森林と樹木と動物

本多靜六




やまひと


(一)森林しんりん效用こうよう

(イ)洪水こうずい豫防よぼう
 森林しんりんとはやまをか一面いちめんに、こんもりしげつて、おほきなふかはやしとなつてゐる状態じようたいをいふのです。われ/\のとほい/\最初さいしよ祖先そせんが、はじめてこの地球上ちきゆうじようあらはれたころには、森林しんりんは、そのまゝ人間にんげんみかでもあり、またものどころでもありました。たゞいまでも馬來半島まれいはんとうのある野蠻人種やばんじんしゆは、えだうへいへつくつてんでゐますが、これなどは、いまつたように、人間にんげんがぢかに森林しんりんなかにゐた習慣しゆうかんのこつたはつた面白おもしろ一例いちれいです。ともかく大昔おほむかし人間にんげんは、森林しんりんんで、くさや、や、野獸やじゆうや、かはさかななどをとつて、なまのまゝでべてゐたもので、ちょうど今日こんにち山猿やまざるのような生活せいかつをしてゐたのです。
 それが、だん/\と人口じんこうがふえ、みんなの智慧ちえひらけてるにしたがつて、やうやくといふものを使つかふことをり、もの※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)たりいたりしてべるようになり、またさむいときにはもやしてあたゝまることをおぼえたのです。つまりまきすみ材料ざいりようとして森林しんりん利用りようするようになつたわけです。それに、また一方いつぽうでは人口じんこう増加ぞうかにつれてこれまで食料しよくりようにしてゐたくさもだん/\りなくなり、それをおぎなふためにはたけをこしらへて、農作のうさくをする必要ひつようがおこるし、同時どうじにまた野獸やじゆうも、しだいにすくなくなつてたので、牧畜ぼくちくといふことをしなければたちいかなくなりました。その農作地のうさくち牧場まきばとをつくるためには森林しんりん一部分いちぶぶんはらはらひしました。ですから彼等かれらのゐる村落附近そんらくふきん山林さんりんは、のちにはだん/\にせまく、まばらになつてて、つひにはまき材料ざいりようにも不足ふそくするようになりました。
 なほ人智じんちがいよ/\發達はつたつ人口じんこうがどん/\すにつれて、最後さいごには奧山おくやままでもつて家屋かおく橋梁きようりよう器具きぐ機械きかい汽車きしや電車でんしや鐵道てつどう枕木まくらぎ電信でんしん電話でんわ[#「電話の」は底本では「電信の」]はしらといふように、建築土木けんちくどぼく用材ようざいにも使つかふようになりました。それから、おほきな木材もくざいからこまかな纎維せんいをとつてかみをこしらへたり、そのほかにも使つかふようにもなり、最近さいきんでは人造絹絲じんぞうけんし原料げんりようにも澤山たくさん木材もくざい使つかつてゐます。こんなふう薪炭用しんたんよう建築土木用けんちくどぼくよう木纎維用等もくせんいようなどのために森林しんりんはどん/\たふされ、ふかやま、ふかい谷底たにぞこ森林しんりんまでがだん/\にあらされるようになりました。かうなると大雨おほあめるたびに、やまつちすなはどん/\ながれおち、またおそろしい洪水こうずいがおこるようになりました。
 日本につぽんでは明治維新めいじいしんのち森林しんりんをむやみにつた結果けつか方々ほう/″\洪水こうずいをかされ、明治二十九年度めいじにじゆうくねんどには二萬九百八十一町村にまんくひやくはちじゆういつちようそんといふものがみづにつかり、一千二百五十人いつせんにひやくごじゆうにん死人しにん二千四百五十人にせんしひやくごじゆうにん負傷者ふしようしやしたほかに、ふね流失りゆうしつ三千六百八十隻さんぜんろつぴやくはちじつせきいへながれたり、こはれたりしたのが七十二萬九千六百餘棟しちじゆうにまんくせんろつぴやくよむね田畑たはたあらされたこと七十八萬五千餘町しちじゆうはちまんごせんよちようのぼり、そのほか道路どうろ破損はそんはしながれおちたものなどくはへて、總損失そうそんしつ一億一千三百餘萬圓いちおくいつせんさんびやくよまんえん、その復舊費ふつきゆうひ二千四百餘萬圓にせんしひやくよまんえんれると合計ごうけい一億三千七百餘萬圓いちおくさんぜんしちひやくよまんえんといふ計算けいさんでした。つまりそのとし日本につぽん外國がいこく輸出ゆしゆつした總額そうがく一億一千七百萬圓いちおくいつせんしちひやくまんえんよりもまだはるかおほくの金額きんがくだつたので、人々ひと/″\はみんな洪水こうずい大慘害だいさんがいにはふるあがつたものです。
 かうしたおそろしい洪水こうずいはどうしておこるのかといへば、それはむろん一時いちじ多量たりようあめつたからですが、そのあめ洪水こうずいになるといふそのもとは、つまりかは水源地方すいげんちほう森林しんりんあらされたために、雨水うすいとゞめためておく餘裕よゆうがなくなり、つただけの雨水うすいいちどにながくだつて、やまにあるつちすな河底かはぞこながうづめるために、みづながれかたがきゆうかはつて、あふれひろがるからです。
 よくしげつてゐる森林しんりんでは、つたあめ四分しぶんいちえだうへにたまつてのちにだん/\と蒸發じようはつします。そしてのこつた四分しぶんさんあめからえだえだからみきながれて、徐々じよ/\地面じめんち、そこにあるられるのです。實際じつさい試驗しけんによるとまつは、その目方めかた五倍分ごばいぶんみづをたゝえ、たもつことが出來できます。ですから、一貫目いつかんめだけの分量ぶんりようまつは、五貫目ごかんめみづふくむことになります。なほまつよりほかのいろ/\な雜木ぞうき苔類こけるい七倍しちばい十倍じゆうばいもの雨水うすいふくみためることが出來できますから、森林しんりんではかなりの大雨おほあめがあつても一時いちじ洪水こうずいすことはなく、雨水うすい數日すうじつかゝつてそろ/\ながし、また地中ちちゆうにもおほくしみこみます。だからやま森林しんりんしげつてさへゐれば、けつして洪水こうずい心配しんぱいはないのです。

(ロ)水源すいげん涵養かんよう
 森林しんりんはかように雨量うりよう調節ちようせつすることが出來できると同時どうじ一方いつぽうでは水源すいげんやしなひとなり、河水かすいれるのをふせぎます。くはしくいふと森林しんりんなか比較的ひかくてき濕氣しつきおほく、温度おんどひくく、しげつてゐますから、水分すいぶん蒸發じようはつすることもすくない。またさきほどおはなししたように、や、苔類こけるいみづおほふくみ、したがつて、地中ちちゆうにも多量たりよう水分すいぶんをしみこませますから、たとひ旱天かんてんひさしくつゞいても森林しんりんはそのたもつてゐる水分すいぶん徐々じよ/\ながし、河水かすいれないことになるのです。
 かういふわけで、森林しんりん洪水こうずいがいふせぎ、かはみづ不斷ふだんえずながし、水田すいでんをもからさないといふてんで、土地とち安全あんぜんたもつてくれる效用こうようがあることがわかつてたので、以來いらいはじめて森林しんりん保護ほごしてそだてるようになり、なほ國土こくど保安ほあんのために森林しんりん一部いちぶを『保安林ほあんりん』といふものにして、永久えいきゆうらないでくようにもなつたのです。
「温根湯の國有林」のキャプション付きの図
温根湯の[#「温根湯の」は底本では「温根場の」]國有林

 その保安林ほあんりんだけでは、そこからなが河川かせん流域一帶りゆういきいつたい人々ひと/″\利益りえきをうけるといふのみで、これだけではまだ完全かんぜん一國民全體いつこくみんぜんたい森林しんりん利用りようしてゐるとはいへませんでしたが、ついであらはれて水力電氣すいりよくでんきそのものはすべてこの都市とし村落そんらく燈火あかりや、いろ/\の動力どうりよくにも利用りようせられ、電車でんしや電信でんしん電話でんわ電燈でんとう工業用機械動力こうぎようようきかいどうりよくをはじめ、朝夕あさゆふ※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)にたき、すとうぶ按摩あんま行火あんかかはりにまでももちひられるようになり、今日こんにちでは人間にんげん生活上せいかつじよう電氣でんき寸時すんじくことの出來できない必要ひつようなものとなりました。その水力電氣すいりよくでんき水源すいげん森林しんりんによつて、はじめて完全かんぜんやしなふことが出來できるのです。それで、いまではとく山岳地方さんがくちほう森林しんりんは、いちばんにはこの意味いみ水源すいげんやしなふのに利用りようされ、建築土木用けんちくどぼくよう木材もくざいや、薪炭材料等しんたんざいりようなどをとるのは第二だいにとされるようになりました。
(ハ)精神せいしん保養ほよう
 しかし、ずっと最近さいきんでは、森林しんりん利用りようを、もっとすゝめて、直接ちよくせつ人々ひとびと健康けんこうのために應用おうようすることをかんがへつきました。大部分だいぶぶんひと生活せいかつしてゐる都會とかいは、せま土地とち大勢おほぜいひとみ、石炭せきたん煤煙ばいえんや、そのほか塵埃じんあいでもって空氣くうきがおそろしくにごつてをり、また各種かくしゆ交通機關こうつうきかん發達はつたつして晝夜ちゆうやわかちなく、がた/\と騷々そう/″\しいので、都會とかいひとは、からだよわくなつたり病氣びようきをしたりします。それで時々とき/″\自然しぜん森林しんりんあそんで、すがすがしい空氣くうきひ、精神せいしん保養ほようする必要ひつようがあります。都會とかいには大小だいしよう公園こうえんまうけられてゐますが、そんなものは完全かんぜん安靜場所あんせいばしよといへません。どうしてもまちとほはなれたうつくしい自然しぜん森林しんりんかけるにしたことはないのです。この意味いみ近來きんらいやすみを利用りようして各地かくちひらいてゐる林間野營りんかんやえいや、それから山岳旅行さんがくりよこうなどはまことに結構けつこうなことです。おたがひ身體しんたい丈夫じようぶでなければ何事なにごと出來できませんから、あたらしい空氣くうき呼吸こきゆうと、十分じゆうぶん日光浴につこうよくと、運動うんどうとによつて食物しよくもつをうまくべることが一番いちばん大切たいせつです。これがために運動うんどうや、競技きようぎや、登山とざんなどいへそと生活せいかつすることがはやり、ひいては森林しんりん世人せじん休養きゆうよう保健ほけんのため利用りようすること、つまり森林しんりん公園こうえんとして利用りようすることがさかんになつたわけです。
 以上いじよう森林しんりんひととの密接みつせつ關係かんけい人間にんげんむかしから森林しんりんをいろ/\に利用りようしててゐるおはなしをしました。このほかにも森林しんりん人間にんげん生活せいかつにいろ/\の役立やくだちをしてゐます。
(ニ)氣候きこう調節ちようせつ
 やましげつてゐれば、氣候きこう調節ちようせつをはかることが出來できます。森林しんりんでおほはれてゐる土地とちは、日光につこう枝葉えだはさへぎられて、地面じめんあたゝめることがすくないのと、もうひとつは、日光につこう直射ちよくしやによつてめん水分すいぶん蒸發じようはつするときに、多量たりよう潜熱せんねつ必要ひつようとします。潜※せんねつ[#「執/れんが」、U+24360、199-9]といふのは物體ぶつたい融解ゆうかいしたり、また蒸發じようはつするときにようする※量ねつりよう[#「執/れんが」、U+24360、199-9]です。そんなわけで森林しんりん附近ふきん空氣くうきはいつもえてゐます。ちょうどなつあつに、庭前ていぜんみづをまけばにわかにすゞしさがかんぜられるのとおなじりくつです。しかし、よるになると森林しんりんは、枝葉えだは土地とちをおほつてゐますから、その地面じめん空氣くうきと、ねつ[#「執/れんが」、U+24360、199-12]放散ほうさんするのをさまたげるので、そこの空氣くうきかたすくないことになります。
 かうしてはやしなか空氣くうきは、つねはやしそとくらべて、晝間ちゆうかんすゞしく、夜間やかんあたゝかで、したがつてひるよるとで氣温きおんきゆうかはることをやはらげます。そしておなじわけで、なつすゞしく、ふゆあたゝかくして、一年中いちねんじゆう温度おんど變化へんか調節ちようせつします。
(ホ)ゆきなだれと海嘯つなみ防止ぼうし
 それからまへにおはなしした洪水こうずい豫防よぼうや、水源すいげん涵養かんようのほかに森林しんりん雪國ゆきぐにですと『ゆきなだれ』のがいふせぐことも出來できます。ゆきなだれとは、傾斜地けいしやちつもつたゆきが、はるあたゝかくなつたために、下側したがは地面じめん氷結ひようけつした部分ぶぶんきゆうけるのでもつて、きゆうすべちるもので、そのために山麓さんろく人畜じんちく農地のうち道路等どうろなど破損はそんし、土砂どしや岩石等がんせきなどおとして、おそろしいがいあたへることがあります。これも森林しんりんがあればゆききゆうけませんし、たとひ、おちたゆき樹幹じゆかんさゝへられるので、なだれがおきないですむのです。
 また森林しんりん海岸かいがんにあれば、天災中てんさいちゆうの、おそろしい『海嘯つなみ』のがいすくなくなります。かの明治二十九年めいじにじゆうくねん三陸地方さんりくちほう海嘯つなみ被害區域ひがいくいきなが百五十ひやくごじゆうまいるにわたり、死者ししや二萬二千人にまんにせんにん重傷者じゆうしようしや四千四百人しせんしひやくにんいへや、ふねながされたもの、農地のうち損失そんしつなどで損害そんがい總額そうがく數千萬圓すうせんまんえんのぼりました。こんな海嘯つなみなどは、到底とうてい人間にんげんちからふせめることは出來できませんが、しかし、もし海岸かいがんうて[#「浴うて」はママ]おびのように森林しんりんがあれば、非常ひじよう速力そくりよくでおしせてくる潮水しほみづいきほひぎ、したがつて慘害さんがいすくなくなる道理どうりです。
 かういふふうに、森林しんりん效用こうようげればかぎりもありません。ところで日本につぽんにはかういふ大切たいせつ森林しんりんがどのくらゐあるのかといひますと、日本中につぽんじゆう森林面積しんりんめんせき總計そうけい四千三百九十二萬町しせんさんびやくくじゆうにまんちようで、じつ日本につぽん土地とち總面積そうめんせき六割四分ろくわりしぶをしめてゐます。これを國民こくみん頭割あたまわりにしてますと、一人いちにんにつき平均へいきん五反五畝五歩ごたんごせごぶあたります。すなはち皆樣みなさま五反五畝五歩ごたんごせごぶ森林しんりんなか一人ひとりづゝめる勘定かんじようです。
 もと/\やまには、たかやまひくやまなめらかなやまけはしいやまとさま/″\ありますが、日本につぽんでも、どれにも、はじめは、自然しぜんしげつてゐたのです。もっとも、富士山ふじさん日本につぽんアルプス以下いか、すべての高山こうざんいたゞちかくには、さむさがつよくて樹木じゆもくそだちません。このことはのちにくはしくおはなしします。しかし普通ふつうやまではそだつてゐないところはなかつたのです。それがまへつたように人間にんげんおほくなるにつれて木材もくざいがいよ/\おほ必要ひつようとなり、どんどんるため、村落そんらくちかやまはもとより、たかやまにも青々あを/\としてゐたくなつてあかやまはだをせるようになつたのです。こんなあかはげやまは、やまとしてはけつして立派りつぱなものとはいへません。人間にんげんでいへばからだばかりおほきくてとく智慧ちえもないとすれば、ひととしててんで品位ひんいがないのとおなじです。たとひひくやまでもがよくしげつてゐれば、やまのねうちがあつて、かぎりない效用こうようをもちます。
 つまりやまたかいばかりがたつといのではなく、しげつてゐるので本當ほんとうたつといのです。そのためには、いふまでもなく、おたがひ十分じゆうぶんやまあいして、むやみにらないようにし、もしれば、そのあとかはりのゑてたてることをわすれてはなりません。

(二)やまあいせよ

 以上いじようのわけで一國いつこくやま全部ぜんぶ青々あを/\としてゐるあひだはそのくにさかんになるのですが、反對はんたいに、いくら、必要ひつようだからとつて、やたらに樹木じゆもくるばかりで、あらしつくしてしまへば、そのくにほろびることにもなります。なほ伐木ばつぼくについで用心ようじんしなければならないのはおそろしい山火事やまかじです。なまはちよっとえにくいようにおもへますが、一度いちど火勢かせいがつけば、こんもりとしげつたうつくしい森林しんりんもまたゝくまにはひになつてしまふのです。はるからなつにかけてやまゆきえたころが、この山火事やまかじ一番いちばんおほときで、煙草たばこがらや、たきをしたひとのちよっとした不注意ふちゆういで、百年ひやくねんかゝつて出來上できあがつた森林しんりん數時間すうじかんもたゝないあひだに、すっかりけてしまふわけです。だから山登やまのぼりをするひととく用心ようじんをすることが大事だいじです。
 ついでですが、みなさんはばかりでなく、そこいらのまちなかにある樹木じゆもく大切たいせつにしてえだつたりしないようにしてくださらなければいけません。はるうつくしいはなくのがたく、なつあついときにすゞしい木蔭こかげしい以上いじようは、にはでも、まちのなみでも、おなじように可愛かわいがつてやらねばなりません。こないだの關東かんとう大震災だいしんさいのときには、淺草あさくさ觀音かんのんのおどううらいてふ片側かたがは半分はんぶんけても、半分はんぶん枝葉えだはのためにがおどうえうつるのをふせぎました。ひとりいてふかぎらず、しひのきかしのきなどいへのまはりや公園こうえん垣根沿かきねぞひにゑてあるは、平常へいじよう木蔭こかげかぜよけになるばかりでなく、火事かじときには防火樹ぼうかじゆとして非常ひじようやくいへかずにみ、ときにはひといのちすらすくはれることがあることもわすれてはなりません。
 こんなに樹木じゆもくでもおたがひにとつていろ/\なやくつことをおりになつたら、みなさんもみちばたにあそんでる子供こどもがなみかはいたり、えだつたりしてゐるのをられたらすぐにかせて、とめてくださらなければこまります。それはとりもなほさず樹木じゆもくあいし、いてはやまをもあいすることになつて、國家こつか安榮あんえいをつくることになるからです。


樹木じゆもくはなし


(一)傳説でんせつ巨木きよぼく

 いまから一千八百年いつせんはつぴやくねんばかりむかし筑紫つくしいま九州きゆうしゆう)に扶桑木ふそうぼくつて、なかまれ大木たいぼくがありました。そのたかさは九千七百尺餘きゆうせんしちひやくしやくよだつたといひますから、富士山ふじさん七合目しちごうめのちよっとしたまでのびあが勘定かんじようです。そのくらゐですからえだもおそろしくしげりひろがつてゐてあさ杵島岳きしまだけかくし、夕方ゆふがた阿蘇山あそさんおほつて、あたりはひるも、ほのぐらく、九州きゆうしゆう半分程はんぶんほど日蔭ひかげとなり、百姓ひやくしようこまいてゐたといひますが、さいはひにもあとでつひにその大木たいぼくたふれてしまひました。十二代じゆうにだい景行天皇けいこうてんのうが、筑紫つくし高田たかだ行宮あんぐう行幸ぎようこうされたときには、なが九千七百尺きゆうせんしちひやくしやくのその丸太まるたが、はしになつてかゝつてゐました。そこで天皇てんのう大勢おほぜい家來けらいたちをおつれになりそのながい/\丸木橋まるきばしうへをおわたりになつたといふことが、日本書紀につぽんしよきといふほんてゐます。また一説いつせつには、その丸木橋まるきばしいま熊本くまもとあたりから、有明ありあけうみわたつて肥前國ひぜんのくに温泉岳うんぜんだけまでかゝつてゐたともひます。おそろしいおほきなではありませんか。
 しかし、これはたゞ傳説でんせつですから、あてにはなりませんが、これからおはなしするのは、普通ふつうどこにもあり、みなさんがいつでも實際じつさい御覽ごらんになれる樹木じゆもくのおはなしです。おたがひ注意ちゆういしたいこと、また、いつもは、だれものつかぬようなことを、はなしておきませう。

(二)おほきさによる樹木じゆもく區別くべつ

 たゞ樹木じゆもくといつてもまつすぎのようなおほきくなるもあり、つゝじぼけのように、たかびないで、えだひくくわかれ、ちひさい機状きじようになるものもあります。このまつすぎのようにたけたかくなり、かたちおほきくなる樹木じゆもくを『喬木きようぼく』といひ、つゝじぼけのようにかたちちひさく、機状きじようしげを『灌木かんぼく』とびます。このふたつの種類しゆるいはみなさまのおうちのにはでも、公園こうえんや、やまや、どこへつてもられます。ぎには樹木じゆもくかたちによつても區別くべつされます。

(三)かたちによる樹木じゆもく區別くべつ

 すべての樹木じゆもくはそれ/″\かたちがちがつてゐますが、それをおほきくふたつにけることが出來できます。ひとつはあをぎりのように、ひろがつたおほきなかたちのもので、これを『濶葉樹かつようじゆ』とよび、もうひとつはまつのようにはりかたちをしたつたでこれを『針葉樹しんようじゆ』とよびます。普通ふつうみなさんのおにふれるひますと、
(イ)針葉樹しんようじゆぞくするものは、あかまつ、くろまつ、もみ、つが、すぎ、ひのき、かやなど
(ロ)濶葉樹かつようじゆぞくするものは、さくら、もみぢ、やなぎ、あをぎり、くり、かし、しひ、くすなど
です。
 しかおな針葉樹しんようじゆなかにもまつひのき大變たいへんちがつてゐますし、濶葉樹かつようじゆなかにもあをぎりのようなひろおほきいもみぢのように掌状しようじようかれたやなぎのように細長ほそなががあります。それからまつのように一年中いちねんじゆうかはらず青々あを/\しげつてゐるのがあるかとおもふと、さくらのようにはるからなつにかけてはあをしげつてゐるが、あきすゞしいかぜきはじめると、だん/\みどりいろ黄色きいろかはり、やがてふゆさむかぜころはさら/\とるものもあります。かくまつやしひの[#「しひの」はママ]、かしのなどのようにふゆあひだでもえだのようにならず一年中いちねんじゆう青々あを/\したつてゐるを『常緑樹じようりよくじゆ』といひ、もみぢさくらのように毎年まいねんはるになるとき、ふゆにはれたようにえだからおとを『落葉樹らくようじゆ』とよびます。なほ針葉樹しんようじゆであつて常緑じようりよく(まつ、すぎなど)を『常緑針葉樹じようりよくしんようじゆ』といひ、代濶葉樹かかつようじゆ[#「代濶葉樹かかつようじゆで」はママ]あつて常緑じようりよく(かし、くすとう)を『常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆ』とよびます。同樣どうようおとへるに『落葉針葉樹らくようしんようじゆ』(からまつ、いてふなど)と『落葉闊葉樹らくようかつようじゆ[#「落葉闊葉樹」は底本では「落葉闊緑樹」]』(さくら、もみぢなど)のべつがあります。いてふには比較的ひかくてきひろいがあるが植物學上しよくぶつがくじようでは、やはり針葉樹しんようじゆなかにはひるのです。
「暖帶林の特徴(かし・しひ等の濶葉樹林)」のキャプション付きの図
暖帶林の特徴(かし・しひ等の濶葉樹林)

(四)はるのおとづれ

 みなさんがお正月しようがつやすみをへて、ふたゝ寒風かんぷうなか學校がつこうにおかよひになるときには、おほくのかず、れたようにねむつてゐますが、なかにはまんさくのようにさむかぜにもへてはやく、一二月いちにがつころのような小枝こえだに、黄色きいろはなけたり、また蝋梅ろうばいのようにもっとはやゆきなかかをりたかくほこるものもあります。そんなのをると、もうはるたのかとおもはれます。蝋梅ろうばいはもと支那しなさんですが、はや我國わがくに移植いしよくされおほくは庭木にはきとして灌木状かんぼくじようをしてゐます。東京とうきようでは一月いちがつ中旬ちゆうじゆんつぼみひらはじめ、二月にがついたつて滿開まんかいし、三月さんがつ上旬じようじゆんまではなひらきつゞけてゐます。
 蝋梅ろうばいについではやはなをひらくまんさく日本につぽんだけの山中さんちゆうに、自然しぜんえるもので、木曾きそ日光地方につこうちほうおほく、また庭木にはきとなつてゑられてゐるのもあります。
 以上いじようふたつは、ふゆからはるにかけてはなのさくなかで、とくつものです。つぎにだん/\とさむさもうすらぎ、やがて三月さんがつになると、うめ、れんぎょう、ぢんちょうげなど世界せかいとなります。蝋梅ろうばいうめのようにうつくしくはなをつける樹木じゆもくを『花木かぼく』とよびますが、うめ早春そうしゆん花木中かぼくちゆうでも第一だいいちとして、むかしからあいせられて、庭木にはき盆栽ぼんさいにもたてられるものです。うめはもと/\土地とちかわいた日當ひあたりのよいところにてきし、陰地かげちには、ふさはないですから、梅林うめばやしつくるには、なるべく南向みなみむきで土地とち傾斜けいしやしたところがよいのです。樹木じゆもくには、それ/″\日陰地ひかげちにもよくそだや、また日陰ひかげ日陽ひなた中間ちゆうかんのところをこのなど種類しゆるいによつて、土地とちてき不適ふてきがあります。そのなかで、日陰ひかげにもよくそだを『陰樹いんじゆ』とよび、日陽地ひなたちこのを『陽樹ようじゆ』といひます。樹木じゆもくのこの性質せいしつつておくことは大切たいせつなことで、庭木にはきゑかへるときにも、やまゑつけるときでも、それ/″\の陰樹いんじゆ陽樹ようじゆかによつて、それ/″\適當てきとう土地とちゑることが必要ひつようです。
 さてうめはなをはりとなり、日毎ひごとかぜあたゝかになりますと、もゝ節句せつくもゝはな油菜あぶらなはながさきます。はたにはたんぽゝ黄色きいろくかゞやいてきます。そのころには河岸かしやなぎして、やさしいえだかぜなびかせはじめます。それからだん/\に、ふゆあひだすっかりおとしてゐた落葉樹らくようじゆ一齋いつせいに、ぽか/\したびてみどり若芽わかめしはじめます。やま陽炎かげらふえてきます。ところによつて時季じきはむろんちがひますが、東京附近とうきようふきんでは三月さんがつ中旬頃ちゆうじゆんごろから五月頃ごがつごろまでに、します。やまざくら[#「やまざくら」は底本では「やまぎくら」]のように緑色みどりいろ若葉わかばをもつもの、がきおほかなめもちのように紅色べにいろのうつくしい若芽わかめをもつものもあり、またまつみどりはりして一二年いちにねんちこたへたふるすこしづゝへていきます。それから、かや、まき、とべらなど常緑樹じようりよくじゆ發芽はつが最後さいご五月ごがつ上旬頃じようじゆんごろには、すべての樹木じゆもくはるつけををはつて、ついでなつ生活せいかつそなへをします。

(五)新緑しんりよく

 木々きゞ若葉わかば青葉あをばかざられたころはすが/\しい景色けしきです。一年中いちねんじゆうでもその若葉わかばがどうしてあんなにあか緑色みどりいろうつくしいいろあらはすのかといひますと、そのいろ表面ひようめん部分ぶぶんすなはち表皮ひようひや、内部ないぶ細胞さいぼうなか紅色こうしよくやそのいろふくまれてゐるためですが、それといふのも、若葉わかば外部がいぶ丈夫じようぶかはもなく、しつやはらかよわいので、つよ日光につこうにあたるのをきらひます。それで内部ないぶいろのあるえきふくんで、そのつよひかりさへぎるわけで、つまり若葉わかば自分自身じぶんじしん保護ほごをするのです。しかしがだん/\に發達はつたつして、組織そしき丈夫じようぶになるにしたがひはじめのいろ次第しだいえて、つひにその樹木じゆもく特有とくゆういろとなるのです。はるをはりにはみな緑色りよくしよくになるのは、さうしたわけです。またははじめから淡緑たんりよくや、黄緑こうりよくいろのものがおほいのですが、その若葉わかばいろも、その樹木じゆもく種類しゆるいによつて、それ/″\ことなるものとなければなりません。
 おな新緑しんりよくのうちにもみどりや、あはみどりのもの、黄緑きみどりのものなどがあります。たとへば日比谷公園ひゞやこうえんよこ道路どうろや、青山赤坂通あをやまあかさかどほりなどにゑてあるすゞげたようなのなる並木樹なみきぎとして立派りつぱすゞかけは、あかるい淡緑色たんりよくしよくをしてゐます。みきあをくつる/\した、おほきいあをぎり若葉わかば黄色きいろがかつた緑色みどりいろです。かういふふうおな緑色みどりいろなかにちがひがあるのは、なぜかといふと、これは、おも細胞内さいぼうないふくまれてゐる、緑色素りよくしよくそといふもののあはさによるものです。この緑色素りよくしよくそ顯微鏡けんびきようるとうつくしいちひさいみどりつぶでそれを『葉緑粒ようりよくりゆう』とよんでゐます。かく緑色みどりいろ植物しよくぶつの、とく固有こゆういろで、われ/\はといへば、すぐにみどりいろおもさずにゐられないくらゐしたしいいろです。
「すゞかけのき」のキャプション付きの図
すゞかけのき

 これで若葉わかばうつくしいいろや、新緑しんりよく緑色みどりいろのこともおわかりになつたとおもひますから、ぎには樹木じゆもく生活せいかつについてすこしおはなしをしませう。第一だいいちに、青々あを/\した、といふものは、植物しよくぶつにとつては一番いちばん大切たいせつで、ちょうどわれ/\の心臟しんぞうちようのような、生活上せいかつじよう必要ひつよう器官きかんです。その内部ないぶ葉緑粒ようりよくりゆうは、毎日まいにち日光につこうちからをかりて、空氣中くうきちゆうにある、人間にんげんがいをする炭酸瓦斯たんさんがすひ、そのかはりに、人間にんげんになくてはならない酸素さんそをはきして、砂糖さとう澱粉でんぷんといふような含水炭素がんすいたんそとよぶ養分ようぶんつくり、それをからえだへ、えだからみきくだつておくつて、木全體きぜんたい發育はついくのための養分ようぶんにし、そののこりはたくはへておきます。かういふふうに、日光につこうちからをかりて、その木自身きじしんやしなひ、生活せいかつをつゞけていく、この作用さようを『炭素同化作用たんそどうかさよう』といひます。樹木じゆもく青々あを/\しげつてゐるのは、この重大じゆうだい役目やくめをはたすためです。そのために、若葉わかばをふいてから次第しだい丈夫じようぶにかため、なつさかりをさいはひに、どん/\太陽たいようひかりともはたらいて、あき紅葉もみぢをする支度したくや、ふゆてもこまらない、養分ようぶんたくはへをするのです。

(六)なつ景色かしき[#ルビの「かしき」はママ]

 さういふわけでなつには木々きゞは、るからに元氣げんき青々あを/\したいろをして、はちきれるような生活せいかつをします。みなさんはじり/\ときつけるような海岸かいがん砂濱すなはまたり、あせながしながら登山とざんをされるときのことをかんがへてごらんなさい。
 海岸かいがんには、えだぶりのうつくしいくろまつがつらなりえたりしてゐます。おなまつでもあかまつやまてきしてゐますが、くろまつ潮風しほかぜもつとつよです。そのはやしがあるので、ただに景色けしきがいゝばかりでなく、まへにもおはなししたように海嘯つなみがいふせぐことも出來できます。またうみのつよいかぜ濱邊はまべすなばして、砂丘さきゆうつくつたり、その砂丘さきゆうすなをまた方々ほう/″\はこんで、大事だいじはたや、ときによると人家じんかまでもうづめてしまふことがあります。海岸かいがんくろまつはやしは、さういふすな飛來ひらいふせぎとめる役目やくめをもするのです。
 また登山とざんをする場合ばあひには、平原へいげんから山麓さんろく山腹さんぷくへかゝり、それからやま頂上ちようじようくまでのあひだには、植物しよくぶつ姿すがたがいろ/\にかはつていつて、たかやまであればいたゞちかくには、がおのづとなくなつて、草本そうほんばかりとなり、なほのぼると、しまひには、たゞ岩石がんせきばかりでくさもなくなつてしまひます。またたに濕地しつちや、たき湖沼こしよう附近ふきんには、特殊とくしゆ草木そうもくがしげり、高原こうげんにはそこにのみそだ植物しよくぶつがはえてゐます。なつ高原一帶こうげんいつたい高山植物こうざんしよくぶつがさきつゞいてゐたりする光景こうけいはとても、下界げかいでは想像そうぞうもつかないうつくしさです。かように、高山こうざんのぼるにしたがひ、植物しよくぶつかはつてくことや、高山植物こうざんしよくぶつのことなどはのちにあらためてくはしくおはなしをします。

(七)あき紅葉もみぢ

 はる若葉わかば新緑しんりよくもりうつくしさとともに、なつ濃緑こみどりがすんだのちあきはやし紅葉もみぢ景色けしきも、いづれおとらぬ自然しぜんほこりです。日本につぽんにはむかしから紅葉もみぢ名所めいしよおほく、また、いたるところに紅葉もみぢることが出來できます。
 關東かんとうでは日光につこう鹽原しほばら關西かんさいでは京都きようと嵐山あらしやま高尾たかをなどは有名ゆうめいなものです。いつたいどうしてがそんなにあかくなるのかといひますと、それはあきになるときゆうすゞしくなる、その氣候きこう變化へんかのために、新緑しんりよくのところでおはなしした、葉緑素ようりよくそ次第しだいかはつてて、なか細胞内さいぼうない紅色こうしよく液體えきたい出來できますからです。紅葉もみぢうつくしさは、植物しよくぶつそのものゝ種類しゆるいと、その發生はつせい状態じようたいとでそれ/″\ちがひますが、一面いちめんには附近ふきん景色けしきにも左右さゆうされるものです。青々あを/\しげつたまつもみなどの常緑樹じようりよくじゆあひだにそまつた紅葉もみぢは、いろ配合はいごうで、紅色こうしよくがきはだつて、てりはえ、また、みづうみぬま溪流けいりゆうまへにしても、やはりいちだんと、うつくしくえます。
 つぎには紅葉もみぢするは、どんなかといひますと、日本につぽんでは普通ふつうもみぢ(槭樹せきじゆ)がいちばんおほいのです。なかでも、やまもみぢにはにもよくゑられます。深山しんざんにある紅葉もみぢはまた種類しゆるいちがひ、いちばんうつくしいのは、はうちはかへでで、それは羽團扇はうちはのようで、ながさが二三寸にさんずんもあるおほきなものです。このほかもみぢかたちをしてゐないでも、いろ/\紅葉もみぢするものがあるのは、みなさんもよくごぞんじでせう。しもころになりますとかきや、蝋燭ろうそくろうはぜや、なゝかまどといふもみぢおとらず、うつくしく紅葉もみぢします。またあかくなるばかりでなく、黄色きいろかはるのもすくなくありません。そのなかでも、いてふがおやしろ境内けいだいなどに眞黄色まつきいろになつて、そびえてゐたりするのは、じつにいゝながめです。

(八)ふゆもり

 さうしたあかいろどられたあきやまはやしも、ふゆると、すっかりがおちつくして、まるでばかりのようなさびしい姿すがたになり、たゞ常緑樹じようりよくじゆすぎひのきだけがくろずんだをつけたまゝあたゝかいはるふたゝまはつてくるのをつてゐます。つまりふゆさむときにはなつあひださかんにたくはへた養分ようぶんをそのまゝつて休養きゆうようするのです。
 皆樣みなさまはしかしふゆあひだにもえだをよくると落葉樹らくようじゆでも常緑樹じようりよくじゆでも、それ/″\をもつてゐるのがえるはずです。これは『冬芽とうが』とよび、落葉樹らくようじゆではちたあとのえだあひだから、常緑樹じようりよくじゆではそのえだとのあひだぐんで寒氣かんきをも平氣へいきでくゞつてすこしづゝ生長せいちようつゞはるになるときゆう發芽はつがするわけです。
 以上いじよう樹木じゆもくはるしてから、しまひにふゆむかへ、ふたゝはるをまつまでのおはなしを、ひととほりすましました。

(九)老樹ろうじゆ名木めいぼくはなし

 樹木じゆもく地上ちじようえたのちは、いまはなししたような生活せいかつつゞけて、ずん/\びてくのですが、かうして、おほよそ幾年間いくねんかんぐらゐきるものかといひますと、それは、その土地とちのいろいろな状態じようたいや、外部がいぶからの影響えいきようもあるので、一樣いちようではありませんが、それ/″\のは、おのおの一定いつてい年月ねんげつあひだ生育せいいくするもので、普通ふつうでも二三百年にさんびやくねんから五六百年ごろつぴやくねんぐらゐきてゐるものがおほく、なかには千年せんねん以上いじようきるものがあります。人間にんげん壽命じゆみようを、かりに五十年ごじゆうねんとすれば、樹木じゆもくはおよそその十倍じゆうばい長命ちようめいをするわけです。その年月ねんげつがどうしてわかるかといへば、ゑつけた記録きろくによるほかには、よこつて、生地きじてゐるまるいくつもかさなつてゐるそのきめすうかぞへてみるとわかるのです。このを『年輪ねんりん』とひます。材木屋ざいもくや店先みせさきつて、まる材木ざいもくのはしをれば、これが年輪ねんりんかと、すぐにわかります。これはなつあひだはさかんに生育せいいくする、言葉ことばをかへてへばみき内部ないぶ細胞さいぼうがどん/\生長せいちようするのにたいしてふゆあひだはその生長せいちようがとまるため、内部ないぶ細胞さいぼうも、そのまゝ、びないでゐます。これが毎年まいねんくりかへされると、その一年いちねんごとに生長せいちようした部分ぶぶんだけが、まるになつて區分くわけがつくのです。しかし樹木じゆもくによつては氣候きこう急激きゆうげき變化へんかのためまたは、病虫害びようちゆうがい一時いちじおとしたりすると、この生長状態せいちようじようたい例外れいがい出來できて、完全かんぜんあらはれず、半分はんぶんぐらゐでえるのがあります。さういふかたわの年輪ねんりんのことを『擬年輪ぎねんりん』とびます。これはその生長年數せいちようねんすうかぞへるときはのぞいてかぞへなければなりません。
 ぎに日本につぽんにある長生ながいきをしてゐる大木たいぼく有名ゆうめいなものをすこげてませう。
 いま日本につぽん一番いちばんおほきいといへば鹿兒島縣かごしまけん姶良郡あひらごほり蒲生村がまふむらにある大樟おほくすです。これはみきのまはりが、地上ちじよう五尺ごしやくたかさのところでしたが七十三尺八寸しちじゆうさんじやくはつすんあり、根元ねもとのまはりは百二十五尺四寸ひやくにじゆうごしやくしすんもあつて、たかさは十五間じゆうごけん樹齡じゆれい八百年はつぴやくねんはれてゐます。いまかりにその根元ねもとからつたぐちたゝみいてみるとしますと六十九疊ろくじゆうくじようけますから、けっきよく、八疊はちじよう座敷ざしきやつつと、五疊ごじよう部屋へやひとつとれる勘定かんじようになります。
 ぎに富山縣とやまけん高岡市たかをかし末廣町すゑひろちようにある七本杉しちほんすぎは、地上ちじよう五尺ごしやくのところで幹廻みきまは六十六尺ろくじゆうろくしやくたか二十餘間にじゆうよけん樹齡じゆれい一千年いつせんねんとなへられてゐます。このはもと根株ねかぶからなゝつのみきわかれてゐましたが、うち五本ごほん先年せんねん暴風ぼうふうれていま二本にほんみきだけとなつてしまひました。
 臺灣たいわん阿里山ありさんにもすばらしい巨木きよぼくがあります。阿里山ありさん神木しんぼくととなへられる臺灣たいわん花柏さわら紅檜べにひ)は、地上ちじよう五尺ごしやくたかさのみきのまはりが六十五尺ろくじゆうごしやくたか二十五間にじゆうごけん樹齡じゆれい二千年にせんねんといはれてゐます。明治神宮めいじしんぐう大鳥居おほとりゐはいづれもこれとおなつくられたものです。
「阿里山の神木(紅檜)」のキャプション付きの図
阿里山の神木(紅檜)

 以上いじようほか日本につぽんには各地かくち老樹ろうじゆ名木めいぼくがあつて、一々いち/\あげてかぞへることも出來できません。日本につぽんもつともおほきく生長せいちようするくす第一だいいちで、ぎはすぎ、たいわんさわら、いてふ、しひ、まつといふじゆんになります。
 またたかさのもつとたかくなるのはすぎで、秋田縣あきたけん長木澤ながきざは杉林すぎばやし甲州こうしゆう身延山みのぶさん千本杉せんぼんすぎなかには、たかさが三十五間さんじゆうごけんもあるのがられます。それから樹齡じゆれいではさっきつた阿里山ありさん紅檜べにひ第一だいいちで、千二三百年せんにさんびやくねんから二千年近にせんねんちかくのものが澤山たくさんあります。
 各地かくちにのこつてゐる、かういふ老樹ろうじゆ名木めいぼくは、たゞ植物學上しよくぶつがくじようまたは林業上りんぎようじようあるひは、風致ふうちうへからの研究けんきゆう資料しりようとして意味いみがあるばかりでなく、いづれも、數百年すうひやくねんまたは千餘年せんよねんあひだ、その土地とちにゐついてゐるのですから、なによりもその地方ちほう過去かこおもおこさせ、地方歴史上ちほうれきしじよう參考さんこうともなり、愛郷心あいきようしんをもやしなひ、ひいては愛國心あいこくしんはぐくむことにもなります。なほこれからおはなしをする日本につぽん森林植物帶しんりんしよくぶつたい調しらべにはこれらの老樹ろうじゆはなくてはならぬものなのです。
 みなさんこんないろ/\のわけをおはなししたら、われ/\がおたがひに、いまそだつてゐるすべての老樹ろうじゆ名木めいぼくを、ます/\大事だいじにして、出來できかぎ長命ちようめいをさせるようにつとめなければならないことがおわかりとなりますでせう。


日本につぽん森林植物帶しんりんしよくぶつたいはなし


(一)森林植物帶しんりんしよくぶつたいとはなに

 たかやまのぼられたひとは、だれでも氣付きづづてゐる[#「氣付づてゐる」はママ]ことですが、やましげつてゐる樹木じゆもくふもと中腹ちゆうふくとでは、まるで種類しゆるいがちがつてをり、頂上近ちようじようちかくになると、またさらにほかの種類しゆるい植物しよくぶつえてゐます。
 それからとほくへかけて旅行りよこうするとわかることですが、たとへば臺灣たいわんから九州きゆうしゆうわたり、本州ほんしゆう縱斷じゆうだんして北海道ほつかいどうくとしますと、九州きゆうしゆうでは臺灣たいわんなかつたしげつてをり、北海道ほつかいどうへはひると、またさらに、すっかりかはつたばかりで、かなり、ちがつたとほくにたといふかんじがします。かういふふうに、土地とち高低こうてい位置いち相違そういによつて、さむあたゝかさがちがふにつれて、える樹木じゆもくもそれ/″\ちがふのです。
 もと/\地上ちじよう植物しよくぶつ生長せいちようするには、土壤どじようのほかに、ねつ[#「執/れんが」、U+24360、224-1]ひかりみづとがなくてはなりません。※帶地方ねつたいちほう[#「執/れんが」、U+24360、224-2]はこのみつつのものが、うんとそろつてゐるので植物しよくぶつ一番いちばんよくしげつてゐますが、次第しだいみなみきた兩極りようきよくちかづくにしたがつて、くさすくなくなり、何一なにひとえない不毛ふもう平原へいげんになつてしまひます。しかし、人々ひと/″\餘程よほど田舍ゐなかにゐてもめばみやこで、それ/″\たのしくをさまつてゐるのとおなじように、植物しよくぶつあつ[#「執/れんが」、U+24360、224-5]いところであらうと、さむいところであらうと、生育せいいく出來できかぎりそれ/″\、じぶんにいたところにおろして、きてゐます。ですから、われ/\が、あるひとつの土地とちにはえたを、やたらにわきへつてったつて、それが一々いち/\つくわけのものではありません。ばなゝ東京とうきようにもつてゑてもそのまゝでははなりません。またすゞしい奧羽地方おううちほう出來でき林檎りんご櫻桃おうとうあたゝかい九州地方きゆうしゆうちほうではゑてもよくそだちません。つまり樹木じゆもく各々おの/\いちばんてきする場所ばしよにあつてはじめて完全かんぜん繁殖はんしよくすることが出來できるのです。そのため、地球上ちきゆうじようでも、赤道せきどう中心ちゆうしんにして兩極りようきよくむかふにしたがひ、また海岸かいがんからたかやまのぼるにつれて、その寒暖かんだんおうじ、しぜんとそこにえる樹木じゆもく種類しゆるいちがひ、森林しんりんのありさまもそれ/″\かはつてゐます。
 この、おの/\の位置いちによつてえる樹木じゆもく種類しゆるい森林しんりんかたちとがことなつてゐるありさまづけて、『森林帶しんりんたい』または『森林植物帶しんりんしよくぶつたい』とひます。わかりやすくへば、地球上ちきゆうじよう部分ぶぶん部分ぶぶんが、赤道せきどう沿うておびのように細長ほそながくわかれてをり、そのひとつ/\に、それ/″\ちがつた植物しよくぶつがそだつてゐることをいふのです。
(イ)水平的森林帶すいへいてきしんりんたい
 おな平地へいちでも臺灣たいわん本州ほんしゆう北海道ほつかいどうとでは樹木じゆもくちがつてゐるように地球上ちきゆうじよう緯度いどにつれて、ひかへると赤道せきどうからみなみきたとへむかつてたひらにすゝんでいくとすれば、あつ[#「執/れんが」、U+24360、225-8]いところからさむ地方ちほうくにつれて、そこに生育せいいくしてゐる樹木じゆもく種類しゆるいおよ森林しんりんかたち各々おの/\ことなつてゐる、とはいまはおはなししました。この森林しんりんのそれ/″\ことなつた状態じようたいにある幾條いくすぢものおびを『水平的森林帶すいへいてきしんりんたい』といひます。
 ですから地球ちきゆうが、かりにやまがなくて一面いちめん平地へいちであつたならば、それらのみどり地帶ちたいは、赤道せきどう中心ちゆうしんにこれに並行へいこうして、きたみなみとへうつくしいをえがいて、地球ちきゆういてゐるはずですが、しかし實際じつさいは、うみやま不規則ふきそくみだれてゐますから、その水平的森林帶すいへいてきしんりんたいも、ところ/″\で中斷ちゆうだんし、また氣候きこうにも影響えいきようされて不規則ふきそくおびとなつてゐます。
(ロ)垂直的森林帶すいちよくてきしんりんたい
 ぎに森林帶しんりんたいはまた垂直的すいちよくてきにもることが出來できるのです。海岸かいがんからだん/\に山地さんちへかゝり高山こうざんのぼつていくにつれ、だん/\と温度おんどひくくなるのは、ちょうど緯度いどみなみからきたすゝむにしたがつてさむさがますのとおなじです。緯度いど一度いちどすゝむごとに攝氏せつしやく一度いちどづゝ温度おんどくだりますが、高山こうざんではおよそ百五十ひやくごじゆうめーとるから二百にひやくめーとるのぼるたびに攝氏せつし一度いちどぐらゐ、温度おんどひくくなり、のぼればのぼるほどさむさをくはへます。ですからさういふやまえてゐる樹木じゆもくは、寒暖かんだんや、そのほか氣候きこう變化へんかによつて、山麓さんろくから頂上ちようじようまでのあひだにいろ/\模樣もようかはつたいくつかの森林帶しんりんたいがかさなつてゐるわけです このように土地とち高低こうていによつてあらはれる森林帶しんりんたいのことを『垂直的森林帶すいちよくてきしんりんたい』といひます。

(二)日本につぽん森林帶しんりんたい

 これから日本につぽん森林帶しんりんたいについておはなししませう。
 御承知ごしようちのように日本につぽんは、きた北緯五十度三十分ほくいごじゆうどさんじつぷん千島ちしまてから、みなみ二十二度にじゆうにど臺灣たいわんにわたる細長ほそなが島國しまぐにで、地理上ちりじよう臺灣たいわん南部なんぶ※帶ねつたい[#「執/れんが」、U+24360、227-2]に、本州ほんしゆう北海道ほつかいどう温帶おんたいに、千島ちしま樺太からふと寒帶近かんたいちかくになつてゐます。したがつてところによる氣候きこう土質どしつ變化へんかはなはだしく、そこにそだ樹木じゆもくや、森林しんりんも、おのづと、いろ/\ちがつてゐます。それをわけると、一、『※帶林ねつたいりん[#「執/れんが」、U+24360、227-4]』二、「暖帶林だんたいりん」三、『温帶林おんたいりん』四、『寒帶林かんたいりん』のよつつになります。
(イ)※帶林ねつたいりん[#「執/れんが」、U+24360、227-6]または、榕樹帶がじゆまるたい)。
 日本につぽん※帶林ねつたいりん[#「執/れんが」、U+24360、227-6]にはひるものは、臺灣たいわん平均へいきん一千いつせん五百尺ごひやくしやく以下いか平地へいち琉球本島りゆうきゆうほんとう南半分みなみはんぶん小笠原群島をがさはらぐんとう新領土しんりようどのマーシャル、カロリン、マリアナ列島等れつとうなど一年中いちねんじゆう平均温度へいきんおんど攝氏二十一度せつしにじゆういちど以上いじよう土地とちです。このたい特徴とくちようとして、一年中いちねんじゆうしもゆきらないので、植物しよくぶつ生長せいちよう全然ぜんぜん休止きゆうしするときがありません。
 樹林じゆりんには榕樹がじゆまる赤榕樹あかうその蒲葵びろーたこのきといつたものがさかんにそだつてそらをおほうてゐますが、なかでも榕樹がじゆまるはこのたい代表的だいひようてきなものですから、※帶林ねつたいりん[#「執/れんが」、U+24360、227-11]のことを榕樹帶がじゆまるたいともいひます。なほ、珈琲こーひー椰子やし護謨樹ごむじゆ船材せんざいにする麻栗等ちーくなど非常ひじよう有用ゆうよう大抵たいていこのたい栽培さいばいすることが出來できます。
「熱帶林(ひるぎ林)」のキャプション付きの図
熱帶林(ひるぎ林)

(ロ)暖帶林だんたいりんまたは、※(「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25)かしたい)。
 このたいぞくする區域くいきは、沖繩縣おきなはけん中央ちゆうおう以北いほくから、四國しこく九州きゆうしゆう全部ぜんぶ本州ほんしゆう南部なんぶで、平均へいきん北緯三十六度ほくいさんじゆうろくど以南いなんです。温度おんどでいへば、同温度どうおんど地方ちほうをつなぎあはせたせん、すなはち同温線どうおんせん攝氏十三度せつしじゆうさんど以上いじよう二十一度にじゆういちど以下いかです。このたい樹木じゆもくは、※(「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25)かしたいといふほどかししひなど常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆがおもにそだち、海岸かいがん潮風しほかぜつよ砂地すなじには、よくくろまつえ、南部なんぶにはくすのきおほえて暖國的だんこくてき氣分きぶんをたゞよはせてゐます。
「しひのきの實と小枝」のキャプション付きの図
しひのきの實と小枝

「しらかしの實と小枝」のキャプション付きの図
しらかしの實と小枝

 元來がんらいこのたい樹木じゆもくはすべて常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆで、こなら、くぬぎなど落葉濶葉樹らくようかつようじゆがそのあひだ點々てん/\まじつてゐるはずなのですが、常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆむかしからたび/\られたり、また野火のびがいつたため、かずり、反對はんたい落葉樹らくようじゆ松林まつばやしなどがふえてました。なほこのたい氣候きこう温和おんわひと居住きよじゆうにも適當てきとうし、また高山こうざん中腹ちゆうふく以下いかなのですから、土地とちはやくからひら人口じんこうおほく、物産ぶつさんるのも、ほかのたいよりずつと多量たりようです。
 今日こんにち、ひのき、すぎなどはやしをこのたいなかるのは、ひとうつゑたもので、もと/\ひのき、すぎなど温帶林おんたいりん生育せいいくしてゐたものです。
(ハ)温帶林おんたいりんまたは、椈帶ぶなたい)。
 このたい暖帶林だんたいりんのつぎにつくもので、本州ほんしゆう北部ほくぶから北海道ほつかいどう大半たいはん西南せいなんおよ朝鮮ちようせん大部分だいぶぶんにもあり、同温線どうおんせん六度ろくど以上いじよう十三度じゆうさんど以下いか土地とちです。垂直的すいちよくてき森林帶しんりんたいでいひますとこのたい下部界かぶかいが、暖帶林だんたいりん上部界じようぶかいにあたり、このたい上部界じようぶかい臺灣たいわんでは中央ちゆうおう一萬尺いちまんじやく高山こうざんたつしてゐます。九州きゆうしゆう山陰さんいん山陽地方さんようちほう畿内諸國きないしよこくやまひくいので暖帶林だんたいりん上部界じようぶかい上部じようぶはすべて頂上ちようじようまでこのたいぞくし、四國しこくでは六千五百尺ろくせんごひやくしやくのところをさかひとし、奧羽地方おううちほうではさらくだつて四千七百尺しせんしちひやくしやくから三千五百尺さんぜんごひやくしやくたかさまでになり、北海道ほつかいどう南部なんぶでは一千五百尺いつせんごひやくしやくくだり、その中央ちゆうおうではつひ海水面かいすいめん一致いつちしてゐます。この温帶林おんたいりんにはどんな樹木じゆもく生育せいいくしてゐるかといふと、一番いちばんいちじるしいのがぶなです。本帶ほんたい一名いちめい椈帶ぶなたい』といふのもぶなが、その代表だいひよう樹種じゆしゆであるからです。しかしこのたいぞくする土地とちでも、その南部なんぶでは、自然しぜんのまゝにそだつたはやしすくなく、ひとがどん/\つてはそのあとすぎ、ひのきなど植林しよくりんしてそだてたはやしおほいので、今日こんにちではぶなはやしることが出來できなくなつた場所ばしよすくなくありません。けれども暖帶だんたいによく生育せいいくしてゐるかしるいが、こゝでは自然しぜんえてなくなつてゐることや、もと/\温帶林おんたいりんにぞくする老樹ろうじゆのこつてゐるのをるとそこが温帶林おんたいりんであることがわかります。
「暖帶林(樟などの常緑樹林)」のキャプション付きの図
暖帶林(樟などの常緑樹林)

 かく、そのたい特徴樹種とくちようじゆしゆぶなですが、そのほかおほなら、みづなら、とちなど落葉濶葉樹らくようかつようじゆこんじてゐることもあり、地方ちほうによつてはひのき、さわら、ひば、すぎなど針葉樹しんようじゆをまじへてるところもあります。木曾きそ秋田あきたその地方ちほうで、特別とくべつ針葉樹しんようじゆ保護ほごしてゐる土地とちのぞけば、あとはほとんど落葉樹らくようじゆで、ふゆになつてちると、まるでとほてんつらなつてゐるようにさびしい景色けしきになります。
「温帶林(ぶなの林)」のキャプション付きの図
温帶林(ぶなの林)

「ぶなのき」のキャプション付きの図
ぶなのき

(ニ)寒帶林かんたいりんまた白檜しらべ椴松帶とゞまつたい)。
 このたい水平的すいへいてきには北海道ほつかいどう中央ちゆうおう以北いほく、つまり温帶林おんたいりん北部ほくぶで、同温線どうおんせん攝氏六度せつしろくど以下いか地方ちほうと、千島ちしま樺太からふと全部ぜんぶめてゐます。これを垂直的すいちよくてきれば、平地へいちでは※帶ねつたい[#「執/れんが」、U+24360、232-7]ぞくする臺灣たいわんでも、新高山にひたかやまのようにたか一萬三千尺いちまんさんぜんじやくにもあまる高山こうざんがあるので、まへ温帶林おんたいりん上部じようぶにこの寒帶かんたいがあります。
 しかし九州きゆうしゆうにはこのたいにはひる土地とちがなく、四國しこく六千五百尺ろくせんごひやくしやく以上いじよう高山こうざん石槌山いしづちやま劍山つるぎやま)に、わづかにこのたい下部界かぶかいることが出來できます。本州ほんしゆうでは中部ちゆうぶ諸高山しよこうざん六千尺ろくせんじやくから九千尺くせんじやくまでのところが、このたいにはひり、北海道ほつかいどう中央ちゆうおうでは三千五百尺さんぜんごひやくしやく樺太からふと日本領地につぽんりようちでは二千尺にせんじやくから二千五百尺にせんごひやくしやくたかさまでがそれです。
 このたいにはしゆとして、白檜しらべ、とゞまつ、えぞまつ、あをもりとゞまつといつた常緑針葉樹林じようりよくしんようじゆりんでなりつてゐますが、本州ほんしゆうでは高山こうざんいたゞちかくにしらべあをもりとゞまつおほく、臺灣たいわん高山こうざんにはにひたかとゞまつえてゐます。
「しらべ 鱗果をつけた小枝」のキャプション付きの図
しらべ 鱗果をつけた小枝

「寒帶林(臺灣新高とゞまつの林)」のキャプション付きの図
寒帶林(臺灣新高とゞまつの林)

 以上いじようはなししたのは、つゞめていふとあつ※帶ねつたい[#「執/れんが」、U+24360、233-8]からだんおんかんといふふうにその各地方かくちほうてきしてよくそだ森林しんりん區域くいきと、そのたい特徴とくちようとでした。こゝまでますと最後さいご寒帶林かんたいりん上部じようぶはどうなつてるかといふ疑問ぎもんるでせう。
(ホ)灌木帶かんぼくたい偃松帶はひまつたい)。
 えぞまつとゞまつ針葉樹林しんようじゆりんてそのさきうつると、きゆうひかりつよく、あたりはぱっあかるくなつたようながします。すなはち、そこは灌木帶かんぼくたいといふところで、こと偃松はひまつにつくので、偃松帶はひまつたいともいつてゐます。偃松はひまつ地上ちじよう二三尺にさんじやくのところにうでばし、ひぢつたように、えだ四方しほうにひろげてゐます。五葉ごよううらしろく、普通ふつうまつとはずっとちがつてゐます。またこの偃松はひまつがなくて、そのかはりに灌木状かんぼくじよう落葉樹らくようじゆしげつてゐるところもありますが、かように偃松はひまつ灌木状かんぼくじよう落葉樹らくようじゆ生育せいいくしてゐるのは、そこが高山こうざん氣候きこうきはめて寒冷かんれいであり、かぜつよいので、しぜんと、ひくちひさくなつたのです。
 本州ほんしゆう木曾きそ甲州こうしゆう信州等しんしゆうなど高山こうざんのぼつたかたはよくごぞんじでせうが、日光につこう白根山しらねさん男體山なんたいざんやまた富士山ふじさんなどでは偃松はひまつません。このたいには偃松はひまつのかはりに、いはやなぎ、しゃくなげ、なゝかまど、やまはんのき、べにばないちごなど生育せいいくし、とくしゃくなげはつや/\したあつこはえだうつくしいはな目立めだつので、とすぐに見分みわけがつきます。はな普通ふつうあかいろですが、なかにはしろうつくしいものもあります。
 以上いじようのすべてのは、みんなみきくきちひさくひくくて、おほくはひとつところに群生ぐんせいしてゐます。またそここゝの灌木かんぼくしたには、ぎにいふ高山植物こうざんしよくぶつ可愛かわいえてゐます。やまによつてこの灌木帶かんぼくたいはゞ大變たいへんせまいところもあります。このたいあひだに、高山植物こうざんしよくぶつ草本帶そうほんたいまじつたり、ときには偃松はひまつ草本帶そうほんたいなかとほして、山頂近さんちようちかくまでびてゐることもあるので、各帶かくたいをはっきりと區別くべつすることは出來できにくいのです。
(ヘ)草本帶そうほんたい高山植物こうざんしよくぶつ)。
 人々ひと/″\がお花畠はなばたけといひ山上さんじよう花園はなぞのとしてめづらしがり、あこがれてゐるのがこの草本帶そうほんたいです。まへ偃松帶はひまつたい上部じようぶ徐々じよ/\にこの草本帶そうほんたいうつつてきます。このたい日本につぽん諸高山しよこうざんでは大概たいがいやまいたゞきにちかいところにあらはれてゐて、たかさは八九千尺はちくせんじやくから一萬尺いちまんじやくおよんでゐます。草本帶そうほんたいには、乾燥かんそうしたところにえる植物しよくぶつ、すなはち『乾生かんせい』のものと、濕氣しつきのあるところにえる『濕生しつせい』のものとの區別くべつがあつて、前者ぜんしや岩石がんせき砂地すなじ乾燥かんそうした場所ばしよえ、後者こうしや濕氣しつきのある中凹なかくぼみのあるところにえるのです。
 高山こうざんにはよくさういふ凹地くぼちみづたゝへて、ときには沼地ぬまちかたちづくり、附近ふきんいはあひだゆきをためてゐたりするところがあります。沼地ぬまちにはこのゆきながれこむので、その沼水ぬまみづ温度おんど非常ひじようひくく、ひどくつめたいわけになります。
 乾燥地かんそうちすなはち岩地いはち砂地すなじ水分すいぶんすくないところでは、植物しよくぶつ澤山たくさんむらがつてえることが出來できなくてそここゝと岩石地がんせきちをおろし、かぜつよいのでにへばりついてをり、くきくらべて非常ひじようふとながくなり、いはなどにふかくもぐりこんでゐます。この植物しよくぶつのうちいはくだけてつもつたうへえるものにははなあかくて紅緑こうりよくをもつた優美ゆうびこまぐさや、鋸葉のこぎりば四出ししゆつしたくきのさきにあか唇形しんけいはながむらがつてゐるみやましほがまうめ黄色きいろはなをひらき鋸齒のこぎりばのあるまるみつつづゝ、いとのようなくきにつけたみやまきんばいちひさいしばのようなみやまつめくさ、たかねつめくさなどがあります。
 またいはには、青紫あをむらさきちしまぎきょう、いはぎきょう、はな白梅はくばいて、まめのようにあつぼつたいいはうめ鋸齒のこぎりばのある腎臟形じんぞうがた根元ねもとして、くきうへ黄色きいろ五瓣ごべんはなをつけるみやまだいこんや、はゝこぐさしろふらんねるのようなつてゐるみやまうすゆきそうなどえます。
 ぎに草原くさはら濕地しつちは『腐植土ふしよくど』といつて、植物しよくぶつれて、えだくさつた肥料こやしになつてゐるようなつちみ、水分すいぶんおほいので、植物しよくぶつ生育せいいくには大變たいへん都合つごうがよいため、こゝではいろんなものがび/\とむらがつてしげり、うつくしいさま/″\なはなほこります。こゝにえるものは、はな乾燥地かんそうちえてるものよりおほきく、いろ綺麗きれいなものがおほいのです。黄金色こがねいろのものではしなのきんばい、みやまきんぽうげ、しろくておほきな、うめはなたものにははくさんいちげ淡紅色うすあかいろいはかゞみ、かわいらしいみやまをだまきなど澤山たくさん種類しゆるいがあります。
 これらのおほくの高山植物こうざんしよくぶついろどられてゐる、いはゆるお花畠はなばたけは、日本につぽんでは本州ほんしゆう中部ちゆうぶ日本につぽんアルプスの諸高山しよこうざんおほく、なかにも白馬山しろうまさんのは有名ゆうめいです。年中ねんじゆうゆきとざされてゐた山頂さんちようなつて、ゆきけると、すぐそのしたには可憐かれんくさめるばかりにでます。眞白まつしろ雪溪せつけいとなあはせて、このお花畠はなばたけるときのかんじは、なんともへず、たつとく、かわゆく、うつくしいものです。
(ト)地衣帶こけたい
 地衣帶こけたい草本帶そうほんたい上部じようぶせつしてをり、兩帶りようたい區別くべつははっきりとしませんが、ともかく一萬尺いちまんじやくものたかさのところでは、きびしいさむさと、はげしいかぜとでほとんどくさえることが出來できず、たゞはだかいはうへ地衣こけ固着こちやくしてゐるきりです。この地衣こけのために、いははいろ/\うつくしい模樣もようもんあらはしてゐます。日本につぽんでは木曾きそ御嶽おんたけこまたけはこのたい位置いちがよくわかります。このたい上部じようぶはそれこそ地衣こけもないはだかのまゝの岩石がんせきです。

(三)富士山ふじさん森林植物帶しんりんしよくぶつたい

 以上いじよう日本につぽん森林植物帶しんりんしよくぶつたい水平的すいへいてきにも垂直的すいちよくてきにもたわけです。つぎには、どなたにも名前なまへのしたしい富士山ふじさんへの登山とざんと、その森林帶しんりんたいとのおはなしをして、森林植物帶しんりんしよくぶつたいのおはなしを、なほよくわかるようにしておきませう。
 富士ふじのぼるには、普通ふつう吉田口よしだぐち御殿場口ごてんばぐち大宮口おほみやぐちみつつの登山道とざんみちがありますが、森林帶しんりんたいながらのぼるには吉田口よしだぐちか、大宮口おほみやぐちえらんだほうがいゝとおもひます。こゝではかりに大宮口おほみやぐちからのぼるものとしておはなしします。
 あの廣々ひろ/″\とした富士ふじ裾野すそのには、普通ふつう登山期とざんきよりもすこおくれてはち九月くがつころには、ことうつくしい秋草あきくさがたくさんきます。そこにははるとちがつてあたらしいみどりいろすくないですが、はるよりもいろどりには變化へんかがあつて綺麗きれいです。われもこう、ききょう、かるかや、おみなへし、すゝき、ふぢばかま、はぎあき七草なゝくさをはじめ、いろ/\のくさ野原一面のはらいちめんいてゐます。しかしこの裾野すその大昔おほむかしからこんな草原くさはらだつたのではありません。
 ふるい/\むかしは、この一帶いつたい暖帶林だんたいりん上部じようぶから温帶林おんたいりん下部かぶぞくする樹木じゆもく、すなはち常緑じようりよく濶葉樹かつようじゆ落葉樹らくようじゆでおほはれてゐたのです。ところが、それがふるくから火事かじかれたり、をのられたりして、天然てんねんにあつたそれ樹木じゆもく大抵たいていえてなくなつてしまひ、つひに今日こんにちるような茫々ぼう/\として、はてしもないような草原くさはらになつたのです。いま、ところ/″\にすぎひのきあかまつはやしえるのは、ひとあたらしくゑたのです。
 この裾野すその景色けしきながめながら、だん/\のぼつて一合目いちごうめをもぎ、海拔かいばつ三千五百尺さんぜんごひやくしやくあたりのところへますと、いつしか草原くさはらも、ひと植林しよくりんしたはやしなどもなくなつて、ずっとおくゆかしい、ちがつた林間りんかんにはひります。
 つまり温帶林おんたいりん上部じようぶにはひつたわけで、喬木きようぼくぶな、おほなら、はしばみ、もみぢ、けやき、かつら、ほゝのき、きはだ、みづき、かば、くりなど落葉濶葉樹らくようかつようじゆが、うっそうとしてをり、ところ/″\に温帶林おんたいりん特徴樹とくちようじゆであるぶな巨木きよぼくしげり、したには種々しゆ/″\灌木かんぼく草本そうほん蔓生植物まんせいしよくぶつさかんにえてゐるのをることが出來できます。さらに二合目にごうめぎて海拔かいばつ五千七百尺ごせんしちひやくしやくのあたりへますと、はやし一變いつぺんしていままでの濶葉樹かつようじゆきゆうすくなくなり、常緑針葉樹じようりよくしんようじゆことにもみるいこみつがひのきとうひしらべなど巨木きよぼくそびえてゐます。まへ落葉濶葉樹らくようかつようじゆ淡緑色たんりよくしよくうつくしいのにはんして、こゝでは針葉樹しんようじゆ暗緑色あんりよくしよくで、はやしなか濕氣しつきおほく、またしたにはかげへるえてゐるほかに蘚苔類こけるい澤山たくさんえてゐます。
「富士山の森林帶」のキャプション付きの図
富士山の森林帶

 こゝは、つまり、寒帶林かんたいりんで、いはゆる常緑針葉樹帶じようりよくしんようじゆたいです。それから海拔かいばつ八千尺はつせんじやく四合目しごうめまでのぼれば、はやし三度みたびその姿すがたへて、常緑針葉樹じようりよくしんようじゆはやし落葉針葉樹らくようしんようじゆのからまつばやしとなつてます。そこへると最早もはや寒帶林かんたいりんをはりにちかづいたことがわかります。すなはち落葉松林からまつばやしはゞはごくせまくなつてをり、ちひさくなつてゐます。そこからうへふたゝ落葉濶葉樹らくようかつようじゆかばるいとかはんのきるいとか、うつくしいはなしゃくなげなどちひさくひく植物しよくぶつ生育せいいくしてゐます。
 この灌木帶かんぼくたいぎて六合目ろくごうめ海拔かいばつ九千尺くせんじやくのところにつきますと、そこは最早もはや森林帶しんりんたい境目さかひめで、そこから草本帶そうほんたいとなるのですが、富士山ふじさんには日本につぽんアルプスの諸高山しよこうざんるような、お花畠はなばたけられません。こゝからは岩石がんせき砂礫されきみち一歩々々いつぽ/\みすゝんで、つひに海拔かいばつ一萬二千餘尺いちまんにせんよしやく絶頂ぜつちようへたどりつくわけです。
 富士ふじかぎらず、ほかの高山こうざんのぼるときでも、いまはなししたような森林植物帶しんりんしよくぶつたいをつぎ/\にきはめることが出來できます。富士山ふじさんはほとんど海面かいめんからそびえつてゐるとてもよいのですが、しかし、やまによつてはじめから土臺どだいたかいところでは、山麓さんろく草原くさはらがなく、ふもとからすぐに喬木きようぼくはやしることも出來できませうし、きたけばくほど、たとひひくやまでも温帶林おんたいりん寒帶林かんたいりん灌木帶かんぼくたい草本帶そうほんたいと、たかさにしたがつて、それ/″\えてる植物しよくぶつかはつてくのがにつきます。

やま動物どうぶつ


(一)やまけもの

 日本につぽん南北なんぼくながつゞいてゐて、ところによる氣候きこう變化へんかもいろ/\ですから、動物どうぶつもまた、いろ/\なものがんでゐます。野生やせいけものだけでも、二百六十八種にひやくろくじゆうはつしゆうしうまそのほか家畜かちく動物どうぶつ十六種じゆうろくしゆもゐますが、こゝではやま動物どうぶつについてすこしくおはなししませう。やまには、二百六十八種にひやくろくじゆうはつしゆもの動物どうぶつがゐるといひましたが、しかしわれ/\が實際じつさいやまある場合ばあひは、めったにさういふ動物どうぶつあはすものではありません。登山者とざんしやくまにぶつかるなどといふことは、さう/\あるものではないのです。しかし、本州ほんしゆう四國しこく九州きゆうしゆうやまにわたつてくま、ゐのしゝ、しか、かもしかなどおほきなけものんでゐるのは事實じじつです。
 くま本州ほんしゆうやまさんするものは、アジア大陸たいりくさんする黒熊くろぐま變種へんしゆです。秩父ちゝぶやま駿河するが甲斐かひ信濃しなの相模さがみ越中えつちゆう越後等えちごなど山中さんちゆうにをり、やまぶどうこのんでべてゐます。
 北海道ほつかいどうくまは、みんなあかぐま種類しゆるい内地ないちんでゐるくまとはちがひます。からだ全體ぜんたいくろかほだけが茶色ちやいろのや、かたからむねしろまだらのあるのもゐます。木登きのぼりも水泳みづおよぎも非常ひじよう上手じようずです。食物しよくもつはおもによるくさ果實かじつうを、かになどをとり、ときには人里ひとざとて、家畜かちくをかすめとつていくこともあります。
 野猪ゐのしゝかたちぶた全身ぜんしん黒褐色こつかつしよくのあらいでおほはれてをり、くびみじかいのでけだすときゆうには方向ほうこうへられない動物どうぶつです。ゐのしゝきば犬齒けんし發達はつたつしたもので、このきば獲物えものっかけたり、てきふせいだりします。よるになると方々ほう/″\あるまはつて、たけのこ松茸まつたけいもいね大豆等だいずなど農作物のうさくぶつをあらしたり、ひ、野鼠のねずみうさぎなどもとらへて餌食ゑじきにします。
 鹿しかはみなさんもよくてごぞんじでせう。鹿しか本州ほんしゆう四國しこく九州きゆうしゆう朝鮮等ちようせんなどひろ分布ぶんぷしてゐます。牡鹿をじか牝鹿めじかよりすこおほきく、頭部とうぶつのつてゐます。このつの毎年まいねんほゞきまつた時期じき一囘いつかいち、翌年よくねんまたえます。としるにしたがつて叉状またじようにわかれますが三本角さんぼんづの以上いじようにはなりません。また鹿しかはるあきとの二囘にかいをかへます。われ/\が『鹿』とよんでゐるまだらのある夏毛なつげのときのものです。食物しよくもつはる樹木じゆもく若芽わかめるとこのんでべ、またしるおほくさべますが、なつになつて草木くさき生長せいちようすると穀物こくもつそばなどべ、さむくなつてくさしほれると森林内しんりんないぶな、かし、くりのべたりします。
 日本につぽんきつね日本につぽん固有こゆうのものでやまあなんでゐます。からだ二尺にしやくぐらゐでながく、からだの半分はんぶん以上いじようもあります。食物しよくもつおも野鼠のねずみですが、人家じんかちかいところではにはとりなどをかすめることもあります。しかし近頃ちかごろきつね毛皮けがは帽子ぼうし首卷くびまきなどがつくられます。米國べいこくから移入いにゆうして飼養しようされてゐるものもあります。
 たぬきぞくむじなともいひますが、これは地方ちほうによつてさういふのでたぬきむじなおなじです。また穴熊あなぐまのことをむじなとよぶ地方ちほうもあり、夏時なつどきたぬきのことをむじなといふところもあります。たぬき毛皮けがは大變たいへんやくつもので、値段ねだんたかいのです。きつねたぬきむかしひとばかすものとしんじられたりしましたが、けつしてそんなばかげたことがありるわけもありません。たぬき性質せいしつきはめて臆病おくびようで、人間にんげんにもやす有用ゆうよう動物どうぶつです。
 以上いじようのほか北海道ほつかいどうにはおほかみすこのこつてゐます。内地ないちでいふおほかみやまいぬのことです。また内地ないちやまにゐるやまねこ家猫いへねこげて、いつのまにかやま生活せいかつれてしまつたものなのです。
 ぎにやま面白おもしろいけものにむさゝびといふものがゐます。四肢よつあしをひろげてからびわたりますが、とりのようにうへへはべません。えだからえださがるだけです。これは北方ほつぽうむものほどいろうすいのですが、南方なんぽうのものはい。きつね、たぬき、てん、のうさぎ、むさゝび、りすなどやまむけものはどこにゐるのでも毛皮けがはやくちますが、とく北方ほつぽうむものほど、しつがいゝのです。
 縁日えんにちでよくあかをしたかわいゝ、しろぶちうさぎつてゐるのを、みなさんも、たびたびごらんになつたでせう。しかしやまには褐色かつしよくうさぎがゐます。日本につぽんやまうさぎには二通ふたとほりあつて、そのひとつは平常へいじよう褐色かつしよくをしてゐますが、ふゆになると眞白まつしろかはるもの、もひとつは一年中いちねんじゆうとほして褐色かつしよくのものです。ふゆしろくなるうさぎ越後兎えちごうさぎといつてさむくにゆき地方ちほうんでゐます。つまりうさぎ外敵がいてきよわ動物どうぶつですから、ふゆゆきつて野山のやま眞白まつしろになれば自分じぶんのからだをもおなじようにしろくしてほかから容易よういつからないようにするのです。かういふふう自分じぶん自分じぶん保護ほごするために外界がいかいものいろおないろをもつ、そのいろのことを『保護色ほごしよく』といひます。

(二)やまとり

 高原こうげん高山こうざんのぼ途中とちゆうとりがわれ/\の足音あしおとおどろいて、ふいにつことがあります。そのばたきには、はじめのあひだこそ、こちらでもびっくりしますが、しかしだん/\すゝむにしたがつて、むしろとりびたつのも、道連みちづれが出來できたようになつかしくなるものです。こと信州しんしゆうあたりの高原こうげんかっこうこゑきながらあるいたり、濶葉樹林かつようじゆりんすゞしい林間りんかんのぼつたりするときには、とりによびかけられるようながしてこちらからもかっこう返事へんじがしたいくらゐです。かっこうやまとりでもわりに人里近ひとざとちか平地へいちにゐます。
 かっこうほとゝぎするい※帶ねつたい[#「執/れんが」、U+24360、249-1]むものですが、なつになると北方ほつぽうすゞしい地方ちほうへやつてくるのです。なかには日本につぽんとほぎて、もっときたくにへまでくのもあります。じひしんちょう慈悲心鳥じひしんちよう)のこゑ山中さんちゆうでなければかれません。これは灰黒色かいこくしよくむねはら淡赤茶色うすあかちやいろで、おなじその部分ぶぶんしろほとゝぎすかっこう區別くべつすることが出來できます。木曾きそ御嶽おんたけ日光につこうにもゐます。
 ぎにつたほがらかなこゑぶっぽうそう佛法僧ぶつぽうそう)はきつゝきるいで、かたちからすてゐますが、おほきさはその半分はんぶんもありません。羽毛うもう藍緑色あゐみどりいろで、つばさとが菫色すみれいろびてゐます。ぶときはそのはねじつうつくしいいろひらめきます。このとりはね綺麗きれいですが、ごゑうつくしく、「ぶっ、ぽう、そう」ときつゞけます。三河みかは鳳來寺山ほうらいじさん高野山こうやさん比叡山ひえいざん三箇所さんかしよだけにゐる靈鳥れいちようで、けつして姿すがたせず、こゑきこえるだけだといひますが、もとは※帶ねつたい[#「執/れんが」、U+24360、249-10]とりで、とほわたつてくるのですから以上いじようみつつのやまばかりでなく、ほかの深山しんざんにもゐるにちがひありません。
 ふくろがく)はからだ一尺いつしやくもあり、暗褐色あんかつしよく羽毛うもうあしまでかぶつてゐます。はね非常ひじようやはらかですからぶときにおとがしません。ひる洞穴ほらあないはなどにひそんでゐますが、よるになるとして、おほきな目玉めだまをぎょろ/\させてねずみなどをさらつてあるき、薄氣味うすきみわるこゑで「ほう、ほう」と、きます。
 このとり食物しよくもつなか不消化ふしようかなものがあれば※(「口+素」、第4水準2-4-20)そのうなかでまるめて、くちからすから、したには、かならず、さうした團子だんごのようなかたまりがつもつてゐます。みゝづくとらふづくるいで、けもののようなかほで、みゝのようなものがつてゐます。しかしこれはみゝたぶではなく、じつつてゐるだけなのです。しかし、そのしたにはみゝあながありますから、そのつてゐるはねのために、いくらかきこえがいゝかとおもはれます。はね淺黄色あさぎいろ暗褐色あんかつしよく條紋じようもんがあるので、とらふといふがついてたのでせう。このとりについて面白おもしろいことは、はとかさゝぎ栗鼠等りすなどつくつた、ふるにはひつてたまごむことです。
 高山こうざんはひまつたいにはらいちょう雷鳥らいちよう)といふものがゐます。晴天せいてんにはくさむらにかくれてませんが、くもつたなどには、とんでおどろかされることがあります。ごゑらいのようにつよく、いかにも高山こうざんいたゞきにとりにふさはしい丈夫じようぶそうなとりです。おほいさははとよりもおほきく、なつあひだはね一部いちぶをのぞくほかは、全部ぜんぶ黒褐色こつかつしよくで、ふゆになるとゆき見誤みあやまられるように白色はくしよくかはります。これは寒國かんこくうさぎふゆあひだ眞白まつしろになるのとおな保護色ほごしよくです。雷鳥らいちようはひまつ高山植物こうざんしよくぶつ若芽わかめ食物しよくもつとしてゐます。性質せいしつ遲鈍ちどんですから、ひと近寄ちかよつても容易よういげません。つゑたゝけばおとせそうなひくそらを、うろ/\まはつてゐます。また高山こうざん特有とくゆうなものに、いはつばめ、いはひばりなどもゐます。

(三)やまうを

 山岳さんがく溪流けいりゆうにはあまりにふれませんが、やはり特有とくゆううをがゐます。いはな、やまめ、うぐひ、あゆなどはそのなかおもうをで、高山こうざんみづきよみきつてるように、そのにくも、くさみがなく、あぢがいゝ。いはなやまめ※(「渓のつくり+谷」、第4水準2-88-89)けいこくながれる激流げきりゆうなかで、はつらつとおよいでをり、二三尺にさんじやくそらあがるほどの元氣げんきものです。みづんだところでは、はりさき雷鳥らいちよう羽毛うもうかそれがなければ、にはとり羽毛うもうでもくゝりつけておろすとれます。にごつてるところではづりをするのですが、竿ざをなが丈夫じようぶなものがいゝようです。いはないろすこくろはらあかてんがあり、やまめいろしろたてうつくしい藍色あゐいろすぢがあります。またやまめくちいはなよりすことがつてゐて、おほきさはとも七八寸しちはつすんがとまりです。日本につぽんアルプスの上高地かみこうち梓川あづさがはには、もといはなで、あしすべるといはれたほど澤山たくさんゐたものですが、近頃ちかごろはだんだんつてたようです。これは鹽燒しほやき、てんぷら、つけ、などになり、鑵詰かんづめにあきた登山者とざんしやにとつてなによりの珍味ちんみです。
 以上いじようわたしがおはなししてたことは、山林さんりんはわれ/\人間にんげんにとつては大變たいへん關係かんけいふかく、いろいろの意味いみでずいぶんやくつてゐること、それから有用ゆうよう樹木じゆもくのこと、日本につぽん森林帶しんりんたいはなしやまけものとり小魚こうをのおはなしでした。これでみなさんもやまかんするいろ/\なことをおぼえられたので、をりがあつたらたかやまにものぼつて實際じつさいについてられると、一層いつそう興味きようみがあるでせう。
――(終)――





底本:「山の科学」復刻版日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
底本の親本:「山の科學」日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
※「熱」と「[#「執/れんが」、U+24360]」の混在は、底本通りです。
※底本は旧字旧仮名づかいです。なお拗音、促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。
※岡落葉(1879(明治12)年7月19日〜1962(昭和37)年2月1日)の挿絵を同梱しました。
入力:しだひろし
校正:POKEPEEK2011
2015年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「執/れんが」、U+24360    199-9、199-9、199-12、224-1、224-2、224-5、225-8、227-2、227-4、227-6、227-6、227-11、232-7、233-8、249-1、249-10
「執/れんが」    U+24360


●図書カード