古川ロッパ昭和日記

昭和三十三年

古川緑波




昭和三十三年一月






一月一日(水曜)晴

 九時すぎに起され、入浴。PHもなき、静けき正月なり。金がないだけが、哀れだが。朝食、母上も離れから来られる。屠蘇と雑煮、何が正月だい! と叫びたき心地。年賀はがき、何百枚か着く。出さないところからのも大分あるので、先づは、初書きは、年賀状から始めよう。床へ入り、年賀はがきの残りを書き出す。女房は風邪で熱ありだし、年賀客といっては、津田・松本・影山・小島がかほを出した位のもので、わが家の正月は静かなり。もうそろ/\暗くなりかけてゐる。飲んで寝るんですなあ。六時半、茶の間へ。清のガールフレンド今木さんが来てゝ食事を共にする。サントリータンサン、登起波(米沢)の牛肉粕漬、ローストポーク。すし屋からのこはだと卵のみ食って、八時半には天上。アド三服み寝る。あゝ寝るが何よりのたのしみなり。今朝トニー谷より年賀電話あり、風呂へ入ってゝ出られず、女房が出た。


一月二日(木曜)雨後晴

 よく眠り、十時に起される。風と雨で寒い。Hなく、めでたし。雑煮は餅二つ、汁三杯。女房、風邪をこじらせ、鼻の中が腫れて苦しみ居る。この数日、疲労激し。五十五歳、潔く年とっちまへ、停年の年となりて此の苦労かな。今日は、大蔵邸か近江邸へ年賀に出かけたいのだが、天気がわるいな。四時近くか、津田来る。タクシー、五反田に近き大蔵邸へ行く。今日不在と判ってゐるが名刺だけ置く。その足で、常盤松の近江俊郎邸へ。新築の立派な家である。近江夫妻と挨拶し、映画ばなし色々。新東宝の日本国中廻る珍道中もの、僕を主人公にといふ企画ときいてゐたが、これが変っちまったらしき様子、心細し。もうぢき「天城山心中」が始まるが、これはもう金貰っちまったんだから、今月のアテってものがない。心は浮かない。「麻雀しよう」と持ちかけると、近江もやりたいらしく諸方へ電話、スティルの谷がつかまり一室で開戦。近江・谷・津田で、此のメムバーぢゃあ面白い筈がない。電気も暗し、実につまらなくやる。最中に年始客も入れ代り来り、落つかない。五回やり、五十円の負であった。了ると、ブラックアンドホワイトがあるので、そいつをストレートで飲み、ひとりいゝ心持になり、愚談猥談。十時すぎにタクシー帰宅。床へ入り、アド三。
 新東宝大蔵社長が、このシナリオ読めと言って、弟の近江俊郎に渡したのが「金語楼の成金王」、近江は読むと、あんまりひどいので、社長に、「こんなものは、シナリオぢゃない」と言ったら、「お前、他の監督ならクビにするところだ、あれは俺が書いたんだぞ」


一月五日(日曜)晴

 夜半二時、ポッカリ眼が覚め、小便済ませて又寝ようとすると、寝られない。色々なこと考へ、めいる。今年は一体、何うなるのだ。ラヂオやテレビもなく、かなしき寝正月だったが、新東宝にばかり忠節を尽したところで、何うなるものか判らない。俺も、もうこゝいらでおしまひか――夜半の悩み、深刻。五時打つ頃に又寝て、十時に起される。朝食、パン、ベーコン、卵スープ。去年、一昨年の正月は何うあったか、日記出して見る。皆これ景気わるきことだが、お年玉ぐらゐは配ってゐる。今年のやうに、ひどいのも珍しい。書き癖をつけようと「あまカラ」への食書ノート書き、三月号を十枚、つゞいて、四月号へ又十枚、疲れもせずに書けた。ストーリーのあるものが書けさうな気もして来た、いよ/\停年からの小説家だ。腹の具合、何うもいけない。が、「お酒あがりますか」ときかれると、うんと言っちまふ。六時すぎ茶の間、今夜は、すきやき。しもふりのいゝ肉で、うまい。サントリータンサン。女房、風邪こじらせたのがまだ治らず、気分めちゃくちゃで、酔へもせず。飯は一杯。七時半には、もう床の中、アド三、眠る。


一月六日(月曜)晴

 小便したくて眼覚めたのは、まだ寝て間もない九時半。眼が冴えてしまひ、寝られなくなる。ナマ半可酔ってる時の此の状態は地獄である。貧を思ひ、今月の金のアテなきを思ひ、もう俺は誰も相手にしなくなったのかと、深き嘆きの淵に陥ちたりして、輾転反側、十二時――一時、まだ寝られない。そして、十時に起される。Hなし。朝食は、パン、煎り卵。今日も全く用なしだが、家に籠るのも気が滅入る。誰か――と、穂積純太郎へ電話、これも寝正月だったらしい、四時に、レスアマで会ふ約束をする。三時すぎ出る。よっぽどタクシー拾ひたいのを我慢、電車にする。新橋下りて、レスアマへ歩く。トマトジュース飲んでると、穂積純太郎来る。やがて、電話でレンラクした藤田潤一が津田と来り、一荘やらうといふことになりて、カネロニー一皿食ったゞけで、銀座荘へ。正月のことゝて客多し。藤田・穂積・津田と結局四回やり、十一時すぎた。結局(−1500)で了る。穂積と二人、タクシー渋谷へ。とん平、これも大満員だ。純太郎とサシでやってるとこへ、旗一兵が来り、共に飲む。我は、まなかつををアテにしてるのに売切れ。ブリの照やき、これぢゃあ家で飯食ってるやうでつまらん。たらちり、オムレツ。ハイボール凡そ六杯位飲み、旗一兵がすゝめるので、中川三郎経営のナイトクラブ、コーパといふのへ寄る。又一二杯飲んだが、もう眠し。タクシー帰宅、十二時半か。シャツ着たまゝ眠る。アド三と、漢方のくすり服む。


一月七日(火曜)曇

 富士映画「天城心中天国に結ぶ恋」セット。
 九時一寸前、起される。曇りなので、セットがある由。朝食、ハムバーガー一つ。タクシー、九時半すぎ出る。富士映画。昨年末に、うんと又たゝかれて金を貰っちまった、キワもの「天城心中天国に結ぶ恋」。今日セット一日で了る約束。男の学生の寮の寮長の役。行くと、いつものやうなヒゲ、かつら。セットへ。近江が監督する筈なりしを、石井輝夫といふ若いのが代ってやる。これは、近江のやうな早撮りは出来ず、ねっちり来る。でも、割にうまいやうな気がした。然し、セリフは、シナリオのを全部変へてしまひ、その場で自分で書く。而もその直した方が、生硬な、文法に合はないセリフなので、くさる。二カットで昼となる。部屋で、あんかけおかめをとって食ふ、うまし。午後も、同じセットがつゞく。五時すぎにアガリ。ちょい役だが、締めてゐるつもりなり。さて終ったが、行くとこもなし――と弱る。そこへ、白山雅一が、「先生が、こゝにゐらっしゃるといふので、とんで来ました」(うそばっかり)と来たから、レスアマへでも行って飲むか。明日あたりから生活改善したし、今夜は鳧をつけるやうな考へだ。タクシー、津田・ルリ子も共にレスアマへ。白山は、タクシーの中からうるさく喋る。はなしもつまらないし、かういふのと飲むのも情ない。我は、サントリータンサン。酔って、すしなど食ひたくなり、此の連中を誘ひ、タクシー新宿へ。藤鮨。卵、をどり、鯛なんぞを十位食ったらうか。終始白山のはなしつまらず、情なき夕なりき、タクシー帰宅、まだ十時すぎだったやうなり。アド三服み、床へ入る。明朝より禁煙しようと思ひつゝ。


一月九日(木曜)晴

 小便したくて眼が覚めた。まだ寝て間もない、電気点けて時計見ると、ピッタリ一時十分。これで小便しちまふと寝られなくなるぞと思ふ。果して、全く寝られなくなる。地獄だ、この眠れない何時間かは。タバコ吸ったり寝ようと努力したり――その間、ずっと貧の苦しみ、嫌なことばっかり思ふ。それに胃の具合わるく、漢方薬二度服む。此の地獄が、明るくなる迄つゞく。五時か六時になり、夢に入る。十時に起された。胃の具合がよくない。朝食、パンに大根みそ汁、少々にする。女房が、片貝さんの葬式に出かけ、火燵に一人。母上が来られて、「映画はあるのかい?」などゝきかれる。アテなしだから答えやうがない。話してるのも辛い。女房は夜迄不在らしいから、出かけなくてはしようがないが、朝から疲労激しく、出たくもない。が、穂積でも誘って、早田を訪れるなどは如何だらうと電話してみると、今日は締切で出られない由。かういふ時、友だちってものゝない俺は、何うにもならない。二時頃津田が来た。ま、出よう、出たくも何ともないんだが。長原から電車、有楽町下車。喜劇人協会事務所へ、三階へ登るのが辛い、フー/\。明夕の座談会のことたのまれる。エノケンのとこへ来た話だが、エノケン今や病気静養のため箱根へ行ってゐる。その代役だ。ま、何でもいゝ、お車代が出るところなら出る。ピカデリー地下でやってる「マダムと泥棒」が大変評判なので、三時すぎ行く。山野に電話、七時半レスアマで会ふ約束して。「マダムと泥棒」は面白かった。五時半迄たんのうする。出ると、隅田ずしへ。をどり二、鯛四つ、それだけ。で、勘定は、メノダリ(五百四十円)なり、高いよ、こゝは。タクシー、まだ六時だが、レスアマへ。夕刊を見たりして、七時すぎ、サントリー、タンサン始める。飲み出せば心たのしくなるかと思ったが、一向浮いて来ない。くよ/\ばかりする。何といふ料理か、鶏の挽肉の極めて細かいのをプディングにして、マカロニでかこった奴。見た目はいゝが、味は、伊藤では駄目だ。鶏が鶏くさい。小沢がやると、ちっとも鶏くさくないんだ。思ふに、材料の味そのまゝでなく、変へてしまふのが上品な料理で、味をそのまゝってのが下司味の方だな。食ってるとこへ山野来、彼は、ビール。次の皿は、ビフテキパイ。これも間違ったことには、皿にパイを貼りつけず、ビフテキをクラストで包み、菓子の如くしたものでうまくなし。山野と話してるとこへ伊藤寿二来り、こゝで昔ばなし。もういゝ時間になったから、帰れる。タクシー、山野五反田迄乗り、帰宅十二時すぎ。今夜は、アドルムありて安心、三服む。


一月十日(金曜)晴

 十時に京極から電話で起される。起きて風呂入り、アドルムの眠りは快く、覚め際もいゝ。朝食、パンと豚肉、スープで。中央公論社より小包、谷崎潤一郎全集二冊、トビラに先生の署名あり、嬉し。谷崎先生の全集第一巻の中、未読の「飆風」を読み出す。二時半頃か、そば屋へあんかけを注文。四時すぎ、津田と共に出、電車、長原より東京駅へ。東京駅から、タクシー九段会館へ。今夜は、たゞの座談会かと思ったら、清和会といふのゝ会員百名ほどゝ共に食事してから、青木一雄の司会で話をするのだと。やがて、会場へ入る。まるで結婚式のやうに、丹下と我まん中、両傍に青木・加藤芳郎と列び、みんなに見られつゝ食事始まる。チャウダー風のスープ、鱒のムニエル、チキンのフライド、少し残す程度に食ふ。それから、青木とんち教室の司会で、三人が代る/\おしゃべりした。幹事が、予定して居りましたエノケンさん病気不参のため、古川さんが友情的に来て下さいましたと紹介した。青木が通俗的すぎるから、いゝ話を引き出すこと出来ず、兎角くだらなくなる。加藤芳郎が素朴でいゝ。丹下も、適度の毒舌で、心得たものである。青木が落ちる。俺も、わりによく喋り、八時すぎ位迄かゝった。丹下の車に皆乗って、銀座へ出る。丹下の奢りで、バー・ベレーといふのへ行く。青木・加藤も面白く、俺も段々酔って、声帯模写ばなし。今度は、加藤がスポムサーらしく、おそめへ行く。今や此のバアは大当り、満員。知った顔が沢山ゐる。吉川義雄やトニー谷なんぞもゐた。河盛好蔵が来て文学論になり、何処か同人雑誌でもいゝから、俺に書く舞台を与へろと言ふと、いや、ちゃんとした大雑誌に世話すると言ふ。これは頗る嬉しい話なので、元気づく。川喜多長政・原節子・藤本真澄といふ三人の席が、すぐ近いので出張。何うも理屈っぽいよ、俺は。原節子が、酔って何か力をこめて言ふのが印象に残ってゐる。そのうち、よせばいゝのに藤本真澄に、「東宝へも使ってくれよ」と売り込みを始めたものだ。藤本って奴、いゝ返事しないのに、くど/″\とやってゐるうち、何ともその図が今も眼に残ってゐるのだが、「あゝ判った/\」と言って、両手で頭をかゝへるやうな、或ひは耳を掩ふやうな形になって、そこへノビるやうにした。屈辱!さういふ気がした。こいつらに、馬鹿にされ切ってゐる俺なのか。一人タクシー帰宅、十一時半すぎ。アド三服んで、寝る。


一月十二日(日曜)曇

 九時半に起されて、すぐ起きる。寝は足りないが、反って寝すぎた時よりいゝやうだ。俺は、兎に角寝すぎる。朝食は抜き。津田、十時十分頃、タクシーで迎へに来り、上大崎大蔵邸へ。火燵に招じられ、先づは、今年もよろしく。今日のたのみは、新東宝だけでは、とてもやって行けないから、日活へも本数契約をして貰ふやう、社長から、たのんで呉れないかといふこと。これは、「あゝいゝよ、堀久作・江守なんかにたのんでやらう」といふことになる。話してるところへ、近江俊郎が来ちまったりで、もう仕事のはなしはやめ。尤も、近江には、今月中に野球の映画ありときいたのと、十九日に社長もろとも熱海へ行くことを約束した。又、社長より、お年玉として、ジョニーウォーカー一本貰った。昼食に、きしめんの油揚入りが、出た。きしめんお代りする。十二時には、社長出かける、が、夕方五時上野のパーク劇場で待ってろ、夕食を共にしようとのことで、喜んで約束。それ迄何うです、一寸やりませんかと持ちかけると、近江も乗り気で、近江邸へ。近江・津田の他、橋本といふ若者が来り、千五十の家庭麻雀を始める。このメムバーぢゃあ面白くもなし。五時近く迄に四回やり、結局は、ゼロの如き結果となり、近江の車で送られて、上野パーク劇場へ。五時すぎに行くと、今、風呂へ入ってるとかで、事務所で待たされる。待つこと大分長いが、この頃は腹も立たず、じっと待ってゐる。そろ/\音をあげたくなった頃、大蔵夫人・友人の菅さん・大蔵来て、隣りの天ぷら屋へ行かうと誘はれる。丁度天ぷらなんか食ひたかったとこなので、喜ぶ。パーク劇場の右隣り、山下といふ天ぷら屋。ホワイトホースの三分の一以上残ってるのを持参して呉れ、ホワイトホースのタンサン割りで、リッチな感じ。天ぷらは、殆んどサラダオイルの上品な黄色い奴で、とめどなく食へる。大蔵とは、何しろ三十五年以上のつきあひ、今は社長だからと言って、あんまりペコつけもせず、さりとて威張りも出来ず、この辺の兼ね合ひがまことにむづかしい。いかのかきあげで飯一杯食ふと、もう睡い。大蔵って人も早寝だから、ぢゃあ五反田迄送らうと、車に夫婦で一緒に乗る。五反田で下りる時、タクシー代と言って、千円呉れた。帰って、アド三。寝たのは、まだ九時半頃だったらうか。


一月十九日(日曜)晴

 熱海へ。
 六時半に起きてしまひ、フライエッグ、ヨーグルト、抹茶二。七時十五分に津田が車拾って来る約束なのに、茶の間で、じり/″\してるのに来ない。七時半漸く来る。旅支度は、カバン一つ。タクシー、八重洲口へ着く。切符も支配されてゝ、八時何分かの電車、二等。新東宝時代劇売出しの若山富三郎・天城竜太郎、他は万里昌代といふ女優、ワンサの醜女多勢。今日は、何があるのか碌にきいてないが、熱海の梅まつりの催しで、俺のところは夜でいゝらしい。品川から、大蔵夫妻乗込み、天皇を迎へるやうなさわぎ。今や得意の絶頂なる社長、然し、乗込めば、もうワイ談である。十時すぎ、熱海着。バスで大蔵社長別荘へ。大蔵別邸と忠臣蔵のやうに表札が出てゐる。着くと、先づ邸内を社長自ら立って案内。広間で、昼食となる。すし、カツサンド、なべやき、それに天丼といふ取り合せが可笑しい。麻雀室があるからやらうと、若山富三郎と、津田・経理の尾崎といふメムバーで、千五十の小雀。若山ってのが、はじめっからどん/″\勝つ。三回やったら、「もうくたびれたからやめる」と、若山、嫌な奴。おかげで津田の分とも(−3000)の負け。勝ったらやめようといふのだから、ひどい奴。ぢゃ一風呂ねがはうかと、風呂へ行く。うんとぬるくして入る。此の時PHあり、兎に角、わがHは、風呂に大関係あることは確かである。出て、大鏡にうつるわが姿、やせ衰へて見るかげもない、もう死ぬ奴の姿なり。近江俊郎が着き、今月二十五日には次映画へ入ることをきゝ、ホッとする。それで今月は過せる。六時半、熱海公会堂へ。梅まつり、夜は芸能会といふところ。大蔵社長自らマイクの前へ立ち、挨拶。そのうち義太夫をうなり出したのには驚いた。若山・天城なんてのゝ歌があり、近江を残したトリ前に、出る。ジャリが、ステージのかぶりつきでワッサ/\、とてもやって居られない。「ぢゃあ又にする」と引込んぢまった。了ると、ファンたち楽屋へ殺到、漸く切りぬけて車に乗り、今夜の宴会場、ホテル熱海園へ。熱海名士の挨拶。オムレツ、野菜煮など食ひ、飲んでは、隣りの近江に、しきりによくして呉れることを感謝し、ありがたう/\と言ふ我であった。静観荘の中沢から来いとのことで、近江も行くといふから、出かける。中沢と話し、一寸やらうと言ひ出し、雀卓来り、「千五百にしよう」と大きく吹っかける。何とかして儲けようといふ腹らしい。幕の内が来て、これが滅法うまかった覚えがある。雀してゝ眠くなり、勝ってるのに、欲にも得にもたまらない、「すまんが、もうやめさしてくれ、勝ってるからいゝだらう」と、大した参り方。今夜は、大蔵邸に寝る予定だったが、中沢が、こゝへ泊れ泊れと言ふから、こっちの方がよさゝうだし、泊ることゝした。で、床へ入る。アド三。今日も、三四回グロンサンを服んだ。十二時半すぎ。


一月二十日(月曜)晴

 熱海静観荘に泊り、隣室の人声で、眼がさめると九時半だ。「起きるよ」と電話、PH少々続く。部屋附の風呂へ入る。うす暗い蛍光燈で快適ぢゃない。女中は大勢ゐるらしいのに、朝食迄の長いこと。みそ汁たっぷりと言っといたので、鍋で来た。豆腐と菜っぱのみそ汁、お代り三杯汁。かれひの生干がうまく切ってあり、子持ちでうまし。生卵二つ、たっぷり三杯飯。今日もいゝ天気、もう一日こゝでノビてゐたくなる。帰れば又貧苦の悩み、こゝでもう一日一人きり忘我(忘餓か)の境にゐようか。今日こゝで角力を見て、それから谷崎邸へ行き、夕食ごちそうになり、こゝへ戻れば迷惑もかけずに済む。中沢を呼んで話してみる。あいにく今日三時から全館貸切りだといふ話。さうなると、妙にもう一日ゐたくなり、つるやへ電話、帳場がケンもホロロなので、切る。谷崎邸へ電話してみる。先生自ら出て、「おいでよ、今夜は、あひがも食ふから」と、嬉しいが宿がなし、又ごやっかいになるのは何うも――と言ふと、「やアそんなことは構はない」桃李境が明いてるか何うかきいてやるから一旦電話を切るよ、と。直ぐ又返事、桃李境に部屋があるからとのこと。ぢゃあ二時すぎに行き、テレビを見て、六時に伺ひます、といふことにした。いろ/\済まないのだが、先生に会へるのは嬉しい。タクシー、津田を駅へ送り、そのまゝ桃李境へ。桃李境、今回は、養老といふ一室。眺めのいゝのに、うっとりする。こゝの風呂は小さいが、空気も入るしいゝ。アンマ来り、TVの角力を見つゝ、背腰だけやってくれ。六時、タクシー先生邸へ。石段を登り、玄関に立った時は、フー/\。お嬢さん出て来られ、挨拶の間も息切れる。いつもの間、どし/″\床の間背負って席につく。六時半すぎ、ジョニーウォーカー赤。あひがもは、東京よりのもので、葱、白たき等でバタやき。何うもケモノのやうなにほひがすると思ってゐたら、先生も「こいつはツチくさい」と言はれた。はじめバタやき、それから京都風に壬生菜と餅を入れて、すき。だが、すぐ酔ひ、話に又酔ひ、もう食ふ方はそっちのけになりたる我。そのうちに、先生崇拝の第二号(僕が一号)橘弘一郎宅へ電話しませうと僕が言ふ、俺も出るよと先生が言はれるから、かけて貰ふ。先生の全集出版紀念の会には、先生の好きな女優に花束を贈呈させると橘が言ったので、先生大いにごきげん。さて、それから先きはよく覚えてゐないが、先生は文学の話、殊に先生の作品について話すことを好まれないが、今夜はもう逆ひますといふやうなことを言って、日頃言ひたかったことを皆ぶちまけてしまったやうである。その間、先生が、きげんの悪いかほになったのが目に残ってゐる。舟橋罵倒、泉鏡花も百姓、その他いろ/\。まるでこの辺記憶なしなのだが、先生夫人と令嬢とが、宿迄送って来て下さり、床に寝る迄ゐて下さったことは覚えてゐる。


一月二十一日(火曜)晴後雨

 伊豆山桃李境、養老の間に眠り、夜半、小便に起き、便所が入口にあるのを忘れて、廊下へ出て迷ひ、部屋へ戻って漸っと気がつき、あはてゝ小便する前に、もう洩れちまってた、醜態。猿股、ズボンなど脱いで、十時迄寝る。脱ぎ捨てし猿股、まだ濡れてる奴を電熱器で乾かす、老醜。十時半、風呂へ。あゝ昨夜は醜態だったんだらうなあと思ひつゝ、入ると、ぐっとSH。久しぶりのストロングなり。昨夜の記憶がないのが嫌だ、先生を怒らしちまったんぢゃないかな、それから奥さんと何か(令嬢を映画入りさせるについて)約束したんぢゃないかな? 記憶喪失の気持悪さ。SH治まらず、つゞく。朝食、ひらき干物、したし、卵やきに支那風のあんかけ、生卵二、みそ汁は鍋で貰って、軽く三杯。谷崎奥様より一時に伺ふとの電話ありし由取次がれ、あはてる。一時、夫人と令嬢来られる。奥さんと令嬢を前にして、昨夜の醜態を陳謝する。「いえ/\そんなことございません」と言はれるとホッとする。昨夜、此の宿迄送って呉れた奥さんに、僕は如何に先生にホレてゐるか、ホンマモンですと強調した由、それを帰って先生に言はれたら、「テレくさゝうな、嬉しさうなかほして、涙も出てたやうに思ひます」とのこと、何と! 来月にも、橘さんと是非おいで下さいと、しきりに言はれる。兎に角、大過はなかったらしいので安心。ブラックアンドホワイトも一本下さり、生干しの一籠もみやげにと。二時少し前、雨の中を、二人でタクシーで駅迄送って下さり(宿の女中のチップ迄出して下さり)、もはや何ともかとも、弱っちまふ程のことをして下さった。二時十八分の沼津発はガラ/″\なりしも、熱海で一杯になる。車中、「小説新潮」の随筆欄を読みたるのみ。品川着、出迎へ、津田・ルリ子・松本・小島・出羽と、「洋行から帰ったみたいだね」。タクシー帰宅。六時半、先生よりのBWを抜く。又、おみやげの生干しかれひも食ひ、とりなべ。飯も一杯食ひ、守口漬を喜ぶ。八時には天上、アド四服。クロールトリメントも亦一服。


一月二十三日〜四月二十六日(日記紛失)

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昭和三十三年四月






四月二十七日(日曜)曇雨

 NTV喜劇天国「花が咲いたよ」。
 十時頃起き、PH微在。朝は、トースト、すいとんスープ卵落し、牛肉焼。一時すぎ迄うだ/″\してゝタクシー、浜町スタヂオへ。ふと、幕の内が食ひたくなり、二百円のをとる。二時半より、ドライ。四時半、小金馬漸く来る。六時、キャメリハ。七時本版、大平烈人(実は、津田の作を、我が直したもの)作「花が咲いたよ」。本版のはじまりの方で、我トチリ、何秒か穴のあくことあり、あと口わるし。又、武智豊子、セリフ覚えず、不愉快。了って、雨なので暫く休み、八時半ごろタクシー、他に手もなし、レスアマへ。サントリータンサン、マカロニと卵のグラタン、ひどく不味いのでつまらない。今日は、伊藤も不在の由。そのあと、タンシチュウ、マッシュドポテト、バタライスと行き、雨やんだ中をタクシー帰宅。アマンドの借金一万五千円位になった由、まづくて高い、癪なり。十一時すぎ位か、アド三の眠り。


四月二十九日(火曜)晴

 九時に起される。PH殆んどなくなる。朝食、トースト、オムレツ。インシュリン。「娯楽よみうり」へ電話、明日の締切を一日のばして貰ふ。十一時すぎ、津田来り、大阪行きの話。心配なのは、新東宝の「新日本珍道中」のセットに出られないこと、これで社長が怒りはしないかゞ気になる。一時すぎ出る。電車、有楽町へ。天皇誕生日で人出多く、立ち通しでフーフー。有楽町アマンドへ行くと、ボーイより伝言きく、滝さん今日旅行に出てしまひ、浅草行は同行出来ない。スッポカされ、くさる。スポムサーなしか、弱った。伊藤寿二の方はちゃんと来て呉れ、タクシー、浅草へ。娯楽よみうりに書く「手当り次第」のための浅草行なり。先づ、国際劇場の三橋美智也ショウ。伊藤の案内で、監事室から見る。それから六区を通り、中清へ歩く。中清には、その二男、中村竜三郎が待たしてあり、バトンを引きついで貰ふ。松竹演芸場のボックスで、デン助一幕だけ見る。伊藤はこゝで去り、あとは中村竜三郎と二人。了ってから、デン助の大宮敏光に会ふ。それから富士館で、中村と二人、石原裕次郎「明日は明日の風が吹く」といふのを見て、面白くて満足。三橋もデン助も、石原裕次郎の前にはスッとんだ。これを出ると、新東宝の千代田館があって、「水戸黄門」をやってゐる、これは惨たる入り。そろ/\腹も減り、飲みたくもなって来た。中村が、まあ中清で天ぷらをといふので、中清へ。えびの酢、あひがもロース、みんないゝ料理。箱入りの天ぷら、海老に、はぜ、穴子、そして、はしらのかきあげ。はしらは怖いのだが、意地きたなし、大半食っちまふ。こゝを出ると、中村の自家用待ってゝ、遠く中野へ飛ぶ。中野駅前のあたり、ポンテといふ、二階のバア。入ると、いきなり白山雅一が出て来て、これが又うるさくて弱る。今度は新宿へ。新宿三越の近く、地下バア、シャトレー。いゝ加減に眠くなり、中村の車で送って貰ふ。無理して、運ちゃんに千円呈上。一時頃帰り、アド三。
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昭和三十三年五月






五月二日(金曜)晴

 アド四の眠りは恐ろしい、少しづゝ自殺してる如し。朝十時迄寝たんだから、自分乍らあきれる。ざッと十三時間の眠りである。PHは去れり。朝食、トースト、ハムエグス。床へ戻り、「あまカラ」への「食書ノート」を書き出す、ペラ十五枚了。こんな調子で、ストーリーのあるもの、すなはち小説を書きたいものなり。それから、旅支度、今度は一ヶ月だ、いろ/\トランクに詰める。今夜、KR先週の分を貰へるだらうが、それがなかったら文なしだ。何っちしても、こんなに金なくて旅に出ることははじめてなるべし。「道修町」の台本の朱入れなどで、四時すぎる。歩いて出る、電車、新橋。高陞へ歩き、焼売と叉焼雲呑を食ふ。ガスホールへ。ブリジッド・バルドオの「この神聖なお転婆娘」試写。六時近くの開演、中々しゃれてゝ面白かりし。タクシー、KRへ。「赤胴鈴之助」の録音。僕の出てゐる二本分、たちまち了る。引つゞき、四日日比谷公録の分、僕の部分、ヌキドリ二回分やる。十一時半には了った。穂積純太郎、大阪へプロデューサーの金子と共に出張、僕の雲竜和尚の何回分かを取って呉れる約束なりしに、金子プロデューサーが人事移動に引っかゝり、企画室といふのへ入ってしまったので、具合わるくなり、行かれさうもないと言ふ。送り車、渋谷へ。このまゝでは寝られっこなし、金は全く無いのだが、とん平へ寄らう。渋谷で車を乗り捨てゝ、とん平へ一人歩く。何と、本日休業。しまった、が、もう車も帰っちまった。チェッ、ツイてないよ。ゑびすのボンを思ひつき、タクシー、十二時だが、いゝあんばいにやってる。こゝは高くていかんが、こんな時はしようがない。サントリー、タンサンやり出し、オードヴル、変哲もないもの来る。次に、ドリア、酒に飯では合はん。でも、酔っていゝ気分、貧乏が何だ! って気持。チーフが、デザートにいゝものがありますと、プラム・プディングを出す。ピンク・ソースなしでは間が抜けてゐるが、うまし、お代り。ハイボール六で、今のプディングはおまけと言ひながら、千七百五十円とはよく取る。貧乏のふところに、これが、ビシッと応へてるのを知るや。タクシー帰宅、二時近し。しようがない、又、アド四服む。


五月四日(日曜)雨後晴

 新東宝「新日本珍道中」珍出演。
「赤胴鈴之助」公録。
 下阪。
 九時頃には雨もあがり、起される。PH消ゆ。朝食、トースト、半熟、ジャガいもみそ汁。九時四十五分、タクシー、富士映画へ。こゝでバスが出る、羽田空港へ。空は段々晴れて来る。空港に着き、近江俊郎と久しぶりで会ふ。「新日本珍道中」に突如、唖の役で出ることゝなる。近江すっかり考へておいて呉れ、とん/\やって呉れる。はじめ、フィンガーの上で手を振り、次に待合室で、大空真弓(の父親といふことになり、衣裳も何もそのまゝでやる)との件、アーアウゝゝと唖である。近江監督速し。一時半近くに了る。タクシー、日比谷へ向ふ。これで「珍道中」にも兎に角出たから、金のこと別として、社長に怒られることもあるまい、まづ/″\よかった。日比谷音楽堂着二時。馬鹿々々しいが、扮装しての公開録音。雲竜和尚、坊主ヅラ、衣を着て跣足が冷たい。二時半頃ステージへ。「赤胴鈴之助」公録二回分。子供一万人位詰めかけてゐる。これを済ませて、一旦帰宅、タクシー。もはや嚢中スッカラカン、今夜立つのに、KRの前々回の分を呉れなきゃ、無一文で立たねばならぬ。津田より電話、KRの金出た由、ホッとする。五時半頃、もう飯にしようと言はれ、早いが、サントリー、タンサン。ビフテキ、茄子のみそでん、飯も一杯食ふ。八時近く、支度する。服を変へたのはいゝが、戦前拵へた奴で、如何にも貧弱なり。鏡にうつして、嫌だなあ。いゝ服、パリッとしたのが着たい、金のある時は、こんなこと思ったことなし。貧乏の劣等感。八時すぎ、タクシー出る。東京駅へ。八時半すぎ、スイセイ、もうホームに入ってる。今回は、津田と西野(附人は認めないので、一寸出演させる約束)の二人同行。二等寝台のコムパートメントて奴は身動きもならない、頭をぶつけ通し。動き出すとすぐ、アド三服み、カーテン締めて横になる。九時発で、十時頃にはもう眠りたり。


五月五日(月曜)曇

 寝台車の眠り、六時半に起きる。寒い、口洗ったゞけ。PH微在。大阪着、七時半。ホームに出迎へなし、こっちの奴は薄情だな。宿が、今日明日は新大阪ホテルに申込んであるとかいふが、喜多八へ行っちまはう、何うにかなる。タクシー、喜多八へ。親爺を起して相談、いゝ部屋でなければ何とかなるといふ。二階、十畳の一室、そこで、津田・西野と三人で朝食、さいらの干物、高野豆腐の煮たの、生卵で、三杯食ふ。劇場側より電話、九時から稽古だから来いと言ふ。此の貧しき旅、毎日の小遣ひ、よっぽど考へねばならない、一、軍人はケチを旨とすべし。コマ稽古場へ。郷田悳作・演出の「ずぼら亭」の通し稽古。僕は、無理にこれにも出されるので嫌なところへ、ひどくつまらず、のっけから気に入らない。稽古場で、はじめてメムバーを知る。乙羽信子の筈が青山京子となり、他に渡辺篤・八千草薫等。十二時迄でこれが了り、一時半より「道修町」。シルバー地下へ、ビーフカツレツにする、不味。一時半、稽古場に戻る。「道修町」。菊田一夫来てゝ久濶。「ずぼら亭」とは違って、こっちは稽古でも涙が出て来る。いゝ芝居だが、コマのステージでは、泣くものなんか受けつけるか何うかゞ心配。稽古、えん/\とつゞく。その間に、菊田いろ/\話し、今俺は貧乏だと言ふ。だが、高樹町の家は、四千万円かゝったとのこと、貧乏のケタもまるで違ふ。きいてゝも、たゞ溜息が出るばかり。九時になると、コマ劇場へ皆で行く。今、蝶々・雄二の喜劇をやってゝその千秋楽。北野劇場でやったやうな鍵わたしをやるので、フィナーレの舞台へこっちのメムバーが出る。コマスタヂアム、大阪のははじめてだが、やっぱり相当ひどいところなり。こはいから、詳しくは見ない。こゝで、僕は、「道修町」の大阪弁について二分ほど喋り、又稽古場へ戻る。「道修町」稽古つゞき、十一時半迄。大阪第一夜、久々渡辺篤と飲まうと誘ふ。山がやといふ串カツ屋みたいなとこへ入る。ウイスキー、宿に買っといたのを持って来させ、水割で飲む。こんにゃくのみそでん、串カツ、卵やき、皆お粗末で不味し。それでゐて、千四百円とられる。一時頃、宿へ歩く。アド三服み、眠る。


五月八日(木曜)雨

 梅田コマ劇場初日。
 ガチン/″\と釘を打ち込む音、とても寝てはゐられない。十時起き。風呂は、やめる。PH微在。朝食、津田・西野も揃って食ふ。生揚げ昆布煮、さいらの生干、生卵二で、又三杯。インシュリン打。十一時、小雨の中をコマへ歩く。楽屋入りして、キューピッドより、コーヒー一。十二時初日開く。入りは、見た目七八分。「ずぼら亭」、セリフ、いくらもないが、弁士の役だから、入れごともして、兎に角ごま化せた。「道修町」、何しろセリフに自信あり、気持よくやる。涙しきりに出る、かなり泣きすぎるが、客もよく泣いてゐた由。夜の開演は、おくれて六時すぎに開く。その間、保夫とおばちゃんの持って来た、巻ずしを食ふ。夜の部、入りの悪いのにおどろく。こゝは昼は団体などでいゝが、夜は常に悪い由。昼の半分位。今夜は、大道具の関係で、一と二の順序変り、今やった「道修町」が先きでやりにくし。そんな悪条件ながら、快演。「ずぼら亭」は、スカの如し。ハネ、十時半近くなる。了って、今夜は初日のことだ、せめてうまい酒の一杯も飲みたい。川上正夫を誘って、タクシー、南進、吉田バーへ行く。何と、十一時が看板で閉ってゐる。それを開けさせて入り、BWのハイボールダブルを、結局四杯。ほろ酔で、もう帰る気になり、タクシー、喜多八へ帰る。十二時半すぎ、アド三。


五月十一日(日曜)雨

 朝の工事の音にも馴れたか、十時半迄寝つゞける。風呂へは入らない、PH微乍ら在り。朝食、実に何もなし、生揚げ牛蒡煮をよしとする。毎朝、豆腐と油揚のみそ汁、生卵かけて、それでも三杯食ふ。十一時すぎ、小雨の中を出る。雨の日曜で、団体も多いらしく、入りは頗るよし。今日暑くなり、楽屋の空気に参る。一は、たゞ疲れる。舞台の袖がなくて休まらず、エレヴェーターで一々部屋に戻り、大詰は、橋の上へ上るから、それだけでヘト/\。二では、肝腎の婚礼場で裏のおしゃべりひどく、芝居してゐられない。腹立ち、了ると、犯人を出せと怒る。私がしゃべりましたと、鈴木といふ役者、あやまりに来る。大道具だと思ってたのが、役者。一回の了り、こまうどんといふのを食ってみる、鍋やきに餅迄入ってる奴、八十円。松岡社長と支配人部屋へ来り、身体がしんどければ、一の方は出なくてもいゝとのこと。二の方が大切だから、又評判もいゝから、たのむとのこと。但し、明日の記者招待日だけはたのむと言ふ。あとできいたら、此の二三日、舞台で咳が出た、それを心配して呉れてゐるらしい由。ワイヤレスマイクが咳も拡大するので、大変な音がするらしい。たちまち禁煙を思ふ。夜の部、入りよし。明日から又コケるのではないか、心配なり。明日で一がなくなると、間の時間に外気が吸へること、これが助かる。夕食も外で出来るし、楽屋入りが一時半となると、昼めしも外で食へる。たちまち、神戸平和楼の魚翅を思ふ。神戸といへば、蒋さんがまだ来ない、スポムサーなきは困る。「道修町」は、しっかりかたまり、がっちり受けるやうになった。婚礼の場など、客よく泣くので、たのしみなり。一寸入りがいゝと、この分なら尻っぱねかな、と思ふ。森繁の「のれん」の時は、一週間ではあるが補助椅子が出て、百三十パーセント入った由。繁の人気や思ふべし。ハネると、津田が、文芸部の坂内といふ若人に一杯飲ませるといふので、つきあふ。北の、すぐ近くにある、五味酉(ゴミトリ)といふゲテな店。サントリーハイボールあり、この七十円は安心。食はせるものは、焼きとりの色々で、皮やき、だんご、五味やき、ミンチ等で、僕にはタレも甘辛くていゝ。此の勘定が、千六百円は安い。ほろ酔、帰宿。床へ入り、アド三。一時すぎ、寝る。


五月十二日(月曜)曇

 六時二十分、小便に起きたついでに、手紙書きにかゝる。それから、発心して「手当り次第」にかゝり、九時迄かゝって書いてしまふ。ペラ九枚。今朝、KRプロデューサー金子三雄、四国へ行く途、来阪。大阪での「赤胴鈴之助」ヌキドリ、台本五冊持参。穂積純太郎よくぞ書いて呉れたり。これで助かる。十四日、NJBで録音。朝食、今朝は高野豆腐煮があってきげんよし。生卵かけて又三杯と行く。PH未だ微在。インシュリン打つ。十一時すぎ、出る。楽屋入り。今昼は、団体がいろ/\あるらしく、入りひどくいゝ。それに今昼は、記者招待の由。一が始まり、引込んで来ると、寝が足りないからトロ/\する。二、記者招待と思ふと、やりにくゝ、拘泥る。俺もまだ、こんなところがあるのか。一回了ると、客席ロビーで、新聞の連中と座談会があるとて呼ばれ、渡辺・八千草・青山も共々行く。新聞記者の一人、「あなたは変った」としきりに言ふ。以前、大劇へ来た時に会ったがとても怖かった、今はいゝ/\と言ふ。すべて年と貧から変ったのである。三四十分ゐて楽屋へ帰ると、保夫が、おばあちゃんよりの弁当を持って来てゐる。ところへ、宝塚映画へ来てる森繁から、朝日といふうちのビフテキと飯が届いてゐた。ビフテキは、保夫に食はせ、弁当を少々食ふ。夜の部、客席見て、びっくりの不入りなり。こりゃあ大変だといふ位ひどい、やっとれん。一は、もうこの回限り、全くこの愚かなる劇のために、何の位疲れたことか判らない。二は、入りがこんなゝので、せいがないが、やっぱりまだ涙が出る。ハネると、佐野一雄が待ってゝ、津田も共に出る。タクシー、北の新地のバー・アベーユへ。サントリーハイボール四五杯やり、佐野推賞のすしや、豊八へ。一寸見は気が利いてゐるが、いきなりをどりが「七八時には、もう売切れ」と言はれて、くさる。大阪へ来て、他に食ひたいすしはない。しようがないから、あかう鯛ってものをしきりに食った。こゝ迄が佐野の奢り。それから、サボンへ寄り、ハイボール二杯やり、宿へ帰ったのは、十二時すぎ。寝たのは一時か。アド三。


五月十五日(木曜)曇雨

 大酔でよく眠り、眼のさめたのは九時也。起きると又寒い。風呂は、やめる。PHなし。朝食、昨夜の分のビフテキ、そして阪急で買った煮豆を、大半食って皆をおどろかせる。生卵かけて三杯。インシュリン打つ。さあ、さうしたら、ひどい宿酔気分になり、おどろく。宿酔で食へないといふのなら判るが、さんざ食って宿酔になるといふのは判らんことなり。一時すぎ、出る。部屋に女アンマ二人、手や背腰を二人がけで揉む。まだ気分わるし、インシュリンのせゐか。昼の入り、よし。団体客多いのに、おとなしく見物し、よく泣く。「ずぼら亭」はやめてよかった。今迄二の出で手が来なかったのが、一に出ないと、手が来るやうになった。きつねうどん一つ食ふ。今夕刊二紙も好評。津田、今夕の汽車で帰京せり。あとは、西野一人。東京へ行ってた此処の支配人が[#「支配人が」は底本では「支配入が」]来て、七月は芸術座の菊田作品、「蟻の街のマリア」に僕を望んでゐるから、そのつもりでと言ふ。こゝの出来を見て、菊田そんな気になりしものか。夜の入り、やはり淋し。雨となり、ハネてから一人、南へタクシー、吉田バーへ。BWハイボール二、ポテトサラダうまし。ハマへ寄る、ハイボール、ビフテキをとりて食ふ。ハマのマゝが、ゲイバーへ連れて行く。二軒行ったが、つまらなかった。ハマのママ、ハマの勘定もとらず、ゲイバーも奢りなり。今夜も酔ひ、十二時半頃、アド三。


五月十八日(日曜)晴

 小便したくて起きる、まだ五時半。小便から戻ると寝られなくなり、「手当り次第」をペラ六枚書く。これで九時近くなる。又今日も寒し。風呂はやめて、朝食。PH消えたり。牛肉の叉焼みたいなもの、生卵で三杯食ふ。一時すぎに出る。楽屋入り。昼の部、客よし。中村芳子が、一の自分の出しものに気を入れ、「道修町」つきあひの方は投げて、嫌な奴だ。昼の了り、佐野一雄とアベールのマゝと来り、タクシー、毎日会館へ。地下の善よしずしへ入り、をどり、鯛、しまあぢ、卵、さよりなんぞ食ふ。先っき、トニーより連絡、今夜ハネ後神戸へ行くので、そのやうな腹具合にしておく。六時半、楽屋へ戻る。又、夕刊二三に好評。夜の部も、客よく入り、よく受ける。こっちも、まだ涙演。中村芳子、ひとのセリフ食って平気でゐる、許しがたし。了ると、川上正夫と阪急へ歩き、十時の特急に間に合ふ。三ノ宮迄二十八分、全く速し。平和楼へ。トニーと蒋さんと、十時半と約したのに、まだゐない。腹ペコで待ってゐられない。先きに、餃子でも食ひながら飲むからと言ひ、サントリータンサン。料理は命じてあったらしく、魚翅が来た。見た目も少し怪しかったが、一口やると、まるで以前とは違ふ味になってしまった。こりゃあ、わざ/″\神戸迄来るだけのものはない。次に出たのも皆不味。主人が料理してゐないこと歴然、餃子が一等よかった位のもの。トニー夫妻と蒋さんの来たのは十一時すぎ、平和楼を出て、あゝ不味かった。もう来ないぞ。蒋さんがちっとも顔を見せないと思ったら、何か家庭にもめ事あり、好きな競馬へも行かない程の目に遭ってゐると不景気な話をきいて、パッとしない。蒋さん経営のコーヒー店へ寄り、ジュースとパイを食ふ。その近くのバアへ入る。そのパールとかいふバア、女も皆ひどく、悉くつまらない。ハイボール何杯か飲んだのだが、全く気分出ず、トニーも細君連れでは発しないし、蒋さんもはしゃがない。十二時すぎ、もう嫌になり、タクシーを拾って、大阪へ帰る。あゝつまらなかった/\、何のために神戸迄行ったのか、もう神戸には未練なし。喜多八迄帰り、料金千七百円は、又つまらない。一時半、宿の冷蔵庫に入ってたメロンを食ひ、アド三。寝ついたのが、三時頃。


五月二十日(火曜)晴

 よく寝られて、起きる気になったのは、何と十二時半。してみるとアドルムも一つでいゝ、疲れてゐれば、よく寝られるものらしい。今夜から二つ位にしよう。PHなし、声が少しいかん。下痢は、もう止った。朝食は、生卵をやめて、煎り卵、飯も一杯半。楽屋入り、一回目の入り、満員。毎日団体が多し。了ると、こまうどん一、サンドウィッチ少々。保夫、今日宝塚へ行き、その結果報告。何と、もう入社決定らしく、明日より毎日通へと言はれた由、高井所長より、引田社長他大勢に紹介され、写真も撮られたとのこと。定期券を求めるので、その金を渡す。六月に入ったら何かの役で使ふとか、やっぱり俳優部らしい。そこへ、亀井おばあちゃんも来り、あゝこれも神様のおかげ、親の光は七光りと、喜ぶ。「道修町」ヒットのおかげもあるかも知れない。こっちで芝居してる最中だから、こんなにトン/\と行ったのかも判らん。夜、入りは、昼の半分位になりたよりないが、芝居には身を入れる。俺の役者気は、形を変へて戻って来たやうだ。了ると、読売出版局支局長と、朝野と二人待ち、招待にて、北の、カボといふ妙な名の料理旅館へ。まん中にお狩場焼の鍋。支部長と「手当り次第」のはなし、サントリー角、タンサン。お狩場焼は、鴨、とり、ビーフの他に、魚貝もあり、バタで炒める。あんまりうまくはないが、安心な食ひもの。快酔一時近く迄、タクシー帰宿。今夜はアド二にしてみる。
[#改段]




昭和三十三年六月






六月一日(日曜)晴

 梅田コマスタヂアム千秋楽。
 九時に女中起しに来る、今朝、OS劇場のシネラマを見るので。PHなく、気分も爽快。十時近く、OSへ歩く。シネラマ「世界の楽園」の初日、いゝ席で見たが、そのつまらなさに呆れた。くさりつゝ宿へ帰り、十二時すぎ風呂へ入り、朝食、牛肉煮、生卵二、飯も二。一時すぎ楽屋入り。今日の昼の部「道修町」OTV中継(東京のNTVも)で、ちゃんとやる。入りも頗るよし。緊張して涙演。昼了り、おばあちゃん持参のちらし、フロインドリーブのパンに、ペースト、ポタージュとりて食ふ。夜の部は、皆が笑はせるだらうと期待してるので、めちゃ/\に笑はせてやらうかと思ったが、かういふものはさうもならず、大詰の場で、ちとふざけたきり。緞帳が下りると、社長と支配人が舞台へ来り、久しぶりで僕が音頭とって、シャン/\/\としめる。よく入ったといふこと(約二百万位とか儲りしとのことなり)、大入りでも出るかなと思ってゐたが、そんな気配もなかった。先づは、二十五日間、五十回といふ芝居が了った。ハネて、見物の、松林監督・矢野口チョロやんと共に、千秋楽の酒汲み交さんと、タクシー南へ。宗右衛門町の一寸変った店、恵方といふのへ行く。民芸的建物で、昔の女郎屋のやうなところ。サントリー(丸)とタンサン、鯛のつくり、天ぷら、かしはバタやき等一つ宛とってみる。安くないから、こゝで満腹するのは無理だ。みんな、いゝ味。こゝの払ひ、三千五百円也。これは近頃の散財。ハマへ寄り、又ハイボール。まだ何か食ひたい。すしがいゝんだが、日曜と来ては無い。但し、下品なところでよければ――とママが案内したのは、黒門のすし平といふ半分屋台みたいな店。をどりを食ふ。ピチ/\と尻尾がハネてゐる、但し、にぎりがグシャ/″\だ。をどりのみ七つか八つ食ふ。松林・矢野口は宝塚へ戻り、僕、一時半頃か、宿へ帰り、インシュリン打ち、アドは二にして就床。


六月三日(火曜)晴

 帰京。
 十時すぎ、津田に起される。PH完全になし。朝食、ハム入りの煎り卵、生卵かけて二杯。今回、楽屋へ届いたウイスキー、十本あり、これが荷物。然し、こんなことは、舞台でなくてはないことなり。宿の勘定その他(宿は引雑用の千五百円では不足、こんな部屋でも千八百円で、三百円の足し前)で随分知らず/″\に金が出てゐるが、毎夜スポムサーが附いたので今回は大助かりだった。十二時、タクシー、梅田駅へ。ハト、十二時半発。特二の席が、窓ぎわでないのでくさった。窓ぎわと隣りとでは大きな違ひだ。休まらないし、人々が通る度に身をちゞめねばならぬし、同じ値段でこんなにヒラキがあっては敵はない。東靖夫が、京都迄行くからとて、食堂に乗ったので行く。食堂では、ポタージュ(たゞ辛い)とロール。席へ戻ると、この暑いのに窓を閉めちまひ、扇風機が廻ってゐる。すべて間違ってゐる。青江徹「興行師」を読み出す。名古屋で五分停車といふから、空気を吸はうとホームへ下りたら、若乃花が、二三人の角力と共に歩いて来た。お互ひに知り合ひではないのに、思はず、やあ、と笑ってしまった。四時少し前、又食ひたくなって、食堂へ。ビフテキ定食を命じると、ポタージュ、先っきのと同じ、たゞ辛し。ビフテキは、大きくて肉もいゝ。冷コーヒー。五時半、「興行師」読了。林逸郎「魚のさかな」にかゝる。通路を距てた隣りの男、特二の席に備附のアルミの食卓を、使用したまゝ放ってあるのが、震動と共に、カタッカタッと鳴りつゞける。それが気になり、読書も気が散る。さて、もう直き東京。下りたら、トタンに、東京が始まるぞ。東京駅、八時半。迎へは西野のみ。駅から、ラヂオ東京へ。「赤胴鈴之助」の録音のため。然し、穂積には重々感謝すべきなり、この仕事のため何の位助かるか判りはしない。本版三本、了ったのは十一時すぎ。送り車で帰宅、十二時近し。わが部屋の畳が新しくなってゐる。亭主と畳は新しいのがよからん。サントリー丸ビン、タンサン。ジャーマンベーカリーの、ライブレッドサンドウィッチを肴に、一人ほろ酔ふ。明日、富士映画撮影あり。その前、九時半より新東宝本社で「新日本珍道中」の試写、これは近江への義理で見なくてはなるまい。アド二服み、一時半すぎ、就床。


六月四日(水曜)曇雨

 富士映画「ぼん/″\罷り通る」セット入り。
 八時前に眼が覚める、もう起きてしまはう。PHなし。風呂は、今夕あたり入りたい。朝食ぬき。支度して待てど、津田来らず、いら/\が始まる。十五分頃、漸く来、これでは試写の九時半には間に合はない。津田もよく働くが、時間の点では全く信頼出来ない。悲しき日本人の癖か。八重洲口、新東宝試写室着は、九時四十五分。既に始まってゐた。いゝあんばいに、わが出演のところは間に合ったが、唖は唖でもつまらない唖で、サッパリ笑ひもとれず、お茶濁しを画に描いたやうなもの。アアアといふ唖の発する声は、高島忠夫が、アフレコで代役して呉れた由。「新日本珍道中」は、割に面白く、カラーも美しい。了ると、近江俊郎の車で銀座へ。並木通り近くの、納言といふお茶漬屋へ入る。メニュー見ると、朝飯百円てのがあり、それにする。みそ汁、生卵、海苔に、干もの、小丼に飯一杯。もう少し何か食ひたい。メニュー見て、卵雑煮一。これはいけました。近江の車で、目黒富士映画へ。一時の筈が、由利徹の身体待ちで、二時すぎセット入り。坊ちゃんシリーズの一、「ぼんぼん罷り通る」。シナリオ、今、部屋で読んだのだが、ひどさもひどいチョイ役。二三日で了りさうだから、これもいゝが。近江の口ぐせで言へば、セコい/\。由利徹と噛み合ふのだが、彼又アドリブのデタラメを言ふ。我は本来の行き方をしたら、近江が、もっと笑はせてくれと注文する、弱る。由利・高倉みゆき・花岡菊子等との件、四時すぎ了る。まっすぐ、タクシー帰宅。風呂へ入る。汗だらけの毎日、何日か入ってゐず、気持よし。六時半、チキンカツ、ぶりの煮附にて、飯を二杯半と食った。「手当り次第」を書き出し、十一時すぎ迄かゝって、ペラ九枚了。今度あたりから調子が出て来たやうな気がする。此の間、大阪の読売出版支局長が、小西節があるやうに、ロッパ節を出して下さいと言ったが。十一時半、アド三服む。雑誌見つゝ眠くなるのを待つ。


六月六日(金曜)晴

「ぼん/″\罷り通る」了。
 NHKラヂオ寄席録音。
 八時半に起されたが、起きられず、九時すぎ漸く起きる。PHなし。朝食、のり巻めし、みそ汁。九時四十五分出て、富士映画へ、タクシー。婚礼のシーンで、紋附袴。セット暑し。十二時に了る。と、快晴だから、これから、田園調布のロケもやってしまはう、十二時半出発だと言ふ。部屋で、あんかけをとりて食ひ、田園調布へ出発。外人の邸の門を背景に、三組の婚礼のシーン。バスが行くのを追っかける、ラストシーン。これはコマ落しだから、ゆっくりでいゝと言はれ、安心して、ヨタ/\と駈け出す。富士映画へ戻り、すぐNHKへ向ふ。有がたいことには、「ぼん/″\罷り通る」の僕の出場は、これでもう終ったのである。NHKは、「ラヂオ寄席」の、わが声帯模写の録音。正岡容がゐて久しぶりで話す。「声帯模写自叙伝」といふタイトルにして、十五分間。かなりおざっぱいであったが、客は年配者多く、スタヂオ受けはよかった。NHKにゐる間に、伊藤基彦から電話。国光映画といふのから人が来り、教育映画の如き短篇「楽しきかな人生」といふのへ出演の話が来た。伊豆長岡ロケで、一週間ばかりで了るとのこと。喜劇まつりの稽古が、まるで出来ないことになるが、この際だ、受けちまへ。OKした。NHK了りて出る、五時頃。時間があるから、ニュー東宝の「バラの肌着」を見に入る。七時近くKRへ。名古屋公録の立ち稽古のため。スタヂオ内で、九時すぎ迄。穂積純太郎と、今日、筈見恒夫死亡のニュースが入ったので、これからくやみに行かうと、タクシー、田園調布へ。交番できいて、筈見邸へ。穂積とも話し合ひ、今夜は香典も持たず、弔問のみ。筈見の霊前に合掌して、待たしといたタクシーで、えびすへ。ボンの、うまいものが食ひたくなったので。ボン、他に客なくのんびりしてゝよかった。サントリー、ハイボール。食ひものも同じにして、ビーフ・ストロガノフ、穂積うまい/\と喜ぶ。次に、チキン・ドリア。ハイボール五杯にして、やめる。金がないから借にして、タクシー帰宅。十二時半か。アド三。


六月八日(日曜)雨曇雨

「赤胴鈴之助」名古屋公録。
 名古屋駅前、香取旅館第一朝。九時半迄、雨音きゝつゝ半眠をつゞけた。PH見ず。寒いよ、今日は。朝食、八丁みその汁をたっぷりとたのんだのが、お代りは、木の容器に入れて来たから、ぬるくて不味し、生卵二、飯も二杯。雨はまだ降ってゐるが、稍々小降りになり、会場には客が何百か来てゐるから、兎に角行くといふことになった。坊さんの衣裳着て、玄関を出かゝると、丁度そこへ、「東京からお電話」と来た。丸尾長顕から。此の間からの、喜劇まつりと芸術座のダブリの件。エノケンの意見としては、菊田がさう言ふのなら、ロッパは、ゲスト的に出しては如何などゝ言ってゐる。で、今日中には、喜劇まつりを下りるか、ダブルキャストにするか、尻のダブる三日間を代役にするか定めたいと言ふ。僕は、何うでもいゝといふ気になってゐるので、丸尾に任せると言った。同じ東宝内で、こんなことがあるのは、何うかしてゐる。タクシーで小雨の中を、東山公園へ。天、日水(日本水産)スポムサーに恵みをたまひしか、雨は殆んどあがりて、曇り空。「赤胴」の人気か、傘さした客何百かゐる。十一時すぎより、「赤胴鈴之助」公開録音始まる。わが役、雲竜和尚、名古屋地区にはまだ出てゐないので、たよりない反響。一回了り、弁当に出た、のり巻とおいなりさんと、茹で卵一。控へ室で、子供らも若い奴らも全然、無礼、ひとの前に立ちはだかることも平気である。礼儀といふもの全く知らないのだから可哀さうな野蕃人どもである。かくて二回了り、金子三雄が出演者一同を並べておいて紹介をする。了りてタクシーで、香取へ帰る。やんでゐた雨が、又その頃から降り出したのだから、日水はツイてゐる。五時半、大広間へ集合と言って来た。日水の社員が揃って、慰労の宴。迷惑だが、辛抱強くなった僕、ずっとつきあった。但し、飲まず。サントリー、ポケットが出てたが、これはあとで飲むよと貰ってしまふ。香取の料理、駅前にしては高級。卵と鶏肉のすり身の豆腐、白い魚の刺身、野菜煮他、日本食は腹が張らなくていゝ。六時半頃から、部屋に雀卓来り、山東昭子ママ・穂積・津田で、千百の雀。九時半、(+2000)を以て了る。この際(ふところには、五六千円しかなし)勝つのは有がたい。了って、八百文へ出かける。サントリーポケット持参、水割。津田と二人だったが、電話して、穂積来り、まあこゝのタンシチュウを食ってみろとすゝめる。僕、タンシチュウ一つ平げ、ドビグラスのうまさにたんのうし、お代りを命じたところだった。穂積、これを一口食ふや、うまい、うまいと言ひ、お代りと言ふ。僕、タンシチュウ二の後、赤だしとオムライスと命じる。オムライスの姿を見ておどろく、日本最大のオムライス。もう見たゞけで、げんなり。少し食って津田に廻す。雨しきりなり。十二時、香取へ戻り、インシュリン打、アド三服み、就床。


六月九日(月曜)晴

 帰京。
 香取旅館、第二朝。まるで明るくなり、七時頃から眼はさめてゐた。八時半、起きる。PHなし。朝食、今朝は、みそ汁を鍋で持って来させたが、やっぱり、みそが不味し。今回はいゝ八丁みそに逢へなかった。支度し、別勘定を払ってしまふと、もう四千円しか残ってゐない。こはやのこはやの。九時二十分頃、駅へ歩く。十時五十分発、西海、特二に乗る。まるで空いてゝ、四人分のところへ一人といふ感じ。吉田健一「味鼓ところ/″\」読み出す。静岡で、特製弁当(百五十円)を求め、食ふ。これは、まづ成功。三時四十何分、東京駅。タクシー日劇へ。日劇の支配人室に、長谷川重四郎・丸尾とゐて、話をきく。菊田から、ロッパは日劇からおろせと言って来たが、今日、長谷川と菊田会見、ロッパは一週間だけ日劇へ出て、二週目は下りることに定めた、と言ふのだ。ま、そこいらが、落ちつきどこだと思ってゐた。丸尾の曰く、菊田のとこへ礼に寄って来い、と。何の礼だか判らないが、それとは別に、大阪の礼が言ひたくて東宝本社へ歩く。八階、重役室、菊田ニコ/\顔で迎へる。こんなことは何年ぶりかである。大阪の報告。今回のことは、一寸触れたゞけ。で、タクシー帰宅。風呂沸いてゝ入る。七時半頃、食事。飲まない夕食のはかなさ。野菜天ぷら、ビフテキで、飯を一杯半食って、アートのフランスパンを食ひ、ういらうを食ふ。十時半頃、女房にインシュリン打たしむ。夜に入りてPH少し怪し。タバコ一吸毎に咳。アド三服みて消燈。


六月十一日(水曜)曇後雨

「楽しきかな人生」伊豆長岡ロケ。
 ふと気がつくと、眠ってゐる。二等の席に、あぐらをかいてる恰好で、苦しき眠り。湯河原で眼が覚めたのだから、一時間半位寝たかな。PH少し怪し。三島着、七時何十分。改札口に国光映画の人出迎へ。早朝は晴れてゐたのに、今やガス多き曇天。おなじみ、長岡の柳屋旅館へ、スタッフは、現場待機中。部屋も、此の間泊った、二階のなじみの部屋へ通される。兎に角、腹が減ってゐる。朝食を急がせる。三人揃って朝食。生卵一、かまぼこ、卵やきで飯二杯。此の「楽しきかな人生」、昨夜はじめてシナリオを読んだが、川内康範の作は、まあいゝ方だが、出づっぱりなので、短期間に撮れるものか心配。十二時頃、眠いが、今寝るわけにも行くまい。雨パラ/\降り出した。おや/\と思ってるところへ、出発と言って来る。衣裳の背広着て、バスに乗る。キャストも知らずに来たのだが、鶴丸睦彦・久野四郎なんてのがゐて、やあ/\。あんまりいゝとこは出ない、安いから当然なり。バスで、何とかいふお寺の前に着き、待機。バスの中へ、ロケ弁が届く。善よしの弁当。それを大半食った。バスの中で、鬘をつける。雨いよ/\本降りとなる。流石にあきらめたらしく、それでも中止とは言はず、宿で待機と言ふ。雨の中を、宿へ帰る。漸く小風呂が出来たと言ふので、ぬるくして入る。風呂番め、僕が入ってる間に、小風呂の扉に、「古川様専用」と貼り札をしちまやがった。これぢゃあ、なんぼか弾まにゃなるまい。夕食迄、雀かな。役者、製作部のWとA他、みんなわりに感じもよし、雀もうまい。小園容子といふのも来たが、皆早摸の癖ある他はよし。七時近く迄で三回。こんな時は又滅法強くて、結局五万も勝つ。が、これはその儘。夕食七時すぎ。持参のサントリー角を開け、ウィルキンソン、タンサン取り、氷。此の宿の食事、頗るうまし。豚汁、冷さうめんに卵豆腐、魚フライ、食へないのは、山かけのみ。インシュリンを打たせ、アド三。床に就きしは、十時。雨の音まだしきりなり。


六月十四日(土曜)曇

 ひどく短い眠りだったやうな気がする、六時である。あゝ殺生だ、もう少し寝たい。風呂へ入り、PHなし。朝食、さや豆煮と、豆腐と青葱のみそ汁、生卵二の他は、何もない感じ。七時には玄関へ。バス来り、出発。今日も薄曇り、晴れる気配もなし。先づ、田舎道で牛車に乗り、村へ着くファーストシーン。牛が言ふこときかず、弱る。バス移動。車中、欠伸連発。田圃道で、オート三輪を押す件が済み、バスは三島へ移動。ロケ弁が配られると、たちまち食ふ。三島は、農協の事務所。ライト用意出来て、始まる。一カット毎に、汗、暑さに参る。此のシーン、アガリ。早速又、熱海峠へ。バスは、子供満載、我はタクシー。熱海峠で、子供らに見送られて、わが役、又々牛車に乗りて、さらば/″\といふところ。こゝはブヨの名所で、左の手首をやられ、かゆくて/\参る。六時すぎの薄い陽で、ラストシーンを了る。タクシーで、長岡へ。何と、こんなことで、ロケーションの予定は全部了った。皆は、帰されるらしいが、自前でもいゝ、こっちは泊ってよく寝るぞ。津田より電話、明日の連合スタヂオ入りは一時となったので、十時半に東京へ帰り、日劇の喜劇まつりの稽古に顔出しすることゝなる。八時、あれよ、PHの少々鮮かなのあり、すべてこれ風呂に関係あるか。九時前、西野とサシで食事。白身の刺身、冷茶わんむし(これは洒落れてゐる)、メンチボール。その他に、此の宿の板前を喜ばせるべく、天ぷらと、ポテトサラダの附いたものと注文したのが来る。海老天ぷらの他、ビフテキめいたもの、ポテトサラダがいゝ。サントリーの中ビンを買はせ、半分位しか飲まず、西野に半分。かくて、十一時すぎ、インシュリン打たせ、アドも今夜は四にする。


六月十五日(日曜)晴

 帰京。
 早いなあ、七時起き。入浴、PH少々見る。風呂とPHは、何う考へても関係がある。朝食、ハムエグス、あいにく、みそ汁は三ツ葉。飯、生卵かけて、やはり三杯食った。宿の別勘定を済ませ、八時、タクシー来、長岡駅迄。いでゆ号、東京へ直行、こんな便利なものを今迄知らなかった。二等は、ガラ/″\。十時半、東京駅着。その足で、日劇三階稽古場へ。喜劇まつり(明後日初日)の稽古。エノケン・金語楼もゐて、僕の出る二景・九景だけ先きにやって呉れる。十二時すぎ迄これをやり、タクシー、船橋の連合映画スタヂオへ。「たのしきかな人生」のセット入りだ。支度して、セットへ。今夜は、徹夜らしい。納屋のシーンを六時迄にアゲて、十時迄休み。筑紫あけみが、TVに出るので、そのテッパリのためなのだ。馬鹿々々しい。六時迄押して、納屋は、殆んど了った。さて、この四時間を如何せん。「手当り次第」のために、何か一本見よう。タクシー、渋谷パンテオン迄。「0番号の家」見物。ジャック・パランスの二役。出ると、津田とえびすのボンへ。先づ、ポタージュに生卵を落したもの(これは、不傑作)、あとは、鶏と牛肉を刻み込んだドリア、それから、デザートにプラム・プディングが出たのを二人前食ったら、大てい満腹した。タクシー拾って、連合へ戻る。十時。十二時すぎ、セット入り。国光映画としても、徹夜ともなれば、テトラ牛乳とハムサンドウィッチが出る。スタッフも居眠り続出、能率は落ちて来る。小林重四郎との件、コクリ/\やりながら、やる。咳よく出る、タバコも吸ひ通し。このシーン了り、二三時間は休むと言ふ。連合の事務所のソファに横になり、アイシェードかけて、眠らうと努力する。


六月十六日(月曜)晴

 駄目だ、いざ眠らうとすると、何うしても寝られない。あきらめて、起きてしまふ。始まれば二シーンだから、大しておそくはなるまい、と言っても夕方かな。もう九時頃かな、連合の食堂へ入る。こゝはひどい、ポタージュとると、塩辛くて海水の如し、こんなもの食へるかと代へさせる。生揚げの焼いたの、豆腐の粉々になった味噌汁、海苔(変色して、にほひなどなし)、生卵かけて丼めし。飯がパラ/\で、すべてひどし。十時頃、別のセットで、石原慎太郎が監督してるところを見学する。スマートで中々立派。こっちもセット入りとなったのだが、僕の出てゐないシーンの方を先きに始めちまった。これもTVとテッパリの役者がゐる関係らしい、腹立つ。午後になっても、他のシーンを押してゐる。こっちは、待つのみ。二時すぎると、もう「いなして貰ひまっさ」と言ひたくなる。日劇の方は稽古をしてゐて、すぐ来いと北村武夫から電話しきり、津田が、しまひには怒鳴ってゐる。北村武夫段々ヒステリックになり、俺が行かなくては、エノケンが帰ると言ってるからとおどかす。おどかされても、何うにもならず、今は喧嘩をする時ではない、だまってきいとけと、津田に言ふ。然し、この横暴忘るべからず。五時近くだったらう、セットに入ったのは。一シーン一カットで通すことになり、もう監督もバテゝしまひ、スタッフもノビてゐる。こっちで気合をかけるやうにして、一シーン宛片付ける。かくて、六時すぎにはセットを了る。これで、アフレコを残して此の映画全部了った。日劇の方も、もう稽古は了ったらしく、行かなくてもいゝことになったので、タクシー拾はせて、帰宅。先づ入浴。夕食、かれひ煮、ロールキャベツ、ビーフ焼、サントリー丸ビン、タンサン。九時近く床に就く。今日、我稽古に顔出さなかったから、明日の日劇舞台稽古は、午前六時半からだと言ふ、馬鹿にしてやがる。明晩はKRで半徹夜になるらしい、遮莫、遮莫。夜に入りて、PH強きを見る。こんなに身体を酷使しては、無理もなし。今日、KRTVにて、東芝の舞台中継の時間の投票、「道修町」が一等に当選したといふニュース、洋子よりきく。アド三。インシュリン打つ。


六月十七日(火曜)晴

 日劇喜劇人まつり初日。
 五時半といふ時間に起される。PHあり。今朝もまだ寒い、ズボン下はく。朝食はヌキ。六時すぎ、タクシーで、日劇へ。六時半日劇。まだ、エノケンも金語楼も来てはゐない。昨日欠席の埋め合せに、せっせとかほして、衣裳も附ける。殿様のまっ白ぬり、手や首は、シッカロールをふんだんにつける。部屋は、地下一階の一号室、一人部屋、こゝは、はじめてなり。今迄日劇へ出る時は、地下二階の一号と定ってゐた。こゝの空気の悪さは、一と通りや二タ通りではない。七時すぎ、舞台稽古始まる。いゝ加減なもの、ひどい脚本。二景と九景、フィナレと、それだけしか出てゐないんだから気は楽。九景はプロムプターの入る場所あり。二景だけ覚えればいゝ。舞台稽古了って十二時。今日はアトラクション二回、二時半からが一回目。出て、プルニエへ歩く。チキンクリームかトマトクリームが欲しかったのに、カレーしかないと言ふから妥協した。カレーのポタージュなるもの、カレーの味で他の味がとんでしまひ、不味し。フィレソール・ボンファム、これは、此の店独特である。モンブラン買ひたくて、伊東屋へタクシー。いゝのが沢山あり、最高一万五千円なり。然し、俺の望みのBは全然なし。結局、モンブラン、細字用のKEF、九千八百円といふのを一本、太字用としては、国産イトーヤ、二千円を一本。これらの買もの包を持ち、子供のやうに喜びつゝ空気なき部屋へ戻る。二時半、一回目「八五郎罷り通る」の幕開く。映画は、森繁の「暖簾」であるが、それが当ってるのか、よく入り、立ち多き満員。まるで俺は楽なもの。セリフは、いゝ加減。白塗りが手間どるだけ。「今回は若さと美貌だ」と言ってやる。今日は、ゲスト、徳川夢声。一回了り、あたかもよし、すし久来り、あなご、卵、胡瓜巻、いか等十個位食ふ。そのあと、伍一(今回は、アンマの役で出演してゐる)を呼んで、指圧させる。六時何分、二回目。客稍々落ちる。セリフがいゝ加減なのは僕ばかりではない、エノケンはじめ、みんなめちゃくちゃを喋る。八時には了り、これよりKR。日劇出ると雨しきりなり。濡れながら、KRへ歩く。スタヂオ入りは九時半。了ると、十二時半頃か。すぐ寝られゝば帰りたいところだが、やはり一杯やらねばならない。タクシー、渋谷とん平。サントリー、タンサン。枝豆、冷奴、とんかつ。帰宅、二時近くだったらう、アド三の眠り。


六月二十一日(土曜)晴

 九時半起き。PH殆んどなし。暑し。朝食、トースト、シチュウスープ、オムレツ。十時半、タクシー出る。日劇のまはり行列、一回目が貸切りのせゐで、此の現象なり。然し二回目あたりも立ってるし、此の公演は当りらしい。部屋の暑さは地獄なり。一回了り、石田守衛来り、共に出る。タクシー、維新号へ。冷房利いてゝよし。肉まん、胡麻まん各一個、胡麻まんよし。肉まんにつけるソースを持って来たのが、トンカツソース。何といふ間違ったことをするのだ。醤油をとって、食ふ。焼売一人前。味すべてよく、点心の店として、こゝはよし。歩いて日劇へ戻る。二回目、もり上るほど入ってゐる。喜劇まつりは当りである。三回目、ゲストとして、伴淳三郎出る。客ワッと喜ぶ。ヘンなものが人気者になりたり。了ると、根岸が誘ひをかけて来たから、タクシー、ブラザーへ。こゝなら安心、サントリーハイボール、そして、タンシチュウから、メキシコサラダと行く。ブラザーのすぐ前に、青山京子の店が開店したばかり、そこへ寄る。花環も贈ってあるから今夜は無料かな。スタンドの方で、BWのハイボール二。果して、青山がゐて「今日は、いりません」で、無料。店の名が、やゝこしい、エルグロット。タクシー帰宅、十一時。アド三。


六月二十三日(月曜)晴

 喜劇まつり個人的千秋楽。
 九時起き、もはや暑い。夜半に、ものすごく咳が出たと思ったら、少々調子やってしまった。PHは、殆んどなし。朝食、しゞみ汁、ハムバーグとジャガいも、飯一杯。今日は、十時五十五分に開くので、十時十分前と津田に言ってあるのに来ない。玄関を出て、うろ/\する。十時十分、もはやトチる、車拾はせて、一人出る。日劇へ、開演十五分前に着く。大急ぎで、かほ。津田来り、何うも――と、淡り謝るのみ。一回目、もはや貸切ではないのに、よく入ってゐる。今日で、僕は脱ける。すなはち、個人的千秋楽だ。僕のあとの殿様の役は、清水金一が代る。二回目も、入り益々よし。了ると、根岸と二人、ジャーマンベーカリー。ジャーマンスープ、常によし。メニュウに、ポット・ローストビーフに、パンケーキといふのがあり、それにする。ローストビーフと言ったって、ソップがらみたいなビーフに、グレヴィのかゝった奴、パンケーキにちょっぴりアップル・ソースといふわけの判らないもの。これを食って、楽屋へ戻る。あゝ暑い、苦しい、が、もうこれ一回だ。日劇は気候のいゝ時でなくちゃ出られない。了り、エノケンと金語楼の部屋へ挨拶に行き、これで済んだ。今日これより、芸術座の立稽古、もう先っきから矢の催促。休む間もなく、旧本社へ。五階稽古場。「蟻の街のマリア」第一幕一場を立ってゐる。といふと脚本出来てるみたいだが、菊田一夫例によって、今やる一幕一場しか出来てゐず、これから毎日少しづゝ出来て来るらしいのだ。菊田は、家で書いてるんで欠席、何とかいふ若いのが演出。着くなり、すぐ立ち。又一回やり、了る。了ると、スティルの谷やんが待ってたので、津田とで、タクシー、ブラザーへ。サントリーハイボール、今夜は六杯か。メキシコサラダとタンシチュウ。タクシー帰宅、十一時頃か。床へ入り、よく寝たくて、アド四。


六月二十七日(金曜)晴

 芸術座舞台稽古。
 三時頃寝て、八時起きは辛い。今日も朝から暑し。PH、多少見る。朝食、アートのパン、シチュウスープ。九時に出る。タクシー、芸術座へ。舞台稽古、二幕目の建築場から始める。大詰迄、三幕目のプリント着。心配してゐた通り、これが全然つまらない。辷り出しがいゝのに、菊田バテたのか、ひどく粗雑なもの。一読くさる。皆も、がっかりする。昼すぎ休憩となり、今夜も徹夜だなんて言ってるから、栄養をとるべく、一人、ホテルのグリルへ。トマトクリームスープ、こゝのは濃厚だが、まるでトマトジュースを温めたやうで、クリームスープの味はない。コールド・ロブスター、伊勢海老の半身が五百円、高いな。これでは腹張らず、今日のスペシアルの中、ボイルドビーフ、ブリスケット。これは、ボイルドディナーのやうなもので、つまらない味。オレンヂ・シャーベット。これで飲食税が入って、千三百九十二円也。馬鹿々々しい。座へ戻り、三幕目の読み合せ、つく/″\つまらない。この芝居がよければ、俺は又グッと株が上ると思ってゐたのに、こんなことではと、くさる。すぐ舞台で立つ。やり乍ら、これぢゃあ入りもよくなからうと、くさる。五時、又休憩。ダレて、欠伸出るばかり。津田が、九時近くに、一寸抜け出しませうと言ひ、NHK迄タクシー。第一スタヂオで、「夢を呼ぶ歌」の歌だけ録音に行く。「君よ知るや南の国」、メロディーも半分知ってるから、すぐその場で歌詞をうつし、オーケストラで歌ふ。すぐ又タクシー、座へ戻る。こんなひどい脚本書いときながら、菊田一夫あらはれ、稽古を見てゐる。かくて大詰迄、今夜は十一時半すぎに了る。明朝十時に又稽古して、四時が初日の開演なり。タクシー帰宅、十二時半。床に入り、日記。どんなにおそくならうとも、これだけはやりたいんだ、俺は。さて、一時半だ。セリフをやり出して、大半入ったので、アド三服み、眠ったのは三時か。


六月二十八日(土曜)晴

 芸術座「蟻の街のマリア」初日。
 三時すぎに眠り、九時に起される。此のところ、ずっと寝不足。PHを見る。朝食の暇なし。九時半出る、タクシー、芸術座へ。部屋で一休み、十時半頃より舞台稽古、序幕から。昼休み三十分、東宝劇場地下の宮川のうなぎをとる。きも吸附きの二百五十円なり。二幕目に入る、眠気がさし、ダレる。脚本が、この辺りからつまらないからである。三時半に大詰迄済む。四時開演だから、一休みの暇もなし。然し、これはシリアスドラマだ、初日の開く気分は悪くない。入りが心配だ。二十八日初日ってのも不利だし、何うも自信なし。序幕が開く。客席を見てがっかり、まるで舞台稽古。戦慄的だ。これでは、とくさったが、芝居はちゃんとやれて、セリフも大体トン/\運ぶ。大詰の前で、笑はせるやうに書いてあるのを、泣き声でやってみたら、涙も出て、面白く行った(あとできいたら、菊田一夫見物し、大いに泣いてゐた由)。「道修町」以来、妙に催涙術を会得し、涙が出るのは不思議である。了ったのは、何と、七時二十分。こりゃあ、面喰った早さである。今夜は初日のことだ、上山雅輔が来たのを誘ひ、ブラザー軒へ行く。サントリーハイボール。タンシチュウから始めて、豚カツを食ふ。二日間飲んでないから酔ひは速し、タクシー帰宅、まだ十時か。アド三服み、今夜は、たっぷり眠らん。


六月二十九日(日曜)晴

 九時起き、今日二日目はマチネーだ。PH微弱。朝食、にぎりめし少々食ひ、十時出る。タクシー、芸術座。前のスカラ座は、映画「芽ばえ」大当り、長蛇の列。街上のスピーカー、「こちらは芸術座でございます、よいお席がございます」といふアナウンスメントがきこえる、不景気だ。十一時開演、客、チラホラ。五分か。然し、この芝居気に入った、やっぱり菊田の巧みさがある。これは、毎日たのしみだ、たゞ客さえ来て呉れゝば、もっといゝんだが。昼の終り、滝さん一行来り、みんなに、うなぎを取って呉れた。話してる間に、もう夜の部。四時開き、又々入りはひどい。五分強ぐらゐであらうか。涙よく出る、幕切は拍手さかん。又ぞろハネは早し、七時十五分。タクシー、レスアマへ。カウンター席に里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)先生在り、嬉しくなり、サントリーハイボール飲みつゝ、大いに語る。和服で角帯、小さな身体だが、七十とは思へない元気。酒もよく飲み、心強いことは、大いに食って居られたこと。こゝの料理ぢゃあお気の毒。話は、文学となっても、谷崎先生のやうにごきげん悪くならず。先生は、まだ新仮名に直させたことなしとのはなし、心強きことなり。次の土曜日に、うちのマチネーを見て下さい、切符取りますと約束。僕は、チーズトースト、コールドコンソメ、ピロシキー一、タンシチュウ・マッシュドポテト添。十時半すぎ、タクシー帰宅。帰るとすぐ、アド三服み、蚊帳へ入る。
[#改段]




昭和三十三年七月






七月二日(水曜)曇雨

 涼しくて、十時半迄寝られた。PHなし、咳はよくする。禁煙はとても駄目故、節煙を思ふことしきり。朝食、アートのパン、煎り卵。「手当り次第」ペラ九枚書く。二時、タクシー拾はせる。日比谷映画劇場へ。タクシーの運ちゃん、やせましたねえとか、何年も映画へ出ませんねえとか言って、くさらせる。悪気はないのに、思ったことをズバ/″\言ふ奴には敵はない。日比谷は、バルドオの「月夜の宝石」、無料で入り、しまひ迄見る。四時半に出ると雨、慈雨だ。すぐ前のカティへ入り、チキンカレー(百五十円)を食ふ。量も多くて、先づ/″\なり。五時前、楽屋入り。夕刊、読売・内外・日経と三紙に劇評、みんな好評。ロッパも不振をとりもどしたといふ評多し。五時半開演、相変らぬ不入り、然し、段々入り、五分以上となる。芸術座の文芸部、まるで芝居道を知らず、無礼多し。役者どもゝ不心得なのが多く、三益と共に嘆く。わが演技も段々落ちついて来る。ハネが、まだ早し、九時十五分前。楽屋への来訪も少し、入りと正比例するものゝ如し。インシュリン打ち、レスアマへ。サントリータンサン、そしてリゾール・パイ。タンシチュウ、マッシュドポテト、バターライス。又雨となり、タクシー帰宅早し、十一時。蚊帳に入り、アド三。


七月五日(土曜)晴

 よく眠り、九時に起される迄、小便も我慢。PHなし。朝食は抜いて、ヨーグルト、抹茶二。今日は、里見先生の切符とったから、見物される筈、ちと緊張。タバコやめたいと思ひつゝよく吸ふ。久保田邸へ電話、あんまりごぶさたしてるから。先生が出られ、今夜ハネてから来いとのこと、「何をとっとくかい?」と言はれ、例の銀の塔をおねがひしますと図々しい。十一時半タクシー出る。十二時すぎ、座へ。又もや幕が開くと、寒風吹きすさむ思ひ。むざんなる入り。三分か。里見先生が見物故、一生けんめいやる。一幕目の終り、二十五分の休憩に九重のおやこ弁当(二百五十円)とる。ところへ、里見先生から連絡あり、昼の了りに飯でも食ふからと誘はれる。食ふんぢゃなかった。昼の了り、四時頃。KRTVの大垣君迎へに来り、里見先生の行ってる天一へ行く。先生「面白かったよ」とのみ。尾上松緑も見物したとて同席。天一の天ぷら、腹のふくれてる割に食った。海老四、穴子一、はぜ、きすに野菜、ピーマン等。里見先生、「ねえ、又今夜も逢はうか」と誘ひ、しまったなあ、今夜は久保田邸だ。五時近く、歩いて戻る。夜の部、又々惨たる入りなり。昼夜とも三分ぐらゐか。ハネが、九時前なのはいゝ。ホワイトホース一本持って、タクシー、赤坂伝馬町、久保田邸へ。行くと、先客阿木翁助あり、早速ホワイトホースを抜き、先生もともども飲み出す。吉川義雄も来り、例の大声。銀の塔の鍋、今夜は、タンシチュウがなくて、オックステールとビーフのみ、専らビーフを食ふ。久保田先生とその子分たちのはなしは、いつものことだがちと俗すぎ、阿木など金のことばかり言ふ。ふときいたが、久保田先生の原稿料五千円ださうだ、一枚。尚喋ってると、外から「少し静かにしろ!」と、叫ぶ声。吉川旦那の美声等、近隣を悩ましてゐるらしい。十二時少し前だ。その声に応じて、「何をッ」と僕は立ちかゝったが、まあよしなさいと言はれて、よす。十二時すぎ、NHKの旗立てた吉川旦那の車で、吉川・阿木と順に落して、送って貰ふ。アド三服む。


七月七日(月曜)曇時々小雨

 九時に起される迄よく寝た。完消してゐたPH、微乍ら訪る。朝だけの現象か。朝食、スパゲティーと、豚カツ、浅蜊のみそ汁、飯一杯半食ふ。十二時半、タクシー出て、フィルムビル、MGM試写室。お盆封切の「ゴーストタウンの決闘」、あんまり面白くなかった。二時半、了って出るとパラ/\と雨。煉瓦亭へ歩く。こゝは扇風機のみ。先づ、ホワイトシチュウを一つ、ポタージュに近きものとなってゐる。そのあと、任せると言ったら、コール・チキンが出る、ひな鶏ださうで軟く、手数かけてゝうまい。まだ食ひたい、又任せると言ったら、ビーフのエスカロップ風のもの、相当量だったがきれいに食ひ、而も、ロールを一つ食ったから、おやぢも感心してゐる。流石に満腹、歩くのが厭になる。座へ歩き、早目に楽屋入り。五時半開き。九日より六時開演に改めることゝなる、その方がいゝ。客席を見ると、今夜はいつもよりよく、結局は六分強から七分入った。秩父宮妃の見物の日で、拵へた入りだらうとの説もあり。ふと見ると、菊田一夫袖で見てる。それに気づいて三益、セリフをトチリ、二頁ばかりも飛んでしまふ。役者は、いつでもこんな風でなくてはいかん。秩父宮妃殿下(未亡人)貴賓席で見物、幕が下りると、妃殿下、お供の婦人達と舞台へ上り、おことばをたまはる。戦争中みたいである。妃殿下、「大変いゝお芝居でした」、そして僕には、「おやせになったわね」。これで帰りが大分おくれた。部屋へ戻ると、トニー谷より、日航の名刺入れが届いてゐる。この間彼が持ってたのを、欲しいと言ったので、日航へ行って貰って来て呉れたのださうだ。トニーの厚意。おそめで待ってるといふことなので、タクシー、おそめへ。先づ、ビール二杯から、BWハイボール。トニーは肝臓やられ中、ビールしか飲まない。トニーのところへは女が来り、我は何か食ひたくて、レスアマへ。サントリーハイボール二、チキン・キエフスキーのバタライス添。タクシー帰宅、まだ十二時なり。アド三。


七月十一日(金曜)晴

 涼しくて寝心地滅法よし。九時半起されても起きられず、十時半起き。PH、微の微。朝食、鹿角草、豆腐みそ汁、鶏肉卵にて一杯半。八月は一体何うなるのか、又々金のこと心配。一時すぎ出る。歩いて長原駅。省線、有楽町。ニュー東宝へ入り、「遠い道」を見る。ひどくつまらない。出て、慶楽へ寄り、涼拌麺を一つ、酸っぱくて、これはいかん。座へ出る。入りは又々四分位。つひにロングランはあきらめたらしく、今日津田へ公式の申込み、来月の宇野信夫作品に出ろとの交渉ありし由。八月は、休んで箱根なんてのは夢の夢、あくせくとその日ぐらしの我なり。これで八月も越せるかとホッとする。九時十五分位に了る。今夜は一人で、レスアマ。タン・シチュウをとり、ビール小びん一、ベルメニーでハイボール一。滝さん来り、霧の町へ移り、こゝでBWのハイボール段々飲む。滝さん、禁酒禁煙、さば/″\としたもの、「馴れゝば平気」の由、怖るべし。十二時頃か、タクシー帰宅。今夜も涼しい。窓半分開けて寝る。アド三。


七月十五日(火曜)晴

 九時に起される迄眠る。涼しくて、まだ/″\寝てゐたい。PH殆んどなし。朝食、オムレツ、シチュウスープ、トースト。十一時すぎ、歩いて出る。岡本医院へ寄る、インシュリンは朝打つと疲れるといふ話をすると、先生、そりゃさうだよと言ふ。知ってるのなら、長年、午前中に打って呉れたのは殺生なこと。十二時、長原へ。電車中、新発行の「週刊明星」を見る。新橋下車、タクシー、フィルム・ビルへ。MGM試写室。「ダンケルク」の試写。見てゐて腹減り、帰りに煉瓦亭へ寄らうと考へつゝ見る。戦争もので、つまらない。三時に了り、煉瓦亭へ。主人不在で、がっかり。豚カツと飯、冷チキンを追加、やはり弟子ではうまくなし。石渡理髪店へ。おや、貼札して曰く、閉店する旨。米倉へ入る。つくづく大店の床屋には愛想が尽きた。刈込みが了って、燈芯みたいなものに火を点けて、後頭部をむづ/″\させ、小僧の洗ひ方も気に入らないが、そのあと、油みたいなものを頭髪につけてこすりつけると、一方から別の小僧が、赤ラムプで照らしつける。次に、ドライヤーで乾かす、ドライヤーから熱気あふれ、とても気持わるし。顔へクリームつけてこすったり、肩をつかんだりたゝいたり、いざ勘定となっておどろく、六百円だ。腹立てつゝ、五時半楽屋入りする。入りは、いつもより少しいゝ、五分強位。ハネて、KRへ歩く。「赤胴鈴之助」のために。穂積純太郎在り、「赤胴」の僕役は、このところ暫く出なくなると言はれ、これは痛し。今夕大船より届きし、天外主演の(我、友情出演といふ肩書きの)シナリオ「泣き笑ひ日本晴」を読む。なるほど我は一日でアガるわい。然し、ラヂオがなくては困る、何とか売れたいものなり。了りしは十二時半。送り車で帰宅、一時。アド二服む。旗一兵「喜劇人回り舞台」を読み出し、眠りしは、三時すぎ。


七月二十五日(金曜)曇

 八時半頃、自づと眼ざむ。寝足りないが、十時から「月高く人が死ぬ」の稽古なので。PHなし。朝食なし。女房の誕生日だった、洋子に言はれて、千円を祝ふ。貧の折から、かなしきかな。十時前、タクシー出る。芸術座の客席で、読み合せしては、一幕づゝ、舞台へ立つといふやり方。宇野信夫、浴衣に角帯で演出、間が出来たから一人出て、ホテルのグリルへ。コーンのポタージュ、もう少し量が欲しい。次、メニュー見て、ブフ・アラ・モドを注文、マッシュポテト添。グレヴィのうんとドロ/″\したのでないと、つまらない。ビーフのセンヰの多いところは、ソップ殻みたいで嫌ひだったのに、つい注文しちまった。かくて、面白くなく食ひ了り、芸術座へ戻り稽古をつゞける。何うにも気分が悪い。三時半に稽古了り、宣伝スティルを撮るため本社演劇部へ。行者の恰好、山田のカツラ、嫌らしきアゴひげつけて、暑いとこで五六種撮る。その間も気分わるし、疲れもあるが、何か病的なり。かゝる日は、芝居も嫌。あいにく今夜は女房・洋子も見てる筈。然し、幕が開くと、忘れた。入りは又五分強か六分。ハネると、池田一夫が迎へに来り、烏森の広作へ行く。二階に、二戸儚秋・橘弘一郎・大黒東洋士・近藤経一・樋口正美・早田秀敏・南部僑一郎・鈴木重三郎と並ぶ。岡部竜・池田一夫が幹事。サントリー角を用意してゝ呉れ、早速飲みはじめる。今夜は、「映画時代」の関係だけといふことだから、頗る気がおけなくていゝ。昔ばなし、猥談飛びかひ、気分もすっかり治った。食ひものは、口とりみたいなものと、冷い鶏が盛り込みで出たっきりだ。然し気分よく、又集りたいねと、皆が言ってゐた。世が世なら、このメムバーを引き連れて、バアかキャバレーへでも行くところだが、貧もあり年もあり、「今夜はありがたう/\」と好々爺は、先きにタクシー御帰館。アド三。


七月二十九日(火曜)晴

 芸術座千秋楽。
 十時と言って起されてもまだ寝たい。暑いのに、よく眠る。十時半位に起きる。PHなし。カン/\照りで暑さも本格的なり。朝食、全く食欲なし、飯少々、大根みそ汁、牛肉少々。二時すぎ、タクシー、品川駅迄。津田・西野と共に、国電で大船へ。二等車中、仁木悦子「粘土の犬」を読む。大船駅からタクシーあり、歩かずに済む。大船撮影所、エノケン先着。今日よりクランク・インした、天外・デン助の「泣き笑ひ日本晴」のセットへ。天外・デン助・エノケンと我、並んで、スナップ撮り、これでもう了りだ。四時二十何分の電車へ、タクシーで大船駅。新橋下車、五時前。ホテルのグリルへ寄る。人参クリーム・スープをやり、次に、こゝのフィレソール・ボンファムを試みる、プルニエのと同じで、こっちの方が量が多いやうだ。ロール一、ボイルド・ポテトを二つ食ふ。座へ出る。今日千秋楽。と言っても、これは、ふざけるわけにも行かない。入りは、拵へものか、軽い満員。これが此の狂言の名残りか、一寸惜しいのは、やっぱり大分気に入ってたらしいんだな、此の芝居。入りさへよかったら、此のまゝロングで、楽だったものを。インシュリンを打ち、レスアマへ行く。千秋楽だ、ハデにやりたいが、頗る地味に、我一人。サントリー、はじめストレート、あと水割にする。食ひものも、チーズトースト、それにマカロニ・グラタン。星野に、今夜食ったのを入れて此処の借金二万円になりましたと言はれて、くさる。タクシー帰宅、蚊帳へ入り、アド三服む。浅香光代「女剣劇」を読み、面白くなり、二百頁近く迄。三時打つのをきいた。


七月三十日(水曜)晴

 九時に起される。暑し、PHなし。朝は、カステラ、ヨーグルト。十時にタクシー、岡本医院へ寄り、何か静脈注射。芸術座着、楽屋が、知らない間に、二階の奥(むかし/\のわが部屋なり)に変ってゐる。稽古始まらず、浅香光代「女剣劇」読了。十一時半より舞台稽古。一幕目の了りで、出てない場となり、部屋で「手当り次第」書き出す。ピータースより、ポタージュ二人前、ロールの小二とる。「手当り次第」ペラ九枚了。又舞台へ。菊田一夫重役が来たので、話す。「蟻の街のマリア」は、三百何十万円の赤字の由。菊田に、七月新東宝と切れるにつき、東宝の舞台の方の契約をといふ話。映画も東宝でないと、森さんが許さないらしいのだが、東宝の映画は又俺を干すし、何とか東京映画を滝村にでも話して、とたのむ。近々森岩雄に会ひに行く、その前に菊田から話をしといてくれと頼む。二幕三場迄やって七時半になったので、僕は脱出。ラヂオ録音ありといふことにしてある。石田守衛待ってゝ、津田もお相伴、六本木、伊藤竜雄邸へ。ジョニウォーカーの赤一本持参。伊藤邸、アトリエへ招じられる。当家の隣りの寺の和尚、女流舞踊家二人、あとから土屋伍一も来た。さて、ごちそうの数々、先づ、皮付南京豆の極めて小さいの、枝豆のひどく小ぶりなのが珍。お職はローストチキン、まる/\二羽。支那式の点心。まだ/″\あったやうだ。これ皆、伊藤画伯の手料理で、悉くうまかった。持参のジョニ赤で、大分酔った。タクシー帰宅は、まだ十時半頃ぢゃなかったか。アド三。
[#改段]




昭和三十三年八月






八月一日(金曜)晴

 芸術座「月高く人が死ぬ」初日。
 九時起き。暑し、PHなし。朝、ヨーグルト、カステラ。十時前、タクシー出る。座へ入ると、冷房、これで助かる。舞台稽古始まる。一幕一場より通し。まだセリフが安定してゐない。ピータースより、ポタージュとクラブハウスサンドイッチをとる。トーストのし方が成ってゐず、うまくない。三時迄かゝりて了り。四時、開演のベル。「月高く人が死ぬ」の初日。幕あき、入りは又ひどく、ブドウパン(俺の造語。ブドウパンのブドウみたいに客がまばら)以下、全く舞台稽古のまゝなり。三分以下。一幕目は、セリフもよく入ってゝ安心、やってゝ面白い。案外面白い芝居かも分らんぞ。一幕目の了り、二十分休憩、幕の内一つ食ふ。二幕目もよし。くそ坊主の悪易者なんて役は、案外やってゝ面白し。三幕目となると、眼目のスリラー的シーンも思ったほど受けないし、こゝはカットしたい。その場で、僕はアガリ。もう一場残して、八時十分位に身体あく。あと十五分位かゝるから、ハネは八時二十何分。ダメ出しは明日といふことで、今夜は作者も来ず、ちっとも初日みたいでなし。今夜も一杯やりたく、表泰子・津田・西野で出ると、ムーッと熱風だ。新宿のイザコザへ、新宿の歌舞伎町で、狭きトリス・バー。冷房などなし。サントリー角ハイ何杯かやり、こゝを出る。簡野典子在り、金をとらない。又、義理が出来ちまふ。そこから、藤鮨へ。卵、鯛、こはだ等で、ビール。こゝのわさびがいかん、粉わさびだ。帰ったのは、十二時前。蚊帳へ入り、アド三。暑さ全く男性的なり。


八月二日(土曜)晴

 九時に起され、暑い/\と思ひつゝ起きられず、九時半起き。もはや汗、腹には小滝。風呂浴びる。PHなし。朝食、オムレツ、パン。十二時、タクシー出る。俵国一叔父死去、本願寺で告別式のため、女房喪服同乗。いやはや葬式は暑かるべし。座へ入るとヒヤリと涼しい、やっぱり冷房はいゝ。マチネー、一時より。入りは、もの凄き悪さ。この一ヶ月又此の地獄であるか。三分強位の入り。一幕目が了り、次の出までに一時間あり。東興園の焼売と炒飯をとる。芝居は、しまひになる程つまらなくなる。昼の了り、五時近し。舞台事務所で、宇野信夫、ダメ出し。たゞほんの細部のみ。カットもなし。夜の部、又同じやう、三分。今日のダメ出しで、簑助の胸倉をとるところ、簑助も抵抗しろとあったので心配してたが、やっぱり力を出されるとこっちが参る。くた/\になり、息が切れる。明日たのんで、お手やはらかにして貰はう。もう一つ嫌なのは、町内の協議会の場。客席を町会に見立てゝ、サクラがゐてワヤ/\言ふところ。まるで、不入りをハッキリ見せるためのやうで、実に嫌だ。八時半頃、幕の内一つ。今夜は飲まぬ企画、飲んぢゃ暑くて寝られん。一寸の隙にも、日記のメモを書く。俺は日記を何故、かくも大切にするのだ。ムダぢゃないかとも思ふが、いや/\、俺は日記をつけるために生きてゐるのだ。日記のための人生、だから貧乏すらサカナになる。今夜のハネ、十時十分。タクシー帰宅、十時四十分頃か。蚊やりして、日記。それから「マンハント」八月創刊号。アメリカ式で、如何にも下品乍ら、今日の読みもの。アド三服み、二時頃眠ったか。


八月六日(水曜)晴

 九時に起されたが起きられない、十時すぎ迄寝る。PH微。朝食は素麺。薄田研二の代理といふ男より電話。十月薄田等の中芸、読売ホールで阿木翁助の石田一松伝をやるにつき、我に一役買って貰ひたしとのこと、電話では失礼な話。兎に角、芸術座へ来いと言っとく。新劇へ出るのはいゝが、さういふ通俗的なものでない方がいゝがなあ。阿木翁助の推薦と知るべし。十二時、タクシー、ヴィデオホールへ。国光映画「楽しきかな人生」の試写会。農協の主催。「楽しきかな人生」三十分ばかり。イーストマンカラーが美しい、またPRとしては上等なものだらう。終って、農協の人々と座談会。冷コーヒーとバナゝが出る。三十分つきあって、出る。石田守衛を連れて、ショッピングセンターの地下へ。田楽といふ小さな店へ。祇園風の豆腐と、こんにゃくの田楽、かやく飯(ぬくずしの冷えたやうなもの)に、赤だし附、淡りしてゝ衛生的だが、腹には応へず。四時近し、森岩雄に会ふことを思ひつき、本社八階へ。菊田の重役室へ。森岩雄に連絡すると、会議中で、断はられる。菊田に、十月の新劇、OKをとる。いろ/\な関係上、契約の全然ないまゝが気楽でいゝかも分らんと思ふ。本社を出て、みゆき座へ入り、大映の「人肌孔雀」を、一時間見る。山本富士子が美しい。五時半、座へ入る。拵へものであらうか、六分位入ってゐる。今回の最高。簑助の曰く、今夜は頭四百は正味の客だ、と。こんなことを気にしつゝやることは、永遠に舞台の悩みか。高島忠夫来り、快話。九時四十分頃終演。今夜は、誰も誘惑の手なし、一人、レスアマへ。行くと、滝さんが、バアへ行かうと誘ひ、彼の車で、シドへ。つまらなく、BWハイボール四五杯、十一時すぎ、レスアマへ戻る。リゾールパイから、タンシチュウ、マッシュポテト、バタライスを食ひ、サントリーハイボールを又二三杯。伊藤寿二より電話、今夜見物したが、先月より好演なりと言ふ。タクシー帰宅、十二時半すぎ。アド二服んだやうな服まないやうな――


八月八日(金曜)晴

 昨日より引きつゞき涼し、窓しめて寝る。九時に起され、しぶ/″\起きたのは十時近し。PH微弱。朝食、握りめし二つ、無理に食ふ。昨夕届きし、阿木翁助作「演歌有情」を読む、新劇ならもっと新劇らしいものがいゝのに、石田一松の伝記と来ては、ハンパだ。わが役は、いゝ役だが、パッとしない。薄田老人が一松の役をやるのが冒険である。ヘミングウェイ「老人と海」を百頁位迄。本日、清の誕生日と気がつき、千円やる。三時頃、津田より電話、面会を求めし森岩雄、四時半に会ふと言ふ由。それではとタクシー拾はせ、四時に出る。東宝本社九階。森重役秘書、たゞ今来客中、待ってゝ下さいと、秘書室で待たされる。秘書女たちの楽屋みたいなとこ、失礼なとこで待たせるものだ。重役室へ通る、森岩雄と話す十五分間位。結局、冷たい人だ。まるで、僕の存在も認めないといふ感じに扱はれた。即ち、菊田との舞台はやるがいゝ。然し、東宝としては、舞台と映画と両方でなければ契約は出来ない。東宝映画は、とても僕とは契約しないだらうから、従って、新東宝との契約を続けるやうになさい。東京映画のことも切り出してみたが、あんなとこは金が出ない、と膠もなく断はる。もはや森岩雄の線では、到底駄目。実に冷たし、復讐してやりたき心。さはれ、向ふは向ふで、昔の仇討のつもりかも知れない。楽屋入り、五時半。幕の内をとりて食ふ。幕あきは、全く惨たる入り、五十何人と数へられた。そのうち百人位になったやうだが。くさりつゝ――菊田に会って相談しよう、むしろ菊田の方が、此の際有がたい人になった。読売に安藤鶴夫の劇評出づ。僕は、あんまり評判よくなし。今日は、くさりの日か。十時前にハネ、タクシー帰宅。蚊帳へ入りて、日記、十一時なり。アド三服んだ。ヘミングウェイ「老人と海」と、「マンハント」九月号と交互に読むうち眠くなる。二時半。


八月十一日(月曜)晴

 八時に起せと言っといたので、起される。九時近く、起きる。PH極微。朝食、ロール二、スープ、豚肉煮。暑いし、だるいし、嫌だ。歩いて出たのは十二時、岡本医院へ寄り、静脈に、ロッシュの薬注射。電車、有楽町迄。暑くて、汗拭き通し。読売ホール、一時より、ジョン・カルバートの魔術ショウ。前から二番目で見物。三時半に昼の部了る。暑し。イースタンといふのを試みようと、フッドセンター東館を訪れる。イースタンを探し当てゝ入る。支配人佐藤を呼び、傍に在らしめる。先づ、青豆のポタージュで、酒の気が強く、乙の味。チキン・クリーム煮。これが、ディッシュのまんま、軟いが、ソースがうまくなし、すべて二流の味。こゝは経営困難に違ひなし、色々知恵もあるが、この佐藤ってのでは駄目だ。菊田に会ふべく本社八階へ行ってみたら、菊田は不在。長谷川重四郎がゐた。これは日劇を主として受持ち、歌ふやうなことをやらせろと言ふと、考へませうと乗気の様子。五時すぎ、早いが座へ出る。夕刊、朝日の秋山安三郎、毎日の三宅周太郎が揃ってベタ賞め。三宅の方は、ロッパ大好演「やせたのが効果的」で、「彼は更生した。かつてのビヤ樽喜劇に別れて、この枯淡の芸の世界に飛行したのをよろこぶ」とあり、大した賞められ方なり。劇評は皆筆を揃へて賞めてゐるのに、入りは相変らずひどし。幕あき、百人位。芝居はいつもの通り。町会の場で、ちとふざけ、皆笑ふ。ハネて、タクシー、レスアマへ。サントリー、タンサン。ビーフ串焼、チキンのクリームソース。いゝ加減に酔ひ、タクシー帰宅。十一時半頃なり。アド三服みて眠る。暑し。


八月十二日(火曜)晴

 松竹「泣き笑ひ日本晴」撮影一日。
 六時半に起される、まだ眠いが、起きる。PHなし。抹茶二のみ。七時、タクシー。築地、歌舞伎座裏の松竹の寮、厚生館。かつら附け、衣裳着る。朝食ありときゝ、たのむ。和布のみそ汁、納豆、生卵二、飯がたっぷりありて、百七十円、これはいゝ。こゝからタクシー、かちどき橋に遠くない鉄工場の小さいのへ。炎天の下に演説ブツ社長、我。天外の工員をクビにする一シーン。これだけで了るのだが、アフレコになったので二日かゝるわけ。考へた末、東北弁にする。穂積利昌監督は速い、十二時一寸前には了った。厚生館へ引揚げ。ロケ弁が出たら食ひたくなり、焼きちくわ、鮭などのおかず、これを平げた。タクシー、寺木へ。先生と色々話しつゝ、今日上歯のデンチュアの型取り。タクシー、フィルム・ビル、四階フォックス試写室へ。グレゴリー・ペックの「無頼の群」見物。四時四十分了る。十八屋の前へ来ると、関口のパンが食ひたくなり、入る。おかみさんの腕前が判ったから、冷コンソメ、牛肉煮込を注文。あっためた関口のパン。そして、小片のメロン。タクシー、座へ出る。入りは又同じやうで、百人台。ほんに、やるせなし。芝居は、いつもの通り。ハネて、タクシー、レスアマへ。滝さんあり、彼の車でエスポールへ。滝さんは、酒やめ、タバコもやめ、やせることに努力中、何ともはや。我は、BWハイボールしきりに飲み、かなり酔ふ。十二時半すぎ、タクシー帰宅。アド二。


八月十三日(水曜)晴

 九時半に起される。PHはなし。今日、わが五十五回の誕生日なり。嫌だな、停年。今日から禁煙に入らうと決心、タバコ持たずに茶の間へ下りると、何と皮肉なるかな、誕生祝として、ママ・ヒロコの名で、パール十個包が置いてある。朝食、唐もろこし湯煮一本分、肉団子とスープ。禁煙どころか、プレゼントのパール、しきりに吸ふ。又床へ戻り、「手当り次第」明日渡す分を書き出す、ペラ九枚了。四時すぎ、タクシー出て、三信ビル。ピータースへ。冷房きゝすぎる涼しさ。ポタージュ、トマトクリーム、こゝのは結構なもの、もっと欲しい。ドイツ風のビフシチュウ、これは、ひつこくて参る。ロールの小二。デザートには、プラムプディング。これで、ホテルなら千円てとこだらう、こゝでは六百七十円、少し安い。五時半、座へ出る。よく水を飲む。飲みすぎると思ふが、咽喉を通る冷水の快感を求め、水腹ボコ/″\。入り今日は又ひどし。まるっきりの、バラ/″\、百人台。長屋の場でセリフ忘れ、簑助がつけて呉れた。原因は、簑助の方が、キッカケのセリフを言はなかったのだが。ハネて、アマンドより一寸寄れといふ電話あり、レスアマへ寄ったら、バースデーケーキ一と、大皿にチキンなど盛りたるものをよこしたから大荷物。帰ると、アマンドよりの大皿を前に、サントリー、タンサン。バースデーケーキを切って食ふ。水島ドクトル、今夜見物、おそく電話かけて来る、「面白かったよ、君は、うまいよ」と、しきりに賞める。蚊帳へ入りてアド二服み、すぐ眠る。


八月二十二日(金曜)晴

 九時起き、暑し。PHなし。風呂浴びて、朝食、炒り飯、大根みそ汁。今朝の「東京」ラヂオ版に、「緑波父娘がKRで共演」の記事、写真出る。洋子、緊張して、心配さう。セリフをみてやる、はじめ棒読みだったが、少し宛よくなる。じっとしてゝも暑い、かうなると冷房恋し。二時すぎ、歩いて出たが、暑さで電車は嫌、金なしで倹約しなくてはならないのに、タクシーに乗る。有楽町アマンドへ。滝さんに見ることをすゝめた、「秘めたる情事」有楽座初日へ、僕、大感激篇だから、再見。近年なきことなり。今日も、しまひ迄見られた。五時半に了ったから、すぐ楽屋入り。食ふ暇がなかったので、一幕目の了りに、幕の内をとる。入りは、何だか少しよくなり、五分―六分強ぐらゐの様子。長屋の場から咳がつゞけて出て、セリフを言ふのに困る位。竜角散服んだりする。了ると、レスアマへ。腹減ってゝよく食ふ。サントリータンサン。タンシチュウ、マッシュドポテト。チキンクリーム、バタライス。一時近く迄、今夜は誰も来ず、完全に一人。帰宅、一時半。アド三。


八月二十三日(土曜)曇夜雨

 KR「幻の鳥」録音。
 十時に起され、入浴。PHなし。暑し。朝食、赤飯、豆腐のみそ汁、オムレツ冷。今日は、マチネーの、夜は夜で仕事。芸術座も、もはや一週間となりぬ。十二時、タクシー出る。座へ着くと、入り最低の如し。舞台から客席を眺め、つい頭を数へてしまふ。百人位か。二幕の了り、ピータースよりポタージュ二人前、パン。お通夜の場で、此の間一寸皆を笑はせたのが癖になり、自分でも可笑しくなり、笑って困る。昼の了り、加藤道子よりの、京樽詰合せ、中々うまく、大量食った。夜の入り、稍々よし、昼の倍か。よく水飲み、小便近し。夜も、お通夜の場で笑っちまひ、しまらなくなりて困る。了ると、KRへ。十時十分に着く。高橋昇之助作「幻の鳥」録音。八時から、洋子、清附添で来てゝ、一部分録音済み。読んでは本版々々の式で始まる。洋子、割に落ちついてゝ、僕も口は出さず。演出の酒井(今は遠山と称す)、中々うまくなった。岡田英次が流石によく、あとはKRの劇団員で、みんなひどい。これが一時すぎになる。了りて送り車で、清・洋子もろとも帰る。涼しくて窓をしめ、アド三。


八月三十一日(日曜)曇雨

 芸術座「月高く」千秋楽。
 九時に起されて起きたが、宿酔気味。PHなし。朝食は抜き。明日より新生活だぞ、と思ふ。今日、不入りをつゞけし芸術座は千秋楽。十時に出る、タクシー中、タバコやたら。咳も多し。楽屋入りすると、サリドン服み、胃散服み、一寸経って、アリナミン、フローミン服む。昼の入り、勿論ひどし。ピータースより、セロリ・ポタージュとロール各二とりて食ふ。又、幕間に、チキン・カレーとりて三分の二。夜の部は少々いゝが、これは内輪らしい。昼も大笑はせしたが、夜もお通夜の場、めちゃ/\に笑はせる。間々に伍一来り、揉ませることしきりなり。ハネると、舞台で鍵渡し式。バラ/″\の客の前、景気の悪いこと。「月高く」の組と、来月の「人間の条件」の組と、僕と南道郎の司会でやり、菊田重役が間に合はないので、僕が、「お手を拝借、ヨーッ」と拍手三回。八時すぎには了ってしまった。千秋楽のことだ、大いにやりたいところだが、金なし。タクシー、一人淋しく、アマンドへ行く。サントリー、タンサン、淋しく乾杯。又今夜は誰もゐない。平目のグラタン、チキンの挽肉のスフレ(スフレと言ってたのが、かまぼこみたいになってしまった)、チキンのフリッターにバタライス。八波むと志が来たが、話が合はず、結局一人の淋しき宴。タクシー、帰宅も、まだ十二時前。涼しくていゝ、アド三。さあ明日からのんびり。のんびりは、すなはち貧か。
[#改段]




昭和三十三年九月






九月七日(日曜)晴

 八時半に起され、起きる。PHなし。朝は、ヨーグルト、抹茶二のみにして、十時から中芸の顔合せ、タクシー、十時頃出る。田原町、何とかビル、三階。日照りカン/\、然し、風がよく入り、海水浴場の如し。今日より「演歌有情」の稽古。劇団側と、金子洋文・阿木翁助と揃ひ、突破などゝいふ奴も来り、本読みが始まったが、作者でも演出家でもない奴が、たゞひたすら読むんだから、きいてたってしようがないやうなもの。本読みが了ると、阿木翁助(NTV芸能局長就任で急しい)よりも一言あり、僕も、漫談的に座ったまゝ喋る。又、突破しゃ/\り出る。こんなことで、今日はおひらき。地下鉄へ歩き、渋谷迄出る。渋谷パンテオン、「平和の谷」見物、冷房で助かる。丁度時間もよし、東横八階食堂の坂東好太郎後援会発会式へ、招待されてるから行く。もはや大分集ってゐる。殆んど新東宝の人々で、社長も来てゐる。暑くて汗ふき通し。もう早く出たいが、挨拶に引っぱり出されて一寸やり、読売の谷村錦一と同じ社の論説の宮崎と二人を誘ひ、タクシー、レスアマへ。冷房へ入りて、すッとする。我は、サントリー、彼らはビール。谷村の父が新派の下っぱなりしとて、電話で、その父なる人と話させられ、宮崎も電話魔で、浅沼稲次郎にかけて、僕と話させるなどの珍景あり。オムレツ、マッシュドポテト。タンシチュウ、バタライス。今夜は食進む。タクシー帰宅、十時半か。アド二。


九月八日(月曜)曇

 新東宝「新日本珍道中」続篇。
 七時半に起きる、昨日に比べると、ぐっと涼しい。PHなし。九時前、タクシー、富士映画へ。すぐ支度して、セット。「新日本珍道中」の続篇、近江のおなさけ、一日でアガる。何とか会社の社長役。並木一路といふ阿呆とのやりとり、二カット。午前十一時にアガってしまふ。これぢゃ安くても文句言へず。部屋で雀といふことになり、近江も昼すぎ迄やらうと、メムバー、大江満彦・津田で始める。近江が、うなぎめしとって呉れて食ひ、二回ばかりで近江が脱け、大江の他は、来合せた白山雅一・谷等が入れ代り、何と夜の十時半迄、十何回戦やった。今日好調、ずっと勝ちつゞける。結局(+8000)といふ好成績、その位しか懐にはなかったんだから大喜び。白山・谷と旗某を誘ひ、タクシー、渋谷とん平へ。サントリーハイボール七杯、彼等は、ビン詰の生ビール。十二時半、タクシー帰宅。アド三服む。


九月九日(火曜)晴

 八時半起されの、九時起き。今日は又中芸へ行く。PHなし。朝食、ローストポーク、珍ハンペン・スープ、パン。又、津田来らず、やきもきする。気を揉む頃、津田、落ちついて来る。タクシー、中芸稽古場へ。浅草田原町に新劇の稽古場のある不思議さよ。今日は、読み合せ、そして配役発表。これが判らない。今迄、何で配役しないのか。読み合せしてみると、研究生ども、ナマリだらけで而も下手。突破が来て、一人ではしゃいで、売り出す。読み合せが了ると、金子洋文演出が、皆(研究生も)で此の脚本を検討したいと言ひ、意見をきく。俺が阿木翁助なら怒っちまふね。研究生ども、ノートをとったりしてゝ、役者のすることを知らず、新劇の間違ひ。三時に了る。読み合せを当分つゞけるらしく、立たないらしい。これも間違ってるんぢゃないか。タクシー、銀座へ。腹減りて、煉瓦亭へ。暑し。おやぢ在り、ポタージュ(コーンで、乙)と、犢のエスカロップと、ロール二。冷コーヒー。五時になり、気浴療法へ行く気になり、歩く。八重洲ドック、三回目。入ると、滝さんも来てた。硫安何とか療法は、つまり草津温泉なり、不潔な感じも田舎宿の如し。蒸し風呂は苦手だが、首出して十五分。湿布を了り、滝さんが、「彼岸花」を見ようと誘ふので、彼の車で行く。七時四十何分からで、東劇へ。二階指定席で見る。了りて、レスアマへ。サントリー、タンサン。又もや、挽肉オムレツ、それにチキン・アラキングのバターライス食って、タクシー帰宅、十二時。アド三服む。


九月十九日(金曜)晴

 九時起き、今朝、NOPなり。起きぬけに、新東宝社長大蔵貢が、数千万のつかひ込みで、手入れといふニュースを見る。近々、近江と相談して、新東宝と、もう一度契約しようなんて思ってたところ、これは、いかんな。朝は、何も食はない。藤原義江が、小川軒のコーンビーフ・キャベッヂを食はせるといふので。穂積と電話、二十三日CBCの仕事。は、いゝが、次の「赤胴」出るには出るが一本の由、辛し。夜、セレナデで会ふことにする。保夫への送金、固定資産税、その他の払ひ済ませて、小さく安心する。十一時前、岡本医院へ寄り、注射。電車、新橋迄。駅前、小川軒へ、十二時ジャストに入る。藤原義江の招待、相客は藤倉修一。先づ、フロマージュ、二種類うまいチーズ。スープ抜きで、毎金曜日のスペシアル、コーンビーフキャベッジ。上品で、量も少い。これでスプーンが運ばれ、もうデザートかとあはてゝ、「僕は、もっと食ふぜ」と大声を出す。心配するな、このスプーンは、次なるスープライスのためのものだった。海老のピラフのやうなものに、スープ(コンソメ)をかけて出す。一人前では腹張らず、僕と藤倉は、もう一皿、ビーフの煮込み、薄いトマトソース。ロール一。野菜サラダを、ガラス器ごと。デミタッセ(これは不味)に、マロン・シャンティリー。近ごろ上等の食事だった。まるで英国風の感じで、アメリカ流に馴れてる今日、これは正に、ごちそうだった。こいつは癖になりさうだ。藤原、勘定払ふ。いくらだらう、気になる。一人になり、タクシー、田原町中芸へ。皆待ってゝ、立ち。今日は三幕目のみ、二回返して、了ったのは、三時前。さて、これから如何せん、結局、ドックへ行くことにし、地下鉄で京橋迄。八重洲ドック。約二時間の治療。了って、日本橋の紅花を一寸訪れてみよう。腹こはしてるときいたから見舞でもあり、伝言もありしが、実は、今夜のスポムサーにといふさもしき心からかも分らない。行くと、青木、まだ自宅にありとのことで、電話。今夜は出られぬが、近日をと約す。まあ一杯やって何か食ってくれとのこと。ジョニ赤のハイボール二杯、オードヴルをとる。「ごちそうさま」と出る。淋しき、わが姿。タクシー、土橋、セレナーデへ。火・金しか開かぬバアといふのが当り、もう大満員。穂積が来て、立川へ歩く。立川も満員、サントリー角ハイ飲み、角煮を食ふ。くどいが、うまし。二つ目を食ひつゝ、もう一つ食はうかと思ったが、二つでやめる。千二百何十円の払ひ。今日、はじめての自前なり。セレナーデへ戻ると、又々大満員だから、甘人へ行かうと、穂積と行く。こゝで、滝さん、田毎にありときゝ、行ったら、滝さんは風邪発熱、くしゃみして何か食ってるところ。こっちもダレて、ハイボール一杯飲み、ハイヤで送られて帰る。全く、金をつかはずに済みたり。蚊帳へ入り、アド二。


九月二十二日(月曜)雨夜曇

 一時に眼が覚める。いろ/\考へてゐるから、やはり眠ってゐられないのか、これも女房に言はせれば、三日坊主か。それから眠れなくなり、四時打つのをきいた。そして又眠り、十時すぎ、起きる。NOP。何だか腑抜けみたいなり。人生たのしからず。雨で陰気なる日。金なき日。パール吸っては溜息。これから稽古に出なくてはならない、又電車だ、あゝ死にたい位嫌だ。じっと、あらぬ方をにらみつゝ、胡座してゐる俺の姿あはれ。一時、もう歩いて出る元気なし、タクシーにしよう。タクシー、東銀座へ廻り、CBCの支社で、二十四日の台本を受けとる。なごやユーモア劇場、金吾クン行状記といふので、桂小金治が主役のシリーズなのだ。嫌なこったな。然し、まあ何でもいゝや。中芸へ行く。何うにも今日は疲れてゝ、息切れもするし、不愉快。今日は、一幕二幕と通すので、金子洋文ハリキって演出。然し、何といふつまらない稽古場であらう、ユーモアなどは少しもなし。立稽古つゞくうち、腹しん/\と減り、薄田夫人の手製らしきサンドイッチ二片貰ひ、すぐ又親子丼を注文。四時半頃に、親子丼(百二十円、浅草の方が銀座辺よりいゝ。香物に醤油かけてあるし)。こんなもの食っては、リッチな感じになるわけなし。六時すぎ、タクシー、有楽町アマンドへ。津田来る、十一月の仕事、何うも頼りなし、俺の仕事以外のことばかりやってる。腹がハンパだ、夜になって空いて来ると困るから、ジャーマンベーカリーへ。ジャーマン・スープを命じたら、売切れと言ふ。えゝイ、そんなら出る。タクシー、帰宅。ハムライスがあるといふので一皿食ひ、羊羹二片。インシュリン打つ。十時。これから、CBCのセリフを覚えよう。小一時間、「金吾クン行状記」月は上りぬの巻を覚えにかゝり、倦きて、黒岩涙香「死美人」を読み出し、五十頁、これで十二時となる。アド三服む。


九月二十四日(水曜)曇雨

 CBCTV「金吾君行状記」。
 名古屋館の朝、九時迄寝られた。涼しい。朝飯、たのんどいたので、八丁みそ汁の里いも身入り。折角だが、ぬるくてがっかり、鍋で来てるのに。生卵で、飯二杯半。十時半、タクシー出る。CBC。小金治も、京都から今朝着。帰っての金のことを考へると、ぞオッとする。考へまい、今日だけは。小金治、思ひの外気持よき男なり。ドライを二回、セリフ段々入って来る。キャメリハも二回。ラストには、泣くことにした。七時、本版。なごやユーモア劇場「金吾君行状記」八回「月は上りぬ」の巻。いつもアチャラカだらうのに、僕のために、すっかりシリアスドラマになっちまってる。ラストシーンは、泣いて、しめた如し。七時半了る。このあと引つゞき、「私のレコードアルバム」ってのを、CBCラヂオの方から頼まれ、一階の小スタヂオへ。十二分、でたらめのおしゃべり、ぶっつけの大ぶっつけ。それが了ると、ひきつゞき、「旅の思出」といふのをやらされる。皆、短いものゆゑ、安いこと受け合ひだが、この際助かります。「旅の思ひ出」も、酔っぱらひのくだの如きことを、三分間。待ってた榎並礼三と、車で、八重垣。サントリー丸、ハイボール。小指より小さい海老を、しきりに食ふ。小さい海老で、フレッシュだから甘味がある。飲み出すと元気、一人で大いに喋る。今夜は、専ら海老で、他にも食ったが、これといふものはなし。八重垣から、バア歩き。ハイボール/\で大分酔って、名古屋館へ帰ったのが、十二時。二階の穂積の部屋で、CBCの松谷・穂積と待ってゝ、これから麻雀である。二時半頃には、五万点ほども勝ちてあり。松谷某が負け通しだから、もう一つ、つきあはう。これが又勝ち、結局七万も勝っちまった。もう四時。この相手からは、取れもしない。まあ/\負けなかったから、いゝさ。床へ入り、アド二服む。


九月二十五日(木曜)雨

 帰京。
 五時半頃かな、眠ったのは。十時すぎ、女中に起される迄、昏々と――。朝食、今朝は、八丁みそ汁熱くてよし、三杯。タンの煮たのが珍。生卵かけて二杯半。宿の払ひなどする。穂積と松谷より、負けの半分といって(+4000)を呉れる。いゝよ/\と言ひながら、貧乏人は受取ってしまった。十一時二十分頃に、タクシー、駅へ。名古屋駅発、十一時三十何分。特二、すいてゝ楽なり。黒岩涙香「死美人」読む。外は又雨、いやな天気。四時二十何分、東京着。八重洲口から、タクシー、まっ直ぐ帰る。雨で、台風二十二号が近づきつゝあるとか云ふ話。女房と洋子(清は、寮へ泊りに行き、不在)が、おろ/\してゐる。チェリーが、今朝からゐなくなったと言ふ。もう老の坂も越してゐる老チェリー、何処かで、のたれ死してゐるのではないか。夕食の膳に就き、BWを抜いて飲み出したが、それが気になりうまくない。女房が、閉ってゐる縁側の戸を空けて、いつも顔出すところへ、茣蓙も敷く。俺も、いつもの口笛を吹いてみる。洋子は涙ぐみ、しめった食卓となり果てた。全く、生きものは人間だけで沢山だ。ふッと、いつものところにチェリーの姿! わァッゐたよ。洋子、ワーッと泣いて、抱きつく。女房も涙しつゝ、「何処行ってたんだ」と怒りつける。俺も「よかったねえ/\」と、涙ぼろ/″\。家出娘(実は婆)チェリーは、縁側に、毛布にくるまれて寝かされる。シチュウで飯も食ひ、ういらうも食ひ、八時半頃天上。雨である。アド三服みて、眠る。


九月三十日(火曜)晴

 八時半にと言っといたので、起される。NOP。今日から禁煙しようと、タバコ持たずに下りる。朝食、パン、牛肉煮、茹卵。「宝石」の記者真野律太来。タバコ持って来い、で、咳よくする。「宝石」で別冊を出すにつき、エロなものを書けといふ。毎号二三十枚の小説を書くこと引受けたが、「稿料は?」ときいて、おどろく、一枚(四百字)四百円といふのだ。「百万人のよる」の六百円より又ひどい。うーむ、とても書きの道ぢゃあ、食へはせぬ。が、書きたい心うごめいてゐる今日だ、来月半迄といふのを引受ける。十二時近く、岡本医院、「可哀さうにね、働かなくちゃいかんのかねえ」と先生、何か静脈注射。電車、新橋。久しぶりで兼坂ビル三階試写室へ。RKOの「裸者と死者」、一時より二時間十分。タクシー、中芸へかけつける。三時半すぎだ。待ってたらしく、僕のところを押す。疲れつゝ、六時迄。我、セリフ未だ入ってゐず。了ると、タクシー、八重洲ドックへ。今日は、滝さん・小牧もゐた。八時近く、大空腹、フードセンター東館へ入り、福新楼の支那とする。焼売と炒飯。焼売大きくて味気なし、炒飯は、まるで淡りしてゝ話にならない。こんなことで、つまらなく腹を張らしてしまった。KRへ歩く。「赤胴鈴之助」録音。今日方々かけずり廻った津田の報告、先づ明日夜、名古屋へ出発、三日間、何をやらされるのか分らない。十月の中芸が終ると、十一月は梅田コマの菊田作品、越路の松井須磨子劇に、菊田が定めて呉れた由。映画の話もあるし、何うにか年を越せさうな具合になり、ホッとした。「赤胴」は、十一時すぎに済んだ。タクシーで帰る。床で、「手当り次第」26回分、書き出す。一時半すぎに、ペラ九枚了。アド三服む。二時すぎた。
[#改段]




昭和三十三年十月






十月七日(火曜)雨後曇

 中芸「演歌有情」初日。
 十時迄、ベッタリと眠る。又雨なり。新劇ってのは、新聞広告一つしないんだから心細い。朝食、ハムエッグ、大根みそ汁、納豆で飯二杯。今日は、五時半に行く約束したから、それ迄、セリフなどやる。寝は足りたから大丈夫。伍一来り指圧。四時半、タクシー。雨があがったので、三信ビルで下りて、ピータースへ行く。うまいもので、元気つけたし。ポタージュ、セロリー。ロール二つ。サーロイン・ステーキに、グレヴィを容器入りで持って来るのは、何ういふものか。これで満腹。プラムプディングと冷コーヒー。読売ホールへ歩き、螺旋階段を苦にしつゝ楽屋へ。客が来ても、居るところなき狭さ。六時半に開き、二場の、わが出は七時。客席まっ暗、入ってるのか何うか判らない。セリフは完全に入ってゝ、気持よく行く。あんまりセリフ多くちと疲る。二幕二場の、選挙事務所の場は、嫌ひだ。その次、三場の酔ってるとこは、いゝ。三幕三場の料理屋が、一番気がいゝ。気持よくやれたし、受けてもゐた。大詰迄の間、カツ丼ひどいのを、三分の二食ふ。長くて、十時にハネる気配なし。大詰は、もう十一時すぎだった。こゝで泣かしてやらうと、たくらみすぎたか、泣き損ひ、泣かせ損ふ。兎に角、我は新派で行くよりないので、かなり、梅島でやってゐる。劇評は、ロッパは新派だとか、新劇には水に油だとか書くだらう。中芸の仕出し、研究生の下手さには参る。十一時十五分終演。近くのKRへ歩く。六階のホールで、「赤胴鈴之助」の三本分。皆、待ってゝ呉れて、ぶっつけ本版で一時間以内で終る。それから、タクシー。NHKの「夢を呼ぶ歌」何回かの「都のゴミ」といふ、「夕空晴れて」が、テマになってるもの。朝丘雪路が、十時から待ってたさうで、初対面から、これでは悪かった。歌はないでいゝのかと思ってたら、テープでの伴奏で歌ふところあり、面喰ふ。スリで、前科の爺の役で、歌ふのは不自然、歌ひにくゝて弱った。本版となり、朝丘、中々いゝ、宮城まり子に似てる。了ったのが、二時十五分。送り車で帰宅。床へ入り、アド三服みて、日記。


十月十日(金曜)晴

 十時半だ、下へ下りたのは。朝食、キャベツのベーコン巻き、鶏肉雑煮とパン。四時頃出る。電車。駅で、夕刊いろ/\買ふ。それを一抱へ、ジャーマンベーカリー二階へ。毎日の三宅周太郎、大童の絶讃。「月高く」の時以上で、ひいき強し。他に、産経と、デーリースポーツが賞めてゐる。これをサカナに、何度も読みつゝ、食ふ。ごきげんだ、貧乏も忘れて、鼻唄が出る。ふと、明治の役者は、幸せだったなあと思ふ。例の如く、ビーン・スープ。少々、ジャガいもを入れすぎる。ベーコン・エッグサンド。冷野菜沢山添へてあるのが、よかった。その後、チーズケーキ。カステラの部分が乾きすぎてゝ、シットリしない。五時四十何分に楽屋入り。今夜は貸切りとかで、入りはいゝ由。六時半開く。大詰が、まだ腑に落ちない。よく泣いてゐるが、自分では、まだ、つかむものがつかめない。ハネて、さて、金はなし如何せん。タクシー、土橋、セレナーデ。きたなきバアは流行ってゐる。サントリー水ボール、氷さへないといふひどさ。酔へばはしゃいで、知らぬ人々と話し、十二時近く、セレマゝと共に、すし清へ寄り、こはだ、卵を何個かやり、タクシー帰宅、一時か。アド三服む。


十月十二日(日曜)晴

 読売ホール千秋楽。
 十時迄、アド三の眠りのよさ。NOP毎日、気分よし。タバコさへ吸はなきゃ咳も出ぬものを。朝食、ベーコン焼いて、パン、スープ。今日で、中芸の東京は了り、折角評判もよし、気持よくやってるのに惜しい気がする。十二時すぎに出る。タクシー、読売ホール。マチネー、入りは悪くはないらしい。中芸、約束の出演料まだよこさず、旅の方は値切って来た由、ひどい。津田に、早く取るやうに督励する。幕間に、そごう食堂の幕の内をとる。百五十円で、実質的なり。三浦光子のところへさし入れの、すし幸のすし、食へと言はれ、すなほに八つばかり食ふ。夜の部、無料も大分ゐるらしいが、軽満員。昼力演しちまったので夜は疲れる。二幕三場の酔ってるとこが、馬鹿に受けるやうになった。大詰、今夜は大泣かせ。緞帳を又上げて、カーテンコール。花束贈呈から、シャン/\と締めることあり、酒を湯呑に注いで乾杯。先づは、読売ホールは了った。旅は、たのしみでもあるが、一日宛の強行軍で辛かるべし。今夜も(漸っと、出演料の一部分は、とれたが)金をつかひたくない。だのに根岸来り、友の中島八郎も共に、とん平へ飛ぶ。サントリーハイボール、おでんのさつま、秋刀魚の焼魚、オムレツ等食ひ、七杯と飲んで、つまらない酔。タクシー帰宅、一時頃か。アド三。


十月十五日(水曜)曇後雨

 中芸 名古屋。
 七時半に起される。辛しとも辛し。今朝は暑し、夏めく。何も食はず、支度する。津田に、八時十分に車拾って来るやうに言ってあり、二十分となり、玄関を出てはら/\してると、二十五分に漸く津田の車来。車中、津田、すみませんとも言はない。津田も全く変った。俺も亦腹立ってるのに怒鳴りもせず、萎縮したるわが心、哀れなり。八重洲口着八時五十五分。ホームへ急ぎ、ツバメ六号車。間もなく、発車。特二の32号で、窓ぎわではない。嫌な席だ。九時十五分頃か、食堂車へ。飲んで、寝てみようといふ企画。サントリー角で、タンサンを貰ふ。スープ、これがミネストロン風。ハムエッグスは、ハムが小さくてお粗末。次、ポークカツレツ、衣にチーズが入ってゝいゝ。帝国ホテルの食堂、近ごろは、中々汽車の食堂もよくなった。シングル五杯、バナゝ一本食って、席へ戻る。眠りかけたところへボーイが来て起す。この席は、もう一枚売ったので、席を代って貰へないかといふやうなことを言ひ出した。「うるせえな、ひとがいゝ心持で寝てるのを起しやがって! うるさい、あっち行け」と怒鳴って、又寝る。名古屋、二時近く着、又雨だ。CBCの人が迎へに来り(名古屋公演はCBC主催)、いつもの宿、名古屋館へ。先づ、風呂へ入る。いゝあんばいに、うるさい風呂番の爺が留守で、のんびり入れた。此の宿へは、薄田夫妻と我のみで、あとは別宿。今回は、津田と菜穂が附添なり。今夜、CBCの松谷君の紹介で、芝居ハネ後に、キャバレー、パールで歌ふことになってゝ(あはれなり、稼ぎます)、その打合せに、松谷君来る。五時すぎ、タクシー、すぐ近くの名鉄ホールへ。八階、楽屋は、中々きれい。六時開演。名鉄ホールも立派なり。客の入りは六分とか。大詰は大いに拍手。こゝでも、カーテンコールあり。了ると、タクシー、栄町のキャバレー、パールへ。報せといたので、上田知一旦那が先に行ってゝ、その席へ。ふと思ひついて、わがヴァイオリンの蔭を弾いてる桜井を今夜引っぱり出すことにした。石田一松の息、幸松も来た。商売前は、我、飲まず。十一時近く、ステージへ。「ハノハの歌」から「モンパゝ」。それから桜井を紹介、ヴァイオリン弾かせて、「カチューシャ」「パイのパイのパイ」等歌ひ、桜井を残して下り、彼の、一松ゆずり「のんき節」をやらせ、又引つゞき出て、「酔へば大将」をやる。休んで又歌ふことになったが、もうハイボールを飲み始める。相当酔ってから、フローアのマイクで歌ふ。「サム・サンデ・モーニング」他。十二時すぎに了り、タクシー、那をへ行く。桜井・石田・津田・西野も同席。上田もう酔って、何言ってるのか分らない。ドテやきと、みたらしってものを露店から大量に買はせてあり、サントリー丸のハイボール。しまひに、しぐれ飯といふもの(蛤と、野菜いろ/\の飯)一杯食ふ。うまからず。一時すぎであらうか、タクシー、名古屋館へ帰る。アド三服み、眠らんとす。旅のスケジュール、四日市―京都―神戸―大阪。


十月十九日(日曜)晴

 大阪産経会館二回。
 神戸山麓荘の――夜半、洗面所へ放尿したらしき記憶かすかにあり。慙愧。十時頃迄寝た。朝食、見るからにつまらない。みそ汁には松茸の薄切が浮んでゝ、帯をした海苔、生卵一つ、飯は軽く二杯。十一時前、こゝよりタクシー、三宮駅、阪急で、梅田迄。三十分で着く。タクシー、産経会館へ。こゝは大部屋で、皆一緒。入りは、細工もしてあるらしいが、満員。一時開演。気持よくやる。昼の了り、このホールの食堂から、オムレツとマカロニグラタンとりて食ふ。夜も、満員だが、大半は招待の由。兎に角、此の劇、はじめっから不振、評判のみよく、旅も全部コケた。然し、手打ちは京都のみで、あとは売りだから大した損もなからうに、百五十万は赤字と言ってゐる。おかげで、今日残金を呉れる約束スッポかされ、帰ってからと言ふ。それは、もはやアテにならない。貧の折から、又ひどい目に遭った。でも、大詰の幕が下りると、冷酒の乾杯、シャン/\としめて、金子演出家から一言、僕にも一言と言はれ、一口喋る。かくて淋しき、千秋楽の気分。みんな夜汽車で帰京の様子。待ってゐた東靖夫と、タクシーで日本橋の方へ。大阪の日曜日の此の時間、もはや夜中の如き静けさ。せきぐちといふ古い店の二階で、持参のサントリーを飲み、東はジュース。牛肉の桃色のいゝとこ、関西風のすきやき、ザラメを沢山入れるから、甘い/\。なるべく辛くして、大いに食ふ。こゝは、いつもごちそうになるから、我払ふ(チップとも三千円)。タクシー、喜多八へ。二階の一室に床とってあり、一夜泊る。アド三。明日は、昼立ち帰京。


十月二十一日(火曜)曇

 富士映画「坊ちゃんに惚れた七人娘」セット第一日。
 八時に起される。朝食ぬき。九時すぎ、津田来り出る、タクシー。富士映画着、すぐ支度して、セットへ。高島忠夫の「坊ちゃんに惚れた七人娘」。由利徹・高島忠夫等と、わけ分らずのまゝ無責任にやる。午前中に、仕事は殆んど了る。午後、スティルのみ。昼には、そば屋から、小田巻二つとり食ふ。うまい。午後、社長来り、スティル撮影の指揮をする、馬鹿々々しい。これで、身体あいた。タクシー帰宅。来信のやぶき、PRの雑誌・新聞の破き、何でこんなもの送って来るんだ! などで結構時間潰れる。四時すぎ、タクシー出る。小川軒が食ひたくて、新橋。小川軒、おやぢ不在、がっかり。メニュウ見て、コンソメを注文、松茸が浮いてるんで、うんざり。然し、いゝ味だ。チキン・ビスケットといふのを試みる、クラッカーを衣にしたチキンの炒め、先づ食へる。温野菜よし。スープライス。皆少量だからいゝ。まだ食ひたいが、これで、カスタード・プディング、デミタッセ。それから、タクシー、八重洲ドックへ。こゝは、いゝやうだし快感もある。六時から七時半迄。八時、KRへ。「赤胴鈴之助」録音。今夜は三本分あり。穂積に会ひ、胃の方は如何ときくと、慶応病院で今日検べたが、結果は明後日でないと分らない由、いさゝか心配な様子。弁当が来た。赤坂富貴の里の、とりめし。これはいゝと、胃病穂積も、俺も、一折食ってしまった。了ったのは、十二時前。送り車で、帰る。靄で危い。十二時半帰宅。アド三服み、「手当り次第」ペラ九枚書いてしまふ、二時。三宅周太郎「歌舞伎の星」読み出し、すぐ睡くなる。
「宝石」真野律太より、先日苦しまぎれに渡した、「昭和二十年日記」の一月の分読んだが、つまらなくて、呼びものにはならぬと言ふ。何うも、あの稿は何処でもふられる。


十月二十五日(土曜)曇後雨

「坊ちゃんに惚れた七人娘」了る。
 七時半起される。朝食は、クッキー。八時近くなりても津田不来、富士映画よりは電話で催促、菜穂だけ連れてタクシー出る。津田、間もなく追ひ着く。「すみません」でもない、不愉快。行くとすぐロケ現場へ。由利徹の自家用車で行く。彼、運転、但し「僕は無免許ですが、大丈夫です」。世田谷代田の辺り、昔風の邸、玄関のところで一カット。これで、「坊ちゃんに惚れた七人娘」は、僕アガリ。有がたし。タクシー、富士映画へ戻る。運がよかったな、僕のところ了ると雨だ。津田と父秀水、弟の正也と三人ゐる。麻雀といふことになり、タクシー、三田へ。大三元といふ雀クラブで、津田一家三人と雀。やりながら、カツ丼一つ食ふ。四時近く迄やり、了ると、二万も勝ってゐたが、これはお笑ひ。タクシー、三越劇場へ。三越名人会、われは声帯模写とプロにある。五時すぎに、出る。こゝは中年以上の客多く、やりよし。山寺で、梅島・井上等やる、これが判って拍手多し。しまひに、いつもの炭坑ぶしをやりて、二十分。了って、八重洲ドックへ。気浴一時間半。こゝで、滝さんに逢ふ。夜のスポムサーを、たのむ。こゝから、読売ホール迄、滝さんの車で送って貰ふ。読売ホール、一竜斎貞鳳のリサイタル。これへゲストの飛入り、徳川夢声・柳家金語楼と三人で、司会の高橋圭三にたのみ、「青春スター三人」と紹介させて出たから大いに受けた。一寸宛挨拶をして、下る。有楽町アマンドへ。滝さん、今夜はえゝとこへ連れて行くと、神田駅西口前の、クラブ星座といふ小店へ案内された。いきなり女給が、わアッと喚声をあげて歓迎する演出で、日本髪のカツラと洋装と半々なのが特徴。銀座にある「憂鬱」が、こゝにはみじんもなし。ハイボール、結局七杯か。こゝから、甘人へ。もはや酔ってる、飲まずの食ひだ。ペルメニーと、タンシチュウ、バタライス。タクシー帰宅。床で、アド三。


十月二十七日(月曜)晴

 九時に起される迄、十時間以上の眠り。朝、PH一寸危かったが消ゆ。朝食、卵とぢ澄汁、ちらし一皿。豚カツ。十一時頃、出る。タクシー。東宝旧本社五階、稽古場へ。一時近く、菊田一夫来、自ら演出。大詰迄すっかり脚本が渡ったのは珍しい。が、読んでみると、これは、菊田自身ではあるまい。僕役の坪内逍遙など全然つまらず、屁のやうなもの。これでは、仕出来しやうがない。菊田に、十二月は何うしてくれるのか、ときく。この「女優物語」を、十二月は東宝劇場へ持って来るらしいが、越路以外は全部キャスト変更ときいたので。菊田、「まだ判らないが、花のれんの方へ出て貰ふかも判らん」といふやうなことを言ってる。読み合せ一回やり、三時となる。これからが、立ち。碌に出てゐないからぼんやりしてるうち、腹減り、四時頃、東宝食堂の幕の内をとりて食ふ、うまし。稽古ってものも、出づっぱりでないとダレるものだ。一座の頃、たゞ自分中心でやってゐたんだが、さぞ皆は退屈したことだらうと、今ごろ判る。それにしても、須磨子役の越路吹雪の、何たるきたない顔してることよ。花柳喜章の、ズングリ肥った姿は、滑稽で、島村抱月には見えない。何うにも然し、この芝居つまらん。くさり。六時すぎに、稽古はとれた。タクシー、新橋小川軒へ。一隅で、サントリー角ハイ飲む。オルドヴルいろ/\出して呉れ、チキンのカクテルカップ、チーズ、チーズ・トースト、小さいジャガイモ、キャヴィア・オン・トースト等々、たのしく、リッチな気持になる。ヴィールのエスカロップ、温野菜。それにサラダを貰って、まぜて食ふ。これで、五百円(飲みを入れて)しかとらないんだから、有がたし。リッチな気持になるのは、美食以外にない。よしきりへ寄る。津田、こゝで待ち。「娯楽よみうり」の稿料四回分受けとり、金カラ/\の折なり、ホッと息をつく。そこで、ハイボール又飲み、ひろ(バア)へ行き、ごきげん。タクシー帰宅。アド三服みの寝。


十月二十九日(水曜)晴

 CBC「金吾君行状記」。
 大阪へ。
 伊勢大和の寝台下段、五時すぎ、ボーイ起す。名古屋駅着、雨はあがりて、晴。名古屋館へ。おなじみ、あふひの間。十一時迄暇といふから、菜穂の兄貴より貰ったウイを抜き、オムレツをとり、飲み出す。飯も、生卵かけて一、二杯食ひ、眠くなりて床に入る。十一時迄寝たが、起されると、酒が醒めず辛い。迎への、西宮演芸の細君(歌ひ手でデブ)が来る。車で、日本碍子といふ工場へ。十二時すぎから、工員のみ何百人かを相手に、漫談二十分位。終ると、車、CBCへ急ぐ。なごやユーモア劇場(桂小金治の)、第十三回「鼻つまりと臍まがり」のゲスト。セリフを全然覚えてゐないから、リハーザルしながら覚える。穂積純太郎作の脚本、ひどくつまらず、まるで張合ひなし。七時半から本版。喜劇なのだが、ちっともわけが判らない。了ると、名古屋館へ引返し、夕食。八時四十五分の汽車に間に合ふやうに、タクシー、駅へ。これで、十一時二十何分に大阪へ着き、梅コマへ辷り込む予定だから、セリフ覚えねばならない。「女優物語」は、セリフ少いが、まだ全然覚えてゐない。動き出すと、すぐセリフにかゝる。十一時二十何分、大阪駅着。タクシー、すぐだが、梅田コマスタヂアムへ。今、第一部が了ったところ。菊田一夫に会ひ、部屋で、セリフを見て待つ。一度出ると又待ち。六時になったが、まだ売れず、客席で居ねむり、ろくに出ないし、出るとすぐ引込む。これは、よほどつまらん役だ。フィナーレを了ったのは、九時半。一休みしたら、又五時から通し稽古だといふ。菊田は、新宿のコマの舞台稽古もあり、飛行機でカケ持ち。宿へ歩き、アンマをとりつゝ眠らうと企画。喜多八、二階の同じ部屋。アド二服み、床へ入り、腹ぐすりワカ末といふのも服む。女アンマ来り、十時半頃から揉ませ始める。いゝ心持に寝られるだらうと思ってゐたのに、因果な性分だなあ、ちっとも眠くならない。アンマを帰して、サントリー、ガボ/″\と飲む。十二時半近く、眠ったかのやうである。


十月三十一日(金曜)曇

 梅田コマ劇場「女優物語」初日。
 十時半に起される。関西漫遊中の母上が、お供役の、しげと共に来て、話しつゝ朝食する。十一時すぎ、本日初日一時より一回のみなので、歩いて出る。楽屋で、母上・しげも共に、今日、芝居を少し見て又、方々へ旅行、四日頃帰京される。一時開演、舞台稽古並みの入り、ひどいもの。いくらもないセリフ、心配なし。フィナーレが終ったのが五時半。ビムボウ・ダナオと、今夜は飲まうと言ってゐたのだが、これから映画一つ見て、それからの事にしようと言ふ。ビムボウ感じのいゝ青年だし、君は日本語、我は英語といふつきあひにする。久しぶりで英会話勉強の心。梅田シネマへ、ヒッチコックの「めまひ」を見に行く。見てるうち、居ねむり。だらしなし。見終って、吉田バーへ行かうと、タクシー、南進。こゝで、ハイボール三四杯。ビムボウ、こゝの払ひを強硬に持って呉れ、あとも自分に任せろと、北進。花束といふキャバレー、女も美しく、中々高級。ハイボールしきりに。こゝを出ると、ビムボウ益々通を発揮、お茶漬屋ぼたんといふのへ案内される、食はれっぱなし。悉くビムボウに奢られ、一文も遣はずに喜多八へ送られて、床へ入り、アド三。まだ十一時半位。
[#改段]




昭和三十三年十一月






十一月一日(土曜)曇

 たっぷり眠りぬ。十時半に起される、快い朝。朝食、はかなき喜多八の朝めしよ、生卵かけて二杯。十一時すぎ歩いて出る。昨日はひどかったが、今日は団体がとれて、入りよし。いくら力んでも、しようのない役、たゞ威張ってるだけ。袖で「あゝ今度の役は、つまらんよ」と言ったら、菜穂曰く「芸術座からずっとよかったのが、今度で駄目になりましたね」と、何たるアプレの無礼、俺をつかまへて言ふんだから、呆れる。昼の部の幕間に、コマうどんをとる、こっちのうどんはいゝ(八十円だったのが、百円になった)。清川虹子母子が来訪、笑の王国当時生駒雷遊との間に生れたのが、今日ロカビリーの関口悦郎なり。夜の部、五時半開き、これ亦満員。ずっと団体客で一杯になるらしい様子、こゝの商売上手には感心する。九時半にハネた。田武謙三を誘ひ、タクシー、吉田バー。ブラック・アンド・ホワイト・ハイボール。アンチョビトースト、此処のプリゼンテーションのうまさ、しみ/″\酒を飲んでる気持になる。三四杯にして、バア・ハマへ。こゝで又飲んだ上、黒門のすし平へ。をどりばかり食ひ、ハマのママと田武に送られて、喜多八へ帰ったのが一時すぎか。アド三。


十一月十日(月曜)晴

 宝塚映画「勢揃ひ江戸っ子長屋」セット第一日徹宵。
 十時半起き。昨夕よりPHは消えた、今朝NOP。朝食、半熟卵をのせて、軽く二膳。禁煙を思ひつゝ、やたらにタバコ吸ふ。十一時すぎ出る、ピーカンの好晴。楽屋へ入り、今夜は京都行、終り次第帰阪して寝るのだが、一体何時間眠れるのか、心配。昼の部の間、三宅周太郎「歌舞伎の星」を読む。明日渡す約束の「手当り次第」ペラ六枚出来てゐるが、あと何を書いていゝか、弱る。昼の了り、シルヴァーといふのを試みようと、かほ落して出る。ビル九階のシルヴァー、たしか、初めてだらう。ボーイも女給もサーヴィスよく、先づ感じがいゝ。ポタージュとロールを命じた。ロールは、B級。ポタージュは、トマトクリーム、コルトンも良心的で、これは、うまかった。この分なら、食ふものも大丈夫だらう。果して、フリカッセ・チキンをとると、ベシャメルソースの味もおっとりしてゝ上等。すっかり気に入ったが、値もよすぎる、八百十四円也。楽屋へ戻り、トニー谷来り、話す。サンケイスポーツに劇評出た。ハシラに「越路・ロッパ好演」とあるので、読んだら、俺のことは一寸も出てゐない、ハシラだけとは拍子ぬけ。夜の入り、やはり淋し。又食ひたくなり、三休より、幕の内とりて食ふ、二百円。ハネる頃、宝塚映画より迎への車来り、京都へ向ふ。ごひいき分に、保夫も一緒。一時間一寸で、宝映画スタヂオ着。これは、ひどいスタヂオだ。砂漠のまん中みたいな所で、俳優部屋もバラック。保夫も一役ついて、大工の姿になる。父子並んで鏡に向ふ。あんまり、いゝ心持のものではない。保夫、ヅラ似合ひ、時代劇向きなり。夜食が出て、粕汁が附いてる、これ、京都の冬の味。斎藤寅さん久濶、「勢揃ひ江戸っ子長屋」セット、大工の棟梁我、なるべく若くやる。女房は坪内美子、娘役が翼ひろみ。シネスコで、寅さんの演出が何うもたよりない。世評の通り、ずれてしまったのか。漸っと了ったのが、五時すぎ。送りの車に乗る前に、アド二服む。六時半すぎ、喜多八へ帰る。ウイを出して、水割りで飲み出す。床へ入ったのは、七時二十分頃。


十一月十六日(日曜)晴

 六時に起される。辛し。六時二十分、迎への車に乗り、京都へ向ふ。五十分ばかりで、宝映画へ着く。食堂で、朝食。丼めしに、豆腐のみそ汁、かれひの干物、生卵二つ。八時にはセットへ。「勢揃ひ江戸っ子長屋」の料亭シーン、有島一郎と二人の件り。二カットで了り。九時すぎにはアガってしまった。これの続篇にも出ることが定ったらしい。医者の役とか。兎に角、ありがたし。送り車に乗り、大阪へ向ふ。フラフープといふ珍物大流行、子供らが街上で腰を振ってるのが何十と見られた。いやな流行だ。阪急着が十時半。理髪へ入り、さっぱりして楽屋入り。昼の部大入満員。舞台でも割に気分よし。昼の了り、シルヴァのポタージュが欲しくなり、支度して出る。コマの前で、何処かの団体の女の子に取り巻かれて、写真を撮られたり、サインさせられたり――あゝしんどい、出るんぢゃなかった。シルヴァー、今日も同じ卓に席をとる。ポタージュ、今日はコーンで、トマトクリームより落ちる。ロール一。フィレソールのグラタンといふのを命じたら、これは失敗。舌平目が塩漬になってるやうな味、こんな馬鹿なことってあるか、もうシルヴァーは嫌になった。くさりつゝ楽屋へ戻る。漸く今日は寒くなりたり。ハネると、ストレイトに宿へ戻り、早く飲みて眠るつもり。ジョニーウォーカーの残一寸五分位あり、これだけでやめたい。蓬莱の焼売をふかさせ、炒り卵と野菜鍋。途中でアド三服み、ジョニーウォカーはなくなったが、足りない、サントリー角を抜き、少々。何のかので床へ入りしは、一時頃。


十一月二十四日(月曜)晴

「勢揃ひ江戸っ子長屋続篇」一日撮影。
 六時に起される。迎への車に乗る。津田・西野・菜穂三人も共に。一時間足らずで、宝映画スタヂオ着。部屋へ入ると、食堂より朝飯を運んで来る、腹が減ってゝ、丼めしのうまいこと。続篇は、ほんのお情け出演で、藪医者役。セットに益田キートンと環三千世と在り、わが藪医者、ポーンと匙を投げるところ二カットでチョン(斎藤寅さんが蒲田時代に使ったギャグなり)。これで一本、安くても文句は言へない。送り車、大阪阪急着十時四十分。早目に楽屋入り、寝不足が続いてゐるのに、割に元気。映画もアガって、気分よし。昼の部、月曜日でデパートが休みといふので、女店員の団体。この劇場は、うまいとこを狙ふものなり。昼の間に、日記。反省してみる。この度の大阪は、飲まない日ってものが殆どなく、それも毎夜の暴飲である、帰ったら気をつけよう。タバコは、何うにも禁煙は出来さうもなし。昼の了り、コマ食堂の幕の内をとる。夜の部も団体で入りよし。ハネると佐野一雄迎へに来り、何処かへ案内するといふ、ビムボウと八波を誘ったが二人とも売れてゝ駄目。佐野、お初天神裏の八栄亭といふ焼とり屋へ案内する。藤山寛美よりのサントリー角を持参、水割で飲み出す。焼鳥いろ/\、おばさんが焼く。「甘いでせう?」といふ。たしかに甘い、東京のは甘辛いのだが、こっちのは甘いだけだ。でも、皮、モツ、さゝみ色々、うづら等も食ったが皆いゝ。近くのバアのママが酔って入って来り、ドイツ語でローレライを歌ふといふ余興あり。そのママのバア、かとうといふのへ連れ込まれ、それから又佐野の案内で、北のアベーユへ。一時すぎ宿へ帰り、アド四服みて眠る。


十一月二十五日(火曜)晴

 梅コマ千秋楽。
 十時五十分起きる。風呂へ。今朝は気分よし。二十日に白壁先生のプレパン注射して以来、何うも調子がいゝやうだ。朝食、鮭の最小片、しらす干し入りの浸し、生卵かけて軽く二杯。楽屋へ入ると、冷コゝア二杯。昼の部、又団体で満員。昼の了り、亀井おばあちゃん又々蓬莱の焼売と肉まん持参。二つづゝ食った。伊藤支配人来り、正月のこゝで、小林一三追悼の歌舞伎をやる、それに出て貰ひたいと言ふ。一と二は歌舞伎で、三が川口松太郎「蛇姫様」で、川口が、役を書くと言ってゐる由。何うせパッとしないやうな気がするが、然し、身体は楽だらうし、テレビなんかにも出られるだらうから考へよう――となると正月から大阪か、酒をつゝしむことを覚えなくてはいかん。大体俺は、こんなに酒飲みぢゃなかった筈だからな。千秋楽といっても、これはふざけられもせず。緞帳下りると、松岡社長もステージへ来り、僕の発声「お手を拝借」シャン/\三回。二十何日間の潜水艦の生活を了り、外へ出て、空気のうまさ、殆んど感激的だ。ビムボウを誘ったら、ペペなる者を連れて来る。八波も誘ったのだが、宿酔つゞきでバテゝ来ない。八栄亭へ。サントリー飲み出す。ビムボウとの英和ごちゃまぜ会話実に面白し。やきとり各種。酔って、アベーユへ電話、ママさん迎へに来る。そして北進、アベーユへ寄りし頃は、もうおねむの極。タクシー帰宿、アド三。明日帰京。
[#改段]




昭和三十三年十二月






十二月一日(月曜)晴

「女優物語」舞台稽古。
 九時起き。咳しきりなれど、タバコもしきり。朝食、牛肉みそ漬焼、パン。入歯の下のがグラついて、痛い。タクシー、十時すぎ出る。旧本社五階稽古場へ。二時半頃、こゝの稽古を了り、東宝劇場へ移る。その間、錦江へ行き、豚肉炒麺一つ食ふ。三時からMGMの試写あり、タクシー、久々のフィルム・ビル。MGM試写室、「熱いトタン屋根の上の猫」を見る。五時に了り、東宝劇場へ戻る。部屋は、ナムバー・ワンに一人だ。看板もいゝし、久しぶりで立派に扱はれてゐる。どうせ今夜は徹夜なり、芝居は手に入ってゝ気は楽だが、待ってる時間の長さ。うなぎが食ひたくなったが、地下食堂休みで、九重からとる。失敗だ、たゞ徒に脂切ってるのと、シャリの不味さで参る。夜半、一時半、一部が了り、二時半より二部。六時頃、まだ、えん/\とあり、こゝで二三時間休み故、部屋の電気消させて横になってみる。タバコと咳、よく生きてるといふ気がする。鏡にうつる、老醜。脳天のハゲはもはや蔽ふべくもなく、ヒゲにも白毛がふえて、情なき老体。漸く芝居の部分を了ったのが、十時半か。菊田に、フィナレをかんべんして貰って脱出、タクシー帰宅、十一時半。茶の間で、飲み。ちらしを一杯食ひ、サントリー、タンサンも適量で、床へ入る。明るい、当りまへである。アド三。


十二月三日(水曜)晴

 東宝劇場初日。
 眼が覚めた、十時半だ。朝食、オムレツ、豆腐みそ汁で飯二杯。二時すぎ、タクシー出る。東宝劇場着。コーちゃん(越路)が調子をやり、全然声が出ず、歌は全部カットするとか、大さわぎしてゐる。コーちゃんの部屋へ見舞。可哀さうなり、徹夜の無理が祟ったのだ。初日三時開演が、そのため二三十分おくれて開く。コーちゃん、ひどい声、痛々し。入りは、軽く満員。四時すぎ、地下食堂の幕の内とりて食ふ。ちょいと出てはすぐ引込む、これが一回なら楽なもんだ。然し、意外だったのは、こゝへ来て客を乗せられず、大詰の泣かせ場など、ひどくやりにくゝなり、泣かせの快感が味はへなくなったこと。芝居ってものは、むづかしい。フィナーレが終って九時半だったから、よっぽど長い、カットを要す。ビムボウ夫妻に誘はれて、彼等の車で、トーキョー・プラザへ。これが又暗い照明。食ひもの屋が何でこんなに暗くせんならん、全く食欲が減退する。スカッチ、ハイボール四杯重ねて、ビムボウを驚かす。チーズソースのサラダ、ギャリックソースのロール、トースト。そして、サーロインステーキ。ミディアムと注文したら、なるほど、こゝはビフテキが売りものだ、実にいゝ塩梅に焼けてゐる。夫妻に銀座裏迄送って貰って、バアくるみ。のり平が、おそめへ来いとの電話あり、こゝで又ハイボール二(何でかくも飲まねばならずや、俺は?)。出て、おそめへ。三木のり平・藤村有弘在り、こゝで又、ハイボール。タクシー帰宅、一時半かな。アドは、二しか服まなかったことを覚えてゐる。


十二月四日(木曜)晴

 十時に起され、十時半ノコ/\起きる。下の入歯、方々に傷で痛し、夜半に外してゐた。朝食、ハムエグス、トースト、トマトスープ。二時半、タクシー出る。東宝劇場着。客席に皆集り、菊田から発表。カットもあるがそれより重大なのは、越路倒れ、浦島千歌子が代役、浦島の役は、小柳久子がやる。それについての変更、カット等。小柳久子は、舞台稽古の日から見てたといふのだから、これは、かなり企画的だ。ぶっ倒れるだらうと思ったら、稽古の時加減して早くあげてやればいゝのに、菊田も一寸可怪しい。おどろいたことには、「東京」の夕刊に、越路倒ると出て、代役の名も出てゐる。われらの知らない間の早業。ピータースのポタージュ二人前、ロール二とる。五時半開き、浦島役の小柳久子よくやる、本役よりいゝ位。浦島の方は、何う見ても松井須磨子にはならない、こっちもやりにくし。二部に入ってもやりにくゝ、ヘンな気持で了る。客は八分の入りとか。幕が下りると、菊田一夫舞台へ来り、「ありがたう/\」と、浦島と小柳の手をとり感激、ちと嫌味なり。十時二十分頃ハネる。のり平・八波の案内で、バア・レイといふのへ入り、ハイボール二。次に、くるみへ寄ると、市川中車在り、ハイボール。菊村すしへ行き、みんなですし食ひ、みんな俺は知らんかほで、誰かゞ払ったんだらう、いやだな。タクシー帰宅、アド三服み、一時半頃か、眠る。


十二月七日(日曜)晴

 あいたゝゝと、両足首がこむら返りして、痛さにおどろき眼覚めしは、もう九時頃なりき。やがて治まったが、年は争へない、色々なことになる。九時すぎ起きる。朝食。新しい方の入歯は痛いので、又旧のにする。里いも入りのおじやみそ汁。十時すぎ、タクシー出る。劇場着、今日より越路出勤で、部屋へ見舞に寄る、まあ/\もう大丈夫の顔。昼の部、十一時開き。越路の声がきこえ出し、お家は安泰といふ気分。昼夜となっても、この劇場なら楽なものなり、俺にとっては、梅コマは運動会の毎日だった。が、芝居は不思議だ、梅コマの方がしまってゐたし、やりよかった。二時頃、幕の内一つ。村松梢風「七いろの人生」読む。昼の了り、四時になる。夜の部、何うも大阪の方が、すべて芝居がやりよかった。越路本役、やっぱりよし。夜の部、九時四十分ハネ。今夜は、KDTの杉・小山を誘ひ、津田・西野等内輪で、安く、お好み焼きの企画。東京茶房地下バアへ行く。途中、三木のり平に逢ひ、のりちゃん、ゲストで加はることゝなり、烏森のお好み焼、末広へ。我は、オムレツと牛肉焼。のり平、今俺は金が余ってゝ大いに遣ひたいと。俺だけ貧乏してる、淋しからずや。鮭茶の茶ヌキ一杯食ひ、タクシー帰宅、まだ今夜は早からう。アド三、快感至る。


十二月八日(月曜)雨

 十時に起され、十時半モソ/\と起き、風呂へ入る。頭髪の薄くなりしこと蔽ふべくもなく、口辺の髭が又白きを加へて来たのは驚きだ、御老体、少し養生あれ。朝食は、みそおじやの卵落し、二杯。雨で陰滅。床で、日記し出すと、母上が来られ、金のことなり。いろ/\不自由かけるが、母上も困らせることを言はれるので、つい声を大きくしてしまひ、あと口の悪いことなり。貧乏すると、こんなことになるなり。試写三時にあり、タクシー、松竹本社。「大西部」を見る、ワイラーの傑作。しまひ迄見たいのに、五時半近く迄見ても了らず、あきらめて出る。雨で、タクシー全くなし、泣きッ面で歩き出す。十何分かゝって息も絶え/\に劇場着、五時四十五分位。高橋善男来り、津田と税のはなしする、耳を蔽ひたい。大詰の泣かせ場、菊田より「少し押へて呉れ」と言って来る、なるほど少し泣演が過ぎて、ドサくさくなったかも知れない。素直に、今夜から押へる。ハネ十時半。こんなにおそくなっては困る。正岡容死去の報で、のり平がお通夜に行くといふから、八波の運転する車で、戸山ヶ原、戸山ハイツの正岡の家へ。正岡は癌で、入院中なりしもの。桂文楽在り、正岡門下のはなし家連やその他で賑かになる。正岡のお通夜だ、ハデな方がいゝ。故人の声色をやったりして(香典も持参せず)、笑ひつゝ眠くなり、八波が車で送って来て呉れたやうな気がする。いづれ、一時すぎには違ひあるまい。帰宅、アド三服み、眠る。


十二月十一日(木曜)晴

 九時すぎに起される。朝食ヌキ。タクシー、出る。今日十一時より勧銀の宝くじ抽選会で、寸劇、玉川一郎作「くじは持ちよう」といふ愚にもつかぬものをやらされる。禿ヅラかぶり、のり平・八波と、口ダテの如く、つかみでやる。ひどいものなり。十二時からが、本公演。昼は、地下食堂の幕の内。川口松太郎来り、梅田コマ一月の「蛇姫様」は任せとけ。二月は、一に「花のれん」の短縮版、これで、目下キートンのやってる二役をやれ、二も、三益の母ものにつきあへと言ふ。となると、楽ぢゃないぞ。この際、旦那、如何です、禁煙などなさっては? 夜の部、入りよし、芝居は全くつまらなくなったのに。ハネ十時半。津田と出かゝると、菊田一夫が俺をつかまへ、「二月、梅コマたのみます」と言ふ。東京茶房地下バアへ寄り、サン角ハイ五杯、ハムとチーズのサンドウィッチ。十二時前、タクシー帰宅。床で、アド二。


十二月十四日(日曜)晴

 九時起き、寒し。火燵でふるへる。朝食、パン、スープ、肉。十時すぎ、タクシー出る。十時半、楽屋着。マチネー、十一時開き、入りよし。間に、又もや幕の内。ビムボウより、今夜彼の家へ来い、コールミート沢山と誘はれたので、そのつもりの腹具合を、今からとゝのへる。夜の部も、入りよし。新聞評そろ/\出はじめた、俺のことはあまり触れてない。まあまあの評判。舞台で、裏が騒々しくてカン立つ。ハネると、ビムボウの車で、上目黒の彼と淡路恵子の邸へ、花柳喜章と共に。あとから、越路が来る。ビムボウ邸、小さくても金かゝってる、きれいな洋間、テクニカラー。ベッドルームに案内されたが、服が何十着とぶら下ってる、こりゃかなはん。スコッチのハイボール飲んでるうちに越路来る。そこで、シャムペンを抜く。越路に、何か芝居のことを話しかけると、「仕事のはなしは、今夜はよさうよ」と言ふ。仕事のはなしを肴にしないやうでは、芸術家ぢゃないんだ。生意気言ってやがる。と言ふのも、いゝ女ぢゃないから腹が立つのかも知れない。あの女自身は、いゝ女と誤認してゐるんだ。ビムボウのアレンヂをしてる内藤といふ若者来り、これが又感じよくなし。別卓で、コールミートとなった頃には、もう酔って食欲なくなり、コールミートを観賞したのみ。ビムボウの車で送られて帰ったのも、さて何時頃のことか。アド三。


十二月十八日(木曜)晴後雨

 十一時に起されて、暫く起きられず。朝食、昨夜滝さんより、神戸土産ドンQのパン沢山届き、それを食ふが、堅くて弱る。ハムエグス、紅茶。一時すぎ、タクシー、芸術座へ。「くたばれヤンキース」試写。グエン・ヴァードンのパースナリティーに圧倒される。これが了り、折からの雨の中、慶楽へ行って、焼売と鶏糸湯麺を注文、ともに大にして食ひ切れず。味も普通なり。五時すぎ楽屋入り。ハネ十時十五分。ビムボウの部屋へ行くと、ブラック・アンド・ホワイトあり、少し飲み、もう気持よくなる。オクサン、淡路恵子がNHKで仕事してる、それを待つため、マニュエラへ入る。バアで、BWハイボール。つまらないから、赤坂のコーパへ行かうと、ビムボウ、どん/″\金を遣ふ。やがて、恵子さんNHKから来り、神宮近くの、カフェー・セントラルへ。こゝで、チキン・アドボを注文、一杯やってるうちに、ビムボウ夫妻が喧嘩しはじめた。恵子さんが、ボーイに目で合図したとか何とか、ヤキモチから始まったらしい。恵子は、ボロ/″\と涙を流しながら、ペラ/\と英語で怒る。恵子の英語は相当なものだ。ビムボウは、こはい顔して、「芝居もいゝかげんにしろ」といふやうなことを叫ぶ。いかん/\と、とめようとするが、夫婦喧嘩の仲裁をするほどの英語力はない。そのうち、恵子は何処かへ行っちまふ。食魔我、その間にチキン・アドボを食っちまふ。で、外へ出ると、タクシー拾って、俺は帰るよと言ふと、ビムボウ、僕の手に紙幣を握らせる、千円紙幣だった。毎夜、ふるまひ酒に酔ふ我、あはれなるかな。帰宅、一時半、アド三服む。


十二月十九日(金曜)晴夜雨

 八時すぎ、いきなり朝のショック、山野一郎が死んだ、昨夜心臓麻痺で。朝日には、「古川緑波・徳川夢声等とゝもに活弁だった」としてある。山野ではほっておけない、行かなくちゃと思へど、世田谷羽根木町なんて、何んなとこか分らず弱る。又、香典だ、山野も、暮に死んぢゃ困るぢゃないか。朝食、ドンQのパン、肉焼き。ところへ山野一郎宅より電話、伜が出て、友人総代として僕の名を借りたいとのこと、無論喜んでと答へる。とり込んでゐるから、葬式にだけ来てくれゝばいゝと言ふので、さうさして貰ふ。一時半頃、車拾はせ、新橋、小川軒へ。マスターゐて、「任して下さい」と、先づ、ポタージュは、セロリ。次に、小さい蛙、一寸嫌だったが食った。クロワッサン一つ。次が、ビーフステーキパイだと言ふが、ブラウンソースで煮込んだドロ/″\の肉の上へ、パイが載ってる。ゴッテリ量あり、これでもういゝと思ってるのに、サラダが一皿、スープライスと来た。皆これを平げて、バヴァロア、デミタッセ。これで、いつもの通り五百円いたゞきますといふんだから、これは全く情けの食事。タクシー、東宝本社試写室へ。「巨人軍物語」といふ日本の野球ドキュメンタリー、俺にはまるで縁がない、が、此の時間どうにもならず、見る。五時、楽屋入り。石田守衛・山茶花究など来り、山野の話しきり。入り、今夜も、ギッシリらしい。ビンボウ・ダナオ、部屋へ来り、夫婦喧嘩をあやまり、酔って、クレージーだったと言ふ。淡路恵子も来り、まるで、ニコ/\。ハッピイ・エンディング。フィナレで、越路吹雪が、この「女優物語」で、大阪府教育委員会から芸術祭賞(奨励賞)を受賞したので、賞状持って帰った菊田一夫からそれを渡す。その司会役をたのまれる。客も拍手。これで、十時十何分に了る。帰宅、十一時。アド三服み、雑誌いろ/\拾ひ読み、一時頃か、眠る。


十二月二十二日(月曜)晴

 朝になると、両足ともに、こむら返りの起りさうな感じになる、実に不安。九時すぎに、ちゃんと眼がさめ起きる。山野の二号(?)の親戚の青年が、道案内するとて、迎へに来て待ってる。タクシーを津田に拾はせ、十時すぎに出る。世田谷区羽根木町なる山内明邸へ。十一時になり、丁度、告別式の始まる時刻だった。それから約一時間半位、立って、弔客に挨拶。古い弁士、はなし家や、撮影人種なども多く、生駒雷遊が、泉天嶺につかまり、よい/\になった姿は哀れだった。前田環と松井翠声が傍にゐたが、もうわれらの年になれば、事毎にわが身に引きくらべる。然し、山野は、終始、幸福人、山野一郎虫よしであった。市丸・勝太郎なども来り、夏川・三益も来た。十二時半近く、山内明が「出棺は一時です、それ迄何卒お休み」といふやうなことを言ふ。さあ、そこで帰らう、となって、東松原駅といふのへ歩く。東松原から、渋谷、それから新橋迄出る。小川軒へ歩く。カウンター席。おやぢ在り、今日もお任せ。ポタージュ・ロブスター入り。ロール一。牛肉のブレゼー、サラダ、スープライスと、この前と殆んど同じメニュー。デザート、クリームパイとデミタッセ。これで又、五百円だ。「へい、会費」と言って払ふ。有楽街まで歩き、千代田劇場へ入る、「勢揃ひ江戸っ子長屋」と二本立の、金語楼の「おトラさん大繁盛」の後半。金語楼は、本望と言ってもいゝほど。「勢揃ひ」が始まり、わが職人姿が出る。せい/″\若くやったつもりだが、どうも若くはない。五時十五分楽屋入り。今日は一つ、ポーカーに加はってやらう、嚢中いくらもないんだが、大丈夫の自信あり。一部の了りに、八波等の部屋へ。日劇の平野・坊屋・八波等。はじめまるでつかず、マイナス大分大きくなり、百円サツ何枚かになる。何しろ、八枚カードなんて怪物はあるし、ジョーカーはオールマイティーではなく、ペアはエースにしか通用しないとか、変なルールなので、勝ってるのに下りかゝったりして、ビムボウが傍で教へて呉れて助かったりしたが、兎に角ついて来て、出までには、(+15000)といふ勝利。サツ束を、たもとに入れたまゝ舞台に立つも亦、快。ハネると、のり平を誘ふ。何しろ、かう勝っては。津田・西野・菜穂に千円づゝやる。串助の方へ出たから、こゝで一休みしようと、入る。サントリー角ハイ、のり平は日本酒、皮のからし和へ、あひがも、団子等。バアくるみへ入る。と、間もなく、小林米三氏入来、俺は早速、企画を語る。すなはち、一月一日は小林邸で、バアお米(小林邸内のバア)とねがひたい、と。米三氏は、そんなら昼間歌劇を見て、それから家へ来なさい、と言ふことになる。スコッチ・ハイボール。そこへ又誰か来たやうな気もするし――判らん。帰りのタクシーも、何ういふ風につかまへたのか、判らん。勝利の金は、串助で二千円ほど払ったきり、くるみは、知らん。帰宅、アド三。明朝は、ゆっくりだ。


十二月二十四日(水曜)晴

 十一時半に起きる、PH微を見る。足の不安は感じるが、無事。朝食、パン、ハムエグ。床で、「手当り次第」を書き出す、馴れて来て、段々調子が出て来たやうだ。歩いて出ると、すぐタクシー来り、田村町へ。寺木ドクトルと、入歯いろ/\相談、新入歯の傷をつけること、それによって又削る。小川軒へ歩く。カウンター席、おやぢ在り、「クリスマスらしくないものにしてくれ」で、お任せ。はじめに、何か分らぬ肝の如きものゝカクテル。これは分らんわけだ鮟鱇の肝。コンソメ(酒が利いてゝ、いゝ味)から、白魚のフライ、マヨネーズ、もっと食ひたい。この間からうはさしてゐた、ローストビーフ。桃色のミディアムでホット。だが、ヨークシャープディングと迄は行かず、ホース・ラディッシュのみ。ローストビーフそのものも、あんまり上出来ではない。ピラフは(芝海老とチキン、マッシュルーム)クリームソース掛け。サラダが出て、デザート、クリスマスプディングと言って出したのは、つまりプラムプディングだが、ソースはいゝが、苦くていけない。それで又五百円也。座へ出る。さあ、やりたいぞ。スピーカーで楽屋へ、「今日秩父宮妃が見物されますから、悪ふざけのないやうに」と言ふ、まだこんな風だ。たのんどいた「映画よみうり」の稿料四回分二万円、鈴木君持って来る。よし、資本もあるし、一部の了りに、勇んで八波の部屋へ。中川健ちゃん・八波・日劇平野・ビムボウ等の大メムバー。今日はてんでつかず、負けつゞける。そのうち不覚なり我、中川にブラフ、八千円とふっかけたら、見られちまひ、さっき入った二万円もスリ、もう一万円やられて、三万の負け。時間となり、二部へ出る。ボーッとなり、セリフも危し。あゝ何と、原稿料、それも前借なのだ、愚かなるかな。くさりにくさりつゝ、八波の車で、甘人へ。サントリー角ハイと、グリルチキンの一皿。八波に誘はれて、LQへ。こゝに、小林桂樹・三木のり平・藤村有弘等、今をときめく連中在り、しきりに飲む。誰かゞうまくタクシー見つけてくれて、帰ったのが、三時だらう。アド服んだらうが覚えなし。


十二月二十九日(月曜)晴

 ミュージカル千秋楽。
 九時に起されると、はい、と起きる。朝食、ハムエッグス、スープ、トースト。毎日、インシュリンの他、水島に言はれてから、VB1を注射してゐるが、いゝやうだ。母上へ、お歳暮、お年玉を兼ねたお小遣ひ、その他の払ひも大体済ませる。四時、タクシー出る。ピータースへ寄り、食事。ポタージュ、スコーン二、ポークチャップのスタッフ入り、けもの臭し。プラム・プディング、これは、こゝに限る。楽屋入り、「笑の泉」記者、原稿料持って来る。千秋楽の入りは、拵へたらしいが、満員。小林桂樹のとび入りあり、適当にふざける。一部の了り、やっぱり八波の部屋へ行く。ビムボウが、今日はノー・プレイ、何故ならば、今日負けたら明日がないからと言ふが、全くだ。然し、まだ勝ちたくもあり、助平。負け一万越え、くやしく舞台へ。次の時間も又行き、つひに今日(−20000)なり。あゝビムボウの訓へを守らざりしは、誤てり。旅に出るのに、弱ったなあ。心細し、わが財布。ハネて緞帳下りると、菊田重役来り、手をしめる。元気なく、タクシー甘人迄。サントリータンサン、チーズトースト、伊藤にお任せの、ビーフ・ミニツステーキ風、バタライス、マッシュポテト添。滝さんより、正月用のデコレーション・ケーキ大箱とチョコレート貰ひ、タクシー漸くあり、帰宅、一時。アド二服みて消燈。


十二月三十日(火曜)晴

 下阪。
 梅コマ舞台稽古徹宵。
 まだ五時になるかならぬかに眼が覚める。もう起しに来るな、と思ってると、来た。久ヶ原のタクシー運ちゃん、約束を守りて、六時二十分前に来る。六時には、津田・西野・菜穂揃って、出る。二ヶ月の留守と思へば、わが家との別れも辛し。八重洲口へ六時半着。七時、こだま号、二等。「蛇姫様」台本出して、セリフ。いくらもないセリフだ、丁度この汽車中で覚えられるだらう。十時半頃、ビュフェ式立食堂へ行ってみる。これは嫌だ、ゆれるし、食ふのに困難する。コールミートの三百円のランチ、コールド・ビーフは中々いゝ。席へ戻り、又覚えにかゝる。昨日のポーカーしなきゃよかった、後悔。大阪着、一時五十分。コマからの出迎へ青年あり、「蛇姫様」の舞台けい古に入ったところですから、まっすぐコマへ入ってくれと言ふ。梅田コマの楽屋口から細い階段下りつゝ、あゝこゝで又二ヶ月か、と嫌になる。舞台稽古は、間もなく我の出、二場となる。川口が来てゐないので、伊藤(晴雨の息子で、昔わが一座を手伝ひしことあり)の演出。部屋は、前と同じ三号室。東宝劇場の楽屋に比べると、まるで暗い。二場で出て、こゝだけの芝居、あとは、出てもろくに喋りもしない。部屋で、世紀から、けいらんあんかけ一、こっちのうどん、よし。夜に入り、親子丼のビショ/″\のと注文、これもよし。本格的なのが始まったのは、一時。すっかりかほもし、衣裳もつけてやる。コマ歌舞伎なんて言っても、寄せ集めなので、端役がひどい。二場が了れば、あとは屁だ、気も入らず、たゞだら/″\。漸く了ったのは、三時半近し。喜多八へ歩く。喜多八、女中起して、四時、いつもの部屋へ。あゝこゝで二ヶ月くらすのか。サントリー角、買ってあり、タンサンで飲み出す。今回は、津田・西野・菜穂も此の宿。冷えた卵やきと焼魚で飲み、アド二服みて眠りしは、五時半頃のことならん。


十二月三十一日(水曜)雨

 眼が覚めて、時計見てびっくり。四時である。二日分の眠り、少くとも十時間寝た。風呂へ入る。ぬるくして、ゆっくり。風呂ばっかりは、わが家より快適。朝食は、白菜鍋が出たし、佐野より、八栄亭のやきとり一箱届いてゐるので、それらを適当に食ひ、飯は食はず。さて、今日は如何して、年を越すべきか。雨なのが、実に嫌。何しろ金なし、喜多八から金借りてゐる始末。今日も起きぬけに、左足、こむら返りし、苦しんだ。VB1注射す。西野とタクシー、梅田新道の松竹シネマへ。七時五分よりの最終回、ディズニーの「ペリ」を見る。入りは百人もゐない淋しさ、これもテレビの影響だらう。僕の予想では、今春の興行物(殊に映画)の客は、テレビに食はれ、大いに悪くなると思ふ。九時には了り、南進タクシー、吉田バー。BWハイボール、アンチョヴィトースト。傍にゐた紳士、これから一軒行きませうと、名も商売も名のらず、こゝから北へ、タクシー。グランドホテル地下のバア、女気のない、上品なとこ、こゝで、ハイボールと、彼の飲んでるスロー・ジンフィズがうまさうだから、飲む。何者とも分らぬ人、こゝで別れ、何も食へず、宿へ帰る。まだ十二時前。宿で、かつぶし入りのにぎりめし作らせ、五つばかり食って、アド三服み、何ともはや、味気なき年の瀬。





底本:「古川ロッパ昭和日記〈晩年篇〉 新装版」晶文社
   2007(平成19)年5月25日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「バア」と「バー」、「わァッ」と「わアッ」、「ぼん/″\」と「ぼんぼん」の混在は、底本通りです。
※底本は新字旧仮名づかいです。なお拗音、促音の小書きは、底本通りです。
※誤植を疑った「支配入が」を、本文中の他の箇所の表記にそって、あらためました。
※底本「凡例」によれば、「晩年篇の内容は、長男古川清氏の諒承を得て一部削除した」とあります。
入力:門田裕志
校正:きゅうり
2019年7月30日作成
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