歴史の学に於ける「人」の回復

津田左右吉




一 歴史とは何か


 世界の文化民族の多くは、その文化が或る程度に発達して文字が用いられて来ると、今日常識的に歴史的記録といわれるようなものを何らかの形において作り、そうしてそれを後世に伝えた。そういうものの由来、特にその前の段階としてのいい伝えのこととか、民族によるその特殊性とか、またはそれらがどれだけ事実を伝えているかとか、いうようなことは、別の問題として、今はただそれらが主として人のしたこと人の行動を記したものであること、従ってまたその記述がほぼ時間的進行の形をとったもの、いいかえると何ほどか年代記的性質を帯びているものであること、を回想したい。自然界の異変などが記されていても、それは人がそれに対して何ごとかをし、またそれが人の行動に何らかのはたらきをするからのことであり、個人の行動ではなくして一般的な社会状態などが語られている場合があるにしても、それはもとより人がその状態を作り、またその状態の下において行動するからのことである。上代の歴史的記録がかかるものであることは、人がその民族の生活において、何ごとを重要視し、何ごとを知ろうとし、何ごとを後に伝えようとしたか、を示すものであって、それは歴史の本質にかかわることなのである。勿論、今日の歴史学にとっては、そういうものはただ何らかの意味での史料となるに過ぎないものであるが、歴史学の本質はやはり同じところにある。歴史上の現象はどんなことでもすべてが人のしたこと人の行動だからである。
 歴史は人の行動によって形づくられるものである。外面に現われた行動はいうまでもなく、心の動きとても、人の心の動きであるので、それを広義の行動の語に含ませることができよう。ところが人は具体的には個人である。民族の動き社会の動きといっても、現実に行動し思惟し意欲するものは、どこまでも個人である。或る民族の生活様式、風俗、習慣、道徳、宗教的信仰、または一般的な気風というようなもの、その他、その民族において何人にも共通のことがらはいろいろあるが、現実に喜怒哀楽するものは個人である。社会組織とか政治上の制度とか経済機構とかがあって、それが個人といろいろの関係をもっているけれども、現実に行動するものは個人の外にはない。さまざまの集団的な活動がせられ、またいつのまにか行われてゆく社会の動きとか世情の変化とかいうことがあっても、現実には個人の行動があるのみである。集団は単なる個人の集りではなくして、集団としての特殊のはたらきをするものであり、社会の動きもまた単に個人の行動の集められたものではなくして、それとは性質の違った、社会としての、はたらきによる、と考えられる。けれどもそのはたらきは、多くの個人の間に相互にまた幾様にも幾重にもつながれている錯雑した関係において、断えず行われるいろいろのことがらについての、またさまざまの形での、作用と反作用との入りまじったはたらきにおいて、あるいはそれによって、現われる。要するに、多くの個人の心の動きと行動とによってそれが生ずるのである。風俗とか習慣とかいうものの形づくられるのも、また同様である。制度や組織とても、それによって個人が制約せられるが、それを形づくりそれを成りたたせるものはやはり個人間の上記のようなはたらきである。あらゆる歴史的現象は人の行動であり、現実には個人の行動である、ということは、これだけ考えても明かであろう。「現実には」といったが、これは「具体的には」といったのと同じ意義である。社会として集団としてのはたらきとか民族の一般的な気風とか、または風俗習慣とか、そういうものは、人の行動についていう限りにおいては、抽象的な概念である。
 ところが、人が行動すること、何ごとかをすること、は人の生活のはたらきである。人は行動することにおいて生活するのである。そこで、人の生活とはどういうものか、ということを考えてみなければならぬ。それについて第一に考えられるのは、生活は時間的に進行するもの、いいかえると過程をもつものだ、ということである。人のすることは、どんな小さなことにでもその過程がある。よし短時間においてのことであるにせよ、一言一行とても時間的進行の過程のないものはない。第二には、人が何ごとかをするのは、現在の状態を変えることだ、ということである。一言一行でも、それをいわない前しない前といった後した後とでは、それを聞いた人しかけられた人またはそれにあずかる事物に、何ほどかの変化を与えるのみならず、それによって自己自身に変化が生ずる。外に現われた言行でなく自己の心の動きだけでも、その前と後とではその心理に変化がある。けれどもまたそれと共に、自己は自己として持続せられている。今日の自己は昨日の自己ではないが、それと共に昨日の自己である。だからこそ変化があるのである。
 第三には、生活は断えず動いていて一刻も静止していない、ということである。人は常に何ごとかをいい何ごとかをし、何ほどか心をはたらかせていて、そのために断えず生活が変化しているからである。その動きかたはいろいろであって、大きく強いこともあれば小さく弱いこともあり、突如として激しい動きの起るように見えることもあれば、徐々に動くともなく動いていることもあり、その徐々な小さい動きも、動くそのことの力によって、あるいは他からの刺戟によって、大きな動きとなることもある。そうしていかなる動きかたをするにしても、その動きは順次に前のをうけて後のを起してゆくから、生活の動きは断えることなく連続している。従ってその間にくぎりをつけることはできない。生活は一つの生活として一貫しているのである。この意味では今日の自己が昨日の自己であるのみならず、遥かへだたった前からの自己であり、遥か後までの自己なのである。そこで、第四としてこういうことが考えられる。それは、どんな一言一行でも、上記の如き生活の変化によって、あるいはその他の道すじによって、そのはたらきをかならず後の生活に及ぼす、ということである。そのはたらきが時を隔てた後に現われることもあり、明かに知られずして行われることもあるが、それのないことはない。そのはたらきに大小強弱のちがいはあっても、一たびしたことはそのまま消滅してしまうものではない。第五には、断えず動いている生活は一刻ごとにそれぞれの特異な姿をもち特異なはたらきをするので、二度と同じ状態にあることがない、ということである。一こというにも、その時の気分、即ち生理的心理的状態、ふと思い出したこと、あいての人物や態度、対談のゆきがかり、周囲の状況、及びその他さまざまの条件、がはたらきあって、そのいうことといいかたとがきまるのであるが、これらの条件の一つ一つが、またそれぞれにさまざまの条件とそのはたらきあいとによってできているから、そういう多くの条件が同じように具わり同じようにはたらきあうことが二度あるはずはなく、従って同じことは二度とはいわれないのである。
 第六には、生活を動かしてゆくものは、概していうと、心のはたらきだということである。ここに心のはたらきというのは、理智のみのことではなく、意欲、情感、一くちに生活気分といわれるようなもの、を含めてのことであって、実際に人の生活を動かすものは主として後の方の力であると考えられる。しかしこれらの心のいろいろのはたらきは必しも常に調和しているのではなく、その間に齟齬そごのあることがあり、時には衝突も生ずる。思想とても、多くの異質のもの、互に一致しない考えかたから構成せられたもの、を併せもっていることがある。従って、そういう心のはたらきが生活を動かしてゆく動かしかたも単純ではない。第七には、人の生活は一つの生活であるが、それには多方面がある、ということである。衣食住に関すること、職業または職務に関すること、娯楽に関すること、家庭の人として、社会の人として、またはその他の関係においての人として、のそれぞれのしごと、数え挙げればなおいろいろあろうが、人の生活にはこれらの多方面があり、そうしてそれらが互にはたらきあって一つの生活を形づくるのである。しかしそのうちには、性質の異なるもの、由来の同じからざるもの、互に調和しがたいものもあって、その間に衝突の起る場合が少なくない。そのために生活の破綻が生ずることさえもある。人はこういう生活をしているのである。いわば多方面の生活が一つの生活なのであって、それ故にこそ時に生活の破綻も生ずるのである。
 さて第八には、人は孤立して生活するのではないから、一言一行に他人との、また集団としての社会との、交渉をもつものであり、一くちにいうと生活は社会的のものだ、ということであるが、これについては多くいう必要があるまい。ただ他の個人との交渉が相互的のものであることはいうまでもなく、社会との関係においても、社会のはたらきを受けながら社会にはたらきかけるのが人の生活であることを忘れてはなるまい。上にもいった如く、もともと社会というものが多くの人のはたらきあいによって形づくれているものなのである。第九には、人の生活は歴史的のものであり、人は民族または国民としての長い歴史のうちに生活しているものだ、ということである。人の思想が多くの異質のものを含んでいるのも、生活の多くの方面に調和しがたいもののあるのも、民族史国民史のいろいろの段階において生じたものが共に存在しているところに原因のあることが、少なくない。
 最後に第十として、生活するについての人の態度を一言しておこう。生活は自己の生活である。しかしそれは、物質的精神的社会的自然的ないろいろの力いろいろのことがらがはたらきあって生ずる環境のうちにおいて営まれる。人はこの環境のはたらきをうけつつ、それに対応して、それを自己の生活に適合するようにしてゆこうとする。そこに生活の主体たる人の力があり、生活そのものの意味がある。人は環境に対して受動的な地位にあるのみではなくして、能動的なはたらきをするのである。けれども環境の力は強い。のみならず、この環境は、それを形づくるものの間に調和のない場合が多く、またそれにも常に変化がある。従って人の生活の環境から受けるはたらきにも混乱がありがちである。そこで人は、ともすれば環境に圧倒せられ、あるいはそれによって生活をかき乱される。ただ剛毅なる精神と確乎たる生活の理念とをもっているものが、よく環境に対して能動的なはたらきをなし、生活の主体としての人の力を発揮し、生活をして真の生活たらしめる。かかる人において、生活が人の生活であり自己の生活であることが、最もよく知られる。
 以上は個人の生活についてのかんがえであるが、民族生活とか国民生活とかの如く、集団の生活ということが、一種の比擬的な意義において、いい得られるならば、そういう生活についても同じことが考えられよう。上にいった如く人の行動は具体的にはすべて個人の行動であるが、その多くの個人の行動が互にはたらきあうことにおいて、一つの集団としてのはたらきが生ずるとすれば、それを集団それ自身の生活と称することができるであろう。そうしてその生活は個人のに比擬して考えられるのである。ただ集団の生活を動かす心的なはたらきは個人の場合よりも遥かに複雑であり、生活そのもののはたらきも遥かに多方面であり、特に生活の主体が多くの個人によって形づくられていることが、個人の生活とは同じでなく、従ってそのはたらきかたにも個人のとは違ったところがあるが、その性質は同じである。その他においては、集団の生活は個人のについて上にいったことがほぼあてはまる。この意味においては集団の生活もまた具体的のものである。
 ここまでいって来て、問題を歴史に立ちかえらせる。歴史は生活の姿であるが、通常の場合、それは個人の生活をいうのではなくして集団生活、特に民族生活または国民生活、をさしていうのである。さて生活は断えず生活する自己を変化させつつ時間的に進行してゆくので、その進行の過程がそのまま歴史なのである。ただそれが歴史として人の知識に入って来るのは、その過程のうちの或る地点に立って、それまで経過して来た過程をふりかえって見る時のことである。生活は断えず進行してゆくから、進行している或る現在の瞬間にこの地点を定める時、過去からの生活の過程が歴史として現われて来るのである。これが普通の意義での歴史であるが、歴史が生活の過程であるとすれば、現在の瞬間から更に先きの方に進行してゆくその過程、即ち未来の生活、もまた歴史であるべきはずであるから、歴史の語の意義を一転させて、人は常に歴史を作ってゆく、というようないいかたをすることもできる。あるいは、未来の生活の進行におけるその時々の現在の地点に立って、その時までの過程をふりかえって見れば、今から見ると未来である生活が過去の生活として眺められ、普通の意義での歴史がそこに見られるのだ、といってよかろう。この地点は刻々にさきの方に移ってゆくから、歴史の過程は次第次第にさきの方に伸びてゆく。しかし、未来に作られてゆく歴史の如何いかなるものであるかは、現在からは知ることができぬ。そこで、うしろを向けば作られて来た歴史が知られるが、前を向けば知られない歴史を刻々に作ってゆくことだけがわかる、といわれよう。この知られない歴史を刻々に作ってゆき、知られない歴史を刻々に知られる歴史に転化させてゆくのが、生活なのである。
 さて、歴史が人の生活の過程であるとすれば、それはその本質として具体的なものでなくてはならぬ。歴史を知るということは、具体的な生活の過程を具体的なままに意識の上に再現させることである。しかし、かくして知られた歴史はそれを書き現わさねば歴史としての用をなさぬ。そこでそれを書くことになるが、その書きかたは、知られた歴史をそのままに、即ち具体的な生活の過程を具体的なままに、叙述することでなくてはならぬ。刻々に作ってゆく歴史を、作って来たものとして見る立場に立って、その作って来た過程を具体的な過程のままに再現し叙述するのが、歴史を書くことなのである。勿論、或る時代の文化状態、或る社会の組織構造、または一般的の風俗習慣気風、というようなことを概念として構成し把握するのも、具体的の生活過程を知るため、また書くため、の一つの方法として必要ではあるが、歴史そのものの本質はそこにあるのではない。最初にいったような多くの民族が昔から作って来た歴史的記録が歴史の本質にかかわるものだというのも、このことから考えられるのであって、人の行動を記したもの、年代記的性質を帯びたものは、生活の過程をそのままに知り、そのままに叙述すべき歴史の使命と、おのずから一致するところがある。かかる歴史を知りまた叙述することは、古今を通じ諸民族を通じての人生の内的要求から出たことなのである。
 しかし、こういう風に歴史を知ること書くことが果してできるであろうか。上に過去の生活の過程は知られる歴史であるといったが、「知られる」というのは歴史の性質のことであって、実際はその歴史がすべて知られているというのではなく、また知り得られるというのでもない。かかる歴史を知るのは、いろいろの形での、またいろいろの意義で用をなす、史料によるのであるが、その史料は知ろうとする歴史の全体からいうと極めて僅かしかなく、そうしてその僅かなものにも誤謬や偏僻やまたはその他のいろいろの欠点がありがちであるから、史料を取扱うには特殊の用意がなくてはならぬ。そこで歴史の研究の方法論というようなものが生じ、それによって歴史の学問が成りたつことになるが、どんな方法を用いるにせよ、知られないことは知られないから、そこに歴史の学の限界がある。しかし今はそういうことには立ち入らない。ただ歴史的現象は人の生活であり、人の行動であるから、歴史を知るには何よりも「人」を知らねばならず、そうして「人」を知るには、知ろうとするもの自身がそれを知り得るだけの「人」であることが必要である、ということと、知るということは、生活とその過程と、即ち生きている人の生きている生活、断えず未来に向って歴史を作って来たその過程、を具体的のイメェジとして観ずる意義であることと、この二つのことをいっておきたい。過ぎ去った生活を意識の上に再現すると上にいったのは、このことである。そうすることによって、歴史を叙述することもできるのである。そうしてそれは、「人」に対する鋭い洞察と深い同情とをもち、具体的なイメェジを作るゆたかな想像力を具えているもの、一くちにいうと詩人的な資質をもつもの、にして始めてなし得られる。歴史を研究するのは学問であり、それを科学といってもよいが、歴史を知りまた書くのは、詩人でなくてはならぬ。歴史には知られないところがあるから、詩人とてもその限界を越えることはできないが、その限界の内においても、通常の意義においての学問だけのしごとではないところに、歴史を知ることの特殊の意味がある。
 しかし、学問として歴史を研究するためには、なお重要なしごとのあることを、ここにいっておかねばならぬ。生活の過程は複雑なもの、また波瀾起伏に富むものであり、多くのことがらがこみ入った関係でからみあい、もつれあい、または摩擦しあい衝突しあい、そうしてその一つ一つの力が強くなったり、弱くなったり、時に顕われ時に隠れたり、あるいは前からのものがなくなって、新しいものが生じたりするのみならず、それらのはたらきあう状態も断えず変化してゆくのであるから、それを一つの生活の過程として意識の上に再現させることは、実は甚だむつかしいことである。そのためにはからみあっているものを一すじ一すじに細かくほぐして、一々その性質を究め、その由来や行くえをたどって、どこからどこへどうつながっているかを明かにすると共に、その間のもつれあいかたとその変化とを見、そうしてそれらがどうはたらきあいどう動いて全体としての生活となり、生活の上のどんな事件をどう起し、それがまた新しいどんな事件をどう導き出し、それによってどのように生活を進行させて来たかの過程を、考えてみなくてはならぬ。こういう風にして生活の変化して来た道すじを明かにするのが、歴史を知るために必要なしごとである。これは通俗に因果の関係を考えるといわれていることに当るのであるが、このいいかたは妥当でないと思う。さてこういうしごとをした後において、始めて生活の過程の正しいイメェジを具体的な姿で思い浮かべることができるのである。のみならず、それによって史料がないために知られないことの推測せられる場合があり、歴史の限界が幾らかは広められないにも限らぬ。ただしこれは一般的な方法論などを適用するのみではできず、具体的な現実の生活に接して始めてできることであるが、それには、観察と思惟とが綿密また正確であり、特にさまざまのことがらにおいてそれを統一する精神を見出す哲学者的な資質が要求せられる。けれども、そのしごとはどこまでも具体的な生活の真相を明かにするところにあるので、抽象的な観念なり理論なりを構成することではない。上にもいった如く、何ごとかを概念として把握するのは、思惟のためには必要でもあるが、それは具体的な生活の過程を理解する一つの方法としてのことである。生活の過程の道すじを知るといっても、それはどこまでも特殊な、二度とは起らない、具体的の、生活、現実の歴史的現象、についてのことである。
 以上は、これまでおりにふれて筆にしたことを含んでもいるし、全体が講義めいたものになってもいるので、ここでいうにはふさわしからぬ感じがするが、次にいおうとすることの根拠となり前提となる考であるから、敢てそれを書いてみることにした。読者の寛恕を希望する。

二 近ごろの歴史研究の一傾向


 歴史は生活の過程であり、歴史を知ることは具体的なその生活の過程を過程のままに意識の上に再現させるところにその本質があるというのがわたくしの考であるが、今の我が国で歴史、特に日本の歴史、の研究と呼ばれているものには、これとは甚しく違った考えかたのものがあり、そうしてそれが好んで歴史を語ろうとする一部の人々の間に流行しているように見える。これはヨウロッパから学ばれたものであるが、の地ではそれとは違った傾向のものもいろいろあるのに、日本では何ごとについても同じ例があるように、何か一つ新しい傾向として伝えられて来ると、それでなくてはならぬように、それのみが流行するのである。勿論、その背景としては、これも同じ性質の流行としての唯物史観があるらしいが、今はそれには立ち入らないこととして、こういう傾向の歴史研究にどれだけの意味があるかを、これから少しばかり考えてみよう。
 近ごろの歴史に関する論文などを見ると、まず気がつくのは、或る時代の政治形態、社会組織、特にその経済機構、または都市や村落や家族やの構成、土地制度、商業上の習慣、工業の状態、もしくはこれらに類似のことがら、一くちにいうと或る時代または或る部面における社会状態(やや適切でないことばづかいのようであるが、しばらくこういっておく)、またはその一般的性質、というようなことを主題としたものが多いことである。次には、社会現象に何らかの一般的法則があることを予想し、もしくはその法則を仮定して、それによって歴史上の事象を判断すること、あるいはそういう法則を求めるのが歴史研究の目的であるかの如き態度をとっているらしいことであって、これは史学をいわゆる社会科学として見ることになろう。この二つの間には密接な関係があるので、第二の如き考えかたをすれば、その取扱う主題がおのずから第一の如きものとなるのである。またこの二つには共通の思想がそれぞれの根柢にあることも考えられるが、これらについては後にいうこととして、まず二つの一つ一つに歴史の学としてどういう価値があるかを吟味してみることにする。
 歴史の研究の主題を上記のようなことに求めるのは、人の生活はすべて社会状態及びその一般的性質によって規定せられる、という考がその根柢にあるからだと推測せられる。なるほど、これは人の生活の一面の事実である。しかし、人はその行動によって社会状態を作ってゆくのが生活の他の一面の事実である。現実においては生活は一つの生活であって、社会状態に制約せられて行動することが即ち新しい社会状態を作ってゆくことであるが、思惟の上ではしばらくこの二面に分けて考えられよう。そこで人が社会状態を作ってゆく一面に注意するならば、歴史の研究において人の行動を主題とするところがなくてはなるまいに、そうはせずして、何よりも社会状態を取扱おうとするのは、上記の如き考えかたのためだと推測せられるのである。けれどもかかる考えかたによって考えられることは、生活の、従って歴史の、一面に過ぎないのみならず、生活の本質は、人がその行動によって断えず生活を新にしてゆくところにあり、そうしてそれは社会状態を変化させてゆくことでもあるから、かかる考えかたは生活の本質にそむき歴史の本質に背くものである、といわねばならぬ。かかる考えかたでは、社会状態によって人の生活が規定せられることを、自然界のはたらきと同じである如く見られているようにさえ思われる。社会状態が機械的に人を動かすものの如く見られているらしいのである。またかかる考えかたは社会状態というものを人の生活に対立して存在する何らかの固定したものの如き感じを人に与えるが、これもまた社会というもの生活ということの事実に背いている。或る時代の社会状態というものがよし知られるとしても、それは断えず動いてゆく歴史の過程を示すものではなくして、いわばその過程の或る断面を見せるものであり、その点からも静止しているものの如き観を呈する。従ってその状態の変化も、一つの断面が忽然として次の断面に変る如く思わせる傾きがある。もともと社会状態というのは抽象的な概念であるから、おのずからこうなるのである。だからそういうものを考えることは具体的な生活の過程であるべき歴史を知ることにはならぬ。
 もう一つ考えねばならぬのは、そういう社会状態をどうして知るか、いいかえるとそういう概念をどうして構成するか、ということである。その資料は、過去の時代のことに関する限り、いわゆる史料による外はないが、史料の多くは何人かの行動、何らかの事件、を記したものであって、直接にこういうことの資料となるものは少い。そうしてそういう性質の史料によって、社会状態を考えようとするには、その行動その事件が如何なる社会状態において生起し得たかを尋ねるか、またはその事件その行動によって如何なる社会状態が形成し得られたかをきわめるか、いずれかの方法をとらねばなるまい。ところが、上にいったような今日流行している考えかたでは、このうちの前の方のがおのずから取られることになろう。が、その場合には上にいったと同じ欠点がその方法にあることになる。もしまた後の方がとられるとするにしても、それにはいろいろの困難があり、そうしてその困難は前の方のにも同じようにある。
 その困難の一つは、史料というものは何ごとを考えるについても極めて少いものであり、それだけではわかりかねることが多い、ということである。もっともこれは或る事件なり或る人の行動なりを具体的に思い浮かべるについても同じことであるが、社会状態というようなことを考える場合にはなおさらである。それを成りたたせる要因が甚だ複雑であるのみならず、それらがみな他のことがらと複雑な交渉をもっているし、またいろいろの事情によって同じことがらとても多くの変異があるからである。例えば或る時代の土地制度を考えようとしても、それの成りたった政治上経済上の事情は複雑であり、またそれはその時代の家族形態や道徳観念や宗教思想やその他のさまざまの文化現象の影響をうけているし、また地理的位置や風土や過去の歴史やその時の土地の所有者や耕作者やの違いによって一様ではないから、今日遺っている少数の文書などによってその一般的状態を推測するためには、いろいろのむりをすることになり易い。その一つは、僅かな史料によって一応或る一般的な仮定を設け、次にその仮定に本づいてその史料を取扱い、そう取扱うことによって逆にその仮定の確実なことが証明せられたように考えることである。こういう方法がむりであることは、いうまでもあるまい。もう一つは、史料以外の何らかの知識によってそれを補うことであるが、その知識が正確なものまたそのことに適切なものである場合はよいとしても、もしそこに何らかの既定概念や、偏見や、特殊の学派的教説や、そういうものの介入するようなことがあり、そのために正確でなくまたそのことに適切でない知識をはたらかせるようになるならば、そこから多くの過誤が生じよう。これほどのことはだれでも知っていて、それだけの用意をしているはずであるが、実際にはかかるむりを犯しかかる過誤に陥ることがありがちである。もともとむつかしいしごとだからである。
 次の困難は、上記の二つの方法の何れを取るにしても、或る社会状態とその状態の下における人の行動なり起った事件なりとの間に必然的の関係があり、またその関係の外には人の行動や事件を起させまたは或る社会状態を成りたたせるものが何もない、ということが予想せられねばならぬが、それはむつかしいということである。人が或る行動をしたり何らかの事件が起ったりするのは、多くの事情の複合したはたらきによることであって、その時の社会状態ばかりによるのではなく、またその事情のうちには偶然性をもっていることが少なくないし、或る社会状態の成りたつのにも多くの要因があって、その時またはそのすぐ前に生じた事件などからのみ形づくられるものではなく、一般的にいうと、遠い昔からの長い歴史がそのために大きなはたらきをしているのであり、また人の行動は社会状態を成りたたせる効果をもつのみでなく、その他のあらゆる生活を動かすものだからである。
 もう一つは、史料に記されているような人の行動なりある事件なりは常に動き常に変化しているものであり、またそれは個人的に違ったところのある多人数の心理と行動との複雑なはたらきあいであるのに、それによって社会状態という静止したものとしての一般的概念を構成することにはむりがある、ということである。そうしてそれは歴史というものの本質にかかわることである。歴史として知ろうとすることは、一つの社会を形成している人々が、どういう心理でどういう行動をなしどういう事件を起し、それが互にどうはたらきあって社会全体がどう動き、その動きがまた人々の上にどんなはたらきをすることによって、社会全体の生活が変ってゆくか、の過程である。社会状態というような概念を構成するのは、かかる過程を知るについての思惟を整理するために或るはたらきをするものであって、その点で意味のあることであるが、それを構成することはむつかしいしごとであると共に、そのはたらきには限界がある。もしてがるにそれを行い、そうしてそれによって逆に現実の社会の動きを思惟の上で規定するようなことをするならば、それは却って歴史を知ることの妨げになるのみであろう。
 以上は、過去の或る時代の何らかの部面における社会状態を考えるについて如何なる史料が用い得られるか、ということからの観察である。勿論史料には、例えば法令とか或る集団に属するものの名籍とか、何らかの規約の如きものを記した文書とか、風俗習慣などを叙したものとか、いう類のものもないではなく、人の行動や事件を記したものには限らぬが、そういうものとても、それに記されていることが実生活においてどうはたらいているかを知らなくては、社会状態を考えるための用をしないので、それを知るにはやはり上にいって来たような性質の史料によらなくてはならぬのである。
 ところで、社会状態については、その状態を状態として知るのみでなく、その一般的性質を明らめることが考えられているので、その方法としては、状態の分析ということが主なるしごととせられているようである。分析といえばその状態をいろいろの要素に分解することであろうが、それにはその多くの要素がどう綜合せられてその状態を形成しているかを観察することが伴うのであろう。分析という語もその方法も多分自然科学から学ばれたものであろうが、社会上の現象は自然界のとは違う。要素といったけれども、その要素は固定しているものでなく、常に動き常に変化している。またそれはそれぞれに独立しているものではなく、要素そのもののうちにおいて既に他の要素と互にはたらきあっている。従ってそのはたらきあう有様が常に変化する。要素といってもそれは人の生活の或る姿であり、人の心理の動き人の行動から成り立っているから、それには自由の意志がはたらき、また捕捉しがたき生活気分というようなものが強い力をもっていて、どう動きどう変化するかの道すじが一定していないものであるし、また人の生活は個人だけのものでないことはいうまでもなく、個人のうちにおいても複雑な心理がはたらいているものだからである。そこで分析ということがどこまでできるかが問題になる。のみならず、自然科学とは違って人のこと社会のことは実験ができないから、その分析の当否を判断することもむつかしい。あるいはまたその方法においても、分析して後に始めて如何なる要素があるかが知られるのでなく、その逆に如何なる要素があるかが、よし漠然ながらにせよ、分析する前に予想せられている場合が多いようにも見える。従ってそれには何らかの既定概念の介入する危険がある。なお分析して得た要素を綜合することによってもとの社会状態の性質が知られるとは限らぬ。本来人の生活は一つの生活として分割すべからざるところに生活の意味があるからである。要するに、こういう方法によって社会状態の性質を明かにするということには多くのむりがあろう。
 ここまでいって来ると、問題はおのずから歴史の学を社会科学として見るという考えかたに移ることになる。社会科学という名は近ごろ我が国でもしばしば用いられるようになったが、その用いかたはいろいろであり、その意義は甚だ曖昧あいまいである。しかしその名から考えても、何らかの社会現象についてその一般的法則を求めるものとせられているではあろう。もしそうならば、それは歴史の学とは性質の違ったものであるのに、それが同じもののように、または歴史の学は社会科学の一部面であるように、またあるいは歴史の学は社会科学の求め得た何らかの一般的法則を適用することによって成りたつもののように、或る方面の人たちには思われているのではないかと推測せられる。歴史は具体的な生活の過程であり、従ってその学は、具体的な個人、民族、または国民、の具体的な行動、その行動によって起った具体的の事件とその具体的な動きとを知ることであるが、それらはすべて個性をもったものである。具体的なものごとはみなそれぞれに個性があるからである。個人、国民、民族、が個性をもったものであることはいうまでもなく、その行動にもその過程にもみな個性がある。同じことは決して二度とは起らず同じ過程を二度とはとらないところに、個性の意味がある。だからそれは、一般的法則を求める意味での科学とは本質的に違うものである。しからば歴史の学といわゆる社会科学との間に何か関係するところがあるであろうか。
 歴史の学においてもし何らかの法則のあることが考え得られるとするならば、それは歴史の過程についてのことであろう。そうしてそれを求める方法は、多くの類似した事例から帰納することの外にはなかろう。それについては二つのことが考えられるので、その一つは、多くの事例に共通なことを取り出して然らざるものを捨てるということであろう。しかし歴史の過程はすべてが個性のある特異のものであって、そこに過程の意味があるから、類似の過程というものを求めることは、本来できないはずである。強いてそういうものを探し出してみたところで、その数は極めて少く、従ってそれから法則を帰納するようなことはできそうにない。同じようなことが幾度いくたびもくりかえされる場合にはそういうことができるとも考えられようが、くりかえされることは実は歴史の過程ではない。それは自然界においてのみ見られる現象であろう。もう一つは、その過程において必然的な関係をもつことを取り出して偶然に起ったことを捨てるということであろう。けれども何が必然的の関係をもつことであり何が偶然に起ったことであるかは、その場合場合で一々違っているし、根本的にはこの二つを性質の違ったもの対立するものとして区別することに既にむりがある。(このことについては別に詳しく考えておいたものがあるから、ここにはいわぬことにする。)だからそれを区別しようとするならば、法則に合うことは必然的で合わないことは偶然だとする外はなく、法則が立てられてから始めてそれができるのではなかろうか。事実、歴史的必然として一部の人々に説かれていることには、例えば唯物史観によって考を立てる場合の如く、何らかの法則が予想せられているように見える。
 次に法則があるというのは、一つのことがら一つの状態とそれから生ずる他のことがら他の状態との間に一定の関係があるということであろうが、歴史上の事象は一々違った特性をもつものであるから、こういうことを考えるには、それから何らかの類型を求めてかからねばなるまい。しかし類型は類型であり抽象的な観念であって、具体的な歴史上の事象ではないから、それによってどんな法則が立てられようとも、それは歴史の学には関係のないことである。そういう抽象的な法則によって歴史の具体的な過程が規定せられるはずはないからである。あるいはそういう法則のあることを考えるについて、心理学、社会学、経済学、などにおいて立てられた法則というものが想起せられるでもあろうが、よしそれがそれらの学の一つ一つの範囲内においては法則として認められるにせよ、現実の社会現象、歴史上の事態は、人間生活のあらゆるはたらきと多くの方面における長い歴史の結果との複雑なるはたらきあいによるものであるから、そういう一つ一つの学問において立てられた法則がそのまま全体としての社会に行われているとすることには、むりがあろう。もしまた上記の一定の関係というものが、歴史の過程にはその間に生起した事象の間に因果のつながりがあるというだけのことであるならば、それもまた具体的な過程を説明することにはならぬ。のみならず因果の関係というものは過程そのものではなくして、歴史の過程のうちから或る事象と他の事象とを抽出してその間の関係をこの概念にあてはめるにすぎない。現実の過程にはそれにあてはまらない事象が多く、また全体としての過程そのものは因と果とに分解することのできないものである。ただ何らかの事象を因果の概念にあてはめて考えることは思惟を整理するための一つの方法ではある。けれどもそれによって具体的の過程そのものを思い浮かべることはできない。
 要するに、社会科学というものは、歴史の学とは別のものであるのみならず、歴史の学にとっては用のないものである。勿論ここでは社会科学そのものについていっているのではなく、その成立を否定しようとするのでもない。ただ、それが歴史の学と関係があるかないかを考え、歴史の学がそれから与えられるものは何もない、ということをいおうとしたのみである。却って社会科学はその資料として歴史から供給せられねばならぬもののあることが考えられる。社会科学が社会現象を取扱うものであるとすれば、その社会現象は歴史上の事象でないものはないからである。ところが、歴史の学をこういう社会科学もしくはその一部面として見るような考えかたのあるのは、一つはヨウロッパの学界における或る傾向に追従したのであり、一つは唯物史観の流行に伴うことでもあったが、また一つは歴史を学問的に研究するという態度が横みちに外れてかかる方向をとったという事情もあろう。学ということを科学と同義語に解すると共に、科学といえば自然科学を想起し易いことが、その自然科学から導かれて形成せられたところがあったと推測せられる社会科学というものに心を傾けさせた、と見られるのである。あるいは科学という語に魅力を感じたのでもあろう。歴史を知るには或る限界内において学問的研究をしなければならず、その意味において歴史学という称呼が用い得られるので、この学に関して方法論の講ぜられるのもそのためであるが、その方法論、特に史料の取扱いかたに関するものにおいては、歴史が「人」の生活であることを忘れ、ともすれば機械的な方法に堕するおそれのあるものがある。こういう傾向をもった史学の研究に慣らされたものが、社会科学というものに心を移すのは自然だともいわれようか。ところでそうなると、いわゆる研究の主題がおのずから社会状態とかその一般的性質とかいうことになる。具体的なものを抽象化し、従って複雑なものを単純化して考え、人を見るよりは社会を見、社会を動いているものとするよりは静止したもののように考えるところに、こういう主題を取扱うことが「科学的」に見える理由がある。しかし「人」の生活を知らねばならぬ歴史の学は、学問でありながら学問を超越する性質をっている。然るに今日のこういう傾向はその「人」を見失っているのではあるまいか。
 どうしてこうなったのであろうか。それが次の問題である。

三 近代文明の欠陥とその補正


 前節に述べたような歴史の取扱いかたは、ヨウロッパに発達した近代文明の一般的傾向と関聯しているのではなかろうか。
 常識的な見解によれば、ヨウロッパの近代文明はルネサンスに始まり、そのルネサンスの効果は「人」の権威を樹立したところにあるという。これにはいろいろの意味が含まれているが、それはともかくもとして、「人」を全体として見る時、そのはたらきには多くの方面があり、その生活には多くの要素があるので、近代文明もまた多方面のはたらきと複雑な要素とを具えている。それと共に、そういう文明の発達がまた「人」のはたらきを多方面に展開させ、その内容をますます複雑にして来たので、自然科学の形成またはその進歩もその一つである。ところがこのことは、一方では「人」をも自然界の存在であるが如く考えさせ、自然科学の方法により機械観的立場に立って「人」を取扱おうとする傾向を、学界の一方面に生ぜさせるようになったが、他方では人の力に代るものとしての機械の発明を導き出し、その諸方面における発達がいわゆる機械文明を現出させた。この機械文明は、極言すると、人のために機械がはたらくのではなくして、人が機械によって動かされ、人が機械を使うのではなくして機械が人を使う、といってもよいような状態を作り出した。それほどでなくとも、人の生活が機械に制約せられて自由を失い、また生活を機械の動きに適応させようとして生活そのものが機械化せられる傾向を生じた。そうしてそのために近代人、特に都会人や機械力に依存することの多いものの心理が、自然さを失い「人」らしさを失って、一種異様のはたらきをすることになる。勿論これは一面の事実であって、機械の発達が人の生活に多くの便宜を与え人の幸福を増進した他の一面の事実のあることは、明かであるが、機械の力のあまりにも強くあまりにも大きいがために、人はともすればそれに圧倒せられるのである。「人」を機械観的立場から取扱おうとする思想界の一傾向にも、これと相応ずるところがある。ルネサンスによって樹立せられた「人」のはたらきの一面が科学の発達となって現われ、そうしてそれが機械文明を誘致した結果、却ってその「人」が「人」としての権威とその全体としてのはたらきを失い、ルネサンスの精神を没却せんとするようになって来たのである。近代的特色を帯びている道徳上社会上政治上の紛乱が、直接間接にそこから起る場合の多いことは、いうまでもない。
 次には、この機械文明とその他の政治上社会上の種々の事情とが結合して、人の生活が集団的もしくは群集的のものとせられ、それによって個人の権威とはたらきとの抑圧せられ、もしくは無視せられるようになったことが、注意せられる。人の生活は本来社会的のもの、その意味で集団的のものではあるが、近代文明の世界においては、その集団が特殊の性格と形態と規模とを具え、従ってその力が甚しく強大になった。のみならず、単なる群集としての活動さえもさかんになって、それが常に人を圧迫している。これについてもまた、人が集団的行動をするというよりも集団によって人の動かされる場合の多いこと、群集の一人として群集の動きに加わるというよりも、群集によってひきずられることの多いことが、考えられねばならぬ。勿論、集団的行動にはそれを指揮する人物があり、群集の動きにも場合によっては先頭に立ってそれを導くもののあることもあるが、それにしても人に圧迫を加えるのは、集団なり群集なりの力である。組織をもった集団に属する場合はいうまでもなく、例えば汽車や電車によって貨物と同じく大量に運搬せられ、またその電車や汽車から吐き出された時に、個人としての存在が殆んどなくなっていること、思想的には、時流に追従するのが常であるいわゆるジャァナリズムの放つ騒音にまきこまれて、独自の思慮を失うものの多いことは、何人も日常に経験し見聞しているところである。
 こういうように人が集合体として取扱われ個人として認められない場合の多いことから、人は集合体に支配せられ多数のものに支配せられるものであるという考、個人は社会に従属するもの社会によって動かされるものであるという考が生ずる。そこで道徳的にも、個人が自己の生活を自己の責任とせず、また自己が社会を構成するものとしてその社会に対する責務のあることを思わず、社会を自己に対立するものとして、自己の生活をその社会の責任とするようになる。人の困窮するのも罪悪を犯すのも、人の罪ではなくして社会の罪であるとし、従って人の生活を保障するのは社会の責務であるとするのは、一面の事実または社会の立ち場に立っての考えかたとしては、承認せられるものである。しかし他の一面の事実また個人の立ち場に立っての考えとしては、困窮も罪を犯すのもその人の責任であるし、また自己の生活は自己のなすべきことであるとしなければならぬ。現代の社会においては、個人の生活とても個人の力のみでは営みがたいことのあるのは事実であるから、そこに社会としてはその力をはたらかせねばならぬところがあるが、個人としては自己の努力によって自己の生を営む覚悟がなくてはならぬ。そこに「人」としての権威があり、責務があり、道徳の基礎もある。社会構造の欠陥ということも考えられねばならぬが、個人が自己の責任を無視するならば、如何なる社会構造の下においてでもその人の生活は決して安全には営まれぬ。然るにこういう考えかたのあるのは上記の如き事情のためであって、人が集合体として取扱われ個人の権威とはたらきとが抑圧せられたところから来ていよう。あるいはまたそれには、人の生活は環境によってのみ左右せられるという自然科学的の見かたと、機械文明が人の生活に対して殆んど支配的なはたらきをもつために、人の力が甚しく弱小化せられた感じのあるのとによって、助けられた気味もあろう。こう考えて来ると、ここにもまたルネサンスにおいて樹立せられた近代精神としての「人」の権威の失われて来たこと、そうしてそれには、この近代精神そのものの一面のはたらきによって誘致せられたところのあることが見られる。
 ところで、近代文明のこの欠陥はそのまま前節に述べた歴史の学の一傾向にも現われている。この傾向に追従するものは、近代文明のこの欠陥を欠陥と考えず、却ってそれを文明の正当の姿と認めているのではなかろうか。彼らのみならず、今日の日本のいわゆる知識人には「近代的」なるものに絶対の価値を置き、日本の事物において「近代化」しないところのあるものをすべて価値なきもの廃棄すべきものとする傾向がある。勿論、ヨウロッパの近代文明には多くの側面があって、そのうちには長い間の人の努力によって次第に作り上げて来た美しい事物、それによって人の生活が深められも高められもしたものも多く、自然科学の成果とてもまた同様であるが、しかしそういう側面と欠陥のある側面とが離れ離れに存在するのではなく、互に入りまじりはたらきあって一つの近代文明を形成しているのであるから、全体としての近代文明を無上のもののように思うのは、正しい考えかたではあるまい。のみならず、近代化として讃美せられるものには、社会状態なり生活様式なりにおいて、上記の欠陥を有っている側面のことが多いように見える。こういうと、近代の社会構造の欠陥を認めているからこそそれの変革を要求するのだ、というものがあるかも知れぬが、例えばいわゆる資本主義社会に対して社会主義社会を建設しようというような考えがあっても、その社会主義社会の構想そのものが、実は上記の欠陥を高度にもっているものなのである。あるいはその欠陥を更に大きくするものなのである。社会主義というものが実現せられていないもの彼岸のものであるからこそ、実現しようとする欲求が美しい幻影と化して社会主義者の目に映ずるのであるが、一たび実現せられて此岸のものとなったならば、それから生ずる弊害には恐るべきものがあろう。それは「人」を軽視するものだからである。従ってまたそれは近代文明の讃美者たることにおいて、社会主義者ならぬものと変りはない。いうことはやや横みちにそれたが、要するに、こういう考えかたは、近代文明が歴史の最後の到着点ででもあるかの如く思うものである。
 しかし、今日は明日には昨日となる。百年の後には今年は百年の昔となり、千年の後には千年の昔となる。今日を最後の日とし今年を最後の年と思うほど、無意味なことはない。今日の近代は何時いつまでも近代ではなく、時がたってゆくに従って、それは中古になり古代になる。それは単なる時間の経過ではなく、生活の変化であり文明の変化である。五百年前に生活したものはその生活に誇りをもっていたであろうが、今のわれわれはそれを回顧してその欠陥を指摘する。それと同じく五百年後に生をうけるものは今の文明を回顧してその欠陥の甚しきに驚き、今の世に生きていたものがそれを「近代的」として誇っていたのに驚くであろう。「近代的」なるものを謳歌してその欠陥を覚らないのは、歴史が断えず前進してゆくことを知らないものである。一般のいわゆる知識人はしばらくく。好んで歴史を口にするものが近代文明に絶対の価値を置くのは、歴史の何たるかを知らないからのこととしなくてはなるまい。歴史は未来に向って刻々に生活を変えてゆき新しくしてゆく。変えてゆくのは現在の状態に欠陥があるためにそれを補正してゆくことであって、それが「人」の生活なのである。
 然らば近代文明の欠陥をどう補正してゆくべきであるか。それは失われんとする「人」を回復し、「人」の権威を立て、「人」の責務を明かにし、「人」のはたらきを全面的に旺盛にすることである。「人」が機械の主人となり「人」が集団をはたらかせ、群集の流れにおし流されずして自己を堅持するようにすることである。アメリカは機械文明が最も発達していると共に、アメリカ一流の集団的行動の盛んに行われているところであるが、そこには、伝統的な自由主義的個人主義的思想と、本質的にはそれと必しも一致しないところがあるけれどもやはり伝統的なキリスト教とがあって、その欠陥を或る程度に補正しているらしい。しかし近代文明の世界に入りこんで来てそれから利益をうけると共に、その欠陥をもうけつぐようになった我が国には、そういう伝統が二つともない。そこで日本人はその欠陥を補正するために別の方法を要する。それは一つは日常生活そのものにおいてであり、一つは思想の力によってである。前の方についていうと、日本は近代文明の世界に入りこんで来たけれども、日本人の生活のすべてが近代化したのではないことが考えられねばならぬ。この近代化せられない側面に、素朴ではあるが、またそれみずからにいろいろの欠陥を伴ってはいるが、近代文明によってまさに失われんとする「人」の保持せられているところがある。最近の戦争が甚しくそれをきずつけ、戦後の種々の不用意な施設と思慮の足らぬ言論とが更に別のしかたでそれを破壊しようとしたが、なお全く破壊せられてはいない。(最近の戦争は日本人の性情の現われではなくして却ってそれを傷けたものである。)そこでその傷をいやし破壊せられんとしたものを建てなおすことにおいて、近代文明の欠陥を補正する一つの道が開かれるであろう。日本人は最近に至るまでヨウロッパの文明の圏外に立っていて、その形成には関与していなかったから、その圏内にあってそれに制約せられているヨウロッパ人とは違い、外部から自由な批判をそれに対して行うことのできる地位にあることを、知らねばならぬ。しかしここではこのことを詳しく考えている余裕がないから、それには別の機会をまつことにする。ただ今日の日本の一部の知識人言論人ほど、自国民としての誇りをもたず、自国民を軽侮し自国民の生活の伝統を破壊せんとすることに一種の優越感を抱いているものは、世界に類があるまい、ということを一言しておく。(この態度この気分は、最近の戦時中に日本を無上の国として宣伝し、そう宣伝することによってみずからもそれを信じそれを誇るようになったのと、同じ根柢から生じたものであり、一つの意味においては、それと同じ平面に立っての反動である。)なおかかる知識人言論人は、その言議がヨウロッパやアメリカなどの書物のうちから得た知識によって自己をおおわれたところから生じたもの、現実の国民の生活とその生活気分とから遊離しているものでありながら、自己から出たもの国民の思想を代表するものである如く錯覚していることをも、附言すべきであろう。
 次には近代文明の欠陥を補正すべき思想上のしごと、特に学問のしごとが考えられる。それはすべての学問、特に人に関し社会に関する学問は、「人」の自覚から出発せねばならぬ、ということである。歴史の学においては、現実の自己の生活によって、またそのうちから、「人」としての自覚を喚びさますところにこの学の出発点があるので、人が歴史を作ってゆくものであること、歴史を作ってゆくというのは、現在の生活に変化を与えて未来に新しい生活を展開させてゆく意義であることが、それによって明かにせられよう。そうしてそれがおのずから機械文明と集合体としての生活とによってまさに失われんとする「人」を回復し、それによって近代文明の欠陥を補正してゆく思想的根拠が得られるであろう。そうしてそれはまた、逆に、「人」を知ることは歴史を知ることによって始めてなされる、ということにもなる。歴史の学は、未来に向って人が如何に歴史を作って来たかを知ることによって、現在の自己とその生活とを知らしめるものであり、そうして自己とその生活とを知ることによって「人」を知らしめるものであるからである。遠い昔から人の行動を記した歴史の作られて来たのも、ここに深い根柢がある。人は行動するものであり、行動することは自己を作り社会を作ってゆくことであることが、素朴な考えかたながら知られていたからこそ、こういうものが書かれて来たのである。
 歴史家は歴史の学においてまさに失われんとする「人」をとりもどすべきである。歴史の主体は、通常の場合、民族なり国民なりであるが、それがここにいった意義での「人」であることは、いうまでもなかろう。そうしてかかる「人」をとりもどすには、多方面を有する生活の過程を一つの生活の過程としてそのままに思い浮かべ、そうしてそれを叙述することが必要である。こういう叙述をすることは、一面だけの観察をしたり、合理主義的な考えかたでのみ事物を取扱おうとしたりしたのでは、決してできない。固定した学派的教説を適用するに至っては、なおさらである。歴史を叙述することは、人を「人」として、生きた人として、一刻も休止することがなく動いている人として、一言一行にも極めて複雑な因子があり多方面のはたらきをもっている人として、またみずからも明かには意識しない生活気分生活感情によって動くことの多い人として、その心情その行動を具体的のイメエジとして思い浮かべるのでなくては、できないからである。社会状態とかその一般的性質とかを概念として構成することも、歴史の学においては、かかる具体的のイメエジを作ることを助けるための一つの方法としては、その用をなすであろうが、それは歴史の学そのものではない。
 しかし歴史家がかかる任務を遂げるには、歴史家みずからが「人」でなくてはならぬ。機械文明に圧倒せられ、従って人の生活を機械観的に取扱ったり、群集の力にひきまわされ、世間の風潮におし流されたりして、自己を失い「人」を失ったのでは、歴史は解せられず歴史を叙述することはできぬ。歴史の学において「人」を回復せんとするには、歴史家みずからが先ず自己自身において「人」を回復しなければならぬ。これがわたくしのいおうとすることの根本である。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「心 五ノ三、四、五」
   1952(昭和27)年3月、4月、5月
初出:「心 五ノ三、四、五」
   1952(昭和27)年3月、4月、5月
入力:門田裕志
校正:フクポー
2017年9月24日作成
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