日本に於ける支那学の使命

津田左右吉




 こんどの支那事変が起ってからたれしも深く感ずることは、支那についての日本人の知識があまりにも足りなさすぎるということであろう。日本人が支那についての研究をあまりにも怠っていたということであろう。支那文字をつかうことがあまりにも好きであり、支那を含む意味で東洋ということを何につけてもいいたがる日本人が、その支那についての知識をあまりにもたなさすぎることが、こんどの事変によってよく知られたのではあるまいか。あるいはこれから後もますますよく知られてゆくのではあるまいか。しかし時局について語ることは、わたくしの職分を超えている。わたくしはただ、こういう状態には学問としての支那の研究、即ち支那学、が日本においてまだ十分に発達していないところにも理由があるということを述べ、そうしてそれと共に、支那学は単に目前の実際問題を解決するについて必要な知識を提供する責任があるにとどまらず、学術そのものとして大なる使命を有っていることを説きたいと思うのみである。
 ここに支那学というのは支那を研究する学術ということであるが、自然科学に属するものはそれに含ませない方がよかろうから、支那の文化を研究する学術と限定していうべきであろう。これまで日本にも支那に関する学問はあったので、それが漢学ともいわれていた。あるいは今もなおそれがあるといってもよかろう。漢というのは支那のことであるから、漢学という名はことばの上では支那学というのと同じであるが、われわれが今、漢学の名をすてて、ことさらに支那学という称呼を用いるには、理由がある。漢学は現代の学術の意義で支那を研究するのではなくして、支那のことを支那から学ぶのである。そうしてその学ぶことは、主として支那の文字とそれによって書かれた支那の古典とであって、思想的意義においてはその中心が儒学にある。一くちにいうと、漢学は儒学の一名であり漢学者は儒者であったといってもよいほどだからである。儒教の外の支那の思想を知ること、支那の古典的詩文をまねて作ることがそれに伴ってもいたが、よしそれにしても、支那の書物に記されていることを学び知り、すべてにおいてそれを手本としようとしたのが、いわゆる漢学である。さて、こういう儒学としての漢学を思想的側面から見ると、それが現代的の学術でないのは、教としての儒教を説くためのものだからである。儒教は教であるから完全なものとせられ、従ってそれに対しては批判が許されぬ。研究ということも教そのものを批判しない程度において許されるに過ぎないから、それは書物や文字の解釈などの末節においてのみ行われる。また教というものには必然的に伝統の権威と宗派的偏執とが伴い、その点からも自由な研究が妨げられる。あるいはまた儒教の歴史的発展を考えることが好まれず、儒教ならぬ思想のそれに入りこんでいることを認めたがらないのも、儒教は初から完全なものとして成立っていると見たいからである。なお教は完全なものでなければならぬから、何時いつの世にも適切なものとせられるが、その実、儒教は支那の昔の社会や政治の状態から生じたものであるから、日本の、また現代の、事情にはあてはまらぬ。けれども、あてはまらぬとしては教の権威がなくなるから、強いてそれをあてはめようとしてむりな附会をする。儒教は国家主義であるといったり、または儒教に国際道徳の思想があるような考えかたをしたりするのも、こういう昔の儒者の遺風であろう。儒教道徳は特定の関係のある個人と個人との間のものであって、集団生活に関するものはそれには全く存在せず、政治思想としては君主が如何いかにして民衆を服従させそれを駕御がぎょするかを説くのがその精神であって、現代的意義での国家という観念は全くない。また支那の帝王は全世界に君臨すべきものとせられている儒教に、現代の国際関係の如きことが予想せられていないことは、いうまでもない。だからこういうことをいうのは実は儒教そのものを歪曲わいきょくすることになる。儒教の術語を現代にあてはめようとするのも同じことであって、王道というような語を用いるのもそれである。儒教思想での王道と現代の国家とは根本的に矛盾した精神をもつものである。君主と民衆とを対立の地位に置き、そうして民衆の生活の全責任を君主に負わせるのが王道だからである。儒者はまた儒教の教としての権威をきずつけるような事実には全く目をふさぐ。儒教が支那の帝王やそれに隷属する知識人によって長い間支持せられて来たにかかわらず支那の政治がかつてよくなったことがないという明白な事実について、儒者は知らぬかおをしている。こういう儒者の学問が真の学術でないことは明かである。漢学の称呼をとらず支那学という名を用いるのは、これがためである。支那学は儒教をも研究の対象とするが、儒学とは違って自由な学術的見地からそれを解剖し分析し批判するのである。支那のあらゆる文化現象を研究するに同じ態度をとることは、勿論である。
 もっとも支那学という名は、ヨオロッパの学界におけるシノロジイの訳語として、これまでも行われていたものである。シノロジイはエジプトロジイとかアッシリオロジイとかいうのがこれらの古代東方民族の文化を研究する学術の名として用いられているのと同じく、極東の支那を研究の対象とするものであるが、それには東方のいろいろの民族の文化がヨオロッパの現代文化、ヨオロッパ人にいわせるとそれが即ち世界の文化、の圏外にあるもの、彼らにとっては何らかの特異のものであるというかんがえが潜んでいる。現代の学術が多くの部門に分れていて、それぞれ専門的に研究せられているにかかわらず、これらの東方民族の文化の研究においては、一括してそれをエジプト学とか支那学とかいっているのも、そのためのようである。無論、こういう名には歴史的の由来もあり、これらの民族の文化について専門的に科を分けて研究するほどのことが知られていなかった、あるいはいない、という事情もあるし、また例えば同じく支那学者といわれていても、実際は学者によってそれぞれ研究の方面が違っていて、その意味では部門が分れているのと大差がないことになる、という事実のあることも考えねばならぬが、それにしても、こういう名が依然として用いられているところに意味がある。そうして上に述べたようにしてやや専門的に東方民族の文化を研究するにしても、それぞれの専門的な学術の本領からは離れたもの、何らかの特異のもの、のように考えられる傾向がある。学術がヨオロッパ人の学術であり彼らの文化現象の一つである以上、今日までのヨオロッパ人の考としては、これもまたむりのないことであろう。さすれば、そういう風の学術としてヨオロッパに行われている支那学のその名をわれわれが用いるのは、甚だふさわしくないようでもあるが、われわれは別の意味でそれを利用するのが便利だと考える。それは多くの方面から、また多くの部門に分けて、それぞれの専門的研究をするにしても、その間に緊密な関係をもたせて互に助けあい、そうしてそれを綜合することによってのみ、支那の文化は明かにせられるからである。支那の研究のみでなく、すべての学術がそうであるので、学術の分科は止むを得ざる便宜法であり、あるいはむしろ制約であり、研究の目的は全体としての文化であり人間生活である。ところが、学術が分科的になるに伴って、その一つ一つの部門がそれぞれに別々の目的を有っている独立の学術であるように考えられるのみならず、その一部門の専門家には、その部門のみが学術のすべてであるようにさえ思いなされる傾向が生じ、従って一方面からのみ見たことで全体をおしはかりがちであって、これが現代の学術の弊である。支那文化の研究においてもこのことが考えられねばならぬが、日本人の支那研究においては特にそれについて注意しなければならぬことがある。日本人の支那に関する知識は、長い間の因襲として、いわゆる漢学、あるいはその中心となっている儒学、によって与えられたものが主になっているようであるが、上に述べたような儒学の学問のしかたが現代の学術のと全く違うということを除けて考えても、儒教は多方面である支那の過去の文化、過去の支那人の生活のわずか一部面であるに過ぎないのに、それが支那人の生活を支配していた支那思想の全体であるように何となく考えならされ、儒学によって支那の全体が知られるように錯覚していたのが、儒学の教養をうけた日本の過去の知識人であった。なお儒教そのものについても、経典のみによってそれを知ることはできないので、儒教を発生させ変化させ、また後世までそれをうけつがせた支那の社会的政治的状態とその歴史的推移、支那人の心理、思惟のしかた、支那語の性質、ならびに儒教と並んで存在した種々の思想、宗教、文学、芸術、及びそれらと儒教との関係など、要するに支那人の生活、支那の文化の各方面にわたってのそれぞれの学術的研究を遂げることによって、始めて儒教を知ることができるのであるが、これまでの儒学はこういうことをほとんど問題にしていなかった。従って儒学を講じた昔の儒者は実は儒教を知らなかったのだといっても、さしつかえがないほどである。そういう儒者が支那を知らなかったことは、いうまでもない。そこでわれわれは現代の学問のそれぞれの分科に従って各方面の支那文化を学術的に研究すると共に、その研究が一つの全体としての支那文化を明かにするためであることを忘れず、相互の間に聯絡を有たせつつ、綜合的な見かたを失わないようにして、その研究を進めてゆかねばならぬ。儒教そのものもまたかかる研究によって始めてその真の性質と並に過去の支那の文化におけるその地位と功過とが明かにせられることになろう。こういうように、いろいろの学術的研究の間の相互の関聯と綜合とを尊重する意味において、それぞれの分科がありながらそれを包括して支那学と称することが適切であろうと思われる。

 ところで、こういう支那学の使命には、純粋に学術としてのと、直接に実世間にかかわりのあるものとしてのと、二つの方面があろう。そこで、純粋なる学術上の見地に立って第一に考えられるのは、いうまでもなく我が日本の学界に対するその使命である。近ごろの日本の学界における支那文化の研究は、かなり諸方面にわたって行われていて、りっぱな業績がおいおいに現われて来たが、研究すべきことがらの無数にあり無限であることから見ると、まだほんの手がつけ初められたというまでの話であり、そうしてまた殆ど手がつけられずにいる方面も少なくない。日本の知識人が常に目なれている古典支那文を正しく解釈するということだけから考えても、ぜひともしなければならぬ支那語の言語学的研究というようなことが、その一例として挙げられよう。日本人は支那文を日本語化して読むので、一般には日本語と支那語との言語としての性質のちがいが明かに考えられていず、それがために古典の解釈を誤まることが多いようであるが、これは一つは支那語の言語学的研究が行われていないからである。それの行われない一つの理由があるいはこういう読み方になれているところにあるかも知れぬが、少しく考えてみれば、かかる読みかたそのものに大なるむりのあることはわかるので、そこから支那語の言語学的研究が要求せられて来るはずでありながら、それが多く、試みられていないのではあるまいか。支那語の歴史的変遷の如きも、古典支那文を見なれていると共に現代支那語にも接している日本人、日本における支那文字の声音と支那におけるそれとの違いを知っている日本人には、おのずから学術的研究の興味をよび起させる好題目であるにかかわらず、その研究が進んでいない。そうしてこういうことはどの方面にでもある。日本はかつて支那文化の世界に包みこまれたことがなく、日本の文化は日本において独自に発展して来たものであるが、その文化財ともいうべきものには支那に淵源のあるものが多いから、それらの一々についてのその淵源を明かにすることが必要でありながら、その研究の十分にできていないものがあるからである。
 研究が行われているように見えていても、その実、真の学術的方法によらず、非学術的な過去の支那人の考えかたがうけつがれていることも、少なくないようである。例えば古典の研究においては、近代支那に成り立った考証学の方法が殆どそのままに用いられているというようなことがあるのではなかろうか。考証学の方法にも現代の学術から見て妥当なものはあり、それによって尊重すべき業績が多く遺されていることも事実であるが、もともと古典の記載をその記載、特に文字によって考えることから出発した方法であり、それだけですべてを推断しようとするものであるために、現代のいわゆる文献学において大切なはたらきをしている思想的の取扱いかたは殆ど欠けている。思想の社会的心理的もしくは歴史的研究などに至っては、考証学者の夢にも考え及ばなかったところであり、初からその方法の範囲外に属することであった。考証学の方法による古典の批判にすら一定の限界があったのは、一つは考証学者がなお儒学者であったからでもあるが、一つはまたこの故でもある。だから、こういう方法で真の学術的研究をすることはむつかしい。上に述べたような儒者の態度のうけつがれている方面でのしごとは学術的研究としては初から論外に置くべきものであるが、そういう方面において或る程度に研究的態度のとられた場合にも、または儒者風の色あいの薄かったりなかったりする方面の学者のしごとにも、そこに幾多の労作があり優れた見解の認められるものがあるにかかわらず、研究の方法としては多かれ少かれこの考証学のそれに拘束せられている気味があるのみならず、意識してかせずしてか儒者風の因襲的思想に気がねをしている様子さえも見られるのではあるまいか。そうしてこの点においては、現代支那の若い学者の方に却って日本の学者よりも自由な学術的な研究的態度をとっているものがある。彼らのうちに儒者的態度から離れているもののあることは、いうまでもない。かかる学者の真に学者と称すべきほどのものは数においてなお少く、その業績において必しも賞讃すべきもののみには限らないが、こういう態度がとられ、そうしてそれが学界の主潮となっていることには気をつけねばならぬ。日本の学者にはとかく過去の支那の学風に追従するくせがあるので、それがためにさまででもない支那の老学者からすらも軽んぜられていたのであるが(追従するものはせられるものから軽んぜられるのが当然である)、それと共にまた過去の学風に追従していることによって現代支那の新しい学者からもあなどられるようなことがなければ幸である。旧と新とにかかわるのではない。過去の支那の学問のしかたが学術的でなく、新しいのがともかくも学術的方法をとろうとしている点に意味があるのである。
 日本の支那学の使命はこれまでの学界のこういう欠点を補い、現代の学術的方法によってあらゆる支那の文化を研究してゆくところにその使命があるのであるが、上に述べたような儒者的な学問のしかたに対する、従ってまた儒教そのものと儒者の崇拝する過去の支那文化とに対する、徹底的な根本的な批判がそれによって始めて行われるであろう。現代においてはそういう批判を儒教に対し支那文化に対して加えることが、さしあたっての支那学の第一の使命であるといってもよいほどである。
 第二は支那の学界に対する日本の支那学の使命である。現代支那の若い学界に正しい意義での学術的研究の気運が開かれていることは既に述べたとおりであるが、研究そのことはさして進んでいるとはいい難い。そこにはなお記誦をつとめる昔からの因襲が残っていたり、学術的研究の方法についての理解が十分でなく、論理的実証的に事物を考えてゆく用意が足りなかったり、あるいはまた伝統の権威が或る程度にはたらいていたり、ヨオロッパ人やアメリカ人の見解なり学説なりにひきずられている点があったりするので、それらの事情のためにこういう状態にあるのであろう。一例を挙げると、いわゆる殷墟いんきょ出土の甲骨文字の取扱いかたの如きにもそれがあるのではなかろうか。あのようなものがいかなる時代に何のために作られたか、またそれにいかなる価値があるかは、いろいろの方面からの精細なる学術的研究を経た上でなくては決められないものであるにかかわらず、そういう研究を経ずして手がるに殷代のものと定められたのみならず、それによって殷代文化というものを臆測しようとするような性急なことさえも考えられている。近年に至って考古学的発掘事業が或る程度に行われはしたが、それによってすぐに殷代のものであることが帰結せられるかどうかは疑わしいし、またこの問題は考古学的調査によってのみきめられるものでもない。もしその文字が果して卜に関するものであるとするならば、何のためにそういうものを甲骨に刻したのであるか。卜が焼かれた甲骨のひびわれのあとを見ることによって行われたものならば、焼く前にそれに文字を刻するというのは解しがたいことであり、またそのひびわれの迹のある甲骨は神聖なものであるから、卜した後にそれに文字を刻するのはその神聖を傷けるものではないか。焼かない前においても甲骨は神聖なものとせられたはずである。あるいはそういうことを問題としないでも、仮に文字を刻することが実際の風習として行われたとするならば、それは少くとも卜に必要のないことが卜に附加せられたもの、卜の方式の複雑化せられたものであり、従って後世のことでなければならぬのに、卜に関する記録の後に伝えられている時代になっては、毫もそういうことの行われたらしい形跡が見えず、そうしてそれよりも遥に古い上代においてそういうことがあったというのは、卜の方式の歴史的変化の順序に相応しないものではないか。この点については支那のいろいろの占いの術とその歴史との上から、また世界の諸民族の占いの方式との比較対照の上から、総じては一般の原始的宗教や呪術じゅじゅつやに関する学術的研究の上から、こまかに考えられねばならぬことであるが、そういう研究が十分に試みられたかどうか。これは一つの問題を挙げたに過ぎないので、他にも研究すべき困難の問題がいろいろある。今一々それを述べないが、そういう研究を経ず、それらの問題に一々明かな解釈を施さずして、甲骨文字を遠い上代のものとするのは、学術的の取扱いかたとして周到な用意があったとはいいかねる。ここでいうのは、甲骨文字がいかなるものであるかの問題ではなく、支那の学者のその取扱いかたが学術的であるかどうかの点であるが、実をいうと、はじめてこの甲骨のもてはやされたのが、学術上の見解からではなくして、文字を愛する支那人の習癖、いわば一種の骨董癖、から出たことであるので、それから生じた愛翫的態度が後までも除かれないでいるのではないかと疑われる。さすればその取扱いかたに真の学術的研究の方法と見なしがたいところのあるのも、当然であろうが、それはやがて現代の支那学界の進歩の程度を示す重要な一例を示すものではあるまいか。しかしそういう欠点があるにしても、現代支那に学術的研究の気運が開け、方面によっては相当の業績の現われていることも、また事実である。もしそうならば、こういう気運をできるだけ助成し若い支那の学者と手を携えて支那文化の研究を進めてゆくのが、日本の支那学の使命でなければならぬ。そうしてそうするには、日本みずからにおいて一日も早く学術的でない従来の支那に関する学問のしかたをうちすて、新しい正しい支那学をさかんにして、それによって支那の学界がおのずから指導せられるように努力しなければならぬ。日本の支那学が支那の学問よりも進んだ状態になり、日本の学者の支那文化に対する批判が正しければ、支那の学者はおのずから日本の学術を尊敬し、意識してもしなくても、それに指導せられるようになる。そうして学術的研究の方法を理解する点において支那人よりは少くとも幾日か長じている日本人には、これは決してむつかしいことではない。日本人の自然科学における業績を見れば、このことは明かである。ただ長い間の因襲のために、支那に関する学問においては日本人のこの学術的能力が有効なはたらきをしなかったのみである。
 第三にはヨオロッパやアメリカの支那学に対する日本の支那学の使命である。西洋の支那学者の熱心と精励と努力とに対しては十分に敬意を表するし、その業績にりっぱなもののあることも明かであるが、しかしすべての業績がよいものであるとは限らぬ。概していうと、歴史上の研究とか考古学的なしごととかにおいては、すぐれたものがあるが、思想の問題になると、かなり様子が違う。儒家や道家の思想を考えるに当っても、その基礎的資料としては、過去の支那の学者の説なり古くからの伝統的思想なりをそのままうけ入れ、それに対して学術的検討の加えられていないものがあり、文芸を語っても見当ちがいの臆断が少なくないようである。あるいはまたヨオロッパ人やアメリカ人の思想にあてはめて、またはそれから類推することによって、支那の思想を考えるという弊もある。西洋の学者の論著を多く読んではいないので、断定的のことばを用いることを避けるが、わずかばかり見たところから、こういう感じをうけている。日本人の思想についての西洋人の観察に正しいものが極めて少いという事実からも、このことは類推してよいと思う。そうしてこれは西洋の学者としてはむりのないことであろう。西洋の学者にすぐれた業績のあることを見のがしてはならず、尊重すべきものを尊重するにやぶさかであってはならぬが、それと共にまた彼らのしごとと彼らの能力とを買いかぶってはならぬ。横文字で書いてあるから優れたものだと思うような迷妄をとりのけることは、支那学においてもまた必要である。過去の支那に行われていた因襲的な考が、西洋の学者の頭をとおして横文字になって現われると、その考が日本人の間に権威を生ずる、というような笑うべき状態をうち破らねばならぬことは、いうまでもない。要するに西洋の学者の支那思想に関する研究には幼稚な点がある。そう思うと、こういう程度の西洋の支那学の研究を指導してゆくのは、日本の学者の任務であることが考えられる。日本人は今、西洋に発達した学術上の知識とその研究の方法とをよく理解していて、この点においては西洋の学者と同じ能力を有っている。そうして支那の書物を読みその思想を理解する力は彼らよりも優れている。支那学においては日本がヨオロッパやアメリカよりも高い地位を占めなければならず、また占め得られるものである。
 第四は、必ずしも支那学というものに限らず、また日本とか支那とか西洋とかの区別に特殊のかかわりのない、一般の学問の進歩に対する日本の支那学の使命である。現代の文化科学はどの方面のも西洋において一応かたちづくられたものであるから、それには西洋に特殊な社会なり文化なりに本づいた見解が多く含まれ、また西洋の外の文化民族の生活や思想がその資料として用いられていない場合が多い。従ってその学説にはかなり偏頗へんぱなところがある。しかるにそれが一般的世界的意義をもつ学術の形を具えているために、そういう学説に普遍的価値があるように見なされ、支那の社会や文化をもそれにあてはめて解釈しようとするようなことさえ行われがちである。西洋で形づくられたいろいろの学説がすべて西洋の外の文化民族にはあてはまらぬというのではなく、そういう学説を生み出した学術的研究そのものがいけないというのではなおさらない。ただ上に述べたような欠陥があるというのである。そこでこの欠陥を補い、いろいろの文化科学に真の普遍性をもたせるようにするのが、われわれ日本の学徒の任務である。これは勿論、支那に関することのみの話ではないが、支那のこともその一つであり、日本の支那学が発達し、それによって日本の支那文化の研究がりっぱにできてゆくならば、その一部面からだけでも、世界的意義をもつ文化科学に新しい資料を提供し、日本人の思索によってヨオロッパ人の見解を修正してゆくことができるはずである。学術は世界性をもたねばならぬ。それについては日本人や支那人がそれぞれの偏見をはたらかせてはならぬと同じく、ヨオロッパ人やアメリカ人の偏見もまた正されねばならぬのである。

 以上は純粋な学術的見地に立ってのことであるが、学術はどこまでも学術としての権威をもち学術としての使命をもたねばならず、そうすることによって始めて世界の文化を進めてゆくことができるのであるが、しかし一面にはまた学徒の属する民族的活動なりその時代の世界の動きなりに対して学術自身の立場から直接に貢献するところがなければならぬ。そこで第一に事変下の今日の日本においては、支那の文化、支那人の生活についての正しい知識をすべての日本人に与えることが、この意味での支那学のさしあたっての使命であろう。昔の儒者によって支那の文化に関するまちがった知識が与えられ、その知識がまだ十分にぬけきらないでいるような状態だからである。日本の一部の知識人においては、日本も支那も同じく儒教国であるというようなことが漠然と考えられ、支那人の道徳観念が日本人のと同じであるようにさえ何となく思われているらしく、従って日本人に対すると同じ態度で支那人に対するようなことがありがちであり、それがために思わぬ失敗を招くことが多い。だからそういう考のあやまりを正すだけでも、今日においては意味のあることである。日本が儒教国でないことはいうまでもなく、支那においても儒教は帝王の権力を固めるために利用せられたのと官吏となることを畢生ひっせいの目的としていた知識人がその官吏となるに必要な知識として学習せられて来たのと、この二つの外には殆どはたらきをもたなかった。勿論これだけの事実は、少しく支那の実情を知っているものならば、たれにでもわかっていることであって、特殊なる学術的研究をまって始めて知り得られることではないが、日本人が支那に対してはたらくために必要な知識であってしかも綿密な学術的研究によってでなくては知り得られないことが、極めて多い。支那の政治、社会、道徳、宗教、家族形態、村落組織、土地制度、一々数え挙げるまでもなく、要するに支那人の生活のすべての方面の実際状態がそれである。あるいはまた地方による習俗や気風のちがい、知識人と一般民衆との思想及び感情の差異を考えることも必要であり、なお日本が支那にはたらきかけるについて最も大切な、そうしてまた周到な研究を要することがらとして、支那人の民族意識民族感情についてのさまざまな問題があるであろう。今日の世界の動きにおいて、その原動力となっているものの一つは「民族」の観念であり、そうして支那の知識人にもいろいろの事情から新しく強められて来た民族意識が存在し、刺戟の如何によっては民族感情の昂進する場合があるべきことを予想しなければならぬからである。これらのうちには実際に支那人と接触することによって知られることの多いものもあるが、しかしそれが確実性を有つには、それぞれのことがらについての歴史的由来を明かにすることと、諸方面から与えられた資料を学術的に処理し研究することが必要である。そうしてそういう確実なる知識の上に立って始めて支那に対する正しいはたらきができるはずである。今日において最も必要な用意は、よく現実を凝視し、あらゆる支那の事物に対して冷静な観察を加え、それについてのたしかな知識を得ることである。人々の単なる主張をいたずらに強いことばで宣伝し、ややもすればそのことばその主張にみずから陶酔するようなことがあってはならぬ。国民の志向するところを見定めてそれを簡明に表現することも必要ではあろうが、ことばは机の上でいくらでも作られるが事実はそうはゆかぬということも注意せられねばならぬ。こうはいうものの、かかる知識をすべてにわたって提供し得るほどに今の日本の支那学は進んでいない。目前の要求に応ずることが支那学の方でできないのである。率直にいうと、支那のことは学術的には研究のできていないことばかりである。勿論、部分的にはいろいろの価値ある研究が現われているが、全体から見ると、こういわねばならぬような状態である。ここにはただ支那学にかかる使命のあることを述べるのみである。そうして目前の要求を切実に感ずることによってこの使命が学徒の間に自覚せられ、その自覚によって支那学の研究の大に興らんことを期待するのである。
 第二には支那に対する同じ意味での使命である。支那は今あらゆる方面について支那みずからを反省しなければならぬ時である。支那人は民族としてまた個人としてのその根づよい生活力を有っているにかかわらず、その政治において文化において現在の如き状態にあるのは何故であるか、それは過去の長い間の政治の精神なり文化の本質なりまたは民族性の根本なりにおいて、重大なる欠陥があり、現代の世界に立ってゆくには適合しないものがあるからではないか、あるならばそれは何であるか、いかにしてそういう欠陥のある政治が行われ文化が形成せられまたは民族性が養成せられたのであるか、これらのことを十分に反省しなければならぬ。支那の若い知識人には既にかかる反省があり、過去の支那の文化や政治に対する批判的態度がとられ、それに伴って新しい政治、新しい文化を建設し民族生活を改善しようとする運動が行われた。しかしその反省と批判とが十分でなく、そういう運動そのものに過去の因襲や民族性の欠陥がからまっていて、それがために現在の破局が導かれた。しかしこれは決して過去の政治、過去の文化が肯定せられその復活が要求せられることではない。過去の政治、過去の文化に大なる欠陥のあることはあまりにも明かな事実である。必要なのは上記の反省と批判とを徹底させ、それを基礎として改新の運動が正しい方向をとってゆくことである。しかしそういう反省と批判とは過去の生活の誠実な学術的研究によらねばならぬが、支那人自身においては、上に述べたところからもおのずから知られるように、それにはいろいろの困難がある。そこで日本の支那学がおのずからそれを助けてゆくことにならねばならぬ。支那人がこういう意味において日本人の研究をうけ入れるかどうかというと、支那人の性質としてはそれにもまた多くの困難があろう。しかし日本人の研究がたしかであり、そうしてそれが支那をよくするやくにたつことがわかって来れば、支那人とてもそれを承認しなければならなくなる。
 第三に考えねばならぬのは、ヨオロッパ人やアメリカ人に支那の真相を知らせる使命を有っているということである。西洋の支那学は、それが純粋なる学術的研究である限り、概していうと特殊な学問的興味からのしごとであって、一般人に対して支那を知らせるやくにはあまりたっていない。一般人の支那に関する知識は、そういう支那学からではなくして、現に支那においてはたらいている宣教師や通信員や外交員や実業家やによって与えられているようであるが、かかる方面の人々の意見には、業務の性質上、いずれも偏執がありがちであるのみならず、自分らの接触しているところから得た感想で全体を臆測したり、現在の事態のみを見てその歴史的由来などを考えるいとまがないためにその事態の真相を解しなかったり、するような欠陥のあることを免れない。従って支那の真相が一般の西洋人には知られないことになる。だから支那についての正しい知識を彼等に与えるのは、公平な学術的研究を生命とする支那学の力によらねばならず、日本の支那学は進んでそういう任務をひきうけなければならぬのである。以上が実世間に対する日本の支那学の使命についての私見である。

 こんなことをいって来ると、学術的研究そのことについても実世間に対するはたらきについても、徒らに大言壮語をするように思われるかも知れぬが、日本人は日本人の支那学をそこまでもってゆかねばならず、またもってゆくだけの能力を十分に有っていると、わたくしは確信する。学術的研究についていうと、事実、史学とか考古学とかいう方面では、今日の状態においてでも、支那に対し世界に対して日本人のこの能力を示すだけの業績を少からず有っている。ただ支那学の全体から見ると、残念ながら、上記の使命に適応するだけのしごとをしているとはいい得られず、そこまでゆくにはまだまだ大なるへだたりがある。日本人が支那に対して実際的のはたらきをするための基礎的知識として要求せられていることをすら、今日の支那学は提供することができないでいるような状態ではないか。これにはいろいろの理由があるので、その第一は、これまでの日本において真の学術的研究とその精神とが尊重せられず、学術の権威も認められず、従って研究のために必要な費用も供給せられず、学者も多く養成せられなかったということである。学術の研究には小さいことがらについてでも長い時間がかかるということすら、一般には知られていない。純粋なる学術的研究、研究室内の研究は実務のやくにたたぬ無用のもののように考え、それでありながら何らかの必要が起ると急に学者を利用しようとしたり、学術上の素養もなく知識もないものが学術的研究にくちばしをいれようとしたり、そういうようなことさえもなかったとはいいがたいが、これではまじめな学術の研究が盛にならなかったのは、むりもなかろう。次に全体の学界の傾向からいうと、ヨオロッパやアメリカからは学ぶべきものが多いが支那からは何も学ぶべきものがないために、学者の注意がそれに向けられなかったということが考えられよう。ただ支那思想を取扱う方面のみには、はじめにも述べた如く、支那に関する学問は支那のことを支那から学び支那を手本としてそのまねをするものだという昔風の考えかたが今なお或る程度に残っていて、それがために過去の支那の思想に権威を認め、過去の支那の学者の言説やその考えかたに追従することが学問であり学問のしかたであるようにさえ思いなされ、日本において支那の思想や学問の伝統から離れ支那思想そのものを批判する意味での支那学をうちたてるということすらも多くは思慮せられなかった。これがこの方面での支那学の発達しなかった重大の理由であろう。こういう状態であったから、日本の支那学を支那に進出させ世界に進出させようとするようなことは、なおさら考えられなかったのである。(支那の学問に追従する学問では支那に進出する資格はなく、そういう学問については支那は日本人の力をかりる必要がない。)もし率直にいうことを許されるならば、この方面は日本の学界においても進歩の最もおくれているものであるといわねばなるまい。それにはまたそうなるべきいろいろの事情もあったのであるが、ともかくこれが事実である。しかし理由がどこにあるにせよ、支那学の現在は、全体から見ると、満足すべき状態でもなく、世界に対して誇るべき有様でもないことは明かである。
 しかし日本の支那学に上に述べたような使命があり、そうしてその使命を遂げ得るだけの能力を日本人が有っているとすれば、日本人はあらゆる力を傾けてその使命が遂げられるような状態に支那学を進めてゆかねばならぬ。或る民族の活動において民族的優秀性を示すことの最も大なるものの一つは学術の研究であり、本質的に世界性を有っているものもまたそれである。学術上の業績こそは、何らの摩擦もなく利害の衝突もなく、どの民族にもうけ入れられ世界に公認せられる。そうして世界の文化を発展させる原動力となる。自然科学とは違って文化科学については、いろいろの意味での民族的感情などが、一時的にはたらくおそれもないではないが、終局においては学術の世界性は確実に保たれる。日本はこの意味であらゆる学術の研究を振興させねばならず、それが世界における日本の地位を高める最も近い道すじであり、支那の知識人に対して日本の民族の優秀性を示すにも、これが第一の方法である。もし日本の学術が、支那自身はいうまでもなく、ヨオロッパよりもアメリカよりも優れている状態であるならば、支那の知識人は、少くともその点において、日本を尊敬しないではいられず、日本を師としてそれから学ぶことを考えねばならなくなる。現に日本が現代の自然科学の研究において支那よりも発達していることは、支那人とても知っているので、その点では日本を或る程度に尊重してもいようが、ただヨオロッパやアメリカの方が日本よりも優れていると考えているために、その尊重心が十分でないのである。日本が支那の文化を進めることに力を入れようとするならば、今日の学界の状態においてでも、この科学の力を以てし、その力を支那人の実生活に利益を与える事業の上に実現させてゆくのが最も適切な方法であり、それより外に方法はないといってもよいほどであるが、日本の科学が世界において最も発達したものとなるならば、日本の文化を尊重しそれに信頼する念はおのずから支那人の間に湧いて来るに違いない。文化工作という語があるが、ことさらに工作を加えるのではなくして自然に日本の文化に信頼するこころもちが起るようにするのが大切であろう。このことは文化科学においてもまた同様であり、支那学もまたその一つでなければならぬ。ただ文化科学の真価は自然科学のに比べて遥かにわかりにくいものであり、特に支那学については、その研究の対象が支那のことがらであるために、支那人には受入れられがたい一面もあるが、それと共にまた理解せられやすい一面もある。いずれにしても、卓越した支那研究が日本人によって提供せられるということは、支那人に日本の学術、従って日本の文化、を尊重させるについて大なるはたらきをなすものである。(反対に日本の支那学が支那の学問に追従するものであるとすれば、それは支那人の軽侮を招く外に効果はない。)もっともそれには、文化科学のすべての方面の研究において日本が支那よりも優れていることの実証を示す必要があり、この点においては日本の学者みずからにおいてもそのしごとが支那人のより優れていることの自信を有たねばならぬ。日本人が支那人に対し漫然たる人種的優越感を以て臨むようなことはもとより避けねばならぬが、事実優越していることについては、それだけの自信をもつことは必要である。支那人をして日本人に対する優越感を有たせるようなことがあってならぬことは、いうまでもない。日本の文化が支那の文化の助をかりなければならないような状態は、現在において絶対にないからである。
 ただ日本の支那学が上に述べたようなはたらきをするには、世間のいろいろの風潮に動かされず、あらゆる偏執に囚われず、大言壮語と性急なまにあわせの判断とをさけ、実用に縁遠いと思われるような問題にも学術的価値のあることには十分に力を入れると共に、一つのことがらについても各方面各分科からの周到なる専門的な観察を綜合して考えることを怠らず、要するに現代の学術の精神と方法とを誠実に守ると共に、学術の権威をどこまでも失わず、学術的良心によって、おちついて慎重に、研究をつづけなければならぬ。そうしてこういう態度で研究せられたものによってこそ、支那に関する正しい知識を世間に提供し目前の実務に対して真の貢献をすることもできるのである。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「中央公論 六一八」
   1939(昭和14)年3月
初出:「中央公論 六一八」
   1939(昭和14)年3月
入力:門田裕志
校正:フクポー
2017年9月24日作成
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