古川ロッパ昭和日記

昭和十二年

古川緑波




昭和十二年一月



一月一日(金曜)

 雨かと思はれた天気も先づ元旦の薄陽ざし、十一時起き。入浴して、さっぱりしたとこで、雑煮、屠蘇。二時から舞台稽古、「歌ふ弥次喜多」の道具調べと久富に動きをつける。五時半開演、楽屋で弁当食ふ。序幕の開く頃、売切、補助が出て大満員となる。「昇給」初日から此の位乗って来れば大したものなり。「人生」の歌終って、すぐ「弥次喜多」、久富の喜多さんに気を使ひ通し、ふわ/\っとした喜多さんで随分苦労した。が、まあ/\大過なく十時十五分無事に閉演。今日の舞台で、名古屋の客を段々興味深く見るやうになった。「歌ふ弥次喜多」の中、道頓堀の場で、「赤い灯青い灯道頓堀の河面に集る夢の灯に何でカフェが忘らりょかーって、百人一首でも有名な、あのカフェー」ってセリフが、百人一首のとこでワッと受けた、これは有楽座では、てんでクスリとも来なかったセリフだのに、ワッと来たので実に意外だった。インテリ層多しと見るべきか、面白い。御園座へ来てる曽我廼家十吾・天外によばれて南呉服町の三木てうちへ行く。ビールをのみ、鳥のすきやき、まづかった。一時半宿へ帰り、床へ入る。心配してた咽喉いゝらしく、嬉しい。
 年三十五、大人である。分別はあるか、なくもなからう。三十五である。三十五である。


一月二日(土曜)

 十一時起き、福富って宿は貧弱で、風呂小さく朝の気分ゼロ。その上朝食と対面させられては悲しいので、近くの名古屋観光ホテルへ行くと、小林千代子・片岡鉄兵がいて一緒にグリルへ。ハムエグストーストと、ミニツステーキ、わりにいゝ。それから小松屋へ柳を見舞ふ。昼、十二時開演、売切、補助も出切り。「昇給」も「人生」も大受け、「弥次喜多」久富が、けい古なしの素人だから怒れないが鈍で、やり切れない。全く徳山を怨む。昼終り、今日からアラスカが開いたので行き、フレンチオルドヴルとうまいポタアジュ、メンチボールの不出来。座へ帰ると、夜も満員、昼夜各二千八百円もあがった由。大した景気。夜も「弥次喜多」でクサり、宿へ帰って日記。片岡鉄兵よりウイスキー一壜届いた。宿で夜食出たが魚ばかりで食へないので、まづい洋食をとり、麻雀二荘、三時になった。少し勝つ。
 徳山から聖路加病院よりの手紙、元気らしく京都には間に合ひさうである。句に曰く、病院の屠蘇牛乳少しのみ。


一月三日(日曜)

 十一時半眼がさめる、旅に出ると自づと起きるのは不思議である。宿屋の食事は、とても妥協出来ないので、宿だけってことにして貰ふ。観光ホテルのグリルで、豆のポタージュとフライエグス、クラブハウス。座へ出る。今日は昼の「昇給」が全国中継になる(70)。筋は簡単だが動作で笑ふとこが多いから、客の笑声をうんと入れることに努力、之は大分成功したやうだ。昼の終りにアラスカへ、こっちへ仕事で来た藤山一郎と二人で行き、一円半の定食を食ってみる、うまくない。夜の「昇給」で杉寛一分以上の穴をあける、老人だけに怒れもしない。「弥次喜多」で又クサリ。藤山来り、高尾・能勢を連れて入江町の鳥料理五月へ行き、宿へ帰って又麻雀。二荘やり三時すぎた。


一月四日(月曜)

 十一時半迄ねた。又観光ホテルのグリルへ出かける。ポタアジュとハムエグス、ステュウコーンと紅茶。座へ出ると昼の部満員売切。終ると一人でアラスカへ行く。川口松太郎初春早々三益の後を追ふて名古屋へ来り、アラスカで食ってゐた、いやはやお若いことである。ポタアジュと鰆のミルク煮を食ったら満腹。あとショートケーキ。夜の部。又々満員売切。今日は舞台で吹き出しさうで弱った、「昇給」で小道具の徳利が間違ってズラリと舞台に出てゐたのから杉寛のゲラが始まって、こっちもつり込まれて弱った。「弥次喜多」まあ/\久富大出来である。宿の食事は一切ことはったので、大庭におでんと大阪ずしを買はせて食ひ、又麻雀を二荘やる。三時近く床へ入る。


一月五日(火曜)

 十一時すぎに起きて、又観光ホテルへ食事に行く。座へ出ると、もう満員札である。大した景気だ。何うも給金が安いな。「弥次喜多」しみ/″\徳山が出てほしいと思ふ、久富も、みっともなくはないが感じがまるで違ふ。昼が終ると、川口松太郎・三益の招待で得月へ行く。此ういふ料理は全くおかったるくて、いくら食ってもしようがないやうなもの。夜の部又々満員である。「弥次喜多」で百人一首ってセリフが受けたと一日の日記に書いたが、今日あたりはまるで笑はない。此処の客は分らなくなった。ハネ後、名劇へ出てる河辺喜美夫、その旧友杉寛・堀井を連れて、鳥勝って家へ。初のみである。一寸のみすぎた。


一月六日(水曜)

 昨夜どろんけんの三時にねて今朝がビクターの招待でアラスカだ。午前十時に招待なんて凡そ野暮なこと、いやんなる。食事あんまりうまくなかった。座へ出る、又満員、ギッシリ来てゐる。昼が終ると、アラスカへ又行く。オルドヴルとビスマルクスティークってのを食った。ビクター本社の奥村から電話で、徳山は京都も休ませるからとのこと、おや/\仕方がない。久富・小林の二人を、出演させることゝした。夜、無論大満員である。名古屋にも此んなに人がゐるかと思ふ位だ。「昇給」の受け方は又ベラボーで、セリフは笑はないが動きを百パーセント喜ぶ傾向あり。ハネて石田・大庭・土屋を連れて山まんへ牛肉食ひに行く。宿へ帰って麻雀二荘。


一月七日(木曜)

 十一時起き、咳しきりに出る、咽喉いけない、こいつは困った。アラスカへ寄り、ポタアジュとハムエグストースト、プディング。憂欝になって座へ出る。果して声は何うやら出るが出すのが苦しい。入りは昼夜共補助を出す満員。昼の終り名宝食堂でビクターの試聴会あり、それから観光ホテルへ食事に行く。ビフテキ・シャリアピンを食ふ。小林千代子になやまされる、馬鹿なんだか悧巧なんだか分らないので皆面喰ふ。夜の部も調子が出ないからちっとも面白くなし。ハネ後、名宝側の招待で小尾悦太郎・三橋に連れられて得月へ。宿へ帰ってルゴールをぬり、アスピリン金薬チミツシンのんで二時ねる。
 風邪ぐらいは、舞台へ出れば治ってしまふ、ねてゐていゝ身分なら、きっとねて病気を育てゝしまふだらう、舞台があるので治っちまふんだ。


一月八日(金曜)

 十一時起き、果して大分具合よろしい。今朝は宿の朝飯がうまさうなので食ってみた、味気ないものばかりだが生卵子で流し込む。たのまれた色紙を書いてゐると、昔ゐた女中のしげが来て、何時迄もゐるので参った。座へ出る、流石に七草すぎたから一寸客は落ちた。五時にアラスカへ、鈴木文史朗夫妻の招待で行く。オルドヴルは中々凝ったものが出た。コンソメとスパゲティと肉の煮込み、うまかった。座へ帰ると又満員。ハネ後、不二アイス迄食事しに行く。まづい糊みたいなポタアジュとコロッケ。ホットケーキ。宿へ帰って熱を計ると七度四分。それでもアスピリンのんで麻雀する。
 名古屋の客は、ますます分らない、日がたつにつれて段々インテリの客が多くなる筈だのに段々分らない連中が多くなるやうな気がする。兎に角宝塚より落ちることだけは確実だ。


一月九日(土曜)

 十一時起き、今日も宿の卵子とのりの食事にした。座へ出る。土曜のわりに入りが少い、と言っても九分は入ってゐるのだが、満員に馴れた目には淋しい。客種グッと落ちて「昇給」などてんで受け方悪く、くさる。杉寛の見方に曰く、「名宝は面白いぜといふ評判で、初めて芝居を見る客が大分来てるからだらう」と。昼が終ると、今日は二月の宣伝写真を撮らされ、アラスカからスパゲティをとり、食ったゞけ。夜の部は満員、「昇給」昼と違ってちゃんと受ける。ハネ後、東宝配給所の渡辺吉助にたのまれた仕事、何とはかなき瀬戸の深川館てとこで、一席歌漫談をやる(50)。瀬戸の町民が十二時だのに沢山起き出でゝ来たには驚いた。宿へ帰って麻雀。


一月十日(日曜)

 名宝千秋楽。
 十一時までねて、又宿の朝飯をとり卵かけて三杯食った。座へ出る。とう/\十日間満員で通した、此の景気は驚くべきもの。「人生学校」で青年部がふざけすぎるので「ラクのソゝリは皆がやるべきではない、又やっても決していゝことではない」と一応訓戒する。昼の部終ると、志村道夫がたづねて来たので、一緒にアラスカへ食事に行く。夜の「昇給」は、大分ふざけた。「人生」の芸妓学校では、「ヤットカメダナモ」「マメナキャーモ」と名古屋弁でやって笑はしてゐる。「弥次喜多」も無事に済んで、シャン/\としめて、めでたく千秋楽。さて明日は白粉ぬることもないと思ふと、風呂へ入ってゝも気持がいゝ。小尾悦太郎氏の招待で、東袋町の弥生といふ家へ皆で行く。すきやきとてもうまかりし。


一月十一日(月曜)

 のう/\と十一時迄、皆は二時の汽車で先へ京都へ行った。石田守衛を残しといて貰ひ、二人で観光ホテルのグリルで朝食。ポタアジュと白魚のフライに、コロッケ風のものとプディング。松竹座の前を通ると、よさゝうなので入る。入りまるでなし。われらとは別世界の淋しさである。写真は「桑港」てので、とてもよかった。それから「極楽双生児合戦」が始まったが、つまらないので出る。名劇で桂介と河辺を誘って、山まんで牛肉。別れて名古屋株式取引所の新年会で一席(100)。之がすむと八重垣クラブへ行って、一々会の新年会で挨拶代りにやらされる(20)、済むと京都へ向ふ。三益に川口がくっついて来る、何とまめな男。京都着十時四十八分。いつもの宿大文字屋へ。


一月十二日(火曜)

 十一時迄よくねた。此の朝飯なら食へる。チラ/\と雪だ。ウプ寒い。「エス・エス」へ、針桐小僧といふ名で一座の名古屋だよりを六枚書いた。それから一荘やる。アラスカで夕食。コーンチャウダーに、オルドヴル、スパゲティに肝、あんまり凝られるので反ってうまくない。座へ出る。大入満員、補助も出てゐる。「昇給」で、こいつあ一寸辛いなと思った、名古屋が甘すぎたのか。「弥次喜多」も、名古屋より多くを求められてゐるやうな気がした。坂東好太郎と飯塚敏子が見に来て菓子折を届けて呉れた。女の子大さわぎ。中野英治、ヘウ然と来る。競馬に来てるらしい。宿へ帰ってあい鴨と水菜ですきやきし、又麻雀する。
 徳山より手紙、入院の費用が大変だから、全快したら大いに働かして呉れと。直サイにさう言はれると嬉しくて、一肌ぬがうって気になる。


一月十三日(水曜)

 十一時半迄ねる。ビクターの奥村が宿へ来り、実演大会の脚本、何とか考へて呉れとのこと、それでは今晩「嘘クラブ」といふヴァラエティを書かうといふ話になる。座へ出ると、何とか婦人会の貸切りで、気のりがしない。昼の終りに奥村と四条の山家料理、鳴瀬へ行く。鶏の足、深山あげ、深山茶づけ、皆うまく大いに食った。夜もむろん満員、声が漸く本調子出始め気持よく、客も本波になって来た。十時一寸前にハネる。宿へ帰って先づ清宮と「見世物王国」の舞台について打合せ、それから「嘘クラブ」を、午前四時までかゝって七景のうち六景完全に書いてしまった、いやはや草疲れた。
 名古屋の客より、たしかに京都の方が辛い、身のあるものを求めてることがアリ/\と分る。


一月十四日(木曜)

 床へ入ったのは四時半だが中々眠られず、起きたのは十一時半、やれ辛い、金の薬を飲んでおく。昼は又貸切だ、手応のない客で気が入らない、又、昼気を抜いとかないと夜ハリキれない。幕間に、「嘘クラブ」の七景をまとめてしまふ。三日間の実演大会でやめちまふのは惜しい位いゝものになった。本が書けた喜びってのは又別だ。昼の終りに十二段家へ寄る。鯛さしみとかもなべ、幕の内。夜の部満員売切。今夜の客はよう笑ふ。片岡千恵蔵が見に来て帰りに「映画の友」の一問一答をかねて、岡崎の小浜家てふうちへ、ウイスキー又々ちとのみすぎ、林寛・箕浦・玉木を宮川町へ片づけて、三時半にねた。
「弥次喜多」で、京祇園てとこで、「京の奴らあ何でエ、毎日々々馬のカイバみてえなもの食ってやがって」ってセリフは、カットした、あんまりほんとじゃいけないから、ところがあすこへ来ると何うも言ひさうで、困る。


一月十五日(金曜)

 十一時半に、未練たっぷりで起きる。十五日で外を通る人々の活気が違ふ。座へ行ってみると、八九分しか入ってない、空席てものを久しぶりで幾つか見た、入りは悪いのに受けること/\。昼の終り、鳴瀬の鳥の山やき、深山あげ、茶漬を食ひに行く。楽屋で母上、徳山へ手紙書く。今年は色々な意味でうんと仕事したい。徳山のためにPCLで一本撮らしてやることなども考へる。夜は満員である。「昇給」も「弥次喜多」も百パーセント受ける。宿へ帰って牛肉すきやき、ねぎのうまいこと。千恵プロの箕浦来り、麻雀。二時迄やった。
 徳山の手紙に曰く、「毎日満員ときいて嬉しいが、自分がゐなくても満員とは少々淋しい」と正直なことを言って来る。


一月十六日(土曜)

 朝十一時に起きる。すぐ座へ出る、十六日の客で景気はいゝが、少し空席があったやうな気がした、受けるので、つひハリキってしまふ。でも、つく/″\二回は辛い。昼の部終ると、アラスカへ石田を連れて行き、オルドブルとビールブロフ、ローストビーフ、そのヨークシャイアプディングがひどくうまかった。座へ帰って夜の部、満員である。夜の「昇給」が、つい先っきやったばかりだのに又やるってのが如何にも辛い。今日、柳・菊田が東京より来たので、上山と共に宿へ呼び、二月の配役にかゝる。つく/″\うちもいゝ役者がゐないのでくさる。あんま呼んだが一向きかず。


一月十七日(日曜)

 十一時すぎに起きる。座は、今日は日曜だし、満員である。昼はつく/″\嫌である、いくら一生けんめいやらうとしても結局半まな舞台になってしまふ。昼終って、鳴瀬へ又行く、山やきと深山あげ、それに深山茶漬。夜の部満員。いやはやよく笑ひ、よく拍手する客である、たゞ東京の客のやうな底力がない。ダシの味「ダッシー」てのゝ所長八田といふ男がぜひ一席と申し込んで来てるので、祇園の東二軒茶屋てのへ行った。京の四季で名のある祇園豆腐を食ひながら、おかったるい料理でのむ。祇園の芸妓てのが又人形みたいで一向面白くない。一時、宿へ帰って日記してねる。


一月十八日(月曜)

 十一時に起き、「東宝」にたのまれてた、「劇評について」を書きかけたが、うまく行かぬ。破り捨てゝサッパリした。役者は所詮、劇評に文句を言ふこと自身不愉快なのだ。座へ出る、大丸の女店員の総見とかでいやも笑ふの何のって。とても身体中が凝って、辛い。食事に出る元気もなく、昼終ると入浴し、サロメチールを塗って、横になってゐた。そこへ曽我廼家十吾がひょっくり来て、今夜喜劇人の集りをするからぜひ来て呉れと又ひょっこり帰って行った、つかれてるから早くねたいところだが、夜の部(満員)終ると、四条のちもとへ。これは東京で五郎が主催でやってる喜劇祭とかいふのを、十吾が肝いりで、今、京都にゐる喜劇人ばかり集まらうといふ会で、家庭劇の幹部連から吉本の田宮貞楽・三楽等ならんでゐる、おそく行ったので、僕・杉・堀井・石田が正座に並んでしまった。小織の挨拶があり、日頃尊敬してる人だから小織に盃をさす。こゝが終って、十吾がむりやり宮川町へ連れて行く。十吾の嫁はんなるものゝ出生地で、こゝで喜劇祭について、十吾がいろ/\言ふのだが何うも此の連中、むづかしい言葉を使ひたがるので徹底しない。十吾・天外・淡海その他と大いにのんだ。柳に、こっちの会費として百円包ませた。が、十吾が受取らなかったとか。困る。


一月十九日(火曜)

 十一時半起き、その辛いこと――あゝたっぷりねられたらなアと朝からグチっぽい。座へ出ると昼も殆んど一杯の入りである。昼の終りに、びしょ/″\雨の中を勇を鼓して、をきなへすきやき食ひに行った。肉より、ゆばだのいろんなものがうまし。座へ帰ると夜はびっしり入ってゐる。二回芝居はつく/″\やりきれん、こんな弱音を吐くやうになったかいな。今夜が又大沢氏の招待で座員数名連れて祇園のやなぎてふうちへ。大沢は招いといて欠席、アホかいな。もうほと/\労れてるので早く宿へ帰り、ねる。ねる時の嬉しさ。


一月二十日(水曜)

 京宝の千秋楽。
 今日一日で終り――と思ふと嬉しくてたまらない。十一時半起き、座へ。昼もよく入って九分以上である。昼の終りに、京極へ出て、さくらゐ屋で母上の土産にレターペーパーいろ/\買ふ。まづいすしを食ひ、美松食堂てのへ入る。女給共サイン/\と攻めよせる。昔は、サインする自分になりたいと思ってゐたが、さて此うなるとうるさいし、ハタへの気がねとで、嫌でたまらない。夜の部の座は満員。PCLの滝村が来り、三月「ハリキリボーイ」に、ワイントラウブのジャズを入れたいと言ふ、大賛成である。夜の「昇給」はくたびれてるのに剣舞でめちゃをやり大いに笑はす。「弥次喜多」のフィナレ、シャン/\/\としめて、おめでたう。やれ/\正月名・京宝共に連日満員・めでたし/\。祇園のギルビイで乾杯。


一月二十一日(木曜)

 岐阜劇場の公演。
 今朝は九時起きして、僕・三益・久富・小林・高尾と堀井・石田・大庭・杉等ダンスチーム五人残って岐阜へ行くわけ。汽車が十時二十分。車中眠い/\。岐阜へ着いた。むつみてふ料理屋へ休む。夕刻、座へ出る。岐阜劇場、馬鹿にしてたのに立派な小屋なので驚いた。客は大満員、立見一円といふ景気。一部「笑のデパート」万才や寸劇、高尾光子の踊りや小林・久富の独唱、三益の一人トーキー等。何うやら笑はせていた。此ういふものを、もっと座員に勉強させておかなくてはいけない。二に「浪曲学校」を大胆にも大庭がやり、三「女優と詩人」殆んど打合せもしてなかったが、まあ/\の出来、三益との夫婦げんかの所など大馬力で暴れ廻り、へと/\になる、大丈夫受けた。おしまひは、「僕の演芸会」と言って、歌オンパレード。僕は「アホかいな」「ハリキリボーイ」を歌ふ、ハリキリが受けた。二十分歌漫談をやり、大受け。十時閉演。むつみへ引あげて休息。一時九分岐阜発、くた/\に草疲れて寝台車。トランクあけて歯磨出して、ピチンとしめたら手拭がなかったり、開けたりしめたり、結局洗面所迄エッチラオッチラ運んだり、あゝ面倒くせえ。
 宿屋の払ひ(宿賃は会社持で、雑費だけ)が四拾何円、茶代二十円の女中に十円。さて嚢中の淋しくなったこと。此の旅も二十日間に五百円ばかり飛んでゐる、こんなに倹約してゝこれなんだからハデに行ったら千や二千はわけはない。金てものは、ふしぎなものなり。


一月二十二日(金曜)

 寝台車は夏はたまらないが、冬もひどい。スチームが利いて暖かすぎる。横浜から奥村が乗り、実演大会の打合せしながら、東京着。駅からまっすぐ家へ。あゝやれ/\くたびれた。母上も道子も元気、風邪一つひかぬ正月なりしとは嬉し。入浴、ひげを剃り頭を洗ひ、久々うちのおみよつけの美味さ! 鮭と卵で三杯食って、床とらせて、十一時頃から三時迄、鼾も高らかにねた。起きて又入浴。夜食は火鍋で、たっぷり食べると、又ねむくなって、床へ入り、すや/\と来た。早くねると外の口笛の音や人声が無気味なものだ。ほんとにねたのは三時近く。


一月二十三日(土曜)

 それから又よくねたもので十時半迄。轟美津子から電話で起され、出てみると、「今度姫宮接子さんが入るって新聞に出てましたけどほんとですか」と、何を言ってる、又女の子同士のくだらもない個人感情だ、「馬鹿」と叱りつけて切る。一時から小劇場本読み。小林重四郎が新加入してゐる、日活から引抜いちまったらしい。ハリキってゐた。三益だけ三十分以上遅刻、「こんな風におくれないやうに」と皆に言ってやる。本読みの終る頃、聖路加病院へ徳山を見舞に行く。先づ元気。痔で岡もこゝへ入院、ついでに見舞。不二アイスで食事して、五時からビクター本社で「嘘クラブ」の本読み。さてこれから毎日急しいことである。それが嬉しいが。石田・堀井・大庭とで浅草へ。江川劇場のロクロー中根の「笑ふ弥次喜多」を見て、みや古へ行く。


一月二十四日(日曜)

 十時半起き、伊藤松雄訪問、例の如く愚痴の多い人、必ず何か文句を言ってゐる。けい古場の小劇場。ピッチリ時間から皆集まってやれたのはよかった、「荒神山」一二景を立つ。三時から「楽天公子」初めて読んだが、菊田としては出来のいゝ方じゃない。カットを要す、五時から「見世物王国」の読合せ。迎が来て、東京会館の片倉・浜口両家結婚の余興に出る。歌の漫談をやり、日劇五階のけい古場へひきあげる。「見世物王国」の終りのヴァラエティーは、「ハリキリサーカス」と名づけた。堀井と二人で、銀座ルパン。田中がお年玉にネクタイを呉れた。のど少し痛む、ルゴール、アスピリン。


一月二十五日(月曜)

 十時起き、谷崎潤一郎の「倚松庵随筆」を読む、老の心境の磨かれたるさまにうっとりさせられる。先頃モーリス・シュヴァリエのレコードをきいて、老のよさ、若さのいけなさを感じたが、物すべて若く青きはいけないことをしみ/″\思ふ。けい古場へ一時に入る。まあ「荒神山」はいゝ、「見世物」は大丈夫、心がゝりは「楽天」だけである。一時から五時半まで、びっしり立ちづめに立って、くたびれたけれど、一寸やらうと、麻雀屋へ。今日、月給出た。僕の、ちっとも上ってゐない。怪しからん、社長に逢って話さにゃならん。山野・原田来り、二人ともこっちへ入りたいと言ふが、困るので一杯のませ、そのため暁となる。


一月二十六日(火曜)

 四時近くにねたので十二時迄べったりねてしまった。小劇場へ出たのは一時半、「おくれてすまん」と言ひ乍ら入る。「荒神山」を立つ。三時から「楽天」だ、これが面白くないやうな気がして、心配である。樋口がやって来て、いきなり握手する、「十二月の前売はすばらしかったが、二月は、今日売り出したが、もっとづっといゝ」と言ふ。これで活気づく。ニューグリルへ小林重四郎と石田を連れて行き、オルドヴルと、アスパラガスのポタアジュに、フィレ・ソール、キャビネットプディング。スープ相変ずまづい。六時からビクターのけい古。神田の教育会館へ。一部の歌「明るい日曜日」を合せ、「嘘クラブ」をやる。九時半迄かゝって、立ち直し/\して漸くまとまった。有楽座へ、吉本の名人会、金語楼の「俺は水兵」を見る。前売の上り二千四百円の由、大いによし。牛肉食って、早目に帰る。


一月二十七日(水曜)

 十二時起き、けい古場へ。「荒神山」「楽天公子」「見世物」と、ぶっ通しにやって、六時からビクターの初日といふんだからつかれることである。けい古終って、ビクターの灰田を連れて、ニューグリルで夕食、ビフテキ、ポタアジュ、キャビネットプディング、コーヒー。さて、有楽座のビクター実演大会の初日だ。よく入ってゐる。一部「明るい日曜日」を歌ったが、よく受けた。ところが自信ありし「嘘クラブ」が、何うも失敗らしい。舞台の飾り方が深すぎたこと。役者が此ういふものになると際立ってまづいことなどもあるが、この脚本は六点位の出来らしい。済んでから社長にさそはれ、築地の豊竜へ、牛肉を御馳走になる。
 小林一三って人、偉い人ではあるが、遊ぶことはゼロだと思った。ビジネスオンリー。それでも人生か、と哀れみたい位。


一月二十八日(木曜)

 ビクター実演大会の二日目、昼夜である。十二時に有楽座へ入る。一部の歌はうまく歌へるが、「嘘クラブ」が、も一つピンと来ない。昼もまあ一杯。さて、からだがあくと、久し振り一荘、島村・穂積・林寛で銀座のクラブでやる、ひどく負けた。おかげで夕食は楽亭のやきそばと五目めしで済んじまった。有楽座へ帰り、夜の部、大いに満員だ。中野実が見て「嘘クラブってものが日々でおなじみであるが、そのおなじみが邪魔をして、フレッシュなものがない、そのため客が乗って来ないのじゃあるまいか」って、之は名評であらう。中野は「主婦之友」の何十枚かを書いたので、気持がいゝからつきあへと言ひ、銀座へ出ると雪――綿雪。いやはや中野の梯子は大したもの、あとからあとへと随分能率をあげた。つかれた。


一月二十九日(金曜)

 十時半起き。十二時から日劇五階で総ざらひ。「荒神山」小林重四郎ハリキリ、柳が殺陣の剣劇中々物凄く、一同よくやる、あの剣劇って奴だけはいくら貰っても出来ない。デンツーで、ポタアジュとブフアラモドを食って有楽座へ。実演大会のらくである。「明るい日曜日」快く歌った。自信のあった「嘘クラブ」が、くさりである。八時頃終る。入浴して自分のからだになる。岡に誘はれたが、つかれてゐるし、今夜は早く帰り、セリフを入れる気なので断はった。そこへ安田商事の小川栄一が、是が非でも今夜つきあへと使によこし、そこへ又、中野実が片岡鉄兵とゐるからとオザシキがかゝったが、ガンとして今日は皆断はって帰る。此ういふ時家庭がないと、淋しいので、つひつきあってしまふだらうが、幸にも淋しさを知らぬ家庭あり、断然帰った。


一月三十日(土曜)

 七時四十五分起き、小林さんの家へ行く。月給値上げその他、虫のいゝと言へば言へるがこっちとしては当然のことを要求する。小林さんの今日の態度は何うも印象がよくない。冷酷氷の如きものがある。いゝ気になってゐると何んな目に遭ふか分らないって気がした。要求の条々は吉岡の方へ行って話せといふ。日劇の吉岡のところへ行き、三月の撮影は、東宝の休養月として報酬は別に考へてほしい等のことを要求、十二時になったので日劇五階で、「見世物王国」を通して総ざらひにかゝる。夕食に地下すしやでひらめをうんと食ひ、又働いた。明日は舞台けい古。


一月三十一日(日曜)

 十時半起き、十二時から舞台けい古の筈であるが加減して、十二時近くに家を出る。果して道具が揃ってゐないので、二時半頃に、始まる。一が「荒神山」これは出場が少いから苦労はないが、谷幹の大政てものが、大したいけなさ、「清水一家の大政が打ちとった」ってのを「清水一角が打切った」てなことを言ふので弱り。剣劇は中々いゝ、小林重四郎大ハリキリ。済んで一休みして「楽天公子」これは舞台でやってみると案外やりよさゝうだ、菊田のものは粗雑だがイタにかけるといゝものが多い。一時すぎ「見世物」にかゝる。「ハリキリサーカス」が、面白いがえらく長いものになるらしくて心配。くた/\にくたびれて、終ったのは午前七時すぎ。やれ/\と帰宅。
[#改段]

昭和十二年二月



二月一日(月曜)

 午前八時にねて、三時に起きる。「楽天公子」のセリフを覚える。座へ入る。入りは、よろし、但し二円席に四五十ばかり空席があった由。五時三十七分、「荒神山」があいた、受け方も充分、僕は二役でも出場が少いから楽である。次の「楽天公子」は、前半の予期してなかったところが大受け、後半の受けると思ってたとこの方が静かだった。何にしても、一時間四十何分とかゝっちゃ長い。之が済む、すぐ「見世物王国」だ。これは大丈夫なもの。十一時十五分にハネたので先ず安心する。新宿まるやへ寄り、まづいカツレツ、オムレツとハムライスを食ひ紅茶のむ。雪である、二時に帰る。やれくたびれた/\。


二月二日(火曜)

 十二時迄ねる。ね足りた快さ。雪は夜のうちにやんで今日はどんよりと曇ったっ放し。セリフを覚えようと横になるとトロ/\と眠くなる、よくねる哩。座へ行くと、今日も一円席以下はギッシリ鮨詰であるが、二円席が四五十空いてゐる。「荒神山」は、いきなり二日目ダレで、昨日の方がずっとよかったやうだ。「楽天公子」は、キリッとしまって来て、大詰を除いては成功であった。「見世物」は、たゞ誰が見ても面白いといふだけのもの。十時四十分にハネたのは大出来。樋口正美が突如、専務から「辞表を出せ」と言はれた由、樋口の子分連揉めてゐる。


二月三日(水曜)

 十一時起き、伊藤松雄のとこへ行く。二時半に、ビクターへ向ふ。佐々木俊一が「弥次喜多花見道中」てのを作ったから、ぜひ徳山の治り次第やらうと言ふ。大きらひだった佐々木が近頃では、すっかり好き――商売的に――なったから可笑しい。そこへ日日の吉田信と黒崎が来り、僕の半代記を連載したいから書いてくれ、との話。十日頃からといふことで引受け、座へ出る、今日も二円空席あり。前売は馬鹿景気だと言ふのに、何うも不思議な現象だ。柳病休。部屋の弟子二人も休み、手が足らず、大西を叱りすぎてあと口悪し。ハネ頃、中野実来り、岡が築地房田中にゐて、そこへ行き、のむ。


二月四日(木曜)

 十一時に起きる。道子、脚気の気味で鉄道病院へ行く。静にして服薬してゐれば治るとのことで安心する。新宿帝都座へ「小市丹兵衛」といふ大河内物を見に行く。中々よろしい。稲垣浩の演出大いに買ふべし。中村屋へ寄り、ボルシチとパステーチェンを食って、紀伊国屋で夢声の「夢諦軒随筆」と木村錦花の「三角の雪」を買ひ、座へ行く。今日も九分九厘の入りで満員にならない、何うも心配である。尤もエノケンなどガラ/″\だといふ話だが。「荒神山」も、かたまった、たゞ谷幹でダレる。「楽天公子」は、ペーソスを生かし、ヘンな笑はせのセリフを刈込んで、大分しまって来た。「見世物」は、今日から歌った。「明るい日曜日」。ハネると、菊田・上山・西田・田中・竹柴・太田・堀井を連れて、1番へ行き、支那料理食ひつゝ色々直しをやる。此の支那食堂は、十円のテーブルで八人満腹、実によろしい。
 久しぶりで補助椅子の出ない芝居だ、考えてみるに、先づ、ロッパ七役を売ってない宣伝のまづさ。又、「歌ふ何々」式のもの、或は「凸凹」系のナンセンスなきこと。僕が歌を歌ってないこと。「見世物」とまで、賑かになると、丸の内向きでなかったのかといふ気もする。が、まだ失望するには当らない、明日からをよく見よう。


二月五日(金曜)

 十時半起き、二時にビクターで吹込直しあり、「嘘クラブ」AB共四時前にあがった。それから徳山の見舞に聖路加へ、明日退院の由、わりに元気。五時に辞して座へ。夕食する暇なし。今日は大入満員なり。補助も十か二十位出てゐる。十時半ハネ。「キング」の座談会が、神楽坂の松ヶ枝で開かれる。五郎・五九郎・五一郎・泉虎・エノケン・僕といふメムバー。「キング」の野暮さ加減には呆れ返った。十一時の開会から十二時半迄、紅茶とお菓子、酒と料理が一時に出て、芸妓は一人も来ず、あとで女将コボして、何しろ五円の会費ですからねと、あんまり馬鹿にするな。会は結局、五郎に食はれる、やっぱり大物だ、偉い。エノケンが荒れるかと思ったら、おとなしいので又感心した。三時半帰宅。


二月六日(土曜)

 ゆっくりねて昼頃起き、四時からフィナレのけい古し直しなので出かける。弟子共が四時に誰もゐない、叱る。のんびりした馬鹿ばかりで腹の立つこと一と通りでない。けい古すぐ終り、ホテルへ行き、オニグラとフィレソール食って座へ引返す。土曜だから今日はギッシリである。補助椅子が出切った由。「荒神山」は、何としても出場が少いし、「見世物」も少い、通して出るのは「楽天」一本である。此処らにも、今回の狂言のいけなさがあるのではなからうか。玉村より使で、又二十円とられる。ハネ後、大庭・石田と一杯やって帰る。


二月七日(日曜)

 十時起き、久々のマチネーである。昼も満員で補助が出切り。「荒神」は気を抜かうと思っても、力んでゐなくちゃ芝居にならないので、労れる。「楽天」は、よく受ける、「都」にいゝ評が出た。中々菊田は大胆だが、デリカが無い。客席を見渡すと、今月は出しものゝ関係か、老人が多い、学生サラリマンが少い、考えるべし。1番から焼売とやきそば取って食ひ終るともう五時すぎ、夜の「荒神山」眠くて弱った、「楽天」よく受ける、気持よし。「見世物」を走りすぎて、何と十時二十分にハネちまった。入浴して、まっすぐ家へ帰り、早寝である。
 帰りの円タクの運転手が、近頃の浅草はまるで田舎者ばかりになったと言ふ。丸の内に興行街が出来て浅草の客が取られてしまったのだ。その上、江東楽天地が来年出来れば、又そっちへ取られよう、浅草は今後、奥山となる、即ち、エログロの見世物が栄える時代になるだらう。


二月八日(月曜)

 十時半起き。二時に家を出て浅草へ。浅草は奥山へ復帰するといふ説の研究、東久雄をつかまへて、各館の景気をきくと、正に僕の説の通り、ゲスなもの程成功してゐる、不二洋子の剣劇第一、五九郎五一郎合同第二、笑の王国、エノケンの順である。笑の王国の大辻の淀君といふ愚劇をのぞいて、慨嘆して中西でカツレツとオムライス食って座へ。月曜だが補助出切りの大満員。「楽天」よく受ける。「見世物」は、受けはするが、も一つ物足りない。PCLの英・伊達・清川・高尾来訪、みんな一景の素通りに出して、ハネ後、1番へ案内し、大いに食ふ。十五円であがるんだから安い。


二月九日(火曜)

 十一時起き、日劇へ行く。専務に逢ひ、先日の答をきく、三月の撮影をこっちのものにして呉れることよろしいとの返事。気をよくして日劇見物。「ネオゴンドリア」といふアトラクション、兎に角金をかけてゐるのが癪にさはる。ビクターへ行く。奥村と下の食堂で此の次の期の印税のアテがまるでないから色々考へようと相談。まづい飯を食って、座へ早目に出る。今日も入りはよろしい。補助沢山出る。ビクターの岡見物、茶巾ずしを一箱届けられる。京都のダッシー所長八田が見物、PCL大谷が「ハリキリボーイ」のシナリオ持って来た。ハネ後、八田と銀座をノす。


二月十日(水曜)

 六時頃キリ/\と胃が痛み出した。昨夜銀座で食った鯖のすしに中毒ったと思はれる、金の薬をのみ、ラキサトールをのみ、アダリンをのむ、少々吐瀉した。懐炉を沢山入れて、時々便所に起きたが、二時迄ねた。起きるともう治ってゐる。食事はパンにした。「ハリキリボーイ」のシナリオ一読、原作本位でまことによろし。座は、大入満員。ギッシリ詰ると、自然よく受ける。「楽天」の時、しみ/″\腹が空いて来て、「朝から何も食べてない」なんてセリフが実感が出る。消え物のパンをむしゃ/\食った。うまかった。ハネると、今日見物の母上をカティで待合せ、一緒に帰る。今日の方が三日目あたりよりづっと面白い由、短縮したせいであらう。帰って、夜食。もう腹は大丈夫らしい。


二月十一日(木曜)

 よくねて十時起き。今日はマチネー。腹具合もう大丈夫。十一時家を出る。宮城のあたり建国祭の行列にぎやか。座は開場前にもう満員、補助も出切ってゐる。一回の終り、入浴もせず、スコットから、スパゲティとタンシチュウとって食ふ。序から出てゐると、全く何うする暇もない。いゝ塩梅に客は来始めたが、四・五月の案は、よっぽど練らないといかん。松竹座にたてこもるエノケンは、松竹と歩になったら現金にも三の替りを出すハリキリ方。これで不人気はいくらか取戻せるだらう、敵のなくなることは淋しい、エノケンよ共に栄えてゐてほしい。ハネると、白川・大庭を連れて、浅草のみや古迄走って一切のまず、いろ/\食った。一時帰宅。


二月十二日(金曜)

 十時半に起される、道子が「十時半です」と言ったら、「ムニャ/\両方食べる」と、いきなり寝言みたいに言った、食ひ気の盛なこと。日日への自伝「人生レヴィウ」と題して書始める。大西来り、揉ませつゝ書き、三時頃に三回分十二枚書き上げた。今日は入り、九分といふところ。「荒神山」の時、石田守衛がトチリ、報せをやったのに莨吸ひながら悠々と出て来たので一つゴンとやった。それっきり詫まりに来ない。可愛がり過ぎるとつけ上る。注意しよう。柳は、慶応病院でチフスの疑ありとカク離室へ移された由。ハネ頃PCLの大谷来り、堀井共々打合せのため夜更けまで。


二月十三日(土曜)

 十一時起き、今日は銀座で麻雀の約束、奥村・島村・林の面子で三荘やり、三千近く負ける。負けると実につまらん遊びなり。座へ出る、オザの話もあれど柳がゐないので話がうまくきけず、益戸の克巳なんてアダヨが来て十円タカられるし、不自由である。薫はおふくろの病気に金がないと泣きの手紙をよこすし、いやはや金の出ることばかり。今夜の入りは、土曜のことだから満点。菊田と四・五月の案を練る、此ういふ点では、菊田が一ばんしっかりしてる。「荒神」も「楽天」も、やってる最中、やたらに小便が近くて弱った、冷えたのか――又、糖が出てゐるのかな、心配。


二月十四日(日曜)

 十時起き、マチネーだから十一時に家を出る。昼既に満員。川口が楽屋へ来て、小林重四郎に色々注文を出してゐる、すべて古いことばかりだが、もっとくさくやれってことは賛成。「楽天」の最中、浅草のヨタ者、酒井ってのが舞台の横迄入って来ちまひ、又タカられちまった。門衛が何をしてるかと怒ったら、知らなかったと言ったので、新主事の岡崎を呼んで叱りつける。などで休む間もなく、たちまち夜の部である。スコットのスパゲティ一皿のみ。今日は糖の傾向だから、紅茶コーヒーを一切やめ、番茶のみのむ、そのせいか小便近くなし。夜の部、トチリあり、「毎日トチる者が出るからその罰則考究中なり」と黒板に書く。夜もむろん満員なり。


二月十五日(月曜)

 十一時近く起きる。一時すぎに出て、ヤング軒で理髪、有楽座へ三時から、四月の出し物相談会。川島・穂積なんてのは、此ういふ時ばかりじゃないが、何の役にもたゝない。四月の日劇は、三月撮影する「ハリキリボーイ」封切の他「歌ふ金色夜叉」「見世物王国」ともう一本といふことにした。今日は入り九分ってとこ、客席を見渡すと老人が多い。出し物のせいである。もっと前進的なものをやらなくてはいけない。大辻司郎女房何ういふ了見かビール一箱持って来る、分らん。「見世物王国」の、鐘タゝキ人形役の江本、女房が遊びに来てるので、無断、役を藤田てのに代らせ、子供を抱いて見てる、代役した者共やめろと怒る。菊田のとりなしで、謹慎を命じる。ハネ後、牛込松ヶ枝へ、五郎・五九郎・エノケンとのみ、食ひ三時半近く迄。


二月十六日(火曜)

 十二時起き。二時東宝会議室へ文芸部会があって招集された。専務支配人もゐるのだが一向につまらん話ばかり、殊に愚かなのは園池なんて奴、此んなのは抹殺すべきだ。四時近くビクターへ。「弥次喜多花見道中」のけい古を明・明後日と二日やるさうで、その打合せ。此うしてかなりの時間を割くが、これで金にならなかったらもうレコードは止めたい。食堂のチキンライスをかき込んで、五時座へ入る。入りは又九分だ。客席老け多し。PCL滝村来り、配役のこと金のことなど相談する。ハネ後、みや古へ行く。今日又、アダヨ来り一円たかられる。


二月十七日(水曜)

 十一時起き、警察署からたのまれた、ムザン仕事で大隈講堂へ、例の歌漫をやる。さっさと切上げてビクターへ、けい古に行く。「弥次喜多花見道中」佐々木らしくて賑かで面白いが、何うも下司で困る。地下で簡単に夕食する。座へ、入りは九分である。二月としては何処にも負けはしないが、活気のないのがいけない。二十日の新喜劇まつりへは何卒出ないで呉れと支配人より書類。井口静波、「深夜の人気者」といふのを都新聞に連載するからとて、僕を引っぱり出し、仕方なくルパンでウイをのんでるとこを撮す。


二月十八日(木曜)

 十時半起き、十二時から小劇場でPCLの本読み、のそ/\土屋その他がおくれて来たので、どなりつける。土屋なんて奴は、馬鹿のくせに図々しくて取柄がない。二時からビクターへ、けい古に行く。コーラス入りでけい古すること数回、明日吹込である。又今日もビクター地下のまづい洋食を食ふ。座へ五時前に入る。注文した、鏡台が出来て来た。豪華である。此うなると、鏡台の上のものが貧弱に見えていけない。島村が来り、専務のとこへ泣きついて、新喜劇まつりに出演のことが許されたから、たのむと言ふ。入りは今日九分九厘、二階二円のとこが空席あれど、八の日のためか下の補助は出切りである。ハネて、すぐ帰宅、パン食。自伝又一回分まとめる。


二月十九日(金曜)

 十時半起き、飯を食ふと何うもかったるくなる。明日はパンにすることにした。一時吹込みなので十二時に出る。オーケストラで合せ、カットしたり、休憩したりして、とう/\四時近く迄かゝる。こんな苦労して、これが一体幾らになるか。又今日もビクター食堂で夕食。五時に座へ出る。鏡台を皆が賞める。九州戸畑松本馨って名刺を通じて来訪した、大金持の息子、朝鮮の大学の歴史の先生してるって奴、カヴァした靴のまんま楽屋へ上り込んであはてゝる。一々言ふことがバカで腹が立つ、金持の罰に此んな子が出来るのだ。入りは今日は十分行った。ハネてから明日の新喜劇まつりのけい古へ、その前にホテルへ寄り、オルドヴル、グリーンピースのスープ、フィレソール。
 バカ程いやなものはない、何ういふ量見か、英語をやたらに入れて、話をするし、しまひには「僕、クヰーンビクトリアの研究をしてる」と言ふから、「月経帯の研究か」と、からかってやった。われ/\芸術家は恵まれたるかな、こんなバカとつきあはないでもすむ!


二月二十日(土曜)

 十一時起き、パン食、一時半に、公会堂へ行く。新喜劇まつりも挨拶程度ならよからうといふことになり、出演することゝした。作者連の芝居珍景百出、可笑しくてよかった。僕はヴァラエティのトリで、之がすむとホテルのグリルでフィレソール食って座へ。鏡台前にいろ/\置くものを揃へたりして機嫌がいゝ。日日の記者から電話で、「今、お宅の芝居を、千駄ヶ谷の歌右衛門が見物してるさうですがほんとですか」と言はれて早速調べさせたら、補助椅子に座って見てゐるといふので、みんなハリキった。而も歌右衛門は、「見世物」の終り頃迄、あの不自由な身体で補助におさまって見物し、帰りに「ロッパによろしく」と言って帰った由。感激ものである。夜も、公会堂へかけつけ、七分ばかりやって引返す。ハネ頃菊田が礼を持って来たが、何とたった三十円、新喜劇の名で、儲け仕事をし、エラクこっちを馬鹿にした金をよこしたから之は返す気だ。


二月二十一日(日曜)

 十時起き。からりと晴れたいゝ天気、「今日はうれしいマチネーよ」なんて言ひながら化粧。昼から大満員、今日の客はわりに若者も多く活気がある。昼の終りには、プランタンとサンドウィッチと、東宝グリルのポタアジュで済ませる。菊田が来たので昨日の礼金を返し、怪しからんと怒る。新喜劇は昨日の会を千三百円でライオンへ売ってるらしい、それを何てふづるい奴だ。夜の部、大満員である。柳が入院費用三百円程入用の由、よく働いた男故何とかしてやるべし。ハネて入浴、すぐ帰宅。


二月二十二日(月曜)

 十時半起き、「エスエス」の「古川緑波一座だより」を五枚書く、針桐小僧の名で、それから日日の自伝を書く。座へ出ると、友田が来て、新喜劇まつりの不始末は、島村から充分詫ると。そこへ島村来り、手をついてあやまった。怒ったゞけ、つまりこっちは損、大の男に両手をつかれては、もう此の事は言ふまい。然し、僕の分三十円をたして五十円にして三益にやれと言っといたら、島村が「ゆふべ此の相談で待合へ泊り二十六円つかったので、すまんが此うしといてくれ」と三十円渡した由、あきれて物が言へず。入りは大満員。「見世物」の前に、公会堂へAKの会で一寸出る(50)。PCL連中来り、撮影が近々始まるときいて、びっくりした。


二月二十三日(火曜)

 十一時起き。伊藤松雄のとこへ久しぶりで行く。例によってよく喋る。二時に浅草へ出た。たしかに浅草は今に奥山の昔に帰る。潰れかゝってる江川劇場で僕の「美人島」の改訂したのをやってるから見に行く。と、サトウロクローが休んでゝ、代役だし、めちゃくちゃなのですぐ出ちまひ、笑の王国のヴァラエティをのぞく。高島屋の地下食堂で食事して又公会堂へ、昨日と同じAKの会で一席やる(50)。入りは大入満員。ハネ頃PCLの大谷・滝村来り、又々打合せをやる、中々話はつきず、おそくなった。


二月二十四日(水曜)

 九時起き、PCL迄、又これから此の長丁場を毎日自動車で通ふかと思ふとうんざりだ。着いたのが十時半すぎ。キャメラテスト。次に録音テスト。これでもう今日は役済みだ。二時から試写室で「嘘クラブ」の試写。わりに面白かった。夢声の老けが印象に残る。それから森岩雄と一緒に東京へ出る。ホテルのニューグリルで、オルドヴル、オニグラ、フィレソール。座へ出たのは五時。今日の入りは、昨日程ではないが空席は無し。労れてるのか何うも気乗りがしない、客も食ひついて来ない。ハネが十時十分頃。すぐ家へ帰る。床の中で柳への手紙を書き、三百円封入する、明日道子が見舞に行く。


二月二十五日(木曜)

 十時半起き、徳山が十一時に来る。食事一緒にして同道。PCLで、「ハリキリ」の中に徳山のサラリマン歌謡てのを入れることにした。徳山、器用で早速歌詞を作っちまった。それからLの方へ行き、「まんざら悪くない」のプレスコ。三時すぎ終り、満鉄ビル六階のエトワールへ始めて行った、オルドヴル、ポタアジュ、スパゲティ・カルソー、バゞロア。ニューグランドのスタイルだが、及ばず。座へ五時前に入る。入りは、満員。「荒神山」のかげ歌、土屋伍一丸トチリ、もう怒る気がしない。君、やめたまへとのみ言ふ。小劇場の文藝春秋祭へ。藤山がゐたので伴奏をたのみ、一寸やって引返す(10)。ハネ後、藤山・山野・田中三郎等一緒で大さわぎ。


二月二十六日(金曜)

 今日はPCLもないので十一時迄ゆっくりねる。四時家を出て、日劇事務所へ、専務は東横へアトラクションに出したいと言ってる由、支配人宛に、そんな馬鹿な、堂々の陣を張ってる我一座を小さくするのか、絶対ことはると言ふ手紙置いて来た。樋口と蛇の目ですしをつまみ、リズムでソーダ水のんで座へ出る。いろんな物貰ひが来て、此ういふ時は柳がゐないとつく/″\困る。入りは大入。「荒神山」の一景で安濃徳が「あゝそれなのに/\」って近頃の流行歌を入れてみたら受けた。高助が見物してゐた。まっすぐ帰る。


二月二十七日(土曜)

 PCLで又プレスコあり、正午開始。先づハリキリボーイの歌を四通り、カットカットして入れる。之が済んで、あと一カット能勢と食ひ合ふところがあるのに能勢来らず、くさって待つ。能勢漸く来る、怒る。四時二十分といふ危い時間迄、キチ/\にやり、PCLの送りで座へ出る。夕食は、支那飯一皿っきり。座は、土曜ではあるが、ワッといふ入りではない、やっぱり月末である。前の東宝はオールスターキャストで、今日の初日が六分の入りだった由。珍しや小笠原明峰久々来訪、芝居を見て行く。此ういふものなら書けさうだ、勉強すると言ってゐた。ハネ後、小林重四郎や馬楽などゝルパンでのみ、小林にいろ/\意見したらしい。


二月二十八日(日曜)

 有楽座千秋楽。
 昼の部の入りは九分。千秋楽なれば、いろ/\と又珍景があった。安濃徳の「あゝそれなのに/\」はどっと受けた。スコットのスパゲティとシチュウを食ひ終るともう夜の支度である。来訪者多く、それが又金ほしやの連中多く、つく/″\いやんなる。夜も、九分だった。「見世物」には、徳山を引っぱり出すやら、奇術師は俄然東北弁になるやら珍景。十時きっちりに閉演。シャン/\/\としめて、おめでたう。ハネ後、支那グリル一番で文芸部の集り、四月五月のプラン。四月のはもう決定してゐるが、五月は全くいゝ考へがない。藤山を使ふことは決定。一同先づハリキってゐる。あゝこれで明日早朝撮影とは。
[#改段]

昭和十二年三月



三月一日(月曜)

 今日からPCL「ハリキリボーイ」撮影開始である。九時半に入って呉れと言はれてゐるが又屹度昼頃になるに違ないから、上山に電話を貰ってから起きることにして、ねてると果して十一時迄ねられた。PCLへ十二時半着。ひる休みで一時開始とある、丁度よかった。第三ステージで野川君の家のセット。「弥次喜多」と比べると気候もいゝし、カツラも衣裳もづっとらくだ。が、何しろ労れてゐる。溌溂としない。尤も、朝ねぼけてるところだから丁度いゝか。とう/\十時すぎ迄やった。十数カット行ってるからいゝ方だらう。スケジュールを見ると、殆んど休みなしらしい、驚いた。十時半、PCLの送りで帰宅。明日は八時起き。


三月二日(火曜)

 八時起き。PCLへ十時前に着いたのに、三益が参っちまって、出られないとか、中々始まりさうもない。森岩雄の部屋で話し込む。八月東宝との契約が切れたら、PCLとも契約をしたいと言ふ話など。そのうちに、三益が無理して出て来たので十二時開始。今日は僕の制限もあり三益も参ってるので五時迄で切上げることゝなり、それも停電だ何だで、うまく行かず、焦れることしきり。又明日が早いのでくさりつゝ日比谷公会堂へ。少年保護の夕ってので漫談した(50)。八時帰宅。「モダン日本」へ旧稿「一人トーキー」を改訂して送ることゝし書き始める。
 今日より日日新聞に僕の自伝「人生レヴィウ」連載開始。


三月三日(水曜)

 八時起き、砧村へ。野川君の家のセット第三日。ライトってものゝ不自由さにはつく/″\驚く。昼前六七カット。待ちの間、「モダン日本」への一人トーキー「あゝそれなのに」と題をつけて二十枚書き上げた。雨になって、便所へ行くのも一々ビショ/\濡れてしまふ。夕食の後、試写室で第一日に撮った分のラッシュを見る。素顔でも大丈夫である。夜のセットはます/\ダレる。三益のカットが続いたのでその間に又「映画の友」へ六枚ばかり書いた。呼ばれてワンカット、又休んで又呼ばれ――つひにクタ/\とつかれた、終りが何と午前四時十分。


三月四日(木曜)

 十二時起き。午後からロケーションの筈だったが、晴れてるのに中止の由、監督なども参っちまったらしい。夜半ロケのみ。三時、日劇事務所へ、専務とPCLの給料について話す。四時、ビクターへ。「弥次喜多花見道中」の吹込直しである。今日は、まあうまく行った。それから「酔へば大将」の歌を、鈴木静一にけい古して貰ひ、之が明日早速プレスコなんだからこはい。さてこれで夜中の一時迄身体があいてゐる、久々で麻雀したくなり、友田・橘・水町とでやる。四荘たっぷりやり、グランド銀座の前で、わづか二カットだが、これが午前四時すぎ迄かゝるんだから活動は嫌だ。


三月五日(金曜)

起きたのは[#天付きの「起きたのは」はママ]一時。PCL今日は二時半。プレスコ三時から始まる。「酔へば大将」をすぐやる、けい古不足であんまりうまくはない。夕食。シャケの焼いたのに葉っぱとごはん、二十銭の定食を、入江たか子もパクついてゐる。上山が齎したニュース、今度出来たけい古場を、初め三階古川一座四階東宝劇団となってゐたのが、「三階日劇ショウ及各劇団けい古場」と書いてあるので大フンガイ。午後七時より、プレイバック、自動車の中の、「ハリキリボーイ」。スクリンプロセスを使って撮影。


三月六日(土曜)

 八時起き、PCLへ。おでん屋親爺役の林寛が来ない、昨夜から帰らず、速達を見てゐないらしいとのこと、しょうがない、白川を代役で撮る。午前中、こんなことでワンカット。昼休みに日日新聞へ三回分書いた。午後は、わりに能率が上り、とん/\行った。夕刻終ったので入浴、のう/\した気持。浅草へ。常盤座で東と会ふ、渡辺篤は笑の王国でドンと五百円ばかり給料を下げられた由。生駒・山野とみや古へ寄り、江川で旗挙した高屋朗を呼んで激励する。それから銀座へ。藤山の兄貴、加納と会ふ。加納もホラ吹きで、「月五千円かせぎます」なんて言ふんでいかん。


三月七日(日曜)

 日曜といふものが、いつもはマチネーがあるので、楽しくない日であった、それが逆に休みなので、嬉しくてたまらない日になった。人間、立場々々で此うも変るのだ。一時迄ぐっすりねた。日記の二三日溜ったのを整理し、入院中の柳に手紙を書く。四時に家を出て、新橋演舞場へ、前進座見物である。たゞ/″\黙阿弥に打たれた、黙阿弥程の、後世に再演三演――数百回も演ぜられるやうな作を書きたい。古賀政男が演舞場へ迎へに来る約束だったが来ないので、まっすぐ帰る。


三月八日(月曜)

 七時半に起きる、辛い。映画撮影とは何たる人生ぞや。PCLへ向ふ。今日から会社の事務所内である。午前中に三四カット行った。午後は同じとこで又数カット、夕食後、試写室で先日プレスコした「酔へば大将」の歌をきいてがっかりした。やり直したいと思ふ。九時半頃撮影アガり、銀座へ向ふ。ルパンで古賀政男と滝村・テイチクの江守と逢ふ。「見世物王国」の映画化が決定、音楽を古賀にたのむことになったのでその打ち合せ。話してるうちに、PCLも一つ大作品を作らにゃいかん、デミル張りで菊池氏の「人妻読本」をオールスターキャストでやったら――と思ひついたので、これは明日森氏に話さう。


三月九日(火曜)

 今日も早い。八時半起き、PCL。午前中二三カット。昼休みに、森氏のとこへ行き、「人妻読本」のプランを話すと、早速菊池寛氏に話して、秋の大作にするから、僕に脚色して呉れと言ふ。食堂で、まづいシチューを食ひ、又ダラ/″\と撮影を続ける。今夜はおそくなると覚悟する。身体を気をつけ、よく含嗽し、メンソラを用ゐる。夜食後、又数カット、つく/″\撮影って奴はやり切れないな。十二時半迄休んで又始まるといふのでダレてゐたら突如今夜は中止となり、すぐ入浴して帰る。


三月十日(水曜)

 十時起き。十二時すぎに家を出てPCLへ。家から電話で、報知の記者が来り、道子をつかまへて結婚の話をしろと言ひ、写真を撮って行った由、道子は知らぬ存ぜぬで通したとのこと。やがてこっちへも来るだらう、色々言葉を考へてゐると、市川為雄といふ記者が来た。「事実です。が、今日は此処では何も話せない、明日十二時半に家へ来て下さい」と言ふ。此ういふ機会にパッと発表しちまった方がよからう、明日発表する考へ。二時半頃から、肩越しうしろ姿の僕、他一カットで休み。夕刻試写室で「からゆきさん」の試写あり、見物する。いゝ。泣いた。夕食して、「ハリキリボーイ」のラッシュ見る。野川君の家の分は大丈夫受ける。夜に入りて、ワンカット、廊下のとこを撮ると、待ちに入り、九時十時十一時――づっと無し、たゞひたすら待ちで、夜はほの/″\と明けた。


三月十一日(木曜)

 もう/\孫子の代まで映画撮影は止めだ、とブーブー言ってたが、一時間ばかりねると気分が直った。PCL食堂ではかない朝食をして、九時半頃から残りのWCの二カットをやる。十一時近く帰宅す。少し休むと十二時半、約束の報知記者来る、アッサリ事実を話し、道子と並んだ写真を撮られ、帰る。夕刊に出るらしい。それからビクターへ。朝日の記者来り、報知夕刊の第二版に出たのを見せて話をきかせろと言ふ。五時近くから「酔へば大将」の吹込み、トン/\とうまく入った。それから浅草へ出て、山野・高屋・泉・只野他大庭・石田等みや古で大いにのみ食ひ、心祝ひのつもりで金をやる。


三月十二日(金曜)

 映画を撮り出してからは、今日が何日だか何曜だかサッパリ分らない。殊に昨日の如き徹夜などがあると、ます/\ぼやけてしまふ、いゝ心持ではない。十一時に起きる、上山から電話、今日のロケは中止、夜もないとのことでやれ/\と思ふ。中野実を訪問、五月のために一本書き卸しをして貰ふことに約束した。僕は一旦別れて、千疋屋でPCLの荻原と阪田英一に逢ふ。そこで又中野と一緒になり、エスキーモでライスカレー食って、橘のとこへ麻雀しに行く。中野・橘・友田・僕で十二時迄ぶっ通す。久々で機嫌のいゝ麻雀だった。結局三千勝った。帰宅。一向中野も橘もニュースを知らないらしいので、反って何となく弱った。


三月十三日(土曜)

 十一時起き「主婦之友」の記者が来るといふので、新婚の記ってなことの注文だらうと思って待ってたら、その方は知らないらしく、宝塚女生徒の座談会の司会をたのむ話だった。上山から電話で今日昼のロケはなし、夜もなし、と定り先づ安心。日劇四階へ、専務のとこへ行く、落成した東宝文芸ビルの移転通知に「日劇ステージショウ及各劇国けい古場」と印刷してあったが、各劇団なんて書かずに、東宝劇団とか古川緑波一座とかして呉れと申し入れる。文芸ビルの僕の方の事務所へ寄り、二十一日放送の菊田の「歌ふ水戸黄門」一読、菊田らしさ横溢のもの。四時、東劇へ新国劇見物。道子さんざ待たせたので怒る。劇の感想は別に。十一時帰宅。


三月十四日(日曜)

 曇天のため午前のロケ中止といふことで朝十時すぎ起きて入浴食事。十二時すぎ、長谷川伸氏のとこへ電話しといて訪問。いろ/\と話が話を生み、三十分程なんて言ってたのが三時間になった。辞して一人、ホテルへ久々で行き、オルドヴル、スープ、フィレソール、ペストリ。五時半に砧へ。それから自動車にゆられ/\て目黒の平町てとこへ行き、一軒の家を借りてロケ。トン/\行かないこと甚しく、スモークをたいてむせ返り乍ら野川君の家の附近七八カットやった。大谷俊夫と銀座へ出て一杯やって帰った。
 長谷川氏の話、清元梅吉が、「今まで私は自分のくらしのために働いた、これからは後進の食って行く道をひらく」とて、作曲を専心することになった由。そして長谷川氏の曰く、黙阿弥の作が昭和の今日まで再演三演されてゐる、その明日に残る脚本家にならねばならぬといふ気持で働いてゐる。深く考へるべし。黙阿弥の最高脚本料は三千円位だった由。


三月十五日(月曜)

 午前七時半起き、味の素ビル屋上のロケーションへ。八時半に行ったが始まりさうもない、家庭食堂ってのへ入って、十銭の朝飯を食った。清潔で感じよし。屋上で、日和待ち――漸く十時すぎから始める。一時すぎアガったのでホッとして顔を落してると、今夜ロケをやる――と今迄ない筈を急に変更した様子に、がっかりして不機嫌のまゝビクターへ。樋口と四階のクラブで話してると、「夜のロケ中止」の報に勢ついた。久々太平ビルの旬報へ行き、今夜田村の家にパーティありとのことで出かける。明朝はゆっくりらしくきいてゐたので三時近く帰ると、朝七時すぎに迎ひが来る由、がっかりしてすぐねる。


三月十六日(火曜)

 午前十時頃家を出て、目黒平町のロケ。二三カット撮ると又曇って来て、お流れとなる。全く、誰に当りやうもない憤懣である。三益より秘密にとの旨で、実は彼女妊娠で、八月あたりは休まねばなるまいからそのつもりでお考へをと、川口からよろしくとの話、さうか、それはめでたいと言ふ。今夜は徹夜らしいから、目黒から家へ帰ると床とってねる。呼出しの電話が来ないので、伊藤松雄氏を訪問し、久々で十時まで話し込む。それでもまだ電話がない、大体十二時位からかゝれるだらうとの話なので、PCLへ向った。セットがペンキぬり立てゞ今乾かしてる最中だとある。ねるにねられず、近くの麻雀クラブへ行く。


三月十七日(水曜)

 藤原釜足とうちの白川・西田とで麻雀しつゝ待機してゐたが、ちっとも始まる様子がない。腹が立つ、えゝい! と牌に当ってゐるうち、夜はほの/″\と明ける。そんなら昨夜からゆっくりねてゐればよかったのだ。日劇ダンシングチーム三十人と、うちの踊り子十何人と皆俳優部屋に蒲団を並べてザワ/″\と待機してゐる。仕方がないのでPCLの門前の料理屋の二階でねる。結局開始は午後になった。此ういふ馬鹿な目に遭っていゝものか! えゝい! たまらん。「酔へば大将」のプレイバック数カット。それで又待機となり、結局十一時になって、「いくら待っていたゞいても皆参っちまひますから明日にしませう」馬鹿々々しくて怒れもしない。呆れて帰ると、何しろもうひた寝に寝る気で床へ入った。


三月十八日(木曜)

 十一時迄、ベッタリと眠った。今日も又PCLへ。行ってすぐ又待ちの姿勢である。もうあきらめてゐる。間をつなぐ方法も考へた。日日への自伝も五六回分送った。樋口が来り、海軍省から、英国の戴冠式へ行く軍艦足柄に、僕をのせて慰安させ、四月三日出帆の七月帰るといふ話が来てるが何うだといふ。東宝さへ暇を呉れゝば、ぜひ行きたいと答へる。が、どうも東宝はとても許すまいって気がして、喜ぶのは止めた。夕食後もセット。今日は九時すぎに終った。さて銀座へでもと出かけたが、何の歓楽も外に待ってゐないやうなわびしさを感じる。結局、鶏など煮て、ウイスキー軽くのんで、帰宅。


三月十九日(金曜)

 九時開始とあっても、さうは言ふこときけない。PCLへ入ったのは十時であった。が、始まったのは十一時であった。午前中ワンカットで昼めしだ。しばらくうまいものを食はないな、PCLの二十銭の定食ばかり食ってると頭が悪くなるやうな気がする。そろ/\此の撮影所の空気に馴れて来て、昼食後俳優部屋でねむる。午後も中々トン/\と行かない。でも夕食後数カット撮ると、十一時で終了。全く撮影といふ仕事は、快楽を売っちまったことのやうだ。十二時帰宅。


三月二十日(土曜)

 今日は曇りなので午前九時開始でセットといふ電話、だがさうおいそれとは行かない、見計って十時半に出た。ちゃーんと十二時迄は何もなし。徳山から電話で、英国行きが定るかも知れないといふ話、羨しくなり、東宝の秦豊吉に電話したが、東宝はもう断はってしまひ、徳川夢声を代りに推薦してしまったとある。がっかりする。昼から撮影、キャバレーの中、魂の抜けるところなど五六カット進む。で夕食前に、アガった。塩瀬で支那料理を食ひ、放送局深夜テスト。労れてゐるので元気なし、それに菊田の本が、かなりアチャラカなので少々気がさす。テストの終ったのは三時近く。これで晴れると明日ロケなんだからいやんなる。
 たしか千葉亀雄の遺稿の序を、その子息静一が書いて、父千葉亀雄の墓標には、「此の人、読み、読み、読んで死せり」と書きたいと言ってゐた。僕は、この撮影にかゝってから、此んな奴も出はしまいかと思った。「此の役者、待ち、待ち、待って、つひにボケたり」と。


三月二十一日(日曜)

 いゝあん梅に曇りらしいから、タップリ寝られると思って、いそ/\と眠ったのも、文字通り束の間で、七時に起された。晴天なのだ。「イヤーン」と赤ん坊のやうに蒲団にしがみついてみたが、仕方がない。迎への自動車で下目黒平町へ。野川君の家の前二カット、その附近口笛のプレイバック二カットであがり。五時からオープンセット、間で放送してすぐ引返して又撮影して呉れと言ふ。それじゃ死ぬからいやだと、五時からのは止めて貰ひ、家へ帰り、ホットウイスキ一杯のんでねる。起きて入浴、道子と銀座の松喜ですきやきを食って、放送局へ。八時四十五分より「歌ふ水戸黄門」の放送、九時半に終ると、又、砧村へ。


三月二十二日(月曜)

 昨夜オープンセットの始まったのが十一時すぎ。大西と武田、両書生何れへか逐電したと見え、姿を見せず、何うも俺のとこへは此ういふのが居つかない、あんまり怒るせいか。ゐなくても一向さしつかへなし。オープンは銀座裏、七八カット。夜を徹して、五時すぎに終了。帰宅。十時からセットという話だが、どうせ又おくれると見て、ねる。果して十二時頃電話でPCLへ行く。今日はキャバレの最後の日で、水着の女にとりかこまれて野川・前田両君満悦といふシーンである。菊田が来たので五月のプランを立てるが、うまい考へが浮ばないので困る。三カット撮り、アガり、藤原と銀座へ出て、支那グリルで夕食。


三月二十三日(火曜)

 今朝が又ロケーションで七時起き。代々幡の国際アパートの前の道で撮る。日活も近くでロケ、島耕二がひょっくり来た。国際アパートへ引きあげて一休みといふのに、「見世物王国」の音楽の打合せに、古賀政男のとこへ行って呉れとの話、労れていやなので勘弁して貰ふ。アパートの一室で一時間程眠ると、新宿迄行く、中村屋でボルシチとパステーチェン。又引返して、夜間ロケ。待つ間/\に「菊池寛伝」を読了、又菊池寛を好きになったことだった。夜ロケもトン/\行って、終ったのは午前二時である。七時から二時まで、何とよく働く商売があったものだ。
 今日位、仕事がとん/\運べば、さほど辛いと思はない。要するに、此の仕事の敵は、待ちにある。


三月二十四日(水曜)

 今日は晴天なら、昼太平ビルロケ、夜オープンの徹夜でチョンといふことになってゐたのに、雨である。五時にPCLの滝村が菊池氏のとこへ行く約束なので、僕も文藝春秋社へ。昨日「菊池寛伝」を読み、一層好きになったので話してるのが嬉しい。先生の脚本研究会の会員が僕のとこへ向けて本を書いたから見て呉れと言はれる。滝村一時間もおくれて来り、「人妻読本」の企画を話す。ホテルのグリルでスープ、フィレソール、アメリカンクラブハウス。それから東宝劇場に「世界の唄」を見て、相当たのしみ、滝村と夜を更かした。


三月二十五日(木曜)

 十二時近く起きる。熱海へ行ってゐらしった母上、今日帰られた。元気で何より嬉しい。三時すぎ日劇へ行く。今日給料日。ちゃーんと廊下には借金取の一軍が並んでゐて、さながら「ハリキリボーイ」の一場面である。日日の狩野と菊田とで松喜へ牛肉を食ひに行き、八時近く文藝春秋祭の日比谷公会堂へ行く。大入満員である。一席やり、すぐそこからPCLへ向ふ。今夜のオープンは寒い/\。夜を徹して、ブル/″\もので撮影、間に、試写を見る。ラッシュのまとまったの、中々いゝと思った。撮影トン/\行かず、明るくなる迄に五六カット、終了午前七時近し。


三月二十六日(金曜)

 辛さも辛し、睡眠時間二時間。九時半に起きて、母上・道子と青山の竜岩寺へ、悪坊主の住職のお経、かなり長くてヘタる。寺の本堂の寒さも大したものブル/″\である。今日は父上の十三年、祖母祖父上の年忌も兼ねた法事である。終って浜町の浜のやへ行く。会する者十一人。わりにうまかった。芋の摺ったのを、鯉の形にしたのが受けた。それから、太平ビルへ二時半、最後のロケーション。エレベーターのとこワンカット撮る。これであとアフレコのみ。のう/\した気持。四時日劇四階へ。一座の者皆集め、今日はPCLからの手当を配る。皆々喜ぶ。不二アイスで軽い食事をなし、釜足やリキーと仕事話で夜を更かす。PCLの金にて、古川緑波一座の積立金がいさゝか出来た。


三月二十七日(土曜)

 十二時までたっぷり眠る。徳山来る、とう/\外国行は彼もダメとなった。一時半すぎPCLへ向ふ。「見世物王国」の本読みに立ち会ふためである。四月中に撮影の筈で、一日かせい/″\二日位、僕も奇術師で出る約束。森氏のとこで、菊池寛氏の「人妻読本」企画から又一つ別なのが生れ、専ら僕はその作品を考へることゝなった。日劇会議室へ。十一日の日劇初日を十二日に延し、十一日は東宝ブロックのデモンストレーションの日とする由。それから五月のプランを立てるが、つひに髷物の案が無い。又月曜に集り直すことゝした。


三月二十八日(日曜)

 十二時迄ねる。快晴の日曜日だが、今夜又PCLがあると思ふと気が重い。二時頃出る。蚕糸会館へ、蚕糸まつりといふのへ、僕の座の女の子がたのまれて出てゐる。好意的に一席やる。これが済むと柳小路の淀川てふ岸井にきいた牛肉屋へ、堀井・上山と行き、食ふ。うまくない。神戸肉で、とてもいゝ肉なのだが、タレがゼロである。不二アイスで、吉田信に会ひ、日日の自伝は、あと数回続けたい希望を言っとく。それからPCLへ向ふ。今日はアフレコである。ところが又トン/\行かない。どうせ今夜ではあがらず、又明晩もあるときいてがっかり。全くやり切れない。此うも苦しい目にあってるとは誰も思ふまい。


三月二十九日(月曜)

 十二時起きる。今夜又PCLでアフレコかと思ふと起きた途端からつまらなくなっちまふ。一時から日劇で五月の出し物決定といふことになってゐたが、出る元気なくなり、上山を家へ呼び、色々相談する。結局髷物は「研辰」他に僕の書くオペレットと「恋愛病患者」を出さうかと思ふ。上山は此の三月、殊によく働いたから三十円やった。ビクターへ寄る、奥村と要談、「見世物王国」主題歌として「ヂンタ天国」と「街の演歌」のABの題を考へる。その他「海の一日」といふ夏向きオンパレード物や子供物のプランを沢山出す。人の顔さへ見りゃプランを出すくせがついた。それからホテルのグリルで、セロリスープ、ソールがないので平目、チキンクリーム。PCLへ向ふ。行くと、案外に早く、十一時頃終ってしまひ、喜び勇んで帰宅。


三月三十日(火曜)

 十一時迄ねた。伊藤松雄とビクターへ行く。細田作曲の「アラドーモ」が出来て、そのけい古を一時間ばかり。わりに面白い。三時に東宝文芸ビルへ。明日の「嘘まつり」のけい古である。一と通り通して立ち、六時すぎ日比谷公会堂へ明治製菓の会で行き、一席やり(50)、その足で山水楼の「婦人画報」座談会へ行く。たゞ、緑の字のつく人てんで、西崎緑・石井みどり、平野みどりの三人と僕、話も何もないところへ山水楼の今日の料理が又、よっぽど会費が安いと見えて、まづいの何のって。約束しといた岡からの迎へで築地へ行く。大庭・石田がオートバイで関西から帰った歓迎をして貰ふ。又芸談で僕ひとりしゃべる、此の方を速記した方がづっと面白い。


三月三十一日(水曜)

 嘘まつり。
 十一時すぎ迄ゆっくりねて、有楽座へ。今日は、東日と東宝共同主催の「嘘まつり」である。プログラムは僕の案で、一部講演、二部講談や漫才、三部を僕一座総出演で「嘘クラブ」を、菊田に手を入れさしたものをやる。昼も九分の入り、思ったよりいゝ。一回終ると、銀座を漫歩、三昧堂、ブレット等で買物し、モナミへ寄り、有楽座へ帰る。夜の部は補助椅子満員である。幕間に、四月の日劇「見世物王国」の装置を遠山氏と打合せ。明日から旅、七日に大阪へ行くから結局日劇のけい古は八日からだ、何としても此の旅はのんびりしたい。帰ると又々急しいからな。
[#改段]

昭和十二年四月



四月一日(木曜)

 今朝は八時起きだ。十時二十分の東京発で道子と修善寺へ向ふ。熱海から母上が乗られ、沼津で降車。自動車で修善寺へ。あら井旅館、これで三度目だから気心が分ってゝいゝ。先づ母上と入浴。道子は熱を出し、七度四分あり、折角の旅に、困る。入浴して按摩をとり、又夕食前に入浴する。今日は仕事をせずゆっくりねることにしたが、まだ八時前だ。「恋愛病患者」「研辰の討たれ」を読了、二時迄かゝって江戸川乱歩の「人間豹」を読む。
 五月に演るつもりの「恋愛病患者」とその続篇「兄の場合」を読んで、此のまゝじゃいけない、と思った。われらの客には向かない。つゞいて木村錦花の「研辰の討たれ」を読み、これは此のまゝでも行けるが、菊田に書かせれば更によからうと思った。五月の出し物中、これだけは大丈夫と思ふ。


四月二日(金曜)

 十時すぎに起きて、入浴する。修善寺の鐘ゴーン/″\と鳴る。ガヤ/″\と此の離れの二階へ客が来た気配、やがて、いけません、レコードをかけ始めた。「あゝそれなのに」である。くり返し/\かける。流行ってるのはよく知ってたが初めてきいた。中々いゝ。古賀政男はうまい。夕方、二階では芸妓があがり一としきりドシンバタンといふ騒ぎ、それが又「あゝそれなのに」に変った。くどい程きいたが、やっぱりよろしい。夕食後、原稿紙を出す。しきりに又「あゝそれなのに」がきこへる。結局今宵も仕事する気になれず、夢声の「夢諦軒随筆」を読み上げて二時近く、ねた。


四月三日(土曜)

 今日は熱海の俵さんの別荘へ泊り、四、五日は熱海の宿へ泊るといふことで、あら井を引き上げることにした。一時半に修善寺を出ると、ハイヤで十国峠を越えて熱海へ。熱海の俵別荘着三時すぎ。雑司ヶ谷祖母上と、近藤・榊伯母上が居られることは知ってゐたが、そこへ又、榊の鶴子・日出子が乗り込んじまってワイ/\ってさわぎ。道子は熱を出してゐるし、少しも休まった気にならぬ、東京へ帰りたくなった。夕方按摩、つひに「あゝそれなのに」のレコードを鶴子が買って、かけ出した。うんざりするが何遍きいてもうまい。道子の三味線で祖母上にサービスし、二時すぎねる。


四月四日(日曜)

 十時迄ぐっすりねた。俵別荘の朝。入浴、食事。「欧州紀行」を読んでるうちに、ねむくなりトロ/\する。皆で一休庵といふ家へ行くことになり、自動車で出かける。野菜ばかりを中々面白く食はせる。品々それ/″\美味く食った。頭の中は脚本のことで一杯である。「東京生活」といふ名を考へた。金城館てふ宿屋の離れがあいてるといふので道子と二人だけ行く。金城館の離れ中々よろし、外は雨、昨日の榎本てふ按摩を呼び、やらせる。ね床へ入ってから、脚本を書き出す、ストーリーがざっと立ったので、一景から始める。二時に十五六枚書き上げてねる。


四月五日(月曜)

 九時半、俵別荘に居られる母上から電話で起された。つる子の夫が川奈ホテルへ来いと言ってるが――との話、仕事故断はって、母上だけ行かれる。入浴食事、すぐ仕事にかゝる。題を「東京読本」と改めようかと思ふ。音楽劇にならないで、妙に劇的なものになって来た。四景まで夕方迄に書き上げた。しまひの方は、曾て金龍館でやった「われらが二筋道」の二幕ばかりを形を変へてはめてみるつもり、之は帰京後の仕事。母上川奈の帰りに寄られ、日出子を誘って錦ヶ浦の方迄ドライヴして夕方の桜を見物する。いゝ景色。それから万平ホテルで四人で食事、ウイスキソーダ二杯のむ、いゝ心持、久しぶりだ。金城館へ帰って、又按摩を呼ぶ。脚本の手入れをし、床についたが中々眠れず、又アダリンをのむ。
「東京読本」は、東京の現在の姿をいろ/\な方面から描いてみる、その第一篇のつもり。わりに長くなった。清書して、出来上るのは、結局十五六日になるかな。


四月六日(火曜)

 午前八時、まだ眠いのに起きる。十時五分の熱海発で帰京。十二時すぎ着、東宝文芸ビルへ。サア、用が山程待ってゐる。それが嬉しい。樋口を呼んで十一日の躍進東宝オンパレードの打合せ。岡崎有楽座主事と、五月の打合せ、結局時間の都合上、三本立てゞある。座員一同集合し、二時から東宝配給所の地下試写室で「ハリキリボーイ」の試写。一旦家へ帰る。六時、ニューグランドで森氏と会食。トマトクリームスープ、コールド・ラブスター、ヴィル・ピカタ、ゼリー、満腹。それから銀座へ、十時半、東京駅に、文藝春秋の連中と集り、十一時の急行で、大阪へ向ふ。食堂で、吉川英治・佐佐木茂索、横光利一とウイスキーのみつゝ一時すぎ迄語り、アダリンのんで寝台へ入る。
 試写を見て、やっぱり手を抜いてカットしたとこが、パッと場面が飛ぶからよく分って不愉快だ。結局、芝居の時もさうだったが、朝起きてから家を出る迄が面白い。それと、終りの方もいゝ。歌ふところが皆朗かでいゝ。珍しい映画だが、芸術的には六七点だ。興行価値は大いにある。


四月七日(水曜)

 寝台の熱いこと、裸に近い姿でねてゐると、夜中に冷え/″\するので眼がさめる。スチームが切ってある、全く不都合なもの。朝、食堂でハムエグス二皿。大阪へ着くと、南の松平旅館に落ちつき、入浴。松井翠声と二人で入る。石黒敬七が先に来てゐる。一休みしてから、吉川英治・石黒・松井を誘って本みやけへ行く。肉以外のマカロニ・ゆば・芋などうまし。古道具屋町をひやかして歩く。骨董はちっとも分らん。六時、文藝春秋大会々場、中之島の公会堂へ。大満員。松井がセレモニー。講演のあと、僕、二十分。客が悪いのでくさくやり大受け。片岡千恵蔵が、自動車で京都迄送らうといふので京都を十一時二十分ので帰京。食堂で一人はかなくオムレツとトースト。寝台は上だ、えらい恰好で、這ひ上り、乱歩の「緑衣の鬼」を読みつゝ――
 たってたのまれたってわけでもない、菊池氏への義理だ、今度の大阪行きは、何しろ二晩寝台なんだから、かなり辛かった。


四月八日(木曜)

 上段の寝台は辛い、落ちさうな不安と、足がつかへるのと――九時新橋で下りて家へ帰り、入浴食事。今日から日劇のけい古、二時より文ビル二階で「見世物」と「金色」、新しいものでないからハリキれない。夕刻終り、一寸麻雀クラブでやる、労れてるところへ御苦労な話で、これでかなり肩がはる。八時、柳橋の白菊て家へ、PCLの滝村と逢ふ。五月に堤・大川を借りることのOKをとり、「東京読本」の話をすると、又映画にしたいとハリキってゐた。尚、僕プランの菊池物「日本女性読本」の一エピソードに、ぜひ出演して貰ひたいとの話、考へとくことにする。藤山一郎と兄をそこへ呼び、五月の話。大分ウイをのんじまった。


四月九日(金曜)

 起きたのは十一時、起きると咽喉がいけない、今日吹込みがあるといふのに意地の悪いことで。一時、ビクターへ行く。伊藤松雄作・細田義勝曲の「アラドーモ」を、能勢と二人で入れる。声が悪いが、マイクを通したら大丈夫とあって、元気で行く。わりに面白い。之が済むと中山晋平の「酒は朗らか」のけい古を、四階のクラブでやる。五時五十分、東京会館へカブキヤにたのまれた、結婚式の余興に出る。大島伯鶴が楽屋にゐて、話す。六十一で元気旺盛、酒毎日五六合やり朝はビール二本のむとの話、驚く。それから名物食堂ですし十個ばかりつまみ、千歳船橋の東洋発声の撮影所へ行き、「見世物王国」の奇術師の役を撮る。PCLよりひどい俳優部屋――何だかくさくて、全くいやんなっちまふ。夜おそく迄。


四月十日(土曜)

 今日は一日「見世物王国」の撮影につかまった。九時起き、撮影開始は十時すぎ。午前中二セット。此処、千歳村の東洋発声の撮影所の食堂は又ひどい。はかなきオムレツとやきめしなど食ふ。「見世物王国」の奇術師は、扮装ヒゲの、毛をまん中から分けの、「さらば青春」の先生の型で、東北弁でやる。丁度調子やってゐるから、エラい声が出て、不可思議なものになったらう。今日一日でアガった。撮影の合間に、次の撮影「女性読本」の本を読み、直す。いやはや急しいことである。


四月十一日(日曜)

 東宝ビッグパレード。
 日曜といふのにまあ何とよう働いたことだ。今日は日劇で東宝ビッグパレードといふ催しがある。「ハリキリボーイ」の封切と「良人の貞操」それにPCL女優軍の唄と踊り、入江・高田・千葉の御挨拶、これを一部を僕、二部を三益が司会する、此の日三回あり。先づ十一時に入って、第一回をすませ、文芸ビルへ行って「見世物王国」の立ちげい古、之を終って第二回をやり、「金色」の立ちげい古。ホテルのグリルへ徳山を誘ひ、ポタアジュとスパゲティ・イタリアン、フィレソール。スパゲティは、ニューグランドの方がづっとうまい。第三回いろ/\ふざけた余興をやったりした。えらい入りで三回ともギッシリ。終って、PCLと打合せいろ/\。


四月十二日(月曜)

 日本劇場初日。
 ゆふべねたのが二時、今朝が六時起き、辛いの何のって。でも映画の仕事よりは、ずっと張り合ひがある。朝霧の中を日劇へ。七時、皆揃ってゐて「見世物王国」から舞台けい古、「金色」をやってゐると、もう表は客の列が劇場を一と巻きしてゐるといふのでサッと元気づく。調子やってるのだけが気にかゝる。超満員の客席。久々の舞台で少しく上づった気持。「金色夜叉」は、大分カットしたのに、時間かゝり、予定より三十分もおくれた。一回終ると入浴、富多葉の親子を食った。「ハリキリボーイ」映写一時間半の間しか休めず、すぐに夜の部である。先づ満員以上の入り。予定より一時間おくれて終ったのが九時五分。家へまっすぐ帰り、軽食、入浴。
 映画へ出てゐると、舞台のコツを忘れるといふのは僕の持論であるが、今日もつく/″\それを感じた。「出」や「引込み」に殊にそのコツを忘れてしまふと見え、「金色」の昼の部では、全く手をとりそこなった個所がある。夜は直して充分受けさせた。


四月十三日(火曜)

 たっぷりねて、十一時起き、十二時半近く日劇へ出る。階上一円席もギッシリ詰ってゐて、いとゞ気持がいゝ。昨日よりづっと声がらくなので嬉しい、それに大分映画的気分から抜けて、意識を取り戻したので芝居もしよくなった。日劇の舞台に合せた芝居をする。「見世物」の奇術師は全然東北弁でやることに定めた。受ける。一回の終り、PCLの大谷組が、「女性読本」の打合せに来る、親子丼食ひながらヅラを合せる。夜の部、ギッシリ鮓詰である。が、「金色」昼ほどの笑はない、何うも日劇てとこはむづかしいところだ。今夜はPCLの「ハリキリボーイ」のスタッフを浅草みや古へ招いたので行く。十円出して小福引をやり、結局百二十円ばかりかゝった。


四月十四日(水曜)

 たっぷりねた、日劇へ一時に入る。もう満員である。此の大きないれものを一杯にするんだから――ふと考へてみりゃ月給が安い。「金色」の初めの出は、手をとり損ってゐた、うんとタメといて、パッと勢よく出ればちゃんと手がとれるのだった。ヴァラ中の「花見道中」だけは、今週のクサリ唄である。一回の終りに、外へ出ようかと思ってたが、伊藤松雄・藤山の兄貴・青砥等入れ代り立ち代りの来訪で、スコットからオムレツとって食べる。夜もワンサと満員。(三千八百円位のアガリの由)藤山と逢ひ、「東京読本」の打合せ、明日から大いに書いて、十七日中にアゲてしまふつもりなり。夜更け迄語り、又々のど少々いかん。
 日日の「人生レヴィウ」は今日を以て、二十四回前篇終り、とした。


四月十五日(木曜)

 PCLで今日九時半に来てほしいとのこと、全くいやんなっちゃう! って気持だが、仕方がない、九時に起き、砧へ十時着。今日はスティルを撮るだけ。すぐ近くの小学校の庭で、数枚撮す。小学生大ぜいワイ/\言ってたかって来る、やり切れん。終って日劇へ。今日も日劇は満員以上の入り、然し日劇の舞台といふのは全く特別なところで、「金色」など、まだ/″\小さい。「見世物」の方が、舞台に合ってゐる。此の舞台に一ばんピッタリ来たのは、去年の「さらば青春」だったらう。一回の終り、あつくてたまらず、入浴。スコットからスパゲティとトースト。ハネて徳山と同車で帰り、さて、これから仕事なり。午前四時迄書き、わりに能率上らず、四十枚ばかり。手首痛し。ねる。
 日日の記者が、歌右衛門が一世一代の大阪行きで、その話をとりに行ったら、僕のことを、「地を売って、ちっとも芝居をしたがらないところがとてもいゝ」と賞めてゐた由。近いうち日日に出すと言ってゐた。


四月十六日(金曜)

 十時、ビクターから電話で起される。延びたとばかり思ってゐた吹込みが、今朝ある。十時半家を出てビクターへ。「酒は朗か」の吹込み。コンディションの悪さ一と通りでなく、今迄にない不安な吹込みをやった。終って、一時日劇へ。今日も満員あふれるばかり。一回終り、プランタンのサンドウィッチのみ。専務に呼ばれて四階へ。三益を五月休ませるか何うかを心配する。夜の部、何うも客の食ひつきが悪い。八時半、ハネるとすぐ帰り、「東京読本」全九景、手首カチ/\に痛むまで八十八枚書き上げたのが四時。くた/\とねる。
 五月、結局左の出し物と決定。
 一、穂積純太郎作 ユーモア郵便局
 二、古川緑波作 東京読本
 三、菊田一夫脚色 研辰道中記


四月十七日(土曜)

 十一時、起きようとしてるところへ、柳が久しぶりで元気な顔を見せた。チブスは後が丈夫になるさうだから反っていゝだらう。一緒に日劇へ出る。今日は土曜だ、悪からう筈なし、満員である。幕間々々の暇に、「東京読本」の、場割、人間、梗概と書き、表紙をつけて、プリント屋へ廻す、いゝ心持である。大阪ずし少々食ふ。夜の部もギッシリ気持のいゝ入り。ハネてから、東宝小劇場の染井三郎の会へ行き、一席やる。つまらんことを喋り自己嫌悪に陥る。ルパンで中野実と逢ひ、飲む。そのうち僕のために一本必ず書くと言ふ。


四月十八日(日曜)

 十時半起き、日曜で今日は「見世物」三回の筈、早目に家を出る。日劇のまはりを、もうその頃から客が取り巻きはぢめてゐる。一回終ると、公会堂へ、静家のオヂイに頼まれた会で行き、勝太郎の後でやり、その足でニューグランドへ、徳山と落ち合って食事、豆のポタアジュとエスカロップ、スパゲティ。日劇のまはりを完全に二列の客が巻いちまった。二回目、「金色」の受け方なんぞ、大変なもの。二回が終ると、公会堂へかけつける。一席やって日劇へ帰る。もう一回「見世物」だけがオマケだ。ハネ後、肥後・山野来る、山野は結局笑の王国へ戻りといふことに定めた。玉村より又五十円無心して来た、やれ/\。


四月十九日(月曜)

 今日はゆっくり十一時起き。逃げ出した大西が謝まりに来た。昨日あたりから腹具合がいけない。日劇へ出る。月曜だから少し落ちるかと思ってたが、とてもいゝ入りである。受け方も物凄い。「東京読本」のプリントが出来て来た。五月の三益の進退定まらず、今日は川口来り色々心配してゐたが、何うもハッキリしない。一回終り、リズムの紅茶とトーストのみ、それであんまり腹が減らないのだから何うかしてゐる。夜の部も満員。明日で終りだ、此の興行も先づ大成功であった。ハネてすぐ帰り、明日早いので早寝である。


四月二十日(火曜)

 日劇千秋楽。
 今日は午前九時迄に、母上と共に永田町の小林社長の家へ行く約束なので、早起きして家を出る。山王ホテルの前で通行止めに遭ひ、おくれてしまった。陛下のお通りであった。そのためもう社長は東電へ行ってしまったといふので、追っかけて、東電で逢ふ。結婚披露のこと。五月八日頃、細くは又たのみに来ることゝした。十時、文ビルへ。今日は女子研究生の試験、応募の四十名中一、二名まあ/\といふのあり。日劇へ。千秋楽なので、元気あり。調子も皮肉なものですっかりよろしい。ジャマンベーカリーのミートパイのみ。今日も同じやうな大満員。地下室でシャン/\/\としめた。ハネ後、浜の家へ。古賀政男、大いに「東京読本」に力を貸すと言ふ。ハリキリ/\。


四月二十一日(水曜)

「日本女性読本」撮影第一日。
 PCLからの電話で九時起き。十時半に着いたが、始まり十二時、ナーンだ。その間に、五月有楽座の新聞広告の文句をいろ/\書く。最初デパートの食堂、神田のレヴィウガールに惹かれた五十男がいろ/\パクついて御機嫌のところ。ヤニングスである。終ると、四十台の扮装となり、清川との家庭である。夕食の待ち時間には、菊田・穂積も呼んで、配役をしてしまふ。それから、絵看板の下図も六枚分書く。何とよう働くこっちゃ。その上、今日は、木々高太郎の「人生の阿呆」を一冊あげてしまった。十年前の数カットで夜となり、十一時頃から朝までぶっ通しに撮った。明日も早いのだが、こゝではねられないから、午前六時帰宅、すぐ床へ入る。


四月二十二日(木曜)

 十二時開始なんて言ってるが、その通り始まるわけはない。十二時半頃出る。今日は江村弥左衛門の宅第二日、やり出すと少しでもいゝものをと思ふので、ラストシーンは三四カット増して貰ひ、たっぷり芝居をする。清川虹子のうまいのに感心した、いゝ役者になったものだ。東京迄菓子買はせにやり、夜中のお茶をスタッフにふるまふ。室内の場面すっかり終ると、露路で、スモークを焚かれて、咳は出る眼は痛い、ひどい目にあひつゝ午前八時すぎに、アガリ。待ち時間に、「婚約時代」と「明治の演劇」を読み終った。あゝ然し、労れることである。


四月二十三日(金曜)

 眠ること五時間ばかり、四時すぎに家を出て、又撮影所へ行く。喫茶店で数カット。これは早く終って、八時半。大谷俊夫を誘って、ホテルのグリルへ。今晩が有楽座の撮影で徹夜だから、うんと食っとこうと、オニグラに、フィレソール、ミニツステーキに、アイスクリーム、ペストリーにコーヒー。有楽座へ行くと、もう用意出来てゐて、先づ楽屋口のところを二三カット。それから楽屋で休んじゃあワンカット、又休んじゃあワンカット。江村弥左衛門の所謂旧式な体操といふの、うんと考へて、メチャクチャなのをやる。夜はあけかゝってゐる。然し、まだ/″\何カットもある。


四月二十四日(土曜)

 昨夜から有楽座の撮影が続いてゐる。朝飯代りの幕の内を食って。ダンスガールのとこが十時頃迄かゝってアガると、それから客席のシーン、三四カット。結局終ったのは一時だから驚く。もう寝てもしようがない。一時、文ビルへ行く。月給日。それに今日は研究生の男の部の採用試験をやる。何百名の応募者の中、むろん、際立っていゝのはゐない。女の部も不満ながら、五人だけ採った。十五円を給すといふ人々。七時に渋谷公会堂へ行き一席(50)、それから浅草のみや古へ、林・多和・堀井等で行く。ウイスキーのむ、とろ/\と眠い。やれ/\これでねられるかと嬉しい。


四月二十五日(日曜)

 今日は十二時迄、たっぷりとねた。小林氏が大阪へ立っちまったので、八日の招待状の書式を作り、飛行郵便で、これでいゝか何うかをきゝ合す。一時集合なのに、おくれて二時近く文ビルへ。特別出演の堤・藤山・大川・清川も皆揃ってゐるので、先づ自分の遅刻はすまんとあやまり、皆ハリキって稽古せよといふ話などして、本読みに入る。「東京読本」九十枚分を一気に読むと、げっそり労れちまった。一休みし、研究生の男子の部を選び、五人だけ入座を許すことゝした。音楽の打合せをしたり、衣裳を見たり、有楽座の主任岡崎を呼んで、タイアップについて話したり、いや急しいの何の。雨の中を帰宅したのが十時。


四月二十六日(月曜)

 十一時起き、今日はおくれないやうに十二時に家を出る。有楽座の前売とてもいゝらしいとのことに安心。十二時半からけい古。「研辰」は、木村錦花のまゝ行けばいゝのに、いぢりすぎてゐて何うかと思ふ。之が済むと「東京読本」にかゝる。読み合せして、一景だけ立つ、その一景が長いし、人数は多いし、大汗ものだ。之が終ると、徳山が来て、「研辰」の方の歌をやって貰ふ。それから益田太郎冠者の御殿山の家で、迷人会といふのがあるので、出かける。逢ひたかった太郎冠者はゐなかったが、迷人会なるもの中々粋でよかった。金持としては救える方。春風亭柳橋と同車で帰宅。


四月二十七日(火曜)

 全くよくねた、十二時すぎから十一時まで。十二時半文ビルへ。「東京読本」の二景三景を立つ。四時までかゝる。それから軍人会館へ日日にたのまれた、あんまり香しくないオザ。白十字で軽く食事して又けい古である。四景花柳界のところから芝居をかためる。八時頃、東宝グリルで開かれた、能勢妙子後援会へ顔を出す。いゝ若い者大ぜい集まって女優の後援会、何ういふ量見なのか。九時、古賀政男を神楽坂松ヶ枝へ招いた。世話になるお礼と、ハリキリ同士の話もしたくて、藤山・清水も同席。ウイスキーをのみすぎた、注意せよ。


四月二十八日(水曜)

 九時起き。日比谷のロケーション、一休みして下高井戸の駅の踏切のところを撮る、引越の荷車を引っぱるところで、群衆が多ぜいたかって、それを追ふのにヤー/\言ってゐる、その中にさらしものになってゐる辛さ――いやな商売だ。五時半、アフレコを残して僕のとこ全部アガリ。PCLへ寄り、ラッシュを見る、有楽座の夜間のきれいなこと、体操の珍景には自ら腹を抱えた。夕食する暇もない、昼は下高井戸のそばやで二十銭の親子丼。文ビルへ引返すと、「東京読本」五・九景を一時間宛かゝってまとめる。十時半から「研辰」を立つ。セリフ三百近く、まだ一つも入ってゐない。心配である。一時半帰宅。やれ/\よくぞ働きます。


四月二十九日(木曜)

 九時半に起きる、服部さんと柳が来て、八日の東京会館の招待状を書くのをやって呉れる。十二時半けい古場、「東京読本」を一景からラスト迄立った。音楽効果とまって、これは大丈夫いゝものになる自信がついた。一休みすると、六時から「研辰」一と通り立ったが、どうも原作の方が数倍面白かったやうだ。菊田はお伽芝居の作者だ。九時から杉寛の肝入りで、長年逢ひたいと思ってゐた松旭斉天勝を招いて、浜町の浜のやへ。芸談色々、全く幻滅なし。立派な天勝であった。夜の更くるも忘れ、語り、語った。


四月三十日(金曜)

 有楽座舞台稽古。
 今日は舞台げい古。一時からといふこと。小屋へ行ってみると、まだ/″\。六時から漸くかゝる。「東京読本」から、この演出大ハリキリで、一景からづっと二回、又は三回、ひどいのは四回宛くり返した。此うやる/\と言って、舞台に立って一々やってみせる。自分のセリフはまるで入ってないのだが、「東京読本」は、先づ大丈夫と自信がついた。殊に音楽的には成功した。藤山と藤田のラヴシーンの如き、一寸類のない演出のつもりである。之が終ったのが、何と午前三時。それから「研辰」これはひどい本だ。こいつは味噌をつけたと思ふ。うつら/\となる。その上、声がまるで出なくなっちまふ。終ったのが朝九時。
[#改段]

昭和十二年五月



五月一日(土曜)

 有楽座初日。
 舞台稽古でヘト/\になって帰ると、十時からグッスリねて、四時迄。セリフまるでやってないので恐ろしいやうだったが、白紙状態で家を出る。六時開演。大入札が出た。「東京読本」の時間になる。大成功であった。狙ひ誤たず的中といふ感じ、菊田など、僕の今迄のもので一ばんいゝと絶讃してゐる。音楽効果も極めてよかったし、先づ大ヒットである。之が終って「研辰」は、てんでセリフが入ってないといふのに、一俳優に返ったので、演技は自分でも驚く程のハリキリ方で、セリフのないとこも大いに動いた。エノケンが出たり金語楼になったり、ダレもせずに、十一時十分に閉演。こいつは大出来。残って、ねむいのにダメを出し、一時までかゝって又、セリフなどやり直してやる程のハリキリ方。一時半帰宅。くたびれた、全く。


五月二日(日曜)

 二日目マチネーといふのは辛い。座へ出る、えらい降り、もう満員。「東京読本」は実によく笑ふ、予期しないとこ迄受けて面喰ふ程だ。「研辰」の方は、たゞもう笑って貰へばいゝといふやり方をしてるのだが、初日程暴れられない。大汗で一回終る。少しセリフやらうかと思ひ、外へ出ず、スコットのビフシチュウとスパゲティ。夜、又々昼より満員、開幕の序曲から拍手である。受けるの何のって、七景の写真を撮るとこの笑ひなんぞは近頃にない。溶暗でこれ程笑ったことは珍しい。何としてもセリフを入れなくちゃ不安でいけない。が、ハネ後は、藤山、大川を誘ひ、軽く祝杯をあげる。菊田一夫、東宝グリルの入口で辷って硝子で頭部、怪我す、七針縫った由。


五月三日(月曜)

 十二時までぐっすりねた。読売の記者が僕に逢ひたいと言って帰らぬ、電話で断はってあるのに、あんまりひどいから寝衣のまゝ出て断はる、プリ/\して帰った。不快。食事して、少時セリフを入れる、今度のは、両方とも覚えにくゝてしようがない。二時すぎ伊藤松雄を訪問。ビクターでは僕と古賀政男の握手をひがんでゐる由。それも徳山のひがみから出てゐるらしいとのこと。座へ出る。月曜だが盛り上るやうな大入り。「東京読本」の七景の暗転は、どえらい笑の波である。「研辰」の方も、受けてゐるらしいので意外であるが、要するに、配合の妙よろしきを得たのだ。まっすぐ帰宅する。


五月四日(火曜)

 今日はPCLのアフレコ。通ひ馴れた砧への道、新緑である。試写室で、「日本女性読本」の僕の分のを見せて貰った。気も利いてゐるし、大丈夫だと思ふ。一緒に見てゐたフランク徳永が、エミル・ヤニングスそっくりだから、「ラストラブ」をやってみろなどゝ言ふ。アフレコは、一時間余りで終った。これで「女性読本」オールチョンである。座へ出ると、今日は三田新聞の貸切り、然し、いつもの貸切と違って、インテリなので、やりにくゝなし。「研辰」は、いけやせん。中野実来り、お祝ひだ/″\と、藤山・石田等を一緒に赤坂へ。話に話がつゞいて、何と四時迄。


五月五日(水曜)

 十一時起き、今日あたりから初夏らしい暖かさ。「見世物王国」の試写。松井稔てふ監督の駄目なこと、三点位しかつけられない愚作である。特別出演の僕にしてもちっとも栄えてゐない。白十字で夕食して座へ出る、今日も補助を売切る満員である。「東京読本」の受けること大したもの、絶対篇だ。「研辰」は出る時からクサリ気味である。思ひ切って、けい古し直してみようかと思ふ。今日は入江・田村来楽。伊藤・奥村と夜更け迄、ビクター話をする。


五月六日(木曜)

 今日は母上のお誕生日である。二時半に母上と日劇へ。エノケンの「江戸ッ児健ちゃん」を見た。エノケンより、中村正常の娘メイコなる少女の巧まざる演技(?)には涙の出るほど感激した。ニューグランドに寄り、ポタアジュ、コールドラブスター、スパゲティと、ローストビーフにヨークシャイヤプディングとアイスクリーム。そこで母上と別れて座へ出る。よく入ってゐる。「東京読本」の受け方物凄い、七景で道川の犬を、今日は蹴とばしたらワッと大受けだったが、あとで可哀さうになって困った。「研辰」いよ/\救ひがたし、異例であるが明日けい古し直しと発表する。ハネ後、田中三郎が酔って来り、ルパンへ、林文三郎にも逢った。


五月七日(金曜)

 今日けい古し直し、一時に文ビルへ。台本のカットをして、群衆の個所をすっかりやり直した。これでよくなると思ふ。六月二十五日間宝塚、七月も二十日間、京都・名古屋と旅をさせられることになり、がっかりする。座へ行くと、もう満員である。気持がいゝ。「東京読本」よろし。「研辰」もカットが利いて、やってゐて楽になって来た。ハネ後、滝村と逢ひ、酒ものまずに、撮影の話。又、六月一日だけ来てくれなんて話が出た、これはもう本気でことはる。今日もおそくなった。


五月八日(土曜)

 今日は小林一三氏仲人による僕ら夫婦の結婚披露会当日。十時起き、道子はもう出かけてゐる。母上と、雑司ヶ谷の父上の墓に詣り、一時に東京会館へ。来会者数百名、有がたいことであった。小林氏が挨拶して呉れ、僕が次に「型破りですが僕から一言」と、簡単な挨拶をのべた。四時迄、づーっと小林氏がゐて呉れて、実によくして呉れた。お辞儀ばかり何百回としたので、へと/\になり、四時半楽屋入りして、揉ませる。今日も大入満員、実にめでたし。ハネると流石にひどく労れた。まっすぐ帰宅。今夜、小林社長引退の報あり、がっかりする。
 今日の会に出席した主なる人々は、久保田万太郎・関口次郎・片岡鉄兵・佐佐木茂索・佐々木邦・栗島すみ子・入江たか子・高田稔・曽我廼家五郎等々。此ういふ会には来て呉れる方が嬉しい。なるべく他人の時も出るべきだな。


五月九日(日曜)

 十時半起き、昨日の労れが抜けてゐない、ところへ今日はマチネーだ、やれ/\。昼の部の客は甘かったが、よく受けた。一回終ると、山水楼へ、宝塚から萩原が出て来たので、打ち合せをする。料理は、まづかった。宝塚の狂言は、二に大番頭、三にヴァラエティ、四に金色と定め、三のヴァラは徳山・堀井で構成し、一の三十分物一つを僕が書かうとハリキる。座へ戻って夜の部。むろん、はち切れさうな満員、どーどーっと、実によく受ける。「研辰」も、まあ/\見られる程度にはなったらしい。まっすぐ帰宅。


五月十日(月曜)

 ゆっくりねたが、まだ肩がはる。全線座へ寄って、樋口を誘ひ、浅草へ。常盤座でやってる「映画四十年レヴィウ」を見に。染井三郎・玉井旭洋・石井春波などが出て映画説明をやるのが、きたなくて寒々とした、悲しい姿だった。楽屋へ寄り、生駒を誘って樋口と三人で、浜のやへ寄って食事した。六時座へ行く、もう売切れの大満員である。ハネると、今日は屋井専蔵が呼んで呉れ座員数名でのむ食ふ。二時に帰って、ねる。


五月十一日(火曜)

 十時半起き。日劇の事務所へ。那波光正と樋口とで話す、全く小林社長引退は困る、又々秦がシャ/\り出て、奮慨の種をまき散らすのではあるまいか。ビクターへ行く。鈴木静一の曲をけい古するつもりでゐたのに、ゐないので出来ない。何うして此う世の中はだらしなくても済むのか。ローマイヤレストランへ行ってみる、グリンピースのスープ、ぬるくてまずし。スモークポークチャップとローストビーフ食ったが、てんでまづかった。五時二十分帝国ホテル演芸場へ、大倉浜口家結婚の余興に出て一席(100)、いやな客で一向笑はない。座へ出ると今日は前列の補助がズーッとあいてるので淋しかった。


五月十二日(水曜)

 十時起き、ニューグランドで、高島屋の海水着の座談会あり、十一時十何分頃行く。食事が始まるのが十二時半、何うも時間てものが守れない日本人だ、いやんなる。料理は流石にうまかった、ツルネードにスピナッチ、スパゲティを添えたのがよかった。別室でマネキンが海水着を着て見せる。藤田嗣治・東郷青児のデザインで中々いゝのがあった。ビクターへ二時に行ったが、鈴木静一が吹込につかまってゐるので、つひに四時半迄待たされる。世の中で、待ち程いやなものはない。気分めちゃ/\になる。鈴木漸く来て、伊藤松雄作詞「何ってやんでえ」と「お気の毒さま」の二曲をけい古する。座へ出ると、又昨日の如く一ばん前の補助が空いてゐる。まっすぐ帰る。


五月十三日(木曜)

 十時半起き、一時にビクターへ行く。初めに「何ってやんでえ」を入れる、伴奏中々の豪華版で、佐々木俊一がセロをひいてゐる。声の調子もよく、これは面白さう。次、能勢とかけ合ひで「お気の毒さま」この方はテンポがのろすぎて、はずまない。座へ出ると、今日も一側の補助椅子を残して満員である。小林氏ひょっこりあらはれ、「社長引退は型式だから心配するな、松竹との問題がうるさくなくなったら又出るよ、これから満洲へ行く、留守中はたのみますよ。」と行っちまった。ハネ十時十分位。実に今日は暑かった。


五月十四日(金曜)

 十一時起き、今日はわれ/\の結婚の祝ひの心で昔からゐた女中達を招いて家で馳走し、夜は芝居を見せることになってゐる、朝から女中達や、祖母上等来られ賑かである。三時半に出て、すきや橋東配の地下で「日本女性読本」の試写を見る。三部のうち、一ばん後が僕らの分。他の二つがあんまりひどくて比較にならない。僕らの分が断然いゝ。之が終ると、B・Rで上山と食事して――うまくなし――座へ出ると、今日も満員である。女中達の総見だ。道子も見物。ハネてから、加藤丹二をサービスするため柳橋までのした。藤山・石田を連れて。


五月十五日(土曜)

 今日は藤山に誘はれて、麹町の清水といふ邸の稲荷祭に呼ばれて行く。藤山の乳母車で紀尾井町へ。馬鹿な金持らしく、京祇園の舞妓が茶室へ點茶で来てゐる、模擬店迄出てゐる有様、大きな舞台で余興、らくがきの木皿が沢山あり、それにサインをさせられてヘト/\だ。藤山とニューグランドへ寄り、ポタージュのうまいのとスパゲティ食って座へ。大入満員、十五日のせいか小僧さんの顔も見える。徳山が六月の宝塚のヴァラエティを書いて来た。ビクターの大阪実演大会、五月末に開催の予定が、勝太郎・市丸のけんかが原因でフイになった由。「研辰」の時、皆ふざけすぎるので叱る。ハネて、まっすぐ帰る。


五月十六日(日曜)

 マチネーあり、今日は涼しいので助かる。座へ出ると、もう大満員である。昼の部終って名物食堂へ堀井と行き、デンツーで、ポタアジュと、ブフ・アラモド。すしを六七つまんで帰る。夜もむろん大入りである。ハネて、今夜は、生駒の肝入りで、公園裏のふじ松て家へ、染井三郎・石井春波を招いてウイをのみつゝ昔の弁士ばなし。石井からきいた土屋松濤の前説の話にすっかり食はれた。「土屋の娘が芸妓に出ました、私同様ちとごひゐきに」なんてやった話には腹をかゝへた。かくて夜更けまで。


五月十七日(月曜)

 十一時起き、主婦之友の婦人記者が待ってゐる、「えびで鯛を釣った話」をしてくれと言ふ、そんな経験なしと言っても中々帰らぬ、考へとくからそっちも別の題考へろと言って帰す。伊藤松雄訪問、いろ/\喋舌る。夕刻辞して、名物食堂で鯛と卵子をつまみ、座へ出る。補助出切りの満員である。「研辰」、読売の評に曰く「こんな低調なものを緑波は満足してやってゐるのか」これだからいやんなる。ハネ後、内田岐三雄を中心に、菊田・穂積に友田・松村等、支那グリル一番に集り、ウイのみつゝ論じる。内田は流石に適切な評をする。穂積の不勉強をうんと叱ってやった。


五月十八日(火曜)

 昨夜ものみすぎである、いかん。十二時すぎに出て、日比谷映画劇場へ。活動も久々で、「セールムの娘」と「麗人遁送曲」共に、つまらないのだが、たのしめた。帝国ホテルグリルで、夕食、道子と共に。オニグラにフィレソール、珍しくカレーライス。座へ出て、宝塚のプロに出す作文を書く。今日も大入り満員、「東京読本」の当りである。新聞評はあんまりよくないのだが、確かにこれ一本の力である。京・名の出しものも「東京読本」「かごや大納言」と決定、手配にかゝる。「ロッパ節」について藤山と打合せ。歌ひながら又のんじまった。


五月十九日(水曜)

 十時半起き、狩野さんが見えて道子の姉の縁談について話あり、十一時林寛来る、うちをやめて日活へ入ると、此の間からゴテゝゐたが、それもうまく行かぬらしく、「君の放浪癖だよ、落ちついてゐたまへ」結局さういふことになる。堀井・穂積来り、四時半まで三荘やる。何うも負ける。それから揃って座へ出る。入りは大入り、「東京読本」の時の客の表情を見てゐるのは実にたのしみである。「研辰」は、やる程にいけなくなる、然し、菊田って男の奇警な頭には舞台へ出てゐて時々ふき出したくなる程感心することがある。ハネてから、今日は酒をのまぬことゝし、山野・多和等と専ら食ふ。


五月二十日(木曜)

 十時起き、上山雅輔来訪、お祝ひに犬の本立を呉れた。例によって勉強の話、此の男まじめでいゝ。上山と出て、日比谷映画劇場へ入る。ミッキーマウスが面白かった。ベティー・ブープはおとろへた。「地に潜むギャング」面白くなし。ホテルで簡単に、ポタアジュとコールミーツ。放送局より佐藤来り、放送たのまれる。「東京読本」は、困る由。どうもラヂオはうるさくて困るな。滝村来り、「スクリーンパラダイス」に出演のことつひに口読き落された[#「口読き落された」はママ]。入りは今日も大入満員、中野実来る。今夜の暑さ大へん、汗、滝以上。


五月二十一日(金曜)

 十時半起き。昨夜は暑くて肌ぬぎでねた。一時に、佐々木邦氏の家へ約束なので行く。続ガラマサどんのざっと略筋だけきかして貰ふ、面白くなるもの。川島の脚色が不安である。二時頃辞し、日劇へ行くと、折柄の雨なのに朝日新聞社の前に一杯の人だかり、神風が亜欧飛行完成して帰って来るといふので熱狂してゐる。気になって僕も暫く立ってゐた。神風無事着の報をきいて安心して、日劇コンサートといふアトラクションと、(これがバカな金をかけてゐる、シャクにさはる。)PCLの「日本女性読本」を見物する。むろん僕のとこが一番よかった。独乙人のリマー・ヘニッヒ牧師と知り合ひになる。座へ出ると今日も大満員なり。いくらか涼しくなり大助かり。


五月二十二日(土曜)

 十時半起き、今日は寒い位涼しい。新協劇団が築地でやってゐるので行く。築地小劇場、入りは百人足らず。それでも一生けんめよくやる。クリフォード・オデット作「醒めて歌へ」四場である。役者が皆うまいのに感心した。終って不二アイスへ寄り、トマトクリーム、ローストビーフに、ワフルを食ひ、又日劇へ寄って「日本女性読本」を見る。映画も出来上ると又やりたくなる。座へ出る。づーっと大入満員の続き。中野実来り「坊ちゃん重役」を呉れた。「東京読本」で廻り舞台が二三度こはれて大さわぎ。まっすぐ帰宅、「中央演劇」に随筆六枚書き、山本安英の「素顔」読み出したら眠れなくなり、大いに苦しむ。


五月二十三日(日曜)

 四時半、アダリンのみ漸く眠る。十時半起き、座へ出ると、大入満員。昼の「研辰」の宿屋へうつる舞台が廻り出したらミシ/\と音がして、組んである道具がこはれ出した、上の棒の連結を外さずに廻したもので、すっかりこはれてしまった、暗転中座敷に板つきでゐたのだから、ひどく恐かった、此ういふ時にお稲荷さんに祈って出てると安心して居られた。竹葉で親子食ったのみ。夜も大満員。「東京読本」の大詰で、道具裏で大道具が喋り通し、「とてもこれでは芝居出来ん、おじぎしてたのめば静かにするんだったらお辞儀するぜ、さもなきゃ喧嘩だ、どいつでもやって来い」と言ふ。ハネて中野実来り、「東京読本」の九景前半は長いとの説、大いに当ってる。


五月二十四日(月曜)

 十時半起き、雨である。伊藤松雄訪問。病気好きの彼、今回はおヘソのまはりが神経痛だと言ふ。二時にビクターへ行く。細田作曲の「アンマリソング」のけい古である。わりにいゝ。上山雅輔の詞である。徳山が「週刊朝日」に出たゴシップで青くなって怒ってゐる、大手飛車といふ匿名だが明かに伊藤松雄である。小林千代子が又何かでクサって泣いてるので二人を誘ってニューグランドへ。丁度藤山も来合せて食事する。座へ出ると、今日も大満員、佐々木邦氏の顔が見えた。母上・道子も見物。「東京読本」も、そろ/\あきて来た、「研辰」は言ふも更なり。


五月二十五日(火曜)

 九時すぎ、地震あり。十一時起き、又活動見たくなり、母上・道子を誘って、新橋の昭和館へ行く。「ベートーベン」と「われらの仲間」二つとも欧州物。映写機が悪いのか写真が一体に暗くて、見るのにかなり苦労した。「ベートーベン」長し、二時間もかゝる。不二家で軽く食事して、座へ出る。大入満員である。吉岡・秦の名で絨たんが届いた。早速敷かせる。新しい楽屋気分である。「東京読本」の受け方は、ます/\盛り上って来る、僕の狙った新派的要素の多いレヴィウは絶対当ると自信ついた。月給が出た。今日は洋服その他の払ひで大分前借してるから辛い。内田岐三雄来り、ハネて一緒に帰る。


五月二十六日(水曜)

 今日は又伊藤松雄訪問。徳山のゴシップのことで伊藤は伊藤で理屈があって怒ってゐる。伊藤のうるさいのも一寸弱る。ビクターへ行く、「アンマリソング」の吹込み。僕作詞になってゐるが、上山の詞で、中々面白いもの、当れば上山の道も拓ける。終ると奥村を呼んで神風歓迎のビクター実演会に、僕のとこへ相談に来ないことは、いかんと言ふ。僕としては、朝日の仕事もしておかなくては具合が悪いのだ、とよく理解させる。人間てもの中々うるさきものよ。金ずしで食事すませ、座へ出ると、大入満員の札が出てるのに、何と、五十銭席などガラあき、きいてみると済生会とかの貸切で、売切れてるのに来ないらしいとある、その上、てんで田舎者の客でちっとも笑はない、とてもつとまらんと言ひ/\やる。
 貸切の客に、時々ぶつかる、金を出して「見よう」として来てる客とは、まるで違って、こっちが芝居出来ない。客が芝居をさせて呉れるんだってことを忘れてはならない。


五月二十七日(木曜)

 十時すぎ起き、絨たんの礼に吉岡・秦に会はうと出かける。日劇へ行くと秦はゐたが、吉岡新社長は大阪。で、秦のところで少時話す。夕食は名物食堂のすしで簡単にすませる。座へ出ると、菊田が三日夜放送用の「日本女性読本」の台本書けたと持って来た。又イージゴーイングに書きなぐったなと思ひつゝ読んでみると、何うして面白い。やっぱり今の作家中では彼である。今日も大入満員、昨日にひきかへ、何をしてもワッワと受ける。


五月二十八日(金曜)

 十一時起き、一時すぎに文ビルへ。一足違ひで、約束しといた新妻莞にスッポカしを食はし、一日気になった。二時より、「大番頭小番頭」の立ちけい古、肝腎の高尾が撮影で来られず、気が抜ける。川島が今度の本にアンダスタンディングを入れてゐるのに、その遊びを知らないらしいので、教へるのに骨を折った。久しぶりでアンダスタンディングをやってみて面白かった。四時から「金色」の立ち。放送局から佐藤が来り、菊田の本が、放送まかりならぬとなった由、もう機嫌とれませんと怒っちまった。菊田が結局又新に書く。徳山とホテルで食事し、座へ入る、大入満員である。とても受けるが、こっちが労れて来た。ハネて見物してた道子同道帰宅。


五月二十九日(土曜)

 十一時近く起き、築地小劇場マチネーに行く。今日はうちの座員数名を見物させる、指定席一円半。指定席を残して満員である。「北東の風」は、都にロッパの芝居が入るのは、国辱だと書いた久板栄二郎の作で、不快な奴であるが作はいゝ。感心した。銀座三昧堂で新刊書四冊求め、資生堂で一円半の定食食って、三信ビルの地下で理髪して、座へ出る。つひに大入満員のまゝ三十日をぶっ通した。中野実・内田岐三雄の二人来り、銀座へ出る。まだ/″\論じ足りない心で三時別れた。


五月三十日(日曜)

 今日はマチネー。流石に客席も三十日の労れで二円に空席あり。「東京読本」は、千秋楽迄、ダメを出し通した。菊田「カン/\帽物語」といふ放送台本を書いて来た。今度のは自信ないと言ふ。テストの時に見るんでいゝと、こっちも気がない。昼終ると、小林千代子が先日のお礼に、ぜひ飯をおごりたいと来り、ニューグランドで定食を食ふ。小林、レコード界の味気なさをつく/″\とこぼしてゐた。夜の部は、えらい満員、助高屋高助なんぞの顔が見える。「研辰」はいろ/\ふざける。大詰の緞帳が下りると、例によってシャン/\としめて、めでたく飲みに出かける。アメリカ人がバアにゐて、ソーデスカ、オモシロイデスなどゝ一緒にのみ、藤山大いに歌った。
 吉岡新社長、わざ/″\楽屋へ来り、渡辺篤がこっちへ又入りたいと言って来てゐるが――との話、千五百円出せの何のとバカなこと言ってるらしいので、兎に角半年前に、僕・柳・樋口をダマしたこと故、三人に任せるべしと言っとく。――小堀誠・村田正雄も松竹脱退こっちへ来たい希望の由。


五月三十一日(月曜)

 今日は午前九時からPCLだったが、電話で藤原釜足が盲腸炎で倒れたので、今日はプレスコだけにして明日も一日たのむと来たので、又ねる。ファン運転手高槻が迎へに来り、午後一時PCLへ向ふ。鈴木静一の指揮で、「ゲイキャバレロ」の上山作の替歌で、プレスコ一時間ばかりでアガり。新宿ムーランルージュで一時間半ばかり見る。新喜劇とは、失礼なものと言ふばかりである。浜のやで、那波支配人、樋口と久々の会談。それからその近くの篤茂登といふうちへ行き、松竹少女歌劇の田村淑子といふ少女でもないがスターを見る、話してみると悧巧さうなので之は僕の方へ引き取ってもいゝと言ふ。
[#改段]

昭和十二年六月



六月一日(火曜)

 今日もPCLで「楽園の合唱」の撮影である。十時に出る。藤原役の叔父さんは丸山定夫と変り、昼休みなしで打通し、四時半頃でチョンとなる。意外なことに盲腸炎で入院した筈の藤原が別のステージで平気で撮影してゐる。してみると役揉めか何かあったらしいが、滝村あたりが何故僕にすぐバレるやうな嘘をつくのか。森岩雄に、エノケンが解散に瀕して大谷さんに会見したがってゐるとの話をきく。小笠原章二郎もJO入りするから一度舞台で使ってみろとすゝめられる。帰宅、久々に早く八時前。「映画と演芸」に二枚半書く。


六月二日(水曜)

 午前中、柳以下荷拵への手伝ひに来り、荷物をまとめて宝塚へ送る。母上・道子と出て浅草へ。日本館に「失はれた地平線」を見て、花月劇場で「日本女性読本」の僕の分だけ見て、観音様へお参りして、みや古へ行き、いろ/\食べて、松邑へ行き氷しるこを食べ、放送局へテストに行く。菊田作の「カン/\帽物語」つまらず、一人で八役かやるのだが一向に栄えぬ。あつくて/\汗びっしょり。終って一時半近く帰宅。


六月三日(木曜)

 十一時迄ゆっくりねて、食事終ると二階で机辺を片付ける。幼い頃は何でもキチン/\と片づける癖があったのに、段々肥ると共にさういふ事が呑気になったらしい。午後、樋口が来訪、契約が六月で切れるのでその継続についての話、何しろ東宝は二年間に二百円しか上げて呉れなかったところだ、条件をよくして呉れなくてはやり切れんと言っとく。AKから迎への自動車来り、山へ行く。八時二十五分より「カン/\帽物語」を放送。終ると菊田と銀座へ出て、カン/\帽を求め、エスキモでビュティーのんで、東京駅へ。大ぜい同車。十一時発。食堂へ赴き、ハムエグス、ビフテキ、ライスカレー。アスピリンとアダリンのんで十二時に寝台へ入る。


六月四日(金曜)

 七時半までねた。食堂へ。ハムエグス、コンフレーク、トースト。大ぜいだから何のかのと言ってるうちに大阪着。阪急バスで宝塚南口まで、早いのに驚く。川万へ落ちつき、入浴して、揉ませる。けい古始まるので座へ。「大番」終り「金色」にかゝると楽士がゐない、これで一揉め、菊田が荒れるなどあり、次に電気屋が無礼な口をきいたと言って僕も怒る。徳山がライオン歯磨の会へ出るので「海のカーニバル」の時はゐなくなり、等々といふうち十一時近く、めでたく終った。大阪の暑さも夕方からは涼しくなった。麻雀卓持参の旅だ。いざござんなれと始めたのが十一時半、三荘やって、白々と明くる四時に終り、労れてねた。


六月五日(土曜)

 宝塚中劇場初日。
 十時半起き、川万の河添の部屋の朝は悪くない、板前も心得て魚なんか出ないので、まあいゝ。十一時すぎ、御影の嘉納健治のとこへ、顔を出す。海苔を一缶土産。幸ひ留守、夫人に逢って帰る。徳山と大阪へ出る。阪急百貨店へ寄り、腕時計の輪と久保田万太郎の「釣堀にて」と麻雀のノート買ふ。徳山が昨日のオザ金で奢るとて、アラスカへ。コンチャウダーに、ツルネード。メロン。名古屋でなじみのチーフがゐた。池田で下りて、小林一三邸を訪れると在宅、奥さんにも逢ひ、少時ゐて辞す。それから座へ。八分五厘の入りだった。六月としては、いゝ方であらう。「金色」の一景でいきなり暗転大トチリ、あとも色々難あり。十時二十分ハネ。今日も又二荘となり、二時すぎた。


六月六日(日曜)

 十時に起きる、労れてるのでよくねられる。今日は二日目のマチネーで一寸辛い。十二時に「大番頭」開く、よく受ける。雨の日曜なのでぎっしり大満員、六月の宝塚としてはレコード破りらしく皆驚いてゐる。「金色」の受けることも驚異的。昼が終ると、雨が強いので楽屋で、ホテルのグリルからとって食べた。夜の部も、えらい大入りである。「大番頭」の受けること、これが此処でも一ばん受けると定った。「海のカーニバル」中、僕の歌「酔へば大将」の受けることも嬉しい。雨なので自動車で川万へ帰る。さて又麻雀を、一荘のつもりが――つひに四荘やり、五時近くにねる。


六月七日(月曜)

 起してはならぬと言ひつけて一時までねた。雨がまだ降ってゐる。雨の宝塚川に合羽着て魚を釣る人の姿が見える。と、もう麻雀をしようと、堀井・多和・西田がおしかけて来る。応と答へて始める。今日はすー/\とあがって気持がいゝ。雨の中を自動車で座へ出る。どうせ雨の月曜と来ては、五分の入りだらうと思ったら、何うして八九分の入り。少女歌劇の生徒達が大ぜい見学してゐる。それにしても此のへーヴィー・レーンの中をよく来るもの。やっぱり「大番」が一ばん。吉岡社長が一寸顔を見せた。川万へ帰り、又麻雀、今度は負けた。


六月八日(火曜)

 十二時起き、よくねた。よく降る雨で、夜中中雨の音。入浴、食事。そこへもう多和・堀井・西田と揃って、麻雀始まり。身体がとても凝って、やらない方がいゝのだが、雨で外へ出られないからと――又もや始まるわけ。結局少々勝つ。五時、宝塚ホテルからサンドウィッチをとって食べ、自動車で楽屋入り。今日も八分の入りである。これなら千秋楽まで大丈夫と思ふ。夜に入って雨はやんだ。このあとグンと暑くなるのではなからうかと心配。終って、まっすぐ宿へ帰る。そして又麻雀。小づかひの要らぬことしきりである。


六月九日(水曜)

 十一時起き久々の好晴、徳山から電話で、三時に大毎本社へ来て話をして呉れとの話、どうせ暇だから行くことにしたが、一文にもならないことを引受けちまふ徳山も困ったもの。二時に大阪へ着いちまったので、東宝映画社支店へ寄る、丁度JOの黒川弥太郎が来てゝスナップなど撮る。大毎へ行く。学芸部長と記者二三人で、新大阪ホテルの喫茶室で――何と一文にもならぬどころか飯にもありつけなかった――こいつはひどいや。たゞいろ/\談話をとられ、くさった。電車で宝塚へ帰る。今日は晴れたからワッと来るかと思ったら入りわるし、六分か。笑ひ少くて気分出ず、それに少し熱っぽい、計ってみると七度一分。麻雀止して雑誌読みながら――ねる。


六月十日(木曜)

 十時半に起き、天勝を見に徳山と梅田へ出る。道頓堀の中座へ。天勝が気がつき、ビールを出す奇術でわざ/″\こっち迄持って来り、「サービスに来ましたよ。」と言ふ。幕間に楽屋へ行く。今度ぜひ一緒にやらうと、プランを話す、台所の道具で奇術応用の喜劇。食ふ方は我まんして終り迄見る。宝塚へ引かへして、楽屋で二十銭のハヤシライスを食ったのみ。入りは今日も悪い、六分弱か。がっかりだ。ハネるとすぐ宿へ帰り、今日も麻雀はやめて、床をとらせ、大庭・石田が来たので話す。


六月十一日(金曜)

 十時半起き。十二時頃から宝塚球場の少女歌劇学校の運動会へ行く。宝塚年中行事で大人気、大した人。午後提灯競走に出る。五等になる、大笑ひ。おしまひのページェントは煙火の仕掛中々よかった。ホテルのグリルで堀井・多和・石田と夕食をして、座へ出る。気にして熱を計るが六度台である。その元気でハリキったが、入りはやっぱり六分強ぐらゐ。が、「えらいえゝさうですな」と皆言ふ。宿へ帰ると今日は二荘だけと定めて麻雀する。大いに勝つ。二時に終り床へ入る。
 楽屋で能勢がおふくろを附添にして用をさせたりしてゐるのを、いつも困ると思ってゐるのに今日は又運動会へまで附添させてゐる。この女優、この了見では、とてもよくならぬ。少女歌劇の女生徒なら知らず、此んな風では決してうまくならない。三益の後に売り出すのは、能勢のつもりでゐたが、これは駄目と定った。


六月十二日(土曜)

 十時半に起きて「舞踊新潮」同人佐藤邦夫の肝いりで、座談会があるので、大阪へ出かける。新大阪ホテルのパーラー。集まった連中ちっとも喋らず、つまらないから、大阪劇場のアメリカンショウてのを見ようと僕から言ひ出し、皆で千日前へ。アメリカンショウてもの、ひどい上海もので、婆が踊るなど悲劇なりし。アラスカへ寄り、食事。宝塚へ帰る。入りは土曜だから一杯にはなってゐる。何だか熱っぽい。宿へ帰って計ってみると七度六分ある。あはてゝアスピリンのみ、アダリンのんで十一時半床へ入る。今日御影の嘉納親分楽屋へ来り、明後日あたり御馳走すると言ふ。やれはや。


六月十三日(日曜)

 眼がさめると気分は悪くないので安心。座へ出ると、今日は昼から満員。流石に第一回の舞台はとても辛かった。昼の部終ると、外出する元気なく、横になって、揉ませる。食事は、ホテルのグリルからオムレツとハンバーグ、アイスクリームなどとって食べる。PCLの滝村がしばらく遊んで行った。夜の部は大満員、気持よくやれる。ハネてから例年の如く宝塚会館で一座歓迎の夕があり、お役目で「酔へば大将」と「ハリキリボーイ」を歌って、ウイスキー少々のみ、宿へ帰って麻雀二荘やって三時ねる。


六月十四日(月曜)

 十一時に起き、宝塚ホテルへ御影の嘉納親分が招待するといふので出かける。嘉納と宝塚のほとゝぎすの亭主といふ、これも相当の顔の人と、我々――杉・堀井・石田・清川・高尾・道川・柏に柳。あんまり話がハデだから昼間からウイスキーをのんでねむくなり、宿へ帰ってねた。時間なので支度して出かける。親分が見物してゐる。弱ったもんだ。入りは又六分ってとこ。熱が七度ばかり。睡眠不足のせいだらうか。ハネると、又麻雀である。これが又夜明けになり、白々と明るいのでアダリンのむ。


六月十五日(火曜)

 十一時近くまでねた。宝塚ホテルの理髪室へ行き、それから大阪へ出る。南の竹川旅館へ寄り、おかみさんと一時間余話した。夕食は北の本みやけで、ヘット焼。宝塚へ帰る。道子より手紙で家は至極無事の由、安心。入りは今日も六分強。熱が七度二分あり、やっぱり風邪らしい。「大番頭」も「金色」も手に入りすぎてもうあきた感じ。宿へ帰ると徳山夫妻が来てゝ一緒に食事。又すきやきで参っちまった。志村道夫菓子持参、このところ菓子成金。又、麻雀、二回でやめた。


六月十六日(水曜)

 今朝はえらい雷鳴、十一時半近く迄ねた。菓子が沢山あるので、食い乍ら手紙を沢山書く。可笑しなもの、東京にゐては手紙なんかちっとも書かないが、旅にゐると書く。BKの南江二郎が来り、放送の打ち合せ。今日は歌劇の見学とあって、大劇場へ。一ばん前でレヴィウ「メキシコの花」を見る。終って洋食堂のオムレツとカレーライスで夕食をすませ、座へ出る。相変らずの入り。まだ熱が少しあるが、気にしないことに定めた。宿へ帰ると食事。牛すきの翌日は、鯛のさしみ、気がきいてゐる。又麻雀。元気よく大いに勝つ。タブーを破って三荘やってしまった。


六月十七日(木曜)

 十二時頃までぐっすり。京宝から電話で、「かごや大納言」を中止しろと東京から電報があったと言ふ。多分原作料の問題だらうと思ふ。弱った。二時半頃出かけて、轟その他数名女の子を連れて神戸へ第一楼の支那料理を食ひに行く。八宝全鴨も食ったが、こっちの舌が馴れたせいかあんまり感心しない。一人になって元町のサノヘイでネクタイ、ツータルの黒がゝったグリーンの、藤山に一つお揃ひのを買ふ。夕立にあったが、うまく晴れ間に座迄来ちまった。入りは、六分弱か、段々心細い。宿へ帰ると又麻雀である。二時半までお定りの二荘やってねる。
 今日、ふと電車の中で、四十越したら、通俗小説を書かうと思った。それ迄に材料をノートしておかう。


六月十八日(金曜)

 よくねて十時すぎ起き、久富・能勢、梅田で徳山と待ち合せて、四人で新大阪ホテルへ。ビクターの岡から誘はれたので。行くと、クロークで未だ出先からお帰りにならぬと言ふ。四十何分待って腹を立てゝ食事を始めちまったところへ、実は帳場の間違ひで部屋にゐて岡は待ってるのだった。で会食。小林千代子の脱退はとんだナンセンスらしい、その話など。一人で宝塚へ帰る。宿で又麻雀し、座へ。「ガラマサどん」の扮装で三四種写真を撮る。今日の入りは稍々よく、七分弱位か。京都の高井来り、「かごや」の中止問題で一と揉めする。それから又麻雀。二時半まで。


六月十九日(土曜)

 九時に起きる、十時三十分の汽車で新加入の田村淑子(松竹から引き抜いた)が着くといふので文げい部揃って出かける。ところが何とハヤ時間表の見違ひで、十一時四十五分とある。いろ/\のことは上山に任せ、僕は、北の堂ビル前のかどのってうちへ「サンデー毎日」の花柳章太郎との対談会をしに行く。花柳が僕の芝居をよく見てるのには驚いた。大いに感じよき対談会。かどのは変った料理ばかりで、赤飯に赤だし、そのあとおしることいふ式。夜、座の入りは満員、補助出る。「大番」も「金色」も生き返ったやうに受ける。明日早いといふのに又麻雀二回。
 結局、「かごや」は松竹でいけないと言ふので、「歌ふ金色夜叉」をやらうといふことに決定した。これをトリに、前の三つは同じである。これはすべて東宝営業部の責任、帰ったら責任を問ふつもりだ。


六月二十日(日曜)

 今日は又九時起き、ロッパチームと宝塚会館の野球戦が宝塚球場であるので、出かける。卵子のフライを二つ食ったのみで。これも野球かと思ふやうな珍試合で、いゝ勝負。はじめ負けてたのが四対六で勝。宝塚ホテルのグリルで、ハムエグストーストにニューイングランドボイルディナを食ふ。座へ出ると、快晴の日曜なので、大入満員、立見多し。いやはや暑い/\、汗みどろ。昼終ると外出せず、大阪ずし食ひ、楽屋で手紙を書く。ガールスが水泳をやり出したので、禁じる旨はり出した。背中を黒くして客に見せることはいかんとその理由を書いて出す。夜の部大入。渡辺はま子見物、シロップ二本、その他いろ/\貰ひもの多き日なり。ハネて又メムバー揃って麻雀。


六月二十一日(月曜)

 十一時すぎ迄ねる。夜中に蚊が出て足を刺され、弱った。阪急社長佐藤氏の招待で、曽根の星ヶ岡茶寮へ出かける。柳は一旦帰京。轟美津子の母危篤とあって、仕方なく帰す。星ヶ岡の庭や邸は立派なれど飯は何うにもおかったるくてんで満腹しない。宝塚へ帰る。嘉納親分がやって来り、楽屋へ乗り込んで、百円出して大部屋に分けてやれと言ふ。入りは今迄の月曜の中ではいゝ方で七分強。親分大機嫌で中々いゝ評をする。「大番」はいゝが「金色」はサグリでやってると言はれた、これなどはハッキリ当った。宿へ帰って又麻雀、二荘の筈をつひ/\三荘、又勝った。


六月二十二日(火曜)

 九時に起きて簡単に朝食して、大阪へ。JOBKより「海のカーニバル」を放送、徳山の作、実は上山の作。十一時からザッとテストして、十二時五分より半まで、奥屋文芸部長と初対面。それからビクター支店へ、久富・能勢・徳山と寄り、支店の招待でアラスカへ行く。定食だが中々凝って、アテチョクなど出た。徳山が昨日も今日も女房の話ばかりするので気がくさっちまった。とてもこれ以上うまくならない芸人だ。宿へ引っ返す。今日は入りが六分強。ハネて宿へ、又々麻雀。


六月二十三日(水曜)

 十二時迄ねる。入浴しね足りた快適さ。京宝の高井、宿へ来り、出しもの配役決定、宣伝文も書いてやる。「オール日本の話題の中心」なんて書く。三時に大阪竹川旅館へ、高橋氏に初対面、ねてゐるところを起し、アラスカへ、夫妻と僕。大ベランメエで面白し。然し、大分酔ってゝ何言ってるのか分らず困り、座へ帰る。さて考へてみると、麻雀ばかりで日をくらし、勉強もせず本も書けず、その代り酒ものまず、遊びもせず――これがいゝか悪いかは別として、兎に角生活が変ったもの。入りは七分。大谷俊夫と岸井明が来た、宿でアスパラガスの罐をあけ、ウイをのむ。久しぶりなので酔ひ、だらしなく、ヘト/\とねむる。
 京宝名宝はえらい番くるはせいろ/\あり、結局は、大した豪華プロ、東京では見られぬプロとなった。徳山・藤山・久富特別出演。
 一、ユーモア郵便局
 二、東京読本
 三、海のカーニバル
 四、歌ふ金色夜叉


六月二十四日(木曜)

 十二時までねる。今日はとりゐ屋の招待で一時半に宝塚ホテルへ集ることになってゐる。サントリーウイスキーのとりゐ屋主人が、一言ごあいさつを立ったのが、長いの何のって。これじゃあ、御馳走になっても何もならん。一つ東京で「ポンパン祭」をやらうとおだてたり、いゝ加減で切り上げて宿へ帰り、又麻雀を一つやり、座へ出る。入りは六分。何うもおとなしい客であんまり笑はないのでやりにくい。終って、加藤弘三が来り、石田・大庭と神戸へ出る。三ノ宮バー、こゝの二階の洋食中々よろし。ワニ/\といろんなものを食ひ、ウイをのむ。それからパラマウント・コロネーション他もう一つのバーを歩く、加藤弘三二十一才にすっかりアホられちまった。三時帰る。すぐねる。


六月二十五日(金曜)

 十二時半まで、何とよくねた。起きると、もうメンバーがハリキって待ってゐて、早速麻雀である。全くひたすら麻雀ばかりに過した一と月である。これもよからう。その代りうんと働かう。座へ出る。今日は八分通りの入りである。柳が菊田・轟と同道で帰って来た。「かごや」の手違については充分営業部でも恐縮してゐる由。東宝から給金持って会計来る、何と珍しや文芸部の賞与として僕にも三百円出た。ハネて今夜はダンスパレスといふのへ徳山・能勢・久富・道川等で行く。パレスホールで、皆歌ひ、帰ると又麻雀で三時すぎ。


六月二十六日(土曜)

 十二時まで眠る。今日は大阪朝日の会がある。「サンデー毎日」の花柳との対談が出た。アラスカへ行き、オルドヴル、アスパラガスのクリームスープに、コーンタングとバミセリ。メロンと菓子。朝日会館で朝日新聞の二万号記念の会、トリに僕が出て一席。宝塚へ引き返す。曇り、そろ/\雨、座へ出ると、大入り、さてもう明日で終りだ、馬力をかける。客が入ってゐるとハリキれる。当りまへだが。ハネてすぐ麻雀にとりかゝる。よくまあやることだ。今宵ひどくつかない、ケタ/\に四千プも負ける。三時近くねる。


六月二十七日(日曜)

 宝塚の千秋楽。
 マチネーありで十時半起き、雨模様。座へ出ると大入満員。暑さも暑し。佐川経理部長挨拶に来り、大入りを呉れる。入りが少かったし、かゝりも四千円近くかゝってゐるので今年は貧弱。楽屋へ又嘉納の親分来り、みんなに小遣ひをまきちらし、つひに僕に「お菓子」として百円呉れた、弱った。京都へぜひ行くぞといふんで、参ったね。「金色」大ふざけ、満枝に追はれると花道をかけ出す、清川負けずに追って来るといふさわぎ。シャン/\としめて、堀井・伊東と三ノ宮バーまで食ひに行く。サワクラウトがうまい。毛唐と歌を歌ってさわぎ、川万へ三時に帰る。


六月二十八日(月曜)

 十二時起き、一座京都へ向ふ。新京阪で一時間かゝらず、電車中は、「前身しらべ」といふ遊び。今日発明したのだが、例へば、清川虹子の前身お櫃、轟がシャツのボタン、久富は安楽椅子なんて笑ってるうちに着いた。三条河原町の大文字屋へおさまる。むーッと暑いのと、蚊がいるのとで参った。片岡千恵蔵へ電話すると、待ってましたと、箕浦勝人と一緒にやって来た。麻雀――夕食は悲しきハムライス、又々続ける。同い年とはいゝながら、千恵蔵と僕はよく似てる。一寸勝つといゝ機嫌で、言ひたいこと言ふし、一寸負けて来ると、いやハヤとても機嫌が悪い。結局三時すぎ迄やった。


六月二十九日(火曜)

 十一時に起きる。今日はダッシーの八田社長の招待で、座員大ぜいで琵琶湖へ。湖畔の料亭で浴衣になると屋根船で、ゆったりと湖面へ出る、小和船で網打ち、牛肉とかしわのすきやきに、とり立ての魚、(ハイと称す)の天ぷら。石山寺へ参拝(僕は階段の下から遙拝)料亭へ戻ると、ダッシー苦心の福引があり、古川緑波の十八番でヘイタイムシャと、兵隊と武者人形などは秀逸。京都へ引きかへすと、木屋町のまきのってうちで又のみ、ちっとも食ひ物が出ないので、僕数名を連れて三養軒へ行き、のみ食ひして、十二時すぎ、フラリ/\と帰宿。
 いろ/\ファンもありひゐきもあるが、僕は一切招待は受けないことにしてゐる。が、ダッシーの八田などは特別扱いだ、此う力を入れられては仕方がない。


六月三十日(水曜)

 十時起き、雨が降ってゐる。藤山がホテルへ着いた。藤山すっかり調子をやり、声ムザン、いつもいゝ声の男が此うなると全く可哀さう。菊田も揃ってアラスカへ行く。定食を食ってみたらとてもまづかった。藤山・徳山と、それに藤田・道川の新加入を連れて新聞社を廻る。大朝・大毎・日の出と。それから座へ。「金色」の音楽しらべ、道具しらべ。藤山二三日声が出さうもないので困る。アラスカへ又行く。藤山をなぐさめの夕食、オルドヴル他、今度はうまかった。千恵蔵に電話すると、岡崎の小浜にゐるから面子連れて来いといふので、伊東・堀井を連れて行く。八時頃から二時まで、大いにやっちまった。こっちの大勝。さて明日九時だ、あはてゝねた。
[#改段]

昭和十二年七月



七月一日(木曜)

 京宝初日。
 九時半に京宝へ。能勢のために「東京読本」を一と通り立つ。十二時開演、満員である。「東京読本」は、大丈夫こっちでも受けると安心した。堤の代りの能勢が味を出し、堤とは又ガラリと変ってとてもいゝので驚いた。新役の柏・高尾も成功。「金色」道川の赤樫だけは具合わるくこれにはくさった。食事は部屋でデリケッセンからとる。夜の部、又々昼以上の大満員。「東京」又々大受け。「カーニバル」では「酔へば大将」の歌が大した受け方。「金色」ひどくくさくなり、それが又いゝらしい。十一時ハネ。労れてはゐるが、何か楽しみがなくちゃねられない、又麻雀、三時近く吸入してねる。


七月二日(金曜)

 十一時半よくねた。藤山から電話、調子が出ないから休みたいなんて言って来た、楽な気持で働らけと言ってやる。十二時半座へ出る。満員である。「東京読本」よく笑ふ。殊に写真を撮る場は東京以上の笑ひである。「金色」は、道川が今日はいくらかまし。昼が終るとアラスカへ行き、オルドヴル、ポタージュに、野菜を色々つけてスティーク。チョコレートナッツサンデー。夜の部もギッシリの大満員で、気持がいゝ。嘉納健治氏又々来訪。声、どうもあんまりよくない。ハネると、鈴木桂介が遊びに来たので、なるせへ鶏の足を食ひに行く。山家料理中々うまし、もう二時、宿へ帰る。


七月三日(土曜)

 朝十一時起きが辛かった。座へ出る。昼の部大満員であるが、客が落ちる。声もいけなく、大分調子である。「金色」の三景で、天井に「海のカーニバル」の提灯が、ついたまゝになってるのをふと発見し、徳山・能勢の三人で笑っちまひ、ます/\しまらず。昼終りに、藤山とアラスカへ行く。ポタージュ、ビールピカタ、グリンピースに、アプルパイ。すぐ又夜の部である。夜も大満員、客よろし、よく笑ふ。ハネると片岡千恵蔵迎ひに来り、例の小浜てうちへ行く。麻雀である。二荘やり、今日はツかず負ける。仕事、段々迫る、名古屋で大いに書くつもり。


七月四日(日曜)

 十一時すぎ迄ねる。暑い。昼の部大満員、よく笑ふが、気がのらない、それに労れてゐるから眠い。昼終ると、宿へ帰る。ツバメで道子着、裸になってゐると、昼間なのに蚊がジャン/″\出て、しきりに刺される、憂鬱である。又座へ帰る。夜も、大入満員。藤山すっかり声よくなり、朗かに歌ふ。その声よし、やっぱり藤山はいゝ。ハネると、徳山と一緒に宿へ。一時すぎに床へ入る。


七月五日(月曜)

 暑い夜であった。蚊が沢山出てやたらに刺される。徳山と藤山がやって来て、朝食を食ひたいと言ふ。道子が味噌を持って来てるので、味噌汁を造り、卵子と海苔で食ふ。ホテルに泊ってる連中には、これは御馳走だ。とそこへゾロ/″\と皆遊びに来り、麻雀てことになった。暑いの何のって、しょっちう団扇で弟子にあほがしてゐるのは心苦しいが、仕方がない。座へ出る、冷房がいくらかきいてゐてありがたい。大入満員である。声も今夜はぐっと出たので嬉しい。十一時近くハネる。又、伊東・堀井・野崎等来り、道子も入って麻雀する。


七月六日(火曜)

 麻雀すること暁まで。十一時すぎ迄ねて、北野の天満宮へ道子と揃ってお参りする。アラスカへ行って食事。朝日ビルは冷房でヒーヤリ。オルドヴル、ポタージュ、ティンボルモナコに野菜。冷房恋しさに、朝日ビル内の映画を見に入る。「白衣の天使」とシェクスピアの「お気に召すまゝ」つまらないの何のって、結局ニュースが一ばん面白かった。座へ出ると大入満員。声とてもよろし。宿へ、小笠原章二郎来る、八月の打合せを徳山と三人で。そこへ杉寛が来り、ビールを二人で半ダースのんぢまやがった。一時半頃麻雀もなく、眠る。


七月七日(水曜)

 十一時すぎ迄ねた。起きるともうすぐ汗である。十二時に、ダッシー社長の一家を、アラスカへ招いてゐるので、道子と共に朝日ビルへ。こゝは冷房で気持よし。三円の料理を言っといたんだが、量が少い。「映画之友」の小倉浩一郎が迎へに来り、徳山・藤山と共に、スタヂオめぐり。下加茂へ行き、浩吉・長二郎とスナップを撮り、JOへ行く。黒川弥太郎・花井蘭子とスナップ。それから日活へ。妻三郎・千恵蔵とスナップ。千恵蔵がやらうと言ふので大文字屋へ帰って、一荘やり、あはてゝ六時半楽屋入りをする。大入満員。池永浩久来訪。ハネると、ダッシーの招きで冷房の支那料理ハマムラへ、宿で千恵蔵一党が待ってるので一時半大急ぎで帰る。それから麻雀。


七月八日(木曜)

 大文字屋の二階、隣のお寺の鐘が鳴って、木魚がポク/\朝のおつとめが始まる頃、漸く麻雀終り、千恵蔵はこれから寝ずにロケーションだと、くさって出かける。それからねて、十二時半まで。今日は京宝を借りて、うちの青年部と娘子軍の試演会がある。AB二組に別れ、序幕の「ユーモア郵便局」を、AとB二回やった。デリケッセンでランチを食ひ、楽屋で僕がいろ/\評をし、技芸賞を四人に与へる。技芸賞は計三十円。夜となり、大入満員である。八月OKとなってた小笠原章二郎をJOで使ふからと断はって来た、しょうがない。ハネてから、徳山と二人、東洋亭で紫明会といふのがあり出席、凡そつまらん座談会で大くさり、宿へ帰ると大阪の竹川が来てゝ麻雀。


七月九日(金曜)

 十二時起き、汗で後頭部に汗もが出来て気持わるし。大阪の竹川泊り居て、又麻雀となる。川島順平、「ガラマサ」の脚本持参、通読、あんまり感心しない。書き直すとこ二三景言っておく。麻雀してると、千恵蔵が乗り込んで来た。夕刻迄やる。座へ出る。大入満員で、どん/″\客を帰してゐる。「東京読本」はいゝが、「金色」となるともう倦きた、つく/″\。千恵蔵から小浜へ来てくれといふので竹川・伊東と道子も一緒で、小浜へ行き、日活の所長藤田も入って二組で、又夜の明ける迄麻雀。こっち方の勝ち。麻雀を、一と月と十日、よくもまあ、やったものである。さて、もう八月の脚本にかゝらねばならない、今日でやめて、さて仕事、と此うハッキリしなくてはいけない。


七月十日(土曜)

 京宝千秋楽。
 午後二時起き。ねたのが七時か八時だから仕方なし。道子と四条の鳴瀬へ行ってみると、休業なので、仕方なくアラスカへ行く。もうアラスカもほと/\倦きた。ポタージュ、マカロニ・プリンセス、ミニツスティーキにプディング。近くの京都ニュース映画劇場へ入る。パラマントのスポーツライトの一篇、水中学校がとても面白かった。座へ出る、大満員。十日間完全に売り切った。「金色」で、ダッシーの八田と約束なので「ダッシー/\」と叫んだりして朗らか。シャン/\としめてめでたく千秋楽。ハネ後、JO大沢氏の招待で木屋町の中村家、床で食ふ。床ってもの――まあ一寸した気分はあるが、あくまで京都式なもの。二時すぎ、宿へ藤山と帰り、道子も共に、何と四時半までしゃべっちまった。


七月十一日(日曜)

 名宝初日。
 十一時半に起される、辛い。京都を後に名古屋へ。宿の払ひ茶代百七八十円。中々安からず。汽車中暑し、名古屋駅立派になった。宿は、福六といふ。大文字屋より大分オサムし。気分かへて、大いに仕事しよう。道子とアラスカへ。こっちでも此処より手がない。ポタアジュとミックス・グリルにアイスクリーム。座へ出ると、超満員、名宝創まって以来の入りださうである。「ユーモア」で杉寛が、客がつかめなかったと言ふので気をつけて出たが「東京読本」も何だかやりにくい。「金色」も笑ふには笑ふが、京都程に行かない。然し入りは凄い程であった、三千人近く入ってゐたらしい。ハネ十一時五分。わりに涼しい。


七月十二日(月曜)

 十二時迄ねた。さあ仕事だ。ねそべったり、起きたりして、「彼女と男装」を二十四五枚まで書いた。いゝものになりさうである。柳が来り、道子と三人で観光ホテルへ夕食しに行く。座へ出ると、昨日と同じ大満員である。気をよくしたが、京都程笑ひがとれない。ワーッと、どよめくのは物凄いが、何うもぴったりしない。吉岡社長、ひょっこりあらはれ、ハネ後得月で仕事の話。小林より軍事物をやれとの命令があった由、八月のバラエティに入れることゝして、菊田をすぐよこしてくれとたのむ。一時半宿へ帰る。


七月十三日(火曜)

 十一時迄深く寝た。朝食すませるとすぐ「彼女と男装」の仕上げにかゝる。三十四枚ばかり、大体完成した。道子は帰りの支度して三時四十五分のツバメで帰京。柳と、榎並の房子が同道する。観光ホテルのグリルで夕食。藤山と食ってると、徳山夫妻あらはれ、夫婦で「御馳走になります」は、参った。フィレソールがうまかった。観光ホテルの理髪屋で理髪し、座へ出る。大入満員。やっぱり今日も名古屋の客は掴みにくいと感じた。充分受けてはゐるが、何うもしっくり来ない。ハネてから、入江町の鳥屋五月へ、藤山・堀井・石田で行き、卵やき等で食事した。宿へ一時すぎに帰る。


七月十四日(水曜)

 よくねて十一時起き、ビクター名古屋支店の招待で、かもめといふ長崎料理へ行く。大いに食い、二時半に宿に帰ると、「彼女と男装」の仕上げにかゝる。手首を痛くしながら、四十枚完成。梗概から人物まで書き、表紙をつけて、ホッとした。これで遊べるといゝんだが、まだあとに「弥次喜多」といふドエライ奴が控へてゐる。座へ出る。相変らずの大満員。然し何うもまだハッキリ掴めない気がする。菊田来る。軍事物の相談、東京ではハリキって「出征」といふ題で、もう宣伝してる由。ハネ後、福富旅館へ行き、久々で麻雀やり、何となくつまらず、二時半宿へ帰って、ねる。明日よりは又仕事である。


七月十五日(木曜)

 十一時までねた。雨である。すぐ座へ出る。昼は九分の入り。くたびれるから昼はなるべく気を抜いて演る。しょっちう「弥次喜多」のことが頭にあるが、何うもいゝ案がない。昼の終り徳山を誘ってアラスカへ。オルドヴルとポタージュ、羊の肉の煮込みとアイスクリーム。座へ帰る、夜は大満員である。が、何うもまだ――いやつひに客をピッタリ掴めずに終りさうだ。ハネ頃、例の小尾老人から迎へが来たが、「弥次喜多」執筆の故を以て断はった。が、どうしても書く気にならず、福富で又麻雀、三時までやり、くたびれた。


七月十六日(金曜)

 十一時までねた。食事――まづいものばかり食ってると馬鹿になるやうな気がする、早く家の飯が食ひたい。座へ出る、昼は満員と迄は行かない。客が田舎者が多いらしくちっともピンと来ないのでくさり。さもなくてさへ、「金色」など百回以上になるのでほと/\倦きてゐる。昼終るとアラスカへ。ポタージュ、レタス、フィレソール。牛舌煮込とアスパラガスとシャベット。夜は満員。客の一人が留守宅に召集令が来たとて呼び出しといふ非常時風景。一寸緊張する。ハネるとまっすぐ宿屋へ帰り、まづい夜食を食って、「弥次喜多」を読み、仕事にかゝる。読めども/″\芝居になるところなく、くさりつゝ三時頃ねる。


七月十七日(土曜)

 よくねた、十二時すぎ迄。徳山が来り、税金の話だ。僕のとこへも母上からの手紙で三百円以上の由。二人とも憂鬱、然し考へてみりゃ、此んないゝ商売してる奴どもから沢山とるのは当りまへだ。観光ホテルへ食事に行く、ポタージュ、フィレソールのみ。座へ出ると、大満員だが、どうも舞台が辛い。これも朝夕まづいものを食ふせいか。柳帰って来た、「彼女と男装」のプリント出来、菊田のヴァラエティも出来た。あとは「弥次喜多」のみ。宿の悲飯を食ふ気せず、文げい部を皆かもめへ呼び、ウイを久々でのみ、ベロ酔ひ。二時半、帰って、ねる。


七月十八日(日曜)

 十一時迄ねる。今日はマチネー。座へ出ると、昼夜売切れの大満員である。そのわりにやっぱりピンと来ない。幕間に、弥次喜多の原本を読み了った、どうにも芝居になるところはない、全然創作の手である。昼の終り、藤山・石田と富士アイスへ行く。ハムエグスとオムレツ、朝めしである。夜の部、又満員。「金色」倦きて面倒でたまらん。終ってホッとした。藤山と白川で、広小路へすしを立食ひしに行く。何しろ宿の飯は悲しいので。宿へ帰り、さて仕事にかゝる。プランを立てゝゐるうちに三時近くなり、ねる。
 旅も二タ月となると東京ってものゝ人情が恋しい。ナモ、オキャーセの名古屋弁もかなしく、きくたびに、弱る。結局、江戸ッ子は江戸にしか住めない。


七月十九日(月曜)

 十一時起き、仕事にかゝる。二十枚、夕方までに出来た。一、二景。こゝ迄は大丈夫面白い。上山と二人でアラスカへ行く。と徳山が鼻きゝの型でやって来て、「いゝとこへ来ちゃったな。これ奢ってもいゝけど明日借りに行くと悪いから奢られとかう」と仰言る。コールコンソメとソーセージサワクラウト、ソルベー。座へ出ると、みっちり満員。相変らず受け方は気に入らない。宿へ帰り、まづい夜食をかっ込むと、すぐ仕事。白々と明けかゝる五時に、四十八枚といふもの、何うやら書き上げた。先づ自信はない。下品で、あくどい。音楽の使ひ方もまづい。が、仕方なし。これよりねる。然し、ホッとした。


七月二十日(火曜)

 名宝千秋楽。
 三時にアラスカへ名宝の招待あり、十二時半頃起きて八月の宣伝文章を、苦労して書く。終ると、アラスカへ。仕事が済んで重荷を下したが、自信がないので、愉快でない。暑い/\。千秋楽大入満員、完全に大成績。「海のカーニバル」の中程で藤山と徳山と僕、三人でいろ/\歌ってサービスした。客大よろこび。「金色」の一景で「やっとかめだなモ」とやって大受け。ハネて、シャン/\としめておめでたう。コーナーナベヤってうちへ行き、ハムエグス・ハンバクステーキ等食ひ、一時三十六分名古屋駅発、帰京の途につく。
 京・名の大成績、わが人気今やたけなは――然しまだ昇りつめた感じではない、まだ/″\地方の開拓は有望である。エノケン、秋風落莫九州落ちの今日、僕の人気ってものを考へると、おそろしい気もする。此れを何う保持するか――の問題だ。


七月二十一日(水曜)

 名古屋を一時三十六分。堀井・石田・多和が同車、喫煙室に陣取って芸談する。三時すぎ、寝られなくてもいゝつもりで寝台へ入る。七時半までねちまった。食堂でサイダー。八時十五分東京駅着。久々の東京。曇って涼しいので有がたい。二タ月ぶりのわが家。入浴食事して、二階でねる。夕食は庭で。何も用のない夜――按摩を呼ぶ。十一時前に、蚊帳の中へ入る。さて、ねようとすると暑くて/\。起きて、八月の宣伝文を書いたりして、二時近くねる。


七月二十二日(木曜)

 十時半起き。暑い。今日は十二時に、社長に逢ふ約束。日劇へ一寸寄り、夢声の漫談をきいて、社長室で新契約のこと、給料値上げのことを話す。わりに気分よく話がすみ、文芸ビルで、皆揃って配役。家へ電話して打合せ、浅草の国際劇場へ、母上・道子とで行くと満員で入れない、帝国舘へ入り、松竹大船の「婚約三羽烏」を見る、PCLなどゝは雲泥のよさ、島津のよさばかりではない。林長二郎の「土屋主税」は大したことなし。帰りに浜町の浜のやで三人で食事。焼鴨を食った。
「婚約三羽烏」を見て、つく/″\感心した。その商売なところに。先づPCLの人間に、ひたすら商売根性、ショウマンスピリットの勉強をさせるべきだ。


七月二十三日(金曜)

 十時起き、雑司ヶ谷の父上の墓参りに一人で行き、十二時に日比谷、文芸ビルへ。中々集まらないので本読みが十二時半になる。いきなりそれを怒り、それから本読みにかゝる。各々作者が読み、わりに早くアガったので、「彼女と男装」の読み合せをさせる。田村淑子が案外うまくないので心配、それに松浦杉子もうまくない。五時頃、ニューグランドへ、林、多和・伊東と行って、カレーライスなど食ひ、家へ揃って帰り、麻雀をやる。四荘やり、六千何百といふ勝。又今宵も暑いぞと思ふとがっかり。


七月二十四日(土曜)

 昨夜は水枕したせいかあんまり苦しまずに眠れた。九時までねる。十時半、文ビルへ。皆時間通りに集まってゐるので嬉しかった。「彼女と男装」を十二時までかゝって一と通り立ってみる。二景が中々むづかしさうだ。「ガラマサ」にかゝる、アチャラカで味がないが、まあ/\やれる。渋谷正代が昨日から顔を出さないので困る。「弥次喜多」は読み合せだけやる、自信なし。今日月給出た。珍しく徳山がニューグランドを奢るといふので行き、ポタアジュ、スパゲティ、カレーライス。それから銀座の千山閣で、林・多和・堀井と麻雀、十二時近くまでやり、すきや橋ですしをつまみ、味気なく帰る。夏は面白いことなし。
 演出ってこと、面白いには面白いが、一ばん労れる仕事だと今日も思った。


七月二十五日(日曜)

 九時起き、世は日曜だが、こっちは十時半からけい古なり。本読みの日に、どなったので皆キチンと集まる。「彼女」一景だけ立たせる。演出してゝも気持よし。大丈夫なり。十二時から「ガラマサ」川島の演出、相不変馬鹿げてゐて、とても言ふこときいてゐられない。今時の人間じゃない。渋谷正代、東宝へ入ってからあんまり安く使はれたのでくさってけい古に出て来ない。「弥次喜多」一、二、三景まで立つ。五時半、ニューグランドへ。今日は、祖母上と道子――偶然にも一緒の日に誕生なので祝って上げる。オルドヴルやコールミーツ、カレーライスと食べる。夕刻から千山閣で麻雀し、一寸のんでみる気で、銀座へ出る。おそく迄――ねたのは三時頃か。


七月二十六日(月曜)

 九時起き、文ビルけい古場へキチンと十時半に行く。今日は「彼女と男装」の二景のみを立たせる。田村、少しよくなった。松浦杉子がドサでいけない。十二時から「弥次喜多」の四景から立つ。渋谷正代今日も出て来ない、もう待ってゐられない、代役といふ準備をする。夕刻、徳山とホテルのグリルへ。久しぶりこゝのオードヴル、キャベツのスープに、コンビーフキャベジとプディング。夜は千山閣へ行って麻雀。十一時頃外へ出たが、暑くて何の面白みも感じない、ダレて帰る。今日、けい古場へ山野来り、北支事変のおかげで、上海行きがオヂャンでルンペンだとこぼす、二十円やる。「すみませんどうも」と真顔で礼を言った。


七月二十七日(火曜)

 ねたと思ふとえらい地震、水平動のゆら/\。九時起きがかなり辛い。けい古場へ行く。「彼女」を立つ、田村も高尾も大分乗って来た様子、安心する。渋谷正代が今日、兄貴二人附添で出て来た。つまらん顔である。ビクターへ行き、つなぎのレコードを吹込まして貰ふ。終るとすぐ引返して、「メールブルウ」の「出征」を立つ。これは、くさくやれば必ず受ける。「ガラマサ」は、とてもつまらない。ニューグランドへ、徳山と行き、ポタアジュとチキンコロッケに、鶏の飯を食ひ、有楽座の漫才大会へ行く。中野実に逢ふ。今夜も暑くてねられなさう。
 ガラマサどんの脚本で川島が創作した双生児出生の件はいゝが、それが男と女の双生児で、所謂畜生腹だ、とても感じが悪いから、書き直させることにしたが、何と作者の川島は畜生腹なんて言葉も知らないし、へゝーそんなものかと驚いてゐる始末、こんなのは何うにもならん、他へ廻してしまはう。


七月二十八日(水曜)

 今日も九時起きして、文ビルへ行く。「彼女」の一、二景通して立つ。これはまとまって安心。「ガラマサ」川島がとてもダメでお話にならない。「弥次喜多」も立った。それから「メールブルウ」。京極鋭五来り、今回情報局ってとこへつとめたについて、その宣伝パンフレットを場内で配ることにしてほしいなどゝ言ふ。内田岐三雄とニューグリルで食事しながら話す、伊藤松雄あたりがロッパブレントラストを作らうと言ふが、結局此の内田と芦原英了位しか話せる奴はない。六時半に紅葉館の新社長披露の招待に行ったが、つまらず、大くさりなり。


七月二十九日(木曜)

 起きると、入座希望の岸田一夫てのが待ってゝ応接で会ふ、金を借りたいといふ話、やれ/\。車で出て文ビルへ。十二時から「ガラマサ」を通して立つ。京極鋭五、情報局の役人を連れて来り、結局一景でガラマサどんに北支事変を語らせることにした。二時からが「歌ふ弥次喜多」続いて五時から「メールブルウ」内田岐三雄が来て、一々口を出してゐる。内田あたりに此ういふものを考へさせるのはいゝと思ふ。今日千秋楽の有楽座漫才大会へ行き、又エンタツをきく。吉本の林弘高と樋口・エンタツで柳ばしへ行き、モーター和船を出して涼む、河風に涼みて二時すぎまで。


七月三十日(金曜)

 今日は、一日休みとなり、座員は鎌倉海岸へ遊びにやった。十一時起き。又来訪あり、朝起きてすぐ知らない人間に逢ふことの嫌さ。栗島すみ子の紹介で志願者。どうも咽喉の調子がよくない、昨日の河風がいけなかったか。一時ビクター吹込みに行く。「歌ふ弥次喜多」の主題歌AB両面分。まあ何うにか済ませる。今日はセリフ覚えようといふ殊勝な心がけで夕刻帰宅。按摩をよび揉ませながらセリフを入れる。が、ねむくて困る。夏ってのは仕事しにくゝ出来てゐる。それでも二時半頃までやり、吸入してねる。


七月三十一日(土曜)

 今日は舞台けい古で、十一時に座へ。先づ「彼女と男装」これは演出のみ。一休みして次が「ガラマサ」、大した邪劇だ、然し受けるかも知れない。京極鋭五来り、北支事変のことを喋る原稿を置いて行った。声は昨夜吸入してねたせいか、よくなって安心。それからすぐ「弥次喜多」どうせよくならないやうな気持、かなりいゝ加減やる。冷房のため徳山・菊田が下痢をし出し、医者を呼ぶさわぎ。間にスコットから、コロッケとハムライスとって食ったのみ。夜、十二時からヴァラエティにかゝる。内田岐三雄もづっとガンばって、朝までおつきあひ。ヴァラは確かに異色篇となった。午前八時に終り、入浴して帰宅。
[#改段]

昭和十二年八月



八月一日(日曜)

 有楽座初日。
 三時半に起こされると、ねむくて/\起きる気がしない。又ねて、四時半、食事。さあもうセリフを入れる暇もなし、北支漫談の原稿のみ覚える。五時半座へ出る。六時、放送室へ入って「彼女」を見る、これは成功だ。「ガラマサどん」一景の出からワッと来て、いやはやめちゃ受け。川島の邪劇も大当りである。北支漫談も受けるし、義太夫など大受け。次が「メールブルウ」これが又思ったよりちゃんと受けてゐる。「出征」に至ってどうも勝手が違って、僕のノグチとてもまづかった。「弥次喜多」は、予想通り、失敗作。ピンと来ないこと甚しい。ハネてから、ダメの会、残って二時近くまでやる。書落したが入りは大満員、補助出切り。


八月二日(月曜)

 十一時起き、二階で、セリフを入れようと、ねそべると、又ねむくなる。そのうちもう五時すぎて、座へ出る。表へ廻って「彼女」を見る。二日目ダレで、しまらない。入りは、九分まで行った。二円と一円五十銭の各一列位があいてゐるのだ。土台八月に値上げするなんてのが心臓の強すぎた話だが。「ガラマサ」意外や、このクサリ脚本が一番の大受け。いやもうよく笑ふの何のって。「メール・ブルウ」は大して受けもしないが、これは異色でよし。「弥次喜多」は全く失敗の大ダレ。今日もハネ十一時十五分――これでは困る、カットの相談し乍ら食事して二時半帰宅。


八月三日(火曜)

 十一時起き、日劇へ。「開戦レヴィウ」を見る、愚にもつかん。寿美蔵や青柳が見物してゝ茶をのみつゝ話す。それから丸の内松竹劇場へ、「衣裳花嫁」を見に行く。冷房のないのには驚いた、暑い/\。「衣裳花嫁」は、「婚約三羽烏」より劣るが、PCLのなんかより、づっといゝ。ニューグランドへ、丁度逢った塩入亀輔と行って食事。座へ出る。九分九厘の入りである。表で「彼女」を見る、今日は出来が悪い。「ガラ」もひどくダレちまった。三日目ダレってのもあるのか。十一時近くハネ。一時すぎ帰宅。
 要するに今度は過労だった。作者的、演出的に精力を消耗して、俳優的にハリキれなくなってしまったといふ感じである。


八月四日(水曜)

 十一時迄ねた。道子、大したことなけれど脚気の由。第一劇場のマチネーへ、道子と行く。新築地のキノドラマと、「未完成交響楽」をやってゐる、恐るべき不入り、気の毒のやう。キノドラマなるもの、中々の参考品だ、これを音楽沢山にしてやってみたいものである。丸の内へ出て三信ビルの地下で理髪、白十字でランチ、金ずしでひらめ。座へ出る、今日も九分九厘の入りである。「彼女」を袖から見る、田村、注文のきける女優なり、幕切れの手が大分とれた。「ガラ」大受け。「メールブルウ」先づ/″\。「弥次喜多」カット以後とん/\行って、アッケないまゝに何うにか纏まった。十時四十何分、ハネ。今夜は少々のんでみようと、ルパン。
 暑いので、ちっとも酒をのまない、いゝことだが、のまないと神経質になりすぎるやうだから、時々はのまなくてはいかんな。


八月五日(木曜)

 十時半頃起きる、千山閣で林・伊東・多和と麻雀。暑くて/\冷水沢山のむ。夕食もクラブで、ハヤシライスのまづいの。負けちまひ、結局つまらなし。座へ出る、今日も袖から「彼女」を見る。何うも一本釘の足りない本だった、新劇かぶれしたのか、うちの芝居らしさが足りなかった。終りも文学的すぎた。「ガラマサ」ハッキリ受けるものと定って安心。銀座の不良マコ来り、小遣ひをせびられる。象潟署から呼び出しあり、一昨日は、浅草のアダヨに花環二個持ち込まれて四五十円とられたし、つく/″\くさる。今日も入りは九分九厘、此の興行も成功だった。左足の裏に水虫の水ぶくれ二個出来て痛い。フロリダキチンへ柳・上山と行き、うまくないが、二三食って、帰宅。


八月六日(金曜)

 十一時起き。道子と映画を見に出る。涼しいだらうと思って入った武蔵野館、ひどい暑さの上に、写真が「座り込み結婚」といふ、ひどくつまらないので、出ちまひ、新しく出来た東宝の新宿映画劇場へ入ってみる、此処は涼しい。「ワイキキの結婚」といふのは、まあ見てゐられる。サクライ・イス・オルケスタのアトラクションが、一寸よかった。出て、曽我廼家五郎が胆石で南胃腸病院に入院し、明治座休場のニュースを見たので、見舞に行き、ニューグランドで、トマトポタアジュと羊肉の煮込を食って座へ出る。今日は団体が一組あるせいか大入満員、序を見たが何うもこれは失敗作らしい。「ガラマサ」大受けである。芦原英了、佐藤邦夫等来楽。暑い/\。
 今朝「都」に、伊原青々園の劇評が出た。「ガラマサ」の芸を細かに評し、大賞めである。あとの三つは、大分悪評。しかたがない。


八月七日(土曜)

 十時起き、今日は献金マチネーである。僕の初めの案では、二十九日の興行を一日延して三十日夜の総上りを献金したいつもりで、その間づっと宣伝するからウンと来ると思ってゐたのだが、都合で今日にされ、座へ行ってみると大満員とまで行かない。が、先づ二千円近く寄附することが出来さうである。開幕前、オーケストラで君ヶ代をやったら客席が起立して呉れた。「ガラマサ」は、愛国切手の宣伝もたのまれてゝ急しかった。一回終りに、名物食堂へ行く、道子と高橋の姉、子供ら来り、ビフテキをごちさうする。夜の部大入満員である。「ガラマサ」馬鹿受け、邪劇大当りだ。道子同道帰宅。涼しい。
 世間の入りが極めて悪く、お向いの東宝劇場などは、てんで入りひどしといふのに、うちだけは恵まれてゐる。全く潮に乗ってゐる。こゝで、今回のやうな出し物をしないやうにしまって行かうぞ。


八月八日(日曜)

 日曜でマチネー。昼も補助出切りの大満員だ。三つ出てゝ二回が二日も続くと一寸ヘタる。昼終ると友田・菊田とニューグランドへ涼みに行く。トマトのポタージュと、ピカタとドリアを一人前宛とったので、もう皆満腹。夜の部も、ハチキれさうな満員である。「ガラマサ」の笑ひます/\激しく、今夜など驚くべき笑の波。「出征」の幕切、医者の役を引込め、能勢と二人きりでスポットをかけてやってみたら、漸っと手が来た。これで安心。ハネると、バーコットンへ、サクライ・イス・オルケスタの桜井・杉井と会った。話がはづみ、よくのんだ。
 東宝も、この秋は江東楽天地が出来、又大阪梅田も開場する。となると劇団がも一つ要るしアトラクション部門も必要だ、放といてヘンなものが入るといかん、小林さんに会って、こっちの手で第二軍なり、アトラクションを作らうと思ふ。サクライ・オルケスタに呼びかけたのもその一つである。


八月九日(月曜)

 ゆっくりねる。五時半家を出る。夕刊を見ると、日日の三宅、報知の本山の劇評共に、「ガラマサ」を大賞め、「出征」もとても賞められてゐる、拍子抜けの感じ。こんなことではいけない、何とか十月は――と考へてゐる矢先、三宅周太郎など今年中で一ばんいゝ番組だなどゝ書いてゐる。分らない。苦労するがものはないのか。座は月曜だといふに大入満員補助売切。「ガラマサ」わッわと受ける。「出征」もスポットでやり出してから手がとれる。「弥次喜多」もよく笑ふやうになった。ハネ十時半。穂積とフロリダキチンで食事しながら、十月のプランを色々練る。


八月十日(火曜)

 九時起き、タカリの被害につき「相タヅネタキ」で、象潟警察署へ出頭、柳に任せて有楽座へ。徳山・能勢・高尾と揃って、日日新聞社へ、七日のアガリ千五百九十何円献金する。ニュース部が撮影した。東宝ビルへ、那波・樋口によばれて行く。青柳・金子洋文もゐて、九月の有楽座を、東宝劇団をやめて、こっちで開けろと大阪にゐる社長から電報だったから、そのつもりで――との話、もう準備に間もないし面喰った。夕食は、樋口と滝村でニューグランド。コールドラブスターとミンスビーフトースト。座へ出ると、今日も割れ返る満員、「ガラ」大受け。「出征」も手が来る。「弥次喜多」も何うやら笑ふやうになった。ハネて、九月のプランのため呼んだ斎藤豊吉・穂積純太郎とおそく迄考へるので、のんでも酔はない。


八月十一日(水曜)

 按摩を呼び、揉ませつゝ十二時近くまで。中野実のとこへ行く。来月の芝居の知恵をかりる、それから東宝ビル、社長のとこへ。九月出演のこと決定。すぐさま文ビルへ行き、菊田以下で出しものゝ相談。結局穂積の一幕物、二は「ガラマサどん」の前後篇を抜萃して出し、三は、ヴァラエティ、これは斎藤豊吉にたのんで「軍歌日本」といふもの、四は菊田一夫作のオペレッタで「丸の内オペラ」と決定、すぐ又社長のところへ引かへして報告、全部OKで、十月は休ませて呉れるやうたのんで引さがり、座へ出ると又大入満員で補助売切。十時半ハネ。中野実とルパンで会って、柳橋へ行く。


八月十二日(木曜)

 十二時起き、銀座へ。三昧堂で、谷崎・永井荷風の新刊を発見、嬉しい、すぐ買ふ。三時、モナミの二階でPCL山本嘉次郎、矢倉茂雄と要談で逢ふ。文藝春秋社へ行き、菊池氏も居られたので、しばらく話す。これからは喜劇時代だ、脚本を選んでしっかりやることだ、と言はれる。先生の税金二万円以上とは驚いた。それから日劇へ行き、秦に逢ひ、九月に、波岡・澄川を借りたい旨話す、喜んで貸すと言ってゐた。食事金ずしでひらめ食ったのみ。座へ出ると、ワッと正月景気の大満員である。「ガラ」も「弥次喜多」もよう笑ふ。ハネてすぐ帰る。新刊書を枕もとに、蚊帳の中たのし。


八月十三日(金曜)

 誕生日 第三十五回。
 今日は誕生日である。母上・道子と榊叔母、日出子を誘ひ、新宿帝都座へ行く。「そんなの嫌ひ」と「恋山彦」を見る、結局松竹は現代物よく、日活は時代物がいゝらしい。出て日劇へ、PCLの「楽園の合唱」を見る、つまらん。僕の出てるとこも意味ない。それから皆で山水楼の冷房部屋で食事する、三円定食、まづい。座へ出る、大満員、ハネ後、牛込松ヶ枝へ。森・田中・川口・岡・徳川・那波・樋口・中野と皆揃ひ、ウイを乾杯。案外に「弥次喜多」が評判よし。徳川・川口と同車で帰る。午前四時近くねる。


八月十四日(土曜)

 九時頃起きてカルピスをがぶ/″\のみ、水枕を変へさせて又ねる。汗びっしょり、道子団扇でづーっとあほいでゐるが、それでもたゞもう暑い。一時にやっと起きて、食事、食ひ気も出ない。谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」を読み出す、近頃の異色文学だ。五時半家を出て座へ。今日も大入満員である。「都」の左本が来て、「戦争と暑さでダメだといふことが、あなたのとこだけ入るので、さう言へなくなった。」と言ふ。生駒雷遊久々で来り、今日は一滴ものまず、いろ/\食ひまはる。一時すぎ帰宅。


八月十五日(日曜)

 暑い。十時起き、日曜マチネーである。座へ出る。大変な満員。上海の空で敵機数十台を落して連戦連勝といふ号外が来たので、マイクで自ら場内へ放送した。拍手である。昼の終り、徳山とニューグランドへ行った。浜田捷彦が一人ポツンとゐたので「御馳走になって上げませうか」「結構ですね」と、御馳走になる。パムキンポタアジュ、犢のカツレツ、アスパラガス・ハム。グレープジュースとチョコレートナッツサンデエ。夜の部はつく/″\労れる。「ガラマサ」も加減してたが、あんまり笑ふので義太夫なんか近来にない大ハリキリ。ハネて、多和・大庭を連れて食ひ歩く、一時帰宅。然し僕の健康なことは有がたい。


八月十六日(月曜)

 今日は松平直が出征するので品川駅へ見送りに行く。駅の遠くで車を下ろされちまひ、炎天下をテク/\、面会所てのへ行くと、一寸の違ひで駅へ入っちまったとのこと、あきらめて引かへすと、車が約束のとこに待ってゐないので、又テク/\、ハンケチ五六枚ビショ/\。円タクを拾って有楽街へ。日比谷映画へ涼みに入る、ニュースと一本見て、丁度逢った徳山とホテルのグリルへ行き、夕食、コールコンソメ、コールドラブスター、カネロニー。座へ出る、大入満員大したもの。放送局の小林来り、三十日放送のこと打合せ、「非常時ガラマサどん」といふ題にして川島に書かせることにした。ハネ後、食ひ――のまず。


八月十七日(火曜)

 明るいし暑いし、深くは眠れないが、十二時すぎ迄ねてしまった。一時から有楽座で、一座の研究生と青年部の音楽舞踊の試演会があり、それへ行く。総体に皆馬鹿にならない。それから東宝ビルへ、渡辺篤をいよ/\入れること決定、高いが、やっぱり何うしても欲しい奴だ。夕食は金ずしのすしと、白十字のランチ。座は、又しても大満員、「ガラマサ」北支漫談は今迄のでは手ぬるいのでいさゝか薬をきかせることにした。ハネ後、松ヶ枝へ、新妻莞と中山楠雄を招いてあるので行く。この手合は、くたびれる。三時すぎ帰宅。


八月十八日(水曜)

 汗かきながら目をさます。暑くてしょがないから日比谷映画劇場へ行く。涼みの客で一杯である。「打倒すまで」といふ拳闘映画も面白い、昔なつかしいハリー・ケーリーが相当いゝ役で出てゐた。出て、柳に逢ひ渡辺篤が今朝調印仮契約した報告をきいた。やれ、これで芝居がらくになる。ホテルのグリルで那波支配人と会ひ、コールコンソメ、フィレソール、コールビーフ。座へ出る、満員だが、補助が少々スキあり、楽屋の来訪客えらく混雑、又アダヨが来り金とられる。能勢妙子、胃痙れんで休演、代役「出征」を花井、「弥次喜多」のお園を藤田にやらせる、二人ともよかった。フロリダキチンで夜食して帰り、一時前にねる。


八月十九日(木曜)

 涼しいのでたっぷり十時までねた。十二時半家を出てビクターへ。山崎何とかいふ人の作曲「浮世じゃね」「私の胸がチャックなら」をけい古する。菊田のラヂオ台本から直したレコードドラマ「良人読本」をうちの役者使って吹込むことの相談。座へ出ると今日も大入満員。「出征」の時、「大日本帝国万才」と言ひかけたら、客が笑ったのでくさる。徳山に話すと、「大辻が君ヶ代歌ったやうなもの」と言った、こいつ成程。能勢今日も休み、ハネて銀座へ出て、要件とのみ。


八月二十日(金曜)

 十一時頃までねた。今日はシュヴァリエを見に行く。道子と帝劇へ。冷房がないのでがっかり。シュヴァリエの「流行児」は、あんまり面白くなし。たゞパースナリティに感心するのみ。出て、マーブルへ寄り、夕食する。まづい。座へ出る、満員である。渡辺篤、今日本当に定った。川島「ガラマサ」前後篇大会の本を出来たと言ふので見ると、殆んど丸ごとあるので吃驚、惜しくてカット出来ないと見える。ま、そのまゝ通しとく。斎藤豊吉の「軍歌日本」出来。能勢又休み。菊田と浅井挙曄引抜きのことで話す。スタッフを強固にして、いざ進めである。


八月二十一日(土曜)

 十時半起き、道子鎌倉の姉のとこへ行くので、一緒に出て日比谷映画劇場へ、「ボビーの初舞台」てのを見る、ボーイ・ソプラノの何とか少年がとてもいゝ。それから東宝劇場のマチネーをのぞく。「メキシコの花」は宝塚で見た時より短くなってるが、前の方が面白かった。約束の芦原英了と逢って、ニューグランドで話す。シャンソニエの話、その他参考になる話をきいた。食事、ビールピカタ、スライスチキンサラダ。座へ出る、少し補助が残ってる満員。能勢妙子今日も休む。ハネてから有楽座主事岡崎を招き、松ヶ枝へ行き、冷房の室で、鶏を煮て冬の気分を――さうも行かないが。二時すぎ帰宅。


八月二十二日(日曜)

 日曜の朝といふに、新妻莞と山野一郎が早くから来て待っている。新妻は国際劇場への話、小林さんに話して堂々となら行くがと答える。山野は、PCLへ世話したので礼に来たのだが、又来月から先のことも考へてくれと、キリのない奴。座へ出る、大した入りで補助出切り。昼終り、徳山とニューグランドへ。ポタアジュ、ビルカツレツにカレーライス。今日は記録的暑さの由。夜の部も大満員。川口松太郎来り三益男子出生の報。先づめでたし。菊田漸く「丸の内オペラ」の緒についた、自信はある由、尤も常に自信ある奴故アテにならぬが。一時すぎ帰宅、道子帰った。


八月二十三日(月曜)

 暑くて困る。十時起き、一時にビクターへ。山崎といふ人の「都々逸くづし」と「チャック」のけい古。明日吹込みである。ビクターでも税が上るわ、レコードは一円六十五銭になるわ、おまけに軍歌ばかりしか出ないわそれもあんまり売れないわで、ひどく苦しいらしい。夕立、しばらく降る。五時、ニューグランドで、小林千代子と逢ひ、食ひながら話す。又ビクターへ舞戻ったが芝居へも出たいらしい。座へ出ると、今日も補助出切らないだけ。能勢妙子今日より出勤。ハネて、内田岐三雄とフロリダキチンへ行き、仕事の話をしつゝ食事。


八月二十四日(火曜)

 起きるともう暑い。一時、ビクターへ出る。小林千代子とかけ合ひの歌「私の胸がチャックなら」の吹込み、簡単に終った。もう一枚「都々逸くづし」をやる筈なりしも歌詞が気に入らず、中止して貰ふ。それから東宝ビルへ。九月興行から愛国切符といふのを発売し、毎日献金をするやうにしたいと考へ、これを那波支配人に話す、大いによき案なりと言ふ。座へ出ると今日も大入満員。菊田の「丸の内オペラ」も完成したのに、穂積純太郎未だ出来ない。配役など進まず、弱る。浅井挙曄引抜の件、ビクターも協力で大分話が進んだ。


八月二十五日(水曜)

 十二時半文ビルへ出る。九月の本読み。「軍歌日本」「僕は愉快だ」を斎藤・穂積が読んでる間に、配役。菊田が「丸の内オペラ」を読む、役者がゲラ/″\笑ってるから之は傑作だらうと思ふ。多和利一が机に頭を伏せて居眠りしてる、どなりつけてやる。終ると、東宝グリルから迎へが来た、美術部の荒島鶴吉が出征するのでその歓送会が開かれてゐる、一寸顔を出して、すぐ有楽座へ。入りは今日も上等、客がヘンなとこで笑ったりするのが可笑しい。戦時で少しヘンなのかな。ハネて、段四郎に教へられた冷房のビフテキ屋明月へ。ちゃんと段四郎がゐた。Tボンステーキうまかりし。道子、貝に中毒ったらしい。本日月給出た。


八月二十六日(木曜)

 十一時ビクターへ。今日は菊田作の「良人読本」二枚分を、僕一座の吹込みである。読み合せをし、一時から吹込み。A高尾B花井・藤田C能勢D田村と、一々相手を変へて良人の役をやる。不可思議なレコードが出来たらうと思ふ。終ると、柳・菊田と、共に、慶応病院へ三益の見舞に暑い中を行く。三益元気で赤ん坊に乳をのませてゐた。が、世話場を見ると、女優としてひどく幻滅的なものだ。座は九分九厘といふ入りである。戦争がこたへて来たらしい。ハネてから又、Tボンステーキ明月へ行く。河合武雄と伜がゐて、酔ってくだまくことよろしく大分のみにけり。


八月二十七日(金曜)

 暑い、今日も亦汗。新妻莞がねてる間に来て、国際劇場の返事を、せいてゐるので、兎に角小林さんとこへ行ってみようと、東電へ行く。大谷は借りに来っこないよ、緑波を借りれば左団次や吉右衛門を東宝に貸さなきゃならないから、といふ話。その足で新妻に逢ひ、その通り話して置く。一時からけい古。「丸の内オペラ」前半よく後半ダレさうだ。座は今日も九分の入り、二円が大分空いてる。ハネてから柳と渡辺篤に会ふため神楽坂へ行く。あついのにヤケで牛肉を食ひながら、十一月よりやらうと約す。渡辺・三益と二人ゐて呉れゝば全く助かる。二時すぎ帰宅。


八月二十八日(土曜)

 今日から文ビルで又けい古である。三時頃社長によばれて、社長室へ。新妻莞が例の話を持って吉岡のとこへ来て、ポンとハネつけられたといふ有様らしい。吉岡も新妻あたりの話に乗っちゃいかんよと笑って言ふ。そのついでに、社長に、秦にきいたが柳が役者のピンを行くらしいから注意しろと言はれた。気になるので、秦のとこへ行ってきくと、福田正夫といふ青年部の男が、柳に六・七月と五円十円とられ、今月も三十円よこせと言はれて困ってゐるとの投書があったとの話。こいつには悉くクサリ、大庭をハネ後、金兵衛へ連れて行き、何かよき方法はないかと語る。十二時半帰宅。


八月二十九日(日曜)

 マチネー。二円席が空いてゐる。いよ/\戦時だなと思ふ。昼の終り頃、御影の嘉納氏楽屋へ来り、気焔をあげる。昼終ると、今月の大入満員に対して特賞が出た、座員一同に二十円から五円である。夜の部も非常時なので、あんまりソソリもなく、とん/\行って、ハネ。一同に特賞をやるから部屋へ来れと言って、しゃん/\/\おめでたう。入口で三橋ゴロツキにおどかされ、いゝ具合にあしらって車に乗っちまふと明月へ。それから神楽坂へ行って、柳にピンハネの事実をきくと、「えゝ、やりました」と悪びれない。やって悪いとは言はないが、ヘマじゃねえか、馬鹿、やめちまへ、酔ってるから大分やっつけた。結局、先生に任せました、で帰る。


八月三十日(月曜)

 二時半東配地下室の試写室で新人テストのフィルムを見て、文ビルへ行くと、柳が、いけない顔をして、あっしは今日から休ましていたゞきますと、一寸スゴム。昨夜僕に任せると言っておきながら、青年部その他に喋ったらしく皆が物々しく心配してゐる。しようのない奴だ。時間なので放送局へ。「非常時ガラマサどん」のテストを二回、七時すぎ、東日主催の「進軍の歌」発表会へ出る、そこで漫談を一席。放送局へ引返して「非常時ガラマサどん」八時半から一時間放送する。五六人連れて歩いたが、のむ気にならず、牛鍋を食って、二時頃帰宅。あゝつかれた。


八月三十一日(火曜)

 今日は嘉納健治の招待で山王ホテルへ十一時半に行く。座員から川島・菊田・井田までよばれる、人の顔を見るなり例の豪快談である。かなりこのおつきあひてものが骨が折れる。食事終っても親分の話は中々尽きず、二時すぎ迄つかまってしまひ、漸く解放されて文ビルへ。柳のこと気になるので、秦専務のところへ行く。秦曰く、君のいゝやうに任せる、善処されたし。で、柳をうちへ連れて帰り、ヤクザ気分を一切清算せよ、スゴんだり尻まくるのは一切通用しないと意見する。一々感じ入ったと、気が軽くなったやうに帰って行った。按摩とり、じっくり揉ませる。
[#改段]

昭和十二年九月



九月一日(水曜)

 涼しいのでぐっすり十一時までねられた。十二時からけい古なのであはてゝ家を出る。ガラマサ前篇を立つ。川島は時間のこと考へずやたら長いので困る。他の狂言もみんな長いので、よっぽどカットしないと初日は一時頃ハネってことになる。「丸の内オペラ」――浅井に作曲をたのんであるのに、おくれてけい古が出来ない、用なしになってしまった。三信ビルの地下理髪に行く。三昧堂へ寄り新刊二三求めて文洋堂でノートを買って帰宅。入浴をたのしみ、又、按摩を呼ぶ。日記をたまってたのをつけ、それからセリフ覚えにかゝる。とろ/\しかゝる時、えらい雷雨――ザーッて音の中にねてしまった。


九月二日(木曜)

 涼しいのでよくねられる。福田正夫ってのが待ってるので会った。いろ/\きいてるうちに全く柳の軽挙(事件後の軽挙だ)がいやんなっちまふ。人を信じることは今後も出来ない。福田はそのうちPCLへでも入れてやるからってことで帰した。東宝四階で、那波・風間両氏重役就任披露の宴あり一寸顔を出す。十二時から「ガラマサ」を立ち、一時半から漸っと出来て来た浅井の曲、徳山にやって貰ふ、とてもむづかしいので面喰った。母上・道子と待ち合せて明治座へ。井上・河合の合同で、二日目である。冷房よくきいて寒い位、入りは五分ってとこ。しまひの「新四谷怪談」だけ新派らしいもの。


九月三日(金曜)

 有楽座舞台稽古。
 今日は舞台けい古。十一時半に入ると、先に文ビルで歌だけけい古することになり、徳山にやって貰ふ。順序変更を上山が報せてよこさないから時間が無駄になってしょうがない。夕方ホテルのグリルへ行く。コールコンソメに、フィレソール、オックス・タング、キャビネットプディング。「ガラマサ」は昔やったセリフが口をついて出るので、前後篇共安心。「丸の内」が、十時から午前五時すぎまで。又、アダの三橋が来て、「虫けらみてえにいやだろが、これっきりだ」と柳に二十円せびって行く。十一時近く小林一三ふらりと着流しで見に来た。夜しら/″\とあけて「軍歌日本」にかゝり、九時迄がんばって、くたびれ切って帰宅。


九月四日(土曜)

 有楽座初日。
 四時迄ねた。座へ行くと、補助椅子の出ないまでの入り。「ガラマサ」は前篇がやりにくゝて弱った。後篇は、先月のまゝだが、これは大丈夫受ける。「丸の内オペラ」は、セリフが大分入ってゐるのでやりよかった。歌も心配した程でなくすら/\と歌へた。くだらない脚本で、菊田の欠点を遺憾なく発揮したものだが、とても笑ふので又驚いた。ハネは、十一時四十五分。此う長くてはしょうがないからどし/″\カットするつもりだ。堀井・穂積と明月へ行き、マッチ三個かせいでポケットへ入れたトタン発火して、右手の小指と拇指に火傷した痛い/\。メンソラをうんと塗っておく。


九月五日(日曜)

 二日目のマチネーて奴は、かなり辛い。入りは、八九分と思ってたら補助が大分出た。五時こぼれて昼の終り。ホテルのグリルへ。ポークビーンズでひどく満腹した。徳山が珍しく奢って呉れた。夜の部はえらい大満員。全く此の非常時に何う感謝していゝか分らない。「ガラマサ」は前篇はかなりの正劇、セリフの芝居になって居り、後篇は邪劇なので、一緒にやると前篇がとてもやりにくい。ハネて、友田・穂積と新宿のまるやへ行くと、PCLの村山健二の出征送別会にぶつかり、ジン一本寄附する。


九月六日(月曜)

 塩入亀輔が出征するので、歓送のため早起き、十時にすきや橋際の小公園へ。堀内敬三の挨拶、徳山の発声で軍歌を歌ひ、それから市電一台買切ってねり歩くらしかったが、そこで失敬して橘弘一路のとこへ行き、友田をよび、穂積純太郎と、麻雀。火傷で右手が痛いが、ラストの清一色自摸入の満貫ですっかり気をよくした。座へ出ると、今日は先づ八分といふ入りだ。「丸の内オペラ」は結局菊田のセンチメンタリズム、中学生の程度、段々これはやりにくゝなりさう。ハネて、中野とルパンで落ち合ひ、のむ程に、喋る程に、夜は更ける。中野は夜中の散歩で残る。


九月七日(火曜)

 十時起き、東宝グリル。渡辺篤入社の件を松竹側からデマをとばされるといけないから記者に発表しちまはうと、打ち合はせる。五時、道子とニューグランドで夕食。座へ出ると、今日は八分強の入り。他はひどいらしいのに有がたいわけ。都の日色来り、渡辺のこと発表する。ハネ十一時一寸前にまで漸くこぎつけた。大辻が待ってゐて、話があると言ふ。どうも此奴とつきあふのは嫌だから丁度来た山野も誘ひ、金兵衛で酒なしで食ふ。大辻は、漫談に見切りをつけておしるこやを開業するさうである。情ないこと。山野にPCL入社したいからとたのまれる。昨日送った塩入亀輔は、今日帰されて来た由、ナーンだ。


九月八日(水曜)

 昨夜来、ひどく風が強い、蚊帳が顔へかぶさって眼がさめる。十一時半起き、入浴して、按摩をとる。高橋の姉の犬クーパーの伜一匹貰ひ、今日よりうちで生活す。ボビーと名づけた。エアデール・テリアである。風の強いのを受けつゝ読書。永井荷風の「墨東綺譚」。五時半座へ出る。入りはかなりいゝが満員ではない。「ガラ」よく受け「丸の内」ます/\気のりせず。ハネやっぱり十一時近し。玉村友明出征と定り訪れて来たので、銀座方々歩く。西田・大庭から、柳が血迷っていろ/\放言をしてることをきいてがっかりした。あいつもチブス以来たしかに頭が悪くなってゐる。


九月九日(木曜)

 十時半までねる。都の演芸面トップ四五段抜きで「天高くロッパ肥る」のみだしで、渡辺篤加入のことが出た。とてもよく書いて呉れてゐるので嬉しい。食後、ボビーと芝生に裸で転がる、いゝ運動だ。三時、雨が降る中を雑司ヶ谷へ道子と墓参りに行く。母上が先に行って居られ、雑司ヶ谷祖母上のとこへ。九日の集りで賑か。こゝで久々橋本の親子を食ひ、座へ。八分の入り。「ガラマサ」久々で快演、これだけハコに入ってゝも出来不出来はある。「丸の内」終って十一時十分前。山野・只野が来たので銀座裏の鳴門ってうちへ。安いのがよかった。一時すぎ帰宅。涼しい。


九月十日(金曜)

 十時すぎ起き、雨で涼しい。カティで柳と待合せて、遠山静雄氏夫人の葬儀へ行く。日劇へ、「魔術の秋」といふアトラクションを見て秦豊吉のとこで暫く話す。読売夕刊、都の朝刊に劇評が出た。とるに足らぬ。座へ出ると、今日も八分強といふ入り。雨が舞台へポタ/\と漏るには驚いた。「ガラ」よく受ける。「軍歌日本」を初めて袖から見た、思った程悪くない。ハネ十一時五分前、弱ったものだ。今日玉村友明軍服であらはれた、日本刀さして、緊張してゐた。三時頃帰宅。


九月十一日(土曜)

 今日は又暑い。十一時起き。道子と東劇へ。こゝも六分の入り、大船の「ママの縁談」中々いゝ。渋谷実って監督よし。色々迷った揚句、アラスカへ行く。オルドヴル、コーンチャウダー、ミニツステーキにマカロニ。座へ出ると、九分の入り。防空演習の十五、六、七、八は、マチネーの切符売れてないから休みたいと申し出たのに、休まずといふことに決定、がっかり。「ガラマサ」日支漫談に力が入る、つひそれで時間が長くなる。鳴門へ行く。鯛茶など食って帰る。風のため犬がキャン/\鳴く。


九月十二日(日曜)

 マチネーだ。十時半起き。座は満員。今日序幕をはぢめて見る、評判は悪いが穂積は漸くモノになって来たと思はせるいゝものだ。ひるの終り、藤山がスマートな車を持って迎へに来た、浜のや迄行き、食事して座へ帰る。夜の部、補助椅子出切りの満員。「ガラ」の受け方大したもの、これだけ笑へば安いものだと思ふ。「軍歌日本」の間に、日比谷公会堂へ、浅草寺主催の支那派遣の坊さんの会てので一席やる。引返して「丸の内」やれ/\つかれる。母上見物で一緒の車で帰る。涼しくなった、戸をしめてねる。


九月十三日(月曜)

 十一時迄よくねた。顔を洗ふ前にはだしで犬と遊ぶ。鵜飼の夫人・娘と、榊の日出子来り賑か。道子とその連中とで日比谷映画へ行く。「就職戦術」西洋のガラマサどんといふところ。面白かった。共同ビルの東配へ、森岩雄を訪れ、山野をPCLへ入れることをたのむ。十二月はぜひ「ガラマサ」をとってくれとたのまれる。ニューグランドへ、徳山が待ってゝ、トマトポタアジュ、スパゲティミラネイズ、ブレゼー・ハム。座へ出る、入りは今夜は七分ってとこになってしまった。ハネ後伊東・多和等で銀たこへ寄り、おでんなど食って帰り、吸入してねる。


九月十四日(火曜)

 十一時までよくねる。犬と遊ぶことしばし。これはいゝ癖がついた、なるべく毎日やらう。出がけに伊藤松雄を訪ねる。こゝばかりは軍歌製造と浪花節の注文などでいつもよりいゝ景気の由。さて十一月のプランについてます/\戦争気分でむづかしい。渡辺・三益のたっぷりやれるものを一つ行かなくてはならず、トリは「ロッパ若し戦はゞ」と定める。座の入り七分か。段々いかんな。日支漫談に力が入り長くなる。「丸の内」は馬鹿々々しくて、然し楽でいゝ。ハネて、ルパンへ行くと、田中三郎以下モロ/\に逢ひ、二時すぎ迄、のみ。


九月十五日(水曜)

 防空演習第一日。
 今日から四日間は防空演習で、マチネーだけで夜は休みだ。一時開演である。座へ、母上・道子も見物のため同車。ひどい入りだ、招待をごまんと出してあるからみっともなくないだけの頭数はあるが、アガリは五百円になるまいと思ふ。「ガラマサ」で、客の受け方が成ってないのでがっかりした。「丸の内オペラ」も、いゝ加減ふざけちまった。ハネ六時前。樋口と柳で今朝で牛肉食って、燈火管制でまっくらな中を日比谷公会堂へ行く。東宝の中島にたのまれた、何とかの会。一席やり、まっくら暗をくさりながら、高槻の車で、帰宅。まだ九時なのに、たゞ/″\静けさと暗。「もめん随筆」と「アマカラ世界」を両方交互に読む。
 松竹では結局俳優の給金値下げ策に出た。役者ども大怒りの由。


九月十六日(木曜)

 涼しい、もう寒いって位に。よくねられる。林弘高が来訪、吉本がムーランから引きぬいて新喜劇座てのを作ったが解散になったから、引きとってくれといふ話、こっちも整理したいところだから、那波氏にでも話してくれと言ふ。一時に座へ出る。入りは昨日と同じ位、「丸の内オペラ」は、あんまり皆がふざけたので菊田が貼出しをした、「あまり馬劇にならぬやうに」と。高槻の車で帰る。雑司ヶ谷祖母上、近藤・榊叔母も見えて大賑か。珍しやまだ九時といふに二階で、「新青年」への七枚半を書き、「もめん随筆」を読了。


九月十七日(金曜)

 味気なき燈火管制の第三日である。雑司ヶ谷祖母上お泊りで賑かな昼食。十二時半座へ出る。東宝の少女歌劇もひどいらしい。うちは又招待でうづめてある。「ガラマサ」の時下手で大道具がべちゃくちゃ喋舌るので芝居を中途でやめてにらみつける。中日すぎるとダレて困る。「丸の内」終ると少しでも明るいうちにと急いで帰宅する。祖母上の昔ばなしをきゝながら食事、早く床へ入り、「丸の内夜話」を読む。
 中野実のとこへ足どめが来たさうだ。中野と、ルパンでいつぞやの夜話したっけ、僕らは根本に於てむろん非戦論である、それだのに、此うなって来ると、銃とって立ちたいやうな気分になって来る――こゝが僕らの大衆性なのではあるまいか。ほんとにさう思ふ。


九月十八日(土曜)

 十一時近く起きる、ボビーと少時庭で遊ぶ。十二時半に出て座へ。「ガラ」の漫談に、「文藝春秋」に菊池氏が書いてゐた、戦時も、ビヂネス・アス・ユージュアル説を入れる。ビクターの青砥が「ガラマサ」の非常時演説をレコードにしたいからと打合せる。明るいうちにと高槻の車で出たが、半蔵門まで来ると、非常管制が始まり、一時間も停車させられちまった。中野の榊家へ母上も道子も行ってるので廻る。夕食ごちさうになり、九時頃まっくらの中を車で帰宅、ろふそくつけて入浴。秦豊吉の「丸の内夜話」をあげる。里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の「アマカラ世界」は、たのしめない。
 此の戦争で歌舞伎新派の所謂大芝居は根底からぐらついてしまひ、芝居は何時開くか分らないありさまである。こゝでゞある。戦後は、われ/\の世界となり、安直芝居とレヴィウが盛になるのである。で、今のうちに、仕込みの安いレヴィウ団をこしらへておいたら、きっといゝと思ふのだが、これは建言してみよう。


九月十九日(日曜)

 マチネーあり十時半起き、座へ出ると、大満員。此の日、夜の部も大した入りで補助を出し切った、近処の日劇も、列をなしてゐる。四日間のくらやみで娯楽に飢えた姿である。此んな時、娯楽どころではないといふのも大衆なら、娯楽なしに一日もゐられないのも大衆である。一回終り大阪ずしで食事すませる。山野一郎・原田耕造など目下浪々の人々来る、金を貸してくれと、一日に何度言はれるか、一々貸してゐては一文なしになる。ハネてから、中野実とのむ。足どめ来り近々入営で心境ひどくすさみ、言ふことの一々がいけなくなってゐるのが淋しかった。戦争が人を馬鹿にした。二時帰る。


九月二十日(月曜)

 十一時近く起きる。日劇事務所で秦としばらく話す。レヴィウ時代にそなへて役者を養ふべき話、秦は賛成だが、東宝の今のやり方では――と実行力がない。樋口を誘って理髪しに行く。銀座通りで徳山と逢ひ、三人で歩く、伊東屋へ入るとサイン攻めでくさり、出ると松島屋で眼鏡を作らせて、かけ代へる、不二アイスで、トマトポタアジュ、白魚フライ、ワフルベーコン。座へ出ると今日は八九分の入りだ。「ガラ」の戦談ます/\力が入り長くなる。来訪沢山。子供の頃の友早川勇吉、泥酔して来り、無礼をはたらきつまみ出させる。
 東宝劇団は、十月の九日から有楽座で、高田保の作、ノエル・カワードの「カバルケード」の翻案を、一本立でやる由。青柳が辞任して、坪内士行があとをついだのだが、作者が高田保では愚劇に定ってゐるし、救はれないことだ。


九月二十一日(火曜)

 十一時起き、三時、山水楼で「現代」の座談会、石黒敬七との対談。相手が石黒じゃあ面白くはなるまいと思ってたが果して面白くない。山水楼のまづい支那物食って、六時に座へ入る。入りが、ガタッと落ちて六分強位になったのは驚いた。笑いが半減して、しまりがなくなる。心寒し。ハネるとすぐ下谷へ、川口松太郎と逢ふ。三益のことを、水谷・勘弥にひきくらべて川口曰く「乃公ぁあんまり口を出さない方がいゝんじゃあるまいかと思ふ」と。結局、三益・渡辺・僕と三人のものは自分で書きたいと思ふ。


九月二十二日(水曜)

 十一時起き、二時から東宝グリルで十一月の打合せをやる。文芸部集まり、トリの「ロッパ若し戦はゞ」だけ決定。あとはハッキリ定まらず、も一度集ることゝした。座は、九分の入り。明日祭日のせいであらう。「ガラマサ」えらい受け方で気持がいゝ。いやな脚本だったので全く意外な気がする。六時雨の中を「毎夕」にたのまれて新音楽堂で一席やる。ハネ後、伊馬鵜平・斎藤豊吉・穂積・友田で今朝へ牛肉を食ひに行った。一時前に帰宅。
 外国映画輸入禁止が決定した。いろ/\な、思いがけないことが起って来るものだな。


九月二十三日(木曜)

 十時起き、新喜劇座の原秀子来訪、就職のことたのまれる、いゝ女優なのだが、今うちでは入れる余地なし。十一時、朝日新聞へ愛国献金席の十五日分のアガリ六百九十円を持参。座へ。マチネー。入り八分位。祭日の客だ。よく笑ふ。ヒルの終りに、石田守衛を連れてニューグランド。渡辺の加入でくさってゐるのをはげまし、勉強しろと言ふ。トマトポタアジュ、ラビオリ・ニコアス、松茸ソテーベーコン。座へ帰ると、夜も八分の入り、「ガラマサ」の時道具裏で高声放談、腹が立って芝居してゐられない位、大道具と照明部がベチャクチャやってゐたものゝ由。腹立てゝやってゐるので味も素っ気もない芝居になってしまふ。帰りには金兵衛に寄り一時頃帰宅。


九月二十四日(金曜)

 橘のとこへ麻雀しに行く。十二時から五時半まで、ぶっ通し。友田と穂積が負けて僕と橘とが勝っちまった。有職のちらしてのをとって呉れたがこれはきれいごとで結構だった。座へ出ると、今日は入り悪し。情報委員会提供の週報賞授与者を投票、藤川一彦・石田守衛・能勢妙子・轟美津子が当選した。杉寛が言ひ出して狂言を一体に走る。十分近くつまった。何故もっと早く気がつかなかったかと笑ふ。ハネ後、屋井の馳走で向島へ行く。山野も来て合流した。


九月二十五日(土曜)

 十時半起き、築地小劇場へ新協の「アンナカレニナ」を見に出かける。つまらなくて何のタシにもならないものだった。古典を映画的に、レヴィウ的に脚色したもので、手際の悪さにあいそが尽きる。座へ出ると、土曜だから――といふだけの入りにはなってゐる。月給が出る。払ひは、覚悟も出来てゐるが、貸して呉れの多いので貧乏しちまふ。十月は母上や道子と旅をしたいといふ気だが、いさゝか勝手元が心細い。何か一つ位仕事があるとよかったんだが、きれいな仕事てのが時節柄無かったので、みんな断はった。十一月狂言のことで毎晩は集まるが、結局のむので終っちまふ。


九月二十六日(日曜)

 十時起き犬と遊び、座へ出る。つっかけはいゝのだが、日曜でも満員とは行かない。二円席など五分しか入ってゐない。昼の終り、ホテル・ニューグリル。ヴィル・ブロス、フィレソール、ミニツステーキ。夜も昼と同じやうな入りである。「ガラマサ」の戦談は縮めて国民精神総動員の話だけにする。独乙人ギンター・シュベルトとリマー・ヘニング来訪、銀田辷人、里馬辺人と名をつけてやる。歯が痛み出した、銀座へ出ても、痛くてのめず。夜中に左の頭が割れさうになる位痛み、アダリンのんでねる。


九月二十七日(月曜)

 昨夜アダリンのんでねたので、よくねて十二時。歯はおさまったが、やっぱり歯医者へ行かう。夕方雨の中を堀ビルの寺木ドクトルへ行くと、あひにく留守で代診、サリドン錠てふ薬を教へられたので安心する。座へ出ると、六分位しか入ってない。山野、金借りに来り二十円貸す――返しっこないが。原田耕造泣き言言ひに来る。横尾泥海男・関時男・斉藤紫香等ねがひたき顔で来る。いやはや、どれだけ金があると思ってやがる。ハネ後、今夜は千吉でダンシングチームの会あり、三十円寄附出席。歯幸ひ痛まず、二時半帰宅。


九月二十八日(火曜)

 有楽座千秋楽。
 千秋楽である、心たのしい。十一時起き、寺木歯医者へ行く。今日は先生がゐて、こいつは抜きませう、とあっさり言はれて、憂鬱。二時、東宝グリルで十一月の出しもの決定会、一は穂積に持たせ、二を僕が書く。三が「芝浜の革財布」で、四が「ロッパ若し戦はゞ」――といふとこ迄定めた。座へ出る。序幕の「僕は愉快だ」の吉岡勇の高利貸の役を不意にとって出る。三益が遊びに来て通り抜けに出た。朝鮮の宮様が見物してる由きいたがラクだからかなりふざけて走る。シャン/\めでたくしめて、今朝へ。青年部の会、若者たちと話すのは面白くうか/\とゐ過し、幹部連の集りの方は失敬したかたち。三時頃帰る。三十円寄附。


九月二十九日(水曜)

 十時に按摩が来て揉む、いゝ心持。十二時起き、今日は国際劇場を見に行く。浅草国際劇場、大体東宝劇場の真似して建てゝあるが、もっと豪華だ。入りは五分まで行ってない。「秋のをどり」てのが、まあ一ばんよかった。ターキーの女装は可笑しかった。そこから下二番町へ、母上・道子とも/″\、二十九日でショウ月だから行く。成之さんの十六ミリの映写あり、故人が生々と動く――あんなもの欲しくなる。帰宅十時すぎ。歯の調子いかん、憂鬱である。


九月三十日(木曜)

 按摩に揉まれながら起きる、樋口正美が来て、那波支配人の意見として、渡辺が入ったりして金がかゝるから人間を整理しては如何とのこと、兎に角小林氏にきかうといふことにする、一方に東宝劇団といふ無駄があるのに整理と言っても此の際はさせない。円タクで蒲田の田中三郎宅へ。田村がポカチップ持参で、田中・田村・高橋・井関・新館のメムバー。二時近くまでやる。面白い。浮沈甚しく僕結局負けた。閉め切った部屋で煙草のけむりで一杯だったので頭痛い。幸ひ歯が痛くない。
[#改段]

昭和十二年十月



十月一日(金曜)

 十時半起き、ビショ/\雨で、犬と遊べない。今日一時から出しもの決定なので思ひついて中野実のとこへ寄り、知恵を借りる。中野も一緒に出て、東宝グリルへ。さて文芸部集まってみたものゝ、知恵の出ないことは同じで、今日も決定しない。結局僕が独断で此の二三日に決定したいと思ふ。中野と有楽座で会ひ、橘のとこへ麻雀しに出かける。麻雀てものもサテ倦きないものである。今夜はほんの少し勝ち。中野と銀座へ出る、中野五日入営の由、何うも気が晴れないらしくしきりにのむ。歯を心配しつゝこっちものむ。


十月二日(土曜)

 十時半起き、久々の快晴で犬と戯る。川口より送り来れる「長閑なる結婚」を読む、大してよくはないが、まあいけるもの。これを三に据えて四十分ものにしよう。三時半に出て、道子共々歯医者へ。よく診て貰ったら痛む方の歯は隣の歯で、これは膿漏だから抜かなくてもいゝとのことでホッとした。五時半に明治座へ行くので、それまで銀座の表通りを行く。明治座は新派と水谷。下二母上と貞子さんを招待、母上・道子と五人連れである。一ばん目の「残菊物語」のみよし。夕食は皆と一緒にまづい支那定食。あと一人でライスカレー。


十月三日(日曜)

 今日は道子と二人で蒲田の田中三郎家へ遊びに行く約束。銀座へ寄り土産など買ひ、モナミへ寄り柳と連絡とる。坪内士行と平野とがそこへ来る。要談。それから車で蒲田女塚まで。田中家へ行くと驚いたことには、田村・奥村・高橋等がゐる。此の顔ぶれではポーカーになる。夜の一時近くまで。道子等は麻雀などしてゐる。夜、二時頃帰宅。床に入っても十一月の出しものが決定しないので頭なやむ。


十月四日(月曜)

 小林さんのとこへ那波氏と行く約束。電話かゝって来ないので、こっちからかける。何でも小林さんは、今日吉岡や秦が、又々東宝劇団公演中止の報告に行ってるから日がよくあるまいとのことで、旅行から帰ってからにした。渡辺篤の番頭、千葉が馬鹿なことを言って樋口のとこへ来た、色々いかんから千葉は出入りさせぬやう柳から言はせる。歯医者へ行き、東京駅まで明日のつばめの切符を買ひに行き、円タクの運ちゃんと喧嘩して、くさりつゝ赤坂幸楽へ。岡村章が満洲映画協会の役人になって行くのでその送別会、珍しく此ういふ会へ出た。三円の会費だから支那料理、満腹する程出ない。会後、銀座でのむ。のめど何だか酔はん。


十月五日(火曜)

 旅――下呂へ。
 午前七時起床、此の位早いと起床などゝ書いてみたくなる。今日から母上と旅に出る。九時、つばめで発つ。満洲行の岡村章が同車、見送りが大勢。肩身を狭くちゞこまる。車中、三島霜川の「役者芸風記」に没頭する。昼は、食堂で定食。名古屋で乗りかへて岐阜着。雨だ。驚いたことには当地方は今夜まで燈火管制ださうで、高山線へ乗るとカーテンをしめ切った二等車、二時間ばかりで下呂着、何んなとこだかまっくら暗で分らず、車で湯之島館着、夜も燈火管制で湯へ入ってもらふそく。やれひどいところへ来たもんじゃ、按摩を呼ぶ、これが又ひどく簡単居士、さっさと引揚げる。仕方なし、十一時すぎにねる。


十月六日(水曜)

 旅――下呂。
 九時頃までねた。入浴――山楽荘といふ此の部屋には、湯もあり茶室までついてゐて、中々いゝ、但し部屋代だけで十五円、食事は別といふので明朝は名古屋へ行く予定。「役者芸風記」をアゲて今度は「五代目菊五郎自伝」にうつる。面白い。別のアンマをよび揉ませる、今度のは丁寧でいゝ。昼食をオムレツと鳥の焼いたのですませ、又読書。母上と二人、いやもう静かなこと。然しあと何日もと言はれたらごめんだな。夜食すきやき。又アンマとる。それから又読書しつゝ――一時すぎにねる。


十月七日(木曜)

 旅――名古屋。
 今朝は下呂を引きあげて名古屋へ向ふ。宿の払ひをすると、特別半額とあって十五円の部屋が七円半になってゐる、母上と笑ふ。下呂から鵜沼ってとこまで汽車、鵜沼より名古屋まで電車。観光ホテルへ円タク。四階207といふ二人十二円のバス附、気持いゝ部屋。すぐ母上と出てアラスカへ行く。新しく出来た倶楽部の方で食事、見晴しよし。オルドヴル、ポタアジュ、チキンソティ。五時から御園座の新国劇、入りは大入り。名古屋の師団から出た倉永部隊の「敵前上陸」を出して当てゝゐる。これだけ見て、得月へ寄り夜食して、ホテルへ帰る。
 結局、旅をしてゝもいゝのは家である。第一に蒲団、枕。おみよつけの味。この頃では、犬と遊ぶのもたのしみ。やっぱり、家がいゝ。が、家にゐると旅がしたい。これが人生か。


十月八日(金曜)

 旅――蒲郡。
 ホテルのベッド、スプリングが悪くて、ぎしん/″\と夜なきするので不愉快。食堂で食事。ハムエグス七十銭といふボリ方でくさる。母上は榎並さんへ挨拶に行かれたので地下の理髪屋へ行く。ハンドバイブレター。按摩して呉れて八十銭は安い。一時二十分の名古屋発、ダラ/″\汽車で蒲郡へ向ふ。雨である。蒲郡へ二時四十分着、蒲郡観光ホテルへ。こゝで食事し、同じ経営の常盤館へ泊る。海と竹島を見はらす、離れの二階、こゝなら落ちつけさうだ。宿の夕食。アンマは婆のをよんでみた、いやはやド婆で、オクビを連発し、しまひには居眠りだ、早々引きあげて貰ひ、読書しつゝねる。


十月九日(土曜)

 旅――蒲郡。
 八時に眼がさめる。カラリと快晴で、宿から海を一望、いやはやこれは気持がいゝ。食事、久々生卵と海苔で。それから母上と二人で、竹島の弁天様へ、長い橋を渡り、階段を幾つも上ってお参りした。上のホテルへ行く。二階見晴しのいゝ定食堂で昼食、宿へ帰って入浴。女中が来て、支配人さんがモーターボートのサービスをさせて貰ひたいと言ってるといふので、母上と宿の女中を共に、モーターボートで、約一時間、快い海上であった。夕食がすむと渡り廊下づたひにホテルへ行き、グリルでオードヴルでブラクアンドホワイト二杯のむとねむくなり、十時といふのにもうねる。
 下呂と蒲郡とではむろんそれ/″\違ふが蒲郡がいゝ。両方とも土地よりも宿屋一軒の勢力で統制されたよさであるが、蒲郡の常盤館は相当なものである。それに女中のサービスがおどろくべきよさで、これは日本一かも知れない。下呂は夏のところ、蒲郡は冬、それも正月家族連れに限る。


十月十日(日曜)

 八時に起きる。今日で蒲郡も引きあげ、こゝも安くて女中や風呂番にやっても六十円一寸。此の旅、二百円ばかりですむ。ホテルの方で昼食してハイヤで豊川稲荷を参拝――初めてだ。その立派なのに驚く。名物の焼竹輪など仕入れて、二時四十分の上りへ乗る。えらく満員、寝台の方へ並んで掛けられた。沼津でお好み弁当てのを食べる。滝沢敬一の「フランス通信」を読みつゝ、東京駅着。道子迎へに出てゐた、帰ると、すぐ犬を見る喜んでハリキる。食事、ひじきなどうまし、やっぱりうちが一ばんいゝ。二階でアンマ、これも馴れてゝとてもよろし。


十月十一日(月曜)

 九時起き――早起きのくせがついた。久しぶりで犬と遊ぶ。うちの味噌汁のうまさ。伊藤松雄を訪問、「世界名作全集」のプランを話したら材料は何でもあるからと、大いに力を貸したがってゐた。一時東宝グリルで十一月狂言決定。一、権三と助十 二、のどかなる結婚 三、世界名作全集 四、ロッパ若し戦はゞ、一から出づっぱりの大奮闘である。これを決定すると社長・支配人に逢ふ、十一月は今月三十日初日でやってくれとたのまれ、ダアとなる。東宝グリルで簡単に食事し、橘のとこへ麻雀しに行き、帰り銀座へ出る。
 プロダクションのあだ名で通ってゐた鈴木俊夫が、戦死したさうだ。みんなに迷惑をかける奴だったし、だらしのない、しょうのない男だったが、彼の死は何とも悼ましい。数日前戦地から葉書をよこして、「僕の顔が君に似てゐるのでみんながロッパ/\といふ、こんなところ迄君の人気はスゴイ」といふやうなことを書いてゐた。それだけに、何だか、悲しい。


十月十二日(火曜)

 橘へ、うちのボビーの妹犬をやる約束をしてあった。今日道子同道、犬を自動車に乗せて行く。犬は橘のとこじゃ目がない、「おしっこしそうだ、危い/\」と言ふと「ナアニいゝさ、してもいゝんだ/″\」これが座敷の話。犬は幸せだ。はぢめ・道子・僕に橘夫妻の水入らず麻雀、ところへ田中三郎夫妻や友田があらはれ、男ばかりで、十二時すぎ迄。馬鹿な当りで僕の勝一万二千プ。こんな風だと麻雀してゝも面白い。一時頃帰宅入浴。


十月十三日(水曜)

(数日間日記をしなかったので、湯河原へ来て整理しかけたが、何うも記憶がハッキリしない。十六日記)中野実を訪れた。一旦入営したが、痔のため帰されたので、「何と言っていゝのか分らないが、安心しました」と言ってやる。文芸ビルへ行くと、岩井達夫――うちの青年部――が、出征と定り、頭をグリ/″\にしてあらはれた。歯医者へ寄る、注射されると一二時間痛むので困る。五時半、新橋演舞場へ、母上・道子と。トリは、古い「へちまの花」で前の三つは新作だが、何れもパッとしない。入りも六七分といふところか。ハネてから五郎オン大に逢ひ、中野実も来り、中根竜太郎、蝶太郎、明蝶と曽我廼家気分で飲む。


十月十四日(木曜)

 午前中伊藤松雄のとこへ行く。たのんでおいたので全集物などを出して置いて呉れた。三時に東宝グリルで、岩井達夫の出征歓送会あり、古川緑波一座としては初めての出征、三十銭の会費で、お茶と菓子。軍歌の合唱、岩井が、ちっともあはてないで極めて落ちついてゐるのが皆を感心させた。僕も、こいつは死なゝいって気がした。九時五十分、上野駅で岩井と別れる、東宝のジンタ隊が来て賑か。出征の人々多く駅前ごった返してゐる。夜、うちへ帰ると道子が鼠を部屋へとぢ込めたところ、裸で掃木持って鼠退治。漸くつかまへたが、息が切れて弱った。
 上野駅頭、岩井達夫を送りに行くと、柳が、「大島のところへも参りました」と言ふ。いよいよ激しくなって来た。軍歌を歌ってゐると涙が出さうで困った。


十月十五日(金曜)

 旅――湯河原へ。
 十時起き、家の長屋の後藤の伜が出征で、町内の人々や国防婦人会が集まってゐる、僕も道子と見送る。それから旅のトランクのものなど調べ、東宝グリルへ。今日は岩井につゞいて大島時夫の歓送会である。大島立って、ふるえる声で曰く、「自分は立派に死んで参ります、生きては帰りません。」岩井とは大分赴きが違ふ。道子と待合せ、二時二十五分の浜松行で湯河原へ。駅々で万歳々々の声。こゝんとこ五万も出征するのださうだ。湯河原へ四時三十何分に着。中西旅館の新館はなれへ落ちつく。


十月十六日(土曜)

 旅――湯河原。
 雨の音だ、八時に眼がさめたが、又とろ/\して十時に起きる。入浴する、此の宿は浴槽がよくないので楽しくない。朝食して、先づ按摩をとる、女のを呼んだ、これが乙下だ。同じ宿の離れに来てゐる曽我廼家五一郎から電話、こっちから敬意を表しにまかり出た。神経痛の療養に来て、今帰京するところだった。老骨を一つ拾って下さいと言はれる。そのうち夜食だ。此処の食事は、中の上だ。雨の音をきゝつゝ又按摩、別のを呼んだが、これは乙上。十二時頃床に入り、腹んばって仕事にかゝる。


十月十七日(日曜)

 旅――熱海 伊豆山。
 雨がはれて太陽の光。起きたのは十時、今日は熱海へ寄って伊豆山へ行かうといふ考へ。道子と二人、熱海の西山、俵山荘へ不意に行ったので雑司ヶ谷祖母上・近藤・榊叔母等びっくり「おやまあ」。床をとって貰って榎本(熱海でなじみのアンマ)を呼ぶ、久しぶりの快力、いさゝか調子にのって痛い。一休庵へ、普茶料理を食ひに行く。野菜ばかりだが変ってゝうまい。一円半は安い。そこから二人だけ伊豆山へ。相模屋へ着く。すぐ入浴、湯滝にかゝる、少し弱くなったやうだが、あとの気持はいゝ。夕食後、何べんも滝にかゝり、床へ入ると「権三と助十」の本をいぢり直し、完成。


十月十八日(月曜)

 旅――伊豆山。
 波の音をきゝながらいゝ気持でねる、十時起き、伊豆山の朝。さて「世界名作全集」を書きにかゝる。机の前に座ったり、ねそべったり例によって色々な恰好になって書く。結局夕食までに二十枚以上。東京へ電話して上山をよこすやうに言っといたので、心待ちしつゝ夕食。珍しくロースすきやきがあって、それを食ふ、が、此ういふとこでは成程、女中のすゝめた鯛ちりと行くべきか、あんまりうまくなかった。上山七時すぎ着、三十枚ばかりの「世界名作全集」を兎も角まとめた。明朝上山が「権三」と「世界」二冊持って帰るわけ。さてねるにも惜しい波の音。
 いつも脚本を書き終って思ふのは、書けば書けるのだから、もっと心がけて沢山書きたいものだといふことだ。これからは毎日少し宛書いて行ったら、と思ふ。尤もこれはいつものことなのだが。


十月十九日(火曜)

 十時すぎ起き、上山は脚本持ってもう帰った。ローマ風呂てのへ入る。一向ローマではない。今日はやっぱりどんよりと曇り。夕方、四時すぎ、車で熱海へ二人で出る。買ものしてると、学生がサインを求めて来る、二三人と思ってしてやると、ゾロ/″\女学生みたいなのが出て来る、のんびりして町を歩けないのは情ない。車で熱海ホテルへ行き、グリルで夕食、ポタアジュ、平目フライ、ビフテキと、まづ――あたりまへの味。宿へ帰ると、又入浴、湯滝。床へ入って井伏鱒二の「集金旅行」読み、二時近くねる。


十月二十日(水曜)

 意地悪く今日は快晴、道子ふくれる。八時起きして、十時五分の汽車で帰京。車中「話」の増刊「これが戦争だ」を読む、実際戦争のことは国をあげての心配だ。十二時何分東京駅着。まっすぐ東宝文芸ビルへ。先づ配役をする、女軍のハケ場に困り、「権三と助十」の彦三郎を田村淑子に行かせるなんてふ珍景が出る。それから新加入渡辺篤を紹介する、斉藤紫香が紛れ込んで来ちまった感じで、今月だけたのむといふ型式にしとく。本読みは「世界名作」と「権三と助十」のみ。「名作」大丈夫受けるものになる自信はついたが、演出のむづかしさを感じる。夜、銀座ルパンへ出ると、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)に逢ひ、つかまへて文学論をやり、したゝかベロとなった。


十月二十一日(木曜)

 十時半起き、久々ボビーと遊ぶ。十二時に家を出る。文ビルへ、樋口来り、九月の如きは、あれでトン/\といふわけだ、人件費がかゝり過ぎると言ふので、色々書類見せて貰ふと腑に落ちない件が多いので再調査をたのんでおく。十二月は何うやら旅に出されるらしい。「のどかなる結婚」「ロッパ若し戦はゞ」を読む。両方とも心配したよりいゝ。「ロッパ」の方は、僕の役が東北弁で一貫してるのがいやだが笑ひは多からう。夜、林寛があやまって来り、復帰を許したので、顔つなぎをさせる。神楽坂へ行ったが、のんでるとねむくなり、一時頃失敬して帰る。


十月二十二日(金曜)

 母上今日熱海へ立たれた、文ビルへ出かける。今日は順にけい古する。「権三」が少々古くさいが、他三つとも笑ひは充分あると思ふ。夜は、内閣情報局の招待で、座員十名ばかり築地金楽てふうちへ行く。情報局のエラ方、陸海軍の軍人さんやら、色々。すぐ酔っちまって、海軍さんが安来節をやる、陸軍さんは三味線でカルメンを弾くといふ有様、此ういふ人たちとのむのでは、如何にいゝとこでゞもちっとも面白くはない。一時頃帰宅。


十月二十三日(土曜)

 十時半に起きると雨である。文ビルへ。「のどか」から立つ。新派でやったのは見てゐないが、なるべくその裏へ/\と工夫する。穂積も一生けん命演出してゐる。菊田、耳を患って困ってる、氷で冷し乍ら演出「ロッパ若し」と「権三と助十」。終ると東宝グリルでライスカレーを食べて、五時半からの曽我廼家五郎へ行く。びっしりと大入である。狂言四つ、実がありすぎて肩が凝る、音楽のない悲しさ、全く致命的である。五郎の部屋へ行く。五郎はまだ体に自信ないらしい。帰りに柳とのみながら劇団の統制を話しする。


十月二十四日(日曜)

 日曜である。だがこっちは稽古の休みはない。十二時に家を出る、九段を通ると招魂社のお祭りで賑かだ。秋晴。文ビルへ。「権三」を立つ、渡辺ハリキって色々注文を出すので石田が参ってゐる。「のどかなる」は、大丈夫受けさうである。「ロッパ」も、笑ひは充分だらう。「世界名作」は今日休んで、白川と大西を連れて招魂社へお参りし、見せもの小屋の前を一と通り歩く。大西を連れて帰り、古雑誌の整理、古い「新演芸」などなつかしむ。


十月二十五日(月曜)

 十時半起き、十二時、文ビルへ。ハイヤに乗るのは不経済とあって、通りへ出て拾ふ、「あロッパだ/″\」と円タク待ってるのを多ぜいに見られる。文ビルのけい古、順にやる。月給出る、今月は税、そこへ北支事変特別税てのが入り合計三百四拾何円である。その上貸してやらねばならぬのが沢山あり、やれ/\。夕食はふたばのそぼろ丼。夜は用談。又々十一月は燈火管制あり、そのうち何日間かはぜひ休まして貰ひたい事、旅興行に愛国切符をやってほしいこと、東宝劇場進出の希望等々――あんまり頭を使ったせいか、ひどくつかれ、ねられなくなり、アダリンのむ。


十月二十六日(火曜)

 今日は、けい古を三時からとしたので、ゆっくりねる。けい古場から東宝劇場の「ハワイ・ニューヨーク」を見て、銀座へ出た。
 それ以下忘れてしまった。(二十九日朝記)
 こゝで空白が出来たから、十一月狂言の予想を書く。前売切符の景気はいゝらしく、非常時と思へないと言ふことである。トップから髷物でハリキらうといふのが、やっぱりよかったと思ふ。一の「権三と助十」は、ワッと受けはすまい、渡辺の芸も水に合ふまいから何うかと思ふ。二の「のどか」は大丈夫受ける。三も目先が変ってゝいゝ、四――こいつが何うかしら、受けつける気もするが、てんで嫌がられさうな恐れもある。


十月二十七日(水曜)

 十一時半東電小林氏のとこへ。此の際積極的に行くべきか消極策かといふ質問をする、小林氏曰く、僕も積極案だ、他が積極的に出られない時に大いにやるべきだと思ふ。お前は他のこと考へないで緑波一座の充実ばかり考へればいゝじゃないかといふ有がたき言葉。けい古場へ出る。六時すぎ、ホテル・ニューグリルで久々岡と会食。景気がよくなれば必ずよくするからまあ居据って契約を続けてくれとの話、オルドヴル、オニグラ、フィレソール、アスパラガス。それから八田の招きで大森福利庵へ行く。先に柳以下大ぜい行ってゝ、いろ/\快談。


十月二十八日(木曜)

 今日は総浚ひで十二時に家を出る。文ビルへ。楽士の都合で一時から「権三」を通す、三時からが「ロッパ若し」で、六時からが「世界名作」だ。八時すぎに僕の受持ち終ったのであとは堀井に任せて、浜町浜のやへ、那波支配人、樋口と会食の約束で行く。樋口曰く「那波も重役になったらいさゝかおさまっとる」と、成程その傾向がある。浜のやの支那料理、支那コックが帰らずにゐてやってるのでうまい。そこから、八田連のゐる向島へ寄り、十二時すぎ引きあげる。


十月二十九日(金曜)

 有楽座舞台稽古。
 少し風邪気味なのでルゴールぬりアスピリンをのみアダリンをのんでねた、今日は舞台けい古で徹夜になるからと、色々用心する。有楽座へ。気分悪く水洟が出通しである。十二時からの「権三と助十」が済み、一休みあって「のどかなる結婚」これが一ばん、立ってみると自信がついた。丁度来た藤山とホテルへ。オニグラとコトレ・ボライユ、コーヒー、ペストリ。八時から十二時まで「世界名作」いゝのか悪いのか見当つかなくなる。熱が七度四分位、汗ダク。一時半から「ロッパ若し」になったが、午前五時半、具合わるいので先へ帰り、六時半吸入してねた。


十月三十日(土曜)

 有楽座初日。
 気分よくなく、咳すると胸にひゞく。やれ困った初日である。座へ出ると満員とは行かぬらしいが、よく入ってゐる。五時半に「権三と助十」があいた。ナベしきりにハリキってゐる、石田が馬力をかけるがとても及ばない。お白洲の大岡、鼻がつまってたが先づ無事。「のどかなる結婚」は予期の通り、快い受け方、川口の作だが中野の味で、よく笑はせる。「世界名作」もダレず、皆それ/″\受けてゐたやうである。トリの「ロッパ若し戦はゞ」もまるでよく笑ふので驚いた。ハネ十一時半。ダメ出し、カットをして帰る。熱七度四分位。


十月三十一日(日曜)

 今日はマチネー。風邪のところへ四本出づっぱりと助平ってるので、いやはや辛い。風呂へ入れず、ひげ剃って出る。昼、一円・五十銭は売り切れだが、二円が半分位。でも此の際上乗のマチネーであらう。うんとカットしたので、とん/\行く。マチネー四時四十分に終る。ビフテキとって食ってもにほひを感ぜず、情ない。夜の部すぐ始まる、「権三」は初日の方が一体に出来がよかった。「のどか」は、もう大丈夫受ける。川口が来て、もっと笑はして呉れとの注文、折角こっちがリアルで行ってるのに困ったものだ。「名作」父帰る等大受け。「ロッパ若し」もよく笑ふ。カットのおかげで、十時五分ハネ。少々打合せしてまっすぐ帰宅、さあタップリねられると思ふと嬉しかった。
[#改段]

昭和十二年十一月



十一月一日(月曜)

 十一時頃迄ねた。今日はいくらか気分がいゝ。吸入をたっぷり一回、又床へ入り、四時までねちまひ、出かける。今日も五十銭・一円は売切れ、二円に空席あり、だがいゝ入りである。「権三」うまく行かなかった、「のどか」が又、今日はいけなかった。川口の注文で下司にやったが又元へ戻すことにした。あひにく今日が各社の招待日だったさうでくさる。「名作」普通。「ロッパ若し」はよく笑ふ。呆れるばかり。ハネ十時四十分近し。今日はカットの大半を復活したので。上森健一郎来り、穂積と三人で金兵衛で鳥なべ。
「のどかなる結婚」の三益はハリキると思ひの外、ダレてゐる。これは川口の脚本といふことが、舞台に生活が入ったゝめだ。


十一月二日(火曜)

 二時までねた。気分いゝから入浴、さっぱりした。ボビーと庭で遊ぶ、久しぶりなのでボビー、ハリキる。四時に家を出て、ニューグランドへ。藤山と会ひ、食事、にほひがしなくてうまくない、トマトクリームスープ、ピカタ、ピラフにアスパラガス。座へ行くと完全な売切、補助椅子ジャン/″\出る。「のどか」は今日はよく行った。「名作」はふざけの薬が強かったかな。「ロッパ」のよく笑ふこと驚くべし。菊田近来の当りである。ハネ、今日は十時二十分位。一体に走って、カットはあまりせぬことゝした。フロリダキチンで、タンシチューとチキンブロス。帰宅して吸入する。


十一月三日(水曜)

 マチネーである。明治節。大入満員である。風邪は抜けたらしく、熱はなくなったが鼻声なのと時々咳が出るので困る。「名作」又大分カットする。「ロッパ」絶対受けである、よく此うも笑ふものと思ふばかり。昼が終ったのが四時半、部屋で山水楼の五目めし一杯味気なく食った。夜も大満員、渡辺がカス/\声を出してゐる。調子やりが大ぜい出るやうなら芝居は当ってると言っていゝ。渡辺はま子が楽屋へ来る、大分軟くなった。そろ/\出たいらしい気はひである。上森が来り、ルパンへ行く。大分酔った。


十一月四日(木曜)

 ゆっくりねて入浴、庭へ下りてボビーと遊ぶ。ビクターの奥村来り、契約書に調印する。もとのまんま。どうせレコードてもの当分商売にはならない。母上の熱海からのお帰りを迎へに東京駅へ。四時三十五分の到着が、いつ迄まってゝも着かないので、きけば、他のホームへとっくに着いて、車でお帰りになったあと。なーんのこったい。珍しいことしたのでバチか。座へ出る、二円に少しの空席あれど満員に近い。今月の企画大当り。木村千疋男と中野実来訪、「ロッパ若し」激賞。中野・木村とニュートーキョー、グランド銀座を歩く。


十一月五日(金曜)

 十一時起き、三信ビルの地下理髪でサッパリする。日日横のA1へ、「映画とレヴュー」誌の渡辺・三益と僕の座談会。四時に、山水楼へ、ダイヤモンド社の「経済マガジン」誌の僕の独談会だ。家庭と仕事といふこと、喋り出すと中々自分でもいゝことを言ふ。五時にきりあげて座へ。「権三」で石田がセリフを落すので怒る。「ロッパ」は相変らずの大笑ひである。菊田も元気がいゝ。ハネ後、奥村・菊田と共に、浅草みや古へ行き、レコードの打合せに夜を更かす。


十一月六日(土曜)

 十時半起き、雨で犬とは遊べない。母上・道子今日有楽座見物なので日比谷へ出て、デンツーで食事。ポタアジュとスパゲティのチーズ蒸、犢の蒸煮。座へ出ると補助がどん/″\売れてゐる。「のどか」を作者川口が見て、あんまりのんびりとやるのでよく客が怒らないと思ふと言ふ。六代目だよ、こっちはと言ってやる。三宅周太郎が日日に、えらく賞めて呉れた。「のどか」も好評、「名作」は意外にも、今回の作中で一ばんいゝと来た。「若し戦はゞ」も演技、「ガラマサ以上」と来たんで面喰った。ハネて母上・道子同道帰宅、夜食。
 日独伊の協定調印成れりと、大いに明るい気持になった。


十一月七日(日曜)

 十時半起き、今日はマチネーだ、座へ出ると全部売切れ。「のどか」は、川口が言った「あんまりのびすぎ」ないやうにテンポを速める。「ロッパ若し」の受け方非常である。昼の終り来訪の正岡容と馬楽と喋り、ふた葉のそぼろ丼をかき込むと、もう五分前が鳴る。夜の部も補助椅子出切りである。幕間々々に、十二月の旅の配役をする。出しものは「権三と助十」「のどかなる結婚」「世界名作」「続ガラマサ」と定めた。ハネ後大庭・石田と食事、両人の不勉強を叱る。


十一月八日(月曜)

 雨の音、十一時起き。十二時半頃、木村千疋男来訪、二階へ案内し、紅茶などのみ、三時頃ムーランルージュを覗かうとて行ってみると椅子席満員となってゐる。八の日のせいもあらうが此の分なら、うちも満員と定ったわいと思ひ、座へ出る。案の定大入満員である。「のどか」は又、たっぷり気分出したと見えて四十九分かゝった由。「ロッパ」は、ます/\笑ふ。今夜の客は景気よく、「大統領!」なんて声がかゝる。ハネて屋井とルパンで逢ふ。


十一月九日(火曜)

 十二時だと言って起される。雨、よく降る雨だ。食事をすませると床しいて、「映画ファン」誌へ「友達の話」七枚書く。軽く夕食して家を出る。座は、みっちり来てゐる。「権三と助十」の渡辺の熱演は、見てゝも可笑しい。「のどか」は、いゝ気持にやる。「名作」の寸劇皆受ける。「戦はゞ」絶対の受け。うちの大島時夫、今朝出発、○○へ向った。ハネてまっすぐ家へ帰り、夜食、パン。どうも労れてゐるらしい。


十一月十日(水曜)

 ゆっくりねた十一時近くまで。東宝ビル、パラマントの田村と逢ひ田中三郎の話をする。三郎乱酒も原因は仕事の不振にあるさうだ。心配なり。日劇へ寄り、井口の北支戦線報告てのをきく、及第点である。JOの大河内の「血路」なるもの大愚劇、見てゐられぬ。座へ出ると、今日も大体満員である。能勢妙子、全快して元気な顔を出す。一月より大いにハリキれと言ふ。ハネ後、川口松太郎、上森健一郎来り、ルパンへ渡辺・三益も一緒で大飲み。


十一月十一日(木曜)

 今日はニュースが見たくなって新宿の朝日ニュース劇場へ、漫画はポパイが面白い。ニュースの兵隊の努力を見てゐると涙が出る。早めに座へ。今日もいゝ入りである。「権三と助十」の大庭に毎日ダメを出すが一向ピンと来ないのでカス。スコットのポタージュとトーストのみとる。「のどか」声よくなり、やりよくなった。此ういふ写実の芝居は声がよくないとまるで違っちまふ。ハネて、浅草みや古へ。菊田と相談、正月は「ロッパ若し戦はゞ」の好評を受けて「ロッパ海軍の巻」或は「ロッパ海行かば」と行かうかと考へる。一時すぎまでゐて帰る。
 近衛内閣は近々総辞職し、海軍内閣成立、大本営を作りいよ/\宣戦布告とのこと。敵は英国に在り、若しかすると日英の戦ひになるらしいとのこと。これは一番参った。国民発憤の秋!


十一月十二日(金曜)

 十一時頃起き、道子と二人、新宿へ出る。新興の大東京へ入り、牛原虚彦監督の「旗本侍法」と如月敏作の「母よ安らかに」を見る、その間に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)まったニュースが一ばん面白い。如月敏も牛原も少しも進歩してゐない。座へ出る、今夜もいゝ入り、幕間に菊池寛氏が文藝春秋社連を連れて訪れて呉れた。「ロッパ」菊池氏が見てるってんでハリキる。ます/\受ける。ハネて、烏森の登喜本といふうちで、屋井が渡辺の入ったのを祝ふ宴をやって呉れ、大ぜいで行く。大分酔って帰宅。


十一月十三日(土曜)

 十時すぎ起きるとカルピス数杯をのむ。それから又床をとらせ、昼寝する。よくねて四時半起き、座へ出る。土曜だからもうすっかり売切れてゐる。「のどか」は、役者いゝ気持にやりの客もいゝ気持ってのが本当らしく理屈を言ふ奴には評判が悪い。「名作」も三宅周太郎以外には賞め手がない、今日の「都」などMがコキ下してるが中々いゝ評だ。大辻司郎来訪、しるこや繁盛の由、相変らずのことばかり言ってゐる。藤山一郎来り、A1へ行く。ポタアジュうまくなし、鶏のコーン詰揚げうまし、栗のパンケーキ。A1がごちさうして呉れたのには面喰った。


十一月十四日(日曜)

 マチネーである。満員だと、不服言はずに芝居する気になる。昼は客種悪く、「ねぎと油揚のポタアジュ」の名文句も笑はない。昼終るとスコットから取ったのがメンチエグスにポタアジュ。エヤシップの味が、まづくなりしに気づく、ヴァジニア・リーフが入らなくなったゝめらしい。夜も、むろん大満員。夜も昼も「ロッパ戦はゞ」のみは断然受ける。菊田のクリーン・ヒット。ハネてからみや古へのす。こゝの安い食ひ物は東京の救ひの一つであらう。ウイ大分のむ。


十一月十五日(月曜)

 十二時すぎから伊藤松雄を訪れる、貪るやうに喋って、結局要件よりおしゃべりに終る。三時頃辞し、東宝ビルへ。社長に、「ロッパ戦はゞ」は傑作故、菊田に賞を出して呉れと話す。正月のプランも結局「海軍のロッパ」と「大久保」に決定。日劇の「大阪レヴィウ」を見る、いかんものである。秦豊吉ハリキり、三月東宝進出のプランを相談される、ロッパと日劇ダンシングチームの合同、これは面白い。金ずしで食って座へ出る。今日もいゝ入りである。「のどかなる結婚」が今日あたりからやり辛くなった。ハネ後銀座へ出る。


十一月十六日(火曜)

 十一時頃起きる。久しぶりのビクター、鈴木静一曲、菊田詞の「日本人だぞ」のけい古。浪花ぶし調で面白い。ニューグランドへ行くと、浜田捷彦がゐたので一緒に食事、トマトクリームスープにラヴィオリ・ニコアス。ラヴィオリがうまかった。今日から防空演習だが、今明日は外燈を消すのみなので、あんまり影響なく、入りもよろしい。「のどかなる結婚」いや気がさして来た。作が悪いのだと思ふ。「ロッパ」の方がたのしみ。上森と藤山一郎とで銀たこへ、おでん茶めし。帰宅一時。


十一月十七日(水曜)

 十時半に起きる。道子と「風の中の子供」を見る、新宿松竹館。原作の方がはるかによく、頗る期待外れであった。それからムーランルージュをのぞく。「母の放送」とヴァラエティ。「母の放送」は、いゝ小品だった。出たら、望月美恵子が追っかけて来り、中村屋へ行く。こゝで夕食する、ボルシチとパステーチェン。座へ。防空演習が利いて二階がガラである。今日は又アダ系多く、金もらひ大いに来り、くさる。此の二三日ひどく貧乏なり。みんな断はる。ハネるとすぐ高槻の車で、燈火管制の中を帰る。


十一月十八日(木曜)

 十一時迄ねた。ビクターへ二時すぎに出る。「日本人だぞ」のけい古、明日吹込みである。菊田来り、「海軍のロッパ」主題歌を吹込む相談をする。菊田と不二アイスへ寄り、白魚フライにワフル。座へ――燈火管制が始まってゝ四辺は暗い、まっくらな劇場の入口なんて全くヘンなものである。八の日のせいもあるか、燈火管制としては大成功の入り。ザッと一杯になってゐる。先日の東宝劇場進出の話が今日の読売に出た。母上見物で一緒に高槻の車で帰宅。


十一月十九日(金曜)

 十一時半までねる、ボビーと一遊び。段々大きくなる。二時、ビクター。鈴木静一曲の「日本人だぞ」の吹込み、伴奏大いに凝って、ヂンタの音など賑か、こっちも調子づいて浪花節をやるやう。売れゝばいゝが売れなきゃゼロ。菊田来り「海軍のロッパ」の歌が出来たので浅井の方へ廻させる。東宝グリルで定食一円也、ビンだと此ういふものも食ふ。座へ出て、今日はムザンの入りと思ってゐたのにえらくいゝので驚いた。独乙人ヘニングとシュベルトが来た、日独防共協定おめでたうと握手する。ハネてすぐ帰る。
 昨夜「大久保」の講談と菊田の王国時代の本を併せ読んだが、面白くない。「大久保」はやめようかと思ふ。ところへ又、吉岡社長より「海軍」より「ロッパ自叙伝」にして呉れとの注文あり、色々考へる。


十一月二十日(土曜)

 十一時半までねる。白川道太郎が十二時半に来る約束だのに一時すぎ漸く来たのでノッケに怒る。一緒に出て東宝劇場へ。途中、戦傷の鈴木俊夫が戸山原の衛戍病院にゐるとのことで寄ったが分らないらしく暇どるので又のことゝした。東宝劇場少女歌劇「歌へモンパルナス」の後半、入り六分位で活気がない。ホテルのニューグリルへ。ポタアジュのまづさ、ソーセージ、サワクラウトにキャビネットプディング。座へ出る。入りは防空演習の影響更になく、補助出切りの大満員である。「のどか」が好きでなくなった。川口が誘ひに来たが断はり、道子見物なので高槻の車で一緒に帰る。燈火管制第四夜、月明。
 西洋料理屋で、スープをあんまりうまくのませると、あとの料理がまづくなるとて、わざとまづくするんだといふ話をきいた。さて、こっちの仕事として考へると、今度の序幕の出し方など当を得てゐるとも言へはしまいか。


十一月二十一日(日曜)

 マチネーだ。座へ出ると補助も出切ってゐる。京都の柳からたよりで前売八十パーセントとの報告、何と恵まれたるかな。会社が、である。一回終ってプランタンのサンドウィッチと豆のグラタンをとって食べる。夜の部も立錐の余地なき大満員、亦よく笑ふ。「ロッパ」の如き、あんまり笑はれるので客が可愛くなっちまふ。もっと笑はしてやりたくなる。ハネてつく/″\労れた、何しろ八度舞台へ出るんだから。今日もまだ燈火管制だからまっすぐ帰る。十二時半頃ねちまふ。
 防空演習もこたへたのは初めの二日間、今日の如きはまっくらな中を、有楽座のみならず、日劇あたりも行列だった由、東京市民の娯楽を求める心の切なること斯くの如し。


十一月二十二日(月曜)

 ビクターで吹込み。「慰問袋」菊田の作で、ドラマに歌の入った軍事物。勝太郎と徳山・能勢と僕。十二時といふのに集りが悪いのがしゃくにさはった。吹込みとなるとひどく手間がとれて、結局四時すぎになり、食事もビクターの地下でハヤシライスですませる。座は今日もいゝ入り、「名作」の終った時、しゃべり乍ら踊ってる子が多いので、大いに怒る。ハネると、まっくらな中を、高槻の車で帰る。家でウィスキーをのみ、いゝ心地になって、床に入る。


十一月二十三日(火曜)

 祭日のマチネーである。開演前に売切れて、補助がじゃん/″\出てゐる。嘉納親分が、がっちりとしたスゴイ子分を連れて乗り込み、腰を据えてゐるので少しも休まらない。部屋へ祝儀を出して、帰ったのでホッとする。夕食は、ふたばのソボロ丼のみ、はかなし。正月は、「海軍のロッパ」をトリにして、他三本、「大久保」を穂積に書かせ、僕はヴァラエティに廻るってことにした。夜の部、むろん大満員なり。「ロッパ戦はゞ」の受け方、物凄い。嘉納曰く渡辺を指して「邪魔な役者だ」と、何だか面白い。ハネ後、銀座へ泳ぐ。


十一月二十四日(水曜)

 二時からビクターへ行く約束なので一時半に出る。細田の曲が出来て「江戸っ子部隊」のけい古。あんまり面白くない、銀座へ出る。三昧堂で木村錦花の「灰皿の煙」を見出す。島津保次郎にひょっくり逢ひ、千疋屋へ上って話する、相変らずのハリキリである、座へ出る。今日もいゝ入り、小林氏が一寸来た、「御苦労、おめでたう」と言って帰った。佐藤邦夫から「東京美人双六」の本が来た。僕の責任はこれの改訂と演出である。ハネて、浅草みや古へ。東五郎と会ひ、「笑の王国」へ山野を戻すやうにたのむ。


十一月二十五日(木曜)

 一時に日劇事務所へ行く。秦豊吉と、三月東宝進出についての相談。「ロッパ自叙伝」と「水戸黄門」を仮りに定め、その間に日劇ダンシングチームと合同のヴァラエティを一本といふこと。座へ出て、プランタンのサンドウィッチを食ったのみ。月給出る。今月の貧乏は近頃珍しい位だった。何しろ臨時の稼ぎものが例年と違って一つもないんだから不景気は深刻である。独乙人リマー・ヘニングとグィンタ・シュベルト来る。川口松太郎来り、ルパンで日独伊防協の祝杯から、川口と劇談数刻。花柳章太郎が僕を買ってる話をきゝ嬉しい。二時帰宅。
 これは巷のゴシップだが。古川緑波、エノケンを評して曰く、「ありゃあいゝ役者だ、うちへ来て役者をすりゃあいゝに」と。エノケン又古川を評して曰く、「ロッパはうちへ来て作者になればいゝに」と。ゴシップとしては中々いゝではないか。


十一月二十六日(金曜)

 ビクターのけい古へ行く。細田の「江戸っ子部隊」と、浅井の「可愛い水兵さん」を鈴木にやって貰った。レコードの企画について奥村と話す。芝居と映画レコードの企画を縦横にやってのけたいものである。座へ出る。今日もいゝ入り。佐藤邦夫来り「東京美人双六」の打合せをする。三時半から座の五階楽屋で「ガラマサどん続」の立ちけい古する、旅のために。結局「戦はゞ」が、一ばん笑ふ、こっちもこれが楽しみになって来ちまった。浅草のみや古へ上山雅輔と佐藤邦夫・伊東孝とで行き、鳥なべつゝきながら話す、上山には歌詞をやってみるやうにすゝめる。二時頃帰宅。


十一月二十七日(土曜)

 十一時からビクターの吹込みである。上山雅輔作詞・細田曲の「江戸っ子部隊」声も出て、調子よく行くのに、楽器が間違へるので、やりなほし/\、そのうち労れが出て、休憩。今度はこっちが出そこなったり舌をかんだりしてNGを出し、やっとこさ終った。続いて、菊田作詞・浅井挙曄曲の正月の「海軍ロッパ」の主題歌「可愛い水兵さん」この方は、とん/\行って、一時間かゝらずOK。座へ出る。土曜だからとてもいゝ入り。「ロッパ戦はゞ」の受けることます/\激しい。今年のヒットである。京極鋭五と読売の吉本明光と来り、新宿のまるやへ行き、カツレツとトーストなど、一時帰宅。


十一月二十八日(日曜)

 今日で千秋楽、此の興行は一ヶ月、三十七回もやったことになる。昼は、空席あり、と思ってたら、三つ目の頃は補助が出てゐる。「ロッパ戦はゞ」だけ見る人も多いらしい。昼終っても外へ出る暇なし、簡単に食事して、間もなく夜の部。千秋楽は反って盛り上る。「ロッパ」の一景は、言ひたいことを言って、渡辺以下をくさらせる。ます/\受ける。ハネて、シャン/\としめ、技芸賞を与へる。今回は、塙五郎、白川道太郎、大崎健児の三人。小林さんが見えて、川口・三益に渡辺、僕で、築地の大和ってうちへ行く。つひに三時なり。


十一月二十九日(月曜)

 十一時頃橘から電話で眼がさめる。橘が夫婦で来ると言ふ。ボビーと一遊びして、二階で日記。橘夫妻、萬珠堂の瀬戸ものおみやげ。一時間余で帰宅。夕刻道子と二人で出かける。今夜はビクター岡庄五が、徳山夫妻と僕夫妻を招いて呉れたのである。新築の岡家てものは、日本と西洋の間を行く、中々こったものだが、精神はあくまで西洋で、とてもわれらには棲めない。食事は手製で中々よかった。辻順治、服部もゐて賑か――雑談数刻、十二時すぎ帰る。


十一月三十日(火曜)

 十時に起き、ボビーと庭で一しきり。汽車は一時のかもめ、駅へ行くと樋口が来てゝ、又金を借りたいと言ふ、此の男ダメ。そこへ山野来りコボされ、さて旅は一人かと思ってゐたら、川口夫妻(?)あらはれ、高尾光子来り、何と嘉納の親分が一等コムパートメントにおさまるといふ盛況。八時四十何分京都着、一先づ松吉旅館へ落ちつく。宿は大丈夫いゝらしい。入浴し、近くの三島へ、ダッシーの招待、座員三十何名、いつも実によくして呉れる、二次会は八坂の方へ行き、そこで又のむ。三島の牛肉はタレがいかん。松吉旅館第一夜、安眠。
[#改段]

昭和十二年十二月



十二月一日(水曜)

 京宝初日。
 京都松吉旅館の朝、隣の控への間で湯のたぎる音、松風がきこへるなどは京都らしくてよかった。十一時すぎに起きる。朝めしが注文通りで、うまかった。獅子文六の「達磨屋七番地」を読み出す、すら/\と読めて、しばらくの間に一冊読んでしまった。石田守衛に逢ったので、アラスカへ連れて行く。オルドヴルとポタアジュ、サワラのグラタンにモカ・プディング。座へ出る。京宝、顔見世にぶつかり向ふも初日なので気づかったが、満員である。「権三と助十」は大岡を林寛に代らせたので助かり、「のどか」は、東京と同じに受ける。「ガラマサ」調子やりかゝりの声が気になったが、よく受ける。小林正来訪、鳥の山やきを食ひに鳴瀬へ連れてって呉れた。


十二月二日(木曜)

 十時すぎ起きる、宿の朝めしに昨夜鳴瀬で貰った納豆。今日から五日までマチネーあり。昼の入り、八九分。大体東京通り受けるが、客に活気のないことを感じる。一回終ると、柳と共に附立病院へ林長二郎の見舞に行く。思ったより傷も小さいし、元気だ。東洋亭でハヤシライスをかき込むと座へ引返す。夜はワッと入るかと思ふと、やっぱり昼と同じ位の入り。終る頃、千恵プロの箕浦と藤田が来たので、林寛を連れて、例の小浜へ行き麻雀。但し千恵蔵は麻雀を断ったからと、ハナをひいてる。ハムライス・幕の内・支那そばを食ひ、五千プ程勝つ。三時半すぎ宿へ。


十二月三日(金曜)

 十一時頃起きる。食事には又納豆。絹ごしの湯豆腐。昼の部八分の入り、南座の顔見世も大入りは初日だけだったらしい。昼の部終ると、鳴瀬へ行って鳥の足と山家あげを食ひ、床屋をきいといて五十嵐てのへ飛び込むと、「大衆向と高級とございますが何ちらに致しましょ」と来たので面喰ふ。座へ帰る、又八九分ってとこ。ファンから僕の歌がないのは怪しからん、幕間にでもやって呉れといふ手紙あり、成程。加藤弘三来訪、鈴木桂介も来り、ギルビイでウイスキーのみ、すしや花川戸で白身沢山食って宿へ帰る。寒し。


十二月四日(土曜)

 十一時起き、座へ出る。ほゞ満員である。昼終ってアラスカへ。オルドヴル、オニグラに牛肉スパゲティ煮込み。アラスカのボーイの言ふところによると、南座の顔見世は断然こっちに食はれてゐる由、お世辞もあらうが、何ともくすぐったい。座へ帰り、川端康成の「雪国」を読んでしまふ。夜は、補助の出る本当の満員、「のどか」で出るなり笑の波、土曜の客は此うも活気があるのか。楽屋へ高瀬実乗親子、林長二郎来訪。女の子大さわぎ。ハネてから、大沢善夫の招待で木屋町の中村屋へ行く。あいがものスキでオールドパー。一時半頃迄、林長二郎を相手に論じた。


十二月五日(日曜)

 今日はマチネー。昨日の夜から活気のついた客席、今日の昼もぐっと活気づいてゐる。昼の部終ると、又鳴瀬へ鳥の足と深山あげを食ひに出かける。座へ戻って夜の部、補助椅子出切りの大満員。「ガラマサ」大受けである。東京から屋井が来て、島原の角屋へ座員大勢を招待、オイランのお祝の式てものを見せて呉れる。その馬鹿げた可笑しさ、「アンタ尾の上太夫はん」と呼ぶ声に、大笑ひする。宿へ引き返すと、面子が待ってゐて、麻雀開始。


十二月六日(月曜)

 昨夜の十二時から麻雀を始め、つひに夕刻まで一睡もせずにやったといふのは、レコードであった。千恵プロの箕浦、林誠之助、藤田と三人が交代でやり、こっちは僕と林寛でやる、何荘やったのか分らんが、僕、一万以上負けてしまった。座へ出る。ぎっしりの満員。ねてゐないから何うだらうと心配してゐた舞台の出来も無事。ハネると、石田・大庭と三養軒へ行き、たっぷり食ひ、たっぷりのみ、さて、たっぷりねようと、吸ひ込まれるやうに床へ入る。


十二月七日(火曜)

 十二時頃起きるつもりが、眼がさめるともう一時。あはてゝ南座へ。ダッシー八田氏の招待で顔見世を見物。羽左と幸四郎のみ光り、左団次など間ぬけな感じしかしなかった。三養軒へ寄り、夕食して、座へ出る。今日もベッタリと大満員である。「のどか」の時、嘉納先生が袖で見てるのを小道具係りが無礼なことを言ったとかで、どなり始めてびっくりしたが、機嫌直ってビールを楽屋でのみ出した。「ガラマサ」の受け方漸く本腰になって来た。ハネてから又ダッシー八田氏に招かれ、祇園の広千代てふうちへ行き、今日南京陥落を祝してのむ。


十二月八日(水曜)

 朝、咽喉具合わるく、痛い。今日は座員大勢で、深草の陸軍病院へ。白衣の戦傷者達の前で、ダンスや寸劇、トリに僕が流行歌の話をし、最後に「これはわれ/\の感謝の念の一分のあらはれです、有がたうございました、ほんとうに有がたうございました。」と言ってたら涙ぐましくなった。勇士達拍手喝采大喜びであった。又、鳴瀬へ鳥の足を食ひに出かけ、座へ。今日も満員である。ハネると、千恵プロの連中、又誘ひに来り、林寛と二人、小浜へ乗り込んだのが、十時半――つひに又五荘、夜を徹し、又々大敗す。


十二月九日(木曜)

 京宝千秋楽。
 ねたのが九時半頃か、二時迄ねた。これでは咽喉も治らない。伊東・石田・大庭と揃ってアラスカへ行く。三益が川口と居て、大声で喋りながら食ふ。オルドヴル、ポタアジュ、ミニツステーキに、マッシュポテトーとスピナッチ、ババロア。千秋楽もぎっしりの満員である。「のどか」で藤川の豆腐屋が、気のきいた奴で、ほんものゝ、油揚げを出しやがった、吹きさうなのを我慢した。「ガラマサ」も余興が入って、のび気味。緞帳下りると例の如く、シャン/\としめておめでたう。今夜はダッシー八田氏を、此の前招かれた祇園の広千代てうちへ招き返し、沖すきでウイをのむ。八田氏浮かれて「テンコのベチャコ」といふ変な拳をやり出す、二時か三時。帰宿。


十二月十日(金曜)

 起きたのは一時。みんなは今朝名古屋へ発った。堀井と大阪北野劇場を見る気で残った。南亭といふ洋食屋をきいたので行ってみる、ポタアジュうまし、ハムエグスとタンシチュー。それから新京阪で大阪へ。北野劇場の客席にしばらくゐて見物、少女歌劇である。それから楽屋を見る、いゝ日本座敷が出来てるので嬉しい。此処は多分二月だ。ビクター岡に、ひょっくり逢ひ、南の河合へ。山野一郎も大阪にゐるので呼んだ。牛肉すきやき、うまくなし。芸奴もつまらず、ダレる。竹川旅館へ落ちつき、あんまとり、ゲイコ二三呼び、かやく丼食ってねる。


十二月十一日(土曜)

 十一時起き、南のタカザワといふ洋食屋へ行く、中々うまい、ハムエグス、エビフライ、ステーキ。それからツバメで大阪を出る、三時四十分、名古屋着。なか川といふ宿へ落ちつく。一休みすると伊東を連れてアラスカへ。又川口・三益がゐた。オルドヴルとポタアジュ、スピナチ、ソール・ムニエを食ふ。座へ出ると、九分といふ入り、それにしても容れものは大きいから京都よりは入ってるわけ。咽喉具合わるくノドチンコが、ひっかゝるやうでうまく喋れず、「のどか」スラ/\行かず。「世界名作」は先づ大丈夫。「ガラマサ」よく笑った、幕切れ緞帳下りず、立往生、引幕ひいてごま化し、大腹立ち。宿へまっすぐ帰って夜食、はかなし。
 名古屋って土地の色っぽくなさ、つまらなさ、味気なさ。芝居がハネると、もう何処へ行く手もないんだからいやんなる。


十二月十二日(日曜)

 十一時起き、宿の風呂狭くたのしからず、朝食は家庭的で気に入った。マチネーありで、出かける。昼満員、然し客がピンと来ない、のどチンコがはれてゝ物いふたびにひっかゝるやうでやりにくい。昼終ると、アラスカへ。南京陥落スープといふのがあり、かぼちゃのポタアジュに、チーズ即ち乾酪のトースト添。しゃれたり矣。座へ戻る、夜もぎっしり満員である。吉岡社長来る。「のどか」「ガラマサ」共に、受けはしたが、京都程でない。ハネて――さて何うする手もなし、弱ったと思ってたら、吉岡を中心に、小尾老人が得月へ招いて呉れたので、これで間が持てた。


十二月十三日(月曜)

 十一時頃起きる。井口静波があらはれる、これから南京へ立つといふから、「ガラマサ」に出て北支の報告漫談をやれと言ふと、汽車をのばして出ると言ふ。堀井・花井・柏・高尾と一緒に出て大須の観音境内で豆腐のでんがくを食ひ、名古屋劇場へ行く、エンタツ、アチャコの「カフェー万才」といふ実演、よく入ってるが、つまらなかった。エン・アチャ両君と、不二アイスで食事し、座へ。今日も満員である。ハネ後、「週報」取次所の川瀬書店主人、川瀬條吉といふ、ネフリフドフの申し子みたいな、ハイカラが翠芳園といふ支那料理へ招待、料理はまづかったが大歓待。たゞ川瀬ってのが、かなり馬鹿なので困る。


十二月十四日(火曜)

 十一時起き、昨夜の川瀬條吉が来た。これから座員大ぜいで陸軍病院へ行くといふと、自分も雑誌を沢山持って一緒に行きたいと、ついて来る。迎への車でお城近くの陸軍病院へ行く。余興場で演芸、大受け。それから川瀬の雑誌を持って重傷者の病室を廻る。これは女だけにすればよかった、男が行くと明かにいやがって、女の方ばかり貪り見てゐる。一旦宿へ帰る。川島と菊田が来り、宿で猥談となる。それから座へ。今日も満員である。少々声がよくなり気持がいゝ。又楽屋へ川瀬條吉来り、長崎料理かもめへ、こっちが呼んでやる。ウイのみ、豚の角煮をしたゝか食ひ、宿へ帰って吸入。


十二月十五日(水曜)

 十一時に起き、此の宿の朝飯、のりと卵ばかりで辛し。座へ出る。昼は入り六七分で、笑が少く皆くさってゐる。幕間に川島の「婚約時代」読む、一向に原作を用ゐてゐないのは何ういふ了見か。昼の終りに、朝日ビルの地下へすしをくじ引きで青年部から二人連れてって思ふさま食はせる。一人でアラスカへ行き、食ってると、名古屋のマラソン王日比野寛といふ老人がやって来て「今拝見した帰りです」と言ふ。夜の部満員である。菊田の「海軍のロッパ」読む、「ロッパ若し戦はゞ」程ではないが、まあ受けさうだ。夜、又川瀬のおヒゲ来り、カフェーなるものへ行き、ウイがないといふ悲しさで、とりよせて又のみ。


十二月十六日(木曜)

 今明日が一回で、十八、九と又昼夜である。上山と堀井を呼び、ヴァラエティーの打合せ、佐藤邦夫案の「東京美人双六」を改訂してやる心だったが、直し切れないので、別なプランで行く。上山に書かせる。五時すぎアラスカへ行く。アラスカもつく/″\倦きた。タピオカスープとアメリカンオムレツに冷アスパラガス。洋食は結局大阪のタカザワだった。座へ出る、満員である。「のどか」インテリが多いらしくよく笑った。幕間、穂積の「大久保」が出来て来たので読む、未完成半分だけ。ハネて昨夜のカフェーで一杯やったらねむくなり、帰ってねた。


十二月十七日(金曜)

 十一時起き、ビクター支店でごはんをさし上げたいといふ。アラスカと聞いてがっかり、而も定食を食はせやがる。朝からまづいもの食はされて機嫌悪し。座へ出る。入りよろし。エノケン出演中の大阪劇場全焼のニュースあり、エノケン何をしてもうまくゆかずクサリのことならん。ハネ頃、又々川瀬條吉来り、ふたみとかいふうちへ行く。芸妓がろくなのが来ない、つまらなくのむ、たゞすしが、名古屋にしては大出来だった。はやく東京へ帰りたい、うちが恋しい。


十二月十八日(土曜)

 十一時起き、マチネーだから出かける。入り八分。昼は活気がなかった。昼の終り、アラスカへ榎並礼三夫妻を招いて食事、オルドヴルを凝らせたので色々変ったものが出る、Boar's Head の罐詰は、あんまり脂こくて参った。そのためコンソメ、ヴィール・ピカタにアスパラガス。夜は断然たる満員で、こっちも活気があるし客も元気でよく笑ふ。ハネてから鳥銀てうちで、青年部のため幹部が寄附で、会をやる。曰く、南京陥落祝、白川道太郎送別会、忘年会と技芸評の会をかねた、安い。が、青年部一向評が出ないので、怒ってやった。
 柳が東京から帰って来ての話に、有楽座の正月は土間を二円にすることを決定の由。そんならそれだけの用意てものがあるのに――困ったものである。


十二月十九日(日曜)

 名宝千秋楽。
 名宝の千秋楽。マチネーで座へ出るともう満員、昼から補助出る。昼の部終ると朝日ビルのABC家族会てのへ顔を出し、流行歌漫談を一席やる。榎並夫妻に招かれ、偕楽亭へ行き、ヘット焼をしこたま食ふ。うまいが単調である。夜も大満員。「世界名作」素のまゝで出て、ゴミを掃いたり水をまいたり、きしめんを食ひ乍ら通ったりする、好きだね。「ガラマサ」大受け。ハネて、シャン/\と吉例によってしめる。ハネると榎並礼三と弘三と来り、ラッキーといふバアへ行き、ウイをのむ。それから小尾老人の招待で弥生へ行く。こゝは気分がよかった。


十二月二十日(月曜)

 九時半にちゃんと眼がさめる。やれ/\今度の旅は全く貧乏した、借りも四百円になった――駅へ。十一時七分名古屋発のさくらで帰る。車中、ヘンな隆鼻術をほどこしたやうなラシャメンみたいな女が色々話しかける、むっとだまってゐた。四時四十分東京駅着。高槻の車で帰る。久々の家、味噌汁の味が嬉しい。ボビーが見たいが暗くなっちまったから明朝のことゝして二階へ上り、今日は早寝。


十二月二十一日(火曜)

 十時起き。久々でボビーと遊ぶ。十二時に出て徳山※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)のとこへ見舞に行く。と病人出かけてゝ留守、まづ心配もあるまい。文ビルへ行き、配役する。女優ふへちまって、弱る。二時、本読み開始。その間に社長のとこへ行く。二月が撮影の三月大阪らしい。四月有楽座は有がたい。文芸部のボーナス出る、僕にもサゝヤカに出る。能勢妙子心境変化し、芸術的に生きたいやうな話をする、意見した。東宝グリルで食事して、有楽座を見物する。「浅草の灯」期待してなかったわりによかった。中野実に逢ひ、柳橋へ行き、島田正吾を呼んで、のみつゝ語る。つひに三時。


十二月二十二日(水曜)

 十一時起き、鏑木清一が伜を連れて歳暮に来た、山野一郎も来る、「あんまりいゝ日じゃないね」と言ってやる。十二時半に出て、けい古場へ。「大久保」読み合せ、もり上るところなし。ビクター奥村、レコード持参、ポータブルで「海軍のロッパ」主題歌と、「江戸っ子部隊」をきく、共に面白い。四時から「海軍のロッパ」の読み合せ、此の方はいくらか面白さう。五時半終り、すぐ東劇へ、母上・道子と下二母上と成之さんを誘ってある。入り悪く、六分弱ってところ。「雪国」「喧嘩友達」は、あっさりしすぎて、結局「続残菊物語」にとゞめを刺す。道子と英太郎の楽屋を訪れた、ボビーの兄弟ベルが可愛がられてゐる。ハネが十時半、十二時にはねた。


十二月二十三日(木曜)

 十時半起き、伊藤松雄訪問。けい古場へ向ふ。「大久保」一景。間に「主婦之友」の記者と会ひ、ユーモア身上相談てのを引き受ける。「海軍ロッパ」の最中、柳の家が火事だといふさわぎ、類焼をまぬかれた由。京橋のミート・ダイヤルといふうちでシチューを試みる、うまい。それから江東楽天地の日吉劇をのぞく。入り三分。その芝居も大間違ひなり。出て、寿劇場へ入り中山延見子の「三勝半七」を見る。八分入ってゐる。浅草へ向ふ。常盤座笑の王国の舞台、ロクローの踊るさま可笑し。楽屋へ浜本浩が来てるときいて会ふ。みや古へ。「浅草の灯」で当てた浜本と文学話、夜は更けたり。


十二月二十四日(金曜)

 けい古場で、考へ込んじまった。つまらん芝居ばかりなのである、この正月にこの有様はどうも残念である。来年はうんと本を書かう。けい古終って東宝グリルで定食を食ったら、七面鳥のロースにプラム・プディング。あゝ今日はクリスマスか。戦争はクリスマスを忘れさせる。藤山一郎とルパンへ行く。中野実と林弘高が築地のとんぼに来いと言ふので、乗り込む。金語楼や伊志井寛もゐて、シャムパンを抜き、のみ又喋る。


十二月二十五日(土曜)

 歯が夜中に痛み、いや/\ながら又寺木歯科へ、注射して貰ふ。けい古場へ出る。「大久保」あくびばかり出る。「海軍」が終ると、五時半日劇地下のリズムで、道子と待ち合せて、母上も共に国際劇場へ行く。猿之助一座に青年歌舞伎が入っての夜の部だが、よっぽど安くたゝいてゐるのだらう、あの大きな小屋が一杯になってゐる。然し実に愚劣なものばかり。「菊畑」で眠り、「長脇差試合」ではたゞ呆然とした、「連獅子」稍々よく、川口松太郎作「加納部隊長最後の日」に至っては、芝居ではない、レヴィウでもなし、何だ。十時のハネ。


十二月二十六日(日曜)

 十時頃按摩が来て、揉み出した、いゝ心持。十一時半、上山雅輔が歳暮に来たので起きる、実直な上山、毎年盆暮にはやって来る。けい古場へ入る。「大久保」のけい古、何うもつまらん、ねむくなる。穂積に此ういふものを書かせるのは無理だった。「海軍ロッパ」もパッとしないし、弱っちゃった。まっすぐ帰宅。「愛国行進曲」の発表と、うちの座員の放送あり、八時半まできいた。九時半、ねてしまった。


十二月二十七日(月曜)

 十一時半起き、東京駅へ。今日は熱海宝塚劇場の柿葺落しで、那波・樋口に三益・山野とで出かける。つひ「行ってもいゝよ」と言ったばかりに今日一日をつぶしてしまった。十一時半着。聚楽といふ宿に落ちつく。海岸の熱海宝塚へ行き一席やり、宿へ帰って一休みし、又やりに出る。やれはやひどい客、容れものはきれいだがまるでピンと来ない。宿へ引返すと庭口の戸がしまってる、ドン/″\たゝいて開けさせると、庭番の爺が「こゝはもう閉めたんだからね」とひつこく言ったので大声で怒鳴りつける。番頭や女中頭もあやまりに来たがこっちもくさり、十円怒り賃をやっとく。つく/″\つまらんと思ひつゝ帰ったのは十一時半。


十二月二十八日(火曜)

 十一時までねた。ボビーと遊ぶ。一時半より小劇場で「大久保」あり、出かける。有楽座正月の前売長蛇の列、こんなに景気がいゝのに、芝居がつまらないのだから、いやんなっちまふ。「大久保」立ってみて又々いけない。三時からが「海軍ロッパ」で、これもつまらん。歳末だから借金取が廊下に押しよせてゐる。借金の申し込みだけでも大したもの。隠豪家へ、道子と待ち合せる、ビフテキと芋、やっぱりうまい。橘弘一路を久々訪問、麻雀に夜を更かす、大いに勝った。


十二月二十九日(水曜)

 十時起き、鏑木が歳暮にやって来た、丁度いゝので、犬を連れさせ、伊藤松雄のとこへ。犬をやったので一家大喜びしてゐる。一時から文ビルへ。「大久保」を囃子を入れての総ざらひだが何うも面白くない。四時から音楽入りで「海軍ロッパ」をやる。「愛国行進曲」を何遍も大声でやったので、くたびれる。終ったのが六時四十分頃、それから下二番町へ、二十九日の集り、例によって食ひもの少くつまらず。一時間余ゐて、銀座ルパン。屋井、藤山一郎、田中三郎、今年おさめの飲みさわぎ。里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)が「中央公論」の若手連を連れて来て、又一とわたり文学論。


十二月三十日(木曜)

 有楽座舞台稽古。
 今日を舞台けい古にし、大晦日をのんびり暮したい考へ。二時開始の予定だが、座へ出てみると、さて三時か四時にならねば支度出来さうもなし、菊田と穂積を連れて銀座へ出る。両人に田屋でネクタイを見立てゝ買ふ。服部で腕時計三十二円五十銭で、感じのいゝのを買った。結局「海軍のロッパ」のかゝりが五時近かった。立ってみると思ったよりよさゝうである。「大久保」にかゝったのが十一時すぎ――これはつまらんのでくさりである。「初春コンサート」が始まったのが、四時半か五時だった。これは歌だけなので気軽にやる。此の間、スコットのポタージュ、スエヒロのスパゲティとハムエグス。「コンサート」終り、九時。


十二月三十一日(金曜)

 午前九時、「初春コンサート」が終り、これで僕の責任は終ったので、「婚約時代」は残して、穂積と同車で帰宅。帰ると七時すぎ迄ねてしまひ、それから母上・道子と、榊の叔母上・日出子とで銀座へ出る。松喜で牛肉、タレが日本一だと賞めたわりに今夜のはまづかった。人波に揉まれつゝ買ひ物をして歩く。三昧堂でポケット日記。亀屋でサンドウィッチレリッシュと、レバーパステーテ。田屋でネクタイとショール。大辻のしるこやへ寄って、フランス雑煮と栗ぜんざい。円タクを明治神宮へ。丁度十二時に神殿に拝してゐた。今度は招魂社へ参拝。さて、これで気持よく年を送り、迎へることが出来る。帰って床へ入ると又、セリフである。





底本:「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」晶文社
   2007(平成19)年2月10日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:野口英司、仙酔ゑびす
2014年4月10日作成
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