、実際生活において具体的に現われるものであると同様、国民性というものもまた、そういう固定したものがあって実生活の変化の上に超然として立ち、実生活の影響を受けずして毅然として存在するというようなものではなく、国民生活そのものに断えざる連続があり、それが一つの生命の流れとして内部的に統一せられていることをいうのである。だから、この個性も国民性も決して、生まれた時から、もしくは国の初から、出来上っていたものではなく、長い間の生活の過程、即ち個人なり国民なりの歴史によって、また生活そのものから、生活そのものにおいて、漸次形づくられ、不断に発展しつつあるものである。昔、支那流の伝記家が人の伝を立てる時には、必ず幼にして大志ありとか、既に大人の気ありとかいうのが常であって、年をとってからの人物が小児の時に既に完成していたかの如く、そうしてそれが何時いつも固定しているかの如く、書いたものである。今日ではこんな考で伝を書くものはあるまい。ただ不思議なことには、国民性とか国民的精神とかいう場合になると、やはりこの筆法でゆく論者が多い。が、今日の国民性が国家統一のはじめから完成していたはずのないことは、いうまでもなかろう。のみならず、今日とても我々の国民性は決して完成せられているのではない。限のない未来をっている我々の国民にとっては、過去の千四、五百年は、個人に比較していうと、極めて短い幼童期であろう。さすれば我々の国民性は、これから後の生活において、漸次形成せられ開展せられてゆくべきものである。今日において国民性が完成せられていると思うのは、五、六歳の幼童期に人物が完成せられていると思うのと同様である。こんな未熟な国民性がそのままに固定してよかろうはずがない。短い過去にのみ執着するよりは、無限に長かるべき未来に向って眼を開かねばならぬ。
 我が国の過去に固定した風俗や国民性があるように考え、そうして将来もそれをそのままに保存してゆかねばならぬように思うのが間違である、ということは、これだけでもあきらかであろう。こういう間違った考を有っている人々は歴史に重きを置いているように自らも思い人にも思われているらしいが、実は全く歴史を知らぬものである。少くとも歴史的発展ということを解しないものである。またこういう人たちは、昔の思想や風俗がそのままに近ごろまで行われていたように思っている位であるから、現在の新しい思想を考えるについても、それと同じものが昔にもあったように説く。今日の立憲政体は神代史にも現われている我が国固有の政治思想の発現であるという。あるいは、聖徳太子の憲法にデモクラシイの精神があるなどという。まるで昔の時代をわきまえず、その時代の精神をも解せざるものである。のみならず、現在の事実をも知らぬものである。
 一体、日本人には、事実の如何いかんを顧みないで、勝手次第な独断説を唱え、それがさも明白な事実であるかの如くに説く癖がある。かつて日本と支那とは同文同種の国だというような言葉の流行ったことがある。同文は明にうそである。漢文を解するものが日本人の一小部分にあったとて、どうして同文といい得よう。同種というのは黄色人種とか亜細亜人種とかいう茫漠たる意味でいうならば差支がなかろうが、その代り、実際上、何らの意味のない同種である。言語をことにし、習慣を異にし、気風を異にし、生活を異にする日支人が、事実上、同人種らしき親しみを有っていないことは事実ではないか。近ごろはまた、日韓人は同一民族だということがいわれている。これも学問上まだ肯定せられていないことであるのみならず、事実上、日本人も朝鮮人も相互にそういう感じを抱いていなかったではないか。種々の密接な関係があった上代においてすら、同一民族であるという親しい感情を有っていなかったことは歴史の明に語るところではないか。上代に朝鮮半島の全部もしくは大部分が日本に従属していたようにさえいうものがあるらしいが、それが事実でないことは明白である。あるいはまた日本民族は一家族から分れたものだという。そんなことのあり得べきはずがないことは、少し考えて見れば直にわかろうではないか。ところが世間では、こういう事実に背いている言説を前提として、だから日支は一致しなければならぬ、だから朝鮮人は日本に服従すべきものである、だから――というような説法をする。よしこの前提が間違っていないにしても、この「ある」から「しなければならぬ」を抽き出すことが、また甚だ怪しい論法であるが、それはそれとしても、前提そのものが既に間違っているのである。日本と支那とが協力すべきものであるならば、それにはそれだけの実際的な理由があるべきはずである。日韓併合にも当時の形勢上、そうしなければならぬ実際上の必要があったからであろうと思う。虚構を基にした空疎な説法をする必要はない。日本は家族制度の国だとか、日本人の国民的精神は『古事記』で定まっているとかいうようなことも、畢竟ひっきょうこれと同じ性質のものである。現在の事実、現に人々の心を流れている生きた感情を基礎とせずして、空疎な理窟を構造し、それによって人を支配しようというのは、徳川時代の学者などの通弊であったが、今日でもなおそれが行われている。そんな理窟に何の権威があろう。
 あるいはまた、日本人は日本人として考え、日本人として行動しなければならぬ、というようなことをいうものがある。ちょっときくと甚だ実際的の論のようであるが、実はこれほど空疎な言はない。我々が或る考を抱くのは、自分の現実の生活がそう考えさせるからである。我々がある行動をするのも、現実の生活がそれを要求するからである。外部から観察すれば、それがおのずから日本人らしい考、日本人らしい行動であるかも知れぬ。しかし考えるもの行動するもの自身に一々そんな意識があってのことでないことは、明白な日常の事実ではなかろうか。
 しかし日本々々と絶叫する人々の考に空疎な論が多いと同様、世界の大勢々々と呼号する人々のいうことにも、やはり空疎な点がある。日本の国民生活も世界共通の状態を有っている、だからその点において世界共通の要求を生ずる、というのならば異議はない。が、日本と世界というものを対立させた上で、世界の風潮だから日本もそれに従わねばならぬ。というのならば、それは日本は家族制度の国だから云々というのと大差のない論である。我々は現在の社会や政治の状態に対して大なる不満足を感じ、それを改革しようという強い要求を有っている。欠陥だらけの社会や政治の状態が、我々国民の生活を圧迫し脅嚇するからである。だからこの要求はすべてが自分らの現実の生活そのものから出ている。書物の上から得た知識のためでもなく、異国人の運動のためでもない。ただこの生活と、そこから生ずる内心の要求とが、世界共通の生活状態、従ってそれから生ずる世界共通の要求と一致する時において、始めて世界の大勢ということに、意味が生ずる。大勢に順応するということは、こういう意味からでなければならぬ。その根柢に人間としての共通の要求があることは勿論である。ところが、この点において世間の大勢順応論には頗る曖昧なものがあるようである。例の外来思想論も、その欠陥を見つけて起ったものといえばいわれよう。
 デモクラシイの要求をも、軍国主義に対する反対をも、社会問題をも、労働問題をも、すべて外来思想という語の下に一括し去ろうとしている一派の人々の考が、事実に背いていることは、いうまでもなかろう。これらはすべて我々の現実の国民生活が生み出したものである。それが定まった形となるについては、知識として与えられた外国人の考やその運動が資料を供給したことは明であるが、我々国民はそういう知識を有っているためにそういう要求をするのではない。我々国民は官僚政治や軍国主義や資本家の跋扈ばっこする現在の経済状態に対して、内心から痛切なる嫌厭と不満足とを感ずる。だから、それを改めようとするのである。それは我々の現実の生活が生み出した我々自身の要求であって、決して外人から教えられたのではない。外人から種々の知識を得てはいるが、それとても我々の生きた思想となるについては、おのずから取捨が行われている。即ち我々の内心の要求、我々の現実の感情に適合することのみが了解せられ摂取せられるのである。(単純なる知識は決して人を動かし得るものでも生きた感情を支配し得るものでもない。あるいはまた現実の生活、生きた感情と没交渉な思想は知識としても真に了解し得られないのである。外国の文化や思想を学ぶについて昔からいわれているような抽象的な採長補短は事実あり得ないことであるが、こういう意味での取捨は必然的に行われている。)しかし世間には現在の状態に対して不満足や嫌厭を感じない人々もある。我々が欠陥多しとする政治や社会の状態に順応して生活の便を得ている人たちにこういう傾向のあることも自然である。そういう人たちは我々の思想を了解することができず、我々の要求に共鳴しない。だからそれを外来思想だと考える。これは当然の成行きであるが、しかし単に知識上の問題として見ると、世界の大勢だから日本もそれに従わねばならぬ、というような空疎な大勢順応説がこういう考を誘致する一因となったことも事実らしい。もっともこれには歴史的の因襲もいくらか存在する。
 昔、儒教という支那思想が入って来た。これは単に書物の上の知識たるにとどまっていて、国民の実生活とはほとんど交渉のないものであった。だから、それは何時までたっても外来思想たるに過ぎなかった。今日でもやはり勢力を失った外来思想の名残として、どこかの片隅に余喘を保っている。ところが、自分らの実生活、自分らの生きた思想から、道徳や政治の学問を組み立てることを知らなかった昔の儒者輩は、この外来思想をそのままに受け入れてそれを金科玉条としていた。そうしてそれによって実生活を律しようとした。けれどもそれは到底不可能事である。だから、結果から見れば儒者はただ実生活から遊離している書物の上の知識としてそれを説くにとどまったのである。今日の外来の知識はそれとは全く性質が違っていて、その知識の根柢をなしている実生活そのものに内外共通の点がある。従ってそういう点についての外来の知識は我々の現実の感情と調和する限りにおいて直に実生活に吸収せられ、我々の生きた思想となるのである。けれどもそういう体験のない人たちは、あたかもむかしの儒教思想と同様にそれを見て、一口に外来思想と考えてしまうのである。思想というもの知識というものが実生活と離れて入って来ると思うのが、儒教を受け入れていた昔からの因襲だからである。そうして彼らがいわゆる外来思想を怖れるのは、そういう実生活に根拠のない知識で実生活を支配し得るものと思うからであって、それもまた昔の儒者と同じことである。
 以上は日本主義また大勢順応主義ともいうべき世論についての僕の陳腐なまた極めて大ざっぱな意見である。実は、もう一歩深いところまで推しつめて考え、あるいはもう一歩深いところから考を立てて来なければならぬと思うが、これで御免をこうむる。だらしなく思いつきを並べたのみで、頭も尾もないものになったが、その点は御ゆるしを願いたい。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「人間 二ノ四」
   1920(大正9)年4月
初出:「人間 二ノ四」
   1920(大正9)年4月
入力:門田裕志
校正:フクポー
2017年8月25日作成
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