亜剌比亜人エルアフイ

犬養健





 マラソン競走の優勝者、仏蘭西フランス領アルジェリイ生れのエルアフイは少しばかり跛足びつこを引きながら地下室の浴場に入つた。
 一九二八年八月五日の夕暮であつた。そこはアムステルダム市外にあるオリンピック競技場に附属した浴場だ。八月とはいふものの、北欧のことであるから、アフリカの沙漠さばくに育つた彼はすでにはだへに秋を感じてゐた。午後の三時から二十六マイル四分ノ一のマラソンコースをけとほした後で、空いろに赤い鶏を染め出した仏蘭西国代表選手のジャケットを脱ぐと、エルアフイはやはり幻覚を感じるほど疲れてゐた。大観衆の叫び声のなかで、彼の胸の赤い鶏に向つて前方から突進して来たやうに見えた真白な決勝点のテープ――これが今もなほ浴場の壁にはげしく上下に揺れて見えた。
 彼は不意に耳をそばだてた。
 夕暮の空にしみわたる吹奏楽を競技場の方角に聞いたやうに思つたのである。
「はてな、最後の走者が入つたのかな。」
 吹奏楽は一瞬間に消え、アムステルダム発巴里パリ行の急行列車の汽笛が長く尾をひいて横切つて行つた。彼はふと旅愁を感じた。
 湯槽ゆぶねに仰向いたエルアフイの胸はまだ魚のやうにあへいでゐた。彼は人種学の教科書の教へるとほりに黒髪で、あかゞねいろの額が広く、面長おもながであつたが、その乱れた髪につけてゐる香油はパリ生粋きつすゐのものだつた。巴里の下町の隣人たちが餞別せんべつにくれたコティの髪油である。彼は顔をしかめ、眼をつぶり、シャワーをねぢつて、降りそゝぐ温かい雨のなかで幻覚とも回想ともつかぬものに取りつかれてゐた。――運河のほとりの風車。白い雲。夏草。林。少女。犬。てふ。そして終始彼から十メートルとは離れずにせまつて来た智利チリ人のプラザ。頬骨ほゝぼねの出てゐる浮世絵の人物のやうな日本のヤマダ。麻いろの頭髪が青い運動着によく似合つた雄大な芬蘭フィンランドのマルテリン。――勝者の到着を知らせる競技場の表門の古風な喇叭らつぱ吹奏。歓声。そして最後に夕日の長い影のなかで彼を取り囲んだ新聞写真班。記録、二時間三十二分五十七秒。――と騒々しく通報してゐる声。そしてその直後、彼はいま浴槽よくさうのなかに寝てゐるやうに、フィールドの草のうへに夕焼雲にむかつて仰向けになり、写真の閃光せんくわうを浴びてゐたのだ。……
 扉がそつと開いた。選手団のマッサージ師が来た、と彼は思つた。すると、忍び込むやうに入つて来たのは、新聞記者の腕章をつけた若い男であつた。細面ほそおもての、無邪気なまなざしの、パリ好みの身なりをした男である。若い新聞記者は少しはにかみながら、まるで美術館の彫刻にでも近づくやうにエルアフイの裸体に近づいて来た。
 エルアフイは狼狽らうばいし、タオルを腰に巻きつけながら怒鳴つた。
だれだ。君は。どこの社だ。」
「ごめん下さい、ムッシュウ・エルアフイ。」記者は一層はにかんで顔を赤らめた。「僕は、その、ル・タン社の者です。」
「何社でもいかんよ。共同会見以外はお断りの約束だ。」とエルアフイは水滴のおちる手を振つた。「ましてこゝは風呂場だよ。そして僕は裸だよ。」
「済みません。済みません。よく分つてゐます。」記者は困惑して早口になつた。「僕もあなたと同じパリの人間です。しかもあなたと同じモンパルナスですよ。同じ町ですよ。あなたのマラソンの練習を毎朝同じ町角で見てゐたのです。日曜日の御ミサも同じ教会ですよ。」
「ぢやあM通りなのか。」
「さうです。さうです。巴里も世智せちがらい土地だけれど、ル・タン社もそれ以上に世智がらいですからね。編集長が私に各社を出し抜いて単独会見をやれと云ふのですよ。特別賞金をかけてね。そこで僕も考へましたよ。よし、最善を尽せとね。こゝにあなたの親友の紹介状があります。拳闘家のジョルジュのですよ。僕は重量げのルイも馳けまはつてさがしましたよ。しかしやつは今刑務所でした。みんな同じ町の生れですね。踊り子のアンナも御存じでせう。」
「もういゝ。もういゝ。」エルアフイは初めて笑顔を見せた。「さうだ。みんな同じ町だな。みんな今夜は喜んでゐるだらうな。今夜はキャッフェは陽気だらうな。――君は競走はどこで見たんですか。」
「復路十キロの運河のところです。」
「すると僕がすばらしい日本人に追ひついたところだな。」
「さうです。あのヤマダは足を痛めたやうですね。僕たちは快速艇のうへから声をからして応援しましたよ。生粋のパリなまりが耳に入りませんでしたか。」
「さう、聞えたやうに思つたな。美しい運河だつたな。」
「僕たちの声がよく水面に響きましたらう。」
「あの辺で涼しいそよ風を横から受けて、僕は急に元気を取り戻したんだ。――ところで君は何を聞きたいのだね。競走の経過はもう共同会見で話したが。」
「さうです。よく知つてゐます。そんなものぢやないのです。僕の欲しいのは特種とくだねなんです。」
「特種といふと。」
「あなたのロマンチックなちなんですよ。沙漠の少年がやがてオラムピアの勝者になる、といふ筋なんですよ。奇抜で色彩的なやつなんです。ジャン・コクトオの文章のやうなやつです。僕は本当は作家志望なんです。」
「生ひ立ちの記か。――砂とはへのなかで育つた男に幼い日のロマンはないよ。」
「困りましたな。ムッシュウ・エルアフイはアルジェリイの何処どこのお生れなんですか。」
「ビスクラといふ小さな、小さな村だよ。チュニスから三百哩もある所だよ。」
「あのビスクラですか。」
「君はなんで又、名も無い村を覚えてゐるんだね。」
る小説で読んだのです。」
「なるほど。――その本は有名な本ぢやないかね。」
「いまのフランスの若い者はみな読んでゐますよ。」
「その作者は大変偉い方になつて居られるのではないかね。」
「フランスの誇ですよ。フランスのニーチェですよ。教会では悪魔のやうに云はれてゐるけれど。――しかしあなたこそ、運動選手のくせになぜ作家のことなぞを知つてゐるんですか。」
「僕はその人の若い時を知つてゐるんだ。――もしもその人が、君の考へてゐる人と同じならばね。――その人はわれ/\部落に長い間滞在してゐたんだ。その人はわれ/\土人の子供たちの偶像だつたのだ。」
「本当ですか。」記者はにはかに昂奮かうふんした。「これはすばらしい。あなたはその人の名をよく覚えてゐるんですね。」
「覚えてゐるとも。――その人は、アンドレ・ジッドとおつしやつた。――大変重い病気でいらしつた。それに心の病気もお持ちのやうだつた。――その人は白い文明人がきらひで、赤銅しやくどういろのわれ/\がお好きだつた。巴里女の花模様の衣裳がきらひで、馬や羚羊かもしかのつや/\した皮膚がお好きだつた。あの人は――不思議な人だつた。」
 日が全く落ちた。マッサージ師が入つて来て、身体をき終へたエルアフイを隣の調整室の寝台へ案内した。記者はエルアフイの運動着と靴をかゝへて後に従つた。


「私はもと/\アルジェリイ駐屯軍に召集されて、沙漠のなかの支隊から支隊へ連絡する伝令兵に選ばれてゐたのです。子供の時から足が強かつたものですから。――それで、私はいつの間にか長距離に適した人間になつたのです。」
 エルアフイは部屋の中央にある、まるで野戦病院のそれのやうに簡素な寝台のうへに俯伏うつぶしながら、マッサージ師の肩越しに、ゆつくり話しはじめた。
「この私を思ひ出したのは、オラムピック準備委員会の委員をしてをられた外務省のS氏でした。Sさんは昔チュニス本隊付の大尉だつたのです。こんなわけで、私は勤務先きのマレシェルブ通りの自動車店からコロンブ競技場へ練習に引き出されたのです。」
「私にはお註文のやうな生ひ立ちのロマンスもありませんな。さきほどお話ししたやうに、砂と蠅のなかに育つたのですから。それに、特別に運動が好きになつた動機といふものもありませんよ。もと/\アルジェリイの人には静かな生活といふものはないのですから。たゞ私は小馬のやうに足が強かつた。それで白人の使ひ走りで小使銭をかせいでゐた。それだけです。――ですから、このやうな単調な話よりも、さつきの作家の先生との因縁話いんねんばなしでもしませうか。――君にそれが何かお役に立てばよいが。――もう十二三年も前になりますか――」
 くびすぢをマッサージ師に押されて、枕のなかに顔を埋めたので、エルアフイは一瞬間黙つた。しかし、それは遠い記憶を追ふ人にふさはしいものであつた。
「冬の或る晴れた昼さがりの事でした。村にたつた一つあるホテルの庭に入り込んでゐた私たちの子供仲間のアマタルが、突然土塀どべいを乗り越え、息をきらせて村の広場へ逃げて来ました。私たちはその広場で石けりや力くらべをやつて遊んでゐたのです。私はてつきりアマタルが物を盗んで逃げて来たものと思ひました。ところが彼がふところから出したのは菓子と小銭が二スウでした。驚いたことに、その菓子とその銅銭とはホテルにゐる白人の夫婦がれたのださうです。それも忍び込んだところを見つかつたあげく、優しい言葉で呉れたのださうです。私たちは白人のこんな扱ひに出会つたことはありません。私たちの知つてゐる白人の旅行者はそんな優しい人間ではありません。」
「アマタルから聞いた話はかうなのです。――その夫婦はまことに物静かな夫婦でした。しかも新婚の若い夫婦でした。主人の方は旅行中に喀血かくけつしてこのホテルにたどり着き、仰向けになつたまゝ長い間肺病の療養をしてゐるのださうです。生きるか死ぬかといふ病気であつたさうです。奇妙な事に普通の白人の習慣とは違つて、奥さんはあまりその傍に附き添つてゐないのです。気むつかしい主人が孤独を好むのださうです。奥さんはいつも控へ目に隣室の入口で編み物をしてゐたのです。こゝに盗み癖のあるアマタルの付け入るすきがある――と彼は思つたのです。
 アマタルは仲間の私たちにも黙つて、幾日か辛抱強くホテルの土塀の上に寝そべりながら、機会を待つてゐました。そしてその日が来ました。それは静かな日曜日でした。日曜日の朝は、この若い奥さんは教会へミサにあづかりに外出するのが習慣でした。朝の九時、奥さんはテラスから奥に入りました。青空がガラス戸一ぱいに映り、その陰で主人の方はぐつすり眠つてゐる様子でした。今だ、とアマタルは思ひました。そして塀を飛び降り、早足に庭を横切り、人気ひとけのない奥さんの部屋の入口の椅子いすのうへにあるはさみをつかみました。ピカ/\光つた高価な鋏です。
 その瞬間、アマタルは大きな笑ひ声を背中に浴びたのです。アマタルは幽霊に笑はれたかのやうな恐怖をうけ、身体がこはゞり、そのまゝ立ちすくみました。彼はガラス戸にうつる青空の影像のために眼がくらんでゐたのです。日陰に入つて彼は今、はじめてその大きなガラス戸のすぐ後ろの長椅子に起き直つてゐる寝衣ねまき姿の紳士から直視されてゐる事に気が附きました。せた面長の、アゴひげをつけた、大きな深い眼差まなざしの、そして背の高いフランス紳士でした。アマタルは狼狽して血の気を失ひました。彼の手から落ちた鋏は大きな音を立てて石畳に落ちました。そこへ、髪の手入れをしてゐた奥さんが馳けつけてアマタルの腕をつかみました。静かだが、きびしい掴み方でした。奥さんは、本当に静かだが、しかし厳しいカトリック信者だつたのです。奥さんはその朝、まだ教会に出かけてゐなかつたのです。
 アマタルは警察に突き出されるものと覚悟して、すつかり首をうなだれました。ところが、主人の方は異常なほど眼をかゞやかし、あふれるやうな笑顔で奥さんに云ひました。
『マリイ、もう放しておやり。』
 奥さんもアマタルもその声の優しさに驚いて主人を見つめました。
『これがアフリカだよ。御覧。』と主人は上機嫌じやうきげんで太陽の反射のつよい部屋を見まはしました。『この子の忍び足の工合はどうだ。鋏に飛びついた工合はどうだ。まるで、たかが獲物をねらふ時の智恵とそつくり同じだよ。弱いうさぎが鷹に文句が云へないやうに、鋏を椅子のうへに放り出しておいた君はこの子に文句は云へないんだよ。あゝ、やつぱりこゝはアフリカだな。新世界だな。』彼は両手をあげ、一層声を高めました。『さあ、その手を放して、この子に小遣銭こづかひせんをおやりなさい。』
 アマタルは背を丸めて恥ぢらひ、奥さんの手が銅銭と菓子とを彼の掌のなかに握らせてくれたと知ると、まつしぐらに逃げ出して塀を飛び越えました。」
「私たち村の子供はこの話を聞いて驚きました。これは変つてゐる。今までの白人の旅行者にはない振舞だと思ひました。そしてそれ以来われ/\は、毎日ホテルの土塀にのぼつては遠くに見える客室の様子をうかゞふやうになりました。そのうちに、たうとう私は奥さんと近づきになりました。私の母が奥さんの洗濯物を引き受けるやうになつたからです。混血児の私の母はカトリック信者でフランス語を話したからです。そんな訳で、私も奥さんの使ひ走りをするやうになつたのです。私も母にフランス語を少しばかり教はつてゐましたから。」
「私は奥さんの用事を忠実に働くやうになりましたが、主人の方には最初のうち、どうも親しめませんでした。ところが、思ひがけない出来事のために、この主人にも親近感を持つやうになつたのです。
 或る晩、駐屯軍の軍医が馬を飛ばしてホテルに来ました。主人の容態ようだいがよくないといふ事でした。軍医を迎へるホテルのガルソンの手にあるランプが赤黄ろくガラス戸の向ふに動くのを、私は重苦しい思ひでながめてゐました。診断は長く続きました。すべての人の声が低く、すべての人の動作が控へ目でした。私は不吉なものを感じ、忍び足でテラスに近づき、石畳に腰をおろしてゐました。やがて人々の出て行く気配があり、馬の馳け去るひづめの音がまちの外に消えました。しばらくして奥さんがひとり静かに戻つて来ました。奥さんはランプの一つを主人の枕元に置き、もう一つを手にさゝげて主人を見守つてゐました。それで、私ははじめて照らし出される二人の顔を同時に見たのです。
 一瞬間、奥さんが俯向いて主人の額に唇を近づけました。私は緊張しました。実を云ふと、われ/\村の子供は新婚旅行のこのやうな情景を幾度か面白がつてのぞき見したものです。
 ところが、私は全く予期したものと違ふ声を聞きました。
『マリイ、わたしのために祈るのぢやないよ。』
 冷やかな声でした。
『わたしのために祈るのぢやないよ。』
 もう一度主人は繰り返しました。
『どうしてなの、アンドレ。』
『わたしはまもりを受けるのはいやだ。』
『あなたひとりではなほりませんわ。可哀想かはいさうなアンドレ。』
 長い沈黙がありました。私はひさしのうへの高い/\星の流れを見上げてゐました。
『ぢやあ、仕方がないさ。』主人は寝返りを打つたやうです。『気のすむやうにしておくれ。』
『あなたのお頼りになるのは、何ですの。』
 奥さんは低くとがめるやうにたづねました。
『あなたのお頼りになるのは何ですの。』
 二度目に奥さんが訊ねた時、前とは違つて泣き声に変つてゐました。私は何故なぜか居たゝまれなくなつて、テラスを逃げ出しました。そして、えつく犬をしかり飛ばして土塀を飛び越えました。しかし、町中まちなかに出ると、私は妙に快活になりました。あの立派なひげやして傲然がうぜんと構へてゐるパリの紳士が、信仰のことで奥さんにたしなめられてゐるのです。まるで私が母親から不信を叱られるやうに、あの紳士は奥さんから不信を歎かれてゐるのです。これは何といふ事だ。あの人も私と同じやうに教会で足をしびれさせるのは厭だといふ仲間だな。――これは野生児の私にとつては痛快な発見でした。私は透きとほつて見える高い星空の下で、主人と私との類似点を見つけたやうに思ひました。私ははじめてあの主人に親しみを抱きました。」


「ひと月もすると、主人はやうやくテラスに出られるやうになりました。主人は長椅子に仰向けになり、長い間黙つたまゝ、ホテルの前庭の遠くにひろがつてゐる寂しい風景を眺めてゐました。
 ホテルと云つてもビスクラの村のことですから、白い石灰を塗つたまゝの平家建で、この辺の習慣でテラスは荒廃して見えるほど広いのです。そのテラスから棕櫚しゆろの並木を越して町はづれの果樹園が見え、更にオアシスの向ふには沙漠がだん/\高まつて四方へ拡がつてゐました。或る朝、私は掃除の手伝ひに主人の病室へはじめて入りました。あの生死の境にあつた重病の真夜中に、神秘な会話のさゝやかれた部屋です。奥さんと母と私とが、この部屋の寝台や椅子を動かして大掃除をしたのです。部屋はひどく簡素で、何の風景画も掛つてゐませんでした。主人が安つぽい油絵を取りはづさせてしまつたのださうです。そしてかつてアマタルが青空の映像を見た、あのガラス戸が額縁のやうになつて露台の方へ開いてゐました。それゆゑ、主人が重病の間一日ぢゆう眺めてゐたものはこのおほきな額縁のなかに区切られた沙漠のわびしい風景であつたのです。
 私は書棚のうへに飾つてある小さな写真を二つ見つけました。一つは柔和な老人の写真で喪章の黒いリボンが附けてありました。もう一つは雑誌の印刷写真から切り抜いたものらしく、眼の大きく鋭い、口髭くちひげの厚い、一種云ひ尽せない魅力のある、豪気な中年の男の横顔でした。私はづ喪章の附いてゐる方の写真を指さして奥さんに訊ねました。
『これはどなたですか。』
『それは先生のお父様です。』
 奥さんは私たちには主人のことを先生ル・メートルと呼んでゐました。
『つい最近おくなりになつたのです。私たちは――このお父様の生きておいでになる間に、安心させてあげようと云ふので、急いで結婚したのです。』
 何といふ古風な匂でせう。それはフランス風といふよりはアラビア風の結婚ではないでせうか。ともかくも、私は奥さんがいつも外出の時に、黒い帽、黒いヴェールに黒い衣裳をつけてゐる意味が分りました。私は奥さんの打ち解けた態度に甘えて、もう一つの写真のことも訊ねました。
『これはどなたですか。』
『それは――先生の先生です。』
 奥さんは一瞬間ためらつたやうに思はれました。
『ぢやあ、巴里の大学の先生ですか。』
『違ひます。その人もだいぶん前にお亡くなりになりました。』奥さんの言葉には何故か思ひをめたやうな響がありました。『その人は、故郷から遠く離れて――いつも高い山にあこがれて――神様をきらつて――沢山の詩や文章を書いて――超人といふものを夢に見て――妹さんに看護されて――そして気が狂つてお亡くなりになりましたわ。』
『超人つていふものですか。』
『えゝ、超人つていふものです。人間以上の人間といふ事なんです。』
『先生はこの人の教へ子なんですか。』
『いゝえ、先生はこの人の生前にはおひした事はないのですわ。ただ、先生はこの人の本を読んで、この方の教を美しい教だと云つて夢中になつたのです。私たちの旅行もさうです。新婚旅行にスイスやイタリーに行かずに、このアフリカに来たのも、おそらくこの人の影響だと思ひますわ。この人は――不思議な魅力のある人で――先生を神さまから遠ざけた人だと思ひます。――まあ、このお話はもうめませう。』
『奥さん、この人は何といふ人ですか。』
 奥さんは、いつもの癖で、控へ目に笑ひました。
『名前をおぼえない方がよい人ですわ。――それよりか、今度は私のお部屋を掃除して下さいな。』
 奥さんの部屋に入ると、そこは小さな、しかし、かをりと潤のある部屋でした。壁にかけられた十字架のまはりに野生の花が飾られ、聖者たちの美しい肖像画が壁のあちこちにつてありました。私は母にたしなめられて神妙にお祈りをさせられました。」
「それからひと月、病気が少しづゝよくなると、先生は次第に快活になりました。そして足馴あしならしのために、私たち村の子供を案内人にして散歩をはじめました。先生は散歩の距離を段々と長くして行きました。たうとう私たちはあのテラスから見えてゐた町外れの果樹園まで行き着くやうになりました。土語でセギアスと云つてゐる灌水くわんすゐ用の堀の、幾すぢとなくめぐつてゐる単調な果樹園です。先生は木蔭のベンチで子供たちを相手に長い休息をとつてゐました。時には詩の本を読む事もありました。雉鳩きじばとの声のかすかに聞える退屈なベンチでした。私たちは勝手にコルク倒しをしたり、石けりをしたりしてゐたのです。或る日、このベンチで、先生は奥さんにかくれて、棕櫚酒を飲む事を覚えました。酒売りの女が私たちの声を聞いて売りつけに来たのです。この酒は棕櫚の幹に切り傷をこしらへて、そこかられるしづくでつくるやつなのです。先生は澄んだ青空の下で、つぼを高くかざしてこの酒を飲みました。先生はしばらくの間眼をつぶつてあぢはひ尽し、それからはじめて私たちに笑顔を向けました。
『どうしたんです、先生。』私はたづねました。『そんなにうまいのですか。』
『すばらしいものだ。これあどんなフランスの酒よりも甘いよ。』
 先生はいきなり私たちの真似まねをしてシャツを脱ぎて、上半身裸になつてもう一度酒を飲みました。先生のその格好は古い壁画のやうでした。
『先生、およしなさい、身体にさはりますよ。』
 しかし先生は私の制止するのも耳に入らない様子で、ひとり言のやうにつぶやきました。
『あゝ、雲の一つもない空の下で、真昼の日盛りに酒を飲む。――これがこんなに楽しいものとは知らなかつたよ。――僕には体力が出来たのだな。僕は死ななかつた。僕は生きてゐるのだな。』
 先生の裸体に太陽がキラ/\照りました。先生は胸に汗をかきはじめました。
『先生、お願ひです。下着を着て下さい。』
 もう一度私が頼むと、先生は案外素直にシャツを着てくれました。
『アリ、この事は奥さんに云ふなよ。』
 悪戯いたづらのやうに、先生は私に片眼をつぶつて見せました。
『困つたなあ。先生はなぜ奥さんを連れて歩かないのですか。』
『なぜ君はそんな事をきくのだね。』
『だつて白人のお客はみんな夫婦で手を組んで歩いてゐますよ。』
 先生は果樹園に響きわたるやうな声で笑ひ出しました。
『君は夫婦で歩く白人が好きなのか。』
『嫌ひです。夫婦でゐる白人の方がよけいに威張りますから。』
 先生はもう一度大声で笑ひました。
『君のいふとほりだ。しかし、うちの奥さんは違ふよ。うちの奥さんは優しい女だから、家のなかにゐる方が好きなのだ。それに――うちの奥さんは僕のこんな野蛮なやり方が嫌ひなんだよ。こんな地酒を裸のまゝ飲んだと知つたら――あの奥さんは歎いて、お祈りをはじめるよ。』


「このやうに健康を恢復くわいふくして来ると、先生は果樹園の散歩ぐらゐでは満足しなくなりました。それで或る日思ひ立つたやうに私の父の家に行つて見ると云ひ出したのです。私の父の家は町から少し外れた馬市場のなかにあつて、父は市場の古参のおやぢでした。父の家は砂地の中庭を取り囲んだ粗土造あらつちづくりの平屋で、正門とでも云ふべき入口は乗馬のまゝでも入れるやうに高く穹形ゆみなりになつてゐました。――何分にも大家族のことですから、家ぢゆうで朝からめい/\勝手な事をしてゐるのです。私が先生を案内して行つた時は、父は馬蹄ばていの手入れをしてゐました。姉は井戸端で水瓶みづがめを下ろして、町へ売る水をんでゐました。兄たちは半裸体のまゝ寝ころびながら、鉄砲の手入れをしたり、盗んだのであらう笛を吹いたりしてゐました。しかし、私が白人の客を連れて来たと知ると、一斉に立ち上つて奥へ逃げ込みました。先生はこの有様を大変面白がつて眺めました。白い頭巾づきんや白い長衣が日にあたつて右往左往するのが美しいと云ひました。
 私の父は歓迎の意志表示でせうか、口汚く山羊やぎや豚を追ひ立てて、そのかはりうまやから自慢の仔馬こうまを引き出して先生に見せました。われわれアラビア人がどんなにアラビア馬を大切にするかは御存知でせう。しかし、見馴れない服装の客人を前にして、仔馬は急に耳を立てると、ね上りました。たくましい仔馬は父の手を振りほどき、客人の胸をかすめて馳け出しました。父は見事に放り出され、老人の醜さをさらけ出して無益にも後を追はうとしました。咄嗟に、私は正門に向つて斜めに走つたのです。私の敏捷びんせふな事は兄弟ぢゆうでも定評がありました。私は穹形の飾の下で、往来へ走り抜けようといふところを、仔馬に追ひつきました。私は横飛びに二メートルほど飛んでたてがみをつかまへると、引きずられながらも背中へよぢ登りました。かうなれば仔馬は確実に私のものです。――やがて中庭をひと廻り輪乗して見せた時の、先生の感動は大したものでした。人間に与へられた至上の喜びとは、あんな時を云ふのでせうか。先生は全身で喜びました。生きる喜びを誇つてゐるのは馬をり押へた私ではなくて、見物人の先生のやうに見えました。先生はいま馬の背を征服したばかりの、そしてりむき傷のために血のにじんでゐるところの私の手足を痛いほどたゝいて叫びました。『あゝ、達者なものだ。うらやましいものだ。この強い筋肉はどうだらう。あゝ、アラビアの名馬どころぢやないよ。名馬の仔も君には完全に負けたのだ。』
 私はあまりめられて顔を赤くし度を失ひましたが、先生は非常な満足で、それから長い時間、日の落ちるまで、父の東洋風な招宴に応じてくれました。」
「アルジェリイは二月に入ると、急に豪雨が続いて、その合ひ間の晴れた日は気温が目立つて上るのです。これがアフリカの春の前触れです。先生夫妻はこの豪雨季を避けてシシリイ島へ移る仕度したくをはじめました。半月ほどのシシリイ滞在の後で、ノルマンディの郷里へ帰つて静養するのださうです。沢山の荷造りは母と姉と私が手伝ひました。出発の日、先生夫妻を乗せた駅馬車が、その頃はじめて架設しかけてゐた鉄道線路に添つてコンスタンティーヌの町へ走り出しました。私はアマタルやバシルやブウバケルと一緒に馬車と並んで半キロほど走りました。そして他の子供たちが次第に息が切れ、立ち止り、路傍にうづくまつた後までも、私ひとりはいつまでも走りました。たうとう道が砂丘へかゝつた時、私は立ち止つて長い間手を振りました。豪雨のあとに立ちのぼる水蒸気にへだてられて、馬車が見る/\小さくなりました。これで、私はあの先生と生涯二度と会ふ事はないと思ひました。健康な少年時代といふものは過ぎ去つた出来事から解放されようとする本能がありますからね。それで、私もあくる日から全く別の事に気を取られてゐました。」
「ところが思ひがけず、三年たつて又先生は不意にチュニスに来たのです。私はその頃、母に習つたフランス語を資本にして、チュニスのホテルの特約ガイドになつてゐました。或る晩、私は年上のガイドの出入りするスーダン人の経営してゐるカッフェに居ました。カッフェと云つても、天幕張りのあやしげなもので、奥まつた部屋には床から一尺も離れてゐない低い寝床があり、年上のガイドたちはそこでアラビア生れの踊り子を相手に、酒を飲んだり、阿片あへんをふかしたりしてゐました。日が暮れると東南風シロッコが吹いて、天幕が重い音を立ててゐました。そこへ、不意に白人の紳士がとばりを挙げて私たちをのぞきました。紳士はびやうをつけた旅行靴を鳴らして、天井とすれ/\に入つて来ました。
『アリ・エルアフイ。たうとう見つけたよ。』
 紳士はいきなりこゞむと、私の肩を抱き締めました。私にはこの時はじめてそれが先生だといふ事が分つたのです。なぜならば先生は、あの形のよい学者風のアゴ鬚をり落して、日焼けした、額の広い、たくましい顔に変つてゐたからです。
『どうしたんです、先生。』私は阿片の煙のなかで、たしかに狼狽してゐました。『どうしてこんなところを捜し当てたんです。』
『ビスクラで、君がチュニスのホテルに勤めてゐることを聞いたよ。そしてホテルで、ガイドのたまりになつてゐるこのカッフェを聞いたんだ。君は――思つたほど大人おとなにならないね。』
『それはどういふ意味ですか、先生。』私は不服で、訊ね返しました。『私はあれから十五サンチメートルも背が伸びましたよ。』
『分つてゐる、分つてゐる。』と先生が昔のとほりの笑顔を見せました。『僕の云ふのは、ビスクラの子供たちが皆恐ろしいほど大きくなつてしまつたといふ事だよ。みんな、疲れたり、ふとつたり、金持になつたりして、醜くなつたといふ事だよ。昔のまゝに美しいのはモクティルだけだ。それと君だけだ。』
『さうですか。随分みんな変りましたね。先生は誰にお会ひになりましたか。』
『バシルはカッフェの皿洗ひになつてゐた。――アシュウルは道路工事でやつと五スウか六スウかせいでゐる。――アマタルは、思ひもかけなかつたな。片眼をなくして失業してゐるね。――アジブは親父おやぢと一緒に肉屋をやつてゐる。ぶく/\に太つて汚いが、金が出来たな。それで、落ちぶれた友達とは口もきかない。――ブウバケルは結婚してゐた。まだ十五なのに可笑をかしな事だ。酒は飲むし、筋肉はたるんでゐる。――もうビスクラに期待するものはなんにもないよ。』
『さつき、モクティルにお会ひなつたと云ひましたね。』
『あゝ、モクティルだけは例外だ。やつはらうから出て、身を隠してゐた。あいつは皆のなかで一番美しかつた。また泥棒をやつたらしいが。あいつは体も敏捷で申し分なかつた。僕はモクティルを二日間雇つたよ。それとアリ、君だけだ。君はどうしてそんなに疲れてゐないのだ。どうしてそんなに健康なんだ。』
『アルジェリイの陸上競技聯盟が私を監理してゐるのですよ。だから不養生は出来ないのです。私だつて自分の才能は大切にしますからね。』
『はゝあ。鷹がいよ/\爪をみがきはじめたかね。しかし、君はあれをやるのだらう。』
 先生は年上のガイド達が残して行つた阿片用の煙管きせるを指さしました。
『とんでもない。あれをやつては走れませんよ。――先生こそおやりになるでせう。』
『冗談云つてはいけない。僕は、酔つて時のつのを忘れる、などといふ事は大嫌ひなのだ。夜中でも眼を開いてゐて、時の刻みをはつきり数へたいくらゐだよ。』先生は輝いた顔付きになつて声を高めました。『僕は毎日の一瞬間、一瞬間が大切でたまらないのだ。この大陸の平原で太陽を浴びる火喰鳥、羚羊かもしかを追ひかける獅子しゝ、みんな出来合ひの日程で生きてゐるのではないんだ。みんな一瞬間が全力の一生涯なんだ。償ひも何も考へない貴い一瞬間なんだ。みんな出来合ひの幸福ではほろびてしまふのだ。みんな明日の事も分らなくて、大事をとつて、子供を沢山生むんだ。永遠に生みつゞけるんだ。みんな幸福を自分でつくつてゐるのだ。僕は――出来合ひの幸福で窒息しさうになつて、またこゝへ戻つたよ。マリイをノルマンディに残してね。』
『奥さんはどうしていらつしやるんですか。』
『可哀想に。あの優しい女は私の肺病が伝染うつつたよ。』
『あんなにあなたの事を看病していらしつたのに。』
『あゝ、よく看病してくれたな。しかし、アリ。僕は自分で病気を癒したのだよ。僕の病気を癒したのは僕だよ。』
 私は数年前の真夜中のあの劇的な会話を思ひ出しました。私は重苦しくなつて、話を変へようとしました。その時、衣擦きぬずれの音がして、先刻のアラビア女が戻つて来ました。この女は私の年上のガイドの情婦なのです。私たちは三人で奥の狭い部屋に入りました。こゝにも非常に低い寝床があつて、客人はその上に坐る習慣になつてゐるのです。部屋のすみに、この女が飼つてゐるのでせう、ペルシャ猫が一匹おどおどして侵入者を見てゐました。やがて安心したものか、私の手から山羊の乳を飲みはじめました。私が猫と戯れてゐる間に、女は先生を傍にひき寄せました。緊張した、男と女と敵対の数分間とでもいふものが経ちました。やがて先生は、女を両手で眼の高さまでさし上げ、とばりの奥の部屋に入つて行きました。――私が柔かい絨氈じゆうたんの上で眼をさました時は、もう朝の日差しが斜めに部屋のほこりを容赦なく照してゐる頃でした。
 翌日、先生は奥さんの重態を知らせる電報を受け取つて、急いで港を離れて行きました。深い後悔と、そしてその後悔を弱者の行為だと考へようとする闘ひが、先生の顔にあり/\と現はれてゐました。これが私と先生との最後の面会だつたのです。」
「翌年、私はアルジェリイ駐屯軍に召集されました。私はトウグウルの分隊に編入されて奥地に入りました。この辺まで入ると、沙漠はまつたく際限もなく拡がつて、移動する支隊と支隊との連絡は、この頃はまだ伝令兵を走らせる方法をとつてゐました。それで、新兵の何より厭がるのはこの伝令兵になる事でした。それは一番能のない、そして馬の代りになるやうな男が採用されるのです。ところが、最初の体格試験で、私が見事に合格してしまひました。私は同僚から大笑ひを受けて胴上げをされました。兵営につきものの夜の女までが一緒に笑つて私を眺めました。私は不愉快になり、よほど小刀を振り廻してやらうかと思ひましたよ。アラビア人は小刀を上手じやうずに使ひますからね。――しかし、その時、私の心の奥底に静かな誇を抱かせたのは、ジッド先生の口癖のやうに繰り返してゐたあの持論でした。私は、さうだ、さうだ、とひとりであの持論を肯定しました。私はだん/\とあの持論に魅力を感じるやうになりました。私は進んで模範的な伝令兵となりました。ガアルダイアの沙漠軍区――ワルグラの軍区――エル・ゴレアの軍区――私はたつた一人で、帽子のうしろに付いた日覆ひおほひの布をなびかせて、小さな砂煙を立てて、自分の足音を自分で聞きとりながら、支隊々々の休んでゐるオアシスからオアシスへ幾時間もけとほしました。ともすれば、私は日の出と月の出とを、起伏してゐる砂丘の同じ彼方かなたに見たのです。さういふ時に私は、地球はまるい、地球はいつまでも廻つてゐると書かれてあつた地理の教科書の教へを身をもつて体験したのです。さういふ時に私は、人間が大変小さい者だと書かれてあつたカトリック入門書の教へを身にみて体験したのです。しかし、さういふ時こそ、私はジッド先生に教へられた祖先伝来の人間の生活力を胸一杯に感じて、それを満喫して、沙漠のなかでこの上もなく傲慢がうまんになつたものです。風で出来た砂の波の一つ/\に朝の日、昼の日、夕方の日のあたるのを見渡して、全身でもつて傲慢になつたものです。そしてこの前後四年間にわたる、最も忠実な伝令兵としての賞状と履歴書とが、巴里に出た時に何よりも役に立ちました。――大戦では、私は機動部隊に属しました。私は近東でトルコ軍と戦ひ、殊勲章を三度もらひました。私の快活と、私の敏捷、それに私の文明社会に対する多少の批判力から来る落ち着きは、陸上競技聯盟でも職場の自動車店でも、大勢の人々から好かれるもとになりました。これはジッド先生の賜物たまものです。私はアフリカでの思ひ出が、果して先生にとつて愉快なものであるかどうか、疑問に思つてをりますので、巴里では一度も訪問を致しません。それに先生は今ではフランスの一方の代表的精神ですから。しかしそれでも、毎年の降誕祭ノエルには私たちは夫婦の名前で先生御夫妻にお祝状をさし上げてゐます。残念なことに、母は五年前に亡くなりました。私の妻はこの母のめひにあたる女です。私たちには四歳になる娘があります。これがまた、ジッド先生の主張に違反するやつで、年中病気をしてゐる、弱い、弱い子です。」
 エルアフイはしばらく回想にふけつて、黙り込んでゐた。ル・タンの記者はこの運動選手の人柄に予期以上の好意を抱いた。
「ムッシュウ・エルアフイ。お宅には何かジッド先生の記念品がありますか。」
「さやう、今では二つしか残つてゐませんな。一つは先生が私にくれた小刀です。もう一つは先生の奥さんが母に下さつた手鏡で、これはなか/\凝つた品物です。モザイク模様のなかに、主がペテロにお与へになつた言葉が彫り込んであるのです。『なんぢ今こそ好むところを歩めども、老いたらん後は手を伸べん』といふ句です。……」
 記者は、もうすつかり暗くなつた戸外へ出た。彼はまだ善意の人間に会つた後の快感を味はつてゐた。彼はアムステルダム市の古風な都心に出て郵便局を捜した。彼が巴里のル・タン本社へ打つた電報は次のやうなものであつた。
「マラソン優勝者エルアフイ氏は競技の直後特に私を引見し、多彩な彼の前半生について長時間語つた。原稿今夜発送する。」


 九月はじめの巴里である。
 午後三時といふ約束のとほりに、エルアフイ夫人は四つになる娘をつれて、モンソウ公園の裏手にある、聖心会附属の療養院をたづねた。十八世紀のメゾン風の、趣味のいゝ建物である。玄関の扉を開けた白衣の修道女に、ジッド夫人の紹介状を渡すと、すぐに院長室に案内された。修道女は「けふは幹事会がありまして、マダム・ジッドも見えてをります。」と言つた。
 ジロー院長の部屋は静かな木立のある庭に面してゐた。大理石のマリア像が芝生の中央にあつて、黄菊の束が捧げられてある。これが日除ひよけのすだれをとほして室内から見えるのである。壁紙が暗緑なので、エルアフイ夫人にはそれが窓の外に茂つた木立の延長のやうに感ぜられた。うす暗い隅のガラス箱で熱帯魚が小さく光つて泳いでゐた。
 扉が開いて診察服に聴診器を頸にかけた白髪のジロー博士と、これも少しばかり白髪を交へた細面のジッド夫人とが入つて来た。
「お掛け下さい。さて、このお嬢さんですか。」
 ジロー博士は客に椅子をすゝめると、自分も廻転椅子に腰を下ろした。病身のこの娘の様子を、ジロー博士はあらかじめジッド夫人から聞いてゐたのである。
 事の起りは、エルアフイ夫人がアムステルダムの良人をつとから託送して来たオランダ土産みやげ刺繍ししうのある布地をジッド夫人に届けた事からである。ジッド夫人はこの贈物のぬしと、聖心会の事務所で面会したが、ともすれば会話はすぐに途切れがちであつた。わづかに共通の話題は、亡くなつた母のこと、それから聖心会の活動のことである。この気不味きまづさを救つたのは、病身の娘であつた。娘が不意に気分が悪いと言ひ出したので、ジッド夫人は客室の長椅子に寝かせたのである。病人を扱ふ事は、ジッド夫人の数十年来の家事であつた。体温計を与へて見ると微熱がある。顔いろもわるい。夫人はその場で電話器を取り上げて、聖心会病院の院長の診断をうたのである。
 ジロー博士は手馴れた順序で娘の胸と背とに聴診器を当て、注意深くノートを取つた。やがて彼は立つて母子を次の部屋へ案内した。レントゲン室である。午後の美しい日差しに馴れた娘の眼には、其処そこは急にやみのやうに感ぜられた。娘は恐怖から泣き顔になつた。
「さあ大丈夫、大丈夫。」ジロー博士は娘の気を引き立てるやうに云つた。「お嬢さんと同じぐらゐの年のお友達が沢山この部屋に入りましたよ。みんな、ちつともこはくないと云ひましたよ。さあ、すぐ済みますよ。」
 下着姿の娘はレントゲン写真機の前に立つたが、頭を垂れ、みじめな表情で、両手で下着を握りしめてゐた。
「さあ、フロー。真直まつすぐに立つて。」と、エルアフイ夫人が声をかけた。「いつも学校の体操の時にやるでせう。真直ぐに立たないと映りませんよ。」
 娘は泣きじやくりながら直立した。重い撮影の音が起つた。試験が終つたのである。
 ジロー博士は助手に陰画の現像を頼んだ。そして二人を元の居室へ招じた。そこではジッド夫人が幾枚かのレントゲン写真を窓明りにあてて、透かし見てゐた。
「御免下さいな、マダム・エルアフイ。」と夫人が言つた。「私はうちの主人の身体のことで、ジロー博士に御相談をしてゐるのです。」
先生ル・メートルはまたお身体がおわるいのですか。」
「さうではないのですけれど、主人は今度ソヴィエト連邦へ招待されてゐるのです。ソヴィエトはなぞの国だと言ひますし、それに、あまり健康によい所ではなささうですから、博士に御相談をするところなのです。」
 ジロー博士は修道女を呼んで、ジッド夫人の手にある幾つかのレントゲン写真を年代順に並べ、それを白い壁の前に張つたなはつるさせた。言はゞ陰画の万国旗が出来たやうな形になつた。そして、そこに並べられたのはジッドといふ作家の映像ではなくて、たゞの動物的な肋骨ろくこつの陰画であつた。肋骨は枯木のやうにしつかりと枝を張つてゐた。エルアフイ夫人は思はず顔をそむけた。
「奥さん、かうやつて見ると、冬の最中でなければ、ソヴィエト行きはつかへないと思ひますな。――しかし興味の有るのは、ムッシュウ・ジッドの各年代の健康状態です。」博士は学校の教師のやうに竹棒で写真の一つを示した。「これが喀血した年の古い写真です。右の胸に全く雲がかゝつてゐるでせう。これが問題です。それに、こゝに二つ、肉眼では見逃みのがしやすいが空洞があります。これが一番悪かつた時ですな。これが翌年の写真です。翌年も、いくらかよいが、まだ曇つてゐる。ところが、その翌々年に来ると、この写真はどうでせう。肺臓の健康な部分、いや、身体ぢゆうのあらゆる健康な部分が、寄つてたかつて、共同動作で、この肺の疾患の部分に抵抗してゐるのですよ。このとほりです。実に見事な包囲作戦ですな。後半戦は勝ですよ。――ムッシュウ・ジッドがあの強い精神で、病気を癒したのはおれだ、といつもおつしやるのは、或る意味で科学的根拠がありますね。――しかし、私の考は少し違ふのです。この宇宙には、人間の分らない事が沢山ありますな。――星の運行から昆虫の生態までがさうです。このレントゲン写真にしてもさうです。肺のわるい部分に対して、なぜ、どうして、健康な部分がかうも見事に抵抗するのか。実は誰にも分りません。誰の企図か。誰がさういふ事にしたのか。いつからかうなつたのか。いつまでかうなるのか。誰にも、神秘で、分りませんな。」
 部屋の者はみな、しばらく黙つた。
 エルアフイ夫人は立ち上つて控へ目な笑顔を見せながら、それ/″\の人と握手をかはした。街頭へ出た時、並木の暗い緑が、今度は静かな院長室の延長のやうに思はれた。
 バスが来て母子の前にとまつた。
(昭和四年一月。昭和三十二年二月改作)





底本:「現代日本文學大系 62」筑摩書房
   1973(昭和48)年4月24日初版第1刷発行
   1987(昭和62)年9月15日初版第12刷発行
初出:「中央公論」
   1929(昭和4)年1月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年12月5日作成
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