仏教史家に一言す

津田左右吉




 歴史家に要する資格のさまざまあるが中に、公平といふことがその重要なるものの一なるは争ふべからず。公平とは読んで字の如く一見甚だ明かなるが如くなれど、細かに考ふれば真に公平を保つは容易のことにあらず。公平とは私偏を挟まぬこと、即ち事実を観察するに予め成見を抱かず、議論をなすに故意の造作を為さざること等にして、これらは史家の心掛け次第にて、随分避くるを得べしとす。されど人々の偏見は故意ならぬ所にも甚だ多し。単に人の性質の上より見むも、君子の胸臆は小人の忖度そんたくする能はざる所、英雄の心事また凡人の測知し難き分ならずや。理窟をいはば如何様いかようにもいはるるものにして、人の意見とか議論とかいふもの、表面はいかめしき理論や証拠やの物具もて固めをるといへども、その裏面を探れば、極々の奥底は概してその人の性質・経験等より出でたる偏狭なる、自家一箇の感情に過ぎず。しかもかくの如きは人の多く自覚せざる所、いはゆる知らずらずの間にかくなりゆくものにして、自らはつゆばかりも私情を挟まざる公明なる理論をなすと確信しをるなり。あるいは智識と感情とは往々衝突するものにして、理窟は右なりと思へど感情の為に左せらるること多しといふものあり。かかる場合もなきにあらねど、概していはば、智識と感情とはかく明かに分ち得べきものに非ずして、むしろ両者の知らず識らず一致しをるを常なりとすべし。さらに人々の境遇・経験の異なれる割合には、その議論の存外に同じきやうに見ゆるは、その根本たる人情の一般に相通じをるが故といふべからむか。われらが日常、他人の言ふ所、為す所を見て、何故にかく人々の思慮に差異ありやと驚かれ、我が思ふこと、述ぶることの他人に通ぜざるに逢ひては、如何なればかく人のこころは同じからざるかと怪しまるるは、所詮その感情の甚だしく懸隔せるが故に外ならず。かくごときは政治上の議論にも、社交上の談話にも常にあることなるが、宗教家といふものに至りては殊に甚だしとす。宗教家の理窟は理窟として当てにならぬもの甚だ多く、これに向つて公平を求むるは寧ろ誤れるに非ざるかの観ありとす。
 されどかくいふは故意ならぬ、即ち知らず識らずしておちいれる偏頗へんぱに対するものにして、多少これを恕せむとするもまたむを得ざるに出づといへども、もし為にする所ありて、ことさらに偏私の言をなすものあらば、われらは断じて之を詰責せざるを得ず。殊に公平を第一義とする史学にくちばしるるものに在りては、この点において最も厳格ならむことを要す。今の仏教史を口にするもの、よく此の如きなきを必し得るか。われらはいま一々世上の史論を捉へきたりて之を議するのいとまなしといへども、概していはば、今の仏教史家と称するものが、故意の偏私をその間に挟まんとする傾向あるは、ここに断言をはばからざる所なりとす。いはゆる「誤魔化し」の手段は今の史家においてわれらが往々認むるところなり。
 思ふに我が邦の歴史が一に国学者もしくは儒者の手に収められたりし時代にありては、その仏教に関するものはおおむね圏外に抛擲ほうてきせらるるに非ざれば、すなはち過度もしくは見当違ひの非難を受くるに過ぎざりしが、近時新史学の研究せらるるに及びて、次第にその偏見なりしを発見し、史上の事実も漸くその真相を看破せられて、久しく奈落の底に堕落せられたりし仏教もまた地平線上に現出するに至りたれば、その状あたかも仏教累世の仇敵たる史学が一朝その方向を転じて我が味方となりたるが如く感ぜられ、仏教家なるものすこぶる得意の色を現はし、あるいは更にこの機に乗じて仏教を九天の上に昇らしめんと勉むるに至りぬ。国体も仏教の擁護によりて鞏固きょうこなりき、忠孝の思想は仏教の涵養によりて堅実となれり、仏教は文学を生み、美術を生み、その他の学術の進歩にあずかりて甚だ力ありきとは、今の仏教史家の口癖なるが如し。げに仏教が我が国文明の一要素となり、またその影響が社会の全般に行きわたれるは何人も争ふべきに非ずといへども、仏教とて必ずしもかくの如く善き側をのみ有するには非ず、その政治上・社会上に及ぼせる弊害また決して浅少といふべからざるものあり。いはゆる仏教史家は、何すれぞこれを顧みずして彼のみを誇称し、あるいは時に彼を以てこれを蔽塞せんと勉むるが如き女々しき挙動をかなす。人ややもすればすなはち護法と称するも、此の如き苟且こうしょの手段に依るに非ざれば以て仏教を保護する能はずとせば、保護したりとて何の効かあらむ。もし仏教の価値にして永世滅せず、機に応じてますます顕揚せらるべきものなりとせば、区々たる曲庇遂に何するものぞ。かつて一たび史家の為に地獄に落とされし仏教の新たに娑婆に還りたるを思へば、卿らが軽挙して天上界に浮かばせんと勉むるものも、遂には再び下界に沈み来るべし。われら頃日けいじつ二、三の仏教史論を読み、その公平の見を欠くを歎じ、一言以て仏教史家といふものに贈る。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
底本の親本:「密厳教報 一六六」
   1896(明治29)年8月
初出:「密厳教報 一六六」
   1896(明治29)年8月
※初出時の署名は、小竹主です。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:坂本真一
校正:小林繁雄
2011年12月22日作成
2012年4月7日修正
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