愚かな父

犬養健





 月のいゝ晩がつゞく。月がいゝとわたしは団扇うちはを持つて縁先に出る。こんなわたしにしろ、また隣の二階家の四角な影の二尺ばかり上に照る月にしろ、月を見れば空想ぐらゐはする。わたしはきつと娘の事を考へる。
 許嫁いひなづけの男の両親のもとに家事見習に行つてゐるその娘から、このところ一寸ちよつと便が来ない。このわたしを忘れて、目新らしい生活に夢中になつてゐるのかしらん。それならばまあいゝのだが、先日「今年の夏も」と男の子どもにせびられるに任せて、大磯おほいそで法外な値をつけられた貸別荘をどうやら借りた。其処そこへ若い二人ふたりも呼んで、にぎやかな、わたしの心の保養になる夏を過さうと計画もくろむで、の間娘にその由を知らせてやつたのだが、何の音沙汰おとさたもない。先方の青木家で、わたしのくちを出過ぎてゐるとでも思つてゐるのではないか。万事質素な家なのだから。そして娘まで一所にさう思つてゐるのではないか。
 わたしはどうも青木の家、ことにあの鷹雄たかをといふ、むこになるはずの若者に対しては、つい神経過敏になつてしまふ。それはこの婚約が、わたしが最初不承知で、それからイヤ/\納得したものであるからだ。この婚約がわたしの昔の空想――娘の秋子がまだやつと小学校に行く頃から空想したやうな結婚とは、まるで違つたものとなつて現はれたものであるからだ。
 それはわたしも金持をめがけて娘をやらうとはしてゐなかつた。しかし今度の場合のやうにる若い男が娘を見初みそめて、それを自身の両親に打明けて、さて話の第一歩が当方に向けられたといふやうな成立の婚約は、どうもわたしのやうな昔者の胸には納まらぬのだ。あくまでキチンとした婚約でなくては、子供達を残して死んだ妻にも済まぬやうな気がするのだ。だがわたしも人の父親だ。娘も気がすゝんでゐるのを知つては、気もくじけて万事承知した。そして仲人なかうどには先方の父親にもわたしにも等しく恩人である、市ヶ谷の先生御夫婦が立つて下さるといふのである。わたしは名誉に感じた。先生のお宅ですべて話がまとまつた時、わたしは人前で涙もこぼした。
 が、それから後、わたしは自分の胸に父親として大切に残しておいた最後の楽しみが、それも無残にこはされた事を知つたのだ。それは鷹雄といふ若者が、話にも聞いてゐたがそれ以上の文学者流の神経質で、「俗物」のわたしを見下みくだしてゐるのを、この眼で見知つたことだつた。初対面の挨拶あいさつの時、わたしの義理の子ともならう筈の若者は、いかにもムツツリと構へてゐて、ひと通りの礼儀としての挨拶も碌々ろく/\せぬのだ。わたしは自分が最初この縁組に不承知だつた事を先方で知つてゐる、その互ひの工合わるさ――かういふ目出度めでたい席には禁物の工合わるさをどうかして水に流さうと、自分よりも四十も若い男に向つて、いろ/\と愛想あいそを述べたのだが、あまりのムツツリした不作法に、世馴よなれたわたしでさへ取り附く島がなかつた。わたしが何かの話の工合で、先方の父親に兜町かぶとちやうの景気を一寸うはさした時、若者が露骨にいやな顔を見せたことも、わたしは見逃みのがさなかつた。そして母親は母親で、「こんなカラキシ子供でございまして」と、わが子に対する一通りでない盲目さを、半分は隠しながら半分は見せびらかしてゐる。こんな状態ではと、わたしはその時既にひそかに思つたのだ。聟が第二の息子むすことなつて、年老としとつて行く義父に涙のこぼれるやうな世話をしてくれる。かういふ美しい光景をわたしは幾つか見て来た。そしてその通りの事がわたしの昔の空想だつた。昔からの大切な空想だつた。それが無残にはされたのだ。そして壊した者は、これまでのわたし達の水入らずの生活には赤の他人であつた若者ではないか。
 息子は帝大出なのだ。その帝大出であつて学問中心主義の息子が、わたしに向つて傲然がうぜんと構へてゐるのを見た時に――今になつて何もかもわたしの愚かさを正直に云ふのだが――わたしは三十余年前に、わたしがまだ私立大学の聴講生で下宿屋にゴロ/\してゐた頃、本郷通りなどで出逢であふ帝大生の群に対していだいた、ある弱々しい羨望せんばうをふと思ひ出したのだ。何しろその頃は世の中がもつと官学崇拝だつたから……。この記憶はわれながら不快な記憶には違ひない。其後そののちわたしは学歴の方は思ひ断つて、腕一本と、豪傑流な態度と、大先生のお蔭とでまあ/\こゝまでやつて来た。いくつかの事業もし、小金もめた。だがわたしは何十年振りかで、あの鷹雄の傲然とした態度に相対すると、昔ながらの学歴のない事につい妙なこだはりを感じるではないか。娘に恥をかせずにすむ親でありたいゆゑもある。ともかく実力主義の筈だつたわたしが、話の一つ/\にどうも自分の無学を自覚してしまふのだ。わしはその点を彼に軽蔑けいべつされはしまいかと恐れた。――そして事実、その通りに軽蔑されたのだ。
 しかし娘さへ心から幸福ならばわたしはさう思つてゐる。が、その当の娘も、あの息子の神経質とあの両親の子煩悩こぼんなうでは?――こんな風だから娘から少し消息が途絶えると、わたしは本能的にイラ/\して来る。酒もうまくない。これは誇張ではない。二三日うちに大磯問題の返事を聞き旁々かた/″\、青木家をたづねて見ようと思ふ。一体わたしがあまり行く事は、なるべく遠慮してゐるのだが。


 わたしは都合のわるい時に訪ねて行つて、若い者の何だかチグハグな応対をうけるのを恐れるのだ。一度さういふ事があつた。あの時はさびしかつた。
 それで娘に手紙を出して、いつ頃訪ねて行つたらよからうか。又し今が論文の原稿の真最中ででもあるならば、三四日延してもいゝ。遠慮のない所を云つてくれ。――こんな風にあまり本心でもない文句を強調して書き送つたのだ。多少のひがみもあつた。ところがその返事はどうだらう。――お言葉に甘えて我儘わがまゝを云ふが、今こちらでは、一寸取り込みがある。しばらく延ばしてくれ。そのうちに此方こつちから午後にでも伺ふ、とかうだ。
 何? 取り込みとは何だらう。娘の方から訪ねて来てくれる事は楽しみだが、取り込みとばかり簡単に書いてあるのはこれが又気にかゝる。


 十日ばかり何の音沙汰もない。
 蒸暑い晩だ。例のやうに眠る前に縁先で涼んでゐた。線香も絶え、軒先の蚊ばしらにまたいきほひもついて来たので、蚊帳かやのなかに入らうとしてゐると、不意に玄関の戸がそつと開くのだ。ばあやは風呂へ入つてゐる。「誰方どなたですか」と声をかけて見た。返事がない。わたしは胸さわぎした。立つて行つて障子しやうじを開けて見ると、黄ろい電燈の下に、秋子が包みを持つて悄然しよんぼり立つてゐる。
 わたしは度を失ひながら、かく茶の間に上げた。「どうしてこんなに遅く来た? 何かあつたのか?」かうたづねても、無感覚に黙つてゐる。わたしの癇癖かんぺきの突発を恐れてゐる事が感ぜられた。今度はわたしが手を替へて、優しく下手したでに出た。すると娘はシク/\泣きだして半巾ハンカチで顔をおほつてばかりゐる。わたしは情けなくなつた。声を焦立いらだたせようとすると、われながらそれが感傷的に震へるのだ。
 婆やも吃驚びつくりして風呂から出て来た。二人掛りでなだめたり、すかしたりして白状させた。――やはりつらくて戻つて来たのだ。
「やはりさうだつたか!」わたしは大声に嘆息した。娘の物悲しさうなのが物悲しかつた。かつてこの縁談がまとまつた時、わたしは娘を呼んで、「これで二度とは帰つて来るな。この上はわたしを頼るな」さう云つて聞かせた。それが兎に角こんなに早く反古ほごになつた。その娘の不幸を不幸に感じた。
 だがそれとは別に、わたしの心に明確にわき起る感情があつた。それは娘がわたしの言葉をその儘守らずに、辛らければ他所よそなぞはうろつかず、しかられるのを覚悟でわたしのもとに戻つて来る、その心事に対する云ひ知れぬ満足だつた。云ひ知れぬ安堵あんどだつた。――それから――あのわたしにとつて明確に不適当である若者が、娘にとつてはどうやら不適当に見えた事についての、本能的な喜びだつた。彼に対する一種すが/\しい、痛快味のこもつた心持だつた。そしてわたしは平常へいぜいの感情の吐け口を得たやうに、口をきはめてあの若者を罵倒ばたうして聞かせた。
 婆やとかはる/\いて見ると、鷹雄といふ男は、これは又、実に気六つかしいらしい。気が向くと、朝から晩まで論文の原稿を書く、それがうまく行かぬと不機嫌ふきげんになる。その飛沫とばちりが秋子に向けられる。秋子はオド/\して、鷹雄の時偶ときたま話しかける言葉にも返事がしつくりと行かぬやうになる。するとヂリ/\と不機嫌が更にかうじるのだ。両親はそばにゐても、万事御無理御尤ごもつともにしてゐる。鷹雄はそれをいゝ事にして、両親の前でもわざと秋子に口をかずにゐるやうな事をする。娘にとつてこれが何よりも辛い。さうだらう! だがさういふ事も結局は、秋子が世馴れぬのだといふ風な、無言の批評眼を両親から向けられる事で落ちになるらしい。娘はだん/\臆病になる。そして多少ひがむ。さうなると、口にこそ出さぬが批難は娘に集まる……。
 わしはカツとした。わたしはお世辞者の娘は作らなかつた。だ十八九の初心うぶあれに男の心を始終らさぬ手管てくだが出来るものか。わたしはこんなことを聞いては、娘の純潔を侮辱されたやうに思つて、つとして居られなかつた。「よし。そんな奴は訴へても争つてやる!」こんな事までわたしは口走つた。何か云はねば苦しかつたのだ。処が娘はそれを聞くと、いかにも苦しさうに、もだえるやうな表情をして泣き続けるのだ。その取乱した姿勢を見ると、「なぜあんな男に」かう焦々いら/\と責めたくなる。……娘が何かのわたしの暴言を、さも聞きづらいといふ風にとがめ立てした時、わたしは娘を荒々しく突き飛ばした。そして婆やに止められたりした。
 やがて婆やがいゝ加減にわたしをなだめ、まめ/\しく風呂の湯を取りかへたりして、娘にひと浴びすゝめてゐた。娘が疲れてんやりした顔付きで次の間で帯を解いてゐると、弟共が物音で寝床から起きて来た。ぼけまなこで姉を取囲みながら、何か尋ねてゐる。それをふすまのこちらから見て、わたしは不思議な悲しみを覚えた。同じ屋根の下で、幸も一緒、不幸も一緒といふやうな、血を分けた者の感情にわたしはしつけられた。
 娘が弟共の隣にてから、わたしはいつまでも起きてゐた。わたしは自分の感情を持てあました。わたしは月のさす机に向つて卓燈をけ、青木家に長い激烈な手紙を書いた。時計が二時を打つた。疲れ切つたので、文句も読み返さずにその儘封をした。冷静な時に今一度読み直して、わたしの心の内の常識家が激しい文句を少しづゝ訂正するやうな事を恐れたわけでもある。だが、わしは子を持つた父親として正直に書いた。娘の為にもわたしの為にもそれでいゝ。このありの儘がいゝのだ。


 市ヶ谷の奥様が驚いてくるまで来られた。わたしの報告と青木家の報告とがおやしきでカチ合つたのだから、驚かれるのも無理はない。
 わたしの方からは青木家に対する不満を訴へる。青木家では又娘の無断の家出と、わたしの昂奮した文面に対する不満を訴へたらしい。奥様の遠慮がちなお言葉のなかにその様子が感ぜられた。
 わたしはいきなり、お顔を見るとこんな風に云つた。
「奥さん。一体これは何事でせう。それは私も妻をおいて道楽もしました。しかし家にゐる時は、それは何十年よくしてやりました。不機嫌で困らせるやうなケチ臭い事はしませんでした。それを今の若い者は……」
 奥様は、わしの剣幕で、これは困つたといふ顔をされた。
「それはなる程、鷹雄の仕打は重々わるいでせうし、青木の両親にしてもこれまであんまり一人息子を甘やかしてゐましたね。その点はわたしからよく注意して置きますよ。しかし松山さん、先方から改めてびて来た場合には、貴郎あなたの方でも綺麗きれいさつぱりと秋子さんを円満に青木家に渡して下さるのでせうね」こんな事を云はれた。
 だがわたしはこの御返答には躊躇ちうちよしたのだ。娘は現に神経衰弱を起してゐる。これは親の手許てもとなほさねばならない。たとひ衰弱は別としても、通り一遍の挨拶ぐらゐと引き替へに娘を又向ふに渡して、もう一度あの苦労を繰り返させる気はわたしにはどうしても起らぬのだ。――それに一旦、兎に角無断で飛び出した者が青木の家に戻つた場合の、周囲の批評めいた空気に、十八九の娘がどうして堪へ得よう。鷹雄はなるほど娘を取り戻さうとして躍起になつてゐる。が、わたしはもう釣り込まれない。わたしはもう厭だ。この縁談が一体もう厭なのだ。生みの父親が心底から厭だと思ふ事は、それ自身立派な理由になるではないか。
 娘が婆やに話したところによると、一時は大分思ひつめたものらしい。有り得ない事ではない。あやふかつた。危かつた。――婆やの手伝などをしてゐる面窶おもやつれした顔を今更見てゐると、娘がまだ/\飼兎かひうさぎか何かとさう違ひのないほど、無力無抵抗なことを沁々しみ/″\と感じるのだ。一寸した人生の出来事にも、まだ身体のなかにそれに対する免疫性といふものが少しもそなはつてゐないのだ。……こんな小娘を二十前はたちまへに、他人の家庭に渡すなどといふ事が第一間違つてゐたのだ。わたしが親でありながら、そんないぢらしい事をしてしまつたのだ。もうつく/″\懲りた。
 奥様もわたしの頑固ぐわんこには余程よほど困つて居られたのだらう。「それでは兎に角、この話は今のところこれ以上に進ませもせず、また壊すこともせずといふ事にして置きませう」かう云つて帰られた。
 さて、わたしもくつろがう、明日あす明後日あさつて、早速大磯に移ることにして、それからみんなで真黒に丈夫になる競争をしよう。子供達は去年より出発がもう何日遅れた、などと云つて、しきりに不平を訴へてゐるのだから。


 大磯に来た。元より高台の涼しくて景色のいゝ場所はわたしのやうな者の手には入らぬが、朝晩魚があたらしかつたり、庭先の砂地にかにが出てゐたり、隣家となりの井戸端に海水着が沢山干されてあつたりしてゐると、やはり避暑地の晴々とした安楽を感じる。家の後には麦畑が広々と続いてゐる。鉄道はその向ふを通るのだ。汽車が見えるといふので、男の子は大喜びだ。
 わたしも一所に海水着を買つた。わたしは海から上ると、冷えぬやうに子供達に腹のまはりに砂をかけてもらふ。秋子までが面白がつてそれを手伝ふやうになつた。わたしは幸福だつた。わしの遣り口はどうやら間違つてゐなかつたらしい。――わたしが率先して、茶屋に備へ付けてあるハカリで皆の体量をよく計る。それとなく娘の健康の恢復くわいふく工合を観察するのだ。
 ……夕方、皆で海辺に添うて運動がてら一里近くも歩く。さういふ時、向ふかられちがひに来る学生の群などに出逢ふと、娘は固くなりながら何かの身扮みづくろひをする。その敏捷すばしこい、ほとんど無意識にやつてゐるやうな動作をわたしは見逃しはしない。が、娘としてこれはまあ自然だらう。しかしたとへば、歩き疲れて白砂にどつかと腰を下す。弟が早速いでゐるなぎさでせつせと砂山を作る。それをお転婆な風で手助けする娘が、どうかした拍子に急にその手伝を他所々々よそ/\しくしたりする事がある。わたしが不審がつて四辺あたりを見る。すると遠くの砂丘の上などに、ちやんと観察者がゐるのだ。それも物欲しさうな不良学生ではなく、いかにも良家の子弟らしい少年が他人の家庭の面白さを品よく見物してゐる場合で、さうなのである。かういふ際に、わたしは妙に娘の一挙一動に神経質になる。再び歩き出して、娘が三四歩先きをポク/\と足跡を印して歩いて行つたりすると、わたしはどうも娘の心をのぞきたくなる。海から二人の間にせまつて来る夕闇ゆふやみの関係もあつて、わたしは妙に自分と娘との間隔を感じる。自分の生活と娘の生活とが別々に平行して居ることを感じる。……これではまるで、一人で女親の役目まで引き受けてしまつたやうなものだ。
 青木家から手紙が来た。詫び言と、秋子への改まつた見舞だつた。なまじ深入りしてわたしの感情を返つて乱す事を避け、ごくあつさりと書いてゐる。そこでわたしも通り一遍の――穏和ではあるがいかにも通り一遍の返事を書いた。
 わたしが投函とうかんして帰つて来ると、留守中にその手紙を拾ひ読みしてゐた娘が急いで立つて行くのを見た。そこでわたしの方でも早速裏手に下りて行つて、手紙を風呂のきつけに放り込んでしまつた。


 二百十日に近い波の音の、よく聞える晴天だ。子供達は朝のうちの海水浴の疲れでひと休みしてゐる。汽車の音が遠くから響いて来て、それが暫くみ、また停車場を離れる蒸気の音が起る。空気がからりとしてゐて、これが朝から快活に繰返されてよく聞えるのだ。するとそれに続いて麦畑を縫ひながら、宿屋や別荘に向ふ人間が群になつてチラ/\と動いて来る。こんな風だ。かういふながめの二階で、わたしは碁盤を持ち出してひとり勉強を始めてゐた。
 ……窓の下の砂利道をひとしきり踏んで行く足音がする。今しがた下車した連中だな、とそんな事を思つてゐると、婆やが階段を上つて来た。何だかオロ/\してゐる。そしてわたしの顔色をうかゞひながら、「青木さんからお人が見えた」といふ。わたしは「青木」といふ発音だけでも、一種いとふべきものに対するいやな心持をあぢはつた。が、玄関に降りて行つて覗いた時、わたしは一層云ひやうのない不快を受けた。婆やはわたしを恐れて明らかには云はなかつたのだ。鷹雄自身が菓子折を下げて、其処にゐるではないか。
 双方で気持のわるい躊躇をあらはした。
「あなたでしたか」わたしは露骨に驚いて見せた。
 鷹雄はうつむいて菓子折を解きながら、両親のどちらもこの暑気にあたつてゐて一所に来られなかつた由を述るのだつた。その固くなつた物言ひに、わたしは珍らしく彼の心の弱味を見たやうな気がした。
「この間うちの僕の遣り方は」わたしの剣幕に鷹雄は顔を赤らめて、努力しながら云つた。「悪かつたと思つてゐます。それを今日お詫びします」
 彼はひよつこり頭を下げた。だがわたしは、やはり厭ふべきものに対する嫌厭を味つただけだつた。娘を再び失ふあらゆる段取りに対する、嫌厭を味つただけだつた。わたしは、返事もせずに、帯に手を突込んで冷然と聴き流してゐた。さうすれば自尊心の強い彼は、そんな座には堪へられなくてサツサと引きあげるだらうと推察したからだ。しかし此の場合、鷹雄は忍耐してなか/\引きあげなかつた。わたしは彼の執着を憎悪ぞうをした。
「あの、秋子さん」と鷹雄はたうとう決心して云つた。「その後如何いかゞでせうか」
「非常に疲労してゐます」わたしは素気すげなく答へた。
「さうでせう。まことにすまないと思つてゐます」
 わたしは聞えぬ態度ふりをした。
「どうでせうか……。今日一寸逢つて話したいと思ふのですが」
もつての外だ。今は絶対の安静が必要だと、つい先日も手紙で云つたばかりぢやありませんか」
「しかし僕は逢つた方がいゝと思ふのです」鷹雄もそろ/\文学者流の焦立ちを表はしながら反撥はんぱつして来た。「逢へば必ず感情の行き違ひはすぐに分る事なんです。すぐに分る事が、逢はずにゐるためにスラ/\と行かないのはつまらないと思ふのです。僕が逢へば、秋子さんが無断で帰つたその事を僕に工合わるがつてゐる事だけでも、第一に除く事が出来ると思ふのです」
「それだからなほ、逢はす事は出来んのだ。女が一旦とつぐ事にきめた家を出るといふのは、これはよく/\なのだ。そこを君も考へてくれんければ困る。そのよく/\の上でした事を、君がやつて来て君の弁舌で又気を変らせる。そんな事はわたしにはさせられぬのだ。あれはまだ自分の幸不幸をわきまへる能力のない小娘ぢやあないか。今度はわたしが絶対に監督して、ともかく暫く静養させるのだ。君も学問をした人間ならばその位の事は分つていゝ筈ぢやないか」
「僕はさう考へませんね」わたしをつとにらみながら云ふのだ。「僕と秋子さんの間のゴタ/\なぞは……さう周囲で考へるほどの大した事ではなかつたのです。かへつて周囲で――僕の両親もですが、――大きくした形だと思ふのです」
 生意気な、とわたしは思つた。
「ふーん。それだけ侮辱して貰へば沢山だ。君なんぞ他人の娘の一人や二人、どうなつても大した事ではないのだらう。秋があの通りすつかり衰へて、このわたしも幾晩も眠らずに心配して来た、そんな事は君のやうな学者には察しがつかぬのだらう」
「それはあなたにも責任があるのです」鷹雄もすつかり喧嘩腰けんくわごしになつてゐた。「あなたが秋子さんに向つて、僕や両親の悪口を云ふ。そのために秋子さんが始終気に病んで居た事なぞは、あなたには御分りになりますまい」
「さうか」と、わたしは我慢出来なくなつて来て、出来るだけ憎々しく云つた。「兎に角はつきり云つて置くが、わしにはもう、君なんぞのやうな変人のところに、大切な娘をやる気は毛頭ないのだ。親として厭なのだ。今日の場合も親として君には逢はさんのだ。それを君がどこまでも此処こゝ居据ゐすわつて、娘の心を乱すまでは動かぬといふのなら、わたしにも覚悟があるぞ」
 わたしはこの言分を不当だとは思はなかつた。これは親として自然な恐怖だ。「警察に突き出してやらうか」こんな脅迫観念も頭をかすめた。
「あなたは実に、いやしい事しか分らない人だ」鷹雄は両手を握りしめて、一言々々ひとこと/\強烈に云つた。
「何だと! 出て行け! なぜ出て行かぬ」わしもつひに大きな声を出した。
「さうだ。あなたのやうな人と、こんな話をした僕が馬鹿だつた」鷹雄はしはがれた声を震はせて決心したやうに玄関から出た。
「これも持つて帰つて貰はう。汚らはしいから」わたしは菓子折をゆびさした。
「うん。持つて帰るとも」しきゐまたいで折を抱へたが、その拍子に鷹雄は板戸に出てゐる靴の刷毛ブラシをかけるくぎそでを引つかけた。だが彼は自暴して、その袖を力一ぱい引つたくるやうにした。白絣しろがすりが二三寸ビリ/\と破け、勢ひでひぢをグツととがめたやうだつた。鷹雄はしかし、袖ごと傷を押へて、昂奮から足が自由にならぬ歩き付きで、砂地を荒々しく踏みながら門を出て行つてしまつた。……取り残されたわたしは妙な心持になつた。それは自分の家であゝいふ傷をした他人を、だ見て見ぬ振をした事のない経験から来る、妙に気のぬけた心持だつた。
 玄関から戻つたが、襖を隔てた部屋では子供達がコトリともしない。わたしは先刻大きな声を出してしまつた以上、襖をガラリと開けて、わたしの正当をうんと主張して聴かせてやらうと思つたのだが、襖の向ふは奇妙にしんとしてゐる。わたしにすつかりおびえてゐるのだ。わたしは階段の登り口から台所をチラと見た、婆やも後ろを向いたきり黙つて用をしてゐる。わたしは物足りない、孤独な心持で二階に上つた。ぐつたり畳に寝ころんだ。
 わたしは天井を見つめながら自分を是認しようとした。あれも仕方がなかつたのだ、さう思はうとした。まだ/\自分自身の考へといふものは持つてゐない娘に、あの無鉄砲な執着を見せては大変だつた。あれでよい。かう思ふことにした。そしてこれ程にまでにわたしを強硬にさせる、自分の内の「父親」を、我ながら沁みじみ振り返る心持になつた。……わたしも生きてゐる。わたしも幸福でゐたい。
 二階から声をかけて、子供達を海水浴に行かせた。そして永い間わたしは仰向けになつて、明るい影の動く天井を見てゐた。


 一週間ばかりたつ。あれ以来、娘の茫然ばうぜんとした無口にわたしは手古擦てこずつてゐる。――娘も婆やもわたしを敬遠して、その癖言ひ分ありげな様子を見せてゐる。その態度がわたしにこらへられなかつた。わたしは自分から荒々しく切り出した。わたしのどこに悪い処があつたかと! ところが娘も婆やも部屋のすみで、互に引つ附きあはんばかりにしてゐるのだ。わたしは強情に――さういふ感じがしたのだが――押し黙つてゐる娘をたうとう打つた。あれを打つたといふ触感が淋しくわたしの手に残つた。娘は泣く、わたしも涙をこぼす始末だ。それから感情がしづまると、「これも皆お前が可愛かはいいからだ」といふやうな愚痴を、わたしはしきりと説いた。酔醒ゑひざめの風が冷いやうに、娘の心の離反に対する不安がわたしには冷かつた。――果してその翌日位からのあの無口だ。どう手を替へて見てもそれがゆるまない。わたしは海水浴にも婆やを附けて行かせる事にしてゐる。……独りで留守をしてゐると、此先このさきどうしたものかを心細く考へる。何か娘に向つて具体的な事を云ひ出さねばなるまいと思ひながら、藪蛇やぶへびを恐れて一日々々と延ばしてしまふ。

 けふもわたしは皆を海辺に出した。五時過ぎだつた。子供達が遠くからそれと分る話声を立てて帰つて来ると、秋子が一所にゐない。「姉さんは」とわたしは聞いてみた。頭痛がすると云つてさつき一人で家へ帰つたといふ。さう云はれれば、階下したでコト/\と物音がしてゐたやうにも思つた。部屋になつてゐる四畳半の襖に行つて、「どうかしたかね」かう断つて開けて見たが、ガラきである。だがわたしは机の上の紙片かみきれを目に付けた。
 ――お定まりの書き置きだ! 娘は青木の家に帰つたのだ。
おれの立場を一体どうしてくれる!」わたしは思つた。勝手にするがいゝ、さう思つた。わたしは未練がましく女学校風な文章を飛ばし読みした。
「……確かに私はヒステリーとか云ふ風になつてゐたのでございます。あんまり境遇が一時に変つて、気にかけなくてはならない事ばかり、(これは辛い事の意味ではございません)身のまはりにあるので、それが段々重荷になつて、つまらない事まで気になり始めたのでございます。自分でたゞ無暗むやみとつらい/\と思ひ込むやうになつて、たうとうあんな真似まねをしてしまひました。けれども今になつて見ると、やはり青木に帰らなくては、私は落ち着けないやうに思ひます。これは父上様のよくおつしやる、気まぐれではないやうに思はれます。云々」
「なーんだ」わたしは出し抜かれたやうなうつろな気になつた。わたしは腕組をして、四畳半をたゞうろついた。帽子をかぶつて外に出た。
 兎も角もわたしは停車場に行つて見た。だがそれは、次の汽車に乗つてでも捕へなくては、と云ふやうな焦慮からではなく、たゞ動揺してゐる感情を自分ででてやる為だつた。――一つ前の列車にしても、もう四十分前に出てゐた。しかし、書き置きの文句の割合にしつかりしてゐる点から、わたしには娘の身の上の間違を気遣きづかふ心持はほとんど起らなかつた。わたしは電信受付口で青木家に電報を書いた。わたしには一寸努力の要することだつた。……汽車の発着のない火点ひともごろの構内で、ガランとした三和土たゝきの上に立つて、何かこれでもう考へ落した事はなかつたかと思つて見た。元の往来を引返すと、新月が黄ろくシグナルは、夜間の電燈応用の分に変つてゐた。
 あれほど折合の悪くなつて来てゐる青木の家に単独で汽車に乗つて戻つて行く。そんな気力があの娘の身体に存在してゐたかと考へると、わたしにはどうも吃驚せぬ訳には行かなかつた。「若い者の心理状態は、何が何やら訳が分らん」――わたしは足元の暗くなつて行く線路の枕木を、足の感覚に頼つて茫然踏んで行きながらかこつたものだ。が、わたしには一方ぐつたりとした安堵もなくはなかつたのだ。もうかうなつてはわたしの思慮の尺度には合はない。すべての人間の心理状態がすべてわたしには新式過ぎる。
「痴話喧嘩の真似事でも昂じたのか」
 わたしは殊更ことさら冷淡に思つて見たりした。
 家に帰つてわたしは冷えた食事をした。柱時計を見て「今頃品川に着いたらう」と時刻を計つてみた。今になつてはあの青木の「高い閾」を自分から跨ぎに出て行つた娘の気力に、わたしの方から頼るやうな心持になつてゐた。そして今生きてゐず、地面が無感覚なやうに無感覚でゐる妻を、何も知らずに静かだと思つた。平穏だと思つた。
 わたしは電燈を机の上に引寄せて、すぐさま先生御夫婦に報告をしたゝめた。「何事も親馬鹿と申すべきか」――形容詞を使ふやうにこんな文句を使つた時、それが何故なぜか今のわたしには気に入つた。


 三日の後に、奥様からのお召しで上京した。柘榴ざくろの茂つてゐる市ヶ谷のお邸の門はどうもくゞりにくかつた。正直に云へば、娘が最初青木の家を飛び出した原因はまだわたしにはに落ちず、また娘と鷹雄の間の心持も何が何やら一向理解出来ないのだが、わたしが黙す事でこの場合すべてうまく行くといふなら、まあ/\黙さうと思つてゐる。――わたしは青木の父親もやはりお召で来合せてゐる事を御通知で知つてゐた。だがわたしが内玄関に入つた時、青木の一家残らずの下駄が其処にずらりと並んでゐるのを見た。そのなかに秋子の華手はでな鼻緒のもちやんと交つて、母親の地味な下駄の隣りに引つ附いて脱ぎててあるのだ。わたしは何だか感動した。老年らしい感動だつた。……珍らしく茶の間にすぐには通されず、別室で十分ばかり待つた。

 ……兎も角もわたしは愚かな父親だ。そしてさう思ふ事は、わたしには決して不快ではない。わたしは人の父親として、決して立派な賢い人間ではなく、子ゆゑの愚かさをさらけ出した親なのだ。わたしが親馬鹿を以て任ずる事には、此の度の自分の遣り口に就ての弁解の心持も幾分あるかも知れない。が、しかし、わたしのやうな凡人が五十の坂を越して別に成功を見ずにゐる今は、子供が行先どうなるかといふ事の他には、もう世の中に大した魅惑のないことも厳として存する事実なのだ。
 わたしは子供のために骨肉をけづつて働いて来てゐる。五十を過ぎてからは特にさうだつた。わたしには遂に出来なかつた学問も養生も子供には十分にさせたいといふのが、わたしの執念なのだ。大先生のやうな方は別として、わたしのやうな無学な凡人であつて、かも無学であると云ふ自覚にやはり超越出来ずにゐる不成功者は、自分よりも出来のいゝ子供を仕上げるためにアクセクして、三度の飯も二度にして、その為に早く年もつて、やがて死ぬのも無意味ではないのだらう。それがわたし相応の置土産おきみやげなのだらう。……だが何時いつか、こんな親のこんな意志もちりと積つて、子供が駄目ならば孫、孫もあだに過ぎたら曾孫ひこの代に、ひよつこり偶然のやうに人物が出て、偉い学問もして、わたしのやうな者の無学徒食の一生の総勘定をしてくれる事もあらうと思ふ。今後晩年が益々わたしの身に振りかゝつて来たら、この考はもう一層、わたしの生活の信条になるかも知れない。

 ……奥様が日中の森閑とした廊下から声をかけられた。わたしは立つて行つた。日除ひよけの簾戸すどで暗く感ぜられる角座敷かどざしきの入口に足を踏み入れた時、わたしは正面に坐つてゐる青木の父親をチラと見た。しやの衣服のためか妙に細つそりとして、まぶしい庭を背にして縁近くにかしこまつてゐた。――疲れを隠すことの出来ないそのほゝと肩先に、わたしは自分の影を見たやうに思つた。
(大正十一年十一月)





底本:「現代日本文學大系 62 牧野信一 稻垣足穗 十一谷義三郎 犬養健 中河與一 今東光集」筑摩書房
   1973(昭和48)年4月24日初版第1刷発行
   1987(昭和62)年9月15日初版第12刷発行
初出:「新小説」
   1923(大正12)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2019年7月30日作成
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