古川ロッパ昭和日記

昭和十三年

古川緑波




昭和十三年一月



一月一日(土曜)

 有楽座初日。
 十時に起きる。雨の正月だ。入浴し、羽織袴でお屠蘇をのみ、雑煮を少々。親子夫婦揃っての正月は今年が始めて。一時半、母上・道子とも/″\雑司ヶ谷へ墓参。雑司ヶ谷祖母上のとこへお年始に行く。四時に東宝グリルへ。古川緑波一座の年始挨拶の会。一同揃ふと、君ヶ代を合唱し、僕が一言、「昨年中は諸君勉強が足りないと思ふ、今年はもっと/\勉強して貰ひたい。僕も倍も仕事する気でゐる。今年は勉強しないものは、残して行くことも宣言して置く。」と述べた。大日本帝国万才を三唱、出征中の岩井達夫、大島時夫のために万才を三唱し、愛国行進曲を、徳山の主唱で合唱して散会。楽屋へ入る。入りは、大満員で、補助も出切り。序幕の間に、セリフを入れる。新年早々の不勉強で、まるでセリフが入ってゐないのだ。「大久保彦左衛門」の一景、ポン/\と膝をたゝきながら、講釈をやるところで、まるでセリフが出ず、「初日イのことなればアさうすら/\とは行かぬと思し召せ。」とやったのは我ながら大した度胸。「大久保」は僕の役が書けてないからつまらないが、思ったよりよかった。「初春コンサート」の「江戸っ子部隊」の歌は、大丈夫受けるらしい。「海軍のロッパ」は、時間がのびて十一時すぎたら、其筋の命により、とあって中断のやむなきに至り、フィナーレをやって打ち出し。おわびまでに、丁度来てゐた徳山を引ぱりだして、「愛国行進曲」を歌はせた。かくて十一時半ハネ。文芸部のみ残って、カット相談。


一月二日(日曜)

 十時半起き、寒い。座へ行くともう満員で札止め、何でも十日頃までは全部売切れの由。ヴァラエティ「初春のコンサート」幕切れはまるで手がないのは何うしたものか。昼がのび/″\になり五時十何分に終る。昼終ると部屋へ作者を呼び、カットをやる。一々自分で朱筆を入れたからうまくカット出来たが、時間になって食事できず、「大久保」終ってからスエヒロのオムレツとハヤシライス冷たいのを味気なく食ったのみ。夜の部、よく笑ふ。「大久保」大量カットしたので大分らくになったが、セリフがまだ入ってないので、まごつく。「海軍」もよく笑ふ。ハネ十一時五分前。
 楽屋へ吉岡社長来り、「此の一座で、マゲ物が必要か何うか、考へものだぜ。」と言はれたが、成程一考の必要がある。今迄は必要だったと言へる。が、今後、マゲ物の所謂浅草式レヴィウが必要か何うかは、問題だ。


一月三日(月曜)

 十時半起き、今日まではお屠蘇・雑煮。座へ出る、昼の部とっくに売り切れワイ/\入ってゐる。「大久保」大カットしたら、まあ見られるものになって来た。「初春コンサート」殆んど一受けなしは驚く。「海軍」は、兎に角笑ふ。幕間に間宮パン人年始に来る。芦原英了来り、初論じ、気持よくレヴィウとシャンソンについての論。夕食は、スコットのポタアジュ、ビフシチュウ、ハムライス。夜の部「大久保」もセリフ入り、すら/\と行き出した。客の笑ひが大きいので、それに逆ふからであらう調子やり多く、石田などサイレントに近くなっちまった。ハネ後、島根商店の主人招待で、神楽坂のたかの羽といふうちへ。座員数名よばれ、初のみ。


一月四日(火曜)

 十時半起き、十二時に座へ入る。昼夜共補助椅子満員である。正月とは言へ、他愛なく客が笑ふのを見てゐると、まだ/″\われ/\の仕事は高踏的なものを狙へないと思ふ。又、狙ひたくもない。考へさせるものは、しばらくやるまい。たゞ笑はせるべし。昼の部終って、ふた葉の親子。田村道美来訪、おとなしい話ぶり、それにひきかへて隣の渡辺と山野の会話、あんまりピント外れの馬鹿々々しさにふき出す。「海軍」の笑ひ段々大きくなって来る。菊田ます/\大切なり。海軍々楽隊長内藤氏、京極と一緒に来訪。石田・大庭・山野を連れて鳥を食ふ。


一月五日(水曜)

 十時すぎ起き、久々にてボビーと遊ぶ。十二時座へ入る。母上・道子見物。今日全く調子出ず、いやな声となる。「海軍」の「水兵さん可愛いや」の歌、昨日までは手が来たのに声が出ないため手なし、がっかりする。夕食は、ふた葉のそぼろ親子。芦原英了来り又々論じる。夜の部は、ヴァラの歌もスケッチも休み、「海軍」の方も「ナンバワン」の歌を抜くことにした。しまひの「愛国行進曲」は、「さあ皆さんお歌ひ下さい。」と言ふと、客席でも歌ふやうになった。ハネて、中野英治が来り、山野と今朝へ牛肉食ひに行く。松喜よりタレがうまいやうだ。十何年ぶりとかの寒さ。
 マックセンネットのスラップスティック――ドタバタ喜劇。これを僕のいはゆる馬劇にならぬやうに、完成させることも与へられた仕事だと思ふ。いづれ旧劇で試みたい。「大久保」で、それが面白く行くことを感じた。


一月六日(木曜)

 十時すぎに起き、十二時に入る。今日の昼は補助椅子出切りとは行かない。でも階下の大半が二円になったので、一回三千円は上るのだ。一日六千円だ、文句のないところだらう。昼夜共、ヴァラエティーは休む。咽喉何うもいけない。昼終ると、プランタンのビーンズとハヤシライス。佐藤邦夫、「ファニー」の訳本と、「サンデー毎日」に、いゝ材料があると買って来て呉れる、熱心なり。夜は、補助も出切りにて、よい景気。文芸部、菊田が毎日出勤するが、穂積など二三日顔を出さない、駄目だ。山野は今月テストのつもりなのだが、本人ちっとも気を使はず、これも落第なり。岡庄五、豊川稲荷のおふだを受けて来て呉れた。フロリダキチンで食事して十一時半帰宅。


一月七日(金曜)

 ボビーが硝子戸へ顔を押しつけて遊んで貰ひたさうな表情してるが、時間がない。今日の昼は、空席が少々あった。笑ひが減ると、がったりやりにくゝなる。「大久保」で、岡田嘉子の国境突破ニュースを入れてやらうとかまへてゐたら、渡辺に先越されて参った。彼も中々やる。昼夜終ると、プランタンのオムレツとライスカレー。ジャマンベーカリーの菓子を食ふ。夜は大入満員、よく笑ふ。今日も昼夜共ヴァラ休む。滝村来り、二月の撮影は「ガラマサ」と願ひたい由。八田ダッシー氏上京、柳・伊東・大庭でルパンから柳ばしへのした。


一月八日(土曜)

 マチネーも此う続くと、頭が元へ戻るやうでいやだ。渡辺が岡田嘉子の越境を利かせて「おめへのためなら樺太の国境でも越えるぜ」とやってゐるのを、山野が「婚約」でお先に失敬しちまった。渡辺が「あれは譲って貰ひたい」と言ってゐる。山野もうちの家風に合ひさうもない。昼終ると、――全く毎日の楽屋のめしには頭をなやめる――スコットのカレーライスとポタアジュ。カレーはスコットの方が優れてゐる。今日も昼夜ヴァラを休む。夜の部、大満員、ワッワと受ける。ハネ十時一寸。天勝を浜の家へ招く。「奇術師夫婦」として考へてあるプランを話し、二代目の舞台を見る約束をした。帰って寒いので驚く。湯たんぽ入れてあり。


一月九日(日曜)

 十時半起き、マチネー今日までだ。座へ出ると昼も売切大満員。今日もヴァラを休む。昼終ると、スコットのビフカツと飯、ジャマンベーカリーのパイ。森岩雄氏来訪、金のことなど話す。森氏いつもよくして呉れるので感謝である。夜の部、笑ひが乾燥してゝ軽くワッワッと来る。「大久保」など刈り込んでスピーディになったので、これが一番面白いなんて人が出て来る位。渡辺など意外にハリキリ、まともなものをやりたがる、よき傾向なり。今日はまっすぐ帰宅。


一月十日(月曜)

 今日より一回、よくねて、ゆっくりした気持。ボビーと遊ぶ。エイッと鼻など舐められてしまふ。火燵にあたりながら、「ユーモアクラブ」へ随筆五枚書いた。四時に出て、三信ビルの理髪屋へ行く。座へ。今日も大入満員。穂積が、まるで出て来ないのは何ういふものか。「愛国行進曲」の一等当選者、瀬戸口藤吉氏が中気でふらつく体を、息子に支へられながら楽屋へ来て呉れた。フィナーレの時、客席へスポットを当てゝ、起立して貰った。万才を三唱したので感激して氏は泣いてゐた。一寸感激的なシーン。ハネ後、ルパンへ。滝村と京極・吉本で行き、田中三郎と合流して大いにのみ。


一月十一日(火曜)

 今日は浅草へ天勝の二代目を見に行く。十一時「笑の王国」常盤座へ。二代目天勝の芸は、思ったよりよく、モダンなり。一時蚕糸会館のビクター試聴会へ行く。たゞステージに並んで「愛国行進曲」を合唱したのみ、客席まばらでダレること甚し。評判の日比谷映画「オーケストラの少女」を見に行く。成程いゝ。ディアナ・ダービンもいゝが、シナリオのハンス・クレーリーを一ばん賞めたい。それから水明館の天勝のとこへ寄り、二代目の評をし、一緒にやる芝居の打ち合せをする。座へ出て、サンドウィッチで夕食。大入満員なれど、あんまり活気なし。正月気分が抜けて来たものならん。ハネ後、浅草みやこへ。


一月十二日(水曜)

 十一時起き、田中三郎夫人来訪、此の間から三郎のこときいてゐるので苦言を呈するつもりでゐたところ、ちゃんと答が用意してあるので、拍子抜けの形。座へ出ると、多和利一死去の報、脊髄カリエスに脳膜炎を併発したらしい。若い人間の死は、みんなの心を暗くした。座は補助は出ないが満員である。「大久保」正月の高笑ひの客が減って、いつもの客になると、此ういふ身のないものはやりにくゝなる。ハネて、文芸部の集り、二月三月のプランを立てる。今日、楽屋へ白井鉄造来り、「ロッパ自叙伝」のいゝ思ひつきを呉れた。


一月十三日(木曜)

 十一時迄ねた。今年は寒いといふ感じがする。然し暑いより助かる。ボビーに鎖をつけて、伊藤松雄訪問。松浦杉子を断はりたい件を話しておいた。山本嘉次郎脚色の「ガラマサどん」を読む、(シナリオ)あんまり感服しない。つまり突込みが足りない。三時頃山野が迎へに来り、多和利一の死に逢はうと新井薬師の飯野って家をさんざ探したが、つひに果さず、山野の番地覚え違ひで無駄をした。美松でサンドイッチランチを食ひ、座へ出る。満員であるが、補助が出ない。やっぱり出しものゝせいと思ふ。ハネ後、屋井の招待で座員二十名ばかり中洲の中村といふうちへ行く。
 都の伊原青々園の評は苦労人のことゝてあっさりした評、「正月のことゝて肩のこらぬものといふわけだらうが、もう少し高級にしてほしい。」三宅周太郎の日日の評にも「ロッパ凡打」やっぱり今回の出しものはいゝとは言へない。


一月十四日(金曜)

 十一時起き、多和の葬式なので山野・伊藤・大庭等が迎へに来る。二時から三時の告別式――とはいへ殆んどうちの座員ばかり。多和の好きだった麻雀で追悼しようと、大東京の階上のクラブへ。大負けした。三福の地下でカツレツを食ひ、まづし。座へ出る、補助の出ないまでの満員。報知に岡誠志の評出る。妙な評で、くすぐったいみたいなもの。菊田が日劇二月アトラクションのことをきゝに秦のとこへ行ったら、あっちで脚本など準備してるとのこと、而もそれが菊田の王国時代の本だったので奮慨してゐた。明日カタをつける。ハネて、明月へ山野と行く。Tボンステーキを、ボビーにやる骨がほしさに食ひ、大切に抱へて帰る。寒い。


一月十五日(土曜)

 十時すぎ起き、寒い。ボビーに昨夜のTボンステーキの骨を食はせる、大喜びだ。マチネーあり、入りが悪く、八分弱か。藪入りなんて丸の内にはないものらしい。昼終ると、スコットのポタアジュ・トーストにカレーライス。那波支配人に来て貰ひ、日劇、僕に任して呉れなければうちの役者は一切出さないからと話をする。夜の部は満員ではあるが、補助出切りといふわけにはゆかない。「大久保」やるにつれてつまらなくなる。うちのいつもの客に見せる芝居じゃない。「海軍」先づよし。まっすぐ帰宅。夜食をとり、二階で床に入って日記。


一月十六日(日曜)

 マチネーで十二時に座へ出る。昼の入りがっしりと満員。わりに活気なく、ワッワと来ない。日劇側から返事あり、二月アトラクションは、こっちに任せるとのこと、けど少し顔も立てゝ「青春五人男」をやってほしいとの話。菊田中々頑強で向ふの役者は一人も使はないと言ってる。昼の終り、山水楼のやきめしと古肉、まづし。夜の部大入満員。流石に夜の客はよく笑ふ。「海軍」大受け、フィナレの「愛国行進曲」客もよく歌ふ。ハネると、約束の玉井旭洋来り、小川・山野とウイスキーを大いにのみ語る。


一月十七日(月曜)

 十二時近くまで、ぐーぐーよくねた。「主婦之友」注文の「ロッパ自叙伝」十枚を、日日の「人生レヴィウ」の抜き書きでデッチる。三十分ばかり昼寝。四時半に出て、中野実のとこへ寄り、五時半楽屋入り。大入満員。「大久保」やる程に馬鹿々々しくなる。柳の話では、渡辺篤が、何やら画策してゐるらしい、サトウロクローや関時男に連絡をとってゐる由。何っちにしても腹は許せない。ハネてから、中野実と逢ふ約束のルパンへ行くと、川口松太郎・田中三郎などゝ合流となり、牛込松ヶ枝へのした。


一月十八日(火曜)

 東京ビルへ行き、社長と話した。三月の旅は、三菱の団体六万といふ大口の申し込みがあり、昼夜にして貰ひたいとの話、あはてたりくさったり。文芸陣強化のため、斎藤豊吉を入れることを話したらOKして呉れた。結局自分のことは言ひもせず、何と人のいゝ僕であるわい。日劇のアトラクション、「ロマンチックオーケストラ」見物、「大阪レヴィウ」などより遙かによろし。座へ出ると今日は八の日のためか、補助椅子出切りの大満員。「海軍」どっと受ける。菊田は段々よくなる。ハネて、浅草みや古へ、斎藤豊吉をよび、菊田・穂積・川島も一緒で話しつゝのみ食ひ。隣座敷に旗一兵てのがゐて、関時男とロッパ論をやるのが、すっかりきこえたのは傑作だった。


一月十九日(水曜)

 十二時にビクターで奥村と会ひ、築地の小唄勝太郎の家へ行く。麻雀の会で、僕、はぢめは大いによかったが、三荘目に、すっかりやられて、賞品とれずじまひ。幕の内を馳走になり、座へ五時半に出た。勝太郎の生活は相当なものなり、女にはかなはん。座は満員なれど補助なし。「大久保」ます/\つまらん、もう今年はいゝ作品しかやりたくない。「海軍」よく受ける。ハネて、まっすぐ帰宅。本を読みかけたが、ねむくなりにけり。
 その後、各社の新聞評でたが、全く不評で、珍しいことである。四月は一泡ふかさにゃならん。


一月二十日(木曜)

 道子は入籍の件で裁判所へ。母上と僕、竹屋春光が雑司ヶ谷の帝大分院に入院してゐるのを見舞に行く。三信ビルの地下で理髪し、四時に東宝ビルで菊田・川島・穂積と会ひ、社長に彼等の月給値上げを願ひ出る。塩瀬でランチ食って、座へ。入りは、満員。能勢妙子のおふくろ来り、能勢、心境の変化にて、座をやめて声楽に専心したき由、馬鹿々々しい話だ、能勢がゐなくなることは多少困る。「大久保」腐演、「海軍のロッパ」は、よく笑ふ。岡ビクター迎へに来り、房田中へ。スコットの洋食三皿。ウイをのむ。帰宅一時半すぎ。


一月二十一日(金曜)

 今日はのんびりと二階であんまどり。座は満員で補助も少々出る。PCLから池谷と、「ガラマサどん」の製作主任今井が来り、打合せをする。久々の活動、気が変ってよからう。シナリオ一通り読んでみる。まあ/\よく出来てゐる。問題はメーキアップ、とても芝居のときみたいな奇警な顔は出来ない。「大久保」げんなりしながらやる。「海軍」やってるうちに不用意なところをどし/″\発見するが、この粗雑なところが菊田の味の一つかも知れない。ハネて銀座ルパン。


一月二十二日(土曜)

 十一時すぎ起き、伊藤松雄から斎藤豊吉が来てるからとの電話、伊藤家で、斎藤に会ひ、東宝入りを定め、月給も百五十円と定めた。道子迎へに来り、座へは早いが出かける。丸の内松竹国際ニュース劇場へ、十銭出して入り、ニュース他二本見る。ポパイの漫画で笑った。座へ、道子見物。大入満員なり、楽屋へ、渋谷正代、林長二郎など賑か。「大久保」でくさってると、川口松太郎見物してゝ老けは全くうまいとへんなものを感心する。「海軍」も、とても賞めてゐた。ハネて林長二郎・川口で下谷へ。長二郎を中心に芸談、仕事のことになると、みんなムキになるのはたのもしい。


一月二十三日(日曜)

 榊叔母よりかの色情狂不良児保彦のことにつき、無礼なる電話ありしときゝ大いに腹立つ。座へ十二時半に入る。着到時間キチ/\でないと入らぬ役者多し、怪しからんことと思ふ。昼は大入満員。昼の終りには、プランタンのオムレツとタンシチュウ。楽屋の暇に、近頃「ロッパ一座いろはかるた」を案ず、役者心得のかるたなり。夜も大入満員、むくれ上る程の客なり。よく笑ふ。ハネて、まっすぐ帰宅。母上、竹屋春光危篤のため病院へ行かれお留守。


一月二十四日(月曜)

 何とよくねて十二時すぎまで。母上、竹屋の通夜で今朝お帰り。東宝より電話、明日の稲荷祭費用を受け取りに来いとの話。四時東宝ビルへ。座へ出ると今日もいゝ入りである。「大久保」でツン客なりと分った。森永の招待で、此ういふ客が何百かゐると、全体に笑ひが減って行くのだから奇妙である。ヴァラも「海軍」も感激がなさすぎる。風邪ひきのため女優代る/\休んだり出たり。能勢が序幕だけやって帰り、藤田房子休み。楽屋へ二村定一が来た。ハネると、竹屋春光子の通夜に顔を出す。


一月二十五日(火曜)

 有楽稲荷祭り。
 稲荷祭で楽しい。舞台へお稲荷様を安置し、神主の来るのを待つ。今日は吉日で婚礼そこかしこにあり、神主とちり。大分おくれて修祓式を済ませ、先づ文芸部の芝居「かなりや軒」川島の女形、上山の老け等傑作あり。続いて新人連の試演会、一体に女がうまく男が落ちる。一等石井敏、雲井つばさ。四時、ホテルのニューグリルへ屋井と行って、オルドブル、アスパラガスクリームスープ、白魚フライとカネロニー。座へ出ると少々空席あり。「大久保」つまらず。「海軍」相変らず受ける。ハネて、今日の技芸賞を与へる。又々ルパンへ。ラインゴールドのサンドウィッチなどとりて食ひ、ウイ/\。


一月二十六日(水曜)

 ボビーと遊ぶ、庭、あったかいので霜どけ、足よごれてかなはん。一時すぎ東宝ビルへ。那波氏と用談、簑助が来たが此ういふ手合は、話も出来ない。助高屋高助、入座希望、こいつは考へもの。座へ出ると、九分九厘の入り。大辻司郎来り、三十日にのまうと言ふ、憂鬱である。「大久保」腐演、「海軍」普通。ハネると華族連の二六会とかいふ集りへ、僕と女優数名で行く。三島章道が司会格で、酒井・松平・土岐・織田・岡部子爵連中が揃ってゐる、井上といふのが酔ってゐて無礼であり、「何処の会へ行っても此ういふのが一人は出ますね」とやってやった。築地金楽、華族はケチでおしゃく十人ばかりのみ。


一月二十七日(木曜)

 母上と道子、三人で三福の食堂で食事。十二時半に大東京階上のクラブで、といふ約束、林寛・斉藤紫香・堀井、皆時間前に集り苦笑。三荘たっぷりやる、大いに勝つ。斉藤紫香ヘタ/\と負け。不二屋でランチを食って座へ。社長来り、思ひがけざる特賞を呉れたので、いさゝか面喰ひの態。入りは今日も満員なり。「大久保」やる程につまらず、ヨタを言ふのをせめてもの心やりといふところ。「海軍」まだよろし。上森健一郎、萩原岱八等スゴイのばかり楽屋へ来る。サロン春に、東宝映画部長佐生と会ふ、盛に食ひ、ねむくなった。


一月二十八日(金曜)

 道子と新宿松竹館へ。「突貫弥次喜多」といふ下加茂物、鈴木桂介が面白かった。菊池氏の「新家庭暦」を見て、ストーリーにのみ感心した、菊池氏の通俗小説は一と通り読んでおく必要があると思った。ニュースが結局面白し。出て、三福の二階で鳥のたゝきなべを食ひ、座へ出る。入りは満員。川島順平、「ガラマサどん」のシナリオ自分の創作が入ってるから、何とかしてほしいと言ふので引き受けてゐるのに、勝手に佐々木邦のところへ行ったりして事をこはす、勝手にしろなり。藤山一郎来る。ハネ後、ルパンへ。大分酔った。


一月二十九日(土曜)

 十二時すぎに出る。銀座へ買もの、大徳の帽子、買ふ。東宝ビルへ。エノケンが日劇のアトラクションにといふ話で、進んでゐるらしい。菊田大反対であるが、僕としては、それもよからう位のこと、たゞめちゃな男だから東宝がうまく扱へるか何うか。助高屋高助が、これはうちの一座へ入りたいといふ希望だが、これにも困ってゐる。夕食する暇もなく座へ行くと、今日も満員、これで明日の昼夜が済むと一段落である。ハネてから、栄作て家へ。山野に又たのまれて困る、了見の治らない奴だから、全く呆れてしまふ。十二時半、帰宅。


一月三十日(日曜)

 有楽座千秋楽。
 千秋楽。座へ出ると大入である。三十日間、四十二回、よくもまあ、満員を続けることが出来たものだ。脚本もよくないのに、全く恵まれたりと言はねばなるまい。昼終り、渡辺・三益以下に特賞の裾分け、菊田にも百円やる、大喜び。ニューグリルへ、オルドヴル、コンソメにビフカレーライス。夜は補助もズラリと出て、景気のいい千秋楽だ。外は雪で、気分が出る。「大久保」の花道の出は、チンドン屋で出る、仇討の場で弁当食ってやった。シャン/\としめ、ロッパ賞を轟美津子、花井淳子、大崎健児に授賞した。大辻司郎が来り、いや/\山野と二人、名もいやな四谷の自慢て家で一時間、あと屋井の方へ、浜町で、二時すぎ迄話す、屋井は芸のことがよく分るので気持よし。


一月三十一日(月曜)

 昨日打上げ、今日からもうビクター行だ。一時すぎに出て、「かちどき桜」をけい古する。勝太郎・市丸に僕と能勢がからむ、伊藤松雄の詞で中山曲の桜ものだが、どうもパッとしない。声をやってるし、元気が出ない。伊藤松雄来り、「ロッパ自叙伝」自分が巌松堂に関係することになって、そこから出版したいと言ふ。どうも伊藤、少々神経衰弱ではないか、言ふことがくどい。四時半、モナミで道子と待合せ、春岱寮へ。高橋善郎夫妻息子二人、こっち二人。心ばかりの祝ひ。八時すぎに帰ると九時半に床へ入った。
[#改段]

昭和十三年二月



二月一日(火曜)

 ビクターの吹込み、待ってるのに、電話が来ない。こっちから電話してみると、手違ひで向ふでは待ってるらしい。ナーンだ、赤坂の三会堂で吹込み。中山曲・伊藤作の「かちどき桜」ちっともすら/\行かない。市丸と勝太郎、何かとゴテてる。終って、三会堂の地下室で、奥村・伊藤と支那料理食った。それから橘のとこへ行ってみる。南部僑一郎が友と来り、始める。うちへ電話したら、道子入院を要すとのことでいかん気持になる。今朝、道子入籍のことOKとなり一安心したのだが。結局、三荘やり三千八百も負けて、一時前帰宅。


二月二日(水曜)

 十時に出て、東電小林一三を訪れ、先日の特賞の礼をのべ、その足で上沼医院へ健康診断して貰ひに行く。それから虎の門外科病院へ、うちの踊子桜里子が盲腸の手術して入院してるのを見舞ふ、看護婦達にサイン責めとなり、逃げ出す。一時、虎の門晩翠軒、西条軍之助の招待、谷幹の斡旋。西条といふ金持――金貸しか?――気さくないゝ男。晩翠軒うまし。六時迄時間があると言ったら、それまでつきあはふと、新橋の新田中ってうちへ行く。そこで皆がのんでるのを見乍ら按摩をとる。それから分とんぼ。洋行帰りの小川栄一の御馳走、一時まで、これもかなりくたびれることなりし。
 上沼医師の健康診断によると、血圧がちといけない。百四十以上あり、然し此ういふからだでは、これも仕方あるまいとのこと、糖尿も大したことはないらしい、他、心配のことなし、血圧と糖のみ、注意のこと。


二月三日(木曜)

 十二時までよくねた。さて今日は何の約束もなし、一日のんびりである。三時頃家を出て道子と二人、曽我廼家の第一劇場へ。入り、初めひどく悪いやうに思ったが、土地柄突っかけがおそいと見えて、しまひには満員近い入りとなった。出し物五つとも、つまらなくもなし、傑作もなし、中の部。夕食は地下室のひどい定食。楽屋へ五郎を訪れる、十日すぎに会ふ約束した。ハネてから一平といふおでんやで、茶めしを食った。帰って、道子と二人で豆をまく。さて明日から撮影か。


二月四日(金曜)

 ガラマサどん撮影第一日。
 今日から撮影。一時半からなんて言ってたが、電話で三時か四時頃と来た、初日からこれである。橋本啓一が来り応接で話す、助高屋高助入座希望の件、誰かゞこっちで欲しがってるやうに言ったらしい。金の点などで話にならぬからと断はる。ついでに東宝劇団の役者の給金をきいて、寿美蔵・簑助なんぞの高いのには全くいやんなっちまった。PCLへ行ったのが四時近く、それでもまだ早くて待ち。「ガラマサ」第一日、熊野の家のとこ数カットであっさりアガリ。銀座で滝村に逢ひ、撮影の金のことなど話した。


二月五日(土曜)

 電話を待って十一時すぎに出る。結局、午後からになるのじゃあるまいか――と思ひつゝ行ったら果して、PCLへ着くと一時からといふこと。撮影ってものは此ういふものさ。今日能勢妙子がBKから放送するので吃驚した、日劇もいや映画もいやと言ふから休ませて月給やることにしてゐるのに、無断でBKとはあんまり馬鹿にしてる。今日も撮影早くアガったので、滝村と江戸へ出る。ニューグリルで、ポタージュ、マカロニグラタン、コールビーフ、苺のタルト。滝村より、森岩雄を大橋が邪魔にしてゐる話をきゝ奮慨する。


二月六日(日曜)

 八時半すぎ徳山が迎へに寄って呉れて一緒に出かける。着いてみると、監督もまだ来てゐないといふ有様。十一時頃から開始で、午前中、社長室ワンカット。昼は食堂で、むねやけ飯を食った。午後は、トン/\行って今日もかなり進行する。岡田敬も大分馴れて仕事が早くなった。柳と川島が来た。柳には、能勢のことを確かめ、無断なら断乎たる処置をとるからと言っとく。川島、「ガラマサ」の自分創作の個所に対ししきりにくどく言って来るので、今日一寸きめつけ、僕に任せて置けと言ふ。午後五時すぎ、アガっちまった。それ有がたいと、徳山と車で帰り、牛肉すきやきでたっぷり三杯食って、火燵。早く床へ入って片岡鉄兵の「風の女王」を読み出す。
 今までの撮影が、いやなことばかりだったので、今回のやうだとひどく楽である。
 映画俳優だってまん更悪くはないって気がする。何て言ってる間に又ひどく急しくなるんじゃあるまいな。


二月七日(月曜)

 今日は十時からビクターで吹込み、「軍国花見風景」あり。上山の作オンパレード物。十二時すぎ迄かゝって漸っと出来た。プルニエへ食事に行く。ポタアジュ、フィレソール、ミニツステーキ、栗のプディングがうまいのでアンコール。徳山と二人、砧村へ向ふ。社長室の血圧のさわぎのカット、今日もとん/\と行き、七時すぎ終了。文ビルのけい古場へ。日劇連の「青春五人男」の歌のけい古を一寸見て、小劇場へ三益の一人トーキーをきゝ、約束の滝村とルパンで会ひ、それから浜町へ、屋井が待ってるので行く、英太郎を呼んで芸談に花が咲き、へと/\になり三時頃帰宅。
 新派の古老、僕のガラマサどんのエロキューションのモデル、大東鬼城が死んだ。


二月八日(火曜)

 今朝八時起きは辛かった。宿酔気味。九時開始の筈が結局十一時近く。午前中ワンカットで昼になる。胸のやける食堂で食ふのがいやで、何も食はず。午後、社長室のつゞき、徳山一人ではしゃいで、リノリュームで辷って転び、足を痛くして、くさってゐた。前進座の一党、エノケン一座も撮影にかゝってゐて所内は賑かである。六時前に終了。柳や石田・大庭も共に銀座へ出て支那グリル一番で食事、温いもの沢山食ひ、三昧堂で新刊書二冊買って、帰宅。撮影も亦サラリーマンの如くにしてたのしきことあり。
 徳川夢声の堅き禁酒が破れ、又々のみ出した由、適当にやってくれ、芸は、のんだ方がいゝに定まってゐるから。


二月九日(水曜)

 PCLから電話、一時からでよろしいと。手紙二三書いて、十二時半に出かける。社長宅のセット。セリフをその場々々で変更したり追加したりして一々覚えさせるが、これは大欠点だと思ふ。橘弘一路が珍しく見物に来た。夕方アガったので、渋谷の塩瀬で支那めしをかっ込むと、橘の家へ。友田と松村が来てゝ麻雀。四荘やって、三千八百の勝。十二時頃、日劇へ行く。十一日初日の古川緑波一座幹部軍出演「青春五人男」の舞台けい古。菊田が中耳炎といふのに無理して演出してるので、斎藤豊吉を呼んで代らせ、僕も朝が早いので二時半に失敬して帰宅。アダリン少々のんで眠る。
 塩入亀輔死去、花環を贈った。


二月十日(木曜)

 八時起き、JOAKの車、迎へに来り、高島屋へ。ホールで今日全国中継放送する「或る恐ろしきスパイ」のテストをするため。テスト終って店内を歩き、瀬戸物の枕のいゝのを見つけたので買ひ、食堂でビフテキ。十二時五分より放送、これは内閣情報部の催し、思想戦展覧会の余興である。終ると砧村へ急ぐ。丁度スコアリングルームでラッシュあり、見る。ガラマサの明朗さが足りない。これは扮装のせいである。撮影開始は五時近かった。六時迄にワンカット。夕食、仕方がない、胸やけ食堂でカツとめし。夜は、とん/\行って十時半まで。社長宅の場。十一時半帰宅。
 あんまり糖が出るのを放とくのもいやな気がして、今日から食ひものを注意する。コーヒー紅茶を節し、甘いものをなるべく遠ざけてみる。何日迄つゞくか知らぬが、まあやってみる。


二月十一日(金曜)

 今日は日劇のアトラクション出演連の初日。日劇の前もう行列で客止め、紀元節で一帯人の波とはいへいゝ景気。十二時六分より渡辺・三益中心の「青春五人男」始まる、一時間四十分の長篇、澱みなく行ってダレない、殊に素人相撲のところ面白し。楽屋へ寄りダメを出し、高島屋ホールへ。青年部が海軍のロッパ一部分をやる、挨拶だけする。それから三信ビル地下へ理髪しに行き、有楽座の東京劇団をのぞいたら五分の入り、今日これではしょがない。四時、歌舞伎座の新派を見物に行く。母上・道子同伴。「地霊」のみ面白し、即ち梅島のみよし。食事、支那こゝのはましなり。


二月十二日(土曜)

 今朝伊藤松雄から手紙で、巌松堂で出版すると言ってゐた「ロッパ自叙伝」が、うまく運ばないから他を当ってみては云々といふことだった。鈴木亨氏の方を断はらしておいて今更そんなこと言って来るとは全く伊藤も困る。又日劇へ行き、舞台を見、ダメを出して、PCLへ四時半頃行く。プレスコ、愛国行進曲を歌ふところ、それだけで今日はアガり。佐々木邦のとこへ寄ると、在宅。「ロッパ自叙伝」を春陽堂から出すことを話すと大乗気で色々はかどった。帰って夕食、パンにする。道子咳しきりに出て苦しさう。


二月十三日(日曜)

 十一時半に来ればいゝとの電話、ゆっくりかまへてゐると、今度はすぐ来いと言って来る。PCLへ着くと、それ急げと言はれヅラをつけてゐると、十二時半開始故、ごゆっくりと言って来る、映画は万事これで困る。今日は義太夫の場面、二分以上ズーッとキャメラ二台で流しっ放しだった。咽喉痛いがまづ上出来で、客は笑ひをこらへてゐた。済むと中野実を迎へに行き、牛込の田原屋で森岩雄擁護を話す。中野も大いに賛成であった。それから牛込亭てふ寄席に高島屋〆右衛門の浪花節芝居あり、これよろしと入り、かなりタンノウし、銀座へ出て、ミュンヘン、ブレ、サイセリヤと梯子。


二月十四日(月曜)

 今日はPCLは、セットの組かへで休み。道子は咳ひどく床についてゐる。二時頃ビクターへ向ふ。雨びしょびしょ。三時から上山作詞の「ガラマサどん」主題歌を吹込む、徳山、江戸川が主で僕は言葉と、歌は一寸。終ると、佐々木俊一が「いやんなっちゃうね」といふ歌、他二つも作って、けい古させられる、このところいやに売れて細田が上山作詞の「兵隊床屋」を近日吹込めといき込んでゐる。上山と支那グリル一番へ行き支那食し、焼売二円がとこ土産にぶら下げて、橘のとこへ行く。友田・松村待ってゐて、すぐ始まり、三千ばかりの勝。十二時家へ帰る。明日が又早い。


二月十五日(火曜)

 湯ヶ島ロケーション。
 八時起き、PCLへ九時半すぎに入ったら、なーんのことまだ監督も来てゐない。ヅラつけ乍らコクリ/\居眠りする、何うも近頃ちと眠たがりすぎる、糖のせいかな。吉例の如く午前中ワンカットで昼休み、午後の撮影中、突如として今夜ロケーションだと言ひ出した。あれ、今夜は東劇へ母上・道子と行く筈だのに! 家へ電話し、僕の切符は徳山にやり、残念ながらロケ行き。四時頃撮影を切上げ、一旦家へ帰り、荷物持って、ニューグランドへ。明日明後日うまいもの食へまいからと、トマトスープ、白魚フライ、ミートボールに苺食って東京駅へ。七時十分で三島まで。PCLは中々厳しく二等は僕だけ。三島へ九時四十分着、ハイヤで湯ヶ島落合楼てのへ着く。宿は思ったよりいゝ。風呂へ入る。よろし。持参のウイスキーを傾け、二時頃床へ入る。


二月十六日(水曜)

 八時頃小便に起きて、見るといゝ天気である。もう一とねむりと十時迄ねたが、まだ始まる景色なし。ゆっくり入湯、渓流を見下して中々いゝ。朝食三杯食って、そろ/\支度をと言はれ、カツラをつけると、曇って来たので待機である。方々へ葉書を書いたりしているうち、とても見込みのない空合になったからとて、カツラを外す。麻雀を夕食迄やったが、――したゝかに負ける、食ひものも修善寺のあら井位は食はせる。夕食後、又麻雀する。今度はジャン/″\とついて昼の負けをゼロにしてしまった。十二時、ウイを飲み、ハムエグスの如きを食ひ、いゝ心持で床へ入る。


二月十七日(木曜)

 五時半だった、何だか雨の音のやうだ。見るとドシャ降りで、ロケは思ひもよらない。昨夜のハムエグスの如きものがいけなかったか腹がいかん。悪夢をあとから/\見る。十二時、入湯して、朝食。さて、脚本を書かうかと思ふが気分少しも出ず、又麻雀をやる。皮肉にも午後二時すぎから晴れて来た。照明の石川・製作主任の今井を連れて三島まで出る、三島カフェーで、洋食さま/″\たら腹食ひ、ゆられ/\て引かへし、十一時にねてしまふ。


二月十八日(金曜)

 八時に起される、入湯して、カツラをつけ、宿屋の脇の釣橋の上を歩くとこ、その上の会話、三カット、寒さにふるへ乍ら晴れ間/\を狙って撮る。何のことはない、此の三カットのために三日潰したことになる。自動車で三島へ。探しあぐねてゐたエアシップを発見、大喜び。二時五十何分東京へ向ふ。車中江戸川乱歩の「魔術師」を読み上げ、和田邦坊の「風ひら/\恋の文」を読む。六時東京会館のビクター新社長披露会へ出る。料理はうまかったが新社長伊東カムロ氏の長いスピーチには参った。八時頃抜けて、銀座裏の英太郎の家へ寄り一荘やり、負け、十時迎へが来てJOAKへ。明後日からの「当世五人男」の読み合せ、三時になって帰る。


二月十九日(土曜)

 十一時起き、PCLへ行って、森岩雄に久々対面、病ひ漸く快方に向ったが、まだお粥ださうである。漢方薬をすゝめて置いた。それからラッシュを見た、扮装が弱い、あまりに好々爺である。が、義太夫のところは流石に面白い。撮影は夕方アガり、石田守衛を連れて銀座支那グリル一番で夕食し、日劇へ行く。今夜が千秋楽である。フィナーレの行列にだけつきあって出る。AKから迎へが来て、テストに行く。これがすら/\行かない。擬音のためにおくれるのだ。夜も、三時近く、放送局のおいなりさんを食って、寒い/\と言ひながら帰る。


二月二十日(日曜)

 撮影終り――放送第一夜。
 八時起き、九時に徳山迎へに来り、砧まで。今日で僕の分はアガリの筈なのでハリキってゐるのに、石田守衛の奴が来ない。昼近くやって来たので撮影開始は一時半となる。石田にうんと怒る。六時からまだ四カットあったのを岡田敬も気をきかしてワンカットワンシーンといふスピードでやって呉れたので七時にアガり。食事する間もなく、迎への車で放送局へ。「当世五人男」の第一夜、八時五十分から三十八分、わりにうまく行ったらしい。終って、プランタンからサンドウィッチをとって食ひ、明日の分のテストにかゝる。これが又、手間どり、三時近くまでかゝり、ヘト/\になって帰宅。


二月二十一日(月曜)

 九時半起き、辛し。徳山迎へに来り、ビクターへ。細田作曲の上山詞「兵隊床屋」吹込み、リズムボーイズが加はって中々面白い。これが済むと、佐々木俊一の「可愛い女房」のけい古。昼休み、奥村・徳山と銀座の不二家へ行って食事する。ビクターへ引返すと、三時半から「ロッパ自叙伝」の幼年篇吹込み。済むと佐々木俊一の「ヒゲに未練は」のけい古。立て続けの大奮闘。ニューグランドへ寄り、トマトスープと犢のカツレツ。放送局へ。第二夜の「当世五人男」放送。昨夜のが好評なので馬力をかける。終ると又明日のテスト。うんざりしながらやる。一時すぎに終った。


二月二十二日(火曜)

 十二時半に出てビクターへ。「可愛い女房」の吹込み、能勢とかけ合ひ。三時すぎに終る。それから春陽堂書店へ行く、「ロッパ自叙伝」出版につき、指方竜二と、社長の和田に会ふ。条件は、三月二十五六日発行、五十銭で総ルビのこと。五時すぎ文藝春秋社へ、菊池氏に自叙伝の序文をたのみ、快諾された。又ビクターへ引返す。「ヒゲに未練は」の吹込み、徳山とリズム青年達。高いので歌って芝居が出来ず、たゞ歌ってるだけのものになった。放送局へ。第三夜「当世五人男」の放送、今までにない大熱演、涙を流しつゝやった。ちと泣きすぎたかも知れない。藤山・徳山・渡辺はま子・山野等来る。銀座へ出る。これで一段落やれ/\。


二月二十三日(水曜)

 父上十三回忌法事。
 ほっとした、撮影も済み、レコードも片づいた。久々で庭でボビーと遊ぶ。「子爵石川重之」といふのが来たので応接間で会ふと、皇徳奉賛会の本を買へと、子爵の物貰ひだ、いやはやえらい時世である。一階で溜った日記を片付ける。二時半に母上・道子と揃って、雑司ヶ谷父上の墓へ参る。父上の十三年の法事を、来月が留守故今月にしたのである。墓地から牛込の月桂寺といふ寺へ行き、読経三十分。五時に、赤坂のあかねへ、晴比古、馬渡、俵、古川の叔母四人、服部、須賀田、村上もよび、会食する。五円の食事、まあ食へる。八時にそこを出る。帰宅。


二月二十四日(木曜)

 十一時起き、夕方まで「ロッパ自叙伝」の脚本書き。歌詞を作る。馴れないので面喰ひながら、尤も初心な気持で書けて愉快だ。五時半に出て、芝の浪花家へ、「主婦之友」の「新婚ほや/\の花聟ばかりの座談会」、と僕が司会をつとめる。専ら甘い亭主ばかりで、がっかりした。八時、今朝へ。今夜は「ガラマサどん」のスタッフを呼んでゐるのだ。二十何名乗り込み、「ごあいさつは抜きます、よろしくのんで下さい」と、牛肉でやり出す。ところへ京極鋭五づか/″\と入って来り、築地金楽の例の二六会へ引っぱり出された。それから神楽坂で屋井が待ってゝ行き、ねむくなって帰る。


二月二十五日(金曜)

 十一時すぎ起き。一時から文ビルで大阪のけい古なので出かける。月給日だといふんで債鬼が文ビルをとりまいてゐる有様一寸スゴい。旅の手当出る。五円宛じゃ何うもやりきれない。ラジオの謝礼も貰ったが、三日間連続の、あれだけの人間に対し八百幾円しか呉れない。これでは困るから一度放送局へ話さう。けい古終ると東宝劇場で「たからじえんぬ」を見る。白井鉄造徒にきれいでスマート、その代り面白くない。木村千疋男と山野一郎で銀座へ出た。山野、何か感ずるところあるらしく僕に対し、「です」言葉となった、不可思議なる奴。


二月二十六日(土曜)

 今日は「ロッパ自叙伝」を書き上げてしまふ筈で、朝から頭の中がそれで一杯だ、本来なら三月二十日のアゲ本でいゝところを、一と月早くといふ快を味はひたくて。十二時半頃からづーっと夕方まで、執筆に没頭。手首が痛くなり時々休む。全部で五十三枚、七時に完成した。出来上って、場割、梗概と表紙を書いてほっとした。早くすめばチャップリンの「モダンタイムス」が見たかったのだが、もう暇なし、今宵はゆっくり家庭に親しまう。母上お留守で道子と二人、ゆっくり食事をした。「ファニー」を読み了ってねる。


二月二十七日(日曜)

 大阪へ出発。
 十時起き、今日は大阪へ立つ日。東京駅一時のかもめ。同行、柳・石田・菊田とあって退屈しない。食堂で夕食、到着まで丹羽文雄の「薔薇合戦」を読む、上巻読了。九時二十分大阪着。出迎へ大勢。真砂町の寿旅館へ落ちつく。変った宿屋で洋館の中が日本間になってゐる。風呂の小さいのはがっかり。北野劇場の前売あんまりパッとしないことをきいて心配。石田と出て、丸玉でウイ少々、カツレツを食ひ、宿へ帰る。くたびれた。
 北野劇場の前売りが四日間で二千円台である、これは甚だ貧弱で、心配になった。もと/\此の度の番組は、僕のプランでなく、吉岡が「若し、戦はゞ」をしきりにすゝめるので持って来たが、やはり「ガラマサどん」と行くべきだったのではあるまいか。不安を感じる。


二月二十八日(月曜)

 北野劇場舞台稽古。
 馴れないせいか九時半に眼がさめる。食事、卵と海苔だけあれば何処でもまあ食へる。十一時半頃から、座員数名と共に各新聞社を挨拶に廻る。堂ビルの地下、松井へ行き、理髪する。二時、劇場へ。先づ楽屋がいゝ。二の間がついて八畳。床の間がある。阪急の本社へ、佐藤社長と岩倉氏に会ふ。八月にこっちだったら六甲の阪急貸別荘から通ったらといふ話がよかった。座へ帰る途、アダヨにつかまりそこなふこと幾たび、此の遍は危いとこらしい。二時開始のヴァラエティ検閲が手間どり五時となる。それから「のどか」をざっと立つ。堀井・上山を連れて南のタカザワへ行く。ポタアジュとハムエグス、ビフテキ、うまかったが、高いので驚く。宿へ帰って日記。
[#改段]

昭和十三年三月



三月一日(火曜)

 北野劇場初日。
 十一時までねる。大阪松坂屋ホール、新館一周年記念の会へ(150)、客とても敏感で、感じよかった。四時、楽屋入り。入りを心配してたが、先づ辛じて空席なし。「権三と助十」は道具がいゝのでやりよかった。「のどかなる結婚」は、流石に大阪だ、京・名よりもずっとピンと来る。ヴァラエティの「春のコンサート」も無難である。さて問題は「ロッパ若し」だ。果して東北弁は東京の半分しか受けない。これにはがっかりした。しまひの「愛国行進曲」は、エプロン迄出て快くやる。ハネて、タカザワへ寄り、スープ、魚、鳥、肉と食った、うまし。竹川旅館へ寄り、来阪中の田中三郎・清水千代太等と一荘やり、くたびれて二時に宿へ帰る。
 今日久しぶりで舞台を踏み、何となくイタにつかぬ感じがした。といふのは又映画をやったせいもあり、此の間のラヂオのくせがついて、へんにセリフが、リアルになりたがるのだ。これには全く参った。


三月二日(水曜)

 十一時起き、堂ビルの松井と堀井、林が来た。今日は、ゆっくり麻雀する約束なので五時まで、オムライスなんど食ひ乍らやる。今日は成績よろし。劇場へ出ると、今日も、ぎっしり満員とは行かない。花井淳子が痔を起し蒼くなって倒れた。代役を立てる。「権三と助十」も「のどか」もよく笑ふ。が、残念ながら「ロッパ若し」は、昨日と同じに、半分の笑ひである。物貰ひなどしきりに来り、井上清なんてのがあらはれ四十円もとられる。馬鹿々々しい。PCLの滝村が秋田実を連れて来る、ハネ後南へのり出し、銀座会館てのへ行ったら、ウイスキーがない。竹梅へ、田中三郎がゐて、こゝでやっとウイスキーをのんだ。
 林長二郎の芸名を、本家から返せと言はれ、長二郎も返すことゝし、新しい芸名を一般から募集する。何といふ馬鹿げたことをするのか、何も返すことはない、その名はたとへ本家から貰っても、えらくなったのは自分ではないか。


三月三日(木曜)

 十一時すぎ迄ねる。吉岡が迎へに来り、嘉納の家へ挨拶に行く。いゝ塩梅に留守なのですぐ引きあげ、石田・大庭等で神戸へ。新開地のインチキ芝居見たくて湊座へ入る。三十分でたんのうして出て、元町の第一楼へ支那食しに行く。座へ引返したら、今日はとてもな満員。「権三と助十」で一声出したら、調子やってゐる。「のどか」大受け、「ロッパ若し」が、やっぱり物足りない。物貰ひ、新聞社のタカリ多く、もう六十円もやられた。馬鹿々々しい。ハネると田中三郎・清水千代太と待ち合せて京都へ向ふ。松園といふ旅館で、ねそべってのびる。糖尿専門薬ディアベトン錠を求め、のみ始めた。
 松坂屋ホールで「忘れちゃイヤヨ」をエノケンが歌ったらといふ例の模写をやったのを、夷署の保安主任が見てゐて、僕がその人の方を向いて故意にベロを出したり足を出したりして引込んだのは怪しからん出頭せよと言って来た、馬鹿々々しくて話にならぬ。上山を代りにやって何とか始末書でも出させることにしたが、何たるナンセンスであらうか。


三月四日(金曜)

 東山の松園て旅館、いゝ心持に十一時までねた。三人揃って河原町の五十嵐理髪店へ行き、さっぱりし、株式取引所前の南へ。ハムエグス、トースト、ポタアジュ、シャトブリアン。新京極の方をブラ/″\して四時の新京阪で大阪へ戻る。今日は九分といふ入りらしい。兎に角第一回公演としては出し物を誤った、客席の活気てものが何うもない。ハネて、京都へ。八田ダッシー氏をこっちから招待してある。祇園情緒を味はった。松園へ泊る。
 昨日「のどか」の衣裳の中から針が一本出た。初日から入ってゐたのだらうが、三日目になって出て来て、指をチクリ。さあ気になって芝居が出来ない。終って抜きとり注意しておいた。然しこれも舞台へ出かけにお稲荷さんをおがむおかげと感謝したことであった。


三月五日(土曜)

 京東山松園旅館の朝、五右衛門風呂でヒゲを剃り、のんびりサーヴィスに、もうかんを立てることも忘れて、それに馴れたのだ。外へ出ようと思ってると雨だ。うだ/″\してゐる間にもう夕景となり、四時半の新京阪で帰阪。座へ行く。母上から手紙で、道子入院無事手術をすませた由、大安心する。入りは満員。土曜日だけに活気あり。ハネると、又、タカザワへ。ポタアジュ、伊勢蝦のムニエ、カレーライス。此のカレーライスとてもうまし。竹川へ行き、田中三郎・清水千代太と二荘やり、大分おそくなった。


三月六日(日曜)

 今日はマチネーだ。昼から満員、ぐっと入ってゐるので笑ひも大きい。のどがまだよくないが、調子やったのに馴れて来た。「のどか」がやっぱり受ける。楽屋へ中村竜太郎が来た、曽我廼家の生活はつく/″\いやになった故よろしくたのむと、あんまり歓迎ではない。昼の部終って、嘉納の親分が、ウイスキーを持って「居るかア」と入来、祝儀百円を皆で分けろと出される。ビールを部屋でのみ、ビールの口金をギュッと一握りで潰してみせたり色々やられるので神経つかれる。夜も大満員である。嘉納の迎への車が来て、南の大西屋てのへ行く。コワイとみえていゝ芸妓は来ない。大分のんだ、いゝ心持で帰宿。
 嘉納が他の人に分らぬやうなことをよく分るのには時々驚かされるが、今日も調子の話から、お前は調子やっても別な声で処理する法を知ってるから大丈夫だと言ったが、これも他の人には一寸言へない。


三月七日(月曜)

 十一時すぎに起き、すぐ支度し、電気倶楽部の午餐会へ行く。昼食を会員と共にして、それから壇上に立つ。四十五分間ずっと喋り、大いに受けた。それから松井や林・堀井と約束してあるので堂島クラブで麻雀二荘、五千プ以上の負。座へ出ると、満員である。声、まだいけない。嘉納氏又来り、ビールのんでゐたが、やがて吐瀉し、一同あはてる。第一列に小夜福子が来てゐた。ハネると、竹川から電話、行って一荘やり今度は勝。松竹座の「春のをどり」の舞台けい古を見に行き、又竹川へ。二時すぎ宿へ帰る。


三月八日(火曜)

 十二時までベッタリとねてしまった。菊池寛氏に「ロッパ自叙伝」の中で、文藝春秋社の場があるから、一応検閲して下さいと手紙を書く。石田守衛が来り、三時頃新大阪ホテルへ、グリルでオニグラと、野菜グリルを食ったが、うまくない。早目に座へ出る。大岡で声がひどく苦しいので面喰った。「のどか」は、電気や小道具のトチリ多く、舞台監督も芝居を見てゐなさすぎるので大いに怒る。入りは満員で頗るいゝ。今日は咽喉が気になるから、のまない。タカザワへ行く。ポタアジュ、野菜グラタン、ビフテキ。宿へ帰って吸入し、伊東・大庭とABCゲームなんぞして遊ぶ。


三月九日(水曜)

 十時半起き、又堂島クラブへ行って、夕刻まで麻雀する。此ういふ無駄を省いて充実した生活を――と考へたりする、が、無駄をしては、それを取り返さうと努力するところに進歩も生まれるといふもの。劇場へ出る、今日も先づ満員である。昨夜養生したから、声の調子がよくて嬉しい。嘉納氏が栄養素メトロってのを呉れた。又南のタカザワへ行き、ポタージュ、魚のグラタンと肉。コーヒー。宿へ帰る、家から味噌が届いた、明朝のめしが楽しみである。岸田国士の「時・処・人」を読みつゝねる。


三月十日(木曜)

 十一時迄ねる。味噌汁は東京から送って来た味噌だからうまい。石田・三益・高尾と竹川で、浪花座の関西新派を見に行く。「大地」と「露営の歌」で、どっちもキワものなので面白くなかった、梅野井秀男てのは全くインチキである。都築文男だけがいゝ。道頓堀のぼんちで豚カツを食ふ、東京の下谷のポンチ軒の亜流である。うまくなく、わりに高い。座へ出る。吉岡社長が一寸来た。入りは、ぎっしりではないが満員といへさう。ハネて、竹川へ行き、タカザワのライスカレーとって食ひ、山田伸吉も来て「ロッパ自叙伝」打ち合せ。それから一荘やって二時すぎに宿へ帰った。
 ふと、煙草の銀紙を、みんなも溜めてゐるのだから、心して取って置かうか――と思った。が、そんなことをして、舞台に立つ時、朗らかさに蔭がさしては大変だと思ってやめた。大切なからだだ、めったに倹約などしてもいけないと思ふ。


三月十一日(金曜)

 十二時から放送なので、出かける。こっちの放送局は、万事AKと違って、例へば送迎への車なども来ず、拾って来ればそれを局で払ふといふ式。僕は「江戸っ子部隊」と「水兵さん」を歌ったのみ。済むと堀井と一緒に竹川へ。竹川女史と山田伸吉で麻雀する。座へ出ると、今日は完全に満員らしい。声もすっかりいゝので気持よくやる。ハネると、神戸へ行かうと、堀井・大崎と阪急に乗る。三ノ宮バーへ行って、ウイを傾けつゝ、色々なものを食ふ。此ういふ店が東京にもほしいものだ。それからバー横町をあっちこっち、二三軒寄る。帰りは神戸から車でふっとばす。宿へ帰ったのがもう四時近かったか。


三月十二日(土曜)

 起きると咽喉が又いけない、何うして此う弱くなったのか。一時に宿へ、秋田実、「エス・エス」のインタービューで来た。話はパッとしないが、中々の勉強家なのが嬉しかった。三時に、嘉納の招待で、北の瓦斯ビル裏梅月といふ天ぷら屋へ行く。嘉納の自慢ほどあって実にうまい、軽くサラッとしてゐて、大きいがいくらでも食へる。座員十数名、うんと御馳走になる。座へ行くと、今日は完全な満員。田村淑子後援会で何百名か連中あり、声がかゝって賑か。菊池寛先生より手紙、たゞ一行「手紙の件承知した」と来たので安心。ハネると、まっすぐ宿へ帰る。吸入をしきりにして、ねた。日日の約束「わが友を語る」三枚半を書いて。


三月十三日(日曜)

 マチネーで十一時起き、朝食が、東京の味噌は来たものゝ何うにも辛くなった。座は昼から、ぎっしりの満員である。声は、吸入のおかげで昨日よりづっとよくなった。「のどか」で、劇場内の何処かを工事する音カン/\とひゞき芝居こはれる。段々教育しないとしようがない。昼終ると、外出する暇もなく、はかなきカツレツとライスのみ。夜は補助がベッタリ並んでゐる。気持がいゝ。「愛国行進曲」も客が大分合唱するやうになった。山田伸吉と打ち合せが又麻雀と変じ、二時半迄、竹川・堀井・山田でやり、大いに勝つ。ねむい/\と宿へ帰った。


三月十四日(月曜)

 十時に起きると、池田の小林さんとこへ出かける。小林家は、旦那様も奥様も東京といふことで、女中によろしくと言ひ残して帰る。えらい人のとこへ行くのは、神詣でに似ていゝ心持だ。池田から結局大阪へ出て、梅田劇場で「南京」と「ボビーの凱歌」を見る。「南京」は、徳川夢声の解説がいゝ、久々で弁士のよさを味はった。座へ出ると、入りよろし。補助が出てゐる。母上よりの手紙で、道子もどん/″\快方、安心。岸田国士の「時・処・人」を読む。
 エノケンも四月は、丸ノ内松竹で、こっちと対陣するといふ話で、敵ではないが、活気があっていゝと思ってたのに、結局浅草とのこと。がっかりである。


三月十五日(火曜)

 マルシエル・ジョフルの昼食。
 今日はフランス船の昼食をよばれてゐる。速水氏と待合せ、神戸港碇泊中のフランスM・M汽船マーシエル・ジョフル号へ。M・M支店長バルベ、ルキエン、それに船長とわれ/\。パンがテーブルに直かなのが珍しい、白赤のワインをあとから/\注がれる。オルドヴルの次がスープ抜きでロブスターチーズ焼、うまい。鳥の次がフアガラ、ラムチャップ、その間にシャンパンが注がれる。甘いシューフレのうまかったこと。あゝ久しぶりにたんのうした。コーヒーは上甲板の室で、葉巻が出る。仏人たちは日本語が巧いので話ははづむ。冷たい風、海を久々で見る。そこでのんだレモナーデの一杯が又しみ/″\とうまかった。船を下りて来ると、沖仲士が五六人、「ロッパのおっさん!」とどなった。此ういふ階級が僕を知ってる、嬉しかったので、手を振った。楽屋へ。入りよろし、補助がジャン/″\出てゐる。ハネると、土屋・石田・大庭を連れて、サンボアへのみに行く。あんまりうまいものを食ったので、まづいもの食ひたくない。たゞのみたくなった。
 道子十五六日退院とのこと、腹を少し切開したらしい、が、大へん経過いゝ由、温泉で静養したら、元気になるであらう。


三月十六日(水曜)

 宿の朝めしのはかなさに、がっかりする。此の宿は失敗だった。一時、梅田映画劇場へ、「ロッパのガラマサどん」初日。えらい満員で座席探すのに苦労した。「ロッパのガラマサどん」は、思ったより上出来で、山本嘉次郎のよさが出てゐる。客もよく笑ふ。あんまり笑って肝腎のセリフが消えることしきりである。それから竹川へ行って、山田伸吉のデザイン出来上りを見て、北の重の家へ、日本食――に行く、うまいがいくら食っても満腹しない。座へ出ると、満員より一寸少い。ハネると、石田・大庭・伊東を連れて、サンボアでのみ、竹梅へ行って散財する。


三月十七日(木曜)

 東久邇宮御前漫談。
 十時起き、車で一路芦屋へ向ふ。鐘紡社長津田氏の家、東久邇宮殿下が、鐘紡工場見学の往途、寄って食事されるので、その余興にと、高島直三郎氏にたのまれたわけ。食事も殿下と一緒とか言ったが、さうは行かない、あちらは洋食、こちらはつるやの折詰のおべん。高尾の新舞踊、三益の一人トーキー、僕の漫談、すっかり調子やってるので、驚いた。あがったかな。座へ出ると今日は九分と迄行かぬ入り、これは梅田映画の「ガラマサどん」に食はれてゐるに違ない。実に面白き現象ではないか。柳・菊田・斉藤来阪、脚本揃ふ。ハネて、渡辺を連れて、サンボアからジャパン、すしを食って帰る。
「のどか」の時、三益のセリフをうけて、僕が梅島張りで、「大丈夫だよウ」と言ふところがある。そこで、僕のセリフにかぶせて、客席の幼い子供が、「大丈夫だよウ」と大きな声で言ったものだ。客席ドッと、しばらくは笑ひ止らず、こっちは立往生。全く子供に食はれた。


三月十八日(金曜)

 今日は阪急社長佐藤氏の招待で、北の本みやけへ行く。宿のめしを食はずにすんだのは有がたい。宿では、板前がいろ/\気を使ってるらしいのだが、何んなものにもトマトケチャップがかゝってゐる、新婚の花嫁が毎朝トマトケチャップを食はせるといふユモア小説を書きたい位だ。本みやけへ行くと、関西風すき焼といふもの先づまづし。いくらも食はず。やっぱりなつかし三河屋のタレ。石田と心ブラして座へ。映画の「ロッパ」に食はれて、入りがはっきりしなくなった、僕が帰ったあとに出すのならいゝが、これは策を得たものでなかった。声、又いけず、大岡をいつもの橘屋から急に高麗屋でやったので皆びっくり。
 道子今日湯河原へ行った筈、どん/″\いゝらしいので安心なり。


三月十九日(土曜)

 じっくりと四月の脚本を読み、配役を考へる。うちには、うまい役者がゐないことがしみ/″\分る。堂ビルで理髪して、座へ出る。四月の「自叙伝」と「子ゆゑの春」の宣伝写真を撮る。声、昨日よりよくなった。入りは、土曜なのに満員でない。隣の映画に食はれてゐること歴然たるものがある。ハネると南で文芸部の会をやる。宿へ帰ると吸入してねる。


三月二十日(日曜)

 宿のはかなき飯を食ひ、座へ。劇場の表フンドシに、次にかゝる東宝名人会と、来月の東宝劇団のが出てゐる、あと五日もあるのにこんなことされてはやり切れん、外させるやうに言ふ。昼満員。取らしといた嘉納氏一家の切符を入口で売ってしまったと言ふので、柳を怒る、怒られた柳が表へ行ってどなる。そこへあひにく嘉納が来ちまったのでこれ迄怒り出し、いやハヤ弱りであった。門司から加藤丹二がバナゝの篭を下げて、やって来た。夜の客席に、門司時代の伊丹監助も来てゝ、偶然一緒になった。飲まずばなるまいと、竹梅へ連れてったが、いやはやダレちまって欠伸ばかり、丹二を連れて宿へ帰る。


三月二十一日(月曜)

 加藤丹二のいびき相当なり、こっちも負けずに競演した。十時半起き今日もマチネーである。昼から満員。こっちは子供客が多い――といふより切符なしで連れて来ちまふらしい、客席ざわ/″\。昼の終り部屋で「喧嘩親爺」の本読み。食事しながらきく。京都の八田氏ゲイコを三四人連れて見物。夜の部又々大満員である。雨になったので暖くなり、汗が大いに出る。ハネると大阪の虎屋信託の重役肥田氏の御馳走で、宗右衛門町の大和屋別館南クラブといふとこへ。どうもこっちの遊びってもの、大阪言葉を修得しちまはなくては、ハメが外せない。


三月二十二日(火曜)

 早起き、十時。六甲登山口で加藤丹二と待ち合せて、八月にそこから通はうかと思ふ別荘を見に行く。ハイヤで上る、これが高い、片道五円。山の上の別荘を見る、いゝ。神戸の阪急で速水氏と待合せ、先日知り合ひになった、マルセル・ルキエンの家へ。食事。これは期待しすぎて、あんまりうまくなし。シャンパンと赤葡萄しきりに出る。座へ。楽屋へM・Mのバルベ氏等来る。「のどか」は、外人にはよく分るらしく大笑ひしてゐた。初夏の如く暑し、気持わるし。


三月二十三日(水曜)

 初夏の季候である。朝日会館へチャップリンの「モダンタイムス」を見に、出かける。やっぱりいゝ。この影響は受けまいとしても今年中受けてしまふに違ひない。南のタカザワへ。速水氏とその妹、川口・三益を招待し、おやぢ自慢の料理食はせる、コンソメに魚のグラタンとビフテキにカレーライス。座へ出る。今日も入りは落ちない。声大変よくなった。ハネて、宿がいけないので、すらっと帰る気せず、すきやき食って帰る。


三月二十四日(木曜)

 朝食あっさりコーヒー、ハムエグス。てのは今日梅月の天ぷらをしこたま食はうといふ下心なので。さてもう今明日で此のムザンな宿もおさらばなり。竹川も共に梅月へ。先日の通り白いさしみにお椀とかきあげと並の天ぷらを食ふ。初め食った時のやうには行かない。が、あと口は、たしかにあっさりしてゐる。今日も入りは同じやうである。結局平均八分強か。然し、二円半もとってるし、入れものは大きいしアガリは相当の筈。ハネると京都へ。屋井が遊びに来り、ぎをんの松そのて旅館へ行く、大いにさわぐ、ウイを久々で大分のむ。
 エヤシップが、いよ/\なくなって来た、むりに探させたのが、しっけてゐて、吸へない。やむなく、チェリーにしてゐる。中学生からのなじみタバコに失くなられては実に悲しい。相当、生活気分に影響することである。


三月二十五日(金曜)

 北野劇場千秋楽。
 京都松そのの朝、大阪の宿がひどいので、何だかひどくいゝ気持。屋井は今夜一緒に帰途につき、熱海へ下りて一休みしようといふ。円山公園の平埜家いもぼうへ出かけて朝めし。変ってゝうまい。座へ出る。払ひいろ/\。宿は、きたないだけに六十何円と安かったが、京都その他の払ひ莫大で、足りなくなる。嚢中カラ/\。丹二に別れに三十円やる。入りは満員、大岡でフザけてオリムピックの引込みをやる。十時ハネ。十一時の汽車で、出発、食堂車へ乗り込む。


三月二十六日(土曜)

 朝の六時半に起される、七時半に熱海で下りるので。幸四郎・寒玉・伊四郎と此の列車えらい豪華版、勧進帳列車だ。熱海で下り万平ホテルの日本間へ。屋井・大庭・石田・伊東に、何ういふものか田村淑子親娘が先に熱海で待ってゐた。海を見乍らかんたんな朝めし、久々おみよつけらしいものをのむ。十二時近く一休庵へ普茶料理を食ひに出かける。こういふものもうまい。五時の汽車で帰京。一たん家へ帰ったが、又出て有楽座の前売りを調べる、大分いゝ。八重子の「新しき門」を一寸見、東宝の「満洲より北支」を見、銀座ルパンへ屋井と落ち合ひ、のみ。
 旅から帰るといつもしばらくは、東京にテレる感じ――といふよりしたしみにくい、足が地につかない。洋行すると、これのひどいのになって、東京―日本に容れられなくなってしまふのだ。芸人は東京を離れることは恐れていゝ。


三月二十七日(日曜)

 一時から文ビルでけい古始め。朝めしのうまいこと、わが家なるかな。月給が出る。本読みにかゝる前に、訓辞。袖で芝居を見ようてふ了見のものが殆んどない、もっと勉強しろ、お早やうおつかれの礼は、精神のともなふものなり、等。それから「ロッパ自叙伝」の本読みをし、「子ゆゑ」は久保田氏自ら読んで呉れた。つゞいて読み合せ、なまり直しが厳格で嬉しい。「喧嘩親爺」を立つ。五時すぎ終り、久々ニューグランドへ、ミネストロスープとロブスター・ニューバーグ。あんまりうまくない。六時、湯河原へ。湯河原翠明館、道子の傷跡も思ひの他よくなってるので安心した。


三月二十八日(月曜)

 十時半に宿を出る、雨。十時五十二分の上り、二等の切符を持ってるのに満員で、久しぶり三等てものへ乗った、ひどい設備、それに少々くさい。新橋からけい古場へ。一時から「ロッパ自叙伝」を立つ。これは僕の独演会みたいなもの故、はたのけい古は簡単である。「喧嘩親爺」を通して立つ。間に、徳山と名物食堂のはげ天で食事、大分趣味が変った。山野一郎来り、又五十円借りられる。五時から「子ゆゑの春」で、久保田先生すっかり脚本に手を入れ、違った芝居になっちまふ。珍しく緊張したけい古だ。すむと有楽座のわらわし隊見物、エンタツが面白い。生駒雷遊来り、笑の王国分裂、何とかこっちへ一団隊送ってくれとの話。


三月二十九日(火曜)

 十一時までねる。朝飯――つく/″\うちのがうまい。一時、けい古場へ。「子ゆゑの春」万太郎宗匠、じっと座ったまゝの演出である。終ると、菊田の「喧嘩親爺」で、五時からが「ロッパ自叙伝」。かなり面白く行ってゐる。「春いくたび」の主題歌もいゝし、鈴木静一の此の仕事は成功らしい。湯河原から電話、竹川女史が来てゝ今晩おいなはれと、のんきなこと言ってる。明夜行くことにする。今回のけい古は日が少いので反って緊張していゝ。橘のとこへ。麻雀、大いに負ける。あとひかず早く切り上げて帰宅。


三月三十日(水曜)

 文ビルへ出ると、川口が久保田の親爺は、手を入れすぎて、こっちの狙ひどこが全部外れちまふから、久保田にかけ合ふといきまく、弱ったことである。幸か不幸か、久保田先生、今日は伴田五郎の葬式で、休むと電話があった。川口は今晩にもかけ合ふと言ってゐる。六時に、新喜楽へ。菊池寛氏令嬢と藤沢閑二君の結婚披露へ行く。久々で僕は夕刊読みの模写をやったが、声が定まらず、うはづって失敗した。八時十五分で、湯河原へ向ふ。車中、「喧嘩親爺」のセリフを入れる。セリフを覚えるってことがなかったら此の位いゝ商売はないんだが。湯河原へ十時すぎ着。


三月三十一日(木曜)

 ゆっくりねて、入浴。温泉の朝は、いつも悪くない。三時二十一分の湯河原発で帰京。新橋へ着くとドシャ降り。日劇今日から「ロッパのガラマサどん」封切、列をなしてゐる。文ビルへ、「ロッパ自叙伝」を音楽入り、ダンス入りで通す。八時から「子ゆゑ」を立つ――ところが川口が、「今日から久保田氏を引込めたから自分でやる。」と、直したとこを戻すやらゴタついて、それから立つ。有楽座の方じゃ「戦争とヒゲ」やってゐるので、見に行く。徳山ハリキリである。帰って明日徹夜故、アダリン少しのむ。
 川口が久保田氏を引込めるのに、あからさまに自分の心情を言はずに、「古川がとても注文がきけないと言ってるし、中々座内にうるさいことがあって云々」と言ったと言ふ。これは久保田氏に誤解されては困るから近いうちに行って、その話をしてしまふつもりだ。
[#改段]

昭和十三年四月



四月一日(金曜)

 有楽座舞台稽古。
 ゆっくりねて十一時半起き、家を出て理髪、さっぱりして座へ行ってみると、四時がゝりで行けるといふ。最初が「ロッパ自叙伝」だ。何とこれが十時間かゝった。道具の待ちがその大半で、やりながらセリフを覚えるこっちもルーズだが、此うなるとさうはハリキれない。漸く夜の三時近くにトれて、さて「子ゆゑ」である。これは久保田氏来ずの川口の演出、三益の部屋着をひっかけて、ガンばられちゃあニラミは利かない。皆、久保田氏の注文と矛盾するので、やりにくゝて弱る。これのトれたのが八時近い。「喧嘩親爺」終ったのは何と午前十一時半。自動車中コクリ/\、まっぴるまの東京を帰る。
 舞台けい古の時、客席で行儀悪くグーグーねちまふ奴があるので、これを今日はイキナリ禁じた。「一切客席でねてはならん、ねたければ外でねろ。お客でもいゝ、ねてゐたらひっぱたいて起してしまへ。」


四月二日(土曜)

 有楽座初日。
 吸入してねたが、さて徹夜の声を使ひ通しのあとは、大分咽喉いけない。座へ出てみると、大満員、開場と同時に補助も出切った。序が終る、「喧嘩親爺」やってみると全然笑の王国劇、然しらくでいゝ。「子ゆゑの春」は、演出・作者のいざこざで本が直ったり又戻ったりしたのでやりにくゝ、どうもごたついたが、受けることはとても受けた。「ロッパ自叙伝」前半がよすぎて、後半がもう一工夫だった。十時四十分ハネ。ルパンで一杯のせて、帰ると、ねむいのを我まんして吸入をした。さて嬉しや、たっぷりねよう。


四月三日(日曜)

 二日目のマチネーって奴は辛い。座へ出る、もう大満員、「喧嘩」は、らくなもの。「子故」はどうも作者と演出家との問題から、やりにくゝっていけない。昼の終り、屋井が来て、ホテルグリルへ行き馳走になる。ミネストロンにオルドヴル、チキンパイ、みんなまづかった。座へ帰る、夜も大満員、補助も出切ってゐる。「子ゆゑ」は、久保田・川口両人が来てるので、やりにくいこと甚しく、いきなり出のセリフを忘れておこつく。ハネると、ビクター岡に金楽へよばれ、久保田・川口等でのむ。川口が帰って、久保田氏に、川口が嘘ついてる、ほんとは何もないのだからとよく話したら、快く分って呉れて、乾杯。二時に帰る。


四月四日(月曜)

 十一時半までねる。入浴してアーアーと声を出してみる、悪くはなってゐない。アンマとってゐると鏑木が来り情ないことばかり言ふので十円やる。道子二時半に湯河原から帰京。五時半、座へ行くと、もう補助がどん/\出てゐる。先づこれなら大丈夫、千秋楽まで満員である。「喧嘩親爺」今日あたりからハコに入って来た。「子ゆゑの春」は、まだハッキリセリフが入ってないのと、何となくコダハリがあるのとでまだいけない。客、しきりに泣く。「ロッパ自叙伝」クタ/\にくたびれる。母上見物で一緒に帰る。久々親子三人で話して十二時、二階へ上る。


四月五日(火曜)

 十二時半迄、全くよくねた。読書日記をまとめ、「綴方教室」を読み始める。とてもいゝので惹きづられる。五時に出る。赤坂見付の桜花美し。座は、今日も指定席満員の札が掲げられてゐる。「喧嘩親爺」は、楽で、受ける。菊田も注文がきけるやうになった。「子ゆゑ」川口が来るのでやりにくかった。川口がおはやしを呼んで、出す注文には感心した、やってみるとその通りである。「自叙伝」は兎に角くたびれる。ハネが段々早くなり十時十五分位。菊田と斎藤を連れて、支那グリル一番で支那もの、食ってまっすぐ帰宅。
 エヤシップの代りに、チェリーを吸ひ出したら、馴れといふものは恐ろしいもので、近頃では、チェリーでなくてはならなくなってしまった。恐ろしいと言ひたい。人間の執着なんてものは、はかないものではある。


四月六日(水曜)

 河本重次郎博士が亡くなられたので、母上と共におくやみに寄る。未亡人の態度、応対のうまさに感心。靖国神社から九段坂あたりの桜花満開美し。神田へ出て、新刊書を漁る。「ロッパ自叙伝」も店頭に出てゐるが、装幀がパッとしない。清水崑の装幀は失敗だった。東宝ビルへ行く。支配人に、社長が旅のプランをいぢくりすぎて困ると言ふ。何とかすると言ってゐた。デンツーで食事。ポタアジュ、レタスとヴィルカツ、一っそこゝらがうまい。座へ出ると、大満員。「子ゆゑ」ははぢめてうまく行った。作者が見てないので気が楽になったのか。中野実、屋井と来り、銀座から神楽坂。この顔ぶれじゃ夜も三時半となりしもことはりなるべし。


四月七日(木曜)

 十一時すぎに起きる。一時にビクターへ行く。飯田信夫の「ポコペン節」をけい古する。レコードって奴は当るまで辛抱するんだからやり切れない。「日本人だぞ」「江戸っ子部隊」も当ってはゐないらしい。大庭と石田が来て、銀座へ出て、喫茶店へ入ってみる、いゝ年をした奴ばかりが、まっ昼間茶房にゐる図はみっともない。支那グリル一番で夕食して座へ早目に出る。今夜は補助が出切らなかった。「子ゆゑ」で轟の頬ぺたピシャッと音のする程打っちまって気の毒。滝村和男と次作品の打ち合せ。


四月八日(金曜)

 十時起き、ビクターへ。飯田の指揮で「ポコペン節」声はあんまりよくないが、調子がよく行った。十二時前に終る。銀座の千山閣へ、堀井・斎藤・林とで麻雀。終りに近くに清一色の満槓をやって参千ばかり勝。此んな麻雀だと面白い。かもめへ寄り、夕食。飯二杯。飯を多く食ふと体の調子が悪いやうなので、なるべく飯を避けることにしてゐる。座へ出ると、補助出切りの大満員だ。「喧嘩」は、楽な代りつまらん。「子ゆゑ」はなるべく泣くやうにしてゐる。泣かないと声がうるまない。「ロッパ自叙伝」童謡は二つカットした。ハネは、十時十五分頃に定まる。まっすぐ帰宅。パン食。
「子ゆゑ」で、轟の顔を昨日ピシャッと打ったので、今日は加減して打つ真似にした。すると、あとのところが、うまく泣けて来ないので、気の毒だが、毎日本当になぐらうか、と思ってゐたら、轟が「本当に打って下さらないと、あとやりにくいです」と言ふ。では、打つといふことにした。


四月九日(土曜)

 たっぷり寝たので気分いゝ。二時に家を出て、道子と雑司ヶ谷の墓参りに行く。雑司ヶ谷の祖母上のとこへ。九日の集りで夕方から皆集る、加藤伯父上の耳へ柳が注意を要する旨告げた者がある由。気をつけよう。今日も補助出切りの大満員。「子ゆゑ」段々に手に入った、川口が見てゝ尚二三注文あり。ハネて、銀座の長崎てふ喫茶房に行き、大庭・石田と、喫茶房てものゝアホらしさを充分味はひ、帰りに新宿のおでん立喰したら、こいつがめっぽううまかった。
 今日の読売夕刊に岡鬼太郎の劇評が出た。序幕をけなし、「子ゆゑ」の芸妓のひどさは「温泉廻りの女役者以下」ときめつけてゐるが、僕はとても評判よく、大した賞められ方。「自叙伝」はすっかり賞められてゐる。


四月十日(日曜)

 十一時半に出て座へ。昼は大満員。気を抜く芝居がないのでハリキリ通しだ。一瞬として休む暇のない商売とつく/″\思ふ。屋井来り、ホテルのグリルへ。ポタアジュ、白魚フライに、野菜グリル。野菜が一ばんうまい。屋井しきりに劇団のことを心配して呉れる、嬉しきこと。座へ帰ると、吉岡社長来り、大阪へ「大番頭」はいけないと言ふ。結局今月の此のまゝ持って行くことゝ決定。「自叙伝」は、ウンと刈り込み、短くするつもり。夜の部も大満員。ハネてから、母上・道子と今朝へ寄り、牛なべ。まっすぐ帰宅。
 今日は「都」に青々園の評が出た。昨日の岡鬼太郎のと大体似てゐるが、いくらか甘い。これも大体好評だ。


四月十一日(月曜)

 十時に起きて、久しぶりで小石川の折笠医院へ行く。こゝんとこ一寸調子が悪いので、診断して貰ふ。糖は相変らず出てゐる、然し気にしてはいかんと言ふ。雨の中を丸の内へ出る。日劇の「健康美ショウ」ての見た、益田隆の踊りがよかった。大河内の「巨人伝」は、長ったらしいが見てはゐられる。東宝ビルへ。社長に、旅の手当を何とかして貰はなくてはやり切れん旨を話す。考へておくといふ返事。那波・秦に渋沢秀雄もゐて、色々話す。ニューグランドへ行き、トマトスープ、コゝット入の鶏。雨強く風も強し、嵐だ。座は然し大満員である。一寸嬉しい。「子ゆゑ」は気持よくやった。ハネてから、例の華族の会の招待で金楽へ行く。三島・織田等々華族連つまらず専ら犬養健と話す。おそくなった。
 犬養健は、今日の芝居を見物して、「ロッパ自叙伝」の、ペーソスをとても買って呉れた。犬養は此のことを「東宝」に書くと言ってゐた。


四月十二日(火曜)

 十一時半起き。「綴方教室」を読む。子供の作文はしみ/″\いゝ。樋口から電話、谷幹一の父が死んだので花環をといふ話、何のかのと毎月花環が幾つか要る。二時すぎに出て、折笠へ。温める、一時間。ビクターへ。鈴木静一曲の「ない/\づくし」をけい古する。樋口と落合って文藝春秋社菊池氏のとこへ。六時座へ入る。今日も大満員である。焼そばをとってかっ込む。阿部義資だの、小林千代子だの、就職者来り、くたびれる。「子ゆゑ」まあ/\纏まった。「ロッパ自叙伝」は全くくたびれる。ハネ、十時十五分。屋井と楽亭の支那めし。


四月十三日(水曜)

 十時半までよくねた。一時頃道子と出て、帝都座へ日活の大作「忠臣蔵」を見に行く。一円・二円の高値だのに相当入ってゐる。千恵蔵と阪妻がよかった。紀の国屋で新刊「花ある氷河」を買ひ、折笠へ行って、治療しながら読む。座へ出て、双葉の親子をとって食った。今日も、大入満員、補助も出切ってゐる。「子ゆゑ」は段々いゝ心持だ。徳山が、ビクターで五、六月は旅へ出したがらないのでと言ふ。今日も小林千代子にたのまれてる青年来りうるさくてしようがない。まっすぐ帰って、パン食。


四月十四日(木曜)

 十時起き、折笠に行く。十二時すぎに出て、銀座の千山閣へ。堀井・林・斎藤とで麻雀。二千近く勝った。多助へ寄って夕食、おでんも他のものもうまくなかった。今日は、補助椅子が少し残ってゐた。徳山は、五、六月の旅は身体に自信がないとか言ってる、が、こっちも出て貰はないと困るから最悪の場合は一本にするとか色々案を出す。明日はビクターで話すことゝした。ハネると入浴してまっすぐ帰る。
「日日」に、佐藤俊子の劇評、「ロッパの笑顔」と題し、大いに賞めてゐる。が、三宅周太郎でなくちゃ賞められたやうな気がしない。


四月十五日(金曜)

 十時半にちゃんとビクターへ行く。上山作・鈴木曲の「ない/\づくし」の吹込み。三十数分しかかゝらずに終る。リズム・ジョーカースと一緒。徳山来り、結局五月は大阪へ出る。六月は出ないと決定した。ま、仕方がない。奥村と昼間の銀座を歩く。折笠へ。この間本が読めるのがめっけものなり。座へ出ると、今日も完全な大満員。ハネると屋井の例会。神楽坂のたかの羽ってうち。芸談に花が咲く。三時すぎ帰宅。
 病気で休んでゐるエノケンが、つひに一座を解散したって話だ。そして数名の身うちだけ連れて東宝映画へ入ったとか、日劇へアトラクションで出るとか、いふ話だ。いやな話である。


四月十六日(土曜)

 一時に日比谷新音楽堂へ行くので十二時半に出る。東日の「日の丸行進曲」の発表会、新国劇の連中のあとへ出て十分ばかり喋った。東宝劇場へ、トリの「ミシシッピー・ローズ」だけ見る。珍しくまとまった、いゝレヴィウ。それから折笠へ行き、一時間ゐて、又日比谷へ引っ返し、名物食堂のハゲ天で天ぷら。座へ出ると今日も大満員。山野一郎、北海道から帰ったと来た。六月の旅に使ってやるつもり。ハネ十時十分。まっすぐ帰る。夜食パン。
 道子も屋井も言った、僕の声色は下手になった、と。此の間菊池氏の娘さんの結婚式の時に、自分の口が、のどが、言ふことをきかなくなったので驚いたが、もうこの方はやめていゝ頃だ。情熱もなくなってゐるし。もうこのへんで、声帯模写はおくらである。


四月十七日(日曜)

 マチネーだ、日比谷あたり、好晴なので人出多し。座も、もう「全部満員」の札が出てゐる。又屋井が来てホテルのグリルへ。コンソメにフィレソール、チキンコロッケ、何を食っても、M・Mの食事以来うまいと思へなくなっちまった、不幸であるかも知れない。夜の部も大満員だ。「喧嘩」の序幕があいてから、渡辺篤のゐないことに気づき、林寛が急に扮装して出た。すぐ渡辺が帰って来て、林寛の役をやり出したから、よっぽど珍景を呈した。屋井が待ってゝ浅草のみやこへ久々で行く、山野の北海道受難記の一席をきゝつゝ一時すぎまで。


四月十八日(月曜)

 十一時頃起きる、折笠へ。治療一時間「ドナウの春は浅く」を読む。三信ビルの地下で理髪、東宝ビルへ寄り支配人と、しばらく話す。樋口とデンツーの食事、こゝは家庭料理の味。座へ出ると、今日も補助出切りの満員である。高尾光子が祖母の不幸で休んだ、困った心がけである、田村淑子が代役した。「子ゆゑの春」で、轟が一分銀を落してしまひ、空をつかんで芝居した。そこが済んだら「たとへ魚屋はしてゐても」ってとこを「大工はしてゐても」と言っちまひ、言ひ直したので悪落ち。ハネて珍客二戸儚秋と山野一郎を連れて飲む。


四月十九日(火曜)

 十時に徳山が迎へに出る約束、一緒の自動車で出て、鎌倉へ。大塔宮の久米正雄邸へお見舞に。胃潰ヨウで、ねてゐるが、元気な顔であった。そこから小町の加藤伯父上のところへ、徳山同道で行く。前に言ってあったので御馳走沢山、豚の角煮に、掛炉焼鴨など。四時の汽車でと駅迄出たら、何と伯父上の家の便所へ紙入れを忘れたのを思ひ出し、ヂイヤが駅迄持って来たのを受取って四時二十何分に乗る。座は今日も補助の出切る大満員であった。高尾休演。ハネると銀座裏ですしをつまんで、まっすぐ帰宅。
「喧嘩親爺」のオヤヂ二人の名が、安永安左衛門と島井五助、有名な実業家の名に似てゐるといふので、多分小林さんからの注意だらう、今日に至って改訂を命じられ、石原安右衛門に樫村啓介といふことにしたのだが、さあそれがやりにくいの何のって。そのために芝居の調子が出ないで弱った。


四月二十日(水曜)

 九時半頃起きてしまひ、折笠へ行く。治療一時間、「ドナウの春は浅く」を読み上げる。それから銀座へ。千山閣で、いつもの連中と麻雀、清一色二回やった。林寛常勝将軍がひどく負けてくさってゐる。不二家のサンドイッチを食ったのみ。座へ出ると、今日も補助出切り。高尾光子今日から出る、「勝手を致しまして」と言ふ、答へない。三益が、子供のため京都のみ休むと言ふ、答へない。「自叙伝」で轟トチリあり、大いに怒る。ハネて、道子と姉・子供等ホテルグリルへ。オルドヴル、ミネストロン、チキンソティー、アイスクリーム。


四月二十一日(木曜)

 十時半までねた。橘から電話で、千恵蔵が来るといふので一時すぎに行くと言ふ。折笠へ寄り、三十分ゐて橘の家へ。千恵蔵に早田に橘で、いゝ敵ばかり、六千五百も負ける。五時半にきり上げて座へ。今日は補助椅子が残ってゐるやうだった。染井三郎が来て、義弟の片岡卯左衛門といふ古い役者を東宝劇団へ入れてくれとたのまれる。此う人のことばかり頼まれるのは全く憂鬱である。ハネてから気をかへて、二三人つれて信華の支那食、それから銀座へ出る。


四月二十二日(金曜)

 十一時起き、今日は交殉社の講堂を借りて、屋井がうちの座員の声のテストをしてやるといふ。折笠に寄り一時間ゐて、交殉社講堂へ行くと、屋井が機械をいぢってゐる、屋井のとこへ入った声量測定器なのだ。これで声量を計り、表が出来た。徳山が一ばん上だ。それから堀井とニューグランドへ行き、トマトクリームスープに、ミートボール、スパゲティ。座へ出ると今日も補助出切りの大満員。今月は創始以来最高の入りだらう。高尾光子のおふくろ来りベソ/″\泣いて、光子を五月休ませてくれと言ふ、しようのない奴ばかりなり。ハネて、城戸元亮氏の招待、京極と築地の豊竜へ、ウイを大分のんだ。


四月二十三日(土曜)

 十時すぎに起きる、雨。今日は麻布と世田ヶ谷、二個所の陸軍病院へ慰問に行く日、先づ麻布なので、ついでに佐々木邦氏を訪れる。「ロッパ自叙伝」で骨を折って貰った礼を述べる。歩いて赤十字へ。臨時陸軍病院、座員十何名が余興いろ/\、僕がトリで漫談、愛国行進曲合唱で幕。すむとすぐ世田ヶ谷の陸軍病院へ行き、同じことをやる。手足のない人々がサインして呉れと言ふのは、ことはれない。へと/\に労れた。虎の門の源来軒で食事して、座へ出る。今日も大満員、補助椅子が出切り。ハネるとまっすぐ帰宅。


四月二十四日(日曜)

 マチネーである。昼の部大満員。昼の終り、屋井とホテルのグリルへ行く。ポタアジュ、鶏の何とかいふ蒲鉾みたいなもの、ビフのカレーライス。夜も大満員だが、さて一寸労れを感じる。そこへ持って来て、今日楽屋へろくなのが来ない。谷幹一、これがキ印になってるらしく、話の辻棲が合はない。次に、吉山旭光老が鈴木小春浦の使で金十円の無心だ、仕方ない持たしてやる。そこへ中野英治が、金を返せないと泣きごとを言ひ、くさ/\してると大道具が無礼なことを言ったので、怒る。ハネて屋井と銀座へ出る。


四月二十五日(月曜)

 今日は井上叔母が来て、支那料理を造って呉れる。井上女史の腕冴えて、料理うまし。能勢妙子母子が来た。能勢当分舞台をやめて声楽に精進するといふ。ま、歌に欲が出たってことにして置かう。折笠へ寄り、一時間ゐて座へ。今日の雨にもめげずいゝ入りである。「ロッパ自叙伝」で、弁士のところ、「生駒!」って声が初めてかゝった。今日月給出る。花環屋だけで八十円もあり、その他勘定多くくさる。屋井来り、柳橋重の家てのへ行く。わりに早く一時半帰宅。


四月二十六日(火曜)

 ゆっくりねた。庭に垣を造って、ボビーは紐を解かれ、大喜びで飛び廻ってゐる。岡鬼太郎の「春の雪」を読み上げる。三時半に出て折笠へ。「英雄一代」を読み始める。座へ。名物食堂のハゲ天で食事をして出る。大満員である。今日は新派の連中二十何人を屋井が招んだので、緊張する。「喧嘩」は平気だったが、「子ゆゑ」は流石に一寸テレ気味。おかげで災難は轟美津子、熱演のあまり頬ぺたをひどく打っちまった。楽屋へ連中から毛ぬきずしが沢山届く、うまかった。「自叙伝」になると余裕も出て、客席の方を見た、皆よく笑ってゐる。円タク拾って帰宅。ビクターのために「海の音楽会」A・B八枚、一時に書き上げた。
 千秋楽も近いって時兎角ダレ気味になるが、此ういふ時に、新派連などの総見があるってことは、緊張していゝ。


四月二十七日(水曜)

 歯が痛くなり、十時に起きる。岩橋の健正が母親と一緒に来たので話をきく、演出家として立ちたいといふ青年、骨が折れる。高島屋ホールへ。徳山と三益と三人。徳山と歌った「兵隊床屋」が受ける。折笠へ寄り、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の「銀語録」を読み始める。それから寺木ドクトルのとこへ、「もう来る頃だと思ってた。」と笑はれる。帝国ホテルへ、京極と吉本明光が、由利あけみって歌ひ手を紹介して呉れた。顔は悪くないが、イットがない。座は今日も大満員、祖母上――九十三歳女史が、一ばん前で道子と並んで見物、時々何か言はれるので気になり弱る。石田・大庭を連れて今朝で牛肉食って帰宅。出征してた大島時夫、今日品川駅へ夜九時着。


四月二十八日(木曜)

 小林さんとこへ行くことゝし、東電へ。吉岡社長もゐて、色々話す。寺木ドクトルへ。代脈にやって貰ふ。急足で折笠へ。三十分治療。それから帝劇へ、道子と松竹楽劇団の「スウヰングアルバム」を見る。春野八重子と秋月美恵子だけよし。映画「新婚道中記」は、近頃の面白いもの。二人で銀座へ出て、いんごうやのビフテキ、一っそうまい。道子と別れ、座へ。大満員。ハネて、ルパンへ行くと、吉川英治がゐて、こいつゝかまへて文学を論じちまった、ちと悪趣味になった。さてその気持でスイ/\と大分のみました。


四月二十九日(金曜)

 有楽座千秋楽。
 今日は医者二つとも寄れず、まっすぐ座へ。昼の終り、吉岡あらはれ、座員一同に大入りを呉れた。ホテルグリルへ。屋井と食事、屋井が久保田に会ったら、もう一遍、「夏小袖」を演出したいと言ってゐた由。夜の部、大満員の補助出切り。「子ゆゑ」は最後の――と言っても大阪で二十五日もやるんだから中日みたいなものだが――熱演、客大いに泣く。森岩雄、健康を快復して来訪。今月の技芸賞は轟美津子、努力賞を「自叙伝」の中学生にやり、大入袋を皆に分ける。ハネて、屋井によばれて赤坂寺田へ。生駒雷遊も来り、のむ。


四月三十日(土曜)

 朝飯に神戸の吉田から送られた明石鯛の浜焼、マヨネーズつけてやたらに食った。此ういふ名物ならいくらでもほしい。久々に伊藤松雄訪問、伊藤は七月に何か書きたいとしきりに言ふ。どうも。寺木で痛み止めの注射をして貰ふと、浅草へ。常盤座の楽屋で生駒と話す、きたない楽屋――此のきたないとこに二年余もゐた自分の姿を思ふ。招魂祭の特別余興場、今日は東宝の日で、一席やる。東宝劇場、「宝塚フォリース」だけ見る。宇津の作中では一ばんいゝだらうと思った。小夜福子の人気を以てしても土曜而も祭日が八分の入りだ。銀座へ出る。サロン春なんてのへ入ってみる、カフェーは満員だ、妙な世の中である。
[#改段]

昭和十三年五月



五月一日(日曜)

 豊島園で運動会。
 うちの座の運動会あり、十時半、豊島園へ行く。色々考へて花嫁探しだの、愛国行進曲競争だのやる。僕もスマックアイスクリーム喰ひ競走に入ったが、冷たくて歯に浸みるので吐き出してしまふ。風船あほぎ競争に入り、これは二等。自動車で赤坂まで送って貰ひ、橘のとこへ麻雀しに行く。片岡千恵蔵来り、夕刻から始め、四千以上も勝つ。十二時すぎ帰宅、円タクが今日よりガソリン制限で又ぐっと高くなり、赤坂から家迄二円とられる。帰りて早寝のつもりが、一寸揉めて三時すぎねる。


五月二日(月曜)

 一時に文芸ビルへ行く。大島時夫今日解除となり帰って来た。元気である。三信ビル地下で理髪し、三時半蔵門の東条写真館で母上・道子と落合ひ、結婚一年記念の写真を撮す。まるで医者みたいな写真師で、何とも愛嬌のない奴、少からず感じこわす。円タク今日大いに高い。東京会館のプルニエで三人で食事、白葡萄をのみたかったが一本でないと売らないのでビールをのむ、ビールてものゝまづさ。ふと思ひついて新橋演舞場の曽我廼家五郎を見る。客席に、長谷川伸、ターキー等中々賑かなり。入りは八分弱。


五月三日(火曜)

 大阪へ出発。
 今日出発前に、ビクターで「海の音楽会」てものを(自作)吹込まなくてはならない。トランクを下げて家を出る。十二時すぎからかゝってAB面、勝太郎・市丸のセリフ相当珍なり。終るとすぐ東京駅へ。三時の富士で大阪へ向ふ。列車中、赤ん坊が泣くのでなやまされる、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の「銀語録」を上げたのみ。食堂は二度、みかど食堂だとわりにいける。十一時二十分大阪着。南の松平旅館へ向ふ。流石に労れた、アンマとってねよう。
 汽車中、向ふ側に、もう六十越した紳士が女の子を連れて乗ってる、こいつがビービー泣く。而も「イヤだよウ/\」と叫ぶ。この泣声、夜の九時近くまで時々起る。一寸泣きやむと、コロップの鉄砲を、ポン/\と撃つ。エゝイッと女の子を窓から落してやりたい位腹が立った。


五月四日(水曜)

 十時半頃起きる、松平旅館第一の朝。気にしてた食事、あっさりと注文通りなので助かる、味噌汁がアカダシの味でなく、オミヨツケだったのは嬉しかった。近くの竹川へ寄る、楽屋用の茶卓台、軸、花いけなど届いたので、その礼。竹梅の先々月の払ひをすませる。北野劇場、舞台けい古――と言っても四月と同じもの故、道具しらべの程度で、とん/\行く。北の多幸平で食事、腰かけの料理、目板かれいの塩やきのうまかったこと。堂島クラブで麻雀数刻、少しく負け、北のバアへ寄り一杯やり、すし食って宿へ。
 旅行すると、筆まめになって、しきりにたよりを書く僕であるが、大阪・京・名古屋だと、あんまりたよりを書かない、これは、名所絵葉書が見つからなかったゝめだ。今度は探して出さう。


五月五日(木曜)

 北野劇場初日。
 十時半起き、竹川へ出かけ麻雀、夜はいかんから昼にする、暑いの何のって夏である。座へ出る。初日で五時あき、大満員で補助も出てゐる。「戦争とヒゲ」は全然受けなかった由。「喧嘩親爺」で取り返す気でゐたが、笑ひが少い、一つは僕の早口のセリフがきゝとれないのかと思ふ。「子ゆゑの春」は、大丈夫大受け、これは東京以上受ける。「ロッパ自叙伝」東京程には行かなさうだ。弁士のとこと、声色はこっちの方が受ける。ハネて屋井とサンボアでウイをのむ。
 声色が、大阪の方が受けると思ってゐたが果してさうだ。これは、観客層が、演劇ファンを含んでゐるからで、東京の僕の客は殆んど僕の開拓した階級ばかりであるために、声色やっても受けないといふ自繩自縛の目に遭ったわけなのだ。


五月六日(金曜)

 フェリックス・ルーセルの昼食。
 待望の神戸フランス船行きの日、嬉しくて九時頃眼がさめる。三益と神戸へ。速水育三と会って港へ。白いフランス船フェリックス・ルーセル。甲板のバアでカクテルをのみ、いよ/\十二時すぎ、食堂でM・M支店長バルベ氏と共に食ふ。オルドヴルの豪華版、本場のヴイアベーズ、シャトブリアンとアティショーの煮たのと菓子。シャムパンばかりで白ワインが出なかったのは残念だ。総評としては今度のは、御馳走のティピカルなもので、前の簡素なのゝ方がよかったやうに思ふ。だが、何と言っても、うまいことはうまい。座へ帰る。大入満員。色々手心して芝居するので、今日からはチャンと受ける。
 オルドヴルの中、クロク・ムシウといふ、パンの間にチーズやハムを入れて焼いた、薄いサンドウィッチのやうなものがオツで、とてもうまかった。ヴイアベーズは、元来魚だからあまり好かん。シャトブリアンは、あんまりうまいと感じなかった。アーティショーの、底の方だけ煮たのなど何うかと思ふの類。


五月七日(土曜)

 のどが一寸痛い、歌が多いから調子が気になる。朝食、うまいフランスめしのあと、和食がよろし。昨日は暑さに参ったが今日はいくらかましで涼しい。座は、完全な大満員補助椅子出切り。新聞ゴロ、群をなして来り、金をタカられることしきり。戦地の岩井からの手紙、情ないことばかり書いてある、可哀さうだ。「戦争とヒゲ」は相変ず受けないらしい。「喧嘩」は、早口をやめて、ゆっくり喋るやうにしたら、受け出した。「子ゆゑ」は絶対で、大受け。「自叙伝」もしっかり受け出した。ハネ十時二十分。南のタカザワへ。ポタアジュの魚のグラタンとビフテキ。


五月八日(日曜)

 マチネーである。昨日着いた戦地の岩井達夫からのたよりがあんまり可哀さうなので手紙を起きぬけに書いた。ところへ今日大阪へ着いたと、藤山一郎・渡辺はま子が宿屋へ来た。座へ出る、昼大満員。昼終ると、藤山・渡辺はま子とアラスカへ。ポタージュ、サワラのグラタン、ヴィルピカタ、サワラのみうまし。夜も、むろん大満員、裏がうるさかったり、何かと小言のたへ間なし。のど、夜の方が苦しい。「子ゆゑ」は絶対受ける。ハネると、藤山一郎来り、北浜のサンボアへ行き、結婚一年の乾杯をする。


五月九日(月曜)

 今日は涼しい、十時すぎ起き、朝めしも先づ/″\上出来だ。石田が来た、そこらを歩かうと出る。オーサカヤって店にツータルのいゝネクタイがあるので、二本買ふ。藤山に一本買った。竹川へ一荘やりに行く。二千プの勝。座へ出ると、今日は補助が出てゐない。容物が大きいから仕方あるまい。声は心配してたよりよく、人には分らぬ程度。菊田と幕間に七月のプランを相談する。今日の客よく笑ふ、「子ゆゑ」など大変であった。藤山又来り、藤山の知ってる北のかは久って家で遊んだ、きたない家である。二時帰宿。
 七月は、斎藤の序幕に、「夏の日の恋」を二とし、三にまげ物菊田で、「お化け大会」のやうなもの、四に、藤山と僕の日本避暑地めぐりのやうなことをやってみようと思ふ。題を考へ中。


五月十日(火曜)

 宿の前の河をポン/\船が通る、こいつで眼がさめちまひ、又ねる、今度は便所がくさい。いろ/\苦労する。結局十一時起き、御影の嘉納親分のとこへ挨拶に行く。嘉納治五郎氏死去のため上京中で留守。堀井・吉岡・石田とで神戸へ出る。河馬の置き物を見つけ、三円半とは安いので買ふ。元町を行くと、サノヘイで藤山に会ふ。ネクタイを皆に買ってやり、第一楼へ寄って夕食。安くてうまし。座へ出ると、今日も補助は出てない。客、ヘンにおとなしくて笑はない。ハネて、藤山・大庭とサンボアへ。それから南、竹梅で散財して、二時頃帰宿。


五月十一日(水曜)

 ポン/\蒸汽が来ると、宿が揺れて、眼がさめる。竹川で麻雀の約束だ。初めのうちは、四千以上負けてゐたが、おしまひの一荘が馬鹿ツキでどん/″\取り戻し、三千も勝った、こんなのは面白い。座へ出る。声がやっぱりいけない、客には分るまいが、歌が何うにも苦しい。「喧嘩」ぴったり来ない客で「子ゆゑ」はまあピンと来るが、「自叙伝」もハッキリとは受け入れてゐない。ウイをのむ、今日は早寝。


五月十二日(木曜)

 今日は昼めしを、小林さんの息子さん、阪急の小林房雄氏によばれてゐる。十二時に、船場のいせやへ。京都の大市式のすっぽん料理、味がひつこくて、あんまりいたゞけない。おしるこが出た。座へ出る。今日は満員と迄は行かない、八分か。そしてぐっと客が低い、笑ひも少い。やっぱり「ガラマサどん」でなくてはいけない、大阪は東京の二年おくれで丁度いゝと思ふ。ハネてから今日は、北野劇場の表の山田・瀬良・阪急の萩原を招待、自動車で宝塚へ。川万へ久しぶりで行き、宝塚名妓三四人あらはれ、鳥すきをして、こゝへ泊る。河鹿が鳴いてゐる。


五月十三日(金曜)

 久しぶりの川万、河を見ながら、のんびり――兵庫県宝塚と書いて、ノンビリケンユメノクニとルビをつけた。昨日から考へてゐることがあって、八の字をよせっ放しだが、此の空気が八の字をやはらかくする。一時から大劇場へ行ってみる。キノドラマ「軍国女学生」がよかった。座へ帰ると、今日も入りは八分位、又あんまり笑はない客。舞台で、八の字がよって困る。吉岡社長から、六月三益が何うせ休むなら、東宝劇団へ貸して呉れとの話、本人次第でOKする。ハネる頃、加藤雄策、競馬で来阪、北の佐藤で、多幸平の料理とって貰ってウイをのむ。八の字、たのしからず。


五月十四日(土曜)

 十時起き、中座へ行く。関西歌舞伎、「毛谷村六助」を満喫し、他は皆つまらなかった。舞台から林成年が(長谷川一夫の一子、林長三郎のもとへ引きとられてゐる)見つけたのか男衆が手拭とプロマイド持って来る。ふきよせって家のてっか焼を食ふ。新鮮な海老や鯛、あひ鴨を鉄板でオイル焼する、満腹して座へ。土曜だから大入りである、が、笑ひが少い。「自叙伝」など、手応へが薄いとやりにくゝてしようがない。ハネると、サンボアから、むしゃくしゃするので竹梅へ行き、ダレながらのむ。二時ねる。


五月十五日(日曜)

 十二時座へ出る。大入満員、補助出切りだ、流石に昨夜の客よりはよく笑ふが、でも東京に比べたらずっと少い。昼終ると徳山を誘ひ、アラスカまで遠征する。ポタアジュ・サンジェルメンに、カールイナ・ミートパイ、これがうまかった。座へ帰る。昔弁士だった松浪錦洋て奴が酒気を帯びてタカリに来るなど腹の立つことばかりなり。夜も、むろん満員であるが、やっぱりピンと来てはゐない。「自叙伝」何うも気のりがしない、昼夜二回、こいつをやるのは全く辛い。ウイをのみ、ねる。


五月十六日(月曜)

 十二時から主婦之友の轟夕起子と僕の対談会があり、京都南禅寺瓢亭へ出かける。主婦之友の記者水野てのが、まるで子供で、轟の方がずっと頭がいゝ、話はこっち一人で喋ったやうなものだが、轟夕起子は近頃頭のいゝ女と思った。瓢亭の食事、どうもハヤ。座へ出る。補助は出てないが満員である。そして昨日よりづっとピンと来るやうな気がした。「喧嘩」ふざける。「子ゆゑ」ボイラーの音やかましく怒って止めさせる。「自叙伝」やってゝ何うもつまらん。憂鬱時々来る。ハネて、サンボアでのみ、又々竹梅へ行って、意味なくのびる。


五月十七日(火曜)

 十一時迄ぐっすりねた。誰か遊びに来ないかと待ってみたが誰も来ない。一人でアラスカへ夕食しに行く。一人の食事ってのは珍しい、ポツンと。オルドヴルと、ポタアジュ・エキセルソー、フリッタ・ミクスト、ピーチ・メルバ食って座へ出る。座は、八九分の入りだが、そのわりによく笑ふ。汗大分ひどい。M・Mのバルベ氏来訪、二十日に又船の食事をさせるとのこと、何よりのたのしみ。「自叙伝」でモン・パゝを歌へばバルベ等大喜び。渡辺を誘って、サンボアへ、明石鯛の味忘れられず、野田屋からとらしたのを肴にのむ、うまい。大阪の町も、馴れてみるとさして変りなし。


五月十八日(水曜)

 堂島クラブで麻雀の約束、堀井・林・松井で始める。近頃追ひ込みが利くやうになり、結局大分勝った。座へ。入りは八・九分ってとこ。今回も前回と同様、ピンと来ないのだ。何しろ大阪ってとこは劇評も東京より二年おくれてゐると思っていゝ。今日の大朝など正にそれを感じる。ダッシーの八田氏来る、京都で又歓迎の網打ち会をやって呉れる由で、その相談。ハネて、ウイと行き、わりに早く切り上げてねる。


五月十九日(木曜)

 宿の食事がうまいので助かる。阪急へ新刊を探しに行く。店内の客が「ロッパや」「あ、ほんに」「サインして貰ろたろか」とスキをうかゞってゐるので落ちついてゐられない。結局、「芥川賞全集」他一冊買って座へ。今日も八・九分の入りである。「自叙伝」に、吉岡の注文で「若し戦はゞ」と「歌ふ弥次喜多」を一寸入れたが、全然受けないから、やめることゝしたのに、今日は届けの関係でカットしては困るとて、又やらされ、クサる。加藤弘三来り、神戸へ。三ノ宮バー、安くて此の位食はせるとこは少ない。そこから加納町のバア二軒、さて帰りの自動車が高くなって七円とられた。


五月二十日(金曜)

 プレシドン・ドウメルの食事。
 十時にちゃんと眼がさめる、待望のフランス船行きである。三益と待ち合せ、速水に会ひ、神戸港のプレシドン・ドウメルへ。例によって甲板のバアでカクテルをのみ、船長マルタンやバルベ氏と共に食事。オルドヴルがフェリックス・ルセルよりぐっと落ちる。ロブスターのチーズ焼、こいつはたんのうしたが、その次が此の前と殆んど同じメニュで、シャトブリアンからアーティショーの肉詰、乾いたチョコレートの菓子。甘口のシャンパンで、白葡萄が出ない。船の食事も三度となると、あんまりどっとしなくなった。座は八・九分の入り、今日徐州陥落といふので、舞台で客によびかけ、万歳三唱。肥田増雄来たり、サンボアで乾杯し、南へのして大和屋の地下で又のむ。徐州陥落で、大阪市中も活気づいてゐる。万歳であんまり大きな声を出して、いさゝか調子をやってしまった。
 オルドヴルのすぐあとに、イタリーのニヨキてものが出た、これが一ばんうまかった。


五月二十一日(土曜)

 竹川から電話、「皆待ってますよって早うおいなあれ」何うも上方の言葉には敵はん、急いで竹川へ。いきなり竹川の大三元を打ち込み参ったが、よく戦って二荘の終りには千五百の負で済んだ。それから梅月へ天ぷら食ひに行く。馴れて来るとあんまりうまいと思へず、徒に腹がはる。座へ出ると満員、然し補助が出ない。劇場の主任寺本曰く「八月には一つ入れて貰はんにゃ、今度は、えらい失敗やった。」と、ならし九分位の入りで、此ういふことを言はれちゃ全く腹が立つ。調子昨日の万歳ですっかりいけない、ハネると、南の大雅で二三品洋食食って、十二時前に宿へ帰る。


五月二十二日(日曜)

 マチネーで十時半起き、座は満員だが、補助は出ない、寺本主任の言葉を思ひ出してシャクにさはる。声は昨夜の吸入が利いたかすっかりいゝ。昼が終ると、楽屋にこもって先日の轟夕起子との対談会をペラ五十枚に書き直した。「主婦之友」へ送る。食事は、スエヒロからビフカツとチキンライスですませてしまふ。夜も補助が少いが満員だ。京極鋭五来訪、肥田増雄から電話で新町へ来いといふので、京極も一緒で出かける。茨木屋といふ古い家、そこでウイのみ、南へのして大和屋のホールでメロンなど食って、宿へ一時すぎに帰る。


五月二十三日(月曜)

 京極が泊り、食事を一緒にする。やっぱり一人で食ってちゃまづい、三杯食へた。新大阪ホテルへ、瀬戸口藤吉翁が来てるので敬意を表しに行く。「京極さんが心配してますよ、あんまり酒のまないやうにな」と叱られに行ったやう。それから堂島クラブへ、林・堀井・松井で麻雀。はぢめ負けてゐるので、つまらなかったが、モリ/\ともり返してしまひには三千も勝となった、此ういふのは面白い。座へ出ると、今日の客は、わりに笑ふ、八九分だが。肥田増雄氏来る、すっかりファンになって大いに力を入れて呉れる。大雅へ行ってウイのみ、食事、ウイの高くなったことしみ/″\感じる。


五月二十四日(火曜)

 何か大阪の見せものを見に行かう、と思ひながら、理髪しに堂ビル迄行ったことゝ、本みやけで食事したゞけで夕方になってしまった。本みやけでは、ヘット焼を食ったが、その昔、谷崎潤一郎先生にごちさうになったのを思ひ出すのみ、その感激はない。座へ出る、今日も八分の入りだ。川口松太郎来り話す、小まめな男だ、今度は新派に一本書いたらしい。ハネる頃京極鋭五来る。大庭・石田を連れて神戸へ、三ノ宮バーの料理は安いしうまい。ペリカン・モンテカルロと二軒寄り、京極を夙川で下ろして大阪へとばす、四時近くねる。


五月二十五日(水曜)

 十一時起き、柳が小田原の蒲鉾を呉れたので、それを食ひ、めし二杯。もっと食ひたかったが三時に梅月へよばれてるから控へる。二時に柳等のゐる寿旅館へ。京・名の配役を決定する。片岡右衛門――小林重四郎の代りに、東宝劇団から借りた――も来て挨拶する。三時、梅月へ、ビクター大阪支店の招待、天ぷらを食ふ、もう馴れてうまいと思へない。座へ出る、入り八分、活気が段々なくなる感じでいけない。月給今日出ると思ってたら二十七日との話、皆びっくり。ビクターの山田迎へに来り、徳山・京極も共に南の河合へ。山田と大議論、二時まで、くたびれた。


五月二十六日(木曜)

 十一時半に徳山が宿へ来て、一緒に出る約束なので、支度して待ってると十二時になって電話、「今からそろ/\行く」時間を守らぬのは全くいやだ。十二時すぎ西宮の聖戦博覧会へ。大朝と阪急の仕事で、野外余興場でやるのだ。つまらぬ客の前で一席やり、博覧会は見物せず。大阪へ引返して、徳山と三木楽器店てのへ、新人をテストするといふので行く、十六の少年カルソーなるものが中々面白かった。それからアラスカで夕食、ロブスターのポタアジュがうまかった。座へ出る、調子――昨夜の議論でいかん。ハネて、大島時夫の歓迎会を竹梅でやり、一時頃帰宿。


五月二十七日(金曜)

 此のところ何とも重苦しい人生の苦悩を感じ、じっとしてゐられない気持なり、麻雀でもして救はれたい。堂島クラブへ。松井・堀井・林でやり出した。今日残念なことをした、満槓を自摸ってゐるのに、あはてゝ捨てゝ打ち込んだ、そのため三千八百の負となる。座へ出ると、七八分の入りで、活気がない。いやんなる。それに今度の出し物はつく/″\労れていけない。ハネて、肥田増雄氏も同道、八田ダッシーの招待で京都松そのへ。ウイスキーで乾杯し、いろ/\食ひ、労れてお先へねてしまふ、もう二時か。


五月二十八日(土曜)

 京都松そのゝ朝、小さい風呂に入り、肥田氏と朝めし、芋ぼうがうまい。これは京独特の味、むし暑いこの二三日である。人生の苦悩を生きる気持――ずっと毎日考へてゐる。座へ出ると、「荒神山」のけい古をしてゐる、片岡右衛門の仁吉は、チンコ芝居でドスは利かぬし軽々しくていけない。夕めしは、スエヒロのチキンライス。今日は土曜だが、補助出ない、結局出しものが早すぎたので今回はいけなかった。ハネると、渡辺を誘って、神戸へ行く。車中小出楢重の「めでたき風景」を読んで憂鬱になる。三ノ宮バーで、うまいものをギッシリ食ひ、ドライヴのつもりで一路引っ返す。


五月二十九日(日曜)

 北野劇場千秋楽。
 千秋楽のマチネー、松平の朝めしはまづくなし、座へ出ると、八分強の入りだ、活気もない。「自叙伝」で、柳がごちさうでとび出し、ステンと転んだから、中々売り出すわいと思ったら、足の骨が何うかなっちまひ、宿で唸ることになったとは馬鹿々々しい。昼終ると、北の本みやけへヘット焼を食ひに行き、大急ぎで帰る。夜も満員ではない、こんな活気のない興行はしたことがない。夜の部相当ふざけ、ハネてシャン/\/\としめる、劇場の連中挨拶に来るが寺本来ず、生意気なり。それから北の幡市へ、高橋の兄貴来り、ごちさうになり、宿へ一時すぎに帰る。先づ、これで此のクサリ公演も終れり。


五月三十日(月曜)

 琵琶湖行。
 十時起き、京都へ向ふ。柳、大阪で静養しろと言ふのに、びっこひいてやって来る、「アホウ!」と一口笑ってやる。京都着、麩屋町の炭屋旅館に落ちつく、一時二十分京都駅前集合、ダンシングチーム、女優一同と男の幹部、山野や菊田も加はり、ダッシー八田氏の招待で琵琶湖行き。小さい網打船に分乗、しばらくは網打ち、母船へ戻って、とり立てを天ぷらにして食ふ、去年と同じだから感興は薄いが、東京では味はへぬのんびりした遊び。京都へ帰り、又松そのへ行き、のめや歌へとなったが、もう昼からのんでは元気がない。山野のかっぽれ、浪花ぶしの即席がよかった。炭屋へ帰り、ねる。


五月三十一日(火曜)

 京都炭屋第一夜、大阪ではポン/\蒸気の音で眼がさめたが、此の宿は井戸端会議が早朝から始まり、眼がさめちまった。浴場も便所も新しいから感じがいゝ。昨夜は京極ホテルといふ怪ホテルへ泊ったといふ山野が、朝めしを食ひに来る。国防婦人会の白たすきで昨日の祇園の芸妓がお早やうさんと乗込んで来たのには面喰った、「兵隊おくりの帰りどっせ」とある。座へ。右衛門の「荒神山」いゝ男っぷりなのがいゝ。「海軍ロッパ」を半分迄立ったところへ菊田が「何もかも道具が揃っとらん、やめちゃへッ」と荒れ出して、けい古は中止。それもよからう位のことで、こっちものんきだ、十時頃宿へ帰り、食事すると、麻雀始まり。
[#改段]

昭和十三年六月



六月一日(水曜)

 京宝初日。
 昨夜十一時から麻雀、今朝十時迄、久しぶりでたんのうした。起きたのは三時。さてこれから京宝の初日なのだが、何うも一向にハリキらない。座へ出ると、楽屋が西陽がさして困るので、同じ二階で位置を変へる。ぎっしりとは行かないと思ったが、満員となった。序の「青春五人男」も受けたらしいが、「荒神山」もしっかり受けた、のに幕切にチョン/\とキザんでゐるに幕しまらず立往生のぶっこわし、大カス。「海軍のロッパ」、東北弁も受けるし、大阪弁は東京よりずっと受けるし、何うもいゝ心持、これならと大阪のクサリが治った。宿へ帰って、麻雀を始める。「荒神山」「海軍」と低いプログラムなので少々心配もしたが然し大阪で高いのにコリてるから此の方がよからうとは思ってゐた、果してその通り久しぶりで舞台でいゝ心持を味はった。これだから、ガンバって自分の考へでプログラムは組まなくちゃいけないと思ふ。三益のゐないことなど一向感じないことであった。


六月二日(木曜)

 藤尾・藤田・林とつひうか/\と明け切った八時迄やっちまった。で、五千四百も負けた。十二時に起されて、座へ。マチネーの入り八九分。二日目だれとマチネーだれ、その上睡眠不足と来てるから、こっちも実が入らないが、受け方がぐっと減る。昼の終りに、アラスカへ食事に行く。ポタアジュがうまくない、ひらめのグラタンはよかったが、あとの肉まづし。座へ帰る、夜は満員――と思ったが、九分。ハネ十時二十分。今日も亦麻雀連来り――さて何時になったんだったか、兎に角朝迄やった。


六月三日(金曜)

(毎日マチネーが続く、麻雀がつゞく、そのため頭がボッとなり此のところ分らなくなってゐるが――六日夜)此の日、朝迄やりの大負け致し、八時頃ねたんだと思ふ、十二時に起きると、座へ。昼九分の入り、わりによく笑った。昼終ると、楽屋でオムレツを食ってグーグーと三十分ねた。夜の部、やっぱり八九分だったと思ふ。それから――と、何うもよく思ひ出せないんだが、屋井がギルビーで会はうといふんで、大ぜいで出かけ、ウイスキーをのみ、それから円山公園のユーキ亭といふ茶屋へ行った。もうねむくて/\、雨の中を早目に宿へ帰って、へた/\と床の中へ吸い込まれたことだけ確かだ。酔ひながら、旅のダレを感じ、何もかも面白くなかったことゝ。


六月四日(土曜)

 久しぶりでたんのうする眠りを眠ったので快適な朝、座へ出ると、昼八九分、夜は満員だった。七月のプランを菊田と練る、道子から「父帰る」をやっては何うかと言って来たのをはかると、皆も賛成で、のっけに「夏の日の恋」を据へ、二に菊田の「お化け大会」を、三に「父帰る」、四に、僕の日本避暑地めぐりといふ四本立てとし、題名は明日決定といふことにした。昼終りには、鳴瀬へ鳥のあしをかぢりに行く、深山あげと茶漬。鈴木桂介が来たので、石田・山野といふ浅草メムバーでギルビイへ行く。皆に金をやって宮川町へ行けと言ひ、宿へ帰る。


六月五日(日曜)

 毎日マネチーで随分参る、でも今日は昼大満員で、一々大いに受けるので、わりに気持が出た。「海軍」の受けること一と通りでない。昼の終り、東宝から竹井諒てのが打ち合せに来たので、東洋亭で話す。竹井って人が面白味がなく、東洋亭はまづいし、つまらず。夜は九分の入り、でも活気は大したもの一々手をたゝくし、よく笑ふ。「海軍」一景ヒゲが落ちかゝって弱った。ハネると、大阪から肥田が来り、祇園の一力亭へ連れて行かれる、大石内蔵之助の手紙等宝物を見せられる。肥田は酔ひもせぬうち安来節を踊り出す。宿へ帰り、藤尾・藤田・林のメンバーでやり始める、一時すぎである。
 七月の題名左の如く決定した。
 一、夏の日の恋
 二、弥次喜多お化け大会
 三、父帰る
 四、涼風超特急


六月六日(月曜)

 今朝が又七時半、呆れ返った不摂生である、が、理屈はない。麻雀の魔のさせるわざである。七時半にアダリンのんでねて、――この瞬間の快感てものは一寸ない。十二時にちゃんと眼がさめる。座へ出る。月曜のマチネーだが九分行ってゐる。昼の終りには、アラスカへ。コーンのポタアジュに、ソールのフライ、ターターソース、ティンボールと食ったが、感心しない。夜も九分近い入りだ。今夜は大沢善夫氏の招待、いつもの木屋町中村、食ひものおかったるくて情なし。宿へ帰る。麻雀連ちゃんと待ってゝこれから始まり。道子今日大阪へ参りたり。


六月七日(火曜)

 昨夜一時頃から始めて、朝迄やらうといふ気だったのが、一っそ寝ずにやっちまへ、芝居の始まる迄、ってことになり、朝方コーヒーをのんだり卵をのんだりして続けた。而も負けである、二万もの負け、五時に止めて払っちまふと、自分の愚しさよりいけなさを感じた。一睡もしてゐないからふらつく足で座へ出る。ガンばって芝居は何の支障もなくやれたが、何ともハヤ大へんな労れ、今夜はダッシー八田氏の招待、五人ばかりで音羽てふ京料理へ、こゝはとても気持よく又うまかった。祇園の広千代で、ウイをのみ、元気に遊んで、ライスカレー食って帰る。


六月八日(水曜)

 三時に宿へ帰って、アダリン少々のみ、何があっても起すべからずと言ひ置いて、ねた。何と十二時間、三時半に眼がさめた。寝足りた気持よさ。那波支配人がたづねて来た、少時話し、山野と十二段家へ行く。こゝは浅草のみや古だ、安くてうまい。座へ出ると、雨にもかゝはらず九分九厘の入り、尻っぱねである。よくねてるから調子も出て、気持よくやる。「海軍」の受け方凄い。又、藤尾・藤田がやって来り、宿へ直行して、麻雀だ。道子大阪より来る。朝五時迄やり、又負けだ。


六月九日(木曜)

 夜明し麻雀何日目、その上何万プと負けるのだから大てい気持はよくない、今朝もねたのが午前七時半。二時半迄寝通した。加藤弘三が遊びに来り、色々話すが、近頃の若い者二十二歳の若さで、言ふことが全く大人なのには驚く。座へ、雨の中を行く。今日も九分の入り、何うも満員と迄は行かない。尻っぱねといふ程の景気はなかったな。それにしてもよく受けてはゐる。道子楽屋へ来り、一緒に宿へ帰ると、又藤田・藤尾・林来り、せうこりもなく又麻雀を始める。何万プ負けるのか、アホらしいのに。


六月十日(金曜)

 京宝千秋楽。
 昨夜十一時から始める。麻雀は魔雀で、その魔に魅入られてしまひ、底迄落ちろといふやうな気持で、負け続ける。もう一荘々々と、十二時すぎ迄やり、清一色を打ち上げたとたんにもういやんなってしまひ、やめた! と負けを払ふ、一万三千。馬鹿々々しさの限り。東京から遠山静雄氏が見え、小一時間、打合せしてる間のねむかったこと、早く帰って呉れゝばいゝと思ひつゝ用談すませ、すぐねた、三時間で五時半起き、座へ。道子見物。入り九分。大したふざけせず、シャン/\/\。今夜は又ダッシー氏の招待、ハマムラ、冷房の支那料理(うまくはない)から、祇園で二時まで。


六月十一日(土曜)

 十一時起き、宿の払ひをすませ、京都発のツバメで、道子同道名古屋へ向ふ。車中混雑、暑し。鉄砲町の可川旅館へ落ちつく。一休みすると座へ。名古屋は六時開演。まだ五分も入ってない、こいつはいけないなと思ふ。楽屋も二階の衣裳部屋の奥でひどい。「荒神山」は、「青春五人男」が受けてないから何うかと思ったが、とても受ける。「海軍」も東北弁が大受け、この分ならと思ってた大阪弁がいけない、京都で馬鹿受けした後だけに拍子抜け。入りは七分ってとこ。十一時前にハネた、中央亭からとった洋食三品で食事し、くたびれてねる。


六月十二日(日曜)

 十時半に起きる。背中が痛む――麻雀の祟りだ、年だ哩。今日はマチネー八分――と言ひたいが、まその辺だ。その割にはよく笑ふ。昼の終り、藤山の兄貴加納が来た。藤山は映画の方を断はってこっち専心で来るからよろしくとの話、報酬などは一切何も言はぬ由、大変結構、それから渡辺はま子を一緒に使って貰へまいかとの話、心がけが直れば芸はいゝのだから文句はないが。夜の部も、八分強といふところ。「荒神山」は京都よりよく、「海軍」が受けない。「名古屋毎日」の記事出た、感じ悪い。又、中央亭の料理で夜食して、一時半ねる。


六月十三日(月曜)

 たっぷりねて十時半、まだ麻雀の労れが抜けない。山野と石田・右衛門も来り、不二洋子の剣劇を見に出かける。歌舞伎座って名はいゝが大した古典小屋、本家茶屋からといふのが嬉しい。昔々の名優大井新太郎が一幕出してゐる。次がお目あて不二洋子の「親子仁義」、こいつは中々楽しめた。不二洋子さんからと、果物が届いたのは弱った。此処でおでんを食べたが少々腹にいけなかった。それから座へ。七分弱と見た。その割にはよく笑ふのだが、兎に角近来にない空席の光景。榎並礼三君が誘ひに来て呉れた、バー・ラッキーへ行く。おでんの祟りか腹がいけない。


六月十四日(火曜)

 たっぷりねて十一時起き、藤山一郎が九州の旅の途次寄る約束なのだが中々来ない。一二時間昼寝する。つひに藤山は来ないらしい。榎並夫妻に招かれてかもめへ道子と行く。長崎料理、豚の角煮が沢山出る、沢山食ふ。が、まだ煮切ってゐないし、味がつきすぎてゐる。座へ出ると、腹が苦しい。「荒神山」からシク/\してゐたのが「海軍」に至って何うにも苦しくなって来た。昨日のおでんからいけない。えらいものを食った哩。芝居中づっと苦しい、でも先づ無事に終ったので、宿へまっすぐ帰り、キヤ/\来るからアダリンのみ、ラキサトールのんでねる。


六月十五日(水曜)

 十一時起き、藤山が早く着いて待ってる由、朝食せず早速話し出す、渡辺はま子も使ふことゝし、プランを立てる。三時すぎ、何も食はないのも――と思ひ、道子も共に、観光ホテルのグリルへ、ポタアジュとトースト、ミートオムレツ、食ったら又腹がしぶり出す、ラキサトールのんだのに今朝思ふやうに下らなかった。藤山は五時の汽車で九州へ。樋口から手紙で、七月の番組の順序を変更して「お化け大会」をトリにしたいと言って来る、絶対いかん、僕に一任するのでなければもう知らんと返事出す。今日は十五日の客できげんがいゝ、入りも八分強。腹まだいかん。「愛国行進曲」客が大声で歌ふ、感激した。宿へ帰り、何も食はぬ覚悟。


六月十六日(木曜)

 十二時迄ねた、ラキサトールを沢山のんであるので、すぐ便所に立つ、が気持よくパッとは出ない。朝食を軽くやってみることにした、二杯。東京の味噌が来たので味噌汁がうまい。名宝から電話で遠山氏が九時で立ったからと言ふので、二時半頃着くなと待ってたが見えない。時々不意打に便所に立つ。座へ出てみると、遠山氏は「フジデタツ」だから、夜来るのだ。入り悪し、六分五厘か。気のりがしない。「海軍」やってゝ腹が減って弱った。ハネて雨の中を宿へ帰ると、パンと洋食二皿食ふ。遠山氏が図のひいたのを持って来て呉れて、打ち合せし、二時近く遠山氏は、泊らずに帰京。


六月十七日(金曜)

 十二時迄ぐっすりねた、何うして此うよくねるのだらう、名古屋の風がねむくするのかと道子と笑ふ。朝の便の具合じゃ、まだ腹具合、しっかりとよくはなってゐないらしい。二時半から「涼風超特急」執筆にかゝる。フレッシュなアイデア浮ばず、苦吟である。四時迄に五枚しか書けず。道子とアラスカへ行く。まだ腹が定かでないから、コンソメとサワラのグラタン、トースト。座へ出る、入り悪い、七分弱ってとこか。満員に馴れてゐるので一寸薄いとやりにくゝて困る。東京より中野実出征の報あり、あの男のことだから嘸くさって飲んでるだらうと気の毒。宿へ帰り、軽くパン食して、「涼風」のつゞき、床へ入って四時迄書く、三十枚。やれ/\。


六月十八日(土曜)

 今日はマチネーとある。きっと悪からうと思ってたが果して、六分強位の入りだ。はりあひがない。昼終ると、観光ホテルの地下の理髪屋へ行く。グリルで、ポタアジュと、ビーフのカレーライスをまだ腹が本当でないのだが、試みにやってみる。夜の部も、七分強位の入り。菊田「お化け大会」の本が出来て持って来たが、一読わりに面白さうなので安心。芝居気のりしないで弱る。樋口からあはてゝ原案通りにするからと手紙来た。ハネるとすぐ帰り、パン食して又「涼風超特急」を二時半迄に五十枚書き上げた。先づこれで安心した。


六月十九日(日曜)

 マチネーあり。日曜の入りではない。今回は失敗の巻なり。活気もないし、劇団の空気迄ダレ気味である。一回の終りに朝日ビルの地下へ。すしをつまみ、おでんを食ふ、腹がまだおさまらない。キヤ/\してゐる。今夜あたり、一っそのんでみようと思ふ。夜の部、八分強だらう。「荒神山」は何う考へてもいけなかった。気に染まぬものは之から一切出すまい。ハネると、山野・大崎・石田を連れて帰り、ウイスキーの半分位残ったのをのみ、芸談論に花が咲く。雨の中を皆帰りに行く。十円やったので皆勇む。いゝ心持であるが、ウイスキー半壜のんだ結果は如何。


六月二十日(月曜)

 名宝千秋楽。
 今朝、便所で大ラッシュ、白いタイルが変色する程の大量、さっぱりと出切った感じ。十二時半、名宝側の招待でアラスカで会食、「今回の不入りについて探究しよう」と言ふと、三橋等の意見も「大相撲が一つ、も一つは出し物のせい」とある。食事すむと牛巻の曙館てので古い「歌ふ弥次喜多」をやってるってんで、遠い道を行ってみるともう変りましたとあって、がっかり。引返して大須の宝生座で、河井勇二郎一座の剣劇を満喫し、座へ出る。八分以上の入り。いろ/\ふざけて、シャン/\/\。夜十二時五十分の急行で道子と二人、寝台とらずに帰京の途につく。


六月二十一日(火曜)

 帰ってからぐっすりねる覚悟で、二等へ乗ってるのだが、背中が痛いのには弱った。窓外四時頃から青くなり、段々夜あけのキネオラマ。六時頃、食堂で和食を食った。七時近く道子とハムエグス、トースト、コーヒー。東京七時四十何分、東京って街のきたないこと。家へ二ヶ月ぶりで帰る。ねること――何時間か、山野から電話、一緒に出て、先づ日劇へエノケン訪問、客席へ廻って「突貫サーカス」を見る、カンドコロは外れてるがまづ面白い。こゝを出ると銀座へ出て、サイセリヤへ寄り、神楽坂へ。


六月二十二日(水曜)

 文ビル事務所へ行き、七月狂言の配役、いつもより丁寧に、一々役を見てつける。五時、東宝ビルへ文芸部皆よばれ、ボーナスが出る、役者に出ないのは困る。明治座へ。八重子と梅島・井上。何れも暗澹たるものばかりで、救はれない。音楽のない芝居の時代は去った。梅島のみやっぱりいゝ。十時すぎに東京駅へ、中野実の出征見送り。ガリ/″\頭の中野を見ると心が苦しい。見送り豪華版、井上・梅島・大谷さんの顔も見えて。万歳。淋しき心で帰宅。


六月二十三日(木曜)

 一時稽古場へ。四階で本読み、僕は「涼風超特急」を読む。それから「涼風」の中に使ふ映画の試写を五巻立てつゞけに見る、いゝのがなくて困る。五時半、山水楼で、浅井挙曄に来て貰って「涼風」の音楽の打合せしながら食事する。有楽座の「大いなる審判」見て、主婦之友記者と漫画家の近藤日出造とで、夜の東京お化けの名所といふんで本所被服廠跡、小塚原・お伝の墓・吉原お玉ヶ池から雑司ヶ谷墓地、鬼子母神から四谷お岩様と、馬鹿々々しい写真撮し、二時近く迄かゝり、あゝやれ/\こうも働いた上に、いろ/\考へることなどあり、不幸なるかな。


六月二十四日(金曜)

 十二時半に家を出て、けい古場へ行く。「お化け」の読み合せ、動きで面白く見せないとつまらぬ役になりさう。渡辺はま子来り、何うしても芝居に使って呉れ、勉強するつもりだからと言ふので、「父帰る」のおたねを高尾に振ってあったのをはま子に持って行った、さあみつ子が泣き出す。光子は五月を勝手休みした罰といふことで片付ける。「涼風」の読み合せ。東劇へ、屋井の招待で、家庭劇見物、十吾・淡海など面白く見る。色々参考になる。雨の中を銀座へ出ると、ルパン。こゝでもブラックアンドホワイトが無くなったといふ、ウイスキーがなくなってはたまらん。屋井に色々意見される、石田・轟を可愛がりすぎるから注意しろ等。二時半帰宅。


六月二十五日(土曜)

 雨である。一時、けい古場へ出る。「涼風超特急」を初めて立つ。渡辺はま子もけい古場はたよりない。「父帰る」の読み合せ、藤山中々芝居気が出て来た。藤山とホテルのグリルで軽く夕食して、五時半AKへ。「八軒長屋」二日分の読み合せ、いやに大切をとって何遍もやりたがるので困る。僕は約束があるから、抜けさして貰ふ。中州の中村へ、屋井待ってゐて、久保田万太郎氏と会ふ、夢声を入れて「夏小袖」の演出をしたいと言ふ、今宵はブラック・エンド・ホワイトがあり、大いにのむ。話尽きず、二時近く迄。(月給出た。大阪・京都の借りがひかれて、お寒し/\。)


六月二十六日(日曜)

 検事局から著作権侵害による告訴ありと二十七日九時の呼出し状が来た、プラーゲらしい、面倒なことだ、柳に処理させる。「大陸」にたのまれてゐる自画像と感想一枚書き、十二時半に出る。文ビル、今日は渡辺篤が出て来ず、はま子が大阪へ行って、三益は東宝劇団のマチネーで、ゐないから碌に出来ない。山田伸吉が柳永二郎の娘を連れて来て、頼むと言ふ、顔がいけない。支那グリル一番で夕食し、放送局へ行く。読み合せ数刻、八時に公会堂へ「映画朝日」の会、歌の漫談一席、オザは久しぶりなので、げっそり労れた。又放送局へ引返し、読み合せをして、スタヂオへ入り、テスト。全く此の努力が馬鹿々々しくてしようがない。結局一時すぎになる。


六月二十七日(月曜)

 十一時起き、一時に稽古場へ出る。先日来、自動車を一台、高槻に買ってやり、僕の半自家用車とし、あとは円タクを稼がせて返却させるって話があり、明日決定する。けい古は、「お化け」から「父帰る」「涼風」の順。三浦環から紹介のアメリカ帰りの自称ベン・ターピンといふ狂ひじみた老人の来訪あり、相手をしてゝ馬鹿々々しくて弱る。八時、山へ。「八軒長屋」の第一夜である。八時五十分から三十何分。第一夜だから少々アガる。終って、「婦女界」の記者に面接し、十一時頃迄読合せし、それから又テストで、一時半頃まで。


六月二十八日(火曜)

 十一時起き、雨だ、高槻が迎へに来て、文ビルへ行く。グラハムページとかいふ車であんまり見栄えはしないが、権利共千二百円で買ふことゝした。これで家からの送迎は気楽になった。けい古は先づ「お化け大会」から。それから「父帰る」をやり、四時から「涼風超特急」を、音楽入りで通してみる。藤山と渡辺はま子は、やはりいゝ。六時半に終る。有楽座、伊藤松雄等のオペラ・パヴオをのぞく。「ホフマン」の一幕、思ったよりいゝ。グリルで食事、ポタアジュまづく、チーズ・パイと、ロシア風のハンバクステーキがうまかった。放送局へ八時に入る。放送第二夜、先づ無事。第三夜の読み合せ、十一時すぎからスタヂオの風のないとこで二度通す、ねむし辛し。雨の中を帰る、へーヴィ・レインである。


六月二十九日(水曜)

 十一時近く起きる、づっしりと太い雨である。一時に、けい古場へ入る。藤山、自動車の免状をとりに警察へ行ってゝ中々来ない。通す分は出来ないので専ら歌をかため、踊りをくり返す。四時、漸く来る。志賀廼家淡海、来り、弟子にしてほしい親戚の子供を連れて来る。夕刻、ニューグランドへ。トマトクリームスープは、何と言っても此処第一、だがあとのペティ・パンと肉鶏の飯は、まづかった。雨の中銀座へ廻り、三昧堂で新刊を探す、いゝ本がなくて困る。それから放送局へ、東海道線不通の由。第三夜の放送、おしまひの方で大くさをやる、何んなものかしら。十時すぎ帰宅、レア・オールドを四杯ばかりのみ、いゝ心持。


六月三十日(木曜)

 今日は総ざらひだ。「涼風超特急」は、先づ大丈夫と思ふが、此ういふものをトリに据える心配が残る。「お化け」を立つ、この馬劇は、全く菊田式ルーズネスを充分発揮した、かなり無礼なものだが、何のへん迄客が笑ふものか。七時すぎすぐ近くの花の茶屋へ。那波と樋口とで食事、一座の不要なのをドン/″\チョンにしようといふ話、東宝映画のだらしなさ、森岩雄の話、僕は森絶対擁護で、彼を第一線に引戻すべく運動したいのだが、評判が悪いので困る。花の茶屋の料理おかったるく、ウイをのめど満腹せず、ルパンへ寄って、楽亭の支那料理食って帰る。
[#改段]

昭和十三年七月



七月一日(金曜)

 十一時から舞台稽古、電話で、渡辺はま子急病とある、あはてゝ座へ行くと、はま子肋膜で聖路加入院、やれ/\手数をかけやがる。「父帰る」の娘を藤田、「涼風」の役は、三益・北村に振り分ける。肋膜じゃ一ヶ月ダメだから本役になるわけ。「父帰る」が二時かゝり位になる。これは先づ大丈夫。「涼風超特急」は、五時頃から夜中の二時近く迄かゝった。先づ手順はついたが、スマートすぎはしまいかと心配だ。双葉のオム弁で食事をすませ、四時近くから「お化け大会」にかゝったが、さあこいつおしまひへ行く程ひどいので心配。終ったのは八時半、くた/\に草疲れた、出ると又雨だ。


七月二日(土曜)

 有楽座初日。
 今朝九時半頃ねて、ぽっかり眼のあいたのが三時、五時に迎へが来て、座へ出る。まだ雨だ、それもかなり強い。初日の入りは満員、補助も出た。「お化け大会」は、一幕目が一ばん笑ふ、段々とつまらなくなり、馬鹿々々しくて笑ひながらやる始末。ルーズなひどい本である。受け方は心配する程のことはない、他愛なく笑ってゐる。「父帰る」大丈夫受ける。三益はぢめ皆セリフが入ってないので、やりにくかった。でも客はシュー/\よく泣いた。「涼風超特急」は狙ひの通り行くと見た。も一つ爆笑がほしい感じはするが先づ以て成功、はま子休演などこたへない。ハネ十一時半、ダメを出しカットをして帰宅、レアオールドをのみ、色々食ってねる。


七月三日(日曜)

 二日目のマチネー、又雨だ、東海道線又不通、水害多いらしい。座へ出ると各等売切、大満員である。「夏の日」をのぞいたが、渡辺以外ひどくまづいので呆れる。「お化け」第一幕は絶対に笑ふ。「父帰る」みんなセリフが確りしてないので困る。「涼風」は外人の真似大丈夫受けるが、模写はてんで通じない。ホテルへ一人で行き、ポタアジュ、フィレソールにパスクリンデプール。夜も大満員、「お化け」カットして大分まとまって来たが尻つぼまりで困る。「父帰る」泣きすぎたり、泣かな過ぎたり此の役は、そこの程度がむづかしい。「涼風」も又カットし、模写は、渡辺はま子とエノケンの二つにしたら、これは絶対の受け。まだ雨、まっすぐ帰宅し、レアオールドを傾ける。
 渡辺はま子は、聖路加へ入院したが、花輪をよこして、「聖路加病院にて 渡辺はま子」と来たのは大出来だ。又、今日の夕刊に休演お詫び広告を、コロムビアと共同で出してゐるが、これもよかった。


七月四日(月曜)

 十一時近く迄ねる、まだ雨がやまない、驚くべき天気。道子同道、名物食堂のデンツーへ。母上と待ち合せて、食事。ポタアジュにスパゲティにビフテキ、まづくはない。座へ出る。天候の影響か少々空席あり。「お化け」の一幕目の受け方スゴし、終りの方を何とかしたい。「父帰る」今日の出来よろしかりし、「涼風」トン/\行くやうになったが、ハネが十一時十五分前、もう十五分がところカットしなくてはならず。コロムビアに頼んどいた二葉あき子といふのが来る、七日あたりから出さうと思ひ、芝居を見せておいた。ハネて、ルパンへ行くと、田中三郎に逢ひ、三郎に引っぱられて、分とんぼへ行った。


七月五日(火曜)

 雨はあがったが、えらい風だ。日劇のアトラクション「スクラップショウ」の後半だけ見る、出て、銀座のアザミで犬の大きい玩具を買って、聖路加病院へ渡辺はま子の見舞に行く。藤山も一緒になり、又日劇へ、「スクラップショウ」の前半を見る。どうも感心しない。松平晃が来て三人でホテルのグリルへ。コンソメに鶏ジェリー、ビフカレーライス。藤山のオゴリ。座へ出ると、二円に空席あり。開演中、神戸大洪水の号外出る。「お化け」らくに遊ぶ、渡辺にハリキリを任せて。「父帰る」汗がふけないので苦しい。「涼風」又カットしたがまだハネが十一時二十分前。ルパンへ、屋井と久しぶり。藤山も一緒。ブラック・エンド・ホワイト快し。


七月六日(水曜)

 暑い。神戸の大洪水の新聞、大阪の八月が何うかと思はれる。食後、「父左団次を語る」を読む。三信ビル地下の理髪室へ行く。ホテルのグリルへ。冷コンソメと、ラヴィオリ、ポークビンズを食ふ。座へ出ると、今日もハッキリ満員にならない。「お化け」楽でいゝが、はりあひなし。「父帰る」僕はぢめ、どうもセリフがおこつく。明日けい古し直すことに決定。「涼風」は、僕の出場が少いことが淋しい原因らしい。まだ十一時二十分前ハネ。柳永二郎、娘のことをたのみに楽屋へ来る。二戸儚秋も来り、東宝入社のこと頼まれる。まっすぐ帰宅、レアオールド少々のみ、ねる。
「父帰る」は、やればやる程六ヶしい。役者が文学的でなく、モダンなためだが、一つには本読みをしなかったゝめである。斎藤のイズムを発表する唯一の機関を略したゝめである。


七月七日(木曜)

 事変一年、ラヂオが正十二時に、一分間黙祷して下さいと言ふ。二階で、「夏の日の恋」と「お化け」のカットをする。「父帰る」を読み直す。「父左団次を語る」を読み上げ、読書日記をつけ、「三十日」のため随筆二枚書く。能率あげたな。座へ。二葉あき子を明日より出演させるので、歌を定める。それから部屋で「父帰る」の読み合せ、三益が理解力のないのに驚いた。花井と田村の「夏の日」のセリフを直す、急しい/\、夕食は親子丼一個。入りは今日も九分。「父帰る」まづ、よくなった。京極と藤山・松平に加納でルパンから牛込松ヶ枝へ行く。三時近く帰宅。
 中野実、大阪の隊から葉書をよこして「留守中たのむと言ふことを忘れた。生還せぬ覚悟で遺言を書いてゐる。」と。事変一年、「涼風」の幕あきで客に起立させ、君ヶ代をボックスでやらせ、その間黙祷して貰った。


七月八日(金曜)

 里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の「女優」を読み出す、森律子の話で、モデル的興味もあり、たのしめる。座は、殆んど満員である。今日、東宝社員の異動あり、有楽座主任岡崎は名古屋へ廻され、三橋はこっちへ来て営業部長といふ昇進振りだ。有楽座は畑精力が主任。「父帰る」の引込みが、ト書通りにやると何うしても客が笑ふのだ、これは僕のからだの持つ愛嬌が何うにもならないのだと思ふ。「涼風」今日より二葉あき子出演、曲も「だまってゝネ」が受けて効果はあった。ハネ十時三十分。伊藤松雄と斎藤豊吉で、フロリダ・キチンへ寄り、帰宅。


七月九日(土曜)

 ボビーと庭で遊ぶ、噴水を出すと、妙な奴で池へ飛込んで噴水を食はうとする。東宝ビルへ。那波に二戸のことを頼む。秦に今月の評を求めると、「父帰る」が無理だと言ふ。十一月を又大阪の、十二と一月を有楽座といふやうな話、一月がほしいからこの話に乗る。日比谷映画へ入って「大地」“Good Earth”を半分程見る。ホテルグリルへ行くと、織田氏に逢ひ、コール・コンソメとチキンパイ。座へ出る、今日は悉く満員。「お化け」ののっけから「涼風」までよく笑ふ。ハネ十時三十五分。ルパンへ、織田氏と会ふ、芝居の話しつゝ、又楽亭とウイ。


七月十日(日曜)

 マチネーで十一時半に迎へ来り、座へ。もう補助も売切れて客は外へ溢れてゐる。「お化け」で子供客がキャー/\喜ぶ。「父帰る」も力が入った。「涼風」の外人が、やたらに受ける。夕食は、そぼろ丼一個。夕刊の朝日に番匠谷英一が、凡そ好意のない、松竹の廻しものみたいな悪評を書いてるので腹が立った。「父帰る」終ると川口松太郎が来て、今見たがあゝさらりとやるべきではないと言ふ。きくにはきいてたが反対だ。大阪の肥田増雄氏令息と一緒に来訪、いつも元気な人。まっすぐ帰宅。朝日の夕刊に、まだ気をくさらせつゝ、ねる。
「父帰る」を、もっとクサクやれと、川口が言ふ。然し、今迄の「父帰る」は、泣きすぎてゐる、わめきすぎてゐる、ト書に忠実でない、今度は、原作のト書のまゝやってゐるつもりだ。菊池氏に見て貰ひたい。これが一ばん真に近いと言って呉れるだらう。


七月十一日(月曜)

 十一時起き、二戸から電話、二時に東宝ビルで待ってるやうに言ふ。那波支配人に、二戸を紹介し、ぜひ入れてくれとたのむ。三益は八月の旅も休まして呉れと言ひ出した、所詮アテに出来ないから、後釜の引抜きに力を入れ、新進を養成する。時間を見といて、歌舞伎座の伊井蓉峰祭の口上だけ立見した。何ともヘンなものなりし。デンツーで二戸と食事、日比谷で「大地」の後半を見る、蝗の来襲のとこ面白かった。座へ出ると、九分九厘の入り。報知に批評出る、之も「父帰る」不評だ、然し演出は変へない。肥田、京極と築地の大和にゐる。折柄見物に来てたダッシー八田氏と共に行く。二時すぎ迄。


七月十二日(火曜)

 十時半起き、道子と何か見に行く約束、新聞の広告欄を見ても洋画輸入禁止だから古物ばかり。銀映座へ行く。期待してなかった「別れの曲」“La Chanson de l'adieu”が中々よく、期待してた「巴里祭」“14 Juillet”が一向に面白くなし、ルネ・クレールは何うも好まぬ。もう一つ見ようと、銀座映画劇場へ、松竹大船の「按摩と女」を見る。清水宏作品で東宝映画よりはいゝ。支那グリル一番で食って、座へ出る。今日も九分の入り。読売に河野通勢の評出る、これも「父帰る」悪し。然し此うも問題になれば企画としては大成功なり。「お化け」楽演。「父帰る」は汗、評判悪くちゃアワン。ルパンで軽くのんで帰宅。


七月十三日(水曜)

 十一時半迎へ来り、第一ホテルへ、有楽座の新(畑)旧(岡崎)支配人の歓送迎会である、第一ホテルは初めてだが、安直でいゝ。丁度文芸部員が揃ったので、大森の福利庵迄のし、九、十、十一月とプランを練り、整理すべき役者達の名を挙げ等する。座は今日も九分の入り、他座はよっぽどひどいらしく東劇の青年歌舞伎など四分位の入りの由。大成功といふべし。ハネて、今夜は久保田万太郎氏に吉原山口邑をごちさうになる、屋井・その他で行く。吉原もやかましくなり十二時の大ビケなりと。二時すぎ迄のむ。


七月十四日(木曜)

 十二時迄ねる。「都」に評が出た、これも賞めてゐない、今月は劇評は総ていけなかった。暑い。永井荷風の新刊「おもかげ」を読み出したが、これがダレてゐるのでよけい暑い。入りは九分九厘である。「父帰る」劇評に負けたか、えらく出来が悪かった。ちっとも乗って来ない感じ。終るとクサる。「涼風」まとまって気持よし。鈴木桂介が禿頭ふり/\来る、鏑木清一が中元に来る、よく禿の来る日。ハネ十時半、まっすぐ帰宅、いやはや暑い。――やれ夏なり/\。


七月十五日(金曜)

 暑さでじっくりと寝られず、屡々目がさめる。十二時に山水楼へ出かける。海軍省の松島中佐を招いて食事。畑・樋口・菊田と揃ひ、色々話した、松島氏によき材料あり、一寸話をきいたゞけでも涙ぐましいのがある。これを近々にまとめて借りる約束。「手紙」といふ仮題をつける。それから車で浅草へ出てみる、盆の人出も大したことなく、常盤座、笑の王国も二階はガラあき、中西でライスカレーの夕食。座へ出る、殆んど満員だが二階が一寸空いてる。「父帰る」何となくやりにくゝて弱る。一雨あって稍々涼し。ハネて、ルパンへ行く。千野と佐藤健さんに会ふ。二戸が一緒、映画昔ばなしに夜を更かす。


七月十六日(土曜)

 暑くて又安眠出来なかった。新聞に、銀座のネオン廃止だの、肉類制限だのと、ます/\世間はやかましい。三時に迎へ来り、道子と墓参に出かける。雑司ヶ谷の祖母上のところへ寄り、涼しいので一時間余ゐた。ホテルのグリルへ行って、カレーライスを食ふ。暑いと此奴が食ひたくなる。今日はお盆のため、すっかり売切れ。「お化け」大受け。「父帰る」道具がこはれたり、戸が外れたりして気になり、「新二郎、お前お父様などゝよく空々しいことが言へるな」のあと絶句してしまった。「涼風」今日の客には向かない。ハネ十時半、早田・穂積・南僑とで明月へ寄り、Tボンステーキ食ひ、ボビーに骨を土産にして帰る。
 今日大阪の寺本と吉岡社長が楽屋へ来り、大阪の出しものを相談。しようがないから大ハリキリの勉強で、二から三本出ることゝし、一、菊田のカナリヤ軒 二、夏の日の恋 三、ガラマサどん 四、海軍のロッパと定めた。


七月十七日(日曜)

 十時起き、暑い。マチネーだから十一時半に出る。座は大満員、補助も出切ってゐる。「お化け」を此の日の客も最も喜ぶ。「父帰る」汗。「涼風」甘い客にはピンと来ない。今月は僕の大活躍ってとこがなく、ロッパファンにはそれが失望らしい。昼の終り、外出する元気なし。夕食は、プランタンのオムレツとカレーライス。夜の部、大満員である。僕よりひどい汗っかきの渡辺の背中がグッショリ、さはれない。大阪行きの配役は明日決定する。三益は、全く変り、もはや手なし。ハネて、藤山と明月へ、食欲なし、ポタアジュとコールミート。帰宅、暑しと言ふばかりなり。


七月十八日(月曜)

 暑い、といふことは日記に書いたってしょうがないが、暑い。冬は、小便に起きて、又床へ入る時、しみ/″\嬉しいが、夏は、ものういだけだ。二時に銀座へ。モナミで藤山と待ち合せ、銀座映画劇場へ入る。大船の「彼女は何を覚えたか」といふの、中々面白い。名物食堂のハゲ天へ行き、暑さと戦ふ気持で天ぷらを食べる、八月の大阪の配役をする。「夏の日の恋」の二枚目は青年部の加川久を使ってみることゝする。ソ連と日本と衝突のニュースで、心配になる。この上、日ソ戦ふことになったら大変だ。入りは、八の日のせいか、補助椅子を売切る大満員。ハネて、藤山とルパンへ。


七月十九日(火曜)

 今日もどんより蒸し暑い。母上・道子と高島屋迄行き、地下の喫茶で冷たいものをのむ、全館冷房で涼しい。一人で日劇へ、「航行遮断」といふヘンなのを見せられて参る。次に「南十字星」といふレヴィウ、自分のとこのを見てちゃ気のつかない色々なことを学ぶ。偶然屋井と会って、ホテルのグリルへ。ハムエグスのジェリーとゲームパイ。座へ出ると、補助売切れ、他座はひどいさうだがうちばかりは凄い。ハネて、ビクター岡によばれ、京極も一緒で、中州の松本ってのへ行く。川っぷち。ウイのまず、幕の内など食ふ。


七月二十日(水曜)

 ジリ/″\汗が出て、安眠しない。耳へ汗が入るから綿をつめる。新聞によれば、冷房も遠慮から禁止となりさうな様子、やれ/\まあ。二時日劇集合、江東楽天地の「お化け大会」を見物に行く、渡辺・三益は例によって来ず、山野・花井・北村・藤田で出かける。昔の八幡の藪知らずだが、その幼稚さ昔よりひどく、暑いこと一と通りならず。淡路浪郎危篤の報を受けたので九段の警察病院へ行く、浪郎今夜にも危い(肺)といふのに元気、シャレなど言ふ。十円見舞として置き、おとわ亭でカツとライスカレー食って座へ。今夜も補助売切。尻っぱね「父帰る」出来がいゝと思ったのに手一つも来ず。まっすぐ帰る。松平晃がブラックエンドホワイト一壜土産に呉れた。森岩雄来訪、要談色々。


七月二十一日(木曜)

 暑さで起きちまふ。どうも夏は苦手である。食事――もカルピスの方がうまくて中々箸をとる気がしない。二階へ床とり、久保田万太郎「枯菊抄」を読み上げ、川島忠之助(うちの川島順平の父で先日亡くなった)の八十日間世界一周を読み出す。座へ出る。芦原英了来り、色々批評する。正直に言ふのはいゝが、根本に於て間違ってゐる。「涼風」は買はない、貧相だと言ふ。「父帰る」の汗が文字通り滝だ、その上今日も手が一つもなし。入りはハチキれる程だが。ルパンへ行き、少々のんでみるが暑くて、面白くなし。


七月二十二日(金曜)

 高槻に十二時と言っといたのに来ない、業を煮して福島屋の車をよんで出かける。一足おくれた高槻の車が、丸の内近くで前へ行くのが可笑しかった。東宝ビル、那波氏と話す、江戸川蘭子を借り、春野八重子の引抜きをすること、三益は心がけがよくないから東宝へ引取って貰はうといふ話。久々で文藝春秋へ、菊池氏に会ひたくて行く。留守。大草実とレインボーグリルで夕食。又々今日も補助売切れである。昨日あたりよりいくらか涼しいか。ハネて、川口松太郎と牛込松ヶ枝へ行く。三益はもう要らない位の話をしたら、ひどく弱くなり、旅も一年に四月は、必ず出すから可愛がってくれと言ふ。ウイ、久々でのんだら、何だかえらく酔っ払っちまった。
 日ソの風雲急なれど、何うやら今回はこのまゝ済むらしい。一と安心である。いろ/\な制限が行はれ、ついに九月から自家用車ってものゝガソリンを供給しないことゝなった。車持ちはさん/″\。藤山一郎コボすまいことか。


七月二十三日(土曜)

 十二時迄ねる、暑い。二時半、道子と帝劇へ行く。「キートンの魔術師」なんて、エデュケショナル物を見て、キートンの下落振りを嘆く。アトラクション、松竹楽劇団の「ら・ぼんば」てもの、苦心の跡を買ひ、乙といふところ。マーブルへ、泉鏡花先生に逢ふ、煙管を出して一服やり、一本つけて、洋食といふ図はまことに。座へ出ると今日も補助出切りである。「お化け」まことによく笑ふ。「父帰る」普通の出来。「涼風」は、評判はよくないが、自分としては、つまらないとは思はない。ハネて、道子と明月のビフテキ。帰って、涼しいので嬉しがりつゝねる。


七月二十四日(日曜)

 さや/\と風の音、ひどく涼しい朝である。昼の部大満員、補助も出切った。「お化け」で子供らキャ/\と喜ぶ。が、「父帰る」で、赤ん坊泣きのクサリ。屋井が迎へに来り、ホテ・グリで夕食、ポタアジュに、カネロニーとベヂタブル・ディナー。小林一三氏が入って来て仕事や商売の話となる。が殆んど人の言ふことはきかない、自分の話ばかりしてゐる。夜も大満員、「お化け」大受けだ。「父帰る」がどうもやりにくい、クサった。「涼風」終ると、小林さんが「中々いゝよ、悲観したもんじゃない」と言ひ、女優に握手などして愛嬌ふりまいてゐた。まっすぐ帰る。今夜も涼しい、レアオールドを傾けて、いゝ心持になって寝る。
 中学の先生、大学の先生なら素人でも出来る。先生オシッコの世話迄見ようといふ小学一年生受持の先生、そこにわれ/\の道があるのではあるまいか。


七月二十五日(月曜)

 雑司ヶ谷の祖母上九十三歳のお誕生日、道子も同日、今年は時節柄家で昼食を共にした。三時半に迎へ来り、三信ビルの地下へ、理髪する。それからホテルのグリルへ。屋井と夕食する。座へ出ると、補助少々残して満員である。梅島が見物してゐるので緊張する。「父帰る」少々堅くなる。ハネて、吉原の山口邑へ。梅島昇から「父帰る」についてのダメをきく、「何も言ふことないよ、沢瀉屋よりうまい。」とひどくほめられる。但し杉寛を賞めるのは何うかと思った。二時すぎ迄。大庭・藤山・斎藤・中江等同席。
 鷲尾雨工って人、たしかにさういふ人がゐると思ふが、ハッキリさういふ名の人に会った夢を見た。何のせいか。


七月二十六日(火曜)

 暑さは先日よりいくらかましになった。一時にビクターへ。鈴木静一の「豪快ぶし」てものを稽古する。面白くないので気がすゝまない。三時に東宝グリルで、文芸部集まって九月の出しもの決定する。四つともパッとしない、考へる余地大いにある。偶然、こゝで三宅周太郎氏に会ひ、話し込む。座へ出ると今日も大満員、梅島のダメの通り「父帰る」を変へたら、ぐっとやりよくなり、幕切に手がとれた、敬服の他なし。ハネて、外人シュベルトの送別会で、小石川のヘニッヒ家へ行き、アコーディオンをひいて歌ったり、さわいだり、夜も二時まで。
 九月のプラン
 一、移民物 大陸の花嫁
 二、新版小言幸兵衛
 三、女優と詩人
 四、スタヂオもの 活動のロッパ


七月二十七日(水曜)

 国際劇場の都築文男が見たくて、母上を誘ひ、国際へ、客種ひどし、子供泣く。小太夫と梅野井・都築といふ変態一座で、読売の「髑髏銭」てのが売物、これはつまらなく、小太夫の出しもの長谷川伸の「股旅草鞋」がよかった、しまひの新派、都築がクサいことをやりさうなところで惜しいが時間なので出て、みや古で母上といろ/\食べ、後楽園スタヂアムでオール東宝の夕てのあり、グランドのまん中でやらされ、大クサリで引込み、座へ出る。今日も大満員、「父帰る」よくなった、梅島に敬服する。ハネると、まっすぐ帰宅。今宵も涼しいので助かる。


七月二十八日(木曜)

 今日もわりに涼しい、東宝グリルの藤山一郎後援会へ出席する。会員は女が多く、わりに質がいゝが男は大分落ちる。「音楽新聞」の記者来り、三四十分談話をとられる。屋井のオゴリで又ホテ・グリ。冷コンソメにコールド・ラブスター、ポーク・ビンズにキャビネット・プディング。座へ出ると、今日は八分といふところか、銀座の中村、その他のタカリ来り、二十円とられる、いやなものなり。「お化け」つく/″\倦きちまった、いろ/\ふざける。「父帰る」は、やりよし。「涼風」もよく受ける。ハネて、ルパンへ、それから下谷へのして、藤山と芸談数刻。


七月二十九日(金曜)

 今朝オートバイを車の尻にぶつけられましたと高槻が言ふ。家を出たのは一時十分、ビクターの吹込、鈴木静一曲・上山作の「戦国豪快ぶし」。練習の時から気のりがしなかったが、途中でふしを変へられたとこが何うしてもうまく行かず、つひに中止。四時に有楽座の楽屋五階で「夏の日の恋」をけい古する。穂積の演出がひどいので直すのに暇がかゝる。有望な作家三糸重二来り話す。入り又悪く八分弱といふところ。ハネて、屋井・久保田万太郎・生駒雷遊といふ一座で夜更ける迄。


七月三十日(土曜)

 今日も暑し、一時、東宝へ出る。渋沢秀雄としばらく話す、彼の著書「三面鏡」といふのを貰ふ。那波と用談。十二月の日劇話も二十日打って呉れなきゃ困るといふので、考へものだ。四時すぎから銀座で「歌ふ弥次喜多」をやってるので、見に行く。三本立で時間制限のためだらうが、ズタ/″\にカット、関所と茶店と漫才がないのには驚いた。座へ出て、双葉のオム弁。入り悪く、七分といふところか、世間では、まだやってるとは思ってゐないらしい。クサリつゝやる。ハネて、藤山と音楽につき、酒ものまずに話す。藤山中々の頭脳なり。


七月三十一日(日曜)

 有楽座千秋楽。
 千秋楽である。座へ行くと、マチネーは惨澹たる入り、六分強といふところか、これは三十一日迄なんてのが常識外れなのと、追ひ広告をジャン/″\出さなかったゝめである。昼終ると、一座の積立金から五百円を出し、昭和十年の横浜からゐる座員・文芸部に分ける、もうそのメムバーは十数名しかゐない。故人となった多和・浦野・田代の霊前にも分配させる。屋井とホテ・グリへ。ポタージュとニョキとシャリアピン。ニョキが珍しい。夜の部は流石に満員、補助も出た。ハネて、シャン/\としめる。技芸賞は毎日キッカケ外さずにつとめたドラム氏に呈した。ハネて山口へ行きウイをのむ。芸談又芸談、結局、大庭や伊東を叱ったりする。
[#改段]

昭和十三年八月



八月一日(月曜)

 鎌倉海岸慰労会。
 今日は座員一同鎌倉の海で慰労会といふ日、駅からすぐ海岸へ、日本茶館の出張店で休む。もう皆、曇天で寒いのに海へ入って元気である。招待客芦原・川口松太郎も来る、川口は盛に三益と遠慮のないとこを見せるので皆アテられたり怒ったりしてる。鎌倉園で一休み、六時に又、日本茶館へ集り、去年も行った鎌倉山の高島氏の別荘へ行く。茶室風の部屋でランプの下で食事、あまり涼しくなし、それから提灯下げて夜道を下り、さて駅を八時五十一分で出発、くたびれた。


八月二日(火曜)

 東宝ビルへ十一時すぎに出る、母上同道、社長と九月の出しものにつき相談する。プルニエで食事、ポタージュに舌平目洋酒蒸、チキンカレーライス。栗のアイスクリームうまし。日劇のエノケン実演で「びっくり長兵衛」を見た。大入り大変な人気だが、出しものゝひどいのにも驚いた、浅草以下のものだ。二時文ビルへ、一同を集めて一言、今度の旅は働きに行くのだから土産など買はぬこと、その他注意。母上と浅草へ。花月の藤山一郎(何ともう花月へ出て一日四回稼いでゐる)の歌をきゝ、母上を車で送り、松竹座へ六時、道子が待ってる、虎の門の晩翠軒で食事、新宿の帝都座で、「悦ちゃん万歳」と「髑髏銭」を見る。又々雨で東海道線不通、明日出発だが、さて何ういふことになるかな。


八月三日(水曜)

 大阪へ。
 十時すぎ起き、東海道線昼頃から開通とのニュースで安心。二時近く道子同道出る。東京駅で、ビクター奥村来り印税いさゝかを呉れた、三時の富士。曇天なので涼しく車中は汗をかゝず。そのうち雨となる。しんじょがはらとふたがはとの間が単線となり、せきがはら近処も単線で、各々一時間位宛おくれちまった。おかげで「夏の日の恋」はすっかり覚え、「子の来歴」を読み上げ、林芙美子の「泣虫小僧」にかゝる。二時間おくれて、大阪着一時半、急行券は払戻しとある。北の花房旅館へ落ちつく、感じよからず、部屋も狭くて、こいつは困った。


八月四日(木曜)

 北の花房旅館の朝、宿を変へる決心してるのに、女中が此の部屋で気に入らなければ、と方々の部屋を見せて呉れたりするので弱る。北の若松といふ宿を見に行く。おかみさんが気さくで感じよく、高級らしいが、此処に定める。劇場へ。「夏の日の恋」の舞台けい古、扮装でちゃんとやる。「海軍」をザッとやって、八時半に終る。道子とアラスカへ。コンチャウダー、ソセヂサワクラウト、挽肉のもの。宿へ帰り入浴して、床につく。蚊帳は要らぬといふことで、しなかったらプーンと出て来て、こいつは困った。


八月五日(金曜)

 北野劇場初日。
 蚊やりで胡麻化して、二時すぎ、ねついた。十時起き、食事、まあ此の宿も食事は上の部。一時から「ガラマサどん」を舞台けい古、楽屋も冷房とは嘘らしく一向に涼しくない。梅田映画地下のスエヒロで食事して座へ戻る。五時、今日は早く開演。入りは、半頃からどん/″\つっかけて満員となった。此の時節に、大成功だ。「夏の日の恋」セリフが入ってるので楽々とやり、「ガラマサ」は、楽屋が明るい自然光線だったので塗りが足らず、赤味が不足のため芝居すっかり弱くなり、参った。「海軍」まあ一と通り受ける。ハネ十時三十五分。宿へ帰り、スエヒロの洋食、林芙美子の「女性神髄」を読み了ってねる。


八月六日(土曜)

 わりに暑くない、蚊帳も竹川にたのんで借りたので安眠。林房雄の「美しき五月となれば」を読み始める。竹川のふみ女とクス子来訪、麻雀は止めたと言ふと、「何でやね、そんなけったいなことされたら、手のやり場に困るわ。」と言ふ。宿へ遊びに来てる、少女荒木久子といふ花柳流の天才踊り手が、レコードで踊って見せる。中々うまい。大庭と伊東・竹川・クスが麻雀を始める。こっちは断乎やらない、一っそいゝ心持だ。夕食はお寒いごもくめしですませて座へ。今日は八分五厘の入り。ハネが十一時五分前といふのは弱った。大分カットしなくてはならぬ。宿へ帰って、夜食し、蚊帳に入って、「美しき五月となれば」を読み終る。


八月七日(日曜)

 今朝もわりに涼しい。楽屋は冷房がきかないが、風がよく入り、まことに涼しい。昨夜おそく迄読書したので何となくくたびれてゐる、どうも年だな、あんまりつめて読書するのは止さう。入りは昼の部満員。芝居が長すぎるからカットする。夜迄の間、外出せず、弁当など食って、菊田・柳と九月の狂言を定めようとするが、結局又改めてといふことで菊田は帰京。夜の部満員。「夏の日」でいきなり大受けだ、「ガラマサ」も「海軍」もよく笑った。ハネ十時半、宿へ帰り、ブラック・エンド・ホワイトを飲み、洋食食って、一時すぎ、ねる。


八月八日(月曜)

 十時起き、今日は御影の嘉納氏のところへ挨拶に行く。親分さん御在宅、早速酒が出る。僕は氷じるこの方を。男女優十数名も居るんだが、うまい話も出来ない、刀剣を色々見せられる。「血を欲しがる妖刀村正」なんぞは皆ぶる/″\。四時に出て、嘉納氏の案内で住吉駅迄歩く、住吉から省線、窓から見る芦屋辺の泥害砂害、見なくちゃ分らぬ。梅田映画地下スエヒロで、食事して座へ。今日は九分九厘の入り、嘉納氏花道の揚幕で見物、今日来た連中へと百円下さる。「夏の日」全くよく受ける、渡辺もうまい。ハネてまっすぐ宿へ。和食し、道子と五目ならべ、ピョン/\で遊ぶ、家庭円満。


八月九日(火曜)

 十時すぎに起きる、弟子達の泊った宿屋の親爺が酒を飲ませる、飲んでやれば機嫌がいゝさうで、朝から飲まされるので皆逃げ出すことになった由。一時、堂ビル地下の松井の理髪店へ行く。道子を乗せて、千日前へ、歌舞伎座のターキーの前売りを買って、兎に角冷房のあるところへと梅田映画劇場へ行く。「ペエテルの歓び」といふフランツィエスカガールの古い物、踊りの場面にすっかり感心した。踊りを習ひたくなった。地下街スエヒロで食事し、座へ出る、今日も見た目は殆んど満員だ。「夏の日」よく受ける。「ガラマサ」と「海軍」は、も一つ食ひ足りない。今日から山野全快出演。
 此の間から、踊りを習はうといふ気持はあった、正月に新作を出さうなんて思ってゐた。今日フランツィエスカガールの踊るのを見てゐて、踊りでなくては出せないものがあるのをつく/″\感じた。四十の手習ひではないが、踊りを習はう。


八月十日(水曜)

 十時起き、まだ眠い。天勝見物に道子と千日前の大阪劇場へ。大船映画「花ある氷河」あり、三宅邦子に期待してゐたが、ひどいもので失望。天勝は初代と二代目、いつもと同じやうなことばかり。楽屋を訪れ、正月に一緒に芝居をしようといふ話をする。朝日ビル一階の千疋屋でサンドウィッチばかりいろ/\食ふ。座へ。今日も九分の入り。一体におとなしい客なりし。今日は暑い。ハネて、山野・石田を連れて南のタカザワへ行き、ビフカツとカレーライス。
 宝塚ホテルへ、ダンシングチーム全部泊ってゐて、松井が先棒となり毎朝早くからレッスンをやってゐる。此のハリキリやよし。僕も麻雀をやめたし、本も読んでゐるが、もっと/\色々勉強しよう。日本踊り、ダンス。そして、まだ色々勉強しよう。此のハリキリやよし。


八月十一日(木曜)

 十時に起きる。今日は家庭劇へ行く。中座の東桟敷、冷房はまるで無い、幕間に人工シャワーが中庭へ降るといふ珍景。序幕から三迄、はり合ひ抜けする位くだらないので、がっかり。四で十吾が稍々活躍する、これがましだが、家庭劇も大丈夫なものばかり持って来るのだから、東京で見るに限る。五を残して出て、かどやといふグリルへ。ポタアジュとビフテキ、ハムライス。今日も九分九厘の入り、「夏の日」が結局一ばん評判よし、大阪ってとこは、人情攻めなのだ、筋のあるものでなくてはいけないのだ。「ガラマサ」や「海軍」の受け方も一つパッとしない。日ソ停戦協定成る、安心した。宿へ帰ると、そのためウイをのむ、宿のおかみさんの身の上ばなしをきく。


八月十二日(金曜)

 暑くてねられなくなってしまひ、アダリンをのむ。おかげで十二時半迄ねる。本格的の暑さ。岡本かの子の「やがて五月に」を読み出した。本といふものは、別な世界へ連れて行って呉れて、楽しい。然し「やがて五月に」の世界はあんまり楽しくはない。九月の出しものも、左の如く決定。夕食はサンドウィッチのみ。今日は満員である。予想した通り此の八月は大成功であった。白井鉄造来訪、色々レヴィウについて話す。暑い/\、汗びっしょりである。ハネて宿へ帰る。夜食は、二見の洋食。
 九月の出しものは結局、
 一、小言幸兵衛 二、女優と詩人 三、活動のロッパの三本立と定った。自信がない点があるが、十時にハネなくてはならないし、色々な条件で止むを得ない。


八月十三日(土曜)

 ゆふべも暑くて寝つかれない。十時起き、花井が来り、道子も共に、出かける。今日は僕の誕生日故、いつもなら夜は大いにさわぐところだが、今年は御遠慮で、さゝやかに祝ふわけ。千日前の歌舞伎座へ、松竹少女歌劇の東京大阪合同で、ターキーの人気凄し、「スプリングタイム」と「ストローハット」二つとも面白かったが、少女歌劇てもの何うにもしようがないとこがあるな。朝日ビルのアラスカへ。ビフテキその他食った。座へ出る。お誕生の祝ひと言って、覚えてた連中が人形など化粧前に置いといて呉れた。今日は土曜日だのに意外や七分強位の入り、こいつは面喰った。帰るとすぐ夜食、そこへデブ君水谷が来り、肥りの話で大笑ひした。
 菊田からのたよりで、「女優と詩人」は再演で弱いからと東宝の連中が言ふので、又色々と案を練ってるとか。勝手にしろだが、一脈心細さもあり、こっちも腹が定らず、なり行きに任せるか。


八月十四日(日曜)

 今日はマチネー、座へ、和服の着流しで出る。昼の部、八分強位の入り、なるべくハリ切らんやうに心持をセーヴしてやる、さもないと夜草疲れるから。楽屋で食事、スエヒロのタンシチュウにハムライス。夜は、むろん満員と思ってたのが、八分弱だ。「海軍」の最中、三度も出征の呼び出しあり、暗転の度に場内放送、此のところ又ひどく出征が多いらしい。ハネるとまっすぐ宿へ帰る。道子とピョン/\してねる。又暑い。
 今度のプログラムは三つの大物に三つ僕が出て、結局一種の相剋状態ではあるまいか。やっぱり一本はヴァラエティを入れて、アッサリしたとこを見せとかないと、損なのだ。勉強だ。結局大阪は、いつも僕のプラン通りでないので残念である。


八月十五日(月曜)

 今日もマチネーだ、一寸したことで道子と気分をこはし、ふくれっ放しで出かける。昼の部、驚くべき不入り、六分であらうか。客席斑で、まるで夢にでも見るやうな景色、大クサリ。まづい食事をすると、林寛の友人の薬屋に頼まれ、「行者丸」て薬を持った写真を二枚撮ってやる。夜は満員と思ってたら又いかん。七分弱であらう。全くガンといかれた感じだ。ハネ十時二十分、まっすぐ宿へ帰る。暑さにねる気にならず、道子とピョン/\など。
 甲子園の野球が十三日から始まった、その日からガタッと来た。とてもならし八分はむづかしい。
 エノケンの喜劇を見て大阪の人曰く、「何やオチョクラれてるみたいな」と。つまり、オチョクってはいけないのだ、大阪てとこは。


八月十六日(火曜)

 宿の味噌汁、今日から昆布だけのダシにさせたのでうまい、ジャコのダシがいけないのだ。座へ出る、此のマチネーも六分五厘位の入り。「ガラマサ」など、てんで受けず。ガスビルの趣味の会てのへ今明日オザで行く(100)。小さい舞台で会員のみの、おとなしい客を相手に一席やり、すぐ座へ引返す。夜も悪く、七分である。然し夜の客は、とてもよく笑ふので元気づいた。ハネる頃鈴木桂介来り、南の、ふき寄せへ行き、鉄板やきを食ったが、まづくて高いのでクサリ。道子と又、ピョン/\。


八月十七日(水曜)

 山野と大庭・道子とで大阪劇場へ、不二洋子一座のアトラクションを見に行く、大船物の「宵待草」ひどいつまらぬもの、呆れた。不二洋子のも「旅鴉お妻やくざ」てので、つまらぬこと甚しい、が入りは大満員、これでいゝのかと色々考へさせられる。一人別れてガスビルへ行く。今日も趣味の会があり、冷房食堂で定食を食ひ、一席やって、座へ出る。昨日よりはましで、八分弱の入り。然しパッとしないことである。「夏の日」がやっぱり受けてゐる。ハネてすぐ宿へ帰り、獅子文六の「青空部隊」を読了。
 ヴァラエティ式のもの一本は何うしてもなくてはいけないと思ふ。つまりエロ――と名のつかないエロが必要なのだ。番組編成上、忘るべからざることなり。


八月十八日(木曜)

 今日は角座の吉本わらわし隊を見に行く、冷房などむろん無いから暑いの何の。中条喜代子てのゝ剣劇、ひどいもの。漫才数番、五郎・雪江が一等よし。トリが金語楼・エンタツ・アチャコの「水戸黄門」実演、このひどさに呆れる。かどやの冷房グリルで食事、ポタアジュにハンバクステーキわりにうまし。座へ行くと、九分近い入り、妙なもの、お盆がすむと盛り返して来る。嘉納親分来り、百円呉れた、その他祝儀沢山。滝村和男来り、南の浜作へ。暑くて/\今夜もねられさうもない。
 北野劇場の地理的条件の悪さが、段々分って来た。この一角を丸の内の興行界と思ったら大まちがひ、丸の内は銀座を抱へてゐるし、邦楽座・日劇の歴史も古い、漸くお盆の客がよべるやうになったところだ。北野はさうなる迄に何年かゝるか、又、さうならないかも知れない。


八月十九日(金曜)

 今日は座員の宝塚見学日なので、十二時阪急集合、宝塚へ。まだ水害の後が復旧せず、急行は無い。初めのは、つまらないとのことなので、パーラーで、白井鉄造・須藤五郎と少女歌劇に対する考へを話し合った。「三つのワルツ」が始まったので、第二部迄見る、間に食堂で、ムザンな食事し、時間なので座へ向ふ。座は九分の入り、見た目は満員、そのわりにつまらぬ客で、「夏の日」以外は乗って来なくて弱った。ハネて、すぐ宿へ帰る。パン食――飲みたいのでウイをのむ、わりに暑くなく、早く床へ入る。


八月二十日(土曜)

 十時起き、座談会あり、宿の近くの菊屋といふのへ。主婦之友主催でエンタツと僕の対談会。此ういふ時、いつも司会役の雑誌記者の頭の程度が低くて馬鹿々々しくなる。くだらない駄洒落を言ったりまるで礼儀も心得てゐない。エンタツとの話は、大阪と東京の比較など主で、秋田実もゐて話に入った。料理は第一量が少くてしようがない。二時すぎに終り、道子を乗せ、梅田映画劇場へ「綴方教室」を見に行ったが満員で、ガスビルの映画館へ行く。ニュースと「氷上乱舞」てのを見る。座へ。今夜は八分。柳と菊田、東京より来る、台本プリント出来。ハネてすぐ宿へ帰り、パン食。母上より「古川内ボビーより」として片仮名の手紙来る、中々面白し。床に入り、「活動のロッパ」と「小言幸兵衛」を読み、つまらぬので失望する。


八月二十一日(日曜)

 マチネーだから十時半起き、昼の入り九分弱といふところ。「夏の日」一ばん受ける。何ういふものか「ガラマサ」と「海軍」は、受け方足りない。昼終ると、ガスビル迄使をやり、べーコンエグス、サンドイッチ二つとり、食べる。夜も九分以上、殆んど満員である。どうも九月の本が二つともパッとしないので心配である。結局自分で書かなくては駄目だと思ふ。九月は満員つゞきは望めない。ハネると道子を乗せ、南の浜作へ行く、あひがもバタやき他ずゐ分いろ/\食った。今宵は稍々涼しい。


八月二十二日(月曜)

 流石に朝夕は涼しくなった。カルピス会社の万年卯六といふ、宇野浩二の小説に出て来さうな人が来り、カルピス大箱を一個貰ふ。四時半に楽屋入り。菊田・上山・柳と相談したが、斎藤作の「小言幸兵衛」は、つまらないからツキかへることゝし、菊田の在りものから「弾ずむ歌」と決定。客は今夜も悪くなく八分強の入り。何となく労れてゝ舞台で眠くなって弱った。花井が咽喉をこはし、「海軍」は原秀子が代ったがうまいので驚いた。ハネて宿へ帰り、ウイをのみ、今宵は一時就床。


八月二十三日(火曜)

 久々たっぷりねた、十二時すぎ、道子と省線で、神戸へ。道々の水害の跡を窓外に見乍ら――全くひどい。元町近くのベルネ・クラブへ入り食事、一二〇の定食がとてもうまい。オルドヴルのチープ・タートレットのうまいこと、コールコンソメは薬みたい。チキン・アラキング軟くてうまい、他に犢のエスカロップ、之もうまし。暑い中を元町ブラをして、サノヘでネクタイ一本求め、阪急会館へ入り冷房で一いきして、「水戸黄門」と「綴方教室」を半分宛見る、「綴方」は稍可。座へ出る、今日も九分の入り、宝塚少女連大勢見物、やたら拍手する。リキー宮川が菓子を持って来る。ハネると山野を連れて多幸平へ行き、ぶら/″\歩いて帰る。
 ベルネクラブの食事は、とてもうまかった、これも馴れてしまふと、うまくなくなる。珍味――といふ字の如く、珍しければ、うまいといふのが真実らしい。


八月二十四日(水曜)

 竹川が迎へに来り、ガスビルへ行く。映画場で「スタア誕生」“A Star is Born”といふテクニカラー映画。これのよさには参った。ウィリアム・ウェルマンの演出もさることながら、脚色もよし、スターもよし、第一にストーリーがいゝ。文学的な映画である。終りの場面では思はず泣いた。地下のグリルで、ひらめの白葡萄酒蒸と若鶏グリルを食ふ、わりにうまし。座へ出る。今日は八分の入り、明日座員浜寺海水浴場行きと定る。芝居はもう倦き/\した、早く新しい狂言をやりたい。ハネて、宿へ帰り、床へ入ると、腹具合が悪くなって来た。
 今日「スター誕生」を見てゐて、ふと感じた。マイクロフォンで、喋る場面がとても多い、アメリカでは機械音に馴れ切ってゐて、少しも不思議を感じないやうになってゐるのだ。僕のマイクぎらひも悪くすると、サイレント映画を恋しがる、例の懐古癖のあらはれとなるのではなからうか。マイクを再認識しなくてはいけない。舞台にマイクを使ひ、マスターすることも一つの仕事であらう。


八月二十五日(木曜)

 腹が痛くなり、四回も五回も朝迄に便所へ通ふ。何が悪かったのか、兎に角食あたりに違ない。今日は全員で浜寺へ行く筈だったが、とても駄目だ。一切食ひ物は腹へ入れず、鹿児島の煎薬を飲み、宿の女中が、やって上げますとて臍へお灸をし塩を盛っといて、据えられた、暑いの何のって! 五時すぎ座へ出る。へそ灸がよかったか、もう治ったらしい。入りは今日も八分。菊田、子供の葬式すませて帰って来た、「弾ずむ歌」のプリント持参。芝居、気が乗らなくて弱る。宿へ帰ると、パンとスープ少々、煎薬のんでねる。


八月二十六日(金曜)

 アラミスの昼食。
 今日は神戸の船へ食事に行く日だ、腹下しの翌日だが、もう何でも食へる自信あり、久々でネクタイもして三ノ宮へまっすぐ。速水育三、待ってゐて、神戸港第三突堤のアラミスへ。船長も共に食べる。オルドヴルは、本格的なもの、例によってスープなし、フィレ・ソール・ノルマンド、とてもうまくアンコールする。次の鶏とアーティショーの煮込みもうまくてお代り。次のマトン・チャップはその元気なし、とてもうまい、赤葡萄とシャムパンで陶然と夢心地、甲板でコーヒー。久々のいゝ心持。二時すぎ辞して座へ。入りは八分といふところ。宿へ淡海氏入来、ウイをのみ、色々食べた。もう腹は大丈夫らしい。山本嘉次郎・斎藤寅次郎・滝村楽屋へ来り、映画の下相談をした。


八月二十七日(土曜)

 今日は小林富佐雄氏の招待で座員十数名心斉橋の幡半へ出かける。吉岡社長も来り、賑か。流石に一流の店だけあって、菊屋・浜作あたりよりづっとうまし、お上品なり。座へ入る。「弾ずむ歌」には僕の役はないから、しまひに出る三枚目の医者を書き足して貰ふことゝした。「活動のロッパ」の読み合せをする。これが又面白くない。兎に角九月は自信なし。入り、七分である。土曜といふのに何ういふものか。ハネてから道子と南のかどやの冷房グリルへ、竹川とおクスも来て食事、ポタアジュうまし、サハラのグラタンにハンバーク皆よし。竹川へ寄り、ルードして遊び、宿へ帰る。
 座員数名、金を借りに来る、今回はみんな断はった、あんまり甘くするとひどい目にあふから。少し甘くしすぎてツケ上らしてゐる感じなので。
 楽屋に盗難ひんぴんと起り、大体犯人の目星もついてゐる由、いやなことだ、表立てずに他の理由でクビにすることだ。


八月二十八日(日曜)

 北野劇場千秋楽――箱根へ。
 十時半起き、暑し。マチネーの千秋楽である。座は昼の部八分。女子供が多く、ちっともピンと来ない。昼終ると、九月の「活動のロッパ」の宣伝写真撮り、弁当を食ふと、もう夜の部。宿の払ひをさせる、とても高い、どうもつまらん、結局大阪ってとこいゝ宿がない。夜の部も八分。よく笑ふ客。今晩出発故、走ってやったら、いつもより三十分もつまって十時前にハネた。道子同道十一時二十一分発で帰京の途につく。家庭劇の十吾・天外・吉本のエンタツ・アチャコに金語楼と高瀬実乗迄乗ってゐて大賑か。食堂へ行き、アチャコ・高瀬と一時近く迄食ひ、車掌室でアチャコと二時すぎ迄話し込み、寝台は上をとって、読書し始める。


八月二十九日(月曜)

 箱根塔之沢。
 六時半ピーッといふ、すれ違った汽車の汽笛で眼がさめる。七時五十分小田原で下りて、道子と環翠楼へ。離れの洗心荘てのへ入る。小さい風呂へ入って、朝飯を、卵子と海苔と味噌汁のみ、涼しいので嬉しく食べ終る。十時頃から二時半迄ねる。絵葉書を取り寄せ、諸方へたよりを書く。それから二人で宮ノ下行のバスで富士屋ホテルへ。バアでマンハッタンをのみ、食堂へ、ポタアジュ、コールドラブスター、肉に七面鳥、アイスクリームにウイスキソーダ一杯のみ、いゝ心持になり、自動車で宿へ帰ると又入浴。床へ入ると、涼しい/\。此の夏の暑さを清算した気持。
 富士屋ホテルの食事も、思ったほどではなかった。此の頃の味覚では、先づアラミスで食った、フィレ・ソールであらう、あの味は時々舌端によみがへる。それと、ベルネ・クラブのオルドヴルに出た、チーズ・タートレット。


八月三十日(火曜)

 帰京。
 九時に起きる、渓流の音、快き入浴、だがゆっくりもしてゐられない、今日から稽古が始まるので十一時の汽車で帰京だ。北村季佐江が熱海へ寄ったとて同車。車中「弁解夫人」を読了、「青春夢」も片づけてしまった。早速、稽古場へ向ふ。今日は、徳山に歌をみて貰ふ。「活動のロッパ」の主題歌を覚える。江戸川蘭子も稽古に入ってゐる。五時近く終り、日劇のエノケンを見る。「坊ちゃん探偵」なるいともひどきもの。エノケンが毎日四回を平気でやることは、どうも困ると思ふ。帰宅、ボビーが大喜びでとびつく。久々うちの食事、東京は涼しい。


八月三十一日(水曜)

 東宝ビルへ樋口と約束しといたので、十二時に出かけると、重役連一人もゐない。樋口のズボラには全く呆れ返る。先日も能勢妙子を無断でエノケンへ出したり、甚だ怪しからん。時間を潰して文ビルへ。此ういふ無駄をさせられることの腹の立つこと。稽古場は、「弾ずむ歌」をかためてゐる。終ると銀座映画劇場へ行き、「希望に立つ」といふのを見た。これは、小品乍ら、中々よかった。芦原英了に会ひ、ホテルのグリルへ誘って食事し、それから有楽座の吉本漫才大会を見る。三亀松の三味線芸を見てゐて、色々思ひつきを得た。九時、東京駅へ、藤川一彦事森繁久弥出征の送りである、ホームで大いに歌って送る。それから久しぶりルパンへ行く。嵐となって大荒れ。
[#改段]

昭和十三年九月



九月一日(木曜)

 三時頃風も雨も大変なことになり、雨戸へ大バケツで浴びせるやうな音、二階がグラ/″\と動く。やがて雨がもり始める、停電だから懐中電灯をつけぱなしで、金だらひを持って来て受けるやら、畳をあげるやら、大変なさわぎ。六時近く漸く雨風も遠くへ行くらしい音になったので安心して眠る。二十年ぶりの大荒れだったとあるが、あんな雨風は生れて初めてだ。十二時に東宝ビルで那波氏と会ひ、十月以後の予定を相談し、文ビルへ。「活動のロッパ」を立つ。稽古終って、鈴木静一・徳山とでニューグランドで食事し、丸の内松竹へ笑の王国初日をのぞき、屋井とウイ。帰宅二時すぎ。


九月二日(金曜)

 今日も稽古である、一時に文ビルへ。歌を徳山にやって貰ふ、徳山の教へ方はうまいし早い、鈴木静一がオーケストラを指揮してゐる、これも実にいゝ指揮振り。「活動のロッパ」何うも面白くない、菊田ばかりあんまり使ふので、労れたらしい。正月のプラン、段々頭の中でまとまって来た。天勝は是非やりたい。正月は全プロ僕が書かうかといふ位ハリキって来た。飯を食ふ暇もなく、七時すぎ有楽座に至り、「女優と詩人」の舞台けい古。今度安心なのは、これ一本だから心細い。滝村来り、十月並十二月についてのプランを語る。


九月三日(土曜)

 有楽座舞台稽古。
 今日は舞台けい古だが、電話がかゝったら出かけるつもり。三時すぎ電話がこはれてゝあはてゝ出かける。「弾ずむ歌」の医者をやる、つまらんらしい。ホテ・グリへ京極と松平氏で行く。六時近くから「活動のロッパ」、セリフ半分も入ってないし、僕元気なくクサってたので、菊田が荒れちゃった、台本破いて、例の通り怒った、丁度来てた上森がなだめたが、今度は江戸川蘭子が役不足からゴテ出し、おさめるのに一時間かゝり、二時半迄かゝって漸く終る。何があっても僕、冷静で、あはてなくなった。いゝことか何うか。くたびれた/\。
 舞台けい古も、自分の作・演出が一つ無いと――つまり役者の立場ばかりの時だと、ついダレてしまふ。菊田は又例によって何か他のことの怒りを、こっちへぶつけたのだらうが、こっちもダレてゐた。舞台けい古に、クサってゐたりしては、いかんではないか。


九月四日(日曜)

 有楽座初日。
 今日は初日、食事して二階でセリフを入れにかゝる。いゝ加減入ったところで、小一時間昼寝する。四時半に出かける。座は、全部売切れである。初日らしい昂奮もなく、ハリキれない感じ。「弾ずむ歌」の僕の出は十二景、犬の医者といふ役で、トボケた扮装で、さて出たものゝ馬鹿々々しく、渡辺がよく受けて呉れるのでよかった。次、「女優と詩人」これは馴れてるし気らくだった。「活動のロッパ」は、思ったよりずっと受ける、それもくだらないと思ってた前半が受ける。後半は持て余した。ハネ十一時、これは大量カットを要す。まっすぐ帰宅。
 セリフうろ覚えの初日――そりゃむろん、しっかり覚え込んだ、自信のある初日に越したことはないが、此のうろ覚えで出て、何とかゴマ化して行く味も、又何とも言へない興味のあることである。思はぬギャグが出たりして自分でフキ出すなんてのも、此ういふ日に多い。


九月五日(月曜)

 二時半に家を出ると、早稲田の中野実の出征留守宅へ「女優と詩人」の上演料を届けに行く。細君がとても喜んで呉れた。中野が、親切な男だから留守宅も皆によくされてゐるらしい。それからレインボグリルで作家連の壮行会があり、顔を出す。菊池氏以下皆元気なので心強い。林房雄・久米さんと話し、座へ。暴風気味で、ラヂオが警報をじゃん/″\放送してるさうで、客の出ハナをくぢかれたかたち、七分五厘位の入りであらうか。所謂二日目ダレで、とてもやりにくかった。徳川夢声来り、とても面白いと賞める。ハネ十時半すぎ、まだ/″\カットせねばならず。


九月六日(火曜)

 十二時に家を出て、日比谷水明館へ天勝を訪れる、正月はぜひやらうといふことに定める。それから東宝ビルへ行く、那波氏と話す、北野の八月も三千円ばかりの黒字であった由。今月もまあそんなところとあきらめて貰ひたいと言っとく。夕食はホテ・グリで一人でオニグラ、コールドラブスター、アスパラ。アスパラが参ってたらしく後で腹しく。座へ早目に出る。指圧療法の市川といふのが来り、三十分やる。いゝ心持である。入りは九分近し。「女優と詩人」情熱なき上、段々芸が内輪になって困る。ハネ十時半近し。今夜見物のサトウハチローと銀座へ、友田・菊田がおママばん。ルパンを出て場所をかへて談じ続ける。
「活動のロッパ」は、面白いといふ評判だ。一方お茶番もひどすぎるといふ評もあるが、先づ一般には受けてゐる。菊田一夫はます/\怪物である。ドラマツルギーに無いことで、つひに一境地を拓いたと言っていゝ。もう一人、別な境地の作者がほしいものだ。


九月七日(水曜)

 十時半に起きる、風はひどく吹いてるが暑い。里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の「求心力」を読み始める。五時に出て座へ。市川が待ってゐて指圧療法を行ふ、当分つゞけると肩のこりなどとれると言ふ。今夜はニッサンの社員で階下二円席は貸切である。「弾ずむ歌」の犬医者、あんまりいゝ趣味じゃない。「女優と詩人」内輪になるまいとするのだが何うしてもハデにならない、それに柏がヘマでカンの立つこと、「活動のロッパ」も漸くカットすべき個所が分り、又々カットする。ハネ明日から十時とならう。サトウロクロー入座希望、条件無しで頼むと言ふ。ハネて、生駒を誘ひ、浅草みや古へ、のんだり食ったり。


九月八日(木曜)

 京極が横浜の税関試写室へ案内するといふ話。京極と松田さんの三人で、横浜駅から税関へ。税関長の高橋さんて人が中々面白い、喋り方など参考もの。はぢめストック品の古いサイレントで、なつかしく見る。次に、トーキーの、治安風俗カットを色々見る、ジョン・バリの「テムペスト」やディトリヒの裸、それからワイ映画を見た、ひどいものであった。四時半に辞し、電車の中でシュウマイと弁当をかき込む。座へ。市川の指圧療法を受ける。入りは補助が出てるから満員か。「女優と詩人」の喧嘩のところで左足の拇指の生爪をはがした、痛し/\。母上・道子見物で、帰りに明月ビフテキで食事した。


九月九日(金曜)

 十二時に山水楼へ、「映画朝日」の映画と舞台の両股をかけてる人々の座談会。夢声が不参で、僕にセレモって呉れと言ふ。長十郎・翫右衛門・薄田研二・エンタツ・アチャコ・京町・三益に僕、記者に又出しゃばる奴がゐて気分をこはす。それから浅草へ、「笑の王国」松組なるものが意外な当りなので、見に行く、実にひどいものである。それから大勝館の「メトロヴァラエテ」といふ、毛唐女のアトラクションを見た、これ亦ひどきもの、西洋婆の手踊。広養軒でカツレツとめしを食って座へ出る。指圧の小父さん待ってゝ、三十分やる。今日も入り九分九厘迄行った。悲観したものでもなさゝう。ハネて、山本嘉次郎・斎藤寅次郎・滝村で十月の映画打合せで、柳ばしへ行き、大いに論じ、のむ。
 三宅周太郎から葉書、「今度のは七月よりづっといゝ。」と来て、「活動ロッパ」もよし、「弾ずむ歌」の、犬の医者は九十点以上の出来と賞めて来た。全く、思ってることゝ反対なので驚く。


九月十日(土曜)

 放送局より十枚ばかりのニュース演芸を頼みたいと二人局員来る、物価騰貴を防ぐ法といふ講演が材料、「母さんの講演」といふ、十枚ものを書いた。何しろ材料がつまらないので、いゝものにはならん。夕食簡単にして、憂鬱な気持で出る。座へ。指圧療法氏来る。三十分やる。三宅周太郎に賞められたので犬の医者はいくらかやりいゝ気持。「活動ロッパ」は、段々ハコに入って来た。ハネは十時一寸すぎ位になった。京都から八田ダッシー氏が来た、招待しなくてはと思ったが、元気が出ない、柳を代りに立てることにして帰宅。咽喉具合悪し、夜、熱を計ると七度四分あり。
「報知」と「国民」に批評が出た。何っちも「活動のロッパ」は、不評である。三宅氏のやうに、七月よりいゝといふ人もあり、色々だ。


九月十一日(日曜)

 今日はマチネー。昼大満員である、満員だと身体の調子が悪くても、クサってゝもハリキってやれる。江戸川蘭子、トチって来り、しゃあ/\として「ロッパさんごめんなさい、一時開始だとばかり思ってたんで」と来た。少女歌劇の出には碌なのがゐない。此奴も一回でコリ/″\だ。昼終ると、市川来り、指圧療法を行ふ。一人でホテ・グリで食事、ポタアジュに、ニヨツキがあったので食べる。夜の部大満員、犬の医者段々調子が出て来る。「活動のロッパ」は気がるだが、「女優と詩人」が何うしても朗かに行かず。今夜は、映画とレヴュウ主催の、笑の王国とうちの懇話会あり、富可川ってうちへ。どうもさっぱりと酔へず、理屈っぽく酔っていけなかった。色々とクサってゐるので。


九月十二日(月曜)

 防空演習第一夜。
 今日から防空演習が五日間続く、芝居はマチネーのみ。昨夜のんだのと風邪っ気が抜けないのとで気分すぐれない。座へ。指圧療法氏待ってゐて、早速やる。座は、入りひどし、六分。それも招待と、そこらの青年団みたいなのが昼の時間潰しに入ってる。「女優と詩人」など、じっくりしたものになると又憂鬱になる。クサリを舞台へ持ち込むことは何うにかして止めたい。終ると五時十分、急いで帰る。街々は何となく物々しい。夕食、二階へ上る。里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の「求心力」を読み上げる。それから獅子文六の「胡椒息子」を読み始めた、面白いので、二時すぎ迄かゝって読んでしまった。
「読売」に、遠藤慎吾といふ奴の評が出た。「芝居の下手なロッパが云々」と、こんな無礼な書き方をした奴、覚えとくべし。こんな奴に芝居の上手下手が分ってたまるものか。


九月十三日(火曜)

 今日は防空演習の第二日で、マチネーのみ。座へ出ると、入りは昨日よりよく、七分強。三十分、指圧をやる、痛い、が、身体の調子はいゝやうだ。京極が来て、夜は何処へも行けず困ると言ってる、暇人は気の毒だ。弟子・大道具等気に入らずどなること二三回。犬の医者は思い切りふざける。「女優と詩人」内輪なことしか出来なくなって困る。「活動のロッパ」気らくにやる。ハネ五時一寸すぎ。東劇見物帰りの母上・道子と同車帰宅。二階で読書、武田麟太郎の「浅草寺界隈」を読み上げ、「話」と「映画ファン」に二枚と三枚の原稿を書き、中野実の「新婚二人三脚」を半分読み終った。これだけ時間があると随分仕事も勉強も出来るものだな。


九月十四日(水曜)

 燈火管制第三日。十二時に座へ出る。指圧を又三十分。今日は、東宝従業員の家族を招待したとかで、満員になってゐる、が笑ひは少い。傷病兵を招待するとか、有意義なことを考へればいゝのに、まるでダメだ。犬の医者はふざけちらし、「女優と詩人」何となくやりにくゝ、「活動」もかなりいゝ加減にやる。生駒来り、防空演習中も丸松の笑の王国は休まずやってるが、反って大入りの由、娯楽の根強さだ。まっすぐ帰る。夕食して二階へ、こゝで一と寝入りするのがたのしみ。起きると読書、中山義秀の「厚物咲」と、「新婚二人三脚」を読了。


九月十五日(木曜)

 座へ向ふ。何うせ客は入らないに違ない。果して入りはない、招待が多いらしい、反響が少いのでやりにくい。ハネ五時十分、銀座へ廻り、三昧堂で新刊を漁ったのがいけなかった、小滝橋に近いあたりで、空襲! と来て、そのまゝ動くこともならず、一時間半車の中で煙草ものめずに、クサってゐた。漸く七時半解除となり、帰宅、ペコ/\の腹へ、ウイをのみ、食事しつゝ先日書いた時局演芸「お母さんの講演」をきく。水町庸子はうまいが、しまひの方カットされたので意味なし。


九月十六日(金曜)

 今暁又アダリンのんだので、起きるのがとても辛い。座へ出ると、指圧療法は三十分。日日の記者、加納君来り、漢口を落すのが十月十五日頃で、それがすむと又関東をやるんださうだ、大変だ。今日も招待半分らしく、ちっとも気のりせず、犬の医者はます/\無軌道となる。五時前に終る。又昨日みたいな目にあってはと急いで、見物の母上と一緒に帰る。下二母上も見物、これを送る。夕食、寝ちまっちゃあ又夜半にねられなくなるから、読書。ダビの「北ホテル」と甲賀三郎の「虞美人の涙」を読み了り、ねる。


九月十七日(土曜)

 昨夜で燈火管制も終った。十二時東宝ビルへ、那波氏と会ひ、サトウロクロー並に山野一郎を入れる件につき相談、十月は撮影、十一月が大阪、十二月は「ロッパの大久保彦左衛門」を撮ることを主張する。塩瀬で稲葉実に会ひ、一月のヴァラに出演させることを定め、注文を出す。丸松の「笑の王国」二の替りを一寸のぞき、東宝劇場へ、少女歌劇「ビッグアップル」つまらなさに呆れる。三信ビル地下で理髪し、東宝グリルでライスカレー食って、根岸の空地で、拳斗屋の益戸にたのまれた野天のオザへ(寄附)。喋ってると雨となり、情なくも十分やり、座へ引返す。今夜は補助も売切。燈管でおさへられてゐた気持がワッと反撥してよく笑ふ。ハネてルパン。木村千疋男・田中三郎・上森健一郎と揃っちゃあ三時になる哩。
 丸の内松竹で、「笑の王国」のヴァラエティを立って見てゐた。立って見てゐると、舞台で、テキパキやってくれないと退屈である、もっとスピード/\と望みたくなる。お客は半分立ってゐる、といふ気持で演出したら、スピードは出るな、と思った。


九月十八日(日曜)

 マチネーだ、座へ出ると、補助も出切りの大満員で、ワッワと勢のいゝ笑である。屋井が来り、朝日ビルのアラスカへ行く。コンチャウダーと、肉の刻んだのを食ったが、うまくない。それから又、昨日の会へ出かける。根岸の空地、今日は晴れてゝ客も大分ゐるので、気持よくやれた(寄附)。座へ引き返す。夜の部もむろん大満員である。犬の医者は出るなり爆笑。「女優と詩人」も手に入っちまった。「活動のロッパ」も前半は、きっちり受ける壺が定ってやりよくなった、後半がいやだ。ルパンに行く。衣笠貞之助と岩崎昶がゐて、僕の「量説」を、岩崎は健康人の説として、一般に通用せずとなす、技巧批評のない映画批評界を嘆くと又反駁され、面白く論じた。


九月十九日(月曜)

 四時に迎へ来り、道子、歌舞伎座見物なので送りながら柳小路の支那グリル一番で夕食、安くていゝ。座へ、二日休んだ指圧先生来り、三十分やって貰ふ、いゝ気持である。入りは九分強だ。旅と一月の出しもの、菊田と相談して、脚本書きの割り当て。中々文芸部は人材が無い。水谷八郎デブ、愛嬌のあるのをいゝことにあたり一面借金だらけにしてドロンした、ひどい奴。渡辺はま子見物に来り、ブラック・エンド・ホワイトを土産に。天外夫人の浪花千栄子見物、これが又オールドパー一本届けてよこした。ハネると、又々ルパン。
 丸の内松竹へ進出した笑の王国は、九月といふ悪い月だし、いろ/\いけないといふので又々本城の浅草へ十月は戻れることゝなった由。これは然し、辛抱がなさすぎる、九月といふ月をテストされてはたまるまいし、もう一二ヶ月テストすべきだのにと思ふ。尤も映画と併立なのがいけないのだらうが。


九月二十日(火曜)

 鼻風邪未だ抜け切らず、咽喉もいけない。木村千疋男から長い手紙を貰ったので返事を書き、三糸重二から送って来た脚本二つ読む。「遠山の金さん」といふのが面白い。彼に座へ来るやう手紙書く。見習作者にしてもいゝと思ふ。四時に帝国ホテル迄出かけ、「東宝」のために山路信男といふ人と一問一答する、一人でグリルへ行くと、織田氏と加藤兄上がゐてそこで食事した。座へ出ると、市川指圧氏来り三十分やる。入りは九分強である。「活動」の時、浅草の客みたいなのがゐて、かけ声などする、こいつが不愉快だった。まっすぐ帰り、ウイ少々のみて食事。


九月二十一日(水曜)

 夜のあける迄寝られず、そのため三時頃迄ねてゐた。座へ。指圧氏が「もう大分快くなって居られる筈で糖なぞも出なくなって居ると思ひますがな」と仰言る。きいて呉れなくては困る。十月の映画、シナリオがまだ出来上らず、弱ったもの。十月は男はなるべくその方へ、大部屋は東宝劇団へ貸し、ダンスチームは東横・横宝のアトラクションに廻ってロッパ・ガールス公演と大きく出ようといふことになった。入りは八分五厘といふところ。ハネ十時。ルパンへ向ふ、菊田・上森・柳もゐて、今宵は一寸のみ過ぎたか。


九月二十二日(木曜)

 斎藤豊吉と穂積純太郎が一時に来た、本を読まなすぎるから色々なものをすゝめ、正月の脚本のネタを渡す。夕刻食事を共にして、一緒に座へ出る。今日は爺さん婆さんと子供多く、一杯にはなってゐるが、一向にピンとは来ないらしい。ハネ十時。山本嘉次郎・小国英雄・滝村揃って来る、二十五日一杯に必ず書くからと言ふ。丁度鈴木静一も来り、これがその音楽担当。題名「子供の大将」とする。何うも意味ない名だが。大分飲みすぎて、いかんと思った。これから注意すべし。


九月二十三日(金曜)

 一時迄ねてしまった、高見順の「故旧忘れ得べき」を読み始める。宇野浩二を思はせて面白い。それにしても来年は宇野浩二作品を全部読んでみようと思ふ。高槻運転手が昨夜松茸にあたって入院してしまったので今日は代りの運ちゃんだ。銀座へ出てアラスカへ。オルドヴルとチキンブロスのみ。座へ出る。入り九分九厘といふところ。楽屋に盗難あり、刑事来り、三階の部屋の者調べられてゐる。入りのいゝわりにつまらぬ客でピリッと来ない。ハネ十時。今晩は食ひの方で、大崎・土屋といふ変ったのを連れて、ふた葉へ食事しに行く。


九月二十四日(土曜)

 秋季皇霊祭のマチネー。昼の部は九分強の入りである。「女優と詩人」の時、セリフを一つとばしてしまひ、三益に小声で注意されたらサア可笑しくなって、吹いたので、三益も渡辺も吹き出してしまひ、大弱りした。昼終ると、山水楼へ行って食事。夜の部は補助も出切った。昨日に引き続き、刑事が来て盗難の調べを続け、役者が代る/\調べられた。僕が挨拶に行くと、「此ういふ気分が芝居の方に影響しやしないかと心配してゐますがね」と親切なので驚いた。夜も「女優と詩人」で同じとこへ来ると吹いちまってしまらず、弱り。まっすぐ帰り、ウイを大分のみ、寝る。


九月二十五日(日曜)

 今日もマチネー。座へ行くと、九分といふところ。「女優と詩人」で、昨日のところへ来ると又可笑しくなるんじゃないかと心配してたが果して又笑ひ出しちまふ、心が弛んでゐると、自分で叱っても、どうも笑っちまって弱った。昼終ると市川指圧氏来りやる。三糸重二来り、ホテ・グリへ連れて行き、十二月から入座させるやう話す。夜も九分である。何うも、いぢけたヘンな気持で芝居をしてゝいけない、神経衰弱か。「女優と詩人」で又笑っちまひ、自分でクサる。ハネてまっすぐ帰宅。


九月二十六日(月曜)

 母上は今朝早く熱海へ祖母上等と一緒に行かれた。十二時にニューグランドへ行くと東宝映画連も時間はまことに守らない。先へ食事しちまふ、トマトクリームスープにポークチャップ。皆漸く来り、「子供の大将」の台本、一と通り読む。かなりじみで、笑ひが少い。撮影は来月四・五日開始。又あの生活が始まるのか。滝村と丸善へ寄り、琥珀のパイプ(吸口)と、ウォタマンの万年筆を買った。銀座のアラスカへ寄る、オルドヴルと、ポタアジュ・サンジェルマン。時々憂鬱になっていけない。座へ出て、市川指圧来り三十分。入りガゼン落ちて六分強位、やれ/\がっかりだ。犬の医者は井上でやったら具合わるし。ハネて、ルパン。
 一日から二十五日といふ御定法を破って、僕の芝居はいつも月一杯かそれ近く打たされて来た、そして終り迄満員であったので、段々無理をして、初日の一日が守れず、五日初日の三十日までなんてのが多くなったが、此の御時世には許されず、二十五日すぎれば、ガゼン客落ちる。一日―二十五日を、此の事変中は、ぜひ復旧させなくてはならぬ。


九月二十七日(火曜)

 三時の汽車でビクター音楽部隊が出発、深井史郎・佐伯孝夫・飯田信夫の三人が、例の服を着て、「グリコタベテコノゲンキ」といふ式の可愛い姿。三時の富士で出発。それを見送って、穂積純太郎を連れて銀座へ出る。ホテ・グリへ。オルドヴル、ミネストロン、カレーライス。座へ出る。横浜と東横へ定ったロッパ・ガールスが「私たちガールスだけで独立公演したい、田村・北村の応援無用」と、稽古に入らなかった件あり、柳はぢめ文芸部に注意せよと言ふ。犬の医者今夜は夢声でやる、これもテンポがないのでダメ。ハネて、又々引抜きの計画で、少々のウイ。
「弾ずむ歌」の犬の医者は、東北弁まじりの独特のセリフでやってゐたのだが、ダレて来るので、毎日色々変へて、昨日は井上、今日は徳川夢声でやったが、これではちっともテンポがない、スピードが出なくて失敗した。してみると、我々の芝居は、さういふ人たちの倍テンポでやってゐるのだと、しみ/″\感じた。


九月二十八日(水曜)

 十二時前に道子と出て、帝都座へ「路傍の石」を見に行く。中々の傑作である。田坂具隆のよさだ、俗衆に媚びざるの芸、それがこれだけの大当り、この点大いに参考になった。それから一人で帝劇へかけつけ、「踊るブルース」を見る、コロムビアの服部良一曲を集めたショウで、よく纏まってゐる。松平晃・服部良一を誘って銀座のアラスカへ行く。服部は初対面だが芸術を好むこと盛なる好青年。座へ出る。菊田一夫、劇作家部隊に選ばれて戦地へ行くことゝなる。大いにハリキってゐる。入りは七分強といふところ。まっすぐ帰宅。少々ウイ。道子とピョン/\貯金、ねる。


九月二十九日(木曜)

 十一時起き、山田勝氏と、東北出の映画俳優志望の寺門青年と来訪、いゝタイプで惜しいが、えらい東北訛りである。東宝映画に紹介してみるつもり。高見順の「故旧忘れ得べき」を読み上げ、下二番町へ久々でしょう月命日だから行く。お弁当とのりが得意の白和へを食ひ、座へ向ふ。入り七分か、兎に角今月は、狂言がチャチであった。実さい今月ほど、つまらない気持で芝居をしたことはない。犬の医者は玩具のラッパを出すなどふざける。「活動のロッパ」つく/″\いやである。ハネてから打合せあり、ルパンへ行くと、田中三郎・内田・清水と会ひ、話に花が咲く。


九月三十日(金曜)

 有楽座千秋楽。
 床の中で新聞を見ると、「都」にサトウロクローの緑波一座入りが出てゐる。まだ契約済みではなく、今日調印する筈なので、面喰った。東宝ビルへ行く。サトウは無事、調印を終る。支配人と十二月以後のプランを練り、一月と四月は有楽座、大阪行は来年は三度にしたい。その他。座へ出る、市川来り指圧療法をやり払ひをすませる。犬の医者は団扇太鼓で引込む。入り六分強位でハリアヒのない千秋楽である。ダンスチームのハリキリトリオにサトウハチロー賞、技芸副賞を久米・石田・原・加川に出す。屋井の肝入りで中州の中村へ、江戸川・滝村のPCL連、サトウ・露原の新加入連大ぜいで「おめでたう」の乾杯。林房雄が楽屋へ来た。
 今日の千秋楽には、「活動のロッパ」で、徳山が突然出たので面喰った。好きだな。
[#改段]

昭和十三年十月



十月一日(土曜)

 十二時頃東宝映画のヅラ合せに来たので起き、道子と二時頃出かけて、伊東屋で石膏像を一つは、田中三郎の家へ届けさせ(夫人が美容院を開業する祝ひに)、一つは、橘弘一路の映画世界社の新社屋落成祝ひに買ひ、それを持って行く。橘・大黒と話し、ダービンその他の原画を貰って、晩翠軒で道子と食事、あんまりうまくなし。四谷喜吉へ行ってみる。小勝の八十一歳の顔がとてもよかった、久しぶりで笑った。帰りに新宿の一平でおでん食ってたら、酔っぱらひの医大学生が無礼を働き、気分をこはした。帰宅。乱歩の「大暗室」を読了。


十月二日(日曜)

 十一時すぎ迄よくねた。林房雄の「太陽と薔薇」にかゝる。四時半に出て新橋演舞場へ。五郎劇なのだが、又々五郎が胆石病で入院し、座長を除く一座で値下げして前売は一円の払ひ戻しあり。狂言も五郎臭の強いものはなくなってゐるが、見終って、さほどがっかりさせなかったことは偉い。夕めしは此処のまづい洋食。楽屋へ行き、中根蝶太郎、新加入の十次郎に会ひ五郎氏によろしく伝へる。「花柳一夕噺」が一ばん面白かった。ハネは九時四十分。千成ずしに寄り、白いのを食ひ帰宅。ムシ/\と夏の如く暑い。
 五郎抜きの五郎一座、とんだ日の前売を買ってしまったとはいふものゝ此ういふ変った興行は見ようと言っても中々見られないが。今日の五狂言見終って先づ及第点なのは偉いと思ふ。又、此の場の応急手段が実によく行ってゐる。入りは、六分ってとこだった。


十月三日(月曜)

 成田山へお詣りしようと道子と十一時の迎へで出かける。上野で高橋の姉を拾って、江東の方へ向ふ。車中高橋姉、成田不動は夫婦でお詣りするところではないと、色々な例を話すので、方向転換して、柴又の帝釈さまへお詣り。今日は狂ひ天気で正午が三十一度といふんだから驚く。帰りは新宿の東宝映画劇場へ入り「鶴八鶴次郎」を見る、佳作である。徳永フランクに逢ふ。チャプリンへの手紙について話す。それから日本橋へ出て偕楽園の支那料理、変ってゐてとてもうまかった。銀座へ出て、高橋姉と別れ、新刊二冊買ひ、スタンドのいゝのがあったので買って帰宅。うちの座員の放送あり、きく。つまらず。


十月四日(火曜)

 昨夜川端康成の「作家と作品」を一時半頃迄読んでゐたが、さて眠れなくなり、アダリンをのむ。十一時に伊藤松雄氏が来り、例によって、よく喋り出す。一時すぎに、斎藤豊吉と穂積純太郎来る、もっと彼等を勉強させることを話したかったのだが、「そろ/\お暇する」と言ひ/\伊藤松雄いっかな動かず、しきりに喋る。花井淳子も人形を土産に遊びに来り、僕はウイを皆は酒を、牛肉のすきやき。古いビクターの赤盤マッコーマックのティパレリーの歌をきいてその甘さにうっとりする。十時すぎ、ふら/\と酔ってねてしまふ。


十月五日(水曜)

 東京映画撮影所から九時半に砧へ来いとの電話あり、八時起き。久しぶり撮影所へ。本読みと言ってもまだ三分の二も出来てない、すぐにはクランク出来ず、待機といふいやな状態になった。東映本社へ行く。森岩雄とニューグランドで話す、チャプリンへの手紙をたのみ、かねてのストーリーを話す。次に文ビルへ寄る、横浜は明日、有楽座は今日の初日で急しい、キネマ旬報を久々で訪れて田中三郎と話す。夜は、久しぶりの阿部豊、十何年ぶりの溝口健二、田中三郎と会し、いつ迄たっても好きな映画道の話に、二時近くなった。


十月六日(木曜)

 映画といふ奴はこれで困る、折角待機してゐても今日は仕事無し、早くから分ってれば旅ぐらゐ出来るのに。藤山のとこへ電話かけると留守で通じない、藤山が定らないと十一月の大阪の狂言が確定しないので弱る。川端の「作家と作品」を読了。横浜組の初日、柳から大盛況との電報あり。伊馬鵜平から贈られた「義歯の行列」を読む。あんまり面白くないが熱心な人故感想を書き送りたいと思ふ。夕方母上帰られ、熱海の十日間が燈火管制でさん/″\だったとの話、アンマをとる。「奇術師夫婦」のプランを練り、一景を少し書き出す。二時頃ねる。


十月七日(金曜)

 シナリオ出来、打合せのため十二時に撮影所へ行く。変更々々で、主人公の商売が保険屋になったり小使になったり、結局野球場の掃除夫の如きものとなったらしい。車で横浜へ。横浜へロッパ・ガールスが出てゐる。表へ廻って見物し、ダメを出す、わりによろしい。浜へ来たついでにヘイチン楼へ行き、柳・堀井・斎藤で食事し、すぐ又東京。有楽座、「当世五人男」の後半を見る。菊田の成功作だ。約束の林房雄と会見、林文三郎と共に、大いに飲み文学を論じた。


十月八日(土曜)

 いよ/\明朝よりクランクといふこと。十二時半に迎へ来り、文ビルへ出る。十一月の狂言は定ったが、藤山がまだハッキリしないので、いやんなる。東宝ビルの社長室へ、大阪北野の寺本が来たので行き、狂言四つ又は五つ立ての案を出す。それから母上・道子と落ち合ひ、日本橋の偕楽園へ行く。此処は変ったものを食はせるのでいゝ。日比谷映画を見ようと行く。古いエリサベート・ベルクナアの「夢みる唇」役者のうまいのに三嘆した。東京発声の「冬の宿」これも感心した。明日早いので、そのまゝ帰宅。十五夜でお団子が縁側に出てゐる。


十月九日(日曜)

 撮影第一日。
 今日から「おとうちゃん」の撮影、第一日は後楽園スタヂアムでロケだが、上山や大西が気をきかして呉れないから無駄と分ってながら砧へ行き、簡単なカツラ合せして、改めて後楽園へ向ふ。スタンドの掃除夫が掃いてるとこワンカット撮ると、もう待ち、結局これでおしまひ。何のことだい全く。文ビルへ行って、用件片付ける。藤山つひに不調、感じの悪い加納と電話で話し、後口悪し。南明座で「舞踏会の手帖」大半見て失望する。アラスカへスープと鶏ショートケーキといふ料理、どうもうまくない。撮影にかゝると落ちつかなくていけない。明日はロケだが、十時過の筈、ゆっくりねよう。


十月十日(月曜)

 起きてきいてみると今日のロケの部分は、カットになり又アブレとなった。ナーンだ。「銀座百話」を読む。柳から電話、藤山は結局十一月はこっちへ出る決心を定めた由。それで一安心。放送局から電話、十六日の七時半から物語を頼まれる、十六日は歌舞伎へ行く日なんだが意地悪くさうなるもの、夕刻上山雅輔来り、十一月大阪でオマケ的に封切りする「ハロー大阪」のプランを立て、歌を集めて、本にしてしまふ。藤山より電話、とても元気になって、ぜひお供しますと言ふ。今迄相当苦しんでたらしい。夜に入りて雨。


十月十一日(火曜)

 九時起き砧村へ。撮影所の近くの、立派な門構への家の前へ行くとすぐかゝる。主人公が貯金勧誘に行くと、犬にワン/\と吠へつかれてあはてるところから、三カット。ナマリで行って呉れと云ふので東北調でやる。又々夏の如き温度である。午後は、撮影所で晴れ間を待つ、とゞのつまりが、中止。東京へ出る。阿部豊と会ひ、ホテルのグリルでポークビーンズを食ひ、日劇へ。エノケンの「西遊記」を見た。退屈極まる愚劇で、殆んど笑へない。エノケンもこれでは仕方がない。それから菊田と会ひ、十一月の改訂プラン、配役の大体。正月の分迄すっかり話を纏める。藤山と落ち合ふ、十一月が定ったので双方安心する。加納といふ兄貴がついて来るので酒がうまくなくなる。


十月十二日(水曜)

 今日からセット入り。撮影所は砧でなく、東発の方で、いくらかこの方が近い。十時すぎ出る。東発のスタヂオは楽屋などきちんと出来てゐて居心地よく、他に一組も撮ってゐないのだから静かでいゝ。セットは六さんの家、六さんが子供にスポーツをやらせようとし、女房は勉強をさせようとする場面。夕刻、二時間休憩といふので、石田守衛を連れて渋谷迄出て、二葉亭の洋食を試みる、ターブルドートのみと気取ってるが流石にうまい、オルドヴルからコーヒー迄、づんと気に入った。鶏のボイルが殊によかった。東発へ引返し、又セットへ入る。九時過ぎ迄。滝村と銀座へ出てルパンで軽くのむ。十二時ねる。
 日本のトーキーの一ばんの欠点は、セリフを重要視しないことだ。斎藤寅次郎監督と来たら、てんでセリフには興味もない。が、ヘンに分りかけてるのより、僕らには始末がいゝかも分らない。が、セリフの出来立てのを、而も二枚三枚と長いのを、それ覚えろと、すぐやられるのは困る。


十月十三日(木曜)

 八時前に起きる辛さ、雨である、撮影所へ着くと、まだ子役氏が来てないので待ち、十時すぎセットへ入る。六さんと女房が子供の教育について争ふところ数カット。昼休み一時間、此処の食堂はPCLよりひどい、カツレツと飯を食ったが胸がやけさうなのでいゝ加減にする。午後ワンカット撮ると待ち、セリフを渡されすぐ喋らされるので何うもうまく行かない。夕方迄に又数カット、夕方は何も食はずガンばる。六時から女房と争ひの結果、別れる件を撮る。八時近く終り、阿部・滝村と二葉亭へ行き、食事。オルドヴル、ポタージュはコーンで、とてもうまく、プディング迄とてもうまかった。十時床へ入り日記。


十月十四日(金曜)

 八時起き、あくび連発。東発撮影所。今日も雨もよう。子供に宿題を教へるところ、三四カットやると昼めし。此処の飯なら食はぬがましだから食はず。主婦之友から記者が、人相見を連れて来て会はされる、人相見氏あんまり当らない。午後セット入り。今日は明治座へ行く日だが中々終りさうもない。斎藤寅次郎が、いよ/\癖を出して、火事をやることになり、いよ/\来たかと恐くなった。結局七時近くなった。明治座へかけつける、新生新派花柳一座の旗挙げ。二の「東京の行方」から見る、これはつまらず、久保田万太郎の自慰作品、「呂昇物語」が稍々よく、巌谷三一がよくなった。屋井につきあひ、少々の酔。


十月十五日(土曜)

 今日も定時開始、六さんの家が今日でアガる、子供とからむ芝居数カット、昼はムザンなる食堂で、恐ろしい飯を食った。鈴木静一来り打ち合せ。先日家へ来た東北弁の志願者が来た、滝村に紹介して置く。午後は、六さんの家で師匠と酒をのむところ。これで今日は前以て制限を申し込んであるのでアガリ。阿部豊とホテ・グリ迄行き食事して、雨の中を蒲田の田中三郎宅へ。ジャック・田村・高橋・三郎といふ好メムバーでポーカー。メムバーがいゝので、とても面白かった。結局少々の勝。それから放送局へ、菊田もゐて明日放送の物語をテスト、一回通してチョン。二時頃帰宅。


十月十六日(日曜)

 晴れなら近郊ロケの筈だが、雨、で今日は撮影はお流れ。ひどく寒くなった。三時近く家を出る、歌舞伎座へ。三円以上の芝居は一軒もないのに此処は六円半で、満員補助出切りだから面白い。道子僕他堀井夫妻と柳。羽左と菊五郎でいゝ役は一手になっちまふので他の役者はほんの一寸宛。幕間に支那定食を食ひ、放送局へ。七時半から二十五分、物語「大番頭小番頭」、たゞ読むのだから、楽だが、面白くもなからう(60)。又歌舞伎へ引返す。菊五郎の女形は何か大きな間違ひをしてゐるやうな気がする。すべて六代目はジミすぎたので羽左の印象が強い。帰りに千成へ寄りすしをつまみ、屋台のホットドッグを食って帰る。
 三時から十時まで、七時間といふもの、兎に角見てゐられるといふ「忠臣蔵」ってものゝ偉大さ、こればかりは洋楽のない物足りなさも忘れて、面白く見終った。結局「忠臣蔵」の作者と、そしてショウマンシップの勝利である。判官と勘平の切腹に泣いてゐる女客が大分あった。それはお婆さんか、若くても花柳界の女らしかった。モダン娘は、ちっとも悲しがってゐないのだ。こゝんとこが面白い。


十月十七日(月曜)

 今日は後楽園のスタヂアムで職業野球の試合があり、その中へまぎれ込んで撮影をする。十時すぎに家を出る。客の入らぬ前に、トーキーカットを二三やり、金鯱軍とセネタースの試合を終ると、次の試合の間に、フィールドへ下りて、プレートを掃除するところ、呼び出し板を持ち歩くところを撮す。終ると東横へ行き、アトラクション、ロッパ・ガールスの「ブーケドートンヌ」を見る。まとまって来たし、人気もいゝさうである。七時陶々亭で「東宝」のために一問一答をやる。藤原は大して買ってゐなかったのだが、今夜の一問一答ですっかり好きになった。頭がいゝ。ルパンで阿部・滝村が待ってるとこへ藤原も同行し、大いに話がはづみ、大いに飲みけり。
 藤原義江のロッパ論といふのが、此うだ。ベーブ・ルースといふ男はホームラン王だが、それでも三振することがある、他の人間なら三振すれば引込め、バカヤローを食ふところ、ベーブの場合は客が喜んで拍手し声援する。ロッパは、ベーブ・ルースで、つまりパースナリティーだけのよさだと。


十月十八日(火曜)

 晴天ならロケなのだが、いゝ塩梅――でもないか――に曇天、今日は撮影は無しと定った。十一時半に家を出て、土橋のエー・ワンへ。渋沢秀雄氏取締役会長に就任の披露。エノケン一座・東宝劇団と美術・文芸部、名人会の連中迄大ぜい呼ばれた。うちの人数が一ばん少いので腹が立つ。エー・ワンの昼食はつまらず。渋沢氏の挨拶は品よし。それから大ぜいで招魂社のお祭りへ行く。そこからうちの連中ばかりとなり、浅草へのして、花月の東海林太郎の独唱、梅沢昇の剣劇、万成座の五一郎と漫才等々を少し宛見て、みや古へ落ちつき、鳥なべ、ウイをのみ、十二時半頃帰宅。


十月十九日(水曜)

 晴れ。八時起き、砧村のロケ先へ直行する。邸を借り、その門のとこと、庭で、ラッキー・セヴンといふ漫才が喋ってるところへ僕がワリ込むカット。終ると田園調布までノシて、道でビールをのむ件りの撮影。六時からプレスコで、一寸ハンパな時間。二葉亭へ又行く。これも馴れの悲劇か、あんまりうまいと思へなかった。七時近く、砧のPCLへ。ラッシュを見る。僕の部分まあいゝ、渡辺・清川の個所、斎藤寅次郎がハメを外し過ぎた感じ。それからプレスコをやる。鈴木静一と「大久保」の音楽を打合せつゝ十時近く帰宅。


十月二十日(木曜)

 又早起き九時に出る。東発のセットで、今日は街路。中々手の込んだもので、一軒々々の店に、八百屋なら八百屋物、菓子屋には菓子がちゃんと並んでゐるのだ。つまらんことを今更感心する。午前中、数カット、六さんが家を出て行くところ等。昼休み一時間、雨である。食堂で、うら悲しい食事。読売の記者が来て、肥った者からヤセた者に与ふるといふのを話せと言ふ。むづかしいことを言やがる。何かと適当なことを話す。又セット入り、床屋だの、米屋の小僧が声帯模写をやる件だのいろ/\撮し、一ばんしまひは床屋からシャボンの泡だらけで出て来るところをやる、顔がヒリ/\する。滝村と阿部が待ってゝ銀座へ、スコットで食事、それからロンシャンてバーへ行ったが、飲んでもつまらず、帰宅十二時すぐねる。


十月二十一日(金曜)

 嵐である。一時頃迎へ来り、今日は砧の撮影所へ行く。小学校の学芸会の場面、エキストラと子供のトラが二三百人来てゐて、中々の騒ぎだ。朝から待ってる渡辺や杉とブツ/\言ってると、四時近く漸く呼ばれてセット入り。六さんの息子が綴方を読む。それを客席できいてるとこ数カットと、居たゝまらずコソ/\と逃げ出すところ等。撮影のあひまに食事、食堂で。うちのガールスの中、清見他二名来り、テストして貰ふ。阿部豊と、仕事終るやホテ・グリへ。偶然小田末造に会ひ、例の気焔に当てられ、コンソメ・カネロニー、鶏のコゝット等を食べる。


十月二十二日(土曜)

 又早朝である、九時に家を出る。東発、今日は街の残りを片付ける。二十五日にアフレコで終る予定らしいが、そんなら二週間ばかりでアガるわけである。早い監督にかゝると助かる。十二月も斎藤だから早からう。街のシーン幾つか。アガったのは案外に早い。雨である。家へ帰る気にならぬ。――むしゃくしゃで。思ひついて、田中三郎宅へ押しかけることゝした。阿部豊と同道、蒲田へ。田村・松田・田中の他、片山といふ人も入り、七時近くから十一時半迄ぶっ通す。大いに勝った。やっぱりポーカーは面白い。皆お寒いので、旬報の広告、新年号一頁買ってやる。大出来。


十月二十三日(日曜)

 今日でセットが終る、早くあげて貰ふ約束故、九時前に出かける。行ってみると、全然始まらない。これが撮影ってものだ。十一時すぎ漸く始まる。芝居は簡単、屁のやうなものだが、スモークを焚くやら、群衆が纏まらないやら、清川虹子のカツラが飛ぶやら余興があり、終ると日比谷公会堂へかけつける。麹町女学校の会で、一席、気持よくやれた。東宝村の新しく出来た日東コーナーハウスで、サンドウィッチを食ふ、五時、新橋演舞場へ。五郎が出演、やっぱり五郎抜きの時よりづっと面白く、「鼻から提灯」といふのが、中々面白かった。楽屋へ五郎訪問、まだ病院から通ってると、元気がなかった。


十月二十四日(月曜)

 豊島園のロケ撮影は今日で終る。雲も無い絶好のロケ日和。七時半に起きる、あくびの連発。九時前に豊島園へ着く。大運動場で、数百のエキストラが集まり、撮影始まる。サイレントだからとん/\運ぶ。小学校の運動会で六さんとおかみさんがめぐり合ひ、二人三脚の競争で結びつき、「愛国行進曲」の合唱といふラストシーン迄、三時すぎにオールチョン。豊島園の食堂でカツ丼食った。終るとすぐ帰宅。アンマを呼び揉ませる、眠り乍ら――いゝ心持。これで明夜のアフレコでチョンである。夕食後、道子とピョン。さてもうねむい。


十月二十五日(火曜)

 撮影終了。
 久しぶりでたっぷり寝た。一時、文ビルへ。旅の配役発表と月給の日。渡辺・三益例によって遅刻する、よくない。配役を発表すると、柏が役不足からか旅だけ休ませてくれと申し出る。腹が立った、その役をダンスチームの鈴川にやる。花井も我まゝを言ひ、くさらせる。理髪しに行く。三信ビル地下、ラヂオのニュースが漢口攻略目睫と叫んでゐた。渋谷の二葉亭へ。今日のスープは不出来、馴れると段々まづくなるやうだ。七時にPCLへ行ったが中々始まらない、九時すぎからアフレコ、昨日撮った、運動会のラッシュ見る。可笑しいには可笑しいが、中心がないやうでヘンだ。十二時近く終り新宿でおでん立喰して帰宅。やれ/\これで撮影はあがりけり。


十月二十六日(水曜)

 今日は旅のけい古入りである。十時起き、迎へ来る迄道子とピョン。負け多し。一時、文ビルへ出る。「大番頭小番頭」を久々で。東宝ビルに那波氏と会ふ。「ロッパのおとうちゃん」は大阪をこっちの芝居中封切しないやうにたのむ。又けい古場へ戻り、「お化け大会」のけい古を見る。夕刻迄ゐて、日東コーナーハウスのチーズトーストを食ひ、銀座裏の道八てふしるこやへ寄り、七時前に今日の会場、青山のいろはへ行く。撮影完了祝ひ、滝村プロデュサーも合流し、僕百円出しの、わりに盛大。スタッフ連中ばかり此ういふ人達は喜ぶだらうと、映画人三四の声色をやった。東宝総務部長代理宮永憲一に、渋谷の道玄坂へ連れて行かれ、こゝではカルピスなどガブ/″\のみ、一時半頃帰宅。


十月二十七日(木曜)

 漢口陥落。
 一時から文ビル。「青春音頭」改題して「青春読本」のけい古、渡辺・サトウと揃ったから面白くなりさうだ。藤山相変ずスマートでいゝ。新人の露原、注文のきけるのがいゝ。六時近く迄かゝった。藤山とホテ・グリで夕食、オニグラとひらめチーズ焼にプディング。東宝劇場へ、先に道子・高橋姉と子供等行ってゐる。「娘道成寺」から見る。「三つのワルツ」は既に一と通り見てゐるものなのに、ダレずにしまひ迄見られた。白井鉄造の偉さ。場内放送で漢口陥落の報、場内皆拍手、万才と叫ぶものあり。帰りに、三十間堀の長谷川へ行き、おでんとのり茶。三宅坂大本営前に提灯明るし。
 漢口陥落ときいて涙が出さうになった。たのもしき日本。日本に生れたことを又々感謝する。


十月二十八日(金曜)

 一時から文ビルでけい古、三益は病気で休むとのこと、たのもしくなし、後釜を考へることだ。小笠原明峰が来て、美松の二階のすきやきへ。漢口陥落景気で此のあたりお祭りさわぎなり。小笠原に、物を書くことをすゝめ、紹介の労をとるからと言ふ。それからルパンへ。滝村・阿部と会ひ、二月作品についての打合せをする。国光映画社の小笠原といふのによばれ、鈴木重三郎も林文三郎もゐて築地の何とかいふうちへ行った。その家も、呼んだ小笠原てのゝ感じも悪く、いゝ心持になれなくて弱った。帰ったのが二時半。夜半ボビーの鳴声に似た声遠くできこへ、心配なので、水を二階から吹いたらボビーのこ/\出て来り、安心してねる。


十月二十九日(土曜)

 十時半にビクターへ呼ばれてゐるので、十時四十分頃行ったが、菊田が来てるだけ、皆それから「おくれてすみません」と言ひ/\やって来る、此の連中と来たら全くしょうがない。徳山・江戸川で、菊田の「加留多会」を吹込む。一面終ると昼で、地階食堂へ。午後は、市丸・能勢・徳山で一面、これがすら/\行かず、徳山が舌をかんじまっちゃあやり直しで、三時近くなってしまふ。文ビルへ。京極が原信子の弟子の国友春枝といふのをいつか使って呉れと連れて来る。有楽座の藤原義江のオペレッタ「微笑の国」をのぞいて、四時母上・道子と四谷見附のレストラン三河屋へ落ち合ひ、浅草へ、国際キネマ劇場でニュースを見て、みや古で夕食、車で提灯行列の波を見乍ら帰る、九段坂上から下へ、灯の波の壮観もの凄かりし。


十月三十日(日曜)

 大阪へ。
 十二時に迎へが来り、東京駅へ。一時の特急で大阪へ向ふ。二等車、同行サトウロクロー、藤田と北村、すぐセリフを覚えにかゝる。横浜から男の子連れの奥さんに隣へ来られ、つひに下りる迄なやまされた。食堂へは二度、二時頃シチューとライスカレー。六時半に定食をやった。「暢気眼鏡」一冊読了、尾崎一雄てのはいゝ。かなりダレた頃、九時二十分大阪着。暑いので驚く。いやはや夏の如し。すぐ松平旅館へ。今回は満員らしく今日のところは書生連も次の間へ同居とある。北浜のサンボア迄のして、カメオなんていゝのがあるので快く飲む。


十月三十一日(月曜)

 ぽっと眼を開くと旅の宿なので何だかヘンな気持、此処の朝めしは唯一の取柄で、朝めしらしく食はせる、飯三杯食った。堂ビル地下の理髪へ行く。此の間理髪したばかりだが型が気に入らないので直す。座へ出る。舞台稽古は十二時からの筈だったのが、手違ひ――東京の楽士を連れて来ないで、倹約して宝塚の楽士を使ふことに定められ、その宝塚楽士が夕方でなくては来られないとあって、大いにフンガイしたが、取敢ず、「お化け」にかゝらせ、僕、藤山と北のグリル京松で夕食。やっと楽士が来たが不馴れでドマつき中々終らない。十一時すぎたので打ち切り、藤山・サトウ・石田を連れてサンボアへ、ウイをのみ、帰りにヤキメシを食ふ。往来で酔っぱらひを藤山、手早くノシちまった早業には驚いた。
[#改段]

昭和十三年十一月



十一月一日(火曜)

 北野劇場初日。
 松平旅館第二朝、ポン/\蒸汽が通ると揺れる。飯を三杯。十二時に出て座へ。昼は「ハロー大阪」の残りと「青春音頭」の舞台稽古、久しぶりで女形、時間ぎり/″\迄やって、部屋で弁当とって食べる。初日故五時開演。一の「お化け」を袖から見る、渡辺とサトウで大熱演、えらい馬力なので中々可笑しい。「大番頭」はぢめ一寸食ひつき損ったかと思ったが、幕切はバリ/″\手が来た。「青春読本」女形絶対の受け。「ハロー大阪」も一々手が来た。ハネが十一時十分。清水・緑川を連れて北のニューオサカでウイをのみ、長兵衛ですし食って宿へ帰る。
 今回は評判とてもよく、前売も初日となってからグン/″\と売れ出した由、やっぱりすべてのプランを僕に任せて置けばいゝのだ。


十一月二日(水曜)

 十時起き、今日から楽屋で髭を剃るので朝は剃らない、気持が悪い。一人で神戸行き、電車中江戸川乱歩の「悪魔の紋章」を読み出す、面白い。神戸で藤山に会ふ約束。藤山のお母さん同道、しっかり者で中々の雄弁アホられる。ベルネ・クラブで食事、ランチはボイルドビーフに野菜、これをしきりにアンコールして食ふ。藤山のお母さんがドシ/″\払ひを済ませるので面喰ふ。阪急で座へ。明日の祭日を控へて好景気、「大番」出来よく、「ハロー大阪」もよく受けた。ハネてサンボアへ山野・大庭とで行くと、小田末造がゐた。南の明陽軒へ寄りビフテキ食って帰る。
 サンボアの酔客中、味覚通らしいのが一寸面白いことを言った。大阪の朝めしは、まづい、と言ったのに対して、大阪には朝めしを楽しむ風習がないと言ふのだ、つまり働くために、すべてがあるので、大阪の食味は夜からだと言ふのだ。なるほど。


十一月三日(木曜)

 今日はマチネーである、十二時すぎに出かける。大入満員だ、「大番頭」よく受ける、今度はこれだけが芝居だ、マダムの方は着換へばかり急がしい。昼が終ると、上森健一郎・滝村和男が来り、アラスカへ飯食ひに行く。ポタアジュにサワクラウトとハム・ソーセージ。ハムがうまかった。座へ引っ返すと、川口松太郎来り、戦地の話をきく、二二六の残党が、活躍してる話など面白し。夜の部も溢れる大満員、「大番頭」快演、わッわと受ける。ハネが十時半すぎた。十時十五分位にはハネたいものだ。上森と滝村が待ってゐて、新大和といふ宗右衛門のうちへ行く。一時になると追ひ立てられる気配になるので気分よく飲めない。


十一月四日(金曜)

 十時起き、髭は楽屋で剃るつもりだったが、風呂へ入って剃らないのは気色が悪いので剃る。朝飯は昼食がお招ばれ故控へようと思ったが、持たず、軽く致す、旅へ出ると食欲が旺盛になる。十二時に宿を出ると川口町の天華倶楽部へ、小林富佐雄氏の招待。座員十数名。こゝの支那料理はかなり支那式に近いのであらう、粗末ではあるがわりにうまく品数やたらに多く出る。充分食ひ、満腹。座出る。今夜も殆んど満員である。「大番」から大受け。ハネて、又サンボアへ、弘美館のオルドヴルとって食ひ、野球ゲーム五千五百以上入って十銭でカクテル一杯のんだ。


十一月五日(土曜)

 十二時半に東宝支社へ「ロッパのおとうちゃん」完成試写あり、座員数名見物。自分じゃ分らないが、見るもの大いに泣かされると言ふ。それじゃ興行的によからう。何としても寅次郎ハメ外しの場多し。それから十何名揃って御影の嘉納氏訪問。嘉納氏自慢のグレートデン二匹見る、凄い。鰻をとって呉れたのでこれを食ひ、失礼したが大分時間迫り、序幕連中は、阪神から駆け出し、それでも開幕五分おくれた。入り満員、でも何だか静かな客。もう芝居も大体ハコに入り、ハネも十時二十五分。山野・堀井・石田と南へ出て、明陽軒へ。あまり飲まぬことゝした、一時に帰宿。


十一月六日(日曜)

 十二時すぎ座へ入る。大入満員、「青春」の大詰終って、廻ってる舞台から裏へ抜けようとして、向ふ脛をイヤッて程、材木にぶつけちまひ、しばしは痛さに参った。昼の終り、ガスビル迄、花井と轟を連れて、地下のグリルへ。ひらめの煮込とチキンロース。大阪日日の記者愚問を発しに来りテコづらされる。夜の部も大満員だ。まあ今日迄は分ってゐる、明日からの勝負。「大番」よく笑ふ。「青春」他愛なく又笑ひ、「ハロー」も充分受けてゐる。ハネ十時二十分、よくなった。ハネて、白川道太郎と山野・大庭を連れて南へ出て、赤玉へ行ってみる。白川は、満鉄へ入ったが復へ戻りたい希望、又入れと言ってやる。赤玉のボルのには驚いた。


十一月七日(月曜)

 今日は「エスエス」その他の宣伝用写真を撮るので宝塚へ向ふ。南口で下りてホテルへ、三四種写し、更に新温泉場内へのして、色んなのを撮った。それから歌劇を見る。おしまひの「マーチ・オンタイム」だけ、前半で失敬した。まるで面白くない。色がど強いし、間違ったもの。洋食堂でまづいライスカレー食って、大阪へ引返す。今日も入り九分と行ってゐる。おとなしい客で、笑ひが静かだ。ハネてから、雨の中を又サンボアへ行き、南へ出てパオンてふバアへ入る、きたなくてつまらず。すしを食って帰宿。


十一月八日(火曜)

 今日はマチネーあり、石鹸会社の貸切である。いやんなっちゃうと言ひつゝ座へ出る。女工さん達でうづまってゐる。「大番頭」で「あなた石鹸は何をお使ひですか」「はい、君ヶ代石鹸を使って居ります」とやったので客席やんやの拍手。藤山が出ると、ヒーヒー言って喜ぶ。ミーちゃんハーちゃんには藤山絶対である。藤山に食はれて皆しょげる。三益・花井を連れてアラスカへ行く。ポタアジュ、アスパラガスがうまいのでふんだんにのんぢまって、あとがろくに食へなかった。夜も九分近い入りである。ハネ十時二十分、渡辺を誘って京都へ。祇園へのして、「どす」言葉をきいて、鶏を食ひ、松そのへ行って、渡辺と床を並べる。何となくのんびりした。


十一月九日(水曜)

 渡辺が僕のいびきのおかげで悪い夢を見た、口から豆が無限に出る夢だと言ふ、それが何でいびきに関係があるのか、分らない。宿を出て円山公園の芋ぼうの朝めし、よくぞ考へついた味である。うまい/\。大阪へ引返す。天六下りたところで伊志井寛に逢ひ、不二家でホットケーキなど食ひ、中座の花柳を訪問する。中座てふ小屋のきたなさ、花柳の部屋のみは大豪華、鴈次郎の部屋だらう。伊井友三郎の部屋へも寄る。座へ出る。九分近い入りである。ハネは十時十二分。又、サンボア行き、すしやで、ロクローの悪口を言ふその心根のいやしさに石田を怒る。


十一月十日(木曜)

 今日から書き出さうと原稿紙を前にしてみたが、さて気分が出ない。万年筆も気に入らないし――ふと、舶来物が残ってるかも知れないと思ひ、丸善へ行ったが一本もなし。ブラ/″\歩いて、弁天座の、ピエルボーイズの喜劇を見る、中々面白い。二十円だまして取り、ドロンした岸田一夫がいゝとこをやるので、しっかりやれと十円やった、怒られず金貰って面喰ってた。竹川へ行き、おふみどんとクス子の三人でセンコーレン会館の地下ニューグリルてのへ行く。アラスカの一寸落ちたの。座へ出る、今日も九分九厘の入り。白井鉄造夫妻見物、少々風邪気味、サンボアでのみ早目に帰宿し、ルゴール塗り、アスピリンのんでねる。


十一月十一日(金曜)

 十一時起き。風邪まあ大したことはない。今日は歌舞伎座の六代目見物。一番目は大阪方の梅玉の出しもの「本朝烈女鑑」ねばっこいセリフの連続で大がい参った。次「天下茶屋」六代目の悪写実と時代風とがマッチせず、大阪とのイキも合はず妙なものなりし。幕間に、六階のおでん屋へ行ったらこいつがうまかった。「鏡獅子」は、つまらず居眠りする。どうも六代目ハリキってゐない。かどやのグリルで夕食、コックが代って、うまくないやうだ。座へ出る、満員、菊田より手紙、明夜大阪通過、戦地へ向ふ由。ハネ十時十五分。竹梅へ、あひがもを食ふ。菜がうまい。一時追ひ出されておとなしく帰る。


十一月十二日(土曜)

 寒いので眼がさめた、突如冬の訪れだ。上山が佐藤邦夫と来り、十二月ガールスの公演用、「青春デパート」といふのを僕案で立てる。それから正月の題名を定め、一段落。あまり寒いからすき焼を食はうと、厚い外套を着て、守田へ行く。本みやけよりうまいといふが、土台関西のすきやきってもの、否定したい味である。座へ出る。満員である。ハネると、今日はロッパ・ガールスのすきやき会で、宝塚へ、川万の三階大広間、昼間うっかりしてすきやき食ったのでもう食べる気なし。川万のもと泊った部屋でねる。河音、静か。


十一月十三日(日曜)

 宝塚川万の朝である、食事、心得てゝハムエグスだ。座へ出ると昼は大満員、よく笑ふこと/\。昼の終り、梅田地下の天ぷらやへ入り、サギにかゝり、大ボリにボられて奮慨す。座へ帰る、夜も大入満員。わんわと受ける。ハネると、京都へ。京都の親分吉野といふのゝ顔を立てるため、名前も出さずに、朝日会館へ明日昼顔を出さねばならないことになり――いきさつ色々あれど、くだ/″\しければ略す。――山野・サトウ・柳と揃って下河原の宿屋へ落ちつき、ウイあり、祇園連のサービス等。


十一月十四日(月曜)

 下河原の宿、朝めし、注文して芋ぼうをとって貰ふ。やっぱり行って食べないとうまくないな。吉野氏やって来て丁寧な挨拶、一時すぎに出て、朝日ビルの講堂へ。吉野にたのまれた問題の会で、青年部・ガールスがやり、藤山・山野が呼びもの、僕も十五六分喋る、吉野大感激で男泣きした。会の後アラスカへ席が取ってあり、ポタアジュとチキンピカタ等食べる。座へ出る、今日も満員である、今回は大成功と定った。サンボアへ。山野・石田、野球ゲームでさん/″\十銭玉をなくし、明陽軒へ寄ってライスカレーを食ひ、帰る。


十一月十五日(火曜)

 北浜のつるやへ、日本油脂会社の重役によばれてゐるので出かける。今日は角座の小太夫を見るつもりで切符もとってあるのに、昨日の京都の会へ、ぜひ今日も出て呉れと電話、柳も腰が弱し、こっちも気が弱いので、いや/\乍ら行くことゝし、つまらぬ気持で、つるやへ。日本油脂会社重役てのが又、人をよんどいて手前の会社の自慢ばかりしてゐる。ぶつ/″\言ひ乍ら京都へ、朝日会館、入りもろくにない、一席くさりつゝやり、引き下ると親分がやたら礼を言ふ。ポケットへお車代二十円也がいつの間にか入ってたので尚くさる。四条の小さな洋食屋で食事し、大阪へ帰り、座へ。又々大入満員。ハネて又サンボア、紀の松てふ料理屋でよせ鍋が名物とあり、食べる。


十一月十六日(水曜)

 二時すぎに出て、梅田映画劇場へ。今日が「ロッパのおとうちゃん」初日である。十日封切の筈を延して貰ったのだ。中川三郎のアトラクションがあって、「ロッパのおとうちゃん」、セリフなんぞ聞えない程の笑ひ多し、入りも大満員である。安心した。堀井と伊東を呼び出して、川口町天華クラブへ支那料理食ひに行った。三人で八円のを注文する、食ひ切れない。座へ出る。柳は今日昼帰京した。入りは、映画へとられる心配も先づなさゝう、九分の入りである。ハネて、又サンボアへ。花柳の衣裳つけになったオコ太郎をよんで、床山のマア公と、のませ、南へ出て、両名を送り込ませ、帰宿。


十一月十七日(木曜)

 プレシドン・ドウメル行。
 十時パッと眼がさめる、食べる――となると此のハリキリ。速水育三と理学博士清水氏と待合せ、神戸港突堤へ、プレシドン・ドウメル、五月にも一度来たことのある船、バルベ氏が日本話のうまいルキエン氏と共に来り、バアで先づカクテル。食事はいきなりオイスター、こいつは食へず、残念。オルドヴル幾つか、コッパと称するソセーヂが変ってた、ロブスターのチーズ焼、うまい/\と又食ふ、カリフラワー、次がチキンと野菜これもお代りした、サラダはドレッシングが流石にうまい。キャメルとラッキイストライクの罐を貰って帰る。バルベ氏の船長見物に来た。ハネて、サンボアへ呼び、ウイスキソーダでプロヂットする。船長シュヴァリエ張りで歌ふ。


十一月十八日(金曜)

 十一時起き、家の飯が恋しい。二時に迎へが来り、大手前の陸軍病院へ慰問に行く。座員色々やり、藤山もアコディオン持ってたっぷりやり、僕、例の歌漫を一くさり。重傷多く、余興場からマイクで各室へとってゐる由。桜ばしの多幸平へ行く。目板かれいの塩やきうまし、季節ものゝあげかぶらで飯を食って座へ。今日も大入満員、映画もとても評判よろし。京都から滝村・岡田敬・斎藤寅次郎が来た、「大久保」打合せ、二十一日夜のことゝする。ハネて又々サンボア、正弁丹吾のおでんとって食べる。帰宿一時。


十一月十九日(土曜)

 今日は書きたいと思ひ、原稿紙を前にしてみたが、何うも気が出ない。かれこれするうちに、急にベルネの食事がしたくなり、神戸迄出かける。一人で出かけるんだから、馬鹿々々しい。オルドヴルの肉パイはうまかったが、ミネストロンから次がカレーライスなのは、うんざりした。でも変ってゝうまいのでアンコール。コーヒーがまづかった。座は大満員。左に記すが、大阪の客については一寸疑問を抱いた。「大番」より結局「青春」が一受け。又サンボア、軽く飲み、伊東・山野で歩いて帰る。
 東京では、中日すぎの客ほど高級になる傾向がある。ところが北野劇場となると、どうも反対らしい。尤もこれは評判きいて初めて見る客が多いせいかも知れぬが、中日以後客席が、入ってるのにかゝはらず活気がないのは、不しぎな位である。


十一月二十日(日曜)

 十一時半迄ねちまった。ポン/\蒸汽も知らずぐっすり眠る日もある。座へ出る、もう芝居も半ダレだが、客の入り頗るよく、昼夜既に売切れである。そのくせ、日曜の客らしいハデな笑ひが少い。昼の「青春」でたらめピアノの弾奏をやり、「これはナポレオンの海水浴」の曲だと言ったら客より舞台の方が笑っちまってしばしは物が言へなかった。昼の終り、北のグリル京松へ、うまくなし。夜の客もよく笑ふが、中日以前ほどの活気がない。入りは超満員である。「青春」の曲は「未完成交響楽」と言ってやった。柳がジャーマンベーカリーの肉パイ持って帰ったので、早く帰り、のまず、読書と書き少々。


十一月二十一日(月曜)

 十時半起き、堂ビルの理髪店へ行く。そこの松井を誘って南へ出て食事して別れる。座へ。入りは今日も大当りなり。京都撮影所の滝村、今日来て話を定める筈なのに来ない。帰京の日どりが分らぬので困る。ダッシー八田氏の一行見物なので「青春」のピアノは、ダッシー作曲タコの子守唄と言ったので大受け。ハネ後、柳・大庭・石田・伊東・山野・渡辺・サトウと揃って京都へ、ダッシー八田氏の招待で松そのである。祇園気分、あひがもと水菜のすきを食ふ。渡辺と僕の他は、乙部なるとこへ消えた。


十一月二十二日(火曜)

 十二時すぎ、昨夜消えた連中が帰って来て、ガヤ/″\言ってゐる。食事は芋ぼうを頼む、うまい、たんのうする迄食った。かなり強い按摩来り、いゝ心持。省線で大阪へ、暮れ行く沿線の景色を見る。秋景色なんてあんまり見るもんじゃない。座へ、「お化け大会」を、袖から見物、渡辺もサトウもさて味のない役者である。入りは大満員、「ハロー」のスケッチを渡辺に代ってやる。歌舞伎座の「乗合船」を見せにやったので。ハネて、サンボアへ行き、弘養館のカツとオムレツとって食ふ、帰宿一時すぎ。


十一月二十三日(水曜)

 マチネー。昼、満員、専ら女形で客は来てゐるらしく、「青春」の幕あきから客は活気を呈し、出るとワッと喚声をあげる。川口松太郎来り、アラスカへ行く。三益と花井四人で。ポタアジュに、ハムとセロリのトーストに乗ったの、テンダロイン等、スフレがうまくてお代り。川口の馳走。京都撮影所から人が来て打合せ。二十六日は残って京都で宣伝スチールとプレスコの打合せで夕刻からは座談会の由。夜の部、大満員とは行かず、いさゝかのつかれを見せる。「青春」のピアノは、ベルネクラブのボスが来てるので、「ベルネ作曲のふぐの引越」とやる。織田信恒子爵来り、明日満州へ出発とのこと、サンボアへ案内し、南の万花てふ魚すきへ行く。


十一月二十四日(木曜)

 十二時に北の本みやけへ阪急の佐藤社長の招待、あんまり嬉しくない。関西のすきやきは段々うんざりになった。三時すぎに出ると、石田を連れて心斉橋をブラつく、ドンバルでコーヒー。そごうで、道子の土産もの二三買ひ、座へ出る。京都から滝村・斎藤、打合せのため来る、配役中々面倒なり。藤田房子、妹危篤とて東京へ帰ってしまひ、三益が「お化け」を代る。それにつき又モメたり、もううるさいこと。客は満員なり。「青春」専ら受ける。今日の曲「ホーレンソーの仇討」。ハネて、竹川へ、あひ鴨を食ふ。渡辺と斎藤は、芝居裏へ送り込み、滝村と二人竹川泊り。


十一月二十五日(金曜)

 北野劇場千秋楽。
 竹川の朝、滝村と芝居裏帰りの寅さんと三人、竹川考へて湯どうふに芋入の白だし、うまいので大分食った。宿へ帰り、大西が見つけた舶来万年筆を買ひに千日前のゴタ/″\したとこへ行く、パーカーがあり、古くてやけてるがね切っても負けず、十七円半出して買ふ。それから神戸のベルネクラブ、オルドヴルから、えびのニューバーグ、鶏、しまひに火のついたパンケーキ・スゼット。たんのうした。これで三円は安い。大阪へ帰る、座へ。「お化け」に、あり合せのヅラ被ってトリテキで出る。「青春」のピアノ曲は国定忠次作曲「のしいかのアクビ」と来て、大詰では男になり大あばれ。ハネて、シャン/\/\。見物のバルベ・ルキエン・レヴィーの三外人とサンボアへ行き、チェリオ/\。


十一月二十六日(土曜)

 京都へ一日。
 宿の朝めしも、これが名残りならと美味く食ひ、十二時に出る。茶代二十円、女中十円。太秦の東宝京都撮影所へ。此処のは一軒立の控室、林長二郎の部屋ださうで。スチルを撮りに、撮影所の近くへ。寒いのに驚く。河っぷちでタラヒに乗ったのと驢馬に乗って鎧を着たのと撮る。六時に円山公園の平埜家別館でサンデー毎日の座談会、空腹だのに、小さなものばかり出るから本店の芋ぼうとって貰ふ。エンタツ・アチャコ・高瀬実乗・岡田敬・森野カヂヤ・秋田実といふ顔ぶれ、高瀬の蛇食ひばなしに食はれ。終ってステーションへ。十一時四十五分の汽車、すぐ寝台へ入る。「大久保」のシナリオを読むと、馬に乗ってハイドウ/″\とかけ出して来るところがあるので、馬はとてもいけないから、ロングは代役でたのむと言ったら、斎藤寅次郎曰く、「そんなら驢馬でやりませう」と、即座にロバにしちまったが、こいつあ参った。大久保ロバ乗り、これは思ひつきなり。
 人前へサラシものになるロケッて奴は大きらひだが、京都となると、も一つ気らくな感じだった。


十一月二十七日(日曜)

 帰京。
 寝台車の朝は、毎度ながら興ざめなものである。九時半東京着、防空演習で、昼でもストップがあるといふ、高槻の迎へで、無事帰宅。久々東京の味噌汁のうまさ、それから二階で又寝た、昼から三時迄。起きると、日記の整理、洗面所の横が、すっかり本棚となり、書籍類が落ちついて気持よくなった。夕食、久々親子三人の鍋つゝき。今夜は又防空演習で、早寝の手だが、道子とピョンをやり、それから床へ入る。藤田草之助の「室内楽」を読了。


十一月二十八日(月曜)

 十二時迄眠る。一時半迎へ来りビクターへ行く。クラブで鈴木静一・上山雅輔と「大久保」の打合せ。三時から「戦国豪快ぶし」を吹込む、今日は一寸変った歌ひっぷりが出来たやうに思ふ。レコード吹込みのあの何とも言へない不気味さから未だに卒業出来ない。六時前に出て、銀座の伊東屋へ寄ると、ドイツ製のペリカンといふ万年筆あり、太く書けるので、十七円六十銭の二本買った。道子を乗せて、渋谷の二葉亭で夕食、今日のはうまくなかった。それから東宝劇場へ「ショウ・イズ・オン」だけ見に行く。千疋屋でサンドイッチ食って帰る。


十一月二十九日(火曜)

 十二時半に家を出る。マツダビルへ。森岩雄と会ひ、ニューグランドで食事、クリームトマトスープとハムエグスに、オックスタング。来年度の撮影等につき話す。それから東宝配給所の一室で、那波氏と話し、三益不出演につき代りに江戸川蘭子となる。三益の我まゝにも困る。水明館の天勝のとこへ、念を押しに行く、天勝曰く、四月には必ずやりませう、出る以上は、客をアッと言はせる手も考へさせてくれ、それには一月じゃあ早すぎる、と尤もな話なので、仕方なし、正月プランを搗きかへることにして辞す。六時モナミで母上・道子と会ひ、浅草の金田へ行き、鶏なべ。


十一月三十日(水曜)

 十二時近く起き、二時に文ビルへ行く。柳と打合せ。柏・杉が出稼ぎしてゐるが、柏は整理と定めた。大崎は全国劇場の歌ふ剣戟といふのへ走ったから丁度よし、文芸部の西田も整理する。東宝グリルで文芸部を集め、天勝の出ないため狂った番組を会議する。甚だ低調であるが、左記の如く決定。ラストのヴァラエティは少しでも戦時色を、といふ狙ひである。何うも弱いので困るが、菊田の帰りを待ってゐてはとても間に合はない。新年からの加入は山野、特出はタップの稲葉実だけ。浅草へのして、東久雄と会ひ広養軒で夕食、わりにうまくて食も進む。ルパンへのして、PCLから阿部・柳も来て、来年二月の件につき、頭つかれちまひ、いゝ加減にしてウイをのみ、帰宅。
 一、松の一番
 二、新婚二人三脚
 三、ロッパの遠山の金さん
 四、未定 ヴァラエティ
[#改段]

昭和十三年十二月



十二月一日(木曜)

 十一時まで眠る。二時半、迎へ来り砧村へ。鈴木静一の棒、あきれたぼういずが来てプレスコしてゐる、ふと思ひつき、天勝の代りに此の四人を使はうと、樋口から吉本へ申込ませることにした。で、題も「ロッパ・フォリース」と定め、上山と合作する。たらひ登場に僕の思ひついたファウストのグランドマーチで歌。豪快ぶしを皆で四つ。宵待草の、義太夫入りといふのを一つと、も一つは詩吟入り。終ったのが七時半、まっすぐ帰宅。腹ペコなのでがっついて食事。さて明日出発の京都、あはたゞしきことではある。


十二月二日(金曜)

 しばらく味噌汁とお別れだ、わかめと芋を入れさせ二杯食ふ。十二時、迎へ来り、出かける。早稲田の中野実留守宅へ寄り、夫人に正月「新婚二人三脚」をやらして貰ふことをたのむ、笑の王国からも来てるさうだが、断はってくれと言っとく。一時のかもめ。鈴木善太郎の「紙屋橋」を読み了る。沼津で弁当を買ってみる、上等弁当のまん中がガンモである。同行の白川・上山を誘って、食堂の夕食、物足りぬ定食。又読書、高見順の「人間」を読破。川端康成の「抒情歌」にうつる頃、京都近し。駅頭、滝村・三村・斎藤他東宝西の女優連多ぜい。宿は炭屋。滝村からさそはれ、花見小路の万安喜といふうちへ行き食事する。
 朝めしのはかなさを思ひ、東京から味噌などを大西に持たしてよこしたのに、汽車中棚から落して、ぶちまけちまひ、だめにしちまった由、しようがなし。


十二月三日(土曜)

 撮影第一日。
 炭屋旅館第一日、風呂気持よし、朝飯の味噌汁は、此の宿の一家が食ふ分を出させてみると、これは食へる、お客にはまづいの食はして、自分たちはうまいの食ってるなと笑ふ。一時近く、伏見の練兵場へ。合戦のシーンで、三百名のエキストラ――これが老人ばかりでヨタ/\と走ってゐる。鎧を着る、桃太郎みたいな前髪。彦左、鳶の巣山の一番乗りのところ。山の下で待つうち、曇りとなり、三時半つひにお流れとなる。夕方サトウロクローとはる/″\神戸へ。ベルネクラブで夕食、ボイルビーフとキャベジうまし。新開地の東宝朝日劇場へ行き、「チョコレートと兵隊」を見て泣き、藤山一郎アトラクション「ハロー神戸」を見て、藤山に見つかりクサらせた。又、ベルネへ寄り、バーでのみ、十二時の省線で京都へ引っかへす。
 太陽が雲へ入る、とても見込みはなさゝうだ、でも待ってゐる、何時迄待った、といふ記録をつくるためであらう。


十二月四日(日曜)

 七時半起き、食事――こいつがはかない。味噌汁はいゝが、結局醤油の味がまづいのか。八時半、迎へ来り、桃山練兵場へ行く。鳶の巣山の合戦、プレイバックの豪快ぶしがまっ先、刀を抜いてエイとやったり、槍をしごいたり、いや何うもイタにつかない。鎧で肩がこり、カツラがおでこに食ひ込んで痛む。小便したくても我まんだ。一時すぎに放免になった。滝村が来り大阪へ。アラスカで夕食、アスパラのポタアジュうまし、ハムのパイと若鶏煮込み、皆味がひつこい。それから北野劇場へ宝塚少女歌劇見物、三度目に見る白井鉄造の「三つのワルツ」は色々勉強になった、白井はやっぱり偉いと思ふ。京都へ帰り、宿ですぐねる。
 三つのワルツは、やっぱりいゝ、配役が変ったり、カットされたり、さういふ点は忘れてしまふ。主題歌は、何べん位使ってゐるか、例のシュトラウスのワルツが出る度に数へてゐたら、二十度以上らしい、もう一度見たいと思ふ。


十二月五日(月曜)

 十時すぎ起き、雨である。十二時すぎ、理髪屋、例の五十嵐てのへ行き、それからダッシー八田氏を二条の佐藤食料研究所へ訪れたが、五日節季で急しさうだからすぐ辞して、四条の長崎屋で洋食を食ひ、鈴木静一と朝日ビルの講堂で映画を見る。ローレル・ハーディの“Babes in Toyland”ての、ナンセンスで可笑しかった。西洋の斉藤寅次郎だ。又鈴木・上山と出て、両国といふ料理屋で沖すきを食ふ。あまり感心しない。花月劇場へ入る、田宮貞楽の喜劇を見る、貞楽のうまさに驚いた。定刻より早く撮影所へ行く。プレスコをすませて二時、宿へ帰る。
 年中、音楽の中で暮してゐる僕は、此の数日音楽のない生活をしてるのが、からだのアブラが切れるやうに淋しくなる。それで、やたらに音楽に浸りたくなるらしい。


十二月六日(火曜)

 正宗白鳥の「予が一日一題」を読み出したら、面白くて止められなくなり、三時すぎ迄読んでしまった。十時半起き、家から手紙と、味噌の小包が届き、朝めしは味噌でうまく食った。今日は夜、彦根へロケのため出発する。上山・鈴木が宿へ来て正月の「ロッパ・フォリース」の案を相談する。吉野親分が宿へ来る、六時から三島亭で顔つなぎがあるといふので出かける、東宝撮影所スタッフ一同とこっちも皆揃ふ。すきやきうまくなし。九時京都駅へ。彦根まで二時間、汽車にゆられる。渡辺・藤原が一緒、十一時すぎに彦根着。八景亭といふ宿へつくと、遠足に来た子供みたいな気持になり、はしゃぐ。


十二月七日(水曜)

 彦根ロケーション。
 夢野久作の「犬神博士」を読み、三時近くなった、朝、――「雨かい?」「はい雨で。」おや/\、雨のロケーションはみぢめなり。起きて入浴、八景亭の庭は広々として、池があり心持がいゝ。朝めし、味噌汁以外はよし。四時半に起きる、宿の女中が、よごれたハンケチを持ってサインをたのみに来る。夕食の膳が来る、思ったより食へる。渡辺・藤原とハイヤで町へ出た、コンキといふカフェかレストランか分らないとこでホットケーキを食べ、出てスマートボールといふのをやって二十銭ばかり遣ひ、宿へ帰ると、又読書。
 宿の女中が言ふことが一々腹が立つ、必要なことは一つも言はぬ、くだらないことばかりを言ふのだ。それが決して悪意からではない、人情土地風俗の相違のみである。が、そいつが腹の立たないほど、修養は出来まい。


十二月八日(木曜)

 京都へ帰る。
 カラリと晴れた、とんびがヒョロ/\と鳴く、彦根の名物らしい。食事すませると、床山来りオデコにねば土をくっつけ、衣裳つけて、彦根城へ。鎧をつけて、武士の行列をおさへるところ、川勝との喧嘩等。小便がしたくなっても鎧なので出来ず、がまんして二時近く迄撮る。もう陽が無いとて、今日はチョン。土地のキャメラ愛好者が来り、女学生が宿へおしかけて来てサインをせがむ。四時半の汽車で彦根駅発、京都へ着き、宿へ帰ったが、うまいもの食ひたく、一人でアラスカへ行き、ウイスキーソーダと共に、オニオン・グラタン、ヨークハム・キャシノ食ふと、ねむくなり、ふらり/\と宿へ帰りねる。
 彦根城下の小学校か幼稚園から、七八才の子供を数十名、エキストラに借りて、行列の場面を撮影した。その子供らが統率者の言ふことをよくきくのには驚いた。文化未だ至らず、彦根の子供である。東京のエキストラの子供だったら、言ふこともきかない。終って、二個宛まんじゅうを貰ったときの嬉しさうな顔も、とても東京で見られない表情であった。


十二月九日(金曜)

 又彦根へ。
 京都ホテルから電話、満州から帰りの織田信恒が会ひたいと言ふ。ロビーで織田の満州話をきく、僕も人の話をきくのはよほど下手だ、小林一三に近いものがある。撮影所へハッキリした予定をきゝに行く。呆れたことには、又今夜出発して彦根へ行くことになった、そんならあのまゝゐればよかったらうに。ホテルへ引き返し、マンハッタンを一杯のみ、日本銀行支店長の鈴木といふ人の招待で、新橋繩手の玉川屋てふうちへ行き食事、日本めしだからつまらず、ジョニオカの黒ありてのむ。九時二十何分で又彦根へ。酒が入ってるから本も読めず、スチームでむん/\眠られず、凡そ苦しむ。十一時すぎ彦根着、八景亭へ。すぐねる。


十二月十日(土曜)

 見廻すと雨らしい、おや/\、何と天候に恵まれざる撮影であらう。十時に起きる。遊山に来たつもりで、気をのんびりさせてゐるよりない。午後、町の活動があるときいて、渡辺・藤原と出かける、帝国館、「天使の花園」と「制服の処女」写真は二つとも面白かったが、小屋が昔乍らの芝居小屋で、寒いの何のって。それからコンキレストランで食事、オムレツとタンシチュー、宿へ帰る。武者小路の「愛情の書」を読み上げてしまふ。ウイはなし、日本酒をのんでみる、此の町の芸妓を二人よんで渡辺・藤原と馬鹿声出して歌ふ。此んなことしてたら全く馬鹿になる。


十二月十一日(日曜)

 又京都。
 今朝又曇天につき撮影なし、九時の汽車で京都へ帰ってセットだといふのだ。バタ/″\支度し、さて汽車に乗って、つく/″\馬鹿々々しくなっちまった。宿でダレてゐると、セットの都合で今日は休止と来た。あゝ! 何とつく/″\いやだな、花月劇場へ先日感心した田宮貞楽を見に行く。漫才の旭芳子てのが面白かった。茅野菊子の昔乍らの姿を見たが、貞楽の出る迄は辛抱出来なかった。神戸へのす、円タクへ乗らうとしても「西行きやないと行きめへん」なんて感じ悪く、クサる。元町のベルネクラブ、オルドヴル、フロッグレッグー脂こくなくてうまかった、次の犢の煮込、シャムピニオンのうまかったこと、パンケーキ・スゼット。バアを二軒歩き、京都へ帰ると腹がすいて、鳴瀬で納豆かけてめし三杯食った。
 京都あたりの人たちの会話には、間といふものが、東京とはえらい違ひで、カブせるといふことが全然ない。前の人の言葉を理解する迄に、相当暇がかゝるらしい。


十二月十二日(月曜)

 八時起き、撮影所へ行ったのが十時、大久保邸の庭のセット、「宵待草」のプレイバック二三カットで昼めしになる。悲しきハヤシライスを食った。ステージ変へで体があき、街へ出る、桃園亭で夕食――うまくなし――京極一巡して又セットへ帰る。今日はえらい強行軍で、二日分以上を一気に片付けた。高瀬実乗って人に初めてつきあったが、食ひたくってたまらないといふ芸、年老りだからいたはりたくもなるし、とてもやりにくかった。十二時迄続行、まっすぐ宿へ帰り、軽く食事。
 今日昼休みに、試写室でラッシュを見た、眼がねかけてゐない若い時のは、自分で見ても、何か忘れてるみたいで感じが出なかった、斎藤寅次郎も、「めがねのないロッパさんは何だか物足らん」と云ふやうなこと言ってゐた。映画では老けの方が、やりよくもあり、似合ふんだからいやんなっちまふ。


十二月十三日(火曜)

 今日は奈良へロケーションの予定、眼がさめると曇天である。やれ/\又一日仕事がないのだ、と思ふと、いら/\する。さて何とせう、邦枝完二の「江戸名人伝」を読む。清川虹子と江戸川蘭子が宿へ来たので東洞院のミナミへ行き、ポタアジュ・ハムエグス・マカロニ・メンチボールと能率をあげた。京極迄歩いて、日活の小屋で「弥次喜多道中記」を見る、くろっぽいのがいゝ、思ひつきも中々面白く気に入った。徒に、お茶をのんだりして、夜を待つ。祇園の広千代へ九時すぎ柳来る。脚本も来た。正月は、あきれたぼういずとタップの稲葉、ビクターから豊島珠江を貸して貰ふことゝ決定。十一時すぎ宿へ帰る。


十二月十四日(水曜)

 又々彦根へ。
 七時半、ねむい/\、ロケーションバスで奈良行、一時間半以上、ガタクリ/\揺られ、漸っと三笠山の麓へ着く。プレイバック、小百合と恋人の歌、山根寿子と土屋伍一の二人、そこへかけつけて――といふところ。昼になり、弁当ひらくと鹿がたかって来て弱った。午後、サイレントで数カット。帰りはハイヤで、まあ助かった。撮影所へ帰ると「新婚二人三脚」の本を読む、まあ/\といふところ。食堂のハヤシライスかっ込み、セットへ入る。廊下のシーン、一カットで終り。東宝オンパレードの正月短篇のため大久保の扮装で一カット撮り、終ると三度目の彦根行き、車中宇野浩二の「一途の道」を読み出す。十一時彦根着。やれ/\又来た八景亭。
 又彦根行と定っちゃあはかない心持、本屋を見渡してもいゝ本がない、ひどく淋しい――と、宇野浩二の新刊随筆「一途の道」を発見したよろこび、やれ/\と喜んで買ひ、汽車に乗るとすぐ貪るやうに読む。


十二月十五日(木曜)

 八時に起された、いゝあん梅に晴れだ。やれ今日で彦根はアガるかと嬉しい。お城の傍の松の木道、プレイバックでタラヒ登城、移動だから中々暇どる、それにタラヒ数十の行列だから、落ちる者があったりして、結局二時迄かゝる。今日は群衆に悩まされた、見せものになる腹立たしさ。二時アガリ、本懐とげた気持で宿へ帰り入浴。京都へは六時着、赤いネオンを見て、やれ/\と思ったんだから彦根ってとこはよっぽど淋しかったのだ。十時頃から出かけて繩手新橋のしほのといふのへ皆で行く、京名物鯛かぶらてものを初めて食ったが、鯛の味がかぶらに劣って、いゝ食味ではなかった。ねたのは結局二時近し。
 映画の仕事は、役者はよく/\でないと神経衰弱になる。待ちでボケる上に、ロケで、無知な奴等に、見せものを見るやうな目で見られる、いら/\してたまらない。


十二月十六日(金曜)

 七時起きで近郊ロケの筈、起しに来ないので十一時近く起きて、きいてみると今日使ふ驢馬が居なくなり、そのため延びて午後ロケといふ話、ロバのおかげでよくねられた。セット入りが三時、大久保平助若かりし日、失恋の歌を歌ふところ、セットへ入ると高瀬実乗が又スットボケた顔してる、いやんなっちまふ。今回の写真は失敗じゃないかといふやうな気がする。午後十時迄、日がな一日セットの中で暮した。プレイバックの失恋の歌、クレーンでやるのでこれが又手間どり、手持無沙汰で待つ。終ると、腹は減るし、ものかなしい、京都の町へ出てギルビイで一杯のみ、鳴瀬へ行って、深山あげで海苔茶漬を食ひ、腹が張って苦しい。


十二月十七日(土曜)

 セット十時からといふことで、撮影所へ行くと、大人数の御殿の場なので、ゴタついて正午開始。御殿、小笠原章二郎の家光公の前へズラリと並び、夕方迄に大分進んだ、夕食は食堂のハヤシライス。六時開始でその続き、反魂香を焚いて、五右衛門・弁慶・小町にナポレオンの霊が出るところ、終ったのが十時。「主婦之友」の記者が迎へに来り、大阪迄自動車で飛ぶ。南の本みやけが会場、曽我廼家五郎・泉虎・大磯に十吾・石川薫・エンタツ・アチャコ・五郎・雪江とメンバーはいゝが、五郎と十吾がうまく行かないとこへ持って来て、記者がてんでバカなので少しも話進まず、写真撮ったゞけで終り、自動車で京都迄飛ばす、クタ/\や。


十二月十八日(日曜)

 撮影所からの電話で三四時頃から来てほしいとのこと、ふらりと京極の方へ出て、コーヒーをのみ、撮影所へ。第一ステージで、ライトやキャメラを貸して貰ひ、正月の「遠山の金さん」の宣伝写真を撮る。待ってると、セットの都合で今日はもう無しといふことになった。又のびるのか! あゝ何ともハヤいやんなっちまふ。滝村と二人で、ギルビイへ行き、チーズ・トーストでウイをのむ。それから上七軒の石田民三のやってる家へ行く、のむほどに眠くなり、十一時頃ねる。


十二月十九日(月曜)

 十二時頃宿を出る。魚河岸のシーンで、呆れたことには、大きな章魚入道が、あばれ出して太助をしめつける、大久保が鎗で突くといふことになった。全く奇怪なシーンである。撮り終ると、オープンは終って、あとはセット。時間が大分ありといふので、アガった山野とアラスカへ行って食事、うまくないこと呆れるばかり。山野は嬉々として東京へ帰る。僕は撮影所へ引返して待機。夜は、川勝邸のレヴィウ・シーンから大久保の乗り込みといふところなのだが、特別出演あきれたぼういずから始まる、アガったのは十二時となった。あきれたぼういずをギルビイへよんで大いにハシャぎ、広千代へ行って又々のめやさわげ――一人で僕がはしゃいでゐた。


十二月二十日(火曜)

 オープンで城下町、といふ予定、十時半近く曇天でオープンは何うにもならない状態であるが、来て待機し、或はセットの方にかゝると言ふので出かける。結局午後となり、セットと定り、城内控への間、例の刀の鞘を切り、本身を出して歩くところ、それから講談調で一席やるところ、講談は、板に書かして立てゝおき、ジロ/″\横目でにらみ乍ら喋った。あとワンカット、終ったのが六時。旧知玉木潤一郎が颯ソウと小躯をあらはしたので、渡辺と上山で、オキナへ行く、牛肉のすきやきてのを試みる、ユバのうまいこと。


十二月二十一日(水曜)

 今日のオープンで終りといふ筈、十時近く城下町のオープン、たよりない陽であるが、移動をワンカット、かなり長いのを済ませる、ともう十二時、今日は東宝西撮影所の社長(?)大沢氏父子の斡旋でロータリークラブの会が京都ホテルである。十五分ばかり大阪京都と東京の観客について話した。心境のせいでまづいことだったし、第一愛嬌もなかった。下のグリルで大沢善夫と食事して、撮影所へ引返すと、完全な曇天で、オープンは無し、くさりダレの骨頂状態のまゝねて待ち、アフレコ――十時迄。渡辺・上山とギルビイでのみ、広千代へ行き、ガボリ/″\飲み、むやみとはしゃぐ。


十二月二十二日(木曜)

 撮影「ロッパの大久保彦左衛門」完了。
 今日こそはおしまひの日なのだ、十時に眼がさめると、うす曇りらしい、兎に角出かけてみる。撮影所の楽屋でのびて憂鬱になってゐると、晴れた、陽が照ってゐて雨が降ってゐる、その中で残りの城下町のシーン三カットを撮る、傘さして待ってゐる、陽は照ってゐる、珍景である。之がすみ、声の残り二つをセットで片付けてしまふと、アガリ、やれ/\これでチョンなり。試写室でラッシュを見、ついでに「エンタツ・アチャコの忍術道中記」を見る、ひどくつまらない、が、こっちのもかなりひどいと思った。

 十二月二十三日〜三十一日
(日記なし)





底本:「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」晶文社
   2007(平成19)年2月10日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、以下の個所を除いて大振りにつくっています。
「湯ヶ島ロケーション。」
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年4月12日作成
2013年8月28日修正
青空文庫作成ファイル:
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